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2012年4月

2012年4月30日 (月)

京都新緑事情2012 ~延暦寺 4.28~

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連休初日は快晴に恵まれました。初夏の爽やかな青空に、新緑がとても映えていましたよ。

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この日は、下界では30度を超える真夏日だったのですね。帰り道の路傍にあった温度計が34度を表示しており、きっと故障しているのだろうと思っていたのですが、そうでもなかった様です。

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山上は丁度良い過ごしやすい気温で、良い時に行ったものです。澄んだ空気とともに、とても快適でしたよ。

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それにしても極端な気候で、春が来るのが遅れていたのが嘘の様ですね。今の日本には、冬と夏しか無くなったのかと言いたくなってしまいます。

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でも、桜とともにこれだけの新緑を見る事が出来たのは収穫でした。山上のガーデンミュージアムの花は遅れていたのですけどね、ここは丁度良いタイミングだった様です。

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この日は東塔だけたでしたが、ハイキングがてら諸堂を巡ってみるのも良いでしょうね。連休中のお出かけには、比叡山はもってこいの場所だと思いますよ。

京都・洛中 京都桜事情2012 4.29

京都の桜に関する今年最後の情報(4月29日現在)です。

1.雨宝院

御衣黄桜がまだ満開を保っていました。中心部から赤くなり、全体が桜色に変わって緑色が無くなっている状態です。間もなく散り初めとなるのでしょうね。また、松月桜もかろうじて満開を保っていましたが、かなり色抜けが進んでいます。境内は一時に比べて寂しくなっていますが、桜に代わってクルメツツジや牡丹が咲いており、それなりに楽しめますよ。

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2.千本ゑんま堂

普賢象桜が満開を保っていますが、かなり痛んできており、最終盤に差し掛かっています。落花を見るには丁度良いかもですが、私が行った時には掃除がされた後でした。残念。ここは連休中は桜よりも狂言の方で賑わいますね。

3.平野神社

突羽根桜だけが、かろうじて満開を保っていました。ただし、相当に痛んでおり、ほぼ終了間際と言って良いでしょう。平野妹背は終了していましたが、初めて双子のさくらんぼを見る事が出来ましたよ。ちょっと嬉しかったです。

今は一初とジャーマンアイリスが咲いています。

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これで京都の桜はほぼ終わったと見て良いでしょう。まだ咲いている八重桜も幾らかありますが、ほとんどの木で散り初めでした。今年の開花は遅かったですが、途中から気温が上がった事により進行は早かったですね。結果として盛りの時期が集中したぶん、見応えがあったともいえるかも知れません。

4.御霊神社

桜ではありませんが、一初が満開になっています。この日は一番花が咲き揃ったばかりで、とても綺麗で見応えがありましたよ。

5.本満寺

桜に代わって、牡丹が満開になっています。ここは年々牡丹の数が増えてますね。このペースで行けば、牡丹の寺として知られる様になる時が来るかも知れませんよ。

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2012年4月29日 (日)

平清盛 第17回 「平氏の棟梁」

(1153年(仁平3年)。平氏の棟梁となった清盛は、一族、一党を前に、亡き父の志を継ぎ、武士の世を目指すと宣言します。そして、重盛と基盛の二人の息子に対して、一門を担う跡継ぎとしての自覚を求め、二人の弟たちの手本となれと命じます。)

(庭で弓の技量を競い合う一門。)

(家貞から平家一門の所領を聞き、膨大な数に目を瞠る清盛。家成の警護、博多からの船荷の采配など棟梁としての仕事に目を回す清盛。)

(厨房で、棟梁の妻として采配を振るう時子。時子にこれで足りるのかと問う池禅尼。)

(広間で、宴の開始を宣言する清盛。しかし、膳にはわずかの肴しか載っていません。これでは足りないと時子を責める清盛。では今から魚を捕ってくると開き直る時子。腹の代わりに耳を満たせて欲しいと助け船を出す頼盛。しかし、時子は琵琶を止めてしまっていました。それでも棟梁の妻かと怒鳴る清盛。)

(法皇や美福門院を招いての宴を開くという家成。そこで歌を詠めと薦められ、慌てる清盛。)

(池禅尼に清盛のバックアップを約束する家成。)

(信西に歌を作って欲しいと頼み込む清盛。きっぱりと断ると信西。帝の身がどうなるか判らないのだと信西。)

(内裏、清涼殿。身体を悪くし、寝込んでいる近衛帝。)

(呈子が懐妊するも、無事に生まれるか、その子が男かとうかも判らない状況にあって、美福門院も気に病んでいる。もしもの事があれば世の力の有り様が大きく変わる事になる、今度の歌会は平家一門がその一角に居られるかどうかを占う場と心得よと信西。)

(廊下で義朝に出会った清盛。珍しく礼儀正しく清盛に祝いを言う義朝。何かあったのかと訝る清盛。そここに現れた常盤御前。常磐がいつかの酒売りの娘と知り、驚く清盛。常磐を妻とした、あと三月ほどで子も生まれると義朝。従5位下下野守に任ぜられる事になった、それも常磐のおかげ、彼女は心の支えなのだと義朝。)

(夜、時子に義朝が頼もしく思えた、家を背負う男子にはそれを支える女子が必要なのだと清盛。聞かずに寝ている時子。)

(義朝の館。縁で雨の降る庭を眺めている由御前。母を一人にする父はひどいと鬼武者。棟梁として子を増やすのは大事な勤めだなのと由良。)

(為義の館。庭を見る為義。そこに現れた義賢。義賢に、源氏重代の太刀、友切を授ける為義。それを持って東国に行き、義朝に並ぶ力を付けよと命ずる為義。太刀を受け取り立ち去る義賢。)

(友切を授けるという事は、いずれ源氏の棟梁となすという事を意味するのではと通清。忠盛は清盛を見事に育てて上げたのだと為義。為義とて義朝をと通清。不思議な笑みを浮かべる為義。)

(崇徳上皇の御殿。近衛帝の見舞いにいかないかと雅仁親王を誘う上皇。帝など早く身罷れば良いと親王。近衛帝が死ねば上皇の息子である重仁が跡を継ぐのが順当、そうなれば上皇が院政を布く事が出来ると親王。めったな事を言うではないと上皇。そこに知らされる家成の歌会。)

(清盛の館。重盛と基盛に書を教える盛国。幾らやっても上達せぬと投げ出す基盛。盛国の苦労に触れ、有り難い事なのだと弟を諭す重盛。)

(清三郎相手に、清盛はお前よりも先妻の子である重盛と基盛の方が可愛い、いずれ寺に入るお前には武も書も要らぬのだと吹き込む時忠。しょげかえる清三郎。)

(庭を歩き回りながら歌を考えている清盛。源氏物語の話をする時子。邪魔だと清盛。そこに清三郎が荒れていると知らせが入ります。)

(書を破りながら、自分には武も書も要らぬと泣く清三郎。それでも平氏の子かと怒鳴る清盛。清三郎を庇う時子。大事な歌会を控えている、家の事はそなたの役目だと時子を責める清盛。申し訳ないと時子。明子ならもっとしっかりした棟梁の妻となっていたと清盛。言ってしまってから、余計な事を言ってしまったと気が付く清盛。ショックを受けて、出て行く時子。)

(清三郎に言ったのは私だと時忠。何故と清盛。姉が琵琶を止めたのは、明子の音を消されたくないと言われたからだと時忠。10何年も前の事だと清盛。10何年も守ってきたのだと時忠。自分は清盛よりもずっと時子の事を判っていると時忠。)

(部屋に籠もる時子。)

(夜。真っ白な紙を前に、時子と時忠とのやりとりを思い出している清盛。)

(家成の別邸。歌会に出席している法皇、上皇、、雅仁親王、忠通、頼長、信西たち。末座に控える清盛。詠み手の成親。最初の歌は上皇の作。)

(朝夕に 花待つころは 思ひ寝の 夢のうちにぞ 咲きはじめける)

(雅な歌と褒める家成たち。きっと夜ごとに夢の中で政をなさっているのだろうと皮肉る美福門院。たしなめる法皇。吹き出す親王。)

(清盛の館。部屋に籠もる時子の下に、清三郎を連れた重盛と基盛がやってきます。自分たちには、母が亡くなる時に弾じてくれた継母の琵琶の音こそが耳に残っていると重盛。その話を聞いた清三郎も聞きたいと言っていると基盛。)

(家成の別邸。清盛の一首を披露する家成。紙を見て、このようなものは読めませぬと狼狽える成親。なぜといぶかる家成。代わって読み始める清盛。)

(重盛に 基盛それに清三郎 清四郎みな われらの子なり)

(笑い出す親王。なんだそれは、題の春が入っていないと頼長。もはや歌ではないと上皇。今のは何だと法皇。)

(私事ながらと断り、歌会に心を奪われて妻に言ってはならない事を言ってしまった、それより先は妻の事が心を占めて歌の事など考えられなくなってしまったと清盛。時子は、先妻との間に二人の子があった事にもこだわらない、いつも明るい春の日溜まりのような女子だと清盛。)

(やかんごとなき方々が集まるこの歌会は、平氏の棟梁を受け継いだ自分が世の役に立てるかどうかを占う場であったと存じていると清盛。その場であるからこそ申し上げる、自分は我が一門を何より大事に思っていると清盛。歌会はここまでにと清盛。苦笑する家成。)

(廊下。諸刃の剣の様な男だと美福門院。最も我らに足りないものを持っていると法皇。)

(清盛の歌を読む親王。清盛をどう見るかと信西。私には関わりのない事と立ち去る親王。その後を見送り、あなたこそが我が掌中の玉だとつぶやく信西。)

(清盛の館。時子と言いながら帰って来た清盛。聞こえてくる琵琶の音。)

(子供たちの前で琵琶を弾く時子。そこにやって来た清盛。清盛に向かって、母が居たからこそ、自分たちは実の母を亡くしてからも健やかに生きて来られたと重盛。いずれも大事な我らの母上だと基盛。母上を傷付ける様な事を言うのは、父とても許さないと重盛。殿の心は通じていた様だと盛国。息子達の肩を叩き、自分にも聞かせよと座る清盛。心配しなくても、明子と時子の音色はまるで違う、どちらも忘れはしないと清盛。琵琶を引き始める時子。)

(為義の館。為義に、友切を義賢に渡したのは棟梁を弟に譲る気かと迫る義朝。お前は強く成りすぎた、父の誇りを踏みにじっても、何の痛みも感じぬ程にと為義。さような者に、源氏を背負わせる訳にはいかないと怒鳴る為義。それならば、自分も自分の道を貫くのみと言い返し、館を飛び出す義朝。自分も同様にと通清に一礼して出て行く正清。)

今回はほぼ創作のみの回でした。主題は平家の棟梁を受け継いだ清盛でしたが、第二部の人物相関図を描いた回とも言えます。ぎこちない船出となりながら、何よりも一門を大切にすると誓った清盛、母が違う故に微妙に温度差のある重盛、基盛と清三郎たち。彼らを支える時子。余計な事を言う役目はやはり時忠という事でしょうか。作者としては仲の良かった平家一門を強調しつつ、なおその中にある温度差を描く事で将来への伏線としたかったのでしょう。まじめ過ぎる重盛なども、やはり伏線なのでしょうね。

朝廷では、久々に得子らしい一面が見られました。政界への復帰を夢見る崇徳上皇の心の内を見事に言い当てる鋭さと毒は、今でもなお健在なのですね。近衛帝の母としての地位を得ながら、肝心の帝が病弱ゆえに不安定な得子の心の焦りを表していたのでしょうか。その帝の後を巡る争いも、最も資格を持つ重仁を中心に描かれていました。雅仁の相変わらず人を食った様子も面白かったですね。

さらには、源氏も亀裂を深めていきます。次男の義賢が義朝に対抗すべく東国に下ったのは史実にあるとおりですが、為義が友切を与えたというのはどうなのでしょうね。友切、すなわち髭切は、義朝から頼朝に受け継がれているので義朝が貰ったはずなのですが、このあたりのいきさつは良く判りません。義賢から奪い返すという設定になるのかしらん。

