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2012年9月

2012年9月30日 (日)

平清盛 第38回 「平家にあらずんば人にあらず」

(福原。兔丸に波よけの岬の施工を急ぐ様に命ずる清盛。今色々とやっているところだと兔丸。)

(内裏。平家の世を嘆く貴族たち。その内の一人を取り囲んだ禿たち。)

(捕らえてきた貴族に向かって、清盛に異を唱える事はこの国で生きる事を拒むのと同じ事と凄む時忠。命ばかりはと戦く貴族。貴族の家宝を奪ってきた禿たち。それをお前達で分けよと与える時忠。)

(禿を使って、平家に異を唱える者を容赦なく断罪する時忠。)

(いささかやり過ぎではないかと時忠を咎める時子。都の憂いを取り除けと清盛から命じられた事、自分は誇りを持っていると時忠。黙るしかない時子。)

(伊豆。月を見ながら、先日の頼朝を思い出している政子。もう寝ろと咎める時政。佐殿とは何者かと問う政子。知る必要は無いと時政。しかし、諦めない政子。根負けして、頼朝の素性を語る時政。清盛を恐れた祐親が千鶴丸を殺したと聞き、それほど清盛とは恐ろしい人なのかと問う政子。平家の繁栄振りを語り、自分たちも平家の家人と同然、逆らえば厳しく罰せられると時政。頼朝には近付くなと釘を刺され、一体清盛とはどんな化け物だと考え込む政子。)

(福原。船に石をのせて沈め、人工の岬を作るという方法を見つけ出した兔丸。面白いと清盛。何故岬を作るのかと子兎丸。これで宋の国の船が大和田泊に入れるのだと兔丸。宋とは母の国の事かと子兎丸。お前の父は凄いなと郎党。はい、と喜ぶ子兎丸。次は宋の高官を招くつもりだ、それまでに完成させよと清盛。そこに時子が病だという知らせが入ります。)

(時子の館。慌てて駆けつけた清盛。意外と元気そうな時子。安堵した清盛。嬉しそうな時子。)

(夕方。元気を取り戻した時子に福原に来てはどうだと誘う清盛。反対に京に戻って欲しいと願う時子。その理由は息子達にありました。体調を崩して権大納言を辞任した重盛。権中納言となったものの、まだ若く頼りない宗盛。皆で一門を支えれば良いと清盛。時忠のしている事も一門のためかと時子。あれこれと気を揉ませて済まないと清盛。しかし、今は堪えて欲しい、何かを成し遂げる為には憎まれる事も厭わぬ覚悟が要ると清盛。かつて信西入道はと言いかける時子。そのとおり、信西は自分の信ずる国造りに邁進し、憎まれて討たれた、しかし、自分たちは比類無き財力と武力を持つ武門だ、誰にも邪魔はさせないと清盛。清盛の目指す国造りは、行き着く先はどんな形をしているのかと問う時子。それには答えず、徳子はどうしていると問う清盛。)

(六波羅。一門を前に琵琶を弾く徳子。これならどんな公達の妻になれると清盛。心当たりがと問う時子。まだ少し若いが、この正月に元服を済ませていると清盛。それを聞いて誰の事か気付く重盛達。帝と耳打ちされ、驚く宗盛。)

(内裏で笛を吹く高倉帝。)

(六波羅。あまりに大それた事ではと重盛。自分の目指す国造りには欠かせぬ事と清盛。帝の父はあの後白河法皇、一筋縄では行かないと教盛たち。帝の母は我が妹、建春門院だと時忠。)

(院の御所。建春門院に会っている清盛。良き縁ではあるがたやすくは行かないと女院。あのお方はどうしておられると清盛。近頃は妙なものに凝っていると女院。)

(大きい物を食べた方が勝ちだという遊びに熱中している法皇。誰が挑んでも法皇には勝てないと聞き、何と答えているのかと問う清盛。それは会っての楽しみだと女院。得心が行かない清盛。徳子の事は直接法皇に言えばよい、自分も出来るだけの力添えをすると女院。)

(法皇に拝謁し、宋から取り寄せた羊と麝香を献上する清盛。麝香を楽しみつつ、回りくどい事はよい、何の悪巧みだと法皇。娘の徳子が17になった、帝のお役に立てればと切り出す清盛。何とあからさまなと顔を顰める成親と西光。)

(高笑いし、そんな事よりもより大きい物を食べた方が勝ちという遊びを持ち掛ける法皇。俄には妙案が浮かばない、次に会う時まで考えさせて欲しい、まずは忠義の証しとして羊たちを納めて頂きたいと清盛。苦笑する法皇。)

(夕方。庭を見つめて考え込んでいる法皇。そこに現れ、徳子が帝の下に来れば平家との結びつきがより強固なものとなり、山門との争いにも有利になる、その一方で、清盛が帝の舅となりより力を付ければそれもやっかい、と法皇の心の内を当ててみせる建春門院。どこまでもぞくぞくさせてくれる奴だと笑みを浮かべる法皇。)

(内裏。これ以上清盛に力を付けられては堪らないと嘆く基房たち。一番困ると考えているのは法皇のはずと成親。では入内は無いと考えて良いのかと基房。一番のお気に入りの女院は平家の女性、それは判らないと成親。どちらに転んでも自分は安泰と考えているだろうと成親を詰る経宗。涼しい顔の成親。)

(以仁王の館。清盛とは底の知れない人物だと恐れる八条院。もし、平家の血を引く皇子でも生まれたら、嫡流たる自分の立場は無くなると以仁王。そんな事はさせないと八条院。その時、家人の一人が倒れます。)

(承安元年(1171年)10月。都を疫病が襲います。宋から取り寄せた薬を病人に配って歩く兔丸たち。)

(福原。法皇から羊を返したいという申し入れがあると伝える盛国。その訳は、今度の疫病が羊の病であるという噂があるからでした。)

(八条院の館。二度と入内など企めない様に、もっと噂を流せと家人に命ずる八条院。)

(院の御所。今度の噂は、清盛が娘の入内を申し入れた事に対する宮中の不満の表れと見、入内は見送るべきと具申する西光。それでは公卿方の思う壺と成親。入内は平家の思う壺と西光。)

(福原。法皇は羊の一件を理由に入内を拒否されるかもしれないと盛国。時忠に、良からぬ噂を流す者を見つけ出せと命ずる清盛。そして、法皇と建春門院を福原に招く手筈を整えよと清盛。)

(福原。法皇と女院を館に招いた清盛。部屋の真ん中に置かれた鉢に目を止める法皇。これは古い船に石をのせて沈め、岬造りの礎とするのだと説明する盛国。そんな事が出来るのかと西光。清盛は亡き信西入道の志を1日たりとも忘れた事はないと盛国。福原は良い所だと気に入った様子の女院。それならば、この福原を法皇の御料にと清盛。何と言ったと問い返す法皇。この地を近辺の荘園三カ所共々献上すると清盛。そこまでして入内を実現させた先に何を企んでいる、どんな野心があるのだと法皇。それこそが私の食べたものだと清盛。この海のごとく果てしない、自分の心の内より湧き出てくる野心、これより大きな物がこの世にあるとは思えないと清盛。そういうそなたを自分は食う、それが私の答えだと法皇。どんなに大きな物を食べた者でも、そいつを食えば自分の勝ちだと法皇。微笑する清盛。私はお前の野心など全て食い尽くせる者だと法皇。どうぞお召し上がり下さい、すぐにあなたのお腹を破って出て来ますと清盛。清盛を見据えつつ、徳子の入内を進めるが良いと女院に命ずる法皇。承知する女院。頭を下げる清盛。)

(時子の館。徳子に向かって、間もなく帝の后となる、しかし、その前に平家の娘である事を忘れてはならないと訓戒を与える時子。承知しています、平家に生まれたからには女であってももののふ、見事に役目を果たして見せますと徳子。)

(徳子の衣装を眺め、これが次の戦支度の様に見えると時子。)

(承安元年12月14日、徳子入内。)

(六波羅。一門を前に、徳子が入内し、重盛も大納言に復した、今こそ一門が栄華を極める時、盛大に祝おうぞと宴の音頭を取る時子。)

(内裏。徳子の手を取る高倉帝。)

(六波羅。宴を楽しむ平家の一門。)

(福原。月明かりの中、一人で鉢の中に石を沈めている清盛。)

(院の御所。徳子の入内を言祝ぐ八条院。そして、王家に武士の血が交わる日が来ようとはと嫌味を言って立ち去ります。高笑いし、元よりあやつに流れるのは白河院の血、現に生きるもののけの血だと法皇。)

(八条院の館。手ぬるかった様だ、ある事無い事、もっと噂を流せと家人に命ずる八条院。命を受けて立ち去ろうとし、悲鳴を上げる家人。悲鳴の方を見て、禿の集団が立っているのに気付いて驚く八条院。)

(禿を使って貴族を脅している時忠。そこに現れ、少しやりすぎではないのか、禿も元を質せば身寄りのない子供たち、それをこんな事に使って良いと思っているのかと詰る兔丸。これは海賊の棟梁だった人の言葉とは思えないと時忠。海賊だったから言っているのだと兔丸。放っておけば賊になるしかなかった者達に、こうして食い扶持を与えてやっているのだ、これもまた貧しい者を救う立派な政だと時忠。時忠を掴む兔丸。その時聞こえて来る貴族の悲鳴。平家にあらずんば人にあらずと兔丸に告げる時忠。呆然と時忠を見る兔丸。平家にあらずんば人にあらずと繰り返す時忠。)

(福原。ひたすら鉢に石を沈め続ける清盛。)

(鞍馬寺。暗闇の中、読経する遮那王。その遮那王に、今から都に行き、明日の法会で笛を吹いて来て欲しいと頼む僧都。かしこまる紗那王。今宵は風が強いから気をつける様にと僧都。)

(五条大橋。赤い被衣を被って橋を渡ろうとする遮那王。その前に立ちふさがる、高下駄を履き長刀を手にした弁慶。)

今回は、徳子の入内を核に、奢り始めた平家の姿が描かれました。前回は清盛自身はまともかと思ったのですが、どうやら清盛その人も奢り始めていた様ですね。

史実においては、そこまで平家の世になっていたのかと言うとそうでもなく、確かに突出した勢力は持っていましたが、あくまで主導権は法皇と朝廷の側にあり、平家は朝廷に従属した存在でした。とてもまだ武士の世を招来したと言える段階では無かったのですね。

徳子の入内にしても見方は様々であり、清盛が帝の外戚となる事を願ったと言うより、法皇の側が平家との結びつきをより強固にしたかったとする説も有力とされます。その一方で、ドラマにあった様に、清盛が天皇家と縁続きになる事により、政治的な影響力を増大させようとしたという見方もやはり有力ですね。滋子の台詞に会った様に、その両面があったと見るのが正しいのかも知れません。なお、この入内に際して滋子の影響力が大きかった事はドラマに描かれた以上だったと思われ、清盛自身はあまり表だった動きはしていない様です。

今回の副題でもある「平家にあらずんば人にあらず」とは、平家物語にある記述で、時忠が言い放ったとされています。正しくは「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」で、奢る平家の象徴の様な台詞ですが、実際に言ったかどうかは微妙な所の様ですね。もしこんな事を口走っていたとしたら、史実の清盛は時忠を叱責していたのではないかしらん。そこまで人の心が判らない清盛ではなかったはずですからね。創作であった可能性はかなり高いと思われます。

