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2005年8月

2005年8月31日 (水)

牛若丸生誕の地 ~京都・紫竹~@義経

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義経が廊の御方に宛てた手紙の中で、伴に墓前に参ろうと認めた2人の母、常磐御前。その常磐ゆかりの地が京都にあります。

北区紫竹の一帯がそれで、かつて義経の父である義朝の別邸があったとされ、ここで常磐が義経を産んだという伝説が伝わっています。上の写真がその邸跡を示す石碑で、大きな黒い石碑には牛若丸誕生井、下の小さな石碑には牛若丸産湯井と記されています。残念ながら実際に見る事は出来ませんでしたが、この石碑の後ろに井戸があり、今でも水が湧き出ているそうです。また、同じ敷地内には胞衣塚(えなづか)があり、義経のへその緒と胞衣(胎盤)を埋めた場所と言われています。

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この石碑がある場所はその名も牛若町(写真は近くの南牛若町にあった看板)と言うのですが、案内看板もなく、初めて行くときっと迷うでしょうね。そしてやっとたどり着くと周囲は畑で、今度は、えっ、こんな場所がと驚く事だろうと思います。直接確かめた訳ではありませんが、この畑の持ち主は常磐を世話した人の子孫と伝わっているそうで、伝説が生きて今に続いている様な場所と言えますね。

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この近くに、産湯跡と記した石碑がもう一カ所存在します。それがこの源義経産湯井遺址で、大正時代に行われた区画整理事業の際に、この地に伝わる伝説を後世に伝える為に建てた石碑であると碑文に記されています。まあ、義朝の邸は広大だったでしょうから、井戸が離れた場所に複数あったとしても不思議ではありませんよね。区画整理が行われた当時は竹藪で、それ以前には大徳寺の塔頭があったとされますが、今は全くの住宅街の中にあり、地名以外には義経との繋がりを窺わせるものは何もありません。

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二つの井戸からほど近い場所にある光念寺には、常磐が義経の安産を祈願して奉納したという腹帯地蔵が伝わります。今では安産の祈願の為に訪れる人が多いようですね。

これらの史跡から南へ下がり、大徳寺を抜けて北大路通の南側の紫野にまで至ると、弁慶腰掛石や常磐井があります。こちらは、一条長成と再婚した常磐が住んだ場所と伝わっている様ですね。

いずれも伝説の域を出ず、地名も伝説にちなんで後から付けられたものではないかと思われますが、それでも牛若の名が残り、常磐の伝説が息づく地を歩いてみるのも一興です。大徳寺の参拝と合わせて、秋の散策を楽しんでみるのも良いかも知れませんよ。


2005年8月30日 (火)

義経 34の2

義経 第34回 「妹への密書」 その2

お徳が去った後、一人船上で月を見上げる義経。そこに物見に行っていた駿河次郎と伊勢三郎が帰ってきます。彼らの報告に依れば、平家の陣の様子はしかとは判らないもののすこぶる気負い立っているとの事でした。そして三郎は、範頼の軍勢が豊後から豊前へ攻め入ったと思われる狼煙を見ていました。いよいよ戦機が熟し始めた気配を感じ、この一戦で源平の戦に決着を付けると意気込む義経。

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2005年8月29日 (月)

義経 34

義経 第34回 「妹への密書」

1185年(元暦2年)3月、屋島を出て長門に向かう義経の船団。義経が座乗する船で軍議が開かれています。密書を送った船所五郎からの返事は未だ無く、援軍を約束した熊野水軍はどこまで信用出来るのかと事態を憂う梶原景時ですが、義経は湛増の言葉に嘘はないと言い切る弁慶を信じて待つ事にします。

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2005年8月28日 (日)

アオサギの漁

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近所の川でいつも見かけるアオサギ。写真を撮っていると、何やら怪しげな動きを始めました。

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急に素早く動いたと思ったら、瞬間水面にくちばしを入れて、そのまま走り抜けていきます。