ドラマとしてはかなり粗っぽい設定で、朝廷の重鎮を集めた歌会で自らの子の歌を詠い、一門こそが全てだと宣言するなど、無茶も良い所でしょう。下手をすれば、謀反の疑いありと取られても仕方がないのではないかしらん。荒唐無稽に過ぎる設定だと思われますが、家族愛もまたこのドラマのテーマの一つということなのでしょう。王家に最も欠けているものだと法皇も言ってましたしね。私としては、苦虫をかみつぶした様な頼長の反応が面白かったな。

これで保元の乱の相関図がほぼ出来上がった事になりますが、唯一残っているのが雅仁親王ですね。この人がどうなるかは次週に描かれる様です。興味深いのは今の所仲の良い崇徳上皇との間をどう描くつもりかで、この二人の関係の成り行きが今後の注目点だと思っているところです。

2012年4月28日 (土)

京都桜事情2012 ~延暦寺 4.28~

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大型連休の初日は、延暦寺に行ってきました。標高800mの山上は季節の進行がひと月近く遅く、下界では終わってしまった桜がまさに見頃を迎えていました。

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延暦寺は、正しくは大津市にあるのですが、ここでは京都桜事情シリーズの一つとして掲げています。まあ、このあたりは四捨五入の範疇として勘弁して下さい。

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今日咲いていたのは山桜がほとんどでした。大講堂の裏には普賢象桜もあるのですが、それはまだ蕾が膨らんだ程度でした。

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中でも圧巻なのは、根本中堂前の坂の途中にある山桜でした。たぶん樹齢は100年を越えていると思われる古樹ですが、風格ある佇まいと言い、その咲きっぷりと言い、この歴史のある寺に相応しい桜でしたよ。

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中には、葉と花が同時に出る枝垂れ桜も咲いていました。これって、山桜の一種と見て良いのかな。山上の澄んだ空気と、延暦寺の厳かな風情の中で見る桜は、市内で見る華やかな桜とはまた違った美しさがありましたよ。

2012年4月27日 (金)

京都・洛北 京都桜事情2012 ~野仏庵 4.14~

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詩仙堂のすぐ側に、野仏庵という寺があります。なぜか訪れる機会が無いままに過ごしてきたのですが、今回桜に誘われる様にして初めて訪れてみました。

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野仏庵は、湯豆腐で知られる順正の創始者、上田堪庵氏によって建てられました。野仏庵のホームページに依れば、淀にあった庄屋の家を移築した主屋をはじめ、丹波須知村にあった西園寺公望公縁の茶席「陶庵席」など、堪庵氏が各地で見つけた施設を集めて作った別荘の様なもらしいですね。

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現在は悟心会という宗教法人の手に渡り、寺として運営されている様です。拝観出来る場所は少しも寺らしくなく全くの別荘なのですけどね、隣にある不動明王堂が悟心会の所有になっており、本堂の様な位置付けになっているのかも知れません。

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寺らしくないとは言いましたが、庵の名の元になっている野仏は沢山あります。これは堪庵氏が集めたものらしく、祀られていると言うよりオブジェの様な感じで置かれています。

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桜は冒頭の八重紅枝垂れ桜と、染井吉野が何本か咲いていました。名所と言う程ではないですが、山荘の佇まいにはよく似合っていましたよ。

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ここは敷石が凝ってますね。普通の石畳みもあれば、瓦を縦に埋め込んだ床や、模様を刻んだ丸い石を配した通路など、場所によって様々に工夫がされています。

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とにかく静かなところで、この時の拝観者は私一人、ウグイスの声だけが響く境内を独り占めさせて頂きました。喧噪とは無縁の世界を堪能出来ましたよ。

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京都観光Naviに拠れば、拝観出来るのは土日と祝日、それに水曜日となっています。拝観料は500円ですが、抹茶と御菓子付きですからそれほど高くは無いですね。

ここは紅葉が美しいと聞いていますが、なるほど楓樹が沢山植えられていました。今度は秋が深まった頃、また訪れてみたいと思っているところです。

2012年4月26日 (木)

京都・洛北 京都桜事情2012 ~高野川上流 4.14~

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三宅八幡宮近くを流れる高野川沿いにも、見事な桜並木があります。花園橋を中心に、上下流の北岸を桜が埋め尽くしていました。

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上流側では、この山桜が綺麗でしたね。花と同時に出る褐色の葉が、独得の色合いを見せてくれています。

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下流側は、岩倉川との合流点まで続きます。こちら側は染井吉野の桜並木になっています。

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振り向くと、桜越しに比叡山が間近に見えていました。これは上高野ならではの風情と言えますね。

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これだけの桜並木なのに、訪れる人はごくわずかの様でした。ブルーシートを敷く場所は無いけれど、純粋に桜を楽しみたい人にはお勧めの場所ですよ。

2012年4月25日 (水)

京都・洛北 京都桜事情2012 ~三宅八幡宮 4.14~

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先週末には出かけられなかったので、今日からはストックしてある写真からの構成になります。まずは、4月14日に出かけた三宅八幡宮の桜からお届けします。

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この神社は桜の名所と言う程ではないのですが、参道から境内にかけて、染井吉野を中心に桜を見る事が出来ます。

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本殿もこんな感じで、良い具合に桜に囲まれてますよね。

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桜のメインは、隣接する公園の方になります。さほど広くも無いのですが、池を中心として桜に囲まれた様な佇まいが素敵でした。

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そして、ここならではの景観が水車小屋ですね。実際に動いている訳ではないけれど、他の場所には無いアクセントを与えてくれます。

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ここに来るのは、近所の人達がほとんどの様ですね。混み合うといった事はなく、いわゆる桜の名所とは違った、静かな時間だけが流れている居心地の良い空間でした。

2012年4月24日 (火)

京都・洛中 京都桜事情2012 ~平野神社 4.19~

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平成24年4月19日の平野神社です。この日は遅咲きの桜たちが見頃を迎えつつあるところでした。

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なにしろ約50種類もの桜がある神社ですから、花期の長さは他の名所とは比べものになりません。3月の終わりから5月の始めにかけて、なにがしかの桜を見る事が出来るという桜のスポットですね。

この花は楊貴妃と呼ばれる花で、その名に相応しい艶やかな姿をています。この日は少し盛りを過ぎたあたりの様でした。

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こちらは平野撫子です。撫子の様に花弁に大きな切れ込みがあるところから付いた名前なのだとか。可憐な感じがして、私のお気に入りの花の一つになっています。この花も盛りを過ぎつつあるところの様でした。

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御衣黄と並ぶ緑色の花で知られる鬱金です。こちらの方が黄色が勝っているので、区別が付きますね。

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そして、本殿南側にある白雲です。その名のとおり、白雲が湧き上がった様な咲き方をする花ですね。この日は満開で、ピークを少し過ぎた程度の様に見受けられました。

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この神社を代表する花の一つである平野妹背です。二段咲きをする事で知られる花ですが、この日はやっと一段目が咲き揃ったところでした。今頃は二段目が咲き始めているところかも知れませんね。

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とても美しい花が咲く一葉です。この花も透明感があって良いですね。この日は満開の少し手前で、丁度見頃だったんじゃないかな。

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最期はおけさ桜です。いかにも八重桜らしい花ですが、上品な感じがして良いですね。

他には、大内山と虎の尾が満開・見頃、衣笠が見頃過ぎで落花が盛ん、八重紅枝垂れ桜は満開ながら見頃過ぎで、色抜けがしていました。突羽根桜はまだ咲きかけで、今週末でもまだ見頃にはなっていないかも知れません。平野妹背の二段目も含めて、まだ訪れてみる価値はあるスポットだと思いますよ。

2012年4月23日 (月)

京都・洛中 京都桜事情2012 ~雨宝院 4.19~

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平成24年4月19日の雨宝院です。この日は境内の八重桜が満開を迎えていました。

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境内に植えられた桜は、観音堂の前が観音桜、歓喜天を祀った本堂に近い桜が歓喜桜と呼ばれます。それぞれ仏様にちなんだ名が付けられているのですね。

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でも、桜の種類としては同じで、さらに言えば御室の桜と同じと言われています。つまりは有明桜という事になるのかな。

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境内には、一際背の高い八重紅枝垂れ桜もあります。この日は満開でしたが、見頃は既に過ぎていました。歓喜桜などよりも、少しだけ咲くタイミングが早い様ですね。

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こちらは緑の花が咲く事で知られる御衣黄です。ざっと見て5分咲き程度だったかな。まだ咲いたばかりの花なので、花の芯まで鮮やかな緑ですね。時間と共に中心部が赤くなり、緑の色も濃くなって行きます。その色の変化も魅力の一つですね。

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そして、この寺で一番最後に咲くのが松月桜です。透明感のあるとても美しい桜ですが、この日は3分咲き程度でした。

歓喜桜や観音桜は二度雨が降ったので散り初めか散り果てに近いかな。また、御衣黄や松月桜は見頃を迎える頃でしょうか。今週末には、ちょっと寂しい境内になっている事でしょうね。御衣黄はまだ残っているかも、です。

2012年4月22日 (日)

平清盛 第16回 「さらば父上」

(舞子の言葉を思い出している忠盛。)

(久しぶりに宋の剣を振るう清盛。)

(久安6年9月26日。忠通の館を襲った為義。忠実の命により、摂関家の家宝、朱器台盤を奪ったのでした。)

(朱器台盤を頼長に与える忠実。藤原、氏の長者となった頼長。)

(為義の館。為義を盗賊と同じだと罵る義朝。一族のために働いて何が悪いと居直る為義。)

(院の御所。忠盛に、刑部卿に任ずる内意を伝える鳥羽院。それは美福門院たっての願いでした。また、さらに清盛を安芸守に任ずるとも伝える院。これは美福門院の命じた高野山宝塔建立に対する褒美でした。)

(御所の廊下で忠盛とすれ違った為義。彼は息子に盗賊と言われたが自分はこの道を行く。そして、かつて忠盛と約束した様に、源氏と平家のどちらが強いかという決着を着けると告げます。楽しみだと微笑んで去る忠盛。)

(郎党を引き連れて安芸に赴任した清盛。)

(忠盛の館。感慨に耽る家貞。激しく咳き込む忠盛。)

(寝込んだ忠盛。)

(安芸。国司として国府で山海の珍味に舌鼓を打つ清盛。清盛にあいさつする厳島の社の司、佐伯景弘。)

(厳島神社。景弘の案内で境内を見て回った清盛は、その寂れように驚きます。)

(歓迎の舞を見る清盛達。その舞人の中に昔の仲間、桃李を見つけた兔丸。驚く郎党達。そこに現れた春夜。久闊を叙す兔丸達。)

(安芸の海岸を案内する春夜。かつて100人が乗れる大船を造っていたと聞き驚く清盛。宋の剣を如何にして手に入れたかと問う春夜。この国で最も強い男から授かったと清盛。)

(忠盛の館。縁に座って、咳き込む忠盛。心配する家貞。舞子に言われた「夢中で生きていれば、何の為に武士として生きているのかが判る」という言葉をしきりに思い出す、だがまだ判らないと忠盛。)

(義朝の館。修練に励む義朝と郎党たち。)

(内裏。雑仕女として働く常磐。)

(統子内親王の館。)

(「ならびおる ふたつの黒き蝶の舞 いずれが高く のぼりけむ」)

(それは忠通と頼長の事を例えた歌でした。その二人の事で夫と舅がもめていると由良姫。家族の仲を取り持つのが妻の役目だと内親王。)

(内覧の宣旨を賜った頼長。忠通と並ぶ権限を持った事で、二人の仲は決定的な亀裂を生じました。)

(近衛帝に謁見し、臣下の罷免を進言する頼長。心労が激しい近衛帝。)

(頼長の振るまいに憤る美福門院。彼女に同調する忠通。いっそ頼長をもっと煽ってやろうと門院。)

(清盛の館。安芸から帰った清盛と郎党達。賑わう館。時子から忠盛の容体を聞く清盛。)

