« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月

2010年4月30日 (金)

京都・洛北 声明の里 ~大原・勝林院~

Syourinin1004301

京都の北、大原にある勝林院です。1013年(長和2年)に比叡山の寂源が、大原魚山流声明の根本道場として建てました。

Syourinin1004302

声明とは中国仏教の古典儀式音楽で、魚山とはその聖地の名です。本堂の中には説明用の音声が仕掛けられており、スイッチを入れると声明が流れ出し、堂内が荘厳な空気に包まれます。

Syourinin1004303

本堂は、何度か火災に遭っている様ですね。現在の建物は1778年(安永7年)に再建されたもので、総欅造なのだそうです。屋根は柿葺きで、古色蒼然たる雰囲気が良いですね。京都市指定文化財になっているそうです。

Syourinin1004305

御本尊は阿弥陀如来で、平安時代中期の仏師・康尚の作とされ、1737年に補修を受けました。ちょっと大陸的な雰囲気を感じさせるお顔立ちですね。脇侍は不動明王(向かって右)と毘沙門天です。

Syourinin1004306

境内にも見所があって、これは石造法篋印塔です。正和5年(1316年)の銘が残る鎌倉時代の名品とされ、重要文化財に指定されています。

大原の中にあって、比較的地味な印象を受けるせいか参拝者も少ないのですが、その分静かに拝観する事が出来ます。特に声明が流れている時の雰囲気は最高ですよ。拝観料も300円と安いですし、大原に行かれたら是非参拝される事をお勧めします。

2010年4月29日 (木)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~千本釈迦堂 4.24~

Senbonsyakadou1004291

平成22年4月24日の千本釈迦堂です。この日は、本堂の南西にある八重桜が満開を迎えていました。

Senbonsyakadou1004292

千本釈迦堂の桜と言えば阿亀桜が有名ですが、この八重桜も素晴らしく美しい花を見せてくれます。

Senbonsyakadou1004293

この日は少し盛りすぎだった様ですが、咲いて間もない頃の花は透明感に溢れた桜色をしており、気品に満ちた姿をしています。

Senbonsyakadou1004295

この花が普賢象なのか松月なのか、未だに迷っています。比較的あっさりとした花色からすると松月かなという気がしているのですが、決定的な違いがわからないのですよ。どなたか、普賢象と松月の見分け方をご存知の方は居られません事?

2010年4月28日 (水)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~平野神社 4.24~

Hiranojinjya1004281

平成22年4月24日の平野神社です。さしもの桜の名所もすっかり葉桜が目立つ様になり、桜祭の頃の様な華やかさはありません。それでも一歩境内に入れば、最も遅咲きに属する八重桜達が見頃を迎えていました。

Hiranojinjya1004282

この日満開を迎えていたのが平野妹背。冒頭の写真の様に二段咲きをする面白い桜ですね。そして、5月になれば、その名の由来となった面白い形のサクランボを見る事が出来ます。とは言っても、まだ現物は見た事は無いのですが。

Hiranojinjya1004283

二段咲きではないけれど、時間と共に大輪になっていくのが突羽根桜です。これでまだ半分くらいでしょうか。この花もまた、最後まで見た事が無いないですね。(お詫びと訂正:H23年に最終形を確認した結果、この花は最後に二段咲きをする事が判りました。ここにお詫びのうえ、訂正をさせて頂きます。)

Hiranojinjya1004285

こちらは、緑の花を咲かせる鬱金です。まだ満開を保っていましたが、花の中心部から赤くなっており、既に終盤を迎えている事を窺わせます。

Hiranojinjya1004286

もう一つの緑の花である御衣黄もまた、花の中程が赤くなっていました。この花も盛りを過ぎたという事ですね。

Hiranojinjya1004287

楼門を潜ってすぐのところでは、おけさが満開・見頃になっていました。色の濃い、いかにも八重桜という風情の桜です。

Hiranojinjya1004288

一週間前に見頃となりつつあった松月は、既に盛りを過ぎていました。ただ、枝によっては、まだ咲いたばかりの花もありました。

この花を良く見ると、普賢象と同じく牙が出ているのですね。名札が無ければ間違えてしまいそうです。桜の見分け方はなかなか難しいですね。

Hiranojinjya10042810

参道沿いでは、山吹が鮮やかな花を咲かせていました。稲荷社の鳥居の朱色との対比が何とも美しかったです。

Hiranojinjya10042811

そして桜池では、一初が咲き揃っていました。不順な天候が続いても、植物の世界では確実に季節が動いているのですね。

春の桜から初夏の花へと主役交代です。

2010年4月27日 (火)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~北野天満宮 4.24~

Kitanotenmanguu1004271

平成22年4月24日の北野天満宮です。この日は、社務所前の桜が満開を保ち、ぎりぎり見頃と言える状態でした。

Kitanotenmanguu1004272

この桜、これまで種類が判っていなかったのですが、どうやら霞桜(カスミザクラ)の様ですね。別名をオクヤマザクラとも言い、北海道から九州まで日本中の山に自生する桜なのだそうです。そんなの知らないぞと思っていたら、今の時期に京都周辺の山の中で咲いている桜は、たいていが霞桜の様ですね。それなら沢山見た事がありますが、私、咲き遅れのヤマザクラかと思ってましたよ。

Kitanotenmanguu1004273

遠くから見ると霞の様に見えるところから付いた名前だそうですが、確かにそう見えますね。咲き始めは白く、時間と共に赤みが増していって美しくなって行きます。ただ、普通の霞桜に比べると花が小さいので、もしかしたら雑種か園芸品種なのかも知れません。

などと判った様な事を書いてますが、確証は無いので、あくまで私の推測だよとお断りしておきます。もしかして、まるで違う種類だったらごめんなさい。

Kitanotenmanguu1004275

かなりの古木で、空洞を埋めた跡があり、大切にされて来た事を窺わせます。たとえ名前は判らなくとも、とても美しい事には変わりなく、これからもずっと咲き続けて欲しい桜ですね。

2010年4月26日 (月)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~千本ゑんま堂 4.24~

Senbonenmadou1004261

平成22年4月24日の千本ゑんま堂です。この日は普賢象桜を中心に満開になっており、京都の桜の掉尾を飾るのに相応しい景観になっていました。

Senbonenmadou1004262

桜の中でも最も遅咲きに属する花の一つで、この花が散る共に京都の桜の季節は終焉を迎えます。正確には平野の神社の妹背と突羽根はまだ残るのですけどね、この花ほどは有名ではないでしょう。

Senbonenmadou1004263

既に室町時代には銘花として知られ、後小松天皇と足利義満に縁を持っています。以来600年余りに渡って植え継がれ、今日に至っています。

Senbonenmadou1004265

花後は房ごと落ちるため、実も種も出来ません。ですから、たぶん挿し木で増やしていくのでしょうね。あまり数多くは広まってはいないのですが、この寺以外でも京都御苑、平野神社、延暦寺、真如堂などで見る事が出来ます。

Senbonenmadou1004266

その落花の様は無常を表すとされ、この花ならではの風情とされます。昨年は大雨の中見に行ったのですが、沢山の落花を見る事が出来ました。ただ、濡れて潰れていたので、本来の風情では無かった様ですね。

この24日にはわずかに一本だけが花を散らしており、雰囲気だけは味わう事が出来ましたよ。

Senbonenmadou1004267

この日は晴れの予報だったのが、朝方は雨が降り、そのせいで花が散ったのかも知れません。でも、花の形は綺麗に残っていて、これが地面一杯に落ちていたら、さぞかし美しいのでしょうね。29日にもう一度見に行こうかなんて思っていますが、上手くタイミングが合うかどうか。まだ少し早いかなという気もしますが、さてどうなるでしょうね。

2010年4月25日 (日)

龍馬伝17 ~怪物、容堂~

「咸臨丸に乗って、はしゃぎまくる龍馬。そこにはジョン万次郎が待っていました。」

「万次郎から、アメリカでは大統領は民が決める、これからきっと世界一になると聞かされ、なぜ戻ってきたのかと問いかける龍馬。万次郎は、自分は日本人である、日本人でもこれくらいの事は出来ると思って帰って来たと答えます。だから、海軍を作るんだと言う麟太郎に大いに共感する龍馬。」

龍馬と万次郎は、同郷の人ながら二人が会ったという記録はありません。万次郎の知識を河田小龍を通じて得ていたのは、以前にこのドラマでも描かれていた事で、アメリカの知識もその小龍から聞いたというのが通説ですね。龍馬の海援隊の構想も小龍から聞いた事がヒントとなっていると言われますが、このドラマではスルーされていました。小龍の扱いが小さい分、万次郎に出番を与えたというところなのでしょうか。

「各藩邸に、海軍の訓練生を出す様に説いて回る麟太郎。その供として一緒に歩く龍馬。」

龍馬が麟太郎と共に大名屋敷をたずねて歩いたかどうか。記録には一切記されていないですね。龍馬が麟太郎の下に訪れたのが文久2年12月9日、麟太郎が江戸を発つのが12月17日ですから、微妙な日数ではありますね。

「千葉道場。麟太郎こそ、自分の探していた人物だと興奮して話す龍馬。そして、3日後に神戸海軍繰練所に向かって旅立つと打ち明けます。いつ帰ってくるとの問いかけに、もう戻らないと言ってしまう龍馬。寂しさを押し隠し、龍馬の為に食事の支度をするという佐那。」

「京都、三条邸。一橋慶喜が将軍の名代で上洛して来ると聞き、自分を慶喜に会える身分に上げる様、藩に働きかけて欲しいと実美に頼み込む半平太。」

「先斗町、土佐藩の宴の席。半平太の活躍で盛り上がる席上、一人不満をぶち上げる望月亀弥太。彼は宴席半ばで立ち去ろうとする以蔵を見とがめ、今夜は誰を斬りに行く、御前は何と呼ばれているか知っているか、人斬り以蔵だと罵ります。その亀弥太を殴り飛ばす収二郎。黙って出ていく以蔵。」

「今夜もまた、天誅に手を染める以蔵。」

「土佐藩邸。黙って半平太の部屋の障子を開ける以蔵。そこには半紙に乗せた金が置いてありました。褒美だという半平太の声に、金を受け取る以蔵。彼は、自分はいつまで人斬りを、と言いかけて止めてしまいます。」

天誅の黒幕であった半平太ですが、実は目明かし文吉殺しと石部宿での同心暗殺の後、時の関白からの要請を受けて天誅の中止を同志に言い渡しています。ですので、彼が直接下知を下したとされる事件はそれ以後はありません。ところが一度始まった天誅は止まるところを知らず、半平太の手を離れて行われる様なっていました。以蔵もまた半平太の下を離れて人斬りを続けていた様です。人斬り以蔵は迷走を始めてしまったのですね。

「江戸、勝邸。明日は大阪に発つという日、麟太郎は土佐藩邸を訪れます。麟太郎の供として、容堂候に初めて会う龍馬。容堂候は繰練所の訓練生を出すと快諾してくれましたが、自分の弟子である土佐藩浪人の脱藩の罪を許して欲しいという麟太郎の頼みはすげなく断ります。」

史実において麟太郎が容堂に会ったのはもう一ヶ月先の文久3年1月15日の事で、場所は江戸ではなく下田でした。容堂は海路上洛する途中、麟太郎は船で大阪から江戸に戻る途中に、それぞれ下田に寄港したのでした。

会談の席上、麟太郎は龍馬以下9名の土佐脱藩の門下生が居る、彼等には元より悪意はなく、その罪を許してやって欲しいと頼み込みました。容堂はこれを許し、その証拠として扇子に瓢箪の絵を描き、その中に「歳酔年360日 鯨海酔候」と書いて渡したと言われます。この時、麟太郎に同行したのは龍馬ではなく、望月亀弥太と高松太郎の二人でした。

この「鯨海酔候」とは容堂が自分で付けた号で、いかにも土佐の豪傑らしさが出ていますね。実際、土佐の怪物と呼ばれるにふさわしい人物で、教養才知さらには胆力に溢れており、幕末の四賢候の一人に数えられるだけの事はあった様です。しかし、半平太とは相容れることなく、彼を重用しなかった事が土佐が薩長の後塵を拝した原因とも言われています。そのあたりに容堂候の限界があったと評される所ですね。

「飲み屋で酔いつぶれる以蔵。彼は藩邸には帰らずに女の部屋に泊まります。その夜、悪夢にうなされる以蔵。度重なる人斬りが、彼の神経を病ませてきた様です。」

「京都、土佐藩邸。茶を飲んで疲れを癒す半平太と酒を飲む収二郎。」

「土佐、武市家。半平太の手紙を読む富子。間もなく将軍が上洛し、攘夷決行を約束させる、そうなれば容堂候もまた将軍と共に攘夷の魁となる、その時には自分も土佐に帰るとありました。その手紙を乙女に見せる富子。」

「土佐、坂本家。乙女から聞いたのでしょう、半平太の活躍が一家の話題になっています。それに引き替え龍馬からは、何の知らせも入りません。不満に思う坂本家の人々の前に弥太郎が現れました。彼は大阪で龍馬会ったと言って座敷に上がり込みますが、龍馬の話はそっちのけで、借金の催促を始めます。せっかく買い込んだ材木が少しも売れなかったのです。あまりのしつこさに、材木を買い取ると言い出す権平。」

弥太郎が材木で商売をしようとしたという逸話は伝わっていない様です。たぶん、このドラマにおける創作でしょうね。ましてや坂本家に借金の申し込みに来たという史実はありません。たぶん、弥太郎の出番を作る為の寸劇なのでしょうね。でも、彼が出てこないと寂しいですから、こういう創作劇は歓迎です。

