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2011年11月

2011年11月30日 (水)

京都の散歩道 紅葉案内 洛西編 7

清涼寺から門前の道を東に向かいます。森嘉の前を通り過ぎて暫く行くと府道に出ますが、そのまま横断歩道を渡って真っ直ぐ行って下さい。かなり細い道ですが、その割に車が通るので注意しながら行って下さいね。道なりにひたすら歩いていくと、やがて大覚寺門前という交差点に出ます。この交差点の向こう側に大覚寺門跡と書いた石柱がありますので、横断歩道を渡ってその石柱のある道に入って下さい。この道は直線で判りやすいのですがその分単調で、かつ車が多くバスまで通るので、はっきり行って歩いていても楽しい道ではありません。でも、迷わずに行くにはこの道が一番ですね。

さて、突き当たりまで歩くと、そこは大覚寺の入り口になっています。ここで大覚寺に入るかどうかは迷うところで、こと紅葉に関しては中に入っても見るべきところはあまり無いのですよ。いくつか紅葉はあるのですが、むしろ見所は嵯峨菊かな。殿上から見るのに丁度良い具合に仕立てられた独特の草姿はこの大覚寺が発祥の地とされており、本場の花を愛でて行くというのは悪くない選択です。ここは時間と体力との相談ですね。もし両方とも余裕がある様でしたら拝観して行って下さい。

なお、祇王寺と大覚寺(大沢池を含む)の両方を訪れる予定を立てるのなら、共通拝観券を買っておくと割安になりますよ。

紅葉の見所は大沢池にあります。大沢池は大覚寺の前身である嵯峨離宮の庭池として築かれた池で、平安時代の初期にまで遡ります。今はただのため池と変わらない姿なのですが、かつては寝殿造りの御殿と一体となった庭園を形作っていたのでしょうね。その名残を名古曽の滝跡やその近くにある庭湖石、中島などに見る事が出来ます。中国の洞庭湖を模して作ったと言いますが、さぞかし巨大な離宮だった事でしょうね。

紅葉は池の周囲に散在していますが、まずは心経宝塔の東にあるもみじ林でしょうか。距離にしてどうだろう、50mはあるのかな、頭上まで枝で覆われたもみじのトンネルで、タイミングが合えば素敵な散歩道となります。やや薄暗いので、写真を撮るのは難しいですけどね。

紅葉の中心池の南側の土手で、桜ともみじが混在した並木道になっています。桜の方が早く色付いて散ってしまうので、もみじが色付く頃には歯抜け状態となってしまい、対岸から見た景色はさほどでもありません。でも、もみじの際まで行くととても美しく、紅葉越しに池や心経宝塔を眺めると、とても絵になるのですよ。もう一つ、池面で蓮の葉が枯れた様子は如何にも寂しく、晩秋の風情を味わうにはもってこいの添え物となります。ここは是非、池の周囲をぐるっと回ってみる事をお薦めします。

大沢池から今度は直指庵を目指します。池から出て、元の道を引き返します。そのまま大覚寺の入り口を通りすぎ、次の角を右に入ります。そして、生け花学校の建物を右手に見ながら道なりに歩いていって下さい。ここはやや細い道ですが、ほぼ直線コースなので迷う事はありません。やがて道は突き当たり、正面が細い露地、右手にこれまでと同じ幅の道が続く曲がり角に出ます。ここは右の広い方の道を選んで進んで下さい。確かここには、直指庵の方向を示す矢印の入った小さな看板が出ていたと思います。

この道をまた真っ直ぐ歩いていき、二つ目の角を今度は左に曲がります。この角にも看板はあった様な気がしますね。ここまで来ればしめたもので、後はひたすら真っ直ぐ歩くだけです。途中でだんだんと道が狭くなったりするのですが、とにかく山に突き当たるまで直進して下さい。途中の交差点には大抵看板があるので、迷う事はないと思いますよ。

山に突き当たったら、今度は左に大きく回り込んで下さい。すると道は右手にカーブして行くのですが、そのまま道なりに歩いていけば直指庵の入り口にたどり着く事が出来ます。

まず出迎えてくれるのは茅葺きの山門です。ちょっと華奢な感じのする、山あいの寺に相応しい門ですね。受付を済ませると階段になっていて、途中にちょっとした庭園があります。紅葉はこのあたりから始まっていますね。

階段を登り切ると茅葺きの本堂があります。入り口は障子戸で、蓑笠が脇に吊られていたりして、如何にも草庵という雰囲気がありますよ。座敷にはこの寺を有名にした想い出草ノートが置かれています。また、縁側に出ると、さっき上ってきた階段と庭を見下ろす事が出来ます。ここから眺める紅葉はなかなか綺麗でした。

本堂の左手には道祖神が置かれています。この寺のシンボル的な石像で、ご覧になった事がある方も多いのではないかな。ここから通路を奥に進むと開山堂や地蔵堂、観音立像などがあるのですが、紅葉はこの通路周辺がメインとなります。あと、地蔵堂周辺もきれいだったかな。

嵯峨野で最も遅く紅葉するスポットとして知られ、11月末から12月初め頃にかけて見頃となる事が多いようですね。良く知られた寺ではあるものの、ここまでやって来る人は案外少なくて、静かに紅葉を楽しめる穴場的存在ですよ。

なお、ここは尼寺でも女性の駆け込み寺でもなく、男子禁制というイメージは誤りですから、誤解のなきように願います。

ここからの帰り道ですが、さすがに嵐電嵐山駅まで行くのは大変でしょうから、大覚寺のバスターミナルからバスに乗るのが良いでしょうね。行き先としては京都駅、京阪四条など各方面に向けて出ていますから、困る事はないと思います。

明日は最後に残ってしまった清涼寺から野宮神社までのコースを紹介します。

2011年11月29日 (火)

京都の散歩道 紅葉案内 洛西編 6

清涼寺は宝筺院のすぐ前にあります。山門を出て少し歩けば、すぐに清涼寺の大きな仁王門が見えて来ます。でも、こと紅葉に関しては、その手前にある小さな門を潜りたいところですね。そこにはあぶり餅と書いた看板があるはずなので、すぐに判ると思います。

この門を潜ると、大文字屋というあぶり餅の店のすぐ横に出ます。ここで、おやつとしてあぶり餅を食べていくのも悪くない選択ですね。でもここに来たのは清涼寺の紅葉のポイントの一つがあるためで、店の左手の一角にもみじか沢山植わっているのですよ。土塀の外からでも見えているのですが、中に入ってまで見に来る人は少なく、じっくりと紅葉と向き合える貴重なポイントの一つです。この一角には多宝塔のほか聖徳太子殿があり、紅葉とからめた写真が撮れるのも魅力ですね。ひとしきり紅葉を見た後は本堂へと向かいます。

(今年の速報という誤解を避ける為にここまで写真を掲載して来ませんでしたが、清涼寺の紅葉の記事は過去に無かったので、参考までに昨年に撮った写真をアップします。場所は聖徳太子殿の近くで、撮影日は平成22年11月27日です。)

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清涼寺は浄土宗の寺で、嵯峨釈迦堂の通称で知られています。本尊はインド~中国~日本と伝わったとされる三国伝来の釈迦像で、これが釈迦堂の名の由来と言われています。元をたどれば源融の別荘があったとされ、のちに華厳宗の寺となりました。さらに時代が下って融通念仏の道場となり、やがて浄土宗へと転じた様です。

本堂に入ると展示品が色々とあって、中でも興味深いのが釈迦像から出て来たという五臓六腑の模型ですね。一種の人体模型なのですが、これを仏像の中に仕込んでいたというのは、この像が生きた人であったお釈迦様をそのまま写しているという事なのかしらん?

紅葉に関しては、庭園が二つ目のポイントとなっているはずです。とはっきりしないのは、紅葉の時期には入った事が無いのですよ。でも庭園に沢山のもみじがある事は確かで、ネット上にある写真を見てもなかなか見事ですね。

三つ目のポイントが本堂右手にある庫裏及び阿弥陀堂の周辺で、ここにも沢山のもみじが色付いているはずですよ。そして黄色に色付くもみじと銀杏の黄葉が他にはないアクセントを付けてくれています。

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(阿弥陀堂横の紅葉。撮影日 平成22年11月27日)

清涼寺の仁王門を出て左に曲がると、一軒の豆腐屋があります。これが嵯峨豆腐で知られる森嘉ですね。川端康成の「古都」で取り上げられた事で有名となり、今では京都の豆腐を代表するブランドの一つになっています。味が濃く、何より口当たりが良いのが特徴ですね。もし、その日の内に家に持ち帰る事が出来るのなら、お土産に買って帰るのも良いかも知れません。でも、豆腐を持ち歩くというのもやり難いでしょうから、代わりにひろうすを買って帰るという手はあるかも、ですね。

さて、ここから先をどうするかですが、並の人ならここまでの道のりで相当に疲れている事でしょう。ですので、私としてはここから嵐電の駅に向かう事をお薦めします。でも、レンタサイクルを借りている場合や健脚自慢の方である場合は、さらに大覚寺方面に向かう手はあります。

この方面の紅葉も素晴らしいものがあり、割愛するのも惜しいので、明日は健脚コースとして大覚寺と直指庵を紹介します。

2011年11月28日 (月)

京都の散歩道 紅葉案内 洛西編 5

愛宕念仏寺から、ここまで来た道をずっと戻ります。二尊院の手前まで来たら、二尊院には向かわずに真っ直ぐ行って下さい。暫く歩いていくと左手に厭離庵と書いた看板が見えて来るはずです。ここはごく細い通路ですから、初めてだと入って良いのかと迷いますが、大丈夫ですからずっと奥まで行って下さい。突き当たりが山門で、臨時の受付が出ているはずです。

厭離庵は藤原定家の山荘跡と言われ、久しく荒廃していたのですが江戸時代の中頃に冷泉家が復興し、霊元法皇から厭離庵の号を得たとされます。臨済宗天龍寺派に属しており、長く尼寺だったのですが、平成18年から男性の僧侶が住職となっている様です。

ところで、藤原定家の山荘跡と言われる場所は複数あり、この散歩道でも紹介した常寂光寺のほか、二尊院の中にもありますね。どこが正しいのかは判っていない様ですが、冷泉家は定家から続く家系であり、なんとなく信憑性は感じてしまいます。

山門を入ると正面に茅葺きの小さな建物があります。その左手に階段があって、庭園へはここを上って行く事になります。この山門付近にももみじがあって綺麗に色付くのですが、紅葉のタイミングは庭園よりも遅い様ですね。

さて、階段を上がっていくと、小さな腕木門があります。茅葺き屋根の付いた洒落た門で、詫び寂びの世界に通じるものを感じますね。紅葉のメインはこの門の奥の庭園で、最盛期には見事な赤色に染まります。それも日陰にあるせいかとても深い赤色で、華やかさのなにも落ち着きのある色調は、この寺ならではのものですね。

そして、一番の見所は敷き紅葉にあると言われます。木に葉が茂っている間は薄暗い庭なのですが、全てが散ると光が入って明るくなり、地面を埋め尽くすもみじが鮮やかに照らし出されるのですね。一昨年に初めて訪れた時がまさにこの状態で、あまりの美しさに暫し見とれてしまいました。

紅葉のタイミングはかなり遅く、11月末から12月初め頃にかけて見頃となる事が多いようです。境内は狭いのですが、訪れる人は少ないため、それほど混雑する事はありません。

厭離庵を出て、元の道を左に進みます。ずっと道なりに歩いていくと、やがて清涼寺の西門にたどり着きます。清涼寺には後から入るので、ここでは道なりに右手に進んで下さい。そのまま歩いて、やがて清涼寺の壁が尽きる頃、道は二手に分かれます。その丁字路の右手にあるのが宝筺院、楠木正行ゆかりの寺です。

正行は南北朝時代の南朝方の武将で、戦前の皇国史観においては小楠公と呼ばれ、大変な忠臣とされていました。この寺には彼の首塚があるのですが、幕末に廃寺となったため、その後は荒れ果てた状態になっていたそうです。明治24年、時の京都府知事の北垣国道がこの事を知り、小楠公の遺跡を顕彰すべく欽忠碑という石碑を建立しました。この事がきっかけとなって小楠公の遺跡を守ろうという運動が起こされ、大小の伽藍が整備されて大正6年に完工しました。これが今の宝筺院ですね。

境内はもみじで埋め尽くされていると言って良く、素晴らしい紅葉の名所になっています。嵯峨野の中でも人気のあるスポットの一つで、拝観者はかなり多いですね。そのため入り口付近は混み合うのですが、中に入ってしまえば境内が広いので、それほどでもなくなります。

まだ一度しか入った事が無いので紅葉の傾向は判りませんが、ホームページの情報に拠れば11月末頃に見頃となる事が多いようです。

明日は清涼寺に入る事にします。

2011年11月27日 (日)

江~姫たちの戦国~46 希望

(死の床にある正信。彼は秀忠に鬼に成れ、身内に厳しくせよ、処分する時は容赦するなと言い残します。そして、江に対する隠し事を正直に話せと言って事切れました。)

(家族を前に、世継ぎを竹千代とすると宣言する秀忠。彼は何より長幼の序を大事にする事を徳川の家訓と定めたのでした。)

(這い蹲って江に礼を言う福。その手を取って竹千代を将軍に相応しく育ててくれと頼む江。)

(ほっとしたと江。竹千代の次は千だと初。)

(ふさぎ勝ちな千を見て、どうしたものかとため息を付く江。)

(久しぶりに現れた龍子。千の様子を聞いた彼女は、嫁に出せばよいと言い出します。あきれる江に、夫で傷ついた心は夫で癒すのが一番、江もそうだったでしょうと龍子。)

(秀忠に龍子の話をする江。相手として本多忠刻を挙げる秀忠。そして、千を説得してくれと江に頼みますが、自分でなさりませと断られます。)

(千に婚儀を薦める秀忠。黙っている千。泰平の世を保つ為、そして母になる喜びを知って欲しい為にこの嫁入りを薦めていると秀忠。何も答えない千の肩を軽く叩いて出て行く秀忠。)

(嫁に行き、子をもうけるなど秀頼への裏切りにほかならないと千。ならば私はどうなるのだと江。自分の半生を振り返り、今はこれで良かったと思っている、秀頼もそなたの幸せを願っているはずと江。)

(元和2年、秋の末。千を嫁に出す秀忠。今度こそ幸せに成って欲しいと秀忠。今でも父を許す事が出来ない、でも忠刻が父の様な人であって欲しいと千。私のような良い男が居るわけがないと誤魔化す秀忠。)

(元和3年6月。上洛した秀忠。姫路を預かる池田氏に対して、因幡への国替えを命じます。)

(急な国替えはどうかと江。ゆるぎない泰平を守る為だ、池田家の当主は姫路を任せるには幼すぎると秀忠。そして、強い幕府であるためには、諸大名に余力を持たせぬ事だと語ります。力で押さえつけるやり方は、秀忠には似合わないと江。やらなければならない事だと譲らない秀忠。その後、20以上の大名の所領を没収した秀忠。)

(廊下で常高院を捕まえ、秀忠に隠し子が居ると耳打ちする福。驚く常高院。今は保科氏に預けられ、幸松と名付けられていました。母親は大姥局の侍女で、生まれてすぐに養子に出され、ひそかに育てられたのでした。何があっても江に言ってはならないと釘を刺す常高院。しかし、物陰でそれを聞いていた江。)

(秀忠を問い詰める江。いずれ折を見て話そうと思っていたと秀忠。以前に子が出来た時、二度と側室は持たないと誓ったはずと江。すまぬとひたすら謝る秀忠。どうしても許さないと江。どうすれば良いと秀忠。知らぬと江。)

(過ぎた事だと江を宥める常高院。以前高次が側室に子を産ませた時、大泣きしていたではないかと江。あの時は私も辛かったと思い出す常高院。黙って廊下に出る江。)

(所領巡検のために江戸を離れる秀忠。家族を前にあいさつをしていますが、江を気遣っておどおどとしています。それを子供達に見透かされる秀忠。終始不機嫌な江。)

(国松と剣の稽古に励む竹千代。二人を眺めている江。子供達を見ているのは良いものだと常高院。国松よりも幼い子が外に居ると思うと、と江。そこに目通りを願い出てきた佐治一成。)

(久しぶりの対面を果たした二人。自分のような者が出て来て良かったのかと一成。私たちは従兄弟同士でもあるのだと江。一成は信包に仕えた後、信長の側室の娘を嫁に貰い、今では嫡男も授かっているのでした。江に今は幸せでしょうと問う一成。実は、と隠し子の事を話す江。)

(よほど秀忠の事が好きなのだろう、信長に対しても秀吉に対しても真っ直ぐに立ち向かったのが江、心の命ずるままに動いてはどうかと一成。)

(隠し子に会うと言いだした江。引き止める常高院。しかし、江は幸松を呼んだ後でした。)

(幸松と対面した江。口上を述べながらも震えている幸松。そのいたいけな姿を見て近づき、肩を抱いてやる江。)

(江が幸松をを呼んだと知り驚く秀忠。急いで奥に行くと、そこには双六で仲良く遊ぶ江と幸松の姿がありました。秀忠を見てかしこまる幸松。幸松を見て、そなたがとつぶやく秀忠。そっと微笑む江。)

(仲良く遊ぶ竹千代と国松と幸松。それを眺めている江と秀忠。幸松がなぜ最初から仲良く暮らせなかったのか、それは自分の狭い了見のせいだったと江。そして、表向きとは切り離した、一家を守ってくれる場所を持ちたいと願い出る江。それは正室も側室も隔てなくという事かと問う秀忠。子供達もだと江。その事は江にまかすと秀忠。これが後の大奥法度の基となったのでした。もう一つ、江に大きな仕事が出来たと秀忠。)

(仕事とは、娘の和を天皇の后とすることでした。和に意向を確かめる江。父と母の役に立つのならと和。泰平の世を築く為には朝廷の力を借りる事も必要だと江。しかし、自分自身のためでもあって欲しいと江。自らを振り返り、今は幸せだと感じている、そなたもそうあって欲しいのだと江。)

(忙しくなるぞと常高院。張り切る福。ついでに竹千代の嫁選びを始めてはどうかと言い出す常高院。とまどう江。喜ぶ福。)

(大奥の仕組み造り、和の入内、竹千代の嫁選びと大忙しの江。)

(元和6年5月。後水尾天皇の后となるべく旅立つ和。)

(同年9月。そろって元服し、家光、忠長と名を改めた竹千代と国松。)

(家光に跡を継がせる為に動き出した秀忠。その手始めとして、正純の領地を没収し、出羽に流罪としました。次いで、娘の勝の嫁ぎ先である松平忠直を隠居させ、豊後に追放します。)

(娘の嫁ぎ先に対する仕打ちに異議を唱える江。政に口を出すなと秀忠。)

(母に声を掛け、父がやっている事はすべて三代目である私のためである。これから泰平の世が続いていくかとうかは自分の代でどこまでやれるかに懸かっていると考えて心を鬼にしているのだ、父を信じてやって欲しいと説く家光。子の成長を喜ぶ江。)