清盛が法皇に羊と麝香を献上したのは史実にあるとおりで、その時流行病が都を襲い、宮中に羊が居るせいだと噂され、羊の病と称された事も史実に添っていますね。ただ、それを八条院が流した噂だというのは創作です。また、大きい物を食べた方が勝ちという法皇の遊びも創作でしょうね。

ドラマに戻って、禿に代表される平家一門の奢りは、何も時忠の思い上がりだけでなく、清盛自身の思惑から出ている事が明かとなりました。ただし、そこには温度差が見られ、清盛は新しい国造りのための必要悪と考えているのに対して、時忠は平家一門の繁栄のためと捉えていると思われます。平家にあらずんば人にあらずと時忠が繰り返したのは、その現れなのでしょうね。清盛もそれには気付いているだけれども、邪魔者を排するという目的が同じである事で、あえてそれを容認しているのでした。そして、それを裏付けているのが、平家という武門に対する自信だったのですね。法皇にお前を食ってやると言われ、それなら腹を食い破って出て来てやると言い返したのは象徴的ですらありました。清盛の持つ強烈な自負がそこには現れていたと思います。

しかし、清盛が急ぎすぎている事は明かで、時子や兔丸といった身近な人達も、清盛の真の思いには至る事は出来ずに居ます。増して東国の武士達には、清盛の目指す国造りなど判るはずもなく、ひたすら恐ろしい相手とのみ映っていたのでした。そして、やがて平家を倒すに至る勢力は、その中で着実に育ちつつあったのですね。

次回は義経と弁慶の出逢いの場面が描かれる様です。「義経」では桜が豪華に舞う印象的な場面だったのですが、今回はどんな演出をしてくれるのかと楽しみにしているところです。そして、兔丸に悲劇が訪れる様ですね。生き急ぐ清盛の行く手に暗雲が漂い始める回になりそうな予感です。

2012年9月29日 (土)

京都・洛西 彼岸花2012 ~嵯峨野 9.29 速報~

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今日は彼岸花を求めて嵯峨野周辺を巡って来ました。やはり今年は一週間程度遅れており、今が丁度見頃となっていましたよ。

1.嵯峨野特別保存地区

ここは見渡す限り彼岸花が咲き乱れるという名所ですが、今日は期待に背くことなく、素晴らしい景観が広がっていました。全体として8分咲き程度かな。まだ咲き切っていないシュートも数多くあって、今暫くは見頃が続くと思われます。

2.大覚寺

山門前の植え込みを見ただけですが、ここも綺麗に咲いていました。嵯峨野を見た後だったので物足りなく感じましたが、ここに先に来ていればなかなかのものと思ったはずです。

3.祇王寺

庭の片隅に一株が植えられています。苔の緑に良く映えて綺麗でしたよ。あと、鉢植えの彼岸花も一株咲いていました。

4.天龍寺

曹源池の畔で2カ所咲いていました。池に良く似合っていましたよ。どちらも咲き切っていたので、今日あたりがピークかも知れません。

5.その他

化野念仏寺の境内の片隅で2本だけが咲いていました。むしろ、道ばたの石仏に備えられていた切り花の方が綺麗だったりします。あと、期待していた落柿舎の前は全く咲いていませんでした。ここは、今年は水稲栽培がされなかったのですね。雑草が生い茂っているだけで、風情が台無しになっています。なぜ?

2012年9月28日 (金)

京都・洛中 彼岸花2012 ~平野神社 9.23~

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平成24年9月23日の平野神社です。この日は桜苑で彼岸花が咲いていました。

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ここは桜苑一帯で彼岸花が咲き、町中にしては結構な数を見る事が出来る場所です。白い彼岸花が咲く事も特色の一つで、他にもピンク系の花を見る事が出来ますよ。

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この日は朝の内に雨が降っており、雨に濡れた彼岸花というのも風情があって良いものでした。花が艶やかで、色が一段と濃くなる様な気がしますね。

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ただ、この日はまだ咲き揃っておらず、わずかの数が咲いているだけでした。今頃はどうだろう、本来の数が咲き誇っているのかな。

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ここは柵があるので、あまり自由に花に近付く事は出来ません。でも、中には通路近くで咲いてくれる花もあるので、写真を撮るには助かりますね。

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難点はかなりの部分が雑草に覆われている事で、こんな具合に彼岸花が埋もれてしまって良く見えないのですよ。あらかじめ、桜の下草を刈っておいてくれると良いのだけどな。せっかくの花なのに、少しもったいないですね。

2012年9月27日 (木)

京都・洛中 彼岸花2012 ~妙蓮寺 9.23~

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平成24年9月23日の妙蓮寺です。この日は彼岸花が見頃を迎えていました。

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ここで初めて彼岸花を見たのは3年前の事で、たぶんその年に植えられたものと思われます。あれから3年が経って、随分と彼岸花も増えたし、咲き方も自然になりました。最初は本当に「植えました」という感じでしたからね。

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主に咲いているのは本堂南側の芙蓉の生け垣の下で、およそ30m程の長さがあるだけなのですけどね、これだけ密集して咲いていればそれなりに見事です。

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ただ、同時期に植えられた他の部分、例えば鐘楼の北側などではほとんど咲いていませんでした。これって、定着しなかったのか、それともただ遅れているたけなのか、どちらなのでしょう。その代わりという訳でもないのでしょうけど、山門前でも彼岸花は見る事が出来る様になっています。きっと、追加で植えられたのでしょうね。

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彼岸花と共に、芙蓉もまた見頃を迎えていました。たぶん、今が一番の盛りなんじゃないかな。彼岸花はそろそろピークを過ぎている頃でしょうけど、芙蓉を見に行くなら今週末あたりは丁度良いタイミングだと思われますよ。

2012年9月26日 (水)

京都・洛北 建礼門院徳子最期の地 寂光院 ~平清盛~

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大原に行けば必ずと言って良い程寄るのが寂光院です。聖徳太子が開いたと伝わる古刹ですね。

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今年の大河ドラマ、平清盛との関係で言えば、清盛の娘であり、安徳天皇の母である建礼門院徳子がその晩年を過ごした寺としても知られます。

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建礼門院は、平家滅亡の折、一門と共に壇ノ浦に身を投げたのですが、源氏方の武者によって助けられ、命を永らえました。その後京に連れて帰られて吉田の地に住まわれたのですが、やがて長楽寺にて出家し、この寺へと入られたのでした。

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壇ノ浦には今年の夏に訪れたばかりなのですが、あの急流に飛び込むのには相当な覚悟を要した事でしょう。そして心ならずも助け上げられ、一門がことごとく滅んでしまった中、ただ一人生き残った胸中は如何ばかりの事だったかと偲ばれます。

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池水に みぎはの櫻 散りしきて 浪の花こそ 盛なりけれ

後白河法皇が傷心の女院を尋ねて大原を訪れた時に詠んだと言われる歌ですが、その歌に詠まれた池が今も残る心字池と伝わります。その池に、秋海棠が美しい姿を写していました。季節と花は歌と異なりますが、女院の寂しい心を癒すには、相応しい花だという気がしています。

2012年9月25日 (火)

京都・洛北 コスモス2012 ~大原 9.22~

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大原の野を歩くと、そこかしこで出会う花がコスモスです。中でも三千院と寂光院を結ぶ道筋で、この花を多く見る事が出来ます。

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本当に山里の風情にはぴったりと来る花ですね。自然に生えている訳ではなく、きっと里人が植えて世話をしているのでしょう。

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まだ刈り入れの終わっていない田もいくつかあり、実った稲とのコラボレーションも綺麗でしたよ。この時期の大原を歩くのはとても素敵ですね。

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コスモスの花びらは薄く、日を透かした色も綺麗です。花の裏から見た姿も悪くないですよね。

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場所によっては花畑の様になっているところもあります。沢山の花が風に揺れる様は華やかでもあり、儚げでもありますね。

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山里には赤とんぼが沢山舞っていました。彼岸花こそあまり咲いていませんでしたが、秋の風情満載の大原の野でしたよ。

2012年9月24日 (月)

京都・洛北 彼岸花2012 ~大原 9.22~

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平成24年9月22日の大原です。ここは京都における彼岸花の一大名所の一つで、見渡す限りの花を楽しむ事が出来る場所なのですが、残念ながらこの日はまだ数輪が咲いているだけの状況でした。

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彼岸花はその名のとおり秋の彼岸の頃に咲く事が多いのですが、やはり年によって前後があります。今年はやや遅れ気味に咲き始めたのですね。

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それでもまだ数輪だけでも見る事が出来ただけでも良かったと言えるかも知れません。一輪も咲いてなかったら悲惨だったものなあ。

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群落が咲く辺りには、シュートが沢山出ていたので、そろそろ咲き揃い始めている頃かも知れません。出来れば今週末にもう一度行ってみたいところではあります。

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一本だけ咲く彼岸花と秋空を合わせてみました。大原にしては物足りない景色だけれど、秋らしさは出せたかなと思っています。明日は山里に咲くコスモスをお届けしますね。

2012年9月23日 (日)

平清盛 第37回 「殿下乗合事件」

(伊豆、時政の館。弓の手入れをしている政子。その政子から弓を取り上げ、膳の支度をしろと命ずる時政。いやいや従う政子。)

(そこに現れた頼朝。藤九郎が無理矢理連れ出したのでした。丁度現れた客人に、自分の縁者だと紹介する時政。頼朝を盗み見る政子。早速清盛のうわさ話を始める客人達。)

(福原。宋の商人、周新と会っている清盛。清盛の用件は、今後の取引を大輪田泊で行いたいという事でした。そのためにしかるべき人に会わせて欲しいと頼む清盛。そう簡単には行かないと困った様子の周新。では他の商人に頼むばかりだと切り札を出す清盛。そればかりはと泣き付く周新。)

(夜。宋の朝廷に贈るべき品を相談する清盛達。それは金だと兔丸。金と言えば奥州と清盛。奥州を治める藤原秀衛の繁栄振りを語る盛国。秀衡の官職が出羽と陸奥の横領使と聞き、重盛を呼べと命ずる清盛。)

(内裏。朝議にて、秀衛を鎮守府将軍に任じてはどうかと諮る重盛。何とと驚く兼実。蝦夷地との交易で栄えている秀衡を朝廷の威に服させ、産物を都に届けさせるのだと重盛。秀衡は夷、要職に就けるなど乱世の元と兼実。あさらしの皮や鳥の羽が手に入らなくなっても構わないのかと重盛。それは困ると経宗。平家の棟梁からの俄の献策、真の狙いは何なのかと基房。平家か否かとは関わり無い事と教盛。朝廷とは国を豊にする策を議する場のはずと宗盛。そうであろう、進めるが良いと経宗。うなずく重盛。苦虫を噛みつぶした様な基房。)

(嘉応2年(1170年)5月25日、従五位下 鎮守府将軍に任じられた秀衡。)

(平泉。誰の推挙かと訝る秀衡。)

(福原。朝廷を動かし、奥州の物産を手に入れた清盛。その中から宋の朝廷への貢ぎ物を選び出します。勇んで次の準備に取りかかる兔丸。如何にして宋の使者を招き入れるかと算段を始める清盛。国と国の取引でなければ駄目だろうと盛国。法皇にお出まし願う他はないかと清盛。しかし、それは異例中の異例と盛国。そこに現れ、それはたやすい事、自分に任せて欲しいと時忠。)

