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2006年9月

2006年9月30日 (土)

京都・洛中 彼岸花 ~相国寺~

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(大光明寺前)

相国寺は御所の北に位置する臨済宗の名刹です。上立売通が境内の中央を横切っており、境内が生活道路を兼ねているというちょっと珍しいお寺でもありますね。四方から出入りが可能であり、とても開放的な境内になっています。

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その相国寺で、彼岸花が咲いていました。主として咲いていた場所は上立売通を東から入り、大通院を過ぎた右手にある生け垣の中です。

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そろそろ彼岸花も盛りを過ぎる頃と思っていましたが、まだ綺麗に咲いていますね。つぼみも残っていたので、丁度見頃だったのかも知れません。

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相国寺は彼岸花の名所という訳ではありませんが、結構まとまって咲いているのでそれなりに見応えはありました。ほとんど知られていないので、静かにじっくり見られるというのが何より有り難かったです。

(写真は全て平成18年9月30日の撮影です。)

2006年9月29日 (金)

京都・洛東 日暮れ時の花2題 ~清水寺~

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秋分の日の清水寺は、まだ百日紅が花盛りでした。今年は咲き始めが遅かった分、長く楽しめている様ですね。日暮れ時の光線によって深くなった赤い色が、とても印象的でした。

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池の畔に咲いていたもう一つの花、舞妓姿の女性達です。この舞妓体験には、店の男性によるフォローが行われている様子です。ここで傘を差してとか、こっちへこう歩いてとか、細かに指示を出している様に見受けられました。そのせいか、この二人にはちょっと素人離れした雰囲気がありましたよ。こういう演出をしてあげるというのも、一つのサービスのあり方なのかも知れないですね。

2006年9月28日 (木)

京都・洛東 コムラサキの実る道 ~高台寺界隈~

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円山公園から清水寺に向かう途中にある寺が高台寺。以前は鬱蒼とした木立に囲まれていたのですが、近年すっぱりと伐採されて、見晴らしが随分と良くなりました。こんな景色が見られる様になったのは良いけれど、どれだけの木を切ったのかと思うと素直に喜べません。

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その高台寺の境内を貫くように通っている道が高台寺道、通称「ねねの道」。今の季節にここを歩いていると、見事なコムラサキと出会う事が出来ます。

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コムラサキはムラサキシキブと呼ばれる事もありますが、本当のムラサキシキブは山野に生えていてもっと地味な実の成り方をします。実そのものは良く似ているのですけどね。でもこの実を見ていると、源氏物語を書いた紫式部と結びつけたくなるのも無理は無いという気がします。

この上品な色の実は、雅な高台寺の町並みに、とても良く調和していますね。

2006年9月27日 (水)

京都・洛東 みたらしだんご ~みよしや~

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祇園で行列が出来る店と言えば、「抹茶パフェ」の都路里、それにみこの「みたらしだんご」のみよしやでしょう。

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みよしやは、夕方5時開店の小さなお店です。ほとんど軒先と言って良いほどのスペースしかなく、客席というものは存在しません。お持ち帰り専門のだんご屋さんですが、その人気ぶりは素晴らしく、いつも開店直後から行列が出来ています。写真の右端まで行列が伸びると、次の客は横断歩道の左手の柵の辺りに誘導される事になります。通行と隣の店の営業の邪魔にならない様に、かなり気を使っている様ですね。

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だんごは店先で炭火で焼かれており、辺りには香ばしいかおりが立ちこめています。この香りを嗅げば、やっぱり立ち止まらざるを得なくなりますよね。昔は3人で営業されていたのですが、今は5人に増えています。余裕が出来た分、以前は焼き手だったおばあさんが客の誘導に回っていました。

ここの「みたらしだんご」は1本80円。同じ値段でたれを付けただけのものと、きな粉をまぶしたものとが選べます。持ち帰りなら竹の皮に包んでくれ、その場で食べると言えば小さな容器に入れて渡してくれます。やっぱり焼きたてが美味しいので、鴨川あたりへ持って行って食べるのが良いかも、ですね。

閉店は売り切れた時点。いつもどんなもんでしょう、9時台には店じまいを始めているかな。確実に食べる為には、早めに行った方が無難です。

2006年9月26日 (火)

京都・洛東 夜のとばり ~清水から祇園へ~

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秋の日は釣瓶落とし。見事な夕陽に見とれている内に、気が付けば夕闇が迫り、夜の帳(とばり)が降りてきました。清水寺の閉門は午後6時30分。京都の街は次第に闇に包まれようとしています。

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ついさっきまで観光客で賑わっていた三年坂も、清水寺の門が閉じると同時に潮が引いた様に人の気配がなくなります。わずかに灯りをともしていたお店も、この後すぐ店じまいを始めてしまいました。

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三年坂よりも比較的灯りの多い二年坂。でも人通りはほとんどありません。間もなくここも、静寂の中に沈んで行く事でしょうね。

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夜の祇園・花見小路

紫色の変わった提灯は、先代井上八千代の追善の京舞を知らせるためのものだから。供養の為の舞に、派手な色を使う訳にはいかないのでしょうね。

東山が静かに眠りに付く頃、祇園の町は妖しく輝き始めます。

2006年9月25日 (月)

京都・洛東 秋の灯ともし頃 ~三年坂界隈~

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三年坂は、谷の底から尾根へと続く道。ですから坂の下は日陰になり、日の暮れも一足早くやってきます。清水寺がまだ西日に照らされている頃、店先にそっと灯りがともされました。

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清水坂は尾根の道。北側の二階には西日が明るく当たっているけれど、南側の店先は日が陰り、既に灯りが入っていました。この時間になると、清水寺に向かう人よりも、帰りを急ぐ人の方がずっと多くなります。

秋の灯ともし頃はどこか暖ったかで、人恋しくなる様な気がします。

2006年9月24日 (日)

京都・洛東 彼岸花 ~清水寺~

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毎年、不思議なほど秋の彼岸の時期に咲くのが彼岸花。今年もまた咲いているかなと、清水寺を訪れてきました。

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秋分の日、平成18年9月23日の京都は、雲一つ無いという快晴です。都合があって清水寺に着いたのは夕方近くになったのですが、夕陽を浴びた仁王門がこれまで見たことも無いほどに輝いて見えました。

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清水寺の彼岸花は、今年もまた、彼岸の中日に見頃を迎えていました。折からの西日を浴びて輝く様に咲いていた彼岸花です。この時間帯でしか見ることが出来ない美しさですね。

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ただ、当初から危惧していたとおり、彼岸花の咲いている舞台の下は既に日陰に入ってしまっており、写真に撮るには光が不足していました。このためシャッター速度が遅くなり、風が少しでも吹くと被写体ぶれになってしまうので、失敗写真の連発です。ですから、舞台の柱を入れた清水寺ならではという写真は一枚も撮れてません...。

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道祖神の上に、かんざしの様にして咲いていた彼岸花です。結構可愛いでしょう?