(廊下で佇む秀忠に、そっと寄り添う江。)

(元和9年7月。3代目将軍となった家光。)

(家光の将軍就任を言祝ぐ福。今日があるのは皆のおかげと江。)

(大奥を取り仕切ってもらいたいと福に頼む江。大役を見事に果たし、天皇への使いまで勤め上げ、春日局となった福。)

(元和9年12月20日。家光の正室として、鷹司家から孝子を迎えた江。)

(京、高台寺。臥所の中で、龍子から江の近況を聞く高台院。江は女としての栄華栄達を極めたと龍子。こうなる事は、なんとなく判っていた気がすると高台院。寛永元年9月、高台院永眠。)

(高台院の死を聞き、在りし日を偲ぶ江と秀忠。日本を作り替えたのは、おねであったかも知れないと秀忠。同意する江。)

(30年の夫婦生活を振り返り、ようやく泰平の世を迎えられたと感慨に耽る二人。太平の世を望むなら、まずは自分の心が穏やかでなければならないと判ったと江。)

(娘時代を振り返り、懐かしむ常高院。)

(秀忠と乗馬で出かけた江。)

(青空の下、秀忠と語り合う江。泰平の世をもたらしてくれたと秀忠に感謝する江。思うまま、あるがままに生きよ、かつて信長に言われた事を今日から始めると江。そなたは私の希望だと秀忠。一人で馬を駆ろうとする江。私の所に戻って来いよと声を掛ける秀忠。他に帰るところはありませんとにこやかに答える江。)

(どこまでも駆けていく江。いつの間にか馬に乗って現れた市。暫く娘の後を追った後立ち止まり、後ろ姿を見送ります。夕日が差す中、いつまでも駆け続ける江。)

とうとう最終回を迎えました。予想どおり、最後はみんな良い人になって大団円というパターンで締めましたね。ハッピーエンドで終わるのは大河では珍しいケースですが、実際に栄華を極めて亡くなった人物であっただけに、当然の結果とも言えます。まあ、あまりにも美化し過ぎたというきらいはありますが、これまでが不当に貶められてきたとも言え、バランスを取るにはこれくらいでも良かったのかとも思えます。

でも、最後の回は余りにも詰め込み過ぎで、本来ならドラマの後半はこのあたりを重点的に描くべきではなかったのかしらかん?なぜなら、江が初めて能動的に動いた回であり、江を主役として描くのならここしかなかったのではないかと思えるのです。そうしなかったのは、戦国絵巻ではなく大奥絵巻になってしまうからだったのかな。

振りかえって、このドラマにおける江の役割とは何だったのでしょう。常に傍観者の立場であり、様々に口出しはするけれども、大きな流れには関与しない。そして、歴史の流れに身を任せている内に、いつの間にか天下第一の女人と呼ばれる様になっていたというのが正直なところではないのでしょうか。秀忠を支えたと言えば言えるのかも知れないけれど、彼を一人前にしたのは結局のところ家康でしたからね。

言うなれば狂言回しの役目だったのかな。江はほとんど憂いてばかりでしたが、周囲の人物は活写されていたと言えますからね。特に終盤の淀殿は素敵でした。淀殿を主役に据え、妹の江は対照的な人生を歩み、幸せに暮らしましたという展開でも良かったのではと言うと叱られるかな。

そう感じるのは、やはりあまりにも良い人に描き過ぎたからなのでしょう。どんなに憤っていても、相手の言い分を聞くとすぐに納得してしまう。素直で思いやりのある人物として描きたかったのでしょうけど、生きた人物として伝わってこなかったのも事実です。むしろ、自由な立場を得た初の方が面白かったかな。

少し史実に触れておくと、兄弟仲良く過ごしていた家光と忠長ですが、このあと二人は対立する様になり、最後は家光が忠長に切腹を命じるという結末を迎えます。それは江が亡くなった後の事ですからこのドラマとは直接関係ないのですが、あまりに天下泰平を強調されると、そうでもなかったんじゃと言いたくなりますね。

また、佐治一成が江に会いに来たというのは完全に創作で、いくら何でもやり過ぎだったのではないでしょうか。たぶん、江と縁のあった人物はなるべく登場させたいという狙いがあったのでしょうけど、あまりにも非現実的に過ぎます。

ただ、一成が江と別れた後も生きていたというのは事実で、最後は京都で亡くなっている様です。享年66歳でした。また、信長の娘と結婚したという話は知らなかったのですが、ウィキペディアを見ると確かにそう書かれていますね。そうした後日談を視聴者に伝えようとしたのだろうけど、この演出はどう考えても無茶でした。

などなど色々不満はあったけれど、全46回を通してみれば、壮大な絵巻を見せて貰ったという気がしています。考えてみれば、豊臣、徳川双方を主体的に連続して描いたのは、このドラマが初めてだったかも知れないですね。その意味では江を主役に選んだのは間違いではなかったのかも知れません。戦国時代の面白さに、改めて気付かせてくれた江に感謝です。

さて、一年間このレビューにお付き合い下さり、ありがとうございました。期間を通じて頂いた沢山のアクセスを励みに、ここまで完走する事が出来ました。日曜毎に続けてきた作業が無くなるのは、ほっとすると同時に寂しくもありますね。大変な時もあったけれど、とても充実した時間を過ごせたとも思っています。登場人物と気持ちをシンクロさせるのは、歴史を追体験している様で楽しくもありましたからね。

最後に感謝の気持ちを込めつつ、ひとまず大河ドラマのレビューを終えたいと思います。

2011年11月26日 (土)

京都の散歩道 紅葉案内 洛西編 4

滝口寺から石畳の道を下り、分岐点まで戻ります。ここで道を左に取り、ずっと道なりに歩いて行って下さい。ここから先はいくつか分かれ道はあるけれど、ほぼ真っ直ぐ進めば良いので迷う事は無いと思います。少し距離があって道のりも単調に感じるのですが、鳥居本伝統的建物群保存地区まで来ると町並みがとても風情のあるものに変わりますので、それを楽しみにここは頑張って歩いて下さい。

保存地区ではところどころに紅葉があって、町並みと共に目を楽しませてくれます。この景色を楽しみながら緩い上り坂を歩いて行くと、やがて左手に化野念仏寺の参道が見えて来ます。

この地に初めて寺が建てられたのはおよそ1200年前の事で、弘法大師が五智山如来寺を開きました。その後法然上人がここに念仏道場を開き、さらに変遷を経て現在は華西山東漸院念仏寺、通称「化野念仏寺」と呼ばれています。弘法大師縁の寺ではあるけれども、法然上人が関わった事で、今は浄土宗に属しているのですね。

境内には夥しい石仏があるのですが、これはかつて化野に葬られた人々の墓石だそうです。化野は古来から葬送の地で、初めは風葬が行われ、後に土葬に変わりました。弘法大師がここに寺を開いたのは、野ざらしがそこかしこに散乱するという凄惨な状況を救うためだったと言われています。

境内にある西院の河原は、明治の中頃に化野周辺に埋没していた石仏を集めて、供養のために安置したものなのだとか。かつては今の風景からは想像も付かない荒涼とした景色が広がっていたのでしょうね。この無縁仏の供養ために、毎年8月23日と24日には、石仏毎に蝋燭を灯す「千灯供養」が行われています。

紅葉は西院の河原を取り巻くもみじが主体で、比較的早く見頃となるポイントです。11月前半から色付き始め、中旬には見頃となる事が多いのではないかな。注意すべきは撮影禁止のエリアがある事で、西院の河原の中と水子供養の地蔵堂周辺では写真を撮ってはいけません。これは心霊写真を撮ろうとする人が居るための規制らしく、祈りを捧げる人の気持ちを考えれば、やはり撮影は控えるべきでしょうね。

紅葉とは別に、奥にある竹林もまた見所の一つです。ここは道が階段になっているのが特徴で、ごく短い区間ではあるのですが、竹林の小道には無い風情を感じる事が出来ますよ。

化野念仏寺を出て、一の鳥居を目指します。石段を下りて元の道に戻り、左手に歩いて行き来ます。前方に道を横切る嵐山高雄パークウェーの高架道路が見えたら、目的地まであと少しです。その手前に嵯峨鳥居本町並み保存館があるので、この町並みに興味のある方は覗いて行かれると良いと思います。模型やパネルの展示があって、ここがどういう町なのかが判りやすく説明されていますよ。

高架の下を潜って暫く行くと、やがて赤い鳥居が見えてきます。この鳥居が愛宕神社の一の鳥居ですね。この鳥居の手前ににある藁葺き屋根の家がつたや、その奥にある半瓦葺きの家が平野屋です。共に愛宕神社の参拝客のための茶屋として連綿と続いてきた家で、今はあゆ料理を看板としている事も同じですね。この鳥居周辺が鳥居本の代表的な景色で、最も風情が感じられる一角です。

紅葉も鳥居の周囲が中心となるのですが、特に平野屋さんを取り囲むようにしてもみじが植えられています。そして、代表的な写真のアングルは、この平野屋さんを上から見下ろした光景なのですが、これを撮るには店の前の斜面の上に出なければなりません。ここに行くには一度店の前を通り過ぎ、上の府道に出てから引き返し、最後にガードレールを越えるという手順が必要となります。府道には歩道はなく、また斜面の上はちょっと危ないので、行動には細心の注意が必要となります。もし行かれる場合は、あくまで自己責任という事でお願いしますね。

紅葉の時期は比較的遅く、11月後半から末にかけて見頃となる事が多い様です。

さて、ここまで来たらせっかくですからもう少し奥まで行ってみましょうか。平野屋さんの前を過ぎて暫く行くと、やがて道は府道と合流します。その少し先にあるのが清滝トンネルですね。そして、左手には愛宕念仏寺の山門が見えているはずです。

愛宕念仏寺の創建は奈良時代とされ、東山の六道のあたりにあったと言われます。盛衰の激しい寺で、何度か廃寺の寸前まで行き、その都度復興されて来た様ですね。明治以後やはり衰え、再建を目指してこの地に移って来たのですが上手く行かず、その後は荒廃の一途を辿っていました。戦後になって再び復興の手が差し伸べられ、今は関係者の努力が実って諸堂を備えた寺として見事に甦えっています。

この寺は1200体の羅漢像がある事で知られますが、これはこの寺を訪れた参拝者が彫ったもので、昭和56年から10年間に渡って行われました。今では苔むした羅漢が、優しく参拝者を出迎えてくれます。

隠れた紅葉のスポットとしても知られ、昨年訪れた時は羅漢像とのコラボレーションが素敵でしたね。紅葉の時期にはまだ一度しか行った事が無いのですが、11月半ばで既に見頃になり始めていたところをみると、比較的早い時期に色付き始める場所の様に見受けられます。

ここまで紅葉を見に来る人は少なく、嵯峨野の中でも穴場と言って良い場所なんじゃないかな。

以下、月曜日に続きます。

2011年11月25日 (金)

京都の散歩道 紅葉案内 洛西編 3

常寂光院の門を出て、そのまま真っ直ぐ道を下ります。地図上では直接二尊院に繋がる道が描かれていますが、途中で通行止めとなっていますので入ってはいけません。

緩い下り坂を歩いていくと、やがて左前方に農地が見えてきます。嵯峨野と言えば田畑の中を歩いて巡る様なイメージがあるかも知れませんが、実際にはほとんどが住宅地となっており、この景色は貴重な存在です。農地に隣接して落柿舎があり、確かこの農地は景観を守る為に意図的に残されているじゃなかったかな。

農地の半分は水田で、初夏から秋にかけては古代米が栽培されており、落柿舎とあいまってこれぞ嵯峨野という景色を見る事が出来ますよ。紅葉の時期だと、上手くすれば畑にコスモスが咲いていて、落柿舎と絡めた写真を撮る事が出来るかも知れません。

落柿舎の紅葉は母屋の前にあるもみじが中心となりますが、それ以上に黄色く色付いた柿の実がポイントとなります。この実がたわわに実っているととても絵になりますが、少ないとやはり物足りなく感じてしまいますね。紅葉の時期はやや遅く、11月後半から12月始めにかけて見頃になる事が多いと思われます。

また、この農地の南側には土佐四天王の像があり、幕末史ファンにとっては訪れるべきポイントの一つとなっています。まあ、ここに銅像を建てた理由はかなりこじつけっぽいのですけどね。

さて、農地の西側の道を歩いて二尊院へ向かう事にします。暫くの間鬱蒼とした木立の中を歩いて行くと、やがて道が開けて左手に二尊院の山門が見えて来ます。

二尊院は天台宗の寺で、釈迦如来と阿弥陀如来の二体のご本尊を持つ事からその名が付けられています。嵯峨野における代表的な紅葉の名所の一つで、山門から真っ直ぐに続く参道「もみじの馬場」が特に有名ですね。

紅葉は参道の他にも境内のそこかしこにあるのですが、その分紅葉の時期も幅が広く、11月前半から12月初め頃までどこかしらで見頃の紅葉を見る事が出来ると思います。もみじの馬場は、その中でもかなり遅い方ですね。

二尊院の次は祇王寺を目指します。山門の前の道を左に折れ、突き当たりをまた左に折れます。そして、暫くは道なりに歩いて下さい。二叉路に出たらまた左側に進みます。少し歩くとまた分かれ道に出ますが、今度は真っ直ぐ行って下さい。やや狭い道ですが、石畳の道ですから判りやすいと思います。また、祇王寺という案内板が出ていますので、迷わずに済むと思いますよ。

この奥に入っていくと、まず檀林寺という寺があります。とても立派な塀と門構えを有しており、如何にも由緒ありげに見えますが、普段ならここには入らずに、素通りされる事をお薦めします。

実は私も一度入った事があるのですが、それは凄いお宝の山を有しており、宝物館に入ると卑弥呼の鏡など国宝級の品々が無造作に展示されているのですよ。それだけでここがどんな所なのか想像が付くと思いますが、こと庭園の紅葉に関しては本物なのですよね。なので、全てを承知の上で、あえて覗いてみるのも一興かも知れません。まあ、しつこくお守りを薦められたりするというおまけは付くでしょうけどね。

壇林寺は余談として、その奥にある祇王寺に入ります。

祇王寺は、平家物語に出て来る祇王ゆかりの寺で、大覚寺の塔頭にあたります。明治初年に一度廃寺となったのですが明治28年になって再建されており、その時に元の京都府知事北垣国道氏が別荘の一棟を寄付されたのが現在の本堂なのだそうですね。こうした経過を考えれば、祇王在世当時とはまるで異なっているのでしょうけど、木立に囲まれて静かに佇む本堂の様からは、如何にも隠棲の地という風情を感じる事が出来ます。

その本堂の内部には祇王、祇女、母刀自、仏御前、そして清盛の像が安置されており、平家物語の世界を偲ぶ事が出来ます。来年はきっと大河ドラマの影響で、とても賑わう事でしょうね。

祇王寺の境内はほぼみもじで埋め尽くされており、紅葉の名所の一つとして数えられています。紅葉の時期は遅く、11月末から12月初め頃にかけて見頃となる事が多いようですね。特に紅葉が散った後の敷き紅葉が美しい事で知られ、嵯峨野の秋の掉尾を飾るに相応しい景色を見せてくれますよ。

祇王寺の隣には滝口寺があります。祇王寺と同じく平家物語に縁のある寺で、滝口入道(斉藤時頼)と横笛の悲恋の舞台であったとされています。

ここも紅葉の名所の一つなのですが、祇王寺ほどには知られていないですね。紅葉のポイントは本堂周辺になるのですが、境内のそこかしこにも紅葉を見る事が出来ます。紅葉のタイミングは早く、11月前半から中旬にかけて見頃となる事が多いようですね。ですので、祇王寺とセットで訪れるのは難しく、両方が見頃という事はほとんど期待出来ないと思われます。

明日はここから鳥居本へと向かいます。

2011年11月24日 (木)

京都の散歩道 紅葉案内 洛西編 2

天龍寺の奥、百花苑まで行くと、北門から竹林の小道に抜ける事が出来ます。ここは野宮神社から続く道の中程で、右に行けば神社、左に行けば大河内山荘にたどり着く事になります。野宮神社には帰りに寄りますので、ここでは左に向かう事とします。

竹林の小道は文字通り竹林の中に続く道で、嵯峨野の人気スポットの一つです。良く手入れされた竹林が両側に広がり、頭上はすらりと伸びた竹で覆われます。あたかも竹のドームの中を歩いているかの様な感覚で、先程の駅前の通りとは比較にならない極上の道です。野宮神社の付近は少し混み合うのですが、天龍寺から出て来た辺りはそれほどでもなく、人混みのせいで風情を壊されるという心配は要りません。

道はゆるやかなカーブの付いた上り坂で、この高低差と道の曲がり具合が景色に変化を与えてくれます。時々振り返って、見下ろす景色を楽しむ事も忘れないで下さいね。

この道は紅葉としては見るべきところはほとんど無いのですが、時おり道ばたに草紅葉が見られる事があります。また、大河内山荘が近付いてくると、竹林の間から紅葉が見え隠れし始め、竹の緑とのコントラストが楽しめますよ。

竹林の小道が尽きる所にあるのが大河内山荘です。戦前から戦後にかけて活躍した映画俳優大河内伝次郎が築いた別荘で、名園がある事で知られます。ここも紅葉の名所の一つさとされますが、拝観料が1000円と高いため、一度も入った事が無いのですよ。ですのでここは素通りさせて頂く事とし、先を急ぎます。無論、興味のある方は入って貰って結構です。なかなか見晴らしが良く、京都の町が遠望出来るそうですよ。

さて、山荘前の道を右手に進みます。道はやがて下り坂となり、右下手に線路と駅が見えてくるはずです。これがトロッコ嵐山駅ですね。

保津川沿いに走るトロッコ列車は人気が高く、特にこの時期は乗車する人が多いようです。残念ながら私は乗った事が無いのですが、調べた限りではこの駅からも乗車する事は出来るようですね。また、当日券もある様ですが、先着順の発売であるため、余程の幸運に恵まれない限り、その場の思いつきで乗るのは無理みたいです。一ヶ月前から購入できるそうなので、興味のある方は事前にチケットを購入される事をお薦めしておきます。

トロッコ嵐山駅からは道が二つに分かれるのですが、左の道を進む事にします。少し歩くと池に出るのですが、これが小倉池です。心霊スポットの一つともされますが、とても開放的な場所で、昼間歩いているぶんには少しも怪しい雰囲気はありません。

この池の対岸に日本で唯一とされる髪の神様を祀る御髪神社があります。小さな神社ですが、全国の理容業者には良く知られた存在なのだそうですね。また髪に悩み事を抱える人が参拝するほか、最近では髪は頭を守るという連想から受験生の合格祈願にまで広がりを見せているそうです。意外な人気スポットが隠れているのも嵯峨野らしいと言えるかも知れません。

