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2012年6月 3日 (日)

平清盛 第22回 「勝利の代償」

(1156年(保元元年)7月12日、逃げまどう上皇方の人々。輿に乗って逃げる最中に襲われ、首に矢が刺さった頼長。落ち延びる途中、付き従ってきた兵達に、落ち延びて生き延びよと解散を命ずる上皇。教長に出家がしたいと言い出す上皇。ここには僧も剃刀もないと教長。何とも思いのままにならぬ人生よと嘆く上皇。)

(高松殿。為朝に射殺された忠直を悼む清盛達。通清を失って呆然としている正清。その正清の肩に残念だったなと手を掛ける義朝。これより自分を父と思えと直致。そこに現れた信西、忠通たち。)

(一同の前に現れ、つわものどもよ、良くやったと声を掛ける後白河帝。軍功に応じて報償を取らすと信西。)

(裏庭で仰向けになり、終わったと叫ぶ清盛。おなじく終わったと叫ぶ義朝。義朝に気付き、戦はお前の方が一枚上手だったと清盛。王家の諍いに武士が決着を付けた、武士の力を見せつけたのだと清盛。はにかむ義朝。もうすぐそこまで武士の世が来ている、朝廷に対してものが言える様になる、そうすれば世を変えられると清盛。どんな世に変えるのだと義朝。面白い事を自分で考え、自分で形にする、こんな面白い事があるかと清盛。またそれか、お前らしいと義朝。)

(強く生きたいがお前の志だった、でももう遂げたのではないのかと言って剣を抜く清盛。それに合わせて友切を抜く義朝。これを機会に友切の名を変えたい、友を斬るとは縁起が悪いと義朝。友と聞いて微笑む清盛。お前を友と言ったのではないと義朝。判っている、髭切にしろ無精髭がむさ苦しいと清盛。夜通し働いたのだから当たり前だと義朝。もう眠い、引き上げると清盛。一人残り、太刀を見て髭切とつぶやいて微笑む義朝。)

(経子の館。凱旋した清盛を喜んで出迎える時子。その姿を見て安らぎを覚える清盛。)

(夜。祝勝の宴。疲れたと言って一人席を立つ基盛。初陣は誰にでも堪えるものだと清盛。重盛を気づかう時子。忠正の事が気がかりだと重盛。忠正は消息が分からなくなっていたのでした。きっと無事に逃げているだろうと清盛。捜さないのかと重盛。棟梁としてそれは出来ないと清盛。)

(由良の別邸。凱旋した義朝を迎える由良と鬼武者。鬼武者を膝の上に座らせる義朝。為義の消息を尋ねる由良。行方知れずだと義朝。捜さないのかと鬼武者。俗に落ちた者に係われば、累が自分たちにも及ぶと義朝。)

(常磐の館。由良に遠慮せず、ひと目だけでも会えば良かったのではないかと常磐の母。由良は正妻に相応しい大きな器を持っていると常磐。)

(7月13日、瀕死の頼長が南都の忠実の館に到着します。ほっとした様子の頼長。)

(頼長の到着を聞き、苦悩に満ちた表情で、去らせよとつぶやく忠実。)

(矢に当たったたげでも春日大明神に見捨てられた印、その様な者を近づける訳には行かないと忠実の言葉を頼長に告げる家人。それでも父君かと叫ぶ頼長の家臣。)

(門を叩き、ひと目で良いから会ってやって欲しいと叫ぶ家臣。自分まで罪に問われれば、摂関家は終わりだとつぶやく忠実。)

(これにて御免つかまつると家人。縋り付く家臣。苦しげに座わりながら、父上とつぶやく頼長。そして涙を流しながら舌をかみ切ります。驚いて頼長を運ぶ家臣達。門前の騒ぎを聞きながら、じっと座っている忠実。)

(まんじりともせず、縁で夜を明かした忠実。その庭先に一羽のオウムが舞い降ります。傷ついた身体で、父上としゃべり続けるオウム。庭に降り、オウムに手を差し伸べる忠実。息絶えたオウム。オウムの亡骸を拾い上げ、頼長、なぜひと目会ってやらなかったのかと涙し、我が子よと絶叫する忠実。)