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よく見ると、くちばしの先には小魚が。アオサギが魚を獲る場面なんて初めて見ました。いつもぼんやりしている様にしか見えないアオサギですが、ちゃんと獲物を狙っていたのですね。さすがに野生の鳥だけの事はあります。

でも折角のチャンスに、慌ててしまってカメラがぶれた事、決定的な瞬間は草で隠れてしまった事が残念です。また次のチャンスが巡ってこないかな。

2005年8月27日 (土)

夏の終わりに ~ツユクサ~

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夏の野草を代表する花の一つ、ツユクサ。なんとなく初夏の花というイメージを持っていたのですが、意外に花期は長くて9月まで続く様ですね。近所でまだ咲いていないかと探してみたところ、すぐにあちこちで咲いているのを見つける事が出来ました。派手さは無いのですが、この清楚な青色が夏にはふさわしい様に思えます。

ところで、小学生の頃、この草の葉で細胞の観察を行った覚えのある人はいらっしゃいませんか。私、この葉を摘んできては薄い表皮を剥がし、薬品で染めて顕微鏡で覗いたという記憶があります。顕微鏡を本格的に使うのが始めてで、作業自体が楽しくて仕方がなく、何枚も標本を作っては見比べてましたね。

ところが、当時花を見たという記憶が無いのですよね。今と違って花の方には関心がなかったのかな。理科の実験材料として見ていたのでしょうけど、ちょっと惜しい事をしたかな...。

2005年8月26日 (金)

ブログの様なマンガ ~とりぱん~ 

最近結構はまっているマンガがあります。それが「とりぱん」。

岩手在住の漫画家とりのなん子さんの作品で、主として自宅の庭に来る野鳥をモデルにしたギャグマンガです。

「とりぱん」は、なんだかブログの様な雰囲気があるのですよね。身近な話題を中心に、日記風にまとめた作品だからでしょうか。それとも等身大の作者が描かれているからなのかな。

今週号では、主人公の女性(とりのなん子さん?)が近所で鳴く鶯の居場所をさがすのに、自分の気配を消すために匍匐前進するシーンが描かれています。これを見て、オニヤンマの写真を撮るのに匍匐前進をしたというmononokeさんの記事を思い出し、思わずニヤッとしてしまいました。やっぱりブログっぽいでしょう?

まだ連載開始から日が浅いため単行本にはなっていませんが、毎回読み切り形式なので途中から読んでも面白いですよ。特に、自然派のブロガーにはお勧め。

週間モーニングにて連載中です。

2005年8月25日 (木)

京都 祇園夕景 ~夕涼み~

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祇園新橋と言えば、花見小路から西側の新橋通の両側に広がる町並みを指します。そして、その通りの名の元となっているのがこの新橋。なぜ新橋と呼ぶのかというと、1713年(正徳3年)に知恩院から縄手通りにかけて道が作られた際に、白川に新しく架けられた橋だからなのだとか。巽橋ほど有名ではありませんが、こうして欄干を見るとやはり祇園らしい造りになっています。

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その新橋の袂にあるお茶屋の前にあった竹製の夕涼み台。打ち水のされた石畳とあいまって、とっても涼しそうです。ちょっと座ってみたくなりますね。

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やがて迎える夏の灯ともし頃。祇園の町並みが最も風情を持つ瞬間です。

2005年8月24日 (水)

義経 33の2

義経 第33回 「弁慶走る」その2

熊野の別当湛増の屋敷。配下の者達と闘鶏にいそしむ湛増。自分の鶏が勝利を収めてご機嫌になっている所に、弁慶相手に散々な目にあった手下達が駆け込んできます。たった一人に痛めつけられたと知り、手下どもを叱りつける湛増。その相手の名が武蔵坊弁慶と聞き、どこかで聞いた事があると思い当たる節がある様ですが、すぐには思い出せません。そこに響いてくる弁慶のがなり声。湛増は客人も来ている事でもあるし、これ以上の面倒は背負い込みたくないと、手下どもに弁慶を追い払え、逆らうなら殺しても良いと命じます。

