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この冬二度目となる高桐院を訪れました。その狙いは椿の銘花である雪中花を見るためです。
高桐院には二週間前に訪れており、その時はまだ咲いてはいなかったものの、蕾がかなり膨らんでいるのが確認出来ました。このぶんなら、二週間後には咲いているだろうと踏んで訪れてみたのですが。
なんとまあ、二週間前とほとんど変わらない状態で、一輪も咲いていませんでした。この直前に訪れた霊鑑寺では咲いていたのですけどね、本家の方は陽当たりが悪いせいなのかさっぱりでした。
これだから、冬の花というのは判らないだよなあ。ここの前に妙蓮寺にも訪れてみたのですが、そちらもまだ妙蓮寺椿は一輪も咲いていませんでした。今年の冬は、余程寒いという事なのかしらん。
こうなったら意地なので、さらに二週間後くらいにもう一度訪れてみようかと思っています。さすかにもう咲いているはずだよなあ。また空振りになる可能性もなくはないけれど、やっぱり本家の花は見たいですからね、この冬3度目の高桐院に挑戦してみたいと思っています。
平成25年1月26日の北野天満宮です。センター試験は終わったとはいえ、まだまだ受験シーズンの真っ只中ですから、参拝者は相変わらず多いですね。
その北野天満宮で、ロウバイが見頃を迎えています。厳冬の中で咲くこの花は、しばし寒さを忘れさせてくれる貴重な存在ですね。
ロウバイが咲いているのは、本殿の西の回廊の外側です。漢字で書くと蝋梅、梅とある以上北野天満宮に相応しい木という事で植えられたのでしょうか。
もっとも、実際には梅の仲間ではなく、クスノキ目に属する全くの別種だそうですね。花の形が似ている訳でも無いのに、どうして「梅」の字が使われたのでしょうか。
あるいは、咲く時期が似ていて芳香がするという事から、同じ仲間だと捉えられたのかな。そういう意味では、似ていると言えなくもないという気もします。
本物の梅の方も、超早咲きの種類が、一輪、二輪と咲き出していました。一輪程の暖かさも感じない日ではあったけれど、春の足音が近付いているという気にさせてくれる花でしたよ。
今年の京の冬の旅、2カ所目は霊鑑寺に行ってきました。哲学の道の程近くにある寺ですが、普段は非公開であるため、中に入るのは初めてです。
霊鑑寺は、1654年(承応3年)に後水尾天皇が開いた尼寺で、代々皇室の皇女・皇孫が住職を務める門跡寺院でした。創建当初はもう少し南寄りの渓流沿いにあった事から、谷の御所とも呼ばれていました。
庭園は書院の前にあり、江戸時代中期の作とされる池泉鑑賞式庭園となっています。まあ、池とは言っても実際に水がある訳ではないのですが、趣のある良い庭ですね。
庭園と言えば境内全域が庭のようなもので、大文字山の山裾を巡るようにして順路があり、数々の銘椿や楓が植えられています。これはその中の一つ雪中花で、高桐院にその原木がある銘花ですね。
ただ、この時期に咲いている椿は少なく、たまに咲いている花は鳥に啄まれて痛んだものばかりなのが残念でした。花の盛りの時に訪れたかったですね。
御本尊は恵心僧都作とされる如意輪観音ですが、ごく小さなものであるため、外から眺めただけでは形も判らなかったのは心残りでした。もっと近くで見たかったな。
書院では、狩野永徳や元信、円山応挙という巨匠たちが描いた襖絵を見る事が出来ます。また、折りたたみ式という大きなひな人形があるのですが、着せ替えが出来るだけでなく、立たせる事も座らせる事も出来るという優れもので、これはちょっとした見物ですよ。
私的には、普段使いしていたという角だらいの塗りの見事さが印象に残っています。日常使う物なのに一級品という感じで、さすがに門跡寺院だけの事はあるという事なのでょうか。
ここは椿が見所なので、出来れば3月に入ってからの方が良いのかな。でも、一番の見所である日光椿は3月下旬から4月上旬にかけて咲く様なので、今回の冬の旅では無理な様ですね。ただし、そのための春の特別公開も別にあるようなので、それを待つのも良いかも知れません。
1月も下旬となり、1年で最も寒い季節となっています。この日の京都は、雪の予報こそ外れましたが、北から吹き付ける風が冷たく、とても寒い1日でした。
ここ真如堂でも蓮の鉢に薄氷が張っており、0度を下回っている事を窺わせます。そこに強い風が吹いていた訳ですから、体感気温は北国並だったと言えるでしょう。
さすがに境内はがらんとしたものでしたが、それでも数人ずつはお参りの人が来ていました。この時期、私の様に写真を撮りに来る人は少ないでしょうから、本当に信心深い人達なのでしようね。
