« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年9月

2011年9月30日 (金)

京都・洛東 仲秋の境内 ~真如堂~

Sinnyodou1109281

9月の終わりの真如堂は、まだ本格的ではないけれど、秋らしい風情がそこかしかに見えていました。

Sinnyodou1109282

もみじはこのとおりの青葉で、秋と言うより夏の終わりが続いているという感じですね。ただ、緑がすこしくすんで来ており、季節が確実に進んでいるのは判ります。

Sinnyodou1109283

夏の名残と言えば、茶所の前で朝顔が咲いていました。これは、ここ数年続いていた西洋朝顔が、今年はなぜか不調に終わったため急遽植えられたもので、遅く植えられたぶん、この時期になっても花が咲いているのですね。西洋朝顔が見られなかったのは残念ですけど、この花はこの花で綺麗でしたよ。

Sinnyodou1109285

そんな中で秋らしさを感じたのは、やはり花の木ですね。木の上部が染まりだしており、紅葉の季節が近付いている事を教えてくれます。今年の紅葉はどんな具合になるだろうか、そんな事が気になって来る光景ですね。

Sinnyodou1109303_2

もう一つ、桜の葉もかなり染まって来ており、一部では既に散っています。その手前にある夏椿の葉もまた、色が変わり始めていました。こうして本堂の前から見るのが、一番季節を感じられたかな。夏は確かに過ぎ去り、秋と呼ぶしかないない、そう思った真如堂でした。

2011年9月29日 (木)

京都・洛東 萩2011 ~真如堂 9.24~

Sinnyodou1109301

真如堂の境内には沢山の萩が植えられており、彼岸花と共にこの時期の楽しみの一つになっています。ただ、私が訪れた9月24日には、まだほとんどの株で咲いていないという状況でした。

Sinnyodou1109302

真如堂の萩はそこかしこに植えられており、数的には名所と呼ぶに相応しいと思うのですが、寺ではさう呼ばれるのを拒否されているそうです。余所ほど一斉に咲くという事はなく、また場所によっては咲かない株もあるというのがその理由の様ですね。

なので、こうして紹介するのも気が引けるのですが、お気に入りの場所のお気に入りの花という事で書かせて貰っています。ぱっと咲く事は無いにしても、この境内にはよく似合う花だと思いますからね。

Sinnyodou1109303

この頃になると、菩提樹の実が堅く実っています。プロペラ状の苞は既に黄色く染まっており、もうすぐ飛び立ちそうな具合ですね。

この実を財布に入れておくとお金が増えるという俗信があり、落ちた実を拾って帰る人をよく見かけます。そのせいでしょうか、手の届く範囲の実は既に無くなっているようですね。落ちるのを待つまでもなく、縁起物として取って行かれるのでしょう。

でも、縁起物と思うのなら無理にちぎらずに、熟して落ちた実を拾えば良いのにと思うのは余計なお世話かな。この木の下を通る度に、なんだかなあという気がしてしまいます。まあ、所詮は根拠の無い俗信なのですけどね。

Sinnyodou1109305

塔頭の東陽院では、白い芙蓉の花が咲いていました。とても清楚で美しい花ですね。この花もまた、この時期に真如堂を訪れる楽しみの一つになっています。でも、今年は少し花が少なめかんしらん?

明日は秋の気配が漂い始めた真如堂の境内の様子をお届けします。

2011年9月28日 (水)

京都・洛東  ~長徳寺・北向地蔵尊~

Tyoutokuji1109291

常林寺の隣に長徳寺があります。ここの百日紅はどうかなと思って山門から覗いてみたのですが、今年も見事に咲いていました。今年は不調の木も多い中で、これだけ咲いているのは立派なものだと思います。

Tyoutokuji1109292

その山門前にある地蔵堂が、この日は開け放たれていました。やはりお彼岸だけからでしょうけど、お堂の中を見るのは初めてでしたから、興味深く拝見させて頂きました。

正面にあるお地蔵様が、「北向地蔵尊」です。北は陰の方向にあり、悪霊や災いの神が住まう所とされています。その災いを取り除いて頂くために、わさと北向きに祀られているのですね。

この地蔵尊は、元は百済国王の守本尊だったという伝説を持っています。舒明天皇の時代に一切教と共に百済から日本に伝わり、長く宮中で奉祀されていました。その後、嵯峨天皇の代に西寺の守敏僧都に下賜されたのですが、やがてその西寺が衰えてしまいます。この地蔵尊はいつしか寺から持ち出され、物集女の里の地蔵堂に安置されていました。

これを知ったのが鷹司関白信芳公で、家臣に命じて地蔵尊を物集女から長徳寺に移し、改めて奉祀されました。この地蔵尊に篤く帰依した信芳公は94歳の長寿を保ったそうですから、延命地蔵尊としての霊験はあらたかだという事なのでしょうね。

などと判った様な事を書いていますが、これは地蔵堂にあったパンフレットからの引用です。以前からこの地蔵尊の由来を知りたいと思っていたところだったので、このパンフレットはとても参考になりました。

それにしても、このお地蔵様の変遷を追うだけでも一つのドラマが出来そうですね。何気ないお堂の中に1400年の歴史が秘められているというのも、京都ならではの醍醐味という気がしています。

2011年9月27日 (火)

京都・洛東 萩2011 ~常林寺 9.24~

Jyourinji1109271

平成23年9月24日の常林寺です。この日は盛りは少し過ぎていたようですが、それでも綺麗な花が残っており、この寺らしい風情を見せてくれていました。

Jyourinji1109272

寺の人の話だと、萩祭のあった16日頃が見頃だったそうで、その後の台風の雨風によってかなり散ってしまったそうです。

Jyourinji1109273

この日見る事が出来た花は、その後に咲いた花という事なのでしょうね。もし台風が来ていなければ、まだ花盛りが続いていたのではないかと思われます。そう考えると、ちょっと残念ではありますね。

Jyourinji1109275

もう一つのお目当ての彼岸花は、今年も同じ場所で咲いていました。そして、例年になく大輪でしたね。周囲の白花が少なかったのが残念ですけど、萩とのコラボレーションは楽しませて頂きました。

Jyourinji1109276

この日は本堂の正面が開け放たれていました。普段見る事が出来ないお堂の内部ですから興味深く拝見させて頂きましたが、浄土宗のお寺らしく須弥壇が金色に輝いてますね。そして、その奥にご本尊の阿弥陀三尊像も拝む事ができます。たぶんお彼岸だからなのでしょうけど、この日に訪れた甲斐があったと思えたひとときでした。

2011年9月26日 (月)

京都・洛東 萩2011 ~迎称寺 9.24~

Kousyouji1109261

平成23年9月24日の迎称寺です。ここは言わずと知れた萩の名所の一つですね。

Kousyouji1109262

気になる咲き方ですが、ご覧の通りでまだほとんど咲いていませんでした。今年は早い所もあると聞きますが、ここは例年より遅れている様ですね。

Kousyouji1109263

もしかしたら早くに咲いて、台風の雨風で散ってしまったのかなとも思ったのですが、散った花びらはどこにも見あたらず、蕾もやっと出て来たという株が多かったのです。見頃はまだもう少し先になるでしょうね。

Kousyouji1109265

その台風の影響かどうかは判りませんが、破れ築地の一部に保護カバーが置かれていました。崩れかけた土壁がこの寺の持ち味なのですが、さすがに限界を超えてしまったという事なのでしょうか。

痛ましい限りですが、この後はどうするのでしょうね。いっそ綺麗な土壁にしてしまうのが簡単なのでしょうけど、それではこの寺ならではの風情が残せません。でも、破れ築地の形で補修するなんて出来るのかしらん?どんな具合に手入れするべきか、何かと悩ましい事なのでしょうね。

2011年9月25日 (日)

江~姫たちの戦国~37 千姫の婚礼

(珠を探して歩く江。やっと見つけた珠はすっと消えてしまいます。)

(夢から覚めて、珠は1年数ヶ月前に前田家に輿入れした事を思い出した江。)

(千姫と玉つきをして遊ぶ秀忠。仲良く戯れる二人を見守る江は4人目の子を身籠もっていました。)

(大坂城。諸大名から新年のあいさつを受ける秀頼。しかし、家康の姿は見えません。)

(家康が現れたのは2月になってからでした。今頃新年のあいさつとはと嫌味を言う淀殿と治長。伏見城で諸将のあいさつを受けていて、うっかりしてしまったととぼける家康。家康に確かめたい事があると切り出す治長。)

(治長の用件とは、豊臣恩顧の大名は僻地に、徳川昵懇の大名は要所へと配置されているということでした。その横から、関ヶ原で働いた大名を優遇した結果だと助け船を出す且元。たまたまだととぼける家康。)

(次いで、二条城の普請につして、諸大名に手伝わせているのは豊臣家臣たる者がする事ではないと斬り込む治長と淀殿。恩賞を受けた諸大名が勝手にしている事だとまたしても横やりを入れる且元。その且元に、新たに大和に所領を貰ったゆえ、家康の肩を持つのも無理はないと皮肉を言う治長。剝きになって言い返す且元。言い争いを止める淀殿。)

(朝廷から右大臣をという内意があったが、恐れ多いとして辞退した。しかし、大御心を蔑ろにしてはと、代わりに征夷大将軍を拝命する事にしたと言い出す家康。豊臣家臣ではないかと非難する治長に、豊臣家のために諸大名を束ねるには将軍の名が必要なのだと言い逃れる家康。何か言いかける淀殿を制して、それはあくまで秀頼が関白になるまでの間の事であって、いわば仮の将軍なのだと続ける家康。もしその言葉を違える事があればと震えながら問う淀殿。その様な事は断じてないと言いきる家康。)

(数日後、伏見城にて将軍宣下を受ける家康。)

(数日後、将軍就任の知らせを受けた江と秀忠。なぜと問う江に、諸大名を束ねる為には必要なのだと答える正信。数年後には引くつもりなのかと重ねて問う江に、あと何年かのつなぎ役と心得ている筈と答える正信。)

