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2012年10月

2012年10月31日 (水)

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~天授庵 10.27~

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平成24年10月27日の天授庵です。ここは比較的紅葉が早く進むポイントなのですが、今年はどんな具合かと立ち寄ってみました。

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山門を潜ると出迎えてくれたのが秋明菊です。今はこの花があちこちで盛りになっていますね。

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そして、庭に一歩はいると、そこではまだキキョウが咲いていました。もうそろそろ花期も終わりかと思うのですが、ここではまだ秋にしては見頃と言える程でしたよ。

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紅葉はというと、ほんのりと色付いて来たというところでしょうか。今は百日紅と夏椿が染まりかけているところですね。もみじは枝によっては色付いているところもあるといった具合です。

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南の庭はほとんどが緑のままでしたが、わずかに色付いている枝も見受けられました。色合いとしてはまずまずで、このまま綺麗に染まってくれたら嬉しいのですけどね。

予測はまだ無理ですが、これからの冷え込みに期待して、赤く染まる日を待ちたいと思っています。

2012年10月30日 (火)

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~真如堂 10.27~

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平成24年10月27日の真如堂です。まだ紅葉の本番には早いのですが、朝晩の冷え込みが強くなったこの頃、どんな色付き加減かと見てきました。

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全体してはまだまだ緑が基調ですが、ところどころでほんのりと色付き始めています。紅葉開始とは言えないまでも、雰囲気は出て来たというところでしょうか。

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中にはこんな具合に綺麗に色付いた枝も見受けられます。たぶん、病気か害虫に冒されて弱った枝なのでしょうけど、色の出方は良い感じですね。今年の境内が、こんな具合に染まってくれると良いのですが。

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今、紅葉が一番進んでいるのは花の木ですね。枝先の3分1程度が、こんな感じに染まっています。まだ色付き半ばといったところですが、光の加減によってはとても綺麗に見えたりしますよ。

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中には綺麗に黄葉している木もありました。樹種は判らないけれど、木漏れ日を透かした色はとても美しいものでした。

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秋の花も今が盛りと咲いています。吉祥院の南では、秋明菊が群落をなしていました。一輪一輪は清楚な花ですけど、これだけの数が咲くと、別の花の様な趣きになりますね。

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覚円院の前では、ホトドギスが満開を迎えようとしています。花期の長い花ですが、やはり咲き始めの今の時期が一番綺麗だと感じますね。

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薬師堂の前では、サンシュユの実が赤く色付いていました。秋珊瑚と言われるとおり、透明感のある美しい色合いです。いつも食べてみたいという誘惑に駆られるのですが、とても苦いと聞いているので自重しています。見た目は美味しそうなのだけど、生薬になる実なので、良薬は口に苦しを地で行く事になるのかも知れませんね。

2012年10月29日 (月)

京都・洛中 観月祭2012 ~白峯神宮~

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今年の十三夜にあたる10月27日、白峰神宮で観月祭が行われました。十三夜は十五夜に続く名月の日として知られますが、イベントが行われる社寺は全くと言って良い程無く、ここがほとんど唯一の行事です。(教えて頂いたzuzuさん、ありがとうございました。)もっとも、神社のホームページには、旧暦9月15日の中秋の名月の日の前後に行われるとあり、十三夜とはなっていません。中秋の名月は旧暦の8月15日のはずというつっこみをしたいところなんだけれど、ここでは10月の名月の夜に行われるという理解に止めておくのが無難というものなのでしょう。

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白峰神宮の御祭神は崇徳天皇ですが、帝は管絃と和歌の名手として知られた人で、名月の夜には観月の催しを行ない、月の美しさを愛でながら、和歌を詠んで管絃を楽しまれました(神社のホームページより抜粋)。この行事は、そんな崇徳帝を偲んで、芸能の奉納を行うという趣旨なのですね。

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奉納される芸能は毎年異なる様ですが、今年は原彰宏さんによる篠笛の演奏でした。管弦の名手であった崇徳帝に捧げるには、ぴったり来る演目かも知れません。篠笛の響きはしめやかで、名月の夜に相応しい演奏でしたよ。時々風に揺れるススキの穂が、情緒をさらに盛り上げていました。

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篠笛の後には江戸前の獅子舞の奉納があり、これはこれで賑やかで良かったですね。最後は獅子に噛んで貰って、厄落としまでさせて頂きました。

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肝心の月はほとんど雲の中だったのですが、最後の頃になるとようやく顔を見せてくれました。十三夜ですから当然満月ではないのですが、栗名月の名にふさわしく美しいものでしたよ。

今年の十五夜は台風で見る事が出来なかったので、十三夜を愛でる事が出来たのは良かったです。十五夜だけを見るのは片見月として良くないと言われますが、逆ならまあ良いんじゃないかと勝手に思っておく事にしておきます。

2012年10月28日 (日)

平清盛 第42回 「鹿ヶ谷の陰謀」

(京、鹿ヶ谷。山荘に集まった法皇以下、西光、成親、行綱、俊寛らの面々。彼らを前に、平家を討つと宣言する法皇。どのようにして討つというのかと狼狽える行綱。そのためにそなたに来て貰ったのだと成親。只で兵は動かせないと行綱。そのために、俊寛を呼んである、法勝寺の執行であり、寺の領地を如何様に出来ると西光。お任せあれと俊寛。康頼に公卿方に働きかけよと依頼する西光。承知したと康頼。公卿気取りの平家は、よもや攻めて来る者が居るとは思うまい、今の平家は隙だらけだと西光。)

(そこに運ばれてきた白い反物。宇治布30反で源氏の旗を作るのだと成親。はっとなる行綱。源氏は平家と並ぶ武家の名門だった、そなたとて源氏の一党と成親。ぐと口を引き締めて法皇に頭を下げる行綱。うなずく法皇。)

(誓いの杯を上げる一同。瓶子を倒してしまう行綱。おや、瓶子が倒れましたぞと成親。これは幸先が良いと俊寛。平氏の首はこうしてやればよいと言って瓶子を叩き割る西光。その狂態ぶりに怯える俊寛たち。まずは、福原から清盛をおびき出す事だと法皇。)

(伊豆、時政の館。庭で弓を射ながら、頼朝の言葉を思い出している政子。そこに現れ、政子を呼ぶ時政。彼の用件は、山木兼隆と政子の婚礼でした。山木は平家縁りの者と聞き、今は行けないと政子。なぜだと時政。佐殿を捨てておけないのだと政子。政子を張り飛ばす時政。佐殿には係わるなと言ったはずだと時政。されどと政子。父の心が判らないのかと時政。そして政子に近付き、佐殿の事は自分が出来るだけの事をする、一月後には山木殿の下に参れと言って立ち去る時政。)

(安元3年(1177年)5月4日。延暦寺。突如明雲を捕らえて拷問し、座主の座を追い、所領を奪った法皇。)

(内裏。明雲の処分について話し合う公卿たち。そもそも明雲の罪状とはなにかと経宗。根も葉もない言い掛かりばかりと基房。しかし、法皇は斬首せよと言う、せいぜい流罪が相当と基房。流罪と断ずる前に、相応の詮議と配慮があってしかるべきと兼実。)

(公卿達の思惑に係わらず、すぐさま明雲を伊豆に流罪と決めた法皇。)

(福原。いつもに増した常軌を逸した振る舞いと盛国。何かおかしいと清盛。)

(近江国。伊豆に流罪となる途上の明雲。警護にあたる伊豆守の頼政。一行を包囲し、明雲を奪い返した山法師達。)

(院の御所。ここまでは法皇様の読み通りと西光。この先も手筈どおり進めよと法皇。)

(重盛に向かって、このたびの山門の振る舞いは不埒千万、すぐさま攻めよと命ずる西光。直に山門を攻めるなど前例が無いと重盛。法皇直々の命令だと西光。清盛の裁断を仰がなくてはと重盛。目配せをし合う西光と成親。)

(5月28日、上洛し、法皇に拝謁する清盛。清盛に山門を討てという命を伝える成親。それではかえって法皇の威光を傷付ける事になると清盛。なぜと西光。明雲の流罪には宮中の不服も多く、明雲の罪状にも根拠が無い。これ以上山門をいたぶるのは得策ではないと清盛。ならぬ、今すぐ攻めよと西光。まあ良い、平家にとっても一大事、しばし都に留まり一門で話し合えと法皇。)

(六波羅。山門を攻めるなどもってのほかと重盛。攻めるふりをしておけば良いのだと時忠。西光の子たちを配流先から呼び戻せば良いのではと経盛。子供じみたわがままだと教盛。子供じみたわがままにしてはやり過ぎだ、何か裏があると清盛。それは疑いすぎだと頼盛。山門を思うままにしたいという欲の強い方だと宗清。今はもう少し法皇の出方を探ろうと清盛。)

(そこに現れ、ひれ伏す頼政。驚く清盛に、今度の事は面目次第もないと謝る頼政。今度の事で咎めるつもりはない、頼政には歌会合わせなどで世話になっている、いつか報いるつもりだと清盛。痛み入ると頼政。)

(頼政の館。頼政を訪ねてきた行綱。頼政に、平家打倒の企みが進んでいる、御所に参内した清盛を捕らえ、それを人質として六波羅を攻める計画と打ち明け、頼政の協力があれば法皇の描いた絵の通りに動くはずと説く行綱。今こそ、源氏再興を賭けて立ち上がる時と仲綱。平家のためにも源氏のためにも戦う力は持ち合わせていないと立ち去る頼政。打ち明けたからにはそうは行かないと食い下がる行綱。やんごとなき方々が、酒の席で思いつかれた戯言で倒れる程平家は脆くないと頼政。)

(伊豆。笙を吹いている頼朝。その頼朝に、政子が兼隆の妻となるという噂を伝える藤九郎。あのかしましい女が現れぬと思ったら清々すると頼朝。自分はいささか残念だ、明日が鮮やかに変わる刹那をみてみたいものだと藤九郎。)

(院の御所。源氏の白旗が並ぶ庭。決行は6月1日、清盛を絡め取った後、六波羅を攻めよと行綱に命ずる西光。はっ、と応じる行綱。そこに経子が訪ねてきているという知らせが入ります。)

(経子の用とは、5月29日は自分たちの父、家成の命日だからという事でした。清盛が都に居る間に、盛大に法要を行ってはどうかという重盛の意向を伝える経子。そくんな事だったかと成親。その様に致そうと西光。よしなにと去る経子。)

(こんな事になるとは、自分たちは親不孝者だと成親。あの頃はのどかな世であったという事だと西光。野良犬の声などに耳を傾けたばかりにとつぶやく西光。振り向く成親。きっと首を取ってやると西光。)

(夜、六波羅。明日、御所に参れと法皇からお召しが掛かっていると重盛。信西が首を取られた夜と似た様な心地がする、ざわざわとと嫌なものが夜の静寂にざわめていてると清盛。そこに現れた客。)

(客とは行綱でした。平家打倒の企てが進んでいると打ち明ける行綱。俄には信じられぬと盛国。証拠の品として、成親から授けられた白旗を示す行綱。まさか成親がと驚く重盛。これは成親が自ら取り寄せた宇治布で作ったもの、出所を確かめればすぐに判るはずと行綱。頭目は誰だと問う清盛。)

(院の御所。賽を振る法皇。)

(安元3年6月1日。伊豆、頼朝の館。雷鳴で目を覚ました頼朝。)

(時政の館。兼隆の下に嫁ぐべく、父母にあいさつをする政子。)

(六波羅。重盛を訪ねてきた成親。庭で焼かれている白旗に気付いた成親。成親を囲んだ兵士たち。戦く成親。)

(西光の館。読経する西光。突如踏み込んできた忠清の兵士たち。)

(院の御所。成親と西光が捕らえられたという知らせに、顔を顰めて賽を握りしめる法皇。戦く俊寛。)