境内ではまだ水仙も咲かず、馬酔木もつぼみが出ている程度で、被写体となるものは本当に少なかったですね。花と言えば、わずかに山茶花が咲いていた程度かな。
そんな中で、マンリョウが鮮やかな赤色を見せてくれていました。冬には貴重な彩りの一つですね。
そのマンリョウの向こうにビー石の様な青い実が転がっていました。たぶん、ヤブランリュウノヒゲの実なのでしょうね。子供の目には、ちょっとした宝石の様に見えるんじゃないかしらん。冬の境内で見つけた自然からの素敵な贈り物です。
実光院は勝林院の子院の一つです。元は隣接する大原陵の地にあったのですが、大正8年に同じ子院であった理覚院と普賢院を併合し、普賢院跡地である現在の位置に移転しました。
実光院に入ると最初に通されるのが客殿です。大正10年に建てられたものですが、室内に飾られている三六歌仙の絵は江戸中期のものなのだとか。また、歴代住職が集めた声明に関係する楽器が展示されていて、実際に叩く事も出来るようになっています。
実光院の拝観料は三千院と同じ700円ですが、こちらは抹茶と御菓子付きです。ネームバリューでは三千院に及びませんが、抹茶付きならこの拝観料も納得出来るものですね。
庭園は二つあり、客殿南側にあるのが普賢院跡の庭園で、契心園という名で呼ばれます。心字の池に滝が流れ落ちているのが特徴で、池の中に亀島、対岸に鶴を象った松がある鶴亀の庭になっています。
西側にあるのが理覚院跡の庭園で、広い池泉式回遊庭園ですね。ここに来るのは二度目で、前回も雪の時だったので他の季節は知らないのですが、椿なども多く植えられているそうで、一度花の盛りの時に訪れてみたいものだと思っています。
実光院を出る頃には午後1時30分を回っていました。さすがに雪は溶け始めており、これ以上雪景色を求めても無駄と思い、引き上げる事にしました。今回の大原は、慌てて出て来た割には雪景色を堪能する事が出来て良かったと思っています。山里に雪はよく似合うものね。
今年の冬は寒いので、また雪景色に出会う事は出来るかな。次もまた週末だと嬉しいのですけどね。平日だと通勤が大変になるだけだものなあ。さて、どんな事になりますでしょうか。
勝林院は天台声明の根本道場として建てられた寺です。開創は1013年(長和2年)に遡り、寂源によって開かれました。魚山という山号は、中国の声明の聖地にちなんでいるのだとか。この山号から、この寺で伝えられている声明を「大原魚山流声明」とも言うそうですね。
雪の中に佇む勝林院です。元々モノトーンの御堂ですが、白い雪を被る事で静けさが強調される様な気がします。
その御堂はというと、秀忠夫人である江に縁のあるものだったのですね。江の没後、その菩提を弔うべく春日局が発願したものだったのだとか。その後一度焼失していますが、後桜町天皇や徳川家の援助によって再建されたのが現在の本堂なのだそうです。
一見質素に見える勝林院ですが、良く見ると欄間は豪華そのものの造りです。このあたりは、さすがに将軍家縁の御堂という事でしょうか。大河ドラマ放映当時に知っておきたかった事実ですね。
勝林院の阿弥陀如来は、男前の阿弥陀様として知られています。これは最も男前に見える位置として指定されている椅子に座りながら撮った一枚ですが、確かにかなりの二枚目に見えますね。
この阿弥陀様の前にあるスイッチを押すと、魚山声明が流れ出す仕組みになっています。この声明を聞いていると荘厳な気分になってきますね。調べてみると毎年4月には声明を聞く会が開かれているのだとか。機会があれば是非訪れてみたいですね。
ここを去る時が来ても、まだ雪はほとんど溶けていませんでした。気温の低さが判るというものですが、これならもう一カ所くらい行けるかなと思い、近くの実光院を訪れました。明日はその実光院の雪の庭園をお届けしますね。
三千院の境内は広く、付近の山裾一帯を丸ごと取り込んでいる感じですね。そのうち極楽往生院のあるあたりは有清園と呼ばれ、野趣に溢れた庭となっています。
宸殿の前に佇むのがこのお地蔵様ですね。いつも気になるのですが、どういう謂われがあるのでしょうか。お顔はほとんど摩滅しており、相当な時代を経ているものと思われます。
金色不動堂へと続く道のとっつきにあるのが妙音弁財天です。音楽の神らしく琵琶を抱いた姿をしていますね。
その足下には弁財天の使いとされる巳の像が祀られていました。もの凄くリアルな造りですが、中には亀の像も入っている様です。もしかしたら玄武かなとも思ったのですが、そうでもない様ですね。水に縁のある縁起の良い生き物なら亀でも良いという事なのかしらん。
