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2011年1月

2011年1月31日 (月)

新選組血風録の風景 ~沖田総司の恋 その1~

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平成23年4月3日からNHKBSプレミアムにおいて、新選組血風録が放送される事になりました。小説が15話の小編から構成されているのに対して12回の放送となっていますから全てではありませんが、新選組!以来の本格的なドラマですからとても楽しみにしています。

当ブログでは、以前に「虎徹」までの6話について小説と史実を照らし合わせた連載をした事がありますが、その後中断したままになっています。これから残りの9話全てを書くだけの余裕はありませんが、確実に放映されると思われる沖田関連についてはアップしておこうと思います。

そこで、まずは今日から4回に分けて「沖田総司の恋」を;連載して行きます。

(新選組血風録概要)

(元治元年3月、沖田が妙な咳をする事に気付いた土方は、労咳ではないかと心配して近藤に相談する。しかし、近藤は深刻には受け取らず、いずれ良い医者が居れば診せてみようと言っただけに止まる。)

(この頃、近藤31歳、土方30歳、沖田21歳であった。これに井上源三郎を加えた4人が天然理心流の相弟子だった。この4人はそれだけでなく、日野周辺の出身でありかつ互いに縁戚関係を持つ間柄であった。そして、4人ともがお互いに義兄弟のつもりで居た。)

(沖田総司は奥州白川藩浪人の父を持ち、本名を宗次郎と言ったが、幼い頃に両親を亡くしたため、家は姉の光が婿養子を取って継いでいた。沖田は初めは姉に養われていたが、9歳の時に近藤周斎の内弟子となって試衛館に住み込む様になった。剣の才能は一流で、今では近藤や土方でさえも及ばない程になっている。)

(近藤達が京都に上る事になった時、姉の光が二人に向かって頭を下げ、総司をよろしくお願いしますと頼み入った。近藤と土方は、実の弟と思って引き受けますと答えた。)

(近藤と土方は沖田に向かって、医者に診て貰えと何度か勧めた。しかし、沖田は取り合わずに居た。そのうちに時は流れ、労咳の件はうやむやになってしまった。)

・沖田の出自

「沖田の生年は1842年(天保13年)とも、1844年(天保15年)とも言われます。作品中では21歳とあるので1844年説を採っている様ですね。父は奥州白河藩浪人とされていますが、実際には総司が生まれた時には正規の藩士であり、その場所も白河藩下屋敷でした。ただし、母親については名前も生没年も判っていません。」

「父親が亡くなったのは1845年の事ですが、数え年で4歳(または2歳)だった総司では家督を継ぐのは無理と思われたのでしょうか、当時14歳であった姉の光が八王子同心の井上家から林太郎を婿養子に迎えて家を継いでいます。この井上家が源三郎の実家にあたる事から、井上-沖田の間には縁戚関係があったという事になりますね。」

「沖田が近藤周斎の内弟子になったのは1850年の事で、数え年で9歳(または7歳)の時でした。その後、1860年(安政7年)頃に義兄の林太郎が(故ありて)白河藩を離れて浪人したため、総司もまた白河浪人と称する様になったと思われます。」

「沖田が剣の才能に恵まれていた事は事実で、20歳(または18歳)の時に試衛館の塾頭に上り詰めている事でそれが判ります。近藤もまた沖田の才能を見込んでおり、後に故郷に送った手紙の中で、自分にもしもの事があれば、剣の流儀は沖田に継がせたいと思っていると認めています。」

(沖田の病状が悪化したのは、池田屋事件の夜だった。この日、近藤は沖田、長倉、藤堂、それに周平の4人を引き連れて多数が潜伏する池田屋に切り込んだ。このうち、周平は元より戦力にならず、藤堂もまた早くに手傷を負って離脱したため、戦力はわずかに3人だけであった。)

(沖田は一人で階下を受け持った。彼は三段と言われた突き技を駆使して奮闘し、多くの敵を倒した。激闘は2時間に及び、沖田は屋内から裏庭に飛び降りた時に悪寒を感じて夥しく喀血した。その背後から吉田稔麿が斬り付けてきた。吉田もまた重傷を負っており、最後の敵を求めている内に沖田と遭遇したのである。喀血をしながらもかろうじて吉田を倒した沖田であったが、力尽きてその場に昏倒してしまった。)

・沖田の発病

「沖田は結核のために亡くなった事で知られます。その発病の時期がいつかについては意見が分かれますが、池田屋事件の時に何らかの原因で倒れた事は確かな様です。永倉新八が記した浪士文久報国記事には、沖田は一人の浪士を切り倒した後、病気のために会所へ引き取ったとあり、同じく永倉が記した新撰組顛末記には、持病の肺病が再発して倒れたとあります。一般にはこの記述から池田屋において沖田が喀血して倒れたと考えられています。」

「その一方で、この事件からひと月後の蛤御門の変に沖田が出陣している事から、それほど深刻な様態ではなかったとし、池田屋で倒れたのは熱中症か何か別の要因だったのではないかとする説があります。この場合、1866年(慶応2年)に松本良順が新選組を集団検診した時に結核患者が1名居たという記録があり、これが沖田ではないかと考えられる事から、沖田の発病時期もこの頃ではないかとされています。」

「私的には、沖田が池田屋で倒れたのは、やはり結核のためだったと思っています。理由としては、結核というのは喀血が起こってからも症状に波があり、死に至るまでは結構時間が掛かるという事が挙げられます。その実例としては正岡子規の場合があり、彼は最初に血を吐いてから13年を生きているのです。その間、何度か回復と喀血を繰り返しており、沖田の場合と経過が似ているのですよ。結核に関しては幕末と明治とでは治療法に大差は無く、沖田が血を吐いてから4年間生きたとしても少しも不自然ではないと思われるのです。むしろ、発病してから2年で亡くなる方が短すぎるのではないかな。」

「また、蛤御門の変に関して言えば、やはり永倉は沖田は病気で引き込んでいたと浪士文久報国記事に記しています。一方、沖田が蛤御門の変の戦場に出ていたと記しているのは西村兼文ですが、彼は蛤御門の変の時には京都に居なかった事を思えば、誤った伝聞を残した可能性が高いと思われます。」

「なお、沖田が吉田稔麿を斬ったとするのは子母澤寛の新選組始末記ですが、当日誰が誰を斬ったかについては当事者である永倉ですら判っておらず、恐らくは子母澤氏による創作ではないかと思われます。」

以下、明日に続きます。

(参考文献)
「新選組銘々伝」・「新選組資料集」新人物往来社、「新選組始末記」子母澤寛、「新撰組顛末記」永倉新八、「新選組日記」・「新選組と沖田総司」木村幸比古

2011年1月30日 (日)

江~姫たちの戦国~4 本能寺へ

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「香の道を市の方に習う三姉妹。香の道を究めるには気に入った香りを見つける事が早道と言う市。茶々は父長政が愛した浮嶋、初は空蝉が気に入りましたが、江は見つける事が出来ません。」

「馬揃えを企画する信長。その話を信包から聞き、早く見たいと盛り上がる江達。」

「光秀に馬揃えの奉行を命ずる信長。帝にもご覧頂くと聞き、とんでもない事と反対する光秀。委細構わず命ずる信長。」

「中国攻めの陣中で、馬揃えに参加出来ぬ事を嘆く秀吉。こっそり京に出向いてやろうかと嘯く秀吉に、今度信長の逆鱗に触れればただでは済まぬと諫める官兵衛。」

「馬揃えのついでに京を見物する江たち。清水寺の次は建仁寺を訪れています。そこで会ったのは光秀とその娘のたまでした。」

「光秀の塞いだ様子を気に掛ける市。多忙故だと答えるたま。」

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「馬揃え当日。20万もの人出で賑わう京。光秀、信包、勝家など煌びやかな行列に歓声を上げる江たち姉妹。」