(この7月に、千姫を秀頼に嫁がせる事になったと江に告げる秀忠。あと4月しかないと驚くヨシと大姥局。出来る限りでの準備でよいと秀忠。)

(それは淀殿を黙らせるためかと江。それもあると秀忠。黙らせると言うより、安心してもらうためだと正信。)

(珠に続いて千を嫁に出す事は平気なのかと秀忠に迫る江。これは既に決まっていた事だ、それに両家にとって絆が深まる事になり、和平の証しともなると答える秀忠。)

(大坂城。千の嫁入りは、自分たちを丸め込むための策略だと言う淀殿と治長。しかし、千が秀忠の娘である事を思い出し、さらに秀忠が豊臣家への忠誠を誓った事を思い出した淀殿は、この婚儀を受けようと言い出します。)

(江戸城。正信相手に、家康は本気で豊臣家を組み伏せるつもりだなと秀忠。両家の絆を深める事が目的でしょうととぼける正信。そなたもそうとうな狸だなとあきれる秀忠。そこにやって来た江。)

(江の話とは、千に付いて大坂に行きたいという事でした。嫁入りに母親が付いていくなど聞いた事がないと反対する大姥局。ひたすら秀忠に願う江。娘を思う母心に触れ、同行を許す秀忠。)

(出立が二月早まった事で、準備に大忙しとなる大姥局と侍女たち。)

(二月後、秀忠にあいさつをして旅だった千姫。同行する江。)

(江戸城。娘を政の道具としないで済む世はこないものかとつぶやく秀忠。それは若殿が作れと正信。泰平の世かと秀忠。)

(若狭。千に江が同行すると聞いた初でしたが、関ヶ原で徳川と豊臣の両方に背を向けた以上、伏見に行く事は出来ないと言い張る初。両家を結びつけるのが役目と言っていたではないかと高次。どうしても行けないと初。)

(伏見城。千に本当に嫁ぎたいのか、嫌ならここから連れて帰ると江。今更そんな事を聞くのか、私が嫁げば徳川と豊臣が仲良くなれる、父上と母上の役に立ちたいのだと泣きながら答える千。すまぬと千を抱きしめる江。)

(江戸城。羽子板を手に千を思いやる秀忠。)

(伏見城。家康に会い、今度の婚儀の意味について問う江。泰平の礎だと答える家康。本当は天下を取る為の策略で、豊臣家を安心させておき、油断したところを一気に攻め滅ぼすつもりなのではと問い重ねる江。よくもそこまで考えるものだと笑い飛ばし、決してその様な事はないと言い切る家康。)

(その一方で、豊臣の世がとこしえに続くという夢を見ている淀殿には目を覚まして貰わなければならない。淀殿は千を見る度に徳川の影を見る事になるのだとも言う家康。夢をみさせてやれば良いではないかと江。そうはいかないと家康。)

(数日後、淀殿と初に再会した江。互いに喜び合う姉妹とそれぞれの侍女。)

(高次が徳川方に付いた事を詫びる初。もう良いと許す淀殿。自分も詫びなければならないと江。征夷大将軍の事なら、あれは堪えたが秀忠を信じたのだと淀殿。これからは秀忠が秀頼の後ろ盾になってくれるだろうと言う淀殿を見て、夢から覚めてもらわなければならないという家康の言葉を思い出し、不安になる江。)

(千の事は案ずるな、娘と思って育てていくと約束する淀殿。よろしくお願いしますと江。)

(そこに現れた完。すっかり大きくなり、美しくなった娘を見て驚く江。全てを聞いていて、江を母上と呼ぶ完。自分を恨んでいないのかと問う江。私を思って豊臣に置いていったのだと聞きましたと、かえって礼を言う完。娘を抱きしめる江。)

(完の輿入れが決まった、相手は九条関白家の嫡男だと淀殿。驚く江。江が育てていたらこんな事は無理だったと初。まことにと江。調子が狂うと初。これが三姉妹が共に過ごした最後の日となりました。)

(7月。秀頼と婚儀を挙げた千。)

(千の婚儀の間、伏見城で待つ江。付きそう初。その時、急に産気づいた江。)

(生まれたのはまたしても姫でした。約束通りこの子をくれと初。もし、この子を娘としたらどうするのかと初に問う江。まず初と名付けて、成長した後は側室が産んだ子に添わせて京極家を継がせると初。では遠くにはやらないのですねと江。ずっと自分の側に置いておくと初。遠くに嫁がせる事をしないと約束してくれるなら、姉様の子にしてくださいと江。驚く初に、娘を政の道具にするのはもう嫌なのだと江。決して遠くにはやらないと誓う初。)

(秀忠の許しを得て、娘を初に託した江。娘を得て、幸せそうに抱く初。)

二条城の普請が始められたのは関ヶ原の戦いの翌年、慶長7年5月1日からでした。事実上、徳川家のための天下普請であり、このあたりから豊臣家と徳川家の立場が逆転し始めたと言われます。つまり、家康が実質的な天下人となった事を諸大名に知らしめる事となったためで、ドラマで治長が危機意識を露わにしていたのも無理はなかったのですね。

ただ、翌慶長8年正月の諸大名のあいさつは秀頼を先に済ませてから家康の下に行っており、この時点ではまだ家康の立場は天下の家老でした。それが完全に逆転したのが征夷大将軍の宣下であった事は間違いなく、これ以後は家康から秀頼の下にあいさつに出向くという事は無くなります。

千姫の嫁入りは秀吉の遺言であるとドラマで言っていましたし、私もそれが事実と思っていましたが、「江を読む」に依ればそうだと決めつける確実な資料は無いそうですね。だとすれば、江が言っていた様に家康が描いた策略だというのが事実に近いのかも知れません。家康の孫娘である事、秀頼とは従兄妹同士である事、母親が姉妹である事など、豊臣家にとっては悪い話ではないですからね。これをもって豊臣家を油断させようと家康自らが画策したのなら、本当にえげつないほどに食えない人物だったという事になります。

その千姫の嫁入りに江が付き添って行ったのは、史実にあるとおりです。ただし、付き添ったのは伏見城までであり、大坂城には行っていません。また、淀殿が伏見城にまで出て来たということもなく、三姉妹の再会はドラマにおける創作という事になりますね。

ただ、完が九条関白家に嫁いだ事、初の娘を初が貰い受けて初姫と名付けたことなどは史実にあるとおりですね。そして、初姫が後に高次の嫡男に嫁いだ事もまた史実のとおりです。

ドラマを見ていて歯がゆくなるのは、豊臣方に何の力も無い事です。淀殿と家康では役者が違いすぎるという事もありますが、関ヶ原の戦いによって豊臣家の力が大きく削がれてしまい、徳川家と力で対抗出来なくなっている事が判ります。それに豊臣家に忠誠を誓っていた諸大名はことごとく滅ぼされてしまいましたから、与党と言うべき存在も無くなっていました。ですから、淀殿は皮肉を言う事がせいぜいなのですね。さらには、治長程度の男しか側近に居なかったというのも寂しい限りではあります。やはり、三成は早まって滅び去るべきではなかったという気がしますね。

次回の副題は「最強の乳母」。どうやら春日局が出て来る様ですが、確かに江にとっては最強の相手であり、ここからやっと本当の江の物語が始まるという気もしますね。

2011年9月24日 (土)

京都・洛東 彼岸花2011 ~真如堂 9.24~

Sinnyodou1109241

平成23年9月24日、今日の真如堂で撮った彼岸花です。京都に取材に出かけたのはおよそ一ヶ月ぶりになりますが、やっぱりこの町の佇まいはとても良いものですね。

Sinnyodou1109242

さて、真如堂の彼岸花ですが、今年も少なめのようです。咲き出しは早かったらしく既に終わっている株もありましたが、まだこれからのシュートまでを含めてもまばらな印象です。去年の猛暑のダメージから回復仕切っていないのかしらん?

Sinnyodou1109243

盛りかどうかと聞かれると少し困るという状況で、花期が長めになったぶん、少しずつ咲いていくといったところでしょうか。今日現在でも、綺麗に咲いている花はありましたよ。

Sinnyodou1109245

ちょっと意外だったのは人出が少なかった事で、墓参りの人達を含めても閑散とした印象でした。例年ならもう少し賑わっていると思うのですけどね。まあ、時間帯が早かったせいかも知れませんが。

彼岸花はいつもの参道脇こそ少なかったですが、そこかしこに新しく植えられているらしく、あれっと思う場所に咲いていました。まだ散在しているという印象でしかありませんが、何年か後に境内一円で咲いているという様になったら嬉しいのですけどね。どんな具合になっていくのか楽しみです。

2011年9月23日 (金)

江~姫たちの戦国~ 忠興とガラシャが眠る寺 高桐院

Koutouin1109231

大徳寺塔頭の高桐院は、もみじの美しい寺として知られます。新緑の季節は元より、間もなく迎える紅葉シーズンになると多くの拝観者で賑わいます。

Koutouin1109232

その高桐院を訪れた拝観者がじっと見とれるのが、この本堂前の庭園ですね。そして、そこにはさりげなく春日灯籠が置かれてあるのですが、たいていの人はただの装飾としてしか見ていないのではないでしょうか。

Koutouin1109233

実は庭にある灯籠は、この寺の開基である細川忠興の墓石の写しなのですね。こちらが墓所にある本物で、忠興自身がその死にあたって墓石として指定したものなのだそうです。

Koutouin1109235

この灯籠は、元は千利休のものでした。利休はこの灯籠を愛し、「天下一」という銘を付けていたと言われます。その灯籠に目を付けた秀吉が、自分に譲るようにと利休に命じました。しかし、どうしても譲る気がしなかった利休は、自ら鉈を取って灯籠の笠を叩き割り、あの灯籠は損じてしまいましたと言って断ったのだと伝わります。