境内の北の外れにあるのが炭売翁の石仏です。大原の石仏とも呼ばれる大きな石仏で、鎌倉時代の作なのだそうです。おそらくは、かつてこの地で盛んであった念仏行者たちによって建てられたものと言われ、このあたり一帯に炭売りが多く住んでいた事から炭売翁と呼ばれているのだとか。三千院となる以前の大原の姿を伝える貴重な存在と言えそうです。
境内の北側を画するのが律川です。いくつもの堰堤が築かれている所を見ると、相当な暴れ川だったのでしょうか。雪景色の中では、赤い欄干が良いアクセントになってくれています。
雪の中でも山茶花は咲いていました。ほとんど凍り付きそうになっていますが、赤と白の対比はいつもながら鮮やかなものです。山茶花は、雪の日には有り難い花の一つですね。
明日は三千院を出て勝林院に向かいます。
雪の三千院を訪れるのは3年ぶりの事、四季を通して風情のあるところですが、冬にこそその神髄がある様な気がします。
三千院に着いたのは昼を少し回った頃でした。それでも、雪がほとんど溶けずに残っていたのは嬉しかったですね。これが京都市内だと、そろそろ地面の雪が無くなってくる頃だと思われます。さすかに、山里だけの事はありますね。
三千院もまた、この日は参拝客は少なめでした。雪というのは、観光客を惹き付けるよりも、遠のける効果の方が高いのでしょうか。私にとっては、雪の三千院というのは魅力一杯なのですけどね。
ただ、建物内では靴を履かないので、足が冷えてしまうのが難点ですね。うっかり廊下の濡れている部分を踏んだりするともう最悪です。濡れた靴下が氷の様に冷たくなって、ただ歩くだけの事が、ほとんど苦行の様になってしまいます。
この日はどういうものか、いつもは広間になっている客殿に襖が入れられており、小部屋に区切られていました。なんだが勝手が違って戸惑ったのですが、寺の方針が変わったのでしょうかね。参拝客が少ない時は良いけれど、混雑する時期は人が溢れちゃうんじゃないかな。
冷たい雪の中で、清冽な水が流れているというのも風情があるものですね。ただ、この日は氷ってしまった水道栓も多く、ひねっても水が出ない蛇口がいくもつありました。そんな中で氷が張っていないのは、この水が地下水だからなのかな。
雪の三千院と言えば、やはりこの景色でしょうか。樹間に佇む雪を被った往生極楽院は、これぞ京都の冬といった風情を感じます。実際には人の行き来が結構あるのですが、写真からは静けさだけしか伝わって来ないでしょう。この景色を見る事が出来ただけでも、ここまでやって来た甲斐があったものだと思います。
明日は雪の境内を散策しますね。
寂光院は大原の西にあるのに対し、三千院は東に位置しています。この二つの寺の間にあるのが国道367号、いわゆる鯖街道ですね。三千院に行くには、まずこの鯖街道を渡らなくてはなりません。
三千院は山裾にあり、鯖街道からはずっと坂道を上っていく事になります。その取っつきにあるのが菜の花畑なのですが、この日はすっかり雪に覆われていました。でも、この雪の下には菜の花の苗が確かに息づいていましたよ。もう暫くすれば、黄色い花が咲き出す事でしょうね。
大原郷土館では、格子戸越しに水車を見る事が出来ます。かつてはこの山里でも、水車が回る景色がそこかしこで見られたのでしょうか。
三千院までの道沿いは土産物店が立ち並び、ちょっとした商店街の様になっています。でも、閉まっている店も多く、だんだん寂しい感じになって来ている気がしますね。
道に沿って流れているのが呂川。小さな谷川ですが、春には青葉が彩り、秋には秋海棠が咲き乱れる風情のある川でもあります。雪化粧した河原もまた良いものでしたよ。
商店街から逸れて農地に出てみました。ここは遮る物が無いので、広々とした雪景色だけが広がっています。
雪だるまを作る子供が居ない代わりに、大人がこんな雪だるまを作っていました。近くの店の人が一生懸命に作業をしていたのですが、これは何だろう、梟なのかな。さすがに子供の遊びとは違って手が込んでいますね。
次は商店街を抜けて三千院へと入って行きます。
山里の道を通って寂光院にたどり着きました。この山寺もまた雪に埋まっています。
山門に至る階段は雪かきがしてありました。参拝者のために朝早くから行ったのでしょうけど、これだけの階段ですからさぞかし大変だったろうなと思います。
寂光院は建礼門院ゆかりの寺。一度は壇ノ浦に沈みながら助けられ、晩年をここで過ごしました。女院がこの寺で過ごしたのは28年余り、その間にはこんな雪の日も何度かあった事でしょうね。
静かな雪の日は、女院にとっては心休まる時間だったのでしょうか。それとも、海に消えた一門を思う辛い時間だったのか。ここに来ると平家の最期を思い浮かべずには居られません。