(忠盛の館。駆けつけた清盛。しかし、意外にも忠盛は平然と座っているのでした。驚く清盛を迎える忠盛。ほっとする清盛。安芸の感想を聞かれ、面白い事が出来そうだと張り切って見せる清盛。)

(清三郎に剣を持たせる清盛。無理だと嫌がる清三郎。鍛えればそれが軸となるのだと続けさせる清盛。)

(義朝の館。鬼武者に弓を教えている為義。驚く義朝。私が招いたのだと由良姫。孫を交えての久しぶりの団欒に和む一家。そこに頼長から家成の館を襲えという命が伝えられます。頼長の館の前で、家成の家人が下馬しなかったという無礼に対する仕返しでした。)

(為義に、そんな誇りの無い行為をしても、重用されるのは平氏ばかり、行くなと止める義朝。義朝を殴り飛ばす為義。いくら鍛えて待っていても、武威を示す機会はやってこない、地を這ってでも生き残る、それが誇りだと行って立ち去る為義。悔しげに立ち去る義朝。間に入って苦悩する由良。)

(呈子の御殿。常磐の前に不意に現れた義朝。父と喧嘩したのか、本当は父の役に立ちたいと望んでいたはずと労る常磐。常磐を抱きしめる義朝。)

(家成の館を襲った為義。賽子を手に涼しい顔の家成。)

(近臣を襲われて、烈火のごとく怒った鳥羽院。すべては頼長を陥れるための美福門院の謀でした。平氏に頼長を襲わせる大義名分を得た門院。)

(家成の仕返しのために、頼長の館を襲えという門院からの密命が伝えられた忠盛。そうすれば鳥羽院は喜び、塔の完成を待たずして公卿に推薦出来るという含みでした。気の進まぬ様子の忠盛。その様子を見て、この話を断れと家貞に命ずる清盛。宋の剣を振りかざし、自分がこの剣を振るうのは、院と摂関家の小競り合いに巻き込まれるためではないと言い放つ清盛。)

(院に仕えるためではなく、武士が頂きに立つ世を作る為に我らは太刀を振るってきた、それがために武士は今の世に生きていると忠盛。忠盛を見て微笑む清盛。)

(平氏一門を集めた忠盛。一門の前で、まず忠正にこれからも一門を支えよと伝える忠盛。そして、清盛には唐皮の鎧を授けました。頼盛には名刀の抜丸、教盛には愛用の弓、経盛には愛用の鞍を授け、兄弟助け合っていけと諭します。忠清には侍大将、家貞には出家せずに一門の要となる様に言い渡しました。そして、盛国と兔丸には新しい棟梁に最も近く仕えよと命じます。つまりは清盛を忠盛を嗣ぐ棟梁と定めたのでした。)

(何か言いたげな忠正。宗子を見る清盛。うなずく宗子。謹んで受けると忠盛に応える清盛。)

(再び安芸に旅立つ清盛。見送りながら、すぐに後から行くと忠盛。)

(部屋に入ろうとしてよろめく忠盛。支える宗子。かたじけないと忠盛。初めて言われたと宗子。そんな事はない、一緒になってからずっと有り難いと思っていると忠盛。微笑み合う二人。)

(安芸の海岸。小船の中で昼寝をしている清盛。そこに現れた忠盛。驚く清盛。清盛に棒きれを渡し、打ち合う忠盛。戯れる二人。強くなったなと声を掛ける忠盛。父を見て微笑む清盛。海に目をやり、ふと気が付くと忠盛の姿が消えていました。忠盛の代わりに突き刺さっている宋の剣。剣を抜いて、父上とつぶやく清盛。)

(仁平3年1月15日、忠盛死去。)

今回は忠盛の死を巡って物語が動きました。ここまで、ある意味清盛以上に物語の核となっていた忠盛でしたから、その存在が消える影響は小さくはなかったですね。

まず、史実との関係から追っていくと、忠実が為義に命じて忠通の邸を襲わせ、朱器台盤を奪ったというのは事実です。自分に逆らって摂政の地位を弟に譲らない忠通に、忠実が業を煮やしたのですね。これには少し前段があり、忠通は長く嫡男に恵まれておらず、頼長を跡継ぎとすべく養子にしていたという事実があります。ところが、その後に忠通に実子が生まれたため、約束を反故にしようとしたのですね。この事に加えて近衛帝への入内を巡っての兄弟の争いがあり、忠実は頼長の肩を持ってやったのでした。

忠実が忠通から奪った氏の長者とは氏族を束ねる代表者の事で、頼長を兄に代えて藤原氏の長に据えた事を意味します。これにより、忠通はその地位を奪われただけでなく、藤原氏の有する荘園の管理権も失った事になり、経済的にも追い詰められたという事になります。ただし、摂政の地位は朝廷から与えられたものであり、忠実と言えども力尽くで奪う事は出来ませんでした。

次に、頼長が内覧の権を得たという下りが出て来ましたが、これは天皇に決裁を求める文書に先に目を通す権限を持つという事で、事実上朝廷の実権を握る事になります。本来は摂政・関白の役目だったのですが、鳥羽院は忠通を関白に任命する一方で、忠実に求められると内覧の権を頼長に与えてしまったのでした。忠通にすれば、唯一残った関白の地位も名目だけのものとなってしまったに等しい訳ですね。追い詰められた彼は、院の近臣や美福門院らと手を結んで反撃しようと試みます。そのあたりは、来週以降に描かれる様ですね。

朝廷の実力者となった頼長は、自ら理想とする政治を推し進めようとしました。それは律令に基づく政治だったのですが、現実には様々な慣例に基づいて政が行われて来たという実態があり、頼長が理非を正そうとすればする程、様々な軋轢を生む事になって行きます。その豪腕振りを評して悪左府、つまり力の強い左大臣と呼ばれる様になるのですが、しかしその意欲とは裏腹に次第に孤立を深めていく事になります。

その頼長が家成の邸を襲ったというのは史実にあるとおりなのですが、それは為義にやらせたのではなく、秦公春という隋臣に命じての事でした。その理由は、頼長の雑色が家成の家人に陵辱された報復というもので、頼長による私刑と言っても良いものですね。ドラマでは平家をして頼長を討たせるための美福門院の謀となっていましたが、そんな事実は無い様です。ただし、この事が鳥羽院の心証を害した事は確かで、頼長の孤立を深める一因となったとされています。他にも賀茂社や石清水八幡宮に追捕の為に人を入れては流血沙汰を起こしており、頼長の検断好きは彼を追い詰める事にのみ役だった様です。

なお、忠盛の死にあたって頼長は、その日記に忠盛の功績と人柄を称える記述を残しており、一廉の人物と認めていました。つまりは、ドラマの様に平家を目の敵にして追い落とそうとした事実は無いという事ですね。

ドラマに戻って、武士の世を作る為に剣を振るって来たのだと言って清盛に地位を譲った忠盛でしたが、それが舞子の言葉に対してやっと得た答えでした。その志を清盛が受け継ぐ事でドラマの主題が続いていく事になるのですね。主題曲ともなっている「遊びをせんとや」の今様が繰り返し流される事で、それが上手く強調されていた様に思います。

ただ、忠盛が死んだ時点で清盛は既に35歳になっており、いつまでも少年じみた清盛の振る舞いには違和感を感じてしまいます。国司ともなったのだから、それ相応に振る舞って欲しいと思うのは私だけなのかな。

源氏の方では、為義の悲壮感が良く出ていました。忠盛に大きく水を開けられてしまった彼にとっては、摂関家との関係が唯一の拠り所であり、犬と蔑まれようが頼長の命に従う事が精一杯の生き方なのでした。より大きな力を持つ鳥羽院に気に入られた義朝にすれば、為義の生き方は危なくて見ていられないのですが、為義には義朝の忠告は通用しないのですね。このあたりはドラマ独自の脚色は入っているにしても、史実との関係を上手く取り入れていると思います。間に入った由良が可哀想でしたね。

さて、次回は棟梁となった清盛の姿が描かれる様です。不安な出船となる様ですが、武士の世を目指すと言う清盛の力強い姿が見られる事を期待して待ちたいと思います。


2012年4月21日 (土)

京都・洛西 京都桜事情2012 ~仁和寺 4.19~

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平成24年4月19日の仁和寺です。この日は御室桜が満開になり、見頃を迎えていました。

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仁和寺のホームページに依れば、この前日に満開になった様ですね。寺側の予測では21日頃と思われていたのですが、3日ほど早くなった様です。

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実際、この日は夏日を記録する程の陽気だったし、この間までの寒気はどこへ行ったのだろうと思う程の様変わりです。丁度良い季候というのは、今の日本からは無くなってしまったのかしらん?

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でも、そのおかげで最高のタイミングで訪れる事が出来たのですから、文句を言ってはいけませんね。唯一の心残りは昼から雲が出て来た事で、すっきりした青空背景の写真を撮れずに終わりました。このあたりは、恵まれたという記憶が無いんだなあ。

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御室桜の他には、三つ葉つつじも満開でした。以前は桜の中で宴会も可能だったのですが、今はそれは駄目になり、代わってこのツツジの周囲でお弁当を広げる人が多かったですね。

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気が付けば、もみじの新葉がすっかり広がり、新緑の季節に代わりつつあります。寒さで梅や桜が遅れたのは何時の事だったっけと思ってしまうのは私だけかな。とまどっている内にも、季節は確実に移ろって行くのですね。そろそろ意識を変えないと、置いていかれてしまいそうです。

2012年4月20日 (金)

京都・洛北 京都桜事情2012 ~鷺森神社 4.14~

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平成24年4月14日の鷺森神社です。この日は染井吉野などの桜が満開から散り初めになりつつあるところでした。

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ここを訪れたのは、朝から降っていた雨が止んでまもなくの事で、沢山の花びらが散っていました。まさに花散らしの雨でしたね。

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それでもまだ見応えはあり、静かな境内でゆっくり花を楽しむ事が出来ましたよ。

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風が吹くと花がわずかに舞い散るといった塩梅で、散り初めの一歩手前といったところでしたか。広がり始めたもみじの新葉とあいまって、とても綺麗でしたよ。

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一本ある八重紅枝垂れ桜は満開でした。まだほんの若木で、ここれから先が楽しみな木ですね。

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雨の落としたものは桜だけではなく、大量の椿も地面に散っていました。落ち椿と言うには多すぎたのですが、これはこれで綺麗でしたよ。

さて、京都の桜も後半戦に入り、遅咲きの桜が主役となる時期が来ました。明日からはその桜たちをお届けしたいと思っているところです。お楽しみに。

2012年4月19日 (木)

京都桜事情2012 ~洛中・洛西 4.19~

今日はお休みを貰って、見頃を迎えた遅咲きの桜を見てきました。少し歩くと汗ばむ程の陽気に誘われたのか、平日にも係わらず、大勢の人でにぎわっていましたよ。

1.雨宝院

歓喜桜、観音桜が満開・見頃を迎えています。とても綺麗で、見応えがありましたよ。また、御衣黄桜は5分咲き程度になっています。八重紅枝垂れ桜は満開ながら見頃過ぎ、松月桜は3分咲き程度でした。

2.平野神社

大内山桜、白雲桜が満開・見頃となっています。また、一葉、虎の尾、鬱金なども見頃ですね。楊貴妃と平野撫子も満開ではありますが、少し見頃は過ぎている様です。平野妹背は一段目が咲いた所で、二段目はこれからでした。突羽根桜はまだ蕾が膨らんだ程度です。衣笠は見頃が過ぎて散りが盛ん、八重紅枝垂れも見頃が過ぎています。

3.仁和寺

御室桜が満開・見頃でした。満開になったのは昨日の様ですが、今日も見頃は保っていましたよ。豪華な桜の海を堪能して来ました。枝垂れ桜は見頃過ぎ、三つ葉つつじは満開・見頃です。

京都・洛中 京都桜事情2012 ~妙覚寺塔頭 善明院 4.14~

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平成24年4月14日の善明院です。この日は八重紅枝垂れ桜が、満開・見頃を迎えていました。

