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2008年9月

2008年9月30日 (火)

京都・洛東 彼岸花2008~正法寺~

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彼岸花を巡る洛東の散策、次は正法寺です。ここは昨年の秋に最高の紅葉と出会えた場所ですが、普段行っても素晴らしい眺望を楽しむ事が出来ます。

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正法寺はとても見晴らしが良い場所にあるのですが、そこに行くには当然ながら坂道を登って行かなくてはなりません。この石段だけでも相当なものですが、ここに来るまでも維新の道、あるいは龍馬坂を登り切らねばならず、ちょっとした覚悟を強いられます。そのせいでしょうね、訪れる人はかなり希と言って良いです。

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頑張って坂道を登り切った人に与えられるご褒美がこの景色です。文字通り、京都盆地を一望の下に納める事が出来ますよ。動画を撮ってきましたので、まずはその様子をご覧下さい。

正法寺の眺望」のビデオ
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180度に近い景観は、とても素晴らしいものがあるでしょう?

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こちらは北西の方角にあたり、右端に見える山が愛宕山、その裾野に横たわる丘が双ケ丘です。正面奥からやや左手にかけてが嵯峨野ですね。縮小してしまったので判りにくくなってしまいましたが、五山の一つ鳥居形も見えています。

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ずっと手前に視線を移すと、弥栄会館を中心とした祇園界隈が見えています。やはり、このあたりは町家中心だけあって、屋根が低いですね。

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今度はやや南西に目を向けてみましょうか。言わずと知れた京都タワーと、複雑な形状をした京都駅が見えていますね。ずっと向こうに見えている緑地が大原野。野を這う様なやや濃いめの緑の帯は竹林でしょうか。

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そして、さらに南へと目を移すと、遥かに大阪の町並みを遠望する事が出来ます。それにしても、何時の間にか大阪も高層ビルが林立する街になっていたのですね。以前は高層ビルと言えば梅田と京橋あたりにしかなく、遠目にもおおよその場所の見当がついたのですが、これだけ並ぶとどこがどこだか判らなくなってしまいます。

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ところで、せっかく正法寺に来たのに庭園への入り口が判らないという人が結構居られるので、その場所を撮ってきました。中央やや左手に黒い柵があり、扉が開けられているのが判るでしょうか。庭園に行くにはここから入れば良く、受付も無いので特に断る必要もありません。中に入ると縁側に志納入れが置いてありますので、自分で適当と思う金額を納めれば良いのです。

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さて、肝心の彼岸花ですが、山門を入ってすぐのところや本堂の周辺で見る事が出来ます。ここは白の彼岸花が多く、清水寺や興正寺とはまた違った風情がありますね。

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本堂の正面には、紅い彼岸花が咲いていました。数は少ないですが、この色はやはりインパクトがあります。

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正法寺は彼岸花の名所と言う程ではありませんが、山寺の風情を助ける程には咲いています。景色を楽しむ傍らで、花の美しさを愛でるというのも一興ですよ。

2008年9月29日 (月)

京都・洛東 彼岸花2008~興正寺別院~

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三年坂近くにある興正寺別院は、隠れた彼岸花の名所の一つです。本堂の前にびっしりと植えられた彼岸花が咲く様は、なかなかの見物ですよ。

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興正寺は浄土真宗の一派をなす寺で、本山は西本願寺の南隣にあります。この別院は宗祖親鸞の遺骨を納めたという本廟があるところであり、信者のための墓地にもなっている様ですね。

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現在の本堂は昭和31年に建てられた鉄筋コンクリート製のもので、浄華堂などその他の建物は昭和60年に再建されたものです。ですから、寺そのものにはあまり見るべきところは無いのですが、秋の紅葉や四季を通じての花など、結構楽しめる場所になっています。

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中でもこの彼岸花は本堂を取り巻く様に密植されており、その色彩の鮮やかさは圧巻ですよ。

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規模では清水寺には遠く及びませんが、目の前で見る事が出来るという点においては、こちらの方が優ります。それに、訪れる人も圧倒的に少ないですからね、静かに花を愛でる事が出来ますよ。

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興正寺別院では、参道にも一群の彼岸花が咲いていました。この花が終わると、やがて生け垣の山茶花が咲き始めます。そして、秋が深まるにつれて紅葉が楽しみになってきますね。これからの季節、興正寺別院には、何度となく訪れる事になりそうです。

2008年9月28日 (日)

京都・洛東 彼岸花2008~清水寺~

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平成20年9月27日の清水寺です。この日、舞台下で咲いている彼岸花が、まさに見頃を迎えていました。

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舞台の下はご覧の通り、まさに紅い帯を締めた様でした。ここ数年、毎年の様に彼岸花を見るために通っていますが、ここまで咲き揃ったのは初めて見た様な気がします。

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もしかしたら花の数を去年よりも増やしたのではないかとも思えますが、それにしても素晴らしい景色でした。京都の街中で見られる彼岸花としては、ここが一番ではないかと思われます。

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ここの彼岸花が素晴らしいのは花数だけではなく、石垣や舞台の木組みとの組み合わせにあります。この風情だけは、他の場所ではなかなか味わう事が出来ないですよ。

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そして、手入れが行き届いている事も見逃せません。もしも背の高い下草が生い茂っていたとしたら、これほど花が綺麗に見える事は無いですからね。実際、せっかく沢山咲いているのに他の雑草の中に埋もれてしまっていて、全く彼岸花が映えないという所もありますから。

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つまりは、名所とされるところは、常に人の手が入っている場所ばかりという事です。庭園なら当然でしょうけど、あぜ道もまた農作業の必要上から雑草刈りが行われていて、結果として彼岸花が綺麗に見えるという事になるのですね。

この斜面もまた、人知れず維持管理の作業が行われているのでしょう。そうしないと、景観が悪くなるだけでなく、桜やもみじが活力を失ってしまうでしょうからね。でも足場は悪そうだし、結構大変な作業なんだろうな。

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そしてこの花を見ていると、沢山の石仏があるという事に気付きます。普段はまず見ない場所ですからね、こんなところにと意外な発見をした様な気になるものです。

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清水寺には数多くの石仏があるのですが、それらの多くはかつて市内各所で祀られていたお地蔵様だった様ですね。それが明治の廃仏毀釈の折に地蔵堂が破却され、行き場を失って清水寺に運び込まれたものの様です。

成就院の近くにも千体仏と呼ばれる石仏群があるのですが、そこに納めきれなかった石仏を境内の各所に安置してあるという事なのでしょう。ちょっと悲しい来歴ですね。

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清水寺の彼岸花は、昨日から今日にかけてがピークだったと思われます。見に行かれる方はお早めにどうぞ。ただ、まだつぼみはいくらか残っていましたから、花そのものはもう暫く見る事が出来るとは思われます。

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ところで、清水寺では御本尊の特別開帳が行われています(11月30日まで)。25年に一度というイベントで、もし清水寺に行かれるのなら、これを見逃す手はありません。

御本尊は清水型と呼ばれる形式の十一面千手観音像で、普段は本殿の奥深く、内々陣にある厨子の中に安置されています。そのふっくらとしたお顔つきは他ではあまり見た事が無く、この観音像ならではの気品に溢れている様に思えました。如何にも霊験あらたかという感じがしますよ。

また、御本尊だけでなく、厨子の左右にあって御本尊を守護する二十八部衆など数々の仏像も併せて見る事が出来、その個々の出来映えの素晴らしさを見ると、改めてこの寺の持つ凄さが実感出来ると思います。頭上にある風神・雷神の像を見る事もお忘れなく。通常の拝観料の外に100円が要りますが、これだけのものを見せてもらえるなら安いものです。

また、普段は非公開である経堂において「羽裏の美・第三章」という催し物が開かれており、無料で入る事が出来ます。着物の裏地ばかりを集めた展示で、和服としてはちょっと考えられない様なデザインがあって、なかなか楽しめました。

そして、経堂には釈迦三尊像が祀られており、天井に描かれた龍の絵と共に、是非一度ご覧になられる事をお勧めします。とても素晴らしい仏様で必見ですよ。

2008年9月27日 (土)

京都・洛北 彼岸花2008~鷺森神社~

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圓光寺から北へ、坂道を越えながら鷺森神社へとたどり着きます。もしかするとここは、修学院では一番の彼岸花の見所かも知れません。

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場所は鷺森神社の北、神社に隣接した空き地になります。たぶん神社の土地なのではと思われますが特に施設等は無く、もしかしたら何かの儀式に使われる場所なのかも判りません。