(六波羅。庭に引き据えられた西光。その前に現れた清盛。何が気に入らぬと西光を問い質す清盛。二人の子が流された事なら、信西が目指した国造りのためには仕方のない事と清盛。我が主、信西の目指した国造り?そなたごときにあの方の代わりが務まるはずもないと西光。黙って聞いている清盛を、聞こえたか、無頼の高平太と罵る西光。どうやら判ってもらえない様だと言って、兵士に合図をする清盛。西光に乱暴を働き出す兵士達。)

(伊豆山中。雨に降り込められた政子の一行。)

(頼朝の館。雨を見ている頼朝。)

(雨宿りをしながら、どこか落ち着かない様子の政子。)

(六波羅。痛めつけられながらも、清盛を罵り続ける西光。そなたの国造りは志ではない、復讐だと西光。それまでじっと見ていた清盛が、復讐という言葉に反応します。犬と蔑む王家への恨みに、突き動かされているだけだと西光。そんなものに付き合わされてよい面の皮だ、民も、公卿も、お前達もなと西光。思わず立ち上がる清盛。得体も知れぬ男のに復讐につきあわされているだけだと西光。怒りに駆られて庭に飛び出し、西光を蹴り倒す清盛。倒れた西光を、なおも蹴り続ける清盛。)

(伊豆。びしょ濡れの姿で頼朝の前に現れた政子。驚く頼朝を尻目に、家に入って髭切の太刀を手に取る政子。何をすると言って太刀を取り戻そうどする頼朝。もみ合う二人。戻ってきた藤九郎。太刀が鞘走ったため、鞘を手に雨の中に転がり出る頼朝。太刀を手に頼朝に迫る政子。)

(遠く伊豆から、平氏の繁栄ぶりをみておれと言われたとは、こんな暮らしをする事なのかと政子。他にどうしようがあると頼朝。ならばなぜこの太刀を渡されたと政子。倒れている頼朝に太刀を握らせ、武士の魂を忘れるなという事ではないのかと政子。清盛の言葉を思い出す頼朝。)

(頼朝の回想。お前が居なくなった後も、武士の世を切り開いていかなければならないのだ、と幻の義朝に言う清盛。)

(西光を踏み付けにする清盛。この粗暴な振る舞い、どこまで行っても無頼者だと西光。)

(頼朝の回想。乗り越えてこその武士だ、醜き事にまみれようとも、必ずこの世の頂きに立つと清盛。)

(取り憑かれた様に、西光を蹴り続ける清盛。)

(太刀を見つめる頼朝。)

(頼朝の回想。途中で降りたお前が見る事の無かった世をこの目で見てやると清盛。)

(自分は武士だ、武士の世を作るのだと西光を踏み付ける清盛。)

(頼朝の回想。頼朝の前に太刀を突き立てた清盛。)

(武士の世を、と言いながら西光を踏み続ける清盛。)

(太刀を見つめる頼朝。)

(頼朝の回想。誰が殺してなどやるものか、真の武士はいかなるものか見せてやると清盛。)

(頼朝を見つめて微笑み、それを言っておこうと思っただけだと政子。ご無礼をしましたと出て行こうとする政子の腕を掴む頼朝。昨日とも、今日とも違う、私の明日へと連れて行ってくれと政子に頼む頼朝。連れて行けとは女々しい人、共にまいろうぞと頼朝に抱きつく政子。笑顔で政子を抱きしめる頼朝。)

(六波羅。西光を蹴り続けている清盛。清盛を止める重盛。信西が死んだ時、天はこの国を見放したと虫の息で言う西光。西光を睨み付けながら、洛中引き回しの上、朱雀大路にて斬首せよと命ずる清盛。西光を引きづり出していく兵士達。)

(信西の懐から落ちた算木。それを差し出す兵士。受け取ってへし折り、焼き捨てよと命じる清盛。)

(伊豆。雨の中で抱き合っている頼朝と政子。二人を家の中に誘う藤九郎。庭に落ちた鞘を拾い、頼朝に渡す政子。微笑む頼朝。笑い合う二人。)

(明日を見つけた頼朝。明日を見失いつつあった清盛。)

(院の御所。自分はまた失うのかと乙前に問う法皇。国の頂きを争う壮大な双六遊び、数多の駒を失うのは道理でしょうと、あなたも清盛もと乙前。)

今回は鹿ヶ谷の陰謀が描かれました。狂気にまみれた清盛と、正気を取り戻した頼朝の対比が鮮やかでしたね。

後白河法皇が天台座主明雲を捕らえ、伊豆に流罪としたのは史実にあるとおりです。この時の明雲の罪状は謀反でした。この事件の直前に、京の4分の1が焼け落ちるという大火が起こっています。太郎焼亡と呼ばれるこの大火では大勢の人が焼け死に、内裏も燃えました。そして、火事の後は強盗が横行し、中宮庁にまで強盗が押し入るという事態に至っています。明雲の流罪はこの増大する社会不安の中で行われており、謀反という罪状には山門の強訴が世を乱したという法皇の怒りが反映されていると言われています。

結果として、明雲は伊豆に流される途中に叡山の悪僧達によって奪還されており、法皇の面子は丸つぶれとなりました。怒り心頭に発した法皇は叡山の攻撃を思い立ち、清盛に命を下すに至ります。この時、法皇が叡山攻撃を命じたのは平家に対してだけではなく、近江、美濃、越前の3カ国の武士に対しても同様の命令を発しています。山門と協調して行きたい清盛とにとっては迷惑至極だったのですが、国を挙げての命とあれば従わざるを得ず、平家も進退窮まったかに見えました。

その時に起こったのが鹿ヶ谷事件でした。この事件はドラマにあった様に、法皇とその側近が平家打倒を密議したというもので、行綱の密告によりこの事を知った清盛は直ちに事件の中心に居た西光らを捕らえ、果断な処罰を下しています。この事件によって、叡山への攻撃は沙汰止みとなっており、清盛にとって最大の悩みの種であった山門との対決は雨散霧消したのでした。

この事から、この事件は清盛によって筋書きが描かれた謀略という見方もあります。つまり、鹿ヶ谷の密議は確かに行われたが、それは法皇とその側近が平家全盛の時節を嘆いたという程度のもので、とても平家打倒という具体策を伴ったものではなかったと言うのですね。実際、平家物語に描かれた場面でも、瓶子と平氏を掛けてその首を取るといった戯れを言っている程度のもので、本気で清盛の首を取るという気概が感じられるものではありません。行綱が謀略の無謀さを感じ、密告に及んだというのも無理はないと思える狂態ぶりですよね。清盛は、その程度の取るに足りない愚痴の言い合いを、これ幸いとばかりに騒ぎ立てて平家に対する武力蜂起とみなし、事件とする事で山門との対立を回避したという見方があるのです。

このあたりは確証がある訳ではありませんが、清盛にとってはとても都合の良い事件であった事は確かですね。それを裏付けるかの様に、鹿ヶ谷事件で諮られたという陰謀の全容を語るものは何もなく、清盛を人質にして平家を討つというドラマのストーリーは創作です。

西光が清盛を高平太と罵ったのは平家物語にあり、清盛は西光の顔を踏み付けた上でその口を切り裂かせ、五条朱雀で首を打たせたと記されています。ドラマの様にしつこく蹴り倒してまではいませんが、西光の悪口が清盛を激怒させた事は確かな様ですね。

ドラマに戻って、法皇渾身の企ては、行綱という小心者の裏切りによって崩れ去りました。どうもこの人のやる事は、手が込んでいる様でいて、根本的に杜撰です。平家物語に描かれている事だから仕方が無いのでしょうけど、行綱程度の者に清盛を討たせ様とする事自体が間違いの元だと気付きそうなものなのですけどね。

対して清盛は、西光の言葉に我を失い、自らの株を下げてしまいました。せっかく大人物的な振る舞いを身につけてきていたというのに、あんな狂態を示してしまってはどん引きも良いところでしょう。信西の跡継ぎにはふさわしくない、お前の国造りはただの復讐だと言われた事に切れたのでしょうけど、いくら何でもやりすぎです。ドラマでは、清盛の狂態と頼朝の回想がクロスし、清盛の判って貰えなかったという無念さと、これが頂きに立った者がする事かという失望感が交錯していた様に思えました。でも、これでは従来からある平家物語的な平家観を踏襲するのみで、新しい平家を描くというドラマの趣旨には反すると思うのは私だけかしらん。視聴者としては、清盛の抱く失望感をもっと理解してやらなくてはいけないという事なのかな。このあたりの難解さが、視聴率にも響いているのではないかという気がしています。

さて、いよいよ平家の閉塞感が強まり、源氏の再興機運が高まってきました。頼朝は政子という心強い味方を得て、生き返りましたね。次回は清盛に待望の皇子が産まれる一方で、時政が頼朝の後ろ盾となる様です。頂点を極めんとする平家と、密かに芽生えようとする源氏再興の機運が描き出される回となりそうですね。

2012年10月27日 (土)

京都・洛中 時代祭2012 ~延暦時代から白川女献花列まで~

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ここから延暦時代に入ります。まず延暦武官行進列があるのですが、特に誰という説明は無いですね。ただ、煌びやかな様子からさっすると、たぶんこの人が坂上田村麻呂なのでしょう。

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それに続くのが武官の列ですが、他の時代に比べると質素で、やはり古代の匂いが感じられますね。

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武官列に続くのが延暦文官参朝列です。この紫の衣装の人が、この行列中の最高位である三位の様ですね。藤原期に比べると、やはり古代調である事が感じられます。

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このあたりの行列の関係が良く判らないのですが、たぶん前列ではないかと思われます。この頃になると見物客の出入りが多く、前を塞がれたりして良く見えなかったのですよ。この姿で踊りを奉納したりするのでしょうか。

この後に雅楽の演奏隊が続いていました。

官軍マーチとはまた違った祭りの風情が感じられません事?ここまで来ると行列も最終盤に入ったと判ります。

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これは神幸列のご鳳輦です。桓武天皇と孝明天皇の二台があり、こちらは孝明天皇の方ですね。本来は天皇の乗り物ですが、行列の中ではお二人の御霊が祀られているのだとか。この鳳輦に乗られて、今の京都の様子をご覧になるという趣向ですね。

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なぜこの位置に来るのかは判りませんが、神幸列の後に白川女献花列が続きます。綺麗な花を売り歩く姿を再現しているのですね。そして、この花は平安神宮で神前に供えられるのだそうです。

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行列の掉尾を飾るのが弓箭組列です。源頼政に従った弓矢に優れた人達の子孫からなるという弓箭組を再現した行列で、弓箭組は戊辰戦争の際にも活躍したのだとか。この祭りでは、行列全体を警護するという役目を負っているのかも知れませんね。

時代祭の行列は、全てを見るとおよそ2時間で、かなり長いです。正直言って、ただぼんやりと見ているだけでは飽きてしまいますね。実際、最後の方では有料観覧席には空席が目立ちましたし、私の周囲でも人の出入りが激しくなりました。延暦時代まで行くと、ほとんどなじみが無いという事もあるのでしょうね。

この祭りを最後まで楽しむには、やはり事前の下調べが必要だと思われます。各行列の意味と見所を判っていないと、面白さは半減でしょうね。あるいは、途中で抜け出しても構わないと割り切ってしまう事かな。そうすれば興味のある部分だけを見れば良い訳ですし、それだけ余裕を持って楽しめるというものかも知れません。

何にせよ、こうでなければならないという決まりは無い訳ですから、自分に合った楽しみ方を探るのが良いのでしょうね。私的には、次は平安神宮の様子を見てみたいですね。次に週末に来るのは4年後かな。その時には岡崎に向かってみようかなと思っているところです。

