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2012年11月

2012年11月30日 (金)

京都・洛西 京都紅葉事情2012 ~宝筺院 11.24~

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平成24年11月25日の宝筺院です。この日は紅葉が見頃を迎えたところたでした。

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宝筺院はもみじ寺として知られる寺で、境内はほぼもみじで埋め尽くされています。ですので、この時期には紅葉で溢れる事になるのですね。

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この寺を訪れるのは二度目でしたが、やはり素晴らしいものがありました。手入れは無論されているのですが、野趣に富んだ風情が何とも言えず良いですね。

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一番綺麗だったのは、入り口から本堂にかけてでした。ただ、そこは行列が渋滞していて、上手く写真を撮る事が出来ないのです。ゆっくり撮るには、拝観開始直後か終了間際に行くしかないのかな。

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宝筺院は、この日の前後が盛りだったのではないかと思われます。ですので、今頃は名残の紅葉になっている頃なのかな。これだけのもみじがあるので、敷紅葉もきっと素敵なのでしょうね。

2012年11月29日 (木)

京都・洛北 京都紅葉事情2012 ~源光庵 11.24~

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平成24年11月24日の源光庵です。この日は境内一円で、紅葉が見頃となっていました。

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この日は本当に素晴らしい紅葉で、山門周辺から庭園まで、全ての木が色付いていました。ここがどこもかしこも一度に色付くというのも珍しいんじゃないでしょうか。

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本堂前のもみじの大木も、このとおり色付いていました。この木がこれだけ綺麗に紅葉したのは、初めて見たような気がします。

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庭園はこんな感じで、オレンジ色に染まっていました。ここが少し物足りなかった部分なのですが、2010年の写真を見ても同じ様な感じですね。つまりは、ここはこんな感じの紅葉をするところという事なのかな。

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一点残念だったのは、迷いの窓から見えるもみじが散っていた事で、どういうものかこの木だけが今年は駄目だった様です。2010年には他の木より赤く色付いて居たのですけどね、気候の作用というのは不思議なものです。

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悟りの窓から見る景色は、とても素晴らしいものでした。2010年も綺麗だと思ったのですが、それ以上ですね。写真を撮る順番待ちは大変だったけれど、頑張った甲斐はありました。

今年は10年に一度の紅葉と言われますが、その言葉が当てはまる場所というのはそれほど多くありません。その中にあって、源光庵はそう言いたくなる程の美しい紅葉を見せてくれました。人出は多かったですけどね、訪れた甲斐があったというものですよ。

2012年11月28日 (水)

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~清水寺 11.23~

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平成24年11月23日の清水寺です。この日は紅葉が見頃を迎えつつあるところでした。

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この日は境内のほぼ全域で色付いていたのですが、まだオレンジ色の木が多く、盛りとは言えない状況でした。

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舞台からの眺めはこんな感じで、まだ少し色合いが薄い事が判るでしょうか。この数日後に盛りを迎えたんじゃないかと思うのですが、どんな感じになったのかな。

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その眺めの中で一点目に付いたのが子安の塔です。2009年の春から解体修理が行われていたのですが、3年半振りにその姿を見せてくれました。以前の古塔の風情はなく、端正な印象のする、美しい塔に変身しています。近くにも行ってみましたが、朱色に塗られているだけで、模様は何も描かれていませんでした。だからあっさりした印象を受けるのでしょうけど、意外な感じもしますね。でも、これからは、紅葉や桜の中で、この姿が一段と映えて見える事でしょう。

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舞台の周辺の紅葉はこんな感じで、やはりオレンジ色が強く、物足りない感じでした。この後順調に赤く染まったのかどうか、気になるところではあります。

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三重塔下の木は、毎年赤く染まります。今年も期待に違わず、美しい紅葉を見せてくれました。この一角は、本当に裏切らないですね。

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成就院前の放生池でも、今年は綺麗に染まっていました。ここは上手く紅葉しない事が多いのですが、今年の気候は良い方に作用した様です。その代わり、この北岸にあるもみじの葉は縮れて散っており、無惨な姿となっていました。なかなか両立するという事は無い様ですね。

清水寺はどうだろう、そろそろ盛りを過ぎてきた頃なのかな。次の週末は名残の紅葉となっているかしらん。でも、ライトアップならまだ楽しめる事でしょうね。

2012年11月27日 (火)

京都・洛北 京都紅葉事情2012 ~京都府立植物園 11.22~

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平成24年11月22日の京都府立植物園です。この日は様々な木々の紅葉が見頃を迎えていました。

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北山門を入ってすぐに目に付くのがトウカエデの大木です。植物園のシンボルツリーの一つですが、紅葉が美しい事でも知られます。この日は落葉が盛んで、既に盛りが過ぎつつある所のようでした。少し色付きが薄いかなという気もしますが、この姿を見られた事で良しとしておきましょうか。

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今や、植物園の紅葉における一番人気となったフウの木です。樹齢100年の大木が赤く染まる様は、素晴らしいの一言ですね。今年はまんべんなく良い感じで色付き、見応えがありましたよ。まだ少し浅い色付きに見え、もう少し赤くなりそうな気もしたのですが、この後どうなったでしょうね。

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植物園は様々な樹種が植えられており、多様な紅葉を楽しむ事が出来ます。でも、やはり旬の時期の主役はと言うと、もみじになって来ますね。(この写真だけ17日に撮ったものです。)

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広い植物園の中でも、なから木の森の池の周辺が紅葉銀座と呼ばれるポイントで、特に美しい紅葉が見られる事で知られます。

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この日は閉園間際に訪れたのですが、夕暮れ時に見る紅葉は幻想的で、より美しく感じました。

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ここは森と名の付くだけあって、深い奥行きを感じさせてくれるところが良いですね。

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植物園の紅葉も、そろそろ盛りを過ぎて来る頃なのかな。風に舞い散る落ち葉が美しい事でしょうね、きっと。

2012年11月26日 (月)

京都・洛北 京都紅葉事情2012 ~上賀茂神社 11.22~

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平成24年11月22日の上賀茂神社です。この日は境内の全域で紅葉が見頃を迎えていました。

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例年なら上賀茂神社の紅葉にも順番があって、この勝負のもみじあたりから始まります。そして、冒頭のならの小川は最後の方になるのですが、今年はどちらも同じ時期にピークを迎えていました。

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この日の白眉はこのもみじで、これ以上無いというくらいに見事に赤く染まっていました。風流桜の東側にある小振りな木でして、毎年のように赤く染まってくれていますね。今年は特に見事で、この日見た中では最高の紅葉でした。

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御所舎の東にある小さなもみじも、綺麗に染まっていました。この木がこれだけ染まったのは2006年以来じゃないかな。

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その東にあるもみじも綺麗になっていました。まだオレンジ色が強いですが、この後間もなく赤く染まった事でしょう。

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無論、綺麗な木ばかりではなく、例年より順番が遅れていた木もあります。二の鳥居の西側の木がそうで、いつもなら勝負の楓と共に色付くのに、今年はまだ色付き半ばといったところでした。また、二の鳥居を入ってすぐのもみじもまだ色付いていなかったですね。

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多少の前後はあるにせよ、総じてこの日の上賀茂神社の紅葉は綺麗でした。今年見た中でも上位に入るんじゃないかな。かなりの当たり年だったとは言えそうですよ。

2012年11月25日 (日)

平清盛 第46回 「頼朝挙兵」

(治承4年(1180年)4月。令旨を受け取った頼朝。平家は俄仕立ての軍勢で勝てる相手ではないと慎重に構えます。頼政の加勢があると行家。源氏の御曹司が立ち上がったとなれば皆が勢いづくと時政。その声に推されて戦支度を始めた頼朝。)

(福原。仏御前と戯れる清盛。立ち去る祇王と祇女。清盛の国造りに疑問を感じる小兔丸。)

(以仁王の館。急に上洛した清盛からの呼び出しを受ける頼政。令旨が露見したのかと恐れる王。)

(六波羅。福原遷都を頼政に明かす清盛。何故と訝る頼政。海に近いからだ、それが義朝と共に目指した武士の世の要となると清盛。かつて義朝に仕えた頼政にはやって貰わなければならない事が山程ある、長生きせよと清盛。平伏する頼政。)

(知盛を見舞う清盛。仏御前の存在を時子の前で仄めかす時忠。慌てる清盛。横になっていると、馬が駆け回っているのが判る、都が騒がしいと知盛。)

(福原。清盛に令旨の存在を突き止めたと報告する時忠。上洛には及ばない、平家の武力をもってすれば問題ないと清盛。)

(以仁王の館。露見した事を知った以仁王。園城寺に逃れようと頼政。寺は遠いと以仁王。女装して行けば判らないと八条院。)

(福原。頼政謀反を伝える盛国。驚く清盛。)

(館に火を放ち、園城寺に向かった頼政。)

(同じもののふの頼政にさえ、自分の国造りが判らないと言うのかと叫ぶ清盛。自分の国造りが判らぬ者はこの世に要らぬ、何としても頼政を討ち取れと命ずる清盛。)

(園城寺に逃げ込んだ王と頼政。)

(平等院。宇治川の戦いで敗れた頼政。平家軍に攻め立てられ、一室に逃げ込んだ頼政と仲綱。清盛はこの国の宝か災いかと測りかねていた、今もってそれは判らないと頼政。父が源氏の魂を取り戻してくれた事が嬉しいと言って自害した仲綱。以仁王を逃がし、自ら果てた頼政。)

(討ち死にした以仁王。)

(呆然とする八条院。)

(鳥羽院。月明かりを見上げながら今様を歌う後白河法皇。)

(伊豆。以仁王の敗亡を聞き、戦を思い出す頼朝。)

(六波羅。福原遷都を宣言する清盛。慎重論を説く一門を尻目に10日の内に強行すると清盛。)

(6月。福原に遷った安徳帝と高倉院。)

(この遷都はなさねばならねばならぬ事だったのかと院。上皇が治天の君となり、世が変わった事を示すにはこれが最も良かったのだと清盛。)

(自分は飾りものだと院。父の国造りはまだ途中だと徳子。)

(西八条第。側女の存在考慮し、福原には行かないと時子。)

(伊豆。遷都を頼朝に伝える時政。そこに現れた佐々木兄弟。彼らは平家の国を巡る土地の小競り合いが増えていると伝えます。武士の世とつぶやいて髭切の太刀を取る頼朝。あの方の目指して来た武士の世とは、平家ばかりが良い思いをする世なのかと叫ぶ頼朝。)

(福原。清盛の下を訪れた西行。輪田の地が意外に狭く、ここを仮の御所とし、貴族たちに土地を分けてやることにしたと清盛。上皇のご容体が芳しくないと聞くと西行。仮の御所の方角が悪いのかと清盛。遷都のご心労、皆の心は都に残っているのだと西行。)

(仏御前を呼ぶ清盛。今日は座興を用意したと言う清盛。祇王と祇女を引き立て来る家人達。驚く仏。二人に仏のために舞うが良いと命ずる清盛。やむなく「仏も昔は」と歌い舞い始める祇王達。涙する仏。痛ましげな西行。舞終わって、涙する祇王。この後は常に参って歌い舞い、仏を慰めよと清盛。)

(若き日にそれぞれの目指す道を話し合った事があったと西行。若き日の義朝、教清、清盛。出家した当時を振り返り、あの頃恐れていた世が到来している、その頂きに居るのが清盛だと西行。これが面白く生きると言う事か、武士の世という事かと西行。高笑いし、お前には判らないと清盛。)

(そこに駆け付け、院が基通に政の一切を托すと言っていると伝える頼盛。それでは自分の国造りの名分が立たないと清盛。今や都還りをするべきだという声が上がっていると頼盛。そんな事は口にするだけで罪に問うと触れを出せと清盛。)

(自分に逆らう者は、皆死罪と心得よと叫ぶ清盛。怯える仏。ここはわしの世だ、武士が頂きに立つ世だ、自分の目にしか見えない国を作るのだと部屋の中を歩き回る清盛。全てを手に入れ、復讐するのだと叫び、仏を抱き寄せる清盛。怯えて庭に飛び出す仏。殺せと兵達に命ずる清盛。矢をつがえた兵達に囲まれた仏。合図しようとした時、白河院に討たれた母の姿を思い出す清盛。気を失った仏。そこに現れ、驚く盛国。仏に駈け寄り、止めよと兵に命ずる盛国。)

(膝から崩れ落ちる清盛。うーん。とうなり、誰か助けてくれ、ここからの眺めは暗闇ばかりだ、果てしない暗闇だ、手に入れても、手に入れても、光には届かないとつぶやく清盛。)

(そこに現れ、頼朝が挙兵し、山木兼隆を討ち取ったと伝える忠清。あの時、清盛が命を助けた御曹司がと嘆く忠清。幻を探し、あたりを見回す清盛。やがて一点を見据えて床をはい出します。驚く西行達。宋の剣に這い寄り、剣を抱きしめ、泣き出した清盛。呆然と見つめる西行達。)

(後に頼盛が頼朝に語った言葉。あの時、頼朝の挙兵がなければ、清盛は暗闇に囚われたまま帰って来られなかったかも知れない。)

(剣を手に立ち上がった清盛。)

今回は以仁王の挙兵から頼朝の挙兵までが描かれました。そこで明らかにされたのは、頂きに立った清盛が見ていたのは果てしのない暗闇だったという事、かつて白河院もまた同じ闇を見ていたという事なのでしょうか。

史実との絡みで言えば、ドラマの進行は概ね史実に沿っています。かなり省略はありましたけどね、大筋では押さえてあったと思います。細かい所で言えば、頼政の謀反が明らかになったのは、以仁王が園城寺に逃げ込んだ後の事でした。平家は園城寺の攻撃を決定したのですが、その討伐軍の大将の一人に頼政が入っていたのですね。つまり、平家は頼政の意図に全く気付いていなかった事が窺えます。

