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2008年5月

2008年5月31日 (土)

京都・洛東 雨上がりの参道~智積院~

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雨上がりの参道、今度は智積院へとやってきました。ここの参道もまた、しっとりと濡れたもみじが出迎えてくれます。

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智積院の参道と言えば桔梗の花で知られています。昨年は今ひとつ勢いが無かったのですが、今年はリフレッシュされたのか、青々とした葉が茂っていました。そして、一輪、二輪と早咲きの花がそこかしこで咲き始めています。

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この白い花はヤマボウシ。明王殿の北側で咲いていました。この写真を撮ってから一週間になりますから、今頃は少し花も痛んでいるかも知れません。

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蓮の花はまだ影も形もありませんでしたが、睡蓮は一足先に咲き出しています。ここではあまり数は咲きませんが、これから秋までの間、水辺を彩ってくれる花ですね。

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雨が最も似合う花と言えば紫陽花。今年もそろそろ咲き始めましたね。智積院では、本堂の裏手が紫陽花苑のようになっています。まだ苗木ばかりの様な状態ですが、これから先が楽しみな場所ですよ。

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そして最後は、楠の花です。一つ一つはとっても地味ながら、ぱーと全体を覆う様に咲くので、楠の色が一時的に明るくなった様に感じます。この花も一週間が経って、散ってしまった事でしょうね。

智積院は庭園整備も終わって、すっかりと落ち着きました。四季を通じて楽しめる場所として、だんだんと定着して来ている様な気がしますね。東山の新名所と呼ばれる日も近いかな。

2008年5月30日 (金)

京都・洛東 雨上がりの参道~養源院~

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雨上がりの朝は、どこか空気が冴えている気がします。ここ養源院の参道はマイナスイオンに満ちており、疲れた心身を一度にリフレッシュさせてくれる、文字通りの癒しの空間でした。

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もみじの葉もすっかり濃くなって、新緑とは呼べなくなって来ましたね。代わって早くも実った種が、新鮮な赤い色に染まりつつあります。

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水滴のレンズに映ったのは逆さの世界。もっと良く見ようと近づいたらうっかり触れて、水のレンズを落としてしまいました。あーあ。

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門前の梅の実はすっかり大きくなり、取り入れどきの様子でした。そろそろ梅雨入りも近くなったかな。

(平成20年5月25日撮影)

2008年5月29日 (木)

京都・洛西 大覚寺

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(式台玄関(右)と明智陣屋(左))

京都・嵯峨野に位置する大覚寺。デュークエイセスの「女ひとり」では嵐山・大覚寺と歌われますが、地理的に少し離れており、ちっょと無理がある表現ですね。たぶん、この歌が流行った当時には、まだ嵯峨野という地名がそれほど一般的ではなく、嵐山と一体で語られる事が多かったのではないかと思われます。それと、やっぱり語呂の問題が大きかったのかな。

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(宸殿)

この大覚寺の正式な名称は「旧嵯峨御所大覚寺門跡」といい、真言宗大覚寺派の本山です。平安時代の初期に、嵯峨天皇の離宮「嵯峨院」が建立された事に始まり、清和天皇の代に大覚寺に改められ、嵯峨天皇の孫にあたる恒寂法親王が初代の住職となりました。下って鎌倉時代に亀山法皇や後宇多法皇がここで院政を行った事から嵯峨御所と呼ばれる様になります。

この亀山上皇の子孫が大覚寺統と呼ばれ、もう一つの皇統である持明院統と並立し、これが後の南北朝の対立へと繋がっていきます。

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(正宸殿)

南北朝の時代、大覚寺は南朝の御所とされていましたが、1392年(明徳3年)に南朝の後亀山天皇と北朝の後小松天皇との間で講和が成立し、長年の対立に終止符が打たれました。この写真の正宸殿がその講和が行われた場所とされますが、現在の建物は安土桃山期に建てられたものです。

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左の建物が五大明王を祀る五大堂で、大覚寺の本堂にあたります。江戸時代中期(天明年間)の建立で、東側には大沢池に面して広縁があり、展望台となっています。右手の門が勅使門で江戸時代後期(嘉永年間)の再建になるもの、そして中央の盛り上げられた部分は舞台らしいですね。何かの儀式の時に、舞の奉納などが行われる場所なのでしょうか。

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大覚寺は広い境内にいくつもの殿舎が建てられているのですが、拝観者はそれらを繋ぐ廊下を歩いて回る事になります。慣れればどうという事も無いのですが、最初は迷路の様に感じて、結構とまどいますよ。

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全体として落ち着いた色調にある大覚寺において、唯一例外なのが霊明殿です。ご覧の様に朱色に染められた世界なのですね。柱や梁が朱色なのは良く見かけますが、廊下の板まで朱塗りというのは珍しいのではないでしょうか。

この霊明殿は、昭和33年に東京の沼袋にあった日仏寺の本堂を移築したもので、その日仏寺を開いたのが2・26事件で非業の死を遂げた斉藤実元総理大臣でした。現在は御本尊として阿弥陀如来像、そしてこの御堂を移築した大覚寺第52世草繋全宜門跡が祀られています。

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華やかと言えば、正宸殿を飾る障壁画もなかなかのものがあります。例えばこの障子腰貼絵「野兎の図」は、元禄時代の画家・渡辺始興の作ですが、リアルでありながら極めて装飾的であり、調和の取れた中にも動きがあるという秀作です。こんなに楽しくかつ美しい障子戸は、他にはちょっと類が無いでしょうね。ちなみにこの兎は全部で19羽居ます。

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こちらは、狩野山楽の障壁画です。とにかくきらびやか、かつ豪華の一言ですね。そしてそんな中にも、地面から突き出た竹の子を配すなど、遊び心を感じさせます。ちなみに、この奥の間が後宇多法皇が院政を執ったとされる御座所ですね。

これらの障壁画は全て複製ですが、そのぶん完成当時の美しい姿に思いを馳せる事ができますよ。この障壁画だけでも見に行く価値は十分あると思います。


2008年5月28日 (水)

京都・洛西 大沢池

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大沢池は大覚寺の東にある、周囲約1kmの池です。平安時代の初期、嵯峨天皇の離宮・嵯峨院の庭池として築かれた池で、中国の洞庭湖を模している事から庭湖とも呼ばれています。

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大沢池はあまりにも大きいため、正直言って庭池という風情は感じられません。わずかに池中に浮かぶ天神島と菊が島(写真左の島)、それに庭湖石(写真中央の石)が、かつての庭園の様子を彷彿とさせてくれる存在です。ここから見ると、確かにここが庭園だったと実感する事が出来ますね。

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その大沢池のほとりにあって、大覚寺のシンボルの様になっているのが心経宝塔です。これは比較的新しいもので、昭和42年に嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立されました。今年で41年ですから、恋する京都における50年前のデートの時には存在しなかった事になりますね。

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今の時期も新緑に埋もれて綺麗なのですが、これが紅葉の頃になるとさぞかし見応えがあるでしょうね。それに、桜の頃ならまだ広葉樹の葉が茂っていないので多宝塔が木陰にならずに済み、今よりもっと絵になる事でしょう。

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この池はまた昔から月の名所としても知られ、松尾芭蕉が、

「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」

と詠んだのはこの地だとされています。現在でも毎年名月の日には「観月の夕べ」が開かれ、池には龍頭鷁首の船が浮かべられます。

はるかに望む東山から月が昇る様は、きっと素晴らしい風情がある事でしょう。池に映る名月の姿を、一度は見てみたいものだと思います。

2008年5月27日 (火)

恋する京都 ロケ地案内~大沢池 石仏群~

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恋する京都のロケ地案内、今回ご紹介するのは大沢池にある石仏群です。ドラマでは第3回「鹿ケ谷かぼちゃは初恋のときめき」において登場しました。

50年前にたった一度だけ出会ったあこがれの人「晴雄」を捜す斉藤菊が、その思い出の地として志乃と共に訪れたのがこの石仏群です。京都には何度も来ているという菊のために、晴雄がとっておきと言って連れてきてくれたのがこの場所だったのでした。

そしてまた、この石仏群は志乃にとっても思い入れがありました。タイの石仏に惚れ込んでいた太郎を、ここに案内した事があったからです。太郎はここがとても気に入り、その時撮った写真が菊の目に止まったのでした。

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この石仏群は平安時代後期から鎌倉時代にかけてのものと推定されています。写真中央にある石仏が大日如来であり、左右に居並ぶ阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩と共に胎蔵界五仏を形成しているのではないかと言われています。

確かに趣のある石仏群ではあるのですが、これだけを見せる為にわざわざ連れてきたという設定は、いささか無理があります。石仏に対する強い思い入れがあった太郎相手ならともかく、単に京都通というだけで引っ張って来る程の場所とは思えないのです。無論、大覚寺や大沢池を見に来たついでというのなら判るのですけどね。

ここはやはりタイの石仏に似ているという理由で、ロケ地に選ばれたという事なのでしょう。志乃と太郎、タイと京都を結ぶエピソードを描くための舞台装置として、この石仏群が必要だったものと思われます。

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どうせなら大沢池を巡って池越しに多宝塔でも眺めそうなものなのですが、そうしなかったのは50年前にはその塔がまだ無かったからなのでしょう。ドラマの中でも、石仏のすぐ背後に聳える多宝塔には、一言も触れていなかったですからね。

ドラマでは初冬の景色だった大沢池でしたが、訪れた日(5月17日)は初夏の光と緑に溢れていました。その池の景色は明日アップする事といたします。

2008年5月26日 (月)

京都・洛西 広沢池

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竜安寺の前からきぬかけの路を西へ進むと、やがて嵯峨野へと抜ける事が出来ます。その嵯峨野の入り口で出迎えてくれるのが広沢池です。

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広沢池は周囲が約1.3kmと、京都盆地にあっては最も大きな池の一つです。その成立には二つの説があって、一つは989年に寛朝僧正によってこの地に建立された遍照寺の庭園として築かれたとする説、もう一つはこの地を早くから開墾していた秦氏によってかんがい用のため池として築かれたとする説です。どちらが正しいのかは判っていませんが、平安時代の中頃には池畔に遍照寺の堂塔伽藍が立ち並び、広大な境内の一部となっていた事は確かな様です。

