義経・平清盛

2012年12月23日 (日)

平清盛 第50回 「遊びをせんとや生まれけむ」

(壇ノ浦の戦い前日、鎌倉。写経をする頼盛。その頼盛に、間もなく壇ノ浦あたりで戦になると知らせる頼朝。後悔はしないのかと問う頼朝に、平家は常に一蓮托生と頼盛。)

(4年前。突然二見浦の西行の庵に現れた清盛。なぜだといぶかる清盛を見て、生き霊の様なものだ、間もなく死ぬのだろうと西行。あるまじき事だと清盛。)

(治承5年1月27日。六波羅。熱に苦しむ清盛。)

(伊勢。庵の中を歩き回る清盛。生き霊とは便利なものだと西行。今死ねば、皆の思いを捨てる事になる、頼朝を倒し、福原に都を建てるまでは死ねないと清盛。皆そうだったのだろう、しかし、誰にも等しく訪れるのが死というもの、だから懸命に生きなければならない、清盛ほどそれを体現した人を他に知らないと西行。)

(法住寺殿。「遊びをせんとや生まれけん。」と歌う後白河法皇。)

(伊勢。清盛はいついかなる時も、子供が遊ぶように生き尽くした、まぱゆいばかりの美しさだと西行。涙する清盛。)

(六波羅。目を覚ました清盛。よろよろと立ち上がり、一門に向かって我が墓前に頼朝の首を供えよと命じ、仰向けに倒れた清盛。閏2月4日、64歳で清盛逝去。)

(六波羅。清盛の遺言を一門に伝える西行。西行に代わって現れた清盛。以下、清盛の遺言。)

(維盛、資盛に向かって、亡き重盛の血を引く者、清らかな心根を宝物と思って生きよ。経子に向かって、そなたの様な良き妻が居て呉れるた事は救いだった。経盛、教盛、二人揃って一人前とは良く言った、これからも兄弟支え合い平家の文と武の軸として生きよ。忠度、そなたの歌の才は日本一だと私が認める。頼盛、父と母の血を守り抜いてくれ。宗清、なにがあっても頼盛の忠実な家人であれ。貞能、そなたの忠義、甲斐甲斐しき働き、忘れぬ。忠清、お前が居なければ一門はとっくに滅んでいた、長い間平家の武を支えてくれた。宗盛、知盛、重衛、逞しき倅達、きっと勝て、勝って勝ち続けよ。徳子、そなたほど見事な働きをしたもののふは国中どこを探しても居ない。時忠、そなたなくして平氏は平家になれなかった、時忠あらずんば平家にあらず。盛国、いいや鱸丸、お前はこの平家という舟に躍り込んだ鱸の様なもの、お前に巡り会えたのは生涯の恵みだった。時子、そなたこそがわしの紫の上だ。)

(清盛を見つめて涙する一門。姿を消した清盛。後に残った剣。)

(平家都落ち。宗清に向かって、鎌倉殿を頼ろうと思う、かつて助命を嘆願した池禅尼の恩を忘れていないはずと頼盛。ならば私もと宗清。ならぬ、裏切り者と呼ばれるのは自分一人でよいと頼盛。)

(重盛の遺骨を掘り起こし、鎮西へと落ちていった貞能。)

(独自に平家を守ろうと伊勢平氏の乱を起こし、斬首となった忠清。)

(一ノ谷の戦いで戦死した忠度。)

(大仏焼き討ちに恨みを持つ南都に送られ斬首された重衛。)

(一ノ谷から逃亡し、出家した維盛。後に那智の沖にて入水。)

(元暦2年3月24日。壇ノ浦の戦い。)

(船倉の中で、何としても三種の神器は守らなければならないと時忠。そして、時子に向かって、いざという時には草薙の剣をと時忠。そこに転がり込んできた傷だらけの知盛。戦の様子は如何にと問う経子。笑いながら、方々はすぐに珍しき東男をご覧になられる事でしょうと知盛。なんと悪い戯れをと生田。もはやこれまでと一礼して出て行く知盛。)

(安徳帝の横で涙を堪えている徳子。さあと言って安徳帝を抱き上げ、参りましょうと一同を見渡す時子。従う徳子たち。)

(壇ノ浦に散った資盛。壇ノ浦に入水した経盛、教盛。清宗と共に入水したものの、沈まずに泳ぎ回っているところを捕らえられた宗盛。後に親子共に斬首。)

(一門と運命を共にした経子。)

(出家し、一門の菩提を弔った徳子。)

(御神鏡を守った功で死罪をまぬがれ、能登で生き残った時忠。)

(安徳帝を抱き、剣を手に船倉から出る時子。)

(尼前、朕をどこへ連れて行くのじゃと安徳帝。帝を見つめ、海の底にも都はございましょうと時子。うなずく帝。帝を抱いて海に沈んだ時子。)

(血まみれになりながら、見るべき程の事は見つと言って碇を担ぎ、今はこれまでと海に飛び込んだ知盛。)

(海に沈んでいく剣。)

(祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、と歌う法師。)

(鎌倉。餓死による自害を選んだ盛国。)

(平家の血を守り抜き、壇ノ浦の戦いの一年後に生涯を終えた頼盛。)

(鎌倉。義経からの書状を読む頼朝。謀反の心など無いと訴える義経。無断で任官した義経を許さなかった頼朝。打倒頼朝に立ち上がった義経。)

(東大寺勧進のために鎌倉を訪れ、頼朝に会った西行。)

(願わくば 花の下にて春死なむ その如月の 望月のころ)

(西行の歌を褒める頼朝。花や月を眺めては、心に浮かぶ思いを三十一字にまとめるばかりだと西行。京、随一のもののふと呼ばれたお方がご謙遜をと頼朝。お戯れをと西行。京随一、日本随一のもののふとは誰の事か既にご存じのはずと西行。)

(頼朝の前に現れた清盛。わが倅どもがきっとそなたを討ち取る、そしてそなたの首を我が墓前に供えると清盛。そうはいかないと頼朝。そう言うと思ったと笑う清盛。しからば、まことの武士とは如何なるものか見せてみよと頼朝に迫る清盛。立ち上がって清盛に微笑みかける頼朝。うなずく清盛。)

(姿を消し、西行となった清盛。これにてと西行。呆然としながらも我に返り、大義でござったと西行を見送る頼朝。)

(歌に願ったとおり、桜の季節に世を去った西行。)

(髭切の太刀を手にした頼朝。そこに、表で子供達が銀の猫で遊んでいると言いながら入ってきた政子。何でも旅の僧からもらったとかでと政子。髭切の太刀を持ったまま立ち上がり、これが私の選んだ道、武士の栄華へと続く道だと頼朝。頼朝を見つめる政子。)

(義経を襲う軍勢。義経を庇って長刀を振るう弁慶。堂内に駆け込んだ義経。堂の入り口に立ちふさがった弁慶。堂内で兜を脱ぎ、これが定めなら潔く受け入れようと義経。堂の前で立ち往生を遂げた弁慶。源氏のために捧げたこの命、決して無駄にして下さいますなと言って、堂の中で自害した義経。弟の死の上に、武士の世を作り上げた頼朝。)

(建久元年(1190年)、30年ぶりに上洛し、後白河院に対面した頼朝。頼朝の前に双六盤を置く法皇の家人。賽を振る法皇。その1年後、66歳の生涯を閉じた法皇。)

(その9年後、世を去った頼朝。)

(室町幕府の世となり、ようやく行われる様になった、清盛が礎を築いた国と国との交易。)

(かつての清盛のごとく、船の上で雄叫びを上げる子兎丸。)

(海底に突き刺さった剣。その剣を抜き取り、刃を見つめる若き日の清盛。その清盛に声を掛ける兔丸。開かれた扉。在りし日の平家の館。清盛を迎える平家一門。首座に座り、一門を見渡す清盛。にこやかに応える一門の人々。満面に笑みを浮かべた若き日の清盛。)

(海の底にも都はごさりましょう、と時子。)

(平清盛なくして武士の世はなかったと頼朝。)

とうとう最終回を迎えました。今回は予想どおり怒濤の展開であったため、史実云々は言ってもきりがないので触れずに措き、感想を記すだけに止めます。

既に主題は前回までに語り尽くされており、最終回は本当のまとめだけに終始しました。武士の世の礎を築いたのが清盛、その思いを受け継いだのが頼朝というのがこのドラマの主題だったと思うのですが、この締め方ではそのテーマが少し弱まった感じがしましたね。頼朝が幕府を開いたところで終われば良かったものを、なんと室町幕府にまで走ってしまったのですから、そう受け取ったのも無理はないかと思います。私としては、後白河院を日本一の大天狗とののしり、公家の世に引導を渡す頼朝の姿を見たかったなあ。

それはともかく、怒濤の展開ではあったけれども、平家の儚さは良く表れていたと思います。清盛の死からわずか4年で滅んだと見るのか、その死後も4年も持ちこたえたと見るのかと評価は分かれると思いますが、栄華を誇った一門が壇ノ浦に沈んだ事はやはり哀れを誘います。美しいままに安徳帝を抱いて海に沈んだ時子は凄絶ですらあったし、平家一門の誇りを抱いて最期を遂げた様な知盛の死に様には壮絶なものがありました。私ごとながら、この夏壇ノ浦を訪れ、その場を見てきた事が、この場面を実感を伴って観る事が出来たのだと思っています。

さて、大河ドラマ史上最低の視聴率を記録した「平清盛」でしたが、私としては最後まで追いかけて良かったと思っています。分かり難いと言われた前半の朝廷の人間模様も面白かったし、後半のダークな清盛もそれなりに見応えはありました。印象に残る人物としては、頼長や信西、それに璋子や得子たちかな。保元の乱の前後が一番面白かった様な気がします。

ただ、清盛の言う武士の世がどんなものかが、最後まで良く判らなかったのが消化不良の部分ですね。清盛が目指したものは忠清がまとめてくれてはいたけれども、それによって世の中がどう変わったのかまるで示されなかったのが一番の不満点です。ここはなにがしかの形で描いて欲しかったな。それとも、変える前に死を迎えてしまい、それが実現したのが室町幕府の時代だったという事になるのでしょうか。雄叫びを上げる子兎丸の姿がその象徴だったのかも知れません。

最後に、ここまで私の拙いレビューにお付き合い頂き、本当にありがとうございました。京都に縁の深い清盛がドラマ化されると知り、資料を集めて読み出したのが1年前、それ以来、ドラマと史実の検証を続けてここまでたどりつきました。1年間完走出来たのは、大勢の人が来て下さっているという実感があってこその事、応援して頂いた方々には改めて御礼申し上げます。感謝の意を表しつつ、「平清盛」のレビューを終わらせて頂く事と致します。

2012年12月16日 (日)

平清盛 第49回 「双六が終わるとき」

(治承5年(1181年)正月。宗盛の館。正月の賀を受ける清盛。そこに入ってくる鎮西、四国の反乱の知らせ。これらに対抗すべく惣官職を敷くという清盛。そんな中、危篤に陥った高倉上皇。)

(上皇の御所。病床の上皇。死を悟りながら徳子の行く末を気に掛ける上皇。上皇の手を握り、誰よりも上皇が大事と徳子。笛を吹こうとして、音色の出せない上皇。なんと綺麗な音色でしょうと徳子。21歳の若さで亡くなった上皇。)

(再び政治の舞台に舞い戻った後白河法皇。二つの賽を清盛に投げかけ、如何なる事でもしてやろう、自分は頂きに立つ者なのだからと法皇。)

(宗盛の館。法皇のしたたかさに恐れをなす平家一門。)

(徳子に、清盛の意向であるとして、法皇の後宮に入って欲しいと願う時子。そんな事になるくらいなら出家すると徳子。)

(徳子の意向を夫に伝える徳子。また別の手を考えると清盛。これ以上の高望みはしなくても良いと時子。夫の横で琵琶を弾く時子。)

(時子との出逢いを思い出す清盛。)

(鎌倉。頼朝の下に降伏して来た梶原景時。石橋山で自分を見逃してくれた武将と気付く頼朝。頼朝を一目見て、天下を治める器と見た、家人の端に加えて欲しいと願う景時。彼を御家人に加えた頼朝。)

(京、上西門院の館。上皇を悼む歌会を催す女院。戦を恨む歌を披露する西行。)

(年老いた堀河局と出会った西行。雅な平安の世は長くないと嘆く局。今夜は存分に楽しみましょうと局の手を取る西行。)

(六波羅。清盛の下を訪れている西行。堀河の局とは夜通し歌合わせをしていたと西行。何年修行しても人の本性は変わらない、清盛もまたこれだけ追い詰められても起死回生の手を考えていると西行。自分が諦めては、武士の世は来ないと清盛。)

(頼朝の館。鎌倉の町造りに励む頼朝。)

(六波羅。鎌倉の賑わいを語る西行。大輪田の泊を作り、厳島の社を造営した頃を思い出す清盛。)

(頼朝の館。鶴ヶ岡八幡宮は源氏の守り神、そこに通じる道を中心に町を広げているのだと頼朝。感心する義経。)

(福原を都にしようと構想していた清盛。)

(鎌倉は源氏の都になると政子。)

(空を眺め、武士の世とつぶやく清盛。)

(空に向かって矢を放つ仕草をする頼朝。)

(法住寺殿。法皇の下を訪れ、双六を所望する清盛。敗れた者は勝った者の願いを一つ、必ず聞き届けるという約束で勝負を始める二人。)

(初めて双六をした時の事を思い出す清盛。天皇となった後白河に翻弄された日々を思い出す清盛。公卿になった清盛は自分をないがしろにしたと法皇。付かず離れずだと清盛。寸白の病から生き返った清盛。死の床にあった重盛を庇う清盛。)

(夜通し双六をしていた二人。7以上の目を出さなければ自分の勝ちだと法皇。7の目を出した清盛。何が望みだと法皇。二人の双六は本日をもって最後として欲しいと清盛。かつて武士は王家の犬と呼ばれていた。しかし、これからは武士同士が戦い、覇を競う世となる、もはや王家の犬ではないと清盛。もうそんなところまでたどり着いていたかと法皇。涙する清盛。一礼し、去っていく清盛。悲しげに庭を見る法皇。)

(盛国の館。剣の手入れをしながら、この辺りを平家の新たな本拠として作り直そうと思う、同じ様なものを頼朝も鎌倉に作っている、それを攻めて奪うための本拠だと清盛。良きお考えと盛国。しかし、暑いと清盛。一月なのにと訝る盛国。)

(雀の子を犬君が逃がしつると源氏物語の一節を読む時子。)

(伊勢、二見浦。西行の庵。突如現れた清盛。驚く西行。なぜかは自分にも判らないと清盛。)

(1月27日、盛国の館。熱病に倒れた清盛。看病する時子。心配そうな一門。)

