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2009年10月

2009年10月31日 (土)

京都紅葉事情2009 ~洛東・洛北 10.30 10.31~

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平成21年10月30日及び31日現在の紅葉の状況をテキストベースでお届けします。詳細は後日順番にアップして行く予定です。

全体として見頃は11月半ば以降になりそうという印象は変わりませんが、場所によっては今年は早いと感じるところもあります。お目当ての場所次第では、早めに行かれた方が良いかも知れません。特に週明けには真冬並みの寒波が押し寄せるという情報もあり、今後どうなるかは余断を許しませんね。

お出かけの前には最新の情報を確かめてからにされる事をお勧めします。

平成21年10月30日分

1.真如堂

まだまだ見頃には至りませんが、一週間前と比べて少し進行して来た感じです。まず塔の前のもみじが、東面から色付いて来ています。まだ木全体としては緑基調ですが、良い感じになりつつありますね。本堂西側では、先週色付いていたもみじが少し色が濃くなって来ました。その他、枝単位で色付いている木もあります。

塔の前にある花の木は、上から3分1程度まで色付いて来ています。また、本堂西側にある花の木も上部4分1程度が色付いていました。こちらの方が色は綺麗かもしれません。本堂正面にある花の木は依然として緑のままですね。

その他、参道左手にある高木(名前は判りません)が黄色く色付いています。

見頃の予想は、11月半ば以降というところで前回と変わりません。今後どうなるかは、週明けの寒波次第ですね。

2.黒谷

本堂西側の銀杏の木が色付き始めています。数本のうち一本はかなり黄色くなっていました。山門前のもみじは、褐色からオレンジ色へと変わりつつあるところです。また、塔頭の西住院前のドウダンツヅシがかなり赤くなって来ていました。

秋の特別公開中である紫雲の庭は、全体として色付き始めたところです。今後の冷え込み方次第ですが、11月半ば頃には見頃を迎えそうな気配でした。

3.南禅寺境内

全体として色付き始めており、中には綺麗に紅葉している木もあります。

法堂裏の大銀杏は、北側の木の上部が綺麗に色付いていますが、下半分はまだ緑基調、南側の木は全体がうっすらと色付き始めたといった状態です。隣の大もみじは色付き初めですね。その他、三門の北側にある雑木(ケヤキ?)が綺麗に色付いていました。

見頃と言うにはまだ早すぎますが、ここは進行がやや早めという印象を受けるところですね。ただ境内が広く、場所によって状態はまちまちなので、一概には言えないというのが正直なところです。

4.南禅寺塔頭 天授庵

方丈前庭園のうち、北半分は色付き始めています。一番北にある大きな百日紅が盛りを過ぎていますが、遠目には綺麗な黄葉に見えます。南側の木も少し色が変わり始めていました。ここは確かに進行が早そうです。見頃はどうでしょう、11月2週目にはもう始まっているかも知れません。少なくとも一番北側の1本は綺麗に色付いているはずです。

次に、南庭では進行はまちまちですが、色付き始めている木もいくつかあります。ここでも百日紅の黄葉が印象的でした。こちらの見頃の予想は難しいですね。木によっては11月前半から、全体としては11月半ば頃から見頃になって来るでしょうか。まだ緑の木も多くあり、これからの冷え込み加減によって変わると思われます。

平成21年10月31日分

5.光悦寺

光悦垣周辺の紅葉の見頃が始まりました。冒頭の写真がそうで、かなり綺麗に色付いていましたよ。ここは京都市内でも一番進行が早い事で知られますが、今年は特に早いですね。

南側の休憩所前の木もかなり綺麗になっていました。境内の他の場所は色付き半ば、全体としてパステルカラーといったところかな。ドウダンツツジもかなり色付いていますが、透明感のあるところまでは行っていません。

参道は入り口から見た限りではまだ色付いていませんが、駐車場側から見ると色付いている部分があるのが判ります。見頃になるまでには、もう少し時間が掛かりそうですね。

6.源光庵

全体としてうっすらと色付き始めたところです。見頃までにはもう暫く掛かるかな。週明けの冷え込みでどこまで進むか、ですね。庭の山茶花が綺麗に咲き、早くも満開に近くなっています。

7.常照寺

参道はまだ緑のままで、見頃までにはまだ時間が掛かりそうです。境内では桜が盛りを過ぎていますが、黄葉の基調を作っており、秋らしい景色にはなっています。もみじは緑が基調ですが、何本かはかなり色付いていました。また、遺芳庵裏手にあるハウチワカエデは、今年も綺麗に色付いています。

見頃と言うにはまだ早すぎますが、いくつか色付いた木がある事で、それなりに楽しむ事は出来ますよ。


8.園成寺

写真撮影禁止なので掲載はしませんが、ここも全体として色付き始めています。逆光で見ると、ちょっと綺麗かなといったところですね。見頃はもう少し先ですが、奥の何本かはパステルカラーになっていました。

9.京都府立植物園

宿根草有用植物園の北側にあるアメリカヅタが綺麗に色付いています。もしかしたら、少し盛りを過ぎた頃なのかもしれません。もみじはまだほんのりと色付いた程度ですが、何しろ沢山の木がありますから、そこかしこで色々な木が色付いています。

巨大なフウは上部の枝が色付き始めました。また、大芝生地裏のフウはうすく色づいています。後、名前の判った木では桂も色付いていました。

ただ、今の一番の見所は、秋バラとコスモスですね。どちらも今が盛りと咲いていましたよ。

2009年10月30日 (金)

京都・洛東 十三夜・2009~東山界隈~

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平成21年10月30日、十三夜の月です。今年は栗名月を求めて、東山界隈を歩いてきました。

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まずは、昨年と同じ高台寺です。まだ日が落ちて間もなくの頃で、茜色に染まった雲との対比が綺麗でした。

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次いで、八坂の塔に移動します。さすがは八坂の塔だけあって、名月らしい情緒に溢れていました。ただ、思っていたよりも月が南に偏っており、あまり塔に絡んでこないのが残念ですね。

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そこで、月と塔のコラボレーションが見られる位置は無いかと探したのですが、一箇所だけありました。建て替えられるのか、家が一軒壊されて空き地になっている場所があったのです。こんな光景を見る事が出来るとは、ラッキーの一言ですね。

ただ、惜しい事に月に雲が掛かりだし、にじんだ様になってしまったのが心残りです。

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そして、最後は八坂神社です。本殿の上に掛かる栗名月、と言うより朧月かな。

十三夜にちなんだ行事は何もなかったけれど、月を愛でながら巡る東山界隈は、名月の夜に相応しい情緒に溢れていましたよ。


2009年10月29日 (木)

京都・洛北 三明院

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蓮華寺からほど近く、三宅八幡宮との間に多宝塔が聳えています。それが三明院、真言宗のお寺です。

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三明院は、元はと言えば山形県にあった寺ですが、明治39年にこの地に移されてきました。時の住職である佐竹信光和尚が、この上高野の出身だったという縁に拠るものだそうですね。

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そのきっかけは何だったのでしょうね?廃仏毀釈の影響で衰微してしまったものを再興しようとしたのでしょうか。それにしても、いかに出身地だったとは言え、全く新しい寺を地元に根付かせるのは、大変な苦労があった事でしょうね。

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本堂は昭和13年に建てられたものだとか。御本尊は真言宗らしく、弘法大師様なのだそうです。

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この寺のシンボルとも言うべき多宝塔ですが、何とコンクリートの土台の上に建っているのですね。昭和36年に建てられたそうですが、復興を遂げたばかりという当時の世相を反映しているのでしょうか。

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多宝塔そのものは木造で、なかなか立派なものですね。そして縁側からの景色も良く、岩倉から上高野の地にかけてを一望する事が出来ます。

ここは隠れた紅葉の名所であり、一本だけですが既に色付いたもみじもありました。道が判り難いのが難点ですが、一度三宅八幡宮に入り、その東にある公園から続く山沿いの道を行くのが判りやすいでしょう。

山門の下の鉄扉が閉じられていますが、鍵は掛けられておらず、押せば開くようになっています。多宝塔の裾を埋めるようにもみじが植わっており、最盛期にはきっと綺麗な事でしょうね。蓮華寺と同じく、ここもフォローしてみたいと思っているところです。

2009年10月28日 (水)

京都・洛北 京都紅葉事情2009~金福寺~

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平成21年10月24日の金福寺です。修学院界隈では最も早く色付くこの寺ですが、今年も庭園の斜面にある一本のもみじが見頃を迎えていました。

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この寺は山の斜面にあり、庭園はその高低差を上手く利用した造りになっています。紅葉はこの斜面の中程にあるもみじから始まり、庭園の下にあるもみじの列、そして芭蕉堂周辺のもみじへと移っていきます。

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芭蕉堂の周辺では枝先が色付き始めたという程度でしたが、庭園の下にあるもみじがかなり色付いています。もう少し冷え込みが続いたら、結構早めに見頃を迎えるのではないでしょうか。

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紅葉に先立って、早くも椿の花が咲いていました。この花を見ると、一気に晩秋に近づいた様な気がしてきます。

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本堂の縁側では、猫が寝そべっていました。この猫、ブロガーの間では有名らしく、ちょっと検索しただけで沢山出てきますね。

とても大人しい猫で、近づいても起きる気配はありません。そこで、寝姿を動画に撮らせてもらいました。ところがさすがに気が付いたのでしょうね、やにわに起き上がるとのそのそと近づいてきます。その先は次の動画をどうぞご覧下さい。

