江~姫たちの戦国~

2011年11月27日 (日)

江~姫たちの戦国~46 希望

(死の床にある正信。彼は秀忠に鬼に成れ、身内に厳しくせよ、処分する時は容赦するなと言い残します。そして、江に対する隠し事を正直に話せと言って事切れました。)

(家族を前に、世継ぎを竹千代とすると宣言する秀忠。彼は何より長幼の序を大事にする事を徳川の家訓と定めたのでした。)

(這い蹲って江に礼を言う福。その手を取って竹千代を将軍に相応しく育ててくれと頼む江。)

(ほっとしたと江。竹千代の次は千だと初。)

(ふさぎ勝ちな千を見て、どうしたものかとため息を付く江。)

(久しぶりに現れた龍子。千の様子を聞いた彼女は、嫁に出せばよいと言い出します。あきれる江に、夫で傷ついた心は夫で癒すのが一番、江もそうだったでしょうと龍子。)

(秀忠に龍子の話をする江。相手として本多忠刻を挙げる秀忠。そして、千を説得してくれと江に頼みますが、自分でなさりませと断られます。)

(千に婚儀を薦める秀忠。黙っている千。泰平の世を保つ為、そして母になる喜びを知って欲しい為にこの嫁入りを薦めていると秀忠。何も答えない千の肩を軽く叩いて出て行く秀忠。)

(嫁に行き、子をもうけるなど秀頼への裏切りにほかならないと千。ならば私はどうなるのだと江。自分の半生を振り返り、今はこれで良かったと思っている、秀頼もそなたの幸せを願っているはずと江。)

(元和2年、秋の末。千を嫁に出す秀忠。今度こそ幸せに成って欲しいと秀忠。今でも父を許す事が出来ない、でも忠刻が父の様な人であって欲しいと千。私のような良い男が居るわけがないと誤魔化す秀忠。)

(元和3年6月。上洛した秀忠。姫路を預かる池田氏に対して、因幡への国替えを命じます。)

(急な国替えはどうかと江。ゆるぎない泰平を守る為だ、池田家の当主は姫路を任せるには幼すぎると秀忠。そして、強い幕府であるためには、諸大名に余力を持たせぬ事だと語ります。力で押さえつけるやり方は、秀忠には似合わないと江。やらなければならない事だと譲らない秀忠。その後、20以上の大名の所領を没収した秀忠。)

(廊下で常高院を捕まえ、秀忠に隠し子が居ると耳打ちする福。驚く常高院。今は保科氏に預けられ、幸松と名付けられていました。母親は大姥局の侍女で、生まれてすぐに養子に出され、ひそかに育てられたのでした。何があっても江に言ってはならないと釘を刺す常高院。しかし、物陰でそれを聞いていた江。)

(秀忠を問い詰める江。いずれ折を見て話そうと思っていたと秀忠。以前に子が出来た時、二度と側室は持たないと誓ったはずと江。すまぬとひたすら謝る秀忠。どうしても許さないと江。どうすれば良いと秀忠。知らぬと江。)

(過ぎた事だと江を宥める常高院。以前高次が側室に子を産ませた時、大泣きしていたではないかと江。あの時は私も辛かったと思い出す常高院。黙って廊下に出る江。)

(所領巡検のために江戸を離れる秀忠。家族を前にあいさつをしていますが、江を気遣っておどおどとしています。それを子供達に見透かされる秀忠。終始不機嫌な江。)

(国松と剣の稽古に励む竹千代。二人を眺めている江。子供達を見ているのは良いものだと常高院。国松よりも幼い子が外に居ると思うと、と江。そこに目通りを願い出てきた佐治一成。)

(久しぶりの対面を果たした二人。自分のような者が出て来て良かったのかと一成。私たちは従兄弟同士でもあるのだと江。一成は信包に仕えた後、信長の側室の娘を嫁に貰い、今では嫡男も授かっているのでした。江に今は幸せでしょうと問う一成。実は、と隠し子の事を話す江。)

(よほど秀忠の事が好きなのだろう、信長に対しても秀吉に対しても真っ直ぐに立ち向かったのが江、心の命ずるままに動いてはどうかと一成。)

(隠し子に会うと言いだした江。引き止める常高院。しかし、江は幸松を呼んだ後でした。)

(幸松と対面した江。口上を述べながらも震えている幸松。そのいたいけな姿を見て近づき、肩を抱いてやる江。)

(江が幸松をを呼んだと知り驚く秀忠。急いで奥に行くと、そこには双六で仲良く遊ぶ江と幸松の姿がありました。秀忠を見てかしこまる幸松。幸松を見て、そなたがとつぶやく秀忠。そっと微笑む江。)

(仲良く遊ぶ竹千代と国松と幸松。それを眺めている江と秀忠。幸松がなぜ最初から仲良く暮らせなかったのか、それは自分の狭い了見のせいだったと江。そして、表向きとは切り離した、一家を守ってくれる場所を持ちたいと願い出る江。それは正室も側室も隔てなくという事かと問う秀忠。子供達もだと江。その事は江にまかすと秀忠。これが後の大奥法度の基となったのでした。もう一つ、江に大きな仕事が出来たと秀忠。)

(仕事とは、娘の和を天皇の后とすることでした。和に意向を確かめる江。父と母の役に立つのならと和。泰平の世を築く為には朝廷の力を借りる事も必要だと江。しかし、自分自身のためでもあって欲しいと江。自らを振り返り、今は幸せだと感じている、そなたもそうあって欲しいのだと江。)

(忙しくなるぞと常高院。張り切る福。ついでに竹千代の嫁選びを始めてはどうかと言い出す常高院。とまどう江。喜ぶ福。)

(大奥の仕組み造り、和の入内、竹千代の嫁選びと大忙しの江。)

(元和6年5月。後水尾天皇の后となるべく旅立つ和。)

(同年9月。そろって元服し、家光、忠長と名を改めた竹千代と国松。)

(家光に跡を継がせる為に動き出した秀忠。その手始めとして、正純の領地を没収し、出羽に流罪としました。次いで、娘の勝の嫁ぎ先である松平忠直を隠居させ、豊後に追放します。)

(娘の嫁ぎ先に対する仕打ちに異議を唱える江。政に口を出すなと秀忠。)

(母に声を掛け、父がやっている事はすべて三代目である私のためである。これから泰平の世が続いていくかとうかは自分の代でどこまでやれるかに懸かっていると考えて心を鬼にしているのだ、父を信じてやって欲しいと説く家光。子の成長を喜ぶ江。)

(廊下で佇む秀忠に、そっと寄り添う江。)

(元和9年7月。3代目将軍となった家光。)

(家光の将軍就任を言祝ぐ福。今日があるのは皆のおかげと江。)

(大奥を取り仕切ってもらいたいと福に頼む江。大役を見事に果たし、天皇への使いまで勤め上げ、春日局となった福。)

(元和9年12月20日。家光の正室として、鷹司家から孝子を迎えた江。)

(京、高台寺。臥所の中で、龍子から江の近況を聞く高台院。江は女としての栄華栄達を極めたと龍子。こうなる事は、なんとなく判っていた気がすると高台院。寛永元年9月、高台院永眠。)

(高台院の死を聞き、在りし日を偲ぶ江と秀忠。日本を作り替えたのは、おねであったかも知れないと秀忠。同意する江。)

(30年の夫婦生活を振り返り、ようやく泰平の世を迎えられたと感慨に耽る二人。太平の世を望むなら、まずは自分の心が穏やかでなければならないと判ったと江。)

(娘時代を振り返り、懐かしむ常高院。)

(秀忠と乗馬で出かけた江。)

(青空の下、秀忠と語り合う江。泰平の世をもたらしてくれたと秀忠に感謝する江。思うまま、あるがままに生きよ、かつて信長に言われた事を今日から始めると江。そなたは私の希望だと秀忠。一人で馬を駆ろうとする江。私の所に戻って来いよと声を掛ける秀忠。他に帰るところはありませんとにこやかに答える江。)

(どこまでも駆けていく江。いつの間にか馬に乗って現れた市。暫く娘の後を追った後立ち止まり、後ろ姿を見送ります。夕日が差す中、いつまでも駆け続ける江。)

とうとう最終回を迎えました。予想どおり、最後はみんな良い人になって大団円というパターンで締めましたね。ハッピーエンドで終わるのは大河では珍しいケースですが、実際に栄華を極めて亡くなった人物であっただけに、当然の結果とも言えます。まあ、あまりにも美化し過ぎたというきらいはありますが、これまでが不当に貶められてきたとも言え、バランスを取るにはこれくらいでも良かったのかとも思えます。

でも、最後の回は余りにも詰め込み過ぎで、本来ならドラマの後半はこのあたりを重点的に描くべきではなかったのかしらかん?なぜなら、江が初めて能動的に動いた回であり、江を主役として描くのならここしかなかったのではないかと思えるのです。そうしなかったのは、戦国絵巻ではなく大奥絵巻になってしまうからだったのかな。

振りかえって、このドラマにおける江の役割とは何だったのでしょう。常に傍観者の立場であり、様々に口出しはするけれども、大きな流れには関与しない。そして、歴史の流れに身を任せている内に、いつの間にか天下第一の女人と呼ばれる様になっていたというのが正直なところではないのでしょうか。秀忠を支えたと言えば言えるのかも知れないけれど、彼を一人前にしたのは結局のところ家康でしたからね。

言うなれば狂言回しの役目だったのかな。江はほとんど憂いてばかりでしたが、周囲の人物は活写されていたと言えますからね。特に終盤の淀殿は素敵でした。淀殿を主役に据え、妹の江は対照的な人生を歩み、幸せに暮らしましたという展開でも良かったのではと言うと叱られるかな。

そう感じるのは、やはりあまりにも良い人に描き過ぎたからなのでしょう。どんなに憤っていても、相手の言い分を聞くとすぐに納得してしまう。素直で思いやりのある人物として描きたかったのでしょうけど、生きた人物として伝わってこなかったのも事実です。むしろ、自由な立場を得た初の方が面白かったかな。

少し史実に触れておくと、兄弟仲良く過ごしていた家光と忠長ですが、このあと二人は対立する様になり、最後は家光が忠長に切腹を命じるという結末を迎えます。それは江が亡くなった後の事ですからこのドラマとは直接関係ないのですが、あまりに天下泰平を強調されると、そうでもなかったんじゃと言いたくなりますね。

また、佐治一成が江に会いに来たというのは完全に創作で、いくら何でもやり過ぎだったのではないでしょうか。たぶん、江と縁のあった人物はなるべく登場させたいという狙いがあったのでしょうけど、あまりにも非現実的に過ぎます。

ただ、一成が江と別れた後も生きていたというのは事実で、最後は京都で亡くなっている様です。享年66歳でした。また、信長の娘と結婚したという話は知らなかったのですが、ウィキペディアを見ると確かにそう書かれていますね。そうした後日談を視聴者に伝えようとしたのだろうけど、この演出はどう考えても無茶でした。

などなど色々不満はあったけれど、全46回を通してみれば、壮大な絵巻を見せて貰ったという気がしています。考えてみれば、豊臣、徳川双方を主体的に連続して描いたのは、このドラマが初めてだったかも知れないですね。その意味では江を主役に選んだのは間違いではなかったのかも知れません。戦国時代の面白さに、改めて気付かせてくれた江に感謝です。

さて、一年間このレビューにお付き合い下さり、ありがとうございました。期間を通じて頂いた沢山のアクセスを励みに、ここまで完走する事が出来ました。日曜毎に続けてきた作業が無くなるのは、ほっとすると同時に寂しくもありますね。大変な時もあったけれど、とても充実した時間を過ごせたとも思っています。登場人物と気持ちをシンクロさせるのは、歴史を追体験している様で楽しくもありましたからね。

最後に感謝の気持ちを込めつつ、ひとまず大河ドラマのレビューを終えたいと思います。

2011年11月13日 (日)

江~姫たちの戦国~44 江戸城騒乱

(江戸城。大坂の陣が終わり、大坂城が焼け落ち、秀頼と淀殿が自害したと聞き、泣き崩れる江。)

(竹千代の前で繰り広げられれる戦勝祝いの宴。竹千代に媚を売る家臣達。上機嫌の竹千代。豊臣の世が滅んだと笑顔で座を盛り上げる福。そこに通りかかった江。)

(江を見て粛然となる一堂。何事かと問う江。祝宴ですと答える福。無邪気に徳川家の勝利を祝っていたと答える竹千代。その竹千代に迫り、亡くなったのはそなたの伯母であり従兄弟だと詰る江。竹千代に代わって、力ある者が天下を治めるのが武家の倣いだと答える福。福の横面を張り飛ばす江。しかし、すぐにやり過ぎたと感じて、すまぬと謝ります。)

(冷然と、秀頼と淀殿を討てと命じたのは秀忠だったと告げる福。そればかりか、秀頼の子を探し出し、六条河原で処刑させたのも秀忠でした。衝撃のあまり倒れ込む江。)

(伏見城。諸大名に対して武家諸法度を発布する秀忠。泰平の世においては戦ではなく、法を第一として世を治めよと命じ、実質的な将軍としての第一歩を記したのでした。)

(部屋で元和という字を書いている家康。そこに、武家諸法度の発布が終わったと知らせる正純。秀忠の様子はどうだったと聞く家康。将軍に相応しく威厳に満ちて堂々としており、感服したと答える正純。)

(天下人としての権威で、元号を元和と改めさせた家康。)

(江戸城。元和という元号は世に泰平をもたらすという意味だと聞き、姉と甥を殺して得た泰平だと憤る江。そして、怒りを込めて秀忠は何時戻るのだと問います。)

(伏見城。禁中並公家諸法度の草案を見ている秀忠。そこに現れた千と常高院。千に向かって、江戸に帰る手筈になっていると告げ、常高院には千に付き添って帰り、千と江の支えとなって欲しいと頼む秀忠。)

(父に向かって、夫を殺せと命じたのは事実かと問う千。事実だと答える秀忠。夫を助ける手だては無かったのかと非難する千。黙って娘を見つめている秀忠。父は鬼だ、決して許さないと言って部屋を出て行く千。とりなそうとする常高院。それには及ばないと秀忠。)

(江戸城。食事も摂らずに仏壇に向かって拝み続けている江。自分の嫁いだ徳川に秀頼と淀殿は殺されたと非難し、千は里に夫を殺されたのだと娘を気遣う江。)

(伏見城。家康に会い、禁中並公家諸法度の草案を見たと告げる秀忠。どうだと聞く家康。公家と朝廷を武家の意のままにするための法度と見たと秀忠。天下の政を武家がまとめた上で、朝廷と公家をも守っていく、他ならぬ将軍たるそなたが天下を束ねていくのだと家康。そして、大坂の陣を終わらせた秀忠の決意を見事だったとほめあげます。はっと言って立ち去ろうとする秀忠。その背後から、豊臣の始末を任せた事に不服があるのかとと問い掛ける家康。天下が泰平となれば将軍となった思いも叶うというもの、その道を作ったのは初代将軍である家康であり、感謝するのみで恨みなど無いと答えて去る秀忠。)

(秀忠を見送りながら、恨みなど無いかとつぶやく家康。恨みではなく、悲しみだと正信。しかし、それが故に強くなったと正信。)