(伊勢。驚いている西行。剣を手に呆然としている清盛。)

今回は四面楚歌に陥りながらも諦めず、起死回生を狙う清盛の姿が描かれました。

ドラマの冒頭に出て来た惣官職とは、五畿内と近江、伊勢、伊賀、丹波の諸国を統括する職制の事で、これらの国々の兵力と兵糧を一手に握るという強力な職権を持っていたと言われます。この任に就いたのは宗盛で、各地の反乱軍を鎮める為の軍事力の確保が目的だったと考えられています。ドラマでは先例が無いとされていましたが、実際には聖武天皇の時代に畿内惣管という職があり、公卿達にはそれをもって先例とするという事で納得させたと言われます。これによって、平家は源氏に対抗しうる軍事力を手に入れる事が出来たのでした。

高倉上皇の死が平家にとっての打撃だったのは事実で、治承三年の政変によって平家が得た政権は正当性に欠けており、後白河法皇の子である高倉上皇が院政を行うという一点のみで支えられているものでした。安徳天皇はまだ幼くて統治能力は無く、高倉上皇が治天の君として政治を司るからこそ成り立っていた政権だったのですが、頼みの綱である上皇に死なれてしまっては、平家は政権の拠り所を失う事になったのですね。上皇の死後、治天の君となりうるのは後白河法皇の他にはなく、平家としては不本意ながら、後白河法皇を復権させる以外に手だてが無かったのでした。ただし、清盛が健在の間は法皇の権限を厳しく制約しており、決して全面的に政治を委任した訳ではなかった様です。

その法皇に徳子を入内させるという話は実在したらしく、かつての滋子の様な役割を期待したものなのでしょうか。しかし、ドラマにあったように、徳子が出家するとまで言って嫌がったためにこの話は流れ、代わって清盛が厳島の内侍に産ませた娘を入内させています。これは清盛が法皇を懐柔しようとしたのだとも、後宮に平家の人間を入れてその活動を制約しようとしたのだとも言われています。

堀河局と西行の歌合わせについては、実際に和歌が残されているので史実のとおりなのですが、時期としては待賢門院が亡くなって間もなくの頃ではないかと思われます。もしこのドラマの頃まで堀河局が生きていたとすれば80歳を越えていたはずで、当時としては驚異的な長生きだった事でしょうね。それにしても、このタイミングで堀河局が出て来るとは思わなかったなあ。

清盛はその晩年を盛国の屋敷で過ごしており、その屋敷があった九条周辺を新たに平家の拠点として整備しようとしていました。安徳天皇の里内裏も八条に設けたし、一門の屋敷もその周辺に築かれのですね。おそらくは、挫折を余儀なくされた福原に代わる新王朝の首都を、都の南部に築こうとしていたのではないかと言われています。ただし、その構想は清盛の死によって日の目を見る事なく終わる事になってしまいます。

ドラマに戻って、今回も回想がほとんどであり、まとめに入った回でした。

老境に入り、四面楚歌に陥った清盛は、それでも起死回生を狙って新たな職制を創設し、新たな拠点を築き、法皇との対決に決着を付けようと闘志を燃やします。そして、王家の犬と言われた武士が今や時代の主役となっている事を法皇に認識させ、既に武士の世が招来している事を示しました。清盛は王家には拠らない自らの政権を築き上げ、頼朝はその清盛が作った政権に対するアンチテーゼとして鎌倉に政権を築きつつあり、どちらが勝つにせよ、次の世は武士が担って行く事が明かとなったのでした。長い双六の上がりは清盛の勝ちに終わり、彼は不完全ながらも武士の世を築き上げたという事になるのでしょうね。ここに「清盛なくして武士の世は来なかった」というドラマの主題は完結したと言えるのでしょうか。

最終回を前に清盛は病に倒れ、平家の終焉は目前のものとなりました。そして、予告編を見れば壇ノ浦で平家が海の底に沈み、弁慶が立ち往生するところまで一気に描かれる様ですね。最終回はなんだか怒濤の回となりそうだな。1年に渡ったドラマの締めくくりとしてどんな展開を見せてくれるのか、楽しみに待ちたいと思います。


2012年12月 9日 (日)

平清盛 第48回 「幻の都」

(六波羅。一人端座し、忠清を斬ろうとした事を回想する清盛。)

(通りがかった盛国に介錯を頼む忠清。平家の武の軸は忠清だ、これからも一門と清盛を支えて行こうと盛国。)

(重衛と知盛に忠清の言った事をどう思うと問う宗盛。譜代の侍大将の言う事は見当外れではないと知盛。父は昔から誰よりも強く偉い人だったと重衛。)

(治承4年10月、鎌倉。降伏してきた大庭景親。斬首の上、さらし首と命ずる頼朝。)

(配下の武将に所領を安堵し、報償を与える頼朝。忠誠を誓う武将たち。威厳をもって佐竹攻めを命ずる頼朝。)

(福原。病に伏す高倉上皇。上皇を見舞う清盛。何よりも上皇の身体が大事、俄かの遷都が元であるならばと徳子。)

(京、内裏。諸国の謀反について朝議に諮る公卿達。還都を主張する兼実。まだ半年だと基通。今、平安京を攻められたら何とすると兼実。重盛が生きていた頃は、まだ秩序が保たれていたものをと経宗。間もなく福原に新しい内裏が出来る、平家が作り上げた都を捨てる事など断じて出来ないと時忠。立ち去る兼実ら公卿達。)

(福原。一門を集めた宗盛。何用かと清盛。都還りをと進言する宗盛。環都せよと言うのかと色をなす清盛。寺社までが旧都を狙っている、上皇様も病と宗盛。宗盛を蹴飛ばし、都還りはしないと叫ぶ清盛。父の気持ちが判らぬか、福原は清盛の人生の全てだと時忠。たとえ武士の世と言えなくても、自分が出会った全ての人の証しがこの福原の都なのだと清盛。それでも都還りして頂きたいと宗盛。それでも棟梁かと時忠。棟梁故にと宗盛。過去の様々な出来事を振り返り、兄とは比べものにならない出来の悪い男子だと宗盛。その自分に出来る事があるとすれば、今この時、父を諌める事だと泣いて訴える宗盛。一門の者、一人一人の顔を見つめ、海を振り返る清盛。)

(11月11日。落成した内裏。玉座に就く安徳帝。帝のために作った新しい内裏だと孫に語りかける清盛。)

(京、内裏。清盛が環都の意向を示したと駆け込んでくる経宗。どよめく公卿達。)

(福原。宴の席で、「帰りなんいざ」と歌い始める舞姫。)

(清盛の回想。白河院の前で舞った時の事。保元の乱、平治の乱で戦った時の事。武士の世を作るのだと忠盛。海の近くに、平家の都を持ってくると清盛。先例大事の枠に囚われて国造りをしている暇はない、この国の形を密かに作り上げ、それをこの国の姿だと示すと清盛。ここは自分の世だ、武士が頂きに立つ世だと清盛。殿ご自身が武士ではないと忠清。)

(舞を見つめながら涙する清盛。)

(がらんどうになった福原の館。港の模型の残骸を見る清盛。そこに現れ、母と家来と共にここに残り、父の志を守ると小兔丸。彼らに頭を下げる清盛。立ち去る小兔丸たち。11月29日、福原を去った清盛。)

(六波羅。知盛に近江、伊賀、伊勢の謀反人を討てと命ずる清盛。承知、と出て行く知盛。重衛に源氏と結びついた山法師を攻めよと命ずる清盛。承知と重衛。)

(縁に座り、庭を眺める清盛。隣に座り、何をお考えかと時子。この何十年、何をしてきたのか、武士の世とは何だったのかと思っていると清盛。悲しげな時子。)

(鎌倉。一人端座し、夕陽を眺めている頼朝。そこに現れ、何をお考えかと政子。清盛が目指した武士の世とは何であったか、真の武士とは何であったのか、未だに計りかねていると頼朝。そこに現れた義経と弁慶。)

(何故挙兵を決心したのかと義経。亡き父の武を証し立てるためと頼朝。父の武と義経。義朝と清盛は若い頃から切磋琢磨して来られた、しかし、いつしか袂を分かつ事となった。起死回生を狙って起こした平治の戦の顛末は知ってのとおりと頼朝。その後、清盛は太政大臣にまで上り政をしているが、今は武士の世とは名ばかりの平家の世だと頼朝。私は平家を力で倒し、その上に真の武士の世を作ると頼朝。是非そうしてもらいたい、そうすれば先々代の源氏の大将の魂も浮かばれると弁慶。)

(頼朝に乞われ、若き日の清盛が神輿を狙って矢を放ったと語る弁慶。驚く頼朝。)

(弁慶の回想。神輿を射た時のごとく、朕を射てみよと鳥羽法皇。法皇を射る仕草をする清盛。そなたこそが乱れに乱れた世に報いられた一本の矢だと鳥羽法皇。)

(それを、あの方はやり続けてきたのかと頼朝。朝廷に入り込み、その仕組みそのものを壊し、変え、誹られながらも新しい都を作る、それらは全てと頼朝。)

(頼朝の回想。六波羅で倒れている頼朝の側に髭切の太刀を刺し、真の武士とは如何なるものかを見せてやると清盛。)

(鳥羽院に向かって矢を放つ清盛を思い浮かべる頼朝。矢を放つ清盛。腹に衝撃を受け、前のめりになる頼朝。別れ別れになったかに見えた父、義朝と、清盛の道は、再び一つになる、そしてそれこそが自分の務めであると悟った頼朝。)

(内裏。おろおろと駆け込んできた兼実。経宗を見つけ、東大寺を含む南都の寺が灰燼に帰したのは本当かと問う兼実。本当だと経宗。崩れ落ちる兼実。)

(12月28日。南都を鎮圧する重衛。風に煽られた火。)

(入道め、まだ懲りておらぬかと経宗。わざとではない、火が風に煽られただけと基通。もし我が寺興復すれば天下興復し、我が寺衰弊すれば天下衰弊す、と東大寺創建の折の聖武帝の詔を話す兼実。衝撃を受ける経宗。世に平家ある限り、天下の乱れは収まらないと兼実。)

(六波羅。こればかりは如何なる言い分も通らないと清宗。重衛も大仏まで燃やすつもりは無かった、強い風に煽られたのだと宗盛。それこそが、もはや運が尽きたという事、天は平家を見放したのだと清盛。)

(そこに現れ、笑顔で戦果を報告する重衛。伽藍を焼いた事も天は許す、自分たちが討ったのは仏を盾に狼藉を働く不埒者だ、これが出来るのは我ら平家のみ、強き武門の我らを措いて他には居ないと世に示したと重衛。立ち上がって、ようやったと重衛を労う清盛。はっと平伏する重衛。じっと庭を見つめる清盛。)

今回は福原からの環都、そして南都焼き討ちが描かれました。落日を迎えつつある平家と、旭日の勢いを示す源氏との対比が鮮やかになった回でしたね。

環都については、福原への遷都は清盛の独断で行われた様なものであり誰も喜ぶ者は無く、都還りはほとんどの人が望んでいた事でした。宗盛が清盛に環都を直訴した事は玉葉に記されており、おそらくは宗盛が清盛に示した唯一の反抗的態度ではなかったかと思われます。また、これに先だって、延暦寺が環都を求めており、もし入れられなければ山城と近江を占領するという恫喝を行っていました。さらには、病に倒れた高倉院もまた環都を望むようになったと言います。

一門の中で環都に反対したのは時忠だけだったと言い、周囲の支持を失った清盛は、やむなく環都を実行したと考えられますが、これには異説もあります。清盛はそんな消極的な理由で都還りをしたのではなく、近江にまで迫った反乱軍に断固たる措置を執るべく平安京に帰ったのだという説で、環都後、清盛は公卿や荘園領主たちに対して兵士を進上する様に求めているというのがその根拠です。つまり、東国の反乱に対抗するために、平家のみならず、公卿や荘園領主を巻き込んだ挙国一致の体勢を築こうとしていたというのですね。この場合の清盛はドラマの様な気弱な老人ではなく、平家政権のさらなる強化を図る意気盛んな政治家という姿になりますね。

南都の焼き討ちについては、重衛が陣の周囲を照らそうと民家に放火を命じた火が、強風に煽られて広がったとする説、平家は最初から計画的に焼き討ちを考えていたとする説に分かれます。この直前に、同じく反平家の立場を取った近江の園城寺を焼き討ちしている事を考えると、南都の焼き討ちも計画的だったという気がして来ますね。いずれにせよ、大仏殿を含む堂塔伽藍のほとんどが焼け落ちたのは確かで、平家物語に拠ると、討ち死にした悪僧は1500人、焼け死んだ者は3500人にも上ったと言われます。これが事実なら未曾有の殺戮が行われた事になりますが、実際にはドラマにあったように49人の悪僧が討ち取られたというのが真相に近い様です。

ドラマに戻って、今回はほとんどが回想シーンだったのですが、そのどれもが伏線となっていたのは見事だったと思います。中でも鳥羽院を矢で射たシーンなんて忘れていましたよ。祇園闘乱事件で放った矢が頼朝にまで届くとは、恐れ入った伏線の張り方でした。

それにしても、忠清によって生き方の全てを否定されてしまった清盛は、抜け殻の様になってしまいました。そこに追い打ちを掛けたのが宗盛の直訴で、初めてと言って良い宗盛の反抗で、清盛も遂に平家の都という彼の夢を諦めたのでした。この時の宗盛の回想もまた伏線の回収になっており、どこまで周到なんだとあきれる思いで見ていましたよ。

そして、抜け殻となった清盛の思いを継ぐのは宗盛ではなく頼朝であり、その橋渡しとなったのが弁慶でした。ドラマの前半において、なぜ弁慶があちこちに出没しているのかと疑問に思っていたのですが、全てはここに繋がる伏線だったのですね。これが今回の止めだったなあ。

天に見放されたとつぶやく清盛にかつて武士の世を目指した頃の面影は無く、清盛と義朝の道を繋ぐという頼朝には、真の意味での武士の世を開くという意気込みと輝きが見られました。史実においてはまだまだ意気盛んな所を示す清盛なのですが、ドラマにおいては死亡フラグが立ってしまいましたね。

後残りは2回、どんな収束を用意しているのか、楽しみに待ちたいと思います。

2012年12月 2日 (日)

平清盛 第47回 「宿命の敗北」

(治承4年9月5日、福原。頼朝の挙兵に対し、直ちにこれを鎮めよと命ずる清盛。その総大将に命じられた維盛。)

(8月23日、石橋山。大庭、伊東の軍勢に囲まれ、惨敗を喫した頼朝。)

(洞窟に身を潜める頼朝一行。頼朝を見逃してやった梶原景時。安房に逃れた頼朝。)