次に、以仁王と頼政がなぜ園城寺ではなく宇治川で戦ったのかと言うと、園城寺と共に反平家に立ち上がってくれると期待した延暦寺が同調しなかった事が第一の原因に上げられます。次に、園城寺内でも以仁王に従うと言う者が全てでは無く、内輪もめ状態にあったのですね。このため、以仁王と頼政は園城寺での抵抗を諦め、より強力な援軍を求めて南都の興福寺へ向かうおうとしたのでした。そしてその途中、宇治川で平家軍に捕捉され、戦となってしまったのです。頼政は決戦に敗れ、以仁王を逃す為に平等院で戦った上で自害し、以仁王は興福寺へ落ち延びていく途中で追手に追いつかれ討ち取られたのでした。

福原遷都については、これもドラマにあったように俄かなものでした。ただし、表向きは遷都とは言わずに、天皇と上皇が福原に行く遷幸として行われています。およそ準備といういうものは出来て居なかったのはドラマに描かれたとおりで、天皇は頼盛の館、上皇は清盛の館に入る事ができましたが、随行した人達の多くは宿が無く、路上に座す有様だったと伝えられます。また、ドラマには描かれていなかったのですが、後白河上皇もまた、福原に移されています。

天皇の遷幸に次いで、和田の地への遷都が決められます。この決定に賛成する者はおよそ誰も居なかったのですが、一人清盛の強力な意向によって決められてしまいました。この理由については様々に言われますが、直接には以仁王の挙兵に際して、園城寺、興福寺、それに延暦寺の一部が反平家の立場に立った事があると言われます。つまり、平安京ではこれらの勢力に包囲された形となり、軍事的に非常に不利であるとの見方ですね。そして、もう一つ、これはドラマで清盛が言っていた事ですが、高倉帝が安徳帝に譲位し、治天の君となった事で世が変わったという事を天下に示すためではなかったかとも言われます。つまりは、平家によって創始された皇統が始まった事を、遷都によって世に広めようとしたのではないかと言うのですね。その都として、平氏の貿易拠点であった福原は、まことに相応しいものだったのでした。

もっとも、新都の位置ははっきりと定められた訳ではなく、最初は和田、次いで小屋野、さらには印南野と候補地は二転、三転しています。これは和田の地が狭小で、正規の大きさの都を作る事が出来なかったためですが、後の候補地も不適とされ、結局福原の離宮に天皇が滞在したまま、付近の土地が貴族に分け与えられ、道路が建設されていく事となります。正式な決定がないまま、なし崩し的に都が形作られて行ったのですね。そのあたりがドラマの清盛の台詞に反映されていたのですが、視聴者にはどれくらい判ったのでしょうか。

仏御前と祇王の挿話については、ほぼ平家物語の筋書きを踏襲しています。違うのは福原ではなく西八条第に居た頃の話である事、仏御前は清盛によって射殺されかけたのではなく、自らの意思で出家したという点ですね。清盛が人の心が判らない人物になり果てているという点では物語どおりと言えましょうか。

ドラマに戻って、清盛はどうにもならない孤独に苛まされていた事が明らかになりました。ただ一人たどり着いた頂点で待っていたのは、他の者には理解し得ない孤高の世界だったのですね。清盛にしか見えない彼の国造り、唯一理解しあえると思っていた頼政の反乱は、清盛にとっては大きな痛手でした。闇の底に沈んだ清盛は、やがて狂気に囚われて行きます。多くの独裁者が歩んだ道に、彼もまた陥ろうとしていたのですね。それを救うのは仏御前との安らぎではなく、頼朝の挙兵であったとは皮肉の効いた設定でした。

清盛の視聴率が先週また最低を更新したと聞きます。その理由は、おそらくは主人公の行動に正義が見えない事があると思っています。あまりにもダークに偏りすぎ、彼の目指す方向性がまるで示されない事に視聴者もついて行けなくなっているんじゃないでしょうか。今回はその理由が示され、清盛が誰か助けてくれと弱音を吐いた事で、やっと人間味を取り戻した様な気がします。これも、主人公らしからぬ弱さだと言えば言えるのですけどね、私的には作者の意図が少し理解出来たような気がしました。これで最後まで挫折せずについて行けるかな。

次回は富士川の戦いが描かれる様です。平家が味わう初めての敗北を清盛がどう受け止めるかに、注目して行きたいと思っています。

京都・洛北 京都紅葉事情2012 ~詩仙堂 11.22~

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平成24年11月22日の詩仙堂です。この日は紅葉がほぼ見頃となっていました。

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この5日前の様子と比べて、実はそれほど大きくは変わっていません。左側の紅葉が少し進んだのと、中央のもみじが雨のせいで少し葉を落としたくらいでしょうか。紅葉が進む事を期待していた右のもみじは、依然として褐色のままでした。

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写真には撮っていないけれども、5日の間にはっきり駄目になった木もありました。葉が縮れてしまって、すっかり散ってしまっていたのですね。そういう事もあって、庭全体としては最高とは言いかねる状態でした。

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それでもそこは詩仙堂で、個々に見ていくと状態の良い木がいくつかあって、訪れた者をがっかりさせる様な事はありません。この木などもオレンジ色ですが状態は良く、間もなく赤く色付いた事でしょう。

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この日は平日だったのですが、それでも拝観者は多く、座敷は一杯でした。それに比例して庭を散策する人も多すぎて、誰も居ない写真を撮るのは至難の業でしたね。

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一番状態の良いところを切り出せばこんな感じかな。これだけを見せたら、最高の紅葉だったと言っても信じて貰える事でしょうね。

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これは樹齢600年というもみじで、それが本当なら詩仙堂が出来るより以前からここにあった事になりますね。創建当時でも200年は経っていた事になり、当時からシンボル的な木だった事でしょう。今でも紅葉は素晴らしく、この日も綺麗な赤色を見せてくれていました。

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詩仙堂はどうだろう、まだ盛りは続いているのかな。連休も過ぎて人出も一段落し、出掛けるには丁度良い時かも知れませんね。


2012年11月24日 (土)

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~東福寺 11.22~

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平成24年11月22日の東福寺です。この日は紅葉がほぼ見頃となっていました。

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もっとも、見頃とは言っても盛りではなく、色付きはまだ浅いものでした。全体にオレンジ色ですし、一部には緑のままの木も残っています。

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盛りではないと言ってもそこは東福寺、探せば綺麗な紅葉に出会えます。そのあたりが並の名所とは違うところでしょうか。

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東福寺は、京都の紅葉の名所の中では飛び抜けて広いですからね、それだけ紅葉もバリエーションに富んでいます。わずかに残っている緑も、ここでは良いアクセントになっていますね。

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この木はオレンジ色から赤に変わって行く過程を一本で示しているかの様ですね。陽当たりの良い部分から色付き初め、褐色~オレンジ色~赤色へと変化して行くのが紅葉の基本パターンです。でも、気温や水分の加減によって途中で終わってしまう事もままあるのですね。

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中には葉の一部だけが赤くなる葉もあります。このあたりは、どんなメカニズムが働いているのでしょうね。ちょっと不思議な気がします。

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東福寺はどうだろう、今日あたりが盛りだったのかな。人出は間違いなく最高だったでしょう。良い紅葉を沢山の人が見る事が出来たのなら、何よりだったと思いますね。

京都・洛北・洛西 京都紅葉事情2012 ~11.24 速報~

今日は鷹峯と洛西の紅葉を見てきました。紅葉も見頃のところが多かったですが、人出も最高でしたね。特に嵯峨野の混み具合は凄かったです。

1.光悦寺

参道が見頃になっています。黄色に染まったもみじがとても綺麗ですね。そのぶん、境内の方は見頃を過ぎており、名残の紅葉となっています。正直言って、参道だけで十分かなというところです。

2.源光庵

境内一円で見頃になっています。今日回った中では最高だったかな。悟りの窓からの眺めも素晴らしく、ここは10年に一度という形容詞がぴったり当てはまるポイントかも知れません。まあ、その分人出も多く、窓の前の場所取りは順番待ちで大変でしたけどね。

3.清涼寺

ここも境内一円で紅葉しています。太子堂周辺など、まだ少し浅い色付きの部分もあったかな。でも、そこそこ綺麗な紅葉を楽しむ事が出来ましたよ。庭園には入っていないので判りません。


4.宝筺院

境内全域で色付いており、見頃になっています。ここは、山門から本堂にかけて、つまり入り口から入ってすぐのあたりが一番綺麗だったかな。他の場所もまずまずの紅葉で、結構お薦めのポイントですよ。

5.祇王寺

まずまず見頃と言って良いのでしょう。まだ緑の部分も残っていたのですが、周辺の木々は黄色く色付き、見応えはありました。ここは凄い人出で、隣の壇林寺の前まで行列が出来ていましたね。祇王寺でここまで混んだのは初めての経験です。

6.二尊院

ここも凄い人出で、山門前から長い行列が出来ていました。さすがに「そうだ京都行こう」のキャンペーン対象になっているだけの事はありますね。祇王寺に続いて並ぶだけの気力が無かったので中には入りませんでしたが、外から見た分には紅葉の馬場はほぼ色付いている様でした。

7.落柿舎

山門内のもみじは半ば散っており、寂しい姿になっています。その代わり、あれは境内の中にあるのかな、有智子内親王墓の裏手のもみじが綺麗に色付いていました。

8.野宮神社

前を通っただけですが、それなりに色付いている様に見受けられました。ここもいつもに増して人出が多っかたです。参拝の順番待ちの列が、鳥居から出てさらに長く伸びていましたよ。

2012年11月23日 (金)

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~真如堂 11.18~

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平成24年11月18日の真如堂です。この日は本堂裏を除いてほぼ見頃を迎えていました。

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この木などは、苦沙彌和尚が10年に一度と自賛するのもなるほどと思える見事な色付き加減です。こんな紅葉に出会えるとは、それだけで幸せというものですね。

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ただ、手放しで凄いと褒められるかというとそうでもなく、特に三重塔前のもみじは縮れが目立ち、色合いも今ひとつでした。このあたりが少し残念なところです。

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残念と言えば天気もそうで、この日は晴れてはいたのですが、時折時雨れるという晩秋特有の天気で、この写真を撮っていた時も小雨が降っていました。なので、背景が白く飛んでしまい、今ひとつ締まりがないですね。

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かと思うと急に青空が広がり、今度は見事なコントラストを見せてくれました。やはり紅葉には青空がよく似合います。

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本堂の南側はこんな感じで、まだオレンジ色が強かったかな。このあたりも少し物足りない部分ではありましたね。

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本堂裏は基本的に緑のままだったのですが、この灯籠近くの木だけは早くから紅葉しており、この日は敷き紅葉になりつつあるところでした。月末から12月の初めにかけて、真如堂はこういう景色に変わっていくのでしょうね。それはそれでとても綺麗ですよ。私もまた見に行きたいと思っているところです。

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~11.23 速報~

今日は小雨模様の中、洛東界隈を歩いて来ました。見頃を迎えている所が多かったのですが、まだ色付きが浅いのか、色合いの良い所は少なかったです。人出は雨のせいでしょう、3連休の初日にしては少なめでした。

1.建仁寺

境内の西半分で濁ったオレンジ色に染まっています。とても綺麗とは言えず、ここから赤くなると思いたい所なのですが、今日の雨で盛んに散っていた所を見ると、このまま終わってしまいそうです。東半分では染まりかけの木が多く、枝先だけですが赤く染まった木もいくつかありました。今後に期待したい所ですね。潮音庭は入っていないので判りません。

2.八坂の塔

塔の東側のもみじが、上部から色付き始めています。盛りまではあと少し時間が掛かるかな。今色付いている部分だけを見ると、そう悪くない色合いでしたよ。

3.二年坂

上半分が色付き、後は緑のままですね。色合いはオレンジ色で、あまり良くありません。ここからさらに色付いてくれると良いのですけどね。

4.青龍苑

良い感じで色付いています。一部の木で赤く染まり、多くはオレンジ色ですけど、それでもなかなか綺麗ですよ。ちょっと立ち寄るにはお薦めの場所です。

5.興正寺別院

南側の石段下のもみじが赤く色付いています。また、北側の坂道では黄色く色付いたもみじが綺麗でしたよ。ここは下から見上げると今ひとつとですが、上から見下ろすととても綺麗に見えるという不思議な場所でした。また、今年は参道南側にある2本のもみじが珍しく色付いています。毎年、あまり染まることなく散ってしまう事が多いのですけどね、今日はオレンジ色ながらそこそこ綺麗でした。

6.清水寺

境内一円で色付いており、ほぼ見頃と言って良いのでしょう。ただ、まだ色付きが浅く、ほとんどの木がオレンジ色で、あまり綺麗とは言えません。ここから更に色付いてくれると良いのですけどね。(晴れていれば印象は違ったかも、です。)

細かく見ると、三重塔下のもみじは例年通り赤く染まっています。また、成就院前の放生池では、今年は池の水面側が綺麗に色付いています。その代わり、北の陸地側は縮れて散っており、散々ですね。仁王門の北側付近のもみじは、黄色く染まって綺麗でした。本堂東側の階段沿いは、まだ緑が残っています。本堂周辺は濃いオレンジ色で、今後に期待。三重塔南側の放生池周辺では、オレンジと赤が混じった紅葉で、晴れていれば結構見栄えがしたかも知れません。