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普段は何もない場所ですが、この季節になると沢山の彼岸花が咲き乱れる事になります。修学院にもそこかしこで彼岸花は咲いているのですが、意外とまとまって咲いている場所は少なく、この花を見たければここに来るのが一番手っ取り早いという事になります。

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まあ、花が多いと言ってもごく限られた空き地ですから、嵯峨野や大原とは比べものにはならないのですけどね、せまいぶん密度は高く感じます。それに、ほとんど誰も見に来ないのが良いですね。

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そう言えば、去年はここで雉を見たのでした。今年は残念ながら居なかったな。

まさか神社の境内で雉を獲ろうとする人は居ないでしょうけど、野犬や野良猫に襲われる危険性はかなり高いでしょうね。あの雉が今でも無事にいるのか、ちょっと気になるところです。

2008年9月26日 (金)

京都・洛北 彼岸花2008~圓光寺~

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詩仙堂を出て、近くの圓光寺へとやって来ました。ここは秋の紅葉が素晴らしい事で知られていますが、今の時期は門前から参道にかけて、彼岸花が綺麗な花を咲かせています。

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数的にはさほど多くは無いのですが、よく手入れをされた境内にあっては、個々の美しさが際立っている様に見受けられます。

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そして、ここならではの光景は、土塀を背景に咲いている事でしょう。

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白い土塀に鮮やかな紅色。これ以上無いというくらい、見事な演出ですね。野に咲く彼岸花とはまた違った美しさに気付かせてくれる、そんな素敵な花でしたよ。

寺田屋再建説を京都市が確認

京都・伏見の寺田屋について調査を行っていた京都市が、最建説が事実であったと公表しました。
報道によると、文献資料など9点の資料の調査を行った結果、

1.鳥羽伏見の戦いの直後に出された瓦版の焼失範囲に寺田屋が含まれている

2.1906年に記された「寺田屋伊助申立書」に寺田屋が焼失した旨が記されている

3.お登勢がおりょうに宛てた手紙の中に「かり屋」とあり、焼失後に仮屋を建てたものと考えられる

4.寺田屋事件を記した石碑の中に「寺田屋違址」という文言がある

などの理由から、寺田屋は鳥羽伏見の戦いにおいて焼失した事が確認されたとの事です。これから京都市のホームページでは最建説について明記し、寺田屋に対して展示方法の改善を求めもると共に、観光協会などにも誤解を与える様な表記はしないよう要請したそうです。

これに対して旅館側ではまだ全面的には納得していない様子で、あくまで寺田屋は一部が被災したに過ぎず、現在の建物は基本的に当時のものを引き継いでいると主張していますね。

うーん、しかし、これって何なのでしょう。

京都市の行った調査というのは、これまで幕末史研究者が指摘して来た事を追認したというに過ぎず、わざわざ改めて発表する程の事なのでしょうか。京都市には研究者には出来ない調査、例えば建物そのものを調べて、焼けた痕跡や継ぎ足した部分が有るのかどうかなどの事柄確認をして欲しかったところてす。そうすれば、旅館側の主張についても、全面的に否定出来たでしょうにね。

どうにも中途半端な調査であるとの印象が強く、またいつかの日か論争が再燃しそうな気がしますね。

2008年9月25日 (木)

京都・洛北 彼岸花2008~詩仙堂~

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秋分の日の詩仙堂です。この日は秋晴れに恵まれ、修学院界隈は散策日和でした。ただ気温がまだかなり高めで、爽やかとまでは言い難かったのが残念でしたね。

この閑かな庭の動画を撮ってきましたのでご覧下さい。暫くすると僧都の音が聞こえて来ますよ。

この僧都は、一般には鹿おどしとして知られていますよね。支柱に取り付けた竹筒に水を注ぎ入れるというだけの単純な装置なのですが、その醸し出す風情は素晴らしいものがあります。

その僧都の動画です。ツクツクボウシの蝉しぐれが降りしきる中、僧都の音が響く瞬間をご覧下さい。

どうです、詩仙堂に行った気分になれましたか。

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この詩仙堂にも彼岸花は咲いています。しかしその数はごく少なく、庭の中程の植え込みの中に、数株だけが咲いていました。ここでは四季を通じて沢山の花が咲くのですが、庭との調和を第一にされているのでしょうね、極端な自己主張をする花は植えられていません。

彼岸花にしても、嵯峨野の様に沢山の花を植えてしまうとせっかくの雰囲気を壊してしまうという事なのでしょう、あくまで控え目に、さりげない形で庭に彩りを添えるかのごとく、ひっそりと咲いていました。

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彼岸花の外に咲いていた花を紹介しましょうか。

まずは紫苑です。平安の昔から愛されてきたという花だけあって、とても上品な花色をしています。この庭の風情にはぴったり来る花ですね。

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こちらは、秋の定番である秋明菊です。庭の一番奥まったところに植えられており、美しいですが、やはり花色は渋めを選んでいる様ですね。

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そして、小菊とミズヒキです。ミズヒキはある意味、この季節の詩仙堂を代表する花がも知れません。ひょろりとした草姿で決して派手ではありませんが、その花の色ははっとするほど鮮やかです。控えめでありながらキラリと光るものを持っている、まさに詫び寂びを地で行く花である様な気がします。

2008年9月24日 (水)

京都・洛東 彼岸花2008~真如堂~

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予定ではもう暫く洛西をお届けするするつもりだったのですが、速報の意味を込めて、先に真如堂の彼岸花をお贈りします。

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平成20年9月23日、秋分の日の真如堂です。お彼岸の中日にあたるこの日は、お墓参りに訪れた檀家の人達で賑わい、いつもとは違った雰囲気の境内でした。

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今年の真如堂の彼岸花はいつもの年よりも咲き始めが早かったのですが、そのせいなのでしょうね、この日は沢山咲いていたものの全体としてはやや見頃を過ぎつつある感じでした。

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真如堂の彼岸花は、参道の両側の植え込みを中心に各所で咲いているのですが、総じて木陰で咲いているので、嵯峨野とはまた違った風情があります。特に木漏れ日をスポットの様に浴びた姿は、なかなか印象的なものがありますよ。

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真如堂の隣にある迎称寺の萩は、残念ながら見頃を過ぎてしまっていました。赤の萩はほぼ終了しており、白の萩は盛りの花がまだ幾らか残っているという状況です。

どうやら一番の盛りを迎えた時に台風が来てしまい、風雨に晒されて一気に終わってしまった様ですね。出町柳の常林寺の萩も今年は盛りが短かったとの事ですし、萩にとっては受難の年だったのかも知れません。

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その迎称寺の境内では、白の彼岸花が咲いていました。彼岸花と言うよりリコリスと言った方が正確なのでしょうけど、薄暗い境内にあって、ちょっと神秘的な雰囲気を漂わせていましたよ。

ここはちょっと入りにくい雰囲気があるのですが、木立に覆われた境内には色々な花が植えられていて、今はどんな花が咲いているのかと楽しみにしているところです。萩を見に来たついでにちょっと覗いて行かれると、きっと面白いと思いますよ。


2008年9月23日 (火)

京都・洛西 彼岸花2008~北嵯峨~

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京都には彼岸花の名所が数多く存在しますが、その中でも最大規模を誇るのが大原とここ嵯峨野でしょう。そして、嵯峨野の中でも広沢池の西側に広がる特別保存地区一帯が、最も彼岸花が咲き乱れる区域となっています。

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嵯峨野を訪れたのは平成20年9月20日の事で、迷走台風が通り過ぎた翌日にあたり、文字通り台風一過の秋晴れとなりました。

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このあたりは地域的には北嵯峨と呼ばれます。この北嵯峨の田園風景は歴史的風土特別保存地区に指定されており、不用意な開発によって破壊されない様に保護されているのですね。

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この景観を求めて訪れる観光客も多く、特にこの時期は彼岸花目当ての人が大半となります。この日も沢山のハイカーやカメラマンと出会いました。

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その彼岸花はというと、ほとんどがあぜ道で咲いています。これはなぜかと言えば、彼岸花の球根には毒性がある事から、ネズミやモグラの害を防ぐためにあぜ道に植えられたのだそうですね。つまりは本来は観光目的ではなく、農家の自衛策としてこの景観が出現したという訳です。

