« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2010年3月

2010年3月31日 (水)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~妙覚寺 3.27~

Myoukakuji1003311

平成22年3月27日の妙覚寺です。この日は門前にある枝垂れ桜が、満開・見頃になっていました。

Myoukakuji1003312

実はこの木も3月20日にかなり咲き進んだのですが、満開にまでは至らなかった様ですね。そして、その後の冷え込みで開花にブレーキが掛かり、この日の少し前に満開に至った様です。

Myoukakuji1003313

ただ、子細に見れば早くに咲いた枝は色抜けが著しく、遅くに咲いた枝はまさに見頃といった具合に、結構なばらつきがありました。

Myoukakuji1003315

この枝などはまさしく咲いたばかりで、瑞々しいばかりの輝き方ですね。

Myoukakuji1003316

この桜も、初夏の様な陽気が来たと思ったら雪に降られたりと、さぞかしとまどっている事でしょう。見る側としては、長持ちしてくれる事はうれしいのですけどね。

この桜が終わる頃には、塔頭の善明院の紅枝垂れが咲き始めているはずです。去年は4月11日頃に満開になっていましたが、今年はどうでしょう。どんな美しい花に出会えるか、楽しみな事ですね。

2010年3月30日 (火)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~水火天満宮 3.27~

Suikatenmanguu1003301

平成22年3月27日の水火天満宮です。この日は2本有る枝垂れ桜のうち、東側の早咲きの木が満開・見頃になっていました。

Suikatenmanguu1003302

3月20日に来た時は蕾が膨らんだ程度だったのですが、一週間掛けて満開になってくれました。まさに見頃と言えるタイミングで出会えましたね。

Suikatenmanguu1003303

昨日からの真冬並の寒さで長持ちするかと思ったのですが、明後日からまた雨が続く様ですね。すると、この桜の見頃も長くはないのかな。つくづく訳の判らない天候が続く、今年の春ですね。

京都・洛中 京都桜事情2010 ~紙屋川 3.27~

Kamiyagawa1003301

鞍馬口通の南、紙屋川で咲いていたソメイヨシノです。川の両岸に家屋が林立する中、わずかなスペースに根を張り、見事な花を咲かせていました。

ご覧の通り花は全て川の上で咲いており、周辺の家の窓から眺める以外は橋の上から見るよりありません。なぜこんな所にと思う程、意外な場所ですよね。

私はと言うと、自転車で橋を渡っている時にふと気づき、一度通り過ぎてから戻って来たのでした。殺風景なコンクリート張りの水路の上で咲くこ花は、何とも場違いな感じもしないでは無いですが、だからこそ美しく見えるという気もします。

発見と言うと少し大げさですが、思いがけないものを見つける事が町歩きの醍醐味の一つですよね。

2010年3月29日 (月)

京都・洛東 京都桜事情2010 ~真如堂 3.27~

Sinnyodou1003291

平静22年3月27日の真如堂です。この日は本堂南側にある縦皮桜が満開・見頃となっていました。

Sinnyodou1003292

縦皮桜は江戸彼岸系と言われ、樹皮に縦の線が入る事からこの名があります。

Sinnyodou1003293

昭和33年に根元から折れた木が復活し、今年で52年ですね。春日局が植えたのは350年程前と言いますから、桜としては350歳、樹齢としては52歳という事になりましょうか。これからますます盛りを迎えるはずの桜です。

Sinnyodou1003295

三重塔の南側にある枝垂れ桜もまた満開になっていました。ただし、開花したのが早かったために雨の影響を受けており、盛りはかなり過ぎていました。

Sinnyodou1003296

この日が最後の見頃だったのではないかしらん?一気に咲いたと思ったら雨と強風に晒されて、あまり愛でて貰える時間は無かったんじゃないかな。綺麗な桜なのに勿体ないですね。

Sinnyodou1003297

境内のソメイヨシノは3分咲き程度でしたが、門前の桜たちは一足先に見頃となりつつありました。

Sinnyodou1003298

特にこのソメイヨシノ(ではないという説もありますが)の咲きっぷりが素晴らしかったです。まさに盛りであり、花が輝いて見えましたよ。

Sinnyodou10032910

桜ではありませんが、花の木もまた見頃でした。形は小さな地味な花なのですが、その色が鮮やかな赤色なのですね。全体に紅を散りばめた様に華やかに見える事から、花の木の名があります。

今日は真冬並に冷え込みましたので、桜の開花もまた止まってしまった事でしょうね。この気候では開花予想は難しすぎるのですが、とりあえず今週末あたりが見頃になるかもとしておきましょうか。当たらぬも八卦といったところですけどね。

2010年3月28日 (日)

龍馬伝13 ~さらば土佐よ~

「半平太から東洋暗殺を頼まれ、苦悩する龍馬。」

「象二郎から龍馬暗殺を命じられ、苦悩する弥太郎。」

「茶店で茶を飲む龍馬を見つけた弥太郎は、龍馬が厠に立った隙に象二郎から与えられた毒薬を龍馬の茶碗に入れます。そして、一旦は龍馬を置いて立ち去ろうとしますが、龍馬が血を吐いて倒れる姿を思い浮かべ、駆け戻って龍馬の茶碗をはたき落としました。龍馬に問い詰められ、象二郎に命じられた、つまりは東洋の命令であると告白する弥太郎。彼は龍馬を助けたのではない、上士に命じられ下士同士が殺し合う姿があまりにも悲しいと思って思いとどまったのだと吐き捨てます。」

「坂本家。春猪が龍馬を起こしに来ます。眠れぬ夜を過ごした事を隠し、平静を装う龍馬。彼は惣之丞から脱藩を誘われていたのでした。」

弥太郎が龍馬を暗殺しようとした事実はありませんし、龍馬が東洋を斬ろうとした事もなかったでしょう。ただ、東洋暗殺の動きに対し、嫌気が差した事が土佐勤皇党を見捨てた要因の一つではないかとする説はあります。

龍馬が脱藩した時に、沢村惣之丞が係わっていた事は史実です。惣之丞は京都挙兵計画に参加すべく吉村寅太郎と共に既に脱藩しており、同志を募るために再び土佐に戻っていたのでした。その誘いに乗ったのが龍馬だったという訳です。

「東洋の屋敷。象二郎に、昨夜はどこに行っていたと問いただす東洋ですが、象二郎は女の所へ行っていたと誤魔化します。そこに、龍馬が現れたと知らせが入ります。」

「龍馬は東洋に向かって、このままでは土佐が二つに割れてしまう、どうか半平太を城に上げて意見を言う場を作ってやって欲しいと頼みます。東洋は、斬り掛かろうとする象二郎を押さえ、能力が有る者なら下士でも取り上げるが半平太にはその能力がない、だから足蹴にしたと答え、龍馬に自分の下に来いと再び誘い掛けます。龍馬は東洋が自分を毒殺せよと命じるはずは無いと判っていた、しかし、自分はもう土佐だけの事を考える事は出来なくなったと東洋の誘いを断ります。憤然とした様子で屋敷内に戻る東洋。」

この下りは全くの創作ですが、東洋が能力次第で下士でも登用したというのは弥太郎という実例がありますね。東洋が一廉の人物であったと描くこのドラマは、東洋を単なる悪役として描く向きが多い中で、非常に公正な見方をしていると言えそうですね。

「岩崎家。弥次郎がばくちで勝ったと言い、ご馳走を食べています。その中で一人生きた心地がしない弥太郎。彼は、東洋の命令をしくじった、もう土佐には居られない、みんなで出て行こうと口走りますが、誰一人相手にしてくれません。途方に暮れる弥太郎の下に、東洋の使いがやって来ました。平伏して恐れ入る弥太郎に、象二郎の一件をやり遂げなかったのは言語同断であるが、諸般の事情を考慮して不問とするという通知が告げられます。安堵して大喜びする弥太郎。何の事か判らず、あっけにとられる岩崎家の人々。」

やはりこのドラマは弥太郎で保ってるところがあります。この岩崎家でのやりとりは漫才みたいで面白かったですね。中でも、喜勢の反応は秀逸でした。

「半平太の屋敷。半平太に呼ばれた那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助の三人。半平太は彼等に大きな仕事を頼みたいと切り出します。」

「吉村寅太郎が脱藩したという噂で盛り上がる坂本家。まさか龍馬はそんな事を考えてはいないだろうなと権平が質しますが、龍馬は言葉を濁して逃げ出す様に部屋を出て行きます。その顔色のただならぬ様子に、顔を見合わす坂本家の人々。権平は龍馬の部屋を家捜しし、惣之丞から渡された脱藩の道を記した地図を見つけます。見つかれば死罪と、龍馬を止めに行こうとする権平を、龍馬は土佐には収まらない大きな者を持っている、龍馬がやりたい事を見つけたのだと止める乙女。」

吉村寅太郎は高岡郡の庄屋の家の出で、半平太の弟子の一人でした。土佐勤皇党にも所属していましたが、半平太の使いとして訪れた萩で久坂玄瑞と会い、京都挙兵計画に誘われた事がきっかけとなり脱藩しています。彼が土佐で同志を募り、それに応じたのが沢村惣之丞だったのは先に記したとおりです。そしてこの時もう一人、宮地宜蔵という人物もまた仲間になり、3人で脱藩したのでした。

龍馬が土佐に収まりきらない人物だと言ったのは、乙女ではなく半平太でした。龍馬が脱藩した事を聞いた勤皇党の仲間が裏切り者といきり立つのを押さえ、龍馬は土佐にはあただぬ奴と言って、不問に付したのでした。このあただぬという言葉が、土佐弁で収まらないという意味なのだそうですね。

「半平太を訪ねてきた龍馬。彼は東洋の人となりを伝え、決して悪い人間ではないと取りなします。半平太は、龍馬が東洋を斬らなかった事は良かった、龍馬の言う通り考えの違う人間だからと言って斬るのは間違っていると答えます。しかし龍馬は、半平太が本心で言っているのではないと見抜き、どうか思いとどまってくれと懇願します。半平太は、子供の頃にスズメを捕まえようとした思い出話をし、もうあの頃とは違ってしまったと言外に龍馬の頼みを拒否します。」

龍馬が半平太とどういうやりとりをしたかは判っていませんが、これに似た出来事はあったかも知れません。ただ、このドラマへの不満として、半平太を低く描きすぎているいう思いはぬぐいきれません。龍馬を大きく見せたいという意図があるのかも知れませんが、東洋を良く描いているのとは対照的に過ぎますね。

「岩崎家。顔を見に来たという龍馬。そろばんがある事を聞かれ、牢で老人から教わった、商売は面白そうだという弥太郎に、自分の本家も才谷屋という質屋であり、商人の血が流れていると答える龍馬。そのまま帰ろうとする龍馬に、何しに来たのかと不得要領の弥太郎。」

「坂本家に帰って来た龍馬。自分の部屋に明かりが点っている事に不審を覚え、階段を登ると乙女が座っていました。何をしているのかと聞くと、長旅に耐える様に袴を繕っているのだと答えます。そして、母、兄嫁、春猪が用意した旅支度、そして兄権平からという家宝の刀を与えました。家族の気持ちを知り、乙女に抱きつき泣き崩れる龍馬。その気配を感じつつ、眠れぬ夜を過ごす坂本家の人々。」

龍馬が脱藩した時、家宝の刀を渡されたのは史実とされます。その刀を渡した相手は、乙女とする説の他に栄という姉とする説があります。「龍馬が行く」で採用されたのはこの栄の方でしたね。この栄とする説は、実は坂本家に伝わっていた逸話であり、坂本家の子孫の方から司馬遼太郎氏に伝えられたのでした。

この栄は嫁ぎ先を離縁されて坂本家に戻っていたのですが、龍馬が脱藩しようとしているのを知り、嫁ぎ先から形見として贈られた刀を龍馬に与えました。そして、脱藩者に刀を渡した事が知れると大罪に問われるため、自ら喉を突いて命を絶ったとされます。

ところがその後の研究で、栄は龍馬脱藩の17年前に亡くなっていた事が判り、現在ではこの説は否定されています。

一方、乙女とする説は汗血千里の駒にあり、姉から餞別として肥前忠廣を渡されたとあります。それを裏付ける資料として、龍馬が坂本家から姿を消したという届けと共に権平所蔵の刀を紛失したという届け出を出したという記録があります。もっとも、この記録(御用日記)の原本が失われており、その信憑性を疑う向きもありますね。

なお、龍馬の佩刀として有名なのは陸奥守吉行で、暗殺された時に持っていたのはこの刀でした。

「翌朝、いつもの様に春猪が起こしに行くと、龍馬の姿は有りませんでした。」

龍馬が脱藩したのは文久2年3月24日の事されます。脱藩のルートは龍馬伝紀行にあった様に、檮原村から伊予に抜け、川を下って長浜に至るというものでした。ただし一日で土佐を抜けた訳ではなく、25日に那須真吾の家に泊まり、翌26日に国境の宮野々関を越えて伊予に入ったと言われます。

龍馬脱藩の理由は、何度か書いている様に東洋暗殺に反対だったからとする説と、急進的な改革を目指す京都挙兵計画に魅力を感じ、迂遠な一藩勤皇を掲げる半平太に見切りを付けたとする説があるのですが、その両方が入り交じっていたと考えるのが妥当なのかも知れません。

「龍馬の居ない朝食の席で、これから才谷屋に行って来る、上士でも才谷屋に家宝を質入れしている者は多い、その帳簿が手にある限り、おいそれとは坂本家には手を出せないと告げる権平。」