あと、子安の塔の覆いが取れ、朱色の鮮やかな塔が姿を見せていました。以前の古色蒼然とした塔とはまるで違う、小粋な感じのする姿に生まれ変わりましたね。賛否はあるでしょうけど、新鮮な印象なのは確かです。

7.圓徳院

外から覗いただけですが、庭園はほぼ色付いおり、見頃の様でした。ただ、ここもあまり色合いは良くないですね。もう少しすれば赤く変わるかも知れませんが、これで終わりという事も無きにしもあらずです。

8.円山公園

池の周辺だけしか見てませんが、ほぼ全ての木が色付いていました。ただ、ここも綺麗な木はそれほど無く、並程度の紅葉ですね。

2012年11月22日 (木)

京都・洛東・洛北 京都紅葉事情2012 ~11.22 速報~

今日は休みが取れたので、洛北を中心に回ってきました。見頃を迎えているポイントがほとんどでしたが、凄いと言える程の所は少なかったです。その代わり外れの所も無かったのですけどね。

1.東福寺

まずまず見頃と言っても良いのでしょうか。ただし、まだ少し色付きは浅く、盛りには至っていません。なので、それなりに綺麗ではあったものの、はっとする程の美しさというのは無かったですね。これからピークを迎えたらどうなるか、です。なお、12日に行った時に綺麗だったもみじや通天楓は既に散っていました。やはり雨の影響は少なからずある様です。

人出の方ですが、朝一番に行ったにも係わらず、東福寺駅から臥雲橋まで行列が続くといった感じでした。私は午前10時過ぎに引き上げたのですが、その頃には団体客がひっきりなしに到着していましたね。昼頃にはもの凄い事になっていたんじゃないかな。

2.金福寺

西側と南側のもみじはほぼ盛りとなり、芭蕉堂周辺でもかなり色付いてきました。今が見頃と言っても良いのでしょうね。ただ、色合いはオレンジ色かがっており、最高とまでは言えません。悪くもないのですけどね。また、ここでも早くに色付いていた木は散っており、その分寂しい姿になっています。

3.詩仙堂

17日に比べて、思っていた程には進んでいませんでした。かえって、色付いていた葉がかなり散ってしまっており、その分寂しくなっています。はっきり駄目になった木もいくつかあって、全体として最高とは言い難い状況ですね。ただ、木によっては色合いは素晴らしく、吉凶混交している状況です。大きな期待をしなければ、それなりに満足出来るかも知れません。

ここも人出は多かったですが、東福寺に比べると可愛いものでした。

4.曼殊院

弁天池周辺では盛りは過ぎていますが、いくつか綺麗な木が残っていました。山門付近は色付いては居たのですが、オレンジ色が強くまだ少し浅い色付きという感じですね。この後真っ赤に染まるか、それとも雨で散ってしまうかは、終わってみないと判らないといったところです。それより、参道の方が綺麗だったな。庭園は今回も入っていないので、判りません。

5.鷺森神社

まだ少し早いかと思っていたのですが、かなり色付いていました。まだ見頃までには少し時間が掛かりそうなのですが、今年は境内の全域でほぼ同時に色付いています。いつもなら社殿に近い数本の木から色付くのですけどね、今日は参道を覆う木も同じくらいに色付いていましたよ。色合いは悪くない様に感じました。これも、盛りになってみないと結果は判りませんけどね。

6.赤山禅院

参道はほぼ見頃と言って良いのでしょう。ここも早くに色付いた木は葉を散らしており、その分寂しい感じがします。境内もほぼ見頃でしょうね。色合いはまずまず良かったですよ。

7.蓮華寺

山門内は銀杏の落ち葉で綺麗に染まっています。もみじも染まっており、色合いはあまり良くないのですが、ここはこんなものかな。庭園は二分程度でまだまだら模様といった感じです。見頃までにはもう少し掛かりそうですね。本堂裏手は、染まってはいますが、今ひとつ色合いが良くありません。もう一段先があるのかどうかは、ちょっと判らないですね。

8.三明院

多宝塔東側のもみじが赤く染まっています。これは綺麗でしたね。他の木も概ね綺麗に染まっているのですが、早くに散った木もあります。多宝塔下のもみじは、一本は葉が縮れており駄目になっていて、もう一本は色付き半ばといったところ。ここはとにかく静かでした。

8.三宅八幡宮

公園のもみじが綺麗に染まっています。まだ少し浅い感じですが、状態は悪くないですよ。

9.上賀茂神社

境内のほぼ全域で色付いています。ならの小川沿いも綺麗に染まっていました。特に、二の鳥居の東側(風流桜の東側)の一本は、これ以上ないという位に赤く染まっています。反対に、西側の木は毎年早くに色付くのですが、今年は少し遅いですね。二の鳥居を入ってすぐのもみじも、まだ染まり始めたばかりでした。

全体として、今日見た中では一番綺麗なのはここでしたね。

10.京都府立植物園

フウの木は、やや浅い色付きながらも、見頃と言っても良いのでしょう。葉の状態も良く、全体に綺麗に染まっており、なかなか良い感じでした。もう一段染まるかどうかはちょっと判らないですね。今までで一番綺麗だった時は、もう少し色付いていた様に思うのですが、さてどうなるのでしょうか。

もみじは、なから木の森を中心にして良い感じで染まっていています。今年の状態はわりと良いんじゃないでしょうか。上賀茂神社と並んで、今日回った中ではお薦めの場所です。

京都・洛北 京都紅葉事情2012 ~圓光寺 11.17~

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平成24年11月17日の圓光寺です。この日は紅葉がほぼ盛りを迎えようとしていたところでした。

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今年は10年に一度の当たり年という期待があったのですが、これくらい綺麗だとそう言いたくなりますね。少なくとも、私が見た圓光寺の中では一番綺麗だという気がしています。

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この日は雨でしっとりしていたというのも、良い方に作用したのかも知れません。光が回り込んでいて、変に明暗が付いていなかったのも綺麗に見えた一因でしょうね。

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その一方で、やはり明るい光の中で見たかったという気もします。順光ならより鮮やかだったでしょうし、逆光に透かした色彩も見事だったろうと思います。

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まあ、これだけの紅葉を見せて貰っておいて、さらにあれこれ言うのは贅沢というものでしょう。雨の中出掛けた甲斐はあったと思っています。

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今頃は盛りを過ぎて、敷き紅葉になっている頃かな。それはそれで綺麗な事でしょうね。

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以前ならライトアップがあったので、残り葉でもまだ楽しめた事でしょう。もう一度復活して欲しいという気もしますが、何かと難しいのでしょうね。もみじにも良くないと聞きますし、仕方がないと諦めますか。


2012年11月21日 (水)

京都・洛北 京都紅葉事情2012 ~詩仙堂 11.17~

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平成24年11月17日の詩仙堂です。この日は紅葉が見頃を迎えつつあるところでした。

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紅葉が一番進んでいたのは座敷の左手にある大きなもみじで、この庭の紅葉の基調となる木です。この木が色付くと見頃が始まったと言えるのでしょうね。

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まだオレンジ色が強かったですが、色合いは良かったですね。縮れた葉は見あたらず、艶もなかなかのものです。

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庭園から見るとこんな感じで、やはり存在感があります。問題は右隣の褐色の木が色付いた時にどうなっているかで、両方が見頃だったとしたらそれは素晴らしい景色となる事でしょう。

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西の庭園は黄色に染まっていました。ここもまだ少し色付きは浅かったので、今頃がピークになっているんじゃないかな。詩仙堂には明後日かその次に行く予定で、上手く盛りになっていてくれると良いのですけどね。

2012年11月20日 (火)

京都・洛西 京都紅葉事情2012 ~鳥居本 11.16~

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平成24年11月16日の鳥居本です。この日は平野屋さん周辺のもみじが見頃を迎えつつあるところでした。

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一番綺麗だったのがこの木で、盛りまであと少しといったところでしょうか。今頃は真っ赤に染まっている頃かな。

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平野屋さんの定番といえば、前の崖の上からもみじ越しに見下ろした光景です。茅葺きの屋根と紅葉が素晴らしい風情を醸し出してくれるのですね。

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この日は店の灯りが入っていたので、余計に風情がありました。これぞ秋の灯ともし頃という感じでしょう?

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ただ、紅葉そのものはまだ少し盛りには早く、オレンジ色でした。それに縮れた葉が目立ち、良い状態とは言えなかったのが残念ですね。

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鳥居本にはもう一度行ってみるつもりです。今度は真っ赤に染まった景色に出会えると良いのですけどね。タイミングが合うと嬉しいのだけどな。

2012年11月19日 (月)

京都・洛西 京都紅葉事情2012 ~化野念仏寺 11.16~

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平成24年11月16日の化野念仏寺です。この日は西院の河原の東のもみじが見頃を迎えていました。

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この寺の紅葉がこの場所から始まるのは例年通りなのですが、今年は他の場所との差が大きい様な気がします。なぜか、ここだけが突出して赤くなっていたのですよ。

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まあ、こうした石塔と紅葉の絡みがこの寺を特徴付ける景観なのですからそれで良いとも言えるのですけどね、全体を見渡すと少し寂しい気持ちにもなります。

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全体としては4分程度の色付きだったのですが、他の場所が色付く頃にはここは散ってしまっているのかな。そういう意味ではこの日が見頃だったとは言えるでしょうね。

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あと、あまり目立たないのですが、西院の河原のさらに東側のもみじも綺麗でした。実はトイレの前だったりするのですけどね、もみじの鮮やかさには関わりのない事です。

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色合いはまずまずだったかな。特別凄いというわけでもないけれど、この日見た中では綺麗な部類でしたよ。

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嵯峨野にはもう一度行くつもりだけど、ここは一番良いところを見させて貰ったので今度はパスかな。少なくとも、写真的には絵になりにくいという気がします。でも、紅葉は綺麗だと思いますよ。

2012年11月18日 (日)

平清盛 第45回 「以仁王の令旨」

(福原。譲位の件はどうなっていると盛国に問う清盛。朝廷に異を唱える者が多いと盛国。未だに自分に異を唱える者が居るのか、六波羅に使いを出せと清盛。)

(内裏。帝に譲位をと清盛の意向を伝える宗盛。まだ若すぎると帝。そこは平家が支えると宗盛。)

(以仁王の館。闘鶏を見る以仁王。所領を奪われ、言仁が即位の運びとなり、絶望を口にする王。)

(頼政に以仁王への助力を頼む八条院。そんな力はないと頼政。源氏随一の武者ではないかと八条院。余生は穏やかに暮らしたいと頼政。いかなる手を使っても以仁王を助けると女院。)

(伊豆。時政の館。突然訪れた山木兼隆。慌てて相手をする時政。租税を増やせと言われている、それは言仁が即位するため、その後ろには清盛が居る。平家に縁の深い自分を袖にし、源氏の棟梁を婿にした事を悔いる事になると兼隆。)

(頼朝の館。このままではあちことに不満が溢れ、狼藉者が暴れ出すと時政。清盛は租税を何に使うつもりかと政子。孫の即位や福原の町造りだと時政。自分の為ばかりだと憤る政子。頂きに立ち、欲に取り憑かれているのだろうと藤九郎。いよいよ時が迫っていると時政。的に向かって矢を放つ頼朝。大きく外れた矢。がっかりする一同。暫く武芸から離れていた故と言い訳する頼朝。)

(平泉。弓の稽古をする義経。義経に向かって長刀を振るう弁慶。軽くあしらう義経。もんどり打つ弁慶。その様子を頼もしげに見ている秀衡。)

(10年前、鎮守府将軍に任じられた、それを利用して奥州の金銀財宝を手にした人が居ると秀衡。清盛ですねと義経。清盛はそれを宋国に送り、平家一門は一層の財を築き上げた。しかし、年端も行かぬ孫を帝に就かせ、国を思いのままに動かそうとは外道の業と秀衡。今やこの国のほとんどが平家のもの、いずれ平泉にも押し寄せてくるかも知れないと泰衡。その時には九郎殿、平泉の財力、武力を存分に使ってくれと黄金を見せる秀衡。)

(2月21日。安徳帝となった言仁。)

(新院となった高倉院。周囲を固める時忠ら平家の一門。)

(上皇になって最初の参詣を厳島にせよと言いだした清盛。慣例を破る事になり、朝廷や社寺が黙っていないだろうと盛国。厳島は新しい国の要となるべき社、異を唱える者は解官してしまえと清盛。だんだん言う事が理不尽になって来ていると兔丸の元家人達。殿はまだ道半ばに居る、国造りに邁進するためには理不尽にならざるを得ない時もあるのだと小兔丸に説く盛国。)

(内裏。参詣先を厳島と決める基通。前例がないと兼実。清盛のご意向だと基通。ただの厳島贔屓だと経宗。仕方がないと兼実。)

(厳島参詣に反対し、手を組んだ延暦寺、興福寺、園城寺。)

(六波羅。あせって知盛、重衛を呼び寄せた宗盛。悪僧達が法皇を鳥羽離宮から連れ出し、高倉院を掠うつもりで居るらしいと、どうしたらよいと狼狽える宗盛。まず自分が兵を連れ、院の御所を警護すると知盛。鳥羽離宮にも誰か行かせようと重衛。それが良いと宗盛。)

(何事も起こらなかったが、高倉院の予定が遅れ、機嫌を損ねた清盛。新帝即位の儀を福原で行うと清盛。それは都でと決まっていると盛国。帝はこの福原を都とする新しきを世を象られるお方だ、速やかに都をこの福原に移すと清盛。既に都では大極殿が築かれつつあると盛国。そんなものに財を投じなくても良いと宗盛に念を押せと清盛。無言の盛国。11月の大嘗祭だけでもこの福原で行うと清盛。承知する盛国。我が意のままにならぬものがあってはならぬと清盛。)