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ですから、花の近くで写真を撮ろうとすると必然的にあぜ道に入る事になるですが、これって農家の人にとっては結構迷惑な事ではないのかしらん?収穫が終わった後だから良いだろうと勝手に通らせてもらいましたが、大勢に踏み荒らされると後の手入れが大変なんじゃないかな。

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と、散々撮らせて貰った後で言うのも何なのですが、ちょっと気になっていたもので書かせて貰いました。正直言って、入っても良いものやらとかなり迷うところなのです。

花そのものはまだ見頃には早く、つぼみが大半でしたね。今日行った人は、かなり見応えのある景色に出会えたのではないかしらん。

次に嵯峨野の風景を動画で撮ってきたのでアップしますね。

大半の場所で稲刈りが終わっているため、ちょっと殺風景になっているのが残念ですが、雰囲気は判っていただけるでしょうか。

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嵯峨野の彼岸花は個々の花の美しさだけではなく、嵯峨野の風景の中に溶け込んだ色彩としての見事さが素晴らしいですね。是非一度は訪れてみられる事をお勧めします。

2008年9月22日 (月)

京都・洛中 彼岸花2008~平野神社~

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桜の名所として知られる平野神社ですが、今の季節は彼岸花が花盛りになっています。

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3月の末から4月半ばにかけては大勢の花見客で賑わう平野神社ですが、それ以外の時期にはいつも閑かな佇まいの境内です。桜時分しか知らない人にとっては、信じられない様な光景でしょうね。

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その境内の南にある公園の様な場所が桜園。花見の時には出店が出て賑わう場所ですね。今は桜の葉が次第に色付き、早いものは既に散り始めています。その桜の下には紅い彼岸花が咲き乱れていました。

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平野神社は四季を通して花を楽しむ事が出来ますが、これほど多くの彼岸花が咲いているとまでは知りませんでした。もっと早くに来ておくべきでしたね。

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さすがに嵯峨野や大原といった彼岸花の大所には及びませんが、街中である事を考えると、なかなか大したものだと思います。隠れた名所の一つと言っても良いかも知れませんよ。

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それに、あぜ道を通らなければ花に近づく事が出来ない嵯峨野や大原とは違って、園路のすぐ脇で咲いているのがありがたいです。これは街中の名所ならではのメリットですね。

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彼岸花にはアゲハチョウが良く飛んで来ます。この派手な花色や形は、昆虫にとってもインパクトがあるのでしょうか。

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彼岸花は3倍体ゆえに、種が出来る事は無いと言われます。事実、ほとんどの場合はそうなのですが、ごく希に種を付けるものが出て来るそうですね。さらにその種の中から、ごくわずかですが発芽する事もある様です。

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普通は種ではなく球根で増やします。つまりは、花が咲いているという事は、誰かがそこに球根を植えたという事になりますね。

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桜園の一角で咲いていた白の彼岸花です。数は少ないですが、そのぶん印象的でした。正確に言うとリコリスの仲間になるのかな。

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この日、彼岸花と共に見頃だったのはムラサキシキブでした。正しくはコムラサキですね。全部で何株ぐらいあったかな。どの株もたわわに実らせていて、なかなか見応えがありましたよ。

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そして、これは白のコムラサキ。白実なら、もはやコムラサキではないとも思えますが、他に適当な名前が見あたらないので便宜上こうしておきます。

紫色の実も美しいですが、白実もまた上品なとても色合いです。これを見ると、紫と白の両方の色があって良いと思いますね。

2008年9月21日 (日)

京都・洛中 彼岸花2008~相国寺~

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相国寺の彼岸花です。

相国寺では、大通院の西隣にある生け垣の中に沢山の花を見る事が出来ます。境内を東西に貫く上立売通に面していますから、道すがらに見ていく事も出来ますよ。

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平成20年9月20日現在ではまだ咲き始めたばかりで、見頃にはまだ早いといった状況でした。たぶん、秋分の日の23日あたりから見頃が始まり、暫くの間は続くものと思われます。

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彼岸花は茎が細長く立ち上がり、シュッとしたスタイルになりますよね。また、葉っぱも無くいきなり地面から立ち上がって来る訳ですから、あまり他に例を見ないスタイルも相まって、ちょっとミステリアスな感じもします。そのあたりに、不吉な花とされてきた理由があるのかも知れませんね。

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沢山ある中には、茎が傾き地面すれすれに咲く花もあります。

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どんなに傾いても、花は必ず上を向いて咲くところが面白いですよね。

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相国寺では、以前は大光明寺の前でも咲いていたのですが、今年は花芽が見えていませんでした。代わりに見つけたのが経蔵の敷地で、2階建ての御堂に寄り添う様にひっそりと咲いていましたよ。

相国寺の彼岸花は人目に付く場所にある割に注目される事が無く、じっくりと見る事が出来るのが良いですね。

2008年9月20日 (土)

京都・洛西 彼岸花2008~嵯峨野~

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9月二度目の連休の初日は文字どおりの台風一過となり、京都にも久々の青空が戻ってきました。そのうえ残暑まで戻ってしまい、夏と変わらない気温となってしまいましたけどね。

そんな京都の一日、彼岸花を求めて走って来ました。先週に真如堂で開花しているので今年は展開が早いかと思っていたのですが、全体としてもう一歩というところで、見頃は明日以降、おそらくは秋分の日あたりではないかと思われます。つまりは、平年並みという事ですね。もしかしたら台風のあおりで、元に戻ったのかしらん?

明日以降、洛西を中心に彼岸花が咲く秋の風情をお贈りします。今日、イントロダクションとしてアップしたのは嵯峨野での1枚。秋空に彼岸花が良く似合っていましたよ。

2008年9月19日 (金)

京都・洛中 小さな秋2008~廬山寺~

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京都御苑の東に位置する廬山寺です。ここは桔梗が咲く源氏の庭がある事で知られていますが、山門を潜ったところにあるこの元三大師堂は、この寺のもう一つの顔である「追儺式鬼法楽」の舞台となる場所です。

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あれから季節は巡り、春夏を過ぎてもう既に秋ですね。鬼のお加持をしてもらったのがつい昨日の事の様なのですけどね。時間が経つのは早い早い。

追難式の時には大混雑していた境内も、この時期はひっそりとしています。その境内の片隅では萩が咲いていました。小さな株ですが、秋らしさを演出してくれていましたよ。

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6月に咲いていた菩提樹では、すっかり実が熟してきました。この台風の風で、ヘリコプターの様に飛んだ実もあったのかな。一度は風の強い日に、どんな風に飛ぶものかと、じっと見ていたいものだと思います。

(平成20年9月13日撮影)

2008年9月18日 (木)

京都・洛中 額縁の門~天寧寺~

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寺町通はその名が示すごとく、寺が集まる道筋です。五条通から始まり紫明通と交わるまでの間、断続的に寺が連なる光景が続きます。その北端近く鞍馬口通と交わる場所に、天寧寺と呼ばれる寺があります。

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天寧寺は、山門を通して見る比叡山の姿が素晴らしい事で知られます。四角く切り取った比叡山に額縁を付けた様に見える事から、通称額縁の門と呼ばれています。

それにしても、ここには何度となく通っているのですが、これほどはっきりとした山容を見る事が出来たのは初めてですね。ざっと3年越しで、やっとアップ出来る写真を撮る事が出来ました。

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天寧寺といえば、幕末史ファンなら会津若松市にある寺を思い浮かべる事でしょう。そうです、近藤勇の墓がある事で知られる寺ですね。偶然同じ寺号なのかと思っていたのですが、なんと同じルーツを持つ寺だという事が判りました。

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天寧寺は楠正成の八男といわれる傑堂能勝大和尚を開山として、会津若松の地に開創されました。そして、この地を治めていた葦名氏の菩提寺として隆盛を極めていたのですが、1586年にあった伊達政宗の侵攻の際に寺は全焼し、時の住職が京都に逃れて再建したのが現在の天寧寺となりました。

では会津若松の天寧寺はどうなったかというと、土地の有志が法統が途絶えるのを惜しみ、現在に至るまで延々と維持されて来た様です。それぞれの寺がお互いをどう評価しているのかは判りませんが、根っこは同じである事は間違いない様です。

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この日は白萩と芙蓉の外に秋明菊が咲いていました。この時期に咲き出すとはかなり早い様な気がしますが、いよいよ秋も本格化して来たとも言えますね。秋明菊が咲くお寺巡りも、そろそろ考えてみようかなと思っています。

2008年9月17日 (水)