それにしても、雪の寂光院は風情があって良いですね。この雪景色を見に観光客が押し寄せそうなものですが、ほとんど貸し切りの様なもので、静かに雪景色を堪能する事が出来ました。
ここから再び山里の道を引き返し、今度は三千院へと向かう事にします。明日は三千院までの道のりを紹介しますね。
平成25年1月19日の大原です。この日の朝、どこに取材に行こうかとネットでライブカメラをチェックしていたところ、大原が雪景色である事に気付きました。前日に降った雪がそのまま残っていたのでしょうね。我が家から大原まではおよそ2時間、少し出遅れたかなと思いましたが、急ぎ出掛ける事にしました。
大原に着いたのは午前11時の少し前、そろそろ雪が溶けてくる頃かと思われました。でも、この日は気温が低かったのが幸いしたのでしょう、まだ新鮮な感じで雪は残っていました。
この日の大原の気温は、-7度まで下がったそうですね。そのせいで雪は溶けずに残っていたのですが、その代わり道の日陰の部分には氷が張っていました。注意して歩かないと滑って転んでしまいそうになり、ちょっと困りましたよ。
最初に向かったのは寂光院、その道すがらは大原の里らしい景色を楽しむ事が出来ます。ここは四季を通じて山里の風情がありますが、雪景色は特に良いですね。
ただ、歩いていて思ったのですが、雪だるまとか子供が遊んだ形跡が全く無いのですよ。大原でも雪は珍しく、子供が遊び飽きているという事はないと思うのですが。
調べてみると、大原でも極端に子供の数が減っている様ですね。高野川の畔に大原学院という小中一貫校があるのですが、そこのホームページに依れば一学年に一桁の生徒しか居ない様です。
これでは雪にはしゃぐ子供の姿が見えないのも無理はないかという所でしょうか。静かなのは良いけれど、やはり寂しいですよね。京都の町中でも同じ事が起きているけれど、この山里も過疎化が進むのかと思うと複雑な気持ちになってきます。
冬の植物園なんて楽しみがないと思われるかも知れませんが、私は結構好きですね。一見して冬枯れの世界ですが、人の居ない静かな園内を歩くのは落ち着いた気分になれて良いものです。それに植物園だけあって、少し探せばそこかしこに花が咲いているのですよ。
冬の植物園の代表的な景色が蘇鉄の薦巻きですね。南方系の植物である蘇鉄を寒さから護る為の措置ですが、この独得の造形を見ると如何にも冬なんだなという気分がしてきます。
この澄み切った青空もまた、冬ならではですね。比叡山が見えるこのポイントはお気に入りの場所の一つなのですが、冬枯れの木々と青空の組み合わせは、この季節らしい景色だと思っています。
もう一つのお気に入りの場所である山茶花の小道もまだ花盛りでした。どちらかと言うと晩秋のイメージの方が強いこの花ですが、この時期でも満開と言って良い咲きっぷりでした。たぶん、今月いっぱいくらいは保つんじゃないかな。
椿は早咲きの種類が咲いていますね。これは桃色雪中花で、雪中花よりも花色が濃く、これはこれで美しいですね。花の形も上品で良い感じです。
こちらは淡妙蓮寺。妙蓮寺椿の近縁種になるのかな。花の形はほとんしど同じで、色合いが確かに淡い感じがします。本家の妙蓮寺ではまだ咲いていませんでしたが、こちらは一足早かった様ですね。
球根ガーデンでは、早春の使者であるスノードロップが早くも咲いていました。まだスプリングエフェメラルの出番には早すぎると思われるのですが、この花を見ると季節は着実に春に向かって動いているのかなという気がしてきますね。
冬枯れの中にも季節の移ろいが感じられる、そんな植物園の散歩道を歩いてみるのも良いものですよ。
寒さが続くこの頃ですが、ロウバイが咲く季節でもありますね。そろそろ咲き出しているかと思い、京都府立植物園に見に行ってきました。
結果としては、満開とは行かないまでも結構咲いていましたね。この日(1月12日)でおよそ5分咲きくらいだったかな。
ロウバイは見た目の派手さは無いのですが、その独得の柔らかい色合いが冬の寒さの中にあって、ほんのりとした暖かみを感じさせてくれるのが良いですね。
そして、何より香りが素晴らしい。冬の凜とした空気と良く合う澄み切った芳香が、寒さで荒んだ気持ちを癒してくれます。
こちらは、種類の違うウンナンロウバイです。ロウバイに比べると花の色がやや白っぽく、香りも少し強い様に感じますね。京都府立植物園では、どちらも梅林に植えられており、同時に楽しむ事が出来ますよ。花期は同じように長く、2月上旬まで楽しめると思われます。花だけなら、2月下旬でも保っているかも知れませんね。