「江戸、千葉道場。暇乞いをする龍馬に必ず戻ってこいと声を掛ける重太郎。龍馬は餞にと、佐那との立ち会いを求めます。」

「激しい撃ち合いの後、勝ちを収めた龍馬。彼は佐那に礼を言い、道場を後にします。」

「龍馬の去った道場。龍馬への想いを胸に、誰とも結婚しないと決意を語る佐那。そんな彼女を痛ましげに見つめる父と兄。」

千葉佐那が、龍馬の事を想いつつ独身を通したのは史実にあるとおりです。龍馬とは婚約を交わしていたとする懐古談もありますが、どうやら佐那の一方的な思いこみだったというのが事実の様です。ただ、龍馬が佐那の剣の腕、そして人となりを高く評価していた事も事実で、姉の乙女に宛てた手紙からその事が窺えます。しかし、そのことが恋愛感情に変わる事は無かった様ですね。

「大阪に向かう船上。容堂候との対面の場を思い浮かべる龍馬。容堂候は土佐藩の下士が力を付けてはしゃいでいるが、それを何時までも許しはしないと不気味に言い放ちます。」

麟太郎がこの時大阪に向かったのは順動丸という船で、咸臨丸ではありません。また、この船に龍馬も同乗していたとも言われますが、最近の研究では龍馬は陸路京都に向かったのではないかとされています。そして、その旅には千葉重太郎も同行していました。ドラマでは縁が切れた千葉道場でしたが、史実ではもう少し繋がっていたのですね。

「京都、土佐藩邸。半平太を上士に登用し、京都留守居加役とするという沙汰が下ります。」

「江戸、土佐藩邸。上り坂もここまでだと独りごちる容堂。」

「容堂候からの有り難い沙汰に、感激のあまり打ち震える半平太。」

半平太は確かに京都留守居組加役に取り立てられていますが、それは文久3年3月15日の事で有り、ドラマの進行とは合いません。彼が上士となったのは文久2年12月25日の事で、御留守居組に入れられたのでした。留守居加役とは京都における責任者の事であり、一足飛びにそこまで上り詰めた訳ではありません。

何にせよ、この頃が半平太の絶頂期であり、彼は容堂候の覚えが目出度いと信じ切って居た事は確かです。そして、そのことが後の判断ミスを招く元となって行きます。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉

2010年4月24日 (土)

京都・洛中 水辺の景色~出町デルタ~

Demati1004241

加茂川と高野川が合流する場所にある三角形、その名も出町デルタ。誰が名付けたのかは知りませんが、京都の、中でも学生の間では最も有名なスポットの一つです。特に何があるという訳でもないのですけどね、水辺の開放的な空間が受けているのでしょう。

Demati1004242

もう一つ、飛び石の橋も人気がありますね。真冬でも通っている人はありますし、ましてや春ともなると沢山の人が寄ってきます。この日は、外人の団体さんが居て大騒ぎしていましたよ。

ちょっと気になるのは、手前にならんだ2個の石ですね。なんでこんなところにあるのだろう?余った石を置いただけなのかしらん?それとも、川にはまった時の避難場所?何だかは判らないけれど、遊び心満点の場所である事は確かです。

京都桜事情2010 ~洛中 4.24~

平成22年4月24日現在の桜開花状況です。

京都の桜も最終盤、数種類の遅咲きの八重桜を残すのみとなっています。

1.北野天満宮

社務所前の桜が、散り初めになっています。ただ、見た目は満開に近く、また花色も咲き始めより濃くなっているので、結構綺麗ですよ。

2.平野神社

平野妹背が満開を保っています。二段目がほぼ咲き揃い、今がピークなのかな。

突羽根は花が少し大きくなってきましたが、まだ5分程度なのかな。最終段階までは、まだもう少し掛かりそうです。

御衣黄と鬱金は花の中心が紅くなっており見頃終盤、普賢象はぎりぎり見頃、松月は見頃が過ぎては居ますが、枝によっては綺麗な花も残っています。あと、おけさが満開・見頃ですね。

今は山吹の黄色い花が鮮やかですね。また、桜池では一初が咲き揃っていました。ジャーマンアイリスも一輪だけですが咲いており、季節は初夏を迎えつつある事を感じさせてくれます。

3.千本釈迦堂

昨日の記事で普賢象と紹介した花ですが、どうやら松月だった様です。今日、平野神社の花を見ていて気付いたのですが、松月もまた雌しべが2本の牙状になっているのですね。花の雰囲気や葉の色からすると、松月といった方が正解の様に思われます。ただし、確信は持てないのですけどね。

この花は見頃を過ぎつつありますが、まだ満開を保っていました。ここも、枝によっては見頃と言える花もありましたよ。

4.千本ゑんま堂

普賢象、佐渡、関山がそれぞれ満開を保っています。ピークはそろそろ過ぎつつあるところで、普賢象は一部で落花が始まっていました。とはいっても落花が本格化するには早く、来週半ばくらいがピークになりそうかな。

さて、3月20日から始めた桜の開花速報ですが、今回で終了とさせて頂きます。今年は、夏日のせいで咲き始めてからいきなり満開になる桜が出たと思ったら、真冬並の寒さに逆戻りして開花が遅れたりと、ジェットコースターの様な気候のせいで、予測はほとんど無理でした。なので、出た所勝負で各地を回ったのですが、比較的見頃の場所に行けた様に思います。寒い日が多かったせいで、桜も長持ちしていましたしね。

まだまだ行けていない場所も多いのですが、それは来年の楽しみとして取っておく事にします。残った普賢象と突羽根のフォローは出来ればしてみるつもりですが、次週からは初夏の風物詩を追って行く予定です。特に、葵祭関連の行事が目白押しですからね。

桜の季節を惜しみつつ、速報のページはこれにてお終い。今年も沢山の訪問をありがとうございました。


2010年4月23日 (金)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~北野界隈 4.18~

Kitano1004231

平成22年4月18日、早朝に訪れた北野界隈の桜です。最初に訪れたのは北野天満宮。朝の神社は清浄な空気で満ちていて、とても気持ちが良いですね。

Kitano1004232

この日、北野天満宮で咲いていたのは、社務所前の名前の判らない桜と、この衣笠でした。衣笠は、下半分が散り初めで上半分が丁度見頃という良く判らない咲き方をしていたのですが、それよりも背後の新緑の方が見事だったので、そちらを主役に撮って来ました。こういうのを見ると、季節の移ろいを感じずには居られませんね。

Hirano1004231

北野天満宮から平野神社へと移動します。ここでは、遅咲きの桜が見頃を迎えつつあるところでした。魁桜の近くで咲いていたのが松月。ほんのりと紅い花と、鮮やかな新緑の対比が美しい桜ですね。

Hirano1004232

これから盛りを迎えようとしていたのが、平野妹背です。一段目がほぼ咲き揃ったところで、二段目が花の中央から顔を覗かせていました。明日辺りは二段目が咲き揃っている頃でしょうか。

Hirano1004233

この日満開だったのが御衣黄桜です。まだ花の中央が紅くなっておらず、咲いたばかりである事が判りますね。

Hirano1004235

白雲は、残念ながら盛りを過ぎていました。白雲が涌く様な所を見たかったのですけどね、ちょっと残念です。

Hirano1004236

意外だったのが大内山で、既に散り初めだろうと思っていたのですが、上半分が見頃になっていました。北野天満宮の衣笠と同じで、今年の異常な気候に翻弄された結果なのでしょうね。

Senbon1004231

最後に回ったのが千本釈迦堂です。ここの本堂西南にある桜が以前から気に入っていたのですが、この日は3分咲きといったところでした。ずっと何という花だろうと思っていたのですが、どうやら普賢象だった様です。(ちょっと訂正です。どうやら松月の可能性が出てきました。でも、確信は無いので結論は保留します。)そのままでブーケになりそうな程、上品で美しい花ですね。

今週もまた雨勝ちだったので、明日どうなっているのか気掛かりなところなのです。上手くすれば満開を保っていそうなのだけど、果たしてどうかな。

2010年4月22日 (木)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~京都御苑 4.17~

Kyotogyoen1004221

平成22年4月17日の京都御苑、出水の小川の里桜です。この日は満開から蕾が綻んだ木までが混在している状態で、全体としては見頃と言っても良い感じでした。

Kyotogyoen1004222

ここには数種類の里桜があるのですが、この花は2段咲きをする妹背の様ですね。この花って、平野神社でしか見られないと思ってました。

Kyotogyoen1004223

これは松月ぽいのですが、どんなものでしょう?名札が付いていないものですから、確かな事は判らないのです。

Kyotogyoen1004225

小川から外れて、下立売御門の通路沿いにある普賢象桜です。この花もここにあるとは思ってませんでした。でも、二本の牙が出ていたので、たぶん間違いないとかと。

Kyotogyoen1004226

それにしても、こんなに銘花ばかりがあるとは知りませんでした。ここには何度となく来ているのですけどね、品種にまでは思いが至らなかったなあ...。

Kyotogyoen1004227

京都御苑もまた、新緑が鮮やかになりつつありました。ここは近衛邸跡で、これは遅咲きの糸桜とのコラボです。

京都御苑の里桜も、このところの雨で、遅咲きのものを残して散ってしまったでしょうか。最終盤の見頃は普賢象の落花なのですが、どんな具合なのでしょうね。この週末には、千本ゑんま堂と共に、この出水にも行ってみるつもりです。綺麗な落花があると良いのですけどね。

2010年4月21日 (水)

京都・洛北 菜の花のある景色 ~大原の里~

Nanohana1004211

桜を求めて訪れた大原の里でしたが、もう一つの春の色、菜の花もまた咲き誇っていました。

Nanohana1004212

大原の菜の花は、漬物用に栽培されているそうですね。以前は菜種油用にそこかしこに植えられていたそうですが、今は以前程の規模ではありません。

Nanohana1004213

この日見かけたのは3箇所で、ここはそのうちの一箇所、三千院へ向かう道の掛かりにありました。

Nanohana1004215

2箇所目は棚田にありました。ただ、ここは収穫が盛んなのか、盛りが過ぎてしまっていたのか、他に比べると少し寂しい状況でしたね。

Nanohana1004217

そして、やはり桜とのコラボを忘れてはいけませんね。ソメイヨシノよりはやや淡い色合いのヤマザクラですが、菜の花との相性は悪くなかったですよ。

Nanohana1004218

3箇所目は、寂光院へ通じる道のとっかかりにありました。このあたりは、秋に彼岸花が咲き乱れるところですね。

遠くに淡々としたヤマザクラをあしらってみましたが、山里の春らしい風情は味わって頂だけたかな。

2010年4月20日 (火)

京都・洛北 京都桜事情2010 ~寂光院 4.17~

Jyakouin1004201

三千院から寂光院へとやって来ました。ここでは満開のヤマザクラが出迎えてくれましたが、同じ大原でも、こちらの方が少しだけ桜が見頃に近かった様に思います。

Jyakouin1004202

寂光院には、それほど多くの桜が有る訳ではないのですが、そのぶん一本ずつが存在感を放っています。この日見頃だったのは山の中に咲くこの桜、常緑樹の緑に囲まれて、一際美しく見えました。

Jyakouin1004203

御堂の屋根越しに見えた別のヤマザクラです。この里には、ソメイヨシノよりもヤマザクラの方が多い気がしますね。そして、それが山里の風情に良く似合っていたりします。

Jyakouin1004205

寂光院の隣にある建礼門院の大原御陵もまた、桜が見頃になっていました。その代表格が入り口にある八重紅枝垂れ桜です。艶やかさでは、この日の大原で一番だったかな。

Jyakouin1004206

その石段の途中には、大きなヤマザクラが見頃になっていました。今気が付いたのですが、3枚目のヤマザクラはこの木だったのかも知れません。

Jyakouin1004207

石段を登り切ると、わずかですが見通しが利く様になります。山里を見下ろすヤマザクラが、青空に映えてとても美しかったですよ。

Jyakouin1004208

そして、ここでもまた美しい青葉が萌えていました。盛りの枝垂れ桜と共に、これぞ春の色ですね。

2010年4月19日 (月)

京都・洛北 京都桜事情2010 ~三千院 4.17~

Sanzenin1004191

平成22年4月17日の大原・三千院です。この日は、市内では散ってしまったヤマザクラやソメイヨシノがまだ咲いており、山里の春を彩っていました。また、石楠花が綺麗に咲き誇っており、桜とは違う、初夏の風情を見せてくれていました。

Sanzenin1004193

本堂から見ると満開近くに見えた石楠花ですが、近くに来るとまだ7分咲き程度である事が判ります。

Sanzenin1004195

この如何にも三千院らしい景色ですが、石楠花が咲いているのを見たのは初めての事です。

Sanzenin1004192

境内の中で桜が咲いているのは、主として金色不動堂から観音堂の前の広場までの間の一角です。枝垂れ桜が中心で、さすがに盛りは過ぎていましたね。

Sanzenin1004196

こちらは、玄関前のヤマザクラと石楠花のコラボです。このヤマザクラはまさに見頃となっていました。

Sanzenin1004197

わらべ地蔵のある一角です。春になって元気を取り戻したらしい苔の緑が鮮やかでした。

Sanzenin10041910

二体並んだわらべ地蔵です。何とも仲睦まじく見えますね。

Sanzenin10041911

こちらは、一体で立つわらべ地蔵。小首をかしげたポーズが何とも可愛らしい。

Sanzenin10041912

桜はまだ見頃でしたが、主役は新緑へと変わりつつありました。今週末は新緑巡りを始めようかと、そんな気にさせる鮮やかさでしたよ。

2010年4月18日 (日)