京都・洛中 萩2008~梨木神社~

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京都における萩の名所として、やはり梨木神社は外せないでしょう。通称「萩の宮」とも呼ばれ、この季節は約500株と言われる萩が、境内や参道のそこかしこで咲き乱れます。

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一口に萩と言っても様々な種類があり、また個体差もある事から一度に咲き揃うという事は希な様です。ですから、京都を巡り歩いていると思わぬ時期に萩が咲いていたりして驚くのですが、この神社もこれだけの数があると、既に見頃になっている萩や、まだまだこれからといった萩が混在していますね。

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平成20年9月13日現在では、本殿や拝殿の周囲に見頃の萩が多く、参道の萩はまだまだこれからといった感じでした。全体としては3分咲きといったところだったかな。

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梨木神社では、9月20日から23日までにかけて萩まつりが行われます。(22日は除く。)期間中は小笠原流弓術披露や大蔵流狂言、日舞などの奉納が行われ、抹茶及び煎茶席が設けられます。萩も丁度その頃に見頃になりそうな感じですね。

萩まつりの詳しい内容はこちらを参考にして下さい。

2008年9月16日 (火)

京都・洛北 萩2008~常林寺~

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出町柳にある萩の寺、常林寺です。境内を埋める様にして萩の花が咲く事で知られます。

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私が訪れたのは平成20年9月13日の事で、一部の白萩は綺麗に咲いていましたが、まだ全体としては見頃には少し早いという感じでした。あれから3日が経ち、そろそろ咲き揃って来る頃合いになっているかも知れません。

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満開になるとまさしく花に埋もれる様な感覚になり、萩の美しさを堪能出来るのですが、この日はまだ早かったため、少し物足りなかったのが残念です。

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境内の大半は萩が植えられているのですが、歩く場所は石畳になっており、それが花とあいまって風情を醸し出しています。とても上品な、日本画的風景とでも言いましょうか。

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赤の萩はこんな感じで、まだ3分咲きといったところでしょうか。これが開ききると、一気に境内の華やかさを増す事になります。

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ここの境内は狭いのですが、そのぶん手入れが行き届いており、いつ行っても気持ちが良くなる場所ですね。

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門を入ってすぐ左手に地蔵堂があるのですが、ここは世継子育地蔵として知られています。これまで特に案内は無かったのですが、この日は門に「世継子育地蔵尊」と記した提灯が下げられていました。これから前面に押し出して、その存在をアピールして行くつもりなのかな。

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この日は朝方に雨が降ったのですが、その後は晴れて気持ちの良い青空となりました。本格的な秋晴れと呼ぶには少し早いでしょうけど、この空は季節がすっかり変わった事を教えてくれている様な気がします。

2008年9月15日 (月)

京都・洛北 名月観賞の夕べ~正伝寺~

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今年の中秋の名月は9月14日、丁度3連休の中日となりました。こんな絶好の機会は無いと、以前から行きたいと願っていた西加茂・正伝寺の夜間拝観へと出掛けてきました。

この日の月はまさに名月そのもの、素晴らしい一夜となりましたよ。

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正伝寺の庭は、比叡山を借景としている事で知られます。ですから、月も比叡山を背景にして登ってくるものと期待していたのですが、あにはからんや、実際にはずっと南から登ってきたのでした。この写真で、右の大きな木の中程に薄く写っている月が判るでしょうか。もう少し左手から登ってくれればと願っていたのですけどね。

天文ソフトで調べてみたのですが、今日15日だと比叡山のすぐ右手あたりから月が出てきた様です。少し惜しかった気もしますが、十五夜は昨日でしたし、今日は天気が悪いですからね、仕方が無かった事として諦めますか。

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初めのうちは月が見えるのは庭の左端に限られており、少し遅れて行った我が家は見える場所に座れなかったのが残念でした。そのうえ、東の空には薄く雲が掛かっていましたしね。でも、待つ程に月の高度が上がり、雲も取れて午後8時頃には澄み切った空に煌々と輝く月を見る事が出来ました。庭先には虫の声が響き、最高の月見となりましたよ。

その時の動画をアップしました。かなり画質が悪いですけど、虫の音が響く風情は味わって貰えるかと思います。

でも、アップロードしたら、画面が真っ暗になってしまいましたね。元のビデオだともう少し庭の様子が判るのですが。BGMだと思ってコオロギの声だけを聞いておいて下さい。

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正伝寺の夜間拝観は、中秋の名月の時にだけ限って行われています。今年は13日から15日の3日間、午後5時から午後9時までとなっていました。拝観料は通常どおり大人300円のままです。

ちょっと足の便が悪いのが難点なのですが、それでも結構な人で賑わっていました。混雑するという程でも無かったのですが、月が見えるのが左半分に限られていたので、座る場所に少し困るという所はありました。でも、時間が経つにつれて人が少なくなり、8時を回った頃には随分と余裕が出ていましたけどね。

あと、参道には明かりが無いので、懐中電灯は持っていった方が良いです。それに、まだヤブ蚊が多いので、虫除けスプレーも必須ですね。

京都には名月観賞のイベントが数多くありますが、正伝寺も知られざる月の名所の一つと言っても間違いではありません。機会があれぱ、是非足を運ばれる事をお勧めします。

2008年9月14日 (日)

京都・洛東 萩2008~迎称寺~

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洛東の萩の名所、迎称寺です。真如堂に隣接し、寺の東と西を囲む土塀沿いに沢山の萩が植えられている事で知られます。

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ここはどういう加減なのでしょうか、東側の萩から咲き始める様ですね。南側の方が良く日が当たると思うのですが、必ずしも日だまりの方が早く咲くという訳では無いのかも知れません。

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東側の萩は赤、白共にほぼ見頃になっています。この日は写真を撮っているのは私だけでしたが、スケッチに訪れたグループの人達が、盛んに筆を走らせていました。

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ここの見所は何と言っても崩れかけた土塀と花の対比にあり、郷愁をそそる光景にはファンも多いですね。そのため、寺としてもこの土塀を補修する事が出来ないそうなのですが、その内に本格的に瓦解してしまいそうで、ちょっと怖い気もします。

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一歩境内に入ると色々な花が植えてあり、年々その数は増えている様です。この日咲いていたのがこの花で、ヌスビトハギでしょうか。良く見るアレチノヌスビトハギとは違って、とても上品で可愛らしい花ですね。

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南側の萩は一部の白萩が咲いている程度で、全体としてはまだまだこれからです。毎年咲く門前のリコリスもまだ花芽は出ていなかったですし、来週末あたりに出掛けても十分に間に合うと思われます。ただ、東側の萩は終盤に入っていると思われますけどね。

(平成20年9月13日撮影)

2008年9月13日 (土)

京都・洛東 彼岸花開花~真如堂~

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真如堂のエントリーが続きますが、この画像は今日のもの、つまり2週続けて訪れてきたという次第です。

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この一週間の間に、季節が随分と進んだ様な気がします。境内では秋の気配が濃厚になっていますね。

茶店の前で咲いているこの青い花は、ヘブンリーブルー。一見して朝顔に似ていますが、秋が旬になるという別の品種で、西洋朝顔と呼ばれる事もある様です。真如堂では今年から植えたもので、もしかしたら紅葉までの間の見所の一つにしたいと思っているのかも知れないですね。

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どうして2週続けて真如堂へ行ったのかというと、実は彼岸花が咲き出したという知らせを聞いたからです。その名の通り彼岸前後に咲く事が多い彼岸花ですが、一週間も早く咲く事があるのですね。他にも花芽は境内の各所で沢山出ており、今年は見頃が例年よりも早くなるかも知れません。

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一週間の間に最も変わったのは萩かも知りません。随分と咲き進んで来ており、もうすぐ見頃になりそうです。

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真如堂で一番咲いていた萩は、元三大師堂の前にあるこの株でしょう。近くにあるススキと共に秋の風情を醸し出してくれていました。

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三重塔と並んでいる花の木も、随分と頂部の色が変わってきています。この色がずっと下まで下りてくると、いよいよ紅葉シーズンの幕開けとなる事でしょう。来るべき日の予感をさせるには十分な色合いですね。


2008年9月12日 (金)

京都・洛東 小さな秋~真如堂~

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平成20年9月6日の真如堂です。この日はまだまだまだ日差しは強く、夏の名残が残っているものの、そこかしこで秋の気配を感じる事が出来ました。

たとえば、境内を埋めるもみじの葉の色は夏の間の濃い緑ではなくなり、わずかにくすんだ様な色になってきています。紅葉するのは11月半ば以降の事でしょうけど、確実に変化が始まっているかの様に受けられます。