(院の御所。法皇に拝謁する時忠。強訴の件で未だに刺々しい西光。時忠が首から下げている鳥の羽に目を付けた法皇。これは宋から取り寄せた鳥の羽だと時忠。そんな赤い鳥が居るものかと法皇。いや、居りますると言って、赤い鳥の羽を身につけた少年達を呼び入れる時忠。舞を舞う少年達。たまらず縁に飛び出し、これは何という鳥かと問う法皇。わざと失念したと言い、近く宋人たちを福原に招く、直々に話してみてはどうかと持ち掛ける時忠。面白い、会ってみたいと法皇。異例の事と止める成親。だからこそ、自分がその魁となると法皇。朝廷が黙っていないと成親。だからこそ行くと法皇。その前に清盛の企みごと西光。だから面白いのだと法皇。早速手配をと時忠。)

(福原。時忠の手並みに感心する清盛。早速周新に伝えよと盛国に命じます。)

(基房の館。成り上がり者の企みなど叩きつぶしてやると基房。)

(重盛の館。弓の稽古をしている維盛と資盛。稽古が足りないと苦言を言う忠清。舞や糸竹の稽古をしている方が良いと二人の息子。そこに現れ、内裏大番役という大事な役目を負っている以上、鍛錬を怠るなと訓戒を与える重盛。)

(夜。書見をしている重盛。そこに現れ、何を読んででいるのかと問う経子。西光に借りた本朝世紀だ、この本を読めばこの国の歴史が良く判る、父の留守を守る為には身につけなければならない事が山程あると重盛。その言葉を聞き、自分も書物を手に取る経子。付き合う事はないと重盛。殿が何を考え、何をしているのかを知りたいのだと経子。)

(六波羅の館。郎党達が首から下げている鳥の羽に気付いた重盛。時忠が自分の郎党たちに付けさせているのだと貞能。)

(7月3日。鷹狩りからの帰りを急ぐ、輿に乗った資盛の一行。橋に差し掛かった時に、前から別の輿がやって来ます。行く手を塞がれて立ち止まる資盛の一行。摂政様の輿だ、輿を降りよと基房の家人。何事かと問う基房。摂政の輿と知って、輿を降りようとしないのだと家人。)

(摂政様の輿だから降りよとのおおせと、資盛に伝える郎党。構わぬ、進めと命ずる資盛。されど、ととまどう郎党。自分は相国入道清盛の孫だ、早く進めと資盛。それを聞き、許すまじとつぶやく基房。)

(資盛の輿に近付き、無理矢理資盛を引きずり出す基房の家人達。何をする、私は平家のと叫ぶ資盛。輿の中で嬉しそうに鼻歌を歌っている基房。)

(基房の館。大慌てで、駆けつけた兼実。何という事を、知らなかったとは言え、清盛の孫の輿をと言いかける兼実を遮り、平家の輿だと知っての事だと基房。唖然とする兼実。分際を弁えず、国造りに口を出せばどうなるか思い知らせてやったのだと基房。仕返しをしてきたらどうするつもりかと兼実。重盛は筋を通そうとする、きっと何も言えないと基房。)

(重盛の館。傷だらけの資盛を介抱している経子と時子。これはあまりの仕打ち、資盛のために訴え出て欲しいと維盛。それを無視し、資盛に向かって摂政様の輿が通る時には、輿を降りて礼をしなければならないとおしえてあるはずと問い質す重盛。資盛は、獲物を早く自分たちに見せようとしていたのだと庇う経子。そんな事は聞いていないと重盛。そして、資盛に向かって、今度の事は礼を欠いたお前の落ち度だと決めつける重盛。)

(これは資盛だけの事ではない、平家と摂関家との間の一大事、憶する事なく平家の棟梁として正々堂々と訴え出れば良いのだと時子。そこに摂政の使いが現れ、資盛を襲った供奉たちの職を解くと伝えてきます。そんな筋の事ではないと伝えよと重盛。)

(清盛不在の京での辱めを黙っているつもりかと時子。既に5人もの公卿を出した一門として、いかなる時も有職故実に則って動かなければならないのだと重盛。)

(福原。如何にも重盛らしい裁断だと清盛。まことに公明正大と盛国。しかし、いささか正しすぎる、それは間違っているのも同じ事と時忠。それには答えず、9月20日の法皇はと問い質す清盛。京で競馬があるが、それが終われば福原に駆けつける手筈と時忠。宋の使者を迎える支度を急げと盛国に命ずる清盛。)

(9月20日。福原にて宋人に対する法皇の謁見を実現させた清盛。宋への贈り物への返礼として孔雀の羽で作った扇を差し出した宋の使者。上機嫌で扇を使う法皇。交易による国造りという目的に向けて大きな一歩を記した清盛。)

(内裏。法皇が宋人に会ったと聞き、恐れおののく殿上人たち。延喜以来未曾有の事、まさしく天魔の仕業と兼実。平家は何をするつもりか、この国はこの先どうなってしまうのかと騒ぐ人々。そこに現れ、騒ぐでないと鎮める基房。また輿でも襲ってやるが良い、どうせ重盛は何も言えない、清盛が京を離れて勝手な国造りに現を抜かしている内に、平家の土台をたたき壊してやると高笑いする基房。)

(福原。法皇の謁見について都で騒ぎになっていると盛国。基房がこれ以上の勝手はさせないと息巻いていると時忠。交易による国造りなど、殿上人には理解の外の事と盛国。この先、誰が邪魔立てしてくるかも判らないと時忠。これから国造りに本腰を入れなければならない、都に憂いを残したくない、都で自分の勤めを果たしてくれと時忠に告げる清盛。)

(重盛の館。このまま仕返しをしないつもりなのかと知盛。摂政はその後隋身ら七人の任を解いたと聞く、相手が筋を通していると言うのに、これ以上何をすると言うのかと重盛。兄上は子供が辱められたと言うのに怒らないのかと宗盛。棟梁たる者は、私心によって物事を決める訳にはいかないと言って立ち去る重盛。)

(廊下。資盛の視線に気付いた重盛。黙って立ち去った資盛。じっと一点を見据える重盛。)

(庭を見ている時子。そこに琵琶の稽古をと現れた徳子。)

(10月21日。橋を渡る基房の輿。上機嫌で歌を歌っている基房。)

(重盛の館。徳子に琵琶を教えている時子。)

(通りを行く基房の一行。そこを襲った覆面した何者かたち。驚く基房たち。基房の随身たちを打ち据える覆面の者たち。恐れおののく基房。随身たちの髻を切る狼藉者達。お許しをと叫ぶ基房。基房の輿の御簾に手を掛ける狼藉者たち。)

(内裏。出仕してきた重盛に、ぴりぴりしている様子の公卿達。朝議の場に入ると、兼実、経宗たちが重盛を見て震え上がります。申し訳ござらぬとうわごとの様に繰り返す基房。何事ですかと驚く重盛。重盛を見て、そなたではないのかと兼実。いぶかる重盛。)

(狼藉の現場。壊れた輿を見る重盛。その側に舞い落ちた赤い羽。)

(福原。赤い羽を付けた時忠が清盛と双六をしています。双六に勝ち、上機嫌で唐果物を食べる清盛。)

(重盛の館。帰館した重盛を出迎えた宗盛たち。お見それしたと宗盛。三月沈黙した後の果断な処置に、摂政も恐れをなした事でしょうと知盛。微笑む重盛。父に向かって礼を言う資盛。微笑む重盛。良かったと維盛たち。笑みが消えた重盛。)

(一人で琵琶を弾く時子。)

(夜。写経をしている重盛。その手が震え、やがて筆を折り、紙を破り捨て、乱心した様に叫び出す重盛。その声に驚き、重盛を宥める経子。私が間違っていたというのかと膝から崩れ落ちる重盛。いいえと抱きしめる経子。私は父上にはなれぬ、と涙する重盛。)

(赤い羽の装束を着て、歌いながら町を歩く少年達。)

(伊豆。近頃では赤い羽を着た少年達を町に放ち、平家を悪し様に言う者達を捕らえている、禿というそうだとうわさ話をする義明。今や都は平家の天下と常澄。武士の世になったというのなら、自分たちの暮らしが楽になる様に院を諌めて欲しいと秀義。思うに平治の戦が過ちであった、義朝があまりに浅慮に過ぎたと常澄。それをじっと聞いている頼朝。さりげなく話を止めようとする時政。それに構わず、それを見抜いた頼政は、今や平家の郎党と続ける常澄。)

(気を利かして、頼朝に帰りましょうと勧める藤九郎。何も気付かずに滅び行く源氏の棟梁などに従うのではなかったと叫ぶ秀義。それを遮る時政。突然、源氏は滅びぬとつぶやいた頼朝。驚いて頼朝を見る一同と政子。我が身が滅びても、源氏の魂は断じて滅びないと言い切り、涙する頼朝。じっとそれを見ている政子。)

今回は、殿下乗合事件が描かれました。この事件については、「義経」の時にあらましを書いた事があるのですが、大きく分けて二つの説があります。

一つは平家物語にある様に、無礼を働いたのは資盛の方で、筋を通した重盛に対して復讐したのは清盛とする説、もう一つは玉葉などに記されている様に、無体な辱めを受けたのは資盛の方で、これに激怒した重盛が仕返しをしたとする説ですね。史実としては、おそらくは重盛の仕業と思われますが、ドラマではそのどちらでもなく、時忠が独断で行った様に描かれていました。これは明かな創作で、清盛はそんな細かい事には口出しをしない大人物、重盛も筋を通す人として傷付けたく無かったのでしょうけど、時忠が少し気の毒な様な気もします。

ドラマでは説明が無かったのですが、この10月21日という日は高倉天皇の元服定という儀式があった日で、報復を恐れて外出を控えていた基房も、この日は出掛けざるを得なかったのでした。この事件によって重要な儀式が延期された事になり、朝廷に対する影響にも深刻なものがありました。一説に依れば、重盛はこの事件によって朝廷内の立場を著しく悪くしたとも言い、この年の末に大納言を辞任しているのはその現れではないかとする見方もある様です。一方の基房については、事件後に太政大臣の座に就いており、おそらくは事件に対する慰撫の意味があったのではないかと考えられています。

それに先立つ、法皇が宋人に会った事、そして秀衡が鎮守府将軍に任じられた事は史実にあったとおりです。これはドラマにあった様に連携したものと考えられており、宋との貿易に金が必要だった清盛が朝廷を動かして秀衡を取り込み、法皇を動かして宋との交易を本格化させたものと言われます。これに対する朝廷の反応もドラマにあったとおりで、夷狄を重職に据えるのは乱世の元、宋人に王家の者が会うのは天魔の所行と、いずれも兼実の日記「玉葉」に記されています。清盛の国造りは、当時の朝廷にとっては、とうてい受け入れる事が出来ないものであった事が窺える記述ですね。

禿については、平家物語に記されている事ですが、事実であったかどうかは見方が分かれる様です。平安時代に子供が検非違使に使われたという事実はあるらしく、手先の様になっていた可能性は否定出来ない様ですね。ただ、平家がそれを大々的に行ったかどうかは定かではなく、平家物語による拡大解釈があったのかも知れないとも言われています。つまり、禿の元になる様な子供は確かに居た、しかし、それは平家に限った事ではなく、ごく一般的な存在だったのではないかと考えられるのですね。

ドラマに戻って、時忠は汚れ役を上手く演じていると思います。赤い羽の使い方も見事ですね。後白河法皇をたぶらかす道具に使い、基房を襲ったのが時忠の仕業である事を示唆する事に使い、最後は禿の衣装にまで使ったのですからね。鮮やかな三段活用と言えましょうか。