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2005年8月23日 (火)

義経 33

義経 第33回 「弁慶走る」

屋島の陣。平家方が西へと去った翌日に、軍勢を率いて到着した梶原景時。早速開かれた軍議の席で、景時はねぎらいもそこそこに三種の神器を取り返せなかった事を非難し、やはり水軍の到着を待つべきだったのだと義経に詰め寄ります。それは違うと言い返す義経、弁慶との間で言い争いになりますが、安田義定のとりなしでその場はなんとか収まります。

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2005年8月22日 (月)

京都 祇園夕景 ~祇園新橋~

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切り通しからこの巽橋を通って白川を渡ると、そこが祇園新橋です。


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橋を渡りきったところにあるのが辰己大明神。祇園の真ん中にあって、芸事の神様としての信仰を集めています。

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ここ祇園新橋は「祇園新橋伝統的建造物群保存地区」に指定されており、伝統的なお茶屋が建ち並ぶ最も祇園らしい風情を残した地域になっています。もっともそれは表向きだけで、一歩内側に回れば会員制のバーであったり、駐車場だったりするのですけどね。でも、これだけの町並みを保つのは、並大抵の努力で出来る事ではないと思います。

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その町並みに似合うのは、やはり和服ですね。舞妓姿は無論の事として、浴衣姿もまた景色に溶け込んで見えます。中でもたそがれどきは、一番風情を感じる事が出来る時ですね。


2005 F1 トルコGP 決勝結果

F1トルコGPの決勝結果は、次のところにあります。

決勝結果

F1トルコGPの決勝は8月21日に行われ、マクラーレンのライコネンがポール・ツー・ウインを達成し、今季5勝目を飾りました。2位にはルノーのアロンソ、3位にはマクラーレンのモントーヤが入っています。最下位からスタートした佐藤は11台抜きを演じましたが、惜しくもポイント圏内に届かず9位に終わっています。

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2005年8月21日 (日)

京都 祇園夕景 ~切り通し~

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京都、祇園。花街は、日暮れと共に目覚めます。ここ切り通しは、細い道の両側に家が建て込んでいるので暗くなるのが早く、一足先に明かりに灯が入りました。

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客を迎える為に、打ち水が撒かれた石畳。入り口には清めの盛塩が置かれます。今はまだ観光客が主役ですが、時間と共に粋客が集まり、舞妓や芸妓が行き交う夜の街へと変貌していきます。

喧噪が訪れる前の一瞬の静寂...。


夏の終わりに 色づき始めたコムラサキ

Dearさんでみかけたコムラサキの花。こんなに綺麗な花が咲いているのならと、昨年の秋に目星を付けていた場所に行ってみました。ところが...。

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もうとっくに花は終わっていて、既に実が色づき始めていました。花はもう少し前に咲いていた様ですね。ちょっと残念です。

まだまだ暑いですが、季節は確実に夏の終わりに近づいています。このコムラサキが綺麗に色づく頃は、すっかり秋になっている事でしょうね。

夏が去ろうとする時は、いつもちょっぴり寂しい気分になります。

2005年8月20日 (土)

2005 F1 トルコGP 2日目結果

F1トルコGP 2日目の結果は、次のところにあります。

フリー走行2日目 3回目
            4回目

公式予選結果

F1トルコGPのポールポジションは、マクラーレンのライコネンが獲得しました。2位にはルノーのフィジケラ、3位には同じくアロンソが入っています。

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馬町十三重石塔 佐藤継信・忠信の墓@義経

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屋島において、壮絶な最後を遂げた佐藤継信。その継信と弟忠信の墓と伝えられる石塔が京都にあります。それがこの馬町十三重石塔。敷地の外から撮っているので全体が写っていませんが、右の木の陰にも同じ型の石塔があります。

umamatisekitou12これらの石塔は今は京都国立博物館の中庭にあるのですが、元は東山五条から少し南に下った馬町にありました。その場所には今でも佐藤兄弟の墓と伝える石碑が建っています。でも、なぜ馬町に佐藤兄弟の墓があるのでしょう?