西は大覚寺、東は仁和寺と境内を接していたという大寺であった遍照寺でしたが、寛朝僧正の死後に次第に衰え始め、鎌倉時代に後宇多天皇によって一時再興されたのですが、応仁の乱によって荒廃し、廃墟と化しました。現在は池の南に寺域を移し、わずかに寺統が受け継がれています。

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遍照寺は謎に包まれた寺で、その実像はほとんど判っていません。大覚寺に残る絵図などによってその存在は確認出来るのですが、遺構は池の西北部に残る一部を除いて見つかっていない様です。巨大な寺であったにも関わらず、不思議な気がしますね。

この池は平安の昔から月見の名所として知られ、現在でも名月の日には観月会が行われています。

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池の西側には田園地帯が広がり、いわゆる嵯峨野らしい一帯になっています。ここは特別保存地区に指定されており、景観を守るために開発等が規制されているのですね。この日は田植えのための準備作業なのでしょうか、野焼きの煙がそこかしこから上がっていました。

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池の北西には観音島があります。遍照寺にあったという観音島と関係があるのかどうかは判りませんが、島の中程には石像の千手観音様が祀られています。

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そして、島の先端には壹美白弁財天社が祀られています。どういう謂われがあるのかは判りませんが、この池の一点景をなしている事は確かです。

この観音島は近所の家族連れで賑わっており、何をしているのかと見ていたのですが、どうやらザリガニ釣りをしている様でした。広沢池では鯉の養殖が行われており、魚釣りは禁止されているのですが、ザリガニは獲っても問題はないという事なのでしょう。小さい子供を連れての遊びとしては、なかなか面白いレジャーなのでしょうね。

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この池の周辺は時代劇のロケに頻繁に使われており、特に池の東側の堤防は、街道であったり、大川(隅田川)の堤防に見立てられたりしています。きっと誰しも一度は目にしていると思いますよ。

その堤防が果てる先には藁葺き屋根の家がありました。これも景観保全の一環なのかと思いましたが、どうやらとある宗教団体の施設の一部の様ですね。元々ここにあったのか、それとも他から移築して来たのかは判りませんが、嵯峨野の景観にぴったりとはまっている事だけは確かです。

2008年5月25日 (日)

CASIO EXILIM EX-Z1080

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5年ぶりにコンパクトデジカメを買いました。家族で普段使いが出来るサブ機として、一台欲しかったのです。

選んだのはCASIOの「EXILIM EX-Z1080」。1千万画素の3倍ズーム機ですが、今のコンデジとしては標準的な性能の機種ですね。決め手はコストパフォーマンスの高さです。このカメラの性能で17800円(ポイント1780円)なら十分なCP値と言えるんじゃないかな。

画角は35㎜版換算で38㎜から112㎜相当と、流行の広角でもないし超望遠でもないという、ごく平凡なスペックです。手ぶれ補正はISOを自動的に上げてシャッター速度を確保する方式で、CCDやレンズを動かす方式と比べると、効果の程は落ちるかも知れません。画素数は1千万画素で、1/1.75のCCDを使っているぶん、わずかながら画質面で有利かな。

このあたりの基本性能は価格相応なのですが、その他の機能は満載されています。いやー、今時のコンデジは凄い事になっていたのですね。

まず、連写が秒間7枚と、下手な一眼レフより高速です。そして、ちゃんと露出補正が効く様になっているのは有り難いところですね。流行の顔認識は装備していますし、この応用として家族の顔を登録すると、他人より優先してフォーカスが合う様になっています。プリセットの簡単撮影は35種類もあって、中には使えないのもありますが、ほとんどのシーンに対応可能です。そして、動画がまたなかなか綺麗で、一回あたり10分間の録画が可能です。


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以前買ったコンデジはオリンパスのX200という機種で、300万画素の3倍ズーム機という当時としては標準的なカメラでした。フィルムのコンパクトカメラをそのままデジタルにした様なカメラで、シャッターを押す以外には何も設定項目は無かったですね。それはそれで使いやすい良いカメラだったのですが、いかんせん動作が遅すぎて一眼レフに走ったのでした。

それから比べると、このカメラは隔世の観がありますね。起動時間は早いし、各種設定も簡単かつスピーディに行えます。そして肝心の画質はと言うと、この平野神社で咲いていたクレマチスの写真がそれなのですが、これだけ写るとは正直思っていなかったです。まったく、驚きの一言ですね。

コンデジの一千万画素なんてノイズまみれではないかと危ぐしていたのですが、普通に撮ったぶんにはノイズは全く目立ちません。ISOは自動で決められる(手ぶれ補正機能がオンの時。オフにすれば手動で100から3200まで設定可。)のですが、800まで上がった写真でも、暗部を拡大してみるとそれなりに目立ちますが、等倍にしない限り気になるレベルではありません。

背景をぼかした様な写真は元より無理ですが、とにかくはっきりくっきり撮りたい時には重宝してくれそうです。例えば、料理の写真なんかには便利でしょうね。それと、息子達が友達同士で撮り合う時にも良いだろうな。

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難があるとすれば、付属のソフトの機能があまりにも低い事ですね。およそ20年前のパソコン草創期の頃を思わすソフトの造りで、カメラ本体の出来映えからするとちょっとお粗末に過ぎます。せめて簡単な補正ぐらいは出来る様にして欲しいですね。それと、縦横の自動認識は省略されている様で、縦位置の場合は一々写真を回転させなければならないのも面倒な所です。

私の場合は写真の補正は他のソフトでカバー出来るから良いのですが、これが初めてのカメラの人はきっと困る事でしょう。

このカメラは既に在庫整理となっていましたので、間もなく新機種が出て旧型になってしまうものと思われます。だから余計に安かったのでしょうけど、これだけ機能が充実しているのなら文句はありません。もうすぐ上の息子の修学旅行があるので、そこが最初の活躍の場となる事でしょう。今から家族で旅の記録を見るのを楽しみにしているところです。

2008年5月24日 (土)

京都・洛西 竜安寺~新緑の石庭~

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新緑の竜安寺を訪れて来ました。

ここに来るのは約1年ぶりのこと、前回は桜が満開でしたが、今は新緑で溢れています。

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竜安寺には何度となく来ているのですが、すべてきぬかけの路から入っており、その南側に参道が続いている事には気付いていませんでした。初めて見るだけに、ちょっと新鮮な気分のする景色です。

観光道路が開通する以前はここがメインの入り口だったのでしょうけれど、今は地元の人ぐらいしか通る事はない様ですね。両側はもみじの並木となっており、秋の紅葉時分にはちょっとした穴場になっているのかも知れません。

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庫裏へと続く階段は、新緑のトンネルとなっています。丁度修学旅行のシーズンとあって、ひっきりなしに人波が続いていたのですが、そのわずかな隙間を狙って撮ってきました。

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見慣れたはずの石庭ですが、来る度に思ったより狭いなと感じてしまいます。庭を囲む土塀のせいなのでしょうけど、しばらく離れているともっと広かった様な印象だけが残る事になります。そのあたりも、この庭の持つ不思議さの一つなのかも知れません。

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今どきの修学旅行生は、グループでタクシーに乗り、運転手さんのガイド付きで名所を回るというスタイルが一般的になっています。その運転手さん達の解説はどれも同じで、この庭には15個の石があるが、どこから見ても14個しか見えないというもの。生徒達はそれを聞き、方丈の廊下の端から端までを歩いて、そこかしこで石を数えます。一つのグループだけならまだしも、何組もが来て一斉にやるものだから、そこら中で1、2、3、...14個だと同じ声が響くのです。まあ、はしゃぐ気持ちは判らなくもないのですが、もうちょっと小声で出来ないものかしらん?

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この庭は、名庭とされるが故に、古来様々な説明が試みられてきました。いわく、この庭の作者は誰か、作者がこの庭に込めた意味とは何か、他にあまり類を見ない土塀の存在理由はなどですが、そのあたりは竜安寺のホームページに詳しく書かれています。

結局のところ何も確かな事は判っておらず、見る者が感じ取るままに連想するしかないと結論づけられていますが、恐ろしく簡単と言えば簡単、難しいと言えば限りなく難しい命題ですよね。私ですか?素晴らしく調和の取れた庭だという事だけは判るのですが、それではただの感想に過ぎません。要するに、何も答えは持ち合わせていないのというが正直なところです。

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石の配置を直感的に理解するのにもってこいの模型があります。方丈の入り口前に置いてあるもので、本来は目の不自由な人用に作られたものなのですが、15個の石の配置をひと目で理解する事が出来ます。

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この15個の石を全てを見る事が出来る位置が、一箇所だけ存在するそうですね。それが方丈の中心部であり、ふすまを全て取り払ってそこに座れば、全部の石を見渡せると言われています。つまり、そこがこの庭の中心部であり、そこを起点として作庭がされていると言うのですが、これも確証がある訳ではありません。でも、一度はそこに座って見たいという気もしますね。

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この庭は外国人にも大人気であり、この日も拝観者の半数近くを占めていました。きっかけはイギリスのエリザベス女王がこの庭を見て絶賛した事にあるらしく、日本における代表的な庭として広く知られているのだそうです。それはとても良い事だとは思うのですが、その反面、日本人が見ても難解なこの庭を、最も日本的な庭として紹介しても良いのかなとも思ってしまいます。まあ、答えはそれぞれが持てばよいという融通無碍さが、如何にも日本的と言えば言えるのかも知れませんが。

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実はこの時期に竜安寺を訪れたのは、鏡容池の睡蓮が咲き始めているだろうという見込みがあったからです。ところが何としたことか、池の水はすっかりと抜かれ、なにやら工事が行われていました。睡蓮は確かに咲いていたのですが、泥の上に這いつくばっている様な状態で、とても絵にはなりません。これって、池の浚渫工事なのかな。

花が見られなかったのは残念ですが、新緑の石庭もまた素敵なものだと判ったのは収穫でした。ここを訪れたのは丁度一週間前の5月17日の事だったので、もしかするとそろそろ池の工事も終わっている頃かも知れませんね。


2008年5月23日 (金)