三脚を立ててこの花の写真を撮っているとやっぱり目に付くのでしょうね、観光客が色々な事を言いながら背後を通っていきます。大抵は綺麗な花だなという感嘆の声なのですが、年配の方は「この花は死人花と言って、縁起が悪いんだ」と、写真なんか撮ってどうするんだと言わんばかりに、声高に話していきます。まあ、それは承知の上で、毎度の事ですから気にもならないのですけどね。

反対に、外人さんにはそんな屈託がありませんから、純粋に綺麗な花として大喜びで寄ってきます。この花を撮っている時には、いつの間にかカメラやビデオを持った外人さん達に周囲を囲まれてしまい、どこの国が判らない言葉のシャワーを浴びてちょっと辟易しました。言葉が判れば簡単な会話も出来て楽しいのでしょうけどね。

清水寺の彼岸花は、ここ暫くが見頃だと思います。場所は舞台の下から舌切茶屋にかけての北側の斜面です。

2006年9月23日 (土)

織田信長公本廟 阿弥陀寺 ~巧妙が辻~

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織田信長が明智光秀に襲われて命を落としたのは本能寺での事でした。その信長の墓所として伝わるのは、本能寺総見院などいくつかあり、この阿弥陀寺(あみだじ)もその中の一つです。

阿弥陀寺は天文年間(1532~1554)清玉(せいぎょく)上人によって開創された浄土宗の寺院です。当初は今の地ではなく、西の京蓮台野芝薬師寺西町(現在の今出川大宮東)にあり、八町四方の境内と11の塔頭を構える大寺でした。そして、1587年(天正15年)に豊臣秀吉の命によって現在の地(寺町今出川上がる)に移転し、現在に至っています。

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この清玉上人が織田家と親交があった事が縁で、本能寺の変の折りには上人とその弟子達が本能寺に駆けつけ、焼け跡から信長とその家臣達の遺骸を運び出し、当寺に埋葬したと伝えられています。上の写真が信長とその嫡男である信忠のものと伝えられる墓で、一緒に戦って死んだ家臣達もまたここに葬られていると言われます。これが事実だとすると、清玉上人は、二条御所にも回って信忠の遺骸をも運び出した事になりますね。

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そして、この3基の墓石は、信長に殉じた森坊丸、力丸、欄丸の3兄弟の墓です。彼等は信長の小姓であり、特に欄丸は寵愛を受けていた事で知られていますよね。本能寺の変でも信長の側にあり、本能寺に火を放ったのは彼だったとされます。信長に愛された彼等3兄弟は、その死後も信長の側にあって小姓として仕え続けているという訳ですね。

阿弥陀寺には、このほか信長親子の木像が安置されているとの事ですが、普段は公開されていないようです。

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阿弥陀寺の境内では、一群の萩が咲いていました。訪れたのは台風の余波があった日で、前日の雨と折からの強風によって散らされた花が、紫色の川を形作っていました。

阿弥陀寺は寺町通に連なる数多い寺院の一つで、気を付けていないと見過ごしてしまうような控えめな佇まいです。訪れる人も少なく、この日も墓参りと思われる人達が何人か居ただけで、とても静かな境内でした。信長とその一族について思索するには、とても良い環境だと言えそうです。

阿弥陀寺は寺町今出川の交差点から北へ歩いて10分ほど、門前にある「織田信長公本廟」の石碑が目印になります。

2006年9月22日 (金)

京都・洛東 托鉢僧 ~三年坂~

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京都・三年坂で見かけた托鉢僧。清水寺の門前では良く見かけますが、ここでは珍しいですね。

京都の街では、僧侶の姿が絵になります。この日も道行く人が次々とカメラを向けていました。大した人気ぶりですが、その割に喜捨を行う人は少ないのですよね。

托鉢は僧侶にとっての修行であると同時に、托鉢を受ける人には喜捨を行う事で欲深な心を捨て去る事を教えるという宗教行為なのだそうです。まあ、托鉢僧を見ただけでそこまで理解するのは難しいですけどね。

私ですか?写真を撮らせて頂いた時は、お礼の気持ちを込めて喜捨させて頂いてます。純粋な喜捨と違って、動機がちょっと不純かな...。

2006年9月21日 (木)

京都・洛東 くくり猿のある風景 ~八坂庚申堂界隈~

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八坂の塔の周辺を歩いていると、小さなぬいぐるみ状の飾り付けがつり下げられている光景に出会います。お手玉の様な、なんとも不思議な形をしていますが、これは八坂庚申堂の「くくり猿」というお守りです。

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八坂庚申堂は、八坂の塔のすぐ西にあるお寺です。正しくは大黒山金剛寺庚申堂と言い、下河原通の突き当たりにある赤い門を覚えている方も多いことでしょう。ここは日本三庚申に数えられるほどの由緒を持ち、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿がお参りする人を出迎えてくれます。その背後につり下げられているのが「くくり猿」。その名のとおり猿が括り付けられている姿を現しています。この猿とは人間の欲望を表し、その欲望が暴走しないように庚申さんによって括り付けて貰うという意味を持っているのですね。

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この「くくり猿」が目に付く様になったのは20年程前からの事でしょうか。それ以前から庚申堂にはあったのかも判りませんが、周辺の軒先に飾られているという事はありませんでした。今ではあちこちの家に吊られていて、すっかりこの界隈の景色になっていますね。

「くくり猿」は一体500円。願いが叶うまでつり下げておき、見事成就した後は庚申堂に返せば良く、念を抜いた後で炊きあげて下さるそうです。京都が好きな人ならば、また訪れるための動機付けにもなることだし、丁度良いお守りになるかも知れませんね。

八坂庚申堂のホームページはこちらです。


2006年9月20日 (水)