「弥太郎の家。農作業をしていて、急に降り出した雨に降り込められる弥太郎。彼が龍馬の脱藩を知ったのはその日の夕方でした。」

「雨の夜。城から下がってきた東洋を、3人の刺客が襲います。3人に斬り立てられ、半平太の名を叫んで絶命する東洋。」

東洋を暗殺したのは、那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助の三人とされます。時は文久2年4月8日の夜の事で、龍馬の脱藩からほとんど時間が経っていません。実は暗殺団は4月1日から2度結成されていたのですが、実行には至っておらず、この時が3回目でした。

当日が雨だったのはドラマにあるとおりで、東洋は城で藩主への講義を終えての帰り道でした。その講義は日本外史で、織田信長が明智光秀に襲われるという段だったと言われ、あたかも東洋自身の運命を予言したかの様でした。城を出た時は何人かと連れ立っていたいたのですが、一人、二人と別れて行き、自宅近くの帯屋町で一人になった所を襲われた様ですね。

東洋を暗殺した三人は、東洋の首を獄門に掛けてから西に走り、脱藩したとされます。如何に半平太が下準備をしていたにせよ、参政を斬ったとなれば土佐には居る事が出来なかったのですね。なお、この夜動いていたのは3人だけにとどまらず、別働隊として13名が居たと言われ、半平太自身も立ち会っていたとも言われます。

この東洋の暗殺により、土佐の実権は半平太の手に落ちる事になって行きます。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉

京都桜事情2010 ~洛中・洛東 3.28~

少しだけですが、平成22年3月28日現在の桜開花状況をお伝えします。今日も早起きして、人出の少ない時間帯に桜の名所を回ってきました。

1.冷泉家

京都御苑の北側にある冷泉家の桜が見頃を迎えています。正確には少し盛りを過ぎているかも知れませんが、比較的色が濃いめのとても美しい花です。品種は判りませんが、今出川通に面しているためにとても目立ちますね。

2.京都御苑

近衛邸跡の糸桜は、早咲き系はことごとく色抜けになっており、盛りは完全に過ぎています。今朝の段階では、ぎりぎり満開を保っているといったところでした。今は西の端のピンク系の糸桜が見頃であるほか、南側の1本が咲き出したところであり、当分はこの2本が近衛邸跡の見所になりそうです。

石薬師門近くのエドヒガンもまた同様の状態で、満開ではあるものの見頃は過ぎています。代わって、その近くのヤマザクラが見頃を迎えつつあるところでした。このヤマザクラは御苑のあちこちで咲いており、今はこの花が苑内の主役ですね。

3.鴨川

三条大橋東詰めから南側に向けて、早咲き系の紅枝垂れ桜が見頃を迎えています。まだ小さな木ばかりですが、花の美しさでは今の時期一番かも知れません。歩道沿いに植わっているので間近に見る事も出来るし、河原に降りて川越しに見る事も出来るので、ここ数日の内に手っ取り早く綺麗な桜を見たいと言うのならお薦めですよ。

4.祇園白川

ここも早咲き系の枝垂れ桜は満開ではあるものの色抜けが著しく、盛りは過ぎています。ただ、ライトアップなら綺麗に見える事でしょう。代わりにヤマザクラが見頃になっているほかソメイヨシノが3分咲き程度になって来ました。ですので、全体としては華やかさを増しています。盛りはまだもう少し先でしょうね。

あと、縄手通の西側のソメイヨシノが3分から5分咲き程度になっていました。

5.知恩院

総門から三門にかけての参道沿いのソメイヨシノが満開になっているほか、三門周辺のソメイヨシノが見頃となりつつあります。ここの桜はなぜか毎年早く見頃になりますね。また、友禅苑西側の2本の枝垂れ桜が満開となっていました。

今日は境内にまで上がっていないので、そちらの様子は申し訳ありませんが判りません。

7.円山公園

池の前の枝垂れ桜が5分咲き程度になっていました。相変わらず痛々しい姿ではありますが、花の付き方は去年とほぼ同じか少し枝数が増えた様にも見え、衰える一方だった頃から見ると一息付いていると言えるのかも知れません。花の美しさは、依然として素晴らしいの一言です。

その南側にある祇園枝垂れ桜は満開・見頃です。少し陽当たりが悪いのではないかと思われるのですが、その咲きっぷりは素晴らしいものがありますね。

また、龍馬の銅像西側にある枝垂れ桜が満開・見頃、その東にある枝垂れ桜も満開・見頃ではありますが、少しだけ盛りを過ぎている様でした。

ソメイヨシノは、公園の西側では見頃となりつつありましたが、枝垂れ桜の前の広場及び池から東側では1分から3分咲きといった程度で、まだ見頃には至っていません。お花見モードは全開ですけどね。

2010年3月27日 (土)

京都桜事情2010 ~洛中・洛東・洛北 3.27~

平成22年3月27日現在の桜情報をテキストベースでお届けします。

今年は咲き始めが早く、特に3月20日の異様なまでの陽気で一気に花開いた桜が多かったのですが、その後続いた長雨によって大半が散ってしまうのではないかと危惧していました。ところが今日回った限りでは、私の心配は杞憂に終わった様ですね。雨と共に真冬並みに冷え込んだ事が桜の開花にブレーキを掛けたらしく、ほとんどのところが見頃を保っていましたよ。これは嬉しい誤算となりました。

1.真如堂

縦皮桜が満開・見頃になっています。20日に二分咲き程度だったのですが、冷たい雨の中をじわじわと咲き進み、一週間掛けて満開となったのですね。薄墨色と言いますか、少し色の濃い、独特の風合いを持った桜ですよ。

次に枝垂れ桜も満開で、見頃を保っていました。ただし、こちらはピークを過ぎてしまったらしく、かなり色抜けをしていますね。見頃と言うにはぎりぎりの所かな。

そして、山門前の桜が綺麗に咲いています。豪華さではここが一番かな。あと、境内の染井吉野は全体として3分咲きといった程度でしょう。

2.本満寺

3月22日には既に満開となっていた枝垂れ桜ですが、依然として見頃を保っていました。さすがに色落ちは激しく、間もなく艶のない白色に変わる事でしょう。でも、4日も続いた雨の中でよくここまで保ったものだと思いますね。

3.相国寺

境内に何本かある染井吉野(または山桜?)が見頃を迎えつつあります。この寺は元々桜の数が少ない上に、花が咲くのが高い木の上部に限られているので、あまり世間には知られていない様です。派手さは無いですが、その代わりに落ち着いた風情がありますよ。

4.妙覚寺

この寺の枝垂れ桜は本満寺とほぼ同時に満開になったのですが、今日現在でも十分に美しい花を愛でる事が出来ます。ここは枝ごとの差が顕著に見られ、3月20日の時点で開花していた枝は色抜けが始まっているのですが、それ以後に開花した枝が、盛りの色を見せていてくれました。

5.本法寺

門前の染井吉野がほぼ満開、境内の染井吉野が3分咲き程度になっています。

6.水火天満宮

奥の枝垂れ桜が、満開・見頃になっています。長雨の影響はほぼ見られず、今年も素晴らしい花色を見せてくれました。

7.千本釈迦堂

阿亀桜がなんとか見頃を保っていました。ピークは既に過ぎていた感じですが、とても豪華な印象を受けましたよ。

8.平野神社

魁桜はまだ満開をキープしていました。この花はさすがに駄目だろうと思っていたのにね、驚きの一言です。色は抜け落ちて真っ白ですけど、それはそれなりに綺麗に見えるものですよ。

境内では陽光が満開でした。また、鳥居の直後にある紅枝垂れ桜が4分から5分咲き程度です。

一方、桜苑では屋台が建ち並んでいて、一気に花見モードに突入しています。ここの染井吉野は5分咲き態度、枝垂れ桜が満開となっていました。

9.上賀茂神社

御所桜が満開・見頃となっています。ただ、厳密には満開とは言い難いのかもしれません。なぜって、ちゃんと開花しておらず、まだ半開きの花が大半を占めているという状態でした。たぶん寒さのせいでしょうけど、これからちゃんと開いてくれるのか、ちっょと気掛かりです。

9.半ら木の道

大半は蕾が膨らんだ状態で、開花はまだこれからという状況でした。ただ、全部で4本の木が満開である事を認めており、全てが同じペースでは無いのが興味深いところです。

京都・洛東 東山花灯路2010 ~清水寺から三年坂まで~

Kiyomizudera1003271

清水寺の後半は三重塔が中心となります。昼間でも目立ちますが、ライトアップされると一段と存在感を増すのですよね。

Kiyomizudera1003272

でも、今は舞台下に作られた通路からの景観がもう一つの見所になっています。特に通路の途中にハクモクレンが咲いており、絶好の撮影ポイントになっていました。

Kiyomizudera1003273

こちらは定番の一つ、放生池越しに見た三重塔です。ここでもハクモクレンが満開になっており、ライトに照らされて映えていましたよ。

Kiyomizudera1003275

来る時は明るすぎて撮らなかった仁王門と三重塔です。ここも定番の場所ですね。清水寺はやはり大人気で、人・人・人の波でした。

Kiyomizudera1003276

清水坂を下りて三年坂まで来ました。すると、枝垂れ桜が満開になっているではありませんか。これにはさすがに驚きました。ここは早くて3月の末、例年4月の初め頃のはずですからね。ちなみに去年は3月21日に三分咲き程度でしたから、もしかしたら年々早くなっているのかもという気もします。

Kiyomizudera1003277

おなじみ、花灯路の夜の三年坂です。坂を下りてから振り向いてみると、これだけ大勢の人が上り下りしているのに驚かされてしまいます。

Kiyomizudera1003278

八坂通を行き交う人は、これからそれぞれのお目当ての場所へと急ぐのでしょうね。でも、私と家人は前回二年坂まで歩いているので、このまま八坂の塔まで下がって家路へと就きました。

春の宵のイベントは、今年もやはり楽しかったですね。少し肌寒かったり、雨がちだっりもしますが、それもまた早春の風情というものです。この風情があれば、有名人やイベントに頼らなくても十分に楽しめますね。

来年もまたこのイベントに来たいものだと願っているところです。

2010年3月26日 (金)

京都・洛東 東山花灯路2010 ~清水寺~

Hanatouro1003261

平成22年3月20日に訪れた東山花灯路です。前回は二年坂までだったので、今回は清水寺からのスタートです。

Hanatouro1003262

清水寺に着いたのは、灯籠に灯りが入る18時丁度の事でした。さすがに3月も20日になると、この時間でもまだ随分と明るいですね。

Hanatouro1003263

せっかくのライトアップを楽しむには少し早すぎたので、家人と二人して暗くなるまで舞台の隅で腰掛けて時間待ちをしていました。舞台の上を行き来する人達を見ていると、本当に色々な人が居て結構楽しめたりしますね。

Hanatouro1003265

舞台の上からの夜景は、空が丁度良い明るさにはなったものの、やはり子安の塔が書き割りなのが大きなマイナスですね。

Hanatouro1003266

こちらは本物の三重塔。子安の塔も修理が完成すれば、この塔の様な姿になるのかな。完成まであと2年、真新しい塔の姿を見るのが待ち遠しいですね。

明日は清水寺の後半から三年坂までをお届けします。

2010年3月25日 (木)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~京都御苑近衛邸跡 糸桜 3.22~

Itozakura1003251

平成22年3月22日の京都御苑・近衛邸跡です。この日は早咲き系の糸桜が満開となっており、見頃を迎えていました。

Itozakura1003252

私が行ったのは午前7時過ぎだったのですが、既に数人のカメラマンの姿がありました。それでもまだ知れたもので、ゆっくりと、かつのんびりした気分で撮影を楽しむ事が出来ました。

Itozakura1003253

ところが時間が経つ程に人数が増え、午前8時を迎える頃には相当な混雑と言える程になっていました。糸桜が満開になっているという情報が行き渡っており、少しでも混雑を避けようと朝から出てきたのでしょうね。

Itozakura1003255

まあ、人気があるのは当然で、これだけ雅な枝垂れ桜が集中している場所は、ちょっと珍しいですからね。それに、桜シーズンの本格的な幕開けを楽しみたいという思いもある事でしょう。それにしても、午後はどれ程の混雑になっていたのだろうな。

Itozakura1003256

元は近衛邸で咲いていたとされる糸桜ですが、公家屋敷の中ではどんな風情があったのでしょう。それを想像しながら写真を撮るのも、なかなか面白いものですよ。

Itozakura1003257

それに、朝独特の柔らかい光の中で桜を見るのも良いものです。ちょっと日陰が多くて撮りにくいという面もありましたが。

Itozakura1003258

この満開の桜も、その後の長雨で散ってしまった可能性もあります。1日だけならともかく3日も降り続くとは、何とも嫌味な雨でしたよね。

Itozakura10032510

糸桜には遅咲きの系統もあり、早咲き系が葉桜に変わる頃に見頃を迎えます。その頃には桜に対する関心も薄れるのでしょう、ほとんど誰も見に来ていないといった事もあります。ですので、早咲き系を見逃した人は、八重桜の咲く少し前にここに来ると良いでしょう。じくりと美しい糸桜を見る事が出来ますよ。

2010年3月24日 (水)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~本満寺 3.22~

Honmanji1003241

平成22年3月22日の本満寺です。この日は20日の午前中にはまだ3分咲き程度だった枝垂れ桜が満開となっており、まさに見頃を迎えていました。

Honmanji1003242

厳密にはこの前日に満開になってやり、その日がピークだったのかも知れません。でも、これくらい美しければ文句の付け様はありませんね。

Honmanji1003243

私が訪れたのは午前8時過ぎの事で、さすがに混雑とは無縁でした。この日は黄砂の影響もなく、澄み切った青空に桜が良く映えていましたよ。

Honmanji1003245

このお寺での定番写真の一つが、妙法の文字を入れたこの角度ですね。つまりは、本満寺が日蓮宗の寺である事を示しているのです。

Honmanji1003246

正確には広宣流布山本願満足寺と言い、本満寺は通称なのですね。単に満足寺と略さないのは、本が入った方が日蓮宗らしく聞こえるからでしょうか。それとも、日蓮宗にとっては本の字が特別な意味を持っているのかな。

Honmanji1003247

毎年思う事ですが、この細くて長い枝が折れもせずに年月を重ねているのは大したものですね。他の寺社では枝が折れてしまうのか、ある年に突然短くなってしまう事も珍しくなく、人が近づける環境にある木としてはとても凄い事だと思います。

Honmanji1003248

朝の清々しい空気の中で見る桜は良い物ですね。純粋に桜の美しさを愛でたいと願うのなら、早朝の桜見物はお薦めですよ。

Honmanji10032410

この美しい桜も、その後3日も続いた雨で駄目になっているかも知れません。昨年の秋の紅葉の時もそうでしたけど、行楽シーズンが雨に祟られる事が多すぎる気がします。天気に文句を言っても仕方がないのですが、これって巡り合わせ、それとも異常気象のせい?