(一人になり、千と江との事を思い出している秀忠。)

(元和元年7月。江戸城に帰ってきた千。出迎える江、竹千代、国松たち。娘の無事を喜び、かつ労る江。江と言って抱きしめる常高院。)

(秀頼と淀殿を救えなかったと謝る千。そなたに咎はないと涙ぐむ江。誰も責める事は出来ない、起こるべくして起こった戦だと常高院。しかし、父の事は許さないと千。将軍の勤めを全うされただけだと常高院。決して許さないと千。痛ましげに娘を見つめる江。)

(秀頼の遺髪を見つめ、最後の時を思い出している千。涙ぐむ姉を見つめる竹千代。)

(常高院に淀殿の最後を聞く江。誇りを持って死んだと常高院。涙ぐむ江。淀殿から預かった手紙を渡たす常高院。泣き崩れた江に代わって手紙を読む常高院。)

(淀殿の手紙。誇りの為に死んでいく私を許して欲しい。家康も秀忠もなすべき事をしたまでの事、決して責めてはいけない。自分の死によって世に泰平がもたらされるのなら、それが一番の願いである。決して徳川を恨むな。そして初と共に仲良く生きよ。)

(聞き終わって、常高院と抱き合う江。)

(8月。江戸城に帰ってきた秀忠。廊下で出迎えず、部屋で待つ江。)

(部屋に入ってきた秀忠を型どおり労う江。無言の秀忠。)

(廊下。千は自分を許さないと言った、そなたも同じ思いであろう。淀殿を殺せと命じた事に悔いはない、しかし、あの時をもって自分の中の何かも死んだと秀忠。だから秀頼の子も殺せたのかと江。豊臣を継ぐ者は後には残せない、誰も傷付けずに太平の世を築くというのは絵空事に過ぎないと秀忠。姉は徳川を恨むなと言った、しかし、自分はどうしたら良いか判らないと泣き崩れる江。戦の無い泰平の世を作る、それが淀殿と秀頼、その子を殺めた自分出来る償いだと秀忠。夫を見つめる江。我らの子や孫が誰かを殺す事は断じてないと泣きながら叫ぶ秀忠。泣きながら夫を抱きしめる江。)

(京、高台寺。髪を下ろした龍子こと寿芳院と話し合い、江と秀忠の事を気遣う高台院。)

(江戸城。千に向かって、泰平の世を作りたいという父の思いを察してあげる事は出来ないかと諭す江。そのために秀頼は死ななければならなかったのかと聞く千。その様子を物陰から見ている竹千代。そこにやってきた国松。気まずそうな二人。)

(竹千代を振り切り、千の下に駆け寄る国松。彼は摘んできた花を千に差し出し、元気を出して下さいと励まします。その様子を見ている竹千代に気付いた常高院。)

(竹千代の話を聞いてやって欲しいと秀忠と江に頼む常高院。なにゆえと訪ねる江に、国松ばかり可愛がっていると常高院。そんな事はないと江。世継ぎの事もあり、話してみるかと秀忠。)

(夜。一家で月見をする秀忠。竹千代に向かって、武将では誰が好きなのかと問う秀忠。答えようとした竹千代に代わって、武田信玄だと答える国松。なぜだと問う江に、誰よりも強い家康がただ一人負けた相手だからだと答える国松。)

(次に、大坂の戦についてはどう思うかと問う秀忠。江を気遣いながらも、豊臣を滅ぼしたのは当然の事と答える竹千代。なぜと聞く秀忠。上手く答える事が出来ない竹千代。国松はどうだと聞く秀忠。起こっても仕方のない戦だと思う、しかし、豊臣に縁の深い母、伯母、姉の事を思うと胸が痛むと国松。なるほどと秀忠。心配げな福。)

(駿府城。家康に会い、今一度竹千代を跡継ぎとすると言って欲しいと頼む福。実権を秀忠に譲った以上、無理だと断る家康。前に言ったではないかと食い下がる福に、年を取った故に何を言ったかは覚えていないととぼける家康。絶句する福。)

(江戸城。参勤交代を献策する林羅山。その羅山に目を付けた福。)

(廊下でぶつかるという小芝居を演じ、羅山に近付いた福。酒を勧め、世継ぎについてどう考えるかと問うと、長幼の序あり、世継ぎは長男の竹千代が良いと答える羅山。それを秀忠に進言してもらえぬかと福。引き受ける羅山。喜んで羅山と酒を酌み交わす福。)

(国松に生け花を教えている千。その様子を見ながら、国松は優しい子だと江。)

(世継ぎについて、国松を推しているのだろうと江に問う常高院。その方がふさわしいと思っていると江。公平な目で見ているとは思えない、あれでは竹千代が可哀想だと常高院。親として竹千代と話すべきではないのかと常高院。)

(竹千代の部屋を訪ねた江。そこで見たのは、女の化粧をしている竹千代でした。驚いて部屋を出る江。)

(秀忠の下に行き、竹千代がと絶句する江。)

ドラマチックだった前回に比べて、まったりしたいつもの展開に戻った様な回でした。いくつかのサイトで、実質的な最終回は前回だったと書かれていたけれど、確かにそんな気もしてしまいますね。でも、跡継ぎの事を片付けないとこのドラマの主題は完結しないしなあ。

それにしても、江戸城騒乱という副題があったにも関わらず、それらしい事件は福をひっぱたいたシーンだけでした。江と秀忠の間にバトルが繰り広げられるのかと思ったのですが、淀殿の手紙が効いたのかあっさりと仲直りしてしまいましたしね。毎度のことながら、この副題はどうにかならないのかしらん?

でも、江はあんなので納得してしまって良いのかなあ。史実はともかくとして、今までのドラマの展開からすれば、秀忠がしたのは完全な裏切り行為ではないですか。それに、秀頼が生きていたら泰平の世は作れなかったと言われても、それだけでは何の説得力も無いですねえ。

秀忠の苦悩って何だったのだろう。戦国の世の倣いだというのが答えなら、最初から判っていた事ではないのかな。それを十分に承知した上で、江と何とかしようと話し合っていたのではないのかしらん?自分に責任が掛かってきたら、急に怖くなって常識論に落ち着きましたと言うのでは、江に対しては何の説得力も無いんじゃないですか。それを江があっさり引いてしまったのは、誰よりも夫思いの妻だったという事なのでしょうかね。それとも、泰平の世というキーワードで全てが解けてしまったということなのかしらん?この件に関しては、もっと二人の葛藤が描かれてしかるべきだったと思います。

せっせと積み上げた伏線を全てふっ飛ばしてしまった様な回でしたが、残りが少ない以上あまり引っ張れないのかな。やっぱりペース配分を間違えてますよ、このドラマは。

世継ぎについては、史実においても出来の良い国松を江が愛し、跡継ぎにしたがっていたと言われています。しかし、それを家の乱れの元と憂慮した家康が江に叱責の手紙を書き、考えを改めさせたとされるのですが、それに近い事は以前にドラマの中で描かれていましたよね。それをわざわざ覆して話を進行させているのですが、この先どう落とし前を付ける気なのでしょうか。

今のままではどう見ても国松の方が跡継ぎに相応しいのですが、それをどうやって逆転させるのでしょうね。林羅山と福が怪しい関係になっていましたが、朱子学の名分論で決着を着けてしまうというのかな。それとも、竹千代の内面に踏み込んで、誤解が解けたので跡継ぎにしましょうという事になるのかしらん?何にしても、あまり説得力のある答えは期待出来そうにないという気がしています。

(追記(11.14)です。前回、大詰めの段階で、家康が秀忠に豊臣家の処分について全面委任するというシーンがあり、この展開には意表を突かれましたと書いたのですが、どうやら元ネタがあった様です。というのは、司馬遼太郎さんの「城塞」を読み直してみたところ、千姫の嘆願を受けた家康が諸大名の前で秀頼の助命を提案し、それを聞いた秀忠がそれは出来ない相談だ、処分はすべて自分に任せて欲しいと言う場面がある事に気付きました。これは無論小説なのですが、たぶん下敷きになった資料が存在すると思われ、ドラマもまた同じ資料を参考にしているものと考えられます。

資料があるからと言って直ちに史実かどうかは判りませんが、ドラマにおける全くの創作ではなかったのは確かですね。

「城塞」の記述に従えば、これは秀吉から豊臣家の行く末を託されたという事実のある家康はあくまで秀頼を助けようとしたポーズを示し、直接の関わりを持っていなかった秀忠がこれに反対する事で将軍の権威を示そうとした小芝居だったという事です。また、秀忠は千姫に対して秀頼と一緒に死ぬべきだとも言っており、ドラマのキャラクターとは随分異なる人物として描かれています。まあ、こちらの方がそれこそ戦国の世の倣いという気もしますね。)

2011年10月30日 (日)

江~姫たちの戦国~42 大坂冬の陣

(慶長19年11月19日、大坂冬の陣開戦。)

(江戸城。家臣たちに、大坂から届く全ての知らせを自分に報告せよと命ずる江。)

(籠城へと追い込まれた大坂方。)

(優勢になり、一気に攻め込もうと意気込む徳川方の諸将。諸将を押さえ、幸村の築いた出城「真田丸」の優秀さを指摘し、楽観を諌める家康。)

(真田勢に押さえられ、攻めあぐねる徳川方。俄に和睦を言いだした家康。秀忠にその真意を質され、恩賞が惜しくなったなどとあくまでとぼける家康。)

(和睦の使者が来た事を知らなかった秀頼。憤る秀頼に、和睦に応じるつもりは無いと言い切る淀殿。急ぎ和睦すべきだと主張する秀頼に、この城を出るのは家康が死ぬ時しかないと言い放つ淀殿。)

(真田丸で大勝利を収めた幸村。痛手を負った徳川方。)

(3度目の籠城となる淀殿。4度目の籠城となる常高院。もう止めてはどうかと薦める常高院。後戻りは出来ないと淀殿。)

(真田丸の優勢に気を良くし、秀頼出馬を淀殿に進言する治長。ならぬと言下に拒否する淀殿。)

(鎧姿に身を固め、諸将のたまり場に現れた淀殿。淀殿の激励に意気の上がる諸将。その中で、なぜ秀頼が出てこないと訝る後藤又兵衛。なすべき事は家康の首を上げる事だけだと幸村。)

(和睦の道を探り始めた秀忠。)

(江戸城。国松を相手に、豊臣は滅びよと打ち込む竹千代。それを見て、豊臣には伯母、従兄弟、それに千が居るのだとたしなめる江。竹千代を庇い、豊臣に殺された者の目を見よ、徳川家御台なら同じ目を持てと噛みつく福。)

(幸村を討ち取ると出陣を願い出る秀忠。もうすぐ戦は終わると家康。城に向かって穴を掘らせているのだと正純。また、夜を徹して鉄砲を撃ち掛け、夜討ちかと思わせているとも。子供だましだと秀忠。次の恐怖を与える前段だと家康。)

(且元を呼び、淀殿の居場所はどこだと確かめる家康。彼はそこに向かって大砲を撃ち込めと命じます。)

(俄に襲ってきた大砲に、恐慌に陥る淀殿の侍女達。気丈に振る舞う淀殿。傷つく秀頼。そこにもたらされた和議の知らせ。)

(和睦を受け入れようと主張する秀頼。家康の命は長くない、すぐにも恥を雪ぐ時が来ると治長。泣き崩れつつ、説得を受け入れた淀殿。)

(常高院に和睦の使者を頼む淀殿。拒む常高院に、誰も信じる事が出来ない、今の願いは城を出ずに済む事だけだと打ち明ける淀殿。引き受けた常高院。)

(家康の使者阿茶の局と談判する常高院。2日後、成立した講和。)

(江戸城。戦が終わったという知らせに胸をなで下ろす淀殿。しかし、堀を埋めていると聞き、かつて秀吉が家康に語った大坂城を落とす秘策を思い出す江。)

(徳川方が三の丸から二の丸まで手を出していると聞き、なぜだと憤る淀殿。騙されたと気付いても、すでに手遅れでした。無惨な城の様子を見て歩く秀頼。)

(なぜ二の丸にまで手を出しているのかと詰問する秀忠。豊臣方は自分が死ぬのを待っている、早く仕事を済まさなければならないのだと家康。何が何でも豊臣を滅ぼさなければならないと本音を漏らした家康に、約束が違うと叫ぶ秀忠。そんな約束はした覚えがないと嘯く家康。)

(正信に頼みがあると切り出す秀忠。)

(正信の従者に紛れ、秀頼の前に現れた秀忠。驚いて人払いを命ずる秀頼。)

(秀頼と淀殿を前に、家康の真意は豊臣を滅ぼす事にある、ここは何としても生き残って貰わなければならないと力説する秀忠。豊臣の為に戦えと飛ばした檄に、一人も応じる者は居なかったと詠嘆する淀殿。城を開けて生き残る道を選んで欲しいと力説する秀忠。秀忠に感謝しつつも、最後までこの城で戦い抜くと拒絶する淀殿。)

(失意の秀忠を呼び止めた使いの者。案内された先で待っていたのは秀頼でした。)

(秀忠の文に返事を出さなかった事を詫びる秀頼。今でも考えに変わりはない、淀殿の考えを変えてくれと秀忠。なぜ母が豊臣の天下にこだわるのか判らなかった。しかし、城が壊されていく様を見て、胸が痛んだ。生まれた時から暮らした城が崩され、徳川を初めて憎いと思った、この城は自分自身なのだと秀頼。城の外にも未来はあると秀忠。城を出た時、自分は死ぬ。秀忠と話が出来た事は嬉しかった、しかしこれからは敵同士だと言い渡す秀頼。)

(一人廊下を行く秀忠の前に現れた幸村。身構える秀忠に、戦は戦場にてしようと立ち去る幸村。)

(私は間違っていないかと淀殿。しかし、秀頼だけは救うつもりだと淀殿。)

(江戸に帰った秀忠。出迎えた江が見たのは、無精ひげを生やし、悄然とした秀忠でした。崩れ落ちながら、江に詫びを言う秀忠。訝る江。)

今回は副題どおり大坂冬の陣が描かれました。このドラマにしては珍しく、戦いの経過が比較的克明に再現されています。

まず冒頭の木津川口砦の戦いですが、これは大坂方が城の周辺に築いた砦を巡る戦いでした。

開戦に先立ち、幸村はいきなり籠城するのではなく、まず畿内を押さえた上で近江に兵を出し、瀬田川を挟んで戦うべきだと主張しました。そこで徳川方に一勝し、大軍を立ち往生させる事が出来れば、大坂方強しと観て豊臣方に内通して来る者が出て来るはずという目論見でした。後藤又兵衛らも賛同し同様の案を出したのですが、大野治長がこれに反対し、当初から難攻不落の大坂城に籠もるという策に落ち着きました。

その籠城に際して、大坂方は城の周囲に小規模な砦をいくつか築き、前線の守りとしたのですが、その一つが木津川口砦でした。この砦の守備兵はわずか800という小規模なもので、幸村は大軍に対してこの様な脆弱な砦を築く事に反対したと言われます。実際、この砦の存在に気付いた鉢須賀勢3000に襲われ、砦は瞬く間に落ちてしまいました。