重盛に関しては、気の毒としか言い様がありません。どう見ても筋を通しているのは重盛であり、周囲が間違っているのは明かなのですからね。その彼があれほど苦しまなければならないというのは、奢る平家がここから始まるというフラグが立ったという事なのでしょう。何も時忠一人が悪い訳ではなく、清盛と重盛以外の一門が、少しずつ感覚を狂わして行くという過程が描かれた回だった様に思います。

それに対する基房は、随分と軽薄に描かれていました。輿を襲ったくらいで平家の土台を叩きつぶすも何もあったものではないでしょうに、鬼の首を取ったのごとく意気軒昂なのですからね。この時代の公卿のやり口などは、この程度だという事なのかな。その一方で、随身を処分したのは自らの過ちを認めたという事を意味しており、何やら矛盾した演出でした。むしろ台詞の少ない兼実の方がリアルに描かれていますね。

それにしても、清盛の影がまた薄くなって来ています。前回の副題の様に巨人としての影は感じますが、主役としての存在感は薄れてしまっています。脇役が面白いのが平家の世界だとは思いますが、主役らしさが無くなってしまうのが、以前からあるこのドラマの弱点ではないのかな。

次回は「平家にあらずんば人にあらず」、とうとう時忠がこれを言ってしまうのですね。平家滅亡へのフラグがここで立ってしまうのかしらん。奢る平家はあまり見たく無かったけれど、ドラマとしてはどうしても避けようが無かったのかな。愚かな時忠をどう描くのか、注目して見たいと思っています。

京都・洛中 彼岸花2012 ~洛中 2.23 速報~

彼岸花を求めて少しだけ洛中を巡ってきました。今年は大原だけでなく、どこも咲き出しは遅いようですね。全体として、今週の半ば以降に見頃はずれて来そうです。

1.下鴨神社

全くと言って良い程咲いていません。確認出来たのは参道脇にあった数本のシュートのみです。例年より少ないのか、それともまだシュートすら出ていないのか、もう少し経ってみないと判らないですね。

2.相国寺

鐘楼前の植え込みで、何本かのシュートが出ていました。咲いている花はなく、出ているシュートも数が少ないですね。ここも例年並みに咲くのかは、もう少ししてみないと判りません。

3.妙蓮寺

ここは本堂前の芙蓉の生け垣の下で、見事に咲き揃っていました。ただ、それ以外の場所、例えば鐘楼の北側などではほとんど咲いていません。また、たぶん今年球根を植えたのかな、山門前の植え込みで何本かのシュートが出ていました。

4.平野神社

数は少ないながら、赤と白の彼岸花が咲いています。ここもまだシュートすら出ていない株が多いんじゃないかしらん。ただ、ソメイヨシノの林の下は雑草に覆われているので確かめ様が無かったです。

2012年9月22日 (土)

京都・洛中 彼岸花2012 ~平野神社 9.14~

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平成24年9月14日の平野神社です。この日は早咲きの彼岸花が咲き始めていました。

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平野神社もまた、町中で彼岸花を見る事が出来る隠れた名所なのですが、彼岸よりも一週間以上早く咲いているとは思っていませんでした。

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真如堂の様に、性質の違う彼岸花が混じっているのかも知れませんね。思わぬ出逢いには、ちょっと嬉しかったです。

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今頃は桜苑を中心に綺麗に咲き揃っている頃でしょうね。ただ、雑草が多いのだけが難点かな。せっかくの花が草に埋もれてしまうのは、少し勿体ない気がしています。

京都・洛北 彼岸花2012 ~大原 9.22 速報~

彼岸花を求めて大原に行ってきました。野原一面に咲き乱れる彼岸花を期待していたのですが、残念ながら今日はまだ早すぎた様で、ちらほらと咲いている程度でした。シュートはあちこちで伸びていたので、来週の半ばから週末にかけてが見頃になるのではないでしょうか。

その代わりコスモスは満開で、秋の空によく似合っていましたよ。そして、秋海棠も見頃になっていました。彼岸花こそ外しましたが、秋の風情を濃厚に感じる事が出来た大原でした。

なお、出町柳にある常林寺にも寄ってきましたが、こちらの萩は盛りを過ぎていました。先週はまだ満開になっていなかったのでそろそろかと思っていたのですが、何度か降った雨のせいで散ってしまったのかな。まあ、見られないという程度ではないので、寄ってみる価値はあるとは思いますけどね、過度の期待は禁物です。あと、彼岸花もまだシュートが伸びているだけでした。

2012年9月21日 (金)

京都・洛中 百日紅2012 ~本隆寺 9.14~

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平成24年9月14日の本隆寺です。この日は本堂前の百日紅が見頃を迎えていました。

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ここには9月1日にも訪れているのですが、その時は未だ満開には至っていない様子でした。この木にしては物足りないと感じたのですが、あれから2週間が経ち、やっと綺麗に咲き揃った様です。

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このボリューム感がこの木本来の姿ですね。今年は疲れて花数が少ないのかなと思っていたのですが、そんな事は無かった様です。

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まだ下枝の方にはつぼみが沢山残っていたので、もう暫くは見頃が続くのかも知れません。

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一度で諦めず、二度目に見に行って良かったな。西陣の町中で、これだけの花を見る事が出来るのは凄い事だと思いますね。

2012年9月20日 (木)

京都・洛中 芙蓉2012 ~妙蓮寺 9.14~

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妙蓮寺の芙蓉が見頃を迎え始めました。まだ最盛期には少し早いのですが、だんだんと咲き揃ってきたという感じです。

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7月の末には赤い芙蓉が咲いていましたが、いかにも芙蓉らしい薄いピンクの花は、清楚な感じがして良いものですね。

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これはたぶん八重の酔芙蓉かな。ここには色々な種類の芙蓉があるので、それを見るのも楽しみの一つですね。

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妙蓮寺では本堂の修復が行われていますが、それもほぼ終わりに近付いた様で、綺麗になった御堂が姿を見せています。思っていたよりも早い進行なのですが、まだ境内は工事中であり、自由に歩けないのが残念ですね。

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芙蓉の下では早くも彼岸花が咲き始めていました。シュートも沢山出ていたので、そろそろ見頃に近付いている頃かも知れません。出来れば今週末にでも行ってみたいと思っているところです。

2012年9月19日 (水)

京都・洛西 京の夏の旅2012 ~木島櫻谷旧宅~

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今年の京の夏の旅、2カ所目は木島櫻谷(このしまおうこく)旧宅に行って来ました。場所は少し分かり難い所にあり、北野白梅町の北西に当たります。洛星高校の向かいと言った方が判りやすいかな。

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木島櫻谷は明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家の一人です。京都の人で、三条室町の商家の次男として生まれました。16歳の時に京都画壇の大家であった今尾景年に弟子入りし、以後、四条・円山派の流れを汲む日本画家として頭角を現します。

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若くして数々の展覧会に入選して注目を集め、やがて竹内栖楓と人気を二分する程の大家となりました。その画風は写実的で、今回の公開で展示されているライオンの絵などを観ると、もの凄い迫力すら感じますね。

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しかし、その一方で批判も多くあり、特に代表作とされる「寒月」については、夏目漱石から酷評を受けた事が知られています。六曲一双ので、寒月が照らす竹林の中を狐が歩くという構図なのですが、講評を求められた漱石は「月は寒いでしょうと言っている。竹は夜でしょうと言っている。ところが動物はいえ昼間ですと答えている。」と言い、「写真屋の背景にした方が良い」と断じたのでした。私から見れば凜とした雰囲気のある素晴らしい絵だと思えるのですが、漱石の目には駄作と映ったのでしょうね。

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これに限らず、櫻谷を批判する勢力は根強く、やがて画壇とは没交渉となり、独自の世界に沈殿する様になっていきます。この衣笠村の地に移ったのは大正の初め頃で、それをきっかけとして堂本印象、小野竹喬、土田麦僊など数多くの画家が周辺に集まり、この周辺は衣笠絵描き村と呼ばれる様になりました。

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この旧宅は2000坪という広大な敷地を有しており、木造二階建ての和館のほか煉瓦造りの洋館、80畳のアトリエなどが現存しています。かつては船を浮かべられる程の大きな池もあったそうですね。画壇とは一線を画した孤高の画家であったとは言え、大勢の弟子を抱えた大家であった事を窺わせる旧宅です。

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櫻谷は晩年には精神を病んでいたらしく、その最後は線路を歩いていて、電車で跳ねられるという悲惨なものでした。場所は枚方近くの京阪電車だったと言いますから、ちょっと驚きますね。

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この旧宅は50年高く閉鎖されていたそうで、痛みが激しく、あちこちを修復して今回の公開に至ったものだそうです。それでも、二階には一度に20人以上は上ってはいけないという制限が付けられているそうですから、見た目以上に朽ちているのでしょうね。

見所としては、昭和初期の面影の残る母屋や台所、螺旋階段の残る洋館でしょうか。母屋の二階は広々として涼しく、居心地の良さを感じます。台所は昔ながらの竈がある一方、湯沸かし器があるのが印象的でした。いくつか展示されている作品も興味深いものがありますよ。ただ、80畳敷のアトリエは修復中との事で入る事が出来なかったのが残念だったな。

注意すべきは金土日祝日のみの公開となっている事で、金曜以外の平日には入る事が出来ません。建物の痛みが激しいという事からなのかな。その点がちょっと残念ですね。

2012年9月18日 (火)

京都・洛東 彼岸花2012 ~真如堂 9.15~

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平成24年9月15日の真如堂です。この日は早咲きの彼岸花が見頃を迎えていました。

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真如堂は彼岸花の名所の一つとして知られますが、例年お彼岸の時期に咲いてきました。ところが今年は一週間以上前から咲き出しているのですね。

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これは、吉祥院の苦沙弥和尚が新しく植えられた彼岸花で、どういう訳か元々ある彼岸花より先に咲いてしまった様です。何でも長崎から取り寄せた球根だったそうで、彼の地では9月10日頃に咲くのが普通なのだそうですね。その性質をそのまま引き継いで開花したのではないかと和尚は推測されています。

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これがこの先どうなるかは興味のあるところですね。京都の気候に合わせて彼岸の時期に咲く様になるのか、それともこのままずっと早咲きを続けるのかどちらなのでしょう。ちなみに、新しく植えられているのは本堂裏の灯籠の周辺と、三重塔近くの一部です。

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地面には、赤く染まった花の木の葉が落ちていました。枯葉の中に一枚だけ混じっていたのですが、この鮮やかな色は来るべき紅葉の日々を予感させてくれますね。晩秋の境内が美しく染まってくれると嬉しいのだけどな。

2012年9月17日 (月)

京都・洛東 青龍会-観音加持- ~清水寺 9.15~

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平成24年9月15日、清水寺の青龍会に行って来ました。平成12年3月に御本尊御開帳を記念して始まり、以来毎年春と秋に行われている行事です。

法螺貝を吹き先布令を行うのが「転法衆」、鎧を着た4人の武人が「四天王」、ねずみ色の法衣を着た人達が「十六善神」、青龍の頭の付いた杖を持った人が指揮者である「会奉行」、赤い服を着て面を被った二人が観音加持を行う「夜叉神」です。これらの人たちが舞台、西門、門前町などを巡る行道なのですね。

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青龍は平安京の東を守る四神の一つで、観音の化身ともされています。つまりは行道を共にし、観音様の功徳を人々に施すという趣向なのでしょう。