京都・洛東 八坂の塔三景

9月半ばの八坂の塔の点景です。

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二年坂から八坂の塔へと下る道の名は八坂通。八坂の塔と言うより、このあたりの地名から付けられた通り名です。大和大路通から三年坂までを結ぶこの道は、最も京都らしい道の一つと言えるでしょうね。

その八坂通に、最近新しい名前が付けられました。「夢見坂」と言うのですね。八坂の塔に縁のある聖徳太子が、いつか京都に都が遷るという夢を見たという言い伝えがあり、江戸時代には夢見地蔵が祀られていた事にちなむのだとか。

でも、悪い名前ではありませんが、なんだか余所の道みたいでピンと来ないですね。あまり定着もしていないようですけど、ご存じの方は居られましたか。

その坂の途中では、百日紅が見事な花を咲かせていました。この花ってこんなに綺麗だったのかと見直す思いがします。八坂の塔にとても良く似合ってますね。これで背景が青空だったらどんなにか良かっただろうなあ...。

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八坂の塔の下では、芙蓉が咲いていました。この上品な花もまた、古い塔を背景に良く映えていますね。ちなみに、同じアングルで撮った紫陽花はこちら。ここでは花が好きな地元の方が、丹精を込めて花木を育てられている様ですね。

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八坂の塔の境内で咲いていたシュウメイギクです。まだ咲き始めたばかりで、これからが見頃ですね。昨年は雨の日に見に行きましたけど、今年は秋晴れの空の下で見たいな。花盛りになる頃が楽しみです。

(いずれも、平成18年9月16日の撮影です。)

2006年9月19日 (火)

京都・洛北 萩の寺~常林寺~

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京都・出町柳にある浄土宗の寺、常林寺。境内一面を埋め尽くす萩の寺として知られています。こぢんまりとした寺ですが、この季節には花を求めて、大勢の人が次から次へと訪れてきます。

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9月18日の常林寺の萩は、ほぼ見頃を迎えていました。背丈程にも伸びた萩の間を歩いていると、あたかも花に埋もれた様な感覚になる、とても不思議な空間です。

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見頃と言ってもまだ咲いていない株もあり、もう暫くは楽しめると思います。京阪出町柳駅からすぐという、とても便利な場所にあるスポットです。

拝観時間は朝の9時から夕方の4時まで、拝観料は無料です。

2006年9月18日 (月)

京都・洛中 萩まつり~梨木神社~

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京都御苑の東にある梨木神社は、明治維新に功績のあった三条実万、実美親子を祀った神社です。創建は明治18年と比較的新しく、普段は訪れる人も少ないとても閑静な境内です。

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ここはまた萩の名所として知られ、毎年9月の第3土曜から敬老の日にかけて萩まつりが行われます。鳥居の前から境内の奥に至るまで沢山の萩が植えられており、普段は静かなこの神社も、この時期ばかりは大勢の人で賑わいます。

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9月18日の様子は、残念ながらほとんどの萩は咲き始めたばかりで、萩まつりと言うには少し寂しい状態でした。境内ではお茶席が設けられているほか、府市民俳句会が開催されており、俳句が記された短冊が萩の木に吊されていました。

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そして舞殿では、小笠原礼法研修会に依る「三三九手挟式」が奉納されていました。「三三九手挟式」とは、本来1月4日の弓始め式の時に行われる弓の儀式で、天下泰平を祝う射礼として実施されるものです。ただし、私が目にしたのは午前中に行われた、本番前の予行演習の様でした。それでも古式に則った儀式は興味深く、なかなか見応えはありましたよ。

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本殿の周辺の萩は見頃を迎えていました。同じ境内でも咲き方に随分と差があるものですね。このあたりだけを見ていると、確かに萩まつりという雰囲気はあります。

萩まつりは今日で終わりですが、萩の花が無くなってしまう訳ではありません。梨木神社の萩は、これからが見頃です。

2006年9月17日 (日)

京都・洛東 清水寺 青龍会

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京都・清水寺で行われた青龍会に行ってきました。青龍会は、春と秋に行われる行事で、

「法螺貝を吹き先布令を行う「転法衆」を先頭に、行道を指揮する「会奉行」、そして観音加持を行う「夜叉神」、さらに「四天王」が龍の前後を守護し、『南無観……』を唱える「十六善神」の神々が続くという大群会行の行道」(清水寺ホームページより

です。

青龍会の結成はごく最近の事で、平成12年の御本尊御開帳の時の事でした。この行事は清水寺門前会が主導的役割を果たしており、青龍会の結成からその後の運営に至るまで、ほとんどが門前会の手によって行われています。有り体に言えば、観光の更なる活性化を狙ってのイベントという訳ですね。しかしながら、新規の行事としては非常に上手く演出されていて、とても今出来のイベントという感じがしません。

清水寺は都の東に位置し、都を守護する四神の内の青龍の地にあたります。そして、境内にある音羽の滝には、夜ごと青龍が飛来して水を飲むという伝説があり、昔から青龍とは縁の深い寺なのですね。また奥の院回廊の軒下の祠にはこの青龍の地を守るとされる夜叉神が祀られており、青龍とこの夜叉神を結びつけて世の安寧を祈願するために結成されたのが青龍会という訳です。

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行事は奥の院の「八功徳水の儀」から始まります。ここから境内を順に練り歩き、途中西門の前で勢揃いが行われます。そしてそこから寺を出て、門前会のある清水坂へと続いていきます。 

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先頭で法螺貝を吹いているのが「転法衆」、その後ろで杖を持っているのが「会奉行」、右端の仮面を被っているのが「夜叉神」、後方で甲冑を着てるのが「四天王」です。こうして参道を歩くだけでなく、突然店の中に突入したりするパフォーマンスもあり、見ているだけでも楽しいですよ。

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行列は七味家の前の車止めまで行って引き返してきます。狭い道ですから、青龍をすぐ間近に見る事が出来るのが嬉しいですね。良く見ると、青龍の頭部には経文がびっしりと書かれているのが判ります。また、後で調べて判ったのですが、8000枚ある龍の鱗の裏側にも全て経文が書かれているのですね。

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すぐ目の前を通り過ぎていく青龍は、なかなかの迫力があります。この龍の動きについては、先輩格にあたる長崎くんちや神戸の春節祭の龍踊を参考にしているのでしょうね。行列はこの後清水寺に戻り、本堂の舞台で奉納を行って一連の行事を終えます。