(清盛の前に現れた二人の白拍子、祇王と祇女。舞を見て貰いたいと二人。)

(伊豆。月明かりの中、髭切の太刀を振るう頼朝。何とも勇ましい姿だと政子。それを授けた清盛が、今や武士の心を忘れているとは皮肉なものだと政子。果たして忘れてしまったのだろうか、自分にはそうは思えないと頼朝。)

(福原。清盛の前で舞う祇王と祇女。)

(武士の世を作る為には通らなければならない道なのだろうと頼朝。そうであったとしても、いつかは清盛の前に立たなければならないと政子。)

(清盛に酌をする祇王。祇王を抱き寄せた清盛。)

(京、宗盛の館。宴に興じる宗盛。それを咎める時子。折に付け宴を行えとは父の言いつけと宗盛。それは務めを果たした上での事と時子。重盛が亡くなってから1年と経たないのにこの騒ぎは何事と時子。重盛は道理を重んじる人だった、だから正妻の子たる自分を棟梁とするために早々に身罷ったのだ、この宴は重盛の冥福を祈っているのですと宗盛。情けないと言って立ち去る時子。)

(そこに現れた清宗。喜んで駈け寄る宗盛。清宗が差し出した壊れた竹馬。それはかつて忠正が作ってくれた竹馬でした。叔父を思い出し、憤然とする宗盛。)

(自慢の馬、木下に乗って現れた仲綱。その馬を貸せと宗盛。それだけはと仲綱。借りるだけだと宗盛。これは命より大事な愛馬と仲綱。私に逆らって只で済むと思っているのかと仲綱を恫喝する宗盛。そのまま木下を返さなかった宗盛。)

(頼政の館。宗盛は木下を仲綱と改め、酷い辱めを与えていると父に訴える仲綱。堪えよと頼政。我ら親子は木下の様なものだと自嘲する仲綱。)

(福原。祇王と双六に興じる清盛。帝の即位の儀は4月22日に内裏で行う事に決まったと時忠。万事遺漏なき様にと清盛。国の頂きに立っても、まだ若い女や酒が欲しいのかと時忠。欲こそが男子の力の源、この世の全てを手に入れて見せると清盛。頼もしやと吐き捨てる時忠。時子には言うなと清盛。)

(祇王達と戯れる清盛を振り返り、あれは弔いの様に見えると時忠。それも欲のうちだと盛国。)

(以仁王の館。王に拝謁する頼政と仲綱。家人に合図する八条院。庭に現れた行家。平治の戦以来、熊野に身を潜めていたと言う行家。源氏の魂はこの国のあちこちに潜んでいると八条院。ひれ伏す頼政。令旨をお出し遊ばれよと八条院。令旨?と王。諸国の源氏に向けて、平家打倒の令旨をと八条院。ひれ伏す頼政と行家。)

(祇王たちと遊び呆ける清盛。)

(治承4年4月22日。安徳帝即位の儀。)

(福原。祇王の膝で酒を呑む清盛。そこに現れたもう一人の白拍子。)

(東海、東山、北陸三道諸国 源氏ならびに軍兵らに下命する 清盛入道と平宗盛らは 情勢に任せて凶徒に命じ国を滅ぼし 百官万民を悩ませ 五畿七道を不当に支配し 法皇を幽閉し 廷臣を流罪に処し 命を絶つなどした 財物を掠め取り 国を領有し 官職を奪い与え 功なき者を賞し 罪無き者を罰している 百王の継承を絶ち 摂関を押さえ 帝や院に逆らい 仏法を滅ぼす事は前代未聞のことである そのため天地はみな悲しみ 民はみな愁いている そこで私は法皇様の第三の皇子として 天武帝の昔にならって 王位を奪う者を追討し 仏法を滅ぼす者を討ち滅ぼそうと思う)

(諸国はこの命令どおり実行せよと命ずる以仁王。行家に授けられた令旨。)

(清盛の前に現れた仏御前。)

(君をはじめて見る折は と歌い舞い始める仏御前。)

(伊豆。行家から令旨を受け取った頼朝。)

(令旨を読み下す頼朝。そこで 源氏の者 藤原氏の者や さきざきより三道諸国に勇士として名高き者は 追討に協力せよ。もし同心しなければ 清盛に従う者に準じて 死罪 流罪 追討 拘禁の刑罰を行う。もし特に功績のあった者は まずは諸国の使者に伝えおき ご即位後に 必ず望みどおりの報償を与える。諸国はこの命令どおりに実行せよ。)

(福原。仏御前を見つめる清盛。舞終えた御前。御前を抱き上げて寝所へと向かう清盛。取り残されて涙する祇王。)

(伊豆。令旨を手に震える頼朝。)

(福原。仏御前と寝所で戯れる清盛。自分はこの世の頂きにいる、次は遷都だと清盛。ここはわしの世だと清盛。)

今回は頂きに立った清盛の足下を危うくする以仁王の令旨が出されるまでが描かれました。

まず、高倉院の厳島御幸が画策されたのはドラマにあったとおりで、平家の守護神でもある厳島神社に畿内の社寺と同等の地位を与えようとした清盛の意向と言われます。これに叡山ら既存の勢力が反発したのもドラマにあったとおりで、上皇の御幸は延期とされてしまいました。結果として山門側の足並みが揃わず、反乱は未遂に終わったのですが、平家に対する反感がマグマの様に潜在している事が明らかになった事例でした。

さりげなく出ていた事柄ですが、大極殿を再建していると盛国が言っていたのは先の大火で内裏が焼失していたためであり、実際には安徳帝の即位の儀は大極殿ではなく紫宸殿で行われています。ドラマではそんなところに財を費やすなと清盛が言っていましたが、作者がこんな細かい所にまで目を向けているとは驚きですね。

仲綱の愛馬、木下を宗盛が奪い、仲綱という焼き印を押して辱めたとは平家物語にある下りで、これに怒った頼政は平家打倒の挙兵を決意した事になっています。頼政が以仁王と共に兵を挙げたのは事実ですが、これには見方が二通りあり、平家物語にあるとおり頼政自らの意思で以仁王を担ぎ上げたという説と、八条院と以仁王に頼み込まれた頼政がやむなく立ち上がったという説があります。どちらかというと後者の方が有力な様ですが、ドラマでは上手くその二つをミックスしていましたね。

以仁王が所領が取り上げられた事もドラマにあったとおりで、鳥羽院の正統を自負する以仁王にしてみれば、平家によって所領を失い、即位の望みも絶たれたとあっては、平家打倒に立ち上がらざるを得ない状況に追い込まれたのでした。

令旨とは本来皇太子の命令を伝えるもので、後には親王の出す文書も令旨と呼ばれる様になります。以仁王はその親王ですら無かった訳ですが、あえて令旨という形で諸国の源氏に命令を発したのですね。当然ながらその効力には疑問が付くのですが、反平家勢力にとってはこの上無い福音となりました。この令旨をきっかけとして、あるいは反乱の拠り所として各地の反平氏勢力が勢いづく事になるのです。

祇王と仏御前については平家物語に記された挿話で、儚い女性を弄んだ清盛の悪行の一つとして描かれています。平家物語に拠れば祇王が清盛に囲われたのは京での事のはずで、その期間は3年だったと伝えられています。ですから、福原としたのはドラマの創作ですね。仏御前が現れたのも西八条第で、福原ではありません。そして、仏は16歳だったはずで、ドラマでは少し年を取りすぎていましたね。仏御前については以前に書いた事があるので参照して下さい。なお、祇王、祇女、仏御前については、後白河法皇も過去現在牒にその名を記しており、実在の人物である事が知られています。

ドラマに戻って、いよいよ清盛の独断専行ぶりが顕著になって来ました。この世はわしのものだという白河法皇と同じ台詞をつぶやいていましたが、頂きに立った者はそういう心境に陥るという暗示なのでしょうか。ただ、白河法皇に刃向かったのは清盛の母しか居なかったのに対し、清盛には全国から群がり出ようとしているところに大きな違いが見られます。法皇と臣下という立場の違い、そしてなにより時代の変化を物語っているかの様ですね。それにしても、重盛というストッパーを失った清盛は、糸が切れた凧の様にとりとめなく振る舞っています。これじゃあ、平家が滅ぶのも無理はないかな。ただ一人、頼朝だけが清盛の心の内を知っているようなそぶりを見せていたのが印象的でした。

宗盛の脆弱振りも目に余るものがあり、知盛と重衛に助けられてやっと立っているという感じでした。重盛が生きていた頃にはあまり目立たなかった弱点なのですが、やはり棟梁という重荷を背負った事で露呈してしまったという設定なのでしょうか。

祇王と仏御前については、もう少し丁寧に描いて欲しかったな。あれでは祇王の悲しみ、仏御前の無邪気さが現れていないんじゃないかしらん。なんとなく、女同士の嫌らしい争いにしか見えなかった様に思います。それに、あっさりと心変わりする清盛というのも何だかなあ。まあ、ここは平家物語に描かれたとおりの演出なのですけどね。

次回は頼朝の挙兵が描かれる様です。以仁王の挙兵はざっと描かれて終わるのかな。頼政をここまで散々に引っ張って来たのだから、それなりに扱うとは思うのですけどね。どんな事になるのでしょうか。

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~11.18 速報~

今日は少しだけ南禅寺と真如堂を回ってきました。どちらもかなり色付いていましたが、特に南禅寺では前日の雨の影響が大きかった様です。

1.南禅寺

全体としては7分から8分の色付きでしょうか。色合いは悪くなく、まずまずといったところかな。でも、10年に一度の当たり年という程では無い様に感じました。昨日の雨で早くに色付いた木は葉を散らしており、華やかさにはやや欠けていましたね。

水路閣周辺でも色付き始めており、今年はやはり進行が早いです。

2.天授庵

書院前の庭園では、いち早く色付いていた北側のもみじが葉を散らしており、無惨な姿になっていました。たぶん、一昨日あたりがピークだったのではないかと思われます。南半分の木はまだ色付きが浅く、訪れるタイミングとしては最悪だったかな。まあ、先週に綺麗な姿を見ているので良いか。

南の庭園は池の北側から色付き始めています。南側はまだ緑なので、少し中途半端な感じですね。ここも展開は思っていたよりも早そうな感じです。

3.本坊

今回も外から見ただけですが、かなり色付いて来ては居るようです。特に一番奥のもみじは綺麗に染まっていました。他はまだ色付き半ばという感じだったのたげと、どんなものかな。

4.永観堂

ここも外から見ただけですが、かなり見頃になって来ている様に見受けられました。でも、拝観料1000円はやはり高いので敬遠ですね。

5.真如堂

本堂裏を除いてほぼ色付いていました。参道はまだ少し緑が残っていたかな。早くに色付いたハナノキやカエデはかなり散っています。全体としては当たり年でまずまず綺麗なのだけれど、やはり10年に一度という程では無い様な気がします。特に期待していた三重塔前のもみじは、葉が縮れてしまいました。ここは残念な部分ですね。

2012年11月17日 (土)

京都・洛西 京都紅葉事情2012 ~常寂光寺 11.16~

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平成24年11月16日の常寂光寺です。この日は本堂周辺を中心に見頃となっていました。

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毎年真っ先に色付くのは多宝塔周辺なのですが、今年は少し本堂よりも遅れた様です。赤くはなっていたのですが、まだ色付きが浅く、ピークには達していない感じでした。

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近くで見ると、まだ緑が混じっているのが判るでしょう。もう少しすれば、ここも盛りとなる事でしょうね。

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とても綺麗だったのが本堂周辺で、特に黄葉が鮮やかでしたね。その黄葉を日に透かして黄金色に染めてみました。

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今年は庭園も比較的早く色付いていました。ここはそれほど印象に残らない事が多いのですが、今まで見た中では一番綺麗な庭園だったかも知れません。

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山門内の石段周辺は少し遅れ気味です。これは毎年の傾向どおりですね。ここが色付く頃は、多宝塔周辺で落葉が盛んになっているものと思われます。

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常寂光寺の紅葉は、さすがに綺麗なものでした。ただ、10年に一度の紅葉と言える程かというと、首を傾げてしまいます。まずまず普通に綺麗と言える程度なんじゃないかな。

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まあ、まだ盛りになっていない中での結論は早すぎるので、今後の色付き加減に期待したいですね。ここは今シーズン中にもう一度来てみたいと思っているところです。

京都・洛北 京都紅葉事情2012 ~11.17 速報~

今日は雨の中、修学院界隈を回ってきました。色付き加減は洛西と似た様なものですが、色合いはもこちらの方が良いですね。

1.詩仙堂

座敷から見えるもみじの半分ほどが赤く染まっています。まだ盛りとは言えませんが、見頃開始とは言えるでしょう。色合いはなかなかのものですよ。ただ、雨のせいで艶良く見えていたとも言えますが。

全体としては5分から6分程度の色付き加減で、西の庭園も黄色く色付いて良い感じでした。ピークまではあと少しでしょうね。ここでは来週半ば頃から連休初め頃にかけてと予測しておきましょうか。当たらぬも八卦の無責任な予想ですけどね。

2.金福寺

まずまず見頃を迎えたと言って良いのでしょうか。芭蕉堂周辺を除いてほぼ色付いています。ただ、まだ少し浅い色付き加減かな。たぶん、ここ数日のうちにピークを迎える事でしょう。芭蕉堂付近はもう少し時間が掛かるでしょうね。

3.圓光寺

今日回った中では最も綺麗でした。座敷からの眺めも素敵でしたよ。盛りの木と少し手前くらいの木が混在していて、ピークの直前くらいだったのかな。まだ緑の残る木や色付きの浅い木もあるので、ここ暫くは見頃が続きそうです。

