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2007年7月

2007年7月31日 (火)

京都・洛東 黄昏時 ~下河原通~

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石塀小路を西に抜けると、そこは下河原通。個々にはお茶屋の名残を示す風情のある家があるけれど、全体としては雑然としていて、あまり絵になる道ではありません。

それでも黄昏時は別。遠くに八坂の塔が見えて、素敵な町並みに感じます。

それにしても、電柱が邪魔ですよね。電線が無ければ、もっと絵になる景色なのですけどねえ。ちょっと残念です。

2007年7月30日 (月)

京都・洛東 夏の石塀小路

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夏の石塀小路は、暑いばかりで今ひとつ風情がありません。でも、夕暮れ時は別、日が西に傾くと共に涼しげな風が吹いてきて、ほっとした気分にさせてくれます。

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ここもさすがに八坂神社のお膝元だけあって、祇園祭の提灯と幔幕を張り巡らせた家が散見されます。これも京都ならではの夏の景色の一つでしょう。

蝉の声だけが響く黄昏時の小径を歩いてみるのも、京都の夏らしくて良いかも知れませんよ。

2007年7月29日 (日)

京都・洛東 夜顔 ~花見小路~

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祇園祭が行われている7月の間中、京都ではそこかしこで祭り提灯を目にします。ここ祇園花見小路の一力亭では、高張り提灯が高々と掲げられていました。

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その一力から少し西に入った小路で、夜顔を見つけました。

まだ咲いたばかりで香りはありませんでしたが、時間と共に芳香を発し、道行く人が足を止める事でしょう。あっ、そうやって客を店に呼び込もうという算段もあるのかしらん?

どこか妖しい白い花は、祇園の夜には何より似合う花かも知れません。

2007年7月28日 (土)

京都・洛東 神輿洗式 ~祇園祭~

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祇園祭の掉尾を飾る行事、神輿洗式が行われました。7月1日の吉符入りから始まった祇園祭も、この神輿洗式が終われば29日の神事済奉告祭、31日の疫神社夏越祭を残すのみであり、大々的な神事はこれが最後となります。

写真は3基の御輿の内の中御座が舞殿から運び出されたところで、この神輿が四条大橋に行き、神輿洗式を受ける事になります。

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残る2基の神輿は一足先に役目を終えて、保管庫に戻されました。一見小さく見える神輿も実は2トン以上あるそうで、神輿の運用にはかなりの危険を伴います。この時も担ぎ上げる際のわずかなタイミングのずれから大きく傾き、ひやりとさせる場面がありました。

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祭りの熱気に包まれた7月も、もうすぐ終わりを告げます。宴の後を予感してか、夏の盛りの夕暮れは、どこか少し寂しげですね。

2007年7月27日 (金)

京都・洛東 尺八根本道場~明暗寺~

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東福寺の参道を歩いていると、明暗寺という表札を掲げた寺があります。そして同じ表札には尺八根本道場と書かれており、ここが尺八の総本山である事が判ります。

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いま尺八と言えば楽器の一種なのですが、元来は宗教上の法器でした。お経を詠む代わりに尺八を吹くという宗派・普化宗が存在したのですね。門内に入ると吹禅と書かれた大きな石碑があります。普化宗は禅宗の一派とされ、座禅の姿勢で尺八を吹き、悟りの境地に入る事を吹禅と呼ぶのだそうです。

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ところがよく調べてみると、この寺は善慧院という東福寺の塔頭であり、明暗寺という寺はおろか、普化宗という宗派そのものの存在があやふやなのです。

普化宗は江戸時代に全盛期を迎え、虚無僧という集団を抱えて江戸幕府に接近し、隠密として全国に散って幕府を陰から支えたと言われます。このため、明治政府になってからはその存在を疎まれ、やがて解散へと追い込まれたのでした。

その後、音楽としての尺八は綿々と伝えられ、やがて明暗寺教会が設立されます。戦後に至り、明暗寺教会は晴れて宗教法人として認められたのですが、宗派と呼べるほどの規模はなく、善慧院を間借りして本部としているという図式の様ですね。

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かつて京都に存在した明暗寺は普化宗の総本山の一つであり、善慧院から出た覚心上人の弟子・明普が開いたと言われます。その縁から、善慧院は明暗寺教会の本部をここに置く事を許している様です。表の表札だけを見れば、母屋の善慧院よりも間借り人である明暗寺の方がずっと目立っているのですけどね。

今はあまり虚無僧の姿を見かける事はありませんが、時代劇の中で見るスタイルは、たいてい明暗と書いた箱を抱えています。いかがわしい虚無僧が横行した中で、自分は由緒ある明暗寺の系譜の中に居る者だという事を示すためなのでしょうね。

時代劇の中でしか知らない虚無僧が、ここにはまだちゃんと生きています。それ確かめるだけでも、ここを訪れる値打ちがある様に思えます。

またトラブルだ

ココログの長いメンテナンスが終わったと思ったら、またトラブルです。どういう訳か右サイドバーが落ちたまま通常に表示されません。設定を色々触ってみたけれども元に戻らない。バージョンアップとやらで仕様が変わったせいかしらん?そんな情報どこにも書いてないと思うけど...。

申し訳ありませんが、コメント、トラックバックの確認および過去ログの閲覧については、一番下までスクロールをして見て頂くようお願いいたします。

(それにしても、なんでココログはメンテナンスの度におかしくなるのかなあ。本当に困ったものです。)

2007年7月26日 (木)

京都・洛東 九山八海の庭 ~東福寺塔頭・霊雲院~

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東福寺塔頭の霊雲院は、他の塔頭と違って路地の奥にある寺なので、東福寺に行った事があったとしても、どこにあるのか知らないという人が多いかも知れません。創建は1390年(明徳元年)の事で、当初は不二庵と称していました。

第七世となった湘雪和尚は肥後熊本の人で、時の藩主であった細川忠利と親交があり、その子光尚は和尚に帰依していました。和尚が霊雲院の住職として迎えられる事になった時、細川家では500石の寺領を贈ろうとしたのですが、和尚は財産は禅の修行の邪魔になるとしてこれを断り、代わりに庭に置く貴石を贈ってくれれば寺宝として大切にしようと申し出ました。