縁側から庭に飛び降りたと思ったら、フェイントだったのですね。あやうくカメラに飛びつかれるところでした。

それにしても人なつっこく、あまり猫に好かれた事がない私でも、逃げることなくじっと側に居てくれました。なんでも元は寺に迷い込んできた野良猫一家の一員だったらしく、親兄弟が居なくなった後もただ一匹だけ残っているそうです。寺では餌は与えているものの、部屋の中には入れておらず、名前も付けて無いそうですね。

何とも愛らしいので、観光客には大人気の様です。名前は貰えなくても、猫なりにちゃんと生きる術は心得ている様ですね。ここにはもう一度紅葉を見に行く予定なので、その時にまた遊んで貰おうと思っているところです。

2009年10月27日 (火)

京都・洛北 京都紅葉事情2009~宝ヶ池~

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平成21年10月25日の宝ヶ池です。この日は桜を中心に木々が色付き、いかにも秋らしい景色を見せてくれました。

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宝ヶ池周辺で、最も紅葉が見事だったのが国際会館周辺の街路樹でしょう。ケヤキが鮮やかに色付き、綺麗な並木道になっていました。

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ケヤキは宝ヶ池公園の北西部でも色付いています。ケヤキに限って言えば、今年の紅葉はなかなか良い感じの色になっていますよ。

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池畔ではもみじが深い緑の中で、淡く色付いていました。このコントラストが良いですね。

宝ヶ池にはコナラやクヌギといった雑木が沢山あり、晩秋の頃が一番の見頃となります。それまでにも色々な木が順番に色付いて行きますので、何時行っても秋らしい景色を楽しむ事が出来ると思います。

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水辺では、子供がガチョウと戯れていました。小さな子供が鳴き声を真似ると、ガチョウもそれに反応するのですね。

このガチョウには我が家の息子達も随分と遊んで貰いました。この鳥って、結構長生きなのですね。子供と遊ぶ姿を見て、小さかった頃の息子達の姿を思い出しましたよ。出来れば孫の代まで生きていて欲しい、というのは幾ら何でも無理ですか?

2009年10月26日 (月)

京都・洛北 竜胆が咲く庭2009~蓮華寺~

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平成21年10月25日現在の蓮華寺です。この日は紅葉はまだまだでしたが、庭園でツワブキが咲き誇り、また通路の脇では竜胆が花盛りを迎えていました。

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それにしても、紅葉シーズン前の蓮華寺は静かですね。私の他に拝観者は一人だけで、ほとんど貸し切り状態でした。皆さん、ここの紅葉はまだまだ先と良く知っておられるという事でしょうか。

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かく言う私も、一番の目的はこの竜胆を見る事でした。ほとんど目立たないので庭の主役とはなり得ないのですが、秋の花の中でも好きな花の一つなのですよ。あまり京都の庭園では咲いていないので、ここはなかなか貴重な場所という訳です。

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ツワブキは山門前でも咲いており、右手奥のこんな場所でも咲いていました。一番向こうの花なんて、ちゃんと見られる場所があるのでしょうか。

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この日、わずかに色付いていたのが山門を入ってすぐのこの一角だけでした。この寺で最初に色付く場所で、銀杏ともみじのコラボレーションが見所となります。次いで色付くのが本堂の奥で、最後に池のある庭園が見頃を迎えます。ですから、結構長く見頃が続くポイントだという事が出来ますね。

この様子だと例年並みという感じですが、これからの冷え込み加減で大きく変わりますので、まだまだ油断は出来ませんよ。

2009年10月25日 (日)

京都・洛東 京都紅葉事情2009~真如堂 10・24~

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平成21年10月24日の真如堂です。大半のもみじはまだまだ緑のままですが、中には枝先が色付き始めている木も見られます。そして、この写真は縦川桜の近くにある木で、一本だけですが結構色付いていました。

たぶん木が弱っているせいなのでしょうけど、色自体はなかなか綺麗でしたよ。オレンジ色ではあるけれど、透明感のある素直な色でした。

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三重塔の前のもみじはこんな感じです。枝先が色付いていますね。これからの冷え込み加減に依るでしょうけど、見頃は11月半ば頃になりそうかな。

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桜の紅葉は盛りを過ぎており、枝に残る葉は少なくなっています。この木は夏椿で、順光で見ると枯れかけた様に見えますが、逆光で透かしてみるとなかなか綺麗に見えました。

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花の花の木は、塔の近くでは上部が色付いていますが、本堂の前の木は全くの緑のままですね。この傾向は例年どおりなのかな。また、トウカエデは枝によって色付いている部分もあるといった状況です。さらに銀杏はほんの少し色付いた程度でした。

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本堂の前のフジバカマは、まだ盛りを保っていました。昨日回った中には既に花が終わっていた場所もあったのですが、ここでは綺麗に咲いていましたね。やはり微妙な環境の違いによって、花期も異なって来る様です。

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茶所の前では、西洋朝顔が最後の花を咲かせています。その根元では黄色の菊が鮮やかな花を咲かせていました。今の境内では、一番インパクトのある花かも知れません。

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ホトトギスは、段々と盛りを過ぎてきた様です。まだ蕾が残ってはいますが、最盛期の艶は無くなってきています。見頃終盤といったところでしょうか。

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そして、本堂の裏ではサンシュユの実が綺麗に色付いていました。秋珊瑚の名にふさわしく、深みのある色になって来ていますね。

このサンシュユの実は、見た目は綺麗なのですが、鳥はすぐには食べには来ません。すっかり葉が落ちた後でも枝に残り続け、この木をほんのりと赤く染め続けます。ところが、花が咲く3月頃になると、いつの間にか姿を消しているのですね。

鳥に食べられたのでしょうけど、寒気に晒されている内に味が良くなるのか、他に食べられる実が無くなるからなのか、どちらなのでしょう。こればかりは、鳥に聞いてみるより他には無いようですね。

京都紅葉事情2009~洛東・洛北 10・24~

今年の紅葉は、ここ数年と比べると進行が早いのではないかと聞きます。紅葉を待ちわびる者としては、気になる情報ですよね。そこで、実際の状況を見るべく、洛北を中心にざっと回って来ました。

結論から言うと、場所によって違うという事です。確かに早いと思える所もあれば、昨年と変わらないというポイントもありました。正確にはもう少し経たないと判らないですが、全体としての見頃は去年並に11月の半ばから後半に掛けて、しかし部分的には11月の中頃までに見頃を迎える所も出て来るかも知れないといといったところです。

以下、テキストベースで概況をお伝えします。

1.真如堂

まだまだ緑の木が多く、全体としての見頃は例年並みに11月半ば以降かなといったところです。ただ、何本かのもみじやカエデが11月前半に見頃になるかも知れません。

2.金福寺

修学院周辺では毎年早くに染まり出すのがこの寺なのですが、今年は特に早い気がします。庭の西側の木は上部が色付き初めており、また斜面にある一本は早くも見頃になりつつあります。ここは11月前半には見頃になるんじゃないかな。

ただし、芭蕉堂の周りはまだ緑のままです。こちらは11月半ば以降でしょう。

3.圓光寺

本堂近くのもみじが少しずつ色付いて来ています。ここも11月前半にはかなり見られる様になるかも知れません。

また、庭を南に行く程に緑の木が増えるので、全体としては11月半ば以降に見頃になるものと思われます。ただ、庭の奥にある一本の木はかなり色づいており、間もなく見頃を迎えるでしょう。

なお、今年度は夜間拝観は中止されると告知がありました。楽しみにしていた方もあったでしょうに、残念な事ですね。

4.鷺森神社

ほとんど色付いた木は無く、見頃は11月半ば以降から後半に掛けてでしょう。

5.宝幢寺

境内の木は全く色づいていません。ただ、道路を隔てた山側の木は少しずつ色付いてきています。また、坂道の上では蔦が綺麗に色付いていました。

6.蓮華寺

ほとんど色付いていません。わずかに銀杏の木がほんのりと黄色くなってきています。庭園では竜胆が花盛りでしたよ。また、門前と蹲居の横のツワブキが見頃でした。

7.三明院

蓮華寺近くにある寺ですが、一本のもみじが赤く色付いていました。たぶん、弱った木なのかも知れないですね。大半はまだ緑のまま、ほんの少し色付いて来たという程度です。

8.宝ヶ池

周辺道路の街路樹であるケヤキが見頃を迎えています。また、公園の北西部にあるケヤキ林も綺麗でしたね。

池の周辺では桜が綺麗でしたが、かなり葉は散っており、盛りは過ぎつつあります。また、南西の池畔にある数本のもみじがかなり色付いていました。ここは色々な木があるので、見頃はこの先も細く長く続きます。

9.上賀茂神社

ほとんどの木がまだ色付いていません。数本の木でほんのりと色が変わり始めている程度ですね。

先日の台風で大枝が折れた桐の木の傷跡が痛々しかったです。

10.北大路通

街路樹のケヤキや銀杏が綺麗に色付いています。

2009年10月24日 (土)

京都・洛北 北山ハロウィン2009

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今年で12回目を迎える北山ハロウィンが行われています。すっかりこの時期の定番イベントに定着しており、今日も沢山の人で賑わっていました。   

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会場は京都府立植物園北山門前と、その隣の京都府立陶板名画の庭の2箇所になります。まあ、ほとんど連続していますので、一箇所の様なものなのですが。

こちらは植物園北山門前の方で、既に5時を回っていたのでかぼちゃを掘るカービングの時間は終了し、大半の人は展示の方に回っています。時間中はこのビニールシートが人で埋まっていた事でしょう。

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会場ではライブステージや屋台村、それにスタンプラリーといったイベントが用意されています。子供連れで行くにはきっと楽しい事でしょうね。

一つ残念だったのは、ライブの出演者の名前が表示されていなかった事で、せっかく綺麗な歌声を聞かせてくれたのに、何という人なのか判らず仕舞いでした。去年は出演者の一覧が掲示されていたと思うのですけどね、今年もどこかにあったのかしらん?