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木槿は夏の花でもあり秋の花でもあります。でも、一番の盛りはまさにこれからではないのかな。ここは参道に植えられた木槿が特に美しい所ですよ。

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そして、如何にも秋の始まりを感じさせてくれるのがススキの穂ですね。喜雲院の前では伸びてきたばかりの初々しい穂が、青空を背景に映えていました。

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真如堂でススキが綺麗なのは、元三大師堂の前ですね。一群のススキがすっくと立っていて、如何にも秋らしい風情を感じさせてくれます。そのススキ越しに見たハナノキは、木の先端部分の色が変わり始めていました。随分と早い様にも思いますが、毎年こんなものだったかな。

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理正院の前では、百日紅が花盛りでした。ボリューム感があって、なおかつ美しい白花です。

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こちらも同じく理正院の前の百日紅で、とても綺麗な紅色ですね。まだ植えて間もない小さな苗木でしたが、これから先の成長が楽しみな木です。

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東陽院では芙蓉が咲いていました。花数は多くなかったのですが、なかなか清楚な感じのする花ですね。

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鉢植えのヤブランです。小さな花ですが、上品な花色が素敵ですね。

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小さい秋と言えば入り日色に染まったハゼの葉です。まだ部分的ではありますが、秋の始まりを感じるにはこれ位が丁度良いですね。

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本堂の前の菩提樹は、すっかり実が熟していました。プロペラの形をした苞も黄色く色付き、くるくると飛び立つ準備が出来ている様ですね。既に落ちている実も沢山ありましたので、これから真如堂に行かれる人は、拾ってお守りにされると良いですよ。

ウイルスバスターアップデートその後

ウイルスバスター2009のインストールに関する続報です。

フリーズを繰り返す中、サポートからの返事待ちで放置しておいたところ、とうとうセーブモードでしか立ち上がらなくなってしまいました。そしてやっと届いたサポートからの返事はというと、もう一度2009のアンインストールとインストールを繰り返せと事。

あのですねえ、そんな事は昨日の内に2度も試しているのです。2008が完全にアンインストールされていないからだとの事で、2008の完全削除と2009のインストールは、サポートの指示に従って実施しているのですよ。その記録はサポート側にも残っているはずで、もっと具体的な対策を期待していたのに、全く的外れな回答には正直あきれました。

たぶん、何かのソフトと競合というか相性が悪くてフリーズを繰り返しているのでしょうけど、それを切り分ける様な指示が欲しかったところです。

現状は2009をアンインストールして、再び2008に戻しています。当然ながらトラブルからは解放されて快適な環境に戻っているのですが、2008のサポートが終わった時にはどうすれば良いのやら。それまでに原因が特定されて、安心してバージョンアップ出来る様な環境にして欲しいものだと思います。

2008年9月11日 (木)

京都・洛中 芙蓉2008~妙蓮寺~

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毎年この時期になると気になるのが妙蓮寺の芙蓉です。この寺は境内一面に芙蓉が植えられている事で知られますが、今年もまた綺麗な花を見せてくれています。

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ここに来ると、どうしても撮りたくなる日蓮上人とのツーショットです。去年と同じ絵柄で、我ながら進歩が無いのですけどね。

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こちらは、いつもながら豪華な八重の酔芙蓉です。それほど珍しい花という訳ではないと思うのですが、京都の社寺では他には見た事が無いという気がします。それとも、見落としているだけかしらん?

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妙蓮寺の芙蓉はまだ盛りにはなっておらず、これから見頃を迎えます。おそらく9月いっぱいが盛りで、10月の初め頃まで花は続く事でしょう。

この秋に一度は訪れて見て下さい。咲き乱れる芙蓉が見事ですよ。

ウイルスバスターアップデートでまたトラブル

インターネットを利用するにあたって欠かせないのがセキュリティソフトです。我が家ではトレンドマイクロのウイルスバスターを利用しているのですが、今回2008から2009へとバーションアップがされました。早速これをインストールしたのですが...。

結果としてトラブルの嵐に巻き込まれています。印刷しようとしたらハングアップ、文書を保存しようとしたらハングアップ、ウイルスバスターの管理画面を開けようとしたらハングアップ。何度リセットを繰り返した事やら。サポートに電話して対応してもらい、インストールのやり直しや、パーソナルファイヤーウォールを削除したりしてみましたが、結果は変わらずで、現在メールの回答待ちです。

ここは以前にもアップデートのファイルを検証せずに配信し、大きなトラブルを引き起こした事がありましたが、また同じ様な事を繰り返しているのですね。前回は大事なデータを失ったし、今回のこのトラブルでいい加減嫌気が差してきました。もう乗り換えるしかないかな。

ウイルスバスターを使っている方は、バージョンアップは暫く待った方が良いですよ。まだホームページには何も書かれていませんが、バグが出きった頃にした方が安心です。すぐに飛びついた私が愚かでした。

それにしても、嫌になるなあ。

2008年9月10日 (水)

京都・洛中 拾翠亭~京都御苑~

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京都御苑の西南隅に、九条家ゆかりの九条池があります。そのほとりに建つのが拾翠亭で、茶会や歌会などに使用されていた九条家の別邸です。

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拾翠亭は江戸時代後期に建てられたもので、公家ゆかりの建物としては貴重な遺構の一つです。毎週金曜日と土曜日に一般公開されており、参観料はわずか100円と極めて良心的ですね。また、茶会などにも貸し出しがされており、ここで一服の御茶を頂けば、その味わいも格別なものがある事でしょう。

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拾翠亭は2階建ての数寄屋造りで、優美な屋根、明るく上品な壁の色、工夫された柱の配置、蔀戸風の窓の覆いなど、とても凝った造りになっています。屋根の上には一対の鯱が置かれ、防火のためのおまじないになっているのでしょうね。

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1階の広間には九条池に面して広縁がしつらえられており、庭をじっくりと眺められる様になっています。座敷内から見ると、広縁の板間と高欄がアクセントになり、より一層の趣を作り出している様に感じますね。

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2階の窓にしつらえられていた透かし彫りです。パンフレットには丁字七宝とありますね。丁字とは香辛料の一種のクローブの事で、昔から高価な香辛料として知らており、七宝の一つとして数えられて来ました。その丁字を図案化した家紋が丁字紋であり、二つを斜めに重ねた紋を違い丁字と言います。

九条家の家紋は九条藤なのですが、別紋としてこの丁字紋を持っているという事なのでしょうか。それとも、単なる意匠として刻んだものなのかな。

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二階から見た九条池です。百日紅が良いアクセントになっていますね。

以前は池の向こう側に東山が見え、格好の借景となっていたそうです。今は樹木が茂ってしまって見えなくなっているのが残念ですね。御苑から見る大文字は素晴らしいものがありますが、かつてはきっとここからも送り火が見えていたのでしょう。さぞかし優美な送り火に見えた事でしょうね。

2008年9月 9日 (火)

京都・洛中 百日紅2008~京都御苑~

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京都御苑では、苑内の各所で百日紅が見事に咲いています。

一番絵になるのはやはり建礼門前の広場で咲いている百日紅でしょうか。門前の大通りを挟む様にして左右一対の百日紅があり、今の時期、絶好の記念写真のポイントになっています。花は低い位置で咲いているので、華麗な門と花を背景にした、京都ならではの素敵な写真が撮れると思いますよ。

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こちらは御苑の西側、清所門前で咲いている百日紅です。結構大きな木で、周囲が緑一色の中、とても目に付く美しい花ですね。

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これは、御苑の北側、祐の井にある百日紅です。柵内にあって、かつ上の方にしか花が無いのが難点ですが、その咲きっぷりはなかなか見事です。

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そして、何よりの圧巻は、閑院宮邸跡前にある百日紅でしょう。数本の百日紅が一箇所に植えられているのですが、こんもりと小山の様に茂った枝先いっぱいに花が咲いており、遠くから見るとまるで炎が燃えているかの様な鮮やかさです。

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京都御苑の百日紅は、子細に見ると盛りを過ぎつつある様ですが、それでもまだまだ見頃と言えます。広々とした苑内に彩りを添えるこの花を見るだけでも、御苑に寄り道してみる値打ちはあると思います。

(平成20年9月6日撮影)

2008年9月 8日 (月)

京都・洛中 蔓穂~大光明寺~

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相国寺塔頭の大光明寺です。以前にも何度か紹介した事がありますが、見事な枯山水の庭を自由に拝観出来るという素敵なお寺です。