2012年10月26日 (金)

京都・洛中 時代祭2012 ~吉野時代から藤原時代まで~

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ここから吉野時代に入ります。南北朝時代ではなく、この呼び方をする所に皇国史観を感じますね。ここでは楠木正茂一族の行列を見る事が出来ます。

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楠公上洛列に続くのが中世婦人列です。ここになぜか淀君が入っているのですが、安土桃山時代に女人列が無いので仕方がないのかな。今は淀殿と呼ぶ方が一般的かと思われますが、ここでは淀君と表記されています。

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こちらは静御前。これも時代がずれており、後の平安時代夫人列でも良いのではないかと思われるのですが、なぜかここに入っています。たぶん、行列の成立時からの経緯があるのでしょうね。7年前は車に乗っていましたが、今年は徒歩での参加でした。この祭は、毎年少しずつ参加形態が変わっていくものなのかも知れませんね。

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静御前に続くのが大原女の行列です。大原女って、中世からあったのですかね。どうせなら、花いらんかえ~と声を出して欲しかったな。

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大原女に続くのが桂女。手に持っているのは、たぶん鮎を入れた桶という設定なのかな。

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鎌倉時代の行列は、城南流鏑馬列しかありません。祭りの中で、一番寂しい時代なのかな。やはり時代の主な舞台は鎌倉であり、京都ではない事が影響しているのでしょうか。それにしても、頼朝も義経も出てこないとはどういう訳なのでしょう。頼朝は政権を朝廷から奪い、義経は朝敵に指名されたという事が影響しているのでしょうか。

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鎌倉時代の次は、平安時代とひと括りにせず、藤原時代と延暦時代に分けられています。これはやはり天皇が中心だった時代とそうでない時代を区別しているのかな。

藤原公卿参朝列は特定の人物は登場せず、この時代の風俗のみを再現しています。役職まで再現している室町時代より、さらに大雑把な印象かな。やはり、政権を握っていたのが藤原氏だった事が影響しているのかも知れません。

それにしても平家が一人も居ないとは、やはり朝廷に仇をなしたというイメージが強いのかも知れませんね。

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藤原公卿参朝列に続くのが平安時代婦人列です。この祭りの面白いところは、朝敵あるいは朝廷に嫌われた男性は登場しないのに、その妻女ならおとがめ無しというところですね。木曾義仲など、京都で乱暴を働いた代表の様な男ですが、その妻である巴御前はこうして凛々しい姿で登場しています。

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義経もまた、本人こそ登場しませんが、その母である常磐御前と兄である今若と乙若は行列に参加しています。ただ、何となくですが、常磐は懐に赤子を抱いているかの様に見えますね。7年前には笠は被らずに手に持っていたのですが、それが赤子に替わったのかな。だとすると、義経は何年か前から参加している事になりますね。

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史実ではライバルである清少納言と紫式部は、仲良く同じ車に乗っています。どっちが前に座るのか、揉めたりはしなかったのでしょうかね。

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小野小町も7年前とは少し違っています。煌びやかな髪飾りが追加されて華やかな印象になったのですが、絶世の美女なのだから、これくらいの方が良いですよね。

明日は行列の掉尾を飾る延暦時代をお届けします。

2012年10月25日 (木)

京都・洛中 時代祭2012 ~江戸時代から室町時代まで~

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明治維新から時代を遡っていくのがこの祭りの特徴で、七卿落ちの次は江戸時代に入ります。これは徳川城使上洛列で、槍持のパフォーマンスを見る事が出来ますよ。

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これはたぶん将軍の乗る駕籠なのでしょうね。蒔絵が施された豪華な仕様になっています。

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長い隊列の後には、江戸時代婦人列が続きます。その先頭に居るのが皇女「和宮」。公武合体の象徴として、家茂公に嫁いだ孝明天皇の妹君ですね。

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こちらは、京女の代名詞とも言われる吉野太夫です。島原一の名妓と言われた人に相応しい、豪華な衣装ですね。

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私的に、この行列の中で一番気に入っているのがこの出雲の阿国の一行ですね。特に後ろの二人の衣装が素晴らしい。見事に歌舞いているんじゃありません事?

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安土桃山時代に入って、まず豊公参朝列が現れます。豊臣家が朝廷を訪れる時の様子を再現したもので、この巨大な牛車は公卿としての豊臣氏を表しているのでしょうね。そして、その前後は武士が固めており、本質は武家の政権であった事を示しています。

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これに続くのが織田公上洛列で、信長が天下統一のために上洛した折の姿を再現しています。秀吉はここで姿を現しますね。ただ、出世前の姿としては立派過ぎないかな。

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これは織田家の家老の一人、丹羽長秀です。少し地味な感じですが、米五郎左と言われた実直な人となりを表しているのでしょうか。

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そして、この方が信長公です。衣装も、馬の飾りも、一際立派ですよね。

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ひと目、ひこにゃんかと思ってしまったのが滝川一益でした。本当にこんな巨大な鍬形を使っていたのでしょうかね。戦場では目だったでしょうけど、被っているだけで疲れてしまいそうです。

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こちらは、鬼と呼ばれた柴田勝家。これもまた、特徴的な兜ですね。

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ここから室町時代に入ります。この行列は平成19年に新設されたもので、前回見た時には無かったものです。室町幕府執政列として、特定の人物ではなく役職ごとに配役が設定されているのが特徴です。これは管領の細川氏。

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これは足利将軍家。鎧兜姿で無いのは、実は予算の関係からなのだとか。逆賊であるとして室町幕府の隊列は組まれていなかったのですが、やっと新設が認められたのは良かったものの、隊列を揃えるには予算が厳しかった様です。

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時代祭は明治28年に始まっており、登場人物の剪定には当時の皇国史観の影響が濃厚に現れているのですね。それからすると、室町時代の参加が認められたのは画期的と言うべきでしょうか。これは、侍所所司の山名氏。

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室町幕府執政列に続くのが室町洛中風俗列です。この装束で踊ってくれるのですが、残念ながら私の居た場所からでは良く見る事が出来ませんでした。次は目の前で見せて欲しいところですね。

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この隊列には女性だけでなく男性も混じっていたのですが、調べてみると当時は女装した男性が踊っていたとの事です。見ている時にはそこまでは知らず、えっという感じでしたね。

明日は吉野時代から紹介します。

2012年10月24日 (水)

京都・洛中 時代祭2012 ~維新勤皇隊から幕末志士列まで~

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平成24年10月22日、月曜日でしたが休みが取れたので時代祭に行ってきました。前回に観覧したのが平成17年でしたから、7年ぶりとなります。

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今回は、出発点である京都御苑を訪れました。着いたのは行列の始まる2時間前の午前10時だったのですが、既に建礼門の見える場所は押さえられており、やや見通しの悪い場所しか確保出来なかったのは意外でした。平日でも、リタイアした人達が大勢押し寄せるのですね。

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先頭を行くのは平安騎馬隊。そして、京都文化交流コンベンションビューローの横断幕が続きます。

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続いて現れるのが名誉奉行の乗った2台の馬車で、前車に京都市議会の正副議長、後車には京都府知事と京都市長が乗車されていました。

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ここから先が行列の本番で、維新勤皇隊の長い列が続きます。いわゆる官軍が東海道を攻め上った時の姿の再現ですね。この隊列を先導する楽隊の官軍マーチが、祭りの雰囲気を盛り上げてくれます。

次にその動画を撮ってきたのでご覧下さい。

どうです、如何にも時代祭という感じがするでしょう。この後は騎乗した士官クラスの行列が続きます。

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白熊は長州藩士を表しているのかな。もっとも、白熊や赤熊は江戸城の蔵から接収したものだそうですから、東海道を上る時には被っていなかったはずなのですけどね。まあ、そのあたりは祭り気分を盛り上げる為と理解しておきましょうか。

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維新勤皇隊に続いて幕末志士列が現れます。桂小五郎、西郷吉之助、坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作、吉田松陰などなど、勤皇派の錚々たる面々ですね。ただ、人選に難があると言ったら失礼かな。全然似ていないし、あまり貫禄も無いのですよ。

写真は龍馬ですが、7年前に見た時はとてもユニークなキャラクターだったのですが、今回はただ歩いているだけという感じでした。どうせなら、ブーツを履かせてピストルを持たせれば良いのにね。あと、高杉と言えばざんぎり頭に三味線というイメージですけど、ここではただの人でしか無かったですね。全体として、もう一工夫欲しいなという気はします。

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こちらは残念大将と言われた吉村寅太郎。天誅組の変を起こしたこの人は、まあこんな感じかな。

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華やかな祭りにあって、とこかうらぶれた感じがするのが七卿落ちの隊列です。雨の日に都から落ちていったのですから、地味な姿なのも当然ですね。

明日は江戸時代から紹介します。

2012年10月23日 (火)

京都・洛北 晩秋2012 ~上賀茂社家町~

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笠懸神事の開始を待つ間、上賀茂社家町を歩いて来ました。すると、明神川沿いの古い町並みにも、秋の風情が漂っていましたよ。

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今は旧暦に直せば9月、つまりは晩秋にあたります。やっと秋が本格化したばかりと言うのに、暦の上では既に秋の終盤に入っているのですね。

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その秋も、この日は最高気温が25度を超える夏日を観測しており、まだ残暑の続きといった観もなきにしもあらずです。晩秋と言ってもピンと来ないのは当然なのかな。

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それでも、社家町では柿が色付き、ススキが穂を出して、秋らしさを演出してくれていました。昼間こそ暑いけれど、朝晩は冷え込みますから、草木も季節どおりの進行を示しているのでしょう。

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社家町からは、比叡山を綺麗に見る事が出来ます。位置的に、ほぼ真西にあたるのですね。あたかも借景庭園の様で、なかなか良い感じでしょう。

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神官は住まなくなった町ではあるけれど、独得の風情は今でも変わりなく感じる事が出来ます。ふらりと歩いてみるには、とても良い街並みですよね。

2012年10月22日 (月)

京都・洛北 笠懸神事2012 ~上賀茂神社 10.21~

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平成24年10月21日、上賀茂神社で笠懸神事が行われました。これは8年前に800年振りに復活したという神事で、以来毎年10月の第3日曜日に行われています。

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笠懸は神事ですから、本番が始まるまでに様々な儀式が行われます。まあ、競馬に比べれば簡略なものなのでしょうけどね、復活したてから8年しか経っていない事を考えると、結構整備されているんじゃないかな。

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この神社の神事と言えば庁ノ舎から始まるのが定番なのですが、笠懸も同様で禊ぎの様な儀式も行われていましたね。復活にあたっては、古式などを調べたりしたのでしょうか。

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庁ノ舎を出た後は、土舎でお祓いを受けた後、片岡社に参拝し、太鼓橋を渡って本殿に参拝します。本殿では鏑矢の奉納、祝詞など一連の儀式がありましたが、撮影は不可なので写真はありません。私的には、鳴弦の儀が物語の世界が眼前に出て来た様で興味深かったです。

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これは騎手が被る笠で、鬼の飾りが付いているのですね。それぞれ表情が異なっているのが面白いところです。

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騎手の姿は板東武者そのもので、鎌倉時代に舞い戻ったかの様な錯覚を覚えます。この神事には女性も参加しており、この日は4人の方が騎射されていましたよ。

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正直言って、笠懸と流鏑馬の違いは良く判りません。ウィキペディアなどによると、より実戦的な騎射が笠懸とあり、的の間隔や騎手のとの距離が異なる様ですね。小さな的を射る騎射もありましたから、そのあたりも違う所なのかも知れません。

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笠懸は馬場を南から走り始め、まず大きな的を射る遠笠懸が行われます。そして、同じコースを北から折り返して今度は地面に刺した的を射る小笠懸が行われます。実は私勘違いをしていまして、行きと帰りは別コースだと思ってました。なので、写真の的は帰りに射ると思っていたのですよ。ところが、これが一番の的だったのですね。狙いでは正面からの写真を撮るつもりだったのですが、完全に外してしまいました。