「最後に馬に乗って現れた信長。唐冠を被り、紅白の小袖を着、赤の袴を履き、白皮の手袋をしています。そして、腰には牡丹の花、背中には白梅の枝を差し、腰に差しているのは黄金作りの太刀。先導しているのは濃紅色のビロウドの椅子。馬から下りた信長は、ビロウドの椅子に移り、信長が春、世の春、皆々の春、酔いしれるが良いと叫びます。あまりの美々しさに息を呑む江たち。」

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「その夜、信長の招きで一人本能寺を訪れた江。市と二人の姉は、疲れたからと言って来ていません。それを知って、寂しそうな信長。」

「馬揃え感動したと言って信長を喜ばす江。彼女はその場で焚かれている香に気付き、これが気に入ったと言います。これは東大寺という香だと答える信長。」

「約束の品だと言って、南蛮仕立ての洋服を与える信長。無邪気に喜ぶ江。その江にバテレンが伝えるデウスなるものを知っているかと問い掛けます。知らぬが神様はどこかに居るかもしれないと答える江。神など居ない、すべては絵空事に過ぎぬと言い、神が居るとすればこの織田信長を置いて外には無いと言い放つ信長。」

「あまりの事に息を呑む江。いずれは安土の総見寺を自分をあがめ奉らせる場とすると言う信長。それを聞き、人は神にはなれない、どんなに信長が偉くてもそれだけは無理だと叫ぶ江。自分を信じる事と神になる事は違うと言う江ですが、信長はたしなめる事はせず、己の信じた通りに生きろと言って立ち去ります。」

「市の下に帰り、信長が神だと言ったと伝える江。彼女が土産に貰ったのは、香の東大寺でした。それは蘭奢待という東大寺の宝物だと言って驚く市。貴重な物だと知って市に渡す江。」

「1582年(天正10年)3月、武田氏を滅ぼした織田軍。」

「祝宴の席で信忠を褒める信長。その一方で、長年の間骨を折った甲斐があったと言う光秀に、どこで武功を建てたというのかと言いながら首根っこを掴み、欄干に頭を押しつける信長。許しを請う光秀に、執拗に絡み続ける信長。見かねて仲裁に入る家康。やっと解放された光秀。大事はないかと家康に声を掛けられるが、怒りと恐怖で震えが収まらない光秀。」

「安土への凱旋の途中、清洲城にまで会いに来いと市と江に伝えてきた信長。しかし、江はもう自分の好きな信長は居なくなってしまったと言って、清洲行きを断ります。」

「4月半ば過ぎ、一人で清洲城を訪れた市。江が来ないと知り、落胆した様子の信長。自分もこれを返しに来ただけと言って、東大寺を差し出す市。要らぬなら捨ててしまうが良いと答える信長。」

「信長は、自分のところに戻って来る気はないかと切り出します。そして娘達を養女とし、茶々は帝に嫁がせる、初は大名家に嫁がせる、そして江は暫く自分の手元に止まらせると言い出します。帝の后になど畏れ多い事と反発する市。江にも同じ事を言われたと信長。」

「自分も娘達も、兄上の道具にされるのは御免蒙ると断る市。天下太平のためでもかと聞き返す信長。」

「戦の無い世の中にするためには、多くの血を流さなければならなかった。その役目はなぜか自分の所に回ってきた。憎まれ、恐れられるのは自分一人でよい。その後で泰平の世が来れば良いと語る信長。それが我が世の春、皆々の春という事ですかと問う市。泰平の世には帝の権威が必要だ、しかし、それが今は衰えていると憂う信長。」

「茶々が帝に嫁げば、自分に向けられた畏れや恐怖は、全て帝を畏れ敬う気持ちに変わるであろうと本当の狙いを話す信長。信長の真意を初めて知り、驚く市。もう一度、自分の側に戻ってこないかと問われた市は、己自身でしかと定めた後、兄上の側に戻りたいと答えます。」

「乱世が終わればこれも無用になると言って、天下布武の印を市に向かって放り投げる信長。天下布武とは公家、武家、寺家とある中で、武家が中心となって天下をまとめようとするもの、それが終われば役目も終わると説明する信長。次はどのような印判にするのかと市に問われ、天下が静まってから考えようと答える信長。初めて兄と心が通い合った様な気がすると市。自分には何も変わらぬと微笑む信長。」

「伊勢に戻り、江に東大寺を返す市。兄は自分を犠牲にする覚悟で天下泰平を願っていたと知ったと告げる市。言いたい放題を言ったのは自分の方だった、もう一度会って謝りたいと言い募る江。」

「光秀に向かって、四国攻めには信孝を総大将に任命すると告げる信長。四国衆とは長年取り次ぎ役を担ってきた、なぜ自分が総大将から外されるのかと食い下がる光秀。もう隠居しても良い年ではないかと信長。それならいっそ家中から追放して欲しいと口走る光秀。まだ織田家には役目立つ男だと告げる信長。誠心誠意、殿の為に尽くすと言い募る光秀。その分別面が鼻に付くと叫ぶ信長。」

「とにかく沙汰を待てという信長に、四国攻めの件を再考願いたいとさらに食い下がる光秀。ついに堪忍袋が切れたのか、備中に行って秀吉の配下に付けと命ずる信長。我慢ならぬと言う光秀に我慢せよと命ずる信長。拝命しながらも、怒りを抑えかねている光秀。」

馬揃えにおける信長の出で立ちは、能に出て来る神や精霊を演じたものとされています。つまりは、天皇と公家衆の前で、自らが神になると宣言したと言われていますね。また、信長は安土城に自分の化身である盆山という石を置いて、これを神と思って敬う様にという高札を出した事があります。この事からも、自らが神となろうとしたと言われていますね。

一方、光秀に対する数々の振る舞いは、事実とも後世の創作とも言われています。創作のついでに言えば、光秀は中国攻めを命じられた時に、丹波と近江の所領を召し上げられたともされますが、これはどうやら後世に創作されたものの様です。光秀の謀反は戦国史上最大の謎とされますが、ここでは信長が神になろうとした事に対する反発、そして数々の無礼に対する恨み、止めはライバルである秀吉の下に付けと言われた事が複合して光秀を追い詰めたとされました。

謀反の理由付けとしては妥当なところと思われますが、良く判らないのは江や市に対してはあれほど寛大な信長なのに、光秀に対しては容赦しないところですね。ましてや、天下泰平の為には自分が犠牲になっても良いと覚悟する、信じられない程の善人として描いておきながら、家来に対してのあの所業は納得が行きません。美化し過ぎた信長像と従来の類型的な信長像が矛盾して見えるのは私だけかしらん?

大体、信長が暴慢に振る舞えば天皇の権威が高まるはずっていう理屈が判らない。さらに、天下泰平の後は武家が手を引くって何?それなら誰が政治を行うと言うのでしょうか。建武の新政のごとく、天皇親政を考えていたと言う事なのかしらん?あまりに新説過ぎてちょっとついて行けない展開でした。

まあ、姪が可愛くて仕方がない信長というのは好感が持てましたけどね。

次回は本能寺の変、これをどう描くのか楽しみではあります。

2011年1月29日 (土)

平成23年(2011年) 今年の恵方は南南東 

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今年も間もなく節分がやってきます。節分の行事は沢山ありますが、今では恵方巻きがすっかり定着しましたね。そこで気になるのが今年の恵方ですが「南南東」になります。

ところで、ウィキペディアを見て驚いたのですが、起源についてずいぶんと説が増えているのですね。中でも、栃木県の磐裂根裂神社には夢福巻き寿司という行事があり、「福巻寿司発祥の地」という石碑があるのだとか。これまで関西が発祥の地だと思っていましたが、関東起源説まで出て来たのですね。考える事は、どこの地方でも似ているという事なのかな。

元々お遊びから始まった様な縁起物なので軽い気持ちで構えていれば良いと思うのですが、我が家では今年も食べる予定です。節分の夜は近くの神社にお参りして、帰って来てから恵方巻きというのが毎年のパターンですね。あ、豆撒きも忘れちゃ駄目だな。

この日は厄払いと同時に冬が終わる日でもあり、改まった気分になりますよね。ですので、1年の内でも最も素敵な日のひとつだと思っています。

2011年1月28日 (金)