この写真は横から見たところですが、確かに見事に割れていますね。庭園の灯籠もまた、写しである以上同じように割られています。

Koutouin1109236

忠興は利休の高弟の一人であり、利休の茶を最も忠実に受け継いだ人と言われます。その忠興を利休もまた愛し、その死にあたってこの灯籠を形見として忠興に与えました。忠興はこの灯籠を大切にし、死後も自らの墓標としたわけですが、同時に妻のガラシャ夫人の墓標ともしました。

ガラシャ夫人は、周知のごとく関ヶ原の戦いの前夜に西軍の人質となる事を嫌って自ら死を選んだのですが、忠興にすれば豊臣政権に殺されたとも言えるでしょう。秀吉によって死を賜った利休が愛した灯籠を夫人の墓標とした事には、何か言いしれぬ思い入れがあったのかもしれません。

豊臣政権末期における凄まじい人間関係が、ここにはそっと秘められている様な気がします。

2011年9月22日 (木)

京都・洛東 夕景色 ~高台寺より~

Koudaiji1109221

この季節になると恋しくなるのが夕景色、枕草子の頃から変わりなく続く秋の風情です。そして、一番のお気に入りが高台寺からの眺めなのですね。

Koudaiji1109222

京都通いを始めてから、いくつも夕景色の綺麗な場所を探したのですが、ここ以上に絵になる場所は見つける事が出来ていません。何と言っても八坂の塔のシルエットが素晴らしく、京都らしい景色の極めつけと言っても良いと思っています。

この写真を撮ったのは2年前の事ですが、塔の向こうに見えるクレーンがちょっと邪魔でしたね。

Koudaiji1109223

夕景色を撮る時にいつも迷うのは、町並みも入れた方が良いのかどうかです。シルエットにしてしまった方が夕空は映えるのですが、暮れなずむ町並みも棄てがたいですからね。この写真では町並みを主体にしてみたのですが、縮小してしまうとて良く判らなくなってしまいました。

Koudaiji1109225

もう一つ考えてしまうのが、烏を入れるかとどうかです。

「山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。」

という一節があるからですが、そう注文良くは飛んでこないのですよね。いえ、数が少ないのではなくて、大群でやって来るのですよ。町中から東山の寝床へ帰るのでしょうけど、もの凄い数が次々にやって来て、風情どころの騒ぎではないのです。清少納言の頃って、烏はそんなに多くは居なかったのかな。

タイミングを待てば良い写真が撮れるのでしょうけど、まだ成功したと思える程のものはありません。次の機会には、清少納言が見たような景色をものに出来たら良いなと思っているところです。

2011年9月21日 (水)

京都・洛中 彼岸花巡り ~妙蓮寺~

Myourenji1109211

西陣にある妙蓮は、最近になって彼岸花に力を入れ始めた寺です。ここは芙蓉が沢山ある事で知られていますが、その芙蓉の根元にずらりと花が咲いているのですね。

Myourenji1109212

初めて見た時は如何にも植えたてという感じで、何となく不自然に思えたものでした。あれから数年が経ちますが、今年はどんな感じになっているのだろう、景色になじんだ姿になっているのかな。

Myourenji1109213

この花が咲く頃は、芙蓉が終わりを迎える季節でもありますね。昨年に訪れた時は、最終盤の花を見せてくれていました。今はどんな感じになっている事でしょうね。ここも見に行きたいと思っている場所の一つです。

2011年9月20日 (火)

京都・洛北 彼岸花巡り ~下鴨神社~

Simogamojinjya1109201

下鴨神社もまた、町中で彼岸花が咲いている場所の一つです。花があるのは主として参道脇の林床で、落ち葉が堆積した土の中から、綺麗な花を咲かせている姿を見る事が出来ますよ。

Simogamojinjya1109202

この写真だと雰囲気が判るかな。糺の森の巨木の下に鮮やかな花が咲いている様は、他の場所とは違う独特の風情があります。

Simogamojinjya1109203

この写真は良く咲いていた一昨年のもので、去年はここも寂しかったです。ただ、元々一面に咲くという場所ではないので、あまり期待しすぎると裏切られたという気持ちになるかも知れません。

Simogamojinjya1109205

彼岸花は自然に広まるというものではいので、誰かがここに植えたのでしょう。何の為に植えたのか、この参道を赤い色で飾りたいと考えた人が居たのでしょうか。森の本来の姿ではないのでしょうけど、この花を楽しませて頂いているのは確かです。

Simogamojinjya1109206

最後は、おまけの写真です。ここに来ると、この構図で撮りたくなるのですよね。一種の額縁写真かな。ほっそりとした材で組まれた端正な佇まいが、いかにも神社らしい雰囲気を出していると思っています。

この週末は参拝も兼ねてここにも行きたいと思っているのですが、今度こそ大丈夫かなあ。

2011年9月19日 (月)

京都・洛東 彼岸花巡り ~真如堂~

Sinnyodou1009191

この3連休は悪天候という予報があって外出を自重したので、またしても京都取材が出来ていません。これだけ長い間京都通いをしていないなんて、ブログ開設以来初めてではないかしらん?なので、今週もまた過去の写真からの構成となります。

次の週末はいよいよ彼岸ですから彼岸花を見に行こうと思っているのですが、その候補地の一つが真如堂です。

Sinnyodou1009192

真如堂の彼岸花は、主として参道脇のもみじの下で咲いているのですが、階段からは植え込みが邪魔になって見えにくいせいでしょうか、気付かずに通り過ぎる人も多いです。

Sinnyodou1009193

そのぶん、反対側の道に回れば良く見る事が出来ます。こんな感じで、青葉の下で咲く彼岸花を見る事が出来ますよ。ただ、去年は花数が少なかったので、少し寂しい写真になっていますけどね。

Sinnyodou1009195

境内を隈無く歩けば、他の場所で咲いている彼岸花を見つける事が出来ますよ。萩も咲いている事でしょうし、秋の風情を感じに行くにはぴったりの場所だと思います。近くの迎称寺に行くのも忘れずにね。

2011年9月18日 (日)

江~姫たちの戦国~36 男の覚悟

(関ヶ原の勝利に沸く江戸城。その騒ぎの中、秀忠が戦場に間に合わなかった事を聞き、如何にも秀忠らしいと笑い出す江。あきれる大姥局の前で、悪阻が始まった江。今度こそ男子をと意気込む局。そんな中、やはり悪阻らしき一人の侍女。)

(北近江、古橋。敗残の身を隠している三成。領民の世話を受けつつ、淀殿を守ると誓った事を思い出している三成。)

(戦いから4日後、大津城に立ち寄り、初を労う家康。高次は援軍が来る前に開城してしまった事を恥じ、高野山から下りてこようとしません。しかし、高次の功績を大とし、若狭8万石を恩賞として与えようと言う家康。高次の苦しみからすれば、当然だと答える初。さすがに浅井三姉妹は強いと褒める家康。そこに届いた秀忠到着の知らせ。)

(家康を待つ秀忠の下に、会わないという回答が届きます。理由は気分が優れないという事でしたが、責任を感じて腹を切ると言い出す忠隣。自分もまた如何なる責めも負うと正信。二人の老臣を前に、責任は全て総大将の自分が持つと言い切る秀忠。)

(三日後、ようやく家康に会えた秀忠。関ヶ原への遅参を詫びる秀忠に、特に咎める事はしない家康。訝る秀忠に、今度の戦は学ぶ所があったのならそれでよい、徳川の嫡男である事には変わりがないと告げる家康。そんな事は言われたくない、自分の不甲斐なさゆえに多くの兵を苦しめ、死なせてしまった。それが戦だと言うのなら、まっぴら御免だと言って席を立つ秀忠。後ろ姿を見送りながら、怒った所を初めて見たとつぶやく家康。秀忠は間違いなく一回り大きくなった、これが狙いだったのかと正信。うなずく家康。)

(近江山中。三成に追手が迫ります。)

(縛られた三成に対面する家康。彼は三成に少しやせたかと聞き、戒めを解いてやります。山中に逃れていた訳はと聞かれ、機会を見て大坂に逃れ、再び兵を挙げるつもりだったと答える三成。それでは生かしておく訳にはいかないと家康。)

(三成が8万の兵を集めたと知り、一度は負け戦を覚悟したと家康。しかし、多くの裏切りにあったと答える三成。嘆かわしい事だと家康。その横顔をそっと見ている秀忠。)

(家康が去った後、兵を下がらせて三成と二人で話す秀忠。裏切りが続出する中、秀吉の恩に報いようと戦った三成が罪人扱いとは納得が行かないと秀忠。裏切りに会ったのは、自分の器の限りだと三成。戦場に間に合わなかった自分が勝者の側につらなるなどと言いかける秀忠。あなたはそうした器、父親に似た大きな器なのだと三成。)

(自分が戦ったのは秀吉の恩に報いる為だけではなかった気がする、ある人を守りたかったのかもしれないと三成。そして、秀頼と淀の方を守って貰いたい、それが最後の願いだと言って秀忠に頭を下げる三成。呆然と見守る秀忠。)

(大坂、堺、京都を引き回された上、六条河原で斬首に処せられた三成。最後につぶやいたのは、淀殿に向けた別れの言葉でした。)

(江戸城。三成の最後を聞き、その城には金銀の蓄えも無かったと知り、それが豊臣のためにだけ尽くした三成という男なのだと江。再び悪阻が始まる江。それに合わせるように廊下に飛び出し、えずきを感じる侍女のなつ。その姿を見て、不審を覚える大姥局。)

(台所で苦しむなつに、身籠もっているのかと問う局。答えられないなつに、その相手はよもやと問い詰める局。)

(大坂城。秀頼と淀殿に拝謁する家康と秀忠。型どおり、家康を労う秀頼。豊臣に弓を引こうとした輩をことごく退治したと家康。三成は誰よりも秀吉に忠義を尽くして来たと淀殿。それは自分とて同じ、三成が謀反を企てる様な事をしなければ、共に豊臣家を盛り立てて行けたものをととぼける家康。それは本心かと淀殿。秀吉に誓ったとおり、それが本心だと家康。)