混み方はというと、賀茂競馬ほどではなく、1時間前(11時30分受け付け開始)でも最前列の確保は可能です。また、競馬の時とは違って、埒とコースが離れているからか埒の下に座っても何も言われず、後から来た人が大勢埒の下に陣取っていました。

ただ、的を見やすい場所は来賓席と団体席に当てられており、一般席ではかなり限られた範囲しか見る事が出来ません。それに、椅子席の無い場所に大勢の人が立つので、私の居た場所からでは全く見通しが利かなかったのです。あの狭い中で脚立を立てていた人も居たものなあ。

結局のところ、一般席で全てを見ようとするとこの立ち見をするより無く、次に行くかは微妙ですね。人に迷惑を掛けてまで観戦したいとは思わないし、一度見れば十分かなというところです。

2012年10月21日 (日)

平清盛 第41回 「賽の目の行方」

(安元2年(1176年)、院の御所。今様を歌いながら滋子の事を想う法皇。もう教える事は無い、法皇の目指す道と歌とが遂に一つになったと乙前。)

(内裏。亡き母の霊に手を合わせる高倉天皇。滋子を祖母に持つ賢い皇子を産むと徳子。きっとと帝。)

(福原。宋の品々を厳島に贈り、徳子の懐妊を祈願する様命ずる清盛。そこに、法皇が九の宮と十の宮を寺から呼び戻して帝の養子にしたという知らせが入ります。これは平家を蔑ろにする事と怒る清盛。これまでなら、滋子が諌めてくれたものをと盛国。すぐに重盛を法皇の下に行かせろと清盛。)

(法皇に拝謁し、平家に二心は無いと言上する重盛。滋子の菩提を弔う寺を建てる、そのために蔵人の頭にして欲しいと願う知盛。苦しう無いと法皇。)

(重盛たちが去った後、如何いたしますかと問う西光と成親。滋子が生きていれば言う事を聞いてやっても良かったと法皇。)

(12月。知盛をさしおいて、近臣の一人を蔵人頭に任じた法皇。)

(福原。明雲に会い、法皇の力を押さえる為に力を貸して欲しいと頼む清盛。)

(伊豆。時政の館。義明と秀義相手に宴を始めようとする時政。そこに現れ、急いで税を集めよと命ずる仲綱。税は納めた筈と合点が行かない時政。女院があいつで亡くなられたための法要の費用なのだと仲綱。これ以上米を召し上げれば、皆の暮らしは苦しくなる一方だと時政。法皇と清盛の下知だ、判ってくれと仲綱。困り切って座り込む時政。平家は滋子亡き後、法皇との絆をつなぎ止めておく事にのみ腐心していると聞く、東国の武士の暮らしなど顧みるつもりなどなどないのだと秀義。その話を聞いている政子。)

(頼朝の館。藤九郎を掴まえ、あの時の太刀は何だったのかと問う政子。あれはと言いよどむ藤九郎。気になるのは太刀ではなく、あの時生き返った様に声を荒げた頼朝なのだと政子。あの太刀は髭切と言い、源氏重代の太刀だと教える藤九郎。そこに現れ、要らぬ事を言うなと頼朝。髭切を見せてくれと土下座して頼む政子。ならぬと頼朝。引かない政子。)

(政子に髭切を見せる頼朝。この見事な太刀を振るう男は、さぞかし強くて美しかったのでしょうと政子。義朝は天下無双の武士だったと藤九郎。父は強かった、武士の世を作る為に戦った、しかし、清盛の前にそれは潰え去ったと頼朝。このままではいけない、東国武士のために立ち上がってくれと叫ぶ政子。昨日が今日でも、今日が明日でも変わらぬ日々を過ごす様に自分は定められているのだと苦笑する頼朝。おかしな事を言う、明日は変えられる、変えるのは今この時だと政子。自分は清盛がどれほど恐ろしい人か知っていると言い捨てて出て行く頼朝。)

(福原。安元3年(1177年)3月。千僧供養のため福原を訪れた法皇。その年の正月、重盛が左近衛大将、宗盛が右近衛大将に昇進し、わだかまりが消えたかの様な法皇と清盛でしたが、滋子が死んだ今、もうここに来る事は無いと言って立ち去る法皇。後に残り、いざという時が来た様だとつぶやく清盛。)

(帰京した西光の下に凶報をもたらした師経と師高。)

(加賀国、鵜川寺。目代として訪れ、風呂をと所望する師経。役人を入れる訳には行かないと僧侶。礼なら与えると宋銭を示す師経。叡山と仲の悪い法皇縁の者を入れる訳には行かないと僧侶。無礼なと怒る師経。立ちふさがる僧兵達。小競り合いとなる師経の一行。ついに、鵜川寺を焼き討ちしてしまった師経。)

(末寺への暴挙に怒り、強訴を起こした比叡山。師経と師高を流罪にせよと御輿を持ち出す明雲。従う僧兵達。)

(福原。盛国と双六の盤を挟みながら、強訴の知らせを聞く清盛。それで良いと清盛。)

(重盛に強訴から内裏を守れと命ずる法皇。我が子が流罪にならないで済む様に守って欲しいと頭を下げる西光。平家の棟梁として、ないがしろになどしないと出て行く重盛。重盛を目で追いながら、手の中の二つの賽子を握る法皇。)

(館に戻り、兵士達に脅すだけでよい、断じて手荒な真似はするなと命ずる重盛。)

(福原。次はいかなる目が出るかと賽子を振る清盛。)

(院の御所。縁に座って手の中で賽子を転がしている法皇。そこに現れ、あの方相手ほどぞくぞくとはしないだろうが、相手をしましょうかと話しかける乙前。)

(福原。盛国を相手に双六をする清盛。)

(院の御所、乙前を相手に双六を始める法皇。)

(夜明け。法皇の下に、重盛の兵が御輿に矢を射たという知らせが入ります。)

(内裏に放置された御輿。何本も刺さった矢を見てへたり込む成親。神罰が下るぞと悲鳴を上げる経宗。所詮は武士、猛々しさはまるで変わらないと逃げ去る基房。こんな事をして叡山が黙っているはずがない、法皇に対して一層強く出て来ると兼実。)

(六波羅に人をやれと郎党に命ずる男。そなたはと誰何する成親。多田蔵人行綱と名乗る男。源氏の武者かと成親。今は平家の家人も同然と行綱。この矢は重盛の郎党が射たというのは本当かと成親。神仏も恐れぬすさまじい所行と行綱。)

(双六をしながら、乙前にこの目をどう見ると問う法皇。自分には判らない、しかし、良い目を出すより双六に勝つ道は無いと乙前。賽子を振る法皇。)

(福原。重盛が現れ、事を荒立ててしまい面目次第も無いと謝ります。よくやったと清盛。意外そうな重盛。これで朝廷は叡山の求めに応じるより無くなったと清盛。)

(院の御所。西光に、師高は尾張国、師経は備後国に流罪となったと伝える基房。御輿に矢を射たのは重盛の郎党だと叫ぶ西光。その郎党は既に捕縛した、しかし、それだけでは叡山は収まらないと兼実。されどと声を絞り出す西光。何と言われてもこの沙汰は変わらないと兼実。縋る西光を見捨てて、立ち去る基房と兼実。)

(そなたは清盛に陥れられた、鵜川寺の一件は清盛と明雲が仕組んだに違いないと法皇。)

(福原。重盛に、鵜川寺の一件は自分と明雲で仕組んだ事と明かす清盛。何故と驚く重盛。)

(院の御所。何故と法皇に問う西光。二人の流罪によって西光の力が削がれると法皇。)

(福原。西光の力が削がれれば法皇の力も弱まると清盛。)

(院の御所。清盛は自分を退けて、この国を思うままに操ろうとしているのだと叫ぶ法皇。)

(福原。平家の力を強め、王家を支え、その先に清盛の目指す国があると思っていた、しかし、それは違うのかと重盛。賽の目は目まぐるしく変わるものだと清盛。)

(院の御所。面白くないと成親。懐から宋銭を取り出し、床に叩き付ける西光。一点を見据える法皇。)

(伊豆。西光の一件を聞いた時政は、政子に誰ぞの妻となれと言い渡します。私は未だと言いよどむ政子。これからも平家の世は続く、そなたは平家の縁のある男子の下に行けと時政。)

(鞍馬寺。月明かりの中、笛を吹いている遮那王。その遮那王に、なぜ出家をためらっていると問う僧都。)

(弁慶の言葉を思い出す遮那王。そなたの父は義朝だと明かす弁慶。何故、あなたがそんな事を知っていると遮那王。そなたを取り上げたのはこの自分だと弁慶。何故、自分と母は清盛の下に居たのかと遮那王。母を責めるでない、武将の妻の定めだと弁慶。血は争えない、そなたの強さは源氏の大将譲り、平家の専横を倒すのはそなたしか居ないと見たと言って、遮那王に太刀を差し出す弁慶。母は自分に、悲しみとも憎しみとも無縁に生きて欲しいと言った、今の話は聞かなかった事にすると立ち去る遮那王。自分は武蔵坊弁慶、そなたの気が変わるのをここで待っていると叫ぶ弁慶。)

(月明かりの中、笛を吹く遮那王。)

(伊豆。月明かりの中、笙を吹く頼朝。)

(時政の館。縁に座り、月を見ている政子。)

(福原。月明かりの中、海を見る清盛。)

(鹿ヶ谷。山荘に入る法皇、成親、西光の面々。一の目を出す賽子。)

(海を見ている清盛。)

(機は熟した、これより我らは平家を討つと宣言する法皇。)

今回は鹿ヶ谷の陰謀の前夜が描かれました。頂きに上り詰めようとする清盛と、それに反発する勢力との緊張が高まってくるのが感じられた回でしたね。

まず、史実としては、加賀国の目代である師経が加賀国で白山と諍いを起こし、叡山の強訴を引き起こしたのは事実です。

師経が鵜川寺の前を通りかかった時に、僧侶たちが湯浴みをしているのを見ました。自分も湯浴みをしたくなった師経は、僧たちを追い払って湯を使い、雑人達に命じて馬を洗わせたりしたのですね。これに怒った僧侶達は、ここは役人が入るべき所ではないと師経を追い出しに掛かったのですが、師経はかえって乱暴を働きます。一度は鵜川寺の僧兵達に追い出された師経でしたが、国中から一千の兵を集めて鵜川寺を襲撃し、これを焼いてしまったのでした。鵜川寺の本寺である白山はこれに怒り、二千の僧兵を集めて復讐に乗り出します。これを知った師経は館を捨てて、都に逃げ帰ってしまいます。師経を捕り逃がしたと知った白山は、本寺である叡山に訴えんとして御輿を担ぎ出し、叡山に向かったのでした。このあたり、省略はあったとはいえ、ドラマに描かれたとおりですね。

白山の訴えを聞いた延暦寺では、朝廷に対して訴訟を起こします。その結果、直接の加害者である師経の配流が決まめられたのですが、大衆はそれに満足せず、国主の師高の配流まで求めて強訴に及んだのでした。

重盛の軍勢が、その強訴の際に御輿に矢を射掛けたのは平家物語に描かれているところであり、僧兵達の多くも射殺され、あるいは傷付けられて、御輿を内裏に放置して山に逃げ帰ったとあります。これもドラマにあったとおりですね。

結果として、この御輿に矢が当たった事が問題となり、再度の強訴を恐れた朝廷が師高を配流する事で決着を見たのもドラマにあったとおりです。そして、この事件の際に延暦寺と清盛が気脈を通じていたらしい事も窺えるのですが、鵜川寺の事件を清盛の陰謀とするのはドラマの創作でしょう。