これに続いて鴫野・今福、博労淵、野田・福島などの砦で相次いで戦いが起こったのですが、いずれも大坂方の敗退に終わっています。結果として治長が築かせた砦は幸村が危惧したとおりとなり、徒に兵を損耗しただけに終わっています。

次に真田丸についてですが、ドラマにあったとおり大坂城の唯一の弱点とされたのが南の守りでした。大坂城は上町台地に築かれているのですが、北は淀川、東は大和川(今は東流して堺市の北で大坂湾に注いでいますが、昔は北流して淀川と合流していました。)、西は大阪湾に囲まれており、それぞれが防衛線となっていました。ところが、台地の続きである南側には盾とすべきものが無く、秀吉もその手当てには頭を悩ませていたとされます。無論、堀はあったのですが、大軍で囲まれると心許ない場所でした。

自然、徳川方の主力も南側に集中し、前田、伊達、井伊、榊原、藤堂などの諸大名が布陣していました。この南の守りの任に就いたのが幸村で、城の南に真田丸と呼ばれる出丸を作ってその中に籠もりました。この真田丸は堀と何重もの柵に囲まれた一種の要塞で、夥しい銃が配されていたと言います。

ドラマでは絵図の中にだけ記されていましたが、この出丸の前に笹山という小さな丘があり、幸村はここにも柵を築いて兵を籠めていました。

この方面に対する家康の指示は真田丸を力攻めにはせず、野戦陣地を作ってそこから大砲を撃ちかけよというものでした。この陣地を担当したのが前田利常だったのですが、笹山からの妨害にあって陣地の構築が思う様に進みませんでした。

そこで利常はまず笹山を奪う事を考え、これを夜襲しようとします。ところが真田方ではあらかじめこの動きを察知しており、笹山から兵を全て引き上げていました。そうとは知らずに無人の丘に攻め上った前田勢を、真田方はさんざんに嘲弄します。この挑発に乗った前田勢は、そのまま真田丸に攻め掛かりました。

幸村は前田勢が出丸の石垣に取り付くまで引き付けておき、頭上から一斉に銃撃を浴びせかけます。この攻撃で前田勢は大損害を食らったのですが、この前田製の動きにつられて徳川方の諸隊が次々に真田丸に押し寄せました。幸村はこれらの敵勢を十分にに引き付けては銃撃するという戦法を繰り返し、徳川方に数千に上る損害を与えたと言われます。

この敗報は1万5千の損害という数字に膨らんで諸方に飛び、世間に徳川方の敗北を印象付けました。ドラマで治長が、やがて豊臣に味方する大名が出て来るに違いないと狂喜していたのも無理はなかったのですね。しかし、幸村の勝利も全体から見ると局地戦の勝利に過ぎず、大勢を決するまでには至りませんでした。

なお、秀忠が真田丸を攻めると言ったのは史実にあるとおりですが、ドラマにあった様に停戦を目指したものではなく、あくまで攻勢を貫くためでした。しかし、和議を考えていた家康に一蹴され、沙汰止みとなっています。

和議の決め手となった本丸への一斉砲撃は、ドラマにもあった様に淀殿への心理的圧迫を狙ったものでした。城の周辺から多数の砲弾が撃ち込まれ、その内の一発が淀殿の居室近くに着弾し、7、8人の侍女が即死したと言われます。

また、これもドラマにあった夜を徹しての銃撃や、坑道に依る攻撃も実際に行われています。いずれも現実の効果は薄く、あくまで心理戦を狙っての事でした。

こうした心理戦に加えて、城方では兵糧、弾薬共に不足を生じ始めており、和議に応じようという動きになった様ですね。この時、ドラマにあった様に治長は、家康の寿命は長くないと言って秀頼を説得したとされています。

城方の代表として常高院が選ばれたのはドラマで描かれたとおりで、徳川方の代表として阿茶局が出て来たのも史実にあるとおりです。ただし、常高院を指名したのは家康であったとされ、ドラマの様に淀殿が頼んだという訳ではなかった様ですね。

談判が行われたのは、京極忠高の陣でした。つまり、常高院の義理の息子の陣ですね。彼はこの時、徳川方の将として城攻めに加わっていました。彼は義母が籠もる城を攻めていた事になりますが、城方の代表となった常高院もまた相当に複雑な立場にあった事が判ります。しかし、だからこそこの場にある事が相応しかったとも言えそうですね。

この談判は2日に渡って行われ、一日目の談判は不調に終わり、二日目に修正案が出されてようやく締結に及んだと言われます。その条件とは、

1.本丸を残して二の丸、三の丸を破壊し、外堀を埋める。
1.淀殿を人質とはしない。
1.大野治長、織田有楽斎それぞれより人質を出す。

という事でした。また、了解事項として、外堀は徳川方が埋め、二の丸、三の丸は豊臣方が埋めるという約束があったものと思われます。しかし、徳川方は20万の軍勢を使って一斉に作業を始め、瞬く間に全ての堀を埋めてしまったのでした。これに対して、治長は抗議を申し込んでいるのですが、相手にされずに終わっています。

その後、秀忠が秀頼親子に会いに行ったというのは荒唐無稽な創作ですが、このドラマにおける秀忠らしさは出ていたと思います。正信の家臣に化けて行ったというのは、昔見た時代劇の様で面白かったですし、江との約束を果たすべく、真摯に秀頼親子を説く姿には好感を持てました。ただし、現実の秀忠は、そんな事はかけらも思っていなかった事でしょうけどね。

そして、城が壊されるのを見て、初めて徳川が憎くなったという秀頼の心理描写も面白いですね。これまで意外な器量者として描かれていた秀頼が、一転して城に依存した弱者に一変してしまいました。秀頼が城から出たのは二条城に行った時だけと言われており、その生い立ちを考えればこういう心理描写も有りかなとは思います。でも、あの凛々しい秀頼はどこに行ったんだとも思ってしまいますね。

最後に、淀殿の鎧姿は似合っていました。これから先、宮沢りえに、こんなオファーが来るかも知れませんね。

次回は大坂夏の陣が描かれる様です。副題も「淀、散る」と衝撃的ですね。絶望的な戦いの果てに訪れる淀殿、秀頼親子の最期がどう描かれるか、じっくりと見てみたいと思います。


2011年10月23日 (日)

江~姫たちの戦国~41 姉妹激突!

(江戸城。暴慢さが目立つ竹千代。)

(福を呼び、竹千代の教育方針について問い質す江。上に立つ者として、ある程度の暴慢さも必要だと嘯く福。竹千代はまだ世継ぎと決まった訳ではないと家康の言葉を伝える江。驚く福。竹千代を誰からも好かれる男子に育てよと命じる江。慌てて下がる福。それを陰で聞いていた竹千代。)

(近習とすごろくで遊ぶ国松。そこにやって来た竹千代。すぐに済むから次にと言う国松に向かって、今すぐやりたいのだと言って近習を押しのける竹千代。とまどう国松。賽子を庭に投げつけ、国松を睨み付ける竹千代。)

(将軍になって10年目の秀忠。しかし、依然として家康の許可が無ければ何事も進まない状態が続いていました。)

(竹千代の事を秀忠に相談する江。それどころではない様子の秀忠。話題を豊臣の事に変える江。特段の動きはないと秀忠。もう諦めたのだろうかと聞く江に、豊臣と徳川が並び立つという願いは無視されていると秀忠。そして、親父は73だったか、なかなか死なないとつぶやき、死なないならこちらから動くと秀頼に宛てた文を書く事を思い立ちます。)

(秀忠の書いた文には、秀頼が関白に就き、秀忠が将軍としてそれを支え、共に世を治めて行くという構想でした。)

(嬉しそうに秀忠の書いた文を眺める江。その江に、夫の気持ちに嘘偽りはないという文を書いてくれと頼む秀忠。)

(駿府城。秀忠の構想を家康に問う正純。主が二人居ては天下が乱れるばかりだと一蹴する家康。そして、まずは秀頼を一大名として臣下に置く事だ、そのためには大坂城から引きずり出し、大阪、堺の商人、そして朝廷から遠ざけなければならないと自らの構想を語ります。家康が悩む問題はその口実をどうするかでした。)

(大坂城。つかの間の平穏を楽しむ秀頼と淀殿たち。そこに、方広寺の鐘の撞き初めが終わったと報告に来た且元。あとは8月3日の開眼供養を待つばかりでした。)

(且元を見送り、豊臣が進めている社寺の修復事業について、背後で家康が動いている、あれは豊臣の財力を削るためのものではないかと案ずる治長。それしきの事で大坂城の金銀が減るものではないと受け流す秀頼。そして、修復事業は秀吉が殺めた幾多の人々に対する供養として、豊臣家が何よりも行うべき事だと治長を諭します。)

(駿府城。家康の前に方広寺の鐘銘の写しを広げ、「国家安康」「君臣豊楽」の文字を示して、家康を呪い、豊臣の繁栄を願うものに外ならないのではと問う正純。)

(大坂城。徳川からの詰問状に、言い掛かりだと吐き捨てる淀殿。鐘を鋳造する前に駿府に鐘銘も届けてあると且元。ならば家康も知っていた筈と淀殿。それでも弁明に努める他はない、抗弁すれば戦を仕掛ける口実とされると秀頼。受けて立つまでだと憤る淀殿を宥め、今一度駿府に行ってくれと且元に命ずる秀頼。くやしくはないのかと問う淀殿に、今は耐えようと答える秀頼。)

(夜、治長に戦支度を命ずる淀殿。)

(江戸城。家康の言い分は言い掛かりだと憤る江。親父はどうしても豊臣を追い詰めるつもりらしいと秀忠。どうすれば豊臣を救えるのかと江。豊臣が一大名になる事を甘んじる事と秀忠。それは姉がとても受け入れないだろうと江。それとも家康が先に死ぬ事かと秀忠。秀頼に宛てた文はと問う江に、届いている筈だがと答える秀忠。)

(駿府。城近くの寺で、ずっと待たされている且元。)

(大坂城。なかなか戻らない且元にしびれを切らし、私とが行くと立ち上がる淀殿。淀殿を宥めるため、秀忠と江から届いた文を差し出す秀頼。これが本当なら先に光が見えてくると淀殿。その文で、自分も夢を持つ事が出来たと秀頼。夢とはと問う淀殿に、自分一人では無理でも秀忠と二人でならこの世を泰平に出来ると答える秀頼。)

(二人のやりとりを見ていて、自分が行くと言い出す常高院。行き掛かり上、私が行きますと名乗り出る大蔵卿局。)

(廊下にて、母に向かって家康に会うという事がどういう事か判っているのかと突っかかる治長。豊臣に掛けられた疑いを晴らす事だと大蔵卿。相手は家康、母が敵う相手ではないと詰る治長。行くと言ってしまったと大蔵卿。こうなったら行って疑いを晴らして貰うしかないと開き直る治長。気が重くなってきたと大蔵卿。)

(駿府城。家康に拝謁している大蔵卿。彼女に向かって、豊臣をおろそかにするつもりなどなく、案じるには及ばないとやさしく伝える家康。)

(大坂城。大蔵卿の報告を聞き、安堵する秀頼と淀殿。そこに帰って来た且元。彼は徳川から難題を突きつけられたと言って、家康の書状を取り出します。そこには、大坂城を明け渡すか、淀殿または秀頼の身柄を江戸城に移し、徳川に二心なき証しとすべしと書かれていました。ここで事を荒げては戦となると迫る且元に、それは家康自身から聞いたのかと問う秀頼。しかし、且元が会ったのは正純でした。大蔵卿の話を聞き、真の事とは思えないと且元。)

(大蔵卿は家康に会い、且元は会えなかったのなぜだと秀頼。よもや寝返ったのではあるまいなと問い詰める淀殿。必死に否定する且元。ならば何故話が食い違うのかと詰問する淀殿。言い澱む且元。それぞれに違う答えを持ち帰らせ、こちらを混乱させる策かも知れないと家康の魂胆を見破る秀頼。それに違いないと同意する且元。)

(何にせよ、且元の言った事に従うつもりはないと言い切る淀殿。駿府に答えを持ち帰らなければと食い下がる且元を、下がりおれと一喝する淀殿。)

(寝返りの疑いを掛けられ、大坂城を退去した且元。)

(駿府城。且元が大坂城を離れたと報告し、これは話し合いを拒んだ事に他ならないと進言する正純。そして、治長がしきりに大名達に近付き、戦支度わしているとも報告する正純。これは黙っている訳には行かないと、諸大名に出陣を命ずる家康。)

(江戸城。豊臣と戦と聞き、愕然とする江。家康の狙いは豊臣を一大名に落とす事にあり、命まで奪う事はしないはずと秀忠。そして、そのために大阪に行くのだと言い切ります。)

(大坂城。秀忠からの文を手に、一人佇んでいる秀頼。)

(10月。戦支度で賑わう大坂城。)

(秀頼に、彼らを関ヶ原浪人だ、その数は10万を超えていると説明する治長。なぜ大名が集まらぬと不満げな淀殿。徳川を気にしての事だろうと言いよどむ治長。その徳川に叛旗を翻そうという骨のある大名は居ないのかと声を荒げる淀殿。この城は秀吉が築いた天下無双、どれぼとの兵が押し寄せようともびくともしないと話をすり替える治長。)

(どうしても戦は避けられないのかと秀頼。今更何をと淀殿。自分からもお願いする、千が哀れでならないと常高院。秀忠との約束もあると秀頼。その様な約束はもはや無きもの、この城は戦場となると冷たく言い放つ淀殿。そして初に向かって、千を連れて城を出るが良いと言います。その時、嫌ですと叫ぶ千。私は秀頼の妻だと言う千。自分も姉の側に居ると言う常高院。父と祖父に文を出したと千。江に文を書いたと常高院。有り難いが、既に戦は始まっていると淀殿。和平を諦めてはいけないと叫ぶ常高院。その声が聞こえなかった様に、江と敵味方に分かれる日が来ようとはなとつぶやく淀殿。すすり泣く千。その時知らせが入ります。嬉しそうに叫ぶ治長。)

(秀頼たちの前に現れた浪人の一行。それは幸村の一党でした。上田城の戦いで天下に名を馳せた名将、これ以上無い味方と紹介する治長。有り難いと思いますと淀殿。なぜか浮かない様子の秀頼ですが、絞り出す様な声で礼を申すと声を掛けます。宿敵徳川を相手とするのは、この上なき幸いと答える幸村。)

(江戸城。正信から幸村が大坂城に入ったと聞き、関ヶ原での悪夢が甦る秀忠。その心を見透かした様に、あの時の仇を討てるかもしれないと正信。そして、10万の兵が城に入った以上、かつて無い厳しい戦いになるかもしれないと楽観を諌める正信。)

(10月23日、出陣する秀忠に、天下布武の印判を持たせ、無事を祈る江。二人の息子に向かって、敵は伯母であり、従兄弟であり、さらには姉も居る。しかし、全ては天下泰平のために動いていると信じている言い、留守を頼むと伝える秀忠。出陣する秀忠に、よろしく頼みますと伝える江。)