ねこづらどきが9周年を迎えました。9年と言えば長いようですが、過ぎてしまえばあっと言う間ですね。初めて記事を書いた日がつい昨日の事の様に思われます。
年数が長いだけが取り柄のブログですが、地道にほぼ日々更新を重ねてきた事は少し自慢出来るかな。実際には休日にまとめて記事を書き、後は予約投稿にしてあるのですが、仕事を持つ身としてはこうでもしなければ保たなかった事でしょう。実際、更新が途絶えそうになった時も何度かあったしね。
何にしても、こうして続けてこられたのは、訪れて下さる皆さんが居るおかげです。読んで貰えているという手応えがなければ、とてもやってられないものね。
これから10年目に入る訳ですが、特に変わった事をやるつもりはありません。これまでどおり、こつこつと足で集めた京都の最新の情報を中心にお届けしようと思っています。変わり映えはしませんが、これからも当ねこづらどきをよろしくお願いいたします。
冬の高桐院です。秋の紅葉で知られるこの寺ですが、冬の静けさもまた素敵な場所ですよ。
高桐院は細川忠興が開いた細川家の菩提寺です。その忠興の墓がこの灯籠で、熊本から遺歯が運ばれてここに埋葬されました。
庭にある灯籠は、墓標の写しですね。利休遺愛の灯籠と言われ、秀吉が所望した時に利休自らが斧で笠を叩き割り、傷物になったので譲れないと断ったという曰くのあるものです。その割れた笠まで再現してあるのがこの写しの値打ちというべきでしょうか。
この時期に好んで来るのは、椿が見たいからという理由もあります。雪中花という銘木があるからですが、この日はまだ蕾だけで咲いていませんでした。たぶん今月末くらいには咲いているかと思われるので、もう一度見に来たいと思っているところです。
その雪中花こそさいていませんでしたが、他の椿はいくつか見る事が出来ました。これはたぶん詫び助かな。白い、清楚な花ですね。
こちらは墓所の近くにある椿で、種類は判りません。蹲にこの花びらが散っていたりして、風情を感じさせてくれる事もありますね。
静けさが取り柄の冬の高桐院ですが、この日は団体さんが来てしまったため、せっかくの静寂が破れてしまいました。仕方がないので早々に退散したのですが、その帰りに出会ったのがこの猫です。背景に溶け込んでいて初めは気付かなかったのですが、カメラを向けても逃げない大人しい猫でした。
次に訪れた時は、雪中花と静かに向き合えると良いのですけどね。
第47回京の冬の旅が始まっています。毎回楽しみなのが非公開文化財の特別公開なのですが、その一カ所目として慈照院を訪れてきました。
慈照院は相国寺の塔頭で、相国寺の広い境内とは道路一筋隔てた北側に位置しています。創建は1405年に遡り、相国寺13世の在中中奄によって開かれました。当初の寺号は大徳院と言いましたが、1490年に足利第8代将軍の義政公の影堂となった事で、その法号を採って慈照院と呼ばれる様になっています。
このため、寺には義政公の位牌や座像があり、今回の特別公開でも見る事が出来ますよ。ただ、暗い中、遠くからしか見る事しか出来ないため、はっきりとは判らないのが残念なのですが。
慈照院は臨済宗の寺らしく、庭がそこかしこに整備されています。その中でも山門内にあるこの庭が一番禅寺らしい枯山水かな。ここは普段でも、山門の外から覗く事が出来る場所ですね。
客殿前には巨大な松である陸船松(りくせんしょう)のある枯山水があります。この松に意識が行き勝ちですが、この右手の方に石組みがあって、そちらが庭の中心である事が判ります。
江戸時代に入ると、当院第7世の仏性本源国師が、桂宮家初代の智仁親王、二代の智忠親王と親交を深められ、1629年には桂宮が当院の境内に御学問所を建てられました。その3年後に御学問所は本源国師に下賜され、書院棲碧軒(せいへきけん)として今に伝わっています。写真右手の建物がそうで、桂離宮と建材や技法が同じなのだそうですね。また、慈照院は桂宮家の菩提所でもあり、この縁から八条宮家の位牌のみならず、墓所が境内に隣接して存在しています。
本源国師はまた、千宗旦とも親交がありました。茶室・頤神室(いしんしつ)は宗旦との合作と言われ、宗旦好みの席とも言われています。いわゆるにじり口が無く、障子二枚の貴人口があるのが特徴だそうですね。
この茶室には宗旦狐の伝説があり、ある時、慈照院で開かれた茶会に宗旦が遅れて来ると、先に来ていた宗旦狐が手前を披露しているところでした。宗旦はその手前の素晴らしさに感心してしまったのですが、正体を見破られたと気付いた狐は窓を破って逃げてしまいます。この時狐が破った窓は大きく穴が開いてしまい、修復はされたものの、茶室には不釣り合いな大きな窓になってしまったとされています。写真の中にわずかに見えているのがその窓ですね。実を言えば、この窓が見たくて慈照院に来た様なものなのですよ。