ドラマの進行とは前後しますが、法皇が九の宮と十の宮を還俗させ、帝の養子としたのも史実にあるとおりです。これは、法皇がやがて成人を迎えようとしている高倉天皇を退位させ、法皇の意のままになる幼帝を立てようとしたのではないかと考えられています。つまり、天皇が大人となって自己主張を初め、自らの政治を行おうとする前に手を打とうとしたと言うのですね。何度となく繰り返されてきた院政の構図と言えましょうか。また、ドラマにあった様に平家の血を引いた帝の出現を恐れたという背景もあったとも言われています。

また、さらっと流されていましたが、宗盛が右近衛大将になった事には重要な意味があり、この時競合したのが成親なのでした。成親はこの事を恨みに思い、平家への反意を抱いたと考えられています。彼は面白くないのうと信頼を思い出す様な台詞を吐いていましたが、そこにはそんな背景があったのでした。

なお、仲綱が言っていた女院の相次ぐ死とは、建春門院の他に、高松院(二条帝の中宮)、九条院(近衛帝の中宮。呈子の事。)が亡くなった事を示しています。ついでに言えば、六条上皇もこの年に十三歳で崩御されています。確かにこれだけ皇族が亡くなれば、葬儀費用だけでもかなりの出費だった事でしょうね。

ドラマに戻って、滋子が居なくなった事で、法皇と清盛の関係は協調から対立へと変化しました。この二人の攻防が見所となる訳ですが、どう見ても清盛の政治力の方が一枚上手ですね。法皇には清盛の手の内を読める力はあるのですが、それに対抗出来るだけの力は有していない事が窺えます。それが鹿ヶ谷の陰謀という無理に繋がって行くのですが、それを賽の目に例えた演出は、以前からの踏襲とは言え、面白いものがありました。

その一方で、源氏が立ち上がる気配も濃厚となりつつあります。まだ平家全盛の世にあって弱々しいものに過ぎないのですが、政子や弁慶と言った補佐役によって、頼朝と義経が表舞台に押し出される過程が見えてきました。

次回は鹿ヶ谷の陰謀が描かれます。平氏が倒れたという台詞や、西光が瓶子の首を折るという場面も出て来る様ですね。どれも有名な場面ですから、どんな具合に描かれるのか、楽しみにして待ちたいと思っています。

2012年10月20日 (土)

京都・洛東 建礼門院出家の地 長楽寺 ~平清盛~

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円山公園の東南にある長楽寺は、建礼門院が落飾した場所して知られます。今は時宗の寺ですが、当時は天台宗の別院でした。

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壇ノ浦で海に身を投じながらも助け上げられた女院は、暫く吉田の地において暮らした後、出家を思い立ってこの寺に入り、髪を下ろされたのです。

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この十三重の石塔が、建礼門院の髪を納めた御髪塔と言われるものですね。元はもっと山中に入った場所にあったのですが、明治の初めに今の地に移されました。

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女院は、出家の際に布施とするべき蓄えもなかったため、やむなく壇ノ浦から持ち帰った安徳天皇の直衣を納め、それを自らの手で幡に縫われたと伝わります。寺にはその幡が寺宝として伝わっており、この日は建礼門院寺宝展(10月17日まで開催されていました)の展示として復原された幡を見る事が出来ました。

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寺には、この外に女院の肖像画とされる絵も伝わっているのですが、世を憚る為に墨で真っ黒に塗りつぶされています。はっきりとは判らないのですが、確かに髪を下ろした女性の姿である様には見えましたね。また、江戸時代に描かれた安徳天皇の肖像画もあり、子供らしく独楽を回して遊ぶ姿があどけなく感じられます。

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長楽寺は大河ドラマの影響によってもっと混んでいるかと思ったのですが、全く静かなもので、拝観者は私一人しか居ませんでした。ドラマでは徳子も娘の一人としての扱いですから、その生涯にまで関心を持つ人は少ないのかも知れませんね。

境内には秋海棠が咲いており、最期の地である寂光院との繋がりを思わずには居られませんでした。ものの哀れを感じた一時でしたよ。

2012年10月19日 (金)

京都・洛東 中秋2012 ~祇園白川 10.13~

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平成24年10月13日の祇園白川です。ここは四季折々の花がある場所ですが、今の時期は萩も咲いているのですね。白川に枝垂れる様に咲いている様は、ここならではの風情と言えましょうか。

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道の中程では、ススキが穂を出していました。祇園白川は花街の一角にありますが、こうした野の風情もまた似合う町ですね。

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本格的な紅葉は未だですが、桜は半ば色付いており、落ち葉が盛んに散っていました。こんな景色を見ると、晩秋も近いと感じますね。

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縄手通には、半年前に起きた暴走事件の犠牲者を供養する花が供えられていました。もうそんなに時間が経ったんだなあと思うと同時に、今でもあの通りを歩くと事件の恐怖が甦る思いもしています。まだ原因は特定されていないようですが、改めて犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。

2012年10月18日 (木)

京都・洛中 リンドウ2012 ~廬山寺 10.13~

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慧光寺から廬山寺へとやって来ました。ここは桔梗の咲く源氏の庭がある事で知られる寺ですね。

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ここに来たのはリンドウを見るためでした。リンドウは秋を代表する花の一つですが、京都で見る事が出来る場所は少なく、ここは貴重なポイントの一つになっています。

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他の場所、例えば曼殊院などではまだ咲いていないと思われるのですが、さすがに町中だけあって暖かいせいでしょうか、毎年一番先に咲き出す様ですね。

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リンドウが咲いているのは、この写真の中程にある苔の島です。小さな花ですから良く見ないと判らないのですが、数株のリンドウが咲いていましたよ。

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桔梗もまた、数は少ないながらまだ咲いていました。この花の盛りは6月から7月にかけてですが、秋の七草の一つに数えられる程ですから、この季節になっても咲き続けているのですね。

リンドウと桔梗の両方を見る事が出来る今の時期は、この庭の見頃の一つと言っても良いのかも知れません。

2012年10月17日 (水)

京都・洛中 芙蓉2012 ~慧光寺 10.13~

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西陣にある慧光寺に芙蓉を見に行って来ました。さすがに盛りとは言えなかったけれども、まだかなりの数が咲いていましたよ。

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ここには3年前に訪れており、その時芙蓉が沢山植えられているのに気付きました。その後は訪れる機会も無かったのですが、先日雲母舟さんにコメントを頂き、綺麗に咲いていると伺ったので寄ってみたのです。

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境内にはススキも咲いていて、秋の風情に溢れていました。およそ観光とは縁のない寺ですから、境内には誰も居らず、静かな時間だけが流れていました。

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3年前には判らなかったのですが、雲母舟さんの記事に拠れば、ここは天文年間(1532-1555年)に開かれた日蓮宗の寺で、足利将軍の家臣であった野本輝久の正室、伊佐が、輝久の菩提を弔うため私邸を寺院に改造したのが始まりなのだそうです。輝久は松永久秀に将軍暗殺に加わる様に誘われたのですが、それを断ったために久秀に殺されたのだとか。何気無い寺でも、意外な歴史を秘めているものなのですね。

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境内には巨大な銀杏も生えています。3年前には枝打ちがされたばかりで寂しい姿だったのですが、今は枝も伸びて立派になって来ています。これなら、黄葉シーズンには、見応えのある景色となっっている事でしょうね。また11月の末頃に見に来られたらと思っているところです。

2012年10月16日 (火)

京都・洛北 「定家と長明」展スタジオジブリが描く乱世。 ~下鴨神社~

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秋晴れの1日、下鴨神社を訪れてきました。この日は森の手作り市が開かれていてとても賑わっていたのですが、私の目的は別にありました。

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それがこれ、「定家と長明」展です。方丈記800年記念事業の一環として開催されているもので、鴨長明と藤原定家を主人公としたアニメの企画展ですね。

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正確には、堀田善衛氏の小説「方丈記私記」をアニメ化したらという架空の設定で制作されたもので、宮崎吾朗監督が4年前にイメージボードを描かれました。

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舞台は平安末期で、大河ドラマ「平清盛」とも重なります。実際、清盛もわずかに出て来ますね。乱世と災害に苦しむ人々と、その世界を生き抜く二人の姿を描いた作品で、いかにもジブリらしい世界観に溢れていましたよ。

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方丈記の外に今昔物語も取り入れられていて、とても完成度の高い作品と見受けられました。これが架空のアニメとは勿体ないと思っていたら、最後に作品化への嘆願署名が置かれていましたね。署名が沢山集まれば、実際にアニメ化されるのでしょうか。そうなると嬉しいのですけどね。

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本殿前では、フジバカマが咲いていました。数年前のキャンペーンのおかげで、今はあちこちでこの花を見る事が出来る様になっています。残念ながら、アサギマダラの姿は見る事が出来なかったですけどね、あまりに人が多すぎたせいでしょうか。

方丈記800年記念の行事としては、この外に資料展、講演会などが開催されています。詳しくはホームページで確認して下さい。

2012年10月15日 (月)

京都・洛東 秋は夕暮れ2012 ~八坂の塔 10.13~

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「秋は夕暮れ」と言いますが、この季節になると夕景色を撮りたくなります。そこで、京都取材の帰りに、高台寺に寄って来ました。

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この日は終日快晴の予報だったのですが、どういう訳か昼過ぎから厚い雲に覆われてしまいました。これは話が違うじゃないかと思っていたのですが、日暮れ前になるとどうにか雲が切れ始めてくれました。

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まだ雲の量は多かったのですが、何とか夕陽を見る事が出来たのは良かったです。劇的という程でもなかったけれど、まずまずの夕焼けだったかな。

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部分的には雲のおかけで、とても綺麗な景色になっていました。高台寺の駐車場にも大勢の人が集まっていましたね。

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ただ、八坂の塔との絡みは撮れそうにもなかったので、急遽場所を移動して、龍馬坂に行ってみました。すると、夕焼けと八坂の塔が重なって、とても綺麗な景色になっていましたよ。そうして撮ったのが冒頭の一枚です。

帰りがけ、二年坂近くまで坂を降りて塔を見上げると、雲が茜色に染まって、まるで燃えているかの様に見えました。こういう景色を見る事が出来るから、高台寺通いは止められないのですよね。

2012年10月14日 (日)

平清盛 第40回 「はかなき歌」

(承安4年(1174年)、大輪田泊完成。盛んになった宋との交易。)

(西光に銭での取引の実態を見せ、これを都で広めるために協力して欲しいと頼む清盛。信西が生きていたらそうしただろうと引き受ける西光。亡き兔丸に、博多を都の隣に持ってきたと語りかける清盛。)

(春夜に向かって、法皇と建春門院の厳島参詣の準備をするようにと命ずる清盛。そして、法皇には武士が頂きに立つ為に欠かせぬものの誕生を祈って貰いたいと清盛。)

(内裏。入内して3年経つが未だ務めが果たせていないと建春門院に謝る徳子。帝はまだ14歳、あせる事はないと建春門院。そして、厳島に参詣すると徳子に告げます。)

(厳島。社に参詣した法皇と建春門院。これ以後、国のための神となっていく厳島明神。)

(法皇と女院を迎えた景弘。横へと広がりを見せる珍しい趣向の社だと法皇。それこそが自分の目指す国の姿だと清盛。そして、宋銭を法皇に手渡し、これが東西に広がれば国は富み、厳島明神の加護で皇子が生まれれば平家と王家の絆は一層盤石と清盛。)

(大鳥居を眺めながら、蝦夷地から鎮西まで、豊かに人や物が連なる国の姿がはっきりと見えているのだと盛国に語る清盛。)