月並みですが、こういう時は少ないチャンスの中で綺麗な花に出会えた事に感謝して、精一杯愛でる事に専念するのが良いのかも知れませんね。


2010年3月23日 (火)

京都・洛東 京都桜事情2010 ~祇園白川 3.20~

Gionsirakawa1003231

平成22年3月20日の祇園白川です。この日は早咲きの枝垂れ桜の古木が満開になっていたほか、数本の枝垂れ桜が花を咲かせていました。

Gionsirakawa1003232

物凄く早い様な気がする今年の桜ですが、冷静に振り返ってみると去年と同じだったりします。この祇園白川も、ほぼ去年と似た様な進行ですね。

Gionsirakawa1003233

違うのは本満寺や妙覚寺の桜が一週間ほど早い事、そしてその咲きっぷりが物凄く早く、咲き始めてから2日ほどで満開になった事でしょうか。三年坂の桜も満開だったし、この気候のせいでどこの桜がどういう影響を受けているのか、さっぱり判らないというのが現状です。

Gionsirakawa1003235

確かなのはお花見モードが早くも全開だという事で、この花の下にも沢山の人が並んでいましたよ。

Gionsirakawa1003236

でも、見頃の花はやはり美しいですね。桜が本当に美しいピークは、1日かせいぜい2日といったところ。ですから、なかなかそんなタイミングに恵まれる事は無いのですが、巡り合わせによっては輝く様な花と出会う事が出来ます。

Gionsirakawa1003237

祇園白川の見頃はまだまだこれからというところでした。たぶん、今週末あたりに見頃になるのではないかと思われます。去年の流れに沿えば、ですけどね。

2010年3月22日 (月)

龍馬伝12 ~暗殺指令~

「半平太に懇願され、また下士達の熱意に押されて、土佐勤皇党の連判状に署名し、血判を押す龍馬。彼に続いて勤皇党に加盟した下士達の数は200名あまりの人数になりました。」

土佐勤皇党に加盟した人数は、名簿で確認出来るのが192名、この他に様々な理由で名簿から名前が削られた同士も存在するので200名を超えていたとされています。ほとんどが下士と庄屋層からなり、上士は数人を数えるのみでした。この他に、結盟には参加しないもののその動きに同調する者が300名程存在し、半平太の勢力は500名を超えていたと考えられています。

「我らの目的は京におわす帝の為に攘夷をなす事と檄を飛ばす半平太に、鬨の声を上げて答える勤皇党の面々。その中で一人どこか醒めている様子の龍馬。」

「居酒屋で気炎を上げている以蔵、収二郎、それに龍馬の三人。上士は勤皇党に一目を置き始めていると喜ぶ以蔵と、加尾に関する非礼を侘び、自分たちはもう仲間だと龍馬に仲直りを申し出る収二郎。そこに沢村惣之丞が現れます。彼は龍馬が他の仲間とは違ってどこか醒めていると見抜き、次いで半平太の優柔不断をなじります。彼は、半平太の悪口を聞いて色めき立つ収二郎と以蔵を尻目に、長州では久坂玄瑞が要となって今にも攘夷を決行しようとしているとぶち上げます。久坂は吉田松陰の一番弟子と聞いて驚く龍馬。」

沢村惣之丞は1843年(天保14年)に、土佐郡潮江村の地下浪人の家に生まれました。龍馬よりは7歳年下ですが、これより後の龍馬の生涯に大きく係わって行く事になります。ただ、ドラマでは初対面であるかの様に描かれていましたが、彼は龍馬と同じ日根野道場で修行していたと言われており、少なくとも以前からの顔見知りであった可能性が高いものと思われます。

「藩に対して攘夷の意見書を書く半平太。その意見書を無視し続ける吉田東洋。その事を敏感に察知し、名指しで東洋を非難する半平太。彼は何故自分が攘夷と言うかを判って欲しいと龍馬に訴えかけます。その半平太の誘いに乗るがごとくに、攘夷のなんたるかを知るために長州に行って久坂に会いたいと切り出す龍馬。ついにその気になったかと喜び、二つ返事で引き受けて紹介状を書く半平太。」

ドラマでは龍馬から萩行きを願い出た事になっていましたが、実際には半平太の命により、龍馬が使者として萩を訪れたのでした。実のところ半平太が萩へ送った使者は龍馬が2回目であり、この後3回目の使者として吉村寅太郎が派遣されています。つまり、半平太は腹心と言える同士を藩外に派遣し、情報交換を図りつつ連帯を強化しようとしていたのですね。

「長州に向けて旅立つ龍馬。彼が剣術修行でない旅に出るのは初めての事でした。そして、後の会いたいと思う人物には労を惜しまず出掛けていくという龍馬の生き方の始まりでもありました。」

この萩行きは、表向きは丸亀藩への剣術修行という名目でした。高知を出発したのは文久元年10月11日の事で、樋口真吾という郷士はその日記に「坂龍飛騰」と記しています。正確には単に龍馬が旅立ったという意味なのでしょうけど、この萩行きがその後の龍馬の運命を変えるきっかけとなった事から、龍馬の飛躍を象徴的に表す言葉としてこの「坂龍飛騰」が使われる様になっています。

「岩崎家。喜勢を嫁に迎える婚礼の宴で盛り上がっています。そのなれそめは、肥だめに落ちてもがいている弥太郎を、喜勢が助けたのがきっかけなのでした。周囲から何と言われようとも、美しい妻を迎えた弥太郎の上機嫌は変わりません。」

「朝、仕事に出掛ける弥太郎とそれを見送る喜勢。何度も振り返る弥太郎をあきれた様に見送る岩崎家の人々。」

弥太郎が喜勢と所帯を持ったのは、文久2年2月1日の事です。喜勢は髙芝玄馬という郷士の娘で、早くに父を亡くし、その後は叔父夫婦によって養育されました。二人のなれそめが肥え溜めにあるというのは、多分創作なのでしょう。それとも、地元にはそんな伝承が残っているのでしょうか。

なお、これに先だって、弥太郎は借財をして郷士株を取り戻していますが、郷廻り役は先の長崎での失敗によって解職されており、この時は無役の浪人でした。

「文久2年1月14日、萩に着いた龍馬。草莽崛起、飛耳長目など様々な警句が掲げられた久坂の部屋を、物珍しげに見回す龍馬。その前で半平太の紹介状を読む久坂。久坂の背後には、「身はたとひ、武蔵の野辺に朽ちぬとも、留めおかまし大和魂」という松陰の辞世の歌が書かれていました。松陰の無念さを偲んで泣き叫ぶ久坂を前に、少々持て余し気味の龍馬。」

ドラマでは省略されていましたが、10月に土佐を発った後の足取りは、実は明確になっていません。大筋としては丸亀を経て一度長州に渡ったのですが、久坂が江戸に行っていて留守であったために、彼の帰りを待つべく大阪に向かったとされます。そして再び萩に向かい、ようやく面会出来たのが1月14日という事になっています。しかし、この間の行動には不明な点が多く、一説には合間を縫って宇和島へ赴いていたとも言われます。

「龍馬は5歳年下の久坂に、攘夷のなんたるかを教えて欲しいと頼みます。龍馬はアメリカは日本と交易がしたいだけであり、侵略の意図は見えないと切り出します。久坂は、日本の小判1枚に付きアメリカの銀貨5枚という交換レートを示し、本当の価値は銀貨15枚に相当する、これは幕府の無知が招いた結果であり、このままでは日本が破滅する、だから攘夷を行わなければならないのだと答えます。」

「土佐藩では吉田東洋という開国派の参政が居ると言いかける龍馬を遮る様に、「一君万民」と叫ぶ久坂。それは我らも徳川も帝の一家臣に過ぎないという松陰の教えでした。攘夷は日本のため、帝の為に行うものと言われ、尊皇攘夷の意味がやっと飲み込めた様子の龍馬。久坂はさらに、日本をこんな有様にした幕府などもう要らぬと言い放ち、龍馬を驚かせます。そして、藩など無用のもの、脱藩してでも立ち上がるべきだ、行動あるのみという松陰先生の教えを忘れたのか、共に立ち上がりましょうと龍馬に詰め寄ります。そして、遂には松陰の名を呼び、泣き叫ぶのでした。」

龍馬の萩滞在は10日に及んでおり、久坂から半平太に宛てた返書を持って土佐へと帰って行きます。その返書には、龍馬と腹蔵無く話し合ったので委細は龍馬から聞いて欲しいとあり、久坂と話が出来る程に志士として龍馬が成長している事が窺えます。

実のところ、東洋が実権を握る土佐藩と同じ様に、長州藩においても長井雅楽が実権を握って藩論を公武合体にまとめている時期であり、久坂にとっても非常に苦しい時期でもありました。半平太への返書の中でも、もはや大名や公家は当てに出来ず、草莽の人が集まり決起するしかないと記しています。そして、尊藩も弊藩も滅亡しても大義なれば苦しからずとあり、天皇の意向が通らないのであれば、藩などは無用の存在だと言い切っています。現状に対する苦し紛れと受け取れなくも無いですが、この久坂の過激さが龍馬に与えた影響は小さなものでは無かったと思われます。

「土佐、半平太の屋敷。いつまで待てば良いのかと半平太に詰め寄る勤皇党の面々。もう暫く待てと懸命に押さえる収二郎。既に薩摩は京に向かっている、自分たちも行こうと唆す惣之丞。その声に答える様に立ち上がる勤皇党員達。彼等を一喝し、自分たちだけが立ち上がってもどうにもならない、藩を動かしてこそ攘夷は実行できると押さえる半平太。」

惣之丞の言う薩摩の動きとは、島津久光の率兵上洛と呼応した京都挙兵計画を言うのでしょう。この計画は清河八郎が絵を描いたもので、久光が千人の薩摩藩兵を率いて上洛するのは朝廷の命を受けて幕府を討つためであり、有志の者は全て京都に集結し、この挙に参加せよと呼びかけたのでした。

久坂もまたこの計画の賛同者であり、龍馬の後に萩を訪れた吉村寅太郎にこの事を打ち明け、同志に引き入れています。惣之丞はこの吉村から話を聞いてその仲間となったのですが、ドラマの進行と時系列的に整合が取れているかは、少し微妙の様な気がします。

それはともかくとして、この挙兵計画が吉村と惣之丞の脱藩に繋がり、さらには龍馬をも巻き込んでいく事になるのです。

「開国を非難し、幕府から謹慎を命じられたという経歴を持つ容堂候。半平太は容堂候は攘夷の志を持っているに違いないと確信していたのでした。」

容堂は確かに攘夷派でした。しかし、それ以上に幕府に対して恩義を感じており、幕府の威光を傷つけ様とする尊皇攘夷派とは相容れない立場を取っていました。しかし、半平太はあくまで容堂は尊皇攘夷主義者であると信じており、そこに行動の基礎を置いた半平太の悲劇があったのです。

「柴田備後から、東洋の失脚はまだかと責められる半平太。京都からの情報では、都は攘夷の色に染まりつつある、その波がやがて土佐にも押し寄せ、東洋も考えを改めざるを得なくなると説く半平太。その情報源は三条家に奉公に出ている加尾でした。」

「京都、三条家。奥女中として商人の相手をする加尾。すっかり京言葉に染まっています。加尾は商人から三条家宛の手紙が入った箱を受け取ります。箱を開けて手紙の束を宛名別に仕分けていると、その中に半平太から届いた手紙がありました。」

「半平太は加尾の活躍を称えつつ、東洋を狼狽させる様な情報が欲しいと言って来たのでした。同時に、龍馬が自分たちの仲間に入り、加尾の活躍に期待していると伝えてきました。その言葉に半信半疑の様子の加尾。」

「土佐に帰って来た龍馬。その脳裏をよぎるのは、志があれば実行あるのみと言った久坂の言葉でした。」

「吉田邸。半平太の意見書を東洋に取り次ぐ象二郎ですが、一々持ってくるなと叱りつける東洋。半平太に変わって龍馬が出てこない限り土佐勤皇党は潰れると言う東洋に、なぜ東洋の誘いを袖にした龍馬を放っておくのかと詰め寄る象二郎。東洋は、龍馬は半平太の下に収まる様な男ではない、いつか自分の腹心にしてやるとつぶやきます。それを聞いて、面白くなさそうな様子の象二郎。彼は半平太の意見書を叩き付けて部屋を出て行きます。」

「半平太の家。勤皇党の面々を押さえておくのは限界だ、事を起こして欲しいと訴える収二郎。黙して語らない半平太。」

「海を見つめて思い悩む龍馬。」

「登城しようとする東洋の下に、下士達が門前に集まっているという知らせが届きます。象二郎が出てみると、土下座してかしこまる勤皇党員達が居ました。その先頭に居るのが半平太。」