京都・洛北 新緑~加茂川・北大路橋~

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平成20年5月15日の加茂川です。

葵祭のこの日、下鴨神社から上賀茂神社へ移動する途中で北大路橋を渡る際、とても美しい光景を目にしました。それがこの加茂川の新緑です。右手が半木の道から植物園へと続く緑、左手が賀茂街道沿いに続く落葉樹の並木です。

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賀茂街道沿いには、ケヤキ、エノキ、ムクといった落葉高木がずらりと並んでいますが、こうしてみるとその緑は圧巻ですね。とても堤防とは思えない。何も知らなければ、ずっと向こうまで深い森が続いていると錯覚する事でしょう。

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そして、振り向いてみると少しの驚きが待っていました。南を向いているはずなのに、山が見えているのです。あれっ、という感じでした。ご存知のとおり、京都は東と北、それに西の3方は山に囲まれていますが、南はずっと開けているのですからね。

ちっょと意外に思って帰ってから地図で確かめたのですが、なんと見えていたのは東山でした。考えてみれば加茂川は南東を向いて流れている訳で、橋の上からの景色は真南ではなかったという訳です。

判ってみれば何と言う程の事もないのですが、なかなか新鮮な景色ではあります。裾野のあたりが粟田口、頂上が将軍塚のあるあたりですね。この角度から東山を見るという事は、ほとんど無いのじゃないかな。

東山を染めている薄い茶色は、椎の仲間が花を咲かせている事を示します。かつて東山を覆っていた赤松は既に枯れ果て、ついでコナラやクヌギといった木が少なくなり、今では常緑樹が大半を占めるに至りました。ここ数十年の間に、東山の緑も大きく変わったのですね。

そのうち秋に紅葉するのは、裾野のお寺の境内ばかりという事になるのかな。ちょっと寂しい気もしますが、これも自然の移ろいとして見守るしかないのでしょうね。

2008年5月22日 (木)

京都・洛中 平野神社~桜の後~

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4月の桜時分には何かとお世話になった平野神社に来てみました。すっかり葉桜となった境内は、あの頃の喧噪が嘘の様に静まりかえっています。

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5月も半ばを過ぎた境内で盛りとなっているのはシャクヤクです。大鳥居を潜ってすぐ右側で咲いており、ほんの一角だけではありますが、なかなか華やかですよ。

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こうして見ると長い花柄の先で咲いている事が判り、牡丹とは異なる事がはっきりしますね。ここから「立てば芍薬」という慣用句が出来たという説も判る様な気がします。

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もう一つ盛りだろうと思っていたのがアイリスだったのですが、残念な事に少し遅かった様です。まだ咲いている花もあったのですが、既に終わった花が何本も刈り取られており、少し寂しい状態になっていました。また一初もまだ咲いてはいたのですが、これも盛りは過ぎていた様です。

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この時期に平野神社を訪れたのには訳があって、平野妹背のサクランボが成っているかを確かめに来たのです。妹背の名の由来が仲良く並んだ2つのサクランボの様子から来ていると聞いたからなのですが、実際に見てみると、あれれ、一つも成ってない。

どう見ても、これは枯れた花がらですよね。一つぐらいは成ってないのかと探したのですが、全て同じ状態でした。これって、一体?

今年に限った現象なのか、それとも実は出来ないタイプなのか、どうなのでしょうね。平野神社のホームページに書かれているので間違いは無いと思っていたのですが、ちょっと判らなくなりました。


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平野妹背の件は残念でしたが、誰も居ない静かな境内では、木漏れ日を浴びたシダの緑が鮮やかに輝いて見えました。桜は無くても平野神社はなかなか素敵な場所ですよ。

(平成20年5月17日撮影)

2008年5月21日 (水)

京都・洛北 西村家別邸~上賀茂神社社家~

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上賀茂において、明神川と共に独特の景観をなしているのが社家町です。社家町とはかつて上賀茂神社の神官達が住んでいた町であり、ここならではの造りになっている事で知られます。

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現在、この町に住む神官はわずかに一軒だけだそうですが、社家としては30軒程度が現存しているそうです。その中で唯一公開されているのが西村家別邸です。

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西村家別邸は、旧社家の錦部家であったところで、屋敷は明治中期に建て替えられたものですが、庭園はオリジナルのもので、1181年(養和元年)に上賀茂神社の神官であった藤木重保によって作庭されたものではないかと言われています。

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植え込みの中に見えるのが、巨石からなる石組みです。これは神山の降誕石を象ったものとされ、庭そのものが日常的な礼拝の対象だったのかも知れませんね。

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上賀茂の社家独自の特徴とされるのが、明神川から引き入れた水路がある事です。通常は池とされる事が多いそうですが、ここでは曲がりくねった水路となっており、かつては曲水の宴が催されていたのだそうです。そしてこの水路の水は、庭を巡った後で再び明神川へと還って行くのです。

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西村家別邸の内部の様子です。明治に建て替えられているので、どこまで社家の造りを継承しているのかは判りませんが、明かり取りの障子を多用した独特の造りである事は確かですね。

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西村家別邸にはもう一つの庭があって、こちらは池を中心とした造りになっています。こぢんまりとしていますが、池と周囲の緑とが調和して、なかなか居心地の良い庭でしたよ。

西村家別邸は毎年3月15日から12月8日までの間に公開されており、入庭料は500円となっています。入り方が少し変わっており、門を入ってすぐの所にベルがあり、これを押してから玄関に向かう事になります。料金は玄関内で支払う事になり、初めてだとちっょととまどうかも知れません。

2008年5月20日 (火)

京都・洛北 葵祭~路頭の儀  女人列と勅使舞人陪従の列~

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路頭の儀において、やはり一番華やかで人気があるのが女人列です。上賀茂神社までは行列の最後を飾っているのですが、ここでは勅使の列の前に登場します。

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女人列を先導するのは平安雅楽会の一隊。音楽が入ると、急に雅やかな雰囲気に変わりますね。

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この行列の主役というべき存在が斎王代。実を言えば、かつての賀茂祭には存在しなかった役どころで、昭和31年に女人行列と共に創設されました。多分に観光目的の要素が大きいのですが、今では葵祭そのものを代表する存在となっています。

斎王代とは斎王に代わる者という事。斎王は賀茂社の神に仕える女性であり、代々朝廷から主として内親王が派遣されてこれに当たりました。斎王が住む場所が斎院で、賀茂の社とは離れた場所(紫野の辺りらしい)にあったのですが、祭の時は出御して、一条大宮で合流したと伝えられます。この斎王のきらびやかな行列を見ようと見物人が集まったと言いますが、現在の女人行列はこの時の様子を再現したものなのでしょうね。

斎王は鎌倉時代に承久の乱が起こるまで400年間もの間続いていたのですが、それ以後は絶えて出る事は有りませんでした。現在の斎王代は葵祭の行列を華やかに盛り上げるべく創案されたもので、かつての斎王に代わる者として位置付けられ、祭りの行事がある日には古式に則って精進潔斎に努めるのだそうです。

今年の斎王代は料亭「菊の井」の若女将である村田紫帆さんが選ばれましたが、誰がどうやって決めているのかは公開されていません。未婚の女性である事の他は特に条件は示されておらず、京都人でなくてもなれる様ですね。ただし立候補制でもなく、選考はあくまで秘密裏に行われている様です。

斎王代に選ばれるのはとても名誉な事なのでしょうけれども、それに伴う経済的負担も半端ではない様ですね。斎王代として振る舞う為に必要な経費はほとんどが個人負担と言われていますし、生半可な家ではとうてい勤まらないのでしょう。丁度良い年頃の女性が居る名家を探さなければならない訳で、きっと選ぶ側も毎年大変なのでしょうね。

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斎王代に続くのは、女別当(おんなべっとう)、内侍(ないし)、命婦(みょうぶ)、女嬬(にょじゅ)、采女(うねめ)、童女(わらわめ)、騎女(むねのりおんな)など斎院に仕えた女官たちです。ただ、見ている限りでは、どの女性がどの役かはまるで判りませんでした...。

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その中で、唯一区別が付いたのがこの采女です。斎院の神事を司った女性で、そういう意味では斎王に最も近い存在だったのかも知れません。それが証拠に、斎王代と同じく頭に日陰糸を垂らしていますよね。これは本来は日陰葛という植物だったのですが、何時の頃からかこの組紐に代わりました。清浄な存在である事を示すためのものだそうで、神に仕える女性としての象徴なのでしょう。私的には、斎王代に次いで存在感を感じました。

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斎王代と共にこの行列の主役を務めるのが勅使です。四位の位を持つ近衛中将が勤めたとされ、この行列の中では最高位の人ですね。かつては、藤原道長の息子であり、宇治の平等院を建てた事で知られる頼通も勤めた事があるそうです。今年の勅使は宮内庁京都事務所の所長さんだったそうですね。

この勅使が前を通る時には立礼を求められるのですが、この時ちょっとしたハプニングがありました。場内アナウンスに応じて立とうとすると、立つな!と叫ぶ人が居るのです。どうやら写真を撮りたかったアマチュアカメラマンだった様ですが、かなりの人がとまどった様子で、座ったままになっていました。仮にも勅使と名の付く人よりカメラマンの方が偉いという訳ですから驚きですね。マナーの悪いカメラマンの存在は今に始まった事ではありませんが、ここまで酷いとあきれるほかありません。

そのうち、カメラの持ち込みは禁止されてしまうのじゃないかしらん?