(清盛の言う国の姿が掴めないと法皇。法皇は自分の求める国を目指せばよい、平家と王家を繋ぐ為に自分が居るのだと滋子。)

(伊豆、蛭ヶ小島。髭切りの太刀の入った函を手に取った頼朝。そこに藤九郎が帰って来て、常澄が亡くなったと知らせます。)

(時政の館。常澄の死を惜しみ、平家に対する不満を口にする義明達。そこに現れた頼朝と藤九郎。見舞いの差し入れを手渡して帰ろうとする頼朝を呼び止める義明。このままでは源氏ゆかりの武士は平家に滅ぼされてしまうと訴える義明に、自分には関わりのない事と言って立ち去る頼朝。)

(頼朝の館。頼朝を追ってきた政子。このままで良いのかと頼朝を焚きつける政子。無礼なと言って取り合わない頼朝。縋り付く政子。振りほどく頼朝、倒れた拍子に、髭切の太刀が函から転がり出ます。申し訳ないと言って太刀に触れようとした政子を叱りつける頼朝。驚く政子。我に返って、大事ないかと言って立ち去る頼朝。)

(重盛の館。舞の稽古をしている維盛と資盛。稽古を付けている経盛。礼を言う重盛。これも清盛の命だと経盛。法皇は芸事を大事にする、いつか披露できる様に稽古せよと重盛。)

(庭で弓の稽古をしている知盛と重衛。稽古を付けている忠清。いついかなる時でも鍛錬を怠らないのが武門と忠清。戦など誰が起こすのかと重衛。忠清に同意しながらも武芸だけでは平家の男子は勤まらないのだと知盛。悲しみを抑えきれない忠清。)

(そこに現れた頼政。彼の用とは、法皇が主催する今様会わせに経盛を誘いに来たのでした。それを聞き、武力だけでは渡っていけない世になったのだなと忠清。)

(院の御所。絵巻を持参した絵師に、褒美として宋銭を与える西光。)

(福原。西光に礼を言う清盛。相撲節会を再び行うと助力を願う西光。自分の息子だと師高と師経を紹介する西光。しかし、形ばかりの行事に費やす財は無いと断る清盛。形ばかりとは何事と憤る西光。信西が生きていればと言いかける西光を遮り、信西ならば国造りが何より大事と判ってくれたはずと清盛。怒りに震えて立ち去る西光。)

(院の御所。良い声で今様を歌っている法皇。法皇をからかう滋子。今様を書きためている、梁塵秘抄と言うと法皇。中国の故事かと滋子。それもあるが、泊の様には世のために役立たず、吹けば飛ぶ様な塵のごとき今様だが、それを聞く者を楽しませ、慰めてくれる、そんな今様が自分は好きだと法皇。それが法皇の目指す世なのですねと寄り添う滋子。)

(7月8日。右近衛大将に任じられた重盛。重盛に昇進の祝いを言う成親。しかし、重盛を見送った彼の顔からは笑みが消えます。そこに現れた西光に声を掛ける成親。二人は平家が慢心しているという見方で一致します。)

(西光と成親を呼び、酒を振る舞う滋子。まるで二人の心の内を見透かした様に、平家の力が増して面白くない事もあろうが、法皇と清盛の間を取り持つのに力を貸して欲しいと頼む滋子。やむなく頭を下げる二人。このまま宴としようぞと明るい滋子。)

(安元2年(1176年)、院の御所。法皇五十歳の賀の宴が行われました。歌や楽を楽しむ宴を幾日にも渡って催す法皇。一門を挙げて宴に参加し、押しも押されぬ公卿となり、法皇の世を支えている事を示した平家。)

(法皇に賀を述べる清盛。黙っている法皇に代わって立ち上がり、清盛に酌をし、次いで法皇に酌をする滋子。杯を手に、この世に生まれて50年、清盛と出会って40年、やっと判ったのは自分の目指す世に清盛は欠かせず、清盛の目指す世に自分は欠かせないという事だ、これより先も共に登ろうと法皇。この上無い誉れと清盛。)

(祝いに、維盛と資盛の舞を献上すると清盛。見事に舞ってみせた二人。)

(安元2年7月2日。俄に身罷った滋子。悲しみに暮れる法皇。)

(時子の館。悲しみに暮れる時子。今、世を去るには、余りに優れた治天の君の后だったと時忠。)

(福原。滋子の死によって朝廷が変わる事を予見しつつ、自分の政は断じて変わらないと清盛。)

(院の御所。悲しみに暮れながら、今様を口ずさむ法皇。そして、泣きながら笑い声を上げる法皇。)

(法皇と清盛の間に大きく影を落とした滋子の死。)

今回は建春門院滋子の死が描かれました。ドラマにあった様に、滋子の存在は平家と法皇双方にとって大きく、両者の間の調整役として欠かせぬ人物でした。元々、法皇と平家の間には相反する利害関係が内在していたのですが、滋子が間を取り持つ事で均衡を保っていたと言われます。それほどの存在であった滋子が亡くなる事で、世は俄然乱れる事となって行きます。

史実との関係で言えば、重盛が右近衛大将になったのは史実にあったとおりですが、その時競合したのは成親ではなく別の人物でした。成親は確かに大将の座を巡って平家に遺恨を抱く様になるのですが、それはもう少し後の事になります。また、西光の相撲節会の件は創作だと思われます。

次に、法皇と滋子が厳島に御幸したのも史実にあるとおりで、清盛には厳島神社をして鎮護国家の社としたいという願望があったとされます。つまり、平家の氏神を畿内の古社と同列に引き上げようという狙いがあったと言われ、これがために後に宗教界からの大きな反発を招く元ともなりました。

法皇五十の賀が行われたのも史実にあるとおりで、これを平家が一門を挙げて祝ったのもドラマに描かれたとおりでした。法皇は清盛に対して感謝の意を表す使者を送り、清盛はこれに対する返礼として100両の白銀を贈ったとされます。このあたりまでが、平家と王家の蜜月時代だったという事になるのでしょうね。

法皇が芸事を好んだ事は良く知られますが、その人事もまた芸事の上手、下手に左右されたと言われます。成親もその一人で、法皇の芸事の相手が出世を果たす事が出来たのでした。このあたり、治天の君の器にあらずと言われた法皇の器量の程が良く現れているところではないかと思われます。

ドラマに戻って、板東では頼朝が目覚め始めています。髭切りの太刀を手にしたのは、いよいよ挙兵に向けてのフラグが立ったという事なのかな。次の回では、政子が頼朝に発破を掛ける様ですね。今回はそのための下準備といったところかな。これから公卿としての道を歩む平家とのコントラストが、より一層鮮やかになって行くのでしょう。

法皇については、おそろしく若い50歳ですね。どう見ても30代にしか見えないのですが、年齢不詳なのはこのドラマの特徴ですから細かい事は抜きにしておきましょうか。ただ、滋子を失った悲しみは良く表れていました。恋人を失ったと歌う今様と合わせた演出はなかなか見事で、副題にあるとおりでしたね。変わりすぎていて容易に感情移入出来ない人ですが、今回はその悲しみが伝わってきたと思っています。

私的には、厳島神社が懐かしかったですね。この8月に行ったばかりですが、滋子や清盛が歩いていても違和感は無く、あの壮麗な社殿が平安時代から存在した事を改めて感じました。あのシーンの収録場面を生で見たかったなあ。もう一度行きたい場所ですね。

次回は王家と平家の対立が明確化して来る様ですね。鹿ヶ谷の変の前夜が描かれるのかな。いよいよドラマが急展開を見せ始める様で、どんな回になるのか楽しみに待ちたいと思います。

2012年10月13日 (土)

京都・洛東 中秋2012 ~二年坂・三年坂 10.6~

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清水寺から帰る頃には、日も暮れ始めていました。清水寺は6時30分の閉門だったのですが、既に帰り道を急ぐ人の方が多くなっています。

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三年坂を降りた頃には、店先の明かりに灯が入り始めていました。秋の灯ともし頃というのは、いつも風情のあるものですね。

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二年坂に向かって歩いていくと、店先でフジバカマが咲いていました。さすがに時間帯が遅いせいでしょうか、アサギマダラの姿はなかったです。

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さらに歩いていくと、カラスの模様が入った軒灯が目につきました。どうやら、くろちくのカラス堂という店の様ですね。何時の間にこんな店が出来ていたのやら。でも、このセンスは好きだなあ。

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二年坂まで来ると、すっかり日も暮れて夜の灯りになっていました。最近は日が暮れるのが早いですね。

ここも人通りは多かったけれど、秋の風情に溢れた界隈でした。


2012年10月12日 (金)

京都・洛東 彼岸花2012 ~清水寺 10.6~

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静かな修学院を後にして、一気に清水寺まで移動しました。ここはいつもの事ながら観光客で溢れており、修学院とのギャップの大きさに暫し戸惑いましたよ。

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舞台の上に人が溢れているのが判るかな。さすがは3連休の初日といったところでしょうか。

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ここまで来たのは、もしかしたら彼岸花がまだ咲いているかもしれないと思ったからですが、期待に違わず咲いてくれていました。

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さすがに盛りは過ぎていましたが、まだぎりぎり見頃と言える程度でした。ここも今年は咲き出しが遅かった様ですね。見逃したと思っていただけに、嬉しい景色でした。

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ところが、行き交う人は誰も花に注目していないのですよ。こんなに綺麗なのに勿体ないと思いながら写真を撮っていると、いつの間にか大勢の人が群がっていたのには驚きました。一人が撮り出すと、みんな気が付くのですね。

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本堂裏では、芙蓉が咲いていました。盛りとまでは行かないけれど、縁と書いた地主神社の看板の明かりに良く映えていましたよ。

人混みに埋もれてはいましたが、秋の風情が確かに感じられた清水寺でした。

2012年10月11日 (木)

京都・洛北 中秋2012 ~修学院 10.6~

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詩仙堂を出て、修学院界隈を歩いてみました。刈り入れの終わった野道には秋の風情が溢れていましたよ。

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中でも、彼岸花がそこかしこで咲いているのには驚きました。ほぼ盛りに近いと言っても良かったんじゃないかな。

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嵯峨野よりもさらに一週間程度遅い展開の様ですね。こちらの方が気温は低そうなのに、意外な感じがします。

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まだわずかに稲田も残っており、稲穂とのコラボレーションも見る事が出来ました。期待していなかっただけに、嬉しい展開でしたね。

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鷺森神社の隣の空き地でも、彼岸花は咲いていました。誰も注目しそうにない隠れた場所なのですが、結構な数が咲いているのですよ。以前は雉が歩いているのを見かけた事もあったっけかな。

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路傍には、誰が置いたのか小さなカボチャ(実はアカナス?)がありました。ハロウィーンには少し早いけど、雰囲気は出ているんじゃありません事?