(平泉。頼朝挙兵を聞き、自分も駆けつけたいと願う義経。今はその時ではないと止める秀衡。兄を見捨てられないと義経。運と度胸が無ければ勝てないのが戦と秀衡。自分が的になり、義経の運と度胸を示すという弁慶。見事に的を射抜いた義経。やむなく、佐藤兄弟を付け、義経を板東に向かわせる秀衡。)

(福原。各地に相次ぐ反乱軍を討つべく編成された追討軍。板東に向かう維盛、資盛。鎮西に向かう貞能。)

(内裏の造営について諮る清盛。遷都に反対する教盛ら一門。新しい国造りを遂行する事が勝つ事だ、武士はいかなる事をしても勝ち続けなければならないと清盛。)

(9月19日、下総。2000騎を率いて参上した上総広常。数を背景に無礼な広常に対し、毅然とした態度で臨む頼朝。凜とした頼朝に、大将の器を認め、軍門に下った広常。)

(軍議の席で、亡き義朝の功を尊み、悲願であった武士の世を作ると宣言する頼朝。そして、かつて義朝が居を構えた鎌倉を目指します。)

(9月29日、京。出陣を焦る維盛と日柄が良くないと止める忠清。兵の士気を案じ、出陣を強行する維盛。)

(10月16日。鎌倉入りを果たした頼朝軍2万5千騎。頼朝の下に駆けつけた政子。別に兵を挙げた武田信義と力を合わせたいと考える頼朝。そこに、平家の追討軍が駿河に入ったという知らせが届きます。これを迎え撃つべく出陣する頼朝。)

(10月20日、富士川。東岸に陣を敷いた頼朝軍。合流した武田軍。)

(西岸の平家軍。兵糧の豊かな頼朝軍に対し、兵糧の蓄えが無く、ぐったりしている平家軍。逃げ出す兵が多く、4000騎が2000騎にまで激減していました。心配する資盛に、まだ主立った武将が参陣していないだけだと維盛。そこに、大庭景親が参陣する途中で頼朝軍に阻まれ、伊東祐親が捕らえられたという知らせが入ります。色を失う維盛。兵糧が無い事で不満を募らせる兵達。それを見て、士気を上げる為に遊び女を連れてこいと命ずる維盛。戦を控えた陣中に女を呼ぶなど聞いた事が無いと忠清。大将の権威を笠に着て強行する維盛。)

(厳島に赴いた清盛。用向きは、内裏の速やかな落成を祈願する事でした。反乱軍を案ずる景弘。自分のなすべきは武士の世を作る事、すなわち、福原に都を置き、そこに自分の血を引く帝に住まいして頂き、そこで政を行う、それをあやつに見せてやると清盛。あやつとは、我が友の子、すなわち頼朝でした。義朝との過去を思い出す清盛。)

(富士川東岸。沼地を抜け、相手の背後を脅かしてはと提案する信義。)

(沼地を行く信義軍。女を囲んで宴に興ずる平家軍。信義軍に驚いて飛び立った水鳥の群れ。その羽音を奇襲と思い、崩れ去った平家軍。)

(厳島。海を眺めている清盛。)

(平家軍の無様さをあげつらう源氏軍。あまりのあっけなさに、清盛の20年を思う頼朝。このまま一気に上洛したいと提案する頼朝。東国にも、未だに頼朝に従わぬ者が多いと反対する広常たち。苛立つ頼朝。そこに現れた義経。)

(頼朝との対面を果たした義経。)

(六波羅。沈痛な面持ちで集まっている平家一門。そこに、宋の太刀を持って、どたどたと現れた清盛。そして、維盛を見つけると殴りつけます。止める知盛。折檻を止めない清盛。)

(息を切らして、首座に着いた清盛。そして、戦に敗れておめおめと帰ってくるとは、それでも平家の男子かと維盛を責めます。さらに忠清を咎める清盛。面目次第もない、死んでお詫びをすると忠清。たわけた事をと止める盛国。良く言ったと清盛。清盛を止める時子。武士とは勝つ事、今度の無様な敗走は、これまで築いてきたものを壊しかねない過ち、侍大将ならば命をもって贖うべしと清盛。止める盛国たち。)

(清盛の前に座り、死ぬ前に申し上げたい事があると忠清。肩で息をしながら忠清を見据える清盛。維盛は紛う事なき平家の男子、戦の心得もなく、出陣の日の吉凶も選ばず、兵の進退も心得ず、陣に遊女を入れ、戦場から逃げる、それこそがまごう事なき平家の男子の姿だと忠清。怒りにまかせて立ち上がる清盛。清盛は保元の乱、平治の乱に勝ち抜き、武士の世を夢見て財をなげうち、公卿方、法皇と渡り合って一門を公卿の家柄に押し上げた。音戸の瀬戸を広げ、大輪田の泊を整えて宋との交易を行った。厳島の社を新たにし、横へ横へと広がる世をを目指した。娘を入内させ、孫を帝とした。その帝を頂く新しい国を福原に作ろうとしている。平家はもはや武門ではない、清盛自身が武士ではない、清盛が目指した世は武士のままでは作れなかったのだと忠清。あえぐ清盛。この首を刎ねられよと庭に出る忠清。剣を抜いて庭に出る清盛。)

(忠清の首を刎ねようとし、剣を振り上げた拍子に仰向けに転ぶ清盛。地面に転がった錆びた剣。清盛の脳裏に甦る剣にまつわる忠盛、義朝、白河法皇たちとの記憶。心の軸が出来た時、身体の軸が出来るという忠盛の言葉。立派な武士になりたいと言う幼い日の清盛。その気持ちを心の軸にせよという忠盛の言葉。震える右手を見つめる清盛。)

今回は富士川の戦いが描かれました。平家の屋台骨が大きくぐらついたとされるこの戦いでしたが、清盛自身もまた老いさらばえていた事を実感させられた回でした。

史実との関係で言えば、義経が頼朝の下に馳せ参じようとし、秀衡がそれを危惧したのは史実にあるとおりです。もっとも、それは義経自身の事と言うより、平家と源氏の力関係を危ぶんでの事でしたが、弁慶が的の下に座って度胸試しをしたというのはドラマにおける創作です。

一方の平家方では、維盛が討伐軍の総大将に任命され、それを補佐する役目として忠清が従ったというのは史実どおりですが、資盛がこの軍に加わったという事実は無いはずです。それとも、そういう説があるのかな。資料に拠れば、副将格にあったのは叔父の忠度で、これに知度が加わっていました。ドラマでひげ面の忠度が出てこなかったのは、ちょっと意外でしたね。

石橋山で一度は破れた頼朝が再起を果たすと、続々と板東武者が彼の下に集まり、富士川の戦いの頃には20万騎を数える軍勢にまで膨れあがったと言われます。これも不思議と言えば不思議な事なのですが、その理由はやはり平家が諸国の知行を独占してしまった事にあった様ですね。例えば、2万騎を引き連れて参戦した上総広常の場合は、彼の地盤である上総国は他ならぬ伊藤忠清の知行する国となっており、広常は忠清と対立した事から清盛に疎まれ、その存在基盤を失おうとしていたのですね。その危機感から打倒平家を掲げた頼朝に与力しようとしたのであり、他の武者たちも大同小異の状態でした。つまりは、治承3年の政変によって平家があまりにも手を広げすぎてしまった事に、諸国に反平家の狼煙が上がった遠因があったのです。

頼朝の側も裏返しの事情であって、彼に味方する武者たちは自らの所領を取り戻す為に戦うのであり、決して頼朝に対する忠誠心からではありませんでした。なので、富士川の戦いに勝った後で頼朝が上洛しようとした時、広常たちは板東の事が先だと反対したし、頼朝もそれに従わざるを得なかったのです。

平家物語に拠れば、平家軍は7万騎だったと言われます。しかし、その大半は諸国の軍勢を寄せ集めた駆り武者であり、戦意に乏しい戦力でした。しかも、西国では酷い飢饉に襲われており、十分な兵糧も用意出来ていないという有様でした。こんな戦いになってしまったのは、頼朝が一度は石橋山で敗れたという油断があった事、その後の板東の情勢を甘く見過ぎていた事などが理由として挙げられます。平家としては、不本意な戦いを余儀なくされてしまったのですね。

実際の兵力としては、源氏方が数万騎だったのに対し、平家方は4千騎程度だったと言われます。元々数で劣る平家軍でしたが、戦いの前になると脱走者が相次ぎ、2千騎程度にまで減ってしまいます。この状況を見て、戦慣れした忠清は撤退を進言したのですが、維盛は追討使としての役目に固執し、引こうとはしませんでした。しかし、将兵の大半は忠清の意見を支持し、戦意は極度に落ち込んでしまいます。

そうした時に動いたのが武田信義でした。ドラマにもあったように、彼は平家方の背後を突こうとして富士沼に兵を入れたのですが、その軍勢の動きに驚いた水鳥の大群が一斉に羽ばたいたのですね。その羽音はすさまじく、怯えきっていた平家軍には大軍が襲って来た轟音に聞こえたのです。恐慌状態に陥った平家軍は、もはや統率の手だてもなく、撤退する以外に道は無かったのてした。この時、平家軍の中には近在から集められた遊女が居たと平家物語には記されています。これも上手くドラマに取り入れられていましたが、彼女たちの多くは逃げまどう兵士達の乗る馬によって蹴り殺されたとあり、悲惨な状況にあった事が窺えます。

追討軍が敗れた事を知った清盛は、追討使たる者、生き恥を晒して京に入る事は許さないと激怒したと伝わります。負けるべくして負けた戦いではありましたが、その敗戦の影響は計り知れないものがあると清盛には判っていたのでしょうね。平家を支えていた武力が潰え去っただけでなく、高倉上皇の院宣という権威まで否定されてしまったのですから、平家政権の存立基盤そのものが危うくなってしまったのでした。実際、東国はことごとく頼朝に靡き、その勢いは近江にまで届くという事になってしまいます。

ドラマに戻って、錆びた剣は耄碌した清盛自身を表しているかの様でした。その清盛の過ちを指摘したのが、平家の武門を支えてきた忠清だったというのも皮肉に満ちていましたよね。武士の世を目指せしていたはずの清盛が、気付かない内に自らその道を外れてしまっていたのでした。あの方はこの20年何をして来たのだろうという頼朝のつぶやきは、その間の事情を端的に物語っていたと思います。その事に気付いた清盛が、どう軌道を修正しようとするのかが次回の見所となって来るのかな。


2012年11月25日 (日)

平清盛 第46回 「頼朝挙兵」

(治承4年(1180年)4月。令旨を受け取った頼朝。平家は俄仕立ての軍勢で勝てる相手ではないと慎重に構えます。頼政の加勢があると行家。源氏の御曹司が立ち上がったとなれば皆が勢いづくと時政。その声に推されて戦支度を始めた頼朝。)

(福原。仏御前と戯れる清盛。立ち去る祇王と祇女。清盛の国造りに疑問を感じる小兔丸。)

(以仁王の館。急に上洛した清盛からの呼び出しを受ける頼政。令旨が露見したのかと恐れる王。)

(六波羅。福原遷都を頼政に明かす清盛。何故と訝る頼政。海に近いからだ、それが義朝と共に目指した武士の世の要となると清盛。かつて義朝に仕えた頼政にはやって貰わなければならない事が山程ある、長生きせよと清盛。平伏する頼政。)

(知盛を見舞う清盛。仏御前の存在を時子の前で仄めかす時忠。慌てる清盛。横になっていると、馬が駆け回っているのが判る、都が騒がしいと知盛。)

(福原。清盛に令旨の存在を突き止めたと報告する時忠。上洛には及ばない、平家の武力をもってすれば問題ないと清盛。)

(以仁王の館。露見した事を知った以仁王。園城寺に逃れようと頼政。寺は遠いと以仁王。女装して行けば判らないと八条院。)

(福原。頼政謀反を伝える盛国。驚く清盛。)

(館に火を放ち、園城寺に向かった頼政。)

(同じもののふの頼政にさえ、自分の国造りが判らないと言うのかと叫ぶ清盛。自分の国造りが判らぬ者はこの世に要らぬ、何としても頼政を討ち取れと命ずる清盛。)

(園城寺に逃げ込んだ王と頼政。)

(平等院。宇治川の戦いで敗れた頼政。平家軍に攻め立てられ、一室に逃げ込んだ頼政と仲綱。清盛はこの国の宝か災いかと測りかねていた、今もってそれは判らないと頼政。父が源氏の魂を取り戻してくれた事が嬉しいと言って自害した仲綱。以仁王を逃がし、自ら果てた頼政。)

(討ち死にした以仁王。)

(呆然とする八条院。)

(鳥羽院。月明かりを見上げながら今様を歌う後白河法皇。)

(伊豆。以仁王の敗亡を聞き、戦を思い出す頼朝。)

(六波羅。福原遷都を宣言する清盛。慎重論を説く一門を尻目に10日の内に強行すると清盛。)

(6月。福原に遷った安徳帝と高倉院。)

(この遷都はなさねばならねばならぬ事だったのかと院。上皇が治天の君となり、世が変わった事を示すにはこれが最も良かったのだと清盛。)

(自分は飾りものだと院。父の国造りはまだ途中だと徳子。)

(西八条第。側女の存在考慮し、福原には行かないと時子。)

(伊豆。遷都を頼朝に伝える時政。そこに現れた佐々木兄弟。彼らは平家の国を巡る土地の小競り合いが増えていると伝えます。武士の世とつぶやいて髭切の太刀を取る頼朝。あの方の目指して来た武士の世とは、平家ばかりが良い思いをする世なのかと叫ぶ頼朝。)

(福原。清盛の下を訪れた西行。輪田の地が意外に狭く、ここを仮の御所とし、貴族たちに土地を分けてやることにしたと清盛。上皇のご容体が芳しくないと聞くと西行。仮の御所の方角が悪いのかと清盛。遷都のご心労、皆の心は都に残っているのだと西行。)

(仏御前を呼ぶ清盛。今日は座興を用意したと言う清盛。祇王と祇女を引き立て来る家人達。驚く仏。二人に仏のために舞うが良いと命ずる清盛。やむなく「仏も昔は」と歌い舞い始める祇王達。涙する仏。痛ましげな西行。舞終わって、涙する祇王。この後は常に参って歌い舞い、仏を慰めよと清盛。)

(若き日にそれぞれの目指す道を話し合った事があったと西行。若き日の義朝、教清、清盛。出家した当時を振り返り、あの頃恐れていた世が到来している、その頂きに居るのが清盛だと西行。これが面白く生きると言う事か、武士の世という事かと西行。高笑いし、お前には判らないと清盛。)

(そこに駆け付け、院が基通に政の一切を托すと言っていると伝える頼盛。それでは自分の国造りの名分が立たないと清盛。今や都還りをするべきだという声が上がっていると頼盛。そんな事は口にするだけで罪に問うと触れを出せと清盛。)