龍馬伝16 ~勝麟太郎~

「4年ぶりに千葉道場に帰ってきた龍馬。重太郎は佐那に会うために帰って来たと妹のためにはしゃぎますが、龍馬の願いは勝麟太郎に会いたいという事でした。それは難しいという大師匠の答えに沈む龍馬ですが、重太郎が越前藩の剣術指南役である事を思い出し、越前藩邸に連れて行って欲しいと言い出します。承諾したと言わない内に、龍馬に引きずられて行く重太郎。」

龍馬が江戸に戻ったのは、文久2年8月の事とされます。維新土佐勤皇史には千葉道場に草鞋を脱いだとありますが、それを事実と裏付ける資料は無い様です。一方、龍馬が春嶽公に面会したのは史実で、同年の12月5日の事でした。一介の浪人者が幕府の要人に面会出来た事は如何にも不可解であり、その理由として千葉重太郎の介添えがあったのではないかと言われていますが、これも確証はありません。

「越前藩邸。応対に出た藩の重役に対し、いきなり藩主である春嶽公に会いたいと申し出る龍馬。」

「千葉道場。真新しい羽織袴を身につけた龍馬。彼は佐那に向かって、坂本家の紋まで入れた羽織を作ってくれた礼を言います。その言葉を、面はゆそうに聞いている佐那。」

佐那が贈ったという羽織は、史実とは微妙に違っています。佐那、と言うより千葉家が作ったのは紋付きの着物で、父の定吉が龍馬に贈るべく染めさせたものでした。しかし、その着物を龍馬に渡す機会は永遠に訪れる事はなく、龍馬の形見として佐那が大切に保管していたと言われます。ドラマはこのエピソードを上手くアレンジしたのですね。

「越前藩邸。龍馬の願い通り、拝謁を許した春嶽公。彼は龍馬に御前は何者かと問いかけますが、龍馬は自分は坂本龍馬である、昨日は橋の下で寝ていた自分が、今日は羽織袴で春嶽公に拝謁している、これほど面白い人生を送っている者は居ないと煙に巻きます。そんな龍馬を気に入ったらしい春嶽公ですが、裏では定吉師匠が動いてくれていたのでした。大師匠に促され、勝麟太郎に紹介状を書いて欲しいと願い出る龍馬。」

越前藩の記録に拠れば、春嶽公に面会したのは龍馬と間崎哲馬、それに近藤長次郎の三人でした。この時の話題は大阪近海の海防策だったと記されています。一方、明治後に語った春嶽公の回顧録では、龍馬は突然訪れて勤王攘夷の志を篤く説いたとあります。そして、龍馬が江戸に下ったのは、勝海舟と横井小楠が暴論を吐いて政を妨害しているという噂を信じたからであり、この二人に紹介状を書いてくれと頼んできたのでした。春嶽公はその願いを聞き入れ、紹介状を認めたと言います。

いずれにしても、龍馬の訪問は突然の事であり、千葉道場の関与については触れられていません。このあたりは、謎としか言い様が無いですね。

「一週間前の江戸城。実美達勅使が将軍に勅書を授けに来ました。かしこまって勅書を受け取る家茂公。」

「対面を終え、廊下に控える半平太に、首尾は上々だった、土産として銀200枚も貰ったと上機嫌で伝える実美。」

ドラマでは廊下で控えていただけの半平太ですが、史実では実美の雑掌として将軍に拝謁しています。そして銀10枚を賜ったと言い、半平太の絶頂期であったと言えるのでしょうね。

「銀200枚はやり過ぎだと憤る幕閣達。上洛して攘夷の約束をしなければならないのかと困惑する家茂に、断ってしまえばよい、京には自分が行くと申し出る一橋慶喜。」

「勝の屋敷。海舟書屋という額が掛かった書斎に通された龍馬。所狭しと並べられた異国の文物を物珍しそうに眺め、毛皮の臭いまで確かめています。そこに麟太郎が現れました。彼はいきなり、春嶽公は面白い奴だと書いているが、面白いところを見せてみろと迫ります。とまどう龍馬に、何をしに来た、何を求めていると矢継ぎ早に問いを重ねる麟太郎。話がかみ合わず、答えに詰まる龍馬を尻目に、帳面に×印を書き込んでいく麟太郎。弟子入りを願う龍馬に、こんなに×を付けたのは初めてだとあきれます。」

龍馬がいつ麟太郎に面会したのかについては実は明確ではなく、麟太郎の12月9日の日記に「有志両3名来訪。形勢の議論あり。」と記されており、時期的に見ておそらく龍馬達の事だろうと推定されています。この両3名とは、龍馬と長次郞、それに門田為之助の3人だろうとこれも推測されています。ただし、長次郞については、ドラマにある様に既に麟太郎の門下生になっていたとする説もあり、このあたりもかなり曖昧なところがありますね。

「そこにお茶を運んできた書生が居ました。土佐弁を操るその男は、饅頭屋の長次郞にそっくりです。驚く龍馬を無視する様に別室に下がる書生。麟太郎は龍馬に失格を言い渡し、帰るように促します。」

「勝邸の玄関。見送りに来た書生は、自分は紛れもなく長次郞であると明かします。訳を聞く龍馬に、土佐で弥太郎から江戸での学問修行の価値を聞かされ、自分も一念発起して留学に来た、今は麟太郎の下で修行していると語ります。」

長次郞については、麟太郎の12月11日の日記に門生とあり、確かに麟太郎の門下に居た事が判ります。これについては諸説があり、12月9日に龍馬と一緒に訪れた時に門下生となったとする説、河田小龍の紹介で文久元年に麟太郎の弟子となったとする説があります。ドラマでは後者の説を採っている様ですね。ただし、彼が江戸に出たのはこの3年前の安政6年の事とされています。

「千葉道場。落ち込む龍馬に、期待しすぎたんだと慰める重太郎。彼は千葉道場の苦境を語り、佐那と一緒に助けて欲しい、佐那の気持ちは知っているだろうと龍馬に迫りますが、自分は国も家族を捨ててきたのに何事も成し遂げていない、今はその話は聞く事が出来ないと言って飛び出していく龍馬。」

「勝の屋敷。長次郞が麟太郎の肩を揉んでいます。御前が言う程面白い奴では無かったという麟太郎に、あの人は簡単には計りきれないと答える長次郞。そこに、半平太が面会を申し込んできたと知らせが入ります。」

「半平太の用件は、麟太郎に将軍自ら上洛する様に働きかけて欲しいというものでした。渋る麟太郎に、重ねて迫る半平太。断ったら斬るつもりかと、刀を引き付けた以蔵の前に行き、斬る前に俺の話を聞けと機先を制します。そして、地球儀を持ち出し、日本が如何に小さいかを説明しようとする麟太郎ですが、そんな事は知っていると遮る半平太。なんだ、御前達も龍馬と同じかと言う麟太郎に、龍馬がここに来たのかと驚く半平太。彼は、龍馬は幕府も藩も不要と言い放った男で、もはや自分たちとは何の関係もないと吐き捨てます。その言葉を聞き、長次郞の言う事が正しいのかとつぶやく麟太郎。彼は話を打ち切り、半平太達を追い返します。」

半平太が麟太郎に面会したという史実はなく、彼が実際に会いに行ったのは春嶽公でした。用件は将軍自ら上洛して誠意を見せる事が大切というもので、概ねドラマと重なりますね。ただし、春嶽公には直接会う事が出来ず、重役を通じての言上となりました。

麟太郎が断ったら斬るつもりかと言ったのは、麟太郎の回顧録に「面会に来た龍馬は自分を殺しに来たのだった」と記されている事をアレンジしたものでしょう。つまり、半平太は史実における龍馬の役回りを与えられたという事になりますね。ただし、龍馬が本当に麟太郎に対して害意を持っていたのかについては、定かではありません。

ドラマでは、もはや龍馬とは縁が切れたと言っていた半平太ですが、久坂玄瑞の11月12日の日記に、高杉晋作と共に半平太を訪れた際に万年楼で龍馬と酒を酌み交わしたとあり、おそらくはこの4人で酒席を共にしたと推測されています。土佐を脱藩する事で半平太と袖を別った龍馬でしたが、完全に縁が切れた訳ではなく、依然として交流はあったという事なのでしょう。そしてこの時期の龍馬は、半平太や久坂と歩調を合わせられる程の攘夷志士だったと推測されます。

「勝邸の玄関。見送りに出てきた長次郞に、饅頭屋風情の御前がこんなところで何をしていると詰る半平太。そんな事を言う様になってしまたのか、自分にも志というものがあると言い返す長次郞。」

「品川のイギリス領事館を焼き討ちした攘夷志士達。中心となったのは長州藩士で、そこには久坂玄瑞の姿もありました。」

「再び龍馬を呼び出した麟太郎。彼は龍馬に何でも良いから聞けと言い、日本はこれからどうすれば良いのかという問いかけに、御前の考えはと聞き返します。思いつくままに、これまで見聞きした事から、自分なりの意見を紡ぎ出していく龍馬。それは開国し、異国の進んだ文明を積極的に取り入りれる、そして自前で軍艦を建造して強大な海軍を持てば、異国も日本に戦を仕掛けなくなるというものでした。その答えを聞き、龍馬の弟子入りを認める麟太郎。」

このドラマで違和感を感じるのは、龍馬が全くの平和主義者として描かれている事です。彼は幕末最後の段階で大政奉還を成し遂げ、いわば無血革命をやってのけたとされますが、それは当時のスポンサーである土佐藩の意向に沿って動いた結果であり、もし慶喜が受け入れない場合は武力倒幕もやむなしと言っていました。

それ以前についても、日本人同志の無駄な争いについては否定的だったものの、後の第二次長州征伐の際には自ら軍艦に乗り込んで幕府海軍と戦っており、必要ならば戦争もやむなしという立場でした。まあ、無暗に人を斬らなかったという事は事実ですけどね。少なくとも、ドラマの様な単純な平和主義とはかなり様相が違っていたと思われます。

「彼は咸臨丸でアメリカに渡った経験を振り返り、船を懸命に操っている内に乗員は皆日本人になった、徳川も藩も無くなったのだと語ります。咸臨丸を見たいという龍馬の願いを聞き、さっそく海に出掛ける麟太郎。」

麟太郎が咸臨丸の艦長として太平洋を渡ったのは史実にあるとおりです。ただし、実際には体調を大きく崩しており、ほとんど何の働きも無かった様ですね。そして、乗員についても大半が船酔いで倒れてしまい、実際に船を動かしていたのは補助として乗り込んでいたアメリカ人だったと言われます。そうは言っても、日本の船が太平洋を渡ったのは事実であり、日本人の手によって成し遂げられた快挙とはしゃぐ気持ちも理解出来るというものです。

「咸臨丸に乗り込んて黒船だと驚き、訓練生を見ては日本人じゃとはしゃぎ回る龍馬。そんな彼を嬉しそうに見つめている麟太郎。彼はある人物を龍馬に紹介します。それは土佐で聞いたジョン万次郎その人でした。」

史実ではジョン・万次郎には会っていないとされる龍馬ですが、ドラマでは出会ってしまいましたね。この二人がどういう会話を交わすのか、次週の展開が楽しみです。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉

京都桜事情2010 ~北野界隈 4.18~

平成22年4月18日現在の京都の桜情報をお伝えします。今日は朝から、気になっていた北野天満宮の桜を中心に、北野界隈を見てきました。早朝の澄んだ空気の中、ゆっくりと遅咲きの桜を楽しませて頂きました。

1.北野天満宮

Kitano1004181

社務所前の桜が5分咲き程度になっています。ただ、今年は花付きがあまり良くない様ですね。一方、本殿北西にある衣笠桜は、下半分は散り初めなのですが、上半分は今が見頃ですね。どうやら、先週の冷え込みによって、開花のペースを乱された事が原因の様です。

北野天満宮では、新緑が素晴らしく綺麗でした。季節は確実に初夏に向かっていますね。

2.平野神社

Hirano1004181

今日現在の見頃は、御衣黄、一葉、虎の尾、楊貴妃(写真)、平野撫子といったあたりです。このうち、一葉と虎の尾はやや盛りすぎになっていました。また、大内山が下半分が散り初めになっているのに対して、上半分は今が見頃です。どうやら、北野天満宮の衣笠と同じ経過を辿った様ですね。なお、こちらの衣笠は終了です。白雲は満開を保っているものの、見頃は過ぎました。

これから見頃になるのが、おけさと平野妹背でしょう。おけさは3分咲き程度、平野妹背は一段目が5分咲き程度になっていました。あと、突羽根はつぼみが綻んで、最初の小さな花が咲いたところです。これは来週末にどこまで咲き進むか、ですね。

3.千本釈迦堂

Senbon1004181

阿亀桜はすっかり葉桜になっていますが、八重桜が見頃となりつつあります。この寺には、おかめ像の前と本堂南西の二箇所に八重桜があるのですが、それぞれ3分咲き程度になっていました。

ところで、本堂南西部の桜は、これまで種類が判らないと思っていたのですが、どうやら普賢象桜の様ですね。二本のめしべが飛び出ていたので、たぶんそうだと思われます。

2010年4月17日 (土)

京都桜事情2010 ~大原・京都御苑 4.17~

平成22年4月17日現在の京都桜情報をテキストベースでお伝えします。

今日はまだ盛りの桜を求めて、大原へ行って来ました。思っていたよりも桜の進行は早くてやや盛りすぎではありましたが、ヤマザクラや枝垂れ桜などまだ見頃の桜を楽しめましたよ。また、菜の花や石楠花といった花が見事で、春の山里の風情をたっぷりと味わって来ました。