今年の秋は9月15・16・17日の3日間に渡って行われました。次は来年の3月になるのでしょうね。例年花灯路と併せて行われているので、上手く日程を合わせれば1日楽しむ事が出来ますよ。時間は午後2時から始まって、午後3時30分頃の終了です。

2006年9月16日 (土)

秋一葉 ~京都・洛東 二年坂~

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今年も見つけた秋一葉。

紅葉シーズンまではまだ間がありますが、こういう葉を見ると期待せずには居られません。昨年は今ひとつでしたけど、今年はどんな具合でしょうね。ふた月後が楽しみです。

京都・洛東 二年坂にて

2006年9月15日 (金)

京都・洛南 深草少将邸跡 ~欣浄寺~

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伏見大仏の寺として紹介した欣浄寺はまた、小野小町とのロマンスで知られる深草少将の邸宅跡と伝えられます。

稀代の美女小野小町に懸想した深草少将は、小町の愛を求めて執拗に迫りました。小町の答えは、百夜自分の下に通えば願いを叶えようというもの。少将は毎夜深草の地から小野里までの山越えの道を通い続け、遂に九十九夜を数えました。やっと念願の百夜目という日、折からの大雪に閉ざされた道の途中、少将は寒さのあまり凍え死んでしまったのでした。亡くなったのは813年(弘仁三年)3月16日の事とされ、彼の遺骸はこの地に埋葬されたと伝えられます。

悲恋の人深草少将は、実は伝説上の人物に近く、その本名も人となりもすべて謎のままです。しかし、ここ欣浄寺には少将ゆかりの遺構が幾つも残っており、彼の実在を訴えて止みません。その最たるものの一つがこの「深草少将張文像」。少将が小町から貰った恋文を焼いた灰を固めて作ったとされるもので、いかにも平安貴族らしい下ぶくれの容貌が生き生きと表現されていますね。

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少将の邸は桓武天皇から授かったとされ、往時は八町四方の広さがあったと言われます。今では数分の1までに狭くなってしまいましたが、境内には当時から続くとされる小さな池があります。この池にはその昔、小町が少将の邸に来遊した折りに、自らの美しい容姿を水面に映して、

「おもかげの変らで年のつもれかし よしや命にかぎりありとも」

と詠んだとという伝説があり、その事から姿見の池と呼ばれています。きっと当時はもっと大きな池だった事なのでしょうね。

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この井戸は少将遺愛と伝えられる「墨染の井戸」です。別名「少将姿見の井戸」、さらには「涙の水」と言われ、少将の流す涙の故か今でも枯れる事無く水が湧き出ているそうです。

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そして、境内に仲良く並んだ小町と少将の塚。小町の墓と伝えられる塚は他にも多数あり、この塚にどこまで信憑性があるかは判りません。恐らくは少将の悲恋を哀れみ、せめて塚だけでも寄り添わせてやろうという後世の人の思いやりなのでしょうね。

遠い昔の伝説の中の人物に過ぎなかった深草少将も、この寺の境内に佇んでいると確かに彼はここに実在したのだという気にさせられます。

2006年9月14日 (木)

京都・洛南 伏見大仏 ~欣浄寺~

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京都の大仏と言えば、今は失われてしまった方広寺くらいしか思い浮かびませんよね。しかし、洛南・伏見の地に大仏が今でも現存しているのをご存じでしょうか。それがこの欣浄寺の御本尊「昆盧舎那仏」です。

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欣浄寺は9世紀の半ば頃、仁明天皇の寵臣であった僧正遍昭が、帝の崩御を悲しみ、その菩提を弔う為に念仏堂を建てた事が始まりとされています。最初は真言宗、後に禅宗から浄土宗に転じ、そして江戸時代末期に再び禅宗(曹洞宗)に転じて現在に至るという、めまぐるしい変遷を経てきた寺の様ですね。鎌倉時代に道元禅師が一時ここで閑居していたという由緒から、「道元禅師深草閑居の旧跡」とも称されているそうです。

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御本尊が作成されたのは寛政3年から5年(1791年~1793年)にかけての事でした。一丈六尺(約5.3m)の高さを持つ木製の仏像で、実際に目にすると思っていた以上の迫力があります。まさに大仏と呼ぶに相応しい巨大さですよ。すぐ近くにまで寄ることも出来、真下から見上げると丁度仏様の目と合い、じっと見つめられているような感覚に陥ります。

本堂は昭和49年の再建で、方広寺の火災の教訓からコンクリート造にされたのだそうです。中は広々としており、仏様が一段下がった場所に安置されているという、ちょっと変わった配置になっています。あまりに巨大ですから、これで丁度仏様の御顔が正面に来るのですが、他では見た事がない位置関係ではあります。

欣浄寺を拝観するには、予め電話に依る予約が必要です。この日はあいにく住職が出かけられていた為に、拝観だけでお話を伺う事が出来ませんでしたが、普段は詳しい解説をして頂ける様です。拝観料は定められていませんが、志納金として任意のお金を納める事になります。

場所は京阪墨染駅を降りて西に向かい、師団街道を南へ少し下った所にあります。

電話番号 075-642-2147

次回は、欣浄寺と深草少将の関わりについてアップします。


2006年9月13日 (水)

京都・洛南 JR稲荷駅付近

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伏見稲荷大社に一番近い駅と言えばJR稲荷駅。今でこそ奈良線というローカル線の駅になっていますが、かつては東海道本線の駅として鉄道唱歌にも歌われた存在でした。

「大石良雄が山科の その隠家はあともなし
赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山」

開業当時の東海道線は、今のように大津から京都までを直線で結ぶコースではなく、膳所駅から逢坂山を越えて山科を南下し、稲荷山の南を迂回して稲荷駅に繋がるというコースを取っていました。大正10年に現在の線路に切り替えられて旧東海道線は廃線となってしまったのですが、稲荷駅は奈良線の駅として生き残ったという訳です。

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開業当時の東海道線を、地図上あるいは実地に追おうと思っても、なかなか至難の業の様です。変遷が激しい上に痕跡がほとんど残っていない為で、逢坂山トンネルなどにわずかに名残を止めているに過ぎません。そんな中で貴重な存在とされているのがこのレンガ造りのランプ小屋です。この小屋は旧東海道線当時から残る唯一の遺構であると同時に、国鉄最古の建物でもあるのですね。準鉄道記念物に指定されていて、内部には手提げランプや信号灯等などが展示されており、予約すれば見学する事も可能です。(見学の申込みは、2日前までに、見学日時、人数を宇治駅(電話:0774-21-2061)にまで連絡する必要があります。)