(その横から、三成が最後に秀頼と淀の方を守って欲しいと言い残したと伝える秀忠。そして、三成の胸中にはただならぬものがあった様だと語ります。三成の思いが伝わったのか、そうですかとだけ答える淀殿。)

(話題を変え、江の近況を聞く淀殿。いつもやりこめられていると答える秀忠。強い様でも、もろくて感じやすいところがある、江をよろしく頼むと淀殿。我が妻のためにも、豊臣家に忠勤を励む覚悟ですと誓う秀忠。なによりも嬉しい言葉だと淀殿。秀忠を見て、複雑な表情の家康。)

(慶長6年の江戸城。男子を出産したなつ。跡継ぎが出来たと喜ぶ大姥局。秀忠の子と聞き、驚く江。得々と語る局に、出て行けと命ずる江。)

(その夜、一人泣き続ける江。)

(ふた月後、江戸城に帰ってきた秀忠。局から江の具合が悪いと聞き、何かあったのかと聞く秀忠。)

(なつが子を産んだと聞き、身に覚えがあると答える秀忠。側室の一人や二人は、徳川の男子として当然の事と持ち上げる局。男子が産まれた以上、徳川も安泰だと喜ぶ局に、なぜ江が子を産んでから伝えなかったのかと責める秀忠。)

(江を見舞う秀忠。体の不調を押して、出陣を労う江。天下不武の印判を江に返し、おかげて無事に帰る事が出来たと秀忠。なによりでしたと、上ずった声で答える江。)

(なつとの事を詫びる秀忠。江と気持ちが通じ合ったと感じる前の事だと言い訳する秀忠。)

(今度の子が生まれるまでは、竹千代の名を付けるのは待って欲しいと願う江。うなずく秀忠。その代わり、今度も女子だったら、自分を離縁して欲しいと江。答えられない秀忠。)

(なつの子に対面する秀忠。子を抱きながら、なつに済まないと謝る秀忠。)

(側室が子を産んだ事を受け入れられない自分は、北政所や初に比べておかしいのだろうかと江。それは秀忠の事を思っているからだとヨシ。)

(ひと月後、女の子を産んだ江。その子の名を勝と付けたいと願う江。それは関ヶ原の戦勝を記念して、また自分の気持ちに勝ちたいと願っての事でした。それで良いと答える秀忠。)

(前に願ったとおり、自分を離縁して欲しいと言い出す江。なつは子供と共に城から出したと答える秀忠。驚く江に、暮らしは成り立つ様にしてあると言い、周囲が男子をと願う事がどれほどの重荷だったかと江を労い、謝る秀忠。そして、竹千代という名は江が産んだ子にしか付けない、そして側室は持たないと告げ、離縁は思いとどまってくれと言って、江の手を握ります。なぜ自分の様な者をと訝る江を抱きしめ、年上の女が好きなのだと答える秀忠。)

(生まれたての子供をあやす江と秀忠を見て、今度も女子だったのにといぶかる局。しかし、幸せそうな様子を見て、その顔も少しほころびます。)

(なつの下を訪れた江。ひたすら謝るなつに、暮らし向きの事を訪ねる江。赤子の泣き声を聞き、抱かせてくれと頼む江。秀忠の子と思えば、その子もまたいとおしいと感じる江。)

(次は、秀忠の為にも男子を上げてみせると江。)

(秀忠の前で、男子を産む法を調べている局。虎の肉が良いとあり、秀忠に薦める局。それを聞き、自分も食べてみたいと言い出す江。)

(大坂城。サキの甥、大野治長に目通りを許す淀殿。さっそく、家康が諸将への論功行賞によって、豊臣家の所領を250石から65万国に減らしてしまったと告げる治長。驚く淀殿に、家康が天下を狙っている事はこれで明らかになった、身命を賭して豊臣家を守ると誓う治長。)

(江戸城。秀忠と月見酒を楽しむ江。大坂で淀殿に会ったと言い、女のために戦をする男もいるのだなあと三成を思い出しながらつぶやく秀忠。淀殿のうわさ話をしながら、夫婦の時間を楽しむ江。)

前回、関ヶ原の戦いが始まる直前で終わったと思ったのに、オープニングでもう勝敗が決していました。途中で戦のシーンの挿入はあったけれど、経過は一切省略してしまうという思い切りの良さには驚くばかりです。勝敗を決した小早川秀秋の裏切りも「沢山の裏切りにあった」という三成の一言で済まされていましたし、毛利の空弁当という逸話も、総大将が戦に来なかったという表現だけに止まりました。せめて、石田方の善戦ぶりくらいは描いて欲しかったところですが、この潔さがこのドラマの真骨頂でしょうか。

まあ、戦場に間に合わなかった秀忠がメインですから、戦いの経過を描いても仕方がないという事なのでしょう。その秀忠と家康の対面については、ドラマのホームページ「江を読む」にあるとおり諸説がある様ですね。ここでは家康は怒っていなかったという説を採った訳ですが、家族の絆を重視するこのドラマらしい選択ではあったと思います。

城を敵に明け渡しながらも加増となった高次ですが、家康は1万5千の大軍を大津に引き付けて戦場に出さなかった事を大きく評価し、若狭一国8万5千石を与えています。この1万5千の軍は西軍の中でもとりわけ闘志の高かった一隊で、もしこれが戦場に間に合っていたら勝敗がどう転んでいたか判らないところでした。それを知る家康は、高次の功績を大としたのですね。それにしても、その家康のはからいを当然だと言い切る初って、ちょっと怖いですね。

突然現れた侍女の「なつ」については、史実を織り交ぜた創作だと思われます。

秀忠の手の付いた侍女は複数居たと言われており、そのうちの一人は大橋局という名でした。彼女はお手つきとなってすぐに城から出され、家臣の妻となっています。要するに秀忠の不始末を家臣に押しつけた訳ですが、側室としなかったのは江に遠慮した結果だとも言えそうですね。

もう一人は保科正之を産んだお静の方で、子を身籠もったと判った後に城から出されています。そして生まれた子は家臣の子として育てられたのですが、後に秀忠の子と知られる様になり、兄の将軍・家光によって大名として取り立てられました。ただし、これはドラマの設定より10年後の事になりますね。

さらにもう一人、秀忠の長男を産んだ女性が居ると推測されています。この説は秀忠の長男が長丸といい、次男が竹千代と名付けられている事に根拠が求められます。この長丸はわずか二歳で夭折しているのですが、長男でありながら「竹千代」と命名されなかった理由は、彼が正室が産んだ子でなかったからではないかと考えられているのですね。

なつはこの最後の女性をモデルにしたのかなという気がしますが、長丸が生まれたのは勝姫より後であり、あえて順序を変えたのがドラマオリジナルの設定ではないかと思われます。

それにしても、ドラマの副題は「男の覚悟」でしたが、今回の主題はなつを巡る江の葛藤だったのではないのかしらん?毎度の事ながら、どこに焦点を当てているのか理解に苦しむ副題ではありますね。

あえて副題にこだわるとすれば、「男の覚悟」とはふたつ有り、一つは淀殿のために身を挺して戦った三成の覚悟の事でしょう。関ヶ原が淀殿のための戦いだったとは言い過ぎでしょうけど、ドラマの設定としては有りなのかも知れません。

そしてもう一つは、その三成の思いを受け継いだ秀忠の「覚悟」なのかな。豊臣家を守るという事はとりもなおさず家康と対決するという事を意味する訳で、相当な覚悟をもってなくしては淀殿に言上出来る事ではないですからね。まあ、家康からすれば、親の心子知らずといった心境の様でしたけれど。

ああ、そう言えば最後に出て来た大野治長も、身命を賭して豊家を守ると言ってましたね。すると、これも男の覚悟という事になるのかしらん。彼は豊臣家と運命を共にする事になりますから、その言葉に偽りがなかった事は確かですよね。

次回は家康の征夷大将軍への就任が描かれる様です。狸親父ぶりが板に付いてきた家康が、淀殿にどんな言い訳をするのかか注目点かなと思っているところです。

2011年9月17日 (土)

京都・洛東 彼岸花巡り ~清水寺~

Kiyomizu1109171

清水寺と言えば京都で一番の観光スポットですが、彼岸花の名所の一つとしても知られています。昨年は彼岸過ぎの週末に訪れたのですが、絵に描いたような秋晴れに恵まれた好日でした。

Kiyomizu1109172

彼岸花が咲いているのは舞台の下です。段々に摘まれた石垣の合間に沢山の花を見る事が出来ますよ。

Kiyomizu1109173

下の通路から見るとこんな感じで、竹の垣根が少し邪魔ですね。お薦めは舞台から音羽の滝に降りる階段の途中から見る事で、そうするとずっと向こうまで花の列を見通す事が出来ます。ただ、足下が悪いのと、階段の途中で立ち止まっていると迷惑になるのが難点なのですけどね。

Kiyomizu1109175

去年はここも今ひとつだったけれど、当たり年には赤い花の帯が出来てとても綺麗ですよ。それに何と言っても清水寺ですからね、他とは風情がまるで違っています。人が大勢来る場所ではあるけれど、それを差し引いても見に行くだけの価値が有る場所ですよ。

2011年9月16日 (金)

京都・洛東 彼岸花巡り ~智積院~

Tisyakuin1109163

智積院は境内の整備に力を入れておられて、春の梅や桜、初夏の桔梗、秋の紅葉と、見応えのある庭園となってきています。彼岸花はそれほどではないけれど、境内のそこかしこで咲いているのを見る事が出来ます。

Tisyakuin1109161

一時は、池の畔に鉢植えの彼岸花をずらりと埋め込み、あたかも群落があるかの様に演出されていました。でも、今はそれは無くなってしまい、固まって咲いているという場所はありません。比較的多いのは金堂の裏手かな。

Tisyakuin1109162

ただ、この写真も一昨年のものでして、昨年は訪れていないのでその後どうなっているのかは判りません。願わくば、より充実する方向に動いてくれていると嬉しいのですけどね。

2011年9月15日 (木)