池を過ぎると生け垣と木立に囲まれた道になります。ここももみじが多く、それなりに綺麗に色付く道筋ですね。この道が尽きる左手に、常寂光寺の黒い門が見えるはずです。

常寂光寺は日蓮宗の寺で、藤原定家の時雨亭があった場所とも伝わります。境内のほぼ全域が紅葉スポットと言って良く、嵯峨野屈指の名所の一つです。見所としては、山門周辺とそこから続く石段の周辺、本堂周辺、庭園、多宝塔周辺、帰り道の石段等に分けられ、それぞれ紅葉の時期が少しずつ異なります。一番早いのが多宝塔周辺で11月上旬から半ばにかけてで、次が本堂と石段周辺になるのかな。一番遅いのが帰り道の石段で、ここは12月初め頃に見頃を迎える事が多い様です。

今年はやはり紅葉するのが遅く、ホームページの情報に依れば22日現在でようやく見頃の開始となり、27日頃に最盛期になりそうとの事です。

でも、こんな情報ではなく、自分の目で確かめたかったなあ。

それはともかく、明日は二尊院へと向かう事にします。


2011年11月23日 (水)

京都の散歩道 紅葉案内 洛西編 1

今回は洛西編として、嵐電・嵐山駅を起点としたコースをお届けします。嵐山に通じている電車は、嵐電の他にもJRと阪急があるのですが、渡月橋までの経路が違う程度であとは共通ですから、今回のコースが参考になると思います。

さて、駅舎を出るとそこは嵐山のメインストリート、様々なお店が並ぶ賑やかな道が待っています。大勢の人が行き交う、これぞ観光地という雰囲気ですね。ここから嵐山・嵯峨野巡りが始まるわけですが、まずは代表的な名所である渡月橋から巡る事にしましょうか。

渡月橋へは駅を出て左手に歩いて行く事になります。時間帯にも依りますが、歩道は雑踏と言って良い程に混み合います。せっかくの行楽なのに人混みは嫌だと思われるでしょうけど、ここは我慢して歩いていって下さい。混雑は渡月橋の手前にある横断歩道のあたりがピークでしょうね。歩道から人が溢れそうになっていると思いますが、そこを過ぎれば雑踏からは開放されます。

歩道を渡れば、橋の上には行かずに左手、川下の方に向かいます。ここも人は多いのですが、さっきまでの雑踏よりははるかに快適に歩けますよ。ここに来た目的は、渡月橋越しに嵐山を見る事です。橋の袂に松をあしらい、大堰川の流れを横切る渡月橋とその背景の嵐山をセットにした眺めは、代表的な京都の景色の一つですね。絵はがき的ではあるけれども、素晴らしい眺めである事は間違い有りません。

写真的には、岸辺の紅葉越しに渡月橋を見るという構図が一つのポイントとなるのですが、残念ながら訪れるべきタイミングが難しく、上手く撮れた事は一度も無いですね。

嵐山はもみじの他にも様々な落葉樹があるので、紅葉そのものは早い時期から始まります。淡い色付きのモザイク模様ですが、秋の風情を感じるには悪くない景色ですよ。でも、山全体が息を呑むような色に染まるのは、やはりもみじが色付き初めてからになるでしょう。時期は年によって異なりますが、概ね11月半ば以降になるのかな。

ここから渡月橋を渡って中の島に行っても良いのですが、橋の上が混み合って時間が掛かると思われますので、ここでは上流側に向かう事にします。

橋の上流にある堰が一の井堰、平安京以前に秦氏が築いたという古い歴史を持つかんがい施設です。この堰の上流側に来ると景色が一変し、湖の様に静かになった水面に、綺麗に色付いた嵐山が写り込むという、とても穏やかな光景を目にすると思います。これも嵐山の貌の一つで、遊覧船に乗ってこの景観を楽しむのも面白い趣向かも知れませんね。

さて、京都吉兆を目印しに歩き、その次の角を右に入って下さい。入ってすぐ左にあるのが小倉百人一首をモチーフとした博物館「時雨殿」なのですが、最近は休館が続いています。オープンした時はかなり話題になったのですが、どうしちゃったのでしょうね。仕方がないのでここは素通りし、そのまま歩いていくと左手に宝厳院が見えてきます。ここも紅葉の名所の一つで、よく手入れされた回遊式の庭園を巡りながら紅葉を楽しむ事が出来ますよ。ここに入っても良いのですが、結構時間が掛かるので今回はパスします。時間に余裕がある時や、奥嵯峨にまでは行かないという時には寄って行かれると良いですよ。

そのまま道なりに進んでいくと、やがて天竜寺の参道に突き当たります。この天竜寺が今回のコースの二つ目の目的地となります。

天竜寺は足利尊氏が創建した寺で、京都五山の一位に位置付けられてきた由緒深い禅寺です。創建時には嵐山も渡月橋も全て境内に含まれていたという大寺で、足利氏の威信を賭けた事業だったのでしょう。しかし、その巨大さに比例して莫大な費用を要したため、造営は困難を極めました。そこで考えられたのが交易で、元寇以来絶えていた元との間に貿易を結び、その利益を建設費に充て様としたのですね。この策は見事に的中し、交易の成功によってようやく落成にまでこぎ着ける事が出来たのでした。この交易船は「天竜寺船」の名で知られ、その後も室町期を通して中国との交易は続行された様です。

境内の奥にある多宝殿に行くと後醍醐天皇の像があるのですが、これはこの寺がこの帝の御霊を弔う為に建てられた事を示します。つまり、北朝方として後醍醐帝と対立していた尊氏が、敵であった帝のために造営した寺であるという訳ですが、一説には帝の怨霊化を防ぐ為に発願したのだとも言われます。なにしろ平安期の崇徳帝の先例がありますからね、尊氏が祟りを恐れたとしても不思議はなかったと思われます。

さて、天竜寺の紅葉は曹源池の周辺がメインで、奥の庭園と参道沿も綺麗な紅葉を見る事が出来るポイントです。紅葉のタイミングは参道が比較的早く、曹源池周辺は11月半ばから後半にかけて見頃となる事が多い様です。とにかく境内が広いので、12月に入っても見頃の木がそこかしこに残っていると思いますよ。

ちなみに、ホームページの情報に拠ると、ちょうど今、曹源池周辺が見頃になっている様ですね。

明日はここから竹林の小道を通って嵯峨野へと歩みを進めます。


2011年11月22日 (火)

京都の散歩道 紅葉案内 洛北編 5

上賀茂神社を出て、今度は神光院を目指す事にします。余力が有れば大田神社まで足を伸ばすと、それなりの紅葉を見る事も出来ますよ。また、その行き帰りに社家町を歩けば、塀の中から見える紅葉を楽しむ事も出来ます。

ここでは御薗橋を渡って西に向かいます。この道は御薗橋通りと言い、ゆるやかな上り坂になっています。このあたりはごくありふれた町並みが続き、正直なところ歩いてもあまり楽しい道ではないのですが、頑張って上って下さい。およそ600mほど歩くと船岡東通との交差点にたどり着きます。ここは特徴の無い場所なので表現が難しいのですが、右前方の角にナベセン家具という店があるのが唯一の目印かな。もし左手にエッソのガソリンスタンドが見えたら行き過ぎてます。

元に度って、今度は船岡東通の交差点を右折して北に向かいます。そしておよそ300mほど歩くと神光院前という交差点に出ます。右前方の電柱に標識が出ていますので、見落とさない様にして下さいね。もう一つ目印を揚げておくと、大宮交番が左前方に見えるはずです。

さて、神光院前の交差点を左にはいると、すぐ右手の奥に神光院の山門が見え、そこまで石畳の参道が続いているのに気付くはずです。

神光院は真言宗の寺で、弘法大師自らが刻んだという大師像を本尊としとています。開基は何と上賀茂神社の神職で、霊光の差した地に一堂を建てよという神託を受けて開いたのだそうですね。今聞くと奇妙な縁起と思ってしまいますが、神仏混淆の時代にあっては不思議でも何でもなかったのでしょう。

本当に静かな寺で、何時行っても人影はまばらですね。7月にはきゅうり封じが行われると言う事で、その頃には賑わいを見せるのでしょうか。

紅葉は蓮月庵周辺と池の周辺が中心で、本堂裏手にある中興堂周辺にももみじはあります。あと、参道も綺麗ですね。ここは紅葉の傾向を掴める程には通い詰めていないのですが、ネットの情報を総合すると、境内は11月中頃から後半にかけて、参道は11月終頃わりから12月始めにかけて見頃となる事が多い様です。

神光院の次は西方寺を目指します。参道から元の道に戻り、右に曲がります。そのまま真っ直ぐ300mほど行くと突き当たりとなり、畑越しに西方寺の伽藍が見えるはずです。山門へは一度左折し、すぐに右折するとたどり着く事が出来ますよ。

ここはごく小さな寺ですが、上質な紅葉を見る事が出来る穴場的スポットなのです。境内を取り囲むようにもみじが植わっており、中でも境内西側の木がとても綺麗な黄色に染まっていたのが印象に残っています。紅葉目当てで来る人はまず居ないと言って良く、檀家の人以外では近所の人がたまにやって来る程度ですね。紅葉の傾向は、ここも掴める程には通い詰めて居らず、確かな事は判りません。ちなみに、初めて2007年11月24日に訪れた時はほぽ見頃だったのですが、次の年の同じ時期に行った時は外しています。たぶん、11月中頃から後半にかけて見頃になるのかなという気はしているのですけどね。

西方寺から今度は正伝寺に向かいます。山門を出て、さっき突き当たった地点にまで戻って下さい。そのまま山沿いの道を道なりに歩いていくと、およそ300m程で正伝寺の山門にたどり着く事が出来ます。

正伝寺の紅葉は、まずこの山門の右手の木が一つ目のポイントとなります。また、左手の駐車場の中にも大きなもみじがあり、なかなか綺麗に色付きますよ。ただ、殺風景な場所にあるのが難点なのですけどね。

この寺はまとまった紅葉というのは無いのですが、参道を歩いて行く内に針葉樹の森の中に幾本かのもみじの紅葉を見る事が出来るはずです。日陰になるせいか淡い色付きなのですが、暗がりの中にほのかに紅葉が浮かぶ様は、幽玄味があってなかなか良いものですよ。まあ、写真に撮るにはあまり向いていないとは思いますが。

山道の参道を歩いていると、やがて石段へとたどり着きます。この石段の途中に左右1本ずつのもみじがあり、このもみじ越しに石段の上にある庫裏を見るのが第二のポイントとなります。もしここが紅葉していないと、ちょっと辛い事になりますね。

第三のポイントは、庭園から比叡山を借景として見た時に、石段途中にある紅葉の上部が、山の彩りの様に見えるところですね。


この寺も先の二箇所と同じく紅葉の傾向は掴めていないのですが、ネット上の情報から判断すると11月後半から12月初めにかけて見頃になる事が多いようです。

今回の散歩道はここまでとします。帰りは神光院前まで戻って、バスに乗って下さい。出町柳駅、北大路バスターミナル、三条京阪、京都駅とバスの行き先は揃っているので、便利な路線を選んで下さいね。ただし、バス停の位置は神高院前交差点より一つ北側の交差点を越えたところにあるので注意が必要ですよ。

2011年11月21日 (月)

京都の散歩道 紅葉案内 洛北編 4

上賀茂神社の境内へは一の鳥居から入る事になります。鳥居を潜ると二の鳥居まで真っ直ぐに砂利道の参道が続き、左右は広大な芝生地になっています。右手には斎王桜と御所桜という二本の枝垂れ桜の大木があり、この時期は桜の紅葉を見せてくれます。

左手には桐の大木が目に付きます。数年前の台風で枝が折れてしまったため、ややバランスを欠いた姿となってしまいましたが、それでも風格を失わない銘木ですね。その桐の下には馬場があり、毎年5月5日に行われる賀茂競馬の舞台となっています。

この馬場沿いの木には、賀茂競馬にちなんだ名が付けられており、この桐は見返りの桐と呼ばれています。馬場の最後にあるのが勝負のもみじですね。紅葉に関しては、この勝負のもみじが一つのポイントとなります。

この一の鳥居内とその周辺には、ケヤキやムクといった高木が多くあり、もみじに先駆けて色付きます。ですので、秋の風情という意味では11月初め頃から見頃になるとも言えますね。ただし、その頃にはもみじはまだ青葉のままなので、鮮やかな紅葉を期待して来ると裏切られた思いを抱く事になりますから注意して下さい。

もみじが色付くのは11月半ば以降で、先程の勝負のもみじのほか、二の鳥居の西側の垣根沿いにあるもみじが比較的早くから色付きますね。二の鳥居の東側のもみじも鮮やかに色付きますが、こちらは11月後半に入ってから見頃となる事が多いと思われます。また、御所舎の角に小さなもみじがあるのですが、これも11月後半頃に鮮やかに色付きますよ。

さて、上賀茂神社の紅葉で一番の見所となるのが、ならの小川沿いです。先程の御所舎の背後に回ると小さな流れがあり、石橋が架かっています。その川がならの小川で、石橋から右手を見ると川沿いにもみじがすらりと植えられており、紅葉の最盛期にはそれは見事な景色を見る事が出来ますよ。紅葉の時期は遅めで、11月後半から12月初め頃にかけて見頃となる事が多い様ですね。昨年は11月23日に見頃となっていましたが、これはどちらかと言うと早い部類に入ると思われます。

二の鳥居を潜ると、二つの立砂を前にした細殿を目にする事になります。紅葉はそこかしこにあり、細殿の背後にも見えている事でしょうね。また、境内の左側にも紅葉があるので見落とさない様にして下さい。写真的には、楼門とからめた紅葉が絵になりやすいかな。紅葉のタイミングは標準的で、11月半ばから後半にかけて色付く事が多いと思われます。

大抵の人はここから引き返してしまうのですが、それでは勿体ないので御手洗川の流れに沿って奥へと進んで下さい。すると、岩の上に立てられた岩木社が見えてくると思います。その岩木社に覆い被さるように枝を垂らしたもみじは、きっと鮮やかな黄色に染まっている事でしょう。その奥には赤い紅葉の色が見えているはずです。

その赤い色を目当てに歩いていくと、やがて渉渓園へと抜けます。この周辺が紅葉の穴場でして、日陰になるせいでしょうか、落ち着いた色合いに色付いたもみじを見る事が出来ますよ。訪れる人も少なく、心逝くまで静かな時間を過ごす事が出来るでしょう。

以下、明日に続きます。


2011年11月20日 (日)

江~姫たちの戦国~45 息子よ

(竹千代に化粧の訳を聞く常高院。答えられない竹千代に代わって、時々遊びでしていたのだと口を挟む福。知っていて止めなかったのかと詰る江。自分が好きでやっていたのだと福を庇う竹千代。従兄弟や伯母、それに姉が大変な目に遭っている時に、化粧で楽しんでいたというのかと竹千代に迫る江。戦など止めれば良かったのだと竹千代。なんだとと色めく秀忠。伯母達を殺したのは父上だと言い捨てて出て行く竹千代。)

(秀忠に向かって、化粧の事が跡継ぎに関わってくるのかと問う福。羅山にも言っているそうだなと秀忠。兄弟にも守るべき順があると羅山の言葉を繰り返す福。跡継ぎを決めるのは当主である自分だと、福に口出し無用を言い渡す秀忠。)

(自室で化粧道具を握りしめている竹千代。そして、人が来る気配を察して箱に収めます。入ってきた福を見て、叱られたのかと労る竹千代。大したことはない、しかしこれは捨てましょうと言って化粧箱を持ち上げる福。判っていると竹千代。去りかけてから、ふと竹千代の方に振り向き、やはり大事にしましょうと言って化粧箱を戻す福。)

(竹千代の化粧の事で語り合う江達。それとは別に、戦で伯母を殺したのは父だと言われた事に衝撃を受けた様子の秀忠。彼は竹千代が、今に至るまで家康と素直に話す事が出来ない自分に似ていると感じていたのでした。)

(そこに快活に駆けてきて、秀忠に剣術の稽古を頼む国松。親子の稽古の様子を見ながら、世継ぎは国松だとつぶやく江。)

(障子を半ばまで開け、秀忠と国松の稽古の様子を覗き見る竹千代。それに気付いた秀忠。気の逸れた秀忠に隙有りと撃ち込む国松。とっさに受ける秀忠。あと半歩だったと悔しがる国松。嬉しそうな秀忠。黙って障子をしめる竹千代。それを見てため息をつく秀忠。)

(元和2年正月。家族を前に、今年は良き年にして行こうと語る秀忠。正月らしく浮き立つ家族の中で、浮かぬ様子の竹千代と千。)

(千に向かって、父に酌をしてはと薦める江。黙ったまま席を動かない千。千の前に行き、泰平の為に懸命に働く父を許してはどうかと説く江。私は父を許さないと冷たく言い放ち、席を立つ千。)

(駿府城。鷹狩り三昧を楽しみ、正信に向かって政の事など持ち込むなと上機嫌な家康。しかし、次は正純も付き合えと言ったとたん、腹を押さえて倒れ込みます。)

(家康が食あたりで倒れたという知らせを聞き驚く江たち。今は症状は治まったと聞き安堵する秀忠。すぐに駿府に見舞いに行けと薦める江。治まったのなら良いと秀忠。万一の事があったら取り返しが付かない、それにゆっくり話す良い機会だと強く推す江。何時行くかと誤魔化す秀忠。すぐにと江。)

(2月1日、駿府に向かった秀忠。家康を気遣う江に、憎くはないのかと問う常高院。それとこれは別、今は秀忠だと江。それを言うなら、竹千代はどうなのか、心の中にあるものを見てやらなくてはいけないのではと常高院。)

(書見をしつつも、化粧箱に手を置いている竹千代。それを見てとまどいつつも何も言わない福。)

(駿府城。見舞いに訪れた秀忠が見たのは、既に起き上がって自分で薬を調合している家康でした。あきれる秀忠に、江に言われたのかと問う家康。答えにくそうな秀忠。たまには骨休めもよかろうと上機嫌な家康。そこに次々と入ってくる見舞いの知らせに、一々取り次がなくても良いと煩そうに断る家康。)

(ひと月後、江戸城。秀忠から何の知らせも無い事に苛立つ江。)

(駿府城。家康の容態に変わりは無く、そろそろ江戸に戻ると秀忠。自分が代わりに帰るので、ゆっくり家康と語り合ってはどうかと薦める正信。語り合うことなど無いと秀忠。そこに現れた江。驚く秀忠。秀忠を尻目に、黙って奥に入っていく江。いったい何だとあきれる秀忠。)

(家康に従って、薬草摘みや薬の調合に励む江。その江に、文句を言いに来たのではないのかと問う家康。問われるままに、父上は大嘘つきだ、この家に来て良かったと思って貰えるように努めると言われたのに、辛い事ばかりだったと答える江。では、徳川に嫁いだのは間違いだったと言うのかと家康。それは、と言いよどむ江。)

(家康を憎んだ事もある、娘を次々に嫁に出され、それにと言葉を切る江。淀殿かと家康。あれほど辛い戦はなかった、しかし避けては通れない道だったと家康。私はそうは思わないと江。ほう、と問いたげな家康。物言いたげに家康を見つめる江。)