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稲荷駅の前には、さらに歴史の古い建物が残っています。この玉家がそうで、なんと創業400年を数えるのだとか。当家の初代は豊臣秀吉の家老を勤めていたのですが、1615年(元和元年)の大阪夏の陣で討死をし、二代目が武士を辞めて茶店を開業したのが始まりとされます。街道の休息場所として供される「立場茶屋」の称号を受け、次いで伏見街道における大名の参勤交代の宿となる事により繁栄してきました。現在は宿泊は行っておらず、料理屋として営業されています。メニューを見ると大名弁当5,250円、会席料理8,400円~などとなっていますが、残念ながらまだ実際にこの店で食べた事はありません。

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店先を覗くといなりずしが売られていました。おお、これぞ本場のいなりずしと言いたいところですが、この寿司の起源は伏見稲荷大社とは直接の関係は無い様ですね。名古屋付近で始まったとも、江戸で考案されたとも言われ、稲荷という名前だけが使われた様です。それでも、ここで見ると何となく有り難く感じますから、場所柄というのも大きな要素ですよね。鯖寿司も美味しいと言いますから、いつか食べてみようかと思っているところです。


2006年9月12日 (火)

京都・洛南 伏見稲荷大社

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京都・洛南の地に鎮座する伏見稲荷大社。全国に三万あると言われる稲荷社の総本宮として知られます。背後の稲荷山のほぼ全てを境内としており、神域の広さ、そして参拝客の多さでは、どちらも京都一と言って良いでしょう。商売繁盛の神様として関西一円の信仰が厚く、正月三が日に訪れる参拝客は250万人と言われ、日本でも有数の規模を誇ります。

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普通の神社なら狛犬が座っているべき場所にあるのは、「きつね」の像です。良く知られているように、稲荷大社では「きつね」は「稲荷大神様」のお使いとされています。ただし、野山に居る獣の狐ではなく、本来は目に見えない神様の眷族であり、白狐(びゃっこ)さんと呼ばれています。この場合の白は透明という意味ですが、それを一般の人にも判るように具象化したのがこの像なのですね。

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伏見稲荷大社と言えばこの鳥居のトンネルが有名ですね。朱色に染まった道を歩いていると、どこか知らない世界に誘い込まれるような錯覚を覚えます。朱色は豊穣を表し、鳥居は願い事が「とおる」の意から奉納されているのだとか。

この鳥居は山道全体に及んでおり、全部で約一万基あるそうです。山道を一回りするのには2時間くらい掛かったかな。子供の頃には親に連れられて何度となく回った道ですけど、体力の落ちた今となってはちょっと辛いでしょうね...。昔は途中にある茶店で卵丼を食べるのが楽しみだったのですが、今でも残っているのかしらん。

健脚自慢の人は、是非一周に挑戦してみて下さい。普通の山歩きとは違う、神さびた空間と時間を体験出来ますよ。

2006年9月11日 (月)

京都・洛南 大橋家庭園

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京都・洛南の地にある大橋家庭園を訪れてきました。この庭園は個人の所有ながら、その凝った造りから京都市の登録文化財に指定されているという名庭です。ここを拝観するには普段は予約が必要なのですが、9月30日までは「京都夏の旅キャンペーン」の一環として特別公開が行われており、待機している解説員が庭の成り立ちを判りやすく説明してくれます。

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大橋家があるのは伏見稲荷大社のすぐ北隣で、京阪又はJRを利用して訪れる時は、一度大社の境内に入って北側に抜けるのが一番判りやすいでしょう。ただし、当家と伏見稲荷大社との間には、何の繋がりもないとの事です。

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門を潜ると、飛び石が玄関へと導いてくれます。その奥にしつらえられているのは飾り灯籠。灯りを入れる火袋が無い、文字通りの飾りとしての灯籠ですね。

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大橋家は雅楽の奏者を務める家柄でしたが、幕末に鮮魚商の元請けとなる事により財をなしました。

海の無い京都においては鮮魚は貴重で、明治の初期までは瀬戸内海で獲れた魚を桂川の草津という港まで船で輸送し、そこから陸路を人夫が背中に担いで京都市中へと運んでいました。幕末の頃、この草津港に徳川幕府が公設市場を開設するにあたり、魚市場を一手に扱かう元締めとなったのが大橋家の孫四郎という人で、以後大橋家が繁栄する基礎を築きました。ところが明治10年に神戸~京都間に鉄道が開通する事になると、孫四郎の後を継いだ(と思われる)大橋仁兵衛が七条の駅頭に魚市場を開設し、いち早く時代の波に乗ることに成功しています。鉄道に主役を奪われた草津港はその後間もなく寂れてしまったのですが、大橋家では孫四郎の功績を顕彰するために石碑を作り、草津港の跡地にこれを建てました。床の間に掲げられた拓本がそうで、現在も桂川の堤防の畔に見ることが出来ます。また、右側の肖像画が大橋仁兵衛で、元来の家業である雅楽奏者の衣装を着た姿で描かれています。

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この住宅は大橋仁兵衛の隠居後の別荘として建てられたものであり、庭園は明治末年に着手し大正2年に完成を見ています。造園の監修に当たったのは、平安神宮の神苑や円山公園を手がけた事で知られる7代目小川治兵衛でした。仁兵衛は治兵衛と親交があり、造園の監修を依頼したのですね。

ところが、仁兵衛は自己主張の強い人であったらしく、治兵衛の忠告をあまり聞かなかった様ですね。この庭園には12基の石灯籠と多数の庭石が配置されていますが、これは仁兵衛が趣味で集めたものでした。治兵衛は100坪の庭に12基の灯籠は多すぎると数を減らすように勧めたのですが、仁兵衛は頑として聞かず、このため治兵衛は全てを配置するのに散々苦労した様です。

ところで、この庭の名は苔涼庭(たいりょうてい)と言い、そのまま聞けばあたかも涼やかな風が薫って来る様な雅名ですよね。ところが、これにはもう一つの趣旨があって、たいりょう=大漁の意味が込められているのだと言います。すなわち、魚問屋の元締めであった人らしく、親交のあった網元達の大漁を祈念するという願掛けが行われているのですね。