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その咲きっぷりたるやこのとおりで、まさに豪華絢爛、見事と言う他ありません。この日見た桜の中でも最高だったと思います。

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花の状態はまさしくピークで、これ以上はないという程綺麗でした。細かく見れば、早くに咲いた枝の花は少し色抜けがしていたのですけどね、全体としては文句の付けようが無かったです。

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この木も年によって当たり外れがあるのですが、今年は当たり年でした。毎年続いてくれれば良いのですが、やはり木も花を咲かせるのは疲れるという事なのでしょう。

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これだけの花なのに、見に来ているのは私一人だけでした。時間が遅かったせいもあるでしょうけど、まだまだ知られていない穴場と言えるのでしょうか。

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この花もそろそろ盛りを過ぎ、色抜けが始まっている頃でしょうね。2年続けての当たり年は難しいかもしれないけれど、来年もまたこの花に出会えたら良いなと思っているところです。

2012年4月18日 (水)

京都・洛中 京都桜事情2012 ~水火天満宮 4.14~

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平成24年4月14日の水火天満宮です。この日は2本ある枝垂れ桜が共に満開となっていました。

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二本の木はそれぞれ性格が違っており、入り口に近い方の木が遅咲きの八重紅枝垂れ桜で、この日がまさに見頃になっていました。

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年によって当たり外れがある木なのですが、今年はまずまずの当たり年だった様です。ほんの少しピークは過ぎていた様ですが、これだけ豪華だと見応えがありますね。

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奥にある木が早咲きの紅枝垂れで、この日はようやく満開を保っているという状態で、既に色抜けがしていました。

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この木がピークだったのは一週間前の事で、7日に撮った写真がこれです。八重の桜とはまた違った、優しい色合いですよね。

ここも両方の木が満開という事はあまりないと思われ、今年の桜の異常さを物語っています。でも、両方の桜の盛りの時に出会えたのは、とても幸運な事だったと思っています。

2012年4月17日 (火)

京都・洛北 京都桜事情2012 ~加茂川 4.14~

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平成24年4月14日の加茂川です。この日は東岸の桜並木が満開・見頃を迎えていました。

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桜並木があるのは御薗橋から北山大橋にかけてで、その下流は八重紅枝垂れ桜のある半木の道へと続きます。

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堤防の上はこんな感じで、まさに桜のトンネルですね。とても綺麗なのですが、狭い道に人と車が溢れるのが難点です。

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この日は朝まで雨が降っていたのですが、午前中に上がって、昼からは青空が広がっていました。これぞ花見日和でしたね。

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対岸から見渡せば、桜並木越しに比叡山を望む事が出来ます。絶景と言って良い眺めですね。

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はるか下流には、大文字も見えています。平地でこれだけ見晴らしの利く場所も珍しいんじゃないかな。

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桜は満開でしたが、風が吹くと花びらが散るという状態になっていました。つまり、散り初めの一歩手前ですよね。今頃は桜吹雪になっているかも知れません。花の散り際の美しさに会いに行くのも一興かも知れませんよ。

2012年4月16日 (月)

京都・洛北 京都桜事情2012 ~上賀茂神社 4.14~

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平成24年4月14日の上賀茂神社です。この日は境内の枝垂れ桜や染井吉野が見頃を迎えていました。

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冒頭の写真の白い桜が御所桜で、早咲きの桜として知られています。今年は咲き始めが遅かったので、斎王桜と共に満開の状態を保っていました。これって、ちょっと珍しい事じゃないのかな。さすがに盛りは過ぎており、かなり色抜けが進んでいました。

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こちらが斎王桜です。その名にふさわしい、豪華な桜ですよね。

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これまで桜の開花は例年より遅れており、一週間以上遅い進行でした。なので、この桜もまだ咲きかけ程度だろうと思っていたのですが、なんと満開になっていました。ここに来て、開花の時期は例年並みに戻った様ですね。

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花の状態はほぼピークと言って良く、最高のタイミングで訪れる事が出来た様です。これは嬉しい誤算でしたね。

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こちらは風流桜で、やはり満開となっていました。ここ二年程は状態が良くなかったのですけどね、今年は少し回復した感じがします。二の鳥居内にあるみあれ桜も満開だったのですが、光線の状態が悪く、良い写真を撮る事が出来ませんでした。

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一の鳥居の脇にある染井吉野も満開でした。花の下に馬が繋がれているのは、この日賀茂競馬の練習が行われていたためで、境内には勇ましい掛け声が響いていましたよ。あと半月もすれば5月、この神社は葵祭一色に染まる事になります。様々な行事が予定されてやおり、今から楽しみにしているところです。

2012年4月15日 (日)

平清盛 第15回 「嵐の中の一門」

(馬から落ちて亡くなった家盛。)

(家盛の亡骸に縋って泣き崩れる宗子。駆けつけた清盛に、家盛に触るなと宗子。お前が平家に災いを持ち込んだ、お前が死ねば良かったのだと清盛に言う忠正。)

(清盛の館。土砂降りの雨。秀子は親元に戻ると時子に告げる盛国。雨の中、屋根に登っている清盛。驚く時子と盛国。やる事がいちいち仰々しいと頼盛。)

(落馬の寸前、家盛は兄上とつぶやいたと頼盛。清盛に向かって、あなたが苦手だ、代わりに死ねば良かったとまでは思わないが、家盛はただ一人、父と母を同じくする心やすい兄だったと頼盛。)

(鳥羽院御所。改めて院に対する忠義を誓う忠盛。その忠盛に高野山の大塔の修復を命ずる鳥羽院。清盛を名代にと願い出る忠盛。)

(7月9日、大塔造営の事始めが行われ、その代官として臨んだ清盛。そこに現れた一人の僧。怪しい奴と殺気立つ郎党。私だと笠を取ったのは、西行となった教清でした。)

(西行の僧坊。いつからここにと清盛。つい先頃まで陸奥に行っていたと西行。)

(とりわきて 心は凍みて冴えぞわたる 衣川見に来たる今日しも)

(衣川が見たくて陸奥にまで行ったが、心まで凍る寒さだったと西行。何をやっているのだ、いつまでも変わらない奴と清盛。)

(競う様に西行を訪ねてきた大勢の女達。彼女たちは、西行に食べ物を持って来たのでした。相変わらず女性に人気のある様子を見てあきれる清盛。)

(清盛の館。家盛が死んだのは清盛のせいだともっぱらの噂だと時子に告げる時忠。つまらぬ事をと時子。あれのどこが光る君かと時忠。思っていたのとは違って、誰よりも寂しく、人恋しい人、私は側を離れないと時子。)

(忠盛の館。蔵の物は要るだけ清盛に与えよ、大工も仏師も極上の者を使えと家貞に命ずる忠盛。)

(この期に及んで清盛を名代とするとはと忠正。張り詰めてきたものがぷつりと切れてしまって、忠盛は大丈夫だろうかと家貞。)

(1150年(久安6年)1月4日、近衛帝元服。数日後、入内した頼長の養女、多子。これを警戒して、自分の養女、呈子を入内させようと動き出した忠通。)

(忠通に向かって、頼長に摂政の座を譲れと迫る忠実。話はこれまでと断る忠通。対立を深める摂関家の兄弟。)

(今様を歌う雅仁親王。彼は今、崇徳上皇と共に暮らしていました。そなたは帝となりたいと思った事はないのかと上皇。まるでない、帝になっては一日歌っている事など出来ないと親王。いっそ、そなたほど潔ければと上皇。)

(清盛の館。清盛に、当代きっての絵師と常明を紹介する信西。常明に、高野山に奉納する曼荼羅を画いて欲しいと依頼する清盛。身命を賭してと常明。信西に礼を言う清盛。雅仁が常明の絵を好きなので見知っていたのだと信西。今日は家盛の一周忌だから、供養のために正倉院に愛用の品々を納めると清盛。)

(忠盛の館。忠盛に、これも納めて欲しいと鹿の角を差し出し、この志のために家盛は死んだのだからと宗子。それで気が済むのならと忠盛。角を床に叩き付けて泣き崩れる宗子。呆然と見つめる清盛。角を床に叩き付けて砕く宗子。黙って見つめている忠盛。)

(泣きながら忠盛を叩く宗子。何事かと集まってくる忠正たち。砕けた角を見つめる清盛。)

(夜、清盛の館。清盛を訪ねてきた西行。時子を紹介する盛国。どうしたと聞く清盛。宝塔再建の勧進のために山を下りてきたと西行。済まぬが、自分には宝塔再建の役目は務まらないと清盛。どうしましたと西行。一門は酷い嵐の中に居る、その元は自分だと清盛。家盛の亡骸に触れる事も許されず、代わりに死ねば良かったとまで言われて、どうして大役が務まろうかと言いながら、大塔の完成図をたき火の中にくべる清盛。)

(身も心も凍る衣川で、一心に川を見つめ続けていた、それは美しきものが潜んでいたからに違いないと西行。美しきもの?と清盛。今は嵐の中で一心に大塔再建に努められよ、そうすれば風雪を堪え忍んだ者だけが見られる美しきものが見つかる、嵐の中の一門のため、余所者にしかできない事がきっとあるはずと西行。)

(西行の言に従い、大塔再建の仕事に打ち込む清盛。)

(義朝の館。頼長警護のために義朝を誘いに来た為義。太刀を手に出て行こうとする義朝。それを咎める為義。かつて忠実に唆され、忠盛を闇討ちにしようとした事を忘れたのか、あんな目に遭っておきながら摂関家に従う父の気持ちが判らないと義朝。背を向けて出て行く義朝。)

(都大路。常磐とその父が騒いでいます。そこに通りかかった義朝。訳を聞けば、忠通が間もなく入内する呈子の雑仕女とするため、都中から見目麗しき女を集めよという命が下ったのでした。病の母を捨てては行けないと常磐。呈子に仕える事が出来るのなら父の暮らしぶりも良くなる、そうすれば母の病も癒えるはず、親の役に立つ事は何より嬉しいだろうと常磐に説く義朝。)

(都中から集められた千人の女の中から、随一の美女として選ばれた常磐。内裏の一室で瞬く間に宮中の女に仕立てられて行く常磐。)

(美女たちを従えて華やかに入内した呈子。)

(院の御所。院号宣下を受けて美福門院となった得子。美福門院に拝謁する忠盛。大塔が完成した暁には、忠盛を公卿とするよう口添えをすると美福門院。ありがたきお言葉と忠盛。)

(廊下で、家貞にあと一息だと忠盛。廊下の先に頼長を見つけて跪く忠盛。)

(美福門院の覚え目出度い様だなと頼長。身に余る光栄と忠盛。家盛が落命してから1年かと頼長。一周忌の供養を済ませたばかりだと忠盛。私も残念だ、優れた男と目を掛けていたのだがと頼長。有り難きお言葉と忠盛。身の程を弁えぬ野心を持つ者は、苦しみ抜いて死ぬという事だと頼長。ぎょっとする忠盛。)

(知らず知らず、生まれ怪しき兄への鬱屈が溜まっていたのであろう、家盛こそが跡継ぎに相応しいと少しばかり煽ってやったら、何もかも差し出しおったと頼長。はっとして頼長を見る忠盛。つまるところ平氏の足並みを乱したに過ぎないと気が付いたが、今更後には引けない、死ぬまで自分に与するしかないと悩んでいたのであろうと頼長。返す返すも残念だ、自分と家盛は何もかも結ばれた仲だったのだからと頼長。かっとして立ち上がる忠盛。)

(薄笑いを浮かべながら随人の手を取り、もう死んだ人間の話だと頼長。忠盛に向かって、自分が父ならあっぱれな事と褒めてやる、さすが武士の子、見事なる犬死にだと言い捨てて去る頼長。怒りで震える忠盛。)

(清盛の館。曼荼羅を画く常明。弟への供養のために筆を入れてはと清盛を誘う常明。清盛が絵に筆を入れようとした時、忠盛が現れます。今すぐ止めよと命ずる忠盛。いぶかる清盛。もう財をなげうって、このようなものを寄進しなくてもよいと忠盛。)