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そこで細川家が贈ったのがこの遺愛石で、須弥山を象った須弥石とそれを乗せる石船からなります。霊雲院の庭はこの遺愛石がある珍しい庭園として都林泉名所図絵に紹介されていたのですが、他の禅宗寺院と同様、廃仏毀釈を経て明治以後はすっかり荒廃してしまいました。

これを復興したのが重森三玲氏で、遺愛石を中心に九山八海の庭として整備しました。「九山八海」とは須弥山世界の事で、この世は九つの山と八つの海からなっているという世界観を表しています。そしてその世界の中心にあるのが須弥山で、まさしくこの遺愛石そのものという訳ですね。

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書院の西にあるこの庭は臥雲の庭といい、空を漂う雲と大地を流れる川を表しています。一見して同じ東福寺の塔頭である龍吟庵の庭園とよく似ており、赤い色を枯山水に取り入れているところも共通しています。いかにも重森氏の作庭である事が判る造りですね。

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そして、庭の奥にあるこの石組は滝を表していますが、巨石の下に小板石を敷き詰めて波立つ水を表現しているのが判ります。この手法は真如院の庭園と共通しており、重森氏独自の作庭法の一つと言えるのでしょうね。

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臥雲院は、幕末においては西郷隆盛と月照の密議の場所ともなったそうです。清閑寺が二人の密会の場所として知られていますが、ここもその一つであった事は初めて知りました。

また、日露戦争においては、ロシア人捕虜の収容所となったという歴史もあります。東福寺全体で1500人、そのうち50人が臥雲院で寝起きしていました。捕虜には大幅な自由が認められており、彼らはその本国における職業を生かして共同生活を営んでいたそうです。現在の臥雲院には捕虜が作ったバラライカなどか展示されており、当時の様子を彷彿とさせてくれます。

この寺を訪れると、まだまだ知らない歴史が残されていると実感しますね。何度も訪れている東福寺でさえこれなのですから、京都全体では計り知れない奥深さがある事は間違いありません。

2007年7月24日 (火)

ココログメンテナンスのお知らせ

いつも当「ねこづらどき」を訪れて頂きありがとうございます。

さて、当ブログが利用しているココログのメンテナンスが、7月24日午後9時から翌25日15時にかけて実施されます。このため、この時間帯においては、コメントおよびトラックバックの受付が出来ませんので、あらかじめご了解頂くようお願いいたします。

また、更新についてですが、メンテナンス直後はアクセスが集中し、トラブルが頻発する事が懸念されるため、25日の更新は見送り、翌26日からとさせて頂きます。

26日は東福寺塔頭の「霊雲院」をお届けする予定。重森三玲氏の手による一風変わった枯山水の庭のレポートですよ。

京都・洛東 雪舟寺~東福寺塔頭・芬陀院~

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室町時代の禅僧にして水墨画を大成させた事で知られる雪舟ゆかりの寺が東福寺にあります。その名を芬陀院(ふんだいん)と言い、通称「雪舟寺」として世に知られます。


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芬陀院は鎌倉時代末期にあたる元享年間(1321~1322)に、時の関白一条内経の発願により、定山祖禅和尚を開山として創建された寺です。雪舟との関係は、雪舟が幼少の頃に暮らした備中の宝福寺が東福寺の末寺にあたり、特に芬陀院の住職を宝福寺から招いた事から縁が出来た様ですね。雪舟は東福寺に来る事があると、必ずこの芬陀院で起居していたと寺伝には伝えられているそうです。

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雪舟寺の名で呼ばれるのは、この庭(南庭)が雪舟作と伝わるところから来ています。画聖と謳われる雪舟ですが、作庭の例は少なく、特に近畿地方ではここだけなのだそうですね。作庭の時期は応仁の頃とされ、関白一条兼良の依頼に依るものといわれます。

この石庭は京都最古とされているのですが、確かに他の庭園では見かけない独得の形式になっていますね。右の二段組の亀島は、やはり雪舟作と伝わる島根県益田市の万福寺の石組と酷似していると言われます。

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こちらは東庭で、この石組は同じく雪舟作といわれる山口市の常栄寺の石組と共通するものがあるとされます。これらの共通点が、雪舟作の庭である事の傍証となっているそうですね。

この庭は度重なる火災などによって一時期荒廃していたのですが、昭和12年に重森三玲氏の手で復元され、現在に至っています。

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東庭の奥に見えるのが図南亭と呼ばれる茶席です。一条家第14代の当主であり、茶道に通暁していた一条恵観(1605~1672)ゆかりの茶席で、惜しくも宝暦年間に焼失してしまったのですが、昭和44年に復元されました。

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図南亭の南には、恵観ゆかりと伝わる曲玉の手水鉢と屑屋形灯籠が残されています。さりげなく置かれているだけなのですが、良く見るとどちらも侘び寂びの利いた逸品である事が判ります。

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この雪舟寺は一時もて囃された時期があった様に思うのですが、現在では訪れる人も希らしく、受付も無人になっていました。お金を自分で入れてパンフレットを受け取るという方式で、拝観料が決まっている寺院としてはちょっと珍しいですね。

緑の深い庭を眺めていると、とても静かな時間が流れていきました。雪舟と名は付いても水墨画がある訳ではありませんが、心ゆくまで庭を観賞したいと願う人にはお勧めの場所だと思います。


2007年7月23日 (月)

京都・洛東 桔梗終焉 ~天得院・智積院~

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長く続いた梅雨の終わりと共に、桔梗もまた盛りを過ぎようとしています。

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桔梗の寺として知られる東福寺塔頭の天得院では、7月16日で桔梗鑑賞の特別拝観を終え、21日現在ではわずかに玄関で咲いている花だけを見る事が出来ました。

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一方、参道に植えられた桔梗が見事な事で知られる智積院でも、花の盛りは過ぎていました。

どういう訳か、ここの桔梗は一時期よりも全体に勢いが落ちている様な気がします。庭植えの桔梗は数年で更新が必要だと言われますが、ここもそんな時期に来ているのでしょうか。

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桔梗は秋の七草の一つとされ、花は9月の末頃まで咲き続けますが、本当の盛りは梅雨の時期とほぼ重なります。これからは沢山の花が咲き揃う姿は見られませんが、こうして一輪、二輪と咲いている姿もまた悪くはありませんよ。それこそ、秋の七草と呼ぶにはふさわしい姿かも知れません。

2007年7月22日 (日)

京都・洛東 蓮見頃~智積院~

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京都・東山七条にある智積院では、蓮が見頃を迎えています。

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ここは小さな蓮池なのですが、かなりの数が咲いており、それを目の前で見られるのが魅力です。

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蓮池は2カ所に別れていて、東側の池で見られるのが八重咲きの花です。八重咲きは法金剛院でも咲いていましたが、やはり豪華な感じのする花ですね。

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蓮といえば浄土に咲く花。そこでちょっといたずらをしてみました。まずはピンクで染めて浄土の雰囲気をだしてみたのですが、それらしく見えますか?