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夜叉神は、観音加持の「八功徳水」の法水を人々に授けます。これを受けると幸福になれるとの事ですが、たぶん、三十三間堂の柳の御加持にヒントを得たものではないかしらん。

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行道は門前町を下り、七味家さんの前の車止めまで行って引き返してきます。途中、沿道のお店の中に青龍が突入するというシーンもあるので、付いて歩いてみるのも面白いですよ。

9月の青龍会は15日から17日までですから、今日で終わりですね。次は来年の春、3月15日から17日まで行われる予定です。丁度花灯路の時期でもありますから、興味のある方は今から考えておかれては如何ですか。

2012年9月16日 (日)

平清盛 第36回 「巨人の影」

(京、鞍馬寺。修行に励む遮那王。)

(1168年2月。僧都に牛若を託した常磐。彼女の願いは僧として命を長らえる事でした。)

(鞍馬寺。廊下で足を滑らせた僧都。部屋に居たはずの遮那王が一瞬で駆けつけて助けます。驚く僧都。何事も無かったかの様な遮那王。)

(嘉応元年3月20日。後白河院を福原に招いて千僧供養を行った清盛。庭で護摩を焚く明雲。)

(夜。明雲に礼を言う清盛。清盛の為に祈ろうと明雲。自分の為にも祈願せよと現れた後白河院。無論と答えて立ち去る明雲。)

(何を企んでいると後白河院。今宵はゆるりと寛いで下さいと躱す清盛。)

(自分は京には帰らない、重盛に棟梁として一門を率いろと命ずる清盛。)

(大輪田の泊を眺めながら信西の夢を語る西光。清盛の狙いを遣宋使にあると睨む上皇。そして、六波羅をどう操るつもりなのかと訝ります。義弟と酒を呑みたくなったと出て行く成親。)

(重盛が棟梁になった事を言祝ぐ成親。自分に勤まるかと不安げな重盛。何を言うと成親。自分は時子の子ではない、宗盛こそが棟梁にふさわしいのではと重盛。血筋だけが棟梁を決めるのではない、清盛と一番長く時を同じくした重盛こそが棟梁に相応しいと成親。酒が無くなった、持ってこさせようと席を立つ重盛。重盛を見送りながら、小者がとつぶやく成親。)

(建春門院となった滋子。院の司たちを集め、酒盛りをして結束を固めています。大杯で酒を飲み干す滋子。重用される様になった時忠や宗盛。滋子の姉がお前の母だ、血筋に自身を持てと宗盛に囁く時忠。)

(福原。大輪田の泊に唐船を入れるには、波よけの島でも作るしかない、どうしようもないと嘆く兔丸。作ればよい、やる前に諦めてどうすると清盛。やってやろうじゃないかと出て行く兔丸。)

(京を重盛に任せて安堵したのではないかと盛国。重盛の心は清い、清いだけでは勤まらないのが武門の棟梁だと清盛。)

(伊豆。頼朝の館を覗く政子。呆然と座っている頼朝。)

(数日前。もののけと間違えて頼朝を掴まえた政子。謝る政子に、殺してくれと懇願する頼朝。驚いて逃げ出した政子。)

(政子を連れ戻しに来た時政。驚く政子に、二度とここに来ては行けないと言い聞かせる時政。しぶしぶ言う事を聞くふりをした政子。)

(頼朝の館に入り、佐殿と呼びかける時政。その様子を藪の中から見ている政子。)

(京、上皇の御所。滋子に出家を考えていると告げる後白河院。驚く滋子に、山法師を手なずけるには、仏法の頂きに立たなければならないのだと上皇。)

(6月17日、出家し法皇となった後白河院。その時、戒師となったのは伝統的な延暦寺ではなく園城寺の僧侶でした。)

(延暦寺。身体を鍛える山法師たち。彼らを見つめながら、後白河院を貶める方法はないものかと思いを巡らす明雲。)

(成親の治める尾張の国の目代・藤原正友が、日吉の社と神人たちと衝突し、死者を出すという事件が起こりました。この事に怒った比叡山が成親と正友の処分を求めて来た為、朝義が開かれました。面倒が起こる前に、成親と正友を処罰しなければならないと基房。自分は何もしていないと戦く成親。今、事実関係を調べていると検非違使別当である時忠。そこに現れ、それには及ばない、山法師の脅しに屈してはならない、事件のきっかけを作ったのは神人ども、いますぐ神人どもを捕らえよと時忠に命ずる法皇。)

(さしたる調べもなく、神人3人を禁獄に処した法皇。)

(怒り狂い、強訴を叫ぶ明雲。彼らの要求は、正友の禁獄と成親の流罪でした。)

(内裏に迫った山法師達。成親を流罪にせよという叫び声に驚く幼い高倉帝。神輿を担いで内裏に乱入した明雲たち。)

(幼い帝を襲うとは卑怯なりと憤る法皇。言いたい事があれば御所に参れと明雲に申し送る法皇。)

(こういう時には参内するのが恒例と相手にしない明雲。)

(再度使いを出す法皇。梃子でも動かないと居座る明雲。)

(福原。事の次第を聞き、山法師に屈しないのは良いが、やり方が拙いと嘆く清盛。朝議にかけよと命じた法皇。)

(憔悴する成親に、断じて流罪になどさせない、下知があればすぐにでも山法師を攻めると励ます重盛。重盛の手を取って感謝する成親。)

(朝議の場。御所には650騎の兵が控えている、今すぐにでも山法師を追い出せると教盛。山法師は神輿を持ち込んでいる、戦の様な真似をして傷付けでもしたらと経宗。それでは神罰が下ると基房。ならば、成親の流罪を受けるのかと教盛。そうは行くまいと基房。ならば攻めましょうと教盛。こんな闇夜にかと叫ぶ経宗。)

(武装して庭で控えている重盛。そこに福原から戻り、清盛からの命を伝える貞能。それはいかなる議定の命が下っても、事を構えるなという事でした。叡山との友好関係を保つ事が急務と清盛。)

(事は成親の流罪だ、信じられないと重盛。)

(福原。流罪にしてから救う手だては幾らでもある。今は成親の事ではなく、平家の力なくしては何も出来ないと、法皇に思い知らせる事が大事と清盛。)

(結論の出ない朝議に苛立ち、自ら武士達に出陣を命ずる法皇。ただ一人動かない重盛。いぶかる法皇に、神輿を傷付けるかもしれない夜討ちは出来ないと抗弁する重盛。早く行けとせかす法皇に、棟梁としてそんな命は出せないと断る重盛。愕然とする法皇。三度に渡る命を聞かなかった重盛。)

(追い詰められ、正友を獄に下し、成親を備中に下す事を決めた法皇。山に帰った山法師達。)

(重盛の館。庭を見ている経子。そこに帰って来た重盛。すまぬと妻に謝る重盛。重盛を労る経子。)

(突然、時忠を解官し、出雲への流罪を申し渡した法皇。驚く時忠の前に現れた成親。成親に科はない、いい加減な調べをした検非違使別当の時忠にこそ罪があると法皇。いくら何でも無体なと西光。それを無視し、時忠を解官の後、成親を検非違使別当とすると法皇。呆然とする時忠。)

(六波羅。あまりの事に困惑する時子。比叡山と共に平家も威圧しようとするのが狙いだろうと頼盛。重盛に法皇を諌めよと命ずる時子。成親を守ろうとする重盛には、法皇を咎める事は出来ないと知盛。このままではまた強訴が起きると経盛。板挟みにあって何も言えない重盛。もはや清盛に出て来て貰う外はないと宗清。一門を率いるのは自分の勤めだと重盛。それが出来ていれば何も言わないと宗清。絶句する重盛。)

(重盛と頼盛を福原に呼んだ清盛。再び強訴の動きがあると伝える頼盛。集められるだけの兵を六波羅に集めておけ、ただし断じて動かすなと命ずる清盛。例え強訴が起きてもかと確かめる重盛。そうだと言って、大和田の泊の地図に目を戻す清盛。)

(六波羅に集まった兵士達。その噂を法皇に伝える西光。再びの強訴に備えているのだろうと法皇。叡山に加担するつもりとも考えられると西光。)

(内裏。あれは何事か、何故平家から何の知らせもないと訝る基房。)

(六波羅。何故の招集か見当が付かない兵達に、何か言ってやって欲しいと重盛に告げる忠清。何も言えない重盛。そこに法皇がやって来たと告げる知盛。そして、摂政と右大臣も来たと伝える重衛。)

(鉢合わせをした法皇と基房達。重盛にこの兵は何事かと問う成親。何も答えない重盛に、よもや私を見捨てて比叡山に加担するつもりではあるまいなと詰め寄る成親。俯いたまま黙っている重盛。あざ笑う様な基房。そこに現れた清盛。)

(これは何事でございますかと法皇たちに問う清盛。そなたこそこれは何事と法皇。これとは?と清盛。この兵は何の為に集めたと法皇。強訴を阻むためか、それとも加担するためかと怒鳴る法皇。武家館に兵が集まり、調練をするのは常日頃の事と平然と受け流す清盛。では何故に都に戻ったと法皇。比叡山に参る為と清盛。比叡山だとと法皇。何用があってと問う成親。ただの山登りだ、毎日海ばかり眺めていても飽きる故と清盛。忌々しげに立ち去る法皇。清盛が世にあらねばならぬ事を知らしめた嘉応の強訴。)

(成親を解官し、時忠を呼び戻した法皇。明雲にとりなし、成親の流罪は防いだ清盛。しかし、深く清盛を憎んだ成親。)

(お気に入りの近臣のために沙汰を繰り返し、あげくに屈するとは、有りてなきがごとき沙汰。法皇が行っているのは政にあらず、天魔の所為なりと罵る兼実。平家の弱点を見つける良い機会となったとほくそ笑む基房。)

(六波羅。福原に帰る清盛を見送る一門。その中で徳子に目を止め、もう16かとつぶやく清盛。そして、重盛に頼んだぞと言って立ち去ります。改めて一門にその存在の大きさを見せつけた清盛。)

今回は嘉応の強訴と呼ばれる事件が描かれました。今回はほぼ史実に添って描かれており、見応えがあったと思っています。

まず、福原で千僧供養が行われた事は、法皇と清盛が協調関係にあった事を示すと共に、清盛が千人もの僧侶を動員出来る程宗教界にも影響力を持っていた事を意味し、特に後に出て来る様に延暦寺とは友好関係にあった事が窺える事実と言われます。この千僧供養は、その後も繰り返し行われて行く事になります。

次に、建春門院となった滋子が権勢を振るっていた事も事実で、高倉天皇の即位によって国母となった事により、彼女の影響力は非常に大きなものとなっていました。そして彼女の引きによって実の兄である時忠、実の甥である宗盛らが力を得て行く事となります。

そして、尾張目代と日吉社の神人の争いをきっかけとした強訴が行われたのも事実で、この時強気に出た法皇とは対照的に平家は消極的な対応に終始し、結果として法皇が山法師に屈するという事態に至っています。清盛は延暦寺の座主、明雲の手によって出家しており、個人的に友好関係にあった事、政略的にも延暦寺との対立は避け、軍事的な消耗を防ごうとしていたのではないかと考えられています。

この時の後白河法皇の対応振りはドラマにあった様に無様なもので、最初は成親の流罪、次いで成親の召し返しと時忠の流罪、最後は時忠の召し返しと成親の解官という無軌道なものでした。これは、武力の中心である平家の非協力的な態度が招いた事態であると共に、やはり法皇は治天の君としての器に欠けていた事を示すと言われます。兼実が彼の日記「玉葉」の中で「天魔の所為」と嘆いたのも無理はなかった事ですね。この法皇の無軌道振りは、後の源平の争いの時にも露呈する事になって行きます。