(竹千代と国松は息災かと話題を変える家康。はいと言いよどみ、実はと言いかける江。その時、急に腹を押さえて苦しみ出す家康。驚いて助けを呼ぶ江。)

(病床にやって来た秀忠。目を覚まし、秀忠に向かってまだ居たのかと家康。ため息をつく秀忠。正純に合図し、家臣達を下がらせ、自らも出て行く江。後に残った二人。)

(秀忠相手に半生を振り返り、戦が憎かったと語る家康。そして、信康とその母を殺された時に必ず天下を取ってやると誓った。しかし、本能寺の変が起こり、再び世が乱れた。泰平の世が欲しいのなら、この手で作り出すしかないと思い、その為には秀康や秀忠を人質に出しもした、と家康。全ては天下泰平の為にと問う秀忠。そうだと言い切る家康。)

(秀忠に向かって、なぜお前をあととりにしたと思うかと問う家康。きっと意のままになる思ったからだろうと秀忠。違う、その逆だと家康。世継ぎなどなりたくないと思っていた、そうした者しか自分の考えを継げないと考えたのだと家康。それ故、淀殿と秀頼を殺させたのか、将軍としての覚悟を持たせたいと考えたのかと秀忠。)

(それには答えず、これからは徳川の世を継ぐ事だけを考えよ、そうすれば泰平の世が何代も続くだろう、それはお前次第、それが秀忠には出来ると見込んだのだと家康。)

(父としてはどうか、自分はどういう子に見えていたのかと秀忠。可愛いのだ、可愛い故に世継ぎとする事も将軍とする事も迷ったのだと答える家康。そして、やっと死ぬ前に言えたと涙ぐむ家康。)

(自分は早く父が死ねばよいと何度も思った、しかし今は一人の子として父が死ぬのが恐ろしいと思うと秀忠。じっと秀忠を見つめる家康。私もやっと言えたと秀忠。互いに不器用だと家康。親子ゆえと秀忠。一部始終を廊下で聞き、涙ぐむ江。)

(数日後、秀忠夫妻と薬作りを楽しむ家康。そして、秀忠のための薬草を採ってくると言って、一人で庭に降ります。夫婦で和やかに薬を作っている秀忠たち。その様子を眺めながら、ありがたい一生だった、秀忠、江、徳川家と日の本の国を頼むとつぶやいて息を引き取った家康。)

(家康の位牌を拝む秀忠たち。大きなお方が亡くなったと江。黙ってうなずく秀忠。)

(竹千代を呼んだ秀忠。話がしたいと竹千代に語りかける秀忠。世継ぎの事なら国松にして欲しいと自分から言い出す竹千代。何故と問う秀忠に、父、とりわけ母がそう望んでいるからだと答える竹千代。そして、将軍になるなど自分には無理だとも言う竹千代。なぜと問う秀忠。自分は弱く、戦も嫌いだからだと答える竹千代。そっと江を見る秀忠。わずかに微笑んでうなずく江。)

(竹千代に、徳川が要となり、戦の無い世の中を作るとしたらどうだと問う秀忠。良き事と思う、それは誰よりも母が望んでいる事だと笑顔で答える竹千代。そして急に沈んでしまう竹千代。)

(福の下に帰り、世継ぎは諦めよ告げると竹千代。驚く福。)

(その夜。夜空を見上げながらもの思いに耽っている江。そこに現れた福。何を話したのかと問う福に、竹千代はどういう子だと問い返す江。心優しき若君だと答える福。それゆえに化粧をするのかと江。それは母を慕うが故にと福。)

(1年前。化粧をする竹千代を見つけた福。何をしているのかと問われ、これは母の紅だ、母上の香りがすると竹千代。そして福を振り返り、母に似ているかと笑顔で問い掛ける竹千代。)

(私に似ていると、と江。母に会えぬ寂しさからあのような事をと福。)

(安らかに眠る竹千代。その枕元に現れた江。ふと見ると、竹千代の手には江の紅が握られていました。その紅を手に取り、涙ぐむ江。そして竹千代を呼び起こし、母を許せと言いながら抱きしめます。涙ながらに母に抱きつく竹千代。廊下でその様子を聞きながら、涙ぐんでいる福。心が繋がった母子。)

とうとう家康が亡くなりました。その死因は、以前は鯛の天ぷらによる食中毒と言われていましたが、今は胃ガン説が主流の様です。このドラマにおいても、それが示唆されていましたね。もっとも、その割には穏やかな最期に過ぎた気もしましたが。

今回のテーマは親子の和解でした。史実とは無関係の創作のみの回と言っても過言ではなかったのですが、家族をテーマとしたこのドラマらしい展開ではあったと思います。

家康と秀忠について言えば、家康はひたすら秀忠を可愛いと思っていたのでした。その優しさも知った上で跡継ぎに据えたのですが、それ故に秀忠には過酷に過ぎるのではと懸念を持っていたのですね。そしてようやく独り立ちした息子を前にして安堵し、やっと本音で語り合う事が出来たのでした。秀忠もまた父親の真情に触れて、初めて父を慕っていた自分の気持ちに素直になれたのですね。

ここまでは良い話系のストーリーなのですが、泰平の世をキーワードに、何もかもをまとめてしまうのにはやはり違和感を感じます。天下を静謐にしたいという願いは、信長、秀吉、家康それぞれが抱いていた事なのでしょうけれども、それぞれの家を安泰とする事が先に来ていたのではないかしらん?とりわけ家康においては徳川あっての天下であり、天下のための徳川という意識は薄かったと思うのですが、どんなものでしょう。もし天下泰平のみを願っていたと言うのなら、豊臣家の大老として世を立て直して行く道もあったはずですからね。でも、そうはせずに、策謀の限りを尽くして豊臣家から政権を簒奪したのでした。

天下を取った後の徳川氏は、秀吉時代の大坂城を地下に埋め尽くし、京の豊国廟を破壊してその墓を曝いた上に神号を奪うなど、豊臣家の治世を跡形もなく消す事に執着しています。これって、前政権に対する恨みの現れですよね。あるいは、自らの政権基盤を危うくする者に対する恐れがそうさせたのか。いずれにしても、天下泰平のためというきれい事では済まされない情念が、そこには隠されている様な気がします。

次に、竹千代と江も心を繋ぐ事が出来ました。竹千代の化粧は、母を慕っての事だったのですね。竹千代が自分を恋しく思っていた事を知った江は、やっと息子として抱いてやる事が出来たのでした。まあ、ありがちな展開ではあるけれど、このドラマらしいまとめ方ではありますね。

ただ、そうした母子関係を作ったのはそもそも福だったじゃないかとか、母親の化粧道具はどうやって手に入れたのだとか、福はなぜさっさと真相を言わなかったんだとか、突っ込みどころは幾つもありました。それに何より、世継ぎを決めるにあたっても、天下泰平をキーワードにしそうなところが嫌な感じです。それがドラマのコンセプトであるのだから、仕方が無いのでしょうけどね。

ちなみに、家光はお忍びで城外に出る事が好きで、その際に女装して正体を眩ますという事もあった様です。そのあたりから女装癖があると言われている様ですが、このドラマではそれを種に母恋しのあまりという創作にすり替えた様ですね。

次回はいよいよ最終回、江の生涯をどうまとめるかに焦点が集まります。ここ数回は、正直言って誰のドラマか判らなくなっていたものなあ。それをどう収束させるのか注目したいと思っています。

2011年11月19日 (土)

京都の散歩道 紅葉案内 洛北編 3

今日は京都市地下鉄の北山駅を起点とした散歩道を紹介します。これも距離が長くて本当は自転車向けなのですが、健脚の方なら大丈夫かなと思います。仮に途中でこれ以上は無理と思われて引き返してたとしても、このコースならきっと楽しめると思いますよ。

北山駅から外に出ると、そこは北山通です。ここは京都の中でも洒落たセンスのお店が多く集まっているところで、若い人達に人気のあるエリアですね。この通りは街路樹の紅葉が綺麗ですね。時期が合っていれば、駅から出たとたんに色付いた銀杏やケヤキが目に飛び込んで来る事でしょう。

ここで最初に訪れるポイントは京都府立植物園です。なにしろ植物園ですから多種類の木があって、様々な紅葉を見る事が出来るのが魅力な場所ですね。

入るのは北山門からとなりますが、まず最初に目にする事になるのがトウカエデです。すらりとした双幹の大木で、とても美しい樹形をしていますね。樹齢はどうなのだろう、たぶん100年を越えているのかな。毎年綺麗な紅葉を見せてくれており、植物園のシンボルツリーの一つでもありますね。

もみじの紅葉はなからぎの森周辺が主体となります。池の周囲を巡るコースは紅葉銀座とも言われており、青空を写し込んだ水面と紅葉の組み合わせがとても美しい景色を見せてくれますよ。

植物園で絶対に見逃せないのがフウの木です。かきつばた園のほとりにあり、これも樹齢100年に達するかという大木ですね。いわゆる自然樹形で、バランスの取れた、かつ力強い姿をしていますよ。毎年、真っ赤と言うよりややオレンジ色掛かった色に染まるのですが、これだけの巨木が全身に紅葉をまとった様は、美しさと言いその迫力と言い素晴らしいの一言で、京都では他に例を見ないですね。ただ、紅葉のタイミングを掴むのが難しく、年によってかなり前後している様です。概ね11月半ば以降とは思われるのですが、なかなか盛りの時に出会えないのが実情ですね。

また、メタセコイアやヌマスギといった褐色系の紅葉もここならではの美しさですので、是非ご覧になっていって下さい。とにかく日本のみならず世界の落葉樹が集まっているので、多種多様な紅葉を楽しむ事が出来ますよ。さらには、秋の草花も咲いているので、合わせて楽しんでいって下さい。

さて、植物園だけでも一日潰せる程のボリュームがあるのですが、ここでは先に進む事とします。

再び北山門に戻って北山通へと出ます。時間が合えば、この通りでランチを済ませておくのも良いでしょうね。色々な店がありますが、お薦めの一つは進々堂かな。基本的にはパン屋さんなのですが、併設されたレストランで本格的な洋食と共に焼きたてのパンが食べられるというおしゃれな店ですね。人気があるので、時間待ちになるかも知れないのが唯一の難点かな。

ランチはオプションとするとして、次に目指すのは上賀茂神社となります。まず北山通を北に渡り、ずっと西に進んで下さい。そして、加茂川まで来たら北山大橋の手前を右に曲がります。ここからはずっとこの堤防上の道を歩く事になりますが、いっそ河原に降りてしまうのも手ですね。ここでは便宜上道路を歩く事を前提に進めていきます。

この道は桜並木になっていて、春には花のトンネルが楽しめます。この時期は桜の紅葉が秋らしい風情を見せてくれますね。また、対岸にはエノキ、ケヤキ、ムクノキなどの高木の並木があり、もみじとは違う色合いの紅葉を見せてくれますよ。

川沿いに歩く事、およそ1kmほどで御薗橋にたどり着きます。この橋を右手に曲がると目の前に上賀茂神社の鳥居が見えてきますよ。

その鳥居に行く前に、手前の交差点を左に行くと、焼き餅で知られる神馬堂があります。小腹が空いた時のおやつに丁度良いのですが、何しろ人気のある店でして、すぐに売り切れるために買えるかどうかは運次第というのが難点です。

バス停前には葵家という別の焼き餅の店があり、神馬堂ほど有名ではないのですが、味そのものは遜色はないですよ。神馬堂の様に本当の焼きたてでないのが残念なところかな。その代わりいつでも買える訳で、時間が経ってから食べるのなら、どちらの店も大差はないと思われます。

以下、月曜日に続きます。

2011年11月18日 (金)

京都の散歩道 紅葉案内 洛北編 2

圓光寺の山門を出て、道を右手に取ります。暫く行くと緩やかな上り坂となりますので、そこを上がりきって下さい。さらに行くとやがて突き当たりとなりまので、ここも右に曲がります。この道はやがて左カーブとなりますが、道なりに歩いていきます。

このあたりに来ると左手に畑が広がり、部分的にですが西山まで見渡せますよ。また、畑には電線が張り巡らされている事に気付くと思います。これは害獣避けの仕掛けなのですが、地元の人が猿にイモを盗られたと話しているのを聞いた事があります。人家の多い地域ではあるのだけれど、猿や猪が出没する場所でもあるのですね。そう思うと、詩仙堂の鹿威しもまた、現役の施設だという事になるのかも知れません。

この道を突き当たりにまで歩くと、曼殊院への参道へと続く道に出る事が出来ます。途中で分かれ道が一カ所あるのですが、真っ直ぐ進むようにという看板があるので、迷わなくて済むと思いますよ。

ここから道を右に曲がるのですが、すぐに急な坂道となって来ます。かなりきつい坂道なのですが、曼殊院にたどり着くにはここを通るしかないので、頑張って上って下さい。暫く行くともみじのトンネルが始まり、その入り口に曼殊院門跡と記した石碑が建てられています。つまり、ここから曼殊院の参道が始まるのですね。

タイミングが合えばこの道も綺麗に染まっている事でしょう。ただし、道が狭い割に車が多く通るので、安全には十分注意して下さい。

ここを登り切ると曼殊院の勅使門の前に出るのですが、その前に左手にある小さな石鳥居を潜ってみましょうか。潜った先にあるのが弁天様が祀られている弁天池です。

この池の周囲にも沢山のもみじが植えられており、曼殊院における紅葉のエリアの一つになっています。ここは紅葉が始まるのが早く、11月前半から見頃になる事も多いですね。祠のある弁天島にはススキも植えられていて、秋の風情に溢れていますよ。

弁天島から元の道に戻って、勅使門へと向かいます。この門は勅使しか通る事が出来ないという格式のある門で、この門の周辺が曼殊院の代表的な景観となっています。周囲はほぼもみじで埋め尽くされており、最盛期にはとても綺麗な景色を見る事が出来るエリアですよ。

紅葉のタイミングは標準的で、11月半ばから後半にかけて見頃となる事が多いようです。このエリアの北の端には大きな銀杏があり、その黄葉もまた見事なので見逃さない様にして下さい。

次は庭園に入ってみましょうか。ここは基本的には枯山水なのですが、樹木がふんだんに植えられており、禅宗寺院の庭とは違った艶やかさを感じる庭園ですね。紅葉は主として小書院側にあり、この庭に相応しく上品さを感じる色合いです。紅葉するタイミングはかなり遅く、勅使門周辺より一週間以上遅れる事が多いのかな。概ね11月後半から12月初め頃に見頃となると思われます。

曼殊院を出て、再び元の坂を下ります。圓光寺へ向かう道を少し通り過ぎると、右手に鷺森神社の森が見えて来ます。その森に通じる小さな折り返しの坂道が道の脇にありますので、そこを下って森の中へと入っていきます。分かり難い道ですが、それほど迷わずに済むと思いますよ。

森は針葉樹が主体ですが、ところどころにもみじがあって、タイミングが合えば淡い黄葉を見せてくれます。また、森とは言ってもすぐそこに社が見えており、それほど怖いという様な場所ではないですよ。

鷺森神社の紅葉は、参道周辺が主体となります。何と言っても、頭上を覆う紅葉のドームは、ここならではの見所ですね。紅葉のタイミングは遅く、11月終わりから12月初め頃にかけて見頃となる事が多い様です。ただ、銀杏は早くから黄葉するので、少し早くてもそれなりの風情はありますよ。また、本殿周辺にも紅葉はありますので、そちらも見逃さない様にしてください。

鷺森神社の次は赤山禅院に向かうのですが、ここまでで相当疲れているはずですから、これは健脚組にのみお薦めですね。これ以上は無理と思われた方は、そのまま修学院駅に向かって下さい。もし自転車に乗って来たのなら、迷うことなく赤山禅院行きです。

さて、鷺森神社の本殿横から、一度北の道へと抜けます。そして右に折れると上り坂になっているのですが、その二筋目を左に入って下さい。そのまま細い道を歩いて行くと音羽川へとたどり着きます。そこに後安堂橋という橋が架かっていますのでそこを渡ってさらに進んで下さい。この道の右手は修学院離宮であり、やがて離宮の正門が見えて来ますが、予約をしていない限り入ることは出来ません。ですので、ここは素通りをしてそのまま道を歩きます。ここからはかなり細い道となりますが、ちゃんと抜けられるので心配は要りません。

やがて道は突き当たるので、そこを左に曲がります。そして一筋目を右に入って細い露地を道なりに進めば、露地の出口の右手に石の鳥居が見えるはずです。そこが赤山禅院への参道の入り口ですね。

赤山禅院は延暦寺の塔頭なのですが、中国の神である泰山府君を祀るという珍しい存在ですね。ですので、参道や境内に鳥居があるのでしょうけど、神仏混淆とも違う一種独特の雰囲気のある寺である事は確かです。

ここの紅葉は参道沿いが主となるのですが、境内にも沢山のもみじあるのでとても綺麗ですよ。紅葉のタイミングは概ね標準的で、11月中頃から末にかけて見頃になる事が多いようですね。ただし、境内の広い範囲にもみじがあるので、結構ばらつきはあると思います。

さて、今回の散歩道はここまでとします。自転車の場合や、さらなる健脚の人は、このあと蓮華寺三明院三宅八幡宮あたりまで足を伸ばすと良いのですが、さすがにそこまで薦めるのは無責任というものでしょう。

帰りは修学院駅まで歩く事になりますが、時々振り返ってもらうと、すっかり色付いた比叡山やその周辺の山々の姿を楽しむ事が出来ますよ。さっき歩いてきた曼殊院の紅葉も遠くに望めたりしますしね。

高低差が激しく、ちょっときついコースではありますが、ゆっくり歩けば晩秋の風情に溢れた素敵な散歩道だと実感してもらえると思っています。


2011年11月17日 (木)

京都の散歩道 紅葉案内 洛北編 1

今日の京都紅葉案内は洛北編、叡山電鉄の一乗寺駅を起点とした散歩道を紹介したいと思います。

一口に洛北と言ってもエリアは広く、本当は自転車で回る事をお薦めしたいです。その方がより効率的に、より早く回る事が出来ますからね。しかし、そうは言っても自転車が苦手な人も居り、また道が不案内という方も居られると思いますので、ここでは歩いて回れるコースでまとめてみる事にします。

一乗寺駅を降りると、そこが曼殊院通です。まずは、この道を東に向かって真っ直ぐ進んで下さい。およそ400mも歩くと白川通にたどり着きます。この通りの街路樹であるケヤキもまた、綺麗に色付く事で知られています。タイミングが合えば、この紅葉も愛でていって下さい。

ここでは白川通を横断して坂道を上っていく事とします。和洋菓子の店として知られる中谷さんを右手に見ながら歩いていくと、やがて前方に一本の松と大きな石碑が見えてきます。これが宮本武蔵が吉岡一門と戦ったとされる「宮本 吉岡決闘之地」ですね。世に下り松の決闘として知られ、当時は地名となるほどの大きな松が生えていました。その初代の木は既に枯れてしまったのですが、近くの八大神社に行けば保存されている切り株を見る事が出来ます。現在の松は当時から数えて4代目にあたるのだとか。