この茶室には宗旦狐の掛け軸が賭けられているのですが、これも暗くて良く見えなかったのが残念です。もっと間近で見たかったな。また、右手には布袋像が安置されているのですが、この像の首はすげ替えられるようになっており、利休の首が別に用意されているのだそうですね。罪を得て切腹させられた利休を堂々と祀るのははばかりがあったため、この様な仕掛けがしてあるのだとか。この布袋像も実際に見る事が出来ますよ。
慈照院は観光寺院で無いためあまり知られていませんが、見所の多い特別公開だと言えそうです。
出町柳の常林寺で椿が咲いています。ここは萩で有名な寺ですが、今の時期は少ないながらも椿を見る事が出来るのですね。
今は萩はすっかり刈り取られていて、秋の頃に比べると殺風景な境内になっています。そんな中で咲いているのがこの花で、たぶん雪中花だと思われます。本当に上品で綺麗な花ですよね。
ここには京鹿の子と思われる椿もあるのですが、この日はまだつぼみでした。代わりに咲いていたのが山茶花で、今はあちこちで盛りとなっていますね。
かすかに良い香りがしていたのは、ロウバイが咲きかけているからでした。一見、見るべきものが無い様な境内ですが、探せば意外な程花が咲いています。誰も居ない場所で静かに花と向き合える、この時期お気に入りの場所の一つです。
今年も回女子全国都道府県対抗駅伝の観戦に行ってきました。今年で31回目を数えるこの大会は、新春の都大路を彩る風物詩の一つとなっています。
我が家の観戦は今年で6年連続、場所はいつもと同じ丸太町通でした。ここは往路の4区、復路の7区に相当します。
今年の戦前の予想では、前年優勝の大阪を軸に、神奈川、千葉といったあたりが有力かと言われていました。これに地元の京都や兵庫がどう絡むかというところが見所だったのですが、結果を見るとほぼそのとおりの展開が繰り広げられました。
観戦中は全体の展開は把握出来ない訳ですが、帰ってからネットで詳しく見ると、トップがクルクルと入れ替わる面白いレースだったと言えそうです。優勝したのはこの神奈川で、26年ぶりという上に、大会新記録というおまけ付きでしたね。
一番の誤算に見舞われたのは京都でしょうね。アンカーでエースの野口みずき選手が大会当日に欠場してしまい、中心選手が居なくなった事はチーム全体に大きく影を落とした事でしょう。9位の結果は不本意だったろうな。それにしても急性胃腸炎は、相変わらず猛威を振るっていますね。
優勝争いには絡まない、中段の争いも現地観戦の醍醐味の一つです。テレビにはほとんど映らない部分ですが、ここでも選手は懸命に戦っているのですよ。どの選手も地元の声援を受けて、全力で走っている姿は良いものですね。
今は大阪府民である私にとっては、大阪勢の活躍は嬉しかったです。7区をトップで帰って来た時は思わず声が出たものな。最後に3位に落ちてしまったけれど、ずっと上位争いを続けた選手たちには拍手を贈りたいと思います。
遠くから来た選手たちにも、京都の人達は暖かい拍手と声援を欠かす事が無かったです。地元だけに偏る事のない応援は、いつもの事ながら気持ちの良いものですね。選手と観戦する人達との一体感もまた、駅伝の醍醐味の一つです。
来年もまた選手達の熱い走りを見に観戦に訪れたいですね。
妙蓮寺の御会式桜が綺麗に咲いています。花の少ないこの時期、はんなりした雰囲気を見せてくれる貴重な存在ですね。
妙蓮寺は昨年大規模な修理が行われていたのですが、今はそれも終わって木肌も真新しい御堂に生まれ変わっています。こうして絶え間なく手を入れて行く事で、木造の御堂も100年、200年と保つのでしょうね。
綺麗に咲いていた御会式桜ですが、2本あるうち、手前の木には茸が生えており、かなり弱っているのではないかと推測されます。遠からず枯れてしまうのではないかと、気がかりなところではありますね。
もう一つ期待していた妙蓮寺椿はまだ蕾でした。その蕾をついばみにメジロが飛来していましたから、あまり綺麗な花は期待できないかも、ですね。
その椿の代わりという訳でもないのですが、タンポポが咲いているのを見つけました。この寒空の中良く咲いていたものですが、地面の際は暖かいという事なのかな。少し早すぎるけど、早春の色を垣間見せて貰った一時でした。
巳年に縁のある神社シリーズ、今度は玄武神社にやって来ました。
ここは直接巳が祀られている訳ではないのですが、その名の通り玄武が祀られているのですね。
玄武はこの絵馬の方が判りやすいかな、亀に蛇が巻き付いた姿をしているのです。都を護る四神の一つで、北の守り神とされています。