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庭の作りもなかなか凝っていて、築山の周囲に溝を掘り、保津川下りの景観を再現するという趣向が取り入れられています。ここにもふんだんに石が並べられており、仁兵衛の趣味が存分に生かされている様ですね。

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そして、この庭を最も特徴付けているのが、2カ所に設けられた水琴窟です。

こちらは「座敷縁側手洗」で、文字通りトイレから出た後の手洗いのための手水鉢です。ただし、とても凝った手水鉢で、菊の花を象ってある立派なものですね。その手洗い後の水を地面に染みこませて自然排水するための施設(土中に掘った穴)があるのですが、それを改良して音響を楽しむ為の施設としたのが水琴窟です。底に穴を空けた瓶を逆さまにして土中に埋め、手洗い時に穴から流れ込んだ水が水滴となって、底に溜まった水面に落ちる時、壺に反響して妙音がするという仕掛けなのですね。トイレの後の手洗い水という無粋なものを、ほとんど芸術に近い音に変えてしまうという絶妙な装置と言って良いでしょう。

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もう一つの水琴窟は、庭の中程にある「下り蹲踞」に設けられています。自然石を使った蹲居の側には雪見灯籠がしつらえられ、とても優雅な景色が形作られていますね。

水琴窟は江戸時代に考案されたと言われ、明治から大正にかけての頃に最も多く作られました。しかし、その構造上、時間と共に土中の穴が泥で埋まってしまい、ほとんどのものは音がしなくなってしまいました。そんな中でこの大橋家の水琴窟は、1世紀近くに渡って音を響かせてきたという貴重な存在とされています。

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大橋家で見られる明治の遺構は他にもあります。庭に隅に設けられた待合いは、元来は茶室にする予定でした。しかし、家相上それは好ましくないとされたため、現在の待合いとなったのですが、その路地部分には明治の煉瓦が埋め込まれています。その煉瓦は長年の間に程よく摩滅し、今ではとても良い風合いになっています。

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この歪んだ写真は、カメラの故障でも、レンズの不具合でもありません。この別荘の窓は、庭が見渡せる様にと全てガラス板がはめ込まれているのですが、当時のガラスは手作りで、現在の様に平滑に作る事は出来ませんでした。このため、ガラス戸を透かして庭を眺めると、この様に微妙に歪んだ景色になるのですね。ガラスの制作技術が低かった訳ですが、それがかえって今では絶妙な味となり、明治を今に伝える貴重な存在として大切にされています。

座敷に座ってガラス越しに庭を眺めていると、水琴窟の音が微かに聞こえてきました。あまり知られていないこの庭ですが、一度は訪れてみる価値がある場所だと思います。

2006年9月10日 (日)

伏見城遺構 豊国神社唐門 ~功名が辻~

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京都の東山、京都国立博物館の北隣に豊国神社があります。その名から連想されるごとく豊臣秀吉を祀った神社で、一般に「ホウコクさん」と呼ばれていますが、神社の名称としては「とよくに」と読むのが正しい呼称です。ちなみに、大阪城にある豊國神社は「ほうこく」と読むので、ちょっと混乱しそうですね。

秀吉は1598年(慶長3年)に63歳で亡くなった後、後陽成天皇より正一位の神階と豊国大明神の神号を賜ります。そして遺骸は遺命により阿弥陀ヶ峰の中腹に葬られ、その麓には壮麗な廟社が造営されました。この廟社が豊国神社の前身となる訳ですが、残念ながらこれは豊臣氏の滅亡後、徳川幕府の手によって破壊される事になってしまいます。徳川幕府にとっては前政権を連想させるものを残すのは都合が悪かったのでしょう、秀吉を葬った廟は跡地が平になるほどに破壊され、さらに秀吉の御霊は神号を奪った上で新日吉神社に移されてしまいました。その徹底した破壊ぶりから考えると、政治的配慮のみならず、家康は自分の上に君臨していた秀吉に対して激しい憎悪を抱いていたのかもしれないとも思えてきます。

時が遷り明治に至ると、秀吉は天下を統一しながらも幕府を開かなかった功臣として再評価され、豊国神社の再興が布告される事になります。そして、1880年(明治13年)に方広寺の跡地に社殿が再建され、別格官幣社として復興されました。また、廟についても阿弥陀ヶ峰の頂上に再建されています。このあたり、人の世の毀誉褒貶の移り変わりの激しさには、考えさせられるものがありますね。

現在の社殿の正面に聳える唐門は伏見城の遺構と伝えられているもので、二条城から南禅寺の金地院を経てここに移築されるという数奇な運命を辿ったとされています。安土桃山期を代表する建造物とされるだけあって、その大きさにも係わらず見るからに軽快な印象を受け、また随所に華麗な装飾が施された見事な門です。大徳寺、西本願寺の唐門と合わせて京都の三唐門とされており、この門を見るだけでもここを訪れる価値はあると言えるでしょう。

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現在では秀吉にあやかって出世開運の神様として慕われており、唐門には豊臣家の旗印であった瓢箪を象った絵馬が奉納されています。江戸期にはとても考えられなかった現象でしょうね。ちなみにこの絵馬は、一枚500円で奉納する事が出来ます。

すぐ隣には鐘銘事件で知られる方広寺もあり、豊臣家の栄枯盛衰を偲びに、合わせて訪れてみられてはいかがでしょうか。


2006年9月 9日 (土)

秋の夕暮れ

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道を歩いていてふと気が付く景色があります。普段見慣れた道でも、この季節、この時期にしか見られない表情があるのですね。この路地の向こう側に夕陽が見えるのは年に数日だけのこと。ごくありふれた住宅地ですが、この時ばかりは特別の場所に変わります。期間限定の隠れた名所ですね。

2006年9月 8日 (金)

トウガラシ3種 ~京都府立植物園~

京都府立植物園の北山門近くにある北山ワイルドガーデンに、トウガラシ展示花壇があります。トウガラシばかりを集めたというユニークな花壇で、20数種類が栽培されています。

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その中で植物園が一押ししている品種がこのブラックパール。アメリカの新品種評議会で金賞を獲得したというトウガラシで、その名の通り黒真珠の様につややかな実が見事です。熟すとやっぱりトウガラシらしく赤くなるのが面白いですね。東アジアで唯一栽培が認められたのが京都府立植物園だそうで、なかなか貴重な機会と言えそうです。