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相変わらず訪れる人は希で、大抵の場合貸し切り状態となります。この庭を独り占めできるなんて、なんて贅沢な時間なんでしょうね。

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その大光明寺の庭で蔓穂(つるぼ)が咲いていました。背丈は30cm程度と低いのですが、鮮やかなピンク色の花がなかなかの存在感を示しています。

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最初見た時には外来の園芸品種だろうと思ったのですが、意外にも在来の植物だった様ですね。野山で普通に見られるとあるのですが、こんな綺麗な花がそこらに咲いていましたっけ。

枯山水の庭にあっても何の違和感を感じない、とても可憐で上品な花達でしたよ。

(平成20年9月6日撮影)

2008年9月 7日 (日)

京都・洛東~遠雷・真如堂にて~

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久々に訪れた京都は気持ちの良い晴天、と言いたいところですが、青空が広がる一方でそこかしこに積乱雲が発達しており、いつ雨が降ってくるか判らないという不安定な空でした。雲の様子を見ながら、どっちに行けば雨に遭わずに済みそうかと考えながら自転車を走らせます。

昼を過ぎるといよいよ雲行きは妖しくなり、午後2時頃訪れた真如堂では本堂の裏から巨大な積乱雲がそびえ立ち、東の方角から遠雷が聞こえてきました。

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いよいよ限界かと家路に着いたのですが、帰りがけに見た猫たちは至極のんびりしたものでした。雷の音は聞こえていたでしょうけど、まだまだ大丈夫と見切っていたかの様です。実際、雨が降り出したのは1時間後だったらしく、それに真如堂周辺ではさほどの事は無かった様です。ただ、ゲリラ豪雨よろしく、部分的には激しく降ったところもあった様ですね。

雨に怯えながらの京都でしたが、小さな秋の風情はそこかしこに感じられました。明日から秋の始まりを感じさせる京都の様子をレポートしたいと思っています。

平成20年9月6日 真如堂にて。

京都・洛南~寺田屋再建説について~

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今日放映される「篤姫」では、寺田屋事件が登場します。寺田屋事件とは、伏見の船宿「寺田屋」において薩摩藩同士が壮絶な斬り合いを行った事件の事で、有馬新七など9名の藩士が命を落としています。詳しくは本家の方に書いていますが、幕末史を飾る悲劇の一つとして知られています。

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維新後、事件の地に立派な石碑が建てられたのですが、最近この碑文にある一節が新たな波紋を呼びました。それが次の写真にある部分で、花に隠れて見えにくいのですが、「寺田屋遺址」と記されているのが判るでしょうか。これを素直に読めば、かつて寺田屋があった跡という意味に取れます。

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新聞の報道に依れば、幕末から変わらぬ姿で続く船宿とPRしている寺田屋の主張に疑義があるとして、京都市が調査に乗り出したとあり、その根拠の一つとしてこの石碑にある一文が挙げられています。

寺田屋再建説についてはこの碑文の他にもいくつか根拠があって、私の知っているものは以下のとおりです。

1.鳥羽伏見の戦いにおける被災地として、複数の資料が寺田屋のある地域を示している。

2.寺田屋の女将であるお登勢が書いた手紙の中に、被災した寺田屋の再建の目処がようやく立ったと記されている。

3.明治後、寺田屋の跡継ぎが戊辰戦争で寺田屋が焼失したと申し立てている。

4.建物の登記が明治38年になっている。

などが挙げられます。最後の登記については、従前からあった建物を新たに保存登記したとも考えられますが、1~3の資料から寺田屋が被災した事は事実と言って良いと思われます。探せば他にもある事でしょうね。

これに対して寺田屋側では、被災した事は否定しないが、それは部分的なものであり、建物としては当時のものを引き継いでいると主張している様です。なるほど、言われてみれば先の根拠だけでは全燃したという証明にはなっておらず、寺田屋側の主張も一理あるという事になりそうですね。

そこで先の碑文が登場する訳ですが、再建説においては寺田屋はかつてこの碑文があった場所にあり、明治以後に少し西側にあたる今の位置に建て替えられたのではないかと考えられています。しかし、これも碑文の文言は事件の跡地という意味で船宿の跡地という意味とは限らないと言えなくもなく、決定的な反証にはならないでしょうね。京都市もそのあたりを踏まえて建物や文献の精査をする事にした様ですが、これでやっと論争に決着が付く事でしょう。

ただし、もし寺田屋側の主張が正しかったとしても、部屋の間取りなどは大きく変わっています。私が最初に疑問に思ったのは、龍馬の部屋で龍馬が襲われた際の様子を再現しようとした時でした。どう考えても龍馬の手紙にある記述とは間取りが異なっており、不審に思ったのです。それがきっかけとなって調べて行く内に再建説を知ったという訳ですが、それはさておいたとしても、幕末そのままの姿を残しているという寺田屋の説明には問題があると思われます。せめて、江戸時代の船宿の風情を色濃く反映しており、龍馬がここで暮らした空気を残しているとでもしておけば良いのにと思うのですが。
(追記:現在の寺田屋のパンフレットでは、船宿そのままではなく旅館として改造してある旨が明記されているそうです。私が持っているパンフレットは2004年のもので、その後改訂されていたのですね。情報が古くて申し訳なかったのですが、間取りが変わっているという事に関しては寺田屋側も認めているという事です。)

それにしても寺田屋再建説は何年も前から言われていた事であり、幕末史ファンの間ではほぼ常識となっていたはずです。それが今になってなぜ問題になっているのか判らないのですが、背景には2年後の大河ドラマとして龍馬伝が決まった事があるのかな。そして、篤姫の寺田屋事件の回の放送に合わせるかの様に記事が出た事も意図的な感じがしなくもありません。何を今さらというのが正直な感想ですね。

最後に誤解の無い様に言っておきますが、私は今の寺田屋に価値が無いとは思っていません。寺田屋事件があった事は紛れもない事実ですし、龍馬が定宿としていた事も、お登勢やおりょうがそこで暮らしていた事も虚構ではありません。建物も船宿の姿を今に伝える貴重な遺構であると思われますし、総合して幕末史を語る史跡と言っても良いのではないでしょうか。そのあたりをきちんと評価した上で、今後も末永く残して欲しい施設だと思っています。

2008年9月 6日 (土)

夏の旅2008~土佐紀行・龍馬伝への期待~

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土佐紀行の最後はやはり龍馬で締めましょうか。ここは龍馬の生涯を蝋人形を使って展示している龍馬歴史館です。まず出迎えてくれるのが龍馬の銅像。手を懐に入れた有名な写真の絵柄ですね。桂浜の銅像も、基本的に同じ写真を元にしています。

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龍馬歴史館では、前半は龍馬の事績が紹介されているのですが、後半は世界の偉人の蝋人形が並べられています。ですから、途中から歴史館はどこへ行ったんだと言いたくなるのですが、立体的な歴史上の人物に出会えるのはここだけですから、それなりに価値はあるのかな。中には郷士の辿った歴史に関するかなりマニアックなコーナーもあり、龍馬前史を知るには良いかもしれません。

では、コアな龍馬ファンにまでお薦め出来るかというと、かなり微妙です。展示の内容が陳腐ですし、新しい発見といえるものは、前述の郷士の歴史を除けば無いと言っても良いでしょう。時間があればどうぞという程度かな。

ただ、蝋人形の出来としてはかなりのものがありますので、純粋に観光目的なら面白いでしょうね。私的には、藤山寛美さんが良かったな。

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さて、2年後の大河ドラマは「龍馬伝」と決まりました。以前に放映された「龍馬が行く」とは違い、岩崎弥太郎の目線で見た龍馬を描くとの事ですから、またひと味違った人物像が見られる事と期待しています。その舞台は当然土佐から始まるでしょうし、家族の姿も描かれる事でしょう。もしかしたら、今回辿った土佐路が現れるかもと思うとたのしみですね。

それに、岩崎弥太郎が中心に来るとすれば、やはり海援隊が軸になるのでしょう。そうなれば長崎が脚光を浴びる事になるのでしょうね。閉鎖されている亀山社中を再開しようという動きがあると聞きますし、長崎の人達もさぞ色めき立っている事でしょう。

後は龍馬が活躍した京都かな。寺田屋はちょっと微妙な事になっていますが、関連する史跡はまだまだ沢山ありますので、また大いに賑わう事でしょう。

龍馬伝によって土佐と京都に繋がりが出来る事を期待しつつ、楽しかった今夏の土佐紀行を終えたいと思います。

2008年9月 5日 (金)