玄武神社は都の北を守る神社として創建されたもので、惟喬親王を御祭神としています。ここも巳に縁のある神社としてもっと賑わっているかと思ったのですが、何とも静かなものでした。ねずみ年やうさぎ年と違って、巳年は縁の神社にお参りする人は少ないのかしらん。
それはともかく、ここは4月にやすらい祭がおこなわれるそうで、一見の価値はありそうですね。4月の第二日曜日という事で、一度訪れてみようかと思っているところです。
巳年にふさわしい神社、寺を訪ねるシリーズ、今度は大豊神社に行って来ました。
ここは狛ねずみが居る事で知られる神社で、ねずみ年にはツアー客が押し寄せるという騒ぎになった事も記憶に新しい所です。
ここに新たに狛巳が出来たと聞き、さぞかし参拝客が押し寄せている事だろうと出掛けてみたのですが、案に相違して閑散としたものでした。
ちょっと意外だけど、それほど情報が行き渡らなかったという事なのでしょうか。それとも、古くからある狛ねずみと違って有難みが少ないという事なのかな。
まあ、静かな境内というのもこの神社らしくて良いですよ。ゆっくりと狛巳を見て、早くも咲き出したロウバイの香りを楽しむ事も出来ました。巳年の初めに参拝するのにお薦めの神社の一つです。
普段は観光客の列の絶えない三年坂界隈ですが、早朝ならこんな感じです。京都らしい風情を感じるには良い時間帯でしょう。
店は開いていないけれど、千枚漬けのディスプレイは置いてありました。これって、夜中はカバーを掛けてあるのでしょうか。それとも早朝から積み直したのかな。
三年坂もまだ静かなものですね。手前の虫籠窓のある民家はたぶん江戸時代からのもの。この界隈ではもっとも歴史を感じさせる存在です。
この日は1月2日だったのですが、こんなに朝早くからでも清水寺に向かう人が結構居ました。さすがに清水寺というか、混雑する前にお参りを済ませておきたいという事なのでしょうか。
その朝一番から空いていたのが瓢箪屋さん、商売熱心ですね。これはちりめん招き猫、あんまり可愛いので撮らせてもらいました。お土産に買って帰るには丁度良いすも知れませんね。
「冬はつとめて」シリーズの散歩は、今回はここまでです。シーズン中にもう一回か二回はやろうと思っていますので、よろしければまたご覧になって下さい。
出町柳から電車に乗って洛東へと移動しました。最初に訪れたのが建仁寺です。
出町デルタで日の出を迎えてから既に30分は過ぎていたのですが、こちらの方がより山に近いせいでしょうか、まだ日の出直後の様な感じでした。朝焼けという程では無いにせよ、良い感じの色合いです。
その朝日にほんのりと染まった火頭窓と白壁。
まだ拝観が始まる前でしたが、法堂では扉を開け放して掃除が行われていました。きっと毎日の掃除も修行の一環なのでしょうね。
長く修理が行われていた開山堂も完工した様です。また、方丈の覆いも取れており、真新しい屋根が見えていましたよ。栄西禅師八百年大遠諱の記念事業としての修復もこれで一段落し、次は法堂の瓦葺き替えが8月から12月にかけて行われる様ですね。それが終われば大遠諱法要が行われるのだとか。建仁寺は今年から来年にかけて何かと騒がしくなりそうです。
毎年恒例となっている冬はつとめてシリーズ、今年は出町デルタに行って来ました。ここなら川もあるし、大文字山や比叡山も見渡せるというロケーションに賭けてみたのです。(撮影は全て1月2日です。)
ここに着いたのは午前6時30分頃、まだ辺りは真っ暗で有明の月が残っていました。
この日は快晴だったのですが、思った程には朝焼けになってくれなかったですね。もう少し劇的な赤色を期待していたのだけどな。
それに気温も比較的高めで、川面に靄や毛嵐が出るといった状況にはほど遠かったのも残念でした。なかなか冬の情景というのは出会い難いものですね。
それにしても、ここは野鳥の天国なのですね。ほんの1時間ほどの間に、夥しい数の野鳥が次々と飛来して来ましたよ。それを見ているたげでも飽きなかったな。中には、私を餌やりの人と間違えたのでしょうか、周囲をぐるぐると飛び回るユリカモメが居ました。しばし流し撮りの相手になってくれて、なかなか面白かったです。
誤算だったのが日の出の時刻で、あらかじめ調べておいた標準の時間では7時5分となっていました。ところが、やはり山があるからでしょうか、実際に上ってきたのは7時35分を回ってからの事でした。予定より30分のオーバーで、それほど冷え込んではいなかったとは言え、じっと待つ身には随分と堪えましたよ。しかし、夜明けは待っただけの甲斐のある美しさで、これだから「冬はつとめて」シリーズは止められないんだよなあ。