京都・洛北 冬景色2011 ~常林寺 1.22~

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冬の散歩道、最後に立ち寄ったのは出町柳にある常林寺、秋の萩で知られる寺ですね。

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今の季節は萩がすっかり刈り取られ、がらんとした印象を受けます。まるで違う場所にきてしまった様ですね。この状態になった初めて気付いたのが冒頭の石碑「念ずれば花開く」です。坂村真民さんの詩の一句で、その言葉に共感する人が多いのでしょう、全国に700以上あるそうですね。

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一見殺風景に見える境内でも、ちゃんと花は咲いています。私が見たかったのはこの椿の花。雪中花に似ているけれど違う様でもあり、自信はありません。でも気に入っている花の一つではあります。

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もう一つ、別の椿も咲いていました。獅子咲きと言うのかな、花の中にまた花が幾つもある様な、不思議な咲き方をする椿ですね。

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そして、ここでも山茶花が咲いていました。そこにあるだけでほっとする様な、身近に感じる花ですね。

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ここではロウバイが開花していました。あまり香りがしなかったのは寒すぎたせいでしょうね。それでも町中にあるぶん、修学院よりも季節の針がほんの少し早く進んでいる気がしました。

2011年1月27日 (木)

京都・洛北 冬景色2011 ~曼殊院 1.22~

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圓光寺を出て曼殊院にやって来ました。冬に訪れるのは学生の頃以来ではないかしらん?

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ここは山懐だけあって、寒さも一段と厳しい様ですね。玄関にある手水鉢はかちかちに氷っていて、生けてあったロウバイの枝もすっかり氷り漬けになっていました。

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庭園に入ると、ここでも雪が残っていました。詩仙堂で雪を見てもしかしたらと思っていたのですが、期待どおりでしたね。

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まだら模様ではあるけれど、この庭の雪景色を見るのは初めてなので嬉しいですね。もっと本格的な積雪の時に見たいけれど、ここまでたどり着けるかどうかが怪しいので、なかなか実現するのは難しいのです。

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時刻は午後3時半を回り、短い冬の日はすっかり傾いていました。西日にほんのりと染まった雪が綺麗でしたよ。

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中庭では山茶花が花盛りでした。本当は椿を探しに来たのですが、まだつぼみばかりでしたね。ここでは季節のめぐりが、ほんの少し遅れているのかも知れません。

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玄関には葉ボタンがしつらえられていました。手前のロウバイの花はまだ咲いていないですね。1月の曼殊院は冬の真っただ中、寒中の風情に溢れていました。

2011年1月26日 (水)

京都・洛北 冬景色2011 ~圓光寺 1.22~

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詩仙堂から圓光寺にやって来ました。出迎えてくれたのは山茶花、冬枯れの庭で鮮やかに咲いていました。

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実を言えば、この日は拝観料を払っていません。なぜって、いつもなら受付の人が居ない時には置いてある竹の料金入れが無かったのです。

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代わりに説明書きが置いてあり、山猿が入り込むため本堂と書院の扉を開けられないので、庭園だけご覧になって下さいと記されてました。冬枯れの庭だけでは、拝観料は取れないという事なのかな。

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それにしても、最近はこういう話を良く聞きますね。南禅寺に猪が現れると言いますし、法然院だったかな、猿が食べに来るのでお供えはしない様にと書かれた寺もありました。

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それだけ山にけものが増えたという事なのでしょうか。それとも、餌が無くてやむを得ず里に下りてきているのでしょうか。そう言えばこの近くの畑で、猿に芋を持っていかれたと農家の人が話しているのを聞いた事もありますね。

自然が豊かと言えば聞こえは良いけれど、地元の人は大変でしょうね。それと、文化財の保護にも気を使いそうです。

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写真は、受付の近くにある戦没者慰霊碑に祀られた仏様の内の一体です。長年の風雨によって時代が乗り、野仏の風情がありますね。そして、雪を抱いた山を背景にすると信州の景色の様に見えません事?

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その背景に見えていた山です。静原の背後、鞍馬山の東のあたりでしょうか。この写真では判らないけれど、等倍に拡大して見ると、雪が見えている部分は木が生えていない場所だと判ります。

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こちらは西の愛宕山です。この雪の部分も同じく木が生えていない地山でした。理由は判らないけれど、荒れたまま放置された場所があるという事でしょうか。それとも、植林されて間もない箇所なのかも。

遠くから見ていると綺麗な場所ですが、近くに行ってみると実は訳ありだったりするのかも知れませんね。でも、雪山を見ながらそんな事を考えるのは、やはり無粋というものですか。

2011年1月25日 (火)

京都・洛北 冬景色2011 ~詩仙堂 1.22~

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平成23年1月22日の詩仙堂です。この時期の詩仙堂はさすがに混雑はしていないけれど、それでも結構な数の拝観者が訪れていました。

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かく言う私も、冬に訪れるのは初めてですね。この山茶花を見る為に入り口まで来た事はあるけれど、中に入った事はまだありませんでした。

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庭園はさすがに冬枯れの姿で、とても地味ですね。常緑のさつきも、寒さのせいでしょう、赤茶けた色に変わっています。その手前にある白い部分は、なんと雪が残っているのでした。

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庭園に出ると、さらに雪が残っていました。これはこの日に降ったという訳ではなく、去年の大晦日以来、何度か降った雪がずっと溶けずにあるのだそうです。

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特にこのエリアは立ち入りが出来ない様にロープで仕切られており、踏み荒らされる事が無かったので綺麗に残ったのでしょうね。既に雪と言うより氷に変わっていた様でしたが。

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そろそろ木の実も熟して、鳥に食べられる時期になっています。その中でマンリョウはまだ綺麗なまま残っていました。という事は、食べられるには少し早いという事なのかな。

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冬の青空は、秋以上に澄んで見えますね。この季節の彩りとしては、最も鮮やかなのがこの青色かも知れません。

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この日、詩仙堂を訪れた一番の目的は、丈山椿を見る事でした。白の花弁に赤のしぼりが入った椿で、詩仙堂の主である石川丈山の名が冠された花です。大輪の美しい花ですが、実は11月に訪れた時にも既に咲いていたのですね。その時は紅葉の豪華さに幻惑されてあまり印象に残っていなかったのですが、冬枯れの今になてみると、その見事さが際立って見えたという次第です。

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庭園では、馬酔木の花穂が伸びていました。まだ開花には至っていませんが、間もなく咲きそうですね。厳冬期に咲く早春の花であり、春の使者の一つです。寒さ厳しい今年にあっては、特に待ち遠しい気がしますね。

2011年1月24日 (月)

京都・洛東 第45回 京の冬の旅 ~金戒光明寺~

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今年も恒例の京の冬の旅が開催されています。定期観光バスで決められたコースを巡るというのがメインですが、特別公開寺院については一般客でも参観する事が出来ます。今年は大河ドラマ「江」にちなんだコース設定がされており、江の供養塔のある金戒光明寺も特別公開の対象とされています。

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実を言えば金戒光明寺の特別公開には以前来た事があり、今回は素通りするつもりでした。ところが案内看板をよく見ると、伊藤若冲の「鶏図屏風」と書かれているではありませんか。これはと思って急遽立ち寄る事にしました。

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鶏図屏風は水墨画で描かれた鶏の絵ですが、大胆な構図に魅了されて、見飽きる事がありませんでした。だって、餌をついばむ鶏を頭の方から見た構図なんて、普通有り得ないでしょう?一見して丸っこくてふわふわした毛玉の様な絵が、よく見ると確かに鶏なのですからね。若冲は鶏を実際に飼って観察していたと聞きますけど、確かに余程見慣れた人でなければ思いつかない構図だと思います。尾羽の曲線も見所ですよ。

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冒頭の看板に使われている文殊菩薩像は運慶作との伝承があるそうですが、バランスが取れている中にも見る者に迫る迫力があり、緻密な細工とあいまって、とても見応えのある名作です。この文殊菩薩が、秀忠の供養塔とされる三重塔の本尊として祀られていたそうですね。さすがに権勢を極めた将軍のために奉納されただけの事はあると言えるでしょうか。