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こちらは、花が宙に浮かんでいるかの様に写してみたのですが、こっちの方が仏土らしく見えるかな。

智積院ではつぼみが次々に上がっており、これから暫くは見頃が続きそうです。名所という程ではありませんが、拝観料も不要で気軽に入れる場所にありますから、一度訪れてみられてはいかがでしょうか。

(平成19年7月21日撮影)

2007年7月21日 (土)

京都・洛東 蓮開花~東福寺~

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京都・東福寺の蓮が咲き始めています。蓮は三門の南にある放生池で咲いており、そう数は多くないのですが、とても美しい色合いが印象的でした。

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ここでちょっとした驚きだったのは、カワセミが居た事です。恐ろしくすばしっこい鳥で、あっという間に目の前を飛び去ってしまったのですが、「渓流の宝石」の異名通り実に鮮やかな体色をしていました。

でも、カワセミはかなりあわてん坊の鳥の様ですね。何度か池の上を往復した後、何を思ったのか三門に向かって飛んで行き、壁に激突してしまったのです。白壁が池面に見えたのかしらん?その後、大慌てで方向を変え、木立の中に消えていきました。

とんでもないスピードだったのでカメラには納められなかったのですが、とても印象的な出会いでしたよ。

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通天橋の入り口では、鉢植えの蓮が拝観する人を出迎えてくれます。

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こちらは清潔感溢れる純白の花。修行の場である禅寺には、ふさわしい花という気がしますね。

2007年7月20日 (金)

京都・洛東 黄槿 ~東景寺~

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以前紹介した下河原の東景寺で見つけた黄槿(ハマボウ)です。

ぱっと見、黄色の木槿かと思ったのですが、葉の形が全然違います。ハイビスカスとも違うし何だろうと思っていたのですが、やっとハマボウと判りました。その名のごとく、主として海岸近くで咲く花の様ですね。

私は初めて見たのですが、なかなか綺麗な花ですね。庭木としても使われるとの事なので、探せば案外あちこちにあるのかも知れません。

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こちらは、通りに面して咲いていた木槿です。この花はこれからが盛りですね。

門前のサルスベリはまだ蕾みでしたが、やがて木槿と共に夏の下河原界隈を鮮やかに彩ってくれる事でしょうね。

2007年7月19日 (木)

京都・洛東 雨の日・八坂の塔

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二年坂を横目に、八坂通を下りてきました。通称「夢見坂」と呼ばれるこの界隈は、かつての花街の面影を残します。濡れた石畳と古塔がよく似合ってますね。

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そして、こちらは塔の下商店街からの光景です。他府県の人を案内して来て意外に思われるのは、このあたりが生活臭の溢れる下町であるという事。以前に比べれば観光客相手の店も増えて来てますが、焼き魚の臭いがぷうんと漂ってくると、急に現実世界に引き戻されます。

でもね、それがここの良いところなのですよ。本来の京都は140万市民が暮らす大都会。千年の歴史の中で、町衆と共に発展してきた町です。ですから、庶民の生活と社寺が解け合っているのがむしろ自然なのです。その事を端的に示しているのがこの界隈という訳で、むしろずっとこのまま変わらずにいて欲しいという気がしています。

2007年7月18日 (水)

京都・洛東 雨の三年坂

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雨の三年坂。濡れた階段は滑りやすく、道行く人も慎重ですね。

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石畳には雨が似合う、と思います。特にこの古い佇まいには、しっとりとした情緒がぴったりと来ますね。

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さらに二年坂近くの八坂通。ここの曲がり具合が良いと思い撮りに来たのですが、良く見ると何か変です。あれれ、石畳が無くなってアスファルトになっている!

恐らくは工事の途中で、石畳は一時的に撤去されているものと思われますが、それにしても無粋な光景ですね。この界隈の石畳のありがたさが改めて判った様な気がします。

2007年7月17日 (火)

京都・洛中 祭りの宵に ~鴨川~

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今日は祇園祭のハイライト、山鉾巡航です。去年は大雨に祟られてしまいましたが、今年はなんとか保った様ですね。

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写真は宵々山の日の鴨川の様子。前日に降った雨のせいでずいぶんと増水していましたが、危険を感じる程ではなく、大勢の人が夕涼みに訪れていました。一休みをして、これから宵宮に出かけるところなのでしょう。

祭りの宵は、町全体が浮き浮きしてる様な気がします。

2007年7月16日 (月)

京都・洛中 祇園祭宵々山2007

台風が通り過ぎたと思ったら今度は今度は大きな地震がありましたね。散々な連休となってしまいましたが、被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。

今京都で行われている祇園祭は、災厄を取り除く為のお祭りです。願わくば八坂の神にあやかって、これ以上被害が広がりません様に。

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平成19年7月15日の京都は前日までの台風の影響も無くなり、青空こそ見えないものの、まずまずの日よりとなりました。宵宮が3連休と重なった事から、あらかじめ予想されていたとおり凄まじい人出となりました。宵々山に訪れた人は、雨に祟られた昨年の2倍近い37万人に上ったとの事です。

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今年は四条通から行ったのですが、御旅所の前あたりではまだ余裕で歩けました。この御旅所とは四条寺町にあって、祇園祭の間八坂神社の神をお迎えする場所の事を指します。