4.曼殊院

弁天池の周辺はほぼ色付いています。ただ、色合いは思っていたほどでは無かったかも知れません。普通に綺麗という感じですね。

山門周辺は色付き半ばで、ピークまではもう少し時間が掛かりそうです。庭園は入っていないので判りません。

5.赤山禅院

参道は5分から6分の色付き加減で、雰囲気は出ています。まだ少し浅い色付きで、ピークまでにはまだ少し時間が掛かりそうです。

境内も似た様な傾向で、全体として5分ないし6分程度の色付きですね。やはり浅い色付きの木が多く、ピークには未だ至っていません。

6.京都府立植物園

フウの木はまだ少し浅い色付きながらも、全体に良い感じに染まっています。見頃開始とは言っても良いのかな。このまま行けば、あと少しで見事な姿を見られそうですよ。北山門にあるトウカエデは色付き半ばで、ピークまでにはあと少し時間が掛かりそうでした。

もみじは、なから木の森の池にある四阿の横で、2本の木が綺麗に染まっています。他でも何本かの木が赤く染まりかけていましたよ。

とにかく多種類の木がありますから、色々な木があちこちで染まっています。晩秋の風情を満喫したいのならお薦めの場所ですね。

2012年11月16日 (金)

京都・洛西 京都紅葉事情2012 ~11.16 速報~

今日は昼から休みを貰って、嵐山・嵯峨野を巡って来ました。紅葉情報では見頃又は一部見頃の場所が多くて期待していたのですが、まだ少し早かった様です。それに、東山界隈に比べると色具合が今ひとつで、10年に一度の当たり年という感じではなかったです。縮れた葉も結構あったしね。かと言って特に悪いという訳でもなく、普通に綺麗という感じでした。

人出は平日とは思えない程多かったです。寿司詰めの嵐電なんて初めての体験だものなあ。

1.嵐山

色続いて来ていますが、まだかなり浅い色具合です。見頃までにはもう少し掛かりそうですね。

2.天龍寺

事前の情報では見頃とあったのですが、一部見頃というのが正しいのでしょうね。全体としては4分から5分程度の色付きかな。綺麗に色付いている木もありますが、今ひとつ艶の無い葉も多く見られ、感激は薄かったです。

3.常寂光寺

毎年真っ先に色付くのが多宝塔の周辺なのですが、今年は少し遅れた様で、まだ少し浅い色付き方です。縮れた葉も少し見えるかな。今日は本堂周辺の方が綺麗に色付いていました。また、庭園も今年は早く色付いていますね。その代わりというか、山門から石段周辺にかけては少し遅めの様です。帰り道の石段はまだ緑のままなのは例年通りですね。

ここもまずまずなんだけれども、凄いという程ではないですね。

4.落柿舎

庵前のもみじが薄いオレンジ色に染まってきています。見頃まではもう少しかな。柿はごくわずかで寂しい姿です。

5.二尊院

ここは山門から覗いただけなのですが、紅葉の馬場はまだ色付き初めという感じでした。「そうだ京都行こう」のキャンペーン対象ですが、そのせいなのでしょう、結構な人出でしたね。

6.滝口寺

一部で見頃になっていますが、全体としてはまだ少し色付きは浅い感じですね。残念な事に、本堂前のもみじの葉が全て落ちていました。景観上一番大切な木なのに何てこった。

7.祇王寺

外からしか見ていないのですが、まだ色付き初めという感じでした。にも係わらず、なぜか団体客が次々と押し寄せており、凄い混み方でしたね。清盛のせいなのかしらん?

8.化野念仏寺

賽の河原の東側のもみじが綺麗に染まっています。石塔との絡みは、この寺ならではの景観ですね。ただ、他のもみじはまだ緑か色つぎ始めた程度で、全体としては物足りない感じです。色合いは良い感じでした。

9.鳥居本

平野屋さん背後のもみじは赤、オレンジ、色付き初めの混合、つたやさん前のもみじは色付き初めです。平野屋さん前の崖のもみじは、オレンジ色に染まっていますがまだ物足りないですね。それに縮れた葉も目立ち、当たり年とは行かない様です。

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~泉涌寺 11.12~

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平成24年11月12日の泉涌寺です。この日は御座所の庭園で、もみじが見頃を迎えつつあるところでした。

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数ある京都の紅葉の名所の中でも、この庭園はいち早く色付く場所の一つです。今年もそれは例外ではなく、早くも鮮やかな紅葉を見る事が出来ました。

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その庭園において毎年真っ先に染まるのがこの木で、今年は特に綺麗に色付きましたね。

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色付いているのはまだ枝先だけでしたが、これだけ染まっていれば十分でしょう。この庭に相応しい、とても上品な色合いですね。

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隣のこの木は、毎年黄色に染まるのですが、この日はまだ黄葉半ばでした。この木も盛りになると、まるでポスターカラーで染めたんじゃないかという位にくっきりした色合いになるのですが、それが見られなかったのは少し残念です。

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この日はまだ色付き半ばの木も多く、全体としては3分から4分程度の色付きだったかな。今頃は丁度見頃になっている頃かも知れませんね。

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泉涌寺は、境内に入るのに500円、庭園に入るのに300円と合計800円掛かるのですが、これだけの紅葉が見られるとあればまあ良しとするのでしょうか。その分、人出も少ないですしね。静かに紅葉を楽しみたい人には、お薦めの庭です。


2012年11月15日 (木)

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~東福寺 11.12~

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平成24年11月12日の東福寺です。この日は見頃とまでは行かないまでも、通天楓を中心に紅葉が進行していました。

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東福寺にはこの一週間前にも様子見に行ったのですが、その間にかなりのスピードで染まりました。まだ緑の木が大半を占めており、全体としては2分から3分程度の色付き加減でしたが、その後も冷え込みは続いているので今頃は更に進んでいる事でしょうね。

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この日は通天楓の黄葉がピークを迎えていました。銀杏やもみじの黄色とは違う独得の色合いで、ここならではの景観を見せてくれています。

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早く色付く分、落葉も盛んで、もみじが盛りを迎える頃には散ってしまいます。なので、この木を楽しみにしている人は、早めに出掛けた方が良いでしょうね。

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もみじは、洗玉澗を境にして、北側から染まっていくのが通例です。例外は出口近くの一本で、この日も他の木に先駆けて鮮やかに染まっていました。

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同じ木を木漏れ日に透かして見たところですが、とても綺麗なものですね。この色を見ていると、今年の東福寺の紅葉は期待出来そうな感じがして来ます。

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こちらは洗玉澗への降り口にあった紅葉です。未だ少し浅い色付き加減ですが、そろそろ鮮やかに染まって来る頃でしょうか。

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この日の人出は平日だったせいか思っていた程でもなく、行列は皆無でした。沢山配備された警備員さんたちも、手持ちぶさたの様でしたよ。でも、紅葉が進むに連れてさぞかし賑わう事でしょうね。次にいつ行くべきか、ちょっと迷っているところです。

2012年11月14日 (水)

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~真如堂 11.11~

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平成24年11月11日の真如堂です。この日は三重塔前のハナノキが盛りを迎えていました。

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一週間前とくらべると、ハナノキの紅葉は一気に加速したという感じです。前週はまだ枝の半ばくらいまでが色付いていた程度だったのですが、この日は見事な紅葉を見せてくれていました。

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ただ、落葉も盛んで、この日の雨で大量に葉を散らしていました。なので、今頃は寂しい姿になっているかも知れません。

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もみじは、まだ緑の木が多いけれど、紅葉の進んだ木も何本か見受けられました。全体としては2分ないし3分程度の色付き加減だったかな。今頃は更に進んでいる事でしょう。

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これは三重塔前のもみじです。まだ色付き半ばといったところでしたが、色合いは良い感じでしたね。今週末も出来れば見に行きたいと思っているのですが、そろそろこの木の見頃を迎える頃なのでしょうか。

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これは山門を入ってすぐ南側にあるカエデです。この木も綺麗に染まっていましたね。この東側にあるムクロジもまだ黄葉を保っていて、二本の木のコラボレーションがとても綺麗でしたよ。

苦沙彌和尚に拠れば、今年は10年に一度の当たり年になりそうなのだとか。それが現実のものとなり、上手く盛りの時に行けると良いのですけどね。楽しみです。

2012年11月13日 (火)

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~天授庵 11.11~

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平成24年11月11日の天授庵です。この日は書院前の庭園で紅葉が進んでいました。

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この写真だと綺麗に写りすぎているのですが、全体としては4分ないし5分程度の色付き加減だったかな。この庭の紅葉の進行が南禅寺境内よりも早いのは、例年通りの傾向です。

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北側の木ほど紅葉が早く進み、南側の木は進行が遅いのも例年どおりですね。いま緑の木が色付く頃には他の木は盛りを過ぎているのが通例で、一度に全ての木が見頃になっているというのはまだ見た事が無いです。

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この日一番綺麗だったのがこの木で、南禅寺全体を見渡しても最も程度が良かったと思います。まだ少しオレンジ色が残っていたので、今日あたりは見頃だったんじゃないかな。

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この日はどういう訳か、書院に幔幕が張り巡らされていました。何かの法要の日だったのでしょうか。ちょっと珍しい光景でしたね。

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南の庭園はほとんどが緑のままで、これも例年通りの傾向です。そんな中で、小さなもみじは色付いており、雰囲気は出ていましたよ。

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南の庭園が色付くのは、書院前の庭園が盛りを過ぎた頃ですね。それだけ長い期間楽しめるのが、この寺の良いところと言えるのかも知れません。

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池面に沢山浮かんでいたのは百日紅の落ち葉でした。一足先に色付き、この日の雨で散ってしまったのでしょうね。紅葉は主役を少しずつ変えながら、盛りへと進んで行くようです。

2012年11月12日 (月)

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~南禅寺 11.11~

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平成24年11月11日の南禅寺です。この日は部分的に染まった木もあり、全体としては3分程度の色付き加減でした。

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今年は冷え込みが続いたせいか、意外に早い進行ですね。正直言って、ここまで染まっているとは思っていませんでした。

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この日はまだ緑の木が多くて見頃とまでは行きませんでしたが、これくらい色付いている木があれば見頃開始とまでは言えるでしょうね。

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特に綺麗だったのが法堂裏で、ここから染まり出すのは例年どおりです。この銀杏はまだ少し浅い色付きだったけど、ここ数日のうちに盛りを迎えると思われます。

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もみじは、オレンジ色の木が多かったけれど、こんな具合に赤く染まった木もありました。総じて、今年の紅葉は色が綺麗ですね。

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法堂裏のもう一本の銀杏です。こちらはほぼ見頃と言っても良かったのかな。この木は色付くのが早い分、散ってしまうのも早いのですよね。

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水路閣の周辺のもみじは、例年どおり色付くのは遅い様です。例外はこの木ですが、最初から赤い品種なのですね。それでも紅葉はやはりあって、より透明感のある赤に変わっていきます。

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この日色付いていたもみじは、こんな具合に細い木が多かったです。まだ強いオレンジ色だったのですが、だんだんと深紅に染まって行く事でしょうね。

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この日は雨だったのですが、紅葉にとっても適度な雨は好結果に繋がるようです。干天続きだと、葉が縮れてしまうそうですね。盛りの時に降られると恨みの雨となってしまいますが、紅葉途中の雨は歓迎すべきものなのでしょう。傘を差しての撮影は大変でしたけどね、そのぶん綺麗な紅葉を見られれば良しとします。

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~11.12 速報~

平日に休みが取れたので、少しだけ紅葉を見に行ってきました。今年はやはり、総じて早めの進行の様ですね。そして色合いが綺麗なのも共通した傾向です。

1.東福寺

全体として緑の木が多く、見頃までにはまだ遠い感じです。ただ、通天楓は今が盛りで、それなりの雰囲気はありますよ。通天楓の独得の風合いを好まれる方は急いだ方が良いかも、です。ところどころ色付いているもみじもあり、全体としては2分程度、欲目に見て3分程度の色付き加減かな。人出は平日の午前中とあってか、それほどではありませんでした。

2.泉涌寺

庭園のもみじが綺麗に色付き始めており、見頃開始と言っても良いでしょう。特に、例年早く色付く赤いもみじが美しかったです。その隣の黄色のもみじがもう少し色付いてくれていると良かったのだけどな。全体としては3分から4分程度の色付きでした。

3.善能寺

庭園近くのもみじはほんのりと色付いている程度で、見頃までにはまだ時間が掛かりそうです。あと、境内西側のもみじの1本と山門内側のトウカエデが結構色付いています。ここは遠目に見た方が綺麗に見えますね。

4.来迎院

陽当たりの良い木が色付き始めている程度で、見頃にはまだ至っていません。半ば以上はまだ緑のままですね。ここも見頃までにはもう少し掛かりそうでした。

5.今熊野観音寺

本堂前のもみじが一本と、太子堂裏の銀杏が綺麗に色付いています。ここだけならそれなりに見られるのですが、他の木はほとんどが緑のままで、全体としては色付き初めといったところでしょうか。部分的には見頃開始、全体としては見頃までにはもう少し時間が掛かりそうです。

2012年11月11日 (日)

平清盛 第44回 「そこからの眺め」

(治承3年(1179年)、伊豆、時政の館。政子との間に生まれた大姫を抱く頼朝。良く思い切ったものだと義明。清盛の怒りに会えばひとたまりもないと秀義。承知の上、平家の世は長く続かない気がする、自分は佐殿に、源氏の魂に賭けると時政。)

(重盛の館。病に伏す重盛。)