次は洛東に移動して、早朝の街を歩きます。
今年も皇服茶を頂きに、六波羅蜜寺を訪れてきました。皇服茶とは、一年間の無病息災を願って呑む、縁起物のお茶ですね。
いつもはかるた始めの後、昼遅くに行くので混雑しているのですが、この日は早朝だったためとても空いていました。並ばずに済んだのは初めてだったんじゃないのかな。
例年と違うのは、お茶を頂く場所が奥に出来ていた事で、混雑緩和の狙いがあるのでしょうか。正月の行事として、それだけ皇服茶が定着しているという事なのかな。
これが皇服茶ですね。お茶の中に昆布と梅干しが入っており、それぞれを食べる事になっています。そして梅干しの種は財布の中に入れておくのだとか。特に説明は無いのですが、お金に困らなくて済むようにというおまじないなのでしょうか。なお、稲穂は福徳自在初稲穂で、福徳を授かるとされ、入り口で授与されます。
六波羅蜜寺は平家縁の寺でもあり、清盛の供養塔が残されています。以前は雨ざらしだったのですが、一昨年の11月に歌舞伎俳優の板東玉三郎さんの寄付によって屋根付きに改修されました。低視聴率に終わった「平清盛」は、昨年末の紅白歌合戦で一言も触れられなかった様に忘れ去られ様としていますが、清盛が居たという史実まで消える訳ではないので、折に触れて取り上げていきたいと思っています。
下鴨神社の摂社である河合神社が、最近、面白い事になっています。美人になれる神様として大いに売り出しているのですね。
河合神社は下鴨神社の参道入り口近くにある神社で、以前はそれほど目立つ存在でもありませんでした。方丈記の庵が復原されている程度で、いつ行っても静かな境内があるだけでしたね。
ところが、このところ参拝客が目に見えて増えてきています。そのほとんとが若い女性だというのが大きな特徴ですね。
そのきっかけとなったのが鑑絵馬でしょうか。表面に自分の化粧品を使って顔を描き、裏面に願い事を書いて奉納するという趣旨です。美しい女性になれますようにと願いを込めて顔を描くのだそうですが、これが登場したのが数年前だったかな。
以来、美人の神様として知られる様になって来ていたのですが、昨年末にはこの美人水が登場しました。カリンを原料にしているらしく、美肌効果を期待出来る様です。本殿の横にある大炊殿にはカリンの庭がありますからね、そこで採れたものなのでしょうか。私はさすがに下さいとは言えなかったのですが、暖かくて寒い時には美味しそうでした。
同じくカリンを原料とした美人飴というのもありました。何時の間にこんな商品を開発したものなのやら、以前の河合神社からは考えられない変貌振りですね。でも、神社も人が来なければ寂れる一方ですから、これはこれで意味があるのでしょう。それで喜ぶ人が居るのなら、それに越した事も無いでしょうしね。
美人水、美人飴共に値段は350円です。女性の方が主となるでしょうけど、男性でも話の種に試してみるのも面白いかも、ですよ。
今年は巳年ということで、巳に縁のある社寺が賑わっている事でしょうね。その一つと思われるのが妙音弁財天、出町にある御堂です。
妙音弁財天については以前にも紹介しているのですが、御本尊は伏見宮家に伝わっていた弁財天の絵図です。明治より以前、伏見宮家の屋敷がこの地にありました。維新後、宮家は東京に移り弁財天の絵図も一緒に東京に行ったのですが、地元の熱心な誓願により絵図だけ故地に戻され、屋敷跡に今の御堂が建てられたのでした。
妙音弁財天は鳥居があり、拝殿には鈴がとりつけられていて、どこからどう見ても神社なのですが、実は寺という位置付けです。伏見宮家の菩提寺である大光明寺が管理しており、その飛び地境内になっているのですね。寺である証拠に拝殿には真言が書かれており、7回又は21回繰り返して下さいと記されています。まあ、明治以前の神仏混淆の姿がそのまま残っていると思えば良いのでしょうか。
絵図を収めるのがこの六角堂です。火災と盗難から守る為なのでしょうね、塗り籠めの頑丈な造りになっています。なお、現在は絵図は承天閣美術館で保管されており、祭礼時などに元に戻されるそうです。
巳の絵馬は拝殿の内部や背後に掲げられています。巳は弁天様の使いとされているのですね。リアルな絵図から漫画チックなものまで様々ですが、きっと信者さんが手書きしたものなのでしょう。
妙音弁財天は出町柳駅を出て西へおよそ300mです。便利な場所ですし、巳年の年初にお参りするには良い場所ですよ。ただ、境内が狭いので、混雑が心配ですけどね。
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