川端康成の「古都」では、宵山の夜に、ここで七度まいりをしていた苗子と千恵子の姉妹が出会うという設定になっています。祭りの風情が溢れる、「古都」の中でもとりわけ印象的な場面ですね。

この七度まいりとは、この御旅所の神前を起点にして少し離れては戻ってきて拝み、それを七度繰り返すと願い事がかなうという風習で、その間は誰に会っても口をきいてはいけないと作品中にはあります。

一方、本来の無言参りは祇園や宮川町の舞妓・芸妓の間に伝わるもので、御輿が奉納されている17日から24日にかけて毎日願掛けに訪れるものとされており、「古都」に出てきた七度参りとは少し違う様ですね。

作品に描かれた七度まいりは、これとは別に町衆の間に伝わっていたものか、もしかすると作者に依る創作だったのかも知れません。八坂の神様は御輿に乗って来られるのであって、宵山にはまだここには来てない訳だから...、などと考えるのは無粋に過ぎるというものかな。

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四条通を歩いていて最初に出会う鉾は、烏丸通の手前にある長刀鉾になります。この日、一番混んでいたのはこのあたりで、ほとんど停滞と言って良い状態になってました。やはり初めて見る鉾という事なのでしょう、立ち止まって写真に納めようという人が多かったせいの様ですね。

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あまりの混雑ぶのりのため、我が家では全部を廻る事はあきらめて、祭りの風情だけを味わう事にしました。そのため、出来るだけコンパクトにルートをまとめるべく、新町通りと室町通りは避けて、その間にある路地のような道をたどります。その抜けた先にあるのがこの霰天神山。

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ここは昨年も訪れたところで、火除けの神様としての天神が祀られています。そして、町会所の中では子供達が「雷除け火除けのお守りはこれより出ます。」と元気な声で歌いながら、粽を売っていました。宵山の鉾町の各所で聞く売り子歌ですが、この霰天神山がその発祥の地とされている様ですね。

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町会所の入り口にはたいてい行列が出来るのですが、何のための行列か判らず、奥に入ってから粽を売っているという事に初めて気付く人も多かったですね。

これが御本尊の天神様をお祭りする社で、道真公の梅の御紋が入っています。そして神前では「ろうそく一本献じられましょう」と男の子達が歌いながらろうそくを勧めていました。

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山伏山のご神体は、昔八坂の塔が傾いた時に、法力によって立てなおしたという浄蔵貴所が、修験者として大峰山に入る時の姿とされます。その山伏山では今年初めて町会所が公開されていました。

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町会所では山を飾る水引や胴掛けなどが展示されています。、普段はあまり目にする事がない細部の模様などが判って、なかなか興味深かったですよ。また、町会所の奥では、ここでも粽などの祇園祭グッズが売られています。

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最後に訪れたのが橋弁慶山。コンパクトにまとめたつもりでも、ここに来るまでに2時間近く掛かっています。やはり四条通で費やした時間が大きかった様ですね。

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ここも昨年訪れているところですが、通りから見上げるご神体はドラマ性に溢れていて、何度来ても見応えがあります。

今年はかなり地味な宵々山巡りとなりましたが、それでも祭りの熱気と風情を味わうには十分で、京都の夏の夜を存分に楽しむ事が出来ました。今日の宵山もまた、より一層多くの人で賑わう事でしょうね。

2007年7月15日 (日)

京都・洛東 雨の日・清水寺

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大型台風が来るというので戦々恐々としていた京都でしたが、幸いな事に大した事もなく通過して行きました。祇園祭の関係者は提灯を外したり、山建てを延期したりで大変だった様ですね。でも、おかげさまで、今日、明日と宵宮を楽しむ事が出来そうです。

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それにしても今回の天気予報の外れっぷりときたら、ちょっと酷いですね。今日は暴風雨のはずが曇りですし、明日以降は梅雨空が続くはずが一転して梅雨明けをしてもおかしくない好天続きになっています。これほど極端に変わるのも珍しいのでは...。

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当ねこづらどきでも、雨続きを予想して雨にちなんだエントリーを予定していたのですが、ここ暫くは夏空にそぐわない内容になってしまいそうです。うーん、困ったもんだ...。

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この日の清水寺は、台風の接近が予想されていたせいでしょう、いつもの日より大幅に人出は少なかったです。それでもそれなりの賑わいをみせているのはツアー客が居るからで、特に中国、韓国からの団体客が多い様でした。せっかく海外から来た以上、おいそれとは予定を変える事は出来ないでしょうからね。

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でも、かんかん照りの夏空と、うっとうしいけれどもしっとりとした雨の日とでは、どちらが良いかは微妙なところですね。景色だけを取ってみるならば、京都の雨の風情を外国の人に見て貰えたのは良かったかも知れないとも思えます。

水墨画の先人である中国の人にこの景色がどう写ったか、ちょっと聞いてみたい気もしますね。

2007年7月14日 (土)

京都・洛東 大谷道 ~清水寺への道~

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清水寺へ歩いて向かう道としては、三年坂を経由するルートが最もポピュラーでしょうね。次いで五条坂、清水道の順でしょうか。裏道的には清閑寺から下りてくるというルートもありますね。

実は清水寺には、これらの道とは異なるもう一つの道が通じています。それが大谷道。その名が示すとおり、西大谷の北側から始まり、鳥辺野を経て、清水寺の境内へと抜ける小径です。

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大谷道の始まりである西大谷の池には蓮が植えられており、毎年夏になると見事な花を咲かせます。今年もそろそろかと思って見に行ったのですが、意外にもまだ数輪が咲き始めたばかりでした。見頃までにはもう少し時間が掛かりそうですね。

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橋の上から眺めると、折からの雨を受けて蓮の葉に水玉が出来ていました。

蓮の葉は、その微細構造と科学的性質から、決して濡れる事は無いのだそうです。そして、表面に降った雨は水滴となって転がり落ち、その際にゴミや害虫を一緒に洗い流してしまうのだそうですね。これをロータス効果というのですが、ナノテクノロジーの世界では、結構注目されている技術なのだそうです。