(自分に逆らう者は、皆死罪と心得よと叫ぶ清盛。怯える仏。ここはわしの世だ、武士が頂きに立つ世だ、自分の目にしか見えない国を作るのだと部屋の中を歩き回る清盛。全てを手に入れ、復讐するのだと叫び、仏を抱き寄せる清盛。怯えて庭に飛び出す仏。殺せと兵達に命ずる清盛。矢をつがえた兵達に囲まれた仏。合図しようとした時、白河院に討たれた母の姿を思い出す清盛。気を失った仏。そこに現れ、驚く盛国。仏に駈け寄り、止めよと兵に命ずる盛国。)

(膝から崩れ落ちる清盛。うーん。とうなり、誰か助けてくれ、ここからの眺めは暗闇ばかりだ、果てしない暗闇だ、手に入れても、手に入れても、光には届かないとつぶやく清盛。)

(そこに現れ、頼朝が挙兵し、山木兼隆を討ち取ったと伝える忠清。あの時、清盛が命を助けた御曹司がと嘆く忠清。幻を探し、あたりを見回す清盛。やがて一点を見据えて床をはい出します。驚く西行達。宋の剣に這い寄り、剣を抱きしめ、泣き出した清盛。呆然と見つめる西行達。)

(後に頼盛が頼朝に語った言葉。あの時、頼朝の挙兵がなければ、清盛は暗闇に囚われたまま帰って来られなかったかも知れない。)

(剣を手に立ち上がった清盛。)

今回は以仁王の挙兵から頼朝の挙兵までが描かれました。そこで明らかにされたのは、頂きに立った清盛が見ていたのは果てしのない暗闇だったという事、かつて白河院もまた同じ闇を見ていたという事なのでしょうか。

史実との絡みで言えば、ドラマの進行は概ね史実に沿っています。かなり省略はありましたけどね、大筋では押さえてあったと思います。細かい所で言えば、頼政の謀反が明らかになったのは、以仁王が園城寺に逃げ込んだ後の事でした。平家は園城寺の攻撃を決定したのですが、その討伐軍の大将の一人に頼政が入っていたのですね。つまり、平家は頼政の意図に全く気付いていなかった事が窺えます。

次に、以仁王と頼政がなぜ園城寺ではなく宇治川で戦ったのかと言うと、園城寺と共に反平家に立ち上がってくれると期待した延暦寺が同調しなかった事が第一の原因に上げられます。次に、園城寺内でも以仁王に従うと言う者が全てでは無く、内輪もめ状態にあったのですね。このため、以仁王と頼政は園城寺での抵抗を諦め、より強力な援軍を求めて南都の興福寺へ向かうおうとしたのでした。そしてその途中、宇治川で平家軍に捕捉され、戦となってしまったのです。頼政は決戦に敗れ、以仁王を逃す為に平等院で戦った上で自害し、以仁王は興福寺へ落ち延びていく途中で追手に追いつかれ討ち取られたのでした。

福原遷都については、これもドラマにあったように俄かなものでした。ただし、表向きは遷都とは言わずに、天皇と上皇が福原に行く遷幸として行われています。およそ準備といういうものは出来て居なかったのはドラマに描かれたとおりで、天皇は頼盛の館、上皇は清盛の館に入る事ができましたが、随行した人達の多くは宿が無く、路上に座す有様だったと伝えられます。また、ドラマには描かれていなかったのですが、後白河上皇もまた、福原に移されています。

天皇の遷幸に次いで、和田の地への遷都が決められます。この決定に賛成する者はおよそ誰も居なかったのですが、一人清盛の強力な意向によって決められてしまいました。この理由については様々に言われますが、直接には以仁王の挙兵に際して、園城寺、興福寺、それに延暦寺の一部が反平家の立場に立った事があると言われます。つまり、平安京ではこれらの勢力に包囲された形となり、軍事的に非常に不利であるとの見方ですね。そして、もう一つ、これはドラマで清盛が言っていた事ですが、高倉帝が安徳帝に譲位し、治天の君となった事で世が変わったという事を天下に示すためではなかったかとも言われます。つまりは、平家によって創始された皇統が始まった事を、遷都によって世に広めようとしたのではないかと言うのですね。その都として、平氏の貿易拠点であった福原は、まことに相応しいものだったのでした。

もっとも、新都の位置ははっきりと定められた訳ではなく、最初は和田、次いで小屋野、さらには印南野と候補地は二転、三転しています。これは和田の地が狭小で、正規の大きさの都を作る事が出来なかったためですが、後の候補地も不適とされ、結局福原の離宮に天皇が滞在したまま、付近の土地が貴族に分け与えられ、道路が建設されていく事となります。正式な決定がないまま、なし崩し的に都が形作られて行ったのですね。そのあたりがドラマの清盛の台詞に反映されていたのですが、視聴者にはどれくらい判ったのでしょうか。

仏御前と祇王の挿話については、ほぼ平家物語の筋書きを踏襲しています。違うのは福原ではなく西八条第に居た頃の話である事、仏御前は清盛によって射殺されかけたのではなく、自らの意思で出家したという点ですね。清盛が人の心が判らない人物になり果てているという点では物語どおりと言えましょうか。

ドラマに戻って、清盛はどうにもならない孤独に苛まされていた事が明らかになりました。ただ一人たどり着いた頂点で待っていたのは、他の者には理解し得ない孤高の世界だったのですね。清盛にしか見えない彼の国造り、唯一理解しあえると思っていた頼政の反乱は、清盛にとっては大きな痛手でした。闇の底に沈んだ清盛は、やがて狂気に囚われて行きます。多くの独裁者が歩んだ道に、彼もまた陥ろうとしていたのですね。それを救うのは仏御前との安らぎではなく、頼朝の挙兵であったとは皮肉の効いた設定でした。

清盛の視聴率が先週また最低を更新したと聞きます。その理由は、おそらくは主人公の行動に正義が見えない事があると思っています。あまりにもダークに偏りすぎ、彼の目指す方向性がまるで示されない事に視聴者もついて行けなくなっているんじゃないでしょうか。今回はその理由が示され、清盛が誰か助けてくれと弱音を吐いた事で、やっと人間味を取り戻した様な気がします。これも、主人公らしからぬ弱さだと言えば言えるのですけどね、私的には作者の意図が少し理解出来たような気がしました。これで最後まで挫折せずについて行けるかな。

次回は富士川の戦いが描かれる様です。平家が味わう初めての敗北を清盛がどう受け止めるかに、注目して行きたいと思っています。

2012年11月18日 (日)

平清盛 第45回 「以仁王の令旨」

(福原。譲位の件はどうなっていると盛国に問う清盛。朝廷に異を唱える者が多いと盛国。未だに自分に異を唱える者が居るのか、六波羅に使いを出せと清盛。)

(内裏。帝に譲位をと清盛の意向を伝える宗盛。まだ若すぎると帝。そこは平家が支えると宗盛。)

(以仁王の館。闘鶏を見る以仁王。所領を奪われ、言仁が即位の運びとなり、絶望を口にする王。)

(頼政に以仁王への助力を頼む八条院。そんな力はないと頼政。源氏随一の武者ではないかと八条院。余生は穏やかに暮らしたいと頼政。いかなる手を使っても以仁王を助けると女院。)

(伊豆。時政の館。突然訪れた山木兼隆。慌てて相手をする時政。租税を増やせと言われている、それは言仁が即位するため、その後ろには清盛が居る。平家に縁の深い自分を袖にし、源氏の棟梁を婿にした事を悔いる事になると兼隆。)

(頼朝の館。このままではあちことに不満が溢れ、狼藉者が暴れ出すと時政。清盛は租税を何に使うつもりかと政子。孫の即位や福原の町造りだと時政。自分の為ばかりだと憤る政子。頂きに立ち、欲に取り憑かれているのだろうと藤九郎。いよいよ時が迫っていると時政。的に向かって矢を放つ頼朝。大きく外れた矢。がっかりする一同。暫く武芸から離れていた故と言い訳する頼朝。)

(平泉。弓の稽古をする義経。義経に向かって長刀を振るう弁慶。軽くあしらう義経。もんどり打つ弁慶。その様子を頼もしげに見ている秀衡。)

(10年前、鎮守府将軍に任じられた、それを利用して奥州の金銀財宝を手にした人が居ると秀衡。清盛ですねと義経。清盛はそれを宋国に送り、平家一門は一層の財を築き上げた。しかし、年端も行かぬ孫を帝に就かせ、国を思いのままに動かそうとは外道の業と秀衡。今やこの国のほとんどが平家のもの、いずれ平泉にも押し寄せてくるかも知れないと泰衡。その時には九郎殿、平泉の財力、武力を存分に使ってくれと黄金を見せる秀衡。)

(2月21日。安徳帝となった言仁。)

(新院となった高倉院。周囲を固める時忠ら平家の一門。)

(上皇になって最初の参詣を厳島にせよと言いだした清盛。慣例を破る事になり、朝廷や社寺が黙っていないだろうと盛国。厳島は新しい国の要となるべき社、異を唱える者は解官してしまえと清盛。だんだん言う事が理不尽になって来ていると兔丸の元家人達。殿はまだ道半ばに居る、国造りに邁進するためには理不尽にならざるを得ない時もあるのだと小兔丸に説く盛国。)

(内裏。参詣先を厳島と決める基通。前例がないと兼実。清盛のご意向だと基通。ただの厳島贔屓だと経宗。仕方がないと兼実。)

(厳島参詣に反対し、手を組んだ延暦寺、興福寺、園城寺。)

(六波羅。あせって知盛、重衛を呼び寄せた宗盛。悪僧達が法皇を鳥羽離宮から連れ出し、高倉院を掠うつもりで居るらしいと、どうしたらよいと狼狽える宗盛。まず自分が兵を連れ、院の御所を警護すると知盛。鳥羽離宮にも誰か行かせようと重衛。それが良いと宗盛。)

(何事も起こらなかったが、高倉院の予定が遅れ、機嫌を損ねた清盛。新帝即位の儀を福原で行うと清盛。それは都でと決まっていると盛国。帝はこの福原を都とする新しきを世を象られるお方だ、速やかに都をこの福原に移すと清盛。既に都では大極殿が築かれつつあると盛国。そんなものに財を投じなくても良いと宗盛に念を押せと清盛。無言の盛国。11月の大嘗祭だけでもこの福原で行うと清盛。承知する盛国。我が意のままにならぬものがあってはならぬと清盛。)

(清盛の前に現れた二人の白拍子、祇王と祇女。舞を見て貰いたいと二人。)

(伊豆。月明かりの中、髭切の太刀を振るう頼朝。何とも勇ましい姿だと政子。それを授けた清盛が、今や武士の心を忘れているとは皮肉なものだと政子。果たして忘れてしまったのだろうか、自分にはそうは思えないと頼朝。)

(福原。清盛の前で舞う祇王と祇女。)

(武士の世を作る為には通らなければならない道なのだろうと頼朝。そうであったとしても、いつかは清盛の前に立たなければならないと政子。)

(清盛に酌をする祇王。祇王を抱き寄せた清盛。)

(京、宗盛の館。宴に興じる宗盛。それを咎める時子。折に付け宴を行えとは父の言いつけと宗盛。それは務めを果たした上での事と時子。重盛が亡くなってから1年と経たないのにこの騒ぎは何事と時子。重盛は道理を重んじる人だった、だから正妻の子たる自分を棟梁とするために早々に身罷ったのだ、この宴は重盛の冥福を祈っているのですと宗盛。情けないと言って立ち去る時子。)

(そこに現れた清宗。喜んで駈け寄る宗盛。清宗が差し出した壊れた竹馬。それはかつて忠正が作ってくれた竹馬でした。叔父を思い出し、憤然とする宗盛。)

(自慢の馬、木下に乗って現れた仲綱。その馬を貸せと宗盛。それだけはと仲綱。借りるだけだと宗盛。これは命より大事な愛馬と仲綱。私に逆らって只で済むと思っているのかと仲綱を恫喝する宗盛。そのまま木下を返さなかった宗盛。)

(頼政の館。宗盛は木下を仲綱と改め、酷い辱めを与えていると父に訴える仲綱。堪えよと頼政。我ら親子は木下の様なものだと自嘲する仲綱。)

(福原。祇王と双六に興じる清盛。帝の即位の儀は4月22日に内裏で行う事に決まったと時忠。万事遺漏なき様にと清盛。国の頂きに立っても、まだ若い女や酒が欲しいのかと時忠。欲こそが男子の力の源、この世の全てを手に入れて見せると清盛。頼もしやと吐き捨てる時忠。時子には言うなと清盛。)

(祇王達と戯れる清盛を振り返り、あれは弔いの様に見えると時忠。それも欲のうちだと盛国。)

(以仁王の館。王に拝謁する頼政と仲綱。家人に合図する八条院。庭に現れた行家。平治の戦以来、熊野に身を潜めていたと言う行家。源氏の魂はこの国のあちこちに潜んでいると八条院。ひれ伏す頼政。令旨をお出し遊ばれよと八条院。令旨?と王。諸国の源氏に向けて、平家打倒の令旨をと八条院。ひれ伏す頼政と行家。)

(祇王たちと遊び呆ける清盛。)

(治承4年4月22日。安徳帝即位の儀。)

(福原。祇王の膝で酒を呑む清盛。そこに現れたもう一人の白拍子。)

(東海、東山、北陸三道諸国 源氏ならびに軍兵らに下命する 清盛入道と平宗盛らは 情勢に任せて凶徒に命じ国を滅ぼし 百官万民を悩ませ 五畿七道を不当に支配し 法皇を幽閉し 廷臣を流罪に処し 命を絶つなどした 財物を掠め取り 国を領有し 官職を奪い与え 功なき者を賞し 罪無き者を罰している 百王の継承を絶ち 摂関を押さえ 帝や院に逆らい 仏法を滅ぼす事は前代未聞のことである そのため天地はみな悲しみ 民はみな愁いている そこで私は法皇様の第三の皇子として 天武帝の昔にならって 王位を奪う者を追討し 仏法を滅ぼす者を討ち滅ぼそうと思う)

(諸国はこの命令どおり実行せよと命ずる以仁王。行家に授けられた令旨。)

(清盛の前に現れた仏御前。)

(君をはじめて見る折は と歌い舞い始める仏御前。)

(伊豆。行家から令旨を受け取った頼朝。)

(令旨を読み下す頼朝。そこで 源氏の者 藤原氏の者や さきざきより三道諸国に勇士として名高き者は 追討に協力せよ。もし同心しなければ 清盛に従う者に準じて 死罪 流罪 追討 拘禁の刑罰を行う。もし特に功績のあった者は まずは諸国の使者に伝えおき ご即位後に 必ず望みどおりの報償を与える。諸国はこの命令どおりに実行せよ。)