半平太が藩の上層部にその意見を具申したのは史実であり、実際に何度か東洋とも面会したとも伝えられます。しかし、それはドラマにある様な直訴とは違い、もっと穏当な面会だった事でしょうね。

「半平太は、都におわす帝も、容堂候も攘夷を望んでいる、にも係わらず何故開国策を東洋は進めるのかと訴えます。しかし、東洋は帝の考えがどうして御前に判る、帝が異国と闘えと命じたとは聞いていない、容堂候もまたそんな事は言っていないはずだと切り返します。言い返そうとする半平太を遮り、山内家は関ヶ原の戦いに勝った事によって土佐を賜ったのであり、その大恩人である徳川家に楯突く事など考えもしないと言い切ります。」

東洋が言った関ヶ原の恩とはまさしく山内家の家訓であり、容堂の行動哲学でもありました。しかし、東洋がこういう事を半平太に向かって言ったのかどうかは定かではありません。もし言ったとしたら、それはかなり微妙な影を持っていた事でしょうね。なぜなら、東洋の祖先は被占領者たる長宗我部氏の家臣であり、徳川氏が恩人と言えるかはかなり微妙なところがあるからです。ましてや郷士にとっては徳川氏は仇以外の何者でもなく、それを忘れて山内氏に尻尾を振る東洋は憎悪の対象にしかならなかった事でしょう。

「半平太は、明君の呼び名高い容堂候であるなら、日本が開闢以来の危機に立っている事は判るはず、恩義よりも先の事が大事と訴えますが、恩義を忘れよと大殿様に指図するとは、武士にあるまじき言いぐさと一喝し、その場を去ろうとします。その足にすがりつき、容堂候への取り次ぎを懇願する半平太ですが、東洋はその半平太を足蹴にし、狭い了見しか持たぬくせに自分は正しいと思いこんでいる半平太など嫌いだ、二度と自分の前に姿を見せるなと罵ります。さらにすがりつこうとする半平太を足蹴にする象二郎。彼は土佐勤皇党などとっととやめろと言い捨てて、城に向かいます。血まみれの顔で泣き叫ぶ半平太。その彼を心配そうに見つめる収二郎達。」

ドラマでは半平太は足蹴にされていましたが、彼はお目見えの権利を持つ白札であり、幾ら何でも顔を蹴飛ばすなどという乱暴は受けなかった事でしょう。後に獄に下された時も、彼だけは白札の身分を重んじられて、拷問を逃れているのですからね。

東洋が半平太の意見を受け入れなかった背景の一つとして、この時期はまだ容堂の謹慎が解けておらず、下手な行動を起こしては容堂の身が危ないという事情もありました。容堂の志を受け継ぐと言いながらその身の安全を考慮しない半平太の意見書は、東洋にしてみれば片腹痛いといったところがあったのでしょう。

「半平太の叫び声を尻目に登城を急ぐ東洋達。身の程知らずとののしる象二郎に、今は坂本が居なかったと答える東洋。その言葉を聞き、顔を歪める象二郎。」

このドラマに共通する行動原理の一つには、男の嫉妬心がある様ですね。半平太が無理な行動を重ねる様になったきっかけは、龍馬に江戸留学を越された事にあった様に描かれていましたし、ここでは象二郎が東洋の龍馬びいきに嫉妬しています。まあ、社会を動かす要因としてそういう側面もあるのでしょうけど、大河ドラマとしてはどうなのかしらん?如何にも安っぽい設定という気がしますね。

「喜勢の名を叫びながら、上機嫌で帰ってくる弥太郎。喜勢と言いながら家に飛び込んだ彼を待っていたのは、祝言祝いに駆けつけた龍馬でした。」

「その夜、喜勢を褒めちぎる龍馬に、魂胆を含みつつ上機嫌を装う弥太郎。龍馬は東洋が新御小姓組に誘ってくれた事を断った事が、弥太郎の顔に泥を塗る結果になったのではないかと気に掛けていました。そんな事はどうでも良いとあくまで上機嫌を貫く弥太郎。」

「龍馬は萩に行った事で、勤皇党の面々とは考えが違う事にはっきりと気付いた、自分は土佐人である前に日本人だ、土佐で良い目をする事など意味はないと言います。一方、そんな話は半ば聞き流し、龍馬から新御小姓組には自分こそが相応しいと推挙してくれと頼む弥太郎。その言葉が聞こえないがごとく、土佐を出たいと思った事はないか、上士も下士も無い国に行き、自分の志を遂げたいと思った事は無いのかと問いかけます。弥太郎は、人が羨む様な妻を貰ったばかりの自分には、出世して妻に良い暮らしをさせてやる事こそが男の生きる道だと答えます。そして、勤皇党の連中が東洋の屋敷に駆け込んだが、半平太が足蹴にされた、もう御前の出世の道は無いと言って、新御小姓組を自分に譲れと再度迫ります。弥太郎の言葉を半ばまで聞いた龍馬は、半平太の無念を思いやり、弥太郎を置いて飛び出して行きます。」

この設定は無論創作ですが、二人のやりとりは見ていて面白く秀逸でした。話が通じている様な、通じていない様な訳の判らない会話でしたが、弥太郎の軽妙な演技が光っていましたね。特にわしの顔を見ろという仕草が子供の様で面白かったです。

「半平太の家。傷の痛みに顔を歪めて叫ぶ半平太。彼を介護する妻の富。富が水を換える為に部屋を出て行くと、半平太はもう一人の自分の声を聞きます。御前と東洋は水と油、ここで終わっては土佐も日本も、そして御前もお仕舞いだ、収二郎や以蔵に見下され、加尾に恨まれると言われ、どうすればよいと嘆く半平太。自分にまかせよ、わしは御前の味方という影の声に、思わず笑みを浮かべる半平太。」

またしても、ダークサイド半平太が現れましたね。史実の半平太は、謹厳でありながら家族や仲間には優しいという表の顔を持つ一方で、天誅に手を染めて京洛の地を恐怖のどん底に沈めたという側面も持っていました。このダークサイド半平太は、まさしく後者の半平太の姿を表しているのでしょうね。

「夜道の中、半平太の下に駆けつけた龍馬。事情が判らず、何があったのかと龍馬に問いかける富。」

「龍馬に去られ、やけ酒をあおる弥太郎。そこに象二郎が現れます。」

「部屋の外から声を掛け、半平太の部屋に入る龍馬。そこに待っていたのは、落ち着きを取り戻して、静かに座っている半平太でした。」

「象二郎の用事は龍馬の事でした。思わず、新御小姓組を龍馬が譲ってくれたのかと喜ぶ弥太郎ですが、象二郎は龍馬の命が欲しいと言い出します。思わぬ言葉に驚く弥太郎。」

「東洋に足蹴にされたというのは本当かと問いかける龍馬に、こんな良い事をどうして思いつかなかったのかと答える半平太。その様子を背後から窺っている富。」

「東洋を斬ってくれと懇願する半平太。当惑する龍馬に、斬ってくれと狂気のごとく迫る半平太。」

「龍馬を殺せと命ずる象二郎。困惑する弥太郎に、龍馬を殺せと顔を歪めて迫る象二郎。」

龍馬が東洋の暗殺に係わったという事実は無い様ですが、一説には東洋暗殺の動きに嫌気が差した事が脱藩の動機の一つになったとも言われ、もしかしたら相談を持ちかけられた事はあったのかも知れません。ただし、直接刺客となってくれと頼まれたという事はなかったでしょう。

一方の象二郎の動きは気になりますね。後の龍馬暗殺の黒幕は象二郎であるとする説があり、もしかすると龍馬を殺すのは彼という役回りになるのかも知れません。でも、その動機が嫉妬からとすると何だか嫌だなあ。この二人は、もっと壮大な働きをするのですからね。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉

 京都桜事情2010 ~洛中・洛南 3.21・3.22~

少しですが、平成22年3月21日及び22日の桜情報です。

1.中書島 長建寺

3月21日現在ですが、数本有る枝垂れ桜が全て満開になっていました。どちらかと言えば、既にピークを過ぎていた様にも思えます。染井吉野はまだ開花していません。

中書島は龍馬伝人気なのでしょうね、結構な人で賑わっていました。特に寺田屋と龍馬通商店街が元気ですね。

2.京都御苑 近衛邸跡
 
京都御苑には、今朝(平成22年3月22日)早くに出掛けて来ました。近衛邸跡では、午前7時頃にはまだ数人程度だったのですが、時間と共に人出が増えて、午前8時頃にはカメラマンを避けて撮るのが難しい程になっていました。これから午後に掛けては、相当な人出で賑わう事でしょうね。

肝心の桜の方ですが、早咲き系の糸桜が満開・見頃になっています。少しピークを過ぎた木も見受けられますが、全体として今日辺りが一番の見頃なのではないでしょうか。

3.京都御苑・出水の枝垂れ桜

ここも満開・見頃となっています。気持ち、ピークを過ぎていたかも知れません。ここには7時前に着いたのですが、周囲に誰も居なくて独占状態でした。早起きをした甲斐がありましたよ。

4.宗像神社

境内にある桜が見頃になっています。ごく若木でまだ小さいのですが、色の濃い綺麗な花を咲かせています。種類は不明ですけどね。レンギョウの黄色い花とのコラボレーションが見事でしたよ。

5.石薬師門近くの桜

たぶん江戸彼岸ではないかと思われる桜の古木が、満開・見頃になっています。1本だけですが、なかなかの存在感を感じさせてくれる木です。通路を隔てて北側から見ると、とても姿が良いですよ。

6.本満寺

20日に三分咲きと書いた枝垂れ桜が、満開・見頃になっています。20日が異常に暖かかったせいでしょうか、この日の夕方にはほぼ満開に近くなっていた様ですね。3日見ぬ間の桜かなという慣用句がありますが、半日見ぬ間の桜かなと言うのが正しいというのが実感です。

今日はほぼピークと言って良く、とにかく美しかったです。

7.鴨川

これも20日に咲き始めたばかりと書いた賀茂大橋下流西岸の枝垂れ桜が、満開・見頃となっていました。この開花のスピードの速さには、只々あきれかえるばかりです。

他の桜の情報として、妙覚寺の枝垂れ桜もまた、満開・見頃になっている様子ですね。このところの開花予測は、ほとんど不可能に近いという気がしています。

8.京都御苑 桃林

桜ではありませんが、京都御苑の桃林が満開・見頃となっています。ほとんど原色に近い花が咲き乱れ、桜とはまた違った美しさを見せてくれていますよ。


2010年3月21日 (日)

京都・洛中 京都桜事情2010 ~平野神社 3.20~

Hiranojinjya1003211

平成22年3月20日の平野神社です。この日は東楼門前にある魁桜が、満開・見頃になっていました。

Hiranojinjya1003212

今年の桜の展開はかなり早い様に思えるのですが、この魁桜に関しては去年とほぼ同じ展開の様です。

Hiranojinjya1003213

そして毎年同じ絵柄ですが、これが魁桜であると判る構図の一枚ですね。この桜の定番写真と言っても良いのでしょう。

Hiranojinjya1003215

ほんの少し蕾は残っていますが、この時点でほぼ咲ききっていました。たぶん、この日か前日に一気に咲いたのでしょうね。でも、満開直後に春の嵐に遭い、散ってしまっていなければ良いのですが。

Hiranojinjya1003216

こちらは、稲荷社の前で咲いている桜です。種類は見落としましたが、青空を背景に輝いて見えました。

Hiranojinjya1003217

そして、こちらは陽光ですね。この華やかだけど優しい色合いが、何とも美しい花だと思います。全体としては3分咲き程度でしたね。

Hiranojinjya1003218

最後はアーモンドの花です。桜に似ていますが、少し大振りで色が濃く、花びら一枚一枚が独立している感じかな。境内に一本と鳥居前に一本が咲いていますよ。

このほか、桜苑では1本の枝垂れ桜が見頃になっていました。平野神社の桜はまだ始まったばかり、これから4月の半ばにかけて、次々に桜が咲いて行きます。これから先は目が離せない場所となりますね。

京都桜事情2010 ~洛中・洛東 3.20~

平成22年3月20日現在の桜開花状況をテキストベースにてお知らせします。写真については整理が出来次第、順次アップして行きます。

総じて今年の桜の開花は例年よりも早く、既に見頃を迎えている場所もあります。また、本来の3月には有り得ない様な高温のために、一日のうちに一気に開花が進むケースも見受けられますので、この情報はあくまで参考程度とあらかじめご承知おき下さい。

1.鴨川

長徳寺のオカメザクラは、盛りを過ぎていますが、まだ咲いていました。ただ、昨夜の強風により一気に散ってしまった可能性もあります。

賀茂大橋下流西岸にある枝垂れ桜は、開花が始まったばかりでした(午前10時現在)。その下流のオカメザクラは、遠目にはまだ盛りの様に見えました。

2.本満寺

大枝垂れ桜は2分から3分咲きになっていました(午前10時30分現在)。今年も変わらずに美しいですね。少し気になるのがミツバチの多さで、ワーンと響く様な羽音が轟いていました。刺される様な事は無いので特に危ないという訳では無いのですが、とにかく数が多いので虫が苦手な人は要注意かも、です。

3.本隆寺

東門前の桜(彼岸桜かな?)が満開見頃になっています。透明感のある、とても綺麗な花ですよ。境内の染井吉野はまだつぼみのままでした。

4.千本釈迦堂

阿亀桜は咲き出したばかりで1分から2分咲き(午前11時30分現在)といったところでしょうか。ちょっと残念なのは、おかめ像の背後がブルーシートで覆われている事で、この像とからめた写真は撮りにくくなっています。

5.平野神社

魁桜が満開、見頃になっています(午後12時30分現在)。さすがに豪華で美しいですね。ただ、狭い場所に人が集中するので、小さなトラブルが発生しやすい様です。マナーには要注意ですね。