(京、二条城。集まった諸大名を前に、此度は戦をするではなく、戦の火だねをもみ消す為に来て貰ったのだと切り出す家康。10万の浪人が大坂城に押しかけ、天下に争乱をもたらそうとしている。秀頼の嘆きはいかばかりかと言い、かくなる上は大坂城を囲み、力ずくで和議を結ぶ他はないと秀忠は考え、それに応えるべく自分も駿府から出て来たのだと諸侯に語りかける家康。そして、諸侯が集まった事を秀頼は力強く思い、あとはその働きに期するのみだと語り終える家康。)

(20万の軍勢で大坂城を囲んだ家康。どこから攻めようかとつぶやく家康に、和議の為に囲んだのではないのかと問う秀忠。豊臣が一大名に降りてくれればそれで良い、しかし場合によっては戦もやむなしと言う家康。豊臣と徳川が並び立つという自分の案について問い質す秀忠に、言下に無いと否定する家康。天下を泰平にするために、自分の思いを通すと言う秀忠に、これは天下を泰平にするための戦だと諭す家康。そして、自分にとってこれが最後の戦となるとつぶやく家康。)

(11月19日、開戦。)

(江戸城。姉たちの無事を祈る江。)

今回は大坂冬の陣の前夜が描かれました。

まず冒頭に出て来た社寺の復興ですが、秀頼の名で再建された社寺は近畿を中心に全国に広がり、85件に上ると言われます。この事業の文化的意義は大きいと言われ、応仁の乱以降失われ、荒れ放題だった社寺の多くが秀頼のおかげで復興を遂げています。主なところで言えば、北野天満宮本殿、相国寺法堂、東寺金堂などがそうですね。

この事業は家康が薦めたと言われ、豊臣の財力を削ろうという狙いがあったとされます。実際、夥しい費用が掛かったと思われますが、秀吉の残した財産はそれに数倍するものがあったらしく、ドラマにあった様に豊臣氏の経済を傾けるという程には至らなかった様です。

次に、方広寺鐘銘事件ですが、ドラマでは本多正純一人で組み立て様になっていましたが、実際には金地院崇伝という僧侶を中心に、林羅山、南光坊天海など家康の側近のブレーン達によって仕組まれた罠でした。

この鐘銘を書いたのは文英清韓という僧侶で、東福寺や南禅寺の住職を勤めた高僧です。豊臣氏とは縁が深く、世が大きく徳川氏に傾いたこの時期でも秀頼の顧問を勤めていたと言われます。先に掲げた崇伝もまた南禅寺の僧侶で、この清韓とは対立関係にあったとも言われますね。この銘文がことさら狙われたのも、そういった事が関係していたのかも知れません。

この鐘銘事件にあたっては、徳川方は京都の五山の僧侶に意見を求めているのですが、そのことごとくが清韓の非を鳴らすものでした。これはあらかじめ徳川方が手を回してあったとも言われますが、それによって単なる言い掛かりではないと権威付けられたのは確かです。

しかし、この銘文自体を本気で問題視していなかった事は、事件後も鐘がそのまま存置された事を見ても明らかで、本当に呪われたと思っていたのなら、きっと有無を言わさずに鋳つぶしてしまっていた事でしょう。実際、家康は豊臣方の言い訳には関心が無く、ドラマにあった様に大坂城を明け渡すか、秀頼か淀殿が江戸に出て来るという条件を突きつけています。要するに、鐘銘はこの条件を出す為のきっかけを作ったに過ぎず、役目を終えればどうでも良かったのでしょう。

ただ、銘文を書いた清韓は無事では済まず、南禅寺を追われた上、住まいとしていた東福寺の天得院は破却されてしまっています。ちなみに、この天得院は後に再建され、今では桔梗の寺として親しまれていますね。

この事件の時に使者となった且元と大蔵卿局の二人に対し、家康が別々の回答を与えたというのも史実にあるとおりで、大坂方を混乱させる事が目的でした。そしてその結果、且元が大坂城を退去した事もまた開戦のための口実としたのです。このあたりの家康の腹芸は見事としか言い様が無いのですが、そのあまりのあくどさ故に、後世に至るまで狸親父の悪名を着る事になったのでした。

豊臣方の誘いに乗って大坂城に入った真田幸村ですが、かつて真田家の人質として大坂城に住んでいた事があり、秀吉近くに仕えていたとも言われます。ですので、淀殿とは顔見知りだった可能性もありますね。関ヶ原の戦いで西軍の将として戦った大谷吉継の娘を妻としており、その事が父昌幸と共に西軍に付いた要因の一つとなったとも言われます。

関ヶ原の戦いの後は父と共に紀伊国の九度山に配流の身となっており、昌幸は大坂冬の陣の3年前に亡くなっています。この当時幸村の名はさほど知られておらず、戦の名人としてその名が轟いていたのは昌幸の方でした。実際、幸村が戦ったのは関ヶ原の戦いの時くらいの様ですからね。しかし、真田氏一族の出という事で、豊臣方の期待は大きいものがあった様です。

大坂城に入った浪人衆の中で特に有力な武将は大坂五人衆とも呼ばれ、幸村の他に後藤又兵衛、長宗我部盛親、明石全登、毛利勝永が居ました。この中で最も高名だったのが後藤又兵衛で、黒田家の家臣として活躍し、知勇を兼ねた武将として知られていました。たぶん、実戦経験も群を抜いて豊富だったんじゃないかな。

幸村は確かに有名な武将ですが、彼ばかりが強調されるこのドラマには少し違和感を感じますね。まあ、いまさら5人衆を出しても煩雑なだけという気もしないではないですが。

秀忠が秀頼に手紙を書いたというのは創作ですが、それを拠り所とするしかなかったドラマの秀頼というのも、何だか哀れに思えましたね。史実とはまるで違うとは判っていても、あの思いが通じていたらと、ふと思ってしまいます。

次回は大坂冬の陣、再び家康の悪辣さが発揮される戦いですね。そして幸村の活躍は描かれるのかしらん?淀殿の甲冑姿もあるらしいので、いろいろ楽しみな回ではあります。

2011年10月16日 (日)

江~姫たちの戦国~40 親の心

(慶長16年、夏。竹千代を巡って福と折り合いの付かない江。母よりも福に懐いている竹千代。)

(竹千代について、何か間違ってしまったのだろうかと気に病む江。そんな江を励ます国松。その様子を物陰から見ている竹千代。それを見た大姥局が江の下に行くように薦めますが、竹千代は逃げてしまいます。)

(父、家康との関係を思い悩んでいる様子の秀忠。)

(秀頼との対面以来、ますます政務に励むようになった家康。駿府で方針を決めた事を江戸の秀忠に伝え、実務化させるというのがこの頃のやり方でした。)

(家康からの命に、何が隠居だとぼやく秀忠。何事も学ぶべき時だと諭す正信。家康が命じてきた諸城の修築は、大坂城を囲い込むためのもので、来るべき戦に備えてのものだと見抜く秀忠。豊臣についての意見はと正信に聞かれ、無論あると答える秀忠。その意見を家康に伝えてはと言われますが、聞く耳を持たぬ相手に話したくもないと言って席を立ってしまいます。)

(大坂城。側室との間に出来た男の子と遊ぶ秀頼。その様子を見守る淀殿と常高院。家康との関係について、今は取り立ててないが、何か企んでいるに違いないと淀殿。)

(子供と遊ぶ秀頼を、物陰からじっと見ている千姫。それに気付いて、千が哀れではないのかと問う初に、千はまだ妻とは言えないと言い切る淀殿。)

(千の下を訪れ、何でも話して欲しいと語りかける常高院。それに答えて、自分も秀頼の子を産みたいと言う千。その一方で、淀殿は自分を妻として相応しくないと考えているのではとも言う千。何も言えない常高院。)

(江戸城。剣の稽古に励む国松。その様子を見て、自ら相手になってやる秀忠。そこに通りかかった竹千代。)

(今度は竹千代の相手をしてやる秀忠。しかし、一太刀合わせただけで転び、立ち上がれない竹千代。助けに駆け寄る国松を払いのけ、福に抱きつく竹千代。その竹千代が怪我をしていると言って、部屋に連れて帰ろうとする福。竹千代に向かって、いつても相手になるぞと声を掛ける秀忠。黙って帰ろうとする竹千代に、竹千代はひ弱いなという秀忠の独り言が聞こえてしまいます。はっとして振り返る竹千代。その様子に気付かずに、国松と相撲を取り始める秀忠。)

(国松が跡継ぎになるのではないかと噂し始める侍女たち。それを聞いて驚いた様子の福。)

(竹千代の健康祈願のためにと、伊勢参りを願い出る福。)

(福の居ない間、竹千代と二人で過ごせると期待した江。しかし、竹千代は落ち着かず、福を探し求めて叫ぶばかりです。)

(国松が跡継ぎになるのではないか、だとすれば今の内に機嫌を取っておかねばならないと噂している家臣達。それを聞いて叱りつける大姥局。)

(駿府城。家康に拝謁している福。かの女は、秀忠と江が国松を贔屓にしている事、そのせいで竹千代が傷ついている事、さらに国松が跡継ぎになるという噂が広まっている事などを訴えます。福に対し、竹千代を囲い込み過ぎているのではないかとたしなめつつ、跡継ぎの事は考えていると答える家康。)

(10月。江戸城。久しぶりに帰った家康は、秀忠以下一同を前に、徳川の跡継ぎは竹千代とすると宣言します。怪訝な様子の秀忠。嬉しそうな福。)

(なぜ秀忠の跡継ぎまで家康が決めてしまうのかと江。あの人は何でも自分で決めてしまうのだと秀忠。)

(家康の部屋。竹千代を跡継ぎに決めたという事は、次の将軍までも決めたという事かと聞く江。これ以上、豊臣を追い詰めないで欲しいと願う江に、竹千代を跡継ぎに決めた訳ではないと答える家康。そして江に対して、跡継ぎを巡って江戸城内が浮き足立っていると聞く、江戸を任せているのにその様な事でどうすると伝えよと告げる家康。)

(ぬけぬけと親父めと、あきれる秀忠。国松が跡継ぎという事もあり得るのかと江。そして、竹千代は可愛いが、跡継ぎには聡明で闊達な国松の方が相応しいと考えると秀忠に告げる江。生返事で答える秀忠。)

(竹千代の部屋。竹千代を寝かしつけ、天下を担われるお方だと語りかける福。そこに現れた大姥局。)

(伊勢参りと偽り、駿府で家康に直訴した事を責める大姥局。そして、竹千代は乳母の子ではない、乳母は母と子を繋ぐのが役目だと諭します。その後、突然苦しみ出す大姥局。)

(部屋で寝かされてる大姥局。彼女が目を覚ますと家康が見舞いに来ていました。あわてて起きる大姥局。局を労る家康。そこに現れた江。江に後を託し、出て行こうとする家康。その家康を引き止め、申し上げたい事があると言い出す局。)

(局の話とは、秀忠とゆっくり話し合ってもらいたいという事でした。あいつは心を開かないと渋る家康。それは家康の心が引いているからだと局。打ち消されると判っていて心を開く子は居ないと言う局に、うなずく家康。そこに入ってきた秀忠。気まずげに出て行く家康。)

(また苦しみだした局。駆け寄る秀忠に、自分の遺言と思って家康と心を開いて話し合って欲しいと願う大姥局。しぶる秀忠に苦しんで見せ、今すぐにと迫る局。慌てて家康の下に急ぐ秀忠。しかし、それは局の芝居でした。江を見て上手く行ったと笑う局。そこに戻ってきた秀忠。慌てて芝居をする局。)

(そんな局を労り、そなたは生みの母よりもずっと母であったと礼を言う秀忠。勿体ない事と泣き崩れる局。)

(自室で考え込む家康。そこにやって来た秀忠。)

(縁側で、月見の宴を開いた家康と秀忠。家康が飲んでいる酒に目を止めた秀忠。飲むかと薦める家康。一口飲んでむせ返る秀忠。まむしの酒だ、まだまだ保たさなければならないからなと答える家康。それは世を治めるためかと問う秀忠に、徳川を守り繫いでいくためだ、そのためには何でもすると答える家康。)

(たまには腹を割って話してみよと家康。ならばと、豊臣を追い落とすつもりかと聞く秀忠。徳川を守る為ならなと家康。我が家さえ栄えれば良いと考えているのかと吐き捨てる秀忠。そなたならどうすると問い返す家康に、豊臣と徳川が並び立つ道を考えると答える秀忠。それは無理だと言下に否定する家康。)

(豊臣が一大名に甘んずるというならともかく、それは淀殿が受け入れないだろうと家康。それは豊臣への恨みか、臣従させられた事、国替えをさせられた事などが積もり積もって、秀頼や淀殿に向けられているのではないかと問う秀忠。それは本気で言っている訳ではないだろうと笑い飛ばし、徳川と豊臣が並び立つなどあり得ぬと否定する家康。やってみなければ判らぬと語気を荒げる秀忠。)

(秀忠の方に向き直り、この世には知恵と力を尽くしても、どうにもならない事があるのだと語りかける家康。父上には時間が無い、それゆえ焦っているだけだろうと秀忠。そうかもしれないと言いつつ、きれい事を並べるだけでは物事は前に進まないと譲らない家康。立ち上がり、こうして話し合って判った事がある、それは話してもわかり合う事はないという事だと言い捨てて立ち去る秀忠。)

(大坂城。淀殿に、千と名実共に夫婦になりたいと願い出た秀頼。語気を荒げて、まだ早いと許さない淀殿。しかし、秀頼は、千は自分の正室であり、徳川家から貰った飾り物ではないと反論します。それを聞いて、好きにせよと答える淀殿。)

(千の髪に花を挿してやる秀頼。嬉しそうな千。その様子を見守っている常高院。その横に立ち、千には秀頼の子を産ませたくなかった、それは徳川と豊臣が戦になった時、千が二つに引き裂かれてしまうからだと淀殿。そのような事にはしないで欲しいと叫ぶ常高院。徳川が何を仕掛けてこようとも、天下は豊臣のものだと言い切る淀殿。では戦になっても構わぬのかと常高院。私の覚悟は変わらないと淀殿。)

(江戸城。正信から家康が駿府に帰ったと聞く秀忠。そこに現れた林羅山。彼は豊臣についての秀忠の意見をまとめ、駿府に伝えるようにと家康から命じられていました。意外そうな秀忠。)

(大姥局を見舞う江。身体を壊した以上、暇乞いをするという局。そして、江に竹千代の母である事を忘れないで居て欲しいと頼みます。あの子は心を開かないと嘆く江。家康と同じ事を言うと笑う局。何があっても自分を見ていてくれる親があって初めて子は安心するのではないかと説く局に、うなずく江。)

(福と鞠遊びをしている竹千代。その様子を廊下から見ている江。その江の下に鞠が飛んでいき、竹千代が取りに行きます。その竹千代の手を取り、母と話をしないかと語りかける江。しかし、竹千代は福を顧みて、福が呼んでいるからと言って母の下から去っていきます。顔を曇らせる江の下に、馬の絵を描いたと言って国松がやってきます。その絵を見て、上手く描けたと褒めてやる江。その様子をじっと見ている竹千代。)

今回は家康と秀忠、秀忠、江と竹千代、国松、淀殿と秀頼、それぞれの親子関係がメインテーマでした。歴史的な流れからすると小休止の様な回ではありましたが、家族関係をメインテーマとするこのドラマにあっては重要な回だったのでしょう。