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そのライブ中に気が付くと、空が綺麗な夕焼けになっていました。今日は朝から曇りで、夕空は期待していなかっただけに、ちょっとした驚きです。

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そして、この時間に言ったのは、蝋燭の明かりに照らされたランタンを見たかったからです。こんな正統派のジャックからドラえもんまで、個性的なランタンばかりでしたよ。

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帰り際、空はさらに不思議な色に変わっていました。この色の夕空を見たのは久しぶりな気がしますね。蝋燭に照らされたジャック・オー・ランタンには、相応しい背景だったかも知れません。

北山ハロウィンは明日も開催されます。午後1時からは仮装パレードもありますよ。

2009年10月23日 (金)

千枚漬2009~大安~

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だんだんと秋も深まり、そろそろ千枚漬が出回る季節になりました。本格的には11月からですが、走りのものは買える様になっています。

この千枚漬は大安で買ったもの。実のところ、以前は化学調味料の味が強すぎて敬遠していた店なのですが、今は自然の素材を生かす伝統の業に回帰したとの事で、すっきりした味わいになっています。

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この千枚漬も雑味が無く、仄かに甘さを感じる程度に仕上がっていました。歯ごたえも良く、なかなか美味しかったですよ。うーん、一足早い晩秋の味わいだな。

6枚入って630円ですから一枚105円になりますね。ちょっと高い気もするけれど、千枚漬としてはこんなものかも知れません。

何しろ大手ですから、どこでも買えるのが嬉しいですね。店の選択の幅が広がって、漬け物好きとしては嬉しい限りです。

2009年10月22日 (木)

京都・洛中 秋の境内2009~天寧寺~

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平成21年10月11日の天寧寺です。この日も額縁寺の異名の通り、見事な比叡山の姿を見せてくれました。

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この寺はそれほど広くは無いのですが、そこかしこに季節の花が植えられており、ここに来ればなにがしかの花を見る事が出来ます。この日は庫裏の前では名残の芙蓉が咲いていました。

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石塔の南の植え込みで咲いていた秋明菊です。今年はどこの花も綺麗ですね。この写真を撮ってから10日以上が経過しており、そろそろ花も終わる頃かも知れません。

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その秋明菊の株元ではホトトギスが咲いていました。この花もこの季節の定番ですね。

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これも定番のススキです。傾き掛けた陽を浴びて、なかなか綺麗でしたよ。

庭の隅々にまで秋を詰め込んだ様な、とても静かで穏やかなな境内でした。

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門前ではカラタチの実が黄色く熟していました。この時は香りを感じる事は無かったのですが、風呂に入れると芳香剤代わりになるそうですね。さすがに持って帰るのは憚られましたが、この色を湯に浮かべるだけで暖かくなりそうです。そこに良い香りがするとなると、さぞ気持ちが良いでしょうね。一度試してみたいものです。

2009年10月21日 (水)

京都・洛中 御会式桜開花~妙蓮寺~

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平成21年10月11日に訪れた妙蓮寺です。この日は門前で名残の赤い芙蓉が出迎えてくれました。こんな深い色の芙蓉は初めて見た気がします。あれから10日が経って、そろそろこの花も終わっている頃でしょうか。

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境内では御会式桜が咲き始めていました。この花は毎年10月13日に行われる御会式に合わせて咲く事からこの名が付いているのですが、今年も時期を間違う事は無かった様です。

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御会式桜はこれから来年の春に向けて、冬の間も少しずつ咲き続けます。寒い時期にここに来ると仄かに明るく、この木の周りだけ一足早い春が来た様な気がしますよ。満開を迎えるのは4月の初め頃、それまでに何度か経過を見に来たいと思っています。

2009年10月20日 (火)

龍馬伝 ~寺田屋事件 龍馬逃走経路その2~

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(伏見薩摩藩邸跡 現松山酒造)

二人が小屋に隠れていた頃、一足先におりょうが薩摩藩邸に駆け込んでいました。おりょうの懐古談に依れば、寺田屋では捕り方と闘う龍馬達の側に居て、二人が欄干を飛び越えて脱出したのを見届けてから、自らも寺田屋を抜け出したとあります。ただ、これもいくつかある懐古談によって描写が異なるため、実際がどうであったかは判りません。

まず「反魂香」では、一度は捕り方に捕まった様なのですが、隙を見て裏の木戸から横町へ飛び出して薩摩屋敷に駆け込んだとあります。

これが「続反魂香」になると、少し描写が具体的になります。

龍馬が逃げた後、捕り方があの女を捕まえろといきり立つのを見て、おりょうはかくし階段から階下へと逃れます。その時、垣根の側に大男が居ておりょうは捕まりそうになるのですが、反対に武者ぶり着いて耳に噛みついたところ相手が怯み、その隙に逃げ出して薩摩屋敷に駆け込んだとあります。

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(伏見薩摩藩邸跡である事を示す石碑)

そして、「千里の駒後日譚」になると、さらに足取りが詳しくなります。

まず、おりょうは龍馬達の後を追って欄干を飛び越し、庭へと飛び降ります。ここで龍馬達とはぐれてしまったのですが、誰にも捕まることなく庭の下駄を持って屋外へと逃れたとあります。ところが、おりょうは薩摩藩邸の場所を知らなかったのですね、まるで方角違いの東に走り豊後橋(観月橋)にたどり着きます。ここからすぐに引き返して、今度は西の外れの竹田街道に出てしまいました。さらに引き返した街中で捕り方に出くわすのですが上手く言い逃れ、次に出会った通行人から薩摩屋敷の場所を聞き出してやっと駆け込んだとあります。

どれもが本人が語った事とされており、何が真実だったのかは藪の中状態ですね。何度か語っている内に記憶が蘇ってくるのか、それとも本人も意識しない内に脚色してしまうのか、どちらなのでしょう。

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(伏見薩摩藩邸跡近くの道)

何にせよ、おりょうが薩摩屋敷に駆け込んだのは事実で、その時留守居役を務めていたのが大山彦八でした。大山はすぐに藩邸内の人数、と言っても10人ほどですが、に命じて武装させます。その一方で中間に命じて伏見市内の様子を探らせ、さらに京都藩邸へと伝令を飛ばしました。そして世が明け初める頃、三吉が門内に駆け込んで来たのです。

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(濠川から伏見薩摩藩邸へと続く道)

ここに来る前、三吉は材木小屋の棚の上で、市内に満ちている高張り提灯の明かりを見ました。一緒にいる龍馬は体力を失っていて身動きが取れず、どう見ても絶望的な状況です。三吉はもはやここまでと観念し、武士らしく共に切腹して果てようと龍馬に言います。しかし、龍馬の答えは違いました。

「死は覚悟の上だが、とにかく薩摩屋敷に向かって駆けてみろ。天が自分を生かすつもりなら君は薩摩屋敷にたどり着ける。さもなければ天命に従い、自分もここで果てるまでだ。」

そう言って三吉を送り出したのです。三吉はまず血みどろの着物を堀端で洗い、次いで古草鞋を拾って足に着け、旅人の様子を繕います。そうして走り出したのは良いのですが、三吉は薩摩屋敷の場所を知らなかったのですね。危ない橋とは知りながらも途中で人に道を聞き、町が寝覚め始める中を走りに走って薩摩屋敷に駆け込んだのでした。

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(伏見薩摩藩邸跡近くの濠川)

待ちかまえていた大山は、三吉から堀端の材木小屋に龍馬が居ると聞くと、薩摩の旗を立てた船を用意させて自ら迎えに行きます。この時大山に同行したのはわずかに二人と言いますから、たった三人ではかなり心細い思いをした事でしょうね。しかし、無事に龍馬を見つけ出し、藩邸内に収容する事が出来たのでした。

この日、生死を共にした3人の結びつきは強くなり、龍馬は頻繁に三吉に手紙を書く様になります。そして、自分に万一の事があれば、土佐から迎えが来るまでおりょうを預かって欲しいと頼んでいました。不幸にも龍馬の予感は現実のものとなってしまいましたが、三吉は龍馬の遺言に従い、下関に居たおりょうとその妹の喜美を自宅に引き取っています。そして、後日おりょうを伴って京都へ行き、龍馬の墓参りを済ませた後、土佐の坂本家まで送り届けたのでした。三吉にとってもおりょうは、他人とは思えない存在だった様ですね。

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(伏見薩摩藩邸跡近くの濠川 上の写真の続き)

龍馬を乗せた船が通った濠川の流路は、当時も今もほとんど変わっていません。この川は元は伏見城の西の濠として掘られたものですが、淀川と繋がっていた事もあり、舟運の水路としても使われていました。現在は琵琶湖疎水の流末となっており、滔々とした流れになっていますね。しかし、当時はこれといった水源は無く、おそらくは湧き出た地下水が濠を満たしていたのではないかと思われます。ですから、流れはもっと緩やかだった事でしょうね。