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勅使を立礼で迎えていたので、行列の最後は後ろ姿しかありません。一番前に見える橙色の一団が舞人(まいびと)です。近衛府に勤める五位の武官で、歌舞に練達した人達なのだそうですね。この舞人はこの後「東游(あずまあそび)」という舞を舞われます。

その後ろに居る紫の一団が陪従(べいじゅう)で、雅楽を演奏する人達です。この人達も近衛府の五位の武官で、着物に丸く図案化された動物の絵が描かれているのが面白いです。そして、ちょっと驚いたのが大きな箏を数人掛かりで持ちながら演奏していた事で、なるほどこういう演奏法もありなのかと感心した次第です。

そして、最後尾の赤い衣装の人が内蔵使(くらづかい)。内蔵寮の次官であり、現在の財務副大臣に相当するのだそうです。役目としては、勅使が奏上される御祭文を維持するとの事ですが、そのあたりは一般客は見る事が出来ない世界ですね。

以上が上賀茂神社における、路頭の儀の全容です。実はビデオに撮って置いた葵祭の中継を見直したのですが、やはり行列の順番はかなり入れ替わっている様ですね。それに偉いさんが馬から下りてしまっているので、ちょっと権威が損なわれた感じもしないではありません。そのぶん、斎王代は間近で見る事が出来た訳だし、ここでも十分に楽しむ事は出来ました。

でも、次はやはり本来の行列をみてみたいですね。早めに御所に行くか、有料席のチケットを買うか、何か手を考えなくては。それになにより、今年は見る事が出来なかった数々の神事を見る事が出来たら良いなと思ってます。

2008年5月19日 (月)

京都・洛北 葵祭~路頭の儀  警護の列から馬寮の列まで~

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一口に葵祭と言っても前儀までを含めると実に多岐に渡る行事があるのですが、一般には斎王代を初めとする行列「路頭の儀」の事を指すでしょう。この路頭の儀とは、天皇が国家の平安を願うために行った、上賀茂・下鴨両神社に弊物(お供え物)を奉納するための巡邏行が始まりとされます。現在では多分に観光目的となっていますが、神事そのものは継承されており、参加者にしても古代の職制、装束を忠実に再現した内容となっています。

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行列は、警護、内蔵寮の官、馬寮の官、女人列、勅使舞人陪従の5つからなり、全てを見終わるまで約1時間程掛かります。全てを一度に紹介するととても長くなってしまうので、今回は2度に分けてアップしたいと思います。

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行列は京都御所を出発した後、丸太町通と河原町通を経て下鴨神社へと至ります。そこで一通りの神事を済ませた後、下鴨本通から北大路通、そして賀茂街道を経て上賀茂神社へと向かうのですが、問題はどこで見るかですね。

最も人気があるのは京都御所と糺の森で、それぞれ御所の建物や森の緑を背景にすると、とても絵になる事でしょう。しかし、この2箇所については有料観覧席になっており、事前のチケット購入が必要となるため、注意が必要です。まだ御所の方は自由に見る事が出来る場所がある様ですが、糺の森については全く言って良い程自由なスペースは無く、チケットが無い場合は入り口で警官によって止められてしまいます。後で聞いたところでは、部分的には見る事が出来る場所もあったようですけどね。

ですから多くの人は手前の参道に陣取って見て居られるのですが、私は何も様子を知らずに糺の森に行ったものですから、森の入り口に出来た人垣の後ろから見る羽目に陥りました。おかけで、行列の全体の様子は判らず、撮れた写真もわずかです。これではならじと、上賀茂神社に向かう事にしました。

それにしても有料観覧席の事は両神社のホームページでは触れられておらず、京都新聞の特集ページにもありません。一体どこに書かれているのかと思ったのですが、京都市観光協会のページにありました。これって、随分と不親切ではありません事?私の様な初心者には、判りにくい事この上ないです。

もう一つのスポットは、賀茂街道になりますが、上賀茂神社に向かう途中に見た所、2時間以上前から場所取りが始まっていました。車が沢山行き交う所での場所取りはさぞかし大変だと思いますが、それくらいの根性が無いと良い写真は撮れないという事なのでしょうね。

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上賀茂神社の場合は、先の3つのポイントに比べると条件が少し悪くなります。見やすいという点では多分ここが一番ではないかと思うのですが、一の鳥居から先は下乗・下馬となっているため、全ての行列が徒歩になってしまうのです。当然牛車も入ってこられず、行列本来の姿を見る事が出来ません。ただし、斎王代が歩くのはここだけですし、割り切ってしまえばちゃんと祭を楽しむ事は可能です。それに、近くにはカキツバタの名所である大田神社社家の西村邸があり、待ち時間をつぶすにはもってこいの場所ではあります。そして、運が良ければやすらい花にも出会えますしね。

なお、ここも参道脇は有料席となっており、1人千円が必要です。(御所と糺の森は2千円で事前の購入が必要。上賀茂神社の場合は当日の購入。)でも、見るだけなら有料席の後ろからでも十分に可能ですよ。

さて、行列の紹介と行きましょう。あらかじめお断りしておきますが、何しろ初めて見た行列であるため、誰がどの役に該当するのかについては、少し心許ない部分があります。無論、一通り調べた上でアップしていますが、もし間違っている箇所があれば、コメント願えれば幸いです。

まず、行列の最初を行くのは、賀茂競馬でおなじみの乗尻です。ここまで騎乗にて行列を先導して来た彼らですが、ここからは馬を下りて徒歩での先導となります。今日もまたこの衣装で走馬の儀を行うのかと思っていたのですが、それは違ってましたね。

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ここからが行列の本番となります。まずは警護の列。

先頭を行くのは神社の神職の方で、その後ろに二人並んでいるのが素襖(すおう)という幕府から派遣された役人です。行列の先頭を行き、警護をするのが役目ですね。その後方の4人の桃色の衣装の人達は、火長(かちょう)という検非違使の下級役人で、素襖に従って警護の実務に当たる人達です。

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その後方から歩いて来るのは検非違使志(けびいしのさかん)であり、検非違使の長官から数えて四番目の位で六位に相当する官職なのだそうです。先頭の人がそうですが、いかにも警察官僚にふさわしい貫禄の持ち主ですね。

その背後に歩いているのは童であり、こういう偉いさんには必ず付いている様ですね。昔は主人の雑用を勤めたものなのでしょうか。なかなか可愛い化粧であり、沿道のご婦人方には大層な人気ぶりでしたよ。

左の緑の衣装の人は志に使える調度掛(ちょうどがけ)と呼ばれる役目で、志が馬に乗っている間は弓を持ち、矢を背負って歩行にて従います。

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検非違使の一隊はまだ続きます。この列の先頭を行くのが検非違使尉(けびいしのじょう)で、志の上役にあたり、五位の位に相当します。事実上この行列の警護の責任者になるのですね。

その背後に従うのが鉾持(ほこもち)で、尉の武器である鎖を持っているのだそうです。手にしているのは一見するとただの棒きれの様に見えるのですが、良く見ると先端になにやら金具が付いているらしく、やはり武器としての鉾なのでしょう。この方の衣装はとにかく奇抜で、行列の中でも一番ポップで目立っていました。

その後ろの二人が看督長(かどのおさ)で、現在で言えば巡査部長クラスなのかな。

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ここから内蔵寮の列に変わります。ここで先頭を行くのが山城使(やましろづかい)。山城国の次官であり、洛外(都の外は山城国司の管轄になる)に出た行列の警護の為に派遣されるのだそうです。

その背後の4人が手振(てぶり)と呼ばれる従者達で、鹿皮の敷物など、山城使のための調度品を運ぶ役目を持っています。

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ここから馬寮の官の列になります。ただし、本来これより前に居るべき衛士や内蔵寮史生が後から来ていたので、その区別が正しいのかどうかは良く判りません。また、この記事は上賀茂神社で配布されていたパンフレットを参考にしているのですが、もしかすると上賀茂に来るまでの行列とは順序が入れ替わっている可能性もあります。そのあたりの事情を、ご存知の方はおられませんか。

それはともかくとして、この写真の先頭を行くのが馬寮使(めりょうつかい)。左馬允(さまのじょう)という六位の武官で、神に照覧するための2頭の御馬を率いる役目を負います。

その後ろの薄赤い装束の人達が馬部(めぶ)と呼ばれる馬の世話役で、4人で一頭の馬を牽いていきます。2頭の御馬はそれぞれ左馬寮と右馬寮から一頭ずつ選ばれた馬との事で、菊の御紋が入った布で飾られていますね。

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パンフレットでは馬寮使より前になっているのですが、なぜか後から来た衛士(えじ 黒装束の二人)達です。彼らは御幣物唐櫃を守護する役目を負います。

その後ろの人物が内蔵寮史生(くらりょうのししょう) 、だと思います、たぶん。七位の文官で、下鴨、上賀茂の両社に各一名ずつ派遣され、上職の内蔵使に御幣物を手渡す役目を負います。

そして判らないのが、そのさらに後方に居る人物です。それなりの位を持った役人の様なのですが、調べた限りでは出てきません。どなたか教えて頂けませんか?

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行列に彩りを添えるための風流傘(ふりゅうがさ)です。いくつかあるのですが、これは大きい方の傘で、相当な重さがあるらしく、巡行中には4人が順番に交代して持ち手に当たる様です。糺の森の前ではこの傘が大きく傾いたので、驚きの声が上がっていました。これを運ぶのは結構大変みたいですよ。

以下、明日に続きます。

2008年5月18日 (日)

京都・洛北 葵祭~桂と葵・上賀茂神社~

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平成20年5月15日の京都は、絵に描いた様な五月晴れとなりました。こういう空を見ると、葵祭は1年で一番良い季節に行われる祭りなんだなと思いたくなりますね。しかし、一般には葵祭の日はぐずつく事が多いと言われ、平成7年には雨のために行列が中止された事もあります。ですから、葵祭でこれほどの好天は珍しいのではないかというのが、大方の京都人の感想の様ですね。ただし統計を見た訳ではありませんので、それが事実かどうかは判りません。

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午前10時30分に京都御所を出発した行列が上賀茂神社に来るのは午後3時30分頃の予定です。行列が到着した後は二の鳥居の中は社頭の儀の場となり、一般の参拝者は入る事が出来なくなりますが、それまでは普段通り本殿の前まで行く事が出来ます。

境内の中では、至る所に二葉葵と桂が飾られています。これは神社の起源に遡り、「葵と桂を飾り、祭りをするなら降臨しよう」と賀茂の神のご託宣があったからだと言われています。また、一説に依ると、桂は男性を表し、葵は女性を表すのだとも言いますが、定かな事ではありません。

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極めつけは、本殿前に飾られたこの桂の枝でしょう。今の時期のかつらの葉は若々しい緑であり、まさに神が宿るにはふさわしいという気がしますね。

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話は少し逸れますが、上賀茂神社を頻繁に訪れる様になったのはここ数年の事なのですが、回を重ねるに付けてこの神社は、他とは少し違っているのではないかと思う様になってきました。というのは、他の神社では薄まっている古い神道のにおいが、ここでは濃厚に残っているという気がするのです。