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他にも久保田金僊作の虎の仕掛け絵、信長の天下布武の印鑑が押された書状など、みどころは沢山ありますよ。江の供養塔に立ち寄られる際には、拝観も一緒にされる事をお薦めします。

2011年1月23日 (日)

江~姫たちの戦国~3 信長の秘密

信長に亡き父を重ね、惹かれていく江。その矢先に、家康の正室である築山殿と嫡男である信康に謀反の疑いが掛かり、信長は家康に対して二人の処分を命じます。あまりのむごさに信長の真意を知りたいと願う江は、信長に会いに出かけます。

ここでお詫びと訂正ですが、前回の記事で時代設定を1581年として江8歳の時と書きましたが、正しくは1579年、江7歳(数え年)の誤りでした。余計な誤解を与えてしまい、申し訳ありませんでした。

それはともかく、満年齢で6歳の幼女にしては頭が回りすぎ、23歳の実年齢では幼すぎる違和感は変わりません。まあ、ここは史実をどうこう言うより、信長という人物を描く為の方便として受け取っておくのが良いのでしょう。それと江という人物が、とびきり聡明でかつ素直な人柄であったというイメージを作りたいのでしょうね。

今回も信長という人物の複雑さが良く描かれていたと思います。多少類型的ではありますが、異文化に対する受容性に富み、おねに対しての様に弱者に対していたわりを示す一方で、光秀に対する様に異常とも思える暴慢さを併せ持つという多面的な性格を活写していました。そして、その内実は誰よりも聡明でありかつ孤独であると千宗易をして語らしめています。この信長像は結構好きだな。

築山殿と信康に関して言えば、徳姫が謀反の疑い有りと認めた書状を徳川家の重臣である酒井忠次に託して安土に届け、その内容の真偽を信長から質された忠次が全て事実であると認めた事がその前段としてあります。

信長にしてみれば、徳川家の内部から謀反が事実であると告げられた訳であり、同盟関係を続けるには正室と嫡男の処罰を求めるという強行手段に訴える外は無かったのでしょう。つまり、この非常手段を突きつける事によって徳川家の真意を質した訳ですが、これは信長にしても恐ろしい決断でした。怒った家康が武田側に寝返ったとしても不思議ではなかったからですが、結果として家康は忠実に命令を実行しています。信長の非情さ、家康の律儀さを表す逸話として今に伝えられますが、これには様々な異論が有るようです。

代表的なものとしては、信康が謀反を企てたのは家康に対してであり、信康を殺したのは家康の意思であったする説、酒井忠次は信康と対立しており、信康の台頭を恐れた忠次が企てた陰謀だとする説などがあります。他にもいくつかの説があり、どれが正しいとは一概には言えなくなっている様ですね。

何にしても信康が自害した事は事実で、家康はこの事で後々まで苦しみ続け、折に触れては信康の死を嘆いたという逸話がいくつも伝えられています。

江の年齢という違和感は抱えたままですが、ドラマとしては楽しめますね。次回は早くも本能寺の変へと向かう様です。信長に比べて光秀はより類型的に描かれている様に思いますが、そのあたりどんな展開にするのでしょう。来週が楽しみです。

2011年1月22日 (土)

京都・洛東 冬景色2011 ~真如堂 1.22~

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平成23年1月22日の真如堂です。

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この時期の真如堂は本当に静かですね。見かけるのは法事で訪れた人くらいで、観光客の姿はほとんど見かけません。

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そろそろ花期が終わりかと思っていた山茶花ですが、まだ綺麗に咲いていました。次に来るはずの椿がまだほとんど咲いていないので、今の境内の彩りは山茶花が頼りですね。

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そんな中で、確実に季節は動いていると教えてくれたのが紅梅です。吉祥院前で数輪が咲いたのですが、ほんの少し暖かさを感じた様な気がしました。

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この時期になると狙いたくなるのが、白壁に写ったもみじの影です。境内の隅に土蔵があるのですが、葉の落ちた冬にしか見る事が出来ないモノトーンの世界ですね。

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今日は本堂にあった元三大師みくじをひいてみました。結果は吉で、まずまずですね。でも、道具に刀や脇差しが良いとあったのですが、どうしたものでしょう。この際、ミニチュアでも良いのかな。

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先月は愛想良く近付いてきたミーコでしたが、今日は呼んでも振り向いてくれませんでした。やはりこのあたりは自由に生きる猫らしいところでしょうか。餌を与えてはいけないというのであまりに慣れられると困るけど、相手にしてくれないというのも寂しいですね。猫を相手に程よい距離感というのは難しいものです。

2011年1月21日 (金)

京都・洛北 雪のふりたるは2011 ~下鴨神社 1.16~

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平成23年1月16日の下鴨神社の雪景色です。

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この日の雪は京都市の北部に偏っていたらしく、行きの電車では東福寺の辺りまでは薄曇りの中、時折日が差す様な天気でした。これは雪景色は期待出来ないかなと思っていたのですが、出町柳駅を出ると景色が一変していました。なんとまあ、一面の吹雪だったのですね。

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そこで、上賀茂神社に行くまでにはまだ時間があったので、下鴨神社に寄ってみる事にしました。河合神社に着く頃には吹雪も止んだのですが、今し方の雪で地面が一気に白くなっています。

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糺の森の馬場もこのとおり真っ白で、こんな景色は初めて見ました。

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止むと同時に溶け始めるのはいつものとおりで、ならの小川は早くも薄化粧となりつつありました。まあ、これはこれで綺麗ですけどね。

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下鴨神社の雪景色と言えばこれ、太鼓橋越しに見た楼門ですね。京都における雪景色の定番の一つと言っても良いでしょう。

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今度は太鼓橋の欄干越しに見た井上社です。雪景色ならではの色彩ですが、この角度から見た景色も悪くはないですね。

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以前から不思議なのですが、太鼓橋の前の鳥居は何故あるのでしょう。普通は神域と俗界の境を示している思うのですが、下鴨神社の東の正式な入り口はここなのかしらん?

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光琳の梅も雪に縁取られて、複雑な模様を描いていました。梅のつぼみはかなり膨らんで来ており、もうすぐ一輪目が咲き出すかも知れませんよ。

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この日の雪も昼には止んでしまい、雪景色はここと上賀茂神社だけで終わりました。少し物足りなくはあるけれど、これだけ綺麗な景色を見せてもらっているのだから、欲張ってはいけないですね。

さて、今年はあと何回チャンスがあるかな。

2011年1月20日 (木)

京都・洛北 雪のふりたるは2011 ~上賀茂神社 1.16~

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武射神事が行われた日の上賀茂神社の雪景色です。ここに着いたのは11時前でしたが、その頃が一番激しく雪が降っていました。遠くが霞んで見えますが、きっと行事は中止だろうなと思ったほどです。

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その吹雪の中、雪山と化した立砂です。とても清らかな風情がありますね。ただ、背後の舞殿の屋根が葺き替え中なので、絵にしづらかったのが残念でした。

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参拝のために本殿へと向かいます。その入り口にある楼門もまた雪化粧をしていました。やはり丹塗りに雪の白という組み合わせは映えますね。

ちなみに、門の下に沢山人が見えますが、武射神事の参列者が本殿から出て来るのを待っている様でした。

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その本殿前で降りしきる雪の様子です。今度は雪と金の灯籠とを合わせてみましたが、これも悪くは無いですね。

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雪の中、和傘を差して神事の場に現れた神官達です。ただ歩いているだけなのですが、その姿には凜とした冬の風情が溢れている様に感じました。

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京都の雪は本当に気まぐれで、あれほど降りしきっていた雪が神事が始まるとすぐに止んでしまい、青空さえ見えてきました。こうなると、溶けるのも早いのですよね。止んでから30分も経たないうちに、もう地面が見えていましたよ。

まあ、これは有り難い事でもあり、北国の様に根雪になって積もり続けたら大変な事になるでしょう。あっという間に消える景色だからこそ、ただ美しいと言って居られるのだと思います。