濠川は改修が重ねられ、さらに周囲の開発が進んで景観は大きく変わっていますが、堀端としての風情は残しており、龍馬が救出されて来る様を思い浮かべる事は出来ると思います。

参考文献

「坂本龍馬の妻お龍」鈴木かほる・「龍馬の手紙」宮地佐一郎・「龍馬 最後の真実」菊池明・「龍馬が行く」司馬遼太郎

2009年10月19日 (月)

龍馬伝 ~寺田屋事件 龍馬逃走経路~

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路上に出た龍馬と三吉は共に駆け出します。しかし、500mも走ったところで龍馬の息が上がってしまいました。ずっと風邪気味で体調が悪かった上に、薩長同盟の立ち会いという大役を務め、さらには徹夜で祝杯を上げるという無理を重ねて来たのですから、当然と言えば当然でしょう。しかもこの時龍馬は袴を履いておらず、着物が足に絡まって走りにくく、気持ちばかりが焦ります。

やがてたどり着いたのが濠川でした。龍馬は土佐の新堀に良く似た所と表現していますが、高知にもこんな景観の水路があるのですね。そこには水門があり、その向こうに材木小屋が建っていました。二人は水門を潜って小屋の裏から上り、材木を重ねた棚の上に隠れたと言います。

その材木小屋があったとされる場所が、上の写真の左手に見える真新しいマンションが建っているあたりだとされています。ここにはつい最近までスレート葺きの倉庫があり、かつての材木小屋の後身だと言われていました。住所で言えば伏見区村上町、銘酒富翁で知られる北川本家の南隣にあたります。

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しかし、候補地はもう一つあり、それがこの写真の右手にある巨大な建物(月桂冠の昭和蔵)の北側とされています。かつてはこちらの説の方が優勢だったんじゃないかな。

実はこの材木小屋については古写真が残っており、すぐ近くに橋がある事、小屋の前に舟入らしい窪地がある事がヒントとなります。ところが明治41年頃の地図を見ると、村上町の近くにある大手橋はまだ出来ていない様なのですね。そして舟入は今の大手橋のあたりと昭和蔵の北側の2箇所にあります。その昭和蔵の北側の橋は記されており、古写真の条件に合うのはむしろこちら側ではないかと思うのですが、どんなものでしょう。

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まあ、そもそも古写真の材木小屋というのはかなり立派なもので、そう簡単に潜り込めたものだろうかという疑いを感じます。それに、昭和蔵のある所は紀州徳川家の藩邸、北川本家の南隣は安芸浅野家の藩邸があった場所であり、どちらにも江戸時代の絵図には舟入は見あたりません。たぶん舟入は藩邸が取り壊され、かつ琵琶湖疎水が開通した後に作られたものではないでしょうか。すると舟入に面して建つ材木小屋自体も、明治期のものではないかという疑問が湧いてきます。

さらには、写真が撮られた時期も不明(明治らしいとは言われています)ですし、写真の位置がどこかという議論にどれだけの価値があるのか判らなくなって来ます。もしかしたら、全く違う簡易な材木小屋があったのかも知れません。

それよりも、水門の方が気になりますね。今は痕跡も無い様ですが、どこにあった何のための水門なのでしょう?それを探った方が、より確実に場所が判る様な気がします。何か手掛かりは無いものでしょうか。

こうした推理の真似事が出来るのも、地形や資料が比較的残っている幕末史の面白さです。しかし、判った様な事を言っても所詮は素人の戯言、専門家から見れば隙だらけの意見なのでしょうけどね。

こんなに長くなるとは思ってなかったのですが、さらに続きます。

2009年10月18日 (日)

龍馬伝 ~寺田屋事件その2~

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(伏見奉行所跡石碑)

龍馬達を襲ったのは伏見奉行所の捕り方でした。この頃の幕府の諜報能力は凄まじく、薩長に歩み寄りの動きがある事、その仲立ちをしているのが龍馬である事、その龍馬が京都へ入っている事など、薩長同盟に向けての動きがほぼ筒抜けになっていた様です。そしてこの日、龍馬が寺田屋に入った事もまた探知されていたのでした。

実のところ、龍馬のごく身近なところにまで多数の密偵が入り込んでいたのですね。その密偵の報告書が残っているのですが、そこに記された情報提供者の中には、後に海援隊士になった桜島丸(薩摩名義で購入した長州の船。一時、龍馬の亀山社中で運用していました。)水夫頭の橋本久太夫、後に陸援隊士になった竹中与三郎が含まれていたのですから驚くばかりです。神戸海軍塾の関係者と思われる人物も居り、近江屋で暗殺されるまでよくも無事で居られたものだと思う程、龍馬の行動は幕府側に的確に把握されていました。

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(寺田屋玄関)

龍馬達にとって幸運だったのは、襲撃者が実戦経験に乏しい奉行所の役人だった事でした。人数こそ辺りを埋め尽くす程の数を揃えていましたが、臆病者揃いで最初から腰が引けていたのです。彼等は寝込みを襲うつもりでこの時刻に来たのですが、実は二人が起きていると知るとそれだけで混乱してしまう有様でした。この時、お登勢は表で応対していたのですが、この役人達の様子を見て、何人で掛かろうと龍馬達の敵ではないと安心して見ていたと言います。

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(寺田屋 龍馬の部屋。 レプリカですが、それなりの雰囲気があります。)

おりょうの知らせで敵襲に気付いた龍馬は、刀を腰に差し、高杉晋作から贈られたという拳銃を手に腰掛けに座ります。三吉もまた、槍を手にして腰掛けに座りました。待つ程もなく、捕り方が部屋にやって来ます。龍馬がおりょうに命じて唐紙をはずさせると、槍を持った人数が10人ばかり、その左右には6尺棒を持った捕り方が居並んでいました。

暫くはにらみ合いが続きます。その緊張を破る様に龍馬が、何の訳があって薩摩藩士に無礼を働くのかと言ったのをきっかけに、乱闘がはじまりました。捕り方は口々に上意と叫び、槍を投げ、火鉢を投げては騒ぎ立てます。そして、隙を見ては龍馬に斬り掛かってきました。龍馬は拳銃で応戦しますが、刀を受け損ねて両手に浅手を負ってしまいます。

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(龍馬の部屋にある弾痕。 当時のものではないにしろ、臨場感はありますね。)

龍馬の拳銃は6連発でしたが、弾が入っていたのは5発だけで、4発までは命中したのかどうか龍馬にもわかりませんでした。最後の一発は三吉の肩を支えにして狙いを定めて撃ったところ、捕り方の一人に中り、その捕り方は「眠るがごとく前のめりに腹ばう様に」倒れます。

これを見た捕り方はさらに及び腰になり、襖や障子を破って大きな音を出すばかりで、手元には踏み込んでこなくなります。この隙に龍馬は弾倉を外して弾を込めようとしますが、手の傷から出る血で指が滑り、思う様に作業が出来ません。2発まで込めたところで弾倉を落としてしまい、足下に散らばった布団や火鉢の灰に紛れて、見失ってしまいます。

龍馬は拳銃を捨て、その旨を三吉に告げました。これを聞いた三吉は敵に切り入って闘おうと言いますが、龍馬は今の内に逃げようと誘います。三吉は龍馬の言に従い、槍を投げ捨てて、龍馬と一緒に裏の階段から階下へと降りました。幸いな事に、捕り方は店の表に集中しており、裏までは誰も来ていません。二人は後ろの家の雨戸を叩き破って中に入り、その家を通り抜けて寺田屋とは反対側の道に出ました。ここにも捕り方はおらず、脱出に成功した二人は街中を走り出します。

以下、明日に続きます。


余談ながら、去年は再建説でマスコミを賑わした寺田屋ですが、展示は以前と変わっていませんでした。寺田屋は再建説を認めていないのだから当然と言えば当然ですが、一切触れないというのもどうなのでしょうね。京都市は寺田屋に展示の変更を申し入れたはずなのですが、無視されたという事なのでしょうか。

それより意外だったのは、来場者のほとんどが寺田屋再建説を知らない事で、オリジナルと信じて疑っていない様子でした。あの騒ぎは一体何だったのでしょう?