(福原。仏御前を見つめる清盛。舞終えた御前。御前を抱き上げて寝所へと向かう清盛。取り残されて涙する祇王。)

(伊豆。令旨を手に震える頼朝。)

(福原。仏御前と寝所で戯れる清盛。自分はこの世の頂きにいる、次は遷都だと清盛。ここはわしの世だと清盛。)

今回は頂きに立った清盛の足下を危うくする以仁王の令旨が出されるまでが描かれました。

まず、高倉院の厳島御幸が画策されたのはドラマにあったとおりで、平家の守護神でもある厳島神社に畿内の社寺と同等の地位を与えようとした清盛の意向と言われます。これに叡山ら既存の勢力が反発したのもドラマにあったとおりで、上皇の御幸は延期とされてしまいました。結果として山門側の足並みが揃わず、反乱は未遂に終わったのですが、平家に対する反感がマグマの様に潜在している事が明らかになった事例でした。

さりげなく出ていた事柄ですが、大極殿を再建していると盛国が言っていたのは先の大火で内裏が焼失していたためであり、実際には安徳帝の即位の儀は大極殿ではなく紫宸殿で行われています。ドラマではそんなところに財を費やすなと清盛が言っていましたが、作者がこんな細かい所にまで目を向けているとは驚きですね。

仲綱の愛馬、木下を宗盛が奪い、仲綱という焼き印を押して辱めたとは平家物語にある下りで、これに怒った頼政は平家打倒の挙兵を決意した事になっています。頼政が以仁王と共に兵を挙げたのは事実ですが、これには見方が二通りあり、平家物語にあるとおり頼政自らの意思で以仁王を担ぎ上げたという説と、八条院と以仁王に頼み込まれた頼政がやむなく立ち上がったという説があります。どちらかというと後者の方が有力な様ですが、ドラマでは上手くその二つをミックスしていましたね。

以仁王が所領が取り上げられた事もドラマにあったとおりで、鳥羽院の正統を自負する以仁王にしてみれば、平家によって所領を失い、即位の望みも絶たれたとあっては、平家打倒に立ち上がらざるを得ない状況に追い込まれたのでした。

令旨とは本来皇太子の命令を伝えるもので、後には親王の出す文書も令旨と呼ばれる様になります。以仁王はその親王ですら無かった訳ですが、あえて令旨という形で諸国の源氏に命令を発したのですね。当然ながらその効力には疑問が付くのですが、反平家勢力にとってはこの上無い福音となりました。この令旨をきっかけとして、あるいは反乱の拠り所として各地の反平氏勢力が勢いづく事になるのです。

祇王と仏御前については平家物語に記された挿話で、儚い女性を弄んだ清盛の悪行の一つとして描かれています。平家物語に拠れば祇王が清盛に囲われたのは京での事のはずで、その期間は3年だったと伝えられています。ですから、福原としたのはドラマの創作ですね。仏御前が現れたのも西八条第で、福原ではありません。そして、仏は16歳だったはずで、ドラマでは少し年を取りすぎていましたね。仏御前については以前に書いた事があるので参照して下さい。なお、祇王、祇女、仏御前については、後白河法皇も過去現在牒にその名を記しており、実在の人物である事が知られています。

ドラマに戻って、いよいよ清盛の独断専行ぶりが顕著になって来ました。この世はわしのものだという白河法皇と同じ台詞をつぶやいていましたが、頂きに立った者はそういう心境に陥るという暗示なのでしょうか。ただ、白河法皇に刃向かったのは清盛の母しか居なかったのに対し、清盛には全国から群がり出ようとしているところに大きな違いが見られます。法皇と臣下という立場の違い、そしてなにより時代の変化を物語っているかの様ですね。それにしても、重盛というストッパーを失った清盛は、糸が切れた凧の様にとりとめなく振る舞っています。これじゃあ、平家が滅ぶのも無理はないかな。ただ一人、頼朝だけが清盛の心の内を知っているようなそぶりを見せていたのが印象的でした。

宗盛の脆弱振りも目に余るものがあり、知盛と重衛に助けられてやっと立っているという感じでした。重盛が生きていた頃にはあまり目立たなかった弱点なのですが、やはり棟梁という重荷を背負った事で露呈してしまったという設定なのでしょうか。

祇王と仏御前については、もう少し丁寧に描いて欲しかったな。あれでは祇王の悲しみ、仏御前の無邪気さが現れていないんじゃないかしらん。なんとなく、女同士の嫌らしい争いにしか見えなかった様に思います。それに、あっさりと心変わりする清盛というのも何だかなあ。まあ、ここは平家物語に描かれたとおりの演出なのですけどね。

次回は頼朝の挙兵が描かれる様です。以仁王の挙兵はざっと描かれて終わるのかな。頼政をここまで散々に引っ張って来たのだから、それなりに扱うとは思うのですけどね。どんな事になるのでしょうか。

2012年11月11日 (日)

平清盛 第44回 「そこからの眺め」

(治承3年(1179年)、伊豆、時政の館。政子との間に生まれた大姫を抱く頼朝。良く思い切ったものだと義明。清盛の怒りに会えばひとたまりもないと秀義。承知の上、平家の世は長く続かない気がする、自分は佐殿に、源氏の魂に賭けると時政。)

(重盛の館。病に伏す重盛。)

(福原。重盛の病状を伝え、法皇との確執を解いて欲しいと懇願する貞能。無言で庭に出る清盛。案ずる事は無いと盛国。)

(院の御所。基房を呼んだ法皇。彼の用件とは、病に伏している盛子が管理している摂関家領の事でした。本来ならそちの物と言われて喜ぶ基房。まずは清盛に都を離れた場所に居て貰おうと法皇。)

(福原。僧侶に祈祷させている清盛。花山院忠雅が厳島詣をしたいと言っていると知らせる盛国。承知する清盛。)

(安芸、厳島。忠雅をもてなす清盛。そこにもたらされた盛子死去の知らせ。)

(6月17日。盛子死去。)

(厳島。盛子の供養をする清盛。)

(盛子の死を痛む景弘。)

(六波羅。摂関家領を戻して頂くと伝える基房。盛子は帝の准母だった、一度は帝に戻すのが筋と時忠。そうすればいずれは言仁のものと思っているのかと基房。清盛不在の時にそんな申し出をされても承る事はできないと時子。さようですかと笑って立ち去る基房。)

(後白河院が預かる事になった摂関家領。)

(重盛が病に伏せっている今、代わりになる者が必要と話し合う平家一門。宗盛を推す頼盛。それはおかしい、維盛こそふさわしいと忠清。正妻の子、宗盛が良いと時忠。控えよと時子。)

(厳島。盛子の所領を召し上げられたと知り、怒りに震える清盛。ここで下手に動けば重盛の病に障ると盛国。判っているといらつきながら、帰洛を急がせる清盛。)

(院の御所。清盛をつつくには子をつつくに限ると法皇。)

(六波羅。病を押して一門を集めた重盛。宗盛たちに自分が死んだ後は、兄弟力を合わせて一門を支えよと告げる重盛。そして、息子達には叔父達を支えよと伝えます。)

(夜。重盛の下を訪れた法皇。重盛の手を取り、命がけで清盛を諌めてくれたと礼を言う法皇。もったいないと重盛。今の内に、何でも托すが良いと法皇。清盛となにかと衝突する事はあっても平家に二心は無い、平家の安泰、清盛の国造りを見守って下さいと重盛。約束すると法皇。礼を言う重盛。ただし、これに勝ったらなと双六盤を用意させる法皇。)

(賽を振る法皇。身体を起こし、震える手で賽を転がす重盛。双六を続ける法皇。苦しむ重盛をせかす法皇。そこに現れ、驚く清盛。)

(重盛を抱き、お戯れが過ぎると法皇をたしなめる清盛。40年前の重盛を賭けた双六の話を持ち出し、重盛が振った賽で清盛が勝ったと言い、自分を守るのは自分しかいないと重盛に言う法皇。お引き取りをと清盛。母を亡くし、弟を亡くし、父は修羅の道を行くもののけ、そちは生まれた時から一人で生き、一人で死んで行くのだと法皇。立ち去れと清盛。高笑いし、双六を手で払い立ち上がる法皇。高笑いを残して去る法皇。)

(とく、死なばやと、虫の息でつぶやく重盛。重盛を抱きしめる清盛。)

(7月29日。重盛死去。)

(今後の事をとせかす盛国。平家の力を弱めぬため、基通を権中納言に推挙すると清盛。)

(無視された清盛の推挙。)

(10月9日。8歳にして権中納言に任じられた師家。これはいかなる事と驚く兼実。いずれは師家が氏の長者として跡を継ぐと基房。)

(盛子の所領はいずれ師家のものとなるという事だと盛国。)

(高笑いする基房。さらにもう一つの沙汰として、重盛の知行国であった越前を法皇が治める事になったと基房。)

(越前召し上げを伝える盛国。これらの沙汰はすべて法皇の指示によると盛国。怒りに震え、両手を広げて叫び声を上げる清盛。)

(11月14日。数千騎の兵を率いて上洛した清盛。法皇は関白とたばかって国を乱している、即刻処断すべしと宣言する清盛。)

(清盛の処断により、関白、権中納言を解官された基房と師家。流罪同然に太宰権師に左遷された基房。呆然とする兼実。)

(11月17日。反平家の公卿達39人を解官させ、その知行国全てを平家一門のものとした清盛。)

(院の御所。一人双六に興じる法皇。そこに兵を引き連れて現れた宗盛。これは何とした事と法皇。鳥羽離宮に御幸して頂きたいと清盛の意向を伝える宗盛。さようかと立ち上がる法皇。)

(六波羅。法皇が鳥羽離宮に入ったと清盛に伝える宗盛。祝いを言上する一門。ついにここまで来た、武士がこの国の頂きに立ったのだと清盛。)

(11月20日。鳥羽離宮に幽閉された法皇。遂行された治承3年の政変。)

(徳子に事の次第を報告する清盛。これより先、存分にお働き下さいと徳子。言仁を西八条に行啓して欲しいと頼む清盛。)

(踊る様に廊下を歩く清盛。その先に佇む祇園女御。ついにこの世の頂きに上られましたな、そこからの眺めは如何と女御。いたって良い眺めと清盛。もう会う事も無いだろうと言って立ち去る女御。振り返る清盛。誰も居ない廊下。)

(西八条第。行啓した言仁。言仁に泰平御覧を献上する清盛。)

(言仁を抱いてあやす清盛。障子に指で穴を開けた言仁。喜び、この障子は大事に取っておく様にと時子に命ずる清盛。言仁を抱き取る時子。)

(鳥羽離宮で一人床を見つめている法皇。)

(如何にございますか、そこからの眺めはと祇園の女御の声。)

(障子の穴を覗く清盛。)

(笑みを浮かべて手の中で賽を転がす法皇。)

(穴を覗き続けている清盛。)

今回は重盛の死と、治承3年の政変によって頂点に立った清盛の姿が描かれました。

清盛と法皇の板挟みにあっていた重盛が「とく死なばや」という言葉を漏らしていたとは愚管抄に記されている事で、彼が置かれていた苦しい立場を良く物語っています。ドラマには出て来ませんでしたが、重盛は病に倒れる前に熊野参詣に出掛けており、その途中で吐血して倒れたのでした。病名は不食の病で、胃潰瘍とも脚気とも言われているようですね。彼の死は西光法師の怨念であるという落書きがあったとも伝えられています。彼の遺領は院の近臣である藤原光能に与えられ、平家から取り上げられたのはドラマにあったとおりです。また、病の床に伏す重盛に法皇が双六を強制したのはドラマによる創作ですが、彼の死の直後に法皇は石清水八幡宮に御遊をしており、忠臣の死にも係わらず悲しみのそぶりも見せる事は無かったと言われます。

盛子もまた重盛と同じく不食の病によって亡くなっており、彼女の場合は平氏という異姓の身でありながら摂関家領を相続した事で春日大明神の祟りに会ったのだと噂されました。盛子の遺領は内の御沙汰として天皇領とされたのですが、それを管理する倉預に法皇の近臣である藤原兼盛が任じられて、実質的な支配権は法皇の下に移されました。

基通は基実の子で、盛子が継母となって養育していました。いわば摂関家の嫡流にあたるのですが、幼少のため関白は基房が継ぎ、基通がいずれ氏の長者となる含みで盛子が摂関家領を相続していたのですね。ところが盛子の死後、基房の子である師家が基通をさしおいて中納言となり、摂関家を相続する事が約束された事はドラマにあったとおりで、これにより清盛の面子は丸つぶれとなりました。

これらの出来事が平家の力を削ごうとした法皇の策謀であった事はドラマに示されていたとおりであり、これが清盛の強い怒りを招く事となりました。世が世なら、臣下の清盛が法皇に異議を唱える事など出来なかった事なのですが、京における軍事権を一手に握っていた清盛にとっては、法皇も恐れる必要の無い相手になっていたのですね。そして、言仁親王が東宮となっていたことで、高倉天皇の譲位~院政への道も開けており、治天の君が居なくなっても構わないという環境も整っていました。こうして、治承3年の政変は現実のものとなったのですね。

今回のドラマに描かれていなかったのは宗盛の苦悩で、彼もまた院の近臣という立場では重盛と同じでした。彼は重盛が病によって内大臣を辞任するより早く、妻の死を理由に権中納言と右大将を辞任していたのですが、これは重盛の場合と同じく父と法皇の板挟みにあった宗盛が、二人の対立の最中から逃れようとしていたのではないかと考えられています。また、清盛が数千騎を率いて上洛する際、宗盛は厳島参詣の途上にありました。これもまた、父の動きを事前に察した宗盛が、婉曲に父の命令を拒否しようとしたのではないかと言われます。結果としては呼び戻されて父・清盛と行動を共にしているのですが、清盛の息子という立場は相当に難しいものがあったと想像出来る出来事ですね。

関白の基房が解官され、太宰権師に左遷されたのはドラマにあったとおりで、事実上の流罪でした。古の菅原道真公と同じ処遇と言えますね。彼の息子である師家も解官され、新しい関白には基通が充てられました。これにより、平家を後ろ盾とする基通が藤原摂関家を嗣ぐ事が明かにされた訳ですね。ただ、基房の弟である兼実はずっと表だった事をして来なかった故にか無事で、彼は基通を支える役目を期待される様になります。兼実としては本意ではなかったのですが、彼は保身の為にこれを喜ぶ振りをしたと伝えられています。

この動きに対して、法皇は清盛に今後は一切政務に口を出さないという申し入れをしています。一度は平家を除こうとした法皇でしたが、そのあまりの反発の大きさに恐れをなしたのですね。ドラマでは一切の言い訳をしなかった法皇ですが、現実には難を逃れようと見苦しくあがいていた事が知れます。これにより、清盛の怒りも収まるかと思われたのですが、事態はさらに進展します。