(福原。重盛の病状を伝え、法皇との確執を解いて欲しいと懇願する貞能。無言で庭に出る清盛。案ずる事は無いと盛国。)

(院の御所。基房を呼んだ法皇。彼の用件とは、病に伏している盛子が管理している摂関家領の事でした。本来ならそちの物と言われて喜ぶ基房。まずは清盛に都を離れた場所に居て貰おうと法皇。)

(福原。僧侶に祈祷させている清盛。花山院忠雅が厳島詣をしたいと言っていると知らせる盛国。承知する清盛。)

(安芸、厳島。忠雅をもてなす清盛。そこにもたらされた盛子死去の知らせ。)

(6月17日。盛子死去。)

(厳島。盛子の供養をする清盛。)

(盛子の死を痛む景弘。)

(六波羅。摂関家領を戻して頂くと伝える基房。盛子は帝の准母だった、一度は帝に戻すのが筋と時忠。そうすればいずれは言仁のものと思っているのかと基房。清盛不在の時にそんな申し出をされても承る事はできないと時子。さようですかと笑って立ち去る基房。)

(後白河院が預かる事になった摂関家領。)

(重盛が病に伏せっている今、代わりになる者が必要と話し合う平家一門。宗盛を推す頼盛。それはおかしい、維盛こそふさわしいと忠清。正妻の子、宗盛が良いと時忠。控えよと時子。)

(厳島。盛子の所領を召し上げられたと知り、怒りに震える清盛。ここで下手に動けば重盛の病に障ると盛国。判っているといらつきながら、帰洛を急がせる清盛。)

(院の御所。清盛をつつくには子をつつくに限ると法皇。)

(六波羅。病を押して一門を集めた重盛。宗盛たちに自分が死んだ後は、兄弟力を合わせて一門を支えよと告げる重盛。そして、息子達には叔父達を支えよと伝えます。)

(夜。重盛の下を訪れた法皇。重盛の手を取り、命がけで清盛を諌めてくれたと礼を言う法皇。もったいないと重盛。今の内に、何でも托すが良いと法皇。清盛となにかと衝突する事はあっても平家に二心は無い、平家の安泰、清盛の国造りを見守って下さいと重盛。約束すると法皇。礼を言う重盛。ただし、これに勝ったらなと双六盤を用意させる法皇。)

(賽を振る法皇。身体を起こし、震える手で賽を転がす重盛。双六を続ける法皇。苦しむ重盛をせかす法皇。そこに現れ、驚く清盛。)

(重盛を抱き、お戯れが過ぎると法皇をたしなめる清盛。40年前の重盛を賭けた双六の話を持ち出し、重盛が振った賽で清盛が勝ったと言い、自分を守るのは自分しかいないと重盛に言う法皇。お引き取りをと清盛。母を亡くし、弟を亡くし、父は修羅の道を行くもののけ、そちは生まれた時から一人で生き、一人で死んで行くのだと法皇。立ち去れと清盛。高笑いし、双六を手で払い立ち上がる法皇。高笑いを残して去る法皇。)

(とく、死なばやと、虫の息でつぶやく重盛。重盛を抱きしめる清盛。)

(7月29日。重盛死去。)

(今後の事をとせかす盛国。平家の力を弱めぬため、基通を権中納言に推挙すると清盛。)

(無視された清盛の推挙。)

(10月9日。8歳にして権中納言に任じられた師家。これはいかなる事と驚く兼実。いずれは師家が氏の長者として跡を継ぐと基房。)

(盛子の所領はいずれ師家のものとなるという事だと盛国。)

(高笑いする基房。さらにもう一つの沙汰として、重盛の知行国であった越前を法皇が治める事になったと基房。)

(越前召し上げを伝える盛国。これらの沙汰はすべて法皇の指示によると盛国。怒りに震え、両手を広げて叫び声を上げる清盛。)

(11月14日。数千騎の兵を率いて上洛した清盛。法皇は関白とたばかって国を乱している、即刻処断すべしと宣言する清盛。)

(清盛の処断により、関白、権中納言を解官された基房と師家。流罪同然に太宰権師に左遷された基房。呆然とする兼実。)

(11月17日。反平家の公卿達39人を解官させ、その知行国全てを平家一門のものとした清盛。)

(院の御所。一人双六に興じる法皇。そこに兵を引き連れて現れた宗盛。これは何とした事と法皇。鳥羽離宮に御幸して頂きたいと清盛の意向を伝える宗盛。さようかと立ち上がる法皇。)

(六波羅。法皇が鳥羽離宮に入ったと清盛に伝える宗盛。祝いを言上する一門。ついにここまで来た、武士がこの国の頂きに立ったのだと清盛。)

(11月20日。鳥羽離宮に幽閉された法皇。遂行された治承3年の政変。)

(徳子に事の次第を報告する清盛。これより先、存分にお働き下さいと徳子。言仁を西八条に行啓して欲しいと頼む清盛。)

(踊る様に廊下を歩く清盛。その先に佇む祇園女御。ついにこの世の頂きに上られましたな、そこからの眺めは如何と女御。いたって良い眺めと清盛。もう会う事も無いだろうと言って立ち去る女御。振り返る清盛。誰も居ない廊下。)

(西八条第。行啓した言仁。言仁に泰平御覧を献上する清盛。)

(言仁を抱いてあやす清盛。障子に指で穴を開けた言仁。喜び、この障子は大事に取っておく様にと時子に命ずる清盛。言仁を抱き取る時子。)

(鳥羽離宮で一人床を見つめている法皇。)

(如何にございますか、そこからの眺めはと祇園の女御の声。)

(障子の穴を覗く清盛。)

(笑みを浮かべて手の中で賽を転がす法皇。)

(穴を覗き続けている清盛。)

今回は重盛の死と、治承3年の政変によって頂点に立った清盛の姿が描かれました。

清盛と法皇の板挟みにあっていた重盛が「とく死なばや」という言葉を漏らしていたとは愚管抄に記されている事で、彼が置かれていた苦しい立場を良く物語っています。ドラマには出て来ませんでしたが、重盛は病に倒れる前に熊野参詣に出掛けており、その途中で吐血して倒れたのでした。病名は不食の病で、胃潰瘍とも脚気とも言われているようですね。彼の死は西光法師の怨念であるという落書きがあったとも伝えられています。彼の遺領は院の近臣である藤原光能に与えられ、平家から取り上げられたのはドラマにあったとおりです。また、病の床に伏す重盛に法皇が双六を強制したのはドラマによる創作ですが、彼の死の直後に法皇は石清水八幡宮に御遊をしており、忠臣の死にも係わらず悲しみのそぶりも見せる事は無かったと言われます。

盛子もまた重盛と同じく不食の病によって亡くなっており、彼女の場合は平氏という異姓の身でありながら摂関家領を相続した事で春日大明神の祟りに会ったのだと噂されました。盛子の遺領は内の御沙汰として天皇領とされたのですが、それを管理する倉預に法皇の近臣である藤原兼盛が任じられて、実質的な支配権は法皇の下に移されました。

基通は基実の子で、盛子が継母となって養育していました。いわば摂関家の嫡流にあたるのですが、幼少のため関白は基房が継ぎ、基通がいずれ氏の長者となる含みで盛子が摂関家領を相続していたのですね。ところが盛子の死後、基房の子である師家が基通をさしおいて中納言となり、摂関家を相続する事が約束された事はドラマにあったとおりで、これにより清盛の面子は丸つぶれとなりました。

これらの出来事が平家の力を削ごうとした法皇の策謀であった事はドラマに示されていたとおりであり、これが清盛の強い怒りを招く事となりました。世が世なら、臣下の清盛が法皇に異議を唱える事など出来なかった事なのですが、京における軍事権を一手に握っていた清盛にとっては、法皇も恐れる必要の無い相手になっていたのですね。そして、言仁親王が東宮となっていたことで、高倉天皇の譲位~院政への道も開けており、治天の君が居なくなっても構わないという環境も整っていました。こうして、治承3年の政変は現実のものとなったのですね。

今回のドラマに描かれていなかったのは宗盛の苦悩で、彼もまた院の近臣という立場では重盛と同じでした。彼は重盛が病によって内大臣を辞任するより早く、妻の死を理由に権中納言と右大将を辞任していたのですが、これは重盛の場合と同じく父と法皇の板挟みにあった宗盛が、二人の対立の最中から逃れようとしていたのではないかと考えられています。また、清盛が数千騎を率いて上洛する際、宗盛は厳島参詣の途上にありました。これもまた、父の動きを事前に察した宗盛が、婉曲に父の命令を拒否しようとしたのではないかと言われます。結果としては呼び戻されて父・清盛と行動を共にしているのですが、清盛の息子という立場は相当に難しいものがあったと想像出来る出来事ですね。

関白の基房が解官され、太宰権師に左遷されたのはドラマにあったとおりで、事実上の流罪でした。古の菅原道真公と同じ処遇と言えますね。彼の息子である師家も解官され、新しい関白には基通が充てられました。これにより、平家を後ろ盾とする基通が藤原摂関家を嗣ぐ事が明かにされた訳ですね。ただ、基房の弟である兼実はずっと表だった事をして来なかった故にか無事で、彼は基通を支える役目を期待される様になります。兼実としては本意ではなかったのですが、彼は保身の為にこれを喜ぶ振りをしたと伝えられています。

この動きに対して、法皇は清盛に今後は一切政務に口を出さないという申し入れをしています。一度は平家を除こうとした法皇でしたが、そのあまりの反発の大きさに恐れをなしたのですね。ドラマでは一切の言い訳をしなかった法皇ですが、現実には難を逃れようと見苦しくあがいていた事が知れます。これにより、清盛の怒りも収まるかと思われたのですが、事態はさらに進展します。

まず、天台座主に、法皇によってその座を追われていた明雲が復帰します。そして清盛は、院の近臣39名を解官させるという暴挙に出ました。この中には太政大臣である藤原師長も含まれており、彼はそのまま尾張国に流罪となっています。また、ドラマには描かれなかったのですが、清盛の弟である頼盛も所領を没官されています。頼盛もまた法皇の近臣であったためと言われていますが、清盛の怒りがいかに強かったかという事がこの一事から窺い知る事が出来ます。

この政変によって多数の受領の交代が行われており、結果として平家一門が支配する国は、当時の日本の66国のうち32国に及ぶ事になりました。文字通り平家にあらずんば人にあらずといった世が現出した事になる訳ですが、この事が大きな反発を呼ぶ事になっていきます。

政変の仕上げが法皇の鳥羽離宮への幽閉でした。鳥羽離宮は鳥羽法皇が晩年を過ごした地で、ドラマにも出て来ていましたよね。法皇は多数の兵に監視下に置かれ、わずかの近臣と女房以外の人との通行を遮断されて一切の政務から遠ざけられてしまいます。

こうして平家中心の政権を樹立した清盛でしたが、彼自身は政権の中枢に座ることなく、福原に引き上げています。後を任されたのは宗盛であり、朝廷は高倉天皇と基通が舵を取る事になります。しかし、彼らでは経験と貫禄に欠けていたのは明かであり、新しい政権は不安定なものとなって行くのです。

ドラマに戻って、法皇の重盛に対する仕打ちは、あまりにも子供じみていて無意味なものに思えました。あんな事をしても、ただの嫌がらせ以外の何ものでもないでしょうにね。重盛を手駒と言うのなら、もっと大事に扱いそうなものなのですが、そうはしないのが松田法皇の特色なのでしょうか。どうにも、このドラマの法皇の行動には首を傾げたくなるものが多いです。

ただ、この演出によって清盛の怒りも正当化される事にはなっています。こんなに無慈悲で酷い法皇なら、幽閉されても仕方がないと思えますよね。それが作者の狙いだったのかな。

治承3年の政変によって政権を得た清盛でしたが、これがこのドラマの言う頂上だったのですね。たしかに、これによって清盛が絶頂期を迎えたとは言えるのですが、彼の目指すという新しい国の姿は依然として何も示されていません。宋との交易によって国を豊かに富ますと言っていましたが、具体的には何が変わったのでしょうか。ただ清盛が政権の頂点に立つ事だけがドラマの最終目標だったと言うのなら、従来の平家物語の世界観とほとんど変わらない事になってしまいます。何だか裏切られた感が漂うのは私だけかな。

それはともかく、言仁親王が開けた穴から見た景色が、頂点に立った清盛が見た世界だったという祇園女御の言葉は暗示的でした。親王が安徳天皇となる事によって、清盛の目指す世が完成するという事を意味しているのでしょうね。どんな景色だったかは、視聴者の想像に任せるという事なのでしょう。

なお、西八条第に行啓した親王に清盛が泰平御覧を贈り、親王が穴を開けた障子を家宝として残しておけと清盛が言った事はいずれも史実として伝わっている事です。

次回は以仁王の令旨が描かれる様です。頂点に立った平家の足下が崩れ始めるという予兆ですね。気になるのは、清盛が戯れていた白拍子ですが、やっと祇王が出て来るのかな。そのあたりにも注目して見てみたいと思っているところです。

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~11.11 速報~

雨の降る中、南禅寺と真如堂界隈を巡ってきました。総じてどこも思っていたより進行は早いですね。そして、今年の紅葉は綺麗だと言っても良さそうな色付き加減でした。

1.南禅寺境内

まだ本格的な見頃とまでは言えませんが、部分的には綺麗に染まっています。全体としては3分程度の色付き方で、見頃開始とまでは言っても良いのかな。特に綺麗なのは、法堂裏の銀杏と大もみじ、西側のもみじの1本、三門北側のもみじの1本(表面だけですが)です。三門西側でも一本のもみじが赤く色付き、桜も綺麗に染まっています。他にも、小さなもみじがいくつか鮮やかに染まっていました。まだ全体としては緑の木が多いのですが、それなりに紅葉の風情を楽しむ事が出来ますよ。