京都・洛中 彼岸花巡り ~平野神社~

Hiranojinjya1109151

桜の名所として知られる平野神社ですが、彼岸花もまた数多くの花を見る事が出来ます。

Hiranojinjya1109152

咲いているのは主として桜苑で、桜樹の下のそこかしこで見る事が出来ます。ただ、花が散在しているせいか、道行く人があまり注目しないのですよね。せっかくの花なのに、ちょっと勿体ない様な。

Hiranojinjya1109153

この写真も一昨年撮ったもので、昨年はここもやはり花は少なめでした。それに雑草が繁茂していて、草に埋もれていた花が多かったのも残念でしたね。今年は下草が刈り込まれていると嬉しいのだけどな。

Hiranojinjya1109155

名所と呼ぶには少し物足りないけれど、町中で見られる花としてはかなりのものだと思います。彼岸花を手軽に楽しむには良い場所ですよ。

2011年9月14日 (水)

京都・洛中 彼岸花巡り ~相国寺~

Syoukokuji1109141

彼岸花は、京都の町中でもそこかしこで見る事が出来ます。長年縁起が悪いと忌み嫌われてきた一方で、この花の美しさを愛でてきた人もまた多く居たとという事なのでしょうか。最近では綺麗な花という認識が広まって人気が高くなり、あるいは境内の彩りとして、またあるいは人集めの手段としてこの花を植える社寺が増えている様です。

Syoukokuji1109142

相国寺の場合は、空きスペースの彩りとして植えたのかしらん?道ばたの、それほど広くは無い植え込みの中で咲いているのですが、赤い花色が苔の緑とあいまってとても綺麗ですよ。

Syoukokuji1109143

実のところ去年はあまり咲いていなかったので、写真は綺麗だった一昨年のものを使用しています。花が少なかったのは、たぶん記録的な猛暑のせいだったと思われるのですが、今年はちゃんと咲いてくれるかしらん?

Syoukokuji1109145

写真としては、こうして俯瞰気味に撮ったり、あるいは横西側にある溝の中から地面すれすれから撮ったりとバリエーションが取れるので、結構面楽しめる場所ですよ。名所と呼べる程の規模はありませんが、毎年楽しみにしている場所の一つです。

2011年9月13日 (火)

京都・洛東 萩巡り ~常林寺~

Jyourinji1109131

そろそろ咲き具合が気になってきた萩の花、本当なら先週末に様子を見に行こうと思っていたのが出町柳の常林寺です。こと萩に関しては、別格と言って良い場所ですからね。

Jyourinji1109132

去年は盛りの時期に訪れる事が出来ず、あまり良い写真が撮れていません。なので、一昨年の写真を引っ張り出して来たのですが、実はこの年も外れ年でした。凄かったのは4年前だったかな、本当に花に埋もれながら歩いているかの様で、萩はこんなにも美しいものだと知らされた時でした。

Jyourinji1109133

今年は、9月8日現在ではちらほら咲きの様ですね。すると、見頃はお彼岸の頃になるのかしらん?あの綺麗な花にまた出会えると良いのだけどな。

もう一つ、楽しみはこの彼岸花ですね。毎年、白萩とのコラボレーションを見せてくれるのですが、写真としても絶好の被写体となります。今年も良いタイミングで咲いてくれると嬉しいのですけどね。さて、どうなります事でしょうか。

2011年9月12日 (月)

京都・洛中 萩巡り ~本法寺~

Honpouji1109121

またしても週末の京都取材に行けなかったので、今週も過去に撮った写真からの構成となります。これを書くのは今年になってから何回目だろうな。京都の今をお伝えすると言っておきながら看板に偽りありという形になっていますが、やむを得ない状況ですので今暫くお付き合い願います。

さとて、今日お届けするのは本法寺で見かけた萩です。これを撮ったのは一昨年の9月ですが、修理間もない頃の多宝塔に良く映えて見えました。

Honpouji1109122

ただし、これはアレチノヌスビトハギという雑草で、わざわざ植えたものではないでしょうね。種がいわゆるひっつき虫の一種で、誰かの服か、あるいは野良猫の体にでもひっついて、ここまで運ばれたものなのでしょう。

でも、それなりに綺麗な花であり、秋の風情を感じさせてくれた事は確かです。これが今年も咲いているかは定かでは無いですけどね。

2011年9月11日 (日)

江~姫たちの戦国~35 幻の関ヶ原

(江戸城。秀忠たちが出陣した後、がらんとした城内で、静かだとつぶやく江。その静けさを破るように、鉢巻き姿で長刀を持った一隊を率いる大姥局が、えい、や、とうとかけ声も勇ましく、廊下を練り歩いて行きます。呆然と見送る江。)

(秀忠の無事を祈る江。そこに届けられたまりあからの手紙で、ガラシャが死んだ事を知った江。)

(大坂城。伏見城の陥落が間もないという知らせを受け、家康の出方はどうかと案じる三成。)

(三成挙兵の知らせを受け、下野の小山で全軍を招集した家康。)

(幕僚達の前で、三成が思う壺に嵌ったと喜ぶ正信。しかし、毛利輝元が総大将となり、軍勢が10万を超えるかも知れない事、諸大名の家族が人質とされた事を挙げ、油断出来ないとする家康。)

(諸将を前に、上杉攻めは豊臣家のために行うもの、しかし、妻子が人質に取られている以上、三成方に付くもやむなしと告げる家康。その時、ガラシャの死を無駄にしない為にも、三成の首を挙げさせてくれと名乗り出た忠興。それに続いて、三成討つべしと名乗りを上げた正則。続々と名乗りを挙げる諸将たち。その中で、ただ一人静まりかえっている真田幸村。)

(軍議が終わった後、これで諸将が一つにまとまったと安堵する家康。見事でしたな、と秀忠。その時、秀康が現れます。その労を労いつつ、秀忠には中山道を進み、美濃で落ち合おうと命じる一方、秀康には上杉の押さえとして宇都宮に止まれと命ずる家康。)

(自分は戦に参加出来ないのかと抗弁する秀康。味方の後方を守るのもまた、大事な役目だと聞かない家康。その一方で、秀忠には、かつてない大戦の舞台に立つのがそなたの役目だと言い聞かせる家康。秀康に気を遣いながらも、承知する秀忠。)

(大津城。伏見城が落ち、次は大津が戦場になると高次。周囲は西軍で固められており、三成方に付くのかと初。そうはしないと高次。かと言って、家康に付くとも明言しない高次。いっそ、両方に付いてくれと懇願する初。無理を言うなと言いつつ、両方に付く事が出来るかも知れないとつぶやく高次。)

(江戸城。いったん帰って来た家康に、さっそく会いに来た江。)

(これは豊臣と徳川の争いかと問う江に、これは豊臣の家臣同士の争いであり、決して秀頼や淀の方に危害が及ぶ事はないと答える家康。もう一つ、秀忠に無理をさせてくれるなと頼む江。あの人は戦に向いていないと言う江に、三成ごときに手間は要らない、安んじていろと優しく言い聞かせる家康。この戦を避ける道はと問う江に、それだけは無いと言い切る家康。)

(翌月、江戸を発って美濃に向かった家康。同じ頃、中山道を西に向かう秀忠。そこに、真田昌幸、幸村親子が寝返ったという知らせが届きます。3万の兵なら、小城など一日で落とせると攻撃を薦める大久保忠隣。一日も早く美濃を目指すべきだと主張する正信。家康に刃向かうだけの気骨のある、幸村という男に会いたいと言って、上田城に向かうと決める秀忠。)

(近江。三成に従い、美濃に軍勢を進める高次。その途中の陣で、これより大津に引き返し、家康に味方すると宣言する高次。)

(高次が寝返ったと知り、裏切り者を許すなと兵を向ける三成。)

(大津城。無事に戻った高次を出迎える初。高次の留守中、何度も城の明け渡しを求める三成の使者が訪れたのですが、初は体を張って追い返したのでした。初を労いつつも、本当の戦いはこれからだと告げる高次。)

(これから大津の町を焼き払う、万一の時の覚悟をしておいてくれと言って立ち去る高次。戦は嫌だ、死ぬのはもっと嫌だと言って泣き崩れる龍子。龍子を励まし、籠城の支度をしなければならないと告げる初。)

(高次が寝返ったと知り、使者を出せと命ずる淀殿。彼女が頼ったのは、北政所でした。)

(京都。高次に宛て、手紙を書く北政所。彼女は初と龍子を助けるべく、孝蔵主を使者に立てます。)

(江戸城。秀忠の無事を祈る江。彼女はヨシの薦めに従い、写経を始めます。)

(上田城。真田に阻まれ、損害を出す一方の秀忠。)

(徳川軍を見下し、お粗末な戦い振りだとと幸村。)

(軍議において、上田の陣を引き払い、美濃に向かうと決めた秀忠。自分一人の思いで、多くの者が動き、多くの者が死ぬとつぶやく秀忠。それが総大将であり、それが戦だと正信。泣き顔になる秀忠。)

(江戸城。写経を続ける江の下に現れた大姥局。障子を開けると祠の前に、夥しい蝋燭が灯されていました。無事を祈って城中の祠に祈りを捧げたという大姥局。祠に向かって手を合わせる江。)

(遅れを取り戻すべく、中山道を強行軍で進む秀忠。しかし、軍勢には疲労の色が濃く、無様な大将だと自嘲する秀忠。)

(大津城。攻撃に晒されている中、兵士達を激励して回る高次と初。激戦が続く中、突然訪れた静寂。それは淀殿と北政所の使者が着いたという知らせでした。)

(今からでも遅くない、三成と和議を結んで徳川を討てという伝言を伝え、高次に会いたいと願う孝蔵主。姉からの手紙を抱きしめながらも、断る初。せめて、初と龍子だけでも城を出られよと薦める孝蔵主に、夫が決めた以上それに従い、ここで死ぬ覚悟と言い、政所と淀殿に伝言を頼む初。)