蓮の葉の露を集めて墨をすると書が上達すると言われますが、それが最新のテクノロジーと結びついているとは面白いものですね。

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大谷道は鳥辺野墓地へと通じる道でもあります。それ故、観光客はめったに通る事はなく、時折墓参りの人とすれ違う程度の静かな小径です。

沿道にはいくつかの寺があるのですが、その一つの本寿寺の境内では蓮が咲いていました。雨のせいか形は崩れていましたが、とても上品な色合いの綺麗な花でしたよ。でも、ほとんど人に見られる事もなく、人知れず朽ちていくのでしょうね。ちょっともったいないなという気もします。

本寿寺を過ぎると、大谷道は全くの墓地の中の道になってしまいます。初めてだと道を間違えたかと不安になる事でしょうね。しかし、それもごく短い間の事で心配は要りません。すぐに清水寺の境内へと抜る事が出来ます。

この道は沿道に土産物屋の一軒も無いので、誰にでもお勧め出来るという訳ではありません。しかし、清水寺門前の混雑には辟易するという方は、一度通ってみると良いでしょう。とても同じ場所を目指しているとは思えない程、静寂に満ちた道ですよ。


2007年7月13日 (金)

京都・洛東 めやみ地蔵 ~仲源寺~

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四条大橋から東に向かい、縄手通を渡っすぐのところにあるのが仲源寺、通称「目疾(めやみ)地蔵」です。一日中人通りが絶えない繁華な場所にあるのですが、地元の人以外には案外知られていない寺かも知れません。

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この寺は浄土宗に属し、創建は鎌倉時代に遡ります。

1228年(安貞2年)に鴨川が氾濫したとき、時の防鴨河使勢多判官為兼が、地蔵菩薩のお告げのおかげで洪水を防ぐ事が出来ました。その御礼にとこの地に地蔵堂を建てて「雨止地蔵」と名付けたのが始まりとされます。

のち、雨止が目疾に転じて眼病の治療に霊験があるとされたことから、目疾地蔵と呼ばれる様になりました。

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仏師湛慶の作と伝わる御本尊の地蔵菩薩です。ガラス戸越しの対面になるのですが、昼間は室内が暗くてまともには写りません。そこで、夜を待って撮らせて頂きました。ちなみに提灯の文字が反転しているのは、ガラスに映り込んでいるからです。

ふくよかなお顔の中にも、眼光鋭く感じるのは照明のせいだけでしょうか。この鋭い目があったからこそ、目疾地蔵と呼ばれる様になった様な気がします。

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この寺にはもう一つ、千手観音菩薩像が伝わります。いわゆる丈六仏の座像と言われる大きさで、すぐ間近で対面すると圧倒的な存在感があります。平安期の作とされ、重要文化財に指定されているのですが、街中でこんな凄い仏様と何気なく対面出来るのは、京都広しと言ってもこの寺ぐらいかも知れません。

落陽三十三観音霊場の第十六番札所とされ、仲違いした男女の関係を修復するという御利益もあるそうです。大切な人と喧嘩してしまった時には、ここにお参りしてみると良いかも知れませんよ。

2007年7月12日 (木)

京都・洛中 猫寺 ~称念寺~

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西陣の地に猫寺と呼ばれる寺があると聞き、北野天満宮に向かう途中に立ち寄ってみました。

その寺は称念寺といい、浄土宗知恩院派に属します。西陣の町並みに埋もれた様な寺で、細い道をくねくねとたどった先にようやく見つけました。慣れた人だともっと簡単に行けるのでしょうけど、わかりやすい目標がないため、初めての人はきっと迷う事でしょうね。

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猫寺というくらいだから、さぞかし沢山の猫が屯する猫屋敷の様なところだろうと思っていたのですが、全然違っていました。猫寺とは寺の歴史から生まれた俗称だったのですね。

称念寺は、慶長11年(1606年)に松平信吉の帰依を得て、 嶽誉上人によって開基されました。信吉は徳川家康の異父妹の子にあたり、その縁から寺は三つ葉葵を定紋とするなど、順調な寺運に恵まれたかに見えました。ところが三代目の還誉上人の頃になると松平家とは疎遠になり、寺はすっかり荒廃してしまいます。

ある名月の夜、還誉上人の愛猫がお姫様に化身して、本堂の縁側で舞いをまっていました。これを見た上人は腹を立て、猫を追い出してしまいます。ところが数日後、猫が上人の夢枕に立ち、松平家との復縁を告げます。その後、お告げのとおりに松平家との関係は修復し、寺は再び隆盛の時を迎えました。この伝説により「猫寺」の愛称が生まれたと言われます。

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本堂の前の松はその愛猫を偲び、伏した猫の姿になぞられて植えられたもので、そのいわれから猫松と呼ばれます。一本の太い枝が横に伸び約20mにも達するのですが、やはり松にとってはかなりの負担らしく、幹がぱっくりと割れた様になっていました。沢山の支柱で支えられているので大丈夫なのでしょうけれど、ちょっと痛々しかったですね。

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境内には期待に反して猫は1匹も居ませんでした。ちょっと気落ちしながら、あちこち探してやっと見つけたのがこの猫のお守りです。称念寺のホームページに依ると、ペットの健康を祈願するためのお守りの様ですね。愛猫・愛犬家の方には良いかも、です。

この猫寺は、ペットの供養をしてくれる寺としても知られます。長年可愛がったペットを、ただ処分してしまうのはあまりに忍びないと感じる人には嬉しいサービスでしょうね。供養は予約制で、合同供養、個人墓などの区別があるそうです。詳しくはこちらを参照して下さい。

2007年7月11日 (水)

京都・洛北 路傍の桔梗 ~平野神社~

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平野神社の前を通りかかった時に、偶然見つけた桔梗です。

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ここは別に桔梗の名所というわけではなく、南門の脇にひと株だけ咲いていたに過ぎないのですが、なぜか心惹かれるものがありました。周囲に雑草がはびこる中にあって、一際美しく見えたのです。

やはりこの花には野の風情が似合うということなのかな。

2007年7月10日 (火)

京都・洛西 夏の花 ~法金剛院~

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法金剛院は花の寺。この時期は蓮が主役ですが、夏の花は他にもあります。

今が盛りなのは桔梗の花。数は多くないですが、受付から庭に向かう通路の脇で咲いています。ここを訪れる人を最初に出迎えてくれるのがこの花なのですね。

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撮っている時はユリの一種だと思っていたのですが、調べてみるとホンカンゾウの様ですね。全草が漢方薬となり、この花やつぼみも食べられるそうです。特につぼみは美味で、心配事を全て忘れるほど美味しい事から忘優草(ぼうゆうそう)と呼ばれ、この花の属名であるワスレグサはここから来ているのですね。うーん、そんなに美味なら、我が家でも栽培してみようかしらん?