Sanzenin1004171

1.三千院

ヤマザクラがやや盛りすぎ、観音堂前の枝垂れ桜が満開から盛りすぎまで混在しています。全体としては、まだ見頃と言える状況でした。ここでは、桜以上に石楠花が見事でしたよ。

Kenreimonin1004171

2.寂光院

本殿背後の山で咲くヤマザクラが見事でした。鐘楼前の八重桜は蕾が膨らんで来た程度。隣の建礼門院陵の入り口にある八重紅枝垂れ桜が満開・見頃でした。

Tanada1004171

3.棚田

菜の花畑が満開で、周辺の桜とのコラボレーションが見事でした。菜の花自体はやや盛りすぎ、桜はヤマザクラを中心に見頃から散り初めまで混在しています。

Yamazakura1004171

4.寂光院への道

ソメイヨシノは盛りすぎ、ヤマザクラが見頃から盛り過ぎまで混在しています。ただし、ヤマザクラはあちこちに散在しており、近くで見られるという木は少ないです。そのぶん、山の中腹にあったりして、文字通りのヤマザクラらしい風情は楽しめますよ。

Kyotogyoen1004171

5.京都御苑

帰りに京都御苑も見てきました。

まず近衛邸跡では、遅咲きの糸桜が満開から散り初めまで混在していますが、何本かの木はまだ盛りと言って良い状態です。ただし、ほとんど見に来る人はおらず、静かなものでした。

次いで、出水の八重桜が見頃から開花直前まで混在しています。全体としては見頃開始と言って良いのでしょう。小川の周辺では、山吹とのコラボが見事でしたよ。

2010年4月16日 (金)

京都・洛北 京都桜事情2010 ~上賀茂神社 4.10~

Kamigamojinjya1004161

平成22年4月10日の上賀茂神社です。この日は斎王桜に代表される八重紅枝垂れ桜が満開で、豪華な景観を楽しませてくれました。

Kamigamojinjya1004162

上賀茂神社には3本の紅枝垂れ桜があるのですが、二の鳥居の中にあるのがみあれ桜です。見えるのは南半分だけなのですが、流れるような枝が美しい桜ですね。

Kamigamojinjya1004163

この桜は「そうだ京都行こう」のポスターになっており、境内のあちこちにも掲示されています。そこで、誰もがこのポスターと同じ構図に挑戦してみたくなるのですが、普通に撮るとこれくらいが限界ですね。なぜなら、あのポスターは合成で、どうあがいても同じように撮るのは無理なのです。でも、試みとしては面白いですよね。

Kamigamojinjya1004165

上賀茂神社で一番の存在感を持つのが斎王桜です。まさに桜の女王といった風格で、その美しさと迫力は素晴らしいの一言ですね。

Kamigamojinjya1004166

ただ、その斎王桜でさえも、今年は花付きの悪い外れ年でした。それでもこれだけの景観を見せてくれるのですから、さすがの一言なのですが。

Kamigamojinjya1004167

もう一つの八重紅枝垂れ桜である風流桜は、ご覧の通り寂しい姿でした。普段の年なら、小振りながらも華やかかつ軽やかな姿で記念写真の列が出来る程なのですけどね、今年は素通りする人がほとんどでした。ちょっと残念ですね。

Kamigamojinjya1004168

本殿の楼門前にあるのが賀茂桜。八重咲きのヤマザクラで、今年も綺麗に花を付けていました。

Kamigamojinjya10041610

上賀茂神社の桜も、そろそろ終わりを告げる頃でしょうね。これからは新緑の季節、そして5月になると葵祭の季節となります。下鴨神社と共に様々な行事が展開され、クライマックスは5月15日の巡行ですね。今年は丁度週末にあたるため、今から見に行くのを楽しみにしているところです。

2010年4月15日 (木)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~平野神社 4.10~

Hiranojinjya1004151

平成22年4月10日の平野神社です。ここはさすがに桜の名所だけあって次々に見頃を迎える桜があり、この日も華やかな雰囲気に包まれていました。

Hiranojinjya1004152

桜苑の方はさすがに見頃を過ぎていましたが、境内はまさに真っ盛りでした。この大ぶりでやや色の濃い桜は衣笠桜。この花色が褐色の葉と良く調和して美しいですね。

Hiranojinjya1004153

その隣で咲いているのが大内山桜。ほんのりとした桜色の八重桜です。

Hiranojinjya1004155

本殿の南で咲いているのが白雲桜。この日はまだ5分咲き程度でしたが、満開になるとその名の通り白い雲を思わす美しい姿になる桜です。

Hiranojinjya1004156

そして、境内で最も華やかなのが八重紅枝垂れ桜です。この日は満開・見頃となっていました。ただし、ここも御多分に漏れず、最高潮には遠い状態でしたね。

Hiranojinjya1004157

この清楚な花は一葉。本当に美しい花で、それほど目立つ訳でもないのに人気は高かったですね。

Hiranojinjya1004158

この日は丁度「桜祭神幸祭」に当たっていました。上手い具合に巡行の時間と重なったので、初めてその行列を見せて頂きました。

その先頭を歩くのが赤と青の鬼なのですね。これって、どういう謂われがあるのでしょう?魔を祓う先導役という事なのかな。

Hiranojinjya10041510

全ての行列を把握している訳ではないのですが、基本的に時代絵巻になっている様ですね。この女人行列には外人さんも混じっていましたよ。

Hiranojinjya10041511

市女笠に虫の垂れ衣姿は、平安時代の貴族を表しているのでしょうか。上品で奥ゆかしい感じがするのが良いですね。

Hiranojinjya10041512

そして、凛々しい騎馬武者です。騎馬武者はもう一騎居て、時代絵巻らしさを演出していましたよ。

Hiranojinjya10041513

偶然ながら、竜安寺から上賀茂神社へと向かう途中で、再び行列と遭遇しました。ホームページに依れば、結構長い距離を歩くのですね。

この女人行列は織姫様。なるほど、織物の町、西陣の祭りらしい演出ですね。

Hiranojinjya10041515

こちらは、オープンカーに乗った宮司さん達。それにしても、レクサスとは驚きました。豪華なのは良いけれど、ちょっと場違いという気もしますね。て、余計なお節介かな。

それほど大きな行列ではなかったですが、こうした街中で出会うと如何にも地域密着型という感じがして、好感が持てました。2度も見る事が出来るとはちょっとした幸運でしたね。

2010年4月14日 (水)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~雨宝院 4.10~

Uhouin1004141

平成22年4月10日の雨宝院です。この日は歓喜桜、観音桜、里桜などが満開・見頃となっており、境内は華やかな雰囲気に包まれていました。

Uhouin1004142

これが観音堂の前にある観音桜。透明感のある白が美しい八重桜ですね。

Uhouin1004143

こちらが本堂前にある歓喜桜。ヤマザクラと同じく花と葉が同時に出るタイプですが、その葉の色があるからこそ美しいと感じます。

Uhouin1004145

で、歓喜桜と観音桜がどう違うのかとずっと思っていたのですが、どうやら桜としては同じ種類の様です。単に植えられている場所が観音堂の前か、本堂の前かの違いだけらしいですね。雨宝院限定の通称というのが正解なのでしょうか。

Uhouin1004146

この写真を撮ってからそろそろ一週間近くになり、盛りも過ぎた頃でしょうね。今週末には次の松月桜が咲き揃っているかな。もうひとつ、御衣黄桜は間違いなく満開になっている事でしょう。出来ればもう一度確かめに行こうかと思っているところです。

2010年4月13日 (火)

京都・洛東 京都桜事情2010 ~南禅寺 4.7~

Nanzenji1004131

平成22年4月7日の南禅寺です。この日は散り初めになり始めたソメイヨシノが、最後の美しさを見せてくれていました。

Nanzenji1004132

春の南禅寺と言えばやはり石川五右衛門、三門からの景色を見たくなりますよね。そこで、楼上に上って写真を撮ってみる事にしました。

Nanzenji1004133

ところが、絶景かな~と叫びたくなるような景色は案外無かったりします。意外と桜は目立たないのですよね。それに、木が茂りすぎて、遠くが見渡しにくいという事情もあります。

Nanzenji1004135

それでもいつもとは違う目線で見る事が出来ますから、面白い事は確かですね。桜を見下ろすなんていう事は、普段はあまり無い事ですから。

Nanzenji1004136

一番見通しが利いて、かつ桜が沢山あったのは南東のこの景色かな。向こうに見えている桜林は、京都市の蹴上浄水場の様ですね。

Nanzenji1004137

上から眺めるのも良いですが、やはり慣れた目線で見るのが一番美しいと感じるのかも知れません。この法堂の黄色い壁と桜の花は、なかなか素敵なコンビネーションでしたよ。

Nanzenji1004138

こちらは、南禅寺らしさを求めて風鐸と絡めてみたのですが、雰囲気は出ているでしょうか。もう少し、桜の背が高ければ良かったのかも知れませんね。

Nanzenji10041310

法堂の北東側にも桜は咲いていました。ただ、既に盛りが過ぎており、ボリューム感が無くなっていたのが残念でしたね。

Nanzenji10041311

南禅寺はこの日で既に散り初めに入っており、昨日の雨でほとんど散ってしまった事でしょう。桜は終わりましたが、これからは新緑の季節がやってきます。南禅寺を訪れる楽しみは、まだまだ続きますよ。

2010年4月12日 (月)

京都・洛東 京都桜事情2010 ~岡崎周辺 4.7~

Okazaki1004121

平成22年4月7日の岡崎周辺の桜です。この日はソメイヨシノを中心に満開になっており、とても華やかな景色を見せてくれていました。

Okazaki1004122

岡崎公園の一帯には沢山の桜が植えられているのですが、中でも疎水辺りの桜並木は素晴らしいものがあります。

Okazaki1004123

南禅寺の船溜まりから夷川発電所の周辺に至るまで続く並木で、水面と桜のコラボレーションが見事ですよ。そして、その並木を潜るようにして、十石船が運航されています。

Okazaki1004125

疎水の南側にはオオシマザグラが植えられており、ソメイヨシノとはまた違った美しさがあります。さらには、ところどころにある柳の新緑があいまって、これぞ春と言いたくなるような景観を見る事が出来ますよ。

Okazaki1004126

その疎水の水が尽きるところから始まるのがインクライン公園です。ここまた、桜の名所として知られますね。

Okazaki1004127

疎水辺りに比べると少し進行が早かったらしく、この日はぎりぎり満開を保っているというところでした。この桜も、今日の雨ですっかり散ってしまった事でしょうね。

市内のソメイヨシノは今日でほぼ終わりですが、次は御室に代表される遅咲きの桜の季節がやって来ますよ。今週末にかけて、まだまだ桜の見頃は続きます。

2010年4月11日 (日)

龍馬伝15 ~ふたりの京~

「文久2年8月25日、京都・土佐藩邸。上洛を果たした土佐藩主。その筋書きを書いた半平太とその配下にある土佐勤皇党は、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。」

「三条邸。半平太の働きを褒める実美に、半平太は自分の望みは出世ではない、朝廷の力で幕府に攘夷を実行させる事にあると答えます。どうすればよいという問いかけに、将軍を京に呼びつけ、帝の前で攘夷実行を約束させればよいと答える半平太。」

「三条邸。加尾の下に兄の収二郎が訪れています。上機嫌でこれまでの加尾の働きを褒める収二郎。加尾は龍馬が収二郎達の仲間になったと聞いたと言いますが、収二郎は龍馬は自分たちを裏切って脱藩したと吐き捨てます。」

「祇園。舞妓、芸妓をはべらした豪華な宴席。意気揚々とした勤皇党の面々の中にあって、一人以蔵だけは都の女が眩しいと言って顔を上げられません。賑やかな宴の最中に、芸妓が本間精一郎の名を出します。彼女が言うには、土佐藩主が京にに上ったのも、吉田東洋を失脚させたのもすべて本間がやった事と吹聴して回っているとの事でした。」

「半平太の部屋。勤皇党の面々が集まり、本間の事を話題にしていました。放っておけという意見もある中で、半平太はもしお上の耳にでも入ったらやっかいな事になる、捨てては置けないと言いました。その言葉を黙って聞いている以蔵。」

「三条邸。外から帰ってきた加尾。そこに龍馬が現れました。兄から龍馬に会ってはいけないと言われていると一度は背を向けた加尾でしたが、堪えきれずに龍馬の後を追いました。やっと龍馬を見つけ、何をしに来たのかと問いかける加尾に、おまんに会いに来たのだと答える龍馬。」

「三条邸、加尾の部屋。龍馬が来ています。ここなら誰にも気付かれないという加尾。お互いの気持ちが変わっていない事を確かめ合い、一夜を共に過ごす二人。」

龍馬が加尾に会うために京都に来たという事実はありません。

龍馬は、脱藩する半年前の文久元年9月13日に、京にいる加尾に対して「羽織や袴、それに頭巾と大小の刀を用意して欲しい」という不思議な手紙を出しています。これがいったい何を意味しているのかは判らないのですが、一説には加尾を男装させて一緒に脱藩するつもりだっのではないかとも言われています。

加尾は不審に思いながらも、言われたとおりの品を用意して待っていたのですが、結局龍馬は現れませんでした。この事について加尾は後に、龍馬に会えなかった事は一生の遺憾であったと語っています。つまりは、土佐を後にしてからは、龍馬と会う機会は永遠に訪れる事が無かった事を意味しています。