普段の境内は極めて開放的で、広大な芝生地は市民の憩いの場となっています。排他的な雰囲気などはかけらも無いのですが、しかし、祭礼となると空気が一変するのですね。例えば斎王代などの行列はかなりの部分が観光化されていますが、神事の主体となるのは古代から続く鴨県主の一族であり、余所者を受け付けない雰囲気があります。特に賀茂競馬などはそうですね。

一見穏やかで親しみやすい様に見える上賀茂神社なのですが、内に秘めたる神道への思いは、並々ならぬものがある様な気がしています。そういう場所だからこそ、断続しながらも賀茂祭は今に繋がっているのでしょう。古代の臭いを濃厚に残す上賀茂神社ですが、その伝統はいつまでも続いて欲しいものだと思います。

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この白馬は、祭礼の日には必ず出て来る神馬「神山号(こうやまごう)」です。最近では「しんばちゃん」の愛称で呼ばれる事が多いですね。この神馬舎にはスライスしたニンジンが置いてあり、賽銭を置けばしんばちゃんに餌として与える事が出来る様になっています。結構な人気なのですが、目の前にニンジンを置かれたしんばちゃんにとっては、結構つらいかもという気もしますね。

境内の中の様子が判らないので何とも言えないのですが、このしんばちゃんにも出番があったのかも知れません。馬場にまで出てくる事はなかったのですけれども、この綺麗な馬が疾駆する姿を見てみたいという気もしますね。

2008年5月17日 (土)

京都・洛北 上賀茂やすらい花

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葵祭の当日、5月15日の上賀茂一帯は、祭り一色で染められています。家の軒先には双葉葵の紋が入った提灯が飾り付けられ、普段は人気がない路地にまで、観光客が押し寄せます。その上賀茂において、葵祭とは別の、もう一つの祭礼が行われていました。それがこの上賀茂やすらい花です。

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「やすらい」と言えば今宮神社のやすらい祭が有名ですが、このやすらい花もルーツは同じで、平安時代に桜の散る頃に流行る疫病を退散させるため、風流の扮装をして鉦、太鼓を叩き、かつ踊った事が始まりとされます。現在京都には、今宮、玄武、川上、上賀茂の4つの地区で伝承されており、他の3箇所が4月の第2日曜に行われるの対し、上賀茂では葵祭に合わせたのでしょう、5月15日に行われる決まりになっています。

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この祭りには二つの主役があって、一つはこの花笠です。花の精の力によって疫病を封じ込めるという花鎮めがこの祭りの本質の一つであり、それを具現化したのがこの花笠という事なのでしょう。この傘の下に入ると一年間の厄が祓われるとされ、誰でもこの下に入る事が許されているので、見物人が我も我もと集まり、この状態となります。


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当然私も傘に入れて貰い、その際に傘の中を撮ってきました。果たして御利益があるかどうかは判りませんが、これをごらんになった方に、厄払いのお裾分けが出来ますように。

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このやすらい花は、上賀茂神社の祭りか、あるいは葵祭の神事の一つかと思ったのですが、どうやら違う様です。世話役の人に伺ったところ、この地域のお祭りという事で、特定の神社に繋がるものではないとの事でした。ただ、当日の朝には上賀茂神社に奉納すべく訪れているそうなので、全く無関係という訳でも無いようです。

他の地区と共に重要無形民俗文化財に指定されており、保存の手もさしのべられている様ですね。

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もう一つの主役が、この赤熊(しゃぐま)を被った鬼達です。この鬼が鐘や太鼓を叩いて辻々で踊り、その踊りの中に災厄を封じ込めてしまうのだと言われています。

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この踊りは結構絵になっていたのですが、なにしろ初めて見たものですから様子が判らず、まともな写真が撮れなかったのが残念です。次の機会には、もう少しましな写真を撮れると良いのですが。

上賀茂やすらい花は、葵祭と比べると随分とこぢんまりとしていますが、その分親しみやすく、かつ参加も出来る、ほのぼのとした気分にさせてくれるお祭りですよ。

2008年5月16日 (金)

京都・洛北 葵祭~走馬の儀~

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京都三大祭の一つ葵祭が、5月15日に行われました。祭りのメインは斎王代を初めとする行列(路頭の儀)にあるのですが、まだ写真を整理仕切れていないため、最後の行事である走馬の儀を先にアップします。

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走馬の儀は葵祭を締めくくる神事であり、馬が疾駆する姿を神に奉納するという意味を持つそうです。形としては5日に行われる賀茂競馬に似ていますが、その起源は賀茂祭(葵祭)始原のご神託に依るとパンフレットにあり、宮中の行事を引き継いだ競馬とは性格が異なる様ですね。

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当日は馬寮から2頭、賀茂の馬5頭の計7頭が一の鳥居から二の鳥居までの間の参道を駆け抜けました。途中鞭を上げて神の座を指し示し、大声で叫ぶ事でその走る姿を神に捧げるという事らしいですね。

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競馬の時もそうだったのですが、下手に馬を刺激するととんでも無い事になると繰り返し場内アナウンスがありました。くどい程の警告だったものの、まさかそんな事は起こらないだろうと高を括っていたのですが、それが現実のものとなりかねないアクシデントが発生しました。最後の馬が暴れて乗尻が振り落とされてしまったのですね。

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乗尻は馬から落ちながらも手綱にしがみつき、引きずられながらも何とか態勢を立てなおそうと頑張ります。

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そして、あわや柵に激突するかという所まで来て、やっと身体を張って馬の暴走を食い止める事が出来ました。良くもまあ乗尻が倒れ込まなかったもので、下手をすると暴走した馬が観客席に飛び込んでいたかも知れません。

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ひやっとする光景でしたが、神職の叱責を受けた乗尻が再度馬を走らせると観客席から暖かい拍手が巻き起こり、一番大きな賞賛を受けていました。やっぱり失敗から立ち直る姿を見るのは、誰しも嬉しい様ですね。でも、当人は複雑な気分だっただろうなあ。

走馬の儀はこれで終わりではなく、御阿礼野高館という場所において後半が行われます。これは馬が山を駆け上がる事から山駆けと呼ばれるそうなのですが、残念ながら時間の関係でそこまでは見る事が出来ませんでした。もしかしたらこの部分は一般には公開されていないのかも、です。

賀茂競馬もそうでしたが、やはり馬が駆ける姿というのは、迫力があって良いものです。神に捧げるというのも頷けますね。この行事は下鴨神社でも行われており、来年はそちらも見てみたいものだと思っています。

2008年5月15日 (木)

京都・洛東 建仁寺塔頭 両足院

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建仁寺の境内東側に並ぶ塔頭群の一つに両足院があります。今からおよそ650年程前に、建仁寺住職第35世龍山徳見和尚を開山として創建された寺で、阿弥陀如来立像を御本尊としてお祀りしています。

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普段は原則非公開の寺ですが、土日、休日には予約にて拝観が可能です。そして、時として特別拝観が行われる事もあり、この日(5月10日)は伊藤若冲の雪梅雄鶏図の特別公開の日に当たっていました。

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山門を潜るとまず枯山水の庭が目の前に広がります。「唐門前庭」と呼ぶそうで、白砂と松の緑の対比が見事ですね。方丈に向かうには、洒落た石の小径を歩いて行く事になります。

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方丈の前には、ここにも枯山水の庭があります。ただし白砂ではなく苔に覆われた庭で、雨に濡れた苔の色がとても美しい色合いを見せてくれていました。

中央に見えている3つの石が、釈迦三尊に見立てた三尊石です。

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今回の特別公開の目玉である伊藤若冲の雪梅雄鶏図は、書院に展示されていました。若冲にしてはごくオーソドックスな構図で、雪中梅の下で地面を啄む雄鶏が描かれています。この鶏が実に精緻に描かれている事、そして花と鳥の鶏冠と羽根を染める鮮やかな紅色が印象的な絵でした。

ただしこの絵は本物ではなく、デジタル処理が施された高精細の複製画です。実は複製画と聞いて受け付けで帰る人も見受けられましたが、良くある写真複製とは違って、本物の筆使いが見える程リアルに再現されており、それなりに見応えはありましたよ。強いて言えば、あまりに綺麗すぎるのが難点かも知れません。

冒頭の写真は池泉回遊式の書院前庭です。正面に見える二つの建物は共に茶室で、左が如庵を模した水月亭、右が6帖席の臨池亭です。この庭は、この茶室に向かう為の路地庭としての性格も持っているのだそうです。

池の畔には半夏生が植えられており、この草の葉が白くなる頃、もう一度特別公開が行われます。6月の第2、第3の週末で、この庭が最も見頃を迎える時と言っても良いのでしょう。

特別公開時の拝観料は500円、普段の予約拝観の時は1000円となっています。予約拝観の方が高いのは抹茶の接待が付いているからですね。この抹茶については、特別拝観の時でも、申し出れば味わう事は可能です。(ただし別料金)

2008年5月14日 (水)

京都・洛東 雨の散歩道~清水寺~

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雨の散歩道は、清水寺までやって来ました。

普段はあまり目立たない舞台の下のもみじの大木が、幹が濡れた事で妙に存在感を示しています。普段はこういう所までは撮らないのですが、雨の日ならではの限定ショットですね。

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この時期の清水寺は、とにかく緑一色で染まります。生命力に溢れた光景ですが、これが秋になると樹種の違いによって見事なコントラストを描くから面白い。そういう目で見れば、一面に同じ様な緑でも、葉の質感が微妙に違うのが判りますね。

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緑に包まれた奥の院です。この御堂も、規模は小さいながら本堂と同じく舞台造となっています。とても端正な御堂で、美しさという点で言うならば、むしろ本堂よりも上なのではと思ってしまいます。とにかく絵になる建物ですね。

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本堂と奥の院の間にある急坂です。この坂を下れば音羽の滝の前へと至ります。ここは紅葉の時には赤いトンネルが出来る所で、清水寺でも絶好のビューポイントの一つと言えます。緑の葉の上に浮かんでいるのが子安の塔。

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雨に煙る子安の塔です。枯淡な味わいの塔と萌え出る緑が不思議と調和していますね。この塔は、今は白木の塔に見えますが、実は良く見ると丹塗りの跡が残っているのが見て取れます。つまり、もう一つの三重塔と同じく、かつては鮮やかな丹色に彩られた塔だったのですね。