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こちらは花ではないけれど、蓮には付きものと言って良いトンボです。池に産卵するためと、蓮に寄ってくる昆虫を捕食するためでしょうか。蓮の葉に止まったこの姿を見ると、夏が来たなという感じがします。

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秋の花というイメージが強いコスモスですが、品種改良が進んだせいか今の時期でもあちこちで咲いています。ここ法金剛院でもまだ一輪だけですが咲いていました。これから秋にかけては、この花が主役となって行きますね。

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既に最盛期を過ぎた花も、まだ少しですが残っています。

ハナショウブはもう終わったと思っていたのですが、数輪ながら咲いていました。盛りの時に来られなかっただけに、嬉しい誤算ですね。来年は一番綺麗な時期に来てみたいと思ってます。

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アジサイもまた、最終盤ながらまだ咲いています。だんだんと色あせた花が多くなっていますが、この花などはまだ盛りですよね。

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これも最終盤に差し掛かった沙羅の花です。真如堂ではもう終わったと伝えられますが、こではまだ咲いていました。根元には沢山の花が落ちていたのですが、あまりに諸行無常すぎて絵にはなりませんでした...。やはり、落ちてすぐの花でないと風情は出ない様ですね。

(平成19年7月7日撮影)

2007年7月 9日 (月)

京都・洛西 蓮咲き始め ~法金剛院~

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京都・花園の地にある法金剛院の蓮が咲き始めました。ここは大きな蓮池があるほか、周囲には鉢植えの蓮も咲いていて、すぐ目の前で花を楽しむ事が出来る様になっています。

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こうやって花の中の花托を覗けるのも鉢植えならではですね。それにしても、蓮の花に来る昆虫は、蜂や甲虫が多い様ですね。あまり蝶が飛んできているのを見た事がないのですが、蝶には魅力がない花なのでしょうか。

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池の中では白い花が咲いています。清楚な花ではあるのですが、葉の大きさに比べて小さいので、あまり絵になるとは言えません。

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それにまだほんの咲き始めのため、ほとんどはつぼみのままでした。これから最盛期を迎えると、また見応えのある景色となる事でしょう。

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色々な花を楽しめるのは鉢植えの方ですね。この花は全体にクリーム色がかっていて、かつ花弁の先がほんのりと紅色になるという、非常に美しい姿をしていました。

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こちらは八重咲きの蓮です。開花してから時間が経っているのかちょっとくたびれていましたが、それでも豪華な見応えのある花でした。

蓮はまだまだこれからが本番です。法金剛院は蓮の寺とも言われるくらいですから、これから夏を通して多くの人で賑わう事でしょうね。

(平成19年7月7日撮影)

2007年7月 8日 (日)

京都・洛北 出町・妙音弁財天

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出町デルタの西岸、出町橋を渡ってすぐのところに小さな鳥居があります。そこが妙音弁財天。京都七福神の一つに数えられる弁天様をお祀りするお堂です。

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この御堂の御本尊である妙音弁財天は、代々伏見宮家に伝えられてきた画像です。江戸時代の伏見宮家は出町の地にあり、弁財天はその屋敷の中に祀られていました。明治維新の際に宮家と共に東京に移されたのですが、出町の住民の誓願によって元に戻され、宮家の跡地に御堂を建ててお祀りされたのです。

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妙音とは優れた音楽の事。ここに伝わる弁財天は琵琶を弾く御姿をしており、芸事の上達にご利益があるとされます。それを示すため為でしょうか、境内には琵琶の演奏(録音ですが)がずっと流れていました。

私が訪れたのは七夕の日で、ここにも笹が飾られていました。さぞかし芸事に関する願い事が沢山綴られているのだろうなと思ったのですが、そうでもなかったですね。弁財天は元々福財をもたらす神様とされており、普通のお願いも叶えて下さる様です。

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ここは鳥居があるので神社かと思っていたのですが、実は相国寺の飛地境内になっているのだそうです。いわゆる神仏混淆の形態を残しているのですね。恐らくは当時はまだ厳密に適用されていた神仏分離の原則をクリアするために、入り口に鳥居を建てて、ことさら神社風に装ったものなのでしょう。なお、相国寺は伏見宮家の菩提寺であり、その関係から相国寺に御護りを依頼したのでしょうね。

実はこの御堂の裏手に六角堂がありそこが本堂とされているのですが、この日はその存在に気付きませんでした。やはり鳥居と同じく神社を装うために、なるべく目立たない様に配慮されているのでしょうか。御本尊の画像は普段は相国寺にある承天美術館に保管されており、年に二回あるお祭り(春季大祭(4月)とお火焚祭(11月))の時にだけ、ここに戻されるのだそうです。

最後の写真は境内で咲いていたベゴニアです。静かな境内にふさわしく、とても上品に咲いていました。


2007年7月 7日 (土)

京都・洛北 七夕祭~北野天満宮~

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7月7日は七夕。この日、七夕祭が行われる北野天満宮を訪れてきました。

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「ひこ星の行あひをまつかささぎの渡せる橋をわれにかさなむ」

菅原道真公が詠まれたというこの歌が、北野天満宮と七夕の結び付きを象徴しているとされます。午前中の行事は「御手洗祭」といい、道真公遺愛の硯や季節の野菜などを神前にお供えして神事が執り行われます。

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午後には地域の子供達が参加する棚機祭(たなばたまつり)が行われます。これは北野天満宮周辺が織物の町として知られる西陣であることから、七夕信仰が根強いところから来ている様ですね。残念ながら今回は時間が合わなくて見ていないのですが、浴衣を着た現代の可愛い織姫達が舞台で踊っていたそうです。