2011年1月19日 (水)

京都・洛北 武射神事2011~上賀茂神社~

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平成23年1月16日、上賀茂神社の武射神事(むしゃしんじ)に行って来ました。我が家は、昨年に続いての参観です。この行事は魔除けの儀式であり、本来は小正月である1月15日に行われていました。今はなぜか16日と決められているのですね。

最初に射られるのは鏑矢、その独特の音を動画でお聞き下さい。(画面が揺れて見苦しいのですが、お許し下さい。望遠の手持ちで動画を撮るというのはかなり無理があります。)

この鏑矢の音によって場が清められるとされているのですね。確かに霊験あらたかという気がする音ではあります。

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続いて、神官による奉納が行われます。使われるのは、魔を祓うという朱塗りの矢。一人二本ずつ放たれるのですが、中にはとても上手な神官が居て、見事ど真ん中に命中させて拍手を浴びていました。

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矢を射る的の裏には「鬼」と記されています。魔除けの神事ならではのしつらえですね。

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神官による奉納が済むと、今度は小笠原流宗家による奉納に代わります。その冒頭、神官から宗家に対し、武射を行う様に下知が下されます。

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矢が放たれるまでには、様々な所作が行われます。それぞれに意味があるのでしょうけど、様式美として見る事も出来ると思います。

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去年気付かなかったのですが、矢を拾う係も居るのですね。

この日は午前中を中心に断続的に雪が降り、この行事開始直前にも一段と激しくなっていました。これはもう中止かと思ったのですが、行事が進むに連れて晴れ渡りはじめ、つつがなく進行したのはさすがは魔除けの神事といったところでしょうか。

この後、百手式があったはずなのですが、駅伝の時間が迫っていたので最後まで見ることなく引き上げました。それが心残りではあるけれど、古式ゆかしい伝統行事を見る事が出来たのは幸いでした。

2011年1月18日 (火)

第29回都道府県対抗女子駅伝

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平成23年1月16日、年頭の京都を飾る風物詩の一つ、第29回都道府県対抗女子駅伝が行われました。我が家が観戦するのは4年連続の事で、今年も昨年に続いて丸太町通で観戦して来ました。

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まずは往路の4区、トップで走って来たのは栃木代表でした。この前の3区で中学生が区間2位の好記録を出して首位に躍り出たのですね。正直、番狂わせ的な感じがしたのですが、どのチームが飛び出してくるのか判らないのが勝負の面白みというものでしょう。

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4区の区間賞を取ったのが、兵庫代表の小林祐梨子選手でした。北京オリンピック女子5000mの代表にもなった有力選手の一人ですね。この快走によって、兵庫は一時首位に躍り出ます。

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6位を巡る長崎と滋賀の争いです。滋賀は毎回中段の争いに終始していたと思うのだけれど、今年は1区での好走が光り上位での争いが見られました。これを機会に来年以降の活躍が楽しみですね。

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大阪在住の私としては、やはり地元代表が気になります。この時は19位と出遅れていたのですが、じわじわと順位を上げて、最後は10位でフィニッシュしています。

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中段を巡る徳島、青森、富山の争いです。首位争いばかりでなく、こうして競っているところを見るのも駅伝の醍醐味の一つですね。

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4区で最下位から45位に順位を上げた沖縄代表です。この日は震え上がる様な寒さだっただけに、南国の人には余計に堪えた事でしょう。それだけにこのがんばりは光ります。

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丸太町通は往路の4区と復路の7区が重なります。トップの写真では16位だった京都が、木崎良子選手の10人抜きという快走で6位に上がり、この7区では首位で帰って来ました。京都は写真の池内彩乃選手を始め、5、6、7区の選手はみんな立命館宇治在籍の高校生なのですね。そして、3人ともが区間賞を取るという快走を見せ、逆転勝利の原動力となりました。

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それにしても駅伝の観戦者はみんなマナーが良いですね。走って来る選手の出身地に関わらず、必ず声援が飛んでいました。無論、出身地の応援団も居るのですけどね、大半は地元の人達で、京都以外のチームにも拍手を送る姿は見ていて気持ちが良かったです。

終わってみれば京都の圧勝でしたが、途中経過は波瀾万丈のレースでした。テレビで見ていても結構面白かったのではないでしょうか。でも、現場で見ているのはもっと面白いですよ。来年は是非観戦に来られませんか。

なお、結果はこちらで確認して下さい。

2011年1月17日 (月)

ねこづらどき7周年

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本日「ねこづらどき」が7周年を迎えました。

まず、8年目となる今年のイベントの一つに、カウンター数で100万達成が出来そうだという事があります。開設当初には夢に思えた数字ですけど、今のペースで行けば7月頃には到達しそうです。日に何千、何万というアクセス数を誇る巨大ブログから見ればささやかなものですが、コツコツと続けてきた手作りブログとしては達成感のあるところです。

数字が当ブログの目標ではないけれど、アクセス数はコメントと共に、ブログを続けていく上での手応えの一つになっています。訪れて頂いている方が居るという実感が何よりの励みになっているのですからね。

さて、それはともかくとして、8年目も変わらぬ姿勢で続けて行きたいと考えています。週末に京都を訪れるのはすっかり生活の一部になっていて、次はどこに行こうかと考えるのを楽しみにしています。京都の四季それぞれの趣、様々な行事、生活習慣など、奥深い京都の魅力のどこを捉えて伝えていこうかと考えるのは本当に面白い作業なのですよ。これはやはり止められないですね。

次に、龍馬伝に代わる江については、既に2回書いていますが、記事のスタンスを変えています。龍馬については私なりに思い入れがあって史実の姿にこだわったのですが、江はドラマの展開を素直に楽しんでいきたいと思っています。記事としては毎回の感想をベースに折に触れて史実を挟んで行くつもりで、史跡紹介もして行きたいですね。まだまだスタイルが定まっていませんが、これから充実させて行こうと考えているところです。

相変わらずつたないブログではありますが、少しづつ前に進んで行きたいと思っています。8年目のこれからも、どうかおつきあいの程よろしくお願いいたします。

2011年1月16日 (日)

江~姫たちの戦国~2 父の仇

父の仇とも知らずに信長にあこがれていた江。その江が真実を知った時、取った行動は信長その人に会いに行く事でした。

江が生まれたのが1573年、今回の設定は15811579年ですから、江(数えで)7歳の時の出来事ですね。ヒロイン役の上野樹里は23歳ですから無理が有りすぎるのですが、7歳の幼女の行動として捉えると結構面白いです。どうせなら子役にやらせれば良かったのに。

毅然とした市と信長の大度量の対比は見応えがありました。後世から見ても評価が定まらない信長ですから、同時代に生きた人にとっては捉え様のない人物だったのでしょう。ある時は残虐非道な魔王、ある時は領民を労る心優しき領主、ある時は常勝将軍、ある時は食えぬ政治家、ある時は先進的な文化人等々、複雑な側面を幾つも持つ信長の姿を浮き彫りにしようとするこのドラマの描き方は興味深いです。

何度も言いますが、ヒロインを7歳の幼女に脳内変換して下さい。そうすればこのストーリーが俄然生きて来ると思います。

(申し訳ありませんが、ドラマの時代設定は1581年ではなく1579年でした。お詫びして訂正します。)

京都・洛北 雪のふりたるは2011 ~圓通寺 1.10~

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妙満寺を出て圓通寺に向かいます。距離にして1㎞程、ざっと15分程歩いてたどり着きました。途中、雲が晴れて比叡山が姿を現して来るのが見えたので、期待がふくらみます。

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借景の庭は、思っていたとおりの景色が広がっていました。ちょっと庭の雪が足りない気もしますが、その分を真っ白な比叡山が補って余りあります。

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部屋の奥に下がって額縁構図にしてみました。でも、私のレンズはワイド側のディストーションが強いので、この構図は結構難しいのですよね。シフトレンズが欲しくなる瞬間です。

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この日の圓光寺は、意外な程拝観者が多かったです。皆さん、やはりこの景色を期待してやって来たのかな。