以前にも書きましたが、寺田屋で幕末史を揺るがした2つの大きな事件があった事は事実であり、ここが貴重な史跡である事は間違いありません。また、寺田屋そのものも、再建されたものとは言え、江戸時代の船宿の面影を残す貴重な存在である事も確かです。ですから再建説がある事を認めた上で、公開を続けるのがベストだと思うのですが、どんなものでしょう。

一番がっかりするのは、本物だと信じていたのに、後から偽物だったと知る事です。せっかく幕末のロマンを求めて訪れたのに、後に残るのは嫌な思いだけだとしたら詰まらないじゃないですか。再建されたものだとしても、寺田屋には十分史跡としての価値があるのですから、そこはちゃんと説明して欲しいものだと思います。それで来場者が減るとは思えないのですけどね。

2009年10月17日 (土)

龍馬伝 ~寺田屋事件~

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(寺田屋浜)

龍馬が伏見寺田屋で幕吏の襲撃を受けたのは、慶応2年1月23日深夜の事でした。前日(または2日前)に薩長同盟の仲立ちをするという大仕事をなし終えた龍馬でしたが、目立つ事を恐れたのか帰り道は一人でした。

この時、宿で待っていたのが長府藩士(長州藩の支藩)の三吉慎蔵です。三吉は藩から京都の情勢を探る様命じられ、龍馬と共に上洛して来たのでした。三吉はまた槍の名手として知られた人で、実質的に龍馬の護衛でもありました。

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(寺田屋騒動の碑)

龍馬と寺田屋の縁は、元治元年8月に始まるとも、慶応元年8月の頃からだとも言われます。寺田屋と縁の深い薩摩藩からの紹介があった事は確かで、以後龍馬の京都における根城となります。女将のお登勢は侠気のある女性で、乙女やおりょうと通じるところのあるタイプだったらしく、龍馬とも意気投合した様ですね。彼女を見込んだ龍馬は、妻であるおりょうの身柄もここに預けています。

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(寺田屋外観)

おりょうはお登勢の養女だったと言われる事がありますが、おりょうの懐古談によればそうではなく、娘分とも女中ともつかない立場だったとの事です。つまりは、娘の様に可愛がられながら、宿の手伝いもしていたという事なのでしょう。

あまりに個性が強すぎるのか、ともすれば孤立しがちなおりょうでしたが、お登勢とは相性が良かったのでしょう、懐古談で懐かしがっている数少ない人物の一人です。(龍馬の知り合いの中で「腹の底から親切だったのは、勝海舟と西郷隆盛、それにお登勢の3人だけだった。」「反魂香」より)

ちなみに、龍馬の姉である乙女とは仲が悪かったという説もありますが、懐古談では親切にして貰ったと言っており、むしろ気が合う相手だった様です。後に坂本家を出てしまったのは、義兄との相性が最悪だった事に依る様ですね。坂本家を去る時、見送ってくれたのは他ならぬ乙女でした。(「千里の駒後日譚」)

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(龍馬像)

話が逸れてしまいましたが、京都に来て以来、龍馬はずっと風邪気味で体調が悪かった様です。薩摩屋敷に居る間も身体が熱っぽく、本調子ではなかった様ですね。それでも緊張感があったからでしょう、大仕事を無事に終えているのはさすがと言えましょうか。

寺田屋に帰ってからも興奮が醒めていない様子で、三吉相手に深夜まで祝杯を上げていました。寺田屋ではこの日は別の客の宴会もあって、そちらも深夜まで騒いでいたと言いますから、江戸時代というのはわりと宵っ張りだった様に思えますね。おりょう達従業員は徹夜だったそうで、仕事を終えたおりょうが風呂に入ったのは午前4時頃の事でした。

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(寺田屋風呂桶)

そのおりょうが外の様子の異変に気付きます。いくつかある懐古談によって描写が異なるのですが、窓の外を見て捕り方に気付いたとも、風呂場の中で槍を突きつけられたとも言いますが、ここからおりょうの機転の効いた行動が始まります。

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(寺田屋裏階段)

風呂を飛び出したおりょうは、濡れ肌に合わせを一枚羽織っただけの姿で龍馬の下に向かおうとします。しかし、浴室を出たところで役人に捕まり、二階に居るのは誰だと聞かれます。おりょうはとっさに薩摩の西郷小次郎と答え、二階に上がるなら表に回るのがよいと嘘を教えてやります。そして、役人が表に行った隙に、かくし階段を伝って龍馬達の居る部屋に飛び込み、異変を知らせたのでした。

この時の描写も懐古談によって異なり、ここに掲げたのは「千里の駒後日譚」に拠るものですが、裸のまま風呂場から飛び出し、龍馬達の部屋に駆け込んだという説(「坂本龍馬の未亡人」安岡重雄)もあります。この場合は役人とのやりとりは無かった事になっているのですが、おりょうの話がその時々によって変わるのか、それとも筆者に依る脚色が入るのかは判りませんが、こうした事例が散見されるためにおりょうの懐古談の信憑性が疑われる原因となっています。

それはともかく、この時のおりょうの行動が龍馬を救った事は確かであり、龍馬達は捕り方に踏み込まれる前に迎え撃つ体勢を整えられたのでした。龍馬は後の手紙の中で、この時おりょうが居たからこそ命が助かったと述懐しています。

以下、長くなったので次回に続きます。

なお、往時の寺田屋は鳥羽伏見の戦いの時に焼失しており、現在の建物は明治期に再建されたものですが、当時の雰囲気は伝えていると思われますので、参考として写真を使用しています。

参考文献

「坂本龍馬の妻お龍」鈴木かほる・「龍馬の手紙」宮地佐一郎・「龍馬 最後の真実」菊池明・「龍馬が行く」司馬遼太郎

2009年10月16日 (金)

京都・洛南 にごり酒~月の桂~

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中秋の名月の日に行った上賀茂観月祭で、御神酒として振る舞われたのが月の桂のにごり酒でした。頂いたのは杯に一杯だけだったのですが、その鮮烈な味わいにすっかり参ってしまいました。そこで、京都へ行った帰りに伏見に寄り道をし、求めてきたのがこの一本という訳です。

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早速頂きましたが、発泡酒よろしく、この酒は泡立っているのですね。炭酸ガスを含んでいるそうで、開ける前に吹きこぼれに注意と書かれていましたが、うっかり瓶を振ったりすると栓を開けたとたんに溢れだしてしまいそうです。(写真は最初の一杯ですので、上澄みに近いため色が薄めです。本来はもっと白濁した色なのですが、下に溜まった成分をそっと混ぜるのは難しそうですね。)

そういう事もあってか、口に含むと随分と刺激的です。この感触は好みが分かれそうですが、泡が弾ける刺激もまたこの酒の味わいと言えそうです。

味は、とにかく旨いの一言ですね。普通の日本酒より旨味の成分が多いのでしょう、あっさりとしているのに濃厚な味わいがします。喉越しはあくまですっきりとしており、いくらでも飲めるといった感じでした。実際、これ一本をゆこと二人してあっと言う間に開けてしまいましたから、せっかくのお酒を勿体ないという気すらしましたね。アルコール度は17度ですから、日本酒としては少し強めといったところかな。

この純米酒は720ml瓶で1683円と、ちょっと高めですね。でも、一度飲むと止められないという気がします。どこでも売っているというものではないところが残念ですね。

ただ、送料と手数料を気にしなければ、通販で買うという手もありますので、気になる方はお試し下さい。お薦めですよ。

2009年10月15日 (木)

藤袴とアサギマダラ

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先週末に廻った社寺では今が盛りとフジバカマが咲いていましたが、そこには何匹ものアサギマダラが飛来していました。アサギマダラは渡りをする蝶として知られており、台湾及び南西諸島と本州の間を2世代かけて往復するという生態を持っています。

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2世代を掛けるというのは、春に本州に飛来した個体は卵を産んで一生を終えますが、秋に成虫となった個体が再び南方を目指すというサイクルを繰り返しているのですね。誰に教えられるという訳でもなく、本能として身についている行動なのでしょう。なんとも不思議な気がしますね。

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名前に付いているアサギとはこの羽根の色から来ています。新選組の羽織の色として知られる浅葱色の事ですね。なかなか綺麗な色と模様ですが、実はこれは鳥に警告を与えるためにあるのだそうですね。

アサギマダラの幼虫はガガイモ科の植物の葉を食べるのですが、有毒のものが多く、これを食べた幼虫にもその毒が蓄積されます。この毒は幼虫のみならず成虫にまで引き継がれるので、もしも鳥がアサギマダラを食べる様な事があれば、毒に中って酷い目に遭うという仕組みなのですね。こんな蝶は他にも居て、アサギマダラと同じ食性を持つカバマダラ、ウマノスズクサ類を幼虫が食べるジャコウアゲハなどがそうです。

植物が毒性を持つのは、本来は動物に食べられない為なのでしょうから、それを利用してしまう昆虫というのは、実にしたたかだという気がしますね。

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ところがWikipediaに拠ると、このフジバカマの蜜にも毒素の元となる成分があり、この花を好んで集まるのはさらなる毒素を体内に貯め、より安全にするためなのだとか。うーん、それは初耳でしたね。長距離を飛ぶため、それだけ敵に遭遇する確率も高いということなのでしょうか。

この蝶、あまり襲われる事が無いと知っているせいか、近づいてもほとんど逃げる事はしませんでした。捕食出来るものならしてみろといったところかな。小さな身体で長距離を飛ぶ事と言い、見かけによらず随分と逞しい蝶の様です。

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フジバカマにはアサギマダラのみならず、蜂の仲間が沢山来ていました。耳元でブンブン羽音が鳴るので、正直ちょっと怖かったですね。

他に蝶で見かけたのはこのツマグロヒョウモンでした。この蝶は別に毒素を貯めるという性質は無い様ですが、実は先に挙げた有毒のカバマダラに擬態しているのだそうです。自前の毒は無くても、ちゃっかりとカバマダラの力を借りて、この蝶なりに鳥に食べられない為の工夫をしていたのでした。昆虫の世界は実に面白いですね。

最近良く見かける様になったフジバカマのおかげで、蝶の面白い世界を垣間見る事が出来ました。KBS京都のキャンペーンも、思わぬ形で恩恵を与えてくれたというものですね。

2009年10月14日 (水)

京都・洛北 秋の境内~下鴨神社~

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平成21年10月11日の下鴨神社です。この日は特にお祭りやイベントがある訳ではなかったのですが、前を素通りするのもどうかと思われて、参拝に寄せて頂きました。