このうち、江が竹千代より国松を大事にしていたという事は、古文書によって確認が出来るそうです。それは家康が江に当てた文書で、家康訓戒状と呼ばれています。

そこにはまず国松が聡明な生まれつきであり、江が秘蔵っ子として可愛がっていた事が記されています。その事は良いとした上で家康は、大名の惣領は格別な存在であり、次男より下は家来として申し聞かせて育てるべきであると言い切っています。そして、次男が勢威あるのは家の乱れの元であると言い、国松が力を持つ事を諌めました。

戦国時代を通じて大名の跡継ぎは、必ずしも長男が継ぐというものではなく、複数の候補者の中から力のある者を選んで継がせるという事が多かった様です。そうでもしない限り、実力で争い合う世の中にあっては家を保てなかったからなのでしょうね。その一方で、跡継ぎを巡る争いが絶えなかったのも事実で、相続権を決めるという事は大名家にとっては常に頭の痛い問題でした。家康自身、長男の信康を失った後は、次男の秀康ではなく三男の秀忠を跡継ぎにしている程ですからね、厳密に決まったルールというものは徳川家にあっても存在しなかったのでしょう。

家康は、竹千代と国松の問題を長幼の序という形でけりを付けると共に、将来に渡ってお家騒動が生じる可能性を無くしておこうとしたのだと言われます。

ここで面白いのは、家康はわざわざ江に宛てて手紙を書いている事で、この件に関しては江の存在が秀忠よりも大きかったのかなと思ってしまいますね。つまり、国松をより可愛がったのは江であり、秀忠はそれに引きずられる形で国松に気持ちが傾いていたのかなと想像出来るのです。この問題の鍵を握っていたのは、きっと江だったのでしょうね。

この書状によって、福との間に確執があったであろう事も想像が付きます。国松にも乳母が居て、その点では竹千代と同等だったのですが、子供の資質の違いという点で江の気持ちは国松に傾いたのでしょう。戦国の風を引き継ぐ江としては、当然の事だったと言えるかも知れないですね。しかし、竹千代の側に立つ福が危機感を持ったのもまた当然で、彼女はドラマであった様に家康に直訴に及んだとも言われています。結果として家康は福の側に軍配を上げた事になり、このことは後に福が絶大な権勢を得る遠因ともなったのでしょうね。

一つ判らないのは、ドラマの中で家康が竹千代を跡継ぎに決めた訳ではないと言っていた事で、後の展開の伏線なのかなと思ってしまいます。いくら何でも、あの展開であの言い方をすれば、混乱の元にしかならないのは明白ですからね。どんな仕掛けを考えているのかしらん。

千姫と秀頼、そして淀殿との関係については、仲睦まじかったとも、反対に常に冷え切っていたも言われており、正確な事は判らないというのが実情の様です。

千姫の立場というのは微妙なもので、秀頼の正室であると同時に家康の孫であり、その家臣は徳川から来た者達です。その家臣は、場合によっては大坂城内の事を江戸に伝える間諜の役目も果たして居た事でしょうね。

淀殿にしてみれば、千姫に対しては姑であると同時に伯母でもあり、それだけでも複雑な心境だった事でしょう。その上に、千姫の背後には常に徳川の目があると意識せねばならず、とても仲睦まじくとは行かなかった様にも思えます。かと言って虐めていたのかというと、そういう証拠も無いのですね。結局のところ、相当に微妙な関係にあったのだろうなと想像が付くという程度に止まります。

秀頼と千姫に関しては、11年間一緒に暮らしながらも子がなかったという事実から、二人の間には夫婦関係が無かったのではという推測がなされています。後に千姫は数人の子を産んでおり、秀頼もまた側室との間に子が居ました。つまり、仲の良い夫婦なら子ができない訳がないと言うのですね。

その一方で、千姫の成人の儀式である鬢そぎを秀頼が行ってやったという話も伝わっており、幼女であった千姫の成長を待って夫婦となったという見方もあります。ドラマはこの説に添った展開を選んだ様ですね。どちらが正しいのかは、これもまた藪の中と言うよりないというのが現状の様です。

家康と秀忠の関係については、全くの創作と言うより無いでしょう。でも、ドラマの展開として、そろそろ折り合いを付けるのかと思っていたら、あくまで意地張り通したという所に秀忠らしさか現れていました。その後に家康が林羅山を置いていったのは、大姥局の働きが効いた結果だったのでしょうか。

来週はいよいよ大坂の陣が描かれる様です。そして、その前に方広寺鐘銘事件も出て来る様ですね。そこには林羅山も絡むはずで、秀忠の意見とやらがどう反映されるのか見物だと思っているところです。

2011年10月 2日 (日)

江~姫たちの戦国~38 最強の乳母

(慶長9年7月、5人目にして初めて男子を産んだ江。跡継ぎ誕生に喜ぶ大姥局。)

(寝所にて、さっそく赤子は竹千代と名付けられました。周囲の期待に応えた事でほっとした江と秀忠。)

(そこに乳母の福が現れます。あいさつもそこそこに、竹千代を抱いて掠うように部屋を出て行く福。やや呆然と、あの者は何かと聞く江。大姥局に依れば、家康自らが選んだ乳母で、福が諸芸に秀でている事は元より、夫が家康にとっての恩人であるとの事でした。)

(福の夫は稲葉正成といい、小早川秀秋の家老を務めていました。関ヶ原の戦いの時に寝返りを薦めたのが正成であり、家康にとっては勝利をもたらした恩人になると言うのです。福は後の春日局であり、江にとって因縁の相手となるのでした。)

(竹千代誕生の知らせは、若狭の初の下、大坂の淀殿の下にも届けられました。初姫、千姫それぞれにとっても弟の誕生でもあったのです。その一方で、秀忠の嫡男が生まれた事で家康が心変わりするのではないかと気がかりな淀殿。)

(伏見城。竹千代誕生の知らせに喜びつつ、前に進めという事だなとつぶやく家康。)

(江戸城。竹千代に会いに来た江。しかし、少し抱いただけで福に取り上げられてしまいます。)

(自ら斉藤利三の娘であると明かす福。かつて、光秀に囚われた時に出会った利三を思い出す江。利三はその後磔にされた事、自分は母親と比叡山麓に逃げ、そこで元浅井家中の者に助けられた、それゆえ浅井家に繋がる人には恩義を感じていると告げる福。我らは縁があったのだなと答える江。)

(福は問われるまま、自分の子供は夫の下に置いてきた事、その夫とは離縁してここに来た事、それは生涯竹千代に仕えるためだと語ります。)

(竹千代を甲斐甲斐しく世話する福を見て、複雑な表情の江。)

(その夜、秀忠に福が何となく好きになれないとこぼす江。それはやきもちだと秀忠。それは違うと江。)

(その後も竹千代を巡って何かと福と諌う江。)

(江をたしなめる大姥局。竹千代は跡継ぎであり、自分の子であって自分の子ではないと心得よとさとす局。)

(思いあまって、福を別の乳母に変えて欲しいと家康に手紙を書く江。)

(一ヶ月後、豊国社の祭、豊国祭で賑わう京の町。)

(大坂城。龍子から祭が大盛況であった事を聞き、世間は豊臣の世を忘れていないと喜ぶ淀殿。そして、家康は高齢てあり、秀頼が成長を重ねれば天下は豊臣の手に戻るとつぶやき、周囲を驚かせます。)

(伏見城。正純から豊国祭が盛況だった事を聞き、豊臣に油断してはいけないと戒める家康。そして、次の手を考え始めます。)

(江戸城に帰った家康。秀忠と江との対面もそこそこに、福が抱いて現れた竹千代に飛びつく家康。江を労いつつ、福に竹千代の養育を頼む家康を見て、自分の出した手紙はどうなったのかと問う江。竹千代は可愛い孫、悪いようにはせぬと言って竹千代を福に託す家康。呆然とする江。)

(秀忠に将軍を継げと告げる家康。それは豊臣を追い詰めるためかと問い返す秀忠。年を取ったゆえ、様々な事が面倒になっただけだと誤魔化す家康。それでは豊臣との約束を違える事になると訴える江。しかし、秀頼はまだ12歳であり、天下の事は判らない。となると、秀忠しか居ないではないかと突っぱねる家康。)

(義父は姉を追い詰めている、つまりは豊臣を追い詰めている、それはやはり天下を取るためではないのかと家康に迫る江。それを聞いてため息をつき、いい加減に徳川の嫁になってくれないか、今この徳川の主は家康、自分の言う事に従う事だと江と秀忠を恫喝する家康。)

(それを聞き、二代将軍となる事を断る秀忠。主たる自分に従えと脅す家康。ならば、嫡男である事もやめるとつっぱる秀忠。)

(その夜、月を見ながら考え込む秀忠。秀忠を使って豊臣を追い詰めるのは納得が行かないと江。それを聞いて、熱海の湯に浸かりに行こうと急に言い出す秀忠。)

(熱海。湯に浸かりながらも考え込んでいる秀忠。きっぱりと断ったではないかと江。あれで引き下がる父ではないと秀忠。そして、家康は天下を狙っている事は間違いないと江に告げます。驚く江。)

(江戸城。正信相手に、今の秀忠では将軍になるには不足している、奥底にあるものを引き出してやらねばならないと語る家康。そして、そのために江を嫁に迎えたのだと告げます。)

(熱海。湯に浸かりながら、秀頼がこの世を治めていく事が良い事なのかと考えている秀忠。その側で、同じ事を考えていたと江。)

(家康と淀殿の言葉を思い出している江。そして、自分は一日も早くこの世が泰平になる事を望んでいるのだと気が付いた江は、秀忠に将軍になってくれと頼みます。泰平の世を作る為に将軍となり、力を持ってくれと迫る江。自分にそんな力は無いと自嘲する秀忠。私がきっと支えてみせると迫る江。考え込む秀忠。)

(江戸城。将軍になると家康に報告する家康。一度断ったものをなぜと問う家康。黙って答えない秀忠に代わり、天下を泰平にするためですと答える江。吹き出しつつ、良き考えだと家康。)

(そのために将軍を継ぐのかと秀忠に問う家康。それには答えず、将軍となった暁にはと言いかける秀忠。それを遮り、無論、将軍として扱う、ただし、将軍としての器があると認めた時にはと答える家康。)

(自室に下がり、ため息をつきつつ大の字になって寝そべる秀忠。同じくため息をつきながら、途方もない事になったとつぶやく江。何を今更と秀忠。淀殿がどれほどの痛手を蒙るかと気遣う江。それを聞き、成長した秀頼こそ天下人に相応しいと思ったら、その様に動くと囁く秀忠。)

(この事を大坂に知らせてやっても良いかと言い、すぐに駄目だと気が付く江。秀忠を見て、本当に大きくなった、自分よりずっと年上の様に思えると江。これからは家康が問題だ、何かと口を出してくる来るだろうからと秀忠。そしてその一方で、跡を継いでみて初めてその大きさが判るのかもしれないと秀忠。その後ろ姿をじっと見守る江。)

(慶長10年2月。10万の軍を率いて上洛し、将軍の宣下を受けた秀忠。)

(大坂城。秀忠が二代将軍となった事を聞き、江は何をしていた、秀忠はなぜ断らぬと激怒する淀殿。家康に謀られたと憤る治長。私が甘かった、これからは家康の事は断じて信じる事はしない、たとえ合戦のになろうとも天下人の座を取り戻すのじゃと叫ぶ淀殿。驚く且元を一喝する治長。)

(江戸城。福を呼び出した江。しかし、竹千代は風邪気味であるとして連れてきていません。竹千代を私に合わせぬつもりかと江。それには答えず、秀忠の将軍就任を祝う福。彼女は父を磔にした秀吉が憎い、そしてそれに連なる豊臣家の者を断じて許す事は出来ない、それ故に竹千代の乳母となったのだと言い出します。徳川がいずれ豊臣を滅ぼすと信じていると福。)

(豊臣には千が嫁いでいる、それを知っての事かとたしなめる江。それには答えず、江も豊臣の養女だったのですねと言い出す福。艶然と笑う福を見て呆然とする江。)

(自分は家康から命じられてこの城に来た、家康の命にのみ従うと言い放つ福。あぜんとする江を余所に、泣き声を上げる竹千代の下に急ぎ去って行く福。)

とうとう春日局が出て来ました。それにしても、富田靖子が演じるこのお局様はちょっと怖いですね。江戸の鬼と呼ばれた大姥局はまだ愛嬌がありましたが、復讐に燃える春日局こそ鬼の様でした。

竹千代が生まれたのは慶長9年7月17日の事でした。竹千代という名が徳川家の嫡男に与えられるという事は、ドラマの中で繰り返し語られているとおりです。その乳母に福が選ばれた経緯には諸説があり、良く言われるのが公募説ですね。

竹千代が生まれたのは良いけれど、徳川家の周辺では適当な乳母が見つかりませんでした。このため、徳川家では乳母を広く世に求める事にし、京都の粟田口にその旨を記した高札を建てたのです。それを見た福が名乗り出たところ、見事に選ばれて竹千代の乳母となったのだと言われています。

もっともこの説は、最近では後世の創作ではないかと言われている様ですね。

この他にも家康の側室を通して紹介があったのだとか、あるいはもっと飛躍して福自信が家康の元側室だったのだとか様々な説があるようですが、どれが真実かは決めかねている状況の様です。

福が斉藤利三の娘であった事、稲葉正成の妻であった事は事実であり、それぞれが乳母に選ばれた理由になったと言われています。つまり、名将と言われた人物の娘であった事、小早川の裏切りに功があった者の妻であった事が大きく評価されたと考えられているのですね。この場合、利三は謀反に加担した人物ではあるのですが、直接の首謀者で無い限り、後の世まで問題にされる事は無かった様です。

福が本能寺の変の後で浅井家縁の者に助けられたと言っていたのは、海北友松の事でしょうか。画家として知られる友松ですが、元は浅井家の家臣であった家柄であり、福の父の利三とは友人の間柄でした。こうした関係から、友松が福を一時保護し、養育したという説があるのですね。このあたりも諸説があってはっきりしないのですが、ドラマでは浅井家との因縁を濃くしようとして、この説をあえて取り上げたのではないかと思われます。

不自然なのは江が最初から乳母を嫌っている事で、当時は武家の子に乳母が付くのはごく普通の事でした。正室がすぐに次の子を産めるようにという配慮からと言われていますが、乳母が子供を連れて行ったからと言って怒るのは筋違いというものでしょう。このあたりは、江と福の対立関係を強調するための演出と思われます。

演出と言えば、豊臣家に復讐するために乳母となったという設定もそうで、いくら何でも飛躍のしすぎでしょう。たぶん、福に江に対する恨みを持たせる事で、江の立場を少しでも良くしてやろうとしているのだと思われます。江について良く言われるのは、福と対立するあまりに次男を溺愛し、嫡男の地位どころか徳川の家を危うくした鬼嫁というのが一般的な姿ですからね。そうした悪評を雪ごうというのも、このドラマのコンセプトの一つになっているのではないかと思われます。