もう少し雪のボリューム感が欲しいところではありますが、これ以上降るとこの寺に近付く事自体が難しくなるので痛し痒しですね。

1月10日の雪景色の探訪はここまでです。この後市内に戻ったら、日陰がわずかに白い程度で、後はみんな溶けていました。本当に京都の雪はすぐに消えてしまいますね。また次の機会にと思っていたら、今日再び雪景色に会えました。少しですけど撮ってきたので、後日アップしますね。

2011年1月15日 (土)

京都・洛北 雪のふりたるは2011 ~妙満寺 雪の庭 1.10~

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平成23年1月10日の妙満寺です。この日は未明から雪が降り出し、朝には「雪の庭」を白く染めていました。

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天気予報は曇り時々雪。それほど多く降るという程ではなく、市内では薄化粧程度の様子でした。でもライブカメラで調べていく内に、岩倉方面ならまずまずの積雪がありそうと判ったのです。

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そこで思いついたのがこの妙満寺です。以前から雪の日に来てみたいと願っていたのですよ。

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岩倉は北山の麓にあたるだけあって、市内とは少しだけ気候が異なります。出町柳では小降りだった雪も、ここまで来ると本格的な降雪に変わっていました。

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ここを選んだ理由は、そう、この「雪の庭」にあります。「雪月花の三名園」の一つとして称えられたこの庭は、冠雪時に最も美しいとされるのですね。ただ、その背景にあるはずの比叡山は、今の庭からは見えない様です。

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降雪時には障子が閉められ、ガラス窓を通して庭を見るというのがここのスタイルかと思っていました。しかし、この日はなぜか扉が開け放たれており、庭を良く見る事が出来たのは嬉しかったです。そのぶん、寒くて震えましたけどね。

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この庭に居たのは15分ほどだったかな。その間拝観者は私一人だけで、この素敵な空間を独り占めしていました。それ以上は寒くて居られなくなったのですけどね。

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降り積もったばかりの雪は、やはり美しいものですね。綿帽子という言葉がぴったりと来る気がします。

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でも、いくら岩倉の地とは言え京都市内には違いなく、溶けるのは早いですね。雪が止むのと同時に水に変わっていくのが判ります。

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実はこの後本堂前から見た比叡山を撮りたくて暫く待っていたのですが、残念ながら思う様には姿を現して呉れませんでした。

そこで次はその比叡山を借景とする圓通寺へと向かいます。陽が差し始めた事だし、着く頃には雪を纏った姿を見せてくれる事を期待して歩き始めまたのでした。その結果は明日お届けします。

2011年1月14日 (金)

冬はつとめて2011 ~法然院~

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法然院はその名の通り法然上人ゆかりの寺です。鎌倉時代に上人が修行をしていた草庵があり、江戸時代になってその遺徳を偲んで念仏道場として建てられたのでした。

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意外な事に、今は浄土宗からは離れてしまっているのだそうです。単立寺院なのだそうですが、宗門を離れても自立して行けるだけの基盤を持っているのでしょうね。

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この寺は鄙びた風情がある事で知られますが、1月の早朝には訪れる人もまれで、静かな時間だけが流れていました。

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これが秋なら紅葉が綺麗だったでしょうけどね、今は苔の緑が美しさを見せてくれています。

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そして、境内を彩るのは山茶花でした。鮮やかな赤色が、苔むした山門の緑に映えてなかなか見事です。

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この山茶花はつぼみがほとんど無くて、花期が終わろうとしている様でした。季節は真冬ですが、確実に春に向かって動いています。もう少し待てば、かすかな春の息吹が聞こえて来る事でしょうね。

2011年1月13日 (木)

冬はつとめて2011 ~大豊神社から安楽寺まで~

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哲学の道を歩きながら、最初に目指したのは大豊神社でした。3年前には大勢の参拝者で賑わったこの神社も、今はすっかり平静を取り戻しています。舞殿の向こう側ではたき火が焚かれていて、つかの間の暖を取る事が出来たのは有り難かったです。

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3年前の立役者だった狛ねずみは、今も変わることなく社前を守護しています。心なしか、足下に置かれたどんぐりの数が増えている様な気がしますね。

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哲学の道では山茶花が綺麗に咲いていました。如何にも冬の散歩道らしい風情が漂っています。

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哲学の道から東に外れて、安楽寺に来てみました。ひと月程前なら、敷き紅葉が綺麗だった事でしょうね。

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この門の屋根は茅葺きなのですね。その屋根もまた雪で薄化粧をしていました。枯れ枝の模様とあいまって、これも冬らしい光景の一つと言えますね。

次は法然院へと向かいます。

2011年1月12日 (水)

冬はつとめて2011 ~南禅寺~

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冬の早朝の風情を求めて南禅寺にやってきました。紅葉シーズンには大勢の人で賑わっていた境内も、この季節のこの時間帯には、ほとんど人影はありません。

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道ばたの苔の上では、未明に降ったらしい雪がわずかに名残をとどめていました。あまりに寒いので、溶けずに凍ってしまったようですね。

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本坊の屋根は檜皮葺、薄い檜の樹皮を何枚も重ねて作られています。その樹皮が作る縞模様が雪の薄化粧によってくっきりと現れていました。

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こちらは天授庵の方丈の屋根です。こちらも檜皮葺ですね。この渋い風合いの屋根には白い雪がよく似合います。

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普段はお参りする人が絶えない法堂ですが、この時の参拝者は私一人でした。いつもは周囲に遠慮しながらしか撮れないお堂の中ですが、この時とばかりにあれこれ工夫してみました。この写真を撮ってやっと気付いたのですが、天井には龍の絵が描かれているのですね。

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ずっと日陰だった境内に、朝日が差し込んできました。モノトーンの世界に色彩が現れた瞬間ですね。

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南禅寺の境内は通学路でもあるのですね。大勢の中高生が歩いているのを見ると、普段とは違った世界の様な気がしてきます。

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聴松院の茉莉支天堂では、早くも梅が咲き始めていました。またこの花を追いかける季節が来るのですね。

次は南禅寺を離れて哲学の道を目指します。

2011年1月11日 (火)

冬はつとめて2011 ~鴨川~

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冬の早朝の風情をお届けする「冬はつとめて」シリーズ、今年は鴨川からお届けします。

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1月上旬は1年で最も夜明けが遅い季節です。その夜明け直前の時間に鴨川の河原に降りてみました。期待していたほどではなかったのですが、程よく浮かんだ雲が朝焼けに染まってなかなか綺麗です。

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さすがに、この時間帯には河原を歩く人はほとんど居ませんね。寒さに震えながら三条から四条に向かって歩いていると、菊水ビルと南座が見えてきました。それぞれ大正時代と昭和初期に出来たビルであり、建設当時は随分とモダンな建物だった事でしょう。今ではすっかり京都らしい景色の一つとなっています。

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再び三条に向かって戻って行くと、ビルの合間から比叡山が見えました。この日の朝はわずかながら雪が降ったらしく、雪化粧した山が一足早い朝日を浴びてほんのりと赤く染まっていました。神々しく感じる程、素敵な光景でしたよ。

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正面に目を向けると、黎明の中に雪化粧をした北の山がほんのりと浮かんで見えました。これもまた、冬の朝にしか見る事が出来ない景色ですね。

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本当は河原から三条大橋越しに上る朝日を撮りたかったのですが、あいにく河原が工事中であったため御池大橋にまでやってきました。丁度この時朝日が出て来たのですが、ビルの上に重なったのであまり絵にならなかったのが残念です。

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橋の上で後ろを振り向くと、京都ホテルオークラが朝日を浴びて輝いていました。町が目覚めていく瞬間ですね。

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日が昇ってしまうと朝焼けは消えてしまいます。劇的な景色は消えて、今はもう静かな朝の光景ですね。これから鴨川を後にして南禅寺へと向かいます。

2011年1月10日 (月)

京都・洛東 えべっさん2011 ~京都えびす神社・八坂神社~

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商売の神様、京都ゑびす神社で十日ゑびすが開催されています。