この石碑の角は十字路になっているのですが、そのまま真っ直ぐに進んで下さい。そのまま進めばやがて詩仙堂にたどり着くのですが、ここではその手前の道を右に曲がります。そのまま道なりに歩いていくと、やがて本願寺北山別院の門前へと出ます。道はここで右に曲がっているので道なりに進み、すぐ次の曲がり角を左に入ります。するとすぐにまた別れ道に出ますが、そこも左に道を取って下さい。すると前方に金福寺の石段が見えてくるはずです。

金福寺は臨済宗の寺で、松尾芭蕉と与謝蕪村に縁のある事で知られます。斜面を利用した枯山水の庭があり、斜面の上には蕪村が再興した芭蕉庵が建てられています。この庵を庭園越しに見上げるのが、この寺の代表的な景観ですね。反対に庵の前から庭を見下ろしても、遠く西山が借景となる事で奥行き感のある良い景色となりますよ。

紅葉はこの庭園の周囲と芭蕉庵の背後を中心としており、訪れる人の少ない穴場的な名所の一つです。

紅葉の開始時期は比較的早く、部分的には11月前半から見頃となる事もあります。全体としての盛りはやはり11月半ば以降かな。色付きが早いのは庭園の西側で、芭蕉庵周辺は遅く色付く事が多いですね。このため、どの景観を好むかによっても盛りの時期の判断は異なって来ると思われます。

さて、金福寺を出て、元の道を戻る事にします。突き当たりにまで戻ったら、今度は道を右に曲がって下さい。暫く行くと右手に詩仙堂の入り口が見えて来ます。

詩仙堂は、洛北における人気NO.1のスポットですね。四季を通じて趣があり、訪れる人が絶える事はありません。そして、常に季節の花で彩られているのですが、紅葉の時期は最も華やぎます。東福寺ほどではありませんが、この時期は特に拝観者が多く、拝観ルートも通常とは違ったコースに変えられます。

紅葉のタイミングは標準的で、11月半ばから後半にかけて見頃になる事が多いようですね。当たり年の紅葉は素晴らしいの一言で、一度見ると病み付きとなってしまいます。艶と言い、色合いと言い、他の場所とは一線を画していると言っても良いかも知れません。ただし、外れ年に当たると、如何に詩仙堂と言えども見るも無惨な姿となってしまいます。これはどことも同じなのですが、当たり年が素晴らしい分、落差がより大きく感じられてしまうのかも知れないですね。

詩仙堂の場合、エリアと言うより木によって紅葉の時期に差が出ますが、それほど極端な違いは無いように思います。わりと短い期間にピークが集中しているんじゃないかな。言い換えれば、見頃の期間が比較的短いという事にもなるのですけどね。

写真的には座敷の奥から撮った額縁写真が定番となりますが、この時期は人が多すぎてまず無理と思っていた方が無難でしょう。ただ、時々ですが、座敷の前の方に人が居なくなる瞬間があり、運が良ければものに出来るかも知れません。

詩仙堂は何時までも居たいと思う場所なのですが、切りがないので先を急ぎます。

詩仙堂を出て少しだけ坂を下ります。この道の左手には双鳩堂としいう小さな店があるのですが、そこの鳩餅は素朴な味ながら、なかなか美味しいですよ。小腹が空いた時には丁度良いおやつとなります。さらに道を下ると右手に続く道があるので、そちらに入って下さい。

軽い下り坂を歩いて行くと、やがて右手に圓光寺の山門が見えてきます。南禅寺派の研修道場で、尼衆専門道場だった時期もありました。さらに遡れば徳川家康が起こした学問所であり、木版活字を使った出版によって、啓蒙活動を行っていたそうです。当時は伏見にあったそうですね。

庭園は十牛の庭として知られ、もみじが多く植えられている事から、紅葉の名所の一つに数えられています。また、本堂の入り口に水琴窟がある事でも有名です。

紅葉が始まるのは比較的早く、11月前半から見頃になる事もあります。盛りになるのは中旬過ぎが多いかな。本堂近くの木から色付き始めるのもここの特徴でしょうね。

詩仙堂が盛りになる頃には少し見頃を過ぎている事が多いと思われますが、敷き紅葉も見事なのでやはりセットで訪れたいポイントです。

ここも座敷の中から撮る額縁写真が定番の一つですが、縁側に座る人が多いため、この時期はまず無理でしょうね。開き直って、人が佇む姿をシルエットで捉えるという手はあるかも、です。

時間があれば背後の高台に上って、上から庭を見下ろすのも面白いですよ。四角く囲われた庭園が紅葉している様は箱庭の様に人工的で、普段見ている野趣に富んだ風情とはまるで異なるところが興味深いです。

明日はここから曼殊院へと向かいます。


2011年11月16日 (水)

京都の散歩道 紅葉案内 洛東編 4

泉涌寺道からはひたすら坂道を上って行く事になります。頑張って歩き続けているとやがて泉涌寺の総門が見えてきますが、その門を潜る前に即成院に立ち寄ってみましょうか。ここは那須与一の墓がある事で知られ、その縁で扇に願い事を書いて奉納するという風習があります。10月には「二十五菩薩お練供養」が行われる寺でもありますね。

紅葉としては数本のもみじがある程度なのですが、境内にベンチがあるので、参拝がてら休憩させて頂くには丁度良い場所ですよ。

さて、足休めが済んだら総門を潜って再び坂を上って下さい。暫く歩くと今度は三叉路にたどり着きます。ここでは左手の坂を下って今熊野観音寺を目指します。

今熊野観音寺は紅葉の名所の一つなのですが、それ以上に西国三十三所観音霊場の十五番札所として知られています。そのため普段から参拝者が絶える事は無いのですが、その代わり紅葉の時期だからと行って行楽客が殺到する事もありません。ですので、比較的ゆっくりと紅葉を楽しむ事が出来るスポットですね。

境内は広くてかつ高低差があるため、紅葉のタイミングは11月前半から12月初め頃までと、場所によってまちまちです。ですので、いつが紅葉の見頃かは難しく、訪れる人毎に判断が別れる事でしょう。写真的には本堂と大師堂の周辺、及び多宝塔周辺が絵にしやすいでしょうか。その意味からすれば、11月半ばから後半に掛けてが一つの目安となるかも知れません。

今熊野観音寺の次は来迎院を目指します。リンクしている地図では境内に直接繋がる様な紛らわしい道が載っているのですが、実際には通れなかったと思います。ですので、一度このポイントまで戻って下さい。今度は地図上には肝心の道が描かれていないのですが、左手に御陵管理事務所沿いに森の中に続いて行く道がありますので、そちらに進んで下さい。道なりに歩いていくと、やがて左手に来迎院の石橋と山門が見えてきます。

この寺は、弘法大師が唐土で感得した三宝荒神を奉安して開いたと伝えられ、後に泉涌寺の子院となっています。本堂とは別に石段上に広幅殿荒神堂があり、初めて訪れた時にはどちらに参拝すれば良いのか迷いましたよ。

境内はほぼもみじで埋め尽くされており、隠れた紅葉の名所として知られます。紅葉の時期としては11月後半頃かと思われますが、昨年訪れた時の印象として、狭い境内の中でも早いエリアと遅いエリアがある様に思いました。

来迎院の向かいには善能寺があります。この寺も弘法大師の創建と伝わり、元は西八条の地にありました。現在は祥空殿というお堂と稲荷社があるだけの小さな寺なのですが、お堂の脇に重森三玲氏の作と言われる枯山水の庭があり、その周囲にあるもみじが紅葉のポイントとなっています。

ここには何度か来ているのですが、最初に訪れた2006年11月23日の時が一番きれいでしたね。それ以後は同時期に訪れてもあまり良い状態に出会った事はありません。もしかしたら、結構気難しい紅葉なのかも知れないですね。

善能寺から泉涌寺までは階段を上がってすぐで、北の入り口から入る事になります。泉涌寺の紅葉の見所は御座所庭園にあり、比較的早くから色付くポイントですね。毎年11月半ばには見頃が始まる事が多いのですが、今年の場合はどうでしょうか。手入れが行き届いているからでしょうか、とても美しい色に染まる庭園ですよ。

境内は常緑樹が多く、わずかに仏殿の脇と楊貴妃観音堂の周辺にもみじがある程度です。あと、月輪陵方面には紅葉する木があったかな。

さて、朝10時くらいから回り始めたとして、七条駅からここまで来ると午後3時頃になっているでしょうか。ここから東福寺に向かうのですが、場合によっては回避した方が良いかも知れません。と言うのは、あまりに混雑していると、入り口にたどり着くまでに時間切れとなってしまいかねないからで、状況を見て判断して頂きたいと思います。

泉涌寺から東福寺へは、裏道を通って行く事にします。大門を出た後坂を下り、三叉路の手前まで歩きます。そこから今度は月輪中学のグラウンド沿いの道に入り、非田院方面に歩いて下さい。そして、非田院には入らずに、その手前の道を左手に入ります。すると細い坂道が日吉ヶ丘高校のグラウンド沿いに続いていますので、そのままアスファルト道まで突き抜けます。その後は広い道を道なりに下っていけば、やがて東福寺への参道が見えてきます。日と時間帯に依りますが、たぶん行列が出来ているんじゃないかな。

夕方近くなら上手くすれば短時間で入り口までたどり着けるかも知れませんが、あまり期待してはいけません。ポイントはやはり団体さんと出くわすかどうかでしょうね。

東福寺は言わずと知れた紅葉の名所で、広さと言い、紅葉の質と言い、京都でも一、二を争います。臥雲橋通天橋から見た景観が何よりのポイントで、この二カ所で立ち止まる人が多いのが渋滞を起こす原因にもなっています。ここの景観を中心に考えるのなら、見頃は11月半ばから後半に掛けてになるでしょう。ただし、境内は広いので、11月前半から12月上旬に掛けて、どこかしらで見頃の紅葉はあると思われます。

ここでは回避もある事を前提に東福寺を一番最後に回しましたが、朝一番に訪れても無論構いません。ただし、その場合は境内に入るまでの待ち時間が2時間以上、トータルで半日以上をここで費やす事を覚悟しなければならず、他の場所を回る時間はあまり取れないでしょうね。一番良いのは平日に訪れる事で、そうすれば比較的短時間で境内に入る事が出来ると思われます。

あるいは、連休過ぎを狙ってみる事かな。京都の紅葉観光のピークはやはり勤労感謝の日前後で、それを過ぎると混雑もかなり減ってきます。ですので、11月末か12月最初の休日なら、それほど混雑には会わないで済むかも、です。ただし、その頃の紅葉がどうなっているかは運次第ですけどね。何にしても、東福寺はちょっと混みすぎです。

最後に、東福寺からの帰りは鳥羽街道駅に向かうのが良いでしょうね。うっかり東福寺駅に向かうと、それだけでまた行列に並ばなければならなくなりますよ。

2011年11月15日 (火)

京都の散歩道 紅葉案内 洛東編 3

今日は京阪の七条駅を起点にした散歩道を紹介します。

東山七条にある紅葉の名所と言えば、まずは養源院ですね。七条駅を出て東に向かい、三十間堂の東側の道を右に折れて暫く行くと、やがて左手に養源院の山門が見えてきます。この寺は、浅井長政の菩提寺として淀殿が建て、後に江によって再建された寺として知られますね。

紅葉するのは主として参道沿いにあるもみじで、市内にある名所らしく紅葉するタイミングはかなり遅めです。年によってばらつきがありますが、概ね11月末から12月初めに掛けて見頃となる事が多いようですね。ただ、同じ参道でも山門近くの木ほど先に色付く傾向があり、一度に色付くという事はありません。

また、参道の北側に勅使門があるのですが、その周辺のもみじも綺麗に色付きます。でも、それに気付いているのか居ないのか、見に行く人は希れなのですね。せっかくの紅葉なのにもったいない話で、行かれる事があれば是非見ておかれる事をお薦めします。

養源院からは智積院を目指します。山門を出た後、一度七条通に戻っても良いのですが、せっかくですから方広寺の南大門を潜ってみましょうか。そう、あの鐘銘事件のあった方広寺の遺構がここにも残っているのですよ。単層ではありますがとにかく巨大な門であり、如何にも秀吉好みであった事を彷彿とさせてくれます。同時に、ここが寺の南限であった事を示している訳で、今とは比べものにならない広大な寺域を有していた事が判る遺構でもある訳ですね。

その門を出たところが塩小路通です。この道は細い割に車が良く通るので、歩きにくいのが難点ですね。どうやらタクシーの抜け道となっているらしく、出会うのはほとんどタクシーばかりという不思議な道でもあります。

この道を左手に進んで行くと、左手の駐車場のフェンス沿いに、「坂本龍馬、北添佶摩など土佐浪士寓居跡」と記した石碑が建っているのに気付きます。これが最近建てられた龍馬とお龍の出会いの場を示す石碑でして、ここにあった土佐浪士達の隠れ家の世話をお龍の母がしていた縁で、二人は知り合う事となったと言われています。

車を避けながら東に抜けると、そこは東大路通になっています。その角を左に折れて少し歩くと横断歩道があるので、そこを東に渡りましょう。そしてさらに左手に歩いていくと、やがて智積院の入り口にたどり着きます。

智積院は近年庭園整備が進み、たぶん意図的にでしようね、もみじが沢山植えられており、紅葉の名所となりつつあるところです。特に金堂前には大きなもみじが植えられており、去年までは見事な紅葉を見せてくれていました。ところが、今年は弱った様子が見えており、紅葉がどうなっているのかちょっと心配なのですよ。幹に薬剤を注入するなど手当てはされていた様ですが、効果があったのか気になっているところです。

まだ新しい庭園なので、紅葉の傾向などは掴めていません。でも、手入れは良くされているので、きっと良い色に染まる事でしょうね。

智積院の次にどこに行くかは迷うところで、ここから清水寺に向かうルートもあるのですよ。その場合は大谷墓地の中を通っていく事になり、それなりに面白い道ではあるのですが、ここでは反対に泉涌寺に向かう事とします。

智積院を出た後は、元来た道を逆戻りする事になります。そして横断歩道を通り過ぎ、ひたすら東大路通沿いに歩き続けていきます。そして、JRの東海道線の跨線橋を過ぎると、今熊野商店街のアーケードが始まります。

ここは以前は道の両側にびっしりと店が並び、それなりに賑やかな商店街でした。しかし、現在は次々と閉店する店が続き、すっかりシャッター通商店街へと変わってしまいました。まだ泉涌寺道の近くには店が残っているのですが、七条通に近くなる程寂しくなっていきますね。大学や高校が近くにあり、若い人の姿も少なくないので、なんとか持ち直して欲しいところなのですけど、なかなか難しいのかな。

アーケードのほぼ南限近くまで歩くと、泉涌寺道にたどり着きます。バス停にしてほぼ二つ分を歩いた事になりますね。ここからは泉涌寺に向かってひたすら坂道を上っていくのですが、途中でいくつかの塔頭に寄り道をして行こうと思います。

以下、明日に続きます。


2011年11月14日 (月)

京都の散歩道 紅葉案内 洛東編 2

興正寺別院から出て、アスファルト道を東に向かいます。この道沿いには、村山紅葉さんの家があり、往来からも花に囲まれた母の山村美沙さんの写真を見る事が出来ますよ。ちなみに、その隣の家に西村京太郎さんが住んでいました。

その旧西村邸の前で道は左に曲がり、急な坂道となります。かなりの勾配がありますので、足下に不安のある人は無理をしないで三年坂に引き返して下さいね。で、この坂道を登り切ると、石の鳥居が聳えています。ここは十字路になっており、正面の坂を下ると京都護国神社、右手の石段を登ると正法寺、左手の石段を下ると龍馬坂から二年坂へと出る事が出来ます。

この十字路の周辺も紅葉の綺麗なところで、龍馬坂頂上のもみじや、その南側にある大銀杏、護国神社境内の紅葉などを眺める事が出来ますよ。ここでは、右手の階段を登って正法寺に向かう事にします。

正法寺には、ここからさらに115段の階段を登らなくてはならないのですが、それだけの価値のある景色が待っています。タイミングが上手く合えば庭園のもみじの紅葉に加えて、先程の坂の下の銀杏の黄葉がすぐ近くに見え、その先には裾を紅葉で彩られた八坂の塔があり、さらにはそこかしこの街路樹が色付いた京都の町並みが広がっています。そして、西の果てには紅葉に彩られた西山連山まで見渡す事が出来ますよ。これだけ素晴らしい景観は、京都でもそう多くはないと思われます。

ただし、この庭園には入れたり入れなかったりするらしく、その基準は残念ながら判りません。けれども、庭園に入る事が出来なかった場合でも、階段の上から京都の町並みは見渡す事が出来、長い階段を上っただけの価値はあると思いますよ。

正法寺からの石段を下りてくると、十字路から先は龍馬坂となります。龍馬の葬列が通った事からその名が付けられた道ですね。この龍馬坂を下りきったところにももみじがあり、毎年黄葉を見せてくれています。お薦めはこの黄葉を透かして見た八坂の塔ですね。訪れるタイミングが難しいのですが、上手く合えば他では見る事が出来ない景色と出会う事が出来ますよ。ここも見頃は11月末から12月初め頃にかけてが多いのかな。

龍馬坂を下りきると、そこは二年坂に続く通りです。ここからは再び人混みとの再会となりますが、仕方が無いところなので我慢して下さい。その道を右手に曲がり、暫く行くと高台寺に通じる石段が見えてきます。その石段と、さらに続く石段を上がれば高台寺駐車場に出る事が出来ます。

その石段を登り切ったところで振り返ると、目の前に八坂の塔を見る事が出来ます。これもタイミング次第では、紅葉に彩られた塔の姿を撮る事が出来るポイントですよ。

ここで高台寺に入るべきかどうかは、微妙な選択になります。と言うのは、高台寺が見頃を迎えるのは、これまで見てきた各ポイントよりも早い事が多いのですよ。つまり、ここまで綺麗な紅葉を見てきた場合は、高台寺は盛りを過ぎている可能性があるのです。ですので、どうするかはその日の状況をよく見て判断して頂く様にお願いします。大抵は外で呼び込みをやっているので、中の様子を良く聞いてから決めて下さいね。また、とても混雑している事が多く、一度入るとと結構な時間が掛かりますから、残り時間とも相談した方が良いですよ。

高台寺の紅葉そのものには素晴らしいものがありますから、タイミングも合い、時間も十分にあるという時には、是非入られる事をお薦めします。これは共通拝観券のある圓得院も同様ですね。

高台寺からはねねの道を通って円山公園に向かいます。途中の大雲院は中に入る事は出来ないてのですが、タイミングさえ合えば祇園閣にからんだ紅葉の写真などを撮る事が出来ますよ。また、芭蕉堂の背後にも大きな銀杏があって、茅葺きの屋根によく似合う黄葉を見せてくれます。