桜苑では1本の枝垂れ桜が満開近くになっていました。染井吉野はまだ蕾ですね。その他、アーモンドの花が満開、稲荷社前の桜、陽光などが見頃になっています。

6.妙覚寺

門前の枝垂れ桜が開花し始めたところです(午前11時現在)。この日で1分から2分と言ったところかな。外から見た限りでは、法姿園で満開になっている桜がありました。

7.水火天満宮

つぼみは膨らんでいますが、まだ開花には至っていませんでした(午前11時過ぎ)。

8.上賀茂神社

御所桜が咲いているかと期待したのですが、残念ながらまだでした(午後1時30分現在)。ここは御所舎が修理に入っており、仮囲いが景観を損ねているのが気になりますね。

9.真如堂

枝垂れ桜が3分咲き程度、立皮桜が2分咲き程度といった所(午後3時30分現在)でしょうか。門前の染井吉野が少し咲き始めています。

10.祇園白川

枝垂れ桜のうち1本が満開見頃、かにかくにの碑の側の枝垂れ桜が5分咲き程度になっています(午後4時30分現在)。染井吉野はまだ咲いていませんが、早くもお花見ムードが満開になっていますよ。

11.三年坂

坂の中程にある枝垂れ桜が満開、見頃になっていました(午後8時現在)。ちょっとびっくりですね。昨夜の強風で散っていなければ良いのですが。

12.清水寺

西門下の広場にある小さな枝垂れ桜が満開になっています。その下の階段にある彼岸桜とおぼしき桜が満開でした。また、三重塔南側にある桜も満開になっています。それぞれ部分的なので、まだまだ寂しい状態ですけどね。

13.椿寺

桜ではありませんが、椿寺の散椿が5分咲きになっています。御本尊の十一面観音菩薩像がご開帳となっていましたよ。

14.ハクモクレン

桜と共にハクモクレンが各地で見頃になっています。街中のそこかしこで咲いていますが、主なところでは出町の妙音弁天、清水寺の舞台下などが見事でした。また、京都市の保存樹に指定されている招善寺では、咲いてはいるものの今年ははずれ年の様で、ごく少数の花しかなかったですね。

でも、昨日の強風で花が吹き飛ばされている所も目撃しており、見頃はごく短いかも知れません。

2010年3月20日 (土)

京都・洛北 京都桜事情2010 ~京都府立植物園 3.13~

Syokubutuen1003201

少し古いですが、平成22年3月13日の京都府立植物園で咲いていた桜です。

Syokubutuen1003202

まずは寒緋桜。最も早く咲く桜の一つで、沖縄に多い事で知られますよね。元は寒緋桜と呼んでいたのが、彼岸桜と紛らわしい事から今の呼び名に変わってきたのだとか。

Syokubutuen1003203

遠目に見ると、濃い花色のおかげでとても美しいですね。如何にも南国の青空が似合いそうな花です。

Syokubutuen1003205

次は寒桜。やはり早咲きの桜で、寒緋桜と山桜の自然交配種なのだとか。如何にも桜らしい花の形と、濃いめの花色が美しいですね。花びらが散った花が多いのは盛りが過ぎたと言うよりも、鳥が食い散らしたせいでしょう、だぶん。

Syokubutuen1003206

これはカラミザクラです。漢字で書けば唐実桜で、さくらんぼが成る木ですね。これは有用植物園近くの木ですが、桜園近くにも同じ木があって、そちらは大半が蕾でしたから、今頃は丁度見頃になっているかと思われます。

Syokubutuen1003207

そして、これが東海桜です。唐実桜とコヒガン桜の交配種と言われ、美しい花色と共に香りが楽しめる数少ない桜の一つです。

Syokubutuen1003208

私にとってはこの時期に植物園を訪れる楽しみの一つなのですが、この日はまだ3分咲きといった程度でした。今頃はまさに見頃になっているのではないかな。

京都では既に早咲きの枝垂れ桜が咲き出しており、この三連休の内に見て回ろうと思っています。情報に依れば京都御苑の糸桜や出水の桜が既に見頃になっているとの事ですし、そのレポートは追ってアップしますね。(今日は花灯路に出掛けているので無理。この記事は予約投稿になっています。)

Syokubutuen10032010

最後は桜ではないけれど、あんまり綺麗だったので柳の新緑をアップします。この銅像、まるで春が来たのが嬉しくて、ウキウキと歩いている様に見えません事?


2010年3月19日 (金)

京都・洛中 京都梅事情2010 ~北野天満宮 3.13~

Kitanotenmanguu1003191

平成22年3月13日の北野天満宮です。この日は早咲きの梅は終了していましたが、遅咲きの梅が開花し始めており、依然として見頃は続いていました。

Kitanotenmanguu1003192

それにしても、1月に咲き始めてからずっと続いているのですから、梅の花期は本当に長いですね。それだけこの境内には沢山の種類が植わっているという事なのでしょうけど。

Kitanotenmanguu1003193

でも、ピークは2月の半ばから末頃だったかな。境内が梅色に染まっていた時に比べると、やはり寂しい感じは否めません。

Kitanotenmanguu1003195

境内にはまだ蕾が膨らんだところという梅もあり、3月末頃まで花は続くのでしょう。ただ、その頃には桜に話題が移って、見に来る人も少なくなるのでしょうね。

Kitanotenmanguu1003196

本殿の西側では、源平咲きの梅がありました。一本で紅白が揃うのは綺麗なのですが、本当にどういう仕組みになっているのでしょうね。

Kitanotenmanguu1003197

3月半ばとなると受験シーズンも最終盤、お礼参りに来る人や最後のお願いに来る人などで、結構賑わっていました。多くの人の願いが叶っていると良いですね。

Kitanotenmanguu1003198

実のところ、今年の梅はあまりぱっとしない所が多かった様に思うのですが、その中で北野天満宮はいつもながらの見事なものでした。さすがに名所と呼ばれるところだけに、日頃の手入れからして違っているのでしょうね。

Kitanotenmanguu10031910

これだけの梅を見せて貰えたのですから満足の一言です。次は本殿東側にある桜が楽しみですね。その花が咲くのは4月中旬、桜の季節も終盤に入った頃です。一番良いタイミングで見られる様に、これからもこまめに来なくてはね。

2010年3月18日 (木)

京都・洛東 東山花灯路2010 ~二年坂から八坂の塔~

Higasiyamahanatouro100315181

毎年の事ですが、花灯路の会場を端から端まで一度に回ろうとするとかなり無理があります。やはり混んでいて歩きにくいのと、イベント会場などに足を止めてしまうからですね。ですので、なるべくなら2回に分けて訪れる事をお勧めします。

Higasiyamahanatouro100315182

2回に分けるとしたら、清水寺がポイントとなるでしょうね。ここは行き帰りの時間が掛かる(とにかく混雑する)のと、境内が広いので見て回るだけでも大変だからです。ですので、清水寺をメインに1日、もう一日は円山公園界隈から高台寺辺りまでを見て回るのが良いのではないでしょうか。その分岐点になるのが二年坂かな。

Higasiyamahanatouro100315183

もう一つのポイントは、八坂の塔をどこに入れるかですね。ここは円山から清水までのメインストリートから外れており、1日では回りきれない要因の一つになっています。でも、ここは外せないのですよね。

Higasiyamahanatouro100315185_2

今回は二年坂を通り、三年坂には向かわずに八坂の塔を目がけて下りていきました。やはり、冒頭の景色は見たいものね。

八坂の塔は、パンフレットでは夜間拝観は無しとなっているのですが、この日はお茶の接待と無料拝観が実施されていました。塔の内部には入れませんが、1階にある仏様を拝む事は出来ましたよ。これが毎日なのかは確認出来てないのですけどね。

Higasiyamahanatouro100315186

各地に置かれた生け花もまた、このイベントの見所の一つになっています。ここに展示されていたのは御室流で、鳥が飛び立つ様な生け方が、背後の塔に良くマッチしていました。

Higasiyamahanatouro100315187

八坂庚申堂もまたライトアップされています。どういう訳か、ここはエアポケットみたいに誰も居ない空間になっていました。それにしても、ライトに照らされて浮かび上がった三猿が、なんとも幻想的ですよね。

Higasiyamahanatouro100315188

八坂の塔を下から見上げて、一日目はこれで終了です。次は三連休のうちに清水寺へ行く予定をしています。西方浄土を照らすビームに今年も会えるかな。

2010年3月17日 (水)

京都・洛東 東山花灯路2010 ~石塀小路と狐の嫁入り~

Higasiyamahanatouro100315171

東山界隈でも独特の雰囲気を持つ石塀小路ですが、花灯路においても人気のあるエリアになっています。もっとも、狭いだけに人混みで埋まってしまう事もしばしばなのですが、初日のこの日は比較的空いていました。

Higasiyamahanatouro100315173

ここもまた通路沿いに灯籠が置かれているのですが、中には落ち椿を置いたこんな粋な演出も見られました。文字通りの花灯路という訳ですね。

Higasiyamahanatouro100315172

それにしても、石畳の道に花灯路は翌似合いますね。この風情こそ、このイベントの醍醐味というものです。

Higasiyamahanatouro100315175

さすがに人通りは絶えませんが、少し待てば誰も居なくなる一瞬が得られます。そのチャンスを逃さずに撮った一枚ですが、なかなか幻想的でしょう?

次は狐の嫁入りの動画をご覧下さい。

一回目の狐の嫁入りは逃してしまったので、2回目は石塀小路の入り口近くで待つ事にしました。なぜって、さすがに戻るのは大変ですからね。で、やって来たのは8時20分頃、どうやら二回目も予定より早い出発だった様ですね。このイベントに関しては、時間はほとんど当てにならないと思った方が良い様です。

Higasiyamahanatouro100315176

まあ、それはともかくとして、イベント自体はとても風情のあるものですね。これが来ると、いかにも春の宵という気分になるから不思議です。

Higasiyamahanatouro100315177_2

行列は高台寺にある天満宮にまで行く様ですね。その途中で階段を登って行くのですが、遠くから見ていると提灯の列がふわふわと揺れて、如何にも狐の嫁入りらしい風情がありますよ。これって、ちょっとした隠れたポイントだと思います。


2010年3月16日 (火)

京都・洛東 東山花灯路2010 ~高台寺界隈~

Higasiyamahanatouro100315161

円山公園から高台寺にかけての道は、料亭や高台寺塔頭の土塀が続く落ち着いた町並みで、ある意味もっとも花灯路らしい界隈と言えるかも知れません。その中でも月真院前から見る甍越しの八坂の塔は、白眉と言って良いのでしょうね。

Higasiyamahanatouro100315162

でも、この界隈で一番目立っているのは、やはり祇園閣でしょう。暗闇の中に照らし出されたその姿は、やはり存在感がありますね。

Higasiyamahanatouro100315163

先日は中国人とおぼしき人に、これは何だと聞かれてちょっと困りました。とりあえず祇園祭の山鉾を象った塔だとは答えましたが、さらに突っ込まれたら何と答えたら良いのでしょうね。一口に言えば金持ちの道楽なのですが、それでは伊東忠太に気の毒だものなあ。

Higasiyamahanatouro100315165

いつもはライトアップされているだけの岡林院の丸窓なのですが、今年は何やら人だかりがしています。何だろうと近づいてみると、3体のお地蔵様が居られました。今年から始められた路傍の触れ仏という趣向で、右手または両手で撫でるとご利益があるとの事でした。

この触れ仏は、ここだけではなくあちこちに有るようですね。私が気付いたのはここと月真院でしたが、これを探して歩くのも面白いかも知れませんよ。

Higasiyamahanatouro100315166

去年までは舞台があってイベントの中心だった高台寺公園ですが、今年は事務局のテントがあるだけで、ちょっと寂しくなっています。その中で展示があったのは、創作行灯のデザインコンペ入賞作でした。その名を夜雲灯と言うのですね。

Higasiyamahanatouro100315167

舞台こそ無かったですが、代わりに地面に巨大な絵が投影されていました。全部を見た訳ではないのですが、京都の四季を表している様でしたよ。ちょっと面白い試みですね。

明日は石塀小路を紹介します。

2010年3月15日 (月)

京都・洛東 東山花灯路2010 ~八坂神社から円山公園~

Higasiyamahanatouro1003151

早春の京都の風物詩、東山花灯路が始まっています。今年ではや7回目、すっかり恒例行事として定着しましたね。

Higasiyamahanatouro1003152

我が家では初日の3月13日に訪れてきました。四条通は凄い人波で、八坂神社の西楼門もまたこのとおりです。これは大変だと思ったのですが。

Higasiyamahanatouro1003153

境内に入ると、思ったよりも空いていましたね。正月並の混雑を覚悟していただけに、ちょっと意外でした。もっとも、この少し前までは舞妓の奉納舞があったはずで、その時は大変な賑わい方だった事でしょうね。

Higasiyamahanatouro1003155

見頃を迎えていた紅梅越しに見た境内です。いつもの週末よりも少し多い程度でしょうか。

Higasiyamahanatouro10031512

知恩院さんでは、人形劇だの、龍馬伝のトークショウなどイベントが盛りだくさんだったのですが、時間が合わずにどれも見ていません。里見浩太朗さんの話は聞きたかったな。

それでもここに来たのは、狐の嫁入りを見たかったからです。予定では7時発となっており、5分前には着いたのですが、行列らしきものは見あたりません。おかしいなと思っていたら、なんと30分も前に出てしまったとか。

これって、運営としてどうなのでしょうね。楽しみにしている人が多いのだから、発表している時間は守って貰いたいものです。何かの事情はあったにしてもね。

Higasiyamahanatouro1003156

円山公園では、やはり龍馬伝に合わせたのでしょうね、龍馬と中岡慎太郎の銅像がライトアップされていました。うーん、やはり格好良い。いままで無かったのが不思議なくらいですね。