清盛が法皇に協力的で無かった理由として、もう一つは成親を代表とする院の近臣の力を削ごうとした狙いもあったのではないかと言われています。清盛と法皇は高倉天皇の擁立で協調関係にあったとは言え、院の近臣が力を得る事は相対的に平家の力が後退する事を意味し、歓迎出来る事ではありませんでした。そこで、あからさまな攻撃はしないものの、強訴に力を貸さない事で間接的に近臣の力を弱めようとしたのではないかとも考えられていますね。

この事件において、清盛が福原に呼んだのは重盛と頼盛でした。これは清盛がこの二人に信頼を置いていた事を示すと共に、平家の軍事力はこの二人が担っていた事も示すと言われます。後に独自の道を歩む事になる頼盛ですが、少なくとも清盛の在世当時は、一門の中にあって重きをなしていた事を窺わせる事実ですね。

ドラマにおいては、この事件によって清盛の存在がクローズアップされる結果となりましたが、史実においても清盛の存在の大きさが如実に示された事になり、政治の第一線から身を引こうとした清盛の思惑とは裏腹に、彼を政治の世界に引き止める事になります。そして、この後は、福原と京の二元政治が行われていく事となって行きます。

なお、久しぶりに出て来た藤原経宗は、二条帝の近臣として平治の乱の時に暗躍する姿が描かれていましたが、その後、後白河上皇につまらぬ嫌がらせをした事が原因で解官され、阿波に流罪となっていました。暫くドラマから姿を消していたのは、こういう背景があったからですね。2年後に許されて京に呼び戻され、暫く無官のままで過ごした後、長寛2年(1164年)に大納言に復帰し、この頃になると左大臣になっていました。ドラマでは何の説明も無かったのですが、何気にこういう所を押さえているのも、このドラマの細かいところでしょうか。

次回は殿下乗合事件が描かれます。常に控えめな重盛の存在が大きく取り沙汰される事件ですが、ドラマでは少し違った展開を見せる様ですね。どんな具合に描かれるのか、楽しみに待ちたいと思います。

2012年9月15日 (土)

京都・洛東 萩2012 ~常林寺 9.14~

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出町柳にある常林寺で、萩が見頃を迎えつつあります。

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昨日現在で4分咲きといったところかな。まだ最盛期とは行かないものの、部分的には結構見られる様になっていますよ。

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萩は年によって当たり外れがありますが、今年は割と良い感じではないかしらん。このまま満開を迎えれば相当に綺麗になりそうな感じです。

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あとは台風とか大雨が降らない事を祈るのみですね。綺麗に咲き揃った時には、それこそ花に埋もれた様な境内となります。

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この日は風が強くて、写真を撮るのは大変でした。でも、長い枝が風に揺れる様は、如何にも秋らしい風情がありましたよ。

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萩に混じってススキも咲き、境内は野趣に富んだ趣になっています。それほど広くもないけれど、まるで秋の野に出た様な気分を感じる事が出来ますよ。

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もう少しすると彼岸花も咲いて、さらに秋らしさを増す事でしょう。今週から来週にかけて、常林寺はお薦めの場所ですよ。

2012年9月14日 (金)

京都・洛東 百日紅2012 ~祇園白川 9.8~

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出町柳から京阪電車に乗って、祇園白川にやって来ました。ここでも百日紅を見る事が出来るのです。

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残暑の厳しい京都ですが、ここ祇園白川は相変わらずの人気ぶりですね。特にこの巽橋は人気スポットで、人が居なくなる瞬間を狙うのは一苦労します。

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その巽橋周辺に風情を添えているのが枝垂れ柳ですね。さすがに夏の疲れが見える葉ですが、垣根の朱色との組み合わせは京情緒を感じさせてくれます。

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ここで百日紅が咲いているのは辰己大明神の祠の横です。場所が変わると、花街らしい花に見える事が不思議ですね。まだ咲き始めたばかりらしく、満開には至っていない様子でした。

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縄手通の近くでは、芙蓉が咲き始めていました。そろそろこの花も盛りになって来る頃ですね。百日紅の次はこの花を追ってみようかなと思っている所です。

2012年9月13日 (木)

京都・洛東 百日紅2012 ~長徳寺 9.8~

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出町柳にある長徳寺でも百日紅が咲いています。

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ここは春にオカメザクラが咲く事で知られていますが、この百日紅もなかなかのものですよ。

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ただ、近くに行くより、山門から覗いた方が綺麗に見えるかな。花が重なってより色濃く感じる様な気がします。

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手前には白の百日紅もあるのですが、こちらはほとんど咲いていませんでした。両方が当たり年になれば、紅白揃ってより綺麗に見える事でしょうね。


2012年9月12日 (水)

京都・洛北 百日紅2012 ~真如堂 9.8~

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百日紅を求めて、真如堂までやって来ました。ここでは数本の百日紅を見る事が出来ます。

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境内はツクツクボウシの声が谺するだけで、訪れている人はごくわずかでした。ちょっと寂しいくらいだけど、これが本来の真如堂の風情だという気がしています。

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そして、桜の葉は色付いて散り始め、花の木の先端は色が変わりつつあります。もう夏は終わり、秋が始まったと教えてくれる景色ですね。

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そんな中で百日紅は咲いていました。これは鎌倉地蔵の横にある古木で、既に幹はぼろぼろになり、毎年、今年が最後かなと言われている木なのですが、この秋も綺麗な花を咲かせてくれました。いつまで保つかわからないけれども、この綺麗な花はずっと見ていたいという気になりますね。

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理正院の前では、白い百日紅が咲いています。ただ、花付きは今ひとつですね。このほか、本堂の北側にも百日紅があるのですが、今年はほとんど咲いていません。年によって咲き方に差が出る花なのかも知れません。

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こちらは鐘楼の近くで咲いているオオモクゲンジです。あまり目立たない場所にあるけれども、この黄色い花はなかなか綺麗ですよ。もう少しすると、地面に花が舞い落ちて、辺り一面を黄色く染めてくれます。

百日紅を尋ねて来た真如堂でしたが、初秋の風情をどこよりも感じた境内でした。

2012年9月11日 (火)

京都・洛北 初秋の庭 ~詩仙堂 9.8~

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一乗寺界隈に来ると、やはり詩仙堂に寄りたくなりますね。ここには百日紅はありませんが、初秋の庭を飾る花が咲いています。

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まず目に付くのがヤブランですね。庭のそこかしこで咲いているのですが、この上品な紫は、確かに秋の訪れを感じさせてくれる色です。

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ギボウシも庭の隅にあって、存在感を示していました。どちらかと言うと梅雨から夏にかけての花というイメージがありますが、ここでは初秋に花を見せてくれる様です。

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そして、この庭で何よりも秋を感じさせてくれるのがこのススキですね。この穂が開くと、いやが上にも季節が変わった事を教えてくれます。

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この白い花はナナカマドかな。ニワナナカマドかホザキナナカマドのどちらなのでしょう。これも夏の名残の花かなという気はしますが、清楚な純白の花が秋の庭に良く似合っていました。

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ここも紅葉の具合が気になる庭ですね。まだまだ気が早いとは判っているのですが、名所の一つですのでもみじの様子に目が行ってしまいます。今年が当たり年だと嬉しいのだけどな。11月にここを訪れるのが楽しみです。

2012年9月10日 (月)

京都・洛北 百日紅2012 ~圓光寺 9.8~

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三宅八幡宮から南に下って圓光寺に来ました。ここには大木と言って良い百日紅があるのです。

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座敷の中から見たお馴染みの景色ですが、この右端に見えているのが百日紅です。他の木に比べると、際だって太い事が判るでしょうか。

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ただ、花付きは期待していた程では無かったです。木全体が真っ赤に染まる様を見たかったのですけどね、そこまでには至っていませんでした。それでも木そのものに存在感がありますから、それなりに見応えはあります。

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落花が盛んな時は、この水琴窟の手水鉢の水面を覆う程になるのですが、この日はほんのわずかでした。ちょっと物足りなかったのだけれども、掃除をされた直後だったのかも知れません。

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庭全体を見れば、まだまだ緑が綺麗でした。あとふた月もすればこの葉も染まってくる事でしょうね。今年はどんな紅葉になるだろうと、期待の膨らむもみじの庭です。

2012年9月 9日 (日)

平清盛 第35回 「わが都、福原」

(仁安3年(1168年)2月、病から回復した清盛。)

(庭で息子達を相手に剣を教える清盛。)

(明雲を屋敷に呼び、得度を願う清盛。何が狙いかと明雲。対立するのではなく真摯に向き合い、手を携えて行きたいのだと清盛。)

(2月11日、出家した清盛。)

(北条の館。弟に弓を教える政子。男の様な政子を掴まえ、女が弓馬に現を抜かしてどうすると叱りつける時政。)

(頼朝の館。ふぬけの様な頼朝。)

(北条の館。野に飛び出していく政子。)

(清盛の館。丸めた頭で一門の前に現れた清盛。清盛と共に出家した時子。)

(太宰府から急ぎ戻った頼盛。出家姿に驚く頼盛と一門に、福原に住む事にしたと宣言する清盛。何故と驚く一同。大輪田泊に近く、宋との交易のための航路を整えるのに都合がよいからだと清盛。棟梁が京に居ないのは何かと不都合ではと一門。福原まで馬で1日、そう大袈裟に考えるなと立ち去る清盛。)

(廊下で清盛を掴まえ、福原で何をしようとしているのかと問い質す重盛。留守の間、棟梁として一門を束ねるのはお前だと言って立ち去る清盛。)

(後白河院の御所。清盛出家の噂に、いよいよ隠居かと西光。そうではない、新たに駒を進めたのだと上皇。そして、憲仁を即位させると言い出します。重仁は平家縁の皇子、これ以上平家の力を強めては、政の釣り合いが崩れると危惧する西光。それで良い、それ以上の力を持てば良い事、白河院にも出来なかった政をしてみせると上皇。)

(仁安3年2月19日、高倉帝となった重仁。皇太后になった滋子。皇太后宮権大夫になった宗盛。宗盛の代わりに辞任を余儀なくされた頼盛。)

(上皇の御所。頼盛が滋子の代始めの入内に出仕しなかったと清盛を叱責する上皇。ひれ伏す清盛。俗世を離れるのなら、それなりの覚悟をして行く事だと上皇。)

(清盛の館。頼盛を説諭する清盛。太宰大弐は重職、その上の出仕は酷というものと頼盛を庇う宗清。それだけ責務が重くなったのだと心得よと清盛。いつ自分は参議になれるのかと頼盛。それは働き次第と清盛。保元の戦の折の事を根に持っているのかと頼盛。だとすればどうするのか、再び一門から離反するつもりかと清盛。そんな事はと絶句する頼盛。つまらない事を言っていないで、務めに励めと清盛。)

(伊豆。裸足で竹林を歩いている頼朝。)

(時政の館。佑親が頼朝の子を殺したという噂をする三浦義明、上総常澄、佐々木秀義たち。腑抜けの様な頼朝を源氏の御曹司とは言えないと義明。財力でのし上がった清盛を悪し様に罵り、平家を倒す気概のある者は居ないのかと吠える秀義。時政の姫も、佑親の様にならない内に誰かに嫁がせた方が良いのではないかと義明。そこにしとめた猪を担いで現れた政子。娘らしくしろと言ったはずと叱る時政。あっけに取られる客人たち。)