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境内のそこかしこに飾られている笹飾りは、地域の学童、園児達の手によるものなのですね。そして、参拝者には短冊が用意されており、願い事を書いて笹に結び付ける趣向になっています。これは修学旅行生にはぴったりのイベントという訳でしょう、タクシーの運転手さんが次々と生徒達を案内して来ていました。

いろいろな地方の言葉が賑やかに飛び交う中、思い思いに記念写真を撮っていましたよ。きっと京都の良い思い出になった事でしょうね。

2007年7月 6日 (金)

京都・洛西 妙心寺塔頭「桂春院」 

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洛西の巨刹・妙心寺には46の塔頭がありますが、常時拝観出来る寺は飛び地の竜安寺まで含めても4つしかありません。その一つが桂春院です。

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桂春院は、1598年(慶長3年)に織田信忠の次男である津田秀則によって、見性院として開創されました。秀則の死後、今度は美濃の豪族にして徳川家の旗本となった石川貞政が、亡父の追善供養のために方丈、庫裏など主要な建物を寄進し、寺名を桂春院と改めています。

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桂春院には4つの庭があり、冒頭の写真が真如の庭、真ん中の写真が清浄の庭です。

真如の庭は皐月の大刈り込みが特徴で、あまり目立ちませんが杉苔の中に庭石を七・五・三風に配置し、十五夜満月を表しているとされます。訪れた時には皐月の花は散ってしまった後で、満開の頃ならさぞかし見応えがあった事でしょうね。

清浄の庭は奇岩巨石によって滝の流れを表した枯山水とされますが、正直言って庭木が生い茂りすぎていて、石組みの具合が良く判りません...。現状ではむしろこの火頭窓の方が印象的でしたね。

あと、思惟の庭、侘の庭があるのですが、どちらも捕らえ所が無く、私の腕では絵にする事が出来ませんでした...。

また、方丈には狩野山雪が描いた襖絵があるのですが、残念な事にほとんど薄れてしまっていて、何が描かれているのか判然としません。痛んだ床板といい、早急に手を入れた方が良いと思うのですが、資金繰りが難しいのでしょうか。

この寺で一番見事だったのは、もしかすると苔だったかも知れません。方丈からは庭に下りて散策が出来る様になっているのですが、真如の庭の裏に廻ると、木漏れ日を浴びた苔が複雑な模様を描きながら輝いて見えました。

ここの庭は楓樹が多く、きっと秋には見事な紅葉を見せてくれる事でしょうね。紅葉のスポットとしては、意外な穴場かも知れませんよ。

(平成19年6月23日撮影)

2007年7月 5日 (木)

京都・洛中 一本御書所跡 ~平治物語の舞台~

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自転車で下立売通を走っている時、偶然見つけた「一本御書所跡」の石碑です。ここは背景の看板に「あぶら」とある様に山中油店という油商の店先なのですが、かつての平安京の内裏の一角にあたり、一本御書所という役所があった場所と推定されているのだそうです。

一本御書所とは、当時流布された書物を一本(一部)を書き写して保管していた役所で、現在の国会図書館の様な部署だったのでしょうか。

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一本御書所は、平治の乱において藤原信頼が後白河天皇を幽閉した場所として知られています。

崇徳上皇と後白河天皇が争った保元の乱の後、権力の座に座ったのは後白河天皇の側近であった藤原信西でした。もう一人の側近であった藤原信頼はこれが不満でなりません。一方、武家の世界では平氏が台頭し、源氏は著しく退潮してしまいます。

信頼は源義朝と組んでクーデターを起こす事を決意します。彼らがまずした事は、後白河上皇と二条天皇の身柄を押さえることでした。この時代は上皇と天皇が権力の源ですから、この二人を握っている側が正義となるのですね。このとき、上皇を閉じこめた場所が一本御書所だったのです。

上皇と天皇を手中に収めた信頼は信西の追い落としに成功し、自ら権力者として振る舞い始めます。ところが都を留守にしていた平家が熊野から帰還すると、事態は一変しました。平清盛は警備の為と称して御所内に平家の兵士を送り込み、上皇を手引きして一本御書所を脱出せしめたのです。上皇はいったん仁和寺に入り、程なく平家の六波羅邸に入りました。

上皇を失った信頼らに勝ち目はなく、平家の軍勢の前に為す術もなく破れてしまいます。その後源氏は没落し、平家の全盛期が招来する事は周知のとおりです。

後白河上皇を失わなければ、あるいは源氏方にも勝機があったかも判りません。そういう意味では、一本御書所は歴史の転換点となった場所なのですね。

この石碑がどこまで考証されたものかは判りませんが、今まで物語の中にしかなかった一本御書所が突然目の前に現れた様なもので、この石碑を見つけた時は正直言って驚きを隠せませんでした。これだから、京都巡りは止められないのですね。

一本御書所跡は、下立売通知恵光院西入るにあります。と言っても、地元の人で無い限りピンと来る地名ではないでしょうね。以前聚楽第跡として紹介した松林寺・通称「やす寺」の南隣に位置しているので、ある程度の目安になるかも知れません。

2007年7月 4日 (水)

京都・洛中 タイサンボク~京都御苑~

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京都御苑で見つけた、白い大きな花。遠くからでもよく目立ち、近づくと甘い香りが漂ってきます。この花はマグノリア(モクレン科)の仲間、タイサンボクですね。

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モクレンやハクモクレンと違って常緑ですが、花心を見ると同じ仲間であると判りますね。花の形もよく似ている事から、モクレンと間違えられる事もある様です。

漢字で書くと「泰山木」となり、いかにも中国原産の様ですが、実は北米南部原産の植物です。日本に入ってきた時、とにかく大きいという意味で泰山と名付けたのでしょうか。何だかちょっと紛らわしいネーミングですね。

大きなものは高さ20m位にまで育つそうですが、京都御苑のこの木もかなりのものでした。大木に大輪の花が沢山咲いた景色は、なかなか見応えがありましたよ。

場所は御苑の西北、乾御門のすぐ近くにあります。

(平成19年6月30日撮影)

2007年7月 3日 (火)