Higasiyamahanatouro1003157

円山公園と言えばこれ、竹灯りと幽玄の川ですね。ところが、今年は例年の半分程度の長さしかありませんでした。これって経費節減なのかしらん?ちょっと寂しいですね。

Higasiyamahanatouro1003158

もう一つ、毎年楽しみにしているのが、大学の町京都・伝統の灯り展です。毎回ユニークな作品が展示されているのですよね。

Higasiyamahanatouro10031510

これは東山ZOO ANNEXという作品で、01から03まで有りました。ポケモンのキャラクターみたいと言ったら怒られるかな。でも、なかなか格好良かったですよ。

Higasiyamahanatouro10031511

長楽館では、假屋崎省吾の華道展が開かれています。入場料1000円ですが、ファンの人には良いでしょうね。

ただ、ライトアップしているにも係わらず、入場料を払わない人は門前でシャットアウトなのですね。せっかくのライトアップなのだから、庭までは自由に入れても良いのではないかと思うのですが、スタッフの人が壁になって中には入れて貰えませんでした。正直言って、ちょっと感じが悪いですね。こんな事なら、有名人は来なくても良いかも、です。

明日は高台寺界隈を紹介します。


2010年3月14日 (日)

龍馬伝11 ~土佐沸騰~

「里帰りをしている乙女。岡上の家と合わずにいるらしく、家族に愚痴と亭主の悪口をぶちまけています。笑いに包まれる家族の中にあって、一人心ここにあらずといった様子の龍馬。」

「加尾との別れを思い、海で剣を振るう龍馬。」

「岩崎家。長崎から届いた弥太郎の手紙を読み、その活躍ぶりを喜ぶ岩崎家の人々。そこになんと弥太郎が帰ってきます。驚く家人に、長崎の遊女の誘惑に負け、藩の金100両を使い込み、お役御免になってしまったと泣き崩れる弥太郎。」

弥太郎が長崎で、藩の金を使い込んで免職になったのは史実にあるとおりです。弥太郎が長崎で命じられていたのは、土佐の物産を外国に売る事が出来るかを調べる事、アメリカや諸外国の情勢を探る事、大砲や火薬の製造方法を調べる事などでした。しかし、彼はそのどれをも中途半端にしか遂行出来ず、接待にかまけている内に藩費の大半を使い込んでいたのでした。

一つには、彼が相手をしたのは主として清国の商人だったのですが、彼の得意とするはずの漢文が通じなかった事があった様です。今の日本の英語教育と同じく、当時の日本の漢文は清国で使われているものとは違っていた様ですね。そして、火薬の製造法などは彼の専門外でした。そうした想定外の事にとまどう内に、時間と金ばかりが無くなっていったという事の様です。もっとも、遊びが面白くて止められなかったという面も確かにあった様ですね。

ちなみに、彼が長崎に行っていたのは、1859年10月から翌年の4月頃までの事でした。

「江戸、桜田門外。水戸浪士達に討たれる大老、井伊直弼。」

「大老討たれるの報に接し、謹慎は終わりだと歓喜する容堂。」

「水戸浪士が大老を討ったと聞き、門人達に下士が上士の風下に立っている時代は終わると檄を飛ばす半平太。その話を聞いていた龍馬は、半平太に何がしたいのかと問いかけます。半平太は攘夷の為には土佐をまとめる必要がある、その為には吉田東洋を参政の座から引きずり下ろさなければならないと答える半平太。龍馬は、無暗に皆を刺激して下士が上士を襲ったらどうするつもりか、と詰め寄ります。御前は変わったと言う半平太に、時代と係わらずに生きていけると思っていた自分が甘かった、自分から世の中に飛び込んでいくだけだと悟ったと答えます。」

桜田門外の変が起こったのは、1960年3月3日の事でした。日本中の若者達に衝撃を与えたこの事件は、土佐にもまた大きな波紋を呼びました。そして、半平太もまたその影響を受けた一人です。もっとも、直ちに行動に移したという訳ではなく、史実の彼が明確に攘夷を志すまでには、なお1年の時間を要します。

「池田寅之進の家。半平太の言葉に感激しながら木刀を振る寅之進の下に、急報が入ります。彼の弟が上士に斬られたのでした。虫の息の弟をなおもいたぶる上士に檄高した寅之進は、抜き打ちに上士を斬り殺してしまいました。」

「下士が上士を斬ったと聞き、続々と集結する上士達。その知らせは吉田東洋の下にも入ります。」

「一方、武市道場に集結した下士達。彼等は今こそ上士に報いる時が来たと盛り上がりますが、半平太は自ら謀反人になるつもりかと一堂をと止めようとします。しかし、それでは話が違うと詰め寄られ、言葉に詰まる半平太。」

「そこに龍馬が現れました。彼はいきり立つ一堂に、上士に切り込むと言うのなら、まずは半平太に絶縁状を出すのが先だと言い、機先を制します。そして、上士と話し合いに行くという半平太を引き留め、いきなり半平太が出て行ったのでは斬られてしまう、ここは自分が行くと言って、両刀を以蔵に預けて出掛けます。」

「上士の屋敷。下士が集結していると聞き、切り込みに行こうと盛り上がっています。そこに東洋が現れ、一堂を一喝して鎮めます。東洋は下士の数は何人だと聞きますが、答えられる者は居ません。そこに弥太郎が現れました。彼は50人が集まっていると答え、先の金の使い込みは決して個人的な遊興の為ではない、いずれは何倍もの金にして藩に返す為であると訴えます。東洋は弥太郎を叱りつける後藤を制し、弥太郎を許して郷廻り役に登用し、下士の動きを探る様に命じます。有り難く拝命する弥太郎。」

「そこに龍馬が現れました。下士が現れたと檄高する上士に、今騒ぎになれば土佐藩が二つに割れてしまう、そうなれば土佐藩はお取りつぶしになると脅し、半平太が上士と話をしたがっている、どなたか相手をして欲しいと訴え掛けます。そこに東洋が現れました。東洋は龍馬の度胸の良さを認め、後藤に半平太と話をする様に命じます。それを聞き、喜んで帰る龍馬。」

「後藤と会う半平太。話し合いの結果は一方的なもので、上士は刀を納めるが、寅之進は切腹させると決まりました。」

「見事に腹を切る寅之進。無念さに打ちひしがれる下士達。」

池田寅之進が腹を切ったというこの事件は、汗血千里の駒や土佐勤皇史に記されており、史実とされています。このエピソードは、司馬遼太郎の「龍馬が行く」にも記されていますね。

事件の当事者は、上士が山田広衛と茶道方益永繁斎の二人、下士が寅之進の弟である中平忠次郎と宇賀喜久馬でした。山田は一刀流の達人で鬼山田と恐れられていた人物でした。

事件が起きたのは1861年3月4日の夜の事で、場所は永福寺という寺の門前でした。経過はほぼドラマにあったとおりですが、龍馬が一人で上士の下に乗り込んで行ったかどうかは定かではありません。Wikipediaに拠れば、乗り込んできたのは上士の方で、龍馬はこれに激しく反発したとありますね。また半平太は、攘夷のために寅之進の切腹を主張したとありますが、下士の間の話し合いの中で武士の意地を立てるために切腹に決まったとする説もあります。

結果として寅之進が切腹し、さらには何もしていないはずの宇賀喜久馬までが腹を切らされる事になってしまいました。この寅之進が切腹をした時、龍馬が刀の下げ緒を寅之進の血の中に浸したというエピソードがあり、龍馬が行くの中にも描かれています。

ただし、この事件には龍馬は関係していないという説もあり、私が参照している龍馬関係の本でも一切触れられていないですね。半平太についても同様で、史実としては二人とも関与していなかった可能性もあります。

「坂本家。三味線の弾き語りをする春猪。彼女の上達を褒める龍馬。寅之進の死を仕方がない事だと聞いたという春猪に、どうしてこんな始末しか出来ないのかと憤りを見せる龍馬。彼は春猪から三味線を受け取り、良い声で歌い始めます。門前でその声を聞いている半平太。」

「半平太は、寅之進の死の責任は自分にあると認め、東洋は次に自分たちを標的にするはずと言い、それに対抗するには下士を一つにまとめなければならないと告げます。そして改めて龍馬の度胸を認め、下士達が彼を見直していると言って、龍馬も仲間になって欲しいと頼みます。しかし、龍馬は攘夷と言いながら東洋と喧嘩すると言う半平太を批判し、東洋と話し合うべきだと反論します。半平太は、東洋はそんな男では無いと言い、席を立ってしまいます。」

「浜でたき火をしている龍馬。そこに弥太郎が現れます。彼は東洋に命じられて龍馬を迎えに来たのでした。」

「東洋の屋敷。龍馬に向かって何が御前を変えた、何かを捨てたのかと問いかける東洋。加尾の事を思いつつ、北辰一刀流の目録を得た事だろうかとはぐらかす龍馬。それが嘘である事を見抜き、哄笑しつつ龍馬を新御小姓組に取り立てる、上士にしてやると申しつけます。驚きつつも、即答を避ける龍馬。」

龍馬が上士に取り立てられるという話は聞いた事が無いですね。これは全くの創作と見て良いでしょう。また、弥太郎が郷廻り役に取り立てられたのは長崎に行く前の事で、この騒ぎには直接関係は無かったようですね。

ただこの回の東洋は、能力主義で人材を登用した事を踏まえており、その人物の大きさを表していた様に思います。あまりに憎々しげな様子が、それを削いでいましたけどね。

「坂本家。庭を見つめつつ、ぼんやりと考え込む龍馬の背後に乙女が現れます。なぜ姉がここに居る、岡上の家には居場所が無いのかと案じつつ、自分も一緒だ、土佐には居場所がなくなって来たとつぶやきます。そこに、龍馬を迎えに使いがやって来ました。」

「彼等が連れて行ったのは半平太の道場でした。100名もの下士の前で、土佐勤皇党の結成を宣言する半平太。」

「東洋の屋敷。再び下士が集まっている、今度は100名を越える人数だと注進して来る弥太郎。そこに龍馬は居るのかと問い詰める東洋に、苦しげにはいと答える弥太郎。憎々しげに顔を歪める東洋。」

「半平太は龍馬に、最初に血判状に名を連ねるのは龍馬でなければならないと詰め寄ります。半平太に同調する下士達と困惑を隠せない様子の龍馬。」

半平太が土佐勤皇党を結成したのは1861年8月の事で、場所は江戸でした。半平太はこの年の4月に剣術修行の名目で江戸に出ていたのです。その目的は、ドラマにおいては天皇家の為に尽くす事で下士の結束を図るとありましたが、正確には尊皇攘夷を志しながら謹慎を命じられた容堂の志を受け継ぐと言うものでした。この事について、容堂の名を出したのはあくまで名目の事に過ぎないとする説がありますが、後の半平太の言動から察すると、本気で容堂が攘夷の志を持っていると信じ、その下に集結する事で土佐が一つにまとめられると思っていた節があります。彼の言う「一藩勤皇」の根拠は、そこにあったのかも知れません。

龍馬が土佐における最初の血判者である事も史実とされており、この頃までは龍馬は半平太の同調者であった事がうかがい知れます。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉

京都・洛東 京都桜事情2010 ~おかめ桜 長徳寺など~

Okamezakura1003141

平成22年3月13日の長徳寺です。京都の中でも早咲きで知られるこの寺のおかめ桜ですが、この日はまさに満開となっていました。

Okamezakura1003142

今年の花の進行具合は特に早い様な気がするのですが、このおかめ桜に限ってはほぼ例年どおりの咲き具合の様ですね。

Okamezakura1003145

この日は、ほぼつぼみは残っていない状況で、もしかしたら盛りを少し過ぎていたのかも知れません。それでも見応えは満点で、桜の季節の始まりを教えて貰うには十分でした。

Okamezakura1003146

このおかめ桜は他にもあって、すぐ近くの鴨川でも咲いています。もっとも、この木にはいぼ桜というプレートがあって、ちょっと悩ましいのですけどね。

Okamezakura1003147

そのプレートには、開花時期が4月中旬、花色は淡紅白色とあります。これって、明らかに違う桜の特徴を示しており、何かの間違いで付けられたプレートなのでしょう。この花はどう見てもおかめ桜そのものです。

Okamezakura1003148

おかめ桜は、京都府立植物園でも咲いていました。同じ種類だけあって、ほぼ同時に満開になるのですね。

この花が咲くといよいよ京都の桜シーズンも開幕です。平野神社の魁桜はほとんど咲きそうになっていましたし、来週辺りからあちこちで本格的に咲き出しそうですね。桜を追いかけて京都中を走り回るのが今から楽しみです。

2010年3月13日 (土)

京都・洛東 春の雨~真如堂~

Sinnyodou1003131

真如堂に着いても、まだ雨は止みません。でも、だいぶ小降りになって来て、優しい雨になっています。その雨でもみじの枝に無数の水滴が付き、きらきらとした花が咲いているかの様でした。

Sinnyodou1003132

大文字山には靄が掛かり、ちょっとした幽玄味が感じられました。木々の眠りを覚ます、恵みの雨という感じがしますね。

Sinnyodou1003133

境内の東の外れでは、サンシュユが見頃を迎えていました。春黄金花の名にふさわしい、ふわっと暖かい感じのする花ですね。

Sinnyodou1003135

そして、元三大師堂の前では、紅梅が咲き始めていました。ここは白梅と対になっているのですが、白の方は一足先に盛りが過ぎており、こちらはやっと咲き始めたばかりの様でしたね。一週間経った今頃は、概ね見頃になっている頃かな。