明治以前には門前にあって多くの参拝者を集めたというこの塔も、今は本来の安産祈願に訪れる人は希の様です。でも、時折泰産寺にお参りする人を見かけますから、まるっきり忘れられてしまったという訳では無い様ですね。

直接訪れる人は少なくなったとはいえ、東山の懐に抱かれた古塔としての景観は素晴らしく、清水寺には無くてはならない存在となっています。

2008年5月13日 (火)

京都・洛東 雨の散歩道~二年坂・三年坂~

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大型連休が終わった直後の土曜日は、朝からそぼ降る雨でした。こんな日は常に人混みが絶えない二年坂も、さすがに訪れる人も少なくてがらんとしています。

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でも京都らしい情緒を味わうには、こんな日が丁度良いのです。静かに落ち着いた佇まいがこの界隈の本来の真骨頂、人波に洗われる事なくゆっくり歩いてこそ生きる町並みなのです。

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三年坂まで来ても静かさは同じでした。今さらながら、古い町家の佇まいが目に止まります。

道が黒いアスファルトに変わっているのは電線の地中化工事が始まっているからで、数年後には元の石畳の道に戻る予定です。ですから、この写真は三年坂の過渡期の姿を伝えるものとして、ある意味貴重なものになると言えるのかも知れません。

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木枠で段々が作られた三年坂もまた、後になれば貴重な光景となるでしょうね。

坂の途中の明保野亭の枝垂れ桜の下で木の下闇の写真を撮っていたら、坂の上から修学旅行生達が駆け下りてきました。中学生なのでしょうね、集合時間に間に合わないのか、雨が降る中傘も差さずに元気なものです。

ただ、彼女たちは三年坂で転ぶと三年で死ぬという恐ろしい言い伝えを知らないのでしょう。でなければ、この坂を駆け下りる事など出来ないはずですから。

幸い彼女たちは無事に坂を下りて行きましたから、何事もなく済みそうです。もっとも、言い伝えを知らないのだから、たとえ転んでも何も起きないのかしらん?そのあたりは、伝説らしく謎としておくのが良いのでしょうね。


2008年5月12日 (月)

京都・洛東 雨の散歩道~祇園から円山へ~

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5月の雨の週末、祇園から清水までを歩いてきました。足下が悪いのは気になりますが、雨の散歩道はしっとりとした空気に満ちあふれていますよ。

この時期、雨が降る度に木々の緑が深くなって行くのが判ります。ここ祇園白川でも花が終わった桜がすっかり葉を茂らせ、「かにかくに」の歌碑の上を静かに覆っていました。

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誰も居ない雨の巽橋です。水を含んで重くなった桜の枝が、道の半ばまで下がっていました。この下を通る時は、舞妓さんもさぞかし難儀をする事でしょうね。

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祇園を抜けて、知恩院までやってきました。溢れる緑が三門の額縁を通すと、より一層鮮やかに見えませんか。

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その三門の内側です。滴る様な緑という表現がありますが、この景色などはまさにその言葉がぴったり来るでしょう?

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円山公園に入ってすぐにある、平野家さんのウインドウです。このノキシノブはいつも気になる存在なのですが、雨の日にはやはり絵になりますね。今と対極の季節を耐えてきたノキシノブはまだ少し冴えない色ですけれども、この雨を受けて深い緑に変わっていく事でしょうね。

2008年5月11日 (日)

京都・洛東 芦屋小雁個展-思ひ出- ~月真院~

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高台寺の塔頭・月真院において、芦屋小雁さんの絵画個展が開かれています。これは小雁さんが月真院の襖絵として「有月東山三十六峰絵図」を描かれた事を記念したもので、襖絵のほかにも蟻と遊ぶ子供の絵など小雁さんの作品が多数展示販売されています。

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今回描かれた襖絵は、月真院に縁のある伊東甲子太郎と高台寺党、それに新選組をモチーフに描かれています。

まず十二面の襖に雄大なタッチで月明かりに浮かぶ東山三十六峰の全体図を描き、要所々々に大文字、八坂神社、清水寺などの名所が配されています。そして、画面の右下には伊東甲子太郎と高台寺党の面々、左下には近藤勇を先頭に隊旗を掲げて行進する新選組の姿が洒脱なタッチで描かれています。ただ伊東、近藤、土方あたりは意識して描かれたそうですが、他の隊士達については特に誰という事は考えずに、雰囲気で描かれたとの事でした。

この襖絵はまるで映画の一シーンを見る様で、高台寺党と新選組はそれぞれ画面の中央を目指して歩いており、静かな中にも一触即発の緊迫感を孕んだ作品となっています。

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芦屋小雁さんは言わずと知れた喜劇役者で、最近では舞台版の「裸の大将放浪記」に主演されています。「ちりとてちん」では、上方落語四天王の1人「鏡漢五郞」を演じられていましたね。小雁さんは役者になる前には画家を目指しておられたそうで、とても役者業のかたわらに描かれたとは思えない、本格的な作品ばかりですよ。

会場にはご本人が詰められており、きさくに話しかけてこられます。ツーショットの写真も撮って頂き、おかげさまで良い記念となりました。

月真院は、抹茶付きで不定期公開されているとはいえ、新選組ゆかりの襖絵奉納という場は、組ファンにとってはなかなか得難い機会だと思います。高台寺党が住んでいた部屋に入れる訳ではありませんが、近くに行かれる事があったら寄らてみては如何ですか。

入場料は500円、会期は5月18日までとなっています。

2008年5月10日 (土)

京都・洛東 カキツバタ~円山公園~

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京都・円山公園のカキツバタが見頃を迎えています。

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ひょうたん池の一角に群落をなして咲いているのですが、いつの間にこれだけ見応えがある様になったのでしょうね。以前は数輪が咲く程度だったと思うのですが、ちょっとした名所と言える程に広がってきています。

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カキツバタは、どちらかと言えば地味な印象があるのですが、この花はハナショウブと見間違うほど華やかな姿をしています。カキツバタにも数は少ないながら園芸品種があり、これはその一つなのですね。

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こちらは、公園の奥にあるカキツバタ群落です。ここは以前からある群落で、咲いているのはオーソドックスなカキツバタですね。この写真は5日に撮ったものですが、今日(10日)現在ではキショウブも咲き始めています。ただ、思った程の数は咲いておらず、あまり絵にならなかったのがちょっと残念でした。

2008年5月 9日 (金)

京都・洛東 一初鑑賞会2008~得浄明院~

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今年もまた、得浄明院の一初鑑賞会が行われています。

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一初とは他に先駆けて咲くアヤメの事で、初夏の訪れを告げる花として知られています。一見するとカキツバタと似ていますが、何より花にこの網目模様がある事がアヤメである印ですね。それに水辺に限らず咲くところもカキツバタとは異なります。

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今年は白の一初は花付きが今ひとつの様でした。咲いてはいるものの上がっている蕾が少なく、昨年ほどの数を期待するのは無理かも知れません。

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得浄明院と言えば信州の善光寺の別院であり、本院を模した戒壇めぐりが出来る事でも知られます。今年で3年続けてお世話になりましたが、あの闇には慣れるという事がありませんね。ただ、今年は寺の住職さんが入り口に付いていて下さり、何かと声を掛けて頂いたのが有り難かったです。初めての人は相当に不安を感じるでしょうからね、この心遣いはきっと嬉しい事でしょう。

ここを訪れたのは5月5日の事だったのですが、一初が丁度盛りを迎えていました。ですから、今頃はやや花が終わりかけている頃かも知れません。ただし、境内には沢山のジャーマンアイリスがありますから、かえって華やかになっているかも知れませんよ。

得浄明院の特別公開は5月13日(火)まで、拝観料は500円となっています。


2008年5月 8日 (木)

京都・洛北 大田の沢~カキツバタ群落~

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「神山や大田の沢のカキツバタ ふかきたのみは 色に見ゆらむ」  藤原俊成

古歌に謳われた大田の沢のカキツバタ群落は、俊成の死後800年を経てもなお健在です。

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大田の沢は近くの深泥が池と共に、かつてこのあたりが湿地帯であった名残を示す池と言われます。今ではほんの小さな池にすぎないのですが、往時は今の数倍はあったと言われ、俊成が歌った頃にはさぞかし広壮な光景が広がっていた事でしょうね。

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このカキツバタは自然のものであり、昭和14年に天然記念物に指定されています。とはいえ、実際には何かと手入れはされているのでしょうね。でなければ、この限られた小さな池でいつまでも綺麗な花を咲かせ続ける事は出来ないでしょうから。

ちなみに、柵の中に入るには保存のための協力金として300円が必要となります。

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ここを訪れたのは5月5日の事でしたが、この時はまだ3分咲きで、見頃は今週末ではないかとの事でした。

大田の沢は上賀茂神社のすぐ近くにあり、社家町を経ての経路は散歩道としてもなかなか素敵ですよ。ここは是非セットで訪れて、散策を楽しんで来て下さい。

2008年5月 7日 (水)

京都・洛北 上賀茂神社~賀茂競馬~

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5月の京都と言えば葵祭。上賀茂神社と下鴨神社の両社の祭礼で、15日の本祭を前に様々な前儀が行われます。その一つが上賀茂神社の賀茂競馬。古くは5月5日の節供の行事として宮中で行われていた競馬会に起源を持ち、1093年(寛治7年)に20箇所の荘園と共に上賀茂神社に移されて以来、今に伝わるという伝統ある行事です。

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葵祭は平安京以前に起源を持つという古い祭礼ですが、戦国期には神社の荘園が横領されるなどして一時途絶えてしまいます。そして江戸時代に再興されたのですが、明治維新によって天皇が東京に遷ると共に再び中止されてしまいました。その後、明治17年に京都の振興策として復活したのですが、第二次世界大戦でまたも中止の憂き目に遭い、社頭での神事だけが継承されていました。行列の復活は昭和28年からの事で、この様に葵祭は断絶と復活を繰り返してきたという歴史を持ちます。

ところがその中でこの競馬だけは途絶えることなく継承されてきたと言われ、今でも古式豊かに行われています。この行事に賭ける人々の情熱の賜物と言うより無いのでしょうけれども、実際に馬が走る所を目の当たりにすると、その理由もおぼろげながら理解出来る様な気がします。何と言っても抜群に面白いのですよ。