(頼長の屋敷跡。頼長の死が伝えられたのは7日後の事でした。頼長邸跡を訪れた信西は日記を見つけます。そこには子が参議に任じられた時に与えた訓戒が記されていました。豪華な衣服や家来の数を求めるな、それで人に嘲られても恥じる事はない、つとめよや。自分が死んだ後も魂は朝廷に残る、そこでお前達が良き国作りをするのを見守っている。その一節を読み、じっと一点を見つめる信西。)

(清盛の館。捕まった忠正が連行されて来ました。縄で縛られ、変わり果てた叔父と対面する清盛。伊勢の縁者を頼っていた事を知り、連れてこさせたのだと忠清。まずい事をした、俗となった者を匿えばただでは済まないと盛国。自分が忠清に命じた、残党狩りに会うと思ったら放っておけなかったと清盛。ここまで来た以上逃げはしない、縄を解けと忠正。忠清に命じて縄を解いてやる清盛。そのとたん逃げ出す忠正。取り押さえる郎党達。これ以上生き恥を晒せと言うのか、一門の災いとなりながら生きながらえる、これ以上の辱めがあるかと叫ぶ忠正。それでもここに止まれと清盛。それでも棟梁かと忠正。叔父上は一門に欠かせぬ人だと清盛。たわけと言って、大人しくなる忠正。)

(部屋の中。忠正に、今度の恩賞で播磨守になったと清盛。播磨は物成りの良い上国でした。何か面白い事が出来そうだと清盛。敗軍の将に何を言っているのだ、自分は遠島にななる身だと忠正。そんな事はさせない、信西に自分から頼んでみると清盛。それで助かったからと言って、再び一門に連なる事は出来ないと忠正。武士が朝廷にものを言って、世を変えるのはこれからだ、力添えをして欲しいと清盛。戦場でお前が信じられなかったと言った事が聞こえなかったのかと忠正。そう言った忠正にこそ、自分が平清盛である事を見届けて欲しいと清盛。)

(義朝の館。為義が尾張で見つかったと知らせてくる正清。残党狩りに見つかったのかと義朝。そこに現れ、自分が命じたのだと由良。残党狩りに会ったのではそのまま流罪となってしまう、それでは二度と会えなくなってしまうというのがその理由でした。余計な事をするな、父と会って話す事などないと義朝。鬼武者にためにしたのだ、父が不孝者では示しがつかないと由良。父とはもはや親子ではないと言って立ち去る義朝。)

(館の一室。為義の前に膳が出されます。傍らには由良。自分に構う必要はない、義朝に救って貰うつもりは毛頭無いと為義。義朝が左馬頭となり、内昇殿を許されたと告げる由良。義朝が殿上人となっと知り、喜ぶ為義。)

(仁和寺。放浪のあげく、弟を頼った上皇。出家をしたものの、朝廷へのとりなしを断られ、罪人として沙汰を待つ身となります。)

(御所。双六に興じながら、上皇、忠正、為義が捕らえられた事を聞き、直ちに罪を定めよと命じる帝。双六に負ける信頼。もっと強い相手は居ないのかと帝。丁度良い相手が来ていると臣下。)

(帝の双六の相手をする美福門院。なかなか強いと帝。双六に勝ち、敵を全て葬り去り、一人勝ちと思っているかも知れないが、あなたは仮初めに帝にの位に着いた過ぎない、それを努々忘れるなと言って去っていく女院。双六の盤上を薙ぎ払い、ぞくぞくする、自分は生きていると笑みを浮かべる帝。)

(清盛の館。忠正に会い、今度の事は申し訳なかったと詫び、会わせる顔がないという頼盛の言葉を伝える禅尼。気に病むなと伝えて欲しいと忠正。聞かぬ気を持つ兄を持った弟の気持ちが良く判る、いつも忠盛の尻ぬぐいばかりをして来たと忠正。あの赤子を子にすると言った時も、これは一生尻ぬぐいをしなければならないと思った、それがとてつもない事をする兄を持った弟の定めだと忠正。忠正がこれ以上苦しまない様に祈ると禅尼。微笑む忠正。)