この神社の拝殿はちょっと独特な形式になっており、本殿の前に干支ごとの小さな拝殿があるのですね。つまり、本殿にお参りした後で、自分の干支のある拝殿に行って再度お祈りをするという訳です。初めて来た人は、きっととまどう事でしょうね。

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ここでもキャンペーンで配布された藤袴が、花盛りとなっていました。これって私が勘違いしていた様なのですが、去年の株を各社寺で育てたという訳ではなさそうですね。今年も昨年と同様、KBS京都が用意した鉢植えの様です。

今年が仕上げの年だそうですが、来年以降はどうなるのでしょうね。もしかしたら、各社寺で見られるのは今年が最後という事なのかしらん?だとしたら、ちょっと寂しいですね。

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御手洗川に架かる輪橋には、沢山のギンナンが落ちていました。今年はあちこちで、大量のギンナンが落ちているのを見かけます。もしかしたら、今年はギンナンの豊作年だったのでしょうか。

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この日も相生社は、若い女性達で賑わっていました。中に年配の人が混じっているのは、息子や娘に良縁を願う人でしょうか。それぞれの願いが叶って、良い縁結びが出来ると良いですね。

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いつ来ても気持ちの良い糺の森です。今公開されている「火天の城」のロケ地となった場所でもありますね。撮影当時はここにロケセットが組まれてちょっとした町の様になっていたのですが、今はその跡形も残っていません。

でも、セットが無くても道の向こうから髷を結った着物姿の人が現れる様に思える、そんな雰囲気があるのはこの森ならではですね。いつまでも変わらずにあって欲しいと願うばかりです。

2009年10月13日 (火)

京都・洛北 秋の庭2009~圓光寺~

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平成21年10月11日の圓光寺です。

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圓光寺を訪れるとまず水琴窟が出迎えてくれます。以前その神秘的な音を動画に撮った事がありましたが、今ひとつの出来でした。そこで今回もう一度撮り直そうと思っていたのですが、残念ながら上手く行きませんでした。

なぜって、ここも詩仙堂ほどでは無いにしろ、結構人が来る様になっているのですね。撮りたいのはほんの20秒ほどの事なのですが、人の声がしない時間がわずか10秒も無いのです。何度か試みて、最長で5秒程度だったかな。なにしろ微妙な音ですから、他の音が入ると台無しなのですね。静かな時間を得る事が、こんなに難しいとは思いませんでした。今度は誰も来そうにない冬に行って、撮ってこようかと思っています。

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10月半ばの庭は、もみじがわずかに色づき始めている様でした。去年は丁度良いタイミングで来る事が出来て素晴らしい紅葉と出会う事が出来ましたが、今年はどんな出会いが待っているでしょうね。

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この十牛の庭は、苔も美しいですね。散り紅葉がこの苔を染めた様は、それは見事の一言でしたよ。今年もそんな景色を見る事が出来ると嬉しいのですけどね。

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駐車場ではコスモスが終わり、ススキの穂が風に揺れていました。少し雲が厚くなった空とあいまって、ちょっと寂しげな秋の風情でしたよ。

2009年10月12日 (月)

京都・洛北 秋の庭2009~詩仙堂~

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平成21年10月11日の詩仙堂です。この日は3連休の中日とあって、朝から大勢の人で賑わっていました。こんな写真が撮れたのはほんの一時の事で、後は常に人で溢れていましたよ。

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今の庭で一番の盛りを迎えているのは藤袴ですね。他の社寺ではキャンペーンで配られた鉢植えが主流ですが、ここでは地植えになっています。

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同じ藤袴でも、色のはっきりとしたこちらは園芸品種でしょうか。面白いもので、原種の藤袴には沢山の蝶が来ていたのに対し、こちらにはほとんど昆虫は見かけませんでした。誘引する成分の出方が違うせいでしょうか、その違いにはちょっと興味を引かれますね。

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こちらも今を盛りと咲いているホトトギスです。この花は藤袴よりも花期が長いので、10月の末頃まであちこちの庭で見る事が出来るでしょう。それにしても、改めて見るとなかなか面白い模様ですね。

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そして、これも今が見頃の秋明菊ですね。この庭でここまで咲いているのを見たのは初めての様な気がします。今年は当たり年だったのかしらん?

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鹿威しの側には、ひっそりと野菊が咲いていました。正確にはノコンギクでしょうか。控えめな様子がこの庭には似合っていました。その鹿威しの音は以前の記事でお聞き下さい。

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この面白い形をした果実は木瓜の実ですね。小さな花に似合わず、随分と大きな実を付けるものです。既に葉が散ってしまっているので、初めて見ると何の実なのか迷う事でしょうね。

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秋らしさを演出するススキの穂も、すっかりそれらしくなっています。背後のもみじも少しずつ色付いてきていますね。去年の紅葉は素晴らしいものがありましたが、今年はどんな感じになるのでしょうか。後一ヶ月と少しで本格的に色付き始めると思われますが、何とも待ち遠しい事ですね。

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この3連休は本当に秋らしい好天に恵まれました。先週の雨続きが嘘の様ですね。あの台風が秋を運んできたのかな。これからの京都は過ごしやすく、行楽には持ってこいの季節になりますよ。

2009年10月11日 (日)

京都・洛中 竜胆2009~廬山寺~

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平成21年10月11日の廬山寺です。初夏から庭を賑わしていた桔梗はすっかり刈り取られ、ずいぶんとすっきりとした景色になっています。

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その庭で、あまり目立つ事はないものの、竜胆の花が咲いています。まだ咲き始めたばかりの様子で、数輪の花を見る事が出来ました。なにしろ庭に比べて小さいですからね、よーく見ないと判らないと思いますよ。

それでも蕾が沢山付いていますから、これから暫くすればもう少し庭の彩りになると思います。

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竜胆が咲いているのは正面から見て右手の「島」だけです。棚のある島といえば判りやすいかな。でも、それ以外の島でも鮮やかな緑を見る事が出来ますね。

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それは何かといえば、刈り取られた桔梗が再び芽を出しているのでした。我が家の桔梗は花は終わったもののまだ枯れることなく、地上部の葉は緑のままです。つまり自然に任せておけば、まだまだ光合成をして来年のための栄養を蓄える時期なのでしょうね。

ここでは庭の美観のために刈り取られたのでしょうけれど、気温が高い事もあって、休眠には入らずに新芽を出したという事の様です。でもこれって、桔梗にとってはかなりの負担となる事でしょう。ちょっと可愛そうな気もしますね。

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玄関では、藤袴が見頃を迎えていました。この花は一見地味ですが、昆虫にとっては魅力的らしく、沢山の蝶や蜂などが飛来していました。そして、よほど豊富な蜜があるらしく、一箇所で採餌している時間がかなり長い様に感じました。

乾燥すると桜餅の様な香りがするそうですが、咲いている花そのものはあまり香らないですね。でも、昆虫には感じられる成分があるのでしょう。このあたり、ちょっと不思議な気がしますね。

2009年10月10日 (土)

龍馬伝 ~おりょう独身時代寓居跡 木屋町通~

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おりょうの実家は富小路六角南にあったと推定されていますが、父である楢崎将作が病死した後、残された一家は木屋町に引っ越しています。「反魂香」では四条の裏通の借家、「続反魂香」では木屋町と記されており、四条通に近い木屋町のどこかに住んでいたものと思われます。

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この頃のおりょうの一家の様子は、おりょうの懐古談をまとめた反魂香や続反魂香、それに龍馬の手紙で知る事が出来ます。

3代続いた医者の家はかなり裕福で、父の存命中はおりょうも華道や茶道、さらには香道といった教養を身に付けた良家の子女でした。しかし父が死んでから後は、元々が長州から流れてきた家系ですから京都には頼るべき縁戚はなく、わずかに居た親戚もごたごたに乗じて家財道具を掠め取って行くという酷い連中でした。

残された家族は母と5人の子供でしたが、医者の家には跡目相続という制度はなく、収入の道を絶たれた一家の暮らしは次第に窮迫して行きます。まずは富小路の家を売り払い、木屋町の借家に移った様です。そして、手元に残された家財や着物を売ってその日の糧を得ていた様ですが、遂には財産も底を尽き、働ける子供達はそれぞれ奉公に出る様になりました。

ところが、母の貞が人に騙され、二人の妹が次々と売られてしまうという事件が起こります。貞もまた良家の育ちであり、悪意ある人の下心が見抜けなかったのですね。

16歳の光枝は大阪の大家に小間使いとして欲しいと言われたのですが、実は遊女として売られてしまいます。これを知ったおりょうは、まず騙した相手の家に乗り込んで妹の行き先を聞き出し、それが大阪と判ると自分の着物を売って金を作り、刃物を懐に忍ばせた上で単身相手のところに乗り込んで行きました。そして妹を見つけるとやくざ者を相手に談判を始め、相手が脅しに掛かるとかえって相手のむなぐらを掴んで殴り飛ばしたと言います。そして、怒った相手が殺すぞと凄むと、おりょうは殺せるものなら殺してみろと開き直ってみせ、とうとう無事に妹を連れ帰ったのでした。

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もう一人の妹である公江(起美)については、続反魂香と龍馬の手紙とでは記述が異なります。続反魂香では、またしても貞が騙されて公江が舞妓に売られそうになるのですが、寸前のところでおりょうが取り戻し、大仏の加藤という家に預けたとあります。