さすがに900年も続いてきただけに煩雑な程に仕来りが存在し、当日も本番までに陰陽道の影響を残すと言われる様々な儀式が行われる様です。これはその一つで庁屋にて陰陽のお祓いや勝栗、杯の儀を行っているところと思われます。膨大な儀式を一々執り行っていくのは大変ではあるでしょうけど、これも貴重な文化の伝承と言えるのでしょうね。

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お祓いを終えた乗尻(騎手)達は、一度境内の外に集合し、騎乗にてならの小川に架かる酒殿橋を渡ります。

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ところが見ていると、橋を渡ったところで必ず馬が一回転をするのです。最初は馬がぐずっているのかと思ったのですが、そうではなくてこれも儀式の一つだった様ですね。この後乗尻達は一の鳥居前で馬を下り、徒歩にて境内に入っていく事になります。

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乗尻と馬が所定の位置に付く前に、警護衆が馬場の下見に現れます。馬場に異常が無いかどうかを見る役目なのですが、この勤めを果たしているのは子供達でした。身体に似合わぬ笠の大きさから鍋かぶりと呼ばれているそうですが、胴巻を身にまとい、腰には太刀を、手には警護のための棒を持ち、なかなか勇ましい姿です。そして、祭礼の参加者に共通している事ですが、ショウブを身に付けていますね。

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警護衆による下見が終わると、いよいよ乗尻と馬が所定の位置に付きます。そして、準備が終わったという合図なのか、乗尻が手綱を持って手を挙げるというポーズを取っていました。これもまた、何か意味のある作法なのでしょうね。

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ここからやっと本番が始まります。競馬は左方(さかた)と右方(うかた)の二組に分かれて行われ、団体戦として勝敗を競います。赤い方が左方で舞楽の打毬楽の衣装なのだそうですね。対する黒い方が右方で、こちらも舞楽の狛桙の衣装を身に纏います。

この乗尻は賀茂の社家の一族(賀茂県主一族)だけがなれるもので、今でもその伝統は続いています。左方になるか右方になるかは1日に行われる足汰式(あしぞろしき=試し乗り)の結果によって決められるそうで、固定しているのではなく毎年変わる様ですね。


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ところが二頭の馬が馬場に入って来ても、すぐに走り出す訳ではありません。馴致と言って馬場に慣れさせるために、手綱を引いて何度もいったり来たりを繰り返すのです。そして、どうやらこの馴致のやり方にも、伝統的な作法と意味がある様ですね。そして面白いもので、馴致が終わる頃には馬が興奮し始め、御するのも難しい程になってきます。その興奮を捉えて、一気に走り出すのですね。

現在は12人6組によって勝敗が競われますが、実は最初の一番だけは左方の勝利と決められています。これには理由があって、左方が勝った年は五穀豊穣が約束されると言われており、左方が有利になるように調整されているですね。

しかしだからといって右方はわざと負けるのかというとそうではなく、二番以降の勝負は真剣そのもので、乗尻は相手に負けたくないものですから全力で勝ちに行くのだそうです。そうした渾身の力で戦った結果でなければ神意とは言えず、競馬もただの行事として形骸化していた事でしょう。

この乗尻が鞭を上げているのにもちゃんと意味があって、この競馬を神に捧げるへく、神様の方向を指しているのですね。なお、この時神様は鉾に憑って、馬場のすぐ横に来て居られます。

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賀茂競馬を見るのは、実は今回が初めてです。勝手が判らず、とにかく空いている場所に座ったのですが、そこはスタート地点のすぐ近くでした。馬が疾駆しているところを見たかったのでこれはしくじったかと思ったのですが、ところがそうでもなかったのです。スタートの駆け引きが結構面白いのですね。

馬は2頭で競争する訳ですが、先の競争で負けた組が前に立ち、勝った組は一馬身開けて後ろに並びます。そして乗尻同士が向き合い、冠が合ったところで立会人から「合うた-!」とかけ声が掛かるとスタートです。

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このタイミングが微妙で、馬と乗り手の息が合っているか、そして引き手が手綱を放すタイミングによっても、スタートダッシュが決まるかどうかが分かれる様です。

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この場合、右方の馬の方が先に前を向いており有利に見えたのですが、意気込みが強いのに手綱が離れないためか乗尻は馬を懸命に押さえている様です。

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そして、手綱が放されたのですが、今まで押さえられてきた右方の馬は足蹴をするばかりで、なかなか前に進めません。対する左方は手綱が放れた瞬間に馬の向きを変え、一気に走り出します。

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そして、多分意図的にでしょうね、左方の乗尻は右方の馬の前を横切る様にして走ります。これに驚いた右方の馬は一瞬竿立ちになり、ますますスタートが遅れてしまいました。

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これって反則かと言うとそうではなく、古来から許されてきた駆け引きなのだそうです。中にはもっと露骨な妨害もあって、相手の袖を持って引っ張るなんていう事もあった様ですね。ただ何でもありという訳ではなく、許される範囲があるそうですが、そのあたりも教えて貰えると、もっと興味深く見る事が出来そうですね。

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勝負は馬場の北にある楓の木(勝負の楓)を過ぎた時に決まり、基本的には最初の一馬身差が縮まっていれば後ろの馬の勝ち、差を保っていれば前の馬の勝ちとなるのですが、勝敗の判定はそれだけではなく、乗尻の技術や馬の速度、スタート時の様子など、総合的に判断して決められるのだそうです。

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勝負が付いた後も面白い作法があって、乗尻は念人の所に勝敗を聞きに訪れ、勝った場合は禄という白い布を貰って、鞭に巻き付けて高く掲げます。そして、負けていた場合は「負け~。」という情けない声を聞かされ、すごすごと帰って行く事になります。

今年は左方の4勝1敗1分けだったそうで、目出度く五穀豊穣が約束されました。競馬の儀式はこの後も続いていたのですが、時間が無くて最後までは見届ける事が出来ませんでした。それに私の席からは判定の様子なども見る事が出来なかったのが残念です。やはり、一度だけでは全体像を把握するのは難しいですね。これはやはり来年も来るより無いでしょう。今度はゴール近くに構えて、勝敗の決定の瞬間を見てみたいと思ってます。それに出来れば前後の神事の様子を見られたら良いですね。

なお、最前列に座った場合は、傘を差すのは禁止されています。馬が驚いて暴走しかねないためですが、この日は途中で雨が降りかけたので大いに困りました。ですから、雨が予想される場合には雨合羽を、そして好天の場合は日傘ではなく大きめの帽子を用意される事をお勧めします。


2008年5月 6日 (火)

比叡山・延暦寺~新緑の頃~

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1年ぶりに訪れた比叡山・延暦寺は、全山が新緑に包まれていました。

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東塔の入り口から入ってまず目に付くのが大講堂前の鐘楼です。確か以前は平和の鐘と言っていたはずなのですが、今は開運の鐘と表記されていますね。除夜の鐘として行く年来る年でも良く登場していますが、100円で誰でも撞く事が出来るために人気があり、順番待ちの列が出来ていました。

人によって撞き方に個性があり、とにかく大音響を狙う人、遠慮がちに小さく鳴らす人など様々で、聞いているだけでも面白いですね。我が家の息子達は綺麗な音を出すんだと息込んでましたが、うーん、単に音が小さいだけだった様な。聞いていて惚れ惚れするような澄んだ音を出すのは、なかなか難しい様です。

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延暦寺の境内では、赤いもみじを良く見かけます。この鐘楼の周囲にも植えられており、さながら秋の紅葉であるかの様に丹塗りの色と良く調和していました。

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こちらは根本中堂の前にある伝教大師童形像で、鮮やかな新緑と紅のもみじとで彩られていました。この時期ならではの、鮮烈な光景ですね。

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平地では終わってしまった八重桜が、ここでは丁度満開を迎えていました。これは東塔の駐車場の様子で、広大な駐車場を取り囲むように咲いた桜は、なかなかの見物ですよ。

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そして、これは大講堂の東側で咲いていた普賢象桜です。千本ゑんま堂では人気を集めているこの桜ですが、ここでは誰1人注目する人はなく、ひっそりと咲いていました。多分、ここに咲いていると知っている人がほとんど居ないからなのでしょうね。やはり銘花と言われるだけあって、とても美しい桜でした。

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京都には社寺が沢山ありますが、その中でも延暦寺は別格という気がします。昔から霊場とされていますが、やはり境内には特別な空気が満ちています。森林浴効果もあいまって、疲れた心身をリフレッシュさせるには持ってこいの場所ですよ。

2008年5月 5日 (月)

京都・洛東 こいのぼり~八坂神社~

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5月5日の鯉のぼり。今年は京都の八坂神社で見つけて来ました。何とも可愛らしいサイズですが、カラフルで子供らしい鯉のぼりですよね。

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本殿の西には数で勝負とばかりに、沢山飾られていました。詳しくは判らないのですが、どうやら地元のボーイスカウトが奉納したものの様です。

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今日の京都は五月晴れとは行かず、曇りで時折強く雨が降るというすっきりしない天気でした。それでも新緑はこういう天気の方が深く見えるもので、すっかり初夏の装いになっています。そして、鯉のぼりもまた、新緑に良く映えていました。

京都・洛北 ガーデンミュージアム比叡~印象派の庭~

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ガーデンミュージアム比叡は、印象派の画家達の作品をモチーフにした庭園です。中でも東側にある池とその周辺は睡蓮の連作で知られるクロード・モネの庭を再現したもので、緑色の太鼓橋はその象徴ですね。

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園内には印象派の絵画を再現した陶板がそこかしこに展示されており、美術館としての側面も併せ持ちます。中でも一番多いのがやはりモネの作品で、これはその中の一つ「庭のカミーユ・モネと息子」です。確かに花が咲き乱れる庭だった事が判り、きっとこの庭園が目指している光景のひとつなのでしょうね。

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この日、チューリップと並んで印象的だったのがこのルピナスです。立体的な咲き方をする花で、鮮やかな色彩もあいまって洋風花壇にはぴったりと来ますね。

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全てが洋風にまとめられている中にあって、桜も何本か植えられています。なんとなく違和感があるかも知れませんが、印象派が最も影響を受けたのは実は日本の文化だったというところを押さえると、決して不自然ではないのですね。

これはチューリップが咲き乱れる庭にあった八重桜で、原色が溢れる中に不思議と調和していました。

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こちらはガーデンミュージアムの前身である比叡山山頂遊園の頃からあったと思われる桜で、一重の大輪の花でした。恐らくは平野神社縁の衣笠ではないかと思ったのですが、どんなものでしょう?