その大雲院の隣に祇園寺というコンクリート二階建ての小さな寺があるのですが、ここは元は祇園女御塚と呼ばれた石塔があった場所でした。祇園女御とは、平清盛の実母とも、伯母にして養母とも伝えられる女性ですね。この祇園寺が祇園女御とどういう関係にあるのかは判りませんが、この場所に女御が住んでいたという伝承があるのは確かです。ですので、清盛もまたこの場所で大きくなった可能性が高いですね。来年の大河ドラマに興味のある方は、チェックしておかれると良いポイントですよ。

話が逸れましたが、その祇園寺のすぐ隣にある石畳が大谷祖廟の参道です。ここではその参道に入ってみます。この参道の両脇は常緑樹がほとんどであまり紅葉とは縁が無いのですが、ところどころでツタが色付いていたりしますよ。その参道の突き当たりには山門が聳えていますので、そこを潜って一度境内へと入ります。

山門のすぐ内側には、二階建ての太鼓堂があります。かつては時を知らせる太鼓が二階にあり、定時ごとに叩かれていた様ですね。その太鼓堂の横には大きな銀杏があって、毎年綺麗な黄葉を見せてくれますよ。

銀杏の木の脇にある門を潜って境内の外に出ると、右手に長楽寺の参道が続いています。この長楽寺もまた古くからの紅葉の名所として知られてきたのですが、その割に訪れる人は少なく、穴場との一つと言っても良いでしょうね。紅葉のタイミングは参道が11月半ばから末に掛けてなのに対し、境内はほとんど12月に入ってからの事が多いのではないでしょうか。このタイミングの遅さが、空いている要因の一つになっているのかも知れません。ただし、来年は大河ドラマの影響(清盛の娘であり、安徳天皇の母である建礼門院が落飾した場所として知られます)で、混み合うかも知れませんね。

長楽寺の階段を下り、山門の前をすぐに右手に曲がると、そこは円山公園の東の外れになります。ここは円山公園の中でももみじが多く植えられている場所であり、また最も遅くに紅葉するスポットでもあります。ここまで来る人は希で、素敵な紅葉に包まれた静かな時間を、心ゆくまで過ごす事が出来る貴重なポイントですよ。紅葉のタイミングは、やはり11月末から12月初めにかけてが多いですね。

ここに来る頃には既に日も傾き掛けている事でしょうか。今年は「法然上人800年大遠忌」にあたり、知恩院では様々な行事が行われているのですが、その一環としてライトアップが11月27日まで行われています。ライトアップされるのは三門、御影堂、友禅苑などで、中でも紅葉に関して言えば友禅苑が綺麗でしょうね。

その隣の青蓮院でもライトアップが行われています。こちらは12月4日までですね。この寺も紅葉の名所として知られていますが、このライトアップはより芸術性の高いものを目指しているそうで、「光の由来」~熾盛の光の曼荼羅~という副題の付いた景観照明だそうですよ。

なお、先程紹介した高台寺・圓徳院でも同様にライトアップが行われており、昼の拝観ではなく夜の拝観にするのも良いでしょうね。

ライトアップを見た後は、再び祇園四条駅を目指します。(京都駅が便利な人は、地下鉄の東山駅に向かうのが良いでしょうね。)その途中で、余裕があれば祇園白川に立ち寄って見て下さい。ここは特別なライトアップはされていませんが、街路樹に照らされた紅葉が綺麗に見える筈ですよ。また運が良ければ、白川沿いの料亭の窓から、舞妓さんが踊る姿を見る事が出来るかも知れません。

以上で、祇園四条を起点とした東山の散歩道を終わります。明日は七条駅を起点とした散歩道をアップしますね。

2011年11月13日 (日)

江~姫たちの戦国~44 江戸城騒乱

(江戸城。大坂の陣が終わり、大坂城が焼け落ち、秀頼と淀殿が自害したと聞き、泣き崩れる江。)

(竹千代の前で繰り広げられれる戦勝祝いの宴。竹千代に媚を売る家臣達。上機嫌の竹千代。豊臣の世が滅んだと笑顔で座を盛り上げる福。そこに通りかかった江。)

(江を見て粛然となる一堂。何事かと問う江。祝宴ですと答える福。無邪気に徳川家の勝利を祝っていたと答える竹千代。その竹千代に迫り、亡くなったのはそなたの伯母であり従兄弟だと詰る江。竹千代に代わって、力ある者が天下を治めるのが武家の倣いだと答える福。福の横面を張り飛ばす江。しかし、すぐにやり過ぎたと感じて、すまぬと謝ります。)

(冷然と、秀頼と淀殿を討てと命じたのは秀忠だったと告げる福。そればかりか、秀頼の子を探し出し、六条河原で処刑させたのも秀忠でした。衝撃のあまり倒れ込む江。)

(伏見城。諸大名に対して武家諸法度を発布する秀忠。泰平の世においては戦ではなく、法を第一として世を治めよと命じ、実質的な将軍としての第一歩を記したのでした。)

(部屋で元和という字を書いている家康。そこに、武家諸法度の発布が終わったと知らせる正純。秀忠の様子はどうだったと聞く家康。将軍に相応しく威厳に満ちて堂々としており、感服したと答える正純。)

(天下人としての権威で、元号を元和と改めさせた家康。)

(江戸城。元和という元号は世に泰平をもたらすという意味だと聞き、姉と甥を殺して得た泰平だと憤る江。そして、怒りを込めて秀忠は何時戻るのだと問います。)

(伏見城。禁中並公家諸法度の草案を見ている秀忠。そこに現れた千と常高院。千に向かって、江戸に帰る手筈になっていると告げ、常高院には千に付き添って帰り、千と江の支えとなって欲しいと頼む秀忠。)

(父に向かって、夫を殺せと命じたのは事実かと問う千。事実だと答える秀忠。夫を助ける手だては無かったのかと非難する千。黙って娘を見つめている秀忠。父は鬼だ、決して許さないと言って部屋を出て行く千。とりなそうとする常高院。それには及ばないと秀忠。)

(江戸城。食事も摂らずに仏壇に向かって拝み続けている江。自分の嫁いだ徳川に秀頼と淀殿は殺されたと非難し、千は里に夫を殺されたのだと娘を気遣う江。)

(伏見城。家康に会い、禁中並公家諸法度の草案を見たと告げる秀忠。どうだと聞く家康。公家と朝廷を武家の意のままにするための法度と見たと秀忠。天下の政を武家がまとめた上で、朝廷と公家をも守っていく、他ならぬ将軍たるそなたが天下を束ねていくのだと家康。そして、大坂の陣を終わらせた秀忠の決意を見事だったとほめあげます。はっと言って立ち去ろうとする秀忠。その背後から、豊臣の始末を任せた事に不服があるのかとと問い掛ける家康。天下が泰平となれば将軍となった思いも叶うというもの、その道を作ったのは初代将軍である家康であり、感謝するのみで恨みなど無いと答えて去る秀忠。)

(秀忠を見送りながら、恨みなど無いかとつぶやく家康。恨みではなく、悲しみだと正信。しかし、それが故に強くなったと正信。)

(一人になり、千と江との事を思い出している秀忠。)

(元和元年7月。江戸城に帰ってきた千。出迎える江、竹千代、国松たち。娘の無事を喜び、かつ労る江。江と言って抱きしめる常高院。)

(秀頼と淀殿を救えなかったと謝る千。そなたに咎はないと涙ぐむ江。誰も責める事は出来ない、起こるべくして起こった戦だと常高院。しかし、父の事は許さないと千。将軍の勤めを全うされただけだと常高院。決して許さないと千。痛ましげに娘を見つめる江。)

(秀頼の遺髪を見つめ、最後の時を思い出している千。涙ぐむ姉を見つめる竹千代。)

(常高院に淀殿の最後を聞く江。誇りを持って死んだと常高院。涙ぐむ江。淀殿から預かった手紙を渡たす常高院。泣き崩れた江に代わって手紙を読む常高院。)

(淀殿の手紙。誇りの為に死んでいく私を許して欲しい。家康も秀忠もなすべき事をしたまでの事、決して責めてはいけない。自分の死によって世に泰平がもたらされるのなら、それが一番の願いである。決して徳川を恨むな。そして初と共に仲良く生きよ。)

(聞き終わって、常高院と抱き合う江。)

(8月。江戸城に帰ってきた秀忠。廊下で出迎えず、部屋で待つ江。)

(部屋に入ってきた秀忠を型どおり労う江。無言の秀忠。)

(廊下。千は自分を許さないと言った、そなたも同じ思いであろう。淀殿を殺せと命じた事に悔いはない、しかし、あの時をもって自分の中の何かも死んだと秀忠。だから秀頼の子も殺せたのかと江。豊臣を継ぐ者は後には残せない、誰も傷付けずに太平の世を築くというのは絵空事に過ぎないと秀忠。姉は徳川を恨むなと言った、しかし、自分はどうしたら良いか判らないと泣き崩れる江。戦の無い泰平の世を作る、それが淀殿と秀頼、その子を殺めた自分出来る償いだと秀忠。夫を見つめる江。我らの子や孫が誰かを殺す事は断じてないと泣きながら叫ぶ秀忠。泣きながら夫を抱きしめる江。)

(京、高台寺。髪を下ろした龍子こと寿芳院と話し合い、江と秀忠の事を気遣う高台院。)

(江戸城。千に向かって、泰平の世を作りたいという父の思いを察してあげる事は出来ないかと諭す江。そのために秀頼は死ななければならなかったのかと聞く千。その様子を物陰から見ている竹千代。そこにやってきた国松。気まずそうな二人。)

(竹千代を振り切り、千の下に駆け寄る国松。彼は摘んできた花を千に差し出し、元気を出して下さいと励まします。その様子を見ている竹千代に気付いた常高院。)

(竹千代の話を聞いてやって欲しいと秀忠と江に頼む常高院。なにゆえと訪ねる江に、国松ばかり可愛がっていると常高院。そんな事はないと江。世継ぎの事もあり、話してみるかと秀忠。)

(夜。一家で月見をする秀忠。竹千代に向かって、武将では誰が好きなのかと問う秀忠。答えようとした竹千代に代わって、武田信玄だと答える国松。なぜだと問う江に、誰よりも強い家康がただ一人負けた相手だからだと答える国松。)

(次に、大坂の戦についてはどう思うかと問う秀忠。江を気遣いながらも、豊臣を滅ぼしたのは当然の事と答える竹千代。なぜと聞く秀忠。上手く答える事が出来ない竹千代。国松はどうだと聞く秀忠。起こっても仕方のない戦だと思う、しかし、豊臣に縁の深い母、伯母、姉の事を思うと胸が痛むと国松。なるほどと秀忠。心配げな福。)

(駿府城。家康に会い、今一度竹千代を跡継ぎとすると言って欲しいと頼む福。実権を秀忠に譲った以上、無理だと断る家康。前に言ったではないかと食い下がる福に、年を取った故に何を言ったかは覚えていないととぼける家康。絶句する福。)

(江戸城。参勤交代を献策する林羅山。その羅山に目を付けた福。)

(廊下でぶつかるという小芝居を演じ、羅山に近付いた福。酒を勧め、世継ぎについてどう考えるかと問うと、長幼の序あり、世継ぎは長男の竹千代が良いと答える羅山。それを秀忠に進言してもらえぬかと福。引き受ける羅山。喜んで羅山と酒を酌み交わす福。)

(国松に生け花を教えている千。その様子を見ながら、国松は優しい子だと江。)

(世継ぎについて、国松を推しているのだろうと江に問う常高院。その方がふさわしいと思っていると江。公平な目で見ているとは思えない、あれでは竹千代が可哀想だと常高院。親として竹千代と話すべきではないのかと常高院。)

(竹千代の部屋を訪ねた江。そこで見たのは、女の化粧をしている竹千代でした。驚いて部屋を出る江。)

(秀忠の下に行き、竹千代がと絶句する江。)

ドラマチックだった前回に比べて、まったりしたいつもの展開に戻った様な回でした。いくつかのサイトで、実質的な最終回は前回だったと書かれていたけれど、確かにそんな気もしてしまいますね。でも、跡継ぎの事を片付けないとこのドラマの主題は完結しないしなあ。

それにしても、江戸城騒乱という副題があったにも関わらず、それらしい事件は福をひっぱたいたシーンだけでした。江と秀忠の間にバトルが繰り広げられるのかと思ったのですが、淀殿の手紙が効いたのかあっさりと仲直りしてしまいましたしね。毎度のことながら、この副題はどうにかならないのかしらん?

でも、江はあんなので納得してしまって良いのかなあ。史実はともかくとして、今までのドラマの展開からすれば、秀忠がしたのは完全な裏切り行為ではないですか。それに、秀頼が生きていたら泰平の世は作れなかったと言われても、それだけでは何の説得力も無いですねえ。

秀忠の苦悩って何だったのだろう。戦国の世の倣いだというのが答えなら、最初から判っていた事ではないのかな。それを十分に承知した上で、江と何とかしようと話し合っていたのではないのかしらん?自分に責任が掛かってきたら、急に怖くなって常識論に落ち着きましたと言うのでは、江に対しては何の説得力も無いんじゃないですか。それを江があっさり引いてしまったのは、誰よりも夫思いの妻だったという事なのでしょうかね。それとも、泰平の世というキーワードで全てが解けてしまったということなのかしらん?この件に関しては、もっと二人の葛藤が描かれてしかるべきだったと思います。

せっせと積み上げた伏線を全てふっ飛ばしてしまった様な回でしたが、残りが少ない以上あまり引っ張れないのかな。やっぱりペース配分を間違えてますよ、このドラマは。

世継ぎについては、史実においても出来の良い国松を江が愛し、跡継ぎにしたがっていたと言われています。しかし、それを家の乱れの元と憂慮した家康が江に叱責の手紙を書き、考えを改めさせたとされるのですが、それに近い事は以前にドラマの中で描かれていましたよね。それをわざわざ覆して話を進行させているのですが、この先どう落とし前を付ける気なのでしょうか。

今のままではどう見ても国松の方が跡継ぎに相応しいのですが、それをどうやって逆転させるのでしょうね。林羅山と福が怪しい関係になっていましたが、朱子学の名分論で決着を着けてしまうというのかな。それとも、竹千代の内面に踏み込んで、誤解が解けたので跡継ぎにしましょうという事になるのかしらん?何にしても、あまり説得力のある答えは期待出来そうにないという気がしています。

(追記(11.14)です。前回、大詰めの段階で、家康が秀忠に豊臣家の処分について全面委任するというシーンがあり、この展開には意表を突かれましたと書いたのですが、どうやら元ネタがあった様です。というのは、司馬遼太郎さんの「城塞」を読み直してみたところ、千姫の嘆願を受けた家康が諸大名の前で秀頼の助命を提案し、それを聞いた秀忠がそれは出来ない相談だ、処分はすべて自分に任せて欲しいと言う場面がある事に気付きました。これは無論小説なのですが、たぶん下敷きになった資料が存在すると思われ、ドラマもまた同じ資料を参考にしているものと考えられます。

資料があるからと言って直ちに史実かどうかは判りませんが、ドラマにおける全くの創作ではなかったのは確かですね。

「城塞」の記述に従えば、これは秀吉から豊臣家の行く末を託されたという事実のある家康はあくまで秀頼を助けようとしたポーズを示し、直接の関わりを持っていなかった秀忠がこれに反対する事で将軍の権威を示そうとした小芝居だったという事です。また、秀忠は千姫に対して秀頼と一緒に死ぬべきだとも言っており、ドラマのキャラクターとは随分異なる人物として描かれています。まあ、こちらの方がそれこそ戦国の世の倣いという気もしますね。)

2011年11月12日 (土)

京都の散歩道 紅葉案内 洛東編 1

今週末も京都に出かける事が出来ませんでしたので速報は有りません。この時期に我ながらストレスが溜まるのですが、どうしようも無い状況にありますので仕方がありません。

その代わりと言っては何ですが、紅葉スポットを巡るための道案内をアップして行く事とします。ただし、下手に写真を載せると現状と勘違いされそうなので、テキスト中心でまとめて行きたいと思います。また各ポイントごとに位置図をリンクして行きますので、訪れる時の参考にして下さい。

まずは洛東編1から始めましょうか。

一口に洛東と言っても、紅葉の名所は数多くあります。それらを一度に回りきろうとするのは大変で、何より混雑しているところがほとんどですから、出来るだけポイントを絞って回る事をお薦めします。また、紅葉の時期が遅いポイントがほとんどですので、11月も後半以降に回られると良いかも知れません。

今日は京阪の祇園四条駅を起点として回るコースを紹介します。コンセプトは出来るだけ空いている道を通って回る、です。

駅から出たらまずは縄手通を右に曲がって下さい。ここは道が細くて車も多いのですが、四条通を行くよりもずっと早く目的地に着く事が出来ます。その最初の曲がり角を左に入ると祇園の町中へと入って行きます。暫く歩くと右手に光保育園が見えてきますので、その手前の露地に入って下さい。小さな保育園と細い道ですので、見落とさない様にして下さいね。この露地沿いは祇園の中でも下町という雰囲気があり、他とはちょっと趣きの違う散歩道となります。この道を抜けると建仁寺の境内への入り口が見えてきます。

この入り口の右手には赤い鳥居が見え、陀枳尼尊天という石碑と稲荷像があります。ここは建仁寺塔頭の興雲庵がある場所なのですが、敷地内にある鎮守稲荷への参拝口として、寺の山門とは別に門が設けられているのですね。たぶん、神仏分離令への対応ではないかと思うのですが、神仏混淆の名残として興味深い事例ではあります。

建仁寺の紅葉は遅く始まり、境内は11月の末、本坊にある潮音庭は12月初め頃に見頃になる事が多いですね。当たり年にはとても深い赤色に染まる木が多く、古い殿舎を背景に映えた紅葉の写真を撮る事が出来ますよ。ただ、今は方丈と三門が修理中で覆いが掛けられており、アングルには注意が必要かも知れません。

建仁寺の境内を南に抜けると八坂通に出ます。この坂道を東山に向かって上っていくと、突き当たりに八坂の塔が見えてきます。紅葉した東山を背景にした八坂の塔は、なかなか絵になれますよ。ただし、ここも車が良く通るので、写真を撮る時には十分な注意が必要です。

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(写真は昨年12月4日に撮影した八坂の塔の紅葉です。)

東大路通を越えると八坂塔の下商店街に入ります。ここからだと、11月半ば頃なら塔の左手の高木と真下にある桜が綺麗に色付いて見える事でしょう。八坂の塔の境内も紅葉が綺麗なのですが、11月後半から色付く事が多いようです。ただし、年によってばら付きが多いので、事前の情報収集は必要ですね。また、不定期に閉まっている事もあるので、あらかじめ留意しておいて下さい。

ここでは是非茶室「聴鐸庵」の近くの縁側に座り、風が鳴らす風鐸の音に耳を澄ませて下さい。本当にかすかな音なのですが、カーン、カーンという不思議な音色が聞こえてきますよ。きっと、古代の銅鐸もこんな音だったんだろうなあと思ってしまう、素朴な響きです。