(高松殿。信西に向かって、忠正が上皇方に与したのは一門の滅亡を防ぐためであり、断じて帝への背信ではないと訴える清盛。これから帝の役に立っていく平家にあって、忠正は要となるべき者、罪状には酌量をと求める清盛。私に任せるが良い、世にとって最も良き断を下すと信西。)

(御所。罪状を詮議する会議。まず忠実が俎上に昇ります。上皇方に与していない以上、咎めるには及ばないと忠通。骨肉を争った人の言葉とは思えないと信西。そして、頼長と同じく荘園を取り上げるが良いでしょうと断を下す信西。勝手な事を言うなと忠通。それを無視して、議事を進める信西。絶句する忠通。次の議題は上皇でした。流罪にせよと信西。既に出家しており、しかも上皇を流罪にするなど先例が無いと驚く人々。事の発端を思い出せ、帝の位を巡っての争いだった、上皇は嫡流にして皇子も持っている、この先再び復位を望む事がないとも限らないと信西。いくら何でもと逡巡する人々。ならば、何の為に戦などしたのだと叫ぶ信西。いかなる国作りをめざしているのか、考えがあれば言ってみろと息巻く信西。高笑いをし、上皇を流罪にせよとつぶやく帝。)

(次に武士達の処分が議題となります。厳罰だろうと人々。黙って一同を見回す信西。)

(清盛の館。一人佇む忠正の下に、重盛と基盛がやって来ます。後から続く時子。忠正と朝餉を摂りたいと言って来たのでした。そこに清三郎と清四郎もやって来ます。彼らが乗っているのは忠正が作った竹馬でした。いつかこの子もあの竹馬で遊ぶでしょうと言ってお腹を押さえる時子。竹馬が壊れたと言って泣き出す清三郎。また作ってやると忠正。)

(高松殿。信西から忠正とその4人の子の処分を聞かされる清盛。それは死罪でした。今言った者を斬首せよと命じる信西。呆然と信西を見つめる清盛。)

今回は保元の乱の戦後処理が描かれました。肉親の情に厚い平家、旧態然とした殿上人、政治原理で動く信西というコントラストが鮮やかに描かれた回だったと思います。

史実との関係で言えば、頼長の死はほぼ史実通りに描かれました。ただし、保元物語によれば、流れ矢に当たって重傷を負った頼長は、木津の祝園までやってきたものの動けなくなり、使いの者を興福寺の禅定院に居た忠実の下に使わしたとあります。これに対して忠実は、氏の長者たるものが武具の手にかかるなどという事があってはならない、その様な不運の者に会う事は出来ないと言って、泣きながら対面を断ったのでした。それを聞いた頼長が舌をかみ切ったのはドラマにあったとおりですね。

ドラマでは描かれていませんが、保元物語に拠れば信西は頼長に対してさらに酷い仕打ちをしています。なんと、葬られていた彼の亡骸を掘り返してその死を確かめさせたのですね。検死者たちは、死体の痛みが酷く誰だか判らないと言って、頼長の死体を路傍にうち捨てたまま帰ってしまったのでした。左大臣ともあろう人に酷い仕打ちをしたもので、そりゃ死後に怨霊になる訳ですね。

もっとも、頼長の遺体は荼毘に伏されたとも言われており、この話が実話かどうかは定かではありません。

なお、清盛紀行では悪左府の「悪」を文字通り悪いという意味で捉えていましたが、実際には強いという意味で、辣腕家という意味で使われていた事を付記しておきます。

忠正と為義については、それぞれ身内が捜索を命じた事になっていましたが、実際には忠正は清盛を、為義は義朝をそれぞれ頼って出て来たのでした。保元物語では、ドラマとは反対に義朝が為義の助命を嘆願したのに対し、清盛は自分が叔父を斬れば義朝は父を斬らざる得なくなる、そうすれば源氏の勢力を漸減出来ると考えて忠正を斬ったのだと記されています。清盛と忠正は仲が悪かったとも言われますが、これは少し清盛に惨い書き方ですね。おそらくは、清盛は源氏をそこまでライバル視はしておらず(両家の力関係については、平家の方がずっと上位に居ました)、これは後世の創作ではないかと思われます。