豊臣家の側で言えば、豊国祭は久々に豊臣家にスポットが当たったイベントでした。この祭は秀頼と共に家康も施主となっており、いわば豊臣家懐柔の為の策の一つでした。しかし、ドラマにあったように民衆の熱狂振りは大したものであったらしく、淀殿が豊臣の世の再来が待望されていると錯覚したのも無理はなかったようです。

ただ、これには少し事情があって、江戸に実権が移ると共に京、大坂の賑わいは相対的に衰えていました。そんな時期にこの祭が催されたのですが、民衆は再び豊臣の頃の賑わいが戻って来て欲しいという願いを込めて騒いでいたのだと言われています。諸事派手好きで、聚楽第や伏見城を築く事によって天下に金をばらまいていた秀吉の世が、不景気に煩わされている民衆にとっては懐かしく思われたのでしょう。ただし、これは民衆レベルの事であって、大名達はこの祭には一切関わりを持たなかったと言われています。

二代将軍の就任にあたって、江が秀忠を説得したというのは創作でしょう。それこそ家康の深謀遠慮から出た事で、江が関わる余地など無かったものと思われます。でも、秀忠との夫婦関係に焦点を置くこのドラマとしては、江に一定の役割を与えてやりたいと考えたのでしょう。同時に、泰平の世を作るためという理由を構える事によって、豊臣家を救えなかった江の立場を少しでも良くしてやろうという配慮もあるものと思われます。

秀忠の秀頼への譲位もあり得るという発言もそうで、史実では有り得ない事ながら、そうした秀忠だからこそ、姉を裏切ってまでも江は支え続けたのだという言い訳になっているのでしょうね。このあたりは違和感を感じるところなのですが、ここまでこのドラマにのめり込んでしまった以上、ドラマの演出を良しとするしかないのかなと思っているところです。

次回は、秀頼が家康と秀忠と対面する為に上洛するというストーリーになる様です。予告編でこれからも徳川殿と共にと叫んでいたのが、大きくなった秀頼の様ですね。何だか元気な若者という設定の様ですが、どんな秀頼像を見せてくれるのか、楽しみに待ちたいと思います。

2011年9月25日 (日)

江~姫たちの戦国~37 千姫の婚礼

(珠を探して歩く江。やっと見つけた珠はすっと消えてしまいます。)

(夢から覚めて、珠は1年数ヶ月前に前田家に輿入れした事を思い出した江。)

(千姫と玉つきをして遊ぶ秀忠。仲良く戯れる二人を見守る江は4人目の子を身籠もっていました。)

(大坂城。諸大名から新年のあいさつを受ける秀頼。しかし、家康の姿は見えません。)

(家康が現れたのは2月になってからでした。今頃新年のあいさつとはと嫌味を言う淀殿と治長。伏見城で諸将のあいさつを受けていて、うっかりしてしまったととぼける家康。家康に確かめたい事があると切り出す治長。)

(治長の用件とは、豊臣恩顧の大名は僻地に、徳川昵懇の大名は要所へと配置されているということでした。その横から、関ヶ原で働いた大名を優遇した結果だと助け船を出す且元。たまたまだととぼける家康。)

(次いで、二条城の普請につして、諸大名に手伝わせているのは豊臣家臣たる者がする事ではないと斬り込む治長と淀殿。恩賞を受けた諸大名が勝手にしている事だとまたしても横やりを入れる且元。その且元に、新たに大和に所領を貰ったゆえ、家康の肩を持つのも無理はないと皮肉を言う治長。剝きになって言い返す且元。言い争いを止める淀殿。)

(朝廷から右大臣をという内意があったが、恐れ多いとして辞退した。しかし、大御心を蔑ろにしてはと、代わりに征夷大将軍を拝命する事にしたと言い出す家康。豊臣家臣ではないかと非難する治長に、豊臣家のために諸大名を束ねるには将軍の名が必要なのだと言い逃れる家康。何か言いかける淀殿を制して、それはあくまで秀頼が関白になるまでの間の事であって、いわば仮の将軍なのだと続ける家康。もしその言葉を違える事があればと震えながら問う淀殿。その様な事は断じてないと言いきる家康。)

(数日後、伏見城にて将軍宣下を受ける家康。)

(数日後、将軍就任の知らせを受けた江と秀忠。なぜと問う江に、諸大名を束ねる為には必要なのだと答える正信。数年後には引くつもりなのかと重ねて問う江に、あと何年かのつなぎ役と心得ている筈と答える正信。)

(この7月に、千姫を秀頼に嫁がせる事になったと江に告げる秀忠。あと4月しかないと驚くヨシと大姥局。出来る限りでの準備でよいと秀忠。)

(それは淀殿を黙らせるためかと江。それもあると秀忠。黙らせると言うより、安心してもらうためだと正信。)

(珠に続いて千を嫁に出す事は平気なのかと秀忠に迫る江。これは既に決まっていた事だ、それに両家にとって絆が深まる事になり、和平の証しともなると答える秀忠。)

(大坂城。千の嫁入りは、自分たちを丸め込むための策略だと言う淀殿と治長。しかし、千が秀忠の娘である事を思い出し、さらに秀忠が豊臣家への忠誠を誓った事を思い出した淀殿は、この婚儀を受けようと言い出します。)

(江戸城。正信相手に、家康は本気で豊臣家を組み伏せるつもりだなと秀忠。両家の絆を深める事が目的でしょうととぼける正信。そなたもそうとうな狸だなとあきれる秀忠。そこにやって来た江。)

(江の話とは、千に付いて大坂に行きたいという事でした。嫁入りに母親が付いていくなど聞いた事がないと反対する大姥局。ひたすら秀忠に願う江。娘を思う母心に触れ、同行を許す秀忠。)

(出立が二月早まった事で、準備に大忙しとなる大姥局と侍女たち。)

(二月後、秀忠にあいさつをして旅だった千姫。同行する江。)

(江戸城。娘を政の道具としないで済む世はこないものかとつぶやく秀忠。それは若殿が作れと正信。泰平の世かと秀忠。)

(若狭。千に江が同行すると聞いた初でしたが、関ヶ原で徳川と豊臣の両方に背を向けた以上、伏見に行く事は出来ないと言い張る初。両家を結びつけるのが役目と言っていたではないかと高次。どうしても行けないと初。)

(伏見城。千に本当に嫁ぎたいのか、嫌ならここから連れて帰ると江。今更そんな事を聞くのか、私が嫁げば徳川と豊臣が仲良くなれる、父上と母上の役に立ちたいのだと泣きながら答える千。すまぬと千を抱きしめる江。)

(江戸城。羽子板を手に千を思いやる秀忠。)

(伏見城。家康に会い、今度の婚儀の意味について問う江。泰平の礎だと答える家康。本当は天下を取る為の策略で、豊臣家を安心させておき、油断したところを一気に攻め滅ぼすつもりなのではと問い重ねる江。よくもそこまで考えるものだと笑い飛ばし、決してその様な事はないと言い切る家康。)

(その一方で、豊臣の世がとこしえに続くという夢を見ている淀殿には目を覚まして貰わなければならない。淀殿は千を見る度に徳川の影を見る事になるのだとも言う家康。夢をみさせてやれば良いではないかと江。そうはいかないと家康。)

(数日後、淀殿と初に再会した江。互いに喜び合う姉妹とそれぞれの侍女。)

(高次が徳川方に付いた事を詫びる初。もう良いと許す淀殿。自分も詫びなければならないと江。征夷大将軍の事なら、あれは堪えたが秀忠を信じたのだと淀殿。これからは秀忠が秀頼の後ろ盾になってくれるだろうと言う淀殿を見て、夢から覚めてもらわなければならないという家康の言葉を思い出し、不安になる江。)

(千の事は案ずるな、娘と思って育てていくと約束する淀殿。よろしくお願いしますと江。)

(そこに現れた完。すっかり大きくなり、美しくなった娘を見て驚く江。全てを聞いていて、江を母上と呼ぶ完。自分を恨んでいないのかと問う江。私を思って豊臣に置いていったのだと聞きましたと、かえって礼を言う完。娘を抱きしめる江。)

(完の輿入れが決まった、相手は九条関白家の嫡男だと淀殿。驚く江。江が育てていたらこんな事は無理だったと初。まことにと江。調子が狂うと初。これが三姉妹が共に過ごした最後の日となりました。)

(7月。秀頼と婚儀を挙げた千。)

(千の婚儀の間、伏見城で待つ江。付きそう初。その時、急に産気づいた江。)

(生まれたのはまたしても姫でした。約束通りこの子をくれと初。もし、この子を娘としたらどうするのかと初に問う江。まず初と名付けて、成長した後は側室が産んだ子に添わせて京極家を継がせると初。では遠くにはやらないのですねと江。ずっと自分の側に置いておくと初。遠くに嫁がせる事をしないと約束してくれるなら、姉様の子にしてくださいと江。驚く初に、娘を政の道具にするのはもう嫌なのだと江。決して遠くにはやらないと誓う初。)

(秀忠の許しを得て、娘を初に託した江。娘を得て、幸せそうに抱く初。)

二条城の普請が始められたのは関ヶ原の戦いの翌年、慶長7年5月1日からでした。事実上、徳川家のための天下普請であり、このあたりから豊臣家と徳川家の立場が逆転し始めたと言われます。つまり、家康が実質的な天下人となった事を諸大名に知らしめる事となったためで、ドラマで治長が危機意識を露わにしていたのも無理はなかったのですね。

ただ、翌慶長8年正月の諸大名のあいさつは秀頼を先に済ませてから家康の下に行っており、この時点ではまだ家康の立場は天下の家老でした。それが完全に逆転したのが征夷大将軍の宣下であった事は間違いなく、これ以後は家康から秀頼の下にあいさつに出向くという事は無くなります。

千姫の嫁入りは秀吉の遺言であるとドラマで言っていましたし、私もそれが事実と思っていましたが、「江を読む」に依ればそうだと決めつける確実な資料は無いそうですね。だとすれば、江が言っていた様に家康が描いた策略だというのが事実に近いのかも知れません。家康の孫娘である事、秀頼とは従兄妹同士である事、母親が姉妹である事など、豊臣家にとっては悪い話ではないですからね。これをもって豊臣家を油断させようと家康自らが画策したのなら、本当にえげつないほどに食えない人物だったという事になります。

その千姫の嫁入りに江が付き添って行ったのは、史実にあるとおりです。ただし、付き添ったのは伏見城までであり、大坂城には行っていません。また、淀殿が伏見城にまで出て来たということもなく、三姉妹の再会はドラマにおける創作という事になりますね。

ただ、完が九条関白家に嫁いだ事、初の娘を初が貰い受けて初姫と名付けたことなどは史実にあるとおりですね。そして、初姫が後に高次の嫡男に嫁いだ事もまた史実のとおりです。

ドラマを見ていて歯がゆくなるのは、豊臣方に何の力も無い事です。淀殿と家康では役者が違いすぎるという事もありますが、関ヶ原の戦いによって豊臣家の力が大きく削がれてしまい、徳川家と力で対抗出来なくなっている事が判ります。それに豊臣家に忠誠を誓っていた諸大名はことごとく滅ぼされてしまいましたから、与党と言うべき存在も無くなっていました。ですから、淀殿は皮肉を言う事がせいぜいなのですね。さらには、治長程度の男しか側近に居なかったというのも寂しい限りではあります。やはり、三成は早まって滅び去るべきではなかったという気がしますね。

次回の副題は「最強の乳母」。どうやら春日局が出て来る様ですが、確かに江にとっては最強の相手であり、ここからやっと本当の江の物語が始まるという気もしますね。

2011年9月18日 (日)

江~姫たちの戦国~36 男の覚悟

(関ヶ原の勝利に沸く江戸城。その騒ぎの中、秀忠が戦場に間に合わなかった事を聞き、如何にも秀忠らしいと笑い出す江。あきれる大姥局の前で、悪阻が始まった江。今度こそ男子をと意気込む局。そんな中、やはり悪阻らしき一人の侍女。)

(北近江、古橋。敗残の身を隠している三成。領民の世話を受けつつ、淀殿を守ると誓った事を思い出している三成。)

(戦いから4日後、大津城に立ち寄り、初を労う家康。高次は援軍が来る前に開城してしまった事を恥じ、高野山から下りてこようとしません。しかし、高次の功績を大とし、若狭8万石を恩賞として与えようと言う家康。高次の苦しみからすれば、当然だと答える初。さすがに浅井三姉妹は強いと褒める家康。そこに届いた秀忠到着の知らせ。)

(家康を待つ秀忠の下に、会わないという回答が届きます。理由は気分が優れないという事でしたが、責任を感じて腹を切ると言い出す忠隣。自分もまた如何なる責めも負うと正信。二人の老臣を前に、責任は全て総大将の自分が持つと言い切る秀忠。)

(三日後、ようやく家康に会えた秀忠。関ヶ原への遅参を詫びる秀忠に、特に咎める事はしない家康。訝る秀忠に、今度の戦は学ぶ所があったのならそれでよい、徳川の嫡男である事には変わりがないと告げる家康。そんな事は言われたくない、自分の不甲斐なさゆえに多くの兵を苦しめ、死なせてしまった。それが戦だと言うのなら、まっぴら御免だと言って席を立つ秀忠。後ろ姿を見送りながら、怒った所を初めて見たとつぶやく家康。秀忠は間違いなく一回り大きくなった、これが狙いだったのかと正信。うなずく家康。)

(近江山中。三成に追手が迫ります。)

(縛られた三成に対面する家康。彼は三成に少しやせたかと聞き、戒めを解いてやります。山中に逃れていた訳はと聞かれ、機会を見て大坂に逃れ、再び兵を挙げるつもりだったと答える三成。それでは生かしておく訳にはいかないと家康。)

(三成が8万の兵を集めたと知り、一度は負け戦を覚悟したと家康。しかし、多くの裏切りにあったと答える三成。嘆かわしい事だと家康。その横顔をそっと見ている秀忠。)

(家康が去った後、兵を下がらせて三成と二人で話す秀忠。裏切りが続出する中、秀吉の恩に報いようと戦った三成が罪人扱いとは納得が行かないと秀忠。裏切りに会ったのは、自分の器の限りだと三成。戦場に間に合わなかった自分が勝者の側につらなるなどと言いかける秀忠。あなたはそうした器、父親に似た大きな器なのだと三成。)

(自分が戦ったのは秀吉の恩に報いる為だけではなかった気がする、ある人を守りたかったのかもしれないと三成。そして、秀頼と淀の方を守って貰いたい、それが最後の願いだと言って秀忠に頭を下げる三成。呆然と見守る秀忠。)

(大坂、堺、京都を引き回された上、六条河原で斬首に処せられた三成。最後につぶやいたのは、淀殿に向けた別れの言葉でした。)

(江戸城。三成の最後を聞き、その城には金銀の蓄えも無かったと知り、それが豊臣のためにだけ尽くした三成という男なのだと江。再び悪阻が始まる江。それに合わせるように廊下に飛び出し、えずきを感じる侍女のなつ。その姿を見て、不審を覚える大姥局。)

(台所で苦しむなつに、身籠もっているのかと問う局。答えられないなつに、その相手はよもやと問い詰める局。)