八坂通をさらに上って行くとやがて二年坂と合流します。ここから先、清水寺までは凄い混雑となるのですが、どう仕様も無いので我慢するしかありません。

ただ、どうしても混雑を避けたいと思われるのなら、八坂の塔の下から南に続く道を通り、大漸寺の前から清水坂に抜ける方法はあります。これだと二年坂から三年坂にかけての混雑には会わずに済みますよ。さらに混雑を避けたいと思うのなら、少し清水坂を下って一筋目を左に入れば、茶碗坂に抜ける事も出来ます。かなりの遠回りではあるれど、混雑を避けるというコンセプトに従うのならこのルートになるのかな。

元に戻って、三年坂の手前に興正寺別院に続く参道があります。ここは帰りに寄りますから、場所だけを覚えて坂を上って下さい。三年坂から清水寺までの間は、おそらく京都で最も混雑する道と言えるでしょう。ただ、これは団体さんに出くわすかどうかが運の分かれ目で、タイミングが合えば以外とスムーズに歩けたりします。反対に、複数の団体さんと重なると、それこそ地獄となりますけどね。

清水寺は11月後半に色付く事が多く、12月初め頃に見頃となる事も珍しく無いですね。ただ、境内が広く、早くから色付くエリアもあるので、11月半ば頃に行ってもどこかしら見頃にはなっているかと思われます。比較的早いのは三重塔周辺と放生池周辺、それに成就院周辺から西に続く通路沿いでしょうか。

時間に余裕がある時は、境内を南に抜けて清閑寺に向かうのも手です。清水寺からは鉄柵に設けられた通用口から出る事になるのですが、一歩外に出るとそれまでの喧噪が嘘の様な静けさに包まれる事になりますよ。あまりに人の気配が無いので、女性の一人歩きはちょっと怖いと感じるかも知れません。

清閑寺は、「恋する京都」で遊心寺とされた寺です。7年前のドラマですが、まだ覚えている方も居られるのではないでしょうか。古くからの紅葉の名所とされるのですが訪れる人は希で、知る人ぞ知るという穴場ですね。ただ、ここは狭い境内にも関わらず紅葉のタイミングがエリアごとに別れており、どのタイミングで行けば良いかは微妙なところですね。全体として11月後半に見頃になると思われますが、イメージ通りの紅葉に出会えるかどうかは運次第と言うしかないでしょう。

さて、清水寺から再び混雑する清水坂を通って三年坂を下ります。今度は二年坂には向かわずに、興正寺別院の参道に入って下さい。ここも参道に一歩入っただけで、別世界と感じる程人が居なくなりますよ。

この参道の石畳を突き当たったところに石段があり、その北側にアスファルトの迂回路があります。この二つの道沿いにもみじが植わっていて、これがとても綺麗に紅葉するのですよ。特にアスファルト側のもみじが早くから色付き、美しいもみじのトンネルを見せてくれます。アスファルト側は11月半ば以降、石段は11月末から12月初めにかけてに見頃となる事が多いようです。

長くなったので、続きは月曜日にアップします。


2011年11月11日 (金)

京都・洛東 京都紅葉事情2011 ~天授庵 11.3~

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平成23年11月3日の天授庵です。すでに一週間以上経過しているので現状がどうなっているのかは判りませんが、この時点ではもみじがほんのりと色付き始めたばかりの状態でした。

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この庭で最初に色付くのが北の端にある百日紅なのですが、この日は既に大半が散っており、寂しい姿になっていました。その手前にある濃いオレンジ色の葉が夏椿で、これはもう少しで綺麗に色付くところだったのでしょうか。

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南庭はそれこそ緑一色で、去年に比べてもはっきりと遅れていたのが判ります。まあ、この濃い緑も綺麗には違いないのですけどね、期待している色と違うのは確かです。

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そんな中で、この庭でも百日紅が黄葉していました。こちらはまだ葉が比較的残っていて、緑の中に浮かぶ様で美しく感じました。

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今週末も出来れば見てきたいところではあるのですが、それほど変わっていないだろうなとも思います。ここのとろこ冷え込みは確かにあるので、良い方向に向かっていると期待したいところではあるのですが、果たしてどうなのでしょうね。こればかりは実際に見てみないと何とも言えないというのが実情です。

2011年11月10日 (木)

京都・洛東 萩2011 ~迎称寺 11.3~

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平成23年11月3日の迎称寺です。萩はほとんどのところで花期を過ぎ、根元から刈られているところが多いのですが、ここではまだ綺麗な花を見る事が出来ました。

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今年の迎称寺の萩は遅れ気味ではあったのですが、11月になってもまだ咲いているとは思ってなかったですね。ひと月前でも結構咲いていたにも関わらず、そんなに花保ちの良い木だったのかなと思ってしまいます。

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しかも、まだつぼみが沢山残っていたので、今日あたりでも咲いていたのではないかしらん?無論、盛りの頃とは比較になりませんが、花色は美しく、そう捨てたものではなかったですよ。今週末でも、もしかしたら咲いているかもしれませんね。

2011年11月 9日 (水)

京都・洛東 京都紅葉事情2011 ~真如堂 11.3~

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平成23年11月3日の真如堂です。この日の紅葉の具合は、写真の花の木の枝先が赤く色付いてきているなど、少しずつ進んで来ているという感じでした。まあ、まだまだ緑の方が圧倒的に多かったのですけどね。

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そんな中で、夏椿は良く色付いています。濃いめの色なので、結構目立つ紅葉ですね。

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大半のもみじは、ほんのりと色付いている程度なのですが、例年早く色付くこの木は今年もパステルカラーに染まっていました。

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遠くから見るとあまり色付いていない様に見える銀杏なのですが、木の下に行くと結構落ち葉が散っており、秋らしい風情を見せてくれています。そしてよく見ると大量のギンナンも落ちており、放っておくのは勿体ないと思ったのは私だけなのかしらん?

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この日はツワブキが満開になっていました。ほぼ咲ききっており、この日が最後の見頃だったんじゃないかな。

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ホトトギスもまた咲いてはいましたが、見頃は過ぎていた様です。あまり時間経過の判らない花なのですけどね、やはりだんだんと艶が失われていくのが見て取れます。

写真は掲載していませんが、ムグロジやモクゲンジの木が黄色く染まって綺麗でしたよ。モクゲンジはもう終わっているだろうけど、ムクロジの方は今週末あたりが見頃かも知れません。参道石段の手前、右手の上の方に見えますから、真如堂に行かれる事があれば少し目線を上げてみて下さい。素敵な黄葉が見えるかも知れませんよ。

2011年11月 8日 (火)

京都・洛北 京都紅葉事情2011 ~圓光寺 11.3~

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平成23年11月3日の圓光寺です。多くのポイントで遅れが目立つ今年の紅葉ですが、ここ圓光寺ではほぼ昨年並みの進行になっていました。

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特に受付前にあるこの木は進行が早いですね。これから冷え込みを迎える今週末には、結構な見頃になっているではないかしらん?

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庭園も本堂前を中心に良い感じになっていました。昨年並みではあるのだけれど、今年の紅葉としては特筆ものだと思ってしまいます。

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でも、手放しで喜べるかと言うとそうでもないのですよ。昨年の記事に載せた写真のうち4~6枚目にある木が、紅葉せずに散ってしまっているのです。早く色付くのは弱っている証拠だと聞きますが、もしかしたら今年の夏を越えられずに枯れてしまったんじゃないかと思える程でした。

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それはともかく、現時点においては最も見応えがありそうなのは圓光寺である事は間違いなさそうです。これも今後の気温と降雨の推移によって大きく変わってくるところなのですけどね。

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今年は綺麗な秋明菊を良く見かけます。それに例年より遅くまで咲いているのではないでしょうか。昨日の記事には載せていないけれど、詩仙堂でも咲いていましたよ。

この清楚な花は水琴窟の澄んだ音色に、とても良く調和していましたよ。

2011年11月 7日 (月)

京都・洛北 京都紅葉事情2011 ~詩仙堂 11.3~

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平成23年11月3日の詩仙堂です。気になる今年の紅葉の状況ですが、全体としてわずかに色付き始めているという程度でした。

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昨年との比較で言えば、一週間程度遅れている感じかな。柿の実とその背後のもみじの色付き加減で、違いが判って頂けるでしょうか。

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でも、紅葉自体はそう悪い訳ではなく、このマルバノキなどは綺麗に染まっていました。つまり、今後の冷え込み加減によって、紅葉の善し悪しが変わって来るものと思われます。

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庭園では、秋の花が咲いていました。中でもこの野菊が晩秋の風情を感じさせてくれています。この上品な色合いが素敵な花ですよね。

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山茶花もまた咲き始めています。いつの間にか、この花の季節になっていたのですね。

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その一方で、季節感を狂わせるのが芙蓉ですね。他の場所では枯れ始めていると思うのですが、ここではまだ沢山の蕾を残しており、もう暫くは咲き続けそうでした。でも、詩仙堂ではこれが通常のペースの様ですけどね。

あと一つ、お詫びと訂正です。ずっと以前ですが、詩仙堂には桜がないと書いてしまったのですが、それがとんでもない間違いである事に気付きました。と言うのは、詩仙堂の花を集めた写真のパネルがあったのですが、その中に桜が写っているのですよ。あれっと思って受け付けで確かめたのですが、一本だけど確かにありますとの答えでした。

それは大きな山桜で、庭の西の隅で結構な存在感を持っています。私、あまりに大きな木なので、ケヤキか何かと勘違いをしていましたよ。思いこみは本当に良くないですね。次の春には桜の時分に写真を撮ってこようと思っているところです。

2011年11月 6日 (日)

江~姫たちの戦国~43 淀、散る

(江戸城。母に次いで姉、淀殿が自害するという悪夢にうなされる江。)

(家康が何が何でも豊臣を滅ぼそうとしている事、淀殿と秀頼が滅びる事を覚悟で戦おうとしている事を、江には話す事が出来ないと一人苦悩する秀忠。)

(慶長20年春。駿府城。京で大火事があり、御所にまで騒動が及んだ。これは豊臣方が召し抱えている浪人どもの仕業に違いないと家康に報告する正純。そして、さらに浪人の数を増やし、鉄砲まで運び入れているという報せに、もはや動くしかないかとつぶやく家康。)

(大坂城。新たに家康から示された条件、秀頼の国替えか浪人の放逐を選べという指示を聞き、憤る淀殿。冷静にこれは挑発だと見切りながらも、受けて立つまでだと戦う決意をみせる秀頼。戦はならぬと叫ぶ常高院。城が裸城となっている今は、戦は得策ではないと治長。家康の言い分を聞く為に、自分が駿府に行くと常高院。)

(城内の慌ただしい様子を、一人で感じている千姫。)

(駿府城。家康に拝謁し、大坂城は秀頼の生まれた場所であり、国替えには応じられない、浪人の召し放ちについては、なまなかな数ではないので時が掛かると大坂方の言い分を述べる常高院。初どの、とその俗名で語りかけ、そなたはどう思っているのかと問い掛ける家康。戸惑いながらも、姉を止めたいと願っていると答える常高院。ならば、その思いを伝えてはどうかと家康。気持ちを変えて貰えぬかと手を付いて頼む常高院。立ち上がり、曖昧な返答なら要らないと冷たく言い放つ家康。)

(江戸城。江に、東海道筋の大名を連れて大坂に行くと告げる秀忠。戦が始まると知り、自分が大坂に行き、姉を説き伏せると江。その思いを受け止めつつ、ここは自分に任せてくれと秀忠。そして、江に文を書いてくれと頼む秀忠。)

(4月10日、大坂に向けて軍勢と共に出陣した秀忠。)

(伏見城。常高院と会い、戦を避ける為に、とにかく淀殿たちに城を出て貰いたい、その後の事は改めて考えれば良いと伝える秀忠。そして、淀殿の気持ちを変えるべく江の手紙を託します。)

(高台寺。高台院に会い、淀殿を説得して欲しいと頼む秀忠。秀吉が淀殿に惹かれたのは、お市の方の姿を見たからだ、武将の様な強さと激しさと高台院。つまりは、淀殿の心を変える事は出来ないという事かと秀忠。板挟みになった秀忠の立場を思いやる高台院。将軍とは名ばかりと自嘲する秀忠。家康が豊臣を滅ぼそうとしているのは、秀忠の為でもあるのではと高台院。そんな事は望んでいないと秀忠。)

(この世を泰平にする為には、避けては通れない戦があるのではないかと高台院。それが今度の戦かと秀忠。)

(二条城。大坂方に残されているのは野戦のみ、その手並みを拝見しようと余裕を見せる家康。言い掛かりを付けて戦に持ち込んだ冬の陣の時と同じだ、戦にしなくて済む手だては無いのかと迫る秀忠。たわけた事を言うなと叫ぶ家康。)

(戦無き世が欲しいなら、戦に勝つ他はない、それが判らないのなら今すぐここを去れと、秀忠を突き放す家康。)

(大坂城。江の手紙を読む淀殿。そこには戦の嫌いな淀殿がなぜ戦を引き寄せるのか、江戸で共に暮らさないかと記されていました。如何にも江らしいと微笑む淀殿。浪人を放逐することが無理なら降参すれば良いと迫る常高院。そのつもりは無いと淀殿。この城で戦う事は死ぬ事と同じだと叫ぶ常高院。穏やかに、もはや引き返す事は出来ぬと言い、江の手紙を引き出しに仕舞う淀殿。そこには守り刀も納められていました。)

(4月26日、大坂夏の陣開戦。城を出て戦う豊臣方。)

(江戸城。写経をしながら、秀忠に祈る江。)

(大坂。城を見ながら高台院の言葉を思い出している秀忠。)

(秀忠の陣。小松山にて、後藤又兵衛を討ち取ったという知らせに、ご苦労と答える正信。じっと目を閉じている秀忠。次いで知らされた幸村勢に苦戦しているとの報告に目を上げる秀忠。)

(戦場にて、悪鬼のごとく戦い続ける幸村。)

(摂津平岡、家康本陣。翌日のための軍議が開かれています。主戦場となるのは天王寺口、大坂方は茶臼山に陣を敷く幸村を中心とする部隊、対する徳川方は家康の本陣が正面となる構えでした。それを見て、自分を総大将にして欲しいと願い出る秀忠。)

(戦に反対のお主がと訝る家康。将軍である以上、戦わなければならない戦いなら戦うまでと決意を見せる秀忠。しかし、豊臣を滅ぼす最後の戦の采配は自分で振ると言って秀忠を退ける家康。)

(慶長20年5月7日。大坂夏の陣、最大にして最後の戦いが始まりました。著戦は大坂方有利の内に始まります。これを機に、士気を揚げるべく秀頼の出陣を願う浪人衆。判ったと立ち上がる秀頼。しかし、淀殿は総大将が軽々しく動いてどうすると言って遮ります。総大将だからこそと抗弁する秀頼に、ならぬと譲らない淀殿。)

(茶臼山、真田隊。ずらりと整列した真田の赤備え。秀頼公の出陣が無いと知り、自分は自分のやり方を貫くまでと幸村。そして、狙うは家康の首一つと叫びながら突撃を開始します。)

(秀忠の陣。先鋒の本多忠朝討ち死、小笠原秀政敗走、忠脩自害と次々に敗報が届きます。ここまで激しい戦いは見た事がないと正信。籠もる城も無いのに、なぜここまで戦うのかと秀忠。狙いは大御所の首一つだろうと正信。そこに、幸村の軍勢3000が、徳川方の1万の軍勢を突き破り、家康の天王寺本陣に迫っているという知らせが入ります。ただちに援軍を出すと下知を下す秀忠。岡山口を手薄にしてはならない、大御所も喜ばないと異議を唱える正信。親父の命などくそ食らえと叫んで出て行く秀忠。)

(天王寺口、家康本陣。迫る真田軍。その鉄砲で打ち倒された金扇の馬印。本陣に殺到する真田勢。家康を捜して荒れ狂う幸村。しかし、家康の姿は見つかりません。そこに攻め寄せてきた藤堂と松平勢。)

(家康の下へと疾駆する秀忠とその軍勢。)

(戦いが終わり、死体だけが転がっている家康の本陣に到着した秀忠。警戒しながらも家康を捜す秀忠。そこで見つけたのは瀕死の幸村でした。秀忠を見て、良き死に場所を貰ったと幸村。親父はどうしたと聞く秀忠。身体を動かそうとして、うめき声と共に倒れ込む幸村。秀忠が、がれきの向こうに見つけたのは、息絶えた幸村でした。呆然と見つめる秀忠。)

(その時、背後から現れた家康。無事を喜ぶ秀忠に、岡山口はどうしたと叱責を浴びせる家康。家康に幸村の死体を指し示す正純。)

(幸村を見て、大した男よ、此度ばかりは駄目かと思ったと言いながら、死体に旗を掛けてやる家康。そして、この戦に勝って乱世を終わらせると秀忠に向かって言う家康。その時、城外の豊臣方は全滅し、徳川方が本丸に攻め寄せたという伝令が届きます。城を遠望しながら、いよいよ大詰めだと家康。城には娘が居ると秀忠。)

(大坂城。幸村が討ち死にし、敵が二の丸に迫っているという伝令を受け、座り込む淀殿。)

(髪を切り、半紙に包む秀頼。そして、千を抱きしめ、すまぬと謝る秀頼。)

(江戸城。侍女が唱えるお経を聞きながら、写経を続ける江。)

(大坂城。すべて終わったと淀殿。そして、常高院に城を出る様に勧めます。今更出る気は無いと常高院。千を連れて行ってくれないかと頼む秀頼。その千に向かって、父の秀忠に秀頼の命を助けてくれる様に頼んで欲しいと頼む淀殿。何をおおせかと遮る秀頼に背に、全ては自分の科であると言い、常高院に家康宛の手紙を託す淀殿。)

(姉上はどうするのかと問う常高院。私は母上の様に逝きたい、誇りを持ってと答える淀殿。そして、江に宛てた手紙を託し、豊臣と徳川の間で苦しめた事を済まぬと伝えて欲しいと頼みます。そして、それはそなたも同じと気づき、今まで支えてくれた事に対する礼を言う淀殿。)

(千にも辛い思いをさせた、許せと言い、二人を城の外へと命じる淀殿。兵士に促され、後を振り返りながら部屋を出て行く常高院と千。黙って見送る秀頼と淀殿。その姿に、北庄城での市の方の姿を重ねる常高院。)

(後に残った淀殿と秀頼。出馬を許さなかったのは、自分を救うためだったのかと秀頼。そればかりではない、一時も自分の側から離したくなかったからだ、愚かな母と笑ってくれと淀殿。)

(誇りと言ったが、意地で選んだ道だったかもしれないと淀殿。母上は誇り高き人だった、そして愛に満ちていたと秀頼。その愛でそなたを苦しめたと淀殿。そこに響く敵が攻め寄せてきたという知らせ。)