Sinnyodou1003136

真如堂では、3月末まで涅槃図が公開されています。今年はいつもの大涅槃図ではなく、明兆作の小振りな涅槃図になっています。大涅槃図は何度か見ているのですが、明兆作は初めてだったので新鮮な気分で拝観出来ましたよ。

そして参拝者に授与されるのが「花供曽(はなくそ)」です。冗談みたいな名前ですが、これが正式な名称なのですね。元は花供御だっと言われ、要するにお供え物という意味ですね。御本尊に供えられた餅を焼き、黒砂糖を絡めたお菓子です。

さくさくとした歯ごたえでほんのりと甘く、なかなかの美味ですよ。我が家では好評でして、あっと言う間に平らげてしまいました。無病息災の縁起物ですから、これで我が家も安泰というものですね。

2010年3月12日 (金)

京都・洛東 椿2010 ~真如堂 3.6~

Sinnyodou1003121

黒谷を後にして、真如堂へとやって来ました。ここでは椿の花が見頃を迎えていました。

Sinnyodou1003122

真如堂では境内のあちこちに椿が咲いているのですが、何と言っても目立つのが参道脇のこの木です。その花数の多さは豪華絢爛と言って良く、あたかも満開の薔薇の様ですね。

Sinnyodou1003123

この数日前に一気に咲き出したものらしく、ほとんど痛みのない綺麗な花ばかりでした。

Sinnyodou1003125

それでも、参道には落ち椿がありました。この椿は花びらが散りやすい種類でして、もう暫くすると参道が真っ赤に染まる事になります。

Sinnyodou1003126

この椿も大きな木ですが、東のはずれ、薬師堂の前にもまた大木と言って良い木があります。そちらは既に盛りが過ぎていましたが、やはり落ち椿が見事でしたよ。

Sinnyodou1003127

この花も椿と言って良いのかな。山茶花の様にも見えるのですけど、季節を考えれば椿なのでしょうね。彩りの少なかった境内に華やかさを添え、春の訪れを告げる花達です。

2010年3月11日 (木)

京都・洛東 京都梅事情2010 ~黒谷 3.6~

Kuradani1003121

春の雨の散歩道は、黒谷までやって来ました。ここの山門もまた、知恩院に負けず劣らず、雨の中で重厚感を増しています。

Kuradani1003122

この黒谷では、見事な紅梅が咲いていました。場所は勅使門の前で、左右に二本あるうちの右側の木が元気に咲いていました。

Kuradani1003123

如何にも古梅らしい枝振りの木ですね。幹が雨に濡れているせいもあるでしょうけど、風格すら感じさせる木です。

Kuradani1003125

風格と言えば、直実鎧掛けの松もまた見事な樹形を見せていますね。その緑にそっと添える様な紅梅の色がまた美しいです。

Kuradani1003126

この日は3分から5分咲きといったところだったでしょうか。順当なら今頃が丁度見頃になっているはずなのですが、どんなものでしょうね。

Kuradani1003127

枝に乗った苔が時代を感じさせますね。勢いのある梅も良いですが、風雪に耐えてきた事を感じさせる老梅もまた、素敵なものだと思います。

2010年3月10日 (水)

京都・洛東 手打ちうどん 山元麺蔵

Yamamotomenzou1003111

岡崎で、すっかり名所となっているうどん屋さんがあります。それが山元麺蔵。手打ちうどんの専門店です。

Yamamotomenzou1003112

雑誌やネットで評判となり、常に店の前には行列が出来ていますね。以前には観光バスが横付けになり、団体さんが入っていくのを見かけた事があります。小さな店なのに、大した人気ぶりですよ。

Yamamotomenzou1003113

そんな具合ですから、何度も前は通っていますが、中に入るのは初めてでした。雨の日で人通りが少なく、しかも丁度開店直前に当たったものですから、少し早めの昼食にと寄ってみたのです。

Yamamotomenzou1003115

中はカウンターが9席と椅子席が8席になっていました。やはりかなり狭いですね。

メニューは色々ありますが、私が頼んだのはけいらんうどんでした。なぜって隣の岡北さんと比べてみたいと思ったからなのです。

このどんぶりの中にうどんがぎっしり詰まっている感じでして、ボリュームは満点ですね。これ一杯で、十分昼食として成立します。味の方は、評判になるだけの事はありますね。いかにも京風で、だしが良く効いて旨味が十分にあるけれども、あくまでさっぱりとした味わいでした。

ただ、うどんの腰は少し弱めで、あれっという感じがするかも知れません。このあたりは好みの問題で、腰の強さを求める人には物足りないでしょうね。私的には許容範囲ですが。

一番気にしていた接客態度は良好で、人気店にありがちな奢った雰囲気は一切ありませんでした。一人で入っても、邪険にされる事はなかったですよ。この雰囲気の良さもまた、人気の秘訣かも知れません。

Yamamotomenzou1003116

岡北との比較では、ほぼ引き分けと言って良いでしょう。どちらもとても美味しい店である事には間違いありません。

ここの人気メニューは、つけ麺の様ですね。それに土ごぼう天が名物なのかな。次に行く機会があったら、つけ麺を食べてみる事にします。

ちなみに、けいらんうどんは785円とリーズナブルな値段でした。先日入ったとあるおそば屋さんでは、最低で1400円からだったのに比べると雲泥の差ですね。この良心的な価格設定も好感が持てるところです。

2010年3月 9日 (火)

京都・洛東 早春の雨 ~東山散歩~

Maruyama1003101

今年の季節の巡りは、例年より早く感じます。特に、柳の芽吹きはかなり早いんじゃないかな。でも、雨に柳の新緑はとても良く似合いますね。傘を打つ雨音意外は何も聞こえない、とても静かな早春の風景です。

Maruyama1003102

池の北側では、ピンクの梅が見頃となっていました。円山公園は桜の名所ではありますが、梅はそれほど多くありません。ですから、これは結構貴重な花ですよ。

Tionin1003101_2

知恩院の緑はくすんだままであり、まだまだ春の気配は感じられません。でも、雨の中に佇む三門の重厚さは良いですね。雨の日が似合う門だと言ったら叱られるかな。

Tionin1003102

三門前を通る神宮道では、椿が咲いています。なかなか立派な花ですが、藪椿で良いのかな。道端にさりげなくこんな花が咲いているところが、いかにも京都らしい風情とは言えますね。

Syorenin1003101

雨の日に色が映えるのが苔ですね。青蓮院の大楠の木の見事な根張りに苔が乗り、綺麗な模様になっていましたよ。

Okazaki1003101

岡崎にまで来ると、とある店先でピンクの馬酔木が花盛りになっていました。この花も、雨の日に似合うという木がします。ほんのりと華やいだ色合いで、春が来た事を教えてくれる花ですね。

2010年3月 8日 (月)

京都・洛東 早春の雨~祇園切り通し~

Kiritosi1003083

3月6日は朝から雨。その雨の中を東山沿いに歩いて来ました。最初に訪れたのは、ここ祇園白川です。

Kiritosi1003082

雨とは言っても春の雨、ほとんど寒さは感じません。巽橋のたもとにある柳も芽吹いていました。新緑の色を見ると、季節が春になったんだなあと実感出来ますね。

Kiritosi1003081

この写真を見て、切り通しも随分すっきりしたと思われませんか。実は、電線地中化工事が完成したのですね。暫くの間は無粋なアスファルトになっていましたが、やっと電柱の無い石畳の道が実現したという訳です。

Kiritosi1003085

巽橋の近くでは、まだ昼前だと言うのに辰己大明神の灯籠に灯りが入っていました。雨で暗かったせいでしょうけど、これだけで花街らしい風情が感じられるというものです。雨の祇園も、そう悪くはないと思える瞬間ですね。

2010年3月 7日 (日)

龍馬伝10 ~引き裂かれた愛~

「江戸・千葉道場。師の定吉から北辰一刀流の目録を授けられる龍馬。彼の江戸修行が終了し、土佐に帰る時が来たのです。道場で感慨に耽る龍馬の背後に佐那が現れました。龍馬を慕っていたと告白する佐那に、自分には土佐に大事な物があると答える龍馬。潔く身を引き、龍馬を送り出す佐那。」

龍馬が北辰一刀流の目録を得たのは、安政5年1月の事とされます。佐那の懐古談にもこの時目録を授けたとあるのですが、現存している目録は長刀兵法目録であり、肝心の一刀流の目録がどうなったかは判っていません。北辰一刀流の目録には初目録、中目録免許、大目録皆伝という段階があるのですが、佐那の言う目録がどの段階であったかは伝わっていないのですね。この北辰一刀流の免許については、龍馬に関する謎の一つとして残されています。

佐那と龍馬の関係は、この年に婚約したという説もあります。その証として、龍馬は紋付きの片袖を引きちぎって与えたというエピソードが伝わるのですが、佐那自身の回顧録に拠ると、佐那が持っていたのは千葉家から龍馬に与えようとした小袖であり、佐那が龍馬に惹かれていた事は確かですが、龍馬がどう思っていたかは伝わりません。ですので、このドラマの様に佐那の一方通行で終わった事は有りうる話だと思われます。ただ、佐那との繋がりにはまだ続きがあり、この4年後に龍馬の手紙に佐那の名が出て来る事から、江戸で再会したものと思われています。

「アメリカと修好通商条約を結んだ幕府。実権を井伊大老が握り、開国に反対する勢力の一掃を図ろうとしていました。」

「土佐、坂本家。北辰一刀流の目録を家族に披露する龍馬ですが、はしゃぐ家族の輪に乙女は入ってきません。彼女の夫岡上に気兼ねをしているのでした。気を効かせた権平が岡上を呼ぶと、やっと乙女も喜びの輪に加わります。」

「風呂に入っている龍馬と風呂焚きをしている乙女。彼女の結婚を驚く龍馬に、窮屈で堪らないと答える乙女。彼女は龍馬に、自分の様な結婚をしてはいけない、好きな人と添い遂げろと忠告します。」

龍馬が土佐に帰ったのは安政5年9月とされます。つまり、免許授与からすぐに帰国した様に描くドラマとは、かなり時間差がありますね。

乙女が嫁いだのは、岡上樹庵という医者でした。結婚したのは安政3年とされますから、これより二年前となります。つまり龍馬が2度目に江戸に出た年であり、乙女が嫁いだ事を知らなかったはずは無いと思われます。ドラマで乙女がぼやいていた様に、あまり居心地の良い結婚生活では無かった様ですね。

「神社で加尾と会っている龍馬。彼は江戸土産のかんざしを渡し、これから土佐で道場を開き、またいつか黒船を造る、そして家族と加尾を乗せて世界を旅して回ると言い、加尾に自分の女房になってくれと頼みます。ようやく願いが叶い、うれしさのあまり泣き崩れる加尾。」

「安芸奉行所の牢。弥太郎の下に後藤象二郎が訪れます。彼は吉田東洋から弥太郎を迎えに行く様に命じられたのでした。」

「参政に返り咲いた吉田東洋。彼は安政の大獄によって蟄居させられた容堂により、土佐藩の立て直しを依頼されていました。藩士の録を半減するなど思い切った改革を断行する東洋ですが、彼によって退けられた柴田備後は面白くありません。そこ目通りを願った半平太は、土佐が攘夷に染まれば東洋の居場所は無くなると検索します。彼の言を受け入れた備後は、半平太にある策を授けます。」

容堂は水戸斉昭、松平春嶽らと共に将軍継嗣問題で井伊一派と対立し、政争に敗れた後は安政6年2月に家督を前藩主の弟に譲り、隠居してしまいす。そして、さらに幕府を批判した科により、謹慎を命じられたのでした。容堂と名乗ったのは隠居した後の事で、それまでの名は豊信です。

この非常事態に東洋は謹慎を解かれ、再び参政の座に上ったのでした。彼は急進的に藩政の改革を行い、守旧派や過酷な負担を強いられた庶民に不平を抱かれたのは確かな様ですが、固陋な門閥政治を打破しようとした事もまた事実であり、一方的に悪く言われるのは気の毒な気がしますね。

半平太が東洋に対抗するために守旧派と手を握ったのは事実であり、その中に柴田備後も居ました。ただし、その時期はまだ先の事であり、この時期から3年ないし4年後の事になります。

「土佐のある料亭。半平太と収二郎達が秘密の会合を開いています。しかし、以蔵は見張り役を命じられ、仲間に入れて貰えません。彼等の相談とは、表向きは三条家に嫁いだ恒姫の世話役として、そして本当の目的は三条実美の動きを探る隠密として、女性を送り込もうというものでした。」

以蔵が相談の仲間から外されるのは、山本琢磨の件で龍馬に付いたからでしょうか。今後の半平太と以蔵の関係を暗示する様な伏線ですね。

攘夷を掲げて柴田備後に取り入った半平太ですが、実際には安政の大獄の最盛期であり、とてもそんな主張は出来なかった事でしょうね。半平太が本格的に攘夷に目覚め始めるのはもう少し後、井伊大老が桜田門外で倒された後の事になります。

「とある神社。こざっぱりした姿ではしゃぐ弥太郎。そこに現れた龍馬。弥太郎は東洋の命で長崎に旅立つと告げ、次に会う時は龍馬があいさつも出来ない程の身分になってやると言い捨て、意気揚々と出掛けます。我が事の様に喜び、弥太郎を見送る龍馬。」

弥太郎が東洋の引き立てによって、長崎に出張を命じられたのは史実にあるとおりです。ただし、その前段があって、弥太郎は牢から出たものの居所から追放の憂き目に遭い、8ヶ月の流浪生活を余儀なくされます。その後許されて井の口村に戻り、やがて象二郎と出会います。そして、その牽きで東洋が主催していた小林塾に入る事が出来た事が弥太郎の運命を切り開いたのでした。