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我が家が行ったのは1月9日の宵ゑびす、三連休の中日ともあって結構な人出で賑わっていました。

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普段は地味な大和大路通ですが、十日ゑびすの5日間だけはずらりと出店が並びます。その店先を冷やかして歩くのも楽しみの内なのですが、中でも目を惹いたのがこの唐辛子ですね。何でも厄除けになるのだそうですが、その鮮やかな色彩はとてもインパクトがありました。

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途中までは、今年は比較的空いていて歩きやすいかなと思っていたのですが、鳥居まで来ると例年通りの渋滞に巻き込まれました。まあ、こうでなくちゃ、商売繁盛の神様ではないですよね。

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社前の混雑はこんな感じで、鈴の取り合いもまた例年通りでした。割り込みも普通の事で、おとなしくしていては願い事も出来ないという状況です。

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この日の午前中に奉納されたまぐろです。これがあると豪勢に見えますね。最後はどうするのだろう、解体して関係者に振る舞われるのかな。

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福笹の売れ行きは、例年よりも少し悪い様にみえたのだけど、どうだったのでしょうね。今日は東映の女優さんが福娘となる日で、明日は宮川町と祇園町の舞妓さんによる福笹の授与があるそうですよ。

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福笹の外にも、福箕やくま手が売られています。相場は5千円から1万円といったところで、ちょっと高い気もしますね。でも、福笹が1本3千円で吉兆が一つ千円単位になっていますから、色々付けたと思えばまあこんなところではないのでしょうか。

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えべっさんの最後の儀式がこの壁叩きです。恵比寿様は耳が遠いらしく、願い事を聞くのが苦手らしいのですね。そこで最後にこの壁を叩いて大きな音を出し、自分が参拝に来た事を知らせるのだそうです。誰が考えたのかは知らないけれど、面白い風習ですね。

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京都においては、もう一つ八坂神社も祇園のえべっさんとして存在を知られています。その行事と行われるのがえびす船巡航ですね。9日の午後三時に八坂神社を出発し、四条烏丸まで歩きます。まずはその動画をご覧下さい。

それほど大きな行列ではありませんがそこは縁起物ですからね、福々しく賑やかに沿道を盛り上げていきます。

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メインは何と言ってもこの七福神が乗ったえびす船ですね。中でも弁天様はにこやかで愛想が良く、如何にも御利益がありそうたでしたよ。

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前後は福笹を持った福娘達が固め、総勢110名の行列だったそうです。これで沈滞気味と言われる京都の景気が、少しでも良くなってくれるといいですね。

2011年1月 9日 (日)

江~姫たちの戦国~1 湖国の姫

江~姫たちの戦国~が始まりました。第一回は市の方の輿入れから浅井氏の滅亡までが一気に描かれました。あまりに目まぐるしい展開に驚きましたが、要領よく纏められてはいましたね。特に長政と市の方の苦悩は良く伝わってきました。

江は小谷城の落城直前に生まれたのですね。女の子だったから助けられたものの、これがもし男の子だったら殺される運命にあった訳で、確かに市の方はよくぞ産んだものだと思います。(実際、長男の万福丸は秀吉の手で殺されてます。)運命の子と言うか、希望の子という言い方もなるほどと頷けますね。

それにしても、一回で終わってしまった小谷城の扱いって一体?地元は結構準備していたはずですからね、これからも回想シーンなどで出て来るのでしょうか。

その地元である滋賀県がこのドラマに向けて作った応援歌があります。それがこの「GO GO お江」ですね。

浅井三姉妹が滋賀生まれである事を強調して観光客を誘致しようというのでしょうけれど、この先はどうなるのでしょう。とりあえずは安土が舞台になるでしょうけど、その後は秀吉の長浜ぐらいではないのかしらん?あ、京極家は近江が本拠か。

などと余計な心配をしてしまいましたが、本格的になるのは2回目以降ですね。これから成長した姫達の物語がどう描かれていくのか、楽しみに待ちたいと思います。

2011年1月 8日 (土)

江・姫たちの戦国 江供養塔~金戒光明寺~

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明日から大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」が始まりますね。これまであまりスポットが当たらなかった人物を通して戦国が描かれるので楽しみにしているところですが、当ブログでは京都にある縁のポイントを紹介して行きたいと思っています。

その最初のポイントが主人公「江」の供養塔です。

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この供養塔があるのは、黒谷こと金戒光明寺です。黒谷は浄土宗という事で徳川家と縁が深く、知恩院と共に庇護されていました。いざと言う時には、京都における軍事拠点としても期待されていたとも言いますね。実際、幕末には京都守護職を努めた会津藩の陣屋となった事でもその事が窺えます。

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その黒谷に江の供養塔を建てたのは、三代将軍家光公の乳母であった春日局です。江との関係で言えば、三代将軍の座を巡って次男の忠長を推した江とは対立関係にあったのですが、江の死後に追善供養のために建てたとされ、その遺髪が納められていると言われます。家光も忠長も同じく江の実子であり、そのあたりの愛憎劇がドラマ後半に描かれる事になるのでしょうか。

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寺では既に案内板や説明板が設置されており、受け入れ態勢が出来ている様です。でも、もう一つの縁がある三重塔には触れられていませんね。この塔は夫である秀忠公の菩提のために建てられたものであり、セットで紹介しそうなものなのですけどね。

何にしても、今年は拝観客が増えそうな黒谷ではあります。


2011年1月 7日 (金)

京都・洛東 初詣2011~六波羅蜜寺~

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平成23年の初詣の最後に訪れたのは六波羅蜜寺です。ここは八坂神社のかるた始めとセットで訪れているので、今年で4年連続、5回目となりますね。

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六波羅蜜寺を訪れると、まず出迎えて下さるのは十一面観音菩薩像です。開祖である空也上人が自ら刻み、車に乗せて市中を曳いて回ったという観音像を模して作られたそうですが、見るからに慈悲深い姿をしておられます。

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三が日の間に参拝すると、まず弁財天にお参りする事になります。その後頂くのが福徳自在初稲穂ですね。えべっさんの福笹の様な物で、これに縁起物を付けて貰う事になります。我が家は毎年決まっていて、金の俵ですね。なぜって、一つでも豪華に見えるではないですか。

もう一つ頂くのが、皇福茶です。これも空也上人に縁のある病魔退散の縁起物ですね。中に入っているのは昆布と梅干しです。

ちなみに皇福茶は300円、福徳自在初稲穂は無料ですが、縁起物は有料です。(金の俵は500円で、他はものによって値段が異なります。)

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ここまでは例年と同じなのですが、少し変化が見られたのが平清盛公乃塚で、なぜか新しい屋根が付けられていました。もしかしたら、来年の大河ドラマ「清盛」に向けての整備なのかも知れませんね。1年後にはきっと大勢の人が押しかけている事でしょう。でも、そうなると皇福茶どころではないかな。何にしても、楽しみなところではあります。

2011年1月 6日 (木)

京都・洛東 初詣2011~平安神宮~

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岡崎神社の前に参拝して来た平安神宮です。何度となく参拝している神社ですが、3が日の間に来るのは初めてだったかも知れません。

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雪で始まった今年の正月でしたが、3日は綺麗な青空が出迎えてくれました。筋状に浮かんだ雲が良いアクセントになってますね。

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青空をもう一つお届けします。こちらは白虎楼ですね。丹塗りの楼閣には青空がよく似合います。

ちなみに、この風変わりな楼閣は伊東忠太の創作だと思っていたのですが、どうやら平安京に実在した建物を復元したものだった様です。この小さな4つの望楼には何か意味があるのかしらん?機会があれば調べてみたいと思っています。

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大極殿には、霊獣・神獣を描いた幔幕が取り付けられていました。龍や鳳凰、麒麟は判るのですが、正直言って大半は正体が判らないですね。これもまた、いずれ調べてみたいと思います。

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この日は大晦日に降った雪が残っていました。地面も日影の部分は凍っていて滑りやすく、反対に日なたの部分は溶けてぐじゅぐじゅになっており、あまり快適とは言えなかったですね。