(江戸城。写経を続ける江。その時、目に止まる滅の字。)

(城を遠望しながら、城内の様子を聞く秀忠。はっきりしない回答に、自分が行くと陣を出ようとします。その時、常高院が現れました。)

(常高院の背後から現れた千を抱きしめる秀忠。泣きながら、秀頼と義母を助けて下さいと願う千。)

(淀殿の手紙を見て、良く判ったとつぶやく家康。手を付いて、秀頼と淀殿の命を助けて欲しいと願う常高院。それには答えず、奥で休む様に勧める家康。どうか答えをと叫ぶ常高院。じっと祖父を見つめる千。私に任せてと常高院を助け起こす秀忠。)

(常高院と千を見送った家康と秀忠。その時、この沙汰を任せる、今、この時からそちが総大将だと秀忠に告げ、立ち去ろうとする家康。その背後から、秀頼たちが山里曲輪の蔵に逃れたという知らせが入りました。)

(城を遠望しながら苦悩する秀忠。)

(山里曲輪。徳川からの知らせを待っている淀殿。)

(江とのやりとりを思い出している秀忠。彼はその思いを振り切る様に、城に火を掛けよと命じます。)

(炎上する天守を見て絶句する淀殿。これが徳川からの答えだと秀頼。)

(高台寺。遠く、赤く染まった大坂の空を見る高台院。)

(炎上する天守を見つめる家康と秀忠。正純に向かって、秀頼の籠もる蔵に向かって、一斉に鉄砲を撃ち込めと、絞り出す様に命ずる秀忠。承知と出て行く正純。じっと秀忠を見つめる正信。涙する秀忠。)

(焼け落ちる天守。今ならまだ間に合う、城から逃れよと秀頼に勧める淀殿。自分は豊臣の主、太閤殿下の子である、戦に敗れたのなら死ぬまでと答える秀頼。涙ぐむ淀殿。微笑み返す秀頼。その時、徳川勢に囲まれているという知らせが入ります。一斉に撃ち込まれる銃弾。最後の反撃に出る兵士達。)

(秀頼と淀殿を庇う様に立ちふさがり、最後まで仕える事が出来て幸せでしたと治長。息子と一緒に死ぬ事が出来ると大蔵卿。侍女達に済まぬと声を掛ける淀殿。再び撃ち込まれる銃弾。淀殿と秀頼を庇って立ちふさがる侍女達。扉を閉める治長。その扉ごと打ち抜かれた治長。次々とたおされていく侍女達。苦しい息の下、火を掛けよと命ずる治長。炎上を始めた蔵。)

(一足先に自害した大蔵卿。二人並んで自害の支度をする秀頼と淀殿。共に参りましょうと声を掛ける秀頼。守り刀を袋から出す淀殿。それは市の方から託された、長政縁の刀でした。その時、淀殿の目に浮かんだのは小谷城の跡から見た琵琶湖の景色。琵琶の湖が見える様だと泣き笑いする淀殿。琵琶の湖と聞く秀頼。秀頼にも見せたかったと淀殿。微笑む秀頼。)

(父母そして初と江に別れを告げ、胸に刀を突き刺した淀殿。同じく刀を突き刺した秀頼。)

(同時刻、江戸城。風に吹かれて不意に消えた蝋燭に、異変を感じ取った江。)

(炎上する大阪城を見つめながら泣き崩れる常高院と千姫。その側で、じっと城を見つめている秀忠。)

今回は大坂夏の陣が描かれました。ドラマの主題は淀殿との死と秀忠の苦悩にあり、あまり史実がどうのと言っても仕方がない様な気がしますが、ざっと触れておきます。

まず、正純が報告していた京の火事は実際にあった話で、これは大阪方の兵士が放火をして回った結果だと京都所司代から報告が上がっています。この件については、大野治長が豊臣とは無関係だと弁明に努めたのですが、家康はこれを奇貨として捉え、秀頼に対して伊勢あるいは大和郡山への転封に応じるか、大坂城内に居る浪人衆を召し放つか、どちらかに従えと迫ったのでした。要するに家康としては、方広寺鐘銘事件と同じく、豊臣方に戦を仕掛けるきっかけが欲しかったのですね。

これに対する弁明の使者として、常高院が派遣されたのも史実にあるとおりです。常高院が家康に会ったのは名古屋城でした。家康がここに居たのは、名古屋城主であり、家康の九男であった義直の婚儀が行われていたからだと言います。この時の会見は、ドラマにあった様に一方的な叱責で終わりました。

実は、常高院はもう一度使者を務めており、今度は二条城で家康に会っています。この時は再度、国替えに応じるか、浪人を召し放つかという条件を提示された様ですね。そして、これは実質的な最後通牒だったのですが、大阪方は何も回答しないまま戦いに突入してしまったのでした。

秀頼が国替えに応じられないのはともかくとして、浪人の召し放ちに応じられない理由は、一つには戦力を手放す事が不安だったという事もあったでしょうけど、下手に彼らを追い出そうとしようものなら、反対に浪人達の反乱に遭ってしまいかねないという事情があった様です。つまり、浪人を召し放とうにも、直属の家臣団よりも浪人たちの方の数がずっと多く、強制力を持っていなかったという事ですね。ドラマの中で常高院が家康に時間を呉れと言ったのも、淀殿に対して一旦開戦した後で降伏すれば良いと言ったのも、こうした背景があったからだと思われます。

次に合戦の経過ですが、まず小松山で後藤又兵衛が討ち死にしたとあるのは、道明寺の戦いと呼ばれる合戦においてでした。

大坂方は、徳川方が大坂平野に出て来る前に、その隘路で迎え撃とうと考えており、その予定戦場の一つが大和から河内への出口にあたる国分村(現在の柏原市)でした。大坂方は、又兵衛、幸村、毛利勝永らの兵をこの方面に差し向け様としたのですが、寄せ集めの軍勢故か連絡が上手く行かず、又兵衛の軍(2800)だけが国分近くの道明寺に来てしまいます。徳川方(34000)は既に国分村に展開しており、又兵衛はやむなく近くの小松山に陣を敷き、味方の来援を待つ事にしました。大軍に囲まれながらも又兵衛は力戦し、何度となく敵を退けましたが、やがて力尽きて壊滅してしまいます。

又兵衛の軍が潰え去った後に到着した幸村たちは、小競り合いはあったものの決戦に及ぶことなく軍を引き、天王寺方面へと後退したのでした。ドラマで真田方に苦戦していると言っていたのは、この戦いの時に、幸村が敵勢を支えきった事を指しているのでしょうか。

5月7日の戦いにおいて、徳川方の本多忠朝が戦死したのも史実にあるとおりです。この忠朝には面白いエピソードがあって、この人は大酒飲みとして知られた人でした。忠朝は冬の陣にも出陣しているのですが、ある戦いにおいて前日に過ごした酒のせいで二日酔いになってしまい、遅参するという失態を冒してしまいます。これを家康から厳しく叱責された忠朝は雪辱を誓い、夏の陣においては先鋒として奮戦しました。しかし、無理な戦い方が災いして討ち死にの運命となってしまったのですが、その死にあたって、「戒むべきは酒なり、今後わが墓に詣でる者は、必ず酒嫌いとなるべし」と言い残したと言われます。忠朝の墓は大阪の一心寺に実在するのですが、この言い伝えのおかげで、禁酒の願掛けにお参りする人が今でも絶えないそうですよ。

(ただし、忠朝が叱責された経過については諸説があり、必ずしも二日酔いで失敗したとは限らない様です。)

そして、幸村の突撃については、これも史実とされています。幸村のみならず、天王寺方面では大阪方が総攻撃を掛けており、幸村はその間隙を縫って家康の本陣へと迫ったと言われます。徳川方は忠朝が討ち取られたのを始め、小笠原勢の壊滅などによって混乱を極めており、小勢の幸村にも活路が開けたのですね。

幸村は三度に渡って突撃を掛けたとされ、家康の本陣が壊乱し、金扇の馬印が倒されたというのも有名なエピソードですね。家康は身一つで逃げ、途中で何度も切腹を口走ったと言われます。ここまで家康が追い込まれたのは、武田信玄と戦って敗れた三方ヶ原の戦い以外には無いと言われます。

しかし、如何に善戦しようとも多勢に無勢であり、ついには幸村も力尽きて討ち取られてしまったのでした。

この戦い振りを賞賛して、幸村は後に「日本一の兵」と呼ばれる様になります。ドラマでは家康が旗を掛けてやっていましたが、敵方であったにも関わらず江戸期を通じてその武勇は称えられ、今に続く評価を形作っていったのでした。

なお、秀忠の本陣も大坂方に攻め込まれており、ドラマの様に援軍に駆けつける事はとても出来る状況ではなかった様です。

以下は細かい事ながら、常高院は最後まで城内に止まっていたのは史実のとおりなのですが、城を出たのはドラマの状況よりも少し前の様でした。そして、彼女は淀殿に説得されたのではなく、自らの判断で城を出たようです。つまり、彼女は京極家の人間でもあり、淀殿と最期を共にしてしまっては、京極家に迷惑が及ぶと判っていたからなのですね。それでも、ぎりぎりまで城内に居たのは、やはり姉妹の情があったからだと思われます。

また、千姫を連れて出たのは常高院ではなく、治長が命じた誰かだった様ですね。秀頼と淀殿が最後に山里曲輪に逃れたのは、この千姫に託した助命嘆願の結果を待つためだったと言われます。あ、これもドラマにあるとおりか。

最後はドラマの感想ですが、淀殿の意地と悲しみが良く出ていたと思います。宮沢りえの演技は、最後に来てぐっと良くなりましたね。娘時代は何だかなあと思っていたのですが、ここに来てやっと実力と演出が釣り合ったと言えそうです。こういうのをもっと見たかったなあ。

秀忠と家康の関係については、さすがに意表を突かれました。これまでの二人の確執は、この結末を持ってくるための前振りだったのですね。それにしても、秀頼と淀殿を殺す決断をしたのが秀忠だったとはねえ。史実ではそのとおりなのでしょうけど、このドラマの展開としては見事などんでん返しでした。

ただ、苦悩の末に家康と同じ決断を下した秀忠でしたが、もう少しその苦悩振りが描かれても良かったのではないでしょうか。その答えは次回にあるのかも知れないけれど、あまりの豹変ぶりは不自然でもありますからね。理詰めで責任ある考え方をしたら、この答えしかなかったという結論かなと思われますが、そのあたりは来週を待ちたいと思います。でも、江は許さないだろうなあ。

2011年11月 5日 (土)

京都・洛北 京都紅葉事情2011 ~金福寺 11.3~

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平成23年11月3日の金福寺です。気になる今年の紅葉の状況ですが、この日各地で夏日を記録した様に暖かい日が続いているためか、進行はかなり遅めです。

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昨年の状況と比べると、冒頭の写真ではそう変わらないのですが、2枚目の写真を見て頂くと遅れているのがはっきりと判ると思います。いつも真っ先に色付く真ん中の小さなもみじも、今年はまだ少し色が変わりかけた程度なのですよね。

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比較的色付いていた葉をマクロで撮ってみました。この時期としては綺麗な方だけど、やはり深みが足りないですね。これから冷え込んでくれば、透明感のある深紅に染まってくれると思われます。

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この日一番きれいだったのが、靴脱ぎにあった草もみじでした。まあ、あまり注目する人は居なかったでしょうけどね、探していたのはこの色です。

この草はたぶんキンポウゲの仲間だと思うのですが、種類を特定するには至っていません。どなたか、ご存じの方は居ませんか。

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まだまだ緑の多い金福寺ですが、ここが真っ赤に染まる時が来るのでしょうか。予報では、来週の半ばから最低気温が10度を割るようですね。これに雨も降るので、紅葉にはプラスの条件が加わる事になります。さて、どこまで届くのでしょうか。

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帰り際、植え込みの中にお茶の花が咲いているのを見つけました。観賞用ではない地味な花ですけど、それなりに綺麗ですよね。このさりげない清楚な感じが、結構気に入っている花の一つです。

2011年11月 4日 (金)

京都・洛北 紅葉の予感 ~上賀茂神社~

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葵祭で知られる上賀茂神社も、紅葉の名所の名所の一つとされます。中でもならの小川沿いのこの小径は、紅葉時における京都屈指の散歩道と言っても良いでしょう。

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上賀茂神社の紅葉は、ならの小川沿いだけでなく境内一円で見る事が出来ます。二の鳥居の中では、楼門とからめたこんなシーンも撮る事が出来ますよ。

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いつもの年なら、ここも場所ごとに紅葉の時期が異なるのですが、昨年(11月23日)はほぼ全域で一度に見頃になっていました。

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これは二の鳥居の西側にあるもみじで、毎年早くから色付き始め、かつ黄色から赤にかけてのグラデーションになるという、独特の紅葉を見せてくれる木です。

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穴場的なのが曲水の宴が行われる渉渓園の周辺で、日陰になるせいか他の場所とは少し違った雰囲気の紅葉を見る事が出来ます。ここまで紅葉を見に来る人は少なく、静かな時間を過ごす事が出来ますよ。

ところで、今日はとうとう夏日を記録してしまった様です。いくら何でもと思いますが、今週から来週にかけては雨が降る様なので、その点では紅葉にはプラスですね。あとは月の後半にどれだけ冷え込むかに懸かっています。暫くは週間天気予報の告げる最低気温から目が離せない日々が続きそうですね。

2011年11月 3日 (木)

京都・洛北 紅葉の予感 ~赤山禅院~

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京都の北、修学院の地のさらに奥まった場所に赤山禅院があります。延暦寺の塔頭ですが、中国の神である泰山府君を祀るという、他に例を見ない独特の寺ですね。

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ここもまた紅葉の名所の一つで、特に参道のもみじのトンネルが有名ですね。確かに美しいのですが、車が何台も駐められているので、写真的には絵にするのに困る場所でもあります。

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昨年は11月23日に訪れているのですが、境内全域でほぼ見頃となっていました。それも、こんな具合に綺麗に色付いた木が多かったですね。

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場所が少し遠くて判かり難いせいでしょうか、それほど混雑しないというのも良いですね。どちらかというと、熱心な参拝者の方が多い様な気すらします。

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写真的には、どう撮れば赤山禅院らしくなるのか、今ひとつ掴み切れていません。綺麗な紅葉がお堂とかけ離れた山の中にあったりするからで、どういう構図にすべきか毎回迷ってばかりですね。

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この日は数珠供養が行われており、その行事の一つとして魚の放生が準備されていました。これがその魚たちで、錦鯉の稚魚でしょうか。それにしても夥しい数で、池の大きさからするとどう見ても多すぎるのですが、大丈夫なのかしらん?もしかしたら後から回収しているんじゃないかと、要らぬ勘ぐりをしてみたくもなります。

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ところで、今日は詩仙堂や金福寺など数カ所を見てきたのですが、いずれも紅葉はかなり遅れていました。それに、汗ばむほどの陽気でしたから、暫くは進みそうにもないですね。唯一の例外と言って良いのが圓光寺で、受付前の木と本堂前の木が色付き始めていました。それでも、いつもの年なら真っ先に色付くべき木が、既に枯れ果てているという状況になっていたのですが。

今のところですが、今年の紅葉はあまり良い状況にはなっていません。これからどこまで冷え込むかという事と、それまでに適度な雨が降ってくれるかという事に懸かっていますね。天気予報を見ると10日までは最低気温が10度を上回っていますから、前半戦は期待薄かなという気がします。でも、後半はどうなるか判らないので、簡単に諦める事無く、期待して待ちたいと思っています。

2011年11月 2日 (水)

京都・洛東 紅葉の予感 ~真如堂~

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真如堂は四季を問わず風情のある場所ですが、やはり秋の紅葉の時期は格別な趣きを見せてくれます。ここは、以前は知る人ぞ知るという静かなスポットだったのですが、2002年にそうだ京都行こうのキャンペーンに選ばれて以来、大勢の人が集う紅葉の名所の一つになっています。

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実際、丁度良い広さの境内に沢山のもみじが植わり、盛りの頃にはとても華やかな色彩で埋め尽くされる事になります。

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昨年は11月19日に訪れているのですが、本堂前を中心に美しい紅葉を見る事が出来ました。特にこのもみじが綺麗だったなあ。

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真如堂には、いくつも撮影ポイントがあるのですが、その中でも時期と時間帯が合えば、かなり絵になりそうな場所が新長谷寺です。この日はまだ紅葉が浅かったのと、お堂に日が当たってもみじとの明暗差が大きすぎたのとで、今ひとつでしたね。いっそ曇り空の時の方が綺麗に撮れる場所なのかしらん?

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この日は銀杏もまた綺麗に染まっていました。奥まった場所にあるので写真的には絵になりにくいのですが、この美しさは素晴らしいものがありますね。

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その銀杏の近くには櫨の木もあって、真っ赤に染まっていました。ほとんどの人がもみじに気を取られており、こんな素敵な紅葉がある事に気付いていないのは勿体ないという気がしています。

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早くに染まり出す三重塔の前の花の木は大半の葉が散っており、地面をカラフルに染めていました。この独特の色合いがまた良いですね。

真如堂は20日前後から見頃が始まり、月末近くに見頃を迎えるというのが近年のパターンです。もっとも、ここも場所によってピークが異なり、最後に本堂裏のもみじが色付くのは12月に入ってからかな。今年の紅葉は遅いとも聞きますが、これからの冷え込み次第で大きく変わってきます。

結果が出るまであと少し、当たり年である事を願って静かに待つ事としますか。

2011年11月 1日 (火)

京都・洛東 秋の特別お茶席 ~一華院~

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東福寺の塔頭の一つに一華院(いっかいん)があります。臥雲橋の北西にある寺がそうで、普段は非公開なのですが、毎年紅葉の時期になると特別お茶席として公開されています。

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寺号は、「一華五葉を開き、結果自然に成る」という達磨大師の句に由来しているそうです。禅の深淵を示す語と言われ、また開運吉祥を現す語ともされているそうですね。

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庭園はとてもシンプルで、龍を連想させる横に長く伸びた松を中心に、背景として雲海を現すさつきの大刈り込み、太陽を現すドウダンツツジが配されています。この日はドウダンツツジが色付き始めており、太陽という見立てがなるほどという姿になっていました。

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お茶席としては茶菓子によって値段が別れ、昨年は干菓子が600円、生菓子が800円となっていました。私が頂いたのは生菓子の通天紅葉で、いかにも東福寺らしい誂えになっていますね。

私が行ったのが10時少し前でまだ時間には早かったのですが、好意で上げて貰えました。おかげさまでこの庭を暫く独り占めにする事が出来、静かな一時を過ごさせて頂きました。外からは団体客を誘導する声がひっきりなしに聞こえていましたが、一華院の中は喧噪とはまるで無縁の世界でした。

今年も多分行われるだろうとは思うのですが、ホームページはまだ更新されていませんね。ちょっと気になる所ではありますが、東福寺に行かれた折には疲れを癒しに立ち寄るには良い場所だと思います。


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ねこづらどき

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