しばしの間、静かな秋を感じた一時でした。

2012年10月10日 (水)

京都・洛北 中秋の庭 ~詩仙堂 10.6~

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真如堂から詩仙堂へと足を伸ばしました。ここに来るのは一ヶ月ぶりとなりますが、花の主役はすっかり替わっていました。

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今の詩仙堂で印象的なのは、このサラシナショウマです。ブラシ状に咲く白い花で、庭園の南側に多く見る事が出来ます。

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少しくたびれていますが、丈山椿も咲いていました。早咲きとは知っていましたが、10月の初めでもう咲いているのですね。冬に入ってから探しに行ったのでは、既に終わっている事が多い訳が判りましたよ。

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今年の秋明菊は随分と小振りです。花も少なめで、年によって差が出る花なのかも知れません。

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ここでもフジバカマが咲いていました。もっとも、これは色の濃い園芸品種の様ですけどね。

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シオンもまた、庭の一角で存在感を見せていました。背の高い花ですから、見栄えがするのですよね。

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そして、ひと月前には穂が開いたばかりだったススキが、花を咲かせていました。いかにも秋の深まりを感じさせてくれる景色ですね。

2012年10月 9日 (火)

京都・洛東 中秋2012 ~真如堂 10.6~

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迎称寺から真如堂へとやってきました。ここに来るのは3週間ぶりですが、その間に季節は確実に動いていた事を実感出来ました。

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花の木の枝先は随分と色付き、ほとんど咲いていなかった萩が花を付けていました。もっとも、この間に萩は既に盛りを過ぎていましたけどね。

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彼岸花もまだ残っていたところを見ると、今年は咲き出しが随分と遅かった事が窺えます。見頃はたぶん先週の初め頃だったんじゃないかな。

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今が盛りと咲いていたのはフジバカマでした。本堂前にもありますが、庫裏の壁沿いの方が沢山咲いています。

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そのフジバカマにはアサギマダラが3頭ほど飛来していました。その名の通り、浅黄色が美しい蝶ですね。

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そして、ツマグロヒョウモンもまた沢山飛来していました。見た目に派手さはないけれど、その香りが蝶を惹き付けるのでしょうか。それに盛んに吸蜜をしていましたから、花が小さい割に蜜は多いのでしょう。あんまり美味しそうだったので、見ていてちょっと羨ましい気もしましたよ。

もっとも、アルカロイドが含まれているそうですから、うっかり人が舐めると毒なのでしょうけどね。蝶のご馳走として、そっとしておくのが良い様です。

2012年10月 8日 (月)

京都・洛東 萩2012 ~迎称寺 10.6~

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平成24年10月6日の迎称寺です。この日は紅と白の萩が出迎えてくれました。

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今年はこの寺の萩は咲き出しが遅かったせいでしょうか、10月に入ってもまだ部分的には見頃の花が残っていました。週初めに台風が襲った事を考えれば、良く咲いていたなと思えます。

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全体としてはさすがに盛りを過ぎており、寂しい姿となりつつあります。たぶんですが、台風の直前あたりが見頃だったのではないかな。

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東側の土塀では紅の一株だけが咲いていました。こちらは咲き出しが早かったために、終わるのも早いのでしょうね。

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門前では遅れて咲いた彼岸花が萩とのコラボレーションを見せてくれていました。遅くなった花同士、上手くタイミングが合ったというところでしょうか。これは嬉しい誤算でしたね。

2012年10月 7日 (日)

平清盛 第39回 「兎丸無念」

(五条大橋。赤い被衣を被って橋を渡ろうとする遮那王。その前に立ちふさがる、高下駄を履き長刀を手にした弁慶。行き過ぎようとした遮那王に、その年格好で赤い衣を着ているからには禿に違いないと因縁を付ける弁慶。禿などではない、急いでいると言って立ち去ろうとする遮那王。待てと行って長刀を振り回し、襲い掛かる弁慶。身軽に長刀を躱す遮那王。)

(弁慶の腰から刀を奪った遮那王。その時、歌と共に禿の群れが現れます。正体を現したなと言って、禿に立ち向かう弁慶。弁慶と共に禿と対峙する遮那王。しかし、禿たちは何もせず、赤い羽を撒いて立ち去ります。後に残された二人。)

(自分は禿などではないと言う遮那王を信用せず、再び襲い掛かる弁慶。刀の峰で弁慶の脛を打った遮那王。泣き所を討たれてもんどり打つ弁慶。大事ないかと側による遮那王に、こんな事で自分に勝ったと思うなと強がる弁慶。)

(自分はこれまで999人の武者に挑み、999本の太刀を奪った腕自慢だと話し出す弁慶。これは全て奪った太刀ですかと驚く遮那王。なぜそんな事をするか教えてやろうと弁慶。いえ結構ですと遮那王。構わずに、いずれ源氏が挙兵する時の為だと話を続ける弁慶。源氏と聞き、反応する遮那王。何も知らないのか、平治の戦の時、平家の棟梁清盛が源氏の棟梁であった義朝を倒したのだと語り続ける弁慶。清盛の名を聞き、色めき立つ遮那王。清盛を父と慕っていたと聞き、いぶかる弁慶。そして、遮那王が常磐の子であると知り、牛若、大きくなったなあと言って遮那王を抱き上げます。)

(福原。承安二年(1172年)3月、民の寄進によって万灯会を開いた清盛。)

(消えぬべき 法の光の灯火を かかぐる和田の 泊なりけり)

(歌を詠んで万灯会を成功させた清盛の権勢を称える西行。あたりの民の世話をしてきたのは兔丸たちだと清盛。兔丸の手によって着々と進む大和田泊の普請。) 

(都。禿を放ち、平家に異を唱える者を次々と断罪していく時忠。)

(内裏。清盛の企みの形が見えないと兼実。口をつぐめと基房。ふと気付くと、縁の下に禿が潜んでいました。慌てて立ち去る兼実と基房。)

(福原。万灯会の成功を喜び、兔丸たちを労う清盛。)

(清盛に向かって、悔い改めた罪というのは禿の事かと問う兔丸。あの質の悪い禿をあのままで良いと思っているのかと兔丸。思っている、禿を放ったおかげで平家に異を唱える者が居なくなり、こうして泊造りが出来ていると清盛。判っていないと兔丸。年端も行かない者にあんな生き方をさせては、ろくな者に育たない。このまま放っておけば、いつかえらい目に遭うと警告する兔丸。)

(海賊の棟梁は義に厚すぎて困ると清盛。だからこそ、長い付き合いなのではと盛国。自分の目指す国造りは若い頃の兔丸が思い描いていたもの、出来上がった時に全てが報われると清盛。)

(泊の普請を見に来た子兎丸と桃李。侍女だけを残して都に帰れと兔丸。いぶかる桃李に当分は人夫たちの宿になる、普請が終わるまでの辛抱だと諭す兔丸。)

(内裏。中宮となっていた徳子。中宮権大夫となった時忠。正四位下、中宮亮となった重衛。)

(六波羅。宴に興ずる一門。屋敷を訪ねてきている西行。宴は清盛からの言いつけ、舞や歌に親しむのは公卿たる一門としてのたしなみである、常々行えと言われていると時子。それを聞き、人は変わるものだと苦笑する西行。)

(近頃の清盛は、どこか生き急いでいる様で心配だと西行。それでも平家は常に一蓮托生、どんな修羅の道でも共に歩く覚悟と時子。)

(福原。宋からの文が届き、喜ぶ清盛。そこには、日本国王及び太政大臣にこれらの物色を賜うとありました。送り主は明州の長官。それは皇帝の兄でした。宋の皇帝が日本との交易を認めたと高笑いする清盛。)

(宋からの贈り物を朝廷に届けた清盛。贈り物を確かめる公卿達。何もかも古のしきたりから外れている、無礼千万だと兼実。賜うという文字もけしからぬと基房。かような無礼な物は送り返すべしと兼実。)

(院の御所。公卿達の決定を後白河院に伝える成親。万事先例が大事、つまらぬ奴らだと法皇。構わないから、品々を貰っておき、返書を作らせよと命ずる法皇。たかだか州の知事の贈り物に法皇の名で返書を出すなど屈辱だと成親。清盛に返書を作らせては如何と西光。)

(福原。兔丸たちの普請の様子を見る清盛。)

(兔丸に普請は何時終わると問う清盛。あと半年と兔丸。三月で完成させよと清盛。驚く兔丸。あまりに無体なとたしなめる盛国。三月後には宋国皇帝の兄が来ると清盛。長官に新しい泊ーの姿を見せ、この国が侮りがたい力を持っている事を示す。そして、天下にこの国の頂きに立つ者が平清盛である事を示すのだと清盛。憮然とする兔丸。)

(六波羅。平家一門の昇進祝いに訪れた貴族達。武士上がりの者に祝いなどと陰口を利く貴族。それを聞いていた禿たち。たちまち貴族を取り囲む禿達。悲鳴を上げる貴族。)

(二ヶ月後。福原。けが人が続出している普請場。これ以上無理をしたら死人が出る、今回は諦めろと兔丸。自分の命は動かないと清盛。ついにいかれたか、また次があると兔丸。一度負けたら終わり、次などないと清盛。何の為の泊か、民のためではないのかと兔丸。長官を迎えるのは新しい泊でなくてはならない、そうでなければ宋との交易は叶わない、この国の頂きに上る事も出来ないと清盛。)

(虫の息で、自分を人柱にしてくれと言い出す、怪我をした蝉松。それを黙って聞いている清盛。目を覚ませと言って清盛を殴り飛ばす兔丸。あいつの上に泊や国が出来て何になると兔丸。今こそ長年自分たちを見下して来た王家や朝廷を見返す絶好の機会、些末な事でこの機会を逃す事は出来ないと清盛。些末と言われて切れた兔丸。もう泊造りは止めだと叫びます。これまで義と悪をひっくり返そうと思ってお前に付いてきた、しかしお前のやっている事は悪だ、悪と悪がひっくり返っても、また悪が天辺に上るだけだと兔丸。平家の餅などついていられないと言って、仲間を引き上げさせる兔丸。じっとそれを見ている清盛。清盛を振り返り、お前の国造りは盗賊が物を盗むのと同じだと捨て台詞を残す兔丸。)

(縁に立ち、海を見ている清盛。傍らに座り、かつて漁師であった頃の事を語り出す盛国。白河院に異議を申し立てたのが清盛だったと言う盛国に、何が言いたい、自分が白河院の様だと言いたいのかと清盛。誰にも判らない、兔丸にも、盛国にもと清盛。)

(五条大橋の下。あの時、海賊船で殺しておけば良かった仲間達と気炎を上げる兔丸。そこにやってきて、途中で投げ出すなどらしくない、福原に戻ろうとせかす桃李。もう終わりだ、平家の棟梁にはついて行けないと兔丸。なぜ何十年もあんなやつについてきたのかと兔丸。面白いと思ったからでしょうと桃李。だから余計に腹が立つ、昔海賊船であいつが言った、平家の下でなら面白い事が出来る、面白い事が出来れば父の義の証しが立てられると。しかし、あいつは平家がのし上がる事しか考えていなかったと兔丸。桃李に、朝には帰る、今夜はここで呑ませてくれと兔丸。黙って立ち去る桃李。)

(これからどうしよう、また海賊船に乗るかと兔丸。そして、宋の船を襲ってやれば清盛が困るだろうと兔丸。酒が切れた、どこかで調達してこいと郎党に命ずる兔丸。言いつけに従う郎党たち。一人残った兔丸。そこに歌声と共に現れた一人の禿。もう止めろ、ろくな大人にならないとたしなめる兔丸。歌いながら、赤い羽を兔丸の腹に刺して立ち去る禿。)

(禿を追って橋の上に来た兔丸。そこに現れ、兔丸を囲む禿達。この餓鬼どもと兔丸。歌いながら四方から兔丸を羽で刺す禿達。体中に羽を突き立て、崩れ落ちる兔丸。もう一度兔丸を刺す禿達。)

(福原。兔丸たちが使っていた道具を見ている清盛。そこに、頭は来ていないかと現れた兔丸の郎党達。)

(京。兔丸の郎党達と共に兔丸を探す清盛。)

(赤い羽が積もった五条大橋。その羽に埋もれた兔丸の面。その面を拾い、橋の下を見る清盛。同じ方向に向かって手を合わせる人々。)

(橋の下に駆け下り、倒れている兔丸を見つけた清盛。そして、兔丸の遺体に駈け寄り、全身に突き立った羽を抜き取ります。兔丸を抱きしめる清盛。郎党と共に現れた桃李。悲鳴を上げて駈け寄ろうとする桃李を止める盛国。呆然と兔丸を抱きしめている清盛。)