(慶長5年9月15日。二の丸が落ち、落城寸前となった大津城。髻を切り、これから城を明け渡し、高野山に登って出家すると初に告げる高次。そして初には、龍子と共に縁者を頼って欲しいと頼みます。それは関ヶ原の戦いが始まる日の事でした。)

(大水で橋が流され、道を失った秀忠。彼は全軍の疲れを思い、上流に迂回する事を決めます。)

(関ヶ原。陣を敷いた三成と家康。秀忠はまだかと側近に聞く家康。まだ知らせは無いと答える側近。)

(中山道。疲れ故に、馬から転げ落ちた秀忠。あまりに自分が滑稽なゆえか、笑い出す秀忠。)

(関ヶ原。始まった戦い。)

(江戸城。大姥局と共に、長刀を振るう江。)

(関ヶ原。激突する両軍。)

(中山道。叫びながら疾駆する秀忠。)

(江戸城。秀忠が戦場に間に合わなかった事も知らず、ひたすらに長刀を振るう江。)

浅井姉妹が主役であるこのドラマらしく、戦いの経過にはあまり触れずに、初と江、それぞれの夫婦に焦点を当てた関ヶ原でした。この流れだと一気に勝敗の結末まで行ってしまうのかと思いましたが、意外にも来週に持ち越しでしたね。

小山の軍議はこのドラマオリジナルの展開で、諸将に先駆けて真っ先に口火を切ったのは忠興になっていました。前回のガラシャの死の流れを生かしたのでしょうけど、関ヶ原がお涙頂戴になっちゃったなあという感じです。

実際に口火を切ったのは福島正則で、事前に家康がそうなる様に根回しをしてあったと伝わります。関ヶ原の戦いは徳川方と石田方の根回しの応酬に終始したと言っても良く、双方が相手の非を鳴らし、戦後の報酬を約束して諸大名を味方に引き入れようとしました。小山の軍議においてもそうで、豊臣恩顧の中でも筆頭と言うべき正則が真っ先に徳川方に着くと発言することで、軍議の流れを徳川有利に引き寄せようとしたのだと言われます。

江戸城に帰ってからの家康はひたすら諸大名に手紙を書いていたと言われ、先陣が美濃に着いてからひと月近く江戸を離れませんでした。小山で自分に着くと約束した諸将でしたが、大半は豊臣恩顧の大名であり、どう心変わりするか心配だったのですね。その心根を見極めるための時間稼ぎであり、念を入れた根回しの時間だったのです。ドラマでは、そのあたりは一切スルーでした。

もう一つあれっと思ったのは、いきなり幸村が出て来た事でした。たぶん、後の大坂の陣のための伏線なのでしょうけど、この時は父の昌幸の代であり、幸村の名はほとんど知られていませんでした。秀忠相手に戦ったのも昌幸であり、幸村はまだ父の一将であったに過ぎません。でも、今有名なのは幸村の方ですからね、こういう描き方になるのも仕方がないのかな。

大津城が関ヶ原の当日に開城したのは史実にあるとおりで、歴史の偶然としか言い様がありません。あと一日頑張っていれば、高次も高野山に登る事は無かったのですけどね。

龍子が戦いの最中に気を失ったというのは史実にもあるそうで、実際にはもっと凄まじく、三井寺から打ち出された大筒の玉が天守の龍子の部屋に命中し、彼女の侍女二人を吹き飛ばしてしまったと言われます。このドラマでは、そんな描写はさすがにしかねたのかな。

淀殿と北政所が大津城に使者を出したのも史実にあるとおりで、龍子を城から救い出し、京都まで送り届けたという記録が残ります。ただし、初については何も言及されておらず、実際にどうだったのかは判りません。

でも、今回のドラマの主役はこの初だったと言えるでしょうね。ほとんど脇役扱いだった初ですが、今回は見事な城主夫人を演じていました。初にとっては、このドラマのハイライトと言えるかも知れませんね。

もう一人の主役である秀忠は、ひたすらに走っていました。戦場に間に合わないという恐怖と、総大将としての責任感に押しつぶされそうになり、ついには自分が哀れになって情けなくも笑ってしまうという演技に、秀忠という男の本質が現されていました。

ただ、9月15日に戦いが始まるとは誰にも判っていなかったはずで、ましてや一日で片が付くとは家康でさえも思っていなかったはずです。それなのにあそこまで焦りを感じるというのはどうかという気もするのですけどね。まあ、そのあたりは演出の範囲としておくのかな。

実際の秀忠はどうだったのでしょうね。この時は沢山の譜代の将に取り囲まれていましたし、どれだけ自分の裁量が認められていたのかは判りませんが、この遅参によって武将としての器量が無いという評価を受けた事は確かです。

次回は関ヶ原の戦後処理ですが、遅参した秀忠がどういう叱責を受けるのかが見物ですね。それと、囚われの身となった三成をどう描くのかに注目したいと思っています。

2011年9月10日 (土)

京都・洛北 彼岸花巡り ~大原~

Ohara1109101

京都の彼岸花の名所として、昨日紹介した嵯峨野と並称されるのが大原です。三千院と寂光院の間の田畑を中心に、広い範囲で沢山の彼岸花を見る事が出来ます。(写真は全て一昨年に撮影したものです。)

Ohara1109102

主としてあぜ道に咲いているのは嵯峨野と同じですが、より「里」の風情が感じられるのが大原でしょうか。広闊な嵯峨野に比べるとそこはやはり山間ですから狭い農地が多く、農家がすぐ近くに見られるからかも知れません。

Ohara1109103

とは言っても、広大な農地も広がっているので、一概には言えないのですけどね。景色が起伏に富んでいるのは確かかな。

Ohara1109105

こうした土手に沢山咲いているのも大原ならではでしょうか。遠くから見ると一面の赤い帯の様に見えて、それは綺麗なものですよ。

大原は、嵯峨野よりも遠い分、盛りの時期が気になりますよね。そう何度も行ける場所でも無いので、出来れば一番良い時期に行きたいものです。でも、これが難しいのですよね。それに場所によっても盛りの時期が違うので、人によって見方が変わってきたりします。

半ばは運次第だけど、3連休の間に見頃が来ると嬉しいのだけどな。さて、今年はどうなる事でしょうか。

2011年9月 9日 (金)

京都・洛西 彼岸花巡り ~嵯峨野~

Sagano1109081

萩に続いて気になる花は彼岸花ですね。その名の通り、秋の彼岸の頃に咲く花ですが、京都にはいくつもの名所があります。その中でも最大の場所と言えるのが嵯峨野ですね。(写真は全て昨年撮影したものです。)

Sagano1109082

正確には広沢池の西にある嵯峨野歴史的風土特別保存地区で、昔ながらの田園風景が保存されている中で咲き乱れる彼岸花を見る事が出来ます。

Sagano1109083

ここはとにかく広くてかつ絵になる場所が多いので、何時間居ても飽きる事が無いですね。時にはこんな野焼きの煙が見えたりして、野の風情がふんだんに溢れています。

Sagano1109085

難しいのは盛りの時期がいつなのか見極める事でしょうか。この花は彼岸に咲くとは言っても実際には咲き始めの時期にはかなりの幅があり、年によって違ってきます。また、場所によっても盛りの時期が異なるため、本当に狙い通りの写真を撮ろうと思えば、シーズン中何度か通わないと無理でしょう。

Sagano1109086

でも、そうは言っても、地元に住んでいない限り年に一度がせいぜいでしょうね。今年で言えば二度ある3連休のうち後の方でしょうけど、本当にどうなるかはその時になってみなければ判りません。ちなみに去年は9月25日に訪れているのですが、やっと咲き揃い始めたというところでした。例年に比べれば、かなり遅いという事でしたね。

Sagano1109087

嵯峨野にはコスモスも咲いているのですが、昨年は夏の猛暑のせいで不調であり、ほとんど見かけませんでした。順調に咲いていれば、こんな具合に彼岸花とのコラボを見る事が出来るのですけどね。

あと二週間ほどですが、忙しく彼岸花を追いかける時がやって来ます。後は天気が保つと良いのだけどな。この花には、やはり秋の好天が似合いますからね。こればかりは、天に祈るほかはなさそうです。

2011年9月 8日 (木)

京都・洛中 萩巡り ~阿弥陀寺~

Amidaji1109071

信長の墓がある事で知られる阿弥陀寺は、寺町通を今出川通からずっと上がったところにあります。その境内にの一角に一群の萩が植わっています。(写真は全て去年に撮ったものです。)

Amidaji1109075

萩はこの一群だけで名所と呼ぶ程ではないのですが、以前に雨上がりに寄った時に、株下に見事な紫色の筋が出来ており、その美しさに魅了された事があるのです。以来、花時分になると花を求めて出かけていくようになったのでした。

この写真を撮ったのは去年の秋ですが、花付きは今ひとつでしたね。今年はどうなのでしょう、綺麗に咲いてくれると良いのですが。

Amidaji1109072

塔頭の塀越しには、百日紅が咲いているのが見えました。花期としては終盤に差し掛かっていた頃でしたが、紅い花が青空に映えてとても綺麗でしたよ。

Amidaji1109073

昨日は豊国神社を紹介し、家康が秀吉の世を奪った事を書きました。しかし、秀吉に付いて言えば、信長の天下を簒奪した事は疑いもなく、家康ばかりを悪くは言えないのですよね。ただ、印象として秀吉は信長の後継者として天下を継承したのに対し、家康は秀吉の政権をだまし取ったという具合に見えてしまいます。それだけ、秀吉の手法が鮮やかだったという事なのでしょうけど、少なくとも前代の信長を否定せず、かつ織田家を滅ぼさなかったという点で大きく異なります。家康も秀頼を生かしておけば、それほど悪し様に言われる事は無かったのかなという気はしますね。

草葉の陰から信長が後の世の変遷をどう見ていたのか、聞いてみたくなる阿弥陀寺です。


2011年9月 7日 (水)