(大坂城。秀頼と淀殿に拝謁する家康と秀忠。型どおり、家康を労う秀頼。豊臣に弓を引こうとした輩をことごく退治したと家康。三成は誰よりも秀吉に忠義を尽くして来たと淀殿。それは自分とて同じ、三成が謀反を企てる様な事をしなければ、共に豊臣家を盛り立てて行けたものをととぼける家康。それは本心かと淀殿。秀吉に誓ったとおり、それが本心だと家康。)

(その横から、三成が最後に秀頼と淀の方を守って欲しいと言い残したと伝える秀忠。そして、三成の胸中にはただならぬものがあった様だと語ります。三成の思いが伝わったのか、そうですかとだけ答える淀殿。)

(話題を変え、江の近況を聞く淀殿。いつもやりこめられていると答える秀忠。強い様でも、もろくて感じやすいところがある、江をよろしく頼むと淀殿。我が妻のためにも、豊臣家に忠勤を励む覚悟ですと誓う秀忠。なによりも嬉しい言葉だと淀殿。秀忠を見て、複雑な表情の家康。)

(慶長6年の江戸城。男子を出産したなつ。跡継ぎが出来たと喜ぶ大姥局。秀忠の子と聞き、驚く江。得々と語る局に、出て行けと命ずる江。)

(その夜、一人泣き続ける江。)

(ふた月後、江戸城に帰ってきた秀忠。局から江の具合が悪いと聞き、何かあったのかと聞く秀忠。)

(なつが子を産んだと聞き、身に覚えがあると答える秀忠。側室の一人や二人は、徳川の男子として当然の事と持ち上げる局。男子が産まれた以上、徳川も安泰だと喜ぶ局に、なぜ江が子を産んでから伝えなかったのかと責める秀忠。)

(江を見舞う秀忠。体の不調を押して、出陣を労う江。天下不武の印判を江に返し、おかげて無事に帰る事が出来たと秀忠。なによりでしたと、上ずった声で答える江。)

(なつとの事を詫びる秀忠。江と気持ちが通じ合ったと感じる前の事だと言い訳する秀忠。)

(今度の子が生まれるまでは、竹千代の名を付けるのは待って欲しいと願う江。うなずく秀忠。その代わり、今度も女子だったら、自分を離縁して欲しいと江。答えられない秀忠。)

(なつの子に対面する秀忠。子を抱きながら、なつに済まないと謝る秀忠。)

(側室が子を産んだ事を受け入れられない自分は、北政所や初に比べておかしいのだろうかと江。それは秀忠の事を思っているからだとヨシ。)

(ひと月後、女の子を産んだ江。その子の名を勝と付けたいと願う江。それは関ヶ原の戦勝を記念して、また自分の気持ちに勝ちたいと願っての事でした。それで良いと答える秀忠。)

(前に願ったとおり、自分を離縁して欲しいと言い出す江。なつは子供と共に城から出したと答える秀忠。驚く江に、暮らしは成り立つ様にしてあると言い、周囲が男子をと願う事がどれほどの重荷だったかと江を労い、謝る秀忠。そして、竹千代という名は江が産んだ子にしか付けない、そして側室は持たないと告げ、離縁は思いとどまってくれと言って、江の手を握ります。なぜ自分の様な者をと訝る江を抱きしめ、年上の女が好きなのだと答える秀忠。)

(生まれたての子供をあやす江と秀忠を見て、今度も女子だったのにといぶかる局。しかし、幸せそうな様子を見て、その顔も少しほころびます。)

(なつの下を訪れた江。ひたすら謝るなつに、暮らし向きの事を訪ねる江。赤子の泣き声を聞き、抱かせてくれと頼む江。秀忠の子と思えば、その子もまたいとおしいと感じる江。)

(次は、秀忠の為にも男子を上げてみせると江。)

(秀忠の前で、男子を産む法を調べている局。虎の肉が良いとあり、秀忠に薦める局。それを聞き、自分も食べてみたいと言い出す江。)

(大坂城。サキの甥、大野治長に目通りを許す淀殿。さっそく、家康が諸将への論功行賞によって、豊臣家の所領を250石から65万国に減らしてしまったと告げる治長。驚く淀殿に、家康が天下を狙っている事はこれで明らかになった、身命を賭して豊臣家を守ると誓う治長。)

(江戸城。秀忠と月見酒を楽しむ江。大坂で淀殿に会ったと言い、女のために戦をする男もいるのだなあと三成を思い出しながらつぶやく秀忠。淀殿のうわさ話をしながら、夫婦の時間を楽しむ江。)

前回、関ヶ原の戦いが始まる直前で終わったと思ったのに、オープニングでもう勝敗が決していました。途中で戦のシーンの挿入はあったけれど、経過は一切省略してしまうという思い切りの良さには驚くばかりです。勝敗を決した小早川秀秋の裏切りも「沢山の裏切りにあった」という三成の一言で済まされていましたし、毛利の空弁当という逸話も、総大将が戦に来なかったという表現だけに止まりました。せめて、石田方の善戦ぶりくらいは描いて欲しかったところですが、この潔さがこのドラマの真骨頂でしょうか。

まあ、戦場に間に合わなかった秀忠がメインですから、戦いの経過を描いても仕方がないという事なのでしょう。その秀忠と家康の対面については、ドラマのホームページ「江を読む」にあるとおり諸説がある様ですね。ここでは家康は怒っていなかったという説を採った訳ですが、家族の絆を重視するこのドラマらしい選択ではあったと思います。

城を敵に明け渡しながらも加増となった高次ですが、家康は1万5千の大軍を大津に引き付けて戦場に出さなかった事を大きく評価し、若狭一国8万5千石を与えています。この1万5千の軍は西軍の中でもとりわけ闘志の高かった一隊で、もしこれが戦場に間に合っていたら勝敗がどう転んでいたか判らないところでした。それを知る家康は、高次の功績を大としたのですね。それにしても、その家康のはからいを当然だと言い切る初って、ちょっと怖いですね。

突然現れた侍女の「なつ」については、史実を織り交ぜた創作だと思われます。

秀忠の手の付いた侍女は複数居たと言われており、そのうちの一人は大橋局という名でした。彼女はお手つきとなってすぐに城から出され、家臣の妻となっています。要するに秀忠の不始末を家臣に押しつけた訳ですが、側室としなかったのは江に遠慮した結果だとも言えそうですね。

もう一人は保科正之を産んだお静の方で、子を身籠もったと判った後に城から出されています。そして生まれた子は家臣の子として育てられたのですが、後に秀忠の子と知られる様になり、兄の将軍・家光によって大名として取り立てられました。ただし、これはドラマの設定より10年後の事になりますね。

さらにもう一人、秀忠の長男を産んだ女性が居ると推測されています。この説は秀忠の長男が長丸といい、次男が竹千代と名付けられている事に根拠が求められます。この長丸はわずか二歳で夭折しているのですが、長男でありながら「竹千代」と命名されなかった理由は、彼が正室が産んだ子でなかったからではないかと考えられているのですね。

なつはこの最後の女性をモデルにしたのかなという気がしますが、長丸が生まれたのは勝姫より後であり、あえて順序を変えたのがドラマオリジナルの設定ではないかと思われます。

それにしても、ドラマの副題は「男の覚悟」でしたが、今回の主題はなつを巡る江の葛藤だったのではないのかしらん?毎度の事ながら、どこに焦点を当てているのか理解に苦しむ副題ではありますね。

あえて副題にこだわるとすれば、「男の覚悟」とはふたつ有り、一つは淀殿のために身を挺して戦った三成の覚悟の事でしょう。関ヶ原が淀殿のための戦いだったとは言い過ぎでしょうけど、ドラマの設定としては有りなのかも知れません。

そしてもう一つは、その三成の思いを受け継いだ秀忠の「覚悟」なのかな。豊臣家を守るという事はとりもなおさず家康と対決するという事を意味する訳で、相当な覚悟をもってなくしては淀殿に言上出来る事ではないですからね。まあ、家康からすれば、親の心子知らずといった心境の様でしたけれど。

ああ、そう言えば最後に出て来た大野治長も、身命を賭して豊家を守ると言ってましたね。すると、これも男の覚悟という事になるのかしらん。彼は豊臣家と運命を共にする事になりますから、その言葉に偽りがなかった事は確かですよね。

次回は家康の征夷大将軍への就任が描かれる様です。狸親父ぶりが板に付いてきた家康が、淀殿にどんな言い訳をするのかか注目点かなと思っているところです。

2011年9月11日 (日)

江~姫たちの戦国~35 幻の関ヶ原

(江戸城。秀忠たちが出陣した後、がらんとした城内で、静かだとつぶやく江。その静けさを破るように、鉢巻き姿で長刀を持った一隊を率いる大姥局が、えい、や、とうとかけ声も勇ましく、廊下を練り歩いて行きます。呆然と見送る江。)

(秀忠の無事を祈る江。そこに届けられたまりあからの手紙で、ガラシャが死んだ事を知った江。)

(大坂城。伏見城の陥落が間もないという知らせを受け、家康の出方はどうかと案じる三成。)

(三成挙兵の知らせを受け、下野の小山で全軍を招集した家康。)

(幕僚達の前で、三成が思う壺に嵌ったと喜ぶ正信。しかし、毛利輝元が総大将となり、軍勢が10万を超えるかも知れない事、諸大名の家族が人質とされた事を挙げ、油断出来ないとする家康。)

(諸将を前に、上杉攻めは豊臣家のために行うもの、しかし、妻子が人質に取られている以上、三成方に付くもやむなしと告げる家康。その時、ガラシャの死を無駄にしない為にも、三成の首を挙げさせてくれと名乗り出た忠興。それに続いて、三成討つべしと名乗りを上げた正則。続々と名乗りを挙げる諸将たち。その中で、ただ一人静まりかえっている真田幸村。)

(軍議が終わった後、これで諸将が一つにまとまったと安堵する家康。見事でしたな、と秀忠。その時、秀康が現れます。その労を労いつつ、秀忠には中山道を進み、美濃で落ち合おうと命じる一方、秀康には上杉の押さえとして宇都宮に止まれと命ずる家康。)

(自分は戦に参加出来ないのかと抗弁する秀康。味方の後方を守るのもまた、大事な役目だと聞かない家康。その一方で、秀忠には、かつてない大戦の舞台に立つのがそなたの役目だと言い聞かせる家康。秀康に気を遣いながらも、承知する秀忠。)

(大津城。伏見城が落ち、次は大津が戦場になると高次。周囲は西軍で固められており、三成方に付くのかと初。そうはしないと高次。かと言って、家康に付くとも明言しない高次。いっそ、両方に付いてくれと懇願する初。無理を言うなと言いつつ、両方に付く事が出来るかも知れないとつぶやく高次。)

(江戸城。いったん帰って来た家康に、さっそく会いに来た江。)

(これは豊臣と徳川の争いかと問う江に、これは豊臣の家臣同士の争いであり、決して秀頼や淀の方に危害が及ぶ事はないと答える家康。もう一つ、秀忠に無理をさせてくれるなと頼む江。あの人は戦に向いていないと言う江に、三成ごときに手間は要らない、安んじていろと優しく言い聞かせる家康。この戦を避ける道はと問う江に、それだけは無いと言い切る家康。)

(翌月、江戸を発って美濃に向かった家康。同じ頃、中山道を西に向かう秀忠。そこに、真田昌幸、幸村親子が寝返ったという知らせが届きます。3万の兵なら、小城など一日で落とせると攻撃を薦める大久保忠隣。一日も早く美濃を目指すべきだと主張する正信。家康に刃向かうだけの気骨のある、幸村という男に会いたいと言って、上田城に向かうと決める秀忠。)

(近江。三成に従い、美濃に軍勢を進める高次。その途中の陣で、これより大津に引き返し、家康に味方すると宣言する高次。)

(高次が寝返ったと知り、裏切り者を許すなと兵を向ける三成。)

(大津城。無事に戻った高次を出迎える初。高次の留守中、何度も城の明け渡しを求める三成の使者が訪れたのですが、初は体を張って追い返したのでした。初を労いつつも、本当の戦いはこれからだと告げる高次。)

(これから大津の町を焼き払う、万一の時の覚悟をしておいてくれと言って立ち去る高次。戦は嫌だ、死ぬのはもっと嫌だと言って泣き崩れる龍子。龍子を励まし、籠城の支度をしなければならないと告げる初。)

(高次が寝返ったと知り、使者を出せと命ずる淀殿。彼女が頼ったのは、北政所でした。)

(京都。高次に宛て、手紙を書く北政所。彼女は初と龍子を助けるべく、孝蔵主を使者に立てます。)

(江戸城。秀忠の無事を祈る江。彼女はヨシの薦めに従い、写経を始めます。)

(上田城。真田に阻まれ、損害を出す一方の秀忠。)

(徳川軍を見下し、お粗末な戦い振りだとと幸村。)

(軍議において、上田の陣を引き払い、美濃に向かうと決めた秀忠。自分一人の思いで、多くの者が動き、多くの者が死ぬとつぶやく秀忠。それが総大将であり、それが戦だと正信。泣き顔になる秀忠。)

(江戸城。写経を続ける江の下に現れた大姥局。障子を開けると祠の前に、夥しい蝋燭が灯されていました。無事を祈って城中の祠に祈りを捧げたという大姥局。祠に向かって手を合わせる江。)

(遅れを取り戻すべく、中山道を強行軍で進む秀忠。しかし、軍勢には疲労の色が濃く、無様な大将だと自嘲する秀忠。)

(大津城。攻撃に晒されている中、兵士達を激励して回る高次と初。激戦が続く中、突然訪れた静寂。それは淀殿と北政所の使者が着いたという知らせでした。)

(今からでも遅くない、三成と和議を結んで徳川を討てという伝言を伝え、高次に会いたいと願う孝蔵主。姉からの手紙を抱きしめながらも、断る初。せめて、初と龍子だけでも城を出られよと薦める孝蔵主に、夫が決めた以上それに従い、ここで死ぬ覚悟と言い、政所と淀殿に伝言を頼む初。)

(慶長5年9月15日。二の丸が落ち、落城寸前となった大津城。髻を切り、これから城を明け渡し、高野山に登って出家すると初に告げる高次。そして初には、龍子と共に縁者を頼って欲しいと頼みます。それは関ヶ原の戦いが始まる日の事でした。)

(大水で橋が流され、道を失った秀忠。彼は全軍の疲れを思い、上流に迂回する事を決めます。)

(関ヶ原。陣を敷いた三成と家康。秀忠はまだかと側近に聞く家康。まだ知らせは無いと答える側近。)

(中山道。疲れ故に、馬から転げ落ちた秀忠。あまりに自分が滑稽なゆえか、笑い出す秀忠。)

(関ヶ原。始まった戦い。)

(江戸城。大姥局と共に、長刀を振るう江。)

(関ヶ原。激突する両軍。)

(中山道。叫びながら疾駆する秀忠。)

(江戸城。秀忠が戦場に間に合わなかった事も知らず、ひたすらに長刀を振るう江。)

浅井姉妹が主役であるこのドラマらしく、戦いの経過にはあまり触れずに、初と江、それぞれの夫婦に焦点を当てた関ヶ原でした。この流れだと一気に勝敗の結末まで行ってしまうのかと思いましたが、意外にも来週に持ち越しでしたね。