まず、天台座主に、法皇によってその座を追われていた明雲が復帰します。そして清盛は、院の近臣39名を解官させるという暴挙に出ました。この中には太政大臣である藤原師長も含まれており、彼はそのまま尾張国に流罪となっています。また、ドラマには描かれなかったのですが、清盛の弟である頼盛も所領を没官されています。頼盛もまた法皇の近臣であったためと言われていますが、清盛の怒りがいかに強かったかという事がこの一事から窺い知る事が出来ます。

この政変によって多数の受領の交代が行われており、結果として平家一門が支配する国は、当時の日本の66国のうち32国に及ぶ事になりました。文字通り平家にあらずんば人にあらずといった世が現出した事になる訳ですが、この事が大きな反発を呼ぶ事になっていきます。

政変の仕上げが法皇の鳥羽離宮への幽閉でした。鳥羽離宮は鳥羽法皇が晩年を過ごした地で、ドラマにも出て来ていましたよね。法皇は多数の兵に監視下に置かれ、わずかの近臣と女房以外の人との通行を遮断されて一切の政務から遠ざけられてしまいます。

こうして平家中心の政権を樹立した清盛でしたが、彼自身は政権の中枢に座ることなく、福原に引き上げています。後を任されたのは宗盛であり、朝廷は高倉天皇と基通が舵を取る事になります。しかし、彼らでは経験と貫禄に欠けていたのは明かであり、新しい政権は不安定なものとなって行くのです。

ドラマに戻って、法皇の重盛に対する仕打ちは、あまりにも子供じみていて無意味なものに思えました。あんな事をしても、ただの嫌がらせ以外の何ものでもないでしょうにね。重盛を手駒と言うのなら、もっと大事に扱いそうなものなのですが、そうはしないのが松田法皇の特色なのでしょうか。どうにも、このドラマの法皇の行動には首を傾げたくなるものが多いです。

ただ、この演出によって清盛の怒りも正当化される事にはなっています。こんなに無慈悲で酷い法皇なら、幽閉されても仕方がないと思えますよね。それが作者の狙いだったのかな。

治承3年の政変によって政権を得た清盛でしたが、これがこのドラマの言う頂上だったのですね。たしかに、これによって清盛が絶頂期を迎えたとは言えるのですが、彼の目指すという新しい国の姿は依然として何も示されていません。宋との交易によって国を豊かに富ますと言っていましたが、具体的には何が変わったのでしょうか。ただ清盛が政権の頂点に立つ事だけがドラマの最終目標だったと言うのなら、従来の平家物語の世界観とほとんど変わらない事になってしまいます。何だか裏切られた感が漂うのは私だけかな。

それはともかく、言仁親王が開けた穴から見た景色が、頂点に立った清盛が見た世界だったという祇園女御の言葉は暗示的でした。親王が安徳天皇となる事によって、清盛の目指す世が完成するという事を意味しているのでしょうね。どんな景色だったかは、視聴者の想像に任せるという事なのでしょう。

なお、西八条第に行啓した親王に清盛が泰平御覧を贈り、親王が穴を開けた障子を家宝として残しておけと清盛が言った事はいずれも史実として伝わっている事です。

次回は以仁王の令旨が描かれる様です。頂点に立った平家の足下が崩れ始めるという予兆ですね。気になるのは、清盛が戯れていた白拍子ですが、やっと祇王が出て来るのかな。そのあたりにも注目して見てみたいと思っているところです。

2012年11月 4日 (日)

平清盛 第43回 「忠と孝のはざまで」

(捕らえられている成親。そこに訪ねてきた重盛。西光はと縋り付く成親。信西の下に旅立たれたと重盛。驚愕する成親。何故このような事をされたと問う重盛。平家の犬と化して生きる事は面白くないと思った、似合わぬ事をした挙げ句がこの様だと成親。きっと助けると重盛。)

(清盛に向かって、成親の命ばかりは助けて欲しいと嘆願する重盛。二度までも裏切った者は許さないと清盛。私もそう思うと宗盛。軽々しく言うなと重盛。信西が死罪を復活させたのが誤りの元、死罪を行えば国中に謀反を起こす者が絶えないと古の人も言っているとおりだと重盛。兄上は成親と義理の兄弟故、そういうのだろうと重衛。違う、帝のため、国のため、平家一門の為に言っていると重盛。良く判った、成親は流罪とすると清盛。)

(備前に流罪となった成親。左近衛大将を辞任した重盛。)

(重盛に成親のために立場を悪くしただろうと詫びる経子。義理の弟として当然の事をしたまでと重盛。)

(安元3年7月9日、備前で餓死した成親。)

(六波羅。重盛に向かって、お前の望みどおり流罪とした、流罪先でどうなろうと知った事ではないと清盛。自分は拙いながらも父を支えてきた、それは父が思い描く国の姿を見てみたいと思ったからだ、しかし、今もってそれが見えてこない、すべて父の思い通りになったと言うのに、これ以上何が欠けているのかと重盛。そんな話をしに上洛したのではない、これよりすべての社寺に命じて中宮に皇子が授かる様に祈願すると清盛。平家の血が流れている帝が欠けているというのかと重盛。平家の棟梁ならば、黙って私の国造りを支えよと清盛。力なく立ち上がり、ふらふらと去っていく重盛。法皇の近臣でもある重盛の立場を思いやる盛国。)

(院の御所。法皇を励ます重盛。成親は餓死、西光は拷問のあげく斬首されたと聞く、本当かと問う法皇。答えられない重盛。含み笑いをして立ち上がり、現に生きるもののけの血がうずき始めていると法皇。泣き笑いする法皇の高笑い。)

(伊豆。時政の館。政子と共に現れ、政子を妻に迎えたいと時政に頭を下げる頼朝。八重姫との事を忘れたのかと時政。断じてそんな事はさせないと頼朝。何故そんな事が言えると時政。あの時は源氏である事を捨てるつもりだった、しかし、今はいずれ義朝の様な源氏の棟梁となりたいと考えているのだと頼朝。義朝の様なとはと時政。つまり、東国の武士の頂きに立ち、源氏を再び平家に劣らぬ武門とする所存、その道を政子と歩いていきたいと頼朝。父に許しを請う政子。呆然としている時政。煮え切らぬ、痩せた土地でも時政殿が耕すと立派な作物が育つと言っているではないかと藤九郎。それがどうしたと時政。土下座をして、頼朝の舅となり、立派な源氏の棟梁に育てて欲しいと頼む藤九郎。頼朝の肩に手を寄せ、涙ぐむ時政。こんな青白くやせ細った苗では、手がかかるだろうと時政。礼を言う頼朝ら三人。)

(京。常磐御前の下を訪ねてきた遮那王。何故得度せぬと常磐。自分は僧にはならないと遮那王。そこに現れた弁慶。驚く常磐。弁慶から全てを聞いた、何時の日か亡き父に代わって平家を倒す所存と遮那王。何を世迷い言を、事情はともあれ父代わりに育ててくれた人に刃を向けようなどと思ってはならぬと遮那王の手を握る常磐。その手を押しやり、奥州の秀衡を頼る所存と遮那王。許さないと常磐。許しを請いに来たのではない、別れを言いに来た、自分は不孝者だと言って立ち去る遮那王。自分が遮那王と会ったばかりに済まない、しかし、これはただの縁ではない、定めだと弁慶。)

(尾張国。野宿する弁慶と遮那王。ここで元服すると言い出す遮那王。何故ととまどう弁慶。ここは父、義朝の最期の地ゆえと遮那王。呆然とする弁慶。どうせ烏帽子親など居ない身、ならば亡き父の御霊に見守られながら自らの手で元服したいと遮那王。)

(とある寺で自ら髪を切った遮那王。烏帽子を被せてやる弁慶。懐から紙を取り出し、遮那王に示す弁慶。そこには義経と書かれていました。常磐から預かったと説明する弁慶。)

(京。月に向かって、父の義朝から一字を頂戴した、本日から義経と名乗るが良い、強き源氏の武者となりなさいと告げる常磐。)

(福原。中宮に懐妊の兆しありと知らせてきた時忠。すぐに都に参ると清盛。)

(治承2年6月。徳子懐妊の知らせに色めき立つ清盛。)

(六波羅。やはり厳島のご加護はてきめんだ、皆男子の誕生を祈るのだぞとと清盛。)

(安産の祈願を行う清盛。無事に生まれた皇子。喜びに沸く平家一門。苦虫を噛みしめた様な経宗や兼実。男泣きに泣く清盛。)

(11月12日、皇子を産んだ徳子。生後ひと月で立太子の運びとなり、言仁と名乗りを定めた皇子。)

(六波羅。祝いの宴を開く清盛。祝いに訪れた頼政。頼政に三位に推挙し、お許しが出たと伝える清盛。祝いを言う平家一門。命尽きるまで平家と共に働くと頼政。心強い、言仁の健やかな成長を願おうと祝杯を上げる清盛。一人醒めている重盛。)

(治承3年2月、福原。無事に執り行われた言仁の百日の宴。機は熟したとつぶやく清盛。)

(重盛の館。清盛上洛を重盛に告げる家人。火急の用との知らせに皆を集めよと命ずる重盛。その直後、立ち上がり、倒れた重盛。)

(六波羅。自分は東宮の外祖父となった、ついては法皇につまらぬ企てを吹き込む輩が出てこないようにするため、法皇にこの館に来て貰ってはどうかと考えていると清盛。とまどう一門。それは法住寺殿を攻めよという事かと頼盛。御所を攻めれば北面の武士との争いになる、速やかに兵を出して院をお連れ参らせよと清盛。)

(乙前の館。寝付いている乙前を見舞った法皇。近臣が居なくなった法皇を気遣う乙前。己の招いた事、しかし、このままにはしておかないと法皇。法皇と清盛の双六遊びの行く末が気がかりだと乙前。まだ自分には手駒があると言い、乙前のために今様を歌い出す法皇。)

(六波羅。鎧姿に身を固めるの一門の中、一人直衣姿で現れた重盛。次席を占めていた宗盛の前に立つ重盛。面白くなさそうに席を譲る宗盛。次席に座る重盛。その姿は何としたと問う清盛。父上こそ、その姿は何事と重盛。暫くの間、法皇にこの館に来て貰うのだと清盛。何と情けないお言葉、一門の運も尽き果てたと重盛。色めき立つ一門。人は運がつき始めると必ず悪事を思い立つものだと重盛。これは悪事ではない、国造りだと清盛。法皇が居てこその国だと重盛。それはやってみなければ判らないと清盛。では法皇の御所は自分が守ると重盛。驚く一門。五位に叙せられてから後、法皇の恩を受けなかった事は一度も無い、その恩は何によりも重く深いと重盛。訝しげに重盛を見つめる清盛。黙って立ち上がる重盛。今一度言う、これは国造りだと清盛。そして、重盛を押し倒し、平家の棟梁であるそなたが阻むと言うのだなと清盛。法皇に忠を尽くそうとすれば父の恩を忘れる事になる、父の不孝から逃れようとずば法皇への不忠となると言って泣き崩れる重盛。忠ならんとすれば孝ならず、孝ならんとすれば忠ならず、進退は窮まった。こうなった以上、自分の首を召してくれと泣き叫ぶ重盛。痛ましげな一門。じっと重盛を見据える清盛。)

(重盛の懇願に折れた清盛。)

今回は後の安徳帝の誕生前後が描かれました。喜びに沸く一門の中で、ただ一人重盛だけが苦悩する姿が印象的でしたね。

成親が重盛の嘆願によって死罪をまぬがれ、流罪となった事は平家物語にあり、その時に死罪が良くないとは義兄弟だから言っているのではない、世の為、国の為、家の為を思って言っているのだと語ったのはドラマにあったとおりです。その成親が流罪先で餓死させられたとは愚管抄に記されている事で、平家物語では初めは酒に毒を盛って殺そうとしたが上手く行かず、遂には菱という刃物を植えた上に突き落として殺したとあります。いずれにしても、重盛の嘆願にも係わらず殺された事は事実で、これにより重盛の政治的立場は著しく低下し、その苦悩が深まった事は確かです。

清盛が怒りにまかせて法皇を西八条第(ドラマでは六波羅でしたが)に連れてこようとした事も平家物語にあり、その時に清盛が赤地の錦の直垂をつけ、黒糸縅の鎧を腹に巻いていたという描写もドラマにあったとおりです。そして、鎧姿の一門の中に烏帽子直衣姿で重盛が現れたとも平家物語に記されており、その時の台詞のやり取りもまた物語に記されたとおりです。原文に添えば、「悲しい哉、君の御爲に奉公の忠を致んとすれば、迷盧八萬の頂より猶高き父の恩忽に忘れんとす。痛ましい哉、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御爲に已に不忠の逆臣と成ぬべし。進退ここに窮まれり。是非いかにもたとえ難し。申請る所詮は、唯重盛が頸を召され候へ。」と言ったのですね。自分は法皇の下に行って御所を守る、しかし、それでは親に対して不孝となってしまうので今すぐ自分の首を刎ねよと清盛に迫ったのでした。違うのはその後の重盛の振る舞いで、女々しく泣き崩れたのではなく、小松の自邸に帰るや軍勢を催し、数千騎を自分の下に集めたとあります。この時、一度は清盛の下に集まっていた兵もことごとく重盛の下に走ってしまい、清盛は重盛は自分を討つつもりかと嘆いたと記されています。このあたりがドラマと大きく違うところで、重盛の面目が躍如とする場面ですね。そして、平家物語の作者は、重盛をして上代にも末代にも有り難い大臣だと賞賛しています。

ただ、事実としては清盛は法皇に手出しをしようとはしなかった様で、鹿ヶ谷事件の際には、まだ言仁親王が生まれておらず、王家の外戚にもなっていない段階ではそこまでの強権は振るえなかったのではないかと推測されています。また、法皇を除いてしまうと治天の君が不在となるという事情もあった様ですね。だからドラマでは、言仁親王を立太子させた後に清盛が「機は熟した」とつぶやき、法皇を捕らえようとした設定にしたものと思われます。

ドラマに戻って、伊豆では頼朝が政子を娶り、京では遮那王が奥州へと旅立ち、義経と名乗りを改めました。打倒平家の役者がいよいよ揃ってきたという所ですね。一方の平家は、言仁親王を得た事で繁栄の頂点を極め様とする一方で、法皇と一門の板挟みとなった重盛が窮地に立たされます。実は重盛だけでなく宗盛もまた法皇の近臣であり、板挟みという立場は重盛と同様だったのですが、ドラマでは重盛一人が重荷を背負った形となっています。その重盛の姿は痛ましく、清盛という大きすぎる親を持った息子の苦悩がありありと描かれていました。優れた官僚ではあっても、政治家になりきれない重盛の悲劇とでも言いましょうか。