江~姫たちの戦国~ 秀吉縁の社 豊国神社

Toyokunijinjya1109061

豊臣秀吉はその死後、正一位の神階と豊国大明神という神号が贈られ、神として祀られる事になります。その遺体は阿弥陀ケ峰の山頂に埋葬され、麓には壮麗な廟と社が建立されました。これが豊国神社の前身ですが、その間には大きな断絶があります。

Toyokunijinjya1109062

その断絶を作ったのは徳川家でした。徳川家は豊臣家を滅ぼした後、前時代の支配者が神として祀られている事を認めず、神号を奪った上で廟と社を徹底的に破壊し、さらには秀吉の墓までをも暴いたと言います。何もそこまでしなくてもと思いますが、政権を簒奪したという後ろめたさが豊臣時代の完全否定に走らせたのでしょうか。

そして、秀吉を神の座から引きずり落とした家康が、今度は自らが東照大権現といいう神格を得て神として祀られる事になります。

Toyokunijinjya1109065

これが明治の世になると、全てが逆転しました。徳川家は朝廷に逆らった賊軍となり、徳川に対抗した者が称えられる様になったのです。秀吉もまたその一人で、天下を取りながらも幕府を開かなかった尊皇の功臣という理由で神号が復活され、豊国神社の再興が命じられました。墓もまた山頂に復元され、今でも長い階段を登った先に立派な石塔を見る事が出来ます。

Toyokunijinjya1109063

豊国神社が面しているのは正面通で、秀吉が方広寺建立の際に開いた道でした。方広寺にあった大仏殿と本願寺との間を一直線に結んでいたとも言われ、要するに方広寺の参道だったのでしょうね。正面通と言われる様になったのは江戸時代の事らしく、大仏殿の正面という意味でそう呼ばれる様になりました。

つまり、豊国神社が建っているのは方広寺大仏殿の跡地であり、秀吉の御霊を祀る神社としてはこれ以上の立地は無いかも知れませんね。もっとも、明治政府が進めていた廃仏毀釈の主旨に合致するという理由もあったのかも知れませんが。

この地に立って、豊臣家から徳川家、そして明治維新へと、世の移ろいに思いを馳せるのも一興かも知れませんよ。

2011年9月 6日 (火)

京都・洛北 百日紅巡り ~上賀茂・社家町~

Syayamati1109091

昨年、百日紅巡りをしていて見つけた上賀茂・社家町の百日紅です。上の方にほんの少しだけ写っているのが判るかな。

Syayamati1109092

この百日紅、まずまず綺麗ではあったのです。ところが木が塀の中にあるため、主題に据えるには花の見え方が少ないのですよ。かと言って、花だけをアップで撮ったのではどの場所か判らなくなります。いろいろ試した挙げ句、花は景色の添え物として扱う他はないと結論付けました。

Syayamati1109093

まあ、独特の咲き方をする花ですから、これくらい小さくても百日紅として認識してもらえるでしょう、たぶん。

Syayamati1109095

こちらは、道の北側で咲いていた百日紅です。この花も社家町の家並みと合わせてみようかと思ったのですが、間に車道が入ると絵にするのが難しく、花単独で撮ってきました。これだと上賀茂で咲いていたとは判らないのですが、組写真として見て貰えば良いかと割り切りました。

社家町は百日紅だけを期待して行く程の場所ではありませんが、風情ある町並みの紅一点として見れば悪くは無いですよ。この季節ならではの景色とは言えるかも知れません。

2011年9月 5日 (月)

京都・洛北 雨の日 糺の森

Tadasu1109051

昨年の秋、雨の日に訪れた糺の森です。

雨の日に出かけるのは嫌いではなく、むしろしっとりとした写真が撮れるので嬉しいくらいなのですが、雨の日の糺の森ほ訪れるのは初めてでした。

Tadasu1109052

ここは森とは言えあまりじめじめした感じはせず、特にこの馬場のあたりは埃っぽくすらあるのですが、さすがに雨の日は違っていました。馬場に沢山の細流が出来、ちょっとした川の様になっているのですね。

Tadasu1109053

かつてこの森には、いくつもの小川が流れていたのだそうです。考えてみれば高野川と加茂川の合流点ですからね、上流で二つの川に入らない流れは、ことごとくこの森に集まって来ていたのでしょう。

それが周辺の開発が進むに連れて水源を失い、沢山あった小川も無くなっていったそうです。その水流を失った事がこの森の乾燥化に繋がり、森の木々を弱らせているのだとか。最近作られた新しい水路は少しでも木々を涵養し、森を甦らせようとする試みなのだそうですね。

雨の日の糺の森は、多くの細流が流れていたという姿を彷彿とさせます。きっと歩くのも困難な、じめじめとした森だったのでしょうね。それくらいの水が無いと、大きな森は維持出来ないのでしょう。それを思うとまだまだ対策は十分ではないという気もしますが、何とかこの森をいつまでも守っていって欲しいと願うばかりです。

2011年9月 4日 (日)

江~姫たちの戦国~34 姫の十字架

(江戸城。二人の娘に囲まれ、幸せを噛みしめている江。ただ、大姥局が男子を産めと迫ってくるのが悩みの種でした。)

(大坂城西の丸に天守を築き、秀頼と同じく諸将から新年の拝賀を受ける家康。)

(その知らせを佐和山城で聞き、このままにはしておかないと再起を誓う三成。)

(江戸城。忠興の息子である光千代のあいさつを受ける江。彼は母のガラシャからの手紙を預かっていました。自分は人質として送られてきたと言う光千代。)

(ガラシャの手紙は息子をよろしく頼むという事でした。そして、忠興と家康の話から戦が始まるのではないかとも記されていました。)

(秀忠に徳川と豊臣の戦にななるのかと問い質す江。さあなと言葉を濁す秀忠。自分を大阪に行かせてくれ、直接家康に聞いてくると言い出す江。何かあれば知らせが来ると引き止める正信。誰も私には本当の事を話さない、だから自分で確かめてくるのだと聞かない江。)

(家康は戦支度を始めていると答える秀忠。その相手とは三成ではなく会津の上杉でした。)

(秀頼と淀殿に、上杉討伐の奏上をする家康。上杉の罪とは、国元に引きこもったまま上洛せず、国内に20もの砦を築き戦支度をしている。その事について上洛して申し開きをする様に求めたところ、不満なら会津に攻めてこいという回答が帰って来たのでした。これは豊臣家に対する謀反に他ならないと決めつける家康。)

(上杉を討つのは家康が天下取りの為に行うのではないかと際どい事を聞く淀殿。自分は秀吉から政を任された身であり、思うのは豊臣家のためのみであると答える家康。秀頼に合図し、秀頼の口から良きに計らえと答えさせる淀殿。)

(江戸城。上杉攻めには秀忠も加わるのかと問う江。全ては家康が江戸から戻ってからだと答える秀忠。あなたと話しているといらいらすると怒鳴る江。ならば話さなければ良いのだとはぐらかす秀忠。)

(大津城に立ち寄った家康。近い内に、このあたりで変事があるかも知れない、その時はよしなに頼むと高次に告げる家康。変事とは戦の事かと問い掛ける初。さすがに浅井三姉妹は強いと褒める家康。しかし、肝心な所は言わぬが花と煙に巻いてしまいます。決断を迫られて、冷や汗を流す高次。)

(出陣する忠興。彼はガラシャに向かって、本能寺の時に光秀に加勢出来なかった事を詫び、寂しい思いをさせてきたと謝ります。なぜ今更と問うガラシャに、これが自分の本心だと答える忠興。初めて夫の心を知ったのか、涙に暮れながら送り出すガラシャ。)

(家康が上杉を責める為に大坂を出たと聞く三成。これは家康の謀ではないかと怪しみつつも、これこそ自分が待つ望んでいた事でもあると言って大坂に向かう三成。)

(慶長5年7月。江戸城に帰った家康。さっそく家康に、三成と戦うのかと問い掛ける江。自分が戦うのは上杉だととぼける家康。上杉と三成はよしみを通じていると聞くと言い出す秀忠。では、上杉を討てば三成が動き出す、つまりは豊臣を討つつもりかと問い詰める江。それは違う、三成と自分は豊臣の家臣であり、万が一戦になったとしても家臣対家臣の争いに過ぎないと言い逃れる家康。)

(大津城。家康は三成を討つつもりだ、そうなると間違いなく大津城を巡っての争いになると高次。豊臣と徳川が争えば秀頼はどうなる、姉と妹に挟まれた自分はちどちらに付けばよいのかと叫ぶ初。それは自分も同じ事、徳川には背けぬが豊臣もないがしろには出来ないと苦悩の色を隠さない高次。)

(江戸城。出陣は21日に決めたと告げる家康。そして秀忠には先鋒3万8千の軍の総大将を命じました。自分には無理だと断る秀忠。大久保忠隣と正信を付けるから大丈夫だと家康。震える秀忠。)

(大変な事になったと江。自分に総大将は勤まらない、しかし、徳川の跡取りである以上逃げる訳にはいかないと秀忠。)

(家康が力を持つ度に暗い気持ちになって来た、まなぜあの男の跡取りに生まれてきたのかと自分の運命を呪ったと初めて本心を明かす秀忠。今度の戦に勝ったとしてもまだその先がある、家康が動き続ける限り自分も動かされ続けるのだと自嘲する秀忠。)

(今度の戦で討ち死にをすれば良いのかと捨て鉢になる秀忠を見て、家康に断ってくると言い出す江。断ってどうする、家康の子では居られなくなると秀忠。それも止めれば良い、徳川と豊臣が戦になればこの身は裂かれてしまう、それよりもここを出て百姓になろうと江。)

(江と馬鹿な子とを話をしていたら心が静まった、総大将として戦に行くと秀忠。家康の子に生まれた運命から逃げる訳には行かない、泣き言を言って済まなかったと江に謝る秀忠。)

(秀忠を自分の部屋に連れて行き、天下布武の印判をお守りとして持っていくようにと差し出す江。自分がただ一人あこがれていた武将は信長だった、その姪を妻に迎えた事は自分の誇りだった、しかし同時に気後れもしたと明かす秀忠。だから自分に冷たかったのかと問う江。そなたも偉大な叔父を持って辛いなと誤魔化す秀忠。)