(竹林の中に駆け込んだ政子。そこに現れた頼朝。風が吹き、その間に姿を消した頼朝。もののけ?と訝る政子。)

(福原の別邸。荒れ果てた部屋に光を入れる清盛。そこに現れた兔丸。宋との取引をする為に、貴人を迎えられる様ここを改築して欲しいと頼む清盛。それは良いと張り切る兔丸。何故大輪田泊に大船が入れないか良く確かめて欲しいと清盛。)

(六波羅、重盛の館。教盛を参議にすると伝える邦綱。喜びを噛みしめる教盛。祝いを言う頼盛。)

(夜。なぜ頼盛が参議にならないのかと噂する宗盛たち。そこに現れ、正妻の子なればこそ、棟梁の座を狙うと疑われるからだと時忠。複雑な表情の宗盛。)

(頼盛の館。忠盛から貰った抜丸を抜き、これまでの清盛との確執を思い出す頼盛。)

(福原。月を見ながら頼盛の事を想う清盛。)

(内裏。清盛出家の噂に、平家に隙が出来るはずとほくそ笑む基房。)

(八条院に呼ばれた頼盛。そこに現れた基房。驚く頼盛に、八条院たっての願いで参議にするつもりだと伝える基房。以仁王を紹介し、王家の嫡流でありながら親王にすれなれない、血筋で言えば平家嫡流である頼盛と境遇が似ている、おかしな棟梁によって出世を阻まれるのは忍びないのだと八条院。八条院への忠誠を誓う頼盛。)

(10月18日、参議となった頼盛。)

(11月28日福原。頼盛の解官を清盛に伝える重盛。18日の大嘗会への出仕を怠った事が原因でした。上皇への口添えをと頼む重盛。上皇のなされるとおりにせよと清盛。訝る重盛に、1年ばかり頭を冷やさせる、頼盛を福原に来させよと命ずる清盛。)

(福原。八条院に世話になった以上、滋子より八条院への出仕を大事にしなければならない時もあると弁明する頼盛。黙ってそれを聞いている清盛。いっそ追い出して欲しいと頼盛。それには答えず、鴨川の水もいずれは海に流れ込む、海を思いのままに出来れば鴨川の水を思いのままにするという事だと語り始める清盛。そして、博多を都の隣に持ってくる、時を置かずして平家の都を海近くに置くと大構想を明かす清盛。驚く頼盛。京に居たのではいつまで経っても上皇の掌の上、それ故に目の届かない福原に住む。そして、大輪田を博多のごときにして異国と交易をし、その富で国を富ませると説く清盛。それを朝廷ではなく一門で行うという事かと頼盛。先例大事の朝廷の枠にとらわれて国造りをしている暇はない、国の形をひそかに作り上げ、それをこの国のあるべき姿と示す、それが自分が見つけた答えだと清盛。答え?と頼盛。武士が頂きに立つ世の姿だと清盛。)

(武士の世が来る事を語る忠盛を回想する頼盛。)

(頼盛に向かって、父が目指した世造りに断じて欠かせない、これからも口うるさく一門を支えよと命ずる清盛。)

(清盛に従う覚悟を決めた頼盛。)

(前途の多難さを憂う盛国。これからの事を想うとぞくぞくすると清盛。)

(伊豆。竹林でもののけと思って頼朝を掴まえ、人と知り驚く政子。)

(鞍馬寺。遮那王となり修行に励む牛若。)

今回は福原を都とするという清盛の大構想が明らかにされました。清盛が武士の世を招来するというこのドラマの主題がここに明示された事になりますね。

史実においては、清盛の出家は病快癒を願っての事であり、福原への移住は政の表舞台からの退隠を思っての事ではないかと考えてられています。つまりは、病によって健康に自信を失い、重盛に後を託して自らは宋との交易に余生を捧げようとしたのではないかと思われるのですね。しかし、結果として、清盛という存在の重さがそれを許さず、政界からの引退は実現せずに終わります。

高倉帝の即位についても、やはり清盛の病が引き金となったと考えられています。清盛にもしもの事があれば、以仁王を推す八条院を初めとする反後白河勢力が力を強めると恐れた上皇が、高倉帝を即位させる事で権力の保全を図ったと言うのですね。ドラマでは清盛を警戒した上皇がその裏をかくという感じでしたが、実際には清盛が居なくなる事を恐れた上皇が、即位を強行させたのでした。

頼盛に関して言えば、参議就任直後に解官された事は史実にあるとおりです。その理由もドラマに描かれていた様に、後白河院に対する出仕を怠った事が原因となっており、息子の保盛共々全ての官職を奪われてしまったのでした。なぜ頼盛が出仕を怠ったのかは定かではありませんが、高倉帝の即位など度重なる儀式への負担が過重となり、その事に対する反発があったのではないかとも言われています。

その頼盛を清盛がどう処遇していたかと言えば、重盛と並んで京における自らの代理人というべき地位に置いていました。それだけ頼盛を重用していた訳で、頼盛が後白河院の怒りを買った事は清盛にとって頭痛の種となった事でしょう。

ドラマには描かれていませんでしたが、この時期、清盛が後事を託そうとした重盛が病に倒れるという事態も起こっています。重盛が体調を崩したのは清盛が倒れるより前の事で、清盛が出家した後も重盛の病は本復せず、権大納言の地位を辞任するにまで至っています。順風満帆に見えた平家一門にも、暗雲が立ち込め始めた時期だったとも言えるのでしょうか。

ドラマに関して言えば、清盛の巨大さが際だった回だったという感じです。朝廷の呪縛から離れ、武士が頂点に立つ世を築くという構想を明確に示した事で、このドラマが描こうとしている清盛の姿がはっきりと見えて来ました。その構想の前には、頼盛の悩みなど小さなものに過ぎなかったのですね。ただし、平家を快く思わない人達の姿も次第に明確になってきました。平家を倒す者は居ないのかと叫んでいた秀義の姿は象徴的でもありましたね。

そして、面白いのが政子ですね。実際の姿がどんな具合だったのかは判りませんが、如何にも板東の女子という感じが出ていて好感が持てます。ちょっとやり過ぎの感じもしないではないですけどね。今後の展開が楽しみだな。

次回は法皇となった後白河院と清盛の間に入って悩む重盛の姿が描かれる様です。巨人の影という副題は、清盛の影響力の大きさを表すのかな。久々に政治的に緊張した場面が描かれる様で、どんな回になるのか楽しみに待ちたいと思います。

2012年9月 8日 (土)

京都・洛北 百日紅2012 ~三宅八幡宮 9.8~

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先週に引き続いて、今週も百日紅を追って来ました。まずは上高野にある三宅八幡宮からです。

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三宅八幡宮は小野妹子によって開かれたと伝えられ、鳩が神の使いとして崇められている事で知られます。この狛鳩はそのシンボルですね。

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その境内に隣接して小さな公園があり、池の畔に大きな百日紅が咲いています。今日現在でほぼ満開と見て良かったのかな。

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百日紅はこの一本だけなのですが、美しい樹形と共に毎年綺麗な花を見せてくれるので、訪れるのを楽しみにしている場所の一つになっています。

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そして、ここは噴水が良いアクセントになりますね。まだまだ残暑が厳しい中、少しは涼しく感じて頂けたでしょうか。ディスプレイからはミストが出ないのが残念ですね。

2012年9月 7日 (金)

京都・洛東 百日紅2012 ~知恩寺 9.1~

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京都御苑を出て、百万遍にある知恩寺に来ました。ここでもまた、百日紅が咲いています。

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百日紅があるのは釈迦堂の南側で、小振りながらも綺麗な花を咲かせていますよ。

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まあ、名所と言う程でもないのですが、静かな境内に良く似合っていて、割と気に入っている木の一つです。

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この日は珍しく本堂が開いていて、大勢のお坊さんが読経をされていました。その声に誘われて初めて中に入らせて頂いたのですが、大きな数珠が掛けられていたのが印象的でしたね。

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この寺の二世住職で、実質的に知恩寺を開いた源智上人は、平重盛の孫と言われており、その意味では平家縁の寺とも言えますね。平家の落人が法然上人の高弟になり、やがて一寺を開いたという事実は、もう少し世に知られても良い事かなと感じます。このあたりが歴史の持つ面白さですよね。


2012年9月 6日 (木)

京都・洛中 百日紅2012 ~拾翠亭 9.1~

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拾翠亭は、唯一残る九条家邸宅の遺構で、茶室として使われていました。

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数寄屋風の書院造りで、如何にも公家屋敷らしい華奢な感じがしますね。軽やかな造りとも言えるのかな。

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中は肩の凝らない居心地の良い空間で、何時間でもここに座っていたいという場所でもありますね。ただ、そのせいで、寛ぎすぎている人もよく見かけます。

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二階から見る九条池も良いですね。特にこの時期は、百日紅の赤が池の緑に映えて見事です。

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翠という字は、カワセミという意味も持っているそうですね。私は見た事がないけれど、きっとこの池に来ている事でしょう。あの美しい鳥を、この茶室の窓から眺めてみたいものですね。


2012年9月 5日 (水)

京都・洛中 百日紅2012 ~九条池 9.1~

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九条池は京都御苑の南西にあり、百日紅が特に綺麗な場所でもありますね。

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元は九条家の邸宅があった場所であり、この池はその庭園の名残です。

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百日紅がその頃から咲いていたかは判りませんけどね、今はこの池シンボルの様になっています。

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池の水は、絵の具を流した様に緑色に染まっていました。そこに百日紅の赤が映えて、何とも美しいですね。

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明日は池の畔にある拾翠亭に入って、中から九条池を眺めたいと思います。赤い花越しに見る池もまた素敵ですよ。

2012年9月 4日 (火)

京都・洛中 百日紅2012 ~京都御苑 9.1~

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百日紅と言えば、京都御苑は外せないですね。広い園内のそこかしこで、赤い花を見る事が出来ます。

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ただ、まだまだ暑さの残るこの時期には、御苑を巡るのは厳しいものがあります。なにしろだだっ広いので、日陰をよって行かないと、熱中症になってしまいそうになりますね。

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ここは皇后門近くの百日紅。御苑の百日紅は、大きな木が多いですね。敷地に余裕があるので、それほど剪定をしないからなのかも知れません。

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それと、普通の公園や寺とは違って、通行の邪魔になるという事が無いから、下枝までこんもりと茂っているのも特徴ですね。そのあたりが、他の場所とは違って見える要因かも知れません。

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百日紅の赤には、青空がよく似合います。9月とは言っても、この光の強さはまだまだ夏のものなのかな。コントラストの強さに、残暑を感じますね。

明日は九条池へと向かいます。

2012年9月 3日 (月)

京都・洛中 百日紅2012 ~本隆寺 9.1~

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9月の京都は百日紅が見頃ですね。そこでいくつか百日紅が綺麗な場所を巡って来ました。

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西陣にある本隆寺には、本堂前に大きな百日紅があります。毎年この時期になると見事な花を見せてくれるので、訪れるのを楽しみにしている所です。

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ただ、今年は少し花付きが悪い様な感じがします。赤よりも緑の方が勝って見えますね。まだ満開には至っていないのかも知れませんが、この木にしては物足りない咲き方かな。

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まあ、年によって咲き方に差があるのは仕方がない事なのでしょう。木も疲れるでしょうからね。でも、普通の木と比べれば、大したものではあります。