清盛の思い描く国の姿が見えてこないのは重盛だけでなく視聴者も同様で、王家の外戚となって国を動かすというのが最終目標だとしたらあまりにも類型的で、従来の平家像と何も変わらない事になってしまいます。最終回までに、武士の世を作り上げるという清盛の本当の理想像が示されるのかと心配になってきました。ここまで新しい清盛像を信じて見守ってきた思いを裏切らないで欲しいと切に願います。

2012年10月28日 (日)

平清盛 第42回 「鹿ヶ谷の陰謀」

(京、鹿ヶ谷。山荘に集まった法皇以下、西光、成親、行綱、俊寛らの面々。彼らを前に、平家を討つと宣言する法皇。どのようにして討つというのかと狼狽える行綱。そのためにそなたに来て貰ったのだと成親。只で兵は動かせないと行綱。そのために、俊寛を呼んである、法勝寺の執行であり、寺の領地を如何様に出来ると西光。お任せあれと俊寛。康頼に公卿方に働きかけよと依頼する西光。承知したと康頼。公卿気取りの平家は、よもや攻めて来る者が居るとは思うまい、今の平家は隙だらけだと西光。)

(そこに運ばれてきた白い反物。宇治布30反で源氏の旗を作るのだと成親。はっとなる行綱。源氏は平家と並ぶ武家の名門だった、そなたとて源氏の一党と成親。ぐと口を引き締めて法皇に頭を下げる行綱。うなずく法皇。)

(誓いの杯を上げる一同。瓶子を倒してしまう行綱。おや、瓶子が倒れましたぞと成親。これは幸先が良いと俊寛。平氏の首はこうしてやればよいと言って瓶子を叩き割る西光。その狂態ぶりに怯える俊寛たち。まずは、福原から清盛をおびき出す事だと法皇。)

(伊豆、時政の館。庭で弓を射ながら、頼朝の言葉を思い出している政子。そこに現れ、政子を呼ぶ時政。彼の用件は、山木兼隆と政子の婚礼でした。山木は平家縁りの者と聞き、今は行けないと政子。なぜだと時政。佐殿を捨てておけないのだと政子。政子を張り飛ばす時政。佐殿には係わるなと言ったはずだと時政。されどと政子。父の心が判らないのかと時政。そして政子に近付き、佐殿の事は自分が出来るだけの事をする、一月後には山木殿の下に参れと言って立ち去る時政。)

(安元3年(1177年)5月4日。延暦寺。突如明雲を捕らえて拷問し、座主の座を追い、所領を奪った法皇。)

(内裏。明雲の処分について話し合う公卿たち。そもそも明雲の罪状とはなにかと経宗。根も葉もない言い掛かりばかりと基房。しかし、法皇は斬首せよと言う、せいぜい流罪が相当と基房。流罪と断ずる前に、相応の詮議と配慮があってしかるべきと兼実。)

(公卿達の思惑に係わらず、すぐさま明雲を伊豆に流罪と決めた法皇。)

(福原。いつもに増した常軌を逸した振る舞いと盛国。何かおかしいと清盛。)

(近江国。伊豆に流罪となる途上の明雲。警護にあたる伊豆守の頼政。一行を包囲し、明雲を奪い返した山法師達。)

(院の御所。ここまでは法皇様の読み通りと西光。この先も手筈どおり進めよと法皇。)

(重盛に向かって、このたびの山門の振る舞いは不埒千万、すぐさま攻めよと命ずる西光。直に山門を攻めるなど前例が無いと重盛。法皇直々の命令だと西光。清盛の裁断を仰がなくてはと重盛。目配せをし合う西光と成親。)

(5月28日、上洛し、法皇に拝謁する清盛。清盛に山門を討てという命を伝える成親。それではかえって法皇の威光を傷付ける事になると清盛。なぜと西光。明雲の流罪には宮中の不服も多く、明雲の罪状にも根拠が無い。これ以上山門をいたぶるのは得策ではないと清盛。ならぬ、今すぐ攻めよと西光。まあ良い、平家にとっても一大事、しばし都に留まり一門で話し合えと法皇。)

(六波羅。山門を攻めるなどもってのほかと重盛。攻めるふりをしておけば良いのだと時忠。西光の子たちを配流先から呼び戻せば良いのではと経盛。子供じみたわがままだと教盛。子供じみたわがままにしてはやり過ぎだ、何か裏があると清盛。それは疑いすぎだと頼盛。山門を思うままにしたいという欲の強い方だと宗清。今はもう少し法皇の出方を探ろうと清盛。)

(そこに現れ、ひれ伏す頼政。驚く清盛に、今度の事は面目次第もないと謝る頼政。今度の事で咎めるつもりはない、頼政には歌会合わせなどで世話になっている、いつか報いるつもりだと清盛。痛み入ると頼政。)

(頼政の館。頼政を訪ねてきた行綱。頼政に、平家打倒の企みが進んでいる、御所に参内した清盛を捕らえ、それを人質として六波羅を攻める計画と打ち明け、頼政の協力があれば法皇の描いた絵の通りに動くはずと説く行綱。今こそ、源氏再興を賭けて立ち上がる時と仲綱。平家のためにも源氏のためにも戦う力は持ち合わせていないと立ち去る頼政。打ち明けたからにはそうは行かないと食い下がる行綱。やんごとなき方々が、酒の席で思いつかれた戯言で倒れる程平家は脆くないと頼政。)

(伊豆。笙を吹いている頼朝。その頼朝に、政子が兼隆の妻となるという噂を伝える藤九郎。あのかしましい女が現れぬと思ったら清々すると頼朝。自分はいささか残念だ、明日が鮮やかに変わる刹那をみてみたいものだと藤九郎。)

(院の御所。源氏の白旗が並ぶ庭。決行は6月1日、清盛を絡め取った後、六波羅を攻めよと行綱に命ずる西光。はっ、と応じる行綱。そこに経子が訪ねてきているという知らせが入ります。)

(経子の用とは、5月29日は自分たちの父、家成の命日だからという事でした。清盛が都に居る間に、盛大に法要を行ってはどうかという重盛の意向を伝える経子。そくんな事だったかと成親。その様に致そうと西光。よしなにと去る経子。)

(こんな事になるとは、自分たちは親不孝者だと成親。あの頃はのどかな世であったという事だと西光。野良犬の声などに耳を傾けたばかりにとつぶやく西光。振り向く成親。きっと首を取ってやると西光。)

(夜、六波羅。明日、御所に参れと法皇からお召しが掛かっていると重盛。信西が首を取られた夜と似た様な心地がする、ざわざわとと嫌なものが夜の静寂にざわめていてると清盛。そこに現れた客。)

(客とは行綱でした。平家打倒の企てが進んでいると打ち明ける行綱。俄には信じられぬと盛国。証拠の品として、成親から授けられた白旗を示す行綱。まさか成親がと驚く重盛。これは成親が自ら取り寄せた宇治布で作ったもの、出所を確かめればすぐに判るはずと行綱。頭目は誰だと問う清盛。)

(院の御所。賽を振る法皇。)

(安元3年6月1日。伊豆、頼朝の館。雷鳴で目を覚ました頼朝。)

(時政の館。兼隆の下に嫁ぐべく、父母にあいさつをする政子。)

(六波羅。重盛を訪ねてきた成親。庭で焼かれている白旗に気付いた成親。成親を囲んだ兵士たち。戦く成親。)

(西光の館。読経する西光。突如踏み込んできた忠清の兵士たち。)

(院の御所。成親と西光が捕らえられたという知らせに、顔を顰めて賽を握りしめる法皇。戦く俊寛。)

(六波羅。庭に引き据えられた西光。その前に現れた清盛。何が気に入らぬと西光を問い質す清盛。二人の子が流された事なら、信西が目指した国造りのためには仕方のない事と清盛。我が主、信西の目指した国造り?そなたごときにあの方の代わりが務まるはずもないと西光。黙って聞いている清盛を、聞こえたか、無頼の高平太と罵る西光。どうやら判ってもらえない様だと言って、兵士に合図をする清盛。西光に乱暴を働き出す兵士達。)

(伊豆山中。雨に降り込められた政子の一行。)

(頼朝の館。雨を見ている頼朝。)

(雨宿りをしながら、どこか落ち着かない様子の政子。)

(六波羅。痛めつけられながらも、清盛を罵り続ける西光。そなたの国造りは志ではない、復讐だと西光。それまでじっと見ていた清盛が、復讐という言葉に反応します。犬と蔑む王家への恨みに、突き動かされているだけだと西光。そんなものに付き合わされてよい面の皮だ、民も、公卿も、お前達もなと西光。思わず立ち上がる清盛。得体も知れぬ男のに復讐につきあわされているだけだと西光。怒りに駆られて庭に飛び出し、西光を蹴り倒す清盛。倒れた西光を、なおも蹴り続ける清盛。)

(伊豆。びしょ濡れの姿で頼朝の前に現れた政子。驚く頼朝を尻目に、家に入って髭切の太刀を手に取る政子。何をすると言って太刀を取り戻そうどする頼朝。もみ合う二人。戻ってきた藤九郎。太刀が鞘走ったため、鞘を手に雨の中に転がり出る頼朝。太刀を手に頼朝に迫る政子。)

(遠く伊豆から、平氏の繁栄ぶりをみておれと言われたとは、こんな暮らしをする事なのかと政子。他にどうしようがあると頼朝。ならばなぜこの太刀を渡されたと政子。倒れている頼朝に太刀を握らせ、武士の魂を忘れるなという事ではないのかと政子。清盛の言葉を思い出す頼朝。)

(頼朝の回想。お前が居なくなった後も、武士の世を切り開いていかなければならないのだ、と幻の義朝に言う清盛。)

(西光を踏み付けにする清盛。この粗暴な振る舞い、どこまで行っても無頼者だと西光。)

(頼朝の回想。乗り越えてこその武士だ、醜き事にまみれようとも、必ずこの世の頂きに立つと清盛。)

(取り憑かれた様に、西光を蹴り続ける清盛。)

(太刀を見つめる頼朝。)

(頼朝の回想。途中で降りたお前が見る事の無かった世をこの目で見てやると清盛。)

(自分は武士だ、武士の世を作るのだと西光を踏み付ける清盛。)

(頼朝の回想。頼朝の前に太刀を突き立てた清盛。)

(武士の世を、と言いながら西光を踏み続ける清盛。)

(太刀を見つめる頼朝。)

(頼朝の回想。誰が殺してなどやるものか、真の武士はいかなるものか見せてやると清盛。)

(頼朝を見つめて微笑み、それを言っておこうと思っただけだと政子。ご無礼をしましたと出て行こうとする政子の腕を掴む頼朝。昨日とも、今日とも違う、私の明日へと連れて行ってくれと政子に頼む頼朝。連れて行けとは女々しい人、共にまいろうぞと頼朝に抱きつく政子。笑顔で政子を抱きしめる頼朝。)

(六波羅。西光を蹴り続けている清盛。清盛を止める重盛。信西が死んだ時、天はこの国を見放したと虫の息で言う西光。西光を睨み付けながら、洛中引き回しの上、朱雀大路にて斬首せよと命ずる清盛。西光を引きづり出していく兵士達。)

(信西の懐から落ちた算木。それを差し出す兵士。受け取ってへし折り、焼き捨てよと命じる清盛。)

(伊豆。雨の中で抱き合っている頼朝と政子。二人を家の中に誘う藤九郎。庭に落ちた鞘を拾い、頼朝に渡す政子。微笑む頼朝。笑い合う二人。)

(明日を見つけた頼朝。明日を見失いつつあった清盛。)

(院の御所。自分はまた失うのかと乙前に問う法皇。国の頂きを争う壮大な双六遊び、数多の駒を失うのは道理でしょうと、あなたも清盛もと乙前。)

今回は鹿ヶ谷の陰謀が描かれました。狂気にまみれた清盛と、正気を取り戻した頼朝の対比が鮮やかでしたね。

後白河法皇が天台座主明雲を捕らえ、伊豆に流罪としたのは史実にあるとおりです。この時の明雲の罪状は謀反でした。この事件の直前に、京の4分の1が焼け落ちるという大火が起こっています。太郎焼亡と呼ばれるこの大火では大勢の人が焼け死に、内裏も燃えました。そして、火事の後は強盗が横行し、中宮庁にまで強盗が押し入るという事態に至っています。明雲の流罪はこの増大する社会不安の中で行われており、謀反という罪状には山門の強訴が世を乱したという法皇の怒りが反映されていると言われています。

結果として、明雲は伊豆に流される途中に叡山の悪僧達によって奪還されており、法皇の面子は丸つぶれとなりました。怒り心頭に発した法皇は叡山の攻撃を思い立ち、清盛に命を下すに至ります。この時、法皇が叡山攻撃を命じたのは平家に対してだけではなく、近江、美濃、越前の3カ国の武士に対しても同様の命令を発しています。山門と協調して行きたい清盛とにとっては迷惑至極だったのですが、国を挙げての命とあれば従わざるを得ず、平家も進退窮まったかに見えました。

その時に起こったのが鹿ヶ谷事件でした。この事件はドラマにあった様に、法皇とその側近が平家打倒を密議したというもので、行綱の密告によりこの事を知った清盛は直ちに事件の中心に居た西光らを捕らえ、果断な処罰を下しています。この事件によって、叡山への攻撃は沙汰止みとなっており、清盛にとって最大の悩みの種であった山門との対決は雨散霧消したのでした。

この事から、この事件は清盛によって筋書きが描かれた謀略という見方もあります。つまり、鹿ヶ谷の密議は確かに行われたが、それは法皇とその側近が平家全盛の時節を嘆いたという程度のもので、とても平家打倒という具体策を伴ったものではなかったと言うのですね。実際、平家物語に描かれた場面でも、瓶子と平氏を掛けてその首を取るといった戯れを言っている程度のもので、本気で清盛の首を取るという気概が感じられるものではありません。行綱が謀略の無謀さを感じ、密告に及んだというのも無理はないと思える狂態ぶりですよね。清盛は、その程度の取るに足りない愚痴の言い合いを、これ幸いとばかりに騒ぎ立てて平家に対する武力蜂起とみなし、事件とする事で山門との対立を回避したという見方があるのです。

このあたりは確証がある訳ではありませんが、清盛にとってはとても都合の良い事件であった事は確かですね。それを裏付けるかの様に、鹿ヶ谷事件で諮られたという陰謀の全容を語るものは何もなく、清盛を人質にして平家を討つというドラマのストーリーは創作です。

西光が清盛を高平太と罵ったのは平家物語にあり、清盛は西光の顔を踏み付けた上でその口を切り裂かせ、五条朱雀で首を打たせたと記されています。ドラマの様にしつこく蹴り倒してまではいませんが、西光の悪口が清盛を激怒させた事は確かな様ですね。