継信の墓と伝えられるものは、四国や福島などに複数が存在しています。それぞれ戦死した場所や佐藤家の菩提寺など、なるほどという理由があるのですが、ここ馬町には彼らと繋がる理由が乏しいように思われます。あえて探せば、義経主従が苦楽を共にした京都である事位でしようか。またここは小松殿と呼ばれた平重盛の屋敷跡にも重なるのですが、佐藤兄弟の墓を建てる理由にはなりそうにも無いですね。

ではこの石塔は何かというと、ここはかつての鳥辺野墓地の南の端にあたる事から、墓地全体の供養塔だったのかも知れないと考えられているようです。あるいは、ここは京都から山科へと抜ける渋谷越の入り口にあたる事から、旅の安全を願って建てられたものではないかという説もある様ですね。

塔に刻まれた銘文から1295年(永仁3年)年2月に法西という僧侶が願主となって建てられた事が判り、石塔の内部には小さな仏像や塔が納められていました。京都国立博物館のホームページに依れば、鎌倉時代の叡尊という僧侶に依る宗教活動としての慈善事業の流れを汲むものではないかとあります。だとすれば、宗教施設としての塔を建てる事と、それに連動して困民を救済する事が目的であり、鳥辺野墓地の供養塔であっても、安全祈願の供養塔であっても、どちらでも構わないという事になりそうですね。

この石塔にまつわる佐藤兄弟の墓としての伝説は、江戸時代に付与されたものの様ですね。街道脇に立つ立派な二基の石塔を不思議に思い、二基の供養塔=兄弟の墓という連想から、京都に縁のある佐藤兄弟に結びつけたものなのかも知れません。義経に対する忠誠を全うして死んだ兄弟には、こんな立派な墓こそふさわしいと考えたのでしょうね。

継信亡き後、忠信は壇ノ浦まで戦い抜き、曲折を経て京において亡くなります。ドラマでその生き様がどの様に描かれるのか楽しみに待ちたいと思います。

2005 F1 トルコGP 1日目結果

F1 トルコGP 1日目の結果は、次のところにあります。

フリー走行1日目 1回目
            2回目

今回が初開催となるF1トルコGPの初日のトップには、トヨタのゾンタが立ちました。2位にはマクラーレンのデ・ラ・ロサが入り、3位はモントーヤ、4位はライコネンと、マクラーレン勢が上位を占めています。

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2005年8月19日 (金)

京都 岡崎 美術の街

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京都洛東の岡崎は、かつては平安貴族が贅を凝らした六勝寺が建ち並ぶ仏法の地でした。今はその面影はなく、動物園、図書館、総合グラウンド、京都会館、みやこめっせなどが集まる、京都の文化が凝縮した地域となっています。

この京都市美術館もその一つ。昭和8年に完成した重厚な建物で、洋風煉瓦造り風の壁の上に和風の屋根が乗るという帝冠様式が採用されています。子供の頃から見慣れた姿で、美術館といえばこの建物だったのですが、改めてよく見ると東洋的と言うのか不思議な姿をしていますよね。

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京都と言うより関西を代表する大規模美術館の一つで、収蔵コレクションを展示する常設展のほか、海外の美術館と提携した展示が随時開催されています。今はルーブル美術館展が開催中ですね。

akinokehai32その京都市美術館の向かいにあるのが、京都国立近代美術館。こちらは昭和38年に開館した美術館で、その名のとおり近代美術を中心とした収集、展示を行っています。東京国立近代美術館と差別化を図る為に、主として関西在住の作家の作品を収集しているのだそうですね。その一方で、海外の美術館の収蔵品の展示も行われています。