満開になる事を願って、今週末にも見に行って来ようかな。真っ赤に染まったところを見る事が出来ると良いのですけどね。

2012年9月 2日 (日)

平清盛 第34回 「白河院の伝言」

(仁安3年2月、寸白の病で倒れた清盛。騒ぎ立つ一門を鎮め、重盛に一門を統べよと命ずる時子。)

(伊豆で清盛危篤の知らせを聞く頼朝。この暮らしが変わる日は永遠に来ないと自嘲する頼朝。)

(内裏。清盛危篤の噂に動揺する北面の武士達。今こそあるべき姿に戻す時だと基房。その基房と会い、鳥羽院の嫡流たる以仁王を親王としてくれるよう頼む八条院。きっと、と笑う基房。)

(熊野詣の途上にある後白河上皇と滋子の一行。院の背中には腫れ物。その形が何かに似ていると滋子。そこに清盛危篤の知らせを伝える西光。急ぎ都に戻ると滋子。動揺を隠せぬ院。)

(六波羅の館。清盛の看病をする盛国。熱に浮かされている清盛。)

(舞子の腹の中に居た頃の夢を見る清盛。白河院と双六をする舞子。)

(六波羅。病気平癒の祈祷をする僧侶達。熊野の権現様に祈らせると忠度。娘達を叱咤する時子。)

(頼政の館。平家の繁栄は清盛あっての事、万一の事があれば隙が生じる、その時こそと本心を仲綱に打ち明ける頼政。)

(牛若に、清盛は本当の父ではないと教えた常磐。)

(紀伊国、切目。大雨で足止めされた後白河院の一行。苛立つ院。高い志の無い無頼の高平太に政など出来ないと吐き捨てる西光。政に大事なのは財力、今死なれては何の為に経子を重盛の妻としたのか判らないと成親。)

(六波羅。降りしきる雨を見ている重盛。そこに、山法師に強訴の動きがあると伝える忠清。急ぎ支度をせよと命ずる重盛。そして宗盛を呼び、鴨川沿いに残された者たちの為に手の者を動かせと命じます。)

(宗盛を掴まえ、清盛に万一の事があればお前が棟梁となれと時忠。とまどう宗盛に、先妻の子が棟梁となる道理はない、正妻の子であるお前が棟梁とならなければ一門が乱れると説く時忠。そこに現れ、そんな世迷い言に耳を貸すなと時子。本当にそれでよいのかと時忠。その様子を廊下の向こうから見ていた重盛。それに気付く時忠たち。宗盛に早く仕事をしろと命じ立ち去る重盛。)

(清盛の夢。祇園女御と白河院と共に居る舞子。祇園女御と双六に興じる白河院。そこに鴨川の氾濫と山法師の強訴の動きを伝える近臣。双六の賽を振り、その目の悪さに苛立ち、盤を崩す白河院。鴨川の水、双六の賽、山法師、この三つは白河院の威光を持ってしても思う様にはならないと女御。苦虫を噛みつぶした様な白河院。)

(腹の大きくなった舞子に、子供を産んだら青墓に帰れと忠告する女御。)

(璋子が伏せっているとの知らせに、陰陽師を呼べと命ずる白河院。)

(災いの種が宿っていると占う陰陽師。)

(舞子に腹の子を流せ、その子は王家に災いをもたらす忌むべき命だと命ずる白河院。)

(苦しむ清盛。)

(草原を逃げる舞子。追う為義。)

(のたうつ清盛。)

(馬小屋で赤子を産んだ舞子。その場に居合わせた忠盛。)

(苦しみ続ける清盛。)

(清盛と共に自害しようとした舞子。それを止めた忠盛。)

(母の乳を飲む赤子。)

(清盛の見舞いに訪れた乙前。)

(切目。止まない雨を焦燥した様子で見ている後白河院。背中の腫れ物に薬を塗ってやる滋子。清盛が居なくなる事が怖い、あの挑む様な目を見ていると、自分の居場所があると安堵出来るのだと涙する院。腫れ物は双六の賽に似ていると滋子。それを聞き、輿を出せと命ずる院。)

(雨の中、帰洛を強行する院。引き返すべきと止める西光。輿を降り、自らの足で歩く院。)

(六波羅。時子に向かって、姉に代わって言ったまでと時忠。重盛も同じ子だと時子。本当にそう思えるのかと時忠。)

(清盛の枕元で、遊びをせんとやと歌う乙前。)

(義朝と戦かう清盛。)

(忠正を斬った清盛。)

(忠盛と海岸で戯れる清盛。)

(唐船に乗った清盛。)

(都に凱旋した清盛。)

(夢中になって生きていれば、なぜ太刀を振るうのか、なぜ武士が生きているのか判るのではないかと舞子。)

(清盛の病床に駆け込んで来た、ずぶ濡れで泥だらけの後白河院。)

(白河院の御所。白河院の前に引き据えられている舞子と忠盛。忠盛に舞子を斬れと命ずる白河院。舞子を妻にしたいと言い募る忠盛。武士の分際でと憤る白河院。体面のためだけに罪の無い女を斬れと命ずるならばと抗弁する忠盛。それを遮り、赤子を忠盛に抱かせ、短刀をかざして白河院に向かっていく舞子。舞子を襲う矢。)

(母上とうなされる清盛。)

(倒れる舞子。駈け寄る忠盛。)

(血まみれの舞子の側で、母上と泣いている清盛。)

(太政大臣の座の座り心地はどうだと声を掛ける白河院。あまり良い心地がしなかった故に早々に明け渡したと清盛。自分が院に拠る政を始めた様なものだ、やはりもののけの血が流れていると白河院。)

(保元の乱では身内と争い、平治の乱では共に武士の世をと誓った義朝を攻め滅ぼした。自分を上へ上へと駆り立てるのはもののけの血ではない、この身に浴びてきた血がそうさせるのだと清盛。)

(お前はまだ登り切ったその先の景色を知らないと言って賽を投げる白河院。何が見えるのかと清盛。その賽を振って、自分に追いつけば判ると白河院。)

(賽を拾って、白河院と双六盤を挟んで対峙する清盛。白河院に向かって微笑み、あなたを追い越してみせると言って賽を握った拳を振り上げる清盛。微笑する白河院。)

(あなた様を越えて見せまするとうなされ、目を覚ます清盛。それに気付いた後白河院。上皇様と言って身を起こす清盛。清盛を助け起こす盛国。)

(生きて戻ったかと後白河院。勝手に死んだりはしない、あなたとの双六遊びがまだ終わっていない故と清盛。この死に損ないがと上皇。笑う清盛。立ち去る上皇。手の中の賽に気付く清盛。背中の腫れ物に手をやる上皇。腫れ物は綺麗に消えていました。清盛の方を振り向く上皇。賽を握りしめて微笑む清盛。)

(頼政の館。清盛快癒の知らせに笑みを浮かべる頼政。)

(常磐の館。牛若に向かって、年が明けたら鞍馬寺に入れと命ずる常磐。いぶかる牛若の手を握り、憎しみとも悲しみとも無縁に、心安らかに過ごして欲しいと願う常磐。)

(全快した清盛を迎えた一門。重盛に何事も無かったかと問う清盛。鴨川の水が溢れたゆえ、川沿いの屋敷の修復が急務、また強訴の動きがあったが、何事もなく納まったと報告する重盛。鴨川の水、双六の賽、山法師、白河院の天下三不如意を我が意のままにしてみせようと、賽を見つめながらつぶやく清盛。)

(清盛の病で、心の蓋を開けてしまった人々。ただ一人、何の感慨も持たなかった頼朝。)

(北条の館で太刀を振るう政子。自分の明日に気付いていない頼朝。)

今回は病に倒れた清盛とその波紋が描かれました。ほぼ創作の回ではありましたが、平家を取り巻く人間模様も上手く描かれていたと思います。

まず、清盛が倒れた寸白の病とは、寄生虫による病と言われています。特に真田虫を指すとも言われますね。今でも怖い寄生虫ですが、当時は祈祷ぐらいしか打つ手が無かった事でしょう。ドラマでは描かれなかったのですが、最後の手段として清盛は時子と共に出家をしています。つまり、この世を捨て、仏の弟子となる事で病を抜けようとしたのですね。その甲斐あってか、やがて清盛は全快しています。

ドラマでは情緒的に動揺した後白河上皇でしたが、実際にも熊野詣の途中から引き返しており、その影響が小さくなかった事が窺えます。その理由としては、当時後白河上皇が目指していた高倉天皇の擁立の為には平家の力が不可欠であり、清盛に今死なれては元も子もなくなるという事があった様です。後白河院が清盛に対してどのような感情を抱いていたかは判りませんが、この時期に利害が一致していた事だけは確かですね。

ドラマにおいて描かれた重盛と宗盛の対立については、それほど明確なものでは無かったにせよ、潜在的には確かにあった事でした。重盛の館は小松という所にあったのですが、その家系は特に小松一門と呼ばれ、他の一門とは一線を画した一面がありました。その原因はやはり重盛の母が正妻の時子とは違うという所にあり、宗盛以下の兄弟との間には微妙な溝があった様です。ただ、清盛はあくまで重盛を嫡男として扱っており、表だった対立には至らなかった様ですね。それが露わになってくるのは重盛の死後の事になるのですが、それはドラマの終盤になって描かれるものと思われます。

頼政については、ドラマにあった様に源平の対立として描かれる事が多いのですが、実際には頼政は美福門院、さらには八条院の近臣という立場から行動したに過ぎず、源氏を裏切った訳でもなければ、清盛に対抗しようとした訳でもありませんでした。でも、ここではやはり源氏の一門として描かれる様ですね。

牛若については、やはり「義経」のリプレイを見ている様な気がします。でも、あのドラマで源氏の流れだと明かしたのは行家だったっけ。常磐はあくまで穏やかな生き方を望む母親だったかな。

ドラマとしては、清盛の病を機にこれまでの半生を振り返り、白河院のもののけの血というテーマがあった事を再確認させてくれました。そして、清盛は今の自分があるのは、もののけの血のせいではなく、自らが道を切り開いてきたからたと言い、白河院は自らを越えて見せよと賽を渡します。その賽が後白河院の腫れ物から出て来たという設定は意味深なものがありましたね。

次回は福原に本拠を移す清盛が描かれる様です。白河院から託された賽を振り、白河院も見た事が無かった先を目指すという事になるのかな。微妙な亀裂の走った平家一門を゜どう描かれていくのかも見所ですね。どんな展開になるのか楽しみに待ちたいと思います。

2012年9月 1日 (土)

京都・洛東 初秋~八坂の塔~

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9月に入り、舞台を再び京都に戻します。

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夏も終わりに近付き、秋の気配が感じられる黄昏時、高台寺界隈を歩いて来ました。

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今の時期、季節の移ろいを感じるのは、日の入りの早さですね。夏の盛りとは違って、随分と早く日が暮れる様になりました。

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蝉の声もすっかり静かになり、「風の音にもおどろかれぬる」という和歌を思い出します。昔の人の感性は、今も通じるものがありますね。

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まだまだ残暑は厳しいですけど、日が落ちるとすっと涼しくなります。それと同時に虫の音も聞こえてきて、少し寂しくすらありますね。この空の色は、秋の色と言って良いのかな。

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これから夏と秋の狭間の京都を捜して、9月の京都を歩いてみる事にします。小さな秋が見つかると良いのだけどな。

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ねこづらどき

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