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紫や赤の小さな実が沢山付いているこのトウガラシの名は「村祭り」。多分ですが、鮮やか、かつ賑やかそうな雰囲気から付けられた名前ではないでしょうか。見ているだけで楽しくなってくるようなトウガラシです。

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これは世界で最も辛いとされるトウガラシ「ハバネロ」。一見して小さなピーマンという感じですが、実は油断のならないとんでもないヤツなのですね。

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葉の奥に隠れていた真っ赤に熟したハバネロです。ここまで来ると本性を垣間見た気がしますね。怖いもの見たさにちょっと齧ってみたい気がしますが、本当にやったら酷い目に遭うのだろうなあ...。最初に口にした人はさぞびっくりした事でしょうね。

2006年9月 7日 (木)

吸蜜中 蝶3種 ~京都府立植物園~

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京都府立植物園は蝶の宝庫でもあります。花が咲いているばかりでなく、幼虫の餌になる植物がふんだんにあるからなのでしょうね。そんな植物園で捉えた吸蜜中の蝶3種です。

まずは、北山門の花壇で見つけたツマグロヒョウモンの♀。原色の花の中にあっても負けないくらいの派手な模様をしていますね。なんでも鳥から身を守るために、体内に毒を持つカバマダラに擬態しているのだとか。昆虫の生き残り作戦は、あの手この手と実に巧妙ですね。

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蝶と言われて真っ先に思い浮かべるのは、このモンシロチョウではないでしょうか。一番ありふれた蝶ではありますが、こうして拡大して見るとなかなか複雑な羽根をしているものですね。年に5~6回発生し、春、夏、秋型があるのだそうですが、この時期に飛んでいるこの蝶は何型になるのでしょうね。

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なぜかブログ界で人気のあるイチモンジセセリ。でっぷりとした胴体が、どこかユーモラスだからでしょうか。この日はウモウゲイトウの蜜を美味しそうに吸っていました。こういう姿を見ると、確かに蛾ではなく蝶なんだなと納得してしまいます。

2006年9月 6日 (水)

秋の花5種 ~京都府立植物園~

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京都府立植物園で見つけた秋の花、5種です。

まずは、スズムシバナ。いかにも秋らしいこの名前は、スズムシが鳴く頃に咲くところから来ているのだとか。

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こちらは、青いスズムシバナ。この花には白から青までの色の変異があるのですね。スポットの様な木漏れ日を浴びて、林の中で静かに咲いていました。

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なぜか下を向いて咲いているキセルアザミ。その名は、この形がキセルに似ているからなのだとか。これが花が終わると上を向くから不思議です。

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これも多分アザミの仲間だと思うのですが、調べた限りでは判りません。鮮やかなピンク色が何とも綺麗です。なんだか、パーマを当てた女の子みたいにも見えますね。

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これもキセルと名が付くナンバンギセルです。ススキに寄生して繁殖するという、ちょっと変わった生態を持つ植物なのですね。自分で光合成を行う必要が無いため、葉はほとんど退化してしまっています。もっと沢山咲いていたのですが、ススキの根元に隠れていて、上手く撮ることが出来ませんでした。

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ひょろりと伸びたしべを持つこの花は、カリガネソウです。雁が飛んでいる姿に似ていると言うのですが、どんなものでしょう?もっと正面から見ると、それらしく見えなくもない様です。ホカケソウ(帆掛草)という別名もあって、どちらかというと、その方が似合う気がしますね。


秋の植物園は色んな花が咲いていて、いつまで経っても飽きが来ない素敵な場所です。


2006年9月 5日 (火)

京都・洛中 相国寺塔頭瑞春院 ~雁の寺~

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以前も紹介した事がある相国寺塔頭の瑞春院、通称「雁の寺」を訪れてきました。瑞春院は普段の拝観には予約が必要なのですが、平成18年9月30日まで「京の夏旅キャンペーン」の一環として特別公開が行われています。

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この寺は、作家水上勉が少年時代に得度し、雛僧として禅の修行を積んだ場所であり、小説「雁の寺」の舞台となった事で有名になりました。

「雁の寺」は、若狭の寒村から京都の禅寺に修行に出された少年捨吉が、厳しい禅の修行に明け暮れる中で、禅寺を覆っていた退廃に次第に絶望し、遂には師僧を殺して出奔するというストーリーです。その中で、襖絵の母子の雁が印象的に描かれ、捨吉は出奔する時にその絵を剥がしていくというラストを迎えます。捨吉は遊行の芸人である瞽女(ごぜ)の子として産まれ、村の宮大工の家に引き取られて育ったのですが、薄々ながら自分はこの家の子では無いと気付いていました。そうした不幸な生い立ちから、母子の雁の絵に心を惹かれるものがあったのですね。

瑞春院には、この小説に出てくる雁の絵が今でも残っており、今回の特別拝観でも見る事が出来ます。上田萬秋の筆に依る水墨画ですが、極めてリアルに描かれており、あたかも生きた雁を目の前にしているかのごとく感じられます。

ただ、「雁の寺」は水上勉の実体験を反映しているとされますが、実際に見たのはこの絵ではなく、別にある孔雀の絵ではなかったかと言われます。なぜなら、雁の絵は住職の部屋にあり、小僧であった水上氏が入れる場所ではなかったためで、幼い水上氏は孔雀を雁と誤認していたのではないかとされています。その今尾景年筆による孔雀の絵も公開されており、金泥の襖に描かれた見事な孔雀が拝観者を出迎えてくれます。

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瑞春院は足利義満が建立した雲頂院を前身とします。雲頂院は兵火で焼失してしまったのですが、この雲頂庭と呼ばれる庭にその名を止めています。この庭は相国寺では最古のものと言われ、室町時代の石組みが今も残っているとされています。木立に覆われた、見ていると心が落ち着いてくる、穏やかな感じのする庭ですね。

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北庭である雲泉庭とその向こう側にある書院の雲泉軒です。

雲泉庭は、夢窓国師の作風を取り入れて作庭したとされる池泉観賞式庭園です。村岡正氏(文化功労授賞)の作と言いますから、比較的最近に整備されたものの様ですね。ここでは庭に降りるためのスリッパが用意されていおり、池を巡りながら雲泉軒に向かう様になっています。この日は池畔にある蓮の花が既に終わっており、彩りが少なくてちょっと残念でした。