今の建物は昭和61年に改築されたもので、京都市美術館とは対照的に、ガラスを効果的に使った超近代的な佇まいを見せています。それでも真正面から見ると、帝冠様式を少し意識している様にも見えますね。多分、周囲との調和を図っての事なのでしょう。この日は背後から射す夕陽がガラスに透けて、不思議な美しさを見せてくれていました。

同じ地域に二つの本格的な美術館が向かい合ってあるなんて、他にはあまり例が無いと思います。なんとも贅沢な話ですが、明治以後、政治の中心を東京に奪われてしまった京都が、せめて文化の発信地であり続けたいと願った結果なのでしょうね。

この岡崎の地には、千年の都が培った美に対する情念が、今もなお息づいているような気がします。


2005年8月18日 (木)

義経 32の3

義経 第32回 「屋島の合戦」その3

夜の義経の陣。沖合に浮かぶ平家の軍に対して打つ手が無く、さらに阿波から田口教能の軍3千が近づいており、義経達に危機が迫っていました。教能を味方に引き入れたいと願う義経の言葉に、伊勢三郎が自分にまかせよと名乗り出ます。大軍相手に命がけになる仕事ですが、なにやら自信ありげな三郎の様子に、義経はその申し出を受け入れます。

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2005年8月17日 (水)

京都 岡崎 疎水夕景

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午後8時に点灯される大文字を見るために、少し早めに訪れた京都洛東の岡崎。

いつもは緑一色の琵琶湖疎水の流れですが、
この時は空の残照を写して、オレンジ色に輝いていました。

こんなに綺麗な疎水は、初めて見た様な気がします。

義経 32の2

義経 第32回 「屋島の合戦」その2

高台に立ち、はるかに屋島を見渡す義経。軍議の席で、屋島と四国を隔てる川の様な水路は実は海で、引き潮になれば容易に渡れる地点があると教える近藤親家。しかし、平家の軍勢は2千から3千であり、250騎に過ぎぬ義経軍が攻め掛かるには数が多すぎました。そこで伊勢三郎が、三草山の戦の時の様に火を使って大軍に見せかければ良いと知恵を出し、義経はさっそくこれを採用します。枯れ木や枯れ草を集めて火を点ける役目は、親家が請け負いました。

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2005年8月16日 (火)

京都 大文字送り火 2005

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今年も巡ってきた五山の送り火の日。昨年はパソコンの前でほぼ日刊イトイ新聞のライブを見て過ごしたのですが、今年は京都に行く事が出来ました。やっぱり直に見る送り火は良いですね。

場所は一昨年と同じ岡崎。少し早めに行って場所を確保したのですが、藪蚊の襲来にあって大変な目に遭いました。急遽買い求めた虫除けスプレーの有り難かったこと。ここって、こんなに蚊が多かったかなあ...。

最初は閑散としていた場所も、点火時間が迫ると共に人が増え始め、何時の間にやら大勢の人で溢れた状態になっていました。点火と共に周囲から歓声が上がり、暗闇の中に描き出されていく大の字に見とれます。ここは割と距離が近いので、最初の内は火勢が強く、猛然と煙が上がっているのが見て取れました。

写真を撮るのは、相手が動かないので花火に比べれば楽なものです。じっくりと送り火を鑑賞しながら、シャッターを切る事が出来ました。ちゃんと心の中で手を合わせていた事は、言うまでもありません。

送り火からの帰り道では、虫の声が聞こえて来ました。送り火の後は、いつもどこからか秋の気配が漂い出す京都です。

2005年8月15日 (月)

義経 32

義経 第32回 「屋島の合戦」

1185年(元暦2年)2月17日夜半、暴風雨を衝いて摂津の国を出航した義経の5隻の船団。大波に翻弄され、風の中の木の葉の様に揺れる船の上で、懸命に舵を取る駿河次郎。少しでも速く走るために一杯に張った帆でしたが、あまりの強風に帆柱が折れそうになってしまいます。やむなく帆を下ろそうとした次郎でしたが、義経はこれを止め、太刀を抜いて帆に斬りつけ、いくつかの切れ目を開けます。すると上手い具合に風が抜ける様になり、帆柱が折れることもなく、船の速度も落とさずに済みました。やがて嵐も収まり、義経の船団は常ならば3日は掛かる行程を一日で駆け抜け、阿波国勝浦へとたどり着いたのでした。