「本間を待ち伏せ、斬り殺した以蔵。」

本間精一郎は越後の人で、江戸において清河八郎と知り合い、攘夷運動に目覚めました。長州の久坂玄瑞とも交流があり、早くから攘夷を志したいわゆる草莽崛起と呼ばれる志士の一人です。清河と共に京都挙兵計画を企て、各地を遊説して回ったのですが、その先の一つが土佐でした。彼は吉村寅太郎や那須信吾を通して土佐に働きかけ、京都挙兵計画への参加者を募ったのです。土佐勤皇党にとっては仇とまでは言わないまでも、迷惑至極な働きをした男として記憶されていました。

寺田屋事件によって本間が参画していた京都挙兵計画は潰えたのですが、本間自身はその前に詰まらぬ理由から仲間から除名されており、皮肉な形で生き残る事が出来ました。

その後も本間は過激な攘夷派としての活動を続けますが、性格に軽薄な面があり、また虚言癖を持っていた事から、次第に仲間からうとまれて行きます。そして、煮え切らない公家達の悪口を言った事が攘夷運動を批判し幕府に寝返ったと受け取られて、命を狙われる羽目に陥ったのでした。

彼を襲ったのは以蔵のほか島村衛吉、田辺豪次郎、平井収二郎ほか数人、そして半平太自身も加わっていた様です。ドラマにあったように、本間は土佐藩主を上洛させた事、吉田東洋を失脚させた事はすべて自分が指揮した事だと吹聴しており、また先に土佐勤皇党を揺さぶる様な真似をした事が半平太には許せなかったのでしょうね。そこに幕府に寝返ったという噂が出た事は、まさに追い風でした。もしかしたら、それも半平太の仕業だったのかも知れません。

当日は祇園で飲んでいた本間を以蔵達が連れ出し、木屋町四条上がるまで来た時に襲いかかり、止めは島村の一太刀でした。胴体は高瀬川に流し、首は青竹に突き刺して四条大橋の30mほど上流のところに晒し、次のような斬奸状が掲げられていました。

「この者の罪状、今更申すまでもなく、第一虚喝をもって衆人を惑わし、その上高貴の御殿方へ出入り致し、詭弁をもって薩長土の三藩を種々讒訴致し、有志の間を離し、姦謀相巧み、あるいは非理の財富を貪り、そのほか筆舌に尽し難し。このまま差し置いては無限の過害を生ずべきにつき、かくのごとく梟首せしむるものなり。
閏八月二十一日」

半平太のこの日の日記には、「以・豪・建・熊・○・収・孫・衛、用事あり」と記されており、本間殺しの事だとされています。この中の○が半平太自身、以は岡田以蔵、収は平井収二郎を指していると言われます。この暗殺が、土佐藩による天誅の始まりでした。

「翌朝、上機嫌の加尾。そこに朋輩が木屋町で本間という男が殺されたと伝えて来ます。嫌な予感を覚える加尾。」

「半平太の部屋。昨日自分たちが噂していた本間が殺されたと知り、驚く勤皇党の面々。以蔵の働きと知り、以蔵にだけ判るように感謝の言葉を発する半平太。いぶかる収二郎に、半平太は以蔵は使えると告げます。」

「土佐、弥太郎の家。立派な大根が出来たと喜ぶ弥太郎に、百姓が似合う様になったと褒める父。その言葉に、自分は武士だと反発する弥太郎。荒れる弥太郎を喜勢がなだめると、たちどころに機嫌が直ります。」

この時期、弥太郎は故郷に籠もりきりで、百姓仕事の傍ら郷内の世話役の様な事をしていたようです。言わば弥太郎の雌伏の時期であり、彼の活躍が始まるにはまだ時間を待たなければなりません。これから暫くは、こんなコントでしか弥太郎は出てこないのかも知れないですね。

「加尾の下がり宿。龍馬が来ています。半平太が将軍を呼びつけるために江戸に下る、龍馬も一緒にやっらどうかと水を向ける加尾ですが、龍馬は日本は今さら攘夷など出来ない、どうすれば良いかを教えてくれる人を探して日本を旅しているのだと答える龍馬。」

「再び、祇園の宴席。自信を付けたのか、女達に臆することなく、土佐を動かしているのは半平太と褒めそやす以蔵。自分たちは殿の家臣に過ぎないとたしなめる半平太。その言葉に意気消沈した以蔵を尻目に、目明かし文吉の名を出す半平太。文吉とは、安政の大獄の時に活躍した目明かしでした。そんな者が生きているのは許せないという声を聞き、黙って席を立つ以蔵。その後ろ姿を見送る半平太と収二郎。」

「三条邸。文吉が殺されたという噂がささやかれています。胸騒ぎを抑えきれない加尾。」

目明かし文吉は、これもドラマにあった様に安政の大獄で辣腕を振るった目明かしでした。彼を恨んでいたのは土佐藩に限らず、攘夷志士共通の目標になっていました。このため、文吉に対する刺客の志願者は各藩にまたがって多人数となり、半平太はくじ引きで実行者を決めたとされます。実行者は3人で、その中に以蔵も居ました。

半平太の宿舎での会合で、あのような犬猫同然の者を斬るのは刀の汚れである、絞め殺すのがよいという意見が出され、そのとおりに三条河原にて絞め殺されました。彼の遺体は全裸にされて、その場に晒されたのでした。

半平太の指揮による天誅はこの他にもあって、江戸に逃げようとした同心4人(安政の大獄に係わっていました)を30人の刺客団が追いかけて、近江の石部宿で襲って殺すという事件にも半平太が係わっています。これには久坂玄瑞も係わっていたとされますが、ここまで来るともはや無政府状態と言っても良く、この後は半平太の手を離れて天誅事件が頻発する様になります。後に力で志士達を押さえる新選組が結成された理由が良く判るというものですね。要するに、半平太はやり過ぎたのでした。

「三条邸。勅許が下りたと上機嫌の実美。彼は半平太に警護の任に就くように命じます。」

「居酒屋で酒を飲んでいる以蔵。その背後で、半平太の悪口が聞こえてきます。最近の土佐藩の躍進ぶりを見た、他藩士達のやっかみでした。不機嫌そうに席を立つ以蔵。」

「店を出て、さっきの客を待ち伏せする以蔵。そこに現れたのは、なんと龍馬でした。あまりのなつかしさに飛び出す以蔵。見つかってはまずいと隠れる龍馬ですが、大喜びの以蔵に抱きつかれ、逃げるのを止めます。」

「三条邸。加尾の下に収二郎が訪れています。収二郎は自分たちは江戸に行く、加尾の役目は終わったので土佐に帰れと言います。それを聞き、勝手な事を言わないでくれと反発する加尾。攘夷の為なら何をしても良いのかと食いつく加尾に、妹を犠牲にしても、邪魔する奴は殺しても良いと口を滑らせる収二郎。それを聞き、あの人殺しは土佐がと驚き、飛び出していく加尾。」

ドラマでは収二郎に反発していた加尾でしたが、実際には龍馬と付き合うなという兄の指示に素直に従い、帰国の際には両親の事は自分が預かるので、天下の為に働いて欲しいと兄に手紙を出しています。龍馬に思いを寄せてはいても、そこは封建制の世であり、家長である兄に逆らう事はなかったのですね。

「加尾の下がり宿。龍馬と以蔵が酒を飲んでいると、加尾が帰ってきました。本当に加尾が来たと喜ぶ以蔵。加尾の酌で酒を酌み交わす龍馬と以蔵。以蔵は半平太のために今凄い仕事をしている。本間と文吉という名を出しかけた以蔵を、龍馬が止めます。龍馬は、人の道に外れた事をしてはいけないと釘を刺し、世間には色んな意見を持つ人間が居るが、日本を異国に渡したいとは誰も思っていない、日本人同士が争っている時ではないと以蔵に説きます。」

「帰り際、龍馬はあんなやつだったか、こんなに楽しくて気が軽くなったのは久しぶりだと言って去っていく以蔵。」

「以蔵が居なくなった後、半平太は以蔵に人斬りをさせている、このままでは日本が滅びてしまうと憂慮する龍馬。どうすれば止められるかと苦悩する龍馬に、勝麟太郎の名を出す加尾。実美から、日本の事を真剣に考えている数少ない幕閣と聞いている、きっと龍馬に生きる道を教えてくれるに違いないと言われ、すっかりその気になる龍馬。加尾は龍馬は変わってしまった、もう自分とは道が違っていると言い、夫婦の様な時を過ごせただけで幸せだったと別れを告げます。」

勝海舟を龍馬に紹介したのが加尾だったという事実はありません。この下りは、幾ら何でも不自然に過ぎますよね。でも、加尾を思い切って江戸に行かせるには、こうした虚構が必要だったのかも知れません。

「文久2年10月12日、江戸に向かう勅使の行列。その警護役に就いている半平太。彼は以蔵の名を呼び、自分の側に居るように命じます。あまれの嬉しさに身を震わす以蔵。」

半平太が、江戸に下る勅使の列に加わったのは、史実にあるとおりです。ただし、土佐藩士としてではなく、実美の雑掌という身分で柳川左門という名を借りての事でした。以蔵もこの行列に加わっていたのも史実です。

ドラマと少し違うのは半平太の扱われ方で、彼は公家の家来として駕籠に乗っていたのでした。脇に供が付くという言わば大名並みの扱いで、確かに土佐での下士の生活からは考えられない大出世と言えるでしょうか。

「三条邸での勤めを終え、京都を後にする加尾。」

「勝に会うために、江戸に向かう龍馬。」

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉

京都・洛西 京都桜事情2010 ~竜安寺 4.10~

Ryoanji1004111

平成22年4月10日の竜安寺です。この日は石庭の八重紅枝垂れ桜が満開・見頃になり、見事な景観を見せてくれていました。

Ryoanji1004112

今年竜安寺を訪れるのは初めてなのですが、桜の咲き出しが他よりも遅かったのでしょうか、ヤマザクラがまだ見頃を保っていました。ただ、風が吹くとサーっと花びらが散っていたので、今日、明日の雨で終わってしまうかもしれません。

Ryoanji1004113

ソメイヨシノは、盛りを少し過ぎた程度で、こちらも見頃でしたね。ヤマザクラよりもしっかりしていた感じですが、これも雨のせいでどうなるかは判りません。

Ryoanji1004115

この日一番の見頃だったのは八重紅枝垂れ桜でした。まさに旬と言って良く、妖しいまでの美しさでしたね。

Ryoanji1004116

そして、石庭の八重紅枝垂れ桜もまた素晴らしい花を咲かせていました。白のヤマザクラも見頃を保っており、いつもながらの見事なコラボレーションでしたよ。

Ryoanji1004117

ただ、良く見ると八重紅枝垂れ桜は花のない枝が多く、咲いている枝でも花と花の間に隙間が結構ある事に気付きます。やはり今年は最高潮からは程遠いという事が判りますね。

Ryoanji1004118

桜苑でも同じ傾向で、遠目には美しく、じっくり見ると粗が目立つといった具合でした。でもまあ、これだけ美しければ文句は無いのですが。

Ryoanji10041110

桜以外では、石楠花が綺麗に咲いていました。木によっては満開でしたよ。また、椿が最後の盛りを見せており、落ち椿と桜の花びらのコラボが美しかったです。

竜安寺では方丈の屋根の修理が終わり、通常どおりの拝観に戻っています。相変わらずの賑わいで、外国人、特に西洋人の人気が高い様ですね。雨が気になりますが、今日、明日行かれる場所としてはお薦めですよ。


2010年4月10日 (土)

京都桜事情2010 ~洛中・洛西・洛北 4.10~

平成22年4月10日の京都の桜開花状況をテキストベースでお知らせします。今日は晴れと曇りが交互に訪れる様な天気で、快晴とまでは行きませんでした。また気温が24度を超えていたらしく、晴れているとじりじりと焼かれるような日差しに感じましたよ。振幅の激しい最近の気候ですが、これが桜にどんな影響を与えるのか気になるところです。

1.鴨川

丸太町橋西側の河原にある八重紅枝垂れ桜は、全くと言って良い程花を付けていません。あまり寂しくて、最初は枯れて伐られてしまったのかと思ったほどですよ。総体的に花付きの悪い八重紅枝垂れですが、ここは最も極端な傾向が現れた様です。

川沿いのソメイヨシノは散り初めです。また、加茂川と名が変わるとまだ見頃を保っている木も散見できましたね。ただ、そんな木の下はブルーシートで一杯で、やはり少しでも綺麗な木の下で花見をしたいという事の様です。

2.高野川

盛りは過ぎていますが、依然として満開は保っていました。まだ散り初めには至っていなかったかな。

3.本満寺

大枝垂れ桜は葉桜に変わり、ソメイヨシノは散り初めになっていました。一方、塔頭と墓地の入り口にある八重紅枝垂れ桜が見頃となりつつあります。ただし、ここも花付きはかなり悪いですね。その中で、墓地の入り口の桜は比較的良く咲いています。

桜とは違いますが、大枝垂れ桜の下で牡丹が咲いていました。また本堂前に植えられている牡丹の列は、蕾が上がって来ており、間もなく大輪の花を見る事が出来そうですよ。

4.相国寺

ヤマザクラ、ソメイヨシノ共に散り初めです。今日は塔頭の林光院の塀越しに見えるキクモモが鮮やかでした。また、地味ですが、弁天堂の前でヒマラヤユキノシタが咲いています。

5.妙顕寺

門前の八重紅枝垂れ桜が見頃、八重の枝垂れ桜は見頃が過ぎた所です。ここでも八重紅枝垂れの花付きが良くありません。一方、方丈入り口にある八重紅垂れは、比較的良く咲いています。無論、最高潮には程遠いですけどね。