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非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)と言われ、永遠の命をもたらす霊薬とされた橘の実は、今年もたわわに実ってています。縁起物ですからね、今年も春から良い物を見せて頂きました。

2011年1月 5日 (水)

京都・洛東 初詣2011~岡崎神社~

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狛うさぎの居る神社として紹介した岡崎神社ですが、この正月にどんな状況になっているかと見てきました。

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訪れたのは1月3日の午前11時前だったのですが、結果は想像どおりの混雑ぶりでしたね。3年前の大豊神社と同じく、拝殿前から長蛇の列が続いていました。訪れた時は鳥居の下あたりだったのですが、参拝を終えて出て来た時にはさらに伸びて、隣の東本願寺岡崎別院の前まで続いていました。思うに、市バスが到着するごとに列が伸びていた様ですね。

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うさぎグッズもまた人気で、特にこのうさぎみくじはひっきりなしに売れていましたね。見た目可愛いものなあ。ただ、おみくじを枝垂れ桜の枝に結んでいたのには驚きました。そんな事をしたら繊細な枝が傷んでしまうと思わず止めようとしたのですが、近くに居た神社の人が何も言わないので黙って見ているだけにしました。でも、これってろくな結果を招きませんよ、きっと。

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今回は、前回訪れた時には気付かなかったうさぎをいくつか見つける事が出来ました。まずはこの狛犬の台座に刻まれているうさぎです。前脚の下にあるまるっこい浮き彫りがそれで、月を見ながら餅をつくうさぎが描かれています。

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反対側の狛犬の台座にもやはりうさぎが刻まれています。こちらは因幡の白うさぎなのでしょう、波の上を渡る姿が描かれています。以前は境内のうさぎと言えばこの2体を指していた様です。

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そして、境内の東の奥にもありました。これは狛うさぎと同じく新しい物の様ですね。大小2体揃っているところを見ると親子のうさぎなのでしょうか。

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本殿の前の舞台では、うさぎみくじを買った人が置いて行くのでしょう、ずらりとうさぎの人形が並んでいます。とっても可愛い光景ですよ。

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拝殿のうさぎには、説明書きが加えられました。向かって左側のうさぎは金運の招き兔だそうです。

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そして右側のうさぎは縁結びの招き兔なのだとか。どちらも干支にちなんで新しく作られたものでしょうけど、願いどおりに幸運をもたらしてくれると良いですね。

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こちらは、前回雨乞いの神様として紹介した雨社です。あめのやしろと読むのかな。元は大文字山の中腹にあったとの事で、進学の神様としても信仰されている様ですね。

これほど混んでいる岡崎神社ですが、この社の付近にはほとんど誰も居ませんでした。せっかくなんですから、行かれる事があったら境内を探訪してみるのも良いと思いますよ。


2011年1月 4日 (火)

京都・洛東 かるた始め式2011~八坂神社~

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平成23年1月3日、八坂神社においてかるた始め式が行われました。今年で41回を数え、私的には4年連続、5回目の観覧となります。

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このかるた始め式は日本かるた院の主催で、八坂神社の御祭神である素戔嗚尊が櫛稲田姫命とのご結婚の際に、「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごめに 八重垣つくる その八重垣を」という日本最初の短歌を詠んた事にちなんで行われる様になりました。

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今年は8~24歳の26人が参加しています。内訳は12人のかるた姫、3人のかるた童子、11人のかるた童女で、最初に二人のかるた姫による奉納手合わせが行われ、その後に参加者全員による初手合わせが行われました。

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ところで見ていてあれっと思ったのは、奉納手合わせの時に禁じられているはずの払い手をしていた事ですね。日本かるた院の場合は優美さを重視して押し手でかるたを取るはずなのですが、なぜか日本かるた協会の競技かるたであるかの様な仕草が見られました。これって、少し衣替えをし始めたという事なのでしょうか。

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それはともかくとして、毎回の事ではありますが、かるたを取る素早さには驚かされるばかりです。最初のひと文字を読み上げた瞬間に手が出ているのですからね。これは子供同士の対戦でもほとんど変わらず、きっとここに来るまでに相当な練習を積み上げているのでしょう。

そして、最後は恒例の衣装のお披露目で終わります。今年も変わらずに優美な姿を見せて頂きました。これを見ないと正月を迎えた様な気がしないと言ったら大袈裟かな。でも、それくらい新年にふさわしい光景である事は確かです。

2011年1月 3日 (月)

京都・洛東 冬景色2011 ~東山界隈~

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清水寺から高台寺に来ました。台所坂を降りていると、左手に黄色く染まった草紅葉を見つけました。上手い具合にその草越しに八坂の塔が見えたので撮ってみたのですが、良い感じで金色に染まってくれましたね。まるで夕日を浴びて輝いている様に見えません事?

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塔頭の春光院では、山茶花が咲いていました。花期はもう少しあるのかな。今暫くは冬の散歩道を彩ってくれそうです。

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高台寺道を通って円山公園に出ました。枝垂れ桜は枯れ枝を整理された様ですね。そして、よく見ると新兵器がありました。雪吊りの要領で枝を支える仕掛けの様ですね(写真をクリックして拡大すると見えます)。これで枝に対する負担が減るのでしょうか。

効果の程は知る由もありませんが、今年の春にはまた美しい花を咲かせて欲しいものだと思います。

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さらに知恩院まで来ると、参道がすっかり様変わりしていました。これは法然上人の800年大遠忌記念事業の一つで、駐車場と化していた参道を本来の姿に復元したという事の様です。確かにこれだけの大寺院にしては参道がお粗末でしたからね。でもその分駐車場が減った訳で、その受け入れはどこでするのかなと余計な事を考えてしまいます。

私的には環境が良くなったので歓迎ですね。写真が撮りやすくなったのもマルかな。やっと大寺院に相応しい玄関口が出来上がったという気がします。

2011年1月 2日 (日)

京都・洛東 冬景色2011 ~清水寺~

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2011年の最初にお届けするのは東山の冬景色です。(リアルには雪景色なのでしょうけど、さすがに大晦日と元旦に取材は無理でしたので、年末に撮った写真で構成しています。)

冬の青空というのは、他の季節と違って透明感がありますね。秋空も綺麗ですけど、今はそれ以上に澄み切っている様に見えます。

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青空をもう一つ続けます。やはり順光で見た方がきれいかな。この空を見たいと思えば、午前中に訪れる事です。その方が人も少ないし、気持ち良く散策出来ますよ。

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境内の木々はすっかり葉を落とし、枯れ木へと姿を替えました。あまり絵にはなりませんが、空気が澄んでいるぶん遠くまで見通せるという意味では舞台からの眺めも悪くはないですね。

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そんな中でも、まだ黄色い葉を残している木もありました。モノトーンの世界の中にこんな色を見つけると、なんとも美しく感じるものですね。でも、この葉に雪が積もっているところを見たかったなあ。

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冬ならではの景色としては、この枯れ木越しに見た三重塔が結構気に入っています。このもみじの複雑な枝の線は、書こうと思っても書けないですよ。他の季節では見る事が出来ない景色です。

2011年1月 1日 (土)

あけましておめでとうございます

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あけましておめでとうございます。今年も当ねこづらどきに訪れて頂き、ありがとうございます。

さて、新年の冒頭に登場願ったのは下鴨神社の舞殿に掲げられた卯の絵馬です。銀色の波に向かって跳ぶうさぎという絵柄は、日本海を渡った因幡の白うさぎをモチーフにているのでしょうか。そのたくましい姿と金色の月は、相変わらず暗い世相を飛び越して明るい世にして欲しいという寓意が込められているかの様です。

一方、右端に一華開五葉とある(写真をクリックして拡大すると読めます)のは、一輪の花が五枚の花弁を開き、やがて実を結ぶという意味だそうですね。これもやはり世の繁栄を願っての言葉なのでしょう。本来は禅語であり、神社の絵馬に書いて良いのかなという気もしますが、これ以上突っ込むのは止めておきます。

この絵馬にあやかって、2011年が良い年であります様に。
今年も当ねこづらどきを、よろしくお願いいたします。

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