他には、蹴上駅から境内までの道筋で、何本かの木が綺麗に染まっていました。

2.天授庵

書院前の庭園でが4分から5分程度に色付いており、見頃開始と言っても良いでしょう。思っていたよりもかなり早い進行ですね。一番綺麗なのは、入り口から入ってすぐに見えるもみじですが、少しまだオレンジがかっているので、最高潮になるのは明日か明後日くらいでしょうか。一番南のもみじは色付き始めた程度で、進行の順番は例年通りですね。

南側の庭園はまだ緑が基調になっていますが、小さなもみじがいくつか色付いています。そして、竹藪越しに見える庭園外のもみじが綺麗でしたね。染まっている木の色合いは綺麗ですよ。ここは盛りになるのはもう少し先でしょう。

3.本坊

外から屋根越しに眺めた程度ですが、色付き初めという感じでした。最高潮になるのはもう少し先かも知れません。

4.南禅院

ここも外から眺めただけですが、まだほんのりと色付いた程度の様です。見頃までにはもう少し掛かりそうですね。

5.永観堂

やはり外から眺めた程度ですが、2分から3分程度の色付きに見えました。正確には中に入っていないので判りませんが、感じとしては意外と早い様に思えましたね。人出は、雨にも係わらず多かったです。

6.真如堂

そろそろ見頃開始と言っても良いでしょうか。まだ緑の木の方が多いのですが、赤く染まった木もかなり出て来ました。全体としては2分から3分程度の色付き加減かな。ここも意外な程進行が早いです。

一番綺麗なのは三重塔前のハナノキで、赤と黄色に染まって見応えがありました。ただ、落葉も盛んで、間もなく盛りは過ぎてしまいそうです。他のハナノキでは本堂南側の木が綺麗に染まっています。本堂前の木はまだ色付き半ばですね。山門内南側のカエデも綺麗に色付いていますよ。

もみじでは、三重塔前の木がかなり染まって来ました。まだ色付き半ばですけどね、雰囲気は悪くないです。他にも何本かの木が赤く染まっており、いずれも色あいは悪くないですよ。

2012年11月10日 (土)

京都・洛北 京都紅葉事情2012 ~赤山禅院 11.3~

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平成24年11月3日の赤山禅院です。この日は参道を中心にもみじが色付き始めていました。

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まだ緑基調で本格的な紅葉には至っていなかったのですが、これくらいなら染まり初めと言っても良いでしょうね。

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中には、枝先を中心にかなり色付いている木もありました。他の場所と同じく、ここも色付いている葉は綺麗な色をしていますね。

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この寺は参道から色付いていく事が多いのですが、今年は少し遅れ気味でしょうか。この写真を撮ってから1週間ですが、どれくらい進んだでしょうね。

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境内では、まだ萩が咲いていました。蕾が残っているところをみると、これから花盛りを迎えるところなのでしょうか。萩も種類によっては随分と遅咲きのものもあるのですね。

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寒桜もまた花を咲かせていました。まだ花盛りには至っていなかったけれど、紅葉が盛りになる頃にこの花も咲き揃っているかも知れないですね。次は紅葉とのコラボレーションを撮ってみたいと思っているところです。

2012年11月 9日 (金)

京都・洛北 京都紅葉事情2012 ~圓光寺 11.3~

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平成24年11月3日の圓光寺です。この日はもみじが色付き始めたところでした。

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圓光寺は、詩仙堂に比べると紅葉の進行が早い事が多いのですが、今年もその傾向は変わらない様ですね。まだ本格化してはいないものの、雰囲気は出て来ています。

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庭全体としては緑基調で、この寺としては遅めの進行なのかな。ここも今後の進み方は、これからの冷え込み加減次第ですね。

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人出の方は詩仙堂ほどではないのですが、この寺にしては多めでした。詩仙堂からそのまま流れて来る人が結構居るのですよ。

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中には、こんな具合に色付いている枝もあります。他の場所と同様、発色の仕方は良い感じですね。

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圓光寺では、山門から続く参道を手直しされました。石畳の両側に小石が敷かれ、突き当たりにあった地蔵堂が駐車場に移されて植え込みになっています。大きくは変わっていないけれど、少し印象が違って感じるかな。

そう言えばパンフレットもリニューアルされており、少しずつだけど変化が見られる圓光寺です。

2012年11月 8日 (木)

京都・洛北 京都紅葉事情2012 ~詩仙堂 11.3~

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平成24年11月3日の詩仙堂です。この日はもみじがほんのりと色付き始めているところでした。

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座敷から見た景色はこんな感じで、まだほとんどは緑基調ですが、わずかに色付いている枝も見受けられます。

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一番色付いている部分でこの程度ですから、かなりゆっくり目の進行ではありますね。これからどんな具合になるのかは、この先の冷え込み加減次第です。

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もみじ以外では、マルバノキがかなり色付いていました。この色合いでもみじも染まってくれると良いのですけどね。

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丈山椿はだんだんと花盛りになって来ていました。ただ、鳥に食べられるのか、程度の良い花が少ないのが難点かな。

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ホトトギスも花盛りになっていましたよ。庭園の西側、下の庭園に続く階段の側で多く見る事が出来ます。

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今の庭園で一番目に付くのが野菊かな。そこかしこで、可憐な姿を見せてくれますよ。

詩仙堂の人出はとても多く、団体さんも来ていて、かなりの混雑となっていました。これから紅葉が本格化すると、さらに凄い事になりそうですね。早朝を狙うか、出来る事なら平日に行くのが吉と言えそうです。

2012年11月 7日 (水)

京都・洛北 京都紅葉事情2012 ~金福寺 11.3~

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平成24年11月3日の金福寺です。この日はもみじがほのかに色付き始めていました。

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色付いているのは、南側と西側のもみじの枝先ですね。ここから紅葉が始まるのは毎年の事ですが、一昨年と比べると進行は遅い感じがします。

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灯籠の側ではキキョウが色付いていました。こういのも草紅葉と言うのですかね。緑が多い中で、ちょっとしたアクセントになっていましたよ。

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金福寺は、修学院界隈では比較的早く色付くポイントなのですが、今年はややゆっくりめの進行なのかな。それでも詩仙堂よりは進んでいるのですけどね。

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この日は久しぶりに猫と出会いました。眠いのか寒いのか、じっと大人しくしてましたね。喉や頭をなでてやっても逃げないのは、さすがに人慣れしているのかな。やはりこの寺に来たらこの猫と遊びたいのだけれど、これから人出が増えるとひっぱりだこで、なかなか相手にしてもらえなくなるのでしょうね。

2012年11月 6日 (火)

京都・洛東 第48回 京都非公開文化財特別公開 ~法然院~

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毎年春と秋に行われている非公開文化財の特別公開が行われています。京都市の内外21カ所で行われていますが、その一つである法然院を訪れて来ました。

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法然院は境内までは自由に入れますが、堂内は非公開ですので中に入るのは初めてです。もっと狭い寺なのかと思っていたのですが、内部は意外に広いのに驚きました。

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伽藍は本堂、方丈、大書院、食堂、庫裏からなり、そのほとんどが公開されています。ご本尊は阿弥陀如来座像、普段は外からほの暗い中を覗くだけなので良く判らなかったのですが、立派な須弥壇と天蓋を備えた金色の見事な仏像でした。脇侍として観音菩薩、勢至菩薩像、法然上人立像が安置されています。

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庭園は方丈庭園、中庭、三銘椿の庭などがあり、これも外から見ているだけでは想像も付かなかったですね。椿の庭は五色散椿、貴椿、笠椿の三本の木があり、それぞれ年代を経た銘木です。春にも特別公開があるので、椿が咲いているところを見に行きたいところですね。

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法然院の特別公開は明日の7日までです。拝観料は800円と高いですが、狩野光信の襖絵など見所は多いですよ。

なお、11月3日現在では、法然院の紅葉はほとんど始まっておらず、わずかに色付いた枝がある程度でした。秋が更に深まる頃、もう一度見に行きたいと思っているところです。

2012年11月 5日 (月)

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~真如堂 11.3~

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平成24年11月3日の真如堂です。冷え込みが続いたせいか、一週間前と比べて紅葉の気配が濃くなっていました。

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誤解を与えるといけないので、参道の写真を掲げておきますが、境内のほとんどのもみじは緑のままです。本格的な紅葉にはまだほど遠いのですが、色付き初めとは言える程度になって来ました。

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中でも花の木の色付き加減は早いですね。枝の半分程度まで綺麗に染まって来ました。

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枝によっては黄色に染まっています。こうして見ると紅葉が本格化しているかの様に見えるでしょう。

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池の畔にある伝教大師像の側にあるもみじの一枝は、綺麗に染まっていました。今年の紅葉は当たり年かなと予感させてくれる染まり具合ですね。

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参道の南側にあるムクロジも綺麗に黄葉していました。山門を入ってすぐ右側に見えるので、結構目に付きます。

真如堂の紅葉の盛りがいつ頃になるのかはまだ判りませんが、縮れた葉はあまり見あたらず、綺麗な紅葉になりそうな感じですよ。この予測が当たると嬉しいのですけどね。


2012年11月 4日 (日)

平清盛 第43回 「忠と孝のはざまで」

(捕らえられている成親。そこに訪ねてきた重盛。西光はと縋り付く成親。信西の下に旅立たれたと重盛。驚愕する成親。何故このような事をされたと問う重盛。平家の犬と化して生きる事は面白くないと思った、似合わぬ事をした挙げ句がこの様だと成親。きっと助けると重盛。)

(清盛に向かって、成親の命ばかりは助けて欲しいと嘆願する重盛。二度までも裏切った者は許さないと清盛。私もそう思うと宗盛。軽々しく言うなと重盛。信西が死罪を復活させたのが誤りの元、死罪を行えば国中に謀反を起こす者が絶えないと古の人も言っているとおりだと重盛。兄上は成親と義理の兄弟故、そういうのだろうと重衛。違う、帝のため、国のため、平家一門の為に言っていると重盛。良く判った、成親は流罪とすると清盛。)

(備前に流罪となった成親。左近衛大将を辞任した重盛。)

(重盛に成親のために立場を悪くしただろうと詫びる経子。義理の弟として当然の事をしたまでと重盛。)

(安元3年7月9日、備前で餓死した成親。)

(六波羅。重盛に向かって、お前の望みどおり流罪とした、流罪先でどうなろうと知った事ではないと清盛。自分は拙いながらも父を支えてきた、それは父が思い描く国の姿を見てみたいと思ったからだ、しかし、今もってそれが見えてこない、すべて父の思い通りになったと言うのに、これ以上何が欠けているのかと重盛。そんな話をしに上洛したのではない、これよりすべての社寺に命じて中宮に皇子が授かる様に祈願すると清盛。平家の血が流れている帝が欠けているというのかと重盛。平家の棟梁ならば、黙って私の国造りを支えよと清盛。力なく立ち上がり、ふらふらと去っていく重盛。法皇の近臣でもある重盛の立場を思いやる盛国。)

(院の御所。法皇を励ます重盛。成親は餓死、西光は拷問のあげく斬首されたと聞く、本当かと問う法皇。答えられない重盛。含み笑いをして立ち上がり、現に生きるもののけの血がうずき始めていると法皇。泣き笑いする法皇の高笑い。)

(伊豆。時政の館。政子と共に現れ、政子を妻に迎えたいと時政に頭を下げる頼朝。八重姫との事を忘れたのかと時政。断じてそんな事はさせないと頼朝。何故そんな事が言えると時政。あの時は源氏である事を捨てるつもりだった、しかし、今はいずれ義朝の様な源氏の棟梁となりたいと考えているのだと頼朝。義朝の様なとはと時政。つまり、東国の武士の頂きに立ち、源氏を再び平家に劣らぬ武門とする所存、その道を政子と歩いていきたいと頼朝。父に許しを請う政子。呆然としている時政。煮え切らぬ、痩せた土地でも時政殿が耕すと立派な作物が育つと言っているではないかと藤九郎。それがどうしたと時政。土下座をして、頼朝の舅となり、立派な源氏の棟梁に育てて欲しいと頼む藤九郎。頼朝の肩に手を寄せ、涙ぐむ時政。こんな青白くやせ細った苗では、手がかかるだろうと時政。礼を言う頼朝ら三人。)

(京。常磐御前の下を訪ねてきた遮那王。何故得度せぬと常磐。自分は僧にはならないと遮那王。そこに現れた弁慶。驚く常磐。弁慶から全てを聞いた、何時の日か亡き父に代わって平家を倒す所存と遮那王。何を世迷い言を、事情はともあれ父代わりに育ててくれた人に刃を向けようなどと思ってはならぬと遮那王の手を握る常磐。その手を押しやり、奥州の秀衡を頼る所存と遮那王。許さないと常磐。許しを請いに来たのではない、別れを言いに来た、自分は不孝者だと言って立ち去る遮那王。自分が遮那王と会ったばかりに済まない、しかし、これはただの縁ではない、定めだと弁慶。)

(尾張国。野宿する弁慶と遮那王。ここで元服すると言い出す遮那王。何故ととまどう弁慶。ここは父、義朝の最期の地ゆえと遮那王。呆然とする弁慶。どうせ烏帽子親など居ない身、ならば亡き父の御霊に見守られながら自らの手で元服したいと遮那王。)

(とある寺で自ら髪を切った遮那王。烏帽子を被せてやる弁慶。懐から紙を取り出し、遮那王に示す弁慶。そこには義経と書かれていました。常磐から預かったと説明する弁慶。)