この小林塾の事は是非取り上げて欲しかったですね。この塾で学んだ人材が後の土佐の指導層になる訳ですから、東洋の事績として描いて欲しかったです。

「平井家。家に戻った加尾に、収二郎は三条家に奉公する様に因果を含めます。龍馬との仲は認めないという兄の言葉を尻目に家を飛び出す加尾。」

「半平太の家。収二郎から事情を聞く半平太は、無理に妹を差し出す事は無いと言いますが、収二郎は下士の家の者にとって、恒姫の付き女中になる事はこの上ない出世である、加尾にとっても良い事だと答えます。」

「加尾がたどり着いたのは坂本家でした。加尾から話を聞いた龍馬は半平太の下を訪れます。」

「半平太の家で、直談判をする龍馬。幼なじみを犠牲にしなければならない程、攘夷は大事な物かと問いかける龍馬に、当たり前の事と答える半平太。加尾は自分の許嫁である、自分の大切な物を守ると剣に誓ったと言い捨てて、半平太の下を去る龍馬。」

「家に帰り、次の日に神社で会おうと約束し、加尾に自分の家に帰る様に告げる龍馬。」

「自らの野望と龍馬の言葉の板挟みに遭い、苦悩する半平太。」

「翌日、備後の下を訪れ加尾では無理だと言上する半平太ですが、備後は既に決まった事であり、取り消すのなら誰かに腹を切って貰わなければならないと願いをはねつけます。」

このドラマでは、半平太がどんどん嫌な男になっていくのですが、わずかに救われるシーンですね。実際には、龍馬が半平太と袂を分かつのはまだ先の事で、この頃はあくまで仲の良い幼なじみだったと思われます。収二郎にしても同様で、むしろ龍馬は収二郎から攘夷の洗礼を受けたと見る向きもある様ですね。

「神社で加尾を待つ龍馬。」

「平井家。加尾が出掛けようとすると、収二郎と半平太が待っていました。加尾が龍馬の下に行くのなら、自分が腹を切ると言う収二郎。必死で引き留める加尾。」

「何時までも来ない加尾に、しびれを切らせて迎えに行く龍馬。そこに現れた長次郞に、平井家に祝いの饅頭を頼まれた、加尾がどこか遠くに行くらしいと聞き、駆け出す龍馬。」

「柴田邸。三条家へ上がるとあいさつをする加尾。そこに龍馬が加尾を取り返そうと飛び込んできます。門番に押さえながらも、必死に加尾を呼ぶ龍馬。堪えきれずに飛び出していく半平太は、危うく刀を抜きそうになる龍馬を押しとどめ、加尾が自分で行くと言い出したのだと告げます。それを聞き、力を無くす龍馬。」

ドラマでは平穏な世の中に見えますが、実際には大獄の嵐が吹き荒れていたこの時期に、攘夷のための隠密として加尾を送り込むなど無謀も良いところで、純粋に平井家へ藩から下命があった事に依るのでしょう。ただ、調べていて最近知った事ですが、平井家は実際には上士の階級に属していた様ですね。加尾がお姫様付きになったのは、彼女が上士の娘であった事も理由の一つの様です。

もっとも、京都に上ってからの加尾は尊禳派の為に影から尽くす存在になっており、結果としてドラマで半平太が画策したとおりの展開となって行きます。

「坂本家。思い詰めた様に刀を抜く龍馬の背後から、乙女が力ずくで取り戻す気かと聞きます。彼女は加尾の使いの者が持ってきた手紙を龍馬に手渡します。」

「神社で加尾と会う龍馬。加尾は龍馬に大きな事をなして欲しいと言い、別れを告げます。」

龍馬と加尾が恋仲であったらしい事は間違いない様ですが、それがどういう関係だったかまでははっきりしていません。加尾が京都に上ったのは安政6年12月の事で、そこに半平太の策略が介在していたという資料は無い様ですね。ですから、このドラマにあった様な別れのシーンは無かったものと思われます。

ただ、付き合っていたのなら、辛い思いはしただろうなとは思いますね。確かなのは、二人の中は遠恋よろしく続いて居た事で、この2年後に加尾に宛てた龍馬の手紙が残っている事からその事が判ります。

それにしても、このドラマは今回だけで一気に2年も時計を進めているのですね。どこにもそんな説明は無かったと思いますが、見ていて判った人は少ないんじゃないかな。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉 「坂本龍馬の妻 お龍」 鈴木かほる

2010年3月 6日 (土)

京都・洛東 京都梅事情2010 ~祇園白川 3.6~

Gionsirakawa1003062

平成22年3月6日の祇園白川です。この日は早咲きの梅は終わっていましたが、遅咲きの梅が見頃を迎えていました。

Gionsirakawa1003061

料理旅館の入り口に4本の梅があるのですが、今は南側の二本が見頃です。もっとも、白梅の方は盛りを過ぎており、この枝垂れ梅が丁度満開でした。

Gionsirakawa1003063

今日も朝から雨でしたが、さしもの梅もこう雨続きでは花が長くは保たない様です。それに加えて、異様な暖かさが続いていますからね、余計に早く終わってしまうのでしょう。

Gionsirakawa1003065

足下を見ると、スミレが綺麗な花を付けていました。今年は季節の巡りが例年よりも早い気がしますね。

Gionsirakawa1003066

そして、ユキヤナギも開花が進んでいます。ただ、来週は一転して冷え込むそうですから、季節の進み具合にもブレーキが掛かるかも知れません。

でもそうなると、こんな花達はどうするのでしょうね。せっかく咲いた花が凍えてしまうのではないかしらん。三寒四温と呼ぶには極端に過ぎる、なんとも迷惑な今年の気候です。

2010年3月 5日 (金)

京都・洛中 京都梅事情2010 ~京都御苑 黒木の梅 2.27~

Kurokinoume1003051

京都御苑の境町御門の近くに、一本の見事な梅があります。それがこの黒木の梅。

Kurokinoume1003052

元は九条邸にあったという銘木ですね。その謂われにふさわしい見事な樹形をしていますが、残念ながらこの木は当時のものでは無いのだとか。

Kurokinoume1003053

ここは京都御苑の南玄関と言うべき場所で、通路は建礼門まで真っ直ぐに繋がっています。

Kurokinoume1003055

この日(2月27日)は3分から5分咲きと言ったところだったでしょうか。それでも遠目には盛りになっているかの様に見えましたよ。

Kurokinoume1003056

順当なら見頃になっている頃なのでしょうけどね、おかしな陽気と雨のせいで盛りが過ぎているかも知れません。ちょっと気になる所ですね。

2010年3月 4日 (木)

京都・洛中 京都梅事情2010 ~智恵光院 2.27~

Tiekouin1003041

祐正寺を出てから智恵光院通に入り、北に上がります。今出川通の手前、道の西側にあるのが智恵光院、通り名の元になっているお寺ですね。

Tiekouin1003043

ここにもまた地蔵堂があり、小野篁が彫ったという六臂地蔵尊が祀られています。これは、一度のお参りで六地蔵全てを回ったのと同じ功徳を授かる様にと、各地蔵尊の六本の腕を持った姿をしているお地蔵様なのだそうです。話を聞くだけでも、有り難そうなお地蔵様ですね。

Tiekouin1003042

そして、境内では枝垂れ梅が咲いていました。一見して、祐正寺と同じ種類の色違いなのかなと思います。樹形も似ていますしね。

Tiekouin1003045

この日はほぼ満開で、見頃となっていました。ただ、近くで良く見ると痛んだ花が多く、ほんの少し盛りは過ぎていた様ですね。

この梅もまたzuzuさんから教えて頂いたものです。お陰様で素敵な梅を二本続けて見る事が出来ましたよ。素敵な情報を、ありがとうございました。

2010年3月 3日 (水)

京都・洛中 京都梅事情2010 ~祐正寺 2.27~

Yusyouji1003031

上七軒と今出川通が交わる交差点から、真っ直ぐ南に下がる道が七本松通です。その道と下立売通が交わるところに、祐正寺という浄土宗の寺があります。

Yusyouji1003032

ここには娶妻結地蔵(つまとりじぞう)と呼ばれるお地蔵様があり、縁結びのご利益がある事で知られる通称寺の一つなのですね。名前からすると男性向けの様に思えますが、実際にはどうなのでしょうね。

Yusyouji1003033

その祐正寺にあるのがこの枝垂れ梅です。訪れたのは2月27日でしたが、まさに満開・見頃となっていました。

Yusyouji1003035

この梅を知ったのは昨年のzuzuさんの記事でして、今年は是非見たいものだと思っていました。

Yusyouji1003036

そして、念願が叶って対面する事が出来たのですが、素晴らく存在感のある梅ですね。境内にはこれ一本だけなのですが、十分に見応えがありましたよ。

この写真を撮った後に雨が続いているので、盛りは過ぎてしまったかと思われますが、この梅だけを目当てに出掛けたとしても、十分にその価値はあると思います。良く判らな気候のせいで梅の開花予想が難しい中、これだけの花に出会えたのはラッキーの一言ですね。本当についてました。

2010年3月 2日 (火)

京都・洛中 京都梅事情2010 ~北野天満宮梅苑 2.27~

Kitantenmanguu1003021

平成22年2月27日の北野天満宮梅苑です。この日は遅咲きの木を残してほぼ咲き揃い、見頃と言って良い状況になっていました。

Kitantenmanguu1003022

梅苑には境内の西北と楼門前の二箇所に出入り口があるのですが、この日は境内側から入ってみました。そこは丁度御土居の史跡にあたり、すぐ下には紙屋川が流れています。そして、その川沿いにも梅が植えられていて、この様に上から見下ろす事が出来る様になっています。

Kitantenmanguu1003023

御土居から梅苑に入るとすぐに茶店があって、お茶菓子を頂く事が出来ます(引換券は入場券に付いて来ます)。お菓子は上七軒にある老松の菅公梅。いかにも梅見に似合うおせんべいですね。甘さ控えめで、ふわっとした食感が早春に相応しく感じられます。

また、お茶も同じく老松の梅昆布茶。粉末にお湯を自分で注いで飲む事になります。まだまだ寒気の残る季節には、暖かいお茶が嬉しいですよ。

Kitantenmanguu1003025

確かめた訳ではないですが、梅苑には早咲きの木は比較的少ない様な気がします。毎年2月の初めから開園されるのですが、見頃になるのは2月後半から3月前半にかけてかな。

Kitantenmanguu1003026

この梅苑は、総体として美しいのですが、いざ写真に撮ろうとすると、とても難しいですね。同じ様な樹形の木がまんべんなく咲いていおり、どこを中心にしたら良いか迷ってしまうのです。

Kitantenmanguu1003027

あれこれ考えながら撮っていると、下手やなあという声が聞こえて来ました。内心ぎくっとしたのですが、ある家族連れの中の娘が父親に向かって言っていたのですね。

Kitantenmanguu1003028

それがどんな写真かは判りませんが、そのお父さんはちょっと気の毒な気がしますね。ここで上手と言われる写真を撮るのはなかなか難しいと思います。

Kitantenmanguu10030210

その娘さんいわく、白ばかりではなく、赤と白の混じっている写真が綺麗なんだとのことでした。確かにそのとおりなのですが、構図がなかなか決まらないのがこの梅苑なのですよ。

Kitantenmanguu10030211

定跡の一つは楼門を背景にした構図でしょうね。でも、一番のポイントとなる梅はまだ咲いておらず、不発に終わってしまいました。

Kitantenmanguu10030212

毎年ここに来る度に思う様に行かず、不満ばかりが募ってしまいます。要するに私の腕が悪いのですけどね、梅を撮るのは難しいと、改めて思い知らされてしまう梅苑です。

2010年3月 1日 (月)

京都・洛中 京都梅事情2010 ~北野天満宮境内 2.27~

Kitanotenmanguu100203011

平成22年2月27日の北野天満宮です。2日前に梅花祭を終えたばかりの境内では、中咲きの木が盛りを迎えつつあり、とても華やかな雰囲気で溢れていました。

Kitanotenmanguu100203012

詳細に見れば、早咲きの木は既に盛りを過ぎて落花が盛んになっているのですが、それでも遠目には依然として見頃を保っている様に見えます。

Kitanotenmanguu100203013

遅咲きの木は、まだつぼみのまままか少し咲き出した程度でした。1月から3月まで、息長く楽しめるのがここの梅の有り難いところですね。

Kitanotenmanguu100203015

中咲きの木はほぼ盛りと言って良く、花が輝いて見えますよ。

Kitanotenmanguu100203016

それにしても、ひと口に梅と言っても、色とりどりの花があるものですね。それぞれ個性を持ちながら、渾然として調和しているのが美しい。

Kitanotenmanguu100203017

梅は色が濃いからでしょうか、蕾でも遠目には咲いているかの様に見えますね。それに近づいてみても、蕾なりに可愛らしく、かつ綺麗に見えるのが良いです。

Kitanotenmanguu100203018

でも、真骨頂は紅白のハーモニーかな。これは桜には無い味わいですね。

Kitanotenmanguu1002030110

無論、盛りの時なら白梅単独でも十分に美しいのですが、背景に紅が入るとさらに引き立つというものです。

Kitanotenmanguu1002030111

境内の北側にも梅はありますので、忘れずに見て行って下さい。ここもなかなか見事に咲いていましたよ。

Kitanotenmanguu1002030112

今年は異様な程の陽気が続いており、梅の開花も随分と進んでいる様に思われます。そこに連日の様に雨が降っていますので、盛りは例年より短いのではないでしょうか。まだ遅咲きの木はありますが数が少なく、華やかさを求めるのなら、なるべく早く行かれた方が良いと思いますよ。

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

ねこづらどき

最近のトラックバック

無料ブログはココログ