(戦でもしもの事があったらどうすると言って印判を受け取らない秀忠。そうならない様に持っていくのだと譲らない江。ついに受け取る秀忠。)

(今日は秀忠の別な顔が見られた様で嬉しかったと江。どんな顔だと聞きかけ、やはり良いと断る秀忠。笑い出す江と秀忠。)

(大坂城。帰って来た三成は早速秀頼と淀殿に拝謁し、家康討伐の許しを請います。それは徳川と豊臣の争いを意味するのではないのかと問う淀殿に、これは家臣同士の争いに過ぎないと答える三成。その一方で、覚悟をして欲しい、秀頼が陣頭に立てば豊臣恩顧の大名はことごとく我が方に付くと迫る三成。それだけはならぬと峻拒する淀殿。何があっても淀の方をお守りすると誓う三成。)

(西の丸の徳川勢を追い出し、毛利輝元を総大将として迎い入れた三成。彼は家康の罪状を記した書状を諸大名に送りつけ、徳川打倒の旗印を鮮明にしたのでした。)

(大坂に残っていた家康加担の諸大名の家族を、人質として大坂城に集める三成。)

(忠興邸。三成の手勢が迫っていると告げる家臣に、自分は逃げないと答えるガラシャ。彼女は侍女のマリアにこれまでの礼を言い、忠興のためにこの身を捧げるのだと言って、マリアには逃げる様に命じます。ガラシャの手を握って別れを告げ、他の侍女たちを連れて立ち去るマリア。)

(ただ一人残った家臣に、キリシタンは自殺は禁じられている、だから自分を殺して貰えないかと頼むガラシャ。)

(邸内に討ち入ってきた三成の手勢。立ち上る炎の中、槍の前に座るガラシャ。微笑みを浮かべて家臣の槍を受けたガラシャ。)

(ガラシャの壮絶な死を聞いて衝撃を受ける三成。)

(江戸城。出陣する秀忠に、家康の跡を継いだ暁には、戦の無い世の中を作ってくれと頼む江。それは帰って来てから言ってくれと答える秀忠。)

(そなたがいとおしく思えると秀忠。それはいけない、かなり弱っている様子だと江。そうだなと苦笑する秀忠。)

(忠勝に向かって、この世で最も険しい戦とは、息子を死なせずに独り立ちさせる事だと言う家康。秀忠の出陣の知らせに、どこか不安げな表情の家康。)

(大坂、大津、江戸で、それぞれ戦の足音に震える三姉妹。)

今回は関ヶ原前夜が描かれました。史実では様々な事件があるのだけれど、ほとんどをスルーして上杉討伐~三成挙兵というストーリーにのみ単純化して判りやすくしていましたね。粗っぽくはあるけれど、こういう手法もありかなとは思います。

良く言われるのは上杉家と三成はあらかじめ打ち合わせをしており、上杉が家康を東に引き付けた隙に三成が西で挙兵し、東西から挟み撃ちにする戦略だったというものですが、このドラマでは三成は何も知らぬ気でした。実際はどうだったのかは判りませんが、この形にならなければ三成の挙兵は無かった事だけは確かだと思われます。

家康が淀殿に示していたのは、いわゆる直江状でしょうか。だとすれば、自分の悪口が書かれていたはずであり、それをぬけぬけと見せたのだとすれば家康の度量の大きさを示した場面という事になるのかな。

でも、今回の主題は秀忠の素顔が明らかになった事でしょうか。3男でありながら家康の跡継ぎに指名された彼にとっては、偉大すぎる父親は脅威そのものでした。その偉大さをそっくりそのまま引き継がなくてはならないのですからね。のらりくらりとしていた秀忠ですが、その内心は常に恐怖に怯えていたのでした。

無論これはドラマの中だけの設定ですが、二代目の心理としてはありそうな事で、向井理の演技が真実味を帯びて見せてくれていました。それでも本音としては家康の子である立場は失いたくないというのも事実で、百姓になろうという江の提案を現実味の無い冗談と受け流し、結局は自分の運命として受け入れる事を決断します。江にすれば結構真剣な提案だった様に見えたのですけどね。このあたりの描き方は上手いと思いました。

一方、ガラシャの最後については大筋は史実のとおりですが、愛する夫のために死を選んだという点があまり見た事がない解釈です。良く言われるのは、忠興が桁外れの嫉妬心の持ち主だった事が原因だという説です。彼は、ガラシャが他の男性と口を利くのさえ嫌がり、遂には妻が人目に触れる事さえ耐え難く感じるようになったため、ガラシャが屋敷から一歩も出る事を許さなくなりました。

そういう忠興は、出陣の前に三成の挙兵を予期しており、そうなった時は人質に取られるよりはガラシャを殺せと家臣に命じていました。妻を人質に取られる事は元より耐えられず、かといって逃がす為に、家臣といは言え他の男に妻の身を託す事もまた耐え難い事だったのです。

ガラシャもそういう夫の性行を良く知っており、家臣に自分の始末を命じた事に気付いていました。そして、遂に軍勢が屋敷に迫ったと知った時、潔く自らの運命に従い、家臣の手に掛かって果てたと言われます。ある意味夫のために死を選んだとも言える訳ですが、ドラマの解釈とはかなり異なりますね。

ガラシャの死が三成に衝撃を与えたのは事実で、強引に人質に取るのは逆効果だと思い、以後は無理強いをしなくなったと言われます。ガラシャの死は、多くの妻女の運命を救ったとも言えそうですね。

来週はいよいよ関ヶ原ですが、戦いそのものはほとんど描かれる事は無いのでしょうね。でも、秀忠の戦いにスポットが当たった事はこれまで無かったと思われるので、その点どう描かれるのかは楽しみではあります。

2011年9月 3日 (土)

京都・洛東 萩巡り ~迎称寺~

Kousyouji1109031

台風12号の上陸のため、今週末は大荒れとなりました。我が家の周辺は幸い雨風ともに大した事はなかったのですが、広い範囲で被害が出ている様ですね。被害に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。

さて、さすがに今日は京都には行けなかったので、今週もまた過去の写真からの構成となります。今年はこのパターンが多くて申し訳ありません。

Kousyouji1109032

今日は一昨日の続きという事で、迎称寺の萩をお届けします。あの破れ築地を背景とした萩ですね。

Kousyouji1109033

どの花でも同じですけど、京都の写真として撮る以上、それがどこか判るように工夫する必要があります。つまり背景が大事となる訳ですが、この破れ築地は風情がある上に、あああそこかと判って貰えるという点でも重宝しますね。

Kousyouji1109035

ただ、掲載しておいて何ですけど、この写真はあまり上手く行ったとは思っていません。昨年は花付きが悪く、工夫の仕様がほとんど無かったのですよ。やっぱり、もっと華やかに咲いてくれないと、写真にしても面白くないですよね。

今年は沢山花が咲いてくれる事を祈りつつ、リベンジしたいと願っているとろこです。

2011年9月 2日 (金)

百日紅巡り ~南禅寺境内~

Nanzenji1109021

昨年の夏、百日紅を求めて訪れた南禅寺の境内です。

Nanzenji1109022

南禅寺では、塔頭の天授庵や聴松院で咲いている他は、意外な程百日紅は見かけません。わずかに、本坊へ向かう参道の途中でこの花を見つけた程度でした。

Nanzenji1109023

ここで綺麗だったのは、夏の日を浴びたもみじでした。一夏を越してすっかり濃くなっている葉ですが、日を透かしてみるとあたかも新緑であるかの様でした。

Nanzenji1109025

夏の日差しは厳しいですが、葉にとっては強烈な光こそエネルギーの元で、1年で最も生命力に溢れている時期なのかも知れません。新緑にはない、力強い緑と言えるのかも知れませんね。

Nanzenji1109026

そして、南禅寺の名所である水路閣では、定番のトンネル写真を撮ってきました。いつもはどこかしらに人が居てなかなか撮れないのですが、やはり夏という事で人影がまばらだったのが幸いしました。

普段は何気なくローマの水道橋の様だと思って眺めているだけですが、近くでじっくりと煉瓦が良い具合に風化して、年代を感じさせる様になっているのですね。所々に水漏れしている様に見えますが、全体としては頑丈そのもので、明治の人達の確かな仕事ぶりが見えてくる様な気がします。

2011年9月 1日 (木)

京都・洛東 破れ築地 ~迎称寺~

Kousyoji110901

9月に入り、そろそろ萩の花が気になる頃となりました。その萩の名所の一つ迎称寺では、8月16日の時点では順調に枝が伸びて葉が茂り、枝先には小さなつぼみが付いているのが見えました。今年はどうなのでしょう、綺麗に咲いてくれるのかな。(写真は全て昨年に撮影したものです。)

Kousyoji110902

その迎称寺は、破れ築地がある事で知られます。表面はすっかり崩れ落ち、壁心も風化しかかっていますね。この箇所などは、崩れ落ちた場所から侵入を防ぐ為に、後から竹垣を組んだものなのでしょうか。その竹も半ば朽ちかけている様にも見えます。

Kousyoji110903

この壁を補修しないのは費用が無いからではなく、この古寺の様な風情を無くして欲しくないというファンの声が強いからなのだとか。確かに、ここが綺麗な壁になってしまうと寂しいという思いは判りますね。

Kousyoji110905

ただ、今はすぐ前が普通の住宅街になっており、人里離れた寂れた風情とはかけ離れてしまっていますね。周辺が雑木林か、せめて昔ながらの民家だったらまた違うのだろうけどな。

萩の花が咲くと、この破れ築地の背景がとてもよく似合います。住宅に背を向けて写真を撮ると、ここが野の中にある古寺かのような絵が撮れますよ。その萩が咲くのは今月の半ば頃、花を求めてまた訪れようと思っています。


« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

ねこづらどき

最近のトラックバック

無料ブログはココログ