6.妙覚寺

門前の枝垂れ桜は、散り初めですがまだ花は残っています。代わって八重桜が盛りになってきました。種類の違う花が3種類、それぞれ色鮮やかでなかなか美しいですよ。

一方、塔頭の善明院の八重紅枝垂れ桜は、悲惨な状況と言う他はありません。去年から見たら5分1程度の咲き方ではないかな、全くの外れ年となってしまいましたね。

7.水火天満宮

早咲きの木は、見頃は過ぎていますがまだ満開を保っています。一方の八重紅枝垂れ桜は、善明院ほどではありませんが、例年の半分以下の咲き方ですね。その情報が行き渡っているのが、境内には誰も居なかったのが印象的でした。

8.雨宝院

歓喜桜、観音桜、里桜がそれぞれ満開に近く、見頃になっています。咲き始めて3日で咲き揃った様ですね。八重紅枝垂れも咲いていますが、ここでも花付きは悪いです。御衣黄桜は蕾が膨らんだところで、間もなく咲き始めるでしょう。

9.千本ゑんま堂

関山が見頃になっている他は、まだつぼみが膨らんだ程度です。でもこの暖かさで一気に咲き出すかも知れませんよ。

10.上品蓮台寺

4本の枝垂れ桜が満開になっていますが、八重紅枝垂れの花付きはここでも悪いですね。特に山門を入ってすぐの木が悲惨です。南の三本のうち1本は盛りすぎで散り初め、一本は盛りを過ぎたところ、のこり一本が八重紅枝垂れで、花付きは良くないものの花そのものは美しいです。ソメイヨシノは散り初め。

11.北野天満宮

ヤマザクラは散り初めに入りましたが、本堂西側にある衣笠桜が満開・見頃になっています。社務所前にある遅咲きの桜は、葉芽が出てきたところですね。花芽はこの後出て来るものと思われ、来週末には咲いているかも知れません。

12.平野神社

大鳥居近くの紅垂れは盛りを過ぎましたが、ソメイヨシノが見頃で華やかさを保っています。桜苑の桜は大半が散り初めになっていますが、まだ見頃の木も残っていますね。どちらかと言うと南側に多いのかな。

境内では衣笠桜・大河内桜・胡蝶桜が満開・見頃、白雲桜は5分咲き程度です。また一葉が綺麗な花を見せてくれています。御衣黄桜は、ここでもつぼみが膨らんだ程度でした。

八重紅枝垂れ桜も満開・見頃ですが、やはり花付きは良いとは言えません。ただ、ぱっと目にはそれほど悪くは見えないのはさすがでしょうか。

今日は桜祭神幸祭に当たっており、丁度祭礼と巡行を見る事が出来ましたよ。

13.竜安寺

石庭前の八重紅枝垂れ桜が満開・見頃です。ここも最高とは言えませんが、今年見た中では一番綺麗です。一見しただけでは、不調とは判らないのではないかな。良く見ると、花の付いていない枝がいくつもあるのですけどね。

境内ではソメイヨシノとヤマザクラが満開・見頃、木によっては散り初めが始まっています。桜苑では枝垂れ桜が見頃から見頃過ぎが混在しています。ここでも、八重紅枝垂れ桜が不調の中健闘していましたね。あと大島桜が満開・見頃、アーモンドが盛りを過ぎながらも満開でした。

14.上賀茂神社

八重紅枝垂れ桜である斎王桜、みあれ桜、風流桜がそれぞれ満開見頃です。この中で風流桜の花付きがかなり悪く、寂しい状況ですね。みあれ桜は最高調とは行かないものの見た目は華やか、斎王桜も同じ傾向ですね。初めて見る人は、不調とは思わないだろうな。

本殿前の賀茂桜も満開見頃です。御所桜は終了。

15.半木の道

八重紅枝垂れ桜の並木が、満開・見頃です。ここも見た目には不調とは判らない程度に咲いています。良く見ると、花のない枝が多い事は上賀茂神社と一緒なのですが、これだけ華やかだと気にはならないでしょうね。

ここは早くに咲いた木と遅かった木が混在しており、花の程度は木によってまちまちですね。

京都・洛東 京都桜事情2010 ~清水寺 4.7~

Kiyomizudera1004101

平成22年4月7日の清水寺です。この日はソメイヨシノが満開・見頃となっており、素晴らしい景観を楽しむ事が出来ました。

Kiyomizudera1004102

仁王門の裏手で咲いていたのはヤマザグラでした。丹塗りの門に良く映えてとても美しくはあったのですが、盛りは過ぎていたらしく盛んに花びらが散っていました。

Kiyomizudera1004103

舞台からの景観です。中央で花の列になっているのはソメイヨシノでしょうね。かつては子安の塔周辺に沢山の桜があり、ここからの見た景色のポイントの一つになっていたのですが、今は仮覆いが見えるだけですね。

良く判らないのが左上の桜で、斜面を切り開いて新たに桜を植えた場所ですね。それぞれ寄贈を受けた木の様ですが、種類が良く判らないのです。ソメイヨシノでは無い事は確かで、ヤマザクラでもなさそうなのですね。もしかしたらエドヒガンなのかしらん?でもそんなに早い時期には咲いていなかったはずだし、何なのでしょう?謎です。

Kiyomizudera1004105

もみじも展開の早い木とゆっくりした木があるのですね。奥の院前では早くも新緑の季節到来を思わせるもみじが綺麗な緑を見せてくれ、桜とのコントラストが鮮やかでした。

Kiyomizudera1004106

私的には、清水寺の景観の白眉はこの三重塔周辺にあると思っています。紅葉の時も素晴らしいのですが、桜時分もまた素晴らしい。最も京都らしい景色一つと言っても良いのではないでしょうか。

Kiyomizudera1004107

清水寺らしいと言えば、伽藍が一直線に並んだこの景色が定番かな。ちょっと木が茂ってきて見通しが悪くなってきており、そろそろ剪定が必要なのではという気がします。

Kiyomizudera1004108

本堂下の新しい通路から見上げた舞台です。これは従来の通路では撮れなかった写真ですね。やはり桜ともみじの組み合わせが美しいです。

Kiyomizudera10041010

こちらは定番の池越しの三重塔です。何度も見てきた景色ですが、やはり美しいものは美しいという事ですね。

Kiyomizudera10041011

清水寺のソメイヨシノは、他より開花が遅れていた分、まだ見頃を保っていました。でも、もうそろそろ散り初めになっている頃でしょうね。明日あたりが最後の見頃かも知れません。

2010年4月 9日 (金)

京都・洛東 京都桜事情2010 ~平安神宮 4.7~

Heianjinguu1004091

平成22年4月7日の平安神宮です。この日は八重紅枝垂れ桜が、満開・見頃を迎えていました。

Heianjinguu1004092

この日はあいにくの曇り空で、せっかくの景色も今ひとつですね。

Heianjinguu1004093

これが青空背景だと素晴らしく美しいのですけどね。その景色は「徒然なるままに」の方でお楽しみ下さい。

Heianjinguu1004095

この神苑の枝垂れ桜は、谷崎潤一郎の細雪に描かれている事で知られます。毎年、この花を見ないと春が来た気がしないと記されていますが、確かにそう思わせるだけの美しさがありますね。

Heianjinguu1004096

光が足りなかったせいか、写真では今ひとつ色が冴えませんが、実際の花は息を飲むような鮮やかさがありましたよ。

Heianjinguu1004097

ただ、落ち着いて冷静に見ると、かなり花付きは悪いですね。見ている時はその鮮やかさに幻惑されていたのですが、写真で見ると花のない枝が多くある事に気付かされます。

Heianjinguu1004098

今年はどこの八重紅枝垂れ桜もこんな調子らしく、冬から春先にかけての訳の判らない気候が禍いしたのでしょうか。それとも、もっと前の気候のせいなのかしらん?

Heianjinguu10040910

それでも、この繊細な枝が風に揺れる様は優美そのもので、川端康成が「京の春」と形容した気持ちが判るような気がします。

Heianjinguu10040911

この日はソメイヨシノもまた見頃でした。枝垂れ桜に隠れ勝ちですが、その美しさはやはり素晴らしいものがあります。

平安神宮の桜は今日現在も満開を維持しているらしく、この週末でもまだ楽しめそうですよ。

2010年4月 8日 (木)

京都・洛東 京都桜事情2010 ~東山界隈 4.3~

Maruyamakouen1004081

平成22年4月3日の東山界隈の夜桜です。

Yasakajinjya1004081

まずは、暮れなずむ八坂神社で見たソメイヨシノです。八坂神社は、隣の円山公園に沢山の桜があるせいでしょうか、それほど目立った桜はありません。わずかにこの南楼門の周辺にある程度ですね。でも、丹塗りの門との対比は、とても美しいものがあります。

Nenenomiti1004081

あちこち寄り道しながら歩いていると、石塀小路を出る頃にはすっかり日が暮れていました。

Nenenomiti1004082

ねねの道でもライトアップが行われているのですね。丁度満開・見頃となっていたソメイヨシノが美しく照らし出されていました。

Nenenomiti1004083

ふと見ると、春光院の紅枝垂れが怪しく輝いていました。向こうに見える八坂の塔とのコラボレーションが、ここならではの景色を見せてくれています。

Maruyamakouen1004082

ねねの道を通って、円山公園にやってきました。夜桜と言えばこの桜、衰えたりとは言え、その存在感はさすがのものがありますね。

Maruyamakouen1004083

清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人みなうつくしき

かがり火に映えたこの桜を見ると、やはりこの歌を思い出しますね。春の宵の特別な時間、それが夜桜見物というものなのでしょう。

Yasakajinjya1004082

円山公園から八坂神社に戻ってきました。豪華さでは枝垂れ桜に遠く及びませんが、やはり丹塗りの門と桜のコラボはとても美しいですね。

花見客の乱痴気騒ぎには辟易しますが、夜桜そのものはやはり美しい。この季節、一度は訪れないと収まらないという気がします。

2010年4月 7日 (水)

京都桜事情2010 ~岡崎周辺及び清水寺 4.7~

平成22年4月7日現在の京都の桜開花状況を、テキストベースでお知らせします。今日は所用でお休みを取ったついでに、岡崎界隈と清水寺を回ってきました。どこへ行っても人出で一杯であり、とても平日とは思えませんでしたよ。さすがは、桜時分の京都と言ったところです。

1.平安神宮

八重紅枝垂れ桜が満開・見頃でした。昨日満開になったばかりとの事で、まさに旬の花を見せて貰いましたよ。古都や細雪に描かれた世界そのままと言っても良いでしょう。ソメイヨシノも見頃でしたが、左近の桜は終了です。

2.疎水べり

疎水沿いに植えられたソメイヨシノは満開、見頃でした。すこしだけ、散り初めに入りかけていたかも知れないですね。南側にあるオオシマザクラもまた満開・見頃でした。

3.インクライン

ここも満開・見頃でしたが、疎水べりよりも一足早く散り初めとなりつつあった様です。

4.南禅寺

満開・見頃から散り初めへと移行しつつあるところでした。インクラインよりもさらに進行は早いようですね。

5.清流亭

南禅寺の北側・別荘街に位置する清流亭の紅枝垂れ桜が満開・見頃でした。

6.清水寺

染井吉野が満開・見頃でした。ここは開花が少し遅かった様で、まだ散り初めには至っていません。左手の山の斜面に植えられた沢山の桜は、上半分が咲いてはいましたが、盛りが過ぎてしまったのかあまり綺麗ではありません。桜の種類は何なのでしょうね。また、下半分はまだ咲いておらず、こちらは八重桜なのでしょうか。どういう事なのかは、ちょっと判らないです。

仁王門前の八重紅枝垂れ桜はまだ咲き始めたばかりです。

京都・洛中 京都桜事情2010 ~京都府庁旧本館 4.3~

Kyotofutyou1004071

平成22年4月3日の京都府庁旧本館です。この日は大枝垂れ桜が散り初めになっていたほか、紅枝垂れ桜と容保桜、それに大島桜が見頃になっていました。

Kyotofutyou1004072

京都府庁旧本館は、この桜の開花の時期に合わせて一般公開が行われています。今年は3月23日から4月4日の間実施されていました。

Kyotofutyou1004073

たぶんですが、この旧本館は重要文化財に指定されており、文化財保護法によって広く公開する事が求められている事から実施されているのでしょうね。

それにしても、旧館とは言え現役の庁舎としても使用されているとの事ですから、業務を遂行しながらの一般公開は何かと大変な事でしょう。見に行く側としては有り難い事ですが、府の職員の方にはご苦労様と言いたいところです。

Kyotofutyou1004075

この公開の目玉の一つ、ガラス越しに見た枝垂れ桜です。旧本館が竣工したのは明治37年の事、このガラスが当時のものかどうかは判りませんが相当に年季が入っている事は確かで、今のガラスとは違って不均一なのですね。ですから、微妙に桜が歪んで見えるという訳です。

Kyotofutyou1004076

枝垂れ桜は、円山公園の枝垂れ桜の実生苗から育てたものとか。パンフレットには初代枝垂れ桜の孫と紹介されていますが、今の木の子供とも言えるのですよね?昭和30年代に植えられたとの事ですからそろそろ樹齢が50年を越える頃でしょうか。

一方の紅枝垂れ桜には特に説明がありませんが、大枝垂れ桜よりも若い木であると思われます。この日は見頃でしたね。もう一本、八重紅枝垂れ桜もあるのですが、この日はまだ咲き出したばかりでした。

Kyotofutyou1004077

そして、今年のトピックスとして、容保桜が命名された事が挙げられます。この桜は山桜ではあるのですが、大島桜の系統も入っているとされ、通常の山桜よりも花が大ぶりであるという特徴を持ちます。かつてこの地には京都守護職の屋敷があったことから、守護職を勤めた松平容保にちなんで容保桜と名付けられました。