夏の旅2008~土佐紀行・長尾鶏~

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高知の名物の一つに長尾鶏があります。尾羽が特に長く伸びる事で知られ、特別天然記念物に指定されています。

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長尾鶏は「ちょうびけい」と読むのが正式の様なのですが、一般には「ながおどり」または「おながどり」と呼ばれています。この長尾鶏センターではローマ字表記でONAGADORIと記されており、パンフレットにはカタカナでオナガドリと書かれていました。ですので、ここではオナガドリで通す事と致します。

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オナガドリは見ての通り鶏の仲間で、起源は江戸時代初期に遡り、突然変異によって生まれたと言われます。最初は2mがせいぜいだったのですが、営々と続けられた品種改良の努力によって10mを越える様になり、これまでの最長記録は13m50㎝とされています。

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オナガドリの飼育は思っていた以上に大変で、産卵は年に一度のみであり、しかも孵化率が低くいために、一羽も得られない年もあるそうです。孵った雛の中で尾が長くなるのは雄に限られ、しかもその素質を持ったものは何羽かに一羽しか居ないのだそうです。

さらに条件があり、オナガドリはその長い尾を傷つけない様に、また汚さない様にするため、冒頭の写真の様な木箱(止箱)の中で飼育されています。この箱の中の生活に耐えられる様なおとなしい性格の鶏でなくてはならず、オナガドリとして成長できるのはほんとうにごく僅かの鶏しか居ない様ですね。

写真は母親代わりのチャボとオナガドリの雛たち。オナガドリの雌は、抱卵もしなければ雛たちの世話も出来ないらしく、代理の母としてチャボの雌が使われるのだそうです。

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オナガドリの原種は褐色系であり、白い鶏は白色レグホンと掛け合わせる事によって得られます。と書くと簡単そうですが、どうしても元の褐色が出てしまうので、純白にするには何度も交配を重ねていかなければなりません。この鶏はなんと85代も掛かってやっと得られたものだそうで、気の遠くなる様な作業を一生掛けてようやくたどり着けるかどうかという世界の様です。

ですから、オナガドリを飼育する人は年々少なくなり、今残っている人も高齢者ばかりなのだそうです。つまり、オナガドリはいずれ絶滅する運命にあるという事を意味し、目にする事が出来るのは剥製ばかりという日が来るのかも知れません。そんな事になってしまっては、寂しい限りですけどね。

2008年9月 4日 (木)

夏の旅2008~土佐紀行・はりまや橋~

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高知において、桂浜と並んで有名な名所と言えば播磨屋橋でしょう。播磨屋とは江戸時代の高知に存在した豪商の事で、今は橋の名前のみが残ります。はりまや橋と表記される事も多く、現地の欄干には全てひらがなで「はりまやばし」と書かれています。

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かつてこの地にあった播磨屋と柩屋は、互いの本店が堀で隔たれていました。その不便を解消すべく私費で懸けられた橋が播磨屋橋で、当時は簡素な木橋でした。その後何度か架け替えがあり、昭和3年の街路整備によって高知有数の目抜き通りに変貌しました。良く知られた朱色の欄干は戦後のもので、南国博覧会に合わせて設置されたと言われます。

この橋が有名になったのは、よさこい節の一節に歌われた事に始まります。そのよさこい節を歌詞にした歌謡曲「南国土佐を後にして」がヒットし、さらに制作された同名の映画の中で赤い欄干がスクリーンに写し出された事により、全国に知られる様になりました。

「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」

ここに出てくる坊さんとは幕末に生きた実在の人物であり、竹林寺の僧・純信という人です。

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当時は僧侶の色恋沙汰は御法度であったのですが、純信は寺に出入りしていたいかけ屋の娘・お馬と道ならぬ恋に陥ってしまいます。純信はひと目を偲んで髪飾りを買うまでになったのですが、やがて周囲に二人の仲を気付かれてしまいました。追い詰められた純信は、お馬とで手に手を取って逃げたのですが、香川の琴平まで行った所で捕まり、関所破りの罪で純信は国外に追放、お馬もまた安芸川から東へと追放されてしまったのでした。このとき、純信37歳、お馬は17歳だったと伝わります。

写真は龍馬歴史館に展示されている蝋人形で、はりまや橋で密会している場面なのでしょうか。はりまや橋の名は知られていても、二人の悲恋については知らない人がほとんどでは無いかという気がします。

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はりまや橋は、高知市で最も賑わう繁華街の一角に存在します。以前は道路の脇に赤い欄干があるだけで、その下には川ならぬ歩行者用の地下通路が通っていました。このため、日本三大がっかり名所の一つとまでに揶揄されていたのですが、平成5年に改修されて面目を一新し、復元された堀の上に橋の架かる現在の姿になっています。

本来の播磨屋橋はこちらの方で、4車線の立派な道路橋ですね。観光用の赤い欄干を持つ太鼓橋は、映画のシーンを元に江戸時代の橋をイメージして作られたものであり、元の播磨屋橋とはまるで異なります。言わば映画が作った名所ではありますが、古き高知を彷彿とさせてくれる貴重な場所でもあると言えそうです。

2008年9月 3日 (水)

夏の旅2008~土佐紀行・桂浜~

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高知の名所と言えば、まず最初に名前が上がるのが桂浜でしょう。白砂青松を絵に描いた様なこの景色は、高知と言うより日本を代表する景観と言えるのかも知れません。

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左手の岩が下龍頭岬。その上に建つ小さな祠は大海津見神をお祀りする海津見神社で、通称「竜王宮」と呼ばれます。海上の安全を護る神様で、かつては地元の漁師が海に出る時、その妻達が夫の安全と大漁を祈願するため、社前で酒を酌み交わしたと言われています。また、豊玉姫命と山幸彦命の一期一会の神話になぞらえて、恋愛成就の神様としても知られるそうですね。

後でも触れる若宮八幡宮の末社らしく、天気の良い日には神社から神主さんが出向き、社前で恋みくじや龍馬の刺繍が入ったお守りなどを売っているそうです。この日は出張は無かった様ですが、出来れば龍馬のお守りは欲しかったな。

この浜で素晴らしいのはどこまでも続く水平線と波の音。動画で撮ってきましたので、どうぞご覧下さい。

高知・桂浜」のビデオ
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どうです、波の音に癒されましたか。

ここは一見して遠浅の様に見えますが、実は波打ち際からいきなり深くなっており、海流の流れも速い事から遊泳禁止になっています。きれいな海なので入ってみたくなるのですけどね、波も荒いのであまり近づくと危険です。 

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桂浜に来ると食べたくなるのがアイスクリンです。

アイスクリンとは元来アイスクリームの古い呼び方なのですが、高知では独自の進化を遂げて氷菓子の一種として存在しています。アイスクリームが生クリームや牛乳を使うのに対し、アイスクリンは脱脂粉乳を使う事から乳脂肪分が少なく、代わりに卵を使う事で旨味を補っている様です。

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アイスクリンは高知全域で売られており、別に桂浜の名物という訳ではないのですが、最初に食べたのがこの桂浜でして、以来ここに来る度に食べるのが慣わしとなっています。と言っても食べるのは3度目なのですけどね。

今回食べたのは土居冷菓のアイスクリンでした。これまでに食べたアイスクリンと違ってとても滑らかで、なかなかに美味でしたよ。どちらかというとアイスクリームに近く、もしかすると出来てから間もないアイスクリンだったのかも知れません。

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前回食べたのは岩松冷菓のアイスクリンでした。まあ、店の名前ではなく、こじゃんとうまいという看板の方を覚えていたのですけどね。こちらのアイスクリンはシャリシャリとした食感で、アイスクリームというよりシャーベットに近い様に感じました。この方がアイスクリン本来の味わいの様ですね。また機会があれば、もっと他のアイスクリンも食べてみたいところです。

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桂浜からは離れますが、近くの若宮八幡宮に長宗我部元親の銅像がありました。元親は戦国期の土佐に生まれ、一領具足と呼ばれた剽悍な兵を率いて、ほぼ四国全土を統一したという希代の英雄です。私はこの元親のファンでもあり、今回の旅行のテーマの一つにしようと思っていたのですが、残念ながら時間の関係でこの銅像を訪れただけに終わってしまいました。