平安時代の初期にあった薬子の変以後は死罪を適用された例はなく、為義と忠正親子の死罪には反対する者も多く居たと言われますが、これを強行したのが故実に詳しかった信西とされます。その一方で、反乱した者を死罪とするのは武士の習いとして定着していたからだと見る向きもあり、このあたりの評価は必ずしも一定している訳ではない様ですね。

摂関家について言えば、忠通は勝利者側に居た訳ですが、頼長の所領は没収され、源氏という私兵は解体されました。また忠実はかろうじて罪を免れましたが、洛北の知足院で蟄居の身となります。ただ、ドラマでは忠実の所領も没収とありましたが、実際には忠通が相続している様ですね。いずれにしろ、摂関家はその力を大きく落とし、忠通もまた朝廷内での力を次第に失っていく事になります。

戦後の恩賞として、清盛が播磨守に就任し、義朝が左馬頭に任じられて殿上人となったのはドラマにあったとおりです。播磨は伊予と並ぶ上国とされ、経済的にも平氏は更に潤う事になったのですね。そして、頼盛と経盛の二人の弟も殿上人となっており、平家は保元の乱によって家格を大きく上昇させる事になったのでした。

崇徳上皇については、これもほぼ史実どおりですね。ただ、途中まで付き従っていた武士は、保元物語に拠れば為義一行で、如意ヶ岳に逃げ込んだとあります。しかし、あまりに大人数だと見つかりやすいと思い、為義たちと別れたのでした。その時に、出家したいと言ったところ、この山中ではどうにもならないと臣下に言われた事も保元物語にあるとおりです。

上皇が最後に頼ったのは、ドラマにあった様に仁和寺に居た弟の覚性入道親王でした。覚性は上皇と後白河帝と同じく待賢門院の子で、末弟にあたります。姉の上西門院も含めて仲の良い兄弟姉妹だったと言われますが、乱に当たっては間に入って苦しむ立場となりました。結果としては上皇を救う事はせず、後白河帝の側の意に従っています。もし、母である待賢門院が生きていたら、さぞかし嘆き悲しんだ事でしょうね。

ドラマに戻って、身から出た錆とは言え、頼長の死は哀れでした。最期は実の父にまで見捨てられたのですからね、自ら舌を噛んで死んだのは氏の長者としての、最後の誇りだったのでしょうか。信西に日記(台記と言って実在します。)を読ませて、その人となりが清廉なものであった事を示したのはせめてもの救いだったと言えるかも知れません。

それにしても、最後までオウムを効果的に使っていましたね。かなり無理のある演出ではありますが、本音を吐かない頼長の本心を代弁する存在として上手く生きていたと思います。

信西について言えば、出自は低いものの、乳父として後白河帝のすぐ横に座り、その権威を背景として辣腕を振るう姿が印象的でした。彼もまた、清盛と同じく自分を認めない旧弊な世の改革を目指す者であり、そのために強行な断罪を主張して実権を握ろうと画策しているのが判ります。しかし、その素顔は若き日に清盛と語り合った頃と変わっておらず、それは頼長の日記を読んだ時にかいま見る事が出来ます。この後暫くは、強権を握った信西と、武士の世を目指す清盛との絡み合いが焦点となって行くのでしょうね。

最も不可思議な存在が後白河帝で、あれほど仲睦まじかった上皇を、高笑いしながら流罪にせよと告げる表情には、狂気すら感じました。このドラマでは、うつけを装ったもののけの一人として、世を混乱に導く存在として描かれて行くのかしらん。その謎の微笑みが気に掛かります。

来週は忠正を斬る清盛が描かれる様ですね。少し引っ張りすぎではないかと思われますが、平家一族の結束が中心テーマの一つとして掲げられているドラマである以上、仕方がない事なのかな。私的には、信西と清盛の絡みがどう描かれるか見てみたいと思っています。

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