ドラマに戻って、法皇渾身の企ては、行綱という小心者の裏切りによって崩れ去りました。どうもこの人のやる事は、手が込んでいる様でいて、根本的に杜撰です。平家物語に描かれている事だから仕方が無いのでしょうけど、行綱程度の者に清盛を討たせ様とする事自体が間違いの元だと気付きそうなものなのですけどね。

対して清盛は、西光の言葉に我を失い、自らの株を下げてしまいました。せっかく大人物的な振る舞いを身につけてきていたというのに、あんな狂態を示してしまってはどん引きも良いところでしょう。信西の跡継ぎにはふさわしくない、お前の国造りはただの復讐だと言われた事に切れたのでしょうけど、いくら何でもやりすぎです。ドラマでは、清盛の狂態と頼朝の回想がクロスし、清盛の判って貰えなかったという無念さと、これが頂きに立った者がする事かという失望感が交錯していた様に思えました。でも、これでは従来からある平家物語的な平家観を踏襲するのみで、新しい平家を描くというドラマの趣旨には反すると思うのは私だけかしらん。視聴者としては、清盛の抱く失望感をもっと理解してやらなくてはいけないという事なのかな。このあたりの難解さが、視聴率にも響いているのではないかという気がしています。

さて、いよいよ平家の閉塞感が強まり、源氏の再興機運が高まってきました。頼朝は政子という心強い味方を得て、生き返りましたね。次回は清盛に待望の皇子が産まれる一方で、時政が頼朝の後ろ盾となる様です。頂点を極めんとする平家と、密かに芽生えようとする源氏再興の機運が描き出される回となりそうですね。

2012年10月21日 (日)

平清盛 第41回 「賽の目の行方」

(安元2年(1176年)、院の御所。今様を歌いながら滋子の事を想う法皇。もう教える事は無い、法皇の目指す道と歌とが遂に一つになったと乙前。)

(内裏。亡き母の霊に手を合わせる高倉天皇。滋子を祖母に持つ賢い皇子を産むと徳子。きっとと帝。)

(福原。宋の品々を厳島に贈り、徳子の懐妊を祈願する様命ずる清盛。そこに、法皇が九の宮と十の宮を寺から呼び戻して帝の養子にしたという知らせが入ります。これは平家を蔑ろにする事と怒る清盛。これまでなら、滋子が諌めてくれたものをと盛国。すぐに重盛を法皇の下に行かせろと清盛。)

(法皇に拝謁し、平家に二心は無いと言上する重盛。滋子の菩提を弔う寺を建てる、そのために蔵人の頭にして欲しいと願う知盛。苦しう無いと法皇。)

(重盛たちが去った後、如何いたしますかと問う西光と成親。滋子が生きていれば言う事を聞いてやっても良かったと法皇。)

(12月。知盛をさしおいて、近臣の一人を蔵人頭に任じた法皇。)

(福原。明雲に会い、法皇の力を押さえる為に力を貸して欲しいと頼む清盛。)

(伊豆。時政の館。義明と秀義相手に宴を始めようとする時政。そこに現れ、急いで税を集めよと命ずる仲綱。税は納めた筈と合点が行かない時政。女院があいつで亡くなられたための法要の費用なのだと仲綱。これ以上米を召し上げれば、皆の暮らしは苦しくなる一方だと時政。法皇と清盛の下知だ、判ってくれと仲綱。困り切って座り込む時政。平家は滋子亡き後、法皇との絆をつなぎ止めておく事にのみ腐心していると聞く、東国の武士の暮らしなど顧みるつもりなどなどないのだと秀義。その話を聞いている政子。)

(頼朝の館。藤九郎を掴まえ、あの時の太刀は何だったのかと問う政子。あれはと言いよどむ藤九郎。気になるのは太刀ではなく、あの時生き返った様に声を荒げた頼朝なのだと政子。あの太刀は髭切と言い、源氏重代の太刀だと教える藤九郎。そこに現れ、要らぬ事を言うなと頼朝。髭切を見せてくれと土下座して頼む政子。ならぬと頼朝。引かない政子。)

(政子に髭切を見せる頼朝。この見事な太刀を振るう男は、さぞかし強くて美しかったのでしょうと政子。義朝は天下無双の武士だったと藤九郎。父は強かった、武士の世を作る為に戦った、しかし、清盛の前にそれは潰え去ったと頼朝。このままではいけない、東国武士のために立ち上がってくれと叫ぶ政子。昨日が今日でも、今日が明日でも変わらぬ日々を過ごす様に自分は定められているのだと苦笑する頼朝。おかしな事を言う、明日は変えられる、変えるのは今この時だと政子。自分は清盛がどれほど恐ろしい人か知っていると言い捨てて出て行く頼朝。)

(福原。安元3年(1177年)3月。千僧供養のため福原を訪れた法皇。その年の正月、重盛が左近衛大将、宗盛が右近衛大将に昇進し、わだかまりが消えたかの様な法皇と清盛でしたが、滋子が死んだ今、もうここに来る事は無いと言って立ち去る法皇。後に残り、いざという時が来た様だとつぶやく清盛。)

(帰京した西光の下に凶報をもたらした師経と師高。)

(加賀国、鵜川寺。目代として訪れ、風呂をと所望する師経。役人を入れる訳には行かないと僧侶。礼なら与えると宋銭を示す師経。叡山と仲の悪い法皇縁の者を入れる訳には行かないと僧侶。無礼なと怒る師経。立ちふさがる僧兵達。小競り合いとなる師経の一行。ついに、鵜川寺を焼き討ちしてしまった師経。)

(末寺への暴挙に怒り、強訴を起こした比叡山。師経と師高を流罪にせよと御輿を持ち出す明雲。従う僧兵達。)

(福原。盛国と双六の盤を挟みながら、強訴の知らせを聞く清盛。それで良いと清盛。)

(重盛に強訴から内裏を守れと命ずる法皇。我が子が流罪にならないで済む様に守って欲しいと頭を下げる西光。平家の棟梁として、ないがしろになどしないと出て行く重盛。重盛を目で追いながら、手の中の二つの賽子を握る法皇。)

(館に戻り、兵士達に脅すだけでよい、断じて手荒な真似はするなと命ずる重盛。)

(福原。次はいかなる目が出るかと賽子を振る清盛。)

(院の御所。縁に座って手の中で賽子を転がしている法皇。そこに現れ、あの方相手ほどぞくぞくとはしないだろうが、相手をしましょうかと話しかける乙前。)

(福原。盛国を相手に双六をする清盛。)

(院の御所、乙前を相手に双六を始める法皇。)

(夜明け。法皇の下に、重盛の兵が御輿に矢を射たという知らせが入ります。)

(内裏に放置された御輿。何本も刺さった矢を見てへたり込む成親。神罰が下るぞと悲鳴を上げる経宗。所詮は武士、猛々しさはまるで変わらないと逃げ去る基房。こんな事をして叡山が黙っているはずがない、法皇に対して一層強く出て来ると兼実。)

(六波羅に人をやれと郎党に命ずる男。そなたはと誰何する成親。多田蔵人行綱と名乗る男。源氏の武者かと成親。今は平家の家人も同然と行綱。この矢は重盛の郎党が射たというのは本当かと成親。神仏も恐れぬすさまじい所行と行綱。)

(双六をしながら、乙前にこの目をどう見ると問う法皇。自分には判らない、しかし、良い目を出すより双六に勝つ道は無いと乙前。賽子を振る法皇。)

(福原。重盛が現れ、事を荒立ててしまい面目次第も無いと謝ります。よくやったと清盛。意外そうな重盛。これで朝廷は叡山の求めに応じるより無くなったと清盛。)

(院の御所。西光に、師高は尾張国、師経は備後国に流罪となったと伝える基房。御輿に矢を射たのは重盛の郎党だと叫ぶ西光。その郎党は既に捕縛した、しかし、それだけでは叡山は収まらないと兼実。されどと声を絞り出す西光。何と言われてもこの沙汰は変わらないと兼実。縋る西光を見捨てて、立ち去る基房と兼実。)

(そなたは清盛に陥れられた、鵜川寺の一件は清盛と明雲が仕組んだに違いないと法皇。)

(福原。重盛に、鵜川寺の一件は自分と明雲で仕組んだ事と明かす清盛。何故と驚く重盛。)

(院の御所。何故と法皇に問う西光。二人の流罪によって西光の力が削がれると法皇。)

(福原。西光の力が削がれれば法皇の力も弱まると清盛。)

(院の御所。清盛は自分を退けて、この国を思うままに操ろうとしているのだと叫ぶ法皇。)

(福原。平家の力を強め、王家を支え、その先に清盛の目指す国があると思っていた、しかし、それは違うのかと重盛。賽の目は目まぐるしく変わるものだと清盛。)

(院の御所。面白くないと成親。懐から宋銭を取り出し、床に叩き付ける西光。一点を見据える法皇。)

(伊豆。西光の一件を聞いた時政は、政子に誰ぞの妻となれと言い渡します。私は未だと言いよどむ政子。これからも平家の世は続く、そなたは平家の縁のある男子の下に行けと時政。)

(鞍馬寺。月明かりの中、笛を吹いている遮那王。その遮那王に、なぜ出家をためらっていると問う僧都。)

(弁慶の言葉を思い出す遮那王。そなたの父は義朝だと明かす弁慶。何故、あなたがそんな事を知っていると遮那王。そなたを取り上げたのはこの自分だと弁慶。何故、自分と母は清盛の下に居たのかと遮那王。母を責めるでない、武将の妻の定めだと弁慶。血は争えない、そなたの強さは源氏の大将譲り、平家の専横を倒すのはそなたしか居ないと見たと言って、遮那王に太刀を差し出す弁慶。母は自分に、悲しみとも憎しみとも無縁に生きて欲しいと言った、今の話は聞かなかった事にすると立ち去る遮那王。自分は武蔵坊弁慶、そなたの気が変わるのをここで待っていると叫ぶ弁慶。)

(月明かりの中、笛を吹く遮那王。)

(伊豆。月明かりの中、笙を吹く頼朝。)

(時政の館。縁に座り、月を見ている政子。)

(福原。月明かりの中、海を見る清盛。)

(鹿ヶ谷。山荘に入る法皇、成親、西光の面々。一の目を出す賽子。)

(海を見ている清盛。)

(機は熟した、これより我らは平家を討つと宣言する法皇。)

今回は鹿ヶ谷の陰謀の前夜が描かれました。頂きに上り詰めようとする清盛と、それに反発する勢力との緊張が高まってくるのが感じられた回でしたね。

まず、史実としては、加賀国の目代である師経が加賀国で白山と諍いを起こし、叡山の強訴を引き起こしたのは事実です。

師経が鵜川寺の前を通りかかった時に、僧侶たちが湯浴みをしているのを見ました。自分も湯浴みをしたくなった師経は、僧たちを追い払って湯を使い、雑人達に命じて馬を洗わせたりしたのですね。これに怒った僧侶達は、ここは役人が入るべき所ではないと師経を追い出しに掛かったのですが、師経はかえって乱暴を働きます。一度は鵜川寺の僧兵達に追い出された師経でしたが、国中から一千の兵を集めて鵜川寺を襲撃し、これを焼いてしまったのでした。鵜川寺の本寺である白山はこれに怒り、二千の僧兵を集めて復讐に乗り出します。これを知った師経は館を捨てて、都に逃げ帰ってしまいます。師経を捕り逃がしたと知った白山は、本寺である叡山に訴えんとして御輿を担ぎ出し、叡山に向かったのでした。このあたり、省略はあったとはいえ、ドラマに描かれたとおりですね。

白山の訴えを聞いた延暦寺では、朝廷に対して訴訟を起こします。その結果、直接の加害者である師経の配流が決まめられたのですが、大衆はそれに満足せず、国主の師高の配流まで求めて強訴に及んだのでした。

重盛の軍勢が、その強訴の際に御輿に矢を射掛けたのは平家物語に描かれているところであり、僧兵達の多くも射殺され、あるいは傷付けられて、御輿を内裏に放置して山に逃げ帰ったとあります。これもドラマにあったとおりですね。

結果として、この御輿に矢が当たった事が問題となり、再度の強訴を恐れた朝廷が師高を配流する事で決着を見たのもドラマにあったとおりです。そして、この事件の際に延暦寺と清盛が気脈を通じていたらしい事も窺えるのですが、鵜川寺の事件を清盛の陰謀とするのはドラマの創作でしょう。

ドラマの進行とは前後しますが、法皇が九の宮と十の宮を還俗させ、帝の養子としたのも史実にあるとおりです。これは、法皇がやがて成人を迎えようとしている高倉天皇を退位させ、法皇の意のままになる幼帝を立てようとしたのではないかと考えられています。つまり、天皇が大人となって自己主張を初め、自らの政治を行おうとする前に手を打とうとしたと言うのですね。何度となく繰り返されてきた院政の構図と言えましょうか。また、ドラマにあった様に平家の血を引いた帝の出現を恐れたという背景もあったとも言われています。

また、さらっと流されていましたが、宗盛が右近衛大将になった事には重要な意味があり、この時競合したのが成親なのでした。成親はこの事を恨みに思い、平家への反意を抱いたと考えられています。彼は面白くないのうと信頼を思い出す様な台詞を吐いていましたが、そこにはそんな背景があったのでした。

なお、仲綱が言っていた女院の相次ぐ死とは、建春門院の他に、高松院(二条帝の中宮)、九条院(近衛帝の中宮。呈子の事。)が亡くなった事を示しています。ついでに言えば、六条上皇もこの年に十三歳で崩御されています。確かにこれだけ皇族が亡くなれば、葬儀費用だけでもかなりの出費だった事でしょうね。

ドラマに戻って、滋子が居なくなった事で、法皇と清盛の関係は協調から対立へと変化しました。この二人の攻防が見所となる訳ですが、どう見ても清盛の政治力の方が一枚上手ですね。法皇には清盛の手の内を読める力はあるのですが、それに対抗出来るだけの力は有していない事が窺えます。それが鹿ヶ谷の陰謀という無理に繋がって行くのですが、それを賽の目に例えた演出は、以前からの踏襲とは言え、面白いものがありました。

その一方で、源氏が立ち上がる気配も濃厚となりつつあります。まだ平家全盛の世にあって弱々しいものに過ぎないのですが、政子や弁慶と言った補佐役によって、頼朝と義経が表舞台に押し出される過程が見えてきました。

次回は鹿ヶ谷の陰謀が描かれます。平氏が倒れたという台詞や、西光が瓶子の首を折るという場面も出て来る様ですね。どれも有名な場面ですから、どんな具合に描かれるのか、楽しみにして待ちたいと思っています。

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