一方龍馬の書簡に依れば、13歳の公江は島原に舞妓として売られたのですが、まだ年少である事から暫く置いておいても大事ないだろうと捨て置いたとあります。この龍馬の手紙にはまだ続きがあって、13歳の妹は自分が引き取って人に預けてあると記されており、さらに別の手紙では神戸海軍塾の勝海舟に預けたとあります。

このあたり正確な経緯が判らないのですが、公江は島原から救い出された後は龍馬の庇護の下にあった事は確かな様ですね。

こうした独身時代のおりょうのエピソードを見るに付け、当時の女性としては相当型破りであった事が窺えます。龍馬の姉乙女もまた男勝りな女丈夫であったと伝えられますが、龍馬の好みにはぴったりと来る性格だったのかも知れませんね。

なお、おりょう達が暮らした家の位置は全く手掛かりが無く、特定は出来ていません。この石碑は単に独身時代の彼女がこの界隈で暮らしていたという事を示しているだけであり、ここが借家跡という訳では無いですね。その事は後ろの説明板に書かれており、石碑の為に土地を提供してくれたのが、たまたまこのビルのオーナだったという事の様です。

ただ、「この付近 寓居跡」というのはいかにも紛らわしく、もう少し表現を改めた方が良いのではないでしょうか。「独身時代のおりょうが暮らした木屋町通」とか、もっとぼかした表現の方が適当だと思います。でないと、石碑を見た人が勘違いをしてしまうと思うのですが、余計なおせっかいかな。

参考資料:「坂本龍馬の妻 お龍」鈴木かおる 「龍馬の手紙」宮地佐一郎

2009年10月 9日 (金)

京都・洛東 一味チーズ・山椒チーズ~七味家~

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清水寺へ行く時、よく寄るのが七味家さんです。無論七味の補充が目的なのですが、以前から気になっていた存在がありました。それが一味チーズと山椒チーズです。

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別々にも売っているのですが、せっかくだからと詰め合わせのパックを買いました。見た目はよくあるチーズとそう変わりないですね。

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そして、中身がこれです。やはり一味の方は赤く、山椒の方は薄い緑色が掛かってなっていますね。さて、肝心の味ですが、一味はぴりりと辛いといった程度でしょうか。美味しくはあるのですが、それほどインパクトは感じません。

一方の山椒チーズの方は、もろに山椒の味がしました。これはもし黙って出されたら、きっと驚く事でしょう。びっくりはしますが、意外と美味しいので二度びっくりです。我が家の評判は、こっちの方が良かったかな。酒の肴には合いますよ。

一箱577円と、普通のチーズに比べると少し高めですね。でも、話の種には面白いでしょう。食べても美味しいし、お土産に一つどうですか。

2009年10月 8日 (木)

京都・洛東 古都夕景2009~八坂の塔~

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この時期になると夕景色を撮りたくなります。枕草子にある「秋は夕暮れ」という一節が、すっかり意識の中に刷り込まれているからかも知れませんね。

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その夕景色が綺麗な場所をずっと探しているのですが、この高台寺駐車場を越える場所がなかなか見つかりません。何と言っても、八坂の塔という絶好の被写体が入るのが大きいですね。

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夕陽そのものも綺麗ですが、日没直後の空の色の変化こそ見応えがあります。いわゆるマジックアワーと呼ばれる時間帯ですね。

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夕暮れに絵になるものと言えば、やはり烏かな。これも枕草子の影響ですね。赤く染まった空に、良いアクセントになってくれます。

ただ、旧洛東病院跡の工事なのでしょうね、塔の背後に見えるクレーンだけは余計だったな。

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とても良い景色の高台寺ですが、なぜか秋の灯ともし頃という風景は上手く写せません。町の明かりがあまり見えないのですよね。そんな中で、京都タワーは良く目だってくれます。街中に見える灯明台と思えば、これも風情ある景色に見えません事?

2009年10月 7日 (水)

京都・洛東 秋空2009~八坂の塔~

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このところずっと雨続きですが、サイトの上だけでも爽やかにと秋空シリーズを続けます。この日(平成21年9月26日)は気持ちの良い快晴で、八坂の塔が秋空にとても映えていました。

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既に日が西に傾いていましたが、順光になったおかげで青空が綺麗に写っています。定番の景色ですが、これだけ空がすっきりしているのも珍しいですね。

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構図より何より、とにかく青空にこだわったのがこの一枚。レタッチでもう少し深い色にした方が良かったかな。でも、不自然にるのも嫌ですしね、難しいところです。

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その八坂の塔の境内では秋明菊が咲いていました。これからの季節、主役の座に付く花の一つですね。

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南から見た八坂の塔です。ここから撮る人は少ないでしょうね。前景がちょっと雑然としていますが、塔そのものの姿は結構気に入っています。

明日は夕陽に染まる八坂の塔をお届けします。

2009年10月 6日 (火)

京都・洛東 秋空2009~清水寺~

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上賀茂神社に向かう前、晴れ渡った秋空に誘われて清水寺に来ました。ここに来るのは7月10日以来ですから、3ヶ月ほどご無沙汰していた事になります。

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門前の賑わいは相変わらずですね。托鉢の尼僧が居る事もいつもの風景、そしてその見事な姿勢も変わりませんね。

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平成20年に新調された梵鐘は、まだまだ黒光りを保っています。清水寺門前会が寄付したもので、梵鐘としては五世に当たるそうですね。その前の第4世は実に530年もの間使われていたそうで、応仁の乱の後の京都の変遷をずっと見守って来たのでした。この五世の鐘はどれだけ保つのでしょうね。500年後の世の中なんて、どうなっている事でしょう。考えるだけで気が遠くなりそうな気がします。

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もしかしてと期待していたのが彼岸花でしたが、さすがにすっかり終わっていました。わずかにこの花が咲いていたのがせめてもの幸いでした。

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彼岸花も終わり、あと一ヶ月もすると紅葉の季節となりますね。この石仏の周りも赤く染まった落ち葉で埋まる事でしょう。そして、石仏の前掛けが新調されるのも間もなくの事となります。季節は確実に廻って行きますね。

2009年10月 5日 (月)

京都・洛北 黄昏時~上賀茂神社界隈~

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観月祭の始まりを待つ間、黄昏時の上賀茂界隈を歩いてみました。まだ観光シーズンと呼ぶには少し早いこの時期、この界隈本来の静かな時間が流れています。

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日暮れが早くなって来たこの頃、陽の光に赤味が差すのもまた早いですね。夕陽に丹塗りの鳥居が良く映えています。

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本殿の前では、藤袴が咲き始めていました。地元のテレビ局のキャンペーンに依るもので、この時期京都のあちこちの社寺で見る事が出来ます。今年で2年目に入るはずで、たぶん神社の方で去年の株を継続して育てたものなのでしょう。これから綺麗に咲き揃う事でしょうね。

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社家町では人通りも少なく、地元の人くらいしか見かけませんでした。日暮れ時の静かな川沿いの道が続きます。

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途中の橋ではススキが穂を開き、秋らしさを演出していました。しかし、その向こうでは女子中学生たちが川の中で遊んでおり、この日の気温の高さを物語っています。夜になると涼しくなりましたが、昼間はまだまだ残暑と言える様な気候でしたからね。今年の秋は早いのか遅いのか、良く判らないといったところです。

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夕陽を求めて加茂川沿いに来てみました。残念ながらドラマチックな空にはなりませんでしたが、それなりのグラデーションにはなっています。ちなみに、この石塔は焼き餅の神馬堂の裏庭にあるものです。ここには石仏などもあり、ほとんどお寺の様になっていますね。表の店構えとはちょっと違う、面白い一面を見せて貰いました。

観月祭までのひととき、とても静かな散策でしたよ。


2009年10月 4日 (日)

京都・洛北 賀茂観月祭~上賀茂神社~

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京都においては、中秋の名月に合わせて様々な行事が執り行われます。あまりに多くて、どこに行こうかと目移りがするのですが、今年は上賀茂神社を選んでみました。

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ここ上賀茂神社では、賀茂観月祭として神事が斉行された後、御所舎において奉納コンサートが行われます。御所舎の前にはかがり火が焚かれ、そして殿舎の丁度後ろから月が昇るという絶好のシチュエーションになっています。

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神事は午後4時30分から行われ、次いで柊野保育園の園児達に依るクラシック演奏の後、関島秀樹さんから本格的なコンサートが始まりました。関島さんの歌では、地元で取材されたという正調の五木の子守歌が、良く聞く曲とはまるで違っているのが興味深かったです。

次いで、藤井紗代子さんと一ノ瀬佳子さんによる箏曲の奉納です。和琴なのに、ドレス姿で、椅子に腰掛けての演奏というのが目新しいですね。これはほんの少しですが、動画でお聞き下さい。

やはり神社の境内には、琴の調べが良く調和しますね。名月の会らしい雰囲気が一番漂っていた時でした。

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次は趣きをがらっと変えて、フォークソングの奉納となります。その一番手が澤田よしひろさん、昔流行ったケメコの歌の作詞に係わられたそうですね。昭和40年代のフォークソングや中島みゆきさんのヘッドライト・テールライトを歌ってくれました。観客に向かって早口で歌詞を教え、一緒に歌おうと呼びかける昔ながらのスタイルが懐かしかったりします。