この日は丁度満開で、その豪華な花を楽しませて貰いましたよ。

Kyotofutyou1004078

旧本館の一般公開には様々の協賛行事が行われており、今年からは彫刻展が始まった様です。この彫刻はその一つで、DAWN(よあけ)と言う表題が付いていました。女性達に向けて、明けない夜はないというメッセージを伝えているそうですよ。

今年は訪れるのが遅くて、大枝垂れ桜の盛りを見逃してしまいました。来年は是非美しい花を咲かせているところを見たいですね。さぞかし、綺麗な花だったのだろうなあ。

2010年4月 6日 (火)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~本隆寺 4.3~

Honryuji1004061

平成22年4月3日の本隆寺です。この日は境内のソメイヨシノがほぼ満開となり、華やかに咲き誇っていました。

Honryuji1004062

ソメイヨシノがあるのは、主として本堂の東と西側です。この日は、西側の桜はまだ満開と言うには少し早かったかな。

Honryuji1004063

でも、青空背景にこれだけの桜を見る事が出来たのだから、満足の一言です。

Honryuji1004065_2

本隆寺の東門前には、早咲きの桜があります。この写真は3月20日に撮ったものですが、小降りな、とても美しい花ですよ。たぶん、エドヒガンの系統ではないかと思われます。

Honryuji1004066

そして、信徒会館の前には、八重紅枝垂れ桜が咲いていました。この種類としては、かなり早く咲いたと言えますね。

Honryuji1004067

とても美しくはあったのですが、見頃の花と少し色抜けした花が入り交じっており、やや美観を損ねていました。たぶん、波状的に襲ってきた寒波のせいなのでしょうね。

本隆寺はあまり桜の名所としては知られていない様ですが、結構見応えのある花がありましたよ。近くへ行かれることがあったら、寄ってみられては如何ですか。

2010年4月 5日 (月)

京都・洛西 京都桜事情2010 ~大沢池 4.3~

Osawanoike1004051

平成22年4月3日の大沢池です。この日は池の周囲の桜が5分から7分咲きになっており、見頃ではあるものの、少し物足りないかなという状況でした。

Osawanoike1004052

ここの桜はソメイヨシノが主体ですが、エドヒガンも何本か混じっている感じでした。この日満開になっていたのはエドヒガンだった様ですね。

Osawanoike1004053

3日はほとんどのところでソメイヨシノが満開近くになっていたのですが、ここはわずかに遅かった様ですね。とは言っても、この翌日には満開・見頃になっていたでしょうけど。

Osawanoike1004055

高野川と同じく、ここでも水面と桜のコラボレーションが楽しめました。水面にある不思議な模様は蓮の枯れた茎ですね。その気になれば、芸術的な写真を撮れるかも、です。


Osawanoike1004056

大沢池では、やはり池越しに多宝塔を見るこの景色が定番となります。紅葉の時と同じで、芸がないという気もしますけどね。

Osawanoike1004057

こういう構図もまた、紅葉と一緒ですね。まあ、桜ともみじとでは雰囲気が大きく異なるので、良しとして下さい。

Osawanoike1004058

この写真も、もう少し花のボリュームがあったら、もっと絵になっていたでしょうね。

大沢池は、ワンテンポ満開になるのが遅かった分、他よりも長く楽しめると思います。今週半ばまでが見頃かな。

一つ注意しておくと、いつものように大沢池だけに入る事は出来ません。池を巡るだけでも大覚寺の拝観券が必要で、500円掛かりますよ。

2010年4月 4日 (日)

龍馬伝14 ~お尋ね者龍馬~

「明治15年、横浜。料亭で華やかな宴会が開かれています。主席に居るのは岩崎弥太郎。その近くには後藤象二郎の側近でしょうか、後藤と板垣退助の洋行の費用を出して欲しいと言い募る男が居ます。芸者の舞が終わり、激賞する弥太郎。その弥太郎に土下座して金を出してくれと頼む男。洋行と言っても半分は遊興費だ、無駄金は出せないと、にべもなく断る弥太郎。憤然として出て行く男。」

「宴を再開する弥太郎。彼は部屋の隅に居た坂崎紫瀾を呼びます。坂崎はまだ龍馬の事を取材している最中だったのですね。問われるままに、東洋暗殺から以後の事を語り始める弥太郎。」

オープニングの導入部が変わりましたね。第二部の開始という事でリニューアルしたのでしょう。でも、一部分だけとはいえ年の途中でオープニングを変えるというのは始めてではないのかな。このドラマに掛けるNHKの意気込みを感じた気がします。

「半平太一派が実権を握った土佐。彼の次の狙いは、土佐藩主を卒兵上洛させる事でした。その名目は御所警衛、本当の狙いは武力を背景に朝廷から幕府に攘夷決行を働きかけさせるためでした。」

半平太が土佐藩主上洛を画策していたのは、史実にあるとおりです。同志を京に送り込み、公卿、諸藩の間を周旋させて、藩主が参勤交代の為に江戸に上る途中、伏見を通過する際に上洛せよという朝廷の命を引き出したのでした。

「伏見・寺田屋で同士討ちをした薩摩藩。上洛の準備を進める長州藩。」

薩摩藩の同志討ちとは、寺田屋事件の事を指します。清河八郎が、薩摩藩の島津久光が卒兵上洛するという事実を脚色し、あたかも京都で攘夷実行のための挙兵が行われるかのごとく喧伝したのが京都挙兵計画でした。この計画には各地の志士達が賛同し、これに参加すべく京都へ向かったのですが、その中に薩摩藩士達も数多く含まれていました。

ところが、当の久光には挙兵の意思などかけらもなく、全ては清河の描いた空中楼閣だったのです。それでも、暴発してしまえば久光も立ち上がらざるを得ないと高を括っていたのですが、久光はそれほど甘い人物ではありませんでした。先手を打って志士達が集まっていた寺田屋に使者を出し、薩摩藩士に限って説得をさせたのです。そして、藩士達が説得に応じないと知るや、上意討ちであるとして彼等を切って捨てたのでした。

残った志士達は薩摩に挙兵の意思は無いと知り、計画の実行を見送りました。そして、多くの者は元の藩に送り返され、土佐の吉村寅太郎もまた囚われの身となって土佐に帰されたのでした。

「幕府。朝廷からの幕府改革案を巡って議論を交わす幕閣達。容易に答えの出ない幹部達に、海軍創設を建言する勝臨太郎。」

勝海舟がやっと出てきましたね。これから龍馬とおおいに関わり、その進路を示す事になる人物です。ドラマでは、文久二年の時点で海軍創設を建言した事になっていましたが、実際にはこの8年前に提出した海防意見書の中で触れている事であり、翌年の長崎海軍伝習所の開設となってその効果が現れています。

「半平太と入れ替わりに、実権を失った象二郎。傷心の彼の頼みの綱は、江戸に居る容堂でした。その容堂の意向であるとして、東洋暗殺の犯人捜しを弥太郎と井上佐一郎に命じる象二郎。彼は東洋の暗殺直前に脱藩した龍馬こそが犯人だと決めつけます。」

龍馬が一時期東洋暗殺の犯人と疑われた事は事実だった様ですね。なにしろ脱藩したのが東洋暗殺の直前でしたから、疑いを持たれたのも無理はないところです。

一方の弥太郎が東洋暗殺犯の探索を命じられていたかどうかは、意見が分かれる様ですね。表向きには、弥太郎は藩主の参勤交代の供に加えられていたのですが、実は東洋暗殺犯が大阪に潜んでおり、その者を探し出して仇を討つようにと命じられていたとも言います。

「岩崎家。気が進まないながらも、象二郎の命で龍馬を探しに行くと家族に告げる弥太郎。象二郎は終わった人だ、その命など聞かなくても良いと言い切る喜勢。その喜勢に驚きながらも、容堂公の命でもあると土佐を後にする弥太郎。」

「大阪。溝渕広之丞と沢村惣之丞が会っています。二人はどうやら初対面の様子ですが、龍馬の知り合いという事で意気投合した様ですね。広之丞は土佐藩の住吉陣屋に勤めていると言い、惣之丞に遊びに来るように薦めます。しかし、惣之丞が脱藩している事を知ると態度を一変し、とばっちりを喰うと突き放しに掛かりました。その惣之丞から龍馬もまた脱藩したと聞き、信じられない面持ちの広之丞。」

「住吉陣屋。上洛の途に就いた藩主一行が到着し、受け入れ役の広之丞は大忙しです。ここまでは半平太の策が頭に当たったかに見えたのですが、思わぬ躓きが待っていました。藩主がはしかに罹ってしまったのです。焦る半平太と勤皇党の面々ですが、藩主が病気とあっては如何とも出来ません。」

土佐藩主が大阪まで来た時、はしかに罹って寝込んでしまったのは史実にあるとおりです。この時はしはかが大流行しており、藩主のみならず、30歳以下の藩士の多くがはしかに罹ってしまったのでした。平井収二郎の日記に拠れば、この流行ではしかに罹った人の数は京都周辺で二千人以上であり、多くの死者も出ていた様です。

「勤皇党の幹部達が善後策を練っている所に、以蔵が顔を出しました。彼の用事とは、何時になったら風呂に入れるかというものでした。あまりに間の抜けた問いかけに、邪険に以蔵を追い払う幹部達。なぜ自分だけが除け者にされるのかと嘆く以蔵。」

以蔵は身分の低い足軽の出であり、また教養も無かった事から仲間から重んじられる事は無く、差別意識を抱いていたと言われます。その一方で、体力は並外れて優れ、剣技にも秀でていました。師匠である半平太を慕っていた事も事実で、ドラマの様に半平太に良いように利用されたとも言われます。つまりは、ドラマは概ね史実に沿って描かれているという事ですね。

「大阪に出てきた佐一郎と弥太郎。龍馬は半平太が匿っているに違いないと見込みを付ける佐一郎に、それでは捕まえるのは無理だと乗り気でない様子の弥太郎。佐一郎が厠に立った時、なんと龍馬が現れました。弥太郎に声を掛けられ、思わず喜ぶ龍馬。」

東洋の暗殺犯については、実は文久2年5月の時点で、那須真吾ら三人の仕業である事が判明していました。重松緑太郎という郷士が逮捕され、調べが進むにつれて那須達の書簡を持っている事が判り、さらに追求されるとこの三人が下手人である事を白状していたのです。一時は土佐勤皇党をゆるがす一大事となったのですが、実権を握っていた半平太が上手く事を運び、沙汰止みにしてしまったのでした。

この事により龍馬に対する嫌疑は晴れたのですが、一方で弥太郎に命じられていたのは下手人の探索ではなく敵討ちだったという説にも繋がりますね。

「龍馬は西洋化を進めているという薩摩藩の様子を知りたくて九州に行っていたのでした。しかし、薩摩藩は鎖国政策を取っており、龍馬は領内に入る事が出来ずに引き上げてきたのでした。」

脱藩後の龍馬の足取りについては、実はあまり良く判っていません。薩摩に行っていたとするのは「汗血千里の駒」と土佐勤皇史であり、勤皇史では鹿児島行きの理由を、かつて河田小龍から聞いた薩摩藩の近代化の話を思い出し、是非この目で見たいと思ったためとしています。つまりドラマでの龍馬の台詞ですね。

ただ、これを裏付けるだけの同時代の資料はなく、また鹿児島行きの理由としては薄弱に過ぎる事から、疑う向きもありますね。

龍馬がこの時期に大阪に居た事は確からしく、藩主に従って大阪に居た樋口愼吉という藩士の日記に、7月23日に龍馬に会い1円(1両)贈ったとあるそうです。ドラマでは溝渕に会ったことになっていましたが、実際にも似たような事をしていたのかも知れないですね。ただし、半平太に会ったという記録は残っていません。

「弥太郎はなぜ脱藩したのかと龍馬を問い詰めると、龍馬は自分は攘夷派ではあるが、他の仲間とは考えが違うらしいと気づき、土佐を飛び出したのだと答えます。それだけかと重ねて問いかける弥太郎に、東洋を斬ったのは自分ではないと先手を打つ龍馬。彼は弥太郎に、御前にはこんな役目は無理だ、今すぐ土佐に帰れと忠告します。」

「そこに佐一郎が帰ってきました。彼は弥太郎と居るのが龍馬だと知ると、龍馬はお尋ね者である、捕まえるのに協力した者には一両出すと叫びました。その声に応じて刀を抜く二人の浪人。龍馬は脇差しで応戦し、軽く二人を手玉に取ってしまいます。龍馬の腕を目の当たりにして、逃げ出す佐一郎。とまどう弥太郎に、御前は親兄弟だけの事を考えて暮らせと再び忠告を与える龍馬。」

「龍馬の忠告どおりに、土佐に逃げ帰った弥太郎。訳が判らないなりに、安堵して迎える喜勢達。」

弥太郎が土佐に帰った表向きの理由は、規律違反があったために大阪から帰国させられた事になっています。その一方で、東洋の仇を討つように命じられていたという説に立てば、身の危険を感じた弥太郎が、自ら罪を得て土佐に逃げ帰ったとも言います。どちらが正しいのかは判りませんが、少林塾生であり、東洋の息の掛かった弥太郎が大阪に残っていたとしたら、佐一郎と同じ運命をたどっていた可能性は確かにあった事でしょう。