京都・洛中 桔梗の咲く庭 ~廬山寺~

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御所の東に位置する廬山寺では、桔梗の花が見頃を迎えています。

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廬山寺は紫式部の屋敷跡といわれ、その縁からこの庭は「源氏の庭」と名付けられています。寺のパンフレットに依れば、平安王朝の庭の「感」(かんじ)を表したものとあり、平たく言えば王朝風の庭という事になるのでしょうか。

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ほとんどが青色の桔梗の中に、白の花が少しだけ混じっています。数は少ないですが、かえって白の清潔さが引き立っている様な気がします。

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とても上品で素敵な庭なのですが、桔梗を主体に写真を撮ろうとすると、はたと困ってしまいます。庭に下りる事が出来ればともかく、縁側の上から撮るのでは小さくしか写らないのですよね。松や建物と絡めたかったのですが、どっちが主役が判らなくなってしまい、残念ながら私の腕では上手く行きませんでした。

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玄関の前では、コムラサキの花が咲いていました。一般にはムラサキシキブ(本当は別種なのですが)と呼ばれ、秋には紫色をした沢山の小さな実が成ります。かつて紫式部が住み慣らしたこの地には、これ以上なくぴったりと来る花ですね。

(撮影日 平成19年6月30日)

2007年7月 2日 (月)

京都・洛中 サッカーの神様 ~白峯神宮~

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御所の西、堀川今出川の地に、白峯神宮があります。平成19年6月30日に訪れた時には、ここにも夏越しの大祓のための茅の輪がしつらえてありました。

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この神社の歴史は比較的新しく、発願されたのは孝明天皇でした。その願いとは悲運の天皇として知られる崇徳天皇の御霊をお祀りする事で、神社を創建すべく幕府に命じられたのですが、志半ばで崩御されてしまいました。その後、幕末の争乱の中で計画は頓挫してしまったのですが、明治天皇が父帝の遺志を継ぎ、この地に白峯神社を建てられたのです。ちなみに白峯とは、讃岐にある崇徳天皇の山陵の名から採られたものです。

その後、もう一人の悲運の天皇である淳仁天皇の御霊も淡路からお迎えし、二柱の神として本殿に祀られました。

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そうしたいわれを持つこの神社ですが、今はなんと言ってもサッカーの神様として知られています。本殿を覗けばご覧の通り、ずらりと奉納されたサッカーボールが並んでいます。一番目立つ場所にあるのは、地元京都のパープルサンガのボールですね。昨年はあえなくJ2に陥落してしまいましたが、今年はJ1復帰を目指して頑張って欲しいものです。

しかし、良く見るとサッカー以外のボールも沢山並んでいます。そう、ここはサッカーのみならず球技全般、ひいてはスポーツ全体の神様でもあるのですね。

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この神社がサッカーの神様と言われるようになった理由は、実は摂社の一つである地主社にあります。

ここは元は公家の飛鳥井家の屋敷があった場所でした。飛鳥井家は蹴鞠の宗家であった家柄で、その邸内社として鞠の神様とされる精大明神をお祀りしていました。白峰神宮がこの地に開創された後も地主社として残され、摂社となったのです。

この精大明神が注目を集めたのは、Jリーグ開幕の頃だったでしょうか。サッカーブームの到来と共にサッカーの神様として知られる様になり、サッカー関係者はもちろん、技術の上達を願う選手達の信仰を集める様になったのです。

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その地主社の拝殿にも、数々のボールが奉納されています。中でも1998年のワールドカップフランス大会の公式ボールなどは、ファンにとっては垂涎の的なのではないでしょうか。

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地主社の隣には、蹴鞠碑があります。これは蹴鞠保存会の100周年を記念して建てられたもので、社殿に参拝する要領で拝み、右上の石のボールを一回まわすと技量が上達するとされています。

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そして、ここが蹴鞠の庭。毎年7月7日には精大明神会が行われ、この庭で蹴鞠が奉納されるそうです。

蹴鞠というのは、勝敗を競うのでものではなく、相手に受けやすい玉を蹴る事を基本にしているのだそうですね。名足と言われる人になると信じられない技を持っていたそうで、藤原成通という名人は、清水寺の欄干の上を、鞠を蹴りながら何度も往復したと伝えられます。

そうした穏やかな蹴鞠と攻撃的なサッカーとでは本質的に違うでしょうけれども、いつの日か日本にもサッカーの名選手が現れて、ワールドカップの決勝で活躍する姿を見てみたいものですね。


2007年7月 1日 (日)

水無月 ~出町 ふたば~

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京都において、夏越しの大祓とセットになっているのが水無月です。ういろうの上に小豆を乗せた和菓子で、厄除けの菓子として6月30日に食べるならわしがあります。

この菓子を水無月というのは、氷室の氷と関係がある様です。

平安時代の貴族の風習として、毎年6月1日に氷を食べる「氷の朔日」という行事がありました。これが庶民に伝わると、氷の代わりにういろうを食べる様になったといいます。当時氷室の氷が食べられるのは、貴族という特権階級に限られていましたからね。そして、なぜか6月1日ではなく6月30日の大祓と関連付けされる様になり、魔除けの意味で豆が乗せられる様になったそうです。

つまり、6月の行事に合わせて食べる菓子だから水無月と呼ばれるのですね。実際には6月30日に限らず、夏を通して売られているのですけどね。

今年、水無月を買ったのは出町のふたばです。ブログ界においても有名な店ですね。行列の出来る店として知られていますが、この日は水無月を求める人で、いつもに増して長蛇の列でした。

水無月もずいぶんと食べましたが、ここのはどっしりと歯ごたえがあり、ボリューム感たっぷりで食べ応えがありました。甘さは控えめなのに旨味は十分にあり、人気が高いのもなるほどと頷けます。

写真手前の黒っぽい色の方が黒糖、後ろの白っぽい色の方が普通の水無月です。このほか、抹茶入りの水無月もありました。ちなみに、右にあるのがこの店の名物である豆餅です。ちっょと塩味が効いた、とても美味しい餅菓子ですよ。

どれも一つ160円。どんなに有名になっても、良心的な値段に据え置いてあるのは嬉しい限りですね。


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