若宮八幡宮との関係は、元親の初陣に際して戦勝を祈願したところ、見事に快勝する事が出来たというところにあるようです。この銅像はその初陣の姿を表現したものだそうですが、実に凛々しく格好が良いですね。ただ、初陣にしては堂々とし過ぎており、また貫禄がありすぎる様にも思えるのですが、そこは一代の英雄という事で目を瞑るのでしょう。

さしもの元親も龍馬の前では影が薄く、あまり人気は無い様ですね。その生涯を追っていくとなかなか面白い人物なのですが。司馬遼太郎さんの「夏草の賦」を原作にしたドラマでも出来れば人気が出るのでしょうけどね。

もっとその存在を世に知られて良い人物だと思います。

2008年9月 2日 (火)

夏の旅2008~土佐紀行・坂本龍馬~

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今の高知で、圧倒的な人気を誇っているのが坂本龍馬。高知城周辺ではさすがに一豊と千代が頑張っていましたが、それ以外では一辺倒と言って良いほど龍馬、龍馬で溢れかえっていました。

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かくいう私も龍馬ファンの1人であり、今回の旅行でも主要なテーマの一つに掲げていました。その中で楽しみにしていたのが、龍馬が生まれた町を訪れる事です。

ここがその場所で、本丁筋という高知市の東西を結ぶ大通りに面しています。住所で言えば上町1丁目、隣は上町病院となっていますから、目印には丁度良いですね。

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坂本龍馬生誕地から南に入ったところにあるのが、龍馬の生まれたまち記念館です。高知市が運営する施設で、主として龍馬の生い立ちやその家族、さらには周辺の人物の紹介にスポットを当てているところに特色があります。

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施設にはCGを使って龍馬の少年時代を追体験するコーナーなどもありますが、ここでの一番のお薦めはボランティアの方に依る無料案内かも知れません。私は少しだけお話を伺っただけなのですが、地元の方ならではの情報を豊富に持っておられる様に見受けられました。何よりとても親切で、丁寧な対応をして頂いたのが嬉しかったですね。

写真は記念館の前から龍馬の実家跡を見たところで、この道筋は真ん中に水路がある事から水通町と呼ばれているそうです。

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こちらは記念館から西側を見たところで、龍馬の家の本家筋にあたる才谷屋があったとされるあたりです。少年時代の龍馬は、本家と実家の間をこの水通町を歩いて通っていたのですね。

実のところ、坂本家と才谷屋は裏表の関係にあると何かの資料で読んだ事があり、当然隣接して建っていたものと思っていました。ところが、現地に来てみると案外離れた場所にあったのですね。この事実が判っただけでも、高知にまで来た甲斐があったというものです。

ボランティアの方にはもっとお話を伺いたかったのですが、時間が無かったために長居が出来なかった事が心残りです。

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桂浜にある高知県立坂本龍馬記念館です。ここは龍馬観光の一大拠点であり、龍馬を求めて高知に来た人なら、一度は訪れる場所と言えるでしょう。資料も充実していますし、しっかりとした解説も掲示されています。近江屋のセットの前では、龍馬に扮したスタッフが観光客の質問に答えてくれるのも良いですね。

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ただ、龍馬の事をある程度知っている人にとっては、少し物足りない場所かも知れません。なぜなら、展示してある資料はほとんどが複製であり、本物は京都国立博物館が所蔵しているケースがとても多いのです。つまり、京都で開かれる特別展を訪れた事がある様な人なら、今さらという感じを受ける事でしょうね。

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とはいえ、ここにしかない手紙などの資料がある事は確かですし、龍馬グッズなども豊富に置かれています。また、土佐湾を望む景観は素晴らしいものがありますし、やはりここは桂浜の銅像とセットで訪れておくべき場所の一つだと思います。

2008年9月 1日 (月)

夏の旅2008~土佐紀行・高知城~

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旅行3日目は、主として高知市内を回る事になります。まずは、高知市のシンボルである高知城から開始です。

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高知城を築いたのは、言わずと知れた山内一豊です。一昨年の大河ドラマでは主役を張っていましたよね。その一豊公の銅像は追手門の近く、県立文学館の前に立っています。ドラマで演じた川上隆也と違って、かなり強面の感じのする古武士の風格を感じますね。

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そして、もう1人の主役である千代の銅像は城内にあります。三の丸の手前、杉の段で名馬「太田黒」の横に立ち、夫に勧めるかの様に手を差し伸べていますね。どことなくふくよかな感じがするのは、「豊かできれいな女性にして欲しい」という、司馬遼太郎さんの助言によるものなのかも知れません。

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天守閣は四層五階建ての望楼式で、江戸初期に建てられた天守にしては古風さを感じます。これは一豊が前任の地である掛川城の天守を模して造ったからと言われ、土佐を治める拠点を短期間で築くには、設計が省略できるなど何かと都合が良かったのかも知れません。

また、近くで見ると案外小さい事にも気付いたのですが、20万石とは表向きの名目で、実質は9万石に過ぎなかったと言われる当時の土佐の経済力を反映しているのかなという気もします。

とはいえ、総塗り込めの白壁は美しく、軽快な感じのする姿は、やはり名城と呼ぶに相応しいですね。

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この城の特徴として天守台が無く、天守閣と懐徳館という本丸御殿が同じ平面上に建っている事が上げられます。多くの場合、天守には専用の石垣を築き、一段高く独立させて建てるのが普通で、こんな例はちょっと他には無い様な気がしますね。

天守の高欄もまたこの時代としては珍しく、一豊のこだわりがあったと言われます。一豊は家臣からこの高欄が目立ち過ぎるのではという助言を受け、わざわざ着工前に家康から許可を貰っており、そこまで気を遣わなくてはならない外様大名の立場の悲しさと、高欄に懸けた一豊の思い入れを感じずには居られません。

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本丸御殿の遺構は高知城の他には川越城にあるだけで、とても貴重な存在と言えます。本丸の書院は正殿、溜の間、玄関からなり、この写真は正殿にある上段の間で、藩主が家臣と対面する場所でした。もっとも普段使われていた訳ではなく、特別な場合にのみ、正式謁見の場所として使用されたとの事です。

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こちらは、黒潮の波を象ったと言われる「波の透彫欄間」です。うちわけ波の欄間と呼ばれ、土佐の左甚五郎と言われた武市髙朋の作と伝えられています。とてもシンプルで、かつ現代的な意匠ですよね。

ところで、功名が辻で一世を風靡したはずの一豊と千代ですが、早くも過去の人となりつつある様です。この御殿の玄関に千代のレリーフが飾られているのですが、誰だか判らない人がとても多いのですよ。教えて上げると思い出すのですけどね、千代に会うためにこの城に来ている訳ではなさそうです。

大河効果で大いに賑わった高知なのですが、忘れ去られるのも意外な程速かった様です。ちょっと寂しい気がしますね。

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天守からの眺望は前を遮る物がなく、とても素晴らしいものがあります。これは南方向ですが、正面に見えているのが筆山で、その麓には鏡川が流れています。

この鏡川と城の北を流れる江の口川を天然の堀として要害を固めた訳ですが、築城当時は辺り一面が酷い湿地帯で、とても町を作れる様な場所ではありませんでした。城の名もまた、周囲を川に囲まれているという意味で、河内山城と名付け似られました。

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しかしその後洪水が相次いだため、二代目藩主である山内忠義は河内山の名を忌み嫌い、名を高智山と改めました。これがさらに省略されて、今の高知になったとされています。

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本丸の西を護る黒鉄門です。防御力を高める為に小鉄板を貼り付けてある事からこの名があるのですが、確かに見るからに堅固な構えではありますね。

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城の登り口には、板垣退助の銅像があります。幕末の戊辰戦争で土佐藩兵を率いて活躍し、明治新政府では土佐閥を代表して参議となりますが、征韓論で敗れて下野し、以後自由民権運動の指導者となりました。岐阜で演説中に暴漢に襲われて負傷した際に、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだ事で有名ですね。

今はさほど注目される事はありませんが、往時は自由民権運動の総帥として絶大な人気を誇っていたそうです。そう言えば、肖像が百円札に使われていた事もありましたね。「龍馬が行く」ではそれなりの活躍をしていますが、「龍馬伝」では出番があるのかな。

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高知城は、本丸御殿と天守を除いて、出入り自由の公園となっています。これだけの名城に日常的に接していられるのですから、高知市民は幸せですね。春の桜、そして秋の紅葉も素晴らしいらしく、四季を通して訪れてみたいところです。

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ねこづらどき

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