(家盛を殺したのは自分だと忠盛。清盛が居たからこそ、この世を変える為に鬼にも蛇にもなれた、一門の者にも家盛にも無理を強いた、いつか志が遂げられれば全てが報われると信じてきた。だが家盛は断じて報われない、武士は己の分を弁えて生きていればよいのだと忠盛。)

(話はそれだけか、ならぱ帰って欲しいと言って絵に向かう清盛。止めよと言っているのが判らないのかと清盛を突き飛ばす忠盛。再び絵に向かう清盛。言う事が聞けないのかと清盛を叩き付ける忠盛。血を流しながら、自分は家盛の兄だと言って絵に向かって這う清盛。)

(流れる血を筆に含ませて、仏を描く清盛。それを見つめる忠盛。清盛に手を合わせる常明。絵を描き上げて仰向けに倒れる清盛。涙する忠盛。倒れている清盛を見て駆け寄る時子。)

(時子に続いて現れた宗子、忠正、頼盛。清盛の書き上げた仏の絵を見つめる宗子。そして、家盛が兄によろしくと言っていると清盛に告げる宗子。涙する清盛。微笑む宗子。微笑む清盛。嵐を乗り越えた平氏一門。)

(為義の館。郎党に号令を下す為義。)

今回は家盛の死と、それに伴う平氏一門の動揺が描かれました。かなり創作色が強い回ではありましたが、史実に沿った動きもいくつかあります。

まずは、清盛紀行にもあった様に、高野山の大塔の再建を平家が請け負った事ですね。この事が清盛の出世に大きく寄与する事は紀行にあったとおりですが、その出世を予言した老僧はドラマにも出て来るのでしょうかね。また、これも紀行にあった様に、清盛が奉納する曼荼羅図に自らの血で筆を入れたと平家物語にはあり、それを上手くドラマに取り入れていました。もっとも、忠盛に殴られて血を流した訳ではなく、自ら首の血を抜いて宝冠を描いたと物語には書かれています。

次に、西行が高野山に住んだ事も、その前に陸奥にまで旅をして来た事も史実のとおりですね。彼が陸奥にまで行ったのは能因法師という和歌の先達の跡を偲んでの事と言われ、風雅探訪の旅だったとされます。また、奥州藤原家とは縁戚の関係にあり、その縁もあった様です。その後は長く高野山に住みながら、都へも足繁く出入りするという生活を送る事になって行きます。その事もドラマに生かされていますね。

そして、近衛帝を巡って、多子と呈子を相次いで入内させた事も史実にあるとおりです。結果として藤原摂関家が二つに分かれるのですが、そのあたりの描き方が分かり難かったのではないかしらん。確かに史実においても忠実と頼長が仲が良く、忠通に摂政の座を譲れと迫っているのですが、突然過ぎてドラマを見ているだけでは何の事やらと混乱したのではないかな。判りやすく言えば、出来の良い頼長に忠実は摂関家復活の望みを託し、今ひとつ冴えないように見える忠通に代わって摂関家の長に据えようとしたのですね。その事を巡って対立が深まって行くのですが、説明が足りてない様に思えます。

また、常磐が呈子の雑仕女として千人の美女の中から選ばれたというのは、史実がどうかはともかくとして、物語としては伝わっている事ですね。この後、義朝と関係が出来ていく訳ですが、そのあたりどう描くのか、楽しみにしているところです。

わずかに触れられている所では、雅仁親王と崇徳上皇が一緒に暮らしていた事も史実にあるとおりで、後に対立関係になる二人も、この頃には仲睦まじい兄弟だったと言われます。また、雅仁親王が今様をどうしても止められなかったというのも史実に沿っていますね。

ドラマに沿っては、頼長が見事な悪役振りを示してくれました。何もあんな事を言わなくてもと思いますが、まさしくはまり役でもあります。また、それに対する忠盛の演出も良い出来でした。押さえていた親としての激情をぶちまける忠盛が、実感を持って迫ってきました。中井貴一はやはり上手いですね。それに対する清盛の反応も見事で、初めて主役らしい演技を見せて呉れたのではないかしらん。

今回の出来事で、やっと清盛出生から引きずっていたわだかまりが一掃され、清盛が跡継ぎとしての自覚と役割を担うという地ならしが出来たという事になるのでしょう。ここからの新生清盛が楽しみですね。ただし、忠正と頼盛が清盛とは一線を引いたままという図式は変わりはなさそうで、ここは史実に沿った描き方になりそうです。

次回は忠盛が亡くなりそうですね。ドラマの基調を支えていた忠盛が居なくなって大丈夫かと思ってしまいますが、そこは清盛の成長に期待するのが正しいのでしょう。次回はさらに主役らしくなった清盛の姿を見てみたいものです。

2012年4月14日 (土)

京都桜事情2012 ~洛北・洛中 4.14~

今日は洛北を中心に桜巡りをして来ました。染井吉野は満開から散り初めの所が多く、まだ見応えはありましたね。また、予想に反して八重紅枝垂れ桜が見頃を迎えており、ちょっとした驚きでした。ここに来て、桜の開花の遅れは一気に取り戻したかの様に見受けられます。

1.詩仙堂

庭に大きな山桜があるのですが、残念な事にまだ咲き始めたばかりでした。その代わり、見頃になった椿や小さな花達が出迎えてくれましたよ。

2.野仏庵

染井吉野と八重紅枝垂れ桜が、満開・見頃となっていました。ともに少しピークは過ぎていた様でしたが、私以外に拝観者は居らず、ウグイスの鳴き声だけが響く境内でとても贅沢な時間を過ごす事が出来ました。

3.圓光寺

観音像前と宝物館横の八重紅枝垂れ桜が満開・見頃になっています。たぶん、今日あたりがピークだったんじゃないかな。とても綺麗でしたよ。

4.鷺森神社

染井吉野が満開から散り初めに変わりつつあるところでした。萌えだしたもみじの新緑に映えて見応えがある状態でしたね。また、八重紅枝垂れ桜が満開・見頃です。他には、参道にあるモクレンが満開、椿は大量に花が落ち、赤い絨毯の様になっていました。これはこれで綺麗でしたよ。

5.三宅八幡宮

染井吉野が満開から散り初めに変わりつつありました。ここもまだ見応えはありましたよ。

6.高野川上流

三宅八幡宮付近の高野川沿いでは、山桜や染井吉野の桜並木が満開・見頃になっています。桜が川面に映えてとても綺麗でした。

7.宝ヶ池

染井吉野や枝垂れ桜が満開・見頃になっています。ここもピークはやや過ぎており、そろそろ散り初めに変わる頃でしょうね。

8.大田神社

大田沢のほとりにある一本の染井吉野が、満開・見頃になっていました。伸びてきた杜若の緑の葉に良く映えて、なかなか綺麗でしたよ。

9.上賀茂神社

斎王代桜、みあれ桜、風流桜が満開・見頃になっています。ともに今日あたりがピークだったのではないでしょうか。今年はどの桜もボリューム感があって見応えがありますよ。御所桜は満開ですが、盛りが過ぎて色抜けがしています。あと、染井吉野も満開・見頃でした。

10.加茂川沿い

御薗橋から北山大橋にかけて染井吉野が満開・見頃になっています。とても綺麗でしたが、ピークは少し過ぎている感じですね。

11.水火天満宮

手前にある八重紅枝垂れ桜が満開・見頃になっています。ややピークは過ぎているかも知れませんが、今年はボリューム感もあって見応えがありますよ。早咲きの方は満開を保ってはいるものの見頃は過ぎており、色抜けが進んでいます。

12.善明院

八重紅枝垂れ桜が満開・見頃を迎えています。今日見た桜の中では一番綺麗でしたね。枝によってはピークが過ぎている部分もありましたが、全体としては今日がほぼ最高の状態だったと思われます。良いものを見せてもらいました。

13.妙顕寺

庫裏前の二本の八重紅枝垂れ桜は満開・見頃となっています。ただし、大きい方の木はややピークが過ぎていました。また、山門前の二本の枝垂れ桜のうち、早咲きの方は満開ながら盛りが過ぎており、色抜けがして来ています。もう一方の八重紅枝垂れ桜は満開・見頃でした。染井吉野は満開から散り初めに変わりつつあるところです。ここは早く工事が終わって欲しい所ですね。

14.本満寺

塔頭と墓地の入り口にある八重紅枝垂れ桜が満開・見頃になっています。ここも今日あたりがピークだったんじゃないかな。とても綺麗でしたよ。

2012年4月13日 (金)

京都・洛中 京都桜事情2012 ~妙覚寺 4.7~

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平成24年4月7日の妙覚寺です。この日は山門前にある枝垂れ桜が見頃を迎えていました。

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本満寺や千本釈迦堂の木に比べると小振りなのですが、その代わりに花色が濃くて、より一層綺麗に見えます。

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毎年綺麗な花を見せてくれるのですが、やや残念なのは門前の枝が短くなっている事ですね。出入りに邪魔になるから切られたのか、それとも折れてしまうものなのかは判りませんが、本堂とのコラボレーションを撮る事が出来ないのが寂しいです。

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この花は、この日がほぼピークだったと思われます。これだけの花を見る事が出来たのだから、幸運だったと言えるでしょう。今頃は盛りを過ぎて色抜けがしている頃かな。次は塔頭の八重紅枝垂れが気になりますね。明日行ってみようと思っているところですが、未だ早いという気もするし、どんな具合になっているかしらん。

2012年4月12日 (木)

祇園で事故

祇園でとんでもない事故が起きたようですね。仕事から帰ってからネットの情報で知ったのですが、私も良く通る交差点での事故だけに驚きの一言です。亡くなったのは8人だとか。あの場所でそんな事件が起きるなんて、考えもしませんでした。本当に怖い事ですね。

この事故で亡くなった方々には心よりご冥福をお祈りします。

京都・洛中 京都桜事情2012 ~本満寺 4.7~

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平成24年4月7日の本満寺です。この日は庫裏前の枝垂れ桜が満開を迎えていました。

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この枝垂れ桜は、傘状に垂れた長い枝が見事な事で知られます。これだけ大きく傘を開いた枝垂れ桜は、なかなか無いですよ。

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花付きも良くて、毎年沢山の花を見せてくれます。ほんのりとした桜色が綺麗ですね。

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この日はわずかにピークを過ぎていた様です。本当の盛りだと、もう少し花に艶があって、色ももう少し濃いめですからね。

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この木の見所の一つは、下から枝越しに花を見上げる事ですね。頭上一面に花が広がり、青空が背景になると一層綺麗です。

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ここは以前は穴場とされていたのですが、今ではすっかり有名になりました。この日も沢山のカメラマンが来ていましたね。でも、その分マナーも悪くなって、白砂の中に平気で入ったり、植え込みを踏みつけたりする人が絶えなかったです。その内に撮影禁止になるじゃないかと気がかりですね。

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ここでは、もう一つ染井吉野も見事でしたよ。みんな枝垂れ桜ばかり気にしているのですけどね、この木も見逃す手はありません。両方見ないと損ですよ。

この寺の桜も、そろそろ盛りを過ぎた頃でしょうね。まだ花は穿いているでしょうけど、色抜けがして真っ白になっているだろうな。これからは、東側の塔頭にある八重紅枝垂れが見頃になって来る事でしょうね。その後は牡丹が続きますよ。

2012年4月11日 (水)

京都・洛東 京都桜事情2012 ~鴨川 4.7~

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平成24年4月7日の鴨川です。この日は東側にある紅枝垂れ桜が見頃を迎えつつあるところでした。

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この鴨川東岸には、早咲きの一重の紅枝垂れと遅咲きの八重紅枝垂れが植えられています。今見頃なのは早咲きの方ですね。この日で3分咲きから7分咲きまで混在していましたから、今頃は丁度見頃になっている事でしょう。でも、少しピークは過ぎているかも、ですね。

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主に咲いているのは三条大橋の下流側で、染井吉野もいくらか植えられています。