(六波羅。一門に向かって、兔丸の葬儀は一門を挙げて福原にて盛大に執り行うと告げる清盛。その時、庭先に現れて清盛を見る禿達。彼らに気付き、部屋に入る清盛。そして、時忠に向かって、禿は始末せよと命じます。)

(福原。じっと海を見ている清盛。すべては清盛が邁進するために起こった事、どれだけ思っても兔丸は戻ってこない、それでも修羅の道を進む覚悟があるのかと問うと盛国。黙っている清盛。ならば共に修羅の道を歩くと盛国。涙する清盛。)

(六波羅。夜、一人で禿の装束を焼く時忠。悔し紛れに、装束を炎の中にたたき込む時忠。)

(五条大橋。父を呼んで泣き叫ぶ子兎丸。傍らに立つ桃李。二人を見つめる清盛。)

(福原。夜、屋敷の中で石に字を書いている清盛。そこには兔丸の名がありました。突然現れ、清盛を取り囲む兔丸の郎党達。仇を取りに来たと清盛。太刀を抜いて清盛に斬り掛かろうとする郎党達。それを止める兄貴分。清盛に何をしていると兄貴分。経文だと清盛。人柱など立てなくても、こうして経文を書いた石を沈めれば良い、兔丸の志と共にと清盛。黙って話を聞いている郎党達。兔丸の志こそ、新しい泊の礎だと清盛。頭と叫んで、泣き崩れる郎党達。)

(経文を書いた石を船に積む子兎丸。兔丸の遺髪を添えた石を積み、合掌する清盛。それに倣う、子兎丸、桃李、郎党達。兔丸と過ごした日々を回想する清盛。1年の歳月を掛けて完成した大和田泊。宋の国の使者を迎入れた清盛。)

今回は経が島の築造に絡めて、兔丸の死が描かれました。経が島は、平家物語に人柱の代わりに一切経を書いて築いたとある島で、清盛紀行にもあった様に神戸に実在したとされています。

かなり創作色の強い回でしたが、冒頭の千灯供養は実際に行われた事で、久々に現れた西行の歌もその時に詠われたものと言われます。今の様な明かりの無かった頃、千灯の灯火はさぞかし大和田泊の海に荘厳に映った事でしょうね。

そして、宋の国から贈り物と国書が届いたのも事実で、そこには日本国王に贈する物色、太政大臣に贈する物色と記されていたのも史実にあるとおりです。これに対する朝廷の反応は概ねドラマにあったとおりで、国王に賜うとは奇怪であるとされ、また明州の長官からの贈物であった事から送り返す事とされています。しかし、清盛は経宗に働きかけて返書を出す事とし、結果として法皇からも返礼として蒔絵図子、砂金、清盛からは剣などが贈られました。この事について、兼実はその日記の中で強い批判を行っていますが、これによって日宋間に正式な交易が開かれる事になったのは確かです。

禿については、以前にも書いた様に平家物語に拠る創作である可能性が高いのですが、仮に事実であったとしても、ドラマにあった様に平家に拠る独裁が行える程の実力はまだありませんでした。少なくとも、八条院や摂関家を力尽くで黙らせるほどの腕力はまだ無かったはずです。このあたりは、奢る平家を演出する為の脚色でしょうね。

ドラマに戻って、弁慶と遮那王の出逢いに禿を絡めてきたのは新鮮でした。良くあるのは平家の公達と間違えたという演出なのかな。ただ、あの禿達は何をしに出て来たのやら。弁慶と遮那王の実力を恐れて逃げたという設定なのかしらん。訳の判らない演出ではありました。

それにしても、清盛はなぜああも事を急ぐのでしょうか。誰も自分の心の内は判らないと言っていましたが、見ている側にも判らないですね。さすがに兔丸を失って自らの非を悟った様子でしたが、それでも修羅の道を進むという覚悟は変わらない様です。

彼を生き急がしているものとは何なのでしょうね。一つは自らの健康に自信を持てなくなった事が挙げられそうです。彼は福原で寝転がっている事が多いですからね。大病をして、死にかけた事があせりに繋がっている事は間違いないのでしょう。

もう一つは、白河院が言った、頂点を極めたその先にあるものを見てしまったという事なのでしょうか。そこにあるものは上り詰めた者にしか見る事が出来ない世界であり、誰にも理解できない事なのでしょう。清盛はその世界に取り憑かれてしまい、足下が見えなくなっているのかも知れません。

何にしても、その犠牲となった兔丸は哀れでした。彼は清盛の右腕であると共に、若い頃の志を残した良心の象徴でもあったのですからね。それが、平家の奢りの象徴とも言うべき禿に殺されたのは、平家の没落を予見させるものと言えます。

次回は法皇の側にあって平家を支えていた建春門院の死が描かれる様です。法皇との絆が断ち切られ、いよいよ平家の暴走が本格化するという予感がしますね。そして、厳島神社が舞台として描かれるようです。これも、この夏に訪れたばかりですから、私的には楽しみにしているところです。平家の栄華を語るには、相応しい場所ですよ。

2012年10月 6日 (土)

京都・洛西 彼岸花2012 ~天龍寺 9.29~

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中秋の嵯峨野巡りの締めくくりは、天龍寺を訪れました。ここでは、池の畔に咲く彼岸花が出迎えてくれました。

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彼岸花が咲いているのはこんな具合で、わずかではあるけれども、庭の良い彩りになっています。この花を背景にして、記念写真を撮る人も多かったですね。

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もう一カ所、同じ池の畔で咲いていました。錦鯉と彼岸花のコラボレーションを見る事が出来る場所は、そう多くないのではないかしらん。

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彼岸花はたぶんこの日がピークで、今頃は終わっているかと思われます。曹源池との取り合わせを見たいという人は、来年の楽しみに取っておいて下さい。

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彼岸花が無くても、秋の風情を感じる事が出来るのがこの庭の良いところです。庭園の入り口では、白い萩が出迎えてくれましたよ。

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池に流れ込む細流の畔では、コムラサキが綺麗に実っていました。この美しい実も今の季節ならではのものですね。

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百花苑では、芙蓉が花盛りを迎えていました。もう暫くすると、リンドウが咲き出す事でしょうね。そして、その次は紅葉が待っています。晩秋に向けて、楽しみが尽きない天龍寺です。

2012年10月 5日 (金)

京都・洛西 中秋2012 ~鳥居本 9.29~ 

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化野念仏寺を出て、鳥居本にまで来ました。ここは何時訪れても風情のある場所ですね。

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ここに来るまで道筋で彼岸花が咲いていないものかと思って探してみたのですが、一輪も咲いていませんでした。その代わりに見つけたのがこのススキで、まだ花は咲いていない状況でしたが、秋の風情は感じられるでしょう?

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まだ時間は昼下がりだったのですが、曇っていたのと日陰になっているせいなのでしょうか、つたやさんの行灯には灯が入っていました。秋の灯ともし頃という感じがして良いものですよね。

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ここもあとひと月半もすれば色付いて来る事でしょう。その頃にまた訪れる事を楽しみに、帰り道を急ぐ事に致します。

2012年10月 4日 (木)

京都・洛西 中秋2012 ~化野念仏寺 9.29~

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嵯峨野を巡っていると、特別保存地区を除けば、意外な程彼岸花は咲いていない事に気が付きます。一大名所の近くなのに、ちょっと意外な感じですよね。

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ここ化野念仏寺でも、境内の片隅でわずか2輪が咲いているだけでした。

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イメージとしては、この石仏群に彼岸花は良く似合いそうなのですけどね、実際には一輪も咲いていません。

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まあ、それは勝手な思い込みという事でしょう。その代わりという訳でもないのでしょうけど、路傍の石仏には綺麗な彼岸花がお供えされていました。きっと地元の人が手向けたのでしょうね。

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中秋を迎えた化野念仏寺では、もみじや桜がほんのりと色付いていました。弱った木や枝なのかも知れませんが、間もなく訪れる紅葉の季節を予感させてくれる色ではありますね。11月の末頃、またここに来たいものだと思っているところです。

2012年10月 3日 (水)

京都・洛西 彼岸花2012 ~祇王寺 9.29~

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平成24年9月29日の祇王寺です。この日は庭の片隅で、彼岸花が咲いていました。

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でも、根元の土が掘り返されていたので、余所から持ってきてここに植えたという感じでしたね。毎年咲いているはずなのですが、今年は上手く咲かなかったのかも知れません。

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この庭にもっと彼岸花が咲いて欲しいという気もします。でも、そうなると風情が変わってしまうので、片隅にある程度で良いのかなとも思ってしまいますね。

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紅葉と苔が主体のこの庭には基本的に花は少ないのですが、その分鉢植えでカバーされています。この日は手水鉢近くに置かれた萩が綺麗でしたよ。

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こちらは地植えの山茶花です。もうこの花が咲く季節になったんだな。遅い様でも、季節が着実に回っているという気にさせてくれる花ですね。

2012年10月 2日 (火)

京都・洛西 彼岸花2012 ~嵯峨野の稲田 9.29~

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たわわに稔った稲と彼岸花の取り合わせは、まさしく日本の原風景の一つですね。今日は嵯峨野で見つけたそんな風景を選んでお届けします。

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実際には、嵯峨野では稲の刈り入れが早く、彼岸花が咲く頃には黄金色に輝く田はそう多く見る事が出来ません。ですから、こういう景色は結構貴重だったりします。

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この日も刈り入れ作業は行われていたので、もう残っているところはごくわずかでしょうね。

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でも、この黄色と赤の取り合わせは、本当に綺麗です。ですから、嵯峨野を見渡して黄色の田を見つけると、とても嬉しくなるのですよ。

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嵯峨野でも彼岸花の咲いている場所には若干片よりが見られて、広沢池近くでは比較的少なく、中央部から西の大沢池近くにかけて多く見る事が出来ます。なので、稲と彼岸花の組み合わせを見る事が出来る場所は、より限定されて来るのですね。

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余計なお世話でしょうけど、これだけ彼岸花が咲いていては、刈り入れ作業が難しいのではと思ってしまいます。なにしろあぜ道が塞がれているのですからね。でも、大切な農作業のためには、そんな事は言ってられませんか。

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何にせよ、水田を守っている農家の人達のおかけでこの景色を見る事が出来るのですから、有り難い事だと思っています。この長閑な風景をいつまでも見る事が出来る様にと願うばかりです。

2012年10月 1日 (月)

京都・洛西 彼岸花2012 ~嵯峨野特別保存地区 9.29~

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広沢池の西に広がる「嵯峨野歴史的風土特別保存地区」は、234haの広さを持つ田園地帯です。ここでは田んぼの畦に添って咲き乱れる彼岸花を見る事が出来ます。

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この保存地区は本当に広々としていますからね、ここに来るだけで伸びやかな気分になる事が出来ます。この日(9月29日)は台風の余波があったのだけれど、昼頃までは青空が見えていたので爽快でしたよ。

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その北嵯峨一帯に渡って彼岸花が咲き誇っているのですから、それは見応えがあります。京都では大原と並ぶ一大名所となっています。

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彼岸花はその名の通り彼岸の時期に咲くとされていますが、実際には年によって時期が異なります。朝夕の冷え込みが無いと咲き出さないと言われ、残暑の厳しい年は遅くなる傾向にあります。

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今年は彼岸からほぼ一週間遅れて咲き揃いました。正確にはまだ咲いていないシュートも数多くあったので、この日で8分咲き程度だったのかな。

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場所によっては道ばたでも咲いているので、うっかりするとシュートを踏み付けそうになります。実際に潰れてしまっていたシュートもいくつかあったな。写真を撮る時には、足下に要注意ですね。

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彼岸花は縁起が悪いと言って嫌う人も多く居ますが、これだけ圧倒的な美しさを見せられればその気も変わるんじゃないかしらん。じめじめした印象とはまるで違う姿がそこにはありましたよ。

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ねこづらどき

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