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2005年8月14日 (日)

義経 31

義経 第31回 「飛べ屋島へ」

平家追討の総大将を命じられた事を郎党に伝える義経と、それを聞いて喜ぶ郎党達。そこに、梶原景時と影季の親子が現れます。頼朝から戦目付を命じられた景時が、義経にあいさつに来たのでした。義経は、歴戦の景時を陣営に迎えた事は心強いと、これを歓迎します。

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2005年8月13日 (土)

京都 嵐山花灯路

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伏見の花燈路を調べているついでに京都・花灯路のホームページを覗いたら、今度は嵐山でも花灯路を実施すると告知がありました。渡月橋に嵯峨野の竹林、天竜寺や大覚寺のライトアップなど、かなり魅力的な企画ですね。でも、開催期間を見てちょっと引いてしまいました。12月9日から18日にかけてなの開催なのですね。うーん、夜の散策を楽しむには寒すぎるような...。

春の花灯路は、気温は似た様なものでも、ようやく訪れた春を少しでも早く楽しみたいという気持ちがあるから、ちっょと出かけてみようかという気にもなります。しかし、これから冬を迎えようという時期に寒い中を歩きたいと思うかというと、かなり微妙ですね。場所が良いからとりあえず一回は行くかも知れませんが、暖を取れる工夫が無いと二度と行かないだろうなあ...。

観光客が減る時期を狙っての開催というのは判りますが、どうせならもっと良い時期にやって貰いたいですね。それに、京都中で年中花灯路ばかりというのもなんだかなあ、という気がします。あんまりやりすぎるとすぐに飽きられて誰も来なくなるのではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか。

ちなみに、来年の春の花灯路は、3月11日から21日まで実施されるそうです。こっちはまた行きたいと思ってます。

2005年8月12日 (金)

京都 伏見 花燈路

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京都の伏見で行われている花燈路に行ってきました。川べりや酒蔵のある通り沿いに設置された約300基の灯籠が、日暮れと共に灯され幻想的な風景を描き出します。

上の写真は月桂冠旧本社。大正時代に建てられた建物で、灯りに照らされた犬矢来が印象です。なんとなく腰高な印象を受けますが、宇治川の氾濫に備えて道路から1m程の高さの所に床面が造られているのだとか。今は伏見夢百衆と名を変え、土産物売り場や喫茶店として活用されています。

fusimihanatouro15ここは、幕末史の舞台となった寺田屋。昨年の大河ドラマ「新選組!」でも幾度となく登場してましたよね。昼間でも時代を感じさせる佇まいですが、夜になると余計に幕末の風情を感じます。特に灯りの入った提灯が良いですね。今にも玄関の扉を開けて、龍馬やおりょうがひょっこりと顔を出しそうな気がします。

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こちらは十石船「花燈路ライトアップ運航」。「徒然なるままに」のMilkさんはこれに乗られたそうですね。水路の上から見る伏見の町並みは、また違ったものが有ることでしょう。
まだ他にも見所があるのですが、突然雨が降り出した為に途中で切り上げてきました。日暮れ時には月が出ていたのですけどね。

このイベントはPRが足りないのか人出が少なく、のんびりと楽しむ事が出来ます。7月29日から始まっており、期間は8月14日までと残りはわずかですが、夕涼みがてら出かけるには丁度良いイベントですよ。


2005年8月 6日 (土)

京都 祇園散歩 芙蓉

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もみじに囲まれながら、朝日を浴びて輝いている花は芙蓉。この透明感が何ともいえず綺麗でした。

fuyou12実は私、この写真を撮っている間は木槿だと思いこんでいました。しかし、葉の形を見ると、どうやら芙蓉だったようですね。このふたつの花は、見分けるのはなかなか難しいですが、木槿の葉は卵形かもっと細長いものが多いようですね。