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綺麗に見えるのは、歩道沿いか、いっそ対岸からでしょうね。川の中に降りると、護岸が邪魔になって意外と見えないのですよ。

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こうして、桜越しに鴨川沿いの町並みを見渡すのが、ここの醍醐味の一つですね。ただ、こういうポイントが少ないのが難点なのですが。

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桜と共に、しだれ新柳の緑も見事でした。この緑と桜を同時に見渡せるのが、次に掲げる三条大橋からの眺めですね。

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どうです、柳と桜に加えて、赤芽垣の新芽のコラボレーションが見事でしょう。この景色は一重の紅枝垂れが散ると一度終わりますが、その後八重紅枝垂れが咲くと共に復活します。三条に行く事があったら、忘れずに鴨川の下流側を見て下さいよ。

2012年4月10日 (火)

京都・洛東 京都桜事情2012 ~祇園白川 4.7~

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平成24年4月7日の祇園白川です。この日は枝垂れ桜や染井吉野が見頃を迎えていました。

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染井吉野の開花宣言が出たのは3日だったのですが、あっと言う間に咲き進んだ様ですね。ここ祇園白川では満開の木を含め、3分咲き、5分咲きが混在し、結構見応えがある様になっていましたよ。

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早咲きの枝垂れ桜は満開でした。少しピークは過ぎた感じでしたけどね、祇園らしい風情を感じるには十分でした。

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私としては、小さいながら色の濃い紅枝垂れが咲いていなかったのが残念でしたけど、これだけ咲いていればまあ満足ですね。

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巽橋から見るとこんな感じで、川面に映える桜が美しいですね。この界隈ならではの風情です。

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ここではライトアップも行われていたのですが、8日で終わってしまいました。3月30日からだったので、前半はさっぱりだったでしょうけど、後半は見応えがあった事でしょうね。一度は見ておきたかったなという気がしています。

2012年4月 9日 (月)

京都・洛東 京都桜事情2012 ~円山公園 4.7~

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平成24年4月7日の円山公園です。この日は枝垂れ桜などが見頃を迎えつつあるところでした。

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メインのこの枝垂れ桜は4分咲き程度だったかな。一時期の悲惨な状況から見れば随分と回復した様に見え、この木独得の小さいけれど色の濃い、綺麗な花を咲かせていましたよ。

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こちらは池の東にある枝垂れ桜です。結構な古木ですが、今年も元気に花を咲かせていました。ただ、少し枝数が減っている様ですね。一時的なものだと良いのだけどな。

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龍馬像の西にある若い枝垂れ桜です。この公演の枝垂れ桜のでは、一番勢いが良く、花も綺麗ですね。今年も元気な姿を見せてくれていました。

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染井吉野は3分咲き、5分咲き、そしてこの花の様に満開のものまでが混在していました。たぶん、今日あたりが一番の見頃になっている頃ではないかと思われます。

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その花に先行して、花見モードは全開でした。あらゆるところにビニールシートが敷かれており、わずかの隙間もないと言う程でしたね。これって、何時の間に交代しているのでしょうか。前夜から場所取りをしているとしか考えられませんね。

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夜桜も出来れば見に行きたいのですけどね、タイミングが合いそうにありません。かがり火に照らされた桜は、さぞかし綺麗なのだろうけどなあ。ちょっと残念です。

2012年4月 8日 (日)

平清盛 第14回 「家盛決起」

(宗子の苦悩を知り、清盛に嫡男とは思わないと通告した家盛。)

(検非違使庁から戻った忠盛。何事も無かった様に出迎える宗子。忠盛に鹿の角を示し、宗子が舞子ゆかりのものだと気付いたと告げる家貞。)

(時子の歌に合わせて舞いの稽古をする清盛。上手く舞えずに時子に当たる清盛。)

(清盛に賀茂の祭にて舞を舞えなくなったと告げる家成。その理由は平家に対する世の反発が強くなったためでした。その代役として指名された家盛。)

(義朝の館を訪れた為義。頼長から賀茂祭の警護を頼まれたと告げますが、鳥羽院に仕える身であると断る義朝。源氏の嫡男なら従えと言って立ち去る為義。)

(義朝に頼長に従えと忠告する由良姫。余計な口出しをするなと義朝。朝廷の事を知りたくないのなら、なぜ私を妻としたと立ち去る由良姫。)

(賀茂神社。祭りの用意がされ、警護の武士や見物人が集まっています。)

(神殿の一角。鳥羽法皇に、清盛を軽い刑で済ませたと思えば今度は弟に大役を任せるとは、よほど延暦寺の呪詛を受けたいのかと皮肉を言う忠実。これが私の政だ、よく心得ておけと法皇。法皇の政とは、身分賤しき者を引き立てる事と見受けられると頼長。私の事かと得子。心当たりでもと頼長。頼長を睨み付ける得子。そのまま立ち去る忠実と頼長。)

(始まった舞。見守る法皇、忠実、頼長。家盛は正妻の子でありながら清盛に遅れを取っていると頼長に告げる忠実。家盛を見つめほくそ笑む頼長。)

(忠盛の館。家盛の舞の見事さを吹聴する維綱。家盛を褒める忠盛。そこに、頼長が家盛を屋敷に招くという知らせを持ってくる忠正。家盛の舞の見事さに感心したというのがその理由でした。これも家盛の日頃の精進の賜と喜ぶ郎党達。面白くなさそうな清盛。)

(都の通りで義朝に出会った清盛。強訴を阻んでやったのは我らと義朝。礼を言う清盛。)

(通りの店で酒を酌み交わす清盛と義朝。賀茂祭では内大臣の警護に当たったが、あの様な男に仕えたくはないと義朝。お前もそう思うのか、初めて気が合ったと清盛。頭に乗るなと義朝。自分は目の敵にされているが家盛は気に入られたらしいと愚痴る清盛。弟に先を越されそうなのかと笑う義朝。笑い事ではないと清盛。酒が切れた、家で呑むかと誘う義朝。その時、この酒を買って貰えないかと現れたみすぼらしい女。)

(母が病で、何も売れなければ身売りをするほかないと言う女。お前が買ってやれと義朝。六条の義朝の家にがらくたでも何でも持っていけと清盛。がらくたとは何だと義朝。人助けも出来ないのかと清盛。急に笑い出した女。瓢箪を差し出し、これで買うと義朝。)

(夜、忠盛の館。宗子の前に鹿の角を出す忠盛。自分がこれを持っているのは、陰陽師の世迷い言にたぶらかされた白河院が、罪無き女の命を奪った日の事を忘れない為だと忠盛。家盛が哀れだ、けれども私は全てを受け入れていると宗子。)

(高倉邸。頼長に拝謁する家盛。先だっての舞には感服した、清盛の数々の不始末を補って余りあると頼長。家盛は清盛とは違って正妻の子であると維綱。ではいずれ跡継ぎとなるのはこの家盛かと頼長。そうなるのが道理と維綱。理に叶った事こそ好ましい、優れたものが世に煌めくのが道理だと頼長。頼長にひれ伏す家盛。)

(1148年(久安4年)。半ば蟄居の日々を余儀なくされ、所在なげに酒を呑みながら郎党達の餅つきを見ている清盛。このままでは家盛に跡継ぎの座を奪われてしまう、どうなさるのかと時忠。杯を投げつける清盛。時忠に、餅でも食べないかと誘う盛国。)

(跡継ぎの座など譲ってしまえば良いではないかと時子。何だとと清盛。光源氏でさえ、帝の座は弟に譲ったと時子。光る君が譲ったわけではないと清盛。それくらい広い心を持てという事、小さな事を気に病む様ではそもそも跡継ぎの器ではないと時子。むっとするも、言い返せない清盛。)

(従4位下、右馬頭に昇進した家盛。)

(高倉邸。夜、縁側で酒を呑む頼長。側には家盛。家盛に酌をしてやる頼長。怪しげな出自の兄の陰で過ごした不遇の時は長かっただろうと頼長。そんな事はと家盛。あの兄さえ居なければと生きてきたはずだと頼長。家盛の手を取り、私が叶えてやろう、まこと世に輝くべきはそなただと頼長。平氏一門にも鳥羽院にもそう思い知らせてやろうと言って、家盛を押し倒す頼長。)

(1149年(久安5年)、忠盛の館。鳥羽院の熊野詣の警護を命じられた平氏。しかし、清盛の同行は許されませんでした。警護に同行するのは家盛、頼盛、教盛という清盛の異母弟たち。面白くなさそうな清盛。家盛に会いに来たという経盛。賀茂祭での見事な舞が都中の語りぐさしさとなっていると経盛。いよいよ跡継ぎらしくなってきたと教盛。まだ誰も跡継ぎとは決まっていないと家貞。家盛は正妻の子と経盛。清盛は先の騒動のせいで跡継ぎにはなれぬはずと教盛。ここではっきり、家盛を跡継ぎにすると決めてしまえと忠正。じっと背中で聞いている清盛。)

(私もそう定めてもらいたいと家盛。慎みなさいと宗子。その母を制し、兄を跡継ぎでないと示す事が一門のためになると家盛。一門の安泰だけを考えていて世を変えられるか、何の為の武士かと叫ぶ清盛。自分は神輿に矢を射た事を悔いていないと清盛。何と恐ろしい事をと教盛。こんな人を兄とは思いたくないと経盛。忠盛に迫る清盛。何も言わない忠盛。)

(家盛に向かって、自分は降りる、跡継ぎはお前だと言って出て行く清盛。)

(清盛の館。家に帰ってきて縁側に座る清盛。館の中で、盛国相手に、とんだ見込み違いだった、清盛に付いていてもこの先良い思いは出来そうにない、姉を家盛の側女にでもできないものかと愚痴る時忠。弟を叱る時子。時忠の言うとおりだ、側女となるなり出て行くなり、好きにするが良いと清盛。)

(何と情けない事をと時子。どれだけ落ちぶれようと、あなたさまこそが我が光る君と時子。時子を抱きしめる清盛。)

(忠盛の館。家貞相手に、自分は清盛こそが世を変える男と思って跡継ぎにするつもりでいた、しかし、家盛が後を継ぎたいと言った時に心の軸が揺れてしまったと忠盛。)

(高倉邸。夜、頼長の下を訪れている家盛。いよいよ清盛も終わりだと頼長。なぜかうかない家盛。そんな弱い心では世を正せないぞと頼長。家盛の肩を抱きながら、鳥羽院が頼りにしている平氏の武力と財力は、家盛が跡継ぎとなれば自分のものになったも同然と頼長。院は我らを頼らざるを得なくなる、その時こそ摂関家が栄華を取り戻す時だと頼長。平氏は院に忠義を誓っていると家盛。今更何を言う、そなたが院が頼りにしている清盛を蹴落としたのだと頼長。自分が棟梁に押したのは、ふさわしい器と思ったからではない、清盛よりも優れているのは、はるかに御しやすい男という事だけだと頼長。見目も申し分ないと言って家盛に迫る頼長。這って逃げ出そうとする家盛。もう遅いと頼長。家盛を背後から抱きしめ、欲に眩んで一門を売ったのだと言って押し倒す頼長。)

(夜、清盛の館。一人月明かりの中で座っている清盛。ふと目覚めて、清盛の側に座る時子。家盛に負けた事を悔しいとは思わぬ、ただ寂しいのだと清盛。仲の良い兄弟だったのだから当然だと時子。)

(忠盛の館。朝、庭に佇む家盛。そこに現れた宗子。勤めを無事に果たせと宗子。宗子に背を向け、嫡男であるかどうかはどうでも良かった、ただ跡継ぎになった事を当たり前の母として喜んで欲しかったのだと家盛。兄とも母とも、当たり前の関係で居たかった、せめて帰って来た時には当たり前の母として笑いかけて欲しいと涙ぐむ家盛。立ち去る家盛。家盛と叫んで涙ぐむ宗子。)

(2月13日、京を出立した鳥羽院の一行。無事に参詣を済ませ、3月15日に京の南郊の山崎に着いた一行。)