「住吉陣屋を訪れた龍馬。彼は広之丞に頼んで半平太と会います。土佐は今や勤皇党の天下になった、自分が正しく龍馬は間違っていたと言う半平太に、あえて反論しない龍馬。彼は東洋を斬ったのは誰かと問いかけますが、半平太は東洋を恨んでいた者は多いとはぐらかします。これ以上立場を異にする者を斬るのは止めろと忠告する龍馬に、その為にわざわざ来たのかと聞く耳を持たない半平太。彼は龍馬脱藩後の坂本家について、権平が才谷屋の借財帳を巧みに使って上士を押さえ込んだ、それでも言う事を聞かない上士は自分が押さえ込んだと告げ、龍馬に帰るように促します。」

「酒で除け者にされている辛さを晴らそうとする以蔵。そこに半平太が現れます。彼は以蔵に、無役にしたのは自分が素で付き合える友達が欲しかったからであり、以蔵こそが唯一の友であると語り掛けます。感激する以蔵に、困った様な顔を見せる半平太。いぶかる以蔵に、土佐から追手が来ている、このままでは東洋暗殺の下手人が見つかってしまうと打ち明けます。半平太の苦悩を知り、自分に任せてくれと志願する以蔵。」

「街中で待ち伏せをする以蔵。そこに佐一郎が現れました。彼の独り言を聞き、追手であると確信した以蔵は、刀を抜いて斬り掛かりました。もつれ合いながらも、最後は佐一郎の首を絞めて仕留めた以蔵。」

「翌朝、住吉陣屋。藩主の体調が回復し、京に向けての出立の準備に忙殺される半平太達。そこに以蔵の姿もありました。彼は目顔で半平太に語りかけ、半平太は委細を承知していると言わんばかりに笑みを返します。」

「佐一郎の遺骸を調べる町方達。その様子を人垣に混じって見ている龍馬。彼は佐一郎を殺させたのは半平太であると確信していました。」

井上佐一郎を以蔵が殺したのは史実にあるとおりであり、人斬り以蔵の始まりとなった事件でした。ただし、犯行に加わったのは以蔵一人ではなく、複数の人物が係わっています。佐一郎は元は下横目だったのですが、この時は職を解かれて、ただの足軽として藩主上洛の供に加わっていたのでした。しかし、彼は東洋暗殺の探索は続けており、危険を感じた勤皇党の同志達が暗殺を決めたのでした。

その首謀者は、半平太ではなく平井収二郎だったとされています。彼は直接の犯行には加わらなかったのですが、検分役としてすぐ近くに居た様ですね。そして、斬殺ではなく絞殺にしろと命じたのも収二郎でした。

文久2年8月2日、刺客達は佐一郎を道頓堀の大与という料理屋に誘い出し、したたかに酔わせました。そして、九右衛門町の川端まで来ると、以蔵が持っていた手ぬぐいを首に巻き付け、絞め殺したのです。そして、本当に死んだのかを確かめるために一太刀脇腹を刺し、溺死に見せかけるべく死体を川に放り込んだのでした。

佐一郎の死体が上がったのは一週間後の事で、後に以蔵達は佐一郎殺しについて厳しい詮議を受ける事になります。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉


京都・洛北 京都桜事情2010 ~高野川 4.3~

Takanogawa1004041

平成22年4月3日の高野川です。この日は桜がほぼ咲き揃い、見事な桜並木の景観を楽しむ事ができました。

Takanogawa1004042

高野川沿いで特に見事なのが高野橋から河合橋までの間で、約1.5kmに渡って桜並木が続きます。

Takanogawa1004043

この日は見頃にはなっていましたが、すべての木が満開に成っていた訳ではなく、5分咲きから満開までの木が入り交じっていて、少し景観を損ねていたのが残念でした。

Takanogawa1004045

ここの良いところは花見の喧噪とは無縁なところで、純粋に花だけを楽しむ事が出来ます。ブルーシートを広げるだけのスペースが無い事に依りますが、これだけの花が咲いていて静かな場所は、有料の場所を除いてはそうは無いですね。

Takanogawa1004046

この花のトンネルの下を歩くのは、本当に気持ちが良いですよ。川のせせらぎを聞きながら歩いていると、道のりの長さなんて忘れてしまう程です。

Takanogawa1004047

もう一つは、水辺と桜のコラボレーションが楽しめるところでしょうか。写真的にはバリエーションの幅が広がるので、とても面白いですね。

Takanogawa1004048

今年は中洲が大幅に削られたのですが、まだ河原に下りられる場所は残っています。その河原からだと、こういう普段は目にする事が無い角度の写真を撮る事も出来ますよ。

Takanogawa10040410

最後は降る雪の様な桜をどうぞ。この絢爛さがソメイヨシノの真骨頂ですね。高野川はまだ盛りを迎えたばかりですので、もう暫くの間は楽しめると思います。

そうそう、車に乗る方は堤防の上の川端通を通るだけでも楽しめますよ。この時期ばかりは、渋滞もまた良しという気分になるから不思議です。

2010年4月 3日 (土)

京都桜事情2010 ~洛東・洛中・洛西 4.3~

平成22年4月3日現在の桜の開花情報をテキストベースでお届けします。

今日は概ね好天だったのですが、時折雲が広がったかと思うと霧雨が降るといった不安定な天気でした。桜はソメイヨシノが各地で見頃となっており、花見シーズンは一気にピークを迎えたと言えそうです。

1.高野川

全体として見頃と言って良いのですが、開花状況としては五分から満開まで幅があり、最高潮とまでは言えませんでした。今年は川の中州の大半が撤去されており、菜の花とのコラボは無くなりました。そのぶん澪筋が増えており、水面と花のコラボが楽しめますよ。

2.加茂川・鴨川

加茂川は高野川とほぼ同じで、ほぼ見頃になっています。また鴨川では、今出川通から下流東側で柳の新緑と桜のコラボが見事で、まさしく都の春の景色となっていましたよ。

3.本満寺

大枝垂れ桜はほぼ終了していましたが、ソメイヨシノが見事でした。八重紅枝垂れはまだ数輪が開花した程度。

4.相国寺

ここもソメイヨシノが満開です。またヤマザクラもまだ見頃を保っており、見応えがありました。ただ、この寺は全体として桜の数が少ないですね。

5.妙顕寺

ここもソメイヨシノが見頃です。また、門前の紅枝垂れが2分咲き程度になっています。また、方丈玄関前の八重紅桜も開花がはじまりましたが、今年はかなり花付きが悪そうですね。もっとも本堂の工事のせいで、写真を撮るには不向きになっているのですが。

6.妙覚寺

門前の枝垂れ桜は盛りはすっかり過ぎていますが、依然として満開は保っています。隣の八重桜は蕾がほころび始めていました。

問題は塔頭の善明院の八重紅枝垂れで、開花が始まったのですが、どう見ても花芽の数が少ないです。当たり外れが多い木といわれますが、今年は外れ年になってしまったのかも知れません。

7.本法寺

参道、本堂前共にソメイヨシノが満開です。見頃ではありますが、厳密にはピークを少し過ぎていたのかも知れません。

8.水火天満宮

早咲きの木はピークは過ぎているものの、依然として見頃は保っています。遅咲きの木は少し咲きだした所ですが、ここも花付きがあまり良くない様な?善明院よりは良さそうですが、どんなものなのでしょう。

9.妙蓮寺

御会式桜は盛りを過ぎ、散り初めとなりつつあります。ここもソメイヨシノが満開・見頃となっていました。あと、紅垂れは3分程度の開花です。

10.本隆寺

門前の早咲きの桜は終了していますが、ソメイヨシノが満開・見頃です。また、八重紅枝垂れが満開となっています。ただ、見頃の花と色抜けのした花が混在しており、全体のレベルを落としています。これって、冷え込みが続いた影響なのかしらん?


11.雨宝院

八重桜のつぼみがほころび始めています。また八重紅枝垂れ桜が少しだけ咲き始めていました。

12.千本釈迦堂

阿亀桜が、ピークを過ぎてはいるものの、まだ見頃と言える状態を保っています。ここもソメイヨシノが満開・見頃でした。

13.平野神社

桜苑のソメイヨシノが満開・見頃です。お花見ムードも全開でしたね。

一方の境内では、寝覚め桜が見頃になっているほかは八重紅桜が少し咲き始めた程度で、全体としては寂しい状態ですね。アーモンドの花と八重紅彼岸は満開です。

参道では、紅枝垂れが満開ではありますが、ピークは過ぎていました。八重紅枝垂れは3分咲き程度。陽光はほぼ終了です。また桜ではありませんが、海棠が見頃となりつつあります。

14.法金剛院

池の北側にある4本のうち3本が枝垂れ桜が満開・見頃ですが、そ中の一本はピークは過ぎています。残りの一本は3分咲き程度。

山門内側ではソメイヨシノが満開・見頃でした。

15.広沢池

池の周囲のソメイヨシノが満開見頃です。また、池の隣の平安郷が無料で公開されており、その中ではソメイヨシノが満開・見頃になっていました。また、何本かある枝垂れ桜が満開から見頃過ぎになっています。

16.大沢池

ソメイヨシノが3分から7分程度の咲き方で、綺麗ではふるのですが少し物足りない状況でした。

17.京都府庁特別公開

大枝垂れ桜は散り初め、紅枝垂れピークが過ぎてはいるあるものの満開でぎりぎり見頃、八重紅枝垂れは咲き始めでした。また、容保桜と大島桜が満開・見頃になっています。公開は明日4日までですね。

18.祇園白川

早咲きの枝垂れ桜は終了していますが、ソメイヨシノが満開となって見頃のピークを迎えています。人出の方もピークですね。

19.円山公園

ここもソメイヨシノが満開・見頃です。メインの枝垂れ桜は満開で、夜桜として見ている分には貫禄十分ですね。花色もまずまずに見えました。

20.高台寺公園

ソメイヨシノが満開・見頃です。境内には入っていませんが、高台寺の桜見頃というポスターが、あちこちに貼ってありましたよ。

21.京都御苑

近衛邸跡の糸桜は、早咲き系は全て終了しており、今は南側で3本の木が満開になっています。うち見頃は1本だけなのですが、他の桜とあいまって滝の様に見え、絶好の記念撮影ポイントになっていました。

また、苑内一円でソメイヨシノとヤマザクラが見頃になっています。そして、松サクラもまた満開見頃でした。

京都・洛東 京都桜事情2010 ~知恩院 3.28~

Tionin1004031

平成22年3月28日の知恩院です。この日は参道沿いと三門周辺にあるソメイヨシノが、見頃を迎えつつあるところでした。

Tionin1004032

どういう理由からかは判りませんが、毎年ここのソメイヨシノは他の場所よりも早く開花します。毎年の傾向として、すぐ隣と言って良い祇園白川や円山公園で咲き始めた頃に見頃を迎えるのですよ。

Tionin1004033

特に陽当たりが良いという訳でもなく、ちょっとした謎ですね。それも知恩院の境内ではほぼ同時というのだからますます面白い。

Tionin1004035

この日は木によってばらつきはあつたけれども、5分から満開といったところだったでしょうか。ソメイヨシノでこれほど咲いていたのは、平野神社の桜苑くらいだったかな。

Tionin1004036

知恩院では階段を上がった境内も桜はあるのですが、この日は時間の関係で見に行きませんでした。本当は、桜に関係なく、ここまで来た以上はお参りに行かなくてはならないのですれけどね。

Tionin1004037

この写真を撮ってから一週間、そろそろ他の場所でも見頃になっているかな。この記事は予約投稿なので速報は書けませんが、今日見てきた様子は明日アップしますね。

2010年4月 2日 (金)

京都・洛東 京都桜事情2010 ~鴨川 3.28~

Sanjyou1004021

平成22年3月28日の鴨川、三条大橋下流東側です。この日は堤防沿いに植えられた紅枝垂れ桜が、見頃を迎えつつあるところでした。

Sanjyou1004022

このあたりは、堤防の通路沿いに何本もの枝垂れ桜が植えられており、とても美しい花を間近に見る事が出来ます。

Sanjyou1004023

ここの木の中には早咲きと遅咲きが入り交じっており、この日は早咲きの木が5分咲きから満開近くになっていました。

Sanjyou1004025

早咲きの花は一重の紅枝垂れ。とても色鮮やかな、美しい花色ですね。

Sanjyou1004026

一方の遅咲きの花は八重紅枝垂れ。たぶん、この花が散って葉桜に代わる頃に見頃になるのでしょうね。

Sanjyou1004027

川縁にあるので、川とからめた写真を撮ろうとしたのですが、制約が多くて結構難しかったです。もう少し、京情緒溢れる写真が撮れそうなものなのですけどね。今度は遅咲きの桜で再挑戦をしてみます。

2010年4月 1日 (木)

京都・洛北 京都桜事情2010 ~上賀茂神社 3.27~

Kamigamojinjya1004011

平成22年3月27日の上賀茂神社です。この日は御所桜が満開・見頃を迎えていました。

Kamigamojinjya1004012

御所桜は白の一重の枝垂れ桜。魁桜などと同じく、他に先駆けて咲く桜として知られます。

Kamigamojinjya1004013

この桜は孝明天皇から上賀茂神社の神官に下賜されたと伝えられ、その神官から神社へと奉納されて今に至ります。

Kamigamojinjya1004015

つまりは、御所桜とは天皇縁の桜という意味なのですね。ですから、御所桜と名の付く桜は、この木のみならず各地に存在している様です。

Kamigamojinjya1004016

正確には、この日はまだ満開ではなかった様ですね。良く見るともつぼみは綻んでいたものの半開きの花が多く、咲ききっていない様でしたからね。この花もまた、おかしな天候に振り回されてとまどってしまったという事なのかも知れません。

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

ねこづらどき

最近のトラックバック

無料ブログはココログ