小山の軍議はこのドラマオリジナルの展開で、諸将に先駆けて真っ先に口火を切ったのは忠興になっていました。前回のガラシャの死の流れを生かしたのでしょうけど、関ヶ原がお涙頂戴になっちゃったなあという感じです。

実際に口火を切ったのは福島正則で、事前に家康がそうなる様に根回しをしてあったと伝わります。関ヶ原の戦いは徳川方と石田方の根回しの応酬に終始したと言っても良く、双方が相手の非を鳴らし、戦後の報酬を約束して諸大名を味方に引き入れようとしました。小山の軍議においてもそうで、豊臣恩顧の中でも筆頭と言うべき正則が真っ先に徳川方に着くと発言することで、軍議の流れを徳川有利に引き寄せようとしたのだと言われます。

江戸城に帰ってからの家康はひたすら諸大名に手紙を書いていたと言われ、先陣が美濃に着いてからひと月近く江戸を離れませんでした。小山で自分に着くと約束した諸将でしたが、大半は豊臣恩顧の大名であり、どう心変わりするか心配だったのですね。その心根を見極めるための時間稼ぎであり、念を入れた根回しの時間だったのです。ドラマでは、そのあたりは一切スルーでした。

もう一つあれっと思ったのは、いきなり幸村が出て来た事でした。たぶん、後の大坂の陣のための伏線なのでしょうけど、この時は父の昌幸の代であり、幸村の名はほとんど知られていませんでした。秀忠相手に戦ったのも昌幸であり、幸村はまだ父の一将であったに過ぎません。でも、今有名なのは幸村の方ですからね、こういう描き方になるのも仕方がないのかな。

大津城が関ヶ原の当日に開城したのは史実にあるとおりで、歴史の偶然としか言い様がありません。あと一日頑張っていれば、高次も高野山に登る事は無かったのですけどね。

龍子が戦いの最中に気を失ったというのは史実にもあるそうで、実際にはもっと凄まじく、三井寺から打ち出された大筒の玉が天守の龍子の部屋に命中し、彼女の侍女二人を吹き飛ばしてしまったと言われます。このドラマでは、そんな描写はさすがにしかねたのかな。

淀殿と北政所が大津城に使者を出したのも史実にあるとおりで、龍子を城から救い出し、京都まで送り届けたという記録が残ります。ただし、初については何も言及されておらず、実際にどうだったのかは判りません。

でも、今回のドラマの主役はこの初だったと言えるでしょうね。ほとんど脇役扱いだった初ですが、今回は見事な城主夫人を演じていました。初にとっては、このドラマのハイライトと言えるかも知れませんね。

もう一人の主役である秀忠は、ひたすらに走っていました。戦場に間に合わないという恐怖と、総大将としての責任感に押しつぶされそうになり、ついには自分が哀れになって情けなくも笑ってしまうという演技に、秀忠という男の本質が現されていました。

ただ、9月15日に戦いが始まるとは誰にも判っていなかったはずで、ましてや一日で片が付くとは家康でさえも思っていなかったはずです。それなのにあそこまで焦りを感じるというのはどうかという気もするのですけどね。まあ、そのあたりは演出の範囲としておくのかな。

実際の秀忠はどうだったのでしょうね。この時は沢山の譜代の将に取り囲まれていましたし、どれだけ自分の裁量が認められていたのかは判りませんが、この遅参によって武将としての器量が無いという評価を受けた事は確かです。

次回は関ヶ原の戦後処理ですが、遅参した秀忠がどういう叱責を受けるのかが見物ですね。それと、囚われの身となった三成をどう描くのかに注目したいと思っています。

2011年8月28日 (日)

江~姫たちの戦国~33 徳川の嫁

(伏見、徳川屋敷。前田利家が同席いする中で、伊達政宗、福島正則らとの婚姻を進めた事について、家康を詰問する三成。媒酌を頼んだ茶人がうっかり届けを忘れたのだろうととぼける家康。いずれ豊臣に刃を向けるつもりかと迫る三成。なんだとと、凄味を見せる家康。そこまで、と輪って入る利家。)

(三成には矛を収めよ、家康には法度に背いたのだから頭を下げよと、とりなす利家。これこのとおりと頭を下げる家康。憤懣やる方なしと思いつつ、引き下がらざるを得ない三成。)

(江戸城。豊臣と徳川の間で争いが起きていないかと気が気でならない様子の江。そこに入ってきた大姥局は、江のだらしない姿勢に早速噛みつきます。)

(徳川に嫁いだ以上、男子を産むのが務めとまたも迫る局。そこまで言うのなら、男子を産んでやるとやり返す江。それなら良いと、にっこり笑って引き下がる局。)

(あの者は何だと秀忠に愚痴る江。あの局には家康も頭が上がらないのだと秀忠。局の出自を調べてきたヨシ。彼女は今川家の家臣の妻だった人で、人質時代の家康も良く知っており、その後秀忠の乳母となったのでした。母が亡くなった後、その代わりとなって育ててくれた人だと秀忠。まだ秀忠の事を良く知らないままでいると今更ながら気付く江。)

(三成と家康のその後について聞く江。知らない、江戸に来てみると遠い話の様な気がすると、とぼける秀忠。)

(近江、大津城。高次に、徳川と豊臣の関係について問い質す初と龍子。何でもないと言って聞かせる高次。もし、両者で争いになったらどうするつもりかと問う初。秀吉から拝領した脇差しを捧げ、自分が豊臣の家臣である事の何よりの証しである、それは家康とて同じ事で、今でも豊臣家の家臣であり続けていると真顔で言って聞せるす高次。高次は人が良すぎると初。初は疑り過ぎると高次。)

(家康に、三成にあそこまで言われて腹が立たないのかと迫る忠勝。あれで良いのだと取り合わない家康。次は何をどうしてやろうかと、楽しそうに企む家康。)

(官兵衛を呼び出した三成。彼の用件は、家康の事を共に考えて貰いたいという事でした。三成には人の心が判らない、忠誠を誓った時にどのような気持ちであったか、そして、朝鮮出兵のせいで、どれほど恨みを買っているかと説く官兵衛。)

(一月前、朝鮮から引き上げてきた諸将を出迎えた三成。慰労のための茶の支度が出来ているという三成に、自分たちが戦っている間、秀吉の側で茶を飲んでいたのかと毒づく正則、清正、長政達。彼らとの間に深い亀裂を感じる三成。)

(三成の欠点は人の気持ちになって考える事が出来ない、とりわけ戦場に立つ男達の気持ちが判らない事だと諭す官兵衛。苦言を聞く為に呼んだのではないと怒り出す三成。)

(気を鎮めて、秀吉の懐刀と呼ばれた官兵衛に協力を頼もうとする三成。それを遮り、勝ち目の無い戦に加わるつもりはないと断る官兵衛。三成に力を抜けと言って立ち去る官兵衛。)

(慶長4年正月、大坂城で諸将の拝賀を受ける秀頼と淀殿。大蔵卿局と名を改め、奥向きの差配を勤める事になったサキ。)

(三成に、家康の動向について問う淀殿。政は一切自分にまかせよと三成。そして、秀頼の世が成り立つように全力で補佐し、また淀殿を守る所存であると言う三成。訝る淀殿に、秀吉の遺言だからと答えて、真っ直ぐに淀殿を見つめる三成。とまどう淀殿。思い深げな大蔵卿。)

(江戸城。江に向かって、秀頼が大坂城に入ったのは秀吉の遺志であり、利家が後見役として大坂城に、家康は伏見にあって政を見るというのが新しい豊臣家の態勢なのだと説明する正信。)

(三成がまた動いているそうだなと聞く秀忠。はあと明確には答えない正信。三成は何をしようとしているのかと問い質す江。三成は家康が信じられないのだろう、つまり、豊臣を乗っ取ろうとしていると考えているのだと秀忠。そんな事がと驚く江。家康は何事も自分で考えて自分で決めいてしまう、つまり私には何も出来ないのだと秀忠。)

(そこにやって来た大姥局。江に安産のためだと言って、床に散らした大豆を這い蹲って拾わせます。やっとの思いで全てを拾い集めた江でしたが、局はまた豆をぶちまけさせて一からやらせます。鳥ではないぞと嘆く江。男子をと祈る局。)

(利家の死により、一気に動き出した政局。三成に復讐するため、屋敷を囲んだ正則、清正ら武断派の諸将。追い詰められた三成は、家康に使いを出せと左近に命じます。)

(家康に匿われた三成。それを知り、家康の下に押し寄せた正則たち諸将。口々に三成の引き渡しを迫る諸将に、それは出来ないと断る家康。収まらぬ諸将に向かって、今三成を殺してしまえば多勢に無勢で、卑怯者のそしりを受けてしまう、それに幼い秀頼の心を悩ませる様な事はするべきではないと諭す家康。やむなく矛を収める諸将。)

(諸将は帰ったと三成に告げる家康。安堵しながらも、なぜ家康が自分を匿ったのかその心が判らないと三成。ここに来たのは、ここが一番安全だと思ったからだろう、如何にも頭がよいと持ち上げる家康。そして、そういう人物が好きで、頼られた事も嬉しかったと続ける家康。三成の浮かぬ顔を見て、本気にしてはいない様だと訝る家康。何にせよ感謝していると頭を下げる三成。)

(ここまで話がこじれた以上隠居しかないと、さらりと説く家康。されどと異議を申し立てようとする三成に、これはあくまで仮隠居、いつか復帰する時もあると説く家康。そして有無を言わさぬ様に秀康を部屋に呼び入れ、佐和山城までの警護をすると申し出ます。やむなく、かたじけないと受ける三成。)

(髪を落とし、佐和山で隠居した三成。)

(江戸城で事の顛末を聞く秀忠。どういう事かと問う江。身重の身ゆえ休んでいてはどうかと気遣う秀忠。むしろ、政に興味を示すのは良い事だ、生まれてくるのは若君に違いないと大姥局。)

(三成を助けたのは、生かしておいた方が使い道がある、いずれ事を起こす時には豊臣恩顧の大名に声を掛けるはず、家康はまとめて始末が出来るその時を待っているのだと秀忠。では豊臣はどうなるのかと迫る江。)

(豊臣、豊臣と未練がましいと詰る大姥局。徳川に嫁いだ以上、争いとなった時には徳川の事だけを考えて貰うと局。そうはいかないから困っているのだと叫ぶ江。興奮したせいか、産気づく江。)

(無事に姫を産んだ江。子供は珠と名付けられました。約束が違うと嘆く大姥局。次は男子を産んでみせると江。)

(大坂城。江が姫を産んだ事をおねに知らせる淀殿。徳川とのあつれきを避けるために、城を出て行くと告げるおね。驚く淀殿に、まずは家康を信じる所から始めてみようと諭すおね。これからは京に行き、秀吉の菩提を弔うのだと言い、お互い秀吉の妻としての勤めを果たしていこうと淀殿に告げるおね。)

(おねと入れ替わりに大坂城に入った家康。おねの言った、家康を信じてみようという言葉を思い出す淀殿。)

(大津城。家康から届いた城の修繕の為の贈り物。無邪気に喜ぶ初に、これは京極家を取り込むためのものだと告げる高次。だからあなたは人が良いと言ったのだと憤る初。それを言っている場合ではないと戦慄する高次。)

(西の丸で紅葉を見ながら酒を呑む家康。)

(佐和山で、家康が西の丸に入ったという報告を受ける三成。)

(江戸城。豊臣と徳川の争いの予感の中、姉たちを思い悩む江。)

今回は、秀吉亡き後の複雑な政局が主題でした。本来、一冊の本になるほどの内容を45分にまとめ上げた手際には感服しますが、それにしても走りすぎの感は否めません。何より、正則たち諸将の登場が唐突に過ぎ、何を怒っているのか説明がなさ過ぎでしょう。

良く言われるのが三成たちは文治派で、秀吉の側近として行政面に携わっていました。一方、正則たちは武断派と呼ばれ、主として戦場で戦う事を本務としていました。今でも良く聞く、現場と本部の対立の構図がこの時もあったのですね。

また、文治派の多くは近江出身者であったのに対し、武断派は尾張出身者が多く、気質の違いもあって上手く反りが合わなかった様です。一説には、秀吉は意図的に両者を対立させ、互いに競わせる事で育てようとしたとも言われます。

その対立が頂点に達したのが朝鮮の役でした。清正たち武断派が戦場で戦う一方で、文治派は軍監として従軍し、その戦いの様子を秀吉の下に報告していました。武断派はその報告に偏りがあると感じ、自分たちの働きぶりが正確に伝わっていないと不満を抱いていたようです。

その最たる例が清正で、彼は常に先鋒として戦っていたのですが、軍艦の報告によって、明と交わした公式文書に勝手に豊臣の姓を使ったなどの罪に問われ、秀吉に蟄居を命じられています。清正にすれば、罪に問われた事柄はどれも言い分があったのですが、秀吉は報告書を信じ、清正に問い質す事もせずに処分を下してしまったのでした。清正は秀吉が自分に会ってくれないのは三成たちに籠絡されているからだと感じ、三成に対する憎悪を決定的なものにした様です。

この事件の直後に大地震が伏見を襲うのですが、その騒ぎの中、真っ先に秀吉の下に駆けつけた清正は、感激した秀吉によって罪を許されています。この事からも、直接秀吉に会う事が出来れば自分の正しさを伝える事が出来る、つまり間で事実を歪めているのは三成達だという論法が清正の中で成り立ったのでした。

他の諸将も大同小異で、必ずしも三成が何かをしたという訳ではなかったのですが、文治派に対する様々な不満が代表者たる三成に集中し、憎悪の対象とされた様です。

諸将に襲われた三成が家康に匿われたのは史実にあるとおりで、三成は騒動の裏に家康が居る事を知りつつ、公的には筆頭大老としては事態を収める責任があるという事に着目し、家康を頼ったのでした。逆手を取られた家康でしたが、三成を蟄居させると言う形で見事にやり返したというのはドラマにあったとおりです。でも、私的には、三成はもっと傲然としていて欲しかったなという気がしますけどね。

余談ですが、あの兜の似合なさといったら何なのでしょう?ひこにゃんが被ると丁度良いという位に巨大だったのは、現物を忠実に再現したという事なのかしらん。戦場で目立つには、あれくらいでなければならなかったのかな。

今回の秀忠は、視聴者に対する筋書きの説明者でした。江とのやりとりの中で、関ヶ原に至るまでのあらすじを端的に語っていましたが、時間の無い中で手っ取り早く知らしめるには効果的な方法だったと思います。まあ、不自然さは否めませんけどね。

大姥局と江の関係は、思っていたとおりになりました。意地悪な教育係とそれに耐える嫁という構図ですが、三度目の嫁入りという事でか、江があまり負けていないのが救いだったかな。でも、このドラマとしては、むしろこちらが主題なのかしらん?ここまでの江は架空の人物に近く、その描かれ方も歴史の傍観者でしかなかった訳ですが、これからは江戸城の大奥の基礎を築いたという本当の江の生涯が描かれるわけですからね。歴史のうねりはむしろ添え物で、江戸城の中で江がどう考えてどう動き、何を残したかが焦点となって来るのではないかな。そのためにも、大姥局は必要な存在だったのかという気がしています。

生きた江はここから始まる、なんていうのは言い過ぎですか。


ねこづらどき

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