(清盛の館。庭で遊ぶ清太と清次を見守る清盛。)

(山崎。警護の列の中で、道ばたで遊ぶ幼い兄弟を見て、幼い頃清盛と木に登った日の事を思い出す家盛。)

(木に登る清太と清次を見ながら、家盛と木登りをした日を思い出す清盛。)

(清盛が手を差し出した時の事を思い出し、馬上で微笑む家盛。木から落ちた時を思い出し、そのまま馬上から崩れ落ちる家盛。)

(平次と叫ぶ清盛。)

今回は家盛の反乱が描かれました。史実においては、祇園闘乱事件の後、清盛が勢いを失ったのに対し、家盛が急速に台頭し始め、清盛に取って代わる勢いを示した事が知られています。その流れはドラマに描かれていたとおりですが、ただし、その背後に頼長が居たというのは創作です。

その頼長が男色家であったのは有名な事実で、自らの日記にその記録の数々を書き残しているのですね。この時代の性風俗は今と大きく違っていて、男色もごく普通の事とされていました。それどころか男色関係が政治にも人事にも大きな影響を及ぼしていたというのですから、この時代を知るには常識の違いを認識しておく必要があります。それにしても、NHKが大胆にも描いたものだとは思いますけどね。

それはさておきドラマに戻ると、家盛はやはり心優しき男なのでした。家盛の反乱は、頼長に唆された事よりも母親の無念を思っての事であり、自らの栄達を願っての事では無かったのですね。棟梁としては不向きではあっても、誰よりも親思いな息子なのでした。そして、忠盛もまた、親としての迷いを見せます。清盛に迫られてなぜ黙っているのかと思ったのですが、やはり我が子可愛さという思いが彼の中にもあったのでした。このあたり、建前だけてはない、人としての心の揺れを丁寧に描いていると思います。この脚本家の上手いところですね。

一方の頼長は、ただ正義感に燃えるだけの男から、悪辣さを加えた男に性格が変わって来ました。正論が通じない鳥羽院の世にあっては、一本調子では通じないと判ってきたという事なのでしょうか。史実では忠通の方の役回りなのですけどね、これも保元の乱への伏線という事なのでしょう。

保元の乱の伏線と言えば、義朝と為義の関係にもありました。頼長の警護を大役と言う為義に対し、自分は鳥羽院に仕える身と断る義朝でしたが、後の二人の関係がここで暗示されています。また、頼長に対する反発から、清盛と義朝が仲良くなるという設定もそうですね。一時的な呉越同舟という事になるのかな。

そして、常磐御前が出て来ました。まだ九条家の雑仕女になる前という設定なのですね。後に義朝の愛妾となると共に清盛とも関係して来るのですから、まさに運命的出逢いという事になるのでしょうか。次回はその常磐が九条家に仕える事になるいきさつも描かれる様ですね。

さて、家盛は突然馬から落ちてしまいます。史実では熊野詣の警護の途中で病死したと言われていますが、それにしても前触れが無く唐突過ぎますね。どんなけりの付け方をするのやら気がかりです。依然として清盛が主役らしく見えないところが難点ではありますが、周囲が面白いからまあ良いかというところですね。

次回は頼長か再び平家の前に立ちふさがる様です。これも創作の回となりそうですが、山本耕史演ずる頼長が面白くなってきたので、どんな具合になるか楽しみですね。

京都・洛東 京都桜事情2012 ~三年坂 4.7~

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平成24年4月7日の三年坂です。この日は坂の中程にある枝垂れ桜が見頃を迎えていました。

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この桜は京都でも比較的早くに咲く花で、清水寺などに比べると一足先に見頃を迎える事が多いようです。

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それにしても元々風情のある三年坂ですが、この花が咲くとぱっと華やかになり、京都らしさが一層際だつ気がしますね。

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この木は明保野亭の玄関先にあり、この店の桜と言うのが正しいのかな。でも、この時期の三年坂にはなくてはならない花になっている事は確かです。

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この日はほぼほ見頃と言って良かったのですが、厳密にはピークは少し過ぎていた様です。前日か前々日が一番綺麗だった事でしょうね。

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なので、これからは色抜けが始まり、間もなく白っぽくなってしまう事でしょう。ただ、もう暫くの間は満開の状態を保つと思われますので、風情は感じられると思いますよ。

2012年4月 7日 (土)

京都桜事情2012 ~洛東・洛中 4.7~

今日は東山界隈と洛中の桜の名所を中心に回ってきました。京都の桜の開花宣言は3日に出されていますが、それからわずか4日後にも係わらず、多くのところで見頃を迎えていました。「3日見ぬ間の桜かな」と言いますが、それを地で行く今年の桜です。

1.建仁寺

染井吉野が3分から5分咲き程度になっています。また、浴室前の紅垂れが満開になっていて綺麗でしたよ。

2.三年坂

坂の途中の枝垂れ桜が満開・見頃になっています。いかにも京都らしい風情のある景色ですよ。ただし、厳密にはピークはわずかに過ぎている様でした。

3.ねねの道

染井吉野が3分から5分咲きになっています。ただし、高台寺には入っていないので中の様子は判りません。

4.円山公園

染井吉野が3分から5分咲き、木によっては満開のものもありました。メインの枝垂れ桜は4分咲き程度です。この木は一時期に比べれば樹勢が回復して来た様に見えますね。また、池の東の枝垂れ桜2本は満開、見頃になっています。花見モードは全開、フルスロットルです。

5.知恩院

見たのは三門前だけですが、染井吉野が五分咲きから満開・見頃になっていました。また、外から見た限りでは友禅の庭の桜も綺麗に咲いている様でした。

6.祇園白川

染井吉野は5分咲きから満開が混在、早咲きの枝垂桜は満開、見頃になっていました。ただし、枝垂れ桜はピークを少し過ぎてしまっている様ですね。

7.鴨川三条付近

紅枝垂れ桜が3分から5分、7分咲きが混在しています。三条大橋の上から見ると、しだれ柳の新緑と赤芽垣の赤い新芽とあいまって、とても綺麗ですよ。

8.真如堂

染井吉野は山門前が満開、境内は3分咲き程度になっています。縦皮桜と枝垂れ桜はほぼ満開で見頃ですが、ともにやや花付きが良くない様です。特に縦皮桜は寂しい感じがしました。

9.高野川

御陰橋の上流と下流で程度が違い、下流側は3分から5分咲き程度で見頃開始、上流側は2分咲き程度でまだ寂しい感じでした。見頃は来週半ば頃かと思われます。出町デルタの宴会モードは全開です。

10.本満寺

枝垂れ桜が満開・見頃です。ただし、ピークは少し過ぎている様でした。地蔵堂横の染井吉野も満開・見頃ですね。

11.妙覚寺

山門前の枝垂れ桜が満開・見頃です。多分、今日前後がピークなんじゃないかな。綺麗でしたよ。

12.水火天満宮

早咲きの枝垂れ桜が満開・見頃です。ここも綺麗で、今日前後がピークだと思われます。

13.千本釈迦堂

阿亀桜が満開・見頃です。ただし、ピークは少し過ぎていましたね。

14.平野神社

魁桜は満開ですが、既にピークは過ぎています。少し色抜けしていたかな。境内ではアーモンドと陽光が綺麗でした。他はまだ咲いていません。桜苑では、染井吉野が3分咲き程度ですが、花見モードは満開です。また雪山桜が満開・見頃でした。

15.京都御苑

近衛邸跡の糸桜は、早咲き系がピークを過ぎて色抜けが始まっています。また中咲き系の早い木が見頃になっていますね。次に、出水の枝垂れ桜は満開ですが、ぎりぎり見頃と言える程度だったかな。数日前がピークだったでしょうね。どちらも、御所の一般公開とあいまって人出は最高でした。

その他では、桃林が素晴らしく綺麗でしたよ。まさしく桃源郷ですね。また、石薬師門近くにあるエドヒガンが満開・見頃でした。この桜は今の御苑にあっては一押しの木ですね。

16.本隆寺

染井吉野が7分咲き程度から満開まで混在しています。とても綺麗でしたよ。紅垂れは3分咲き程度ですね。

2012年4月 6日 (金)

京都・洛東 京都桜事情2012 ~長徳寺 4.1~

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平成24年4月1日の長徳寺です。この日はおかめ桜が満開、見頃になっていました。

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おかめ桜は、緋寒桜と豆桜の交配種と言われ、小さな花と鮮やかな花色が特徴です。

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そして、このボリューム感が素晴らしいですね。この花色とボリュームを保つ為には日頃の手入れが必要らしく、この日は地面に沢山の栄養剤らしきものが差してありました。

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既に満開を少し過ぎて散り始めていましたから、今頃は散り初めになっている事でしょうね。来年もまたこの綺麗な花を見せて欲しいものだと思っています。

2012年4月 5日 (木)

京都・洛中 京都桜事情2012 ~妙覚寺 4.1~

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平成24年4月1日の妙覚寺です。この日は門前の枝垂れ桜が咲き始めていました。

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この桜はほんのりとした桜色で、咲き始めが特に美しいですね。見頃になるのはいつ頃だろう、今週末から来週初めにかけてになるんじゃないかな。

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妙覚寺と言えば塔頭の善明院の八重紅枝垂れ桜も気になるところですが、まずまず花芽は付いている様子でした。どの程度まで咲いてくれるかは判りませんが、外れ年という事はないと思われます。この日は白木蓮が綺麗に咲いていましたよ。

とりあえず今週末はまた行ってみるつもりです。門前の桜がどれくらいになっているかな。善明院の方は、その桜が終わる頃に見頃になるものと思われます。これも楽しみですね。

2012年4月 4日 (水)

京都・洛中 京都桜事情2012 ~京都御苑 出水の枝垂れ桜 4.1~

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平成24年4月1日の京都御苑、出水の枝垂れ桜です。この日は3分咲き程度になっていました。

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この木は四方から眺める事が出来、それぞれの眺めの趣が違います。そして、どこから見ても枝の垂れ方に趣があるのが嬉しいですね。

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こうして見上げてるのも面白いですね。しだれ桜特有の、空から降るような花の見え方が素敵です。

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今日辺りは、そろそろ見頃になっている頃ではないでしょうか。今週末にももう一度見に行くつもりですが、満開になっていると良いのですけどね。

2012年4月 3日 (火)

京都・洛中 京都桜事情2012 ~京都御苑 糸桜 4.1~

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平成24年4月1日の京都御苑近衛邸跡です。この日は早咲き系の糸桜が見頃を迎えつつありました。

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状況としてはこんな感じで、奥の木がほぼ満開、手前の木が五分咲き程度になっていました。人出もかなりのもので、みなさん情報が早いですね。

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この繊細な枝と花の咲き方が、糸桜の語源でしょうね。いかにも京都らしい、美しい花です。

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一番豪華な部分を切り取ればこんな感じになります。早咲き系がピークを迎えるのは、たぶん今週の半ばから後半にかけてでしょうね。

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その後は中咲きから遅咲きまでひと月近く続いて行きますが、人出はたぶん今週末が一番になるんじゃないかな。染井吉野が咲き出すとそちらに流れて行きますし、遅咲きが咲く頃には誰も見に来なくなり、寂しいくらいになってしまいます。

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この木は通路入り口にある木で、ほぼ満開でした。一番最初に目に入る桜ですから、目立ちますね。通路を覆うように咲いているので、桜のトンネルを潜るような感覚になりますよ。毎年のちょっとした楽しみの一つです。

2012年4月 2日 (月)

京都・洛中 京都桜事情2012 ~4.1 開花状況~

平成24年4月1日現在の桜の開花状況をお知らせします。遅れていた桜ですが、ここに来て早咲きの桜の開花が始まりました。一部では見頃になっている所もあり、やっと桜の季節が巡ってきたと言えそうです。ただ、染井吉野はほとんどのところで蕾が膨らんだ程度で、何本かの木で1輪、2輪と咲いていた程度です。