雲泉軒は直径2mの台湾檜を主材として構築されたとされますが、ガラス戸が多用されており、お寺と言うよりは料亭の離れの様だと言ったら叱られるでしょうか。ここの見所は書斎の窓にあり、ガラスが嵌められた火頭窓から外を眺めると、庭にしつらえられた柚木灯籠と、遠くに見える檜の木立が渾然と一体となり、あたかも一幅の絵のを見るかの様な見事な景色になっています。

また、狩野探幽筆の「陶渕明 春秋山水図 三幅対」、狩野安信筆「鐘馗 牡丹 竹に虎 三幅対」、狩野常信筆「朱衣達磨」などの掛け軸もここで見ることが出来ます。 

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瑞春院のもう一つの見所が水琴窟です。雲泉軒へと通じる通路の傍にしつらえられており、地面から突きだした2本の竹に耳を付けて、地下で奏でられる妙音を聞くという趣向です。その音は何とも言えない不思議なもので、ピアノの様でもあり、また琴の音の様でもある、とても神秘的な響きですね。なお、水琴窟は本堂の端にも設置されており、そちらでも聞く事が出来る様になっています。  

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瑞春院の拝観料は600円、拝観時間は午前10時から午後4時までとなっています。水上文学のファンならもちろんの事、そうでなくても一見の価値はあります。出来れば、小説を一読しておくと、よりいっそう興味深く拝観することが出来ると思いますよ。

2006年9月 4日 (月)

秋草3種 ~京都府立植物園~

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京都府立植物園で咲いていた秋の草、3種です。

まずは、ススキ。やっぱり秋の草と言えば、真っ先に思い浮かべるのはススキですね。咲いたばかりの穂が初秋の日差しにきらきらと輝いて、とても素敵な光景でした。

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ススキの手前に咲いていたのは、オミナエシとワレモコウ。

黄色い花が鮮やかなオミナエシ。その「オミナ」とは美しい女性を意味するそうですね。すらりとした草姿の上に鮮やかな花を頂く様は、確かにオミナと呼ぶに相応しい姿です。

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ワレモコウは、このつぶつぶの一つ一つが花なのですね。小さな赤い花の集まりで、全てが咲き揃うと、ぱっと見、ビロードのような感じになります。ただし花びらは無く、花びら状のガクなのだとか。と言っても、この写真では判らないですよね。もっと判りやすく咲いているのを撮ってくれば良かったなあ...。


一足先に秋を感じさせてくれた、植物園の粋な演出に感謝です。

2006年9月 3日 (日)

伝・聚楽第遺構 梅雨の井 ~功名が辻~

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以前に紹介した聚楽第について、唯一現存する遺構とされる「梅雨の井」を訪れてきました。前回訪れた時には見つけられなかったのですが、それもそのはず、大宮通から入り組んだ路地の奥にあったのです。

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梅雨の井とは、聚楽第図屏風に描かれているという井戸の事で、この水で豊臣秀吉がお茶を点てたという伝承を持っています。その名の由来は、梅雨時分になるとこの井戸の水があふれ出し、あたりを水浸しにしたというところから来ており、近くにある出水通の名もこの井戸にちなむものだとか。

「梅雨の井」は長く地元の水源として親しまれ、昭和25年に井戸の枠組みが崩壊してしまった後も、ボーリングが施されて地下水の使用は継続されていました。現在は地下から伸びる鉄パイプが錆び付き、水は全く出なくなっている模様です。

ところで、「梅雨の井」が本当に聚楽第の遺構にあたるのかと言うと、必ずしもはっきりとはしない様です。例えば現地に貼ってあったこの推定復元図に依れば、「梅雨の井」の周辺は東の堀の中央部にあたり、これが事実だとすると、「梅雨の井」は聚楽第が破却された後に改めてその跡地に穿たれたものと推測出来る事になります。(ちなみに、ここの地名も東堀町となっており、この説を補強しています。)ただし、この聚楽第の縄張りについては複数の説があって確定したものは無く、一つの復元図を元に「梅雨の井」が聚楽第と直接の繋がりは無いと言い切れるものではありません。真相は、このあたりを発掘調査しない限り明確には出来ないのでしょうね。

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「梅雨の井」を訪れて驚いたのは、周辺があまりにも荒れ果てていた事でした。周囲は板囲いで囲われており、井戸に近づく事は出来ません。井戸の前の土地も雑草で覆われており、とても史跡と呼べる状況ではありませんね。

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これには背景があって、かつてここには八雲神社という社がありました。バブル経済が盛んな頃この地にも地上げの手が伸び、神社とその周辺の土地は買収され、社と共に「梅雨の井」も撤去される事になっていました。このことに危機感を抱いた地元の有志が井戸の保存運動を展開し、かろうじて破壊を免れたのです。その後、保存に向けての運動は継続され、「梅雨の井」の保存に関する誓願が京都市議会にて採択されるにまで至りましたが、現状を見ると必ずしも進展を見ていない様ですね。

正確な経緯が判らないためこれ以上のコメントは差し控えますが、現状はあまりにも悲しく、関係者の努力によっていつか円満な解決を見て欲しいものだと思います。そして、「梅雨の井」の歴史的位置づけが明確になれば、なお嬉しいですね。

2006年9月 2日 (土)

9月の空に・酔芙蓉 ~京都府立植物園~

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9月の青空に映えた酔芙蓉。秋空と言うには光線が少し強く、わずかに透明度が足りない気がしますが、さりとてすでに夏空ではないでしょう。

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朝咲いた時には白く、時間と共に赤く染まっていく酔芙蓉。正午頃にはほんのりピンク色になっていました。ほろ酔い気分で良い気持ちといったところかな。夕方にはすっかり酔いが回って真っ赤に染まります。

酔芙蓉とはつくづく上手く名付けたものですね。

2006年9月 1日 (金)

秋の予感

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今年の9月は、いきなり秋めいて始まりました。8月一杯続いた猛暑が嘘みたいですね。このまま秋になるという訳ではなくまた残暑が戻って来る様ですが、このさわやかな空気は季節が変わったと実感させてくれます。

秋の空気になると夕陽が綺麗になるのでしょうか。今日の夕陽はとても印象的でした。明日の快晴を予感させてくれる赤い色です。

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