2番手がくろじん↑。ボーカルのマヤさん、アコースティックギターのワタナベタクヤさんの二人組ですね。「くろじん」とは黒いジーンズの事で、練習の時に二人がよく履いていた事が由来なのだとか。何でもマヤさんは、京都産業大学で経済学の非常勤講師を務める澤田さんの教え子らしく、音楽の面でも一緒にコンサートをされている様ですね。その素晴らしい歌声を動画にてお聞き下さい。

伸びやかでかつ深みと艶のある良い声で、上賀茂神社の広い境内に響き渡っていました。名月の夜に相応しい歌声でしょう?曲に恵まれればブレイクしそうな気がするのですが、どんなものでしょうね。ちなみにマヤさんは慎重が142㎝と大変小柄な方ですが、どこから声が出ているのかと思う程、声量は豊かでした。

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そして最後は、澤田さんと大阪城ジャグバンドのセッションです。このグループはカントリーソングになるのかな。まあ、とにかく陽気なおじさん達です。名月を背景にそのさわりの部分をお聞き下さい。

歌は銀座のカンカン娘であり、ちょっと名月にはふさわしく無い様な気もしますね。でも、この日御所舎に勧請されているのは太田神社の天鈿女命であり、芸能の神に捧げるには少々賑やか過ぎるぐらいの方が丁度良いのかも知れません。

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全てのコンサートが終わった後は、にごり酒が振る舞われます。提供はにごり酒の元祖とも言われる月の桂で、とても美味しかったですよ。基本は無料ですが、気持ち程度の寸志は要るでしょう。実は2杯目も欲しかったのですが、御神酒を何杯も飲むものではないと、一緒に行ったゆこに止められてしまいました。今度伏見に行ったら探してみようと思ってます。

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そして、もう一つ無料で振る舞われるのが月見団子です。こちらは亀屋良永提供で、先着300名に引換券が配られていました。これも甘さ控えめながら深い旨味のある餡と、柔らかくてかつモチモチとした歯ごたえのあるお餅の組み合わせが見事な一品でした。

ここでは舞台の正面の椅子席こそ招待客用でしたが、広い芝生地は自由席であり、それぞれ思い思いの場所でのんびりとコンサートを楽しむ事が出来ます。そして、全ての音楽のベースとして、秋の虫の音があり、冴え返っていた名月とあいまって、秋の夜の風情を十分に楽しむ事が出来ました。上賀茂神社の観月祭は、行って良かったと思えるイベントですよ。

2009年10月 3日 (土)

龍馬伝 ~龍馬とおりょうの出会いの場所 大仏騒動跡~

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あまり知る人は居ませんが、三十三間堂の南側には巨大な門があります。これは豊臣秀吉が建てた方広寺の南大門で、かつての威容を今に伝える貴重な遺構となっています。この寺には奈良の東大寺をしのぐ大仏があり、その事から付近一帯の地名も大仏と呼ばれていました。

この南大門の南側に、龍馬とおりょうが出会ったという隠れ家がありました。この隠れ家については、おりょうの懐古談をまとめた「反魂香」に詳しく、また龍馬の手紙にも「(おりょう母子が土佐の志士達を)大仏あたりにやしないかくし」という表現で出てきます。

父親を病気で亡くしたおりょうの一家は、柳馬場通三条南の家を出て、一時木屋町の借家に身を寄せていました。この時おりょうの一家は母の貞をはじめ二人の弟と二人の妹を抱えており、暮らし向きは急迫していた様です。そこに付け込む人が居て、二人の妹が相次いで騙されて連れ出されるという事件が起こり、その都度おりょうが連れ戻すという事がありました。

その頃(文久3年後半から元治元年前半)、天誅組に参加した土佐の残党が、河原屋五平衛という人の隠居処を借りて「水口加藤の家人住所」という表札を表に出し、隠れ家としていました。ここには龍馬を始めとして、中岡慎太郎、北添佶磨、望月亀弥太、池蔵太などが出入りしていた様です。その隠れ家の世話人として頼まれたのが、おりょうの母である貞でした。彼女の夫である楢崎将作は勤皇の志士と繋がりがあり、龍馬が同士と呼んだ人物です。その妻であれば、隠れ家の世話人として申し分ないと思われたのでしょうね。

貞は息子を寺に預けたり、娘を奉公に出したりと始末を付けた上で、末の娘を連れて大仏の家に入ります。おりょうもまた、七条新町にあった扇岩という旅館で住み込みで働く様になりました。この大仏の隠れ家で、龍馬はおりょうと何度か会った様ですね。そして、貞から身の上話を聞く内に情が移り、おりょうを妻に貰い受けたいと切り出した様です。貞もまた龍馬が人物である事を認め、おりょうを嫁がせる事を承知しました。おりょうに異存があるはずも無く、話はすぐにまとまった様です。

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こうして、龍馬とおりょうは夫婦約束が出来たのですが、まだ祝言を挙げぬ元治元年6月2日に、龍馬は勝海舟に会う為に江戸へと旅立ちます。この時、望月亀弥太と大里(近藤?)長次郎が龍馬を見送ったのですが、望月とはこれが今生の別れとなってしまいました。

龍馬が旅立った3日後の朝、大仏の隠れ家は新選組に急襲されます。この時、隠れ家には北添佶磨が居た様ですが、この場は上手く逃れた様です。新選組は隠れ家を隈無く捜索し、家財道具を洗いざらい押収して行きました。その中に槍4本、具足櫃などが含まれており、北添らの犯意の証拠とされた様ですね。そして貞もまた一緒に連行されたのですが、すぐに何も知らない者として釈放されています。

新選組は、大仏の手入れと同時に四条河原町の桝屋を襲い、古高俊太郎を捕らえています。直後の池田屋事件に繋がった事でこちらの方がずっと有名ですが、これらの動きは単なる新選組の捜索活動ではなく、公武合体派に依る京都の一斉捜索の前段として行われていました。龍馬の出立があと数日遅かったら、龍馬もまたこの騒動に巻き込まれていた可能性もあったのですね。

龍馬は危うく虎口を逃れる事が出来ましたが、望月は池田屋で難に遭いました。一度は逃れたものの、力尽きて角倉家の門前で自害して果てた事は以前に書いた通りです。

北添佶磨については、資料によって説が分かれています。大仏の隠れ家の手入れを受けた直後なのに、同志の会合に出掛けるのは不自然だという説(「近藤勇のすべて」新人物往来社、「新選組の二千二百四十五日」伊東成郎など)と、通説となっている池田屋で討ち死にしたという説ですね。

このうち、「新選組の二千二百四十五日」には、(池田屋の近くではない)路上で討ち死にしている北添の死体を、おりょうが目撃したと彼女の後日談にあると書かれているのですが、調べた限りではおりょうが見たのは望月の死体です(「千里の駒後日譚」)。それどころか、おりょうは北添は池田屋で襲われてその場で討ち死にしたと繰り返し言っており、このあたりはどうも良く判らないですね。どこかに、私の知らない資料があるのでしょうか。

この隠れ家のあった場所は、現在の地名で言えば東山区本瓦町となります。地図の上では大仏という名は見あたらないのですが、写真の中程にある変電所は大仏変電所と言い、かつてこの辺りが大仏と呼ばれていた名残を示しています。

隠れ家があった正確な位置は判らないのですが、ここで龍馬とおりょうの出会いがあったと思えば、何の変哲もない町並みも違って見えるというものですね。


参考資料

坂本龍馬の妻お龍(鈴木かほる)、龍馬の手紙(宮地佐一郎)、坂本龍馬(松浦玲)、閃光の新選組(伊東成郎)、近藤勇のすべて(新人物往来社編)

2009年10月 2日 (金)

京都・洛東 黄昏時~二年坂界隈~

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秋の日、黄昏時に訪れた二年坂界隈です。

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9月も末となると、日暮れの訪れも早くなりますね。まだ店が閉まる時間ではないのですが、夕陽が町並みを染め出すと、心なしか道行く人の足並みも早くなる様な気がします。

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二年坂を下りたあたりは、心持ち低い谷間になっているのですね。ですので、日が陰るのも少しだけ早いようです。黄昏時の町並みは、ちょっと寂し気ですね。

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その二年坂を出て、高台寺へと続く階段を少し登ると、丁度夕陽が沈むところでした。八坂の塔を染める落日は、いつ見てもドラマチックです。

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暫く高台寺で夕暮れ時の景色を楽しんだ後、家路に着きます。台所坂を下りて月真院の前で振り向くと、中天に半月が差し掛かったところでした。

穏やかな秋の日の終わりを告げる夕闇の空ですね。

2009年10月 1日 (木)

京都・洛東 彼岸花2009 ~南禅寺~

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平成21年9月26日の南禅寺です。この寺でも彼岸花が咲いているとは以前から聞いていたのですが、実際に見に来たのは初めてです。

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彼岸花が咲いているのは、主として三門の北側の木立の下でした。でも思っていたよりも数が少なく、かつ広い立ち入り禁止区域の中程で咲いているので、小さくしか撮れないのが残念でした。

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まあ、こういう大きな木の下で咲いているというシチュエーションも珍しいので、それなりに面白いとは言えますね。

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実は間近に見る事が出来る道端にも咲いていたのですが、既に終わった花ばかりでした。もう少し早く来ていれば良かったのでしょうね。

ただ、全体としてまばらな咲き方であり、彼岸花を目当てに、わざわざ訪れる程ではないです。参拝の合間に、彩りとして楽しむには良いといった感じですね。


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