1.京都御苑

近衛邸跡の糸桜は、早咲き系の木が5分咲きから満開になっており、見頃が始まっています。先週後半の暖かさで一気に開花したものなのでしょうか。この花に引かれて、早くも大勢の人出で賑わっていました。

一方、出水の枝垂れ桜は3分咲き程度になっています。見頃と言うには少し早かったですが、明日あたりは結構見られる様になっているんじゃないかな。

その他の江戸彼岸や染井吉野は、まだつぼみが膨らんだ程度です。

また、桃林では一度に花が咲いた様で、見頃になっていました。遠くから見ると、まさに桃源郷という雰囲気ですよ。その隣の梅林では、今になって華やかさが増しています。今年は両方を一度に楽しむ事が出来ますよ。

2.長徳寺

おかめ桜が満開、見頃になっていました。ただ、少し盛りを過ぎてきた様で、そろそろ散り初めになる頃かも知れません。

3.妙覚寺

門前の枝垂れ桜が咲き始めていました。まだほんの数輪だけだったので、見頃までにはもう少し掛かりそうです。

4.千本釈迦堂

阿亀桜が咲き始めていました。ここも妙覚寺と同じ傾向で、見頃はもう少し先になるでしょうね。

5.平野神社

魁桜が5分咲き程度になっていました。楼門側だけなら7分咲きといったところかな。明日あたりは満開近くになっているかも知れませんね。

他の桜では河津桜が満開、アーモンドが数輪の花を咲かせていました。染井吉野はまだ蕾が膨らんだ程度です。

6.水火天満宮

早咲きの方の枝垂れ桜が咲き始めています。まだほんのわずかで、見頃は今週末くらいになるのでしょうか。今後の気温の推移次第で変わるでしょうけどね。

7.上賀茂神社

御所桜はまだ蕾が膨らんだ程度でした。他では楼門前の河津桜と思われる木が満開でした。

8.北野天満宮

桜ではありませんが、北野天満宮では遅咲きの梅が咲き始めており、最終盤に入っています。多くの梅が散り果てになっており、最盛期の華やかさは失われているのですが、そこかしこに綺麗な花は咲いていましたよ。超遅咲きの梅は蕾が膨らんだ程度で、これから咲く梅も残っていました。

2012年4月 1日 (日)

平清盛 第13回 「祇園闘乱事件」

(1147年(久安3年)6月15日、祇園社。一門繁栄祈願の為の田楽奉納に訪れた清盛とその郎党達。そこに社人たちが現れ、清盛たちが武器を携えている事に難色を示します。警護のためだと答える盛国。田楽の奉納に弓、太刀は要らないと社人。社人にどけと言って出て来る兔丸。その社人は兔丸の幼なじみの金覚と銀覚でした。親の仇であるはずの忠盛の息子に仕えている事を揶揄された兔丸は、銀覚に頭突きを食らわします。血を流して倒れた銀覚。神域を血で穢されたと怒り、撃ち掛かる社人達。応戦する郎党達。乱闘を止めようとする清盛。)

(清盛一統に厳罰を求めて鳥羽院に訴え出た明雲。数日の内に詮議し、処断すると答える院。)

(すぐに盛国たちを検非違使に差し出せと忠盛。)

(一条二坊右獄の牢に入れられた盛国達。すぐに出してやると清盛。もうすぐ子が生まれる北の方を気遣えと盛国。)

(盛国たちを差し出しただけでは収まらず、強訴に及んだ延暦寺。彼らの求めるところは忠盛と清盛の流罪でした。)

(源氏に鎮圧を命じられた鳥羽院。)

(神輿を盾に推し通ろうとする法師達。神輿を避けて矢を射る源氏の武者達。その時、一本の矢が神輿に命中します。驚いて腰を抜かす鬼若。矢を射たのは清盛でした。かつて藤原師通が神輿に矢を射て急死して以来、神罰を恐れて神輿に矢を向ける者は誰も居なかったのです。)

(神輿に矢で射た事について揉める平家一門。たまたまではなく、狙って射たのだと清盛。神輿などただの箱、神など宿っていないと清盛。おののく郎党たち。お前は災いの種だと忠正。わざと射ったと知れては、流罪をまぬがれないと家貞。清盛を殴る忠盛。そして、宗子に蟄居の準備を命じます。)

(検非違使庁の一室に案内された忠盛と清盛。忠盛に謝る清盛。加茂川の水、双六の賽、山法師を天下の三不如意と白河院は言ったと忠盛。つまり、山法師は平家の力ではどうしようもないものだと忠盛。)

(6月30日、延暦寺。清盛に懲らしめをと呪詛する明雲。)

(院御所。清盛と忠盛の流罪を主張する頼長。事の始まりは祇園社の言い掛かりにあり、流罪は厳しすぎると忠通。平氏の武力は世に欠かせぬものと家成。そうなった事が間違いの元、白河院が敷いた誤った道筋を今こそ正すべきだと頼長。信西に意見を求める鳥羽院。さすがは頼長、しかし、賛同はしかねると信西。誤った道でもここまで続いてきた、それを無しにするなど治天の君がするべき事ではないというのが彼の意見でした。)

(父の師通を亡くした忠実は、誰よりも神罰の恐ろしさを知る故、鳥羽院の世は長くないと言います。ここで清盛をかばい立てすれば災いが及ぶ、親子共々流罪にせよと忠実。)

(廊下。信西に向かって、なぜ我が意に逆らう事を言ったと問う頼長。すべて真の事、自分が目指すのは新しき政による新しき国作り、藤原摂関家による古い政治ではないと信西。なんとしても流罪にしてやると頼長。)

(再び強訴を行う動きを見せる延暦寺の大衆。)

(比叡山の麓を固める源氏の武者達。平家が没落すれば我らの利、しかし、ここは強訴を阻んで源氏の武が平氏に劣らぬところを見せつけるのだと為義。)

(忠盛の館。検非違使庁で謹慎する忠盛の下に着替えなど差し入れを用意する宗子。その準備の途中で、忠盛の鹿の角を見つけます。何事も無かったかの様に元に戻す宗子。)

(検非違使庁。忠盛に詮議が揉めている様子と知らせる家貞。時子からの清盛への差し入れは双六盤でした。何と気が利かぬち怒る清盛。)

(清盛の館。旺盛な食欲を見せる時子。その時、急に産気づきます。)

(先日の詫びを言いに来た忠正。しかし、手が足りないと相手にされません。)

(淸太と清次相手に竹馬を作る忠正。喜ぶ清次。元気の無い清太。彼は時子が子を産めば、自分の子ばかりを可愛がるのではないかと気にしていたのでした。そんな事はない、生まれてくる子をうんと可愛がってやれと忠正。)

(検非違使庁。双六に興じる忠盛と清盛。何故自分を引き取ったのか、いつか平氏に災いする日が来ると思わなかったのと清盛。白河院にたった一人で立ち向かった強い母だったとその最期の様子を語る忠盛。そして、舞子から生まれた清盛が、迷信のごときものに立ち向かう時が来るのを待っていたと忠盛。そして、清盛に向かって平氏にもこれから咲きの世にもなくてはならぬ男だと言う忠盛。)

(院御所。兔丸が海賊の棟梁であった事を暴露する頼長。海賊を役立つ者として取り立てるなど、清盛の才覚の表れだと信西。詭弁だと頼長。)

(鬼若に、強訴の場で見た事を言えと頼長。清盛が神輿を狙って矢を射たのを見たと鬼若。わざと神の宿る神輿に矢を射立てるとは、もはや無法者と言うしかなく、都から放逐されるべき男だと頼長。たった一本の矢に国中がかき乱されている、それは清盛が世になくてはならぬ男と言う事と信西。おってはならぬ男だと頼長。)

(庭を見ている法皇。何を迷っている、平氏なくしては法皇の世は続かないと得子。白河院のお胤と言われる清盛が騒ぎをお越し、自分わ追い詰める、未だに白河院が世を治めている様な気さえする、忠盛親子を救う事は白河院の血に操られている気がするのだと法皇。)

(検非違使庁。賽子を手に柱にもたれている清盛。黙って座っている忠盛。そこに現れた鳥羽法皇。ひれ伏す二人。清盛に向かって、神輿を射たのはわざとかと問う法皇。わざとだと清盛。両手を広げて、神輿を射た時の孤独自分を射てみよと法皇。立ち上がり、矢を射る仕草を取る清盛。そして、ねらい澄ました様に射る真似をします。射られたがごとくみぞおちを押さえ、我が身に巣くう白河院の血が吹き出ていると笑う法皇。)

(清盛に向かって、そちこそが神輿に放たれた矢そのもの、白河院と自分が乱しに乱した世に報いられた一本の矢だと鳥羽法皇。)

(清盛の館。清太と清次を見ている忠正の下に、忠盛と清盛は流罪をまぬがれ、銅30斤の償いで済んだと知らせた忠清。軽く済んだ事にほっとする忠正。その時、聞こえてくる産声。)

(院御所。裁きを聞き、嬉しそうに一礼して立ち去る信西。怒りを堪えている頼長。)

(忠盛の館。浮かぬ顔の宗子に訳を聞く家貞。鹿の角を取り出し、忠盛は前の奥方が大事なのだろう、それ故に清盛を大事にするのだと宗子。それを廊下で聞いている家盛。)

(清盛の館。生まれたばかりの清三郎を抱く時子。早く抱かせよと清盛。生まれてきた時に蟄居させられていたどうしようもない父だと時子。もしも帰ってこなかったらと怖かったのだと時子。自分はどこにも行かぬ、自分にはこの京において勤めがある、平氏の子としてと清盛。そこに訪ねてきた家盛。)

(此度はすまなかったと清盛。もはや兄を嫡男とは思えなくなったと家盛。そして、これからは自分が一門を率いていくと宣言する家盛。)

今回は祇園闘乱事件が描かれました。大筋としては史実に沿っていましたが、いくつか創作も入っています。元々創作の兔丸はともかくとして、清盛が神輿に矢を射たという事、後の弁慶である鬼若が絡んでいたという事、清盛の処分を巡って頼長と信西が対立したという事、清盛と忠盛が検非違使庁で蟄居した事などはすべて創作です。特に、清盛が矢を射たという設定は新平家物語に見える事で、この小説から拝借したものなのでしょうね。それにしても唐突過ぎて、なぜあの場に事件の当事者たる清盛が居たのか理解不能です。それたけでも命令違反で、処罰ものなんじゃないのかしらん?

もっと違和感があったのは、ドラマではまだ何もしていないのに等しい清盛が、何やら大物の様に扱われていた事で、鳥羽院が間違った世を正す矢だと叫んだのは如何にも不自然という感じがしました。まあ、それだけ神輿に矢を放つという行為が破天荒なものであった、つまりは迷信に囚われた世を正す行為だと言いたいのでしょうけどね、何だかなあと思ってしまいます。ドラマの場面としては迫力はあったのですけどね。

ドラマの流れとしては、どこまでも白河院の影を引きずっている鳥羽法皇が印象的でした。そして、世の乱れの元はやはり白河院にあるという設定もなるほどなという感じです。このあたりは上手い手法ですね。どこまで行っても、もののけの血が災いをなす、それを絶つのがやはりもののけの血を引いた清盛の役目という事なのでしょうか。それに目覚めたのが今回という事になるのでしょうね。

もう一つの流れとしては、朝廷と平家に分裂の兆しが見えてきた事ですね。朝廷では忠通と頼長・忠実、頼長と信西に亀裂が見えて来ています。そして、平家では家盛が突如として叛旗を翻しました。これも史実に沿った流れではあるのですが、家盛の場合は母の泣き言を聞いたからというのでは、少し理由が弱くはありますまいか。これまで清盛が平氏を散々窮地に追い込んできたにも関わらず兄を立ててきた家盛なのに、ここに来て急変するというのは無理を感じてしまいます。反対に、忠正が清盛一家に対して良い感じになっているというのも面白い設定ですね。これも、どんでん返しのための伏線なのか。

何にしても、次回は家盛が決起するのだとか。兄思いであったはずの家盛がどう豹変するのか、楽しみに待ちたいと思います。

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ねこづらどき

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