(京。月に向かって、父の義朝から一字を頂戴した、本日から義経と名乗るが良い、強き源氏の武者となりなさいと告げる常磐。)

(福原。中宮に懐妊の兆しありと知らせてきた時忠。すぐに都に参ると清盛。)

(治承2年6月。徳子懐妊の知らせに色めき立つ清盛。)

(六波羅。やはり厳島のご加護はてきめんだ、皆男子の誕生を祈るのだぞとと清盛。)

(安産の祈願を行う清盛。無事に生まれた皇子。喜びに沸く平家一門。苦虫を噛みしめた様な経宗や兼実。男泣きに泣く清盛。)

(11月12日、皇子を産んだ徳子。生後ひと月で立太子の運びとなり、言仁と名乗りを定めた皇子。)

(六波羅。祝いの宴を開く清盛。祝いに訪れた頼政。頼政に三位に推挙し、お許しが出たと伝える清盛。祝いを言う平家一門。命尽きるまで平家と共に働くと頼政。心強い、言仁の健やかな成長を願おうと祝杯を上げる清盛。一人醒めている重盛。)

(治承3年2月、福原。無事に執り行われた言仁の百日の宴。機は熟したとつぶやく清盛。)

(重盛の館。清盛上洛を重盛に告げる家人。火急の用との知らせに皆を集めよと命ずる重盛。その直後、立ち上がり、倒れた重盛。)

(六波羅。自分は東宮の外祖父となった、ついては法皇につまらぬ企てを吹き込む輩が出てこないようにするため、法皇にこの館に来て貰ってはどうかと考えていると清盛。とまどう一門。それは法住寺殿を攻めよという事かと頼盛。御所を攻めれば北面の武士との争いになる、速やかに兵を出して院をお連れ参らせよと清盛。)

(乙前の館。寝付いている乙前を見舞った法皇。近臣が居なくなった法皇を気遣う乙前。己の招いた事、しかし、このままにはしておかないと法皇。法皇と清盛の双六遊びの行く末が気がかりだと乙前。まだ自分には手駒があると言い、乙前のために今様を歌い出す法皇。)

(六波羅。鎧姿に身を固めるの一門の中、一人直衣姿で現れた重盛。次席を占めていた宗盛の前に立つ重盛。面白くなさそうに席を譲る宗盛。次席に座る重盛。その姿は何としたと問う清盛。父上こそ、その姿は何事と重盛。暫くの間、法皇にこの館に来て貰うのだと清盛。何と情けないお言葉、一門の運も尽き果てたと重盛。色めき立つ一門。人は運がつき始めると必ず悪事を思い立つものだと重盛。これは悪事ではない、国造りだと清盛。法皇が居てこその国だと重盛。それはやってみなければ判らないと清盛。では法皇の御所は自分が守ると重盛。驚く一門。五位に叙せられてから後、法皇の恩を受けなかった事は一度も無い、その恩は何によりも重く深いと重盛。訝しげに重盛を見つめる清盛。黙って立ち上がる重盛。今一度言う、これは国造りだと清盛。そして、重盛を押し倒し、平家の棟梁であるそなたが阻むと言うのだなと清盛。法皇に忠を尽くそうとすれば父の恩を忘れる事になる、父の不孝から逃れようとずば法皇への不忠となると言って泣き崩れる重盛。忠ならんとすれば孝ならず、孝ならんとすれば忠ならず、進退は窮まった。こうなった以上、自分の首を召してくれと泣き叫ぶ重盛。痛ましげな一門。じっと重盛を見据える清盛。)

(重盛の懇願に折れた清盛。)

今回は後の安徳帝の誕生前後が描かれました。喜びに沸く一門の中で、ただ一人重盛だけが苦悩する姿が印象的でしたね。

成親が重盛の嘆願によって死罪をまぬがれ、流罪となった事は平家物語にあり、その時に死罪が良くないとは義兄弟だから言っているのではない、世の為、国の為、家の為を思って言っているのだと語ったのはドラマにあったとおりです。その成親が流罪先で餓死させられたとは愚管抄に記されている事で、平家物語では初めは酒に毒を盛って殺そうとしたが上手く行かず、遂には菱という刃物を植えた上に突き落として殺したとあります。いずれにしても、重盛の嘆願にも係わらず殺された事は事実で、これにより重盛の政治的立場は著しく低下し、その苦悩が深まった事は確かです。

清盛が怒りにまかせて法皇を西八条第(ドラマでは六波羅でしたが)に連れてこようとした事も平家物語にあり、その時に清盛が赤地の錦の直垂をつけ、黒糸縅の鎧を腹に巻いていたという描写もドラマにあったとおりです。そして、鎧姿の一門の中に烏帽子直衣姿で重盛が現れたとも平家物語に記されており、その時の台詞のやり取りもまた物語に記されたとおりです。原文に添えば、「悲しい哉、君の御爲に奉公の忠を致んとすれば、迷盧八萬の頂より猶高き父の恩忽に忘れんとす。痛ましい哉、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御爲に已に不忠の逆臣と成ぬべし。進退ここに窮まれり。是非いかにもたとえ難し。申請る所詮は、唯重盛が頸を召され候へ。」と言ったのですね。自分は法皇の下に行って御所を守る、しかし、それでは親に対して不孝となってしまうので今すぐ自分の首を刎ねよと清盛に迫ったのでした。違うのはその後の重盛の振る舞いで、女々しく泣き崩れたのではなく、小松の自邸に帰るや軍勢を催し、数千騎を自分の下に集めたとあります。この時、一度は清盛の下に集まっていた兵もことごとく重盛の下に走ってしまい、清盛は重盛は自分を討つつもりかと嘆いたと記されています。このあたりがドラマと大きく違うところで、重盛の面目が躍如とする場面ですね。そして、平家物語の作者は、重盛をして上代にも末代にも有り難い大臣だと賞賛しています。

ただ、事実としては清盛は法皇に手出しをしようとはしなかった様で、鹿ヶ谷事件の際には、まだ言仁親王が生まれておらず、王家の外戚にもなっていない段階ではそこまでの強権は振るえなかったのではないかと推測されています。また、法皇を除いてしまうと治天の君が不在となるという事情もあった様ですね。だからドラマでは、言仁親王を立太子させた後に清盛が「機は熟した」とつぶやき、法皇を捕らえようとした設定にしたものと思われます。

ドラマに戻って、伊豆では頼朝が政子を娶り、京では遮那王が奥州へと旅立ち、義経と名乗りを改めました。打倒平家の役者がいよいよ揃ってきたという所ですね。一方の平家は、言仁親王を得た事で繁栄の頂点を極め様とする一方で、法皇と一門の板挟みとなった重盛が窮地に立たされます。実は重盛だけでなく宗盛もまた法皇の近臣であり、板挟みという立場は重盛と同様だったのですが、ドラマでは重盛一人が重荷を背負った形となっています。その重盛の姿は痛ましく、清盛という大きすぎる親を持った息子の苦悩がありありと描かれていました。優れた官僚ではあっても、政治家になりきれない重盛の悲劇とでも言いましょうか。

清盛の思い描く国の姿が見えてこないのは重盛だけでなく視聴者も同様で、王家の外戚となって国を動かすというのが最終目標だとしたらあまりにも類型的で、従来の平家像と何も変わらない事になってしまいます。最終回までに、武士の世を作り上げるという清盛の本当の理想像が示されるのかと心配になってきました。ここまで新しい清盛像を信じて見守ってきた思いを裏切らないで欲しいと切に願います。

2012年11月 3日 (土)

京都・洛北 晩秋2012 ~京都府立植物園 10.27~

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平成24年10月27日の京都府立植物園です。2ヶ月ふりに訪れた植物園は、秋の花で溢れていました。

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特に綺麗だったのが秋バラですね。沢山の種類の花が咲き乱れ、それは見事でしたよ。

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コスモスもまた花盛りを迎えていました。以前の様なプランターとは違い、地植えの花畑になっているのですが、その分背も高く、元気な感じがしますね。

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コスモス畑の中にはサルビアが植えられており、コスモスとのコラボレーションがとても綺麗でした。

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場所はバラ園の西側で、以前の北山門前とは違うので注意が必要です。私は何も下調べをせずに行ったので、今年はコスモスは無いのかなと思ってしまいましたよ。

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変わったと言えば、この日はコスプレ撮影会が開かれていました。奇抜な服装をした女性達がそこかしこに居たので驚いたのですが、そういうイベントが開かれていたのですね。

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植物園も園長が替わって数年が経ち、姿を変えてきたという事でしょうか。賛否はあるでしょうけど、こういう試みも悪くはないですね。ただ、以前ホームページにあったビデオ紹介は復活させて欲しいな。ブログだけでは情報が足りない気がします。

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植物園は樹種が豊富なので、早くから色付いている木もありますね。一番気になるのがフウの木(写真奥の木。手前の赤い実が成っているのはハナミズキ。)なのですが、部分的には色付いていました。まだまだ緑の方が多いのですが、この木が赤く染まる頃にまた訪れてみたいと思っています。

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もみじが染まるのは11月の半ば以降かな。それまでに行ってもなにがしかの木が染まっているし、何より秋の花が咲いているので楽しめますよ。11月の植物園は、お薦めのスポットの一つです。

京都・洛東・洛北 京都紅葉事情2012 ~11.3 速報~

京都の紅葉情報の速報をテキストベースでお伝えします。まだ紅葉が本格化しているところはありませんが、色付き始めているところは多いですね。今年の紅葉は、今のところは良い感じで推移している様に見受けられます。人出の方は、一足先に本格化していました。

1.東福寺

臥龍橋から見ただけですが、ほんのりと色付いてきています。まだまだ緑基調ですが、通天楓を中心に雰囲気は出て来ていますよ。人出はかなり多く、早くも団体さんが見に来ていました。

2.真如堂

先週よりも色付いている木が増えています。花の木もかなり綺麗になって来ましたよ。色付き初めと言っても良い程度にはなってきました。

3.法然院

まだほとんど緑のままです。部分的にはほんのりと色付いている程度かな。ここは特別公開中という事もあってか、人出は多かったです。

4.金福寺

ここは色付き初めといった程度ですね。まだ緑基調ではありますが、南側と西側の木の一部が赤く染まっています。ここは訪れる人も少なくひっそりとしており、久しぶりに猫と遊ぶ事が出来ました。

5.詩仙堂

全体としては緑基調ですが、部分的には色付き始めています。枝によっては赤くなっているところもあり、その色合は綺麗ですよ。今のところはですが、期待が持てそうな感じです。ここも人出は多く、団体さんも来ていました。

6.圓光寺

ここは比較的進行が早く、色付き初めと言っても良いでしょう。まだ緑の方が勝ってはいますが、雰囲気としてはここが一番でした。ここも詩仙堂から流れて来る人が結構多かったですね。

7.鷺森神社

全くと言って良い程紅葉していません。わずかに色付き始めている木もある程度かな。今のところは、かなり遅い感じがしますね。

8.赤山禅院

参道のもみじが、部分的にほんのりと色付いています。境内の方は緑基調で、一部色付いた木も見受けられる程度かな。ここは人出もなく、とても静かなものでしたよ。

2012年11月 2日 (金)

京都・洛北 リンドウ2012 ~蓮華寺 10.27~

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平成24年10月27日の蓮華寺です。5月頃には「そうだ京都行こう」のキャンペーンのせいで混雑していたのですが、今の時期は訪れる人も少なく、暫くは貸し切り状態を楽しむ事が出来ましたよ。

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山門前で出迎えてくれたのがツワブキです。この花は丁度咲き始めたところで、これからが見頃の様ですね。

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座敷の奥からの撮影も、誰も居なかったのでのんびりと楽しませて頂きました。これだけ静かだったのは久しぶりではなかったかな。

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私一人だったので、縁側に出て庭全体を撮ってみました。普段なら他の人に遠慮して座敷の奥に座っているのですけどね、貸し切りだと遠慮無く前に出る事が出来ます。

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ここに来たのはリンドウを見る為でした。株は倒れてはいましたけどね、花は綺麗に咲いていましたよ。でも、数が少ないから、やはり気付く人はあまり居ないのではないかと思われます。

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本堂の裏手では、秋明菊が咲き乱れていました。ほとんど雑草のごとく繁茂しているのですが、気候が合えばとても強い植物なんだと実感しますね。

紅葉はというと、まだ全くと言って良い程始まっていません。わずかに銀杏の木がほんのりと色付いていた程度かな。それも部分的にですけどね。ここの進行は、今年は遅いのかなと思ってしまいますが、それもこれからの冷え込み次第です。次に何時いくべきか難しいのですが、とりあえずは連休の頃に狙ってみようかと思っているところです。

2012年11月 1日 (木)

京都・洛北 リンドウ2012 ~曼殊院 10.27~

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平成24年10月27日の曼殊院です。紅葉シーズンを前に静かな曼殊院を期待したのですが、意外な程拝観者は多かったです。観光タクシーが何台も来ていましたから、その影響でしょうか。

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この日のお目当てはリンドウでした。そろそろ見頃かなと思っていたのですが、期待に違わず満開でしたね。

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もっとも、そう目立つ花ではないので、それと狙っていかなければ気付かないかも知れません。倒れてしまっている株が多いのも、人目に付かない理由の一つかな。

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山門の前では、色付き始めたもみじがありました。たぶん弱っている木なのでしょうけど、発色は良いですね。

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そして、弁天池の周囲でも色付き始めたもみじが目に付きました。やはりここは庭園よりも進行が早いですね。見頃が何時になるかはまだ判りませんが、11月の半ば頃にもう一度見に来たいと思っています。庭園はその後暫くしてからだろうなあ。上手く見頃に当たると良いのですけどね。

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