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これは睡蓮の池のほとりで咲いていた八重紅枝垂れ桜です。調べてみると、フランスにある本物の庭にも同じ桜がある様ですね。多分それを踏まえてこの木を植えたものと思われますが、そこまで気が付く人はそう多く無いでしょう。この推測が当たっているとすれば、大した凝りようですね。

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この時期、見逃せないのがシャクナゲ園です。このシャクナゲ園自体は山頂遊園の頃からあったものですが、どうやらモネの庭でも咲いていた様ですね。ですから新しい庭のコンセプトに矛盾することはなく、そのまま存続させる事が出来たのでしょう。もっとも、これだけのシャクナゲを無くしてしまう事など、勿体なくてとても出来なかったでしょうけどね。

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印象派は、伝統的な絵画の様に色を混ぜて使うのではなく、個々の色を並べて使ったのだそうです。絵の具をどんどん混ぜて行くと最後は黒になってしまいますが、印象派の描き方だと見る人の側で色が混ぜられる事になり、より本物の光に近くなると考えたのですね。

そう考えると、花壇というのは確かに印象派に近いと言えるのかも知れません。花の色は混ぜる事は出来ませんが、並べ方は自由ですからね。もしかしたら花壇のコーディネイトを追求して行く中で、印象派の画家達と相通じるものがあったのかなという気がします。この庭が印象派をモチーフにしているのは、そこに根っこがあるのかも知れないですね。

2008年5月 4日 (日)

京都・洛北 ガーデンミュージアム比叡 ~チューリップ~

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この時期、平地のチューリップはそろそろ終わりを迎える頃でしょうか。しかし、標高800mの地点にあるガーデンミュージアム比叡では、今が盛りと咲いています。様々な色と形の花が咲き揃い、今の時期の庭園の主役と言って間違いないでしょう。

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チューリップと言えば赤系統の花がインパクトがあって特に目立ちますが、この庭で印象的なのはむしろこのパープルの花でした。全体としてぱーと明るい中にこの渋めの色があると、浮わつかずに締まって見えるのですよね。無論、この花を単独で見ても、十分に美しい事はいうまでもありません。

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オレンジ色の花もまた、赤に劣らず目立ちますね。ここでは黄色の花との組み合わせで、綺麗なグラデーションを描いていました。

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しかし、やはり子供の頃に聞いた童謡の印象は強く、「赤・白・黄色」の組み合わせをどうしても探してしまいます。さすがにそんな単純な植え方はしていなかったのですが、わずかにここがそれに近かったかな。まあ、白の花はポンポンデージーなのですが、色のコーディネイトとしては合ってるでしょう?

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ガーデンミュージアムの北側の斜面では、一転して青のビオラやアネモネが主役の青の世界になっています。そういう場所にも赤のチューリップが縁取りとして植えられているのですが、こうして見るとどちらが主役か判らない程良く映えています。

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赤のチューリップの密植の中に、なぜか一本だけ黄色の花が混じっていました。これって、球根を仕分けた時に混じったのでしょうか。それとも意図的なものなのか。どちらにせよ、とてもインパクトのある光景で、意図的なものとすればなかなか洒落た演出だと思います。

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ガーデンミュージアムは、入園料が1000円と高めなのが難点になっています。ただ、その分一度入ればその日の出入りは自由で、例えば行きと帰りにそれぞれ中を通っていく事が出来ます。同じ庭でも朝と夕方では見え方が全然違い、印象がからっと変わってしまうものです。ですから、比叡山に行かれる事があったら、時間帯を変えてガーデンミュージアムの中を歩いてみる事をお勧めします。きっと一度では見えなかった景色が、目の前に現れてくると思いますよ。


2008年5月 3日 (土)

京都・洛北 ガーデンミュージアム比叡

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大型連休の後半の初日となる3日は、毎年恒例となっている比叡山へと出掛けてきました。

我が家の場合、比叡山には叡山電鉄からケーブルカー及びロープウエイ経由で登るのですが、その際にまず訪れるのはガーデンミュージアム比叡となります。ここは冬の間は閉鎖されているのですが、そのぶん春を迎えると沢山の植物が一斉に花開き、文字通りの花園が現出するのです。

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毎年この花園を楽しみに訪れているのですが、今年もまた見事な花が咲き揃っていました。やはりチューリップが中心となりますが、マーガレット、アネモネ、ネモフィラ、ビオラなど、数多くの花を見る事が出来ます。無論でたらめに咲いているのではなく、それぞれの花がお互いに引き立て合う様にコーディネイトされている訳で、園内に溢れる色のハーモニーが実に楽しいですね。

今年の比叡山は昨年の様なハプニングに見舞われる事も無く、天候にも恵まれて思い通りに過ごす事が出来ました。明日以降、初夏を迎えた比叡山の様子をレポートして行きたいと思っています。まずは速報まで。

2008年5月 2日 (金)

京都・洛北 京都府立植物園~初夏の花~

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今の時期、植物園で最も印象的な花はチューリップですね。桜時分には早咲きのレッドエンペラーが見事な赤色を見せてくれていましたが、先週末(4月26日)に訪れた時は遅咲きの品種が盛りを迎えていました。

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一口にチューリップと言っても沢山の花色があるもので、澄んだ赤色やパステルカラー、紫かがったピンクなど、まさに色の洪水ですね。

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そんな派手やかな世界とは打って変わって、日本的な渋い美しさを持った花もあります。中でもこの藤などはその代表格でしょう。盆栽にして、これだけ花穂が垂れるというのも珍しいのではないでしょうか。ただ先週の時点で盛りを過ぎていた様なので、今頃は花が終わっているかも知れません。

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もっと渋いけれども、貴重な花も咲いていました。この花はクマガイソウ。日本に自生するランの一種で、その独特の姿から山野草ファンに人気があります。平家物語に出てくる源氏方の武将・熊谷直実にちなんだ命名で、花の姿が彼が背負っていた母衣に似ているところから名付けられました。

良く似た姿のアツモリソウと対で語られる事が多く、一ノ谷の合戦における悲劇として語り伝えられる直実と平敦盛の一騎打ちになぞらえられており、より優しい姿の方の花をアツモリソウと名付けたと言われています。

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さらに地味になりますが、この花はウラシマソウと呼ばれています。サトイモの仲間で、なんとなくカラーの花にも似ていますよね。ウラシマソウの名の由来は、花から突き出た糸状の突起にあり、これを浦島太郎が持っている釣り竿に見立てた様です。

この植物がユニークなのは、花の見かけだけではありません。この花には雄花と雌花があるのですが、小型の個体の間は雄花が咲き、そして大きな個体になると雌花が咲くという、性転換をする性質を持った植物なのですね。

こういう面白い植物なのですが有毒草で、うっかり口にすると嘔吐や腹痛といった症状に見舞われる様です。その一方で薬草としても利用されており、一筋縄ではいかない様々な側面を持った植物だと言えそうです。

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この何と形容すれば良いのか判らない花はユキモチソウです。花にくるまれた白い球体を雪玉に見立てたものなのでしょう。この花もサトイモ科で、ウラシマソウよりさらにカラーに似ていますね。

この白い球体やウラシマソウの糸状の突起は付属体と呼ばれるもので、本来の花にくっついている別の組織というくらいの意味なのでしょうか。この付属体も無意味に存在するはずはなく、なんらかの意味を持っているはずと考えられているのですが、まだその役割は解明されていない様です。本当に何の役に立っているのでしょうね。

この三種の山野草は、今では自然の中で見る事はほとんど出来なくなっているらしく、特にユキモチソウとクマガイソウは絶滅寸前とまで言われています。その原因は山野草ブームを背景とした乱獲にあり、自生地が一般に知られると、あっと言う間に獲られてしまうそうですね。これは植物園でも例外ではなく、過去何度となく盗掘に遭っている様です。

モラルの低下と言いますか、こうした花は現地で見るからこそ良いのであって、都会の庭先で見ても興趣は半減してしまう事でしょう。何より栽培技術が難しく、大抵は枯らしてしまう様ですね。これから自生地を復活させるのはなかなか困難でしょうけど、せめて植物園の花だけでもそっとしておいて欲しいものだと思います。

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この日は天気が良く、大芝生地では沢山の人達が寛いでいました。連休後半も好天が続くと言いますから、お弁当持参で訪れてみられてはいかがですか。青空の下、花に囲まれて摂る食事は、素晴らしく美味しいものですよ。

2008年5月 1日 (木)

京都・洛北 ハナミズキ~京都府立総合資料館~

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桜が終わったこの時期、町を彩るのはハナミズキです。以前は珍しかったと思うのですが、今では庭木として、そして街路樹として数多くの木が植えられ、華やかな色合いで楽しませてくれています。

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そんなハナミズキですが、まとまって咲いている場所というのは案外少ないですよね。街路樹として並木になっている場所もありますが、やはり剪定をされてしまうと花数が少なくなってしまいます。そんな中で、京都府立総合資料館の前庭は、素晴らしいハナミズキの花で埋め尽くされていました。

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実際、これほど見事にハナミズキが咲いている場所は、他には見た事がありません。きっと何年も掛かって、丹精込めて管理されてきたのでしょうね。資料館でもハナミズキのPRをしていますが、なるほどこれほどの花なら広く知って貰いたいという気持ちも判ります。

一つだけ留意しておくべきなのは、ここは資料館の駐車場になっており、車の出入りには十分注意が必要だという事です。自分の身の安全を確保すると共に、本来の利用者に迷惑を掛ける事がない様にしなければなりません。三脚などは厳禁でしょうね。

この写真を撮ったのは4月26日の事なので、今は少し盛りを過ぎてしまった頃かも知れませんが、一見の価値は十分にありましたよ。それに今はツツジの花が見頃になっているようです。北山通に行かれる事があれば、ちょっと覗いてみられてはいかがですか。

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ねこづらどき

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