同じアオイ科の仲間だけあって、ハイビスカスの花にも似ています。特に雄しべと雌しべの形がそっくりですね。これがアオイ科の特徴なんだとか。

でもこの柔らかい雰囲気は、芙蓉ならではのもの。静かな京都の朝の雰囲気には、ぴったりの花でした。


京都 八坂神社にて


2005年8月 5日 (金)

京都 祇園散歩 八坂神社

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朝の散歩は気持ちが良いものですが、中でも神社の境内は清々しい空気に満ちています。

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ここ八坂神社では、舞殿に奉納されていた神輿と伴に祇園祭の喧噪も去り、朝日の中で落ち着いた風情を取り戻していました。

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お祭りが終わっても、朝早くから参拝する人は絶えません。とても有名な神社ですが、地元の人にとっては身近な氏神様でもあるのですね。

私にとっても、京都の中で最も落ち着く場所の一つです。

2005年8月 4日 (木)

京都 祇園散歩 朝顔

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木造家屋が続く祇園を歩いていると、一際大きくて目立つ建物と出会います。姫路城を模したという弥栄会館で、薄緑色の和風の屋根が印象的です。この会館が出来たのは昭和11年の事で、映画館やダンスホールなど、当時の流行の最先端を祇園に取り入れる為に建てられました。今は祇園の文化を紹介する祇園コーナーが設置されており、同じ敷地内には都おどりが行われる祇園甲部歌舞練場があります。

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その裏手にあるのが八坂女紅場学園。舞妓や芸妓のための学校で、茶道、華道、能、長唄など、お座敷で披露するための様々な芸をここで学びます。この朝顔が植わっていたのは、その学校の門前。誰も居ない道ばたで、朝日を浴びて気持ち良さそうに咲いていました。

厳しい稽古の行き帰りに、舞妓達もこの花を目にしている事でしょう。夜の世界とはまるで異なる花を見て、ほっとする瞬間が、もしかしたらあるのかも知れないですね。

2005年8月 3日 (水)

夕空晴れて...

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夕空を背景に悠然と飛ぶアオサギ。これからねぐらに帰るのでしょうね。
水辺に佇む姿もよいけれど、飛んでいる姿も絵になる鳥です。

京都 祇園散歩 打ち水

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朝の8時といえば、普通の町なら人々が目覚めて活動が始まる頃です。しかし、ここ祇園は夜の町。この時間は前夜の喧噪が収まり、ようやく寝静まったところです。ほとんど通る人もない道ですが、ここ新橋のたもとではちゃんと打ち水が施されてありました。

kiritousi12こちらは巽橋に続く切り通し。ここも石畳が濡れていて、なかなか綺麗です。前の日の塵を残さないという配慮なのでしょうか、これも花街の粋というものなのでしょうね。

夜の町を昼間に歩くと、夜には見えない色々な発見があります。夏なら朝がお勧め。綺麗に掃き清められた道を歩くのは、とても気持ちが良いものですよ。

ただし同じ祇園でも、雑居ビルが並ぶ界隈は別。前夜の名残がそのまま残っているので、避けた方が賢明です。


義経 30の2

義経 第30回 「忍び寄る魔の手」その2

鎌倉、大倉御所。御家人達を前に、公文所及び問注所を設けると伝える頼朝。そして公文所の別当に大江広元、所司に藤原行政、問注所の執事に三好善信ほかをそれぞれ任命しました。公文所は財政や一般政務を、問注所は訴訟・裁判をそれぞれ取り扱う機関です。この重要な部署の長官に、関東の御家人ではなく頼朝が京都から連れてきた側近を任命した事に不安を覚える時政。

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2005年8月 2日 (火)

義経 30

義経 第30回 「忍び寄る魔の手」

平家追討軍から外された義経は、検非違使としての任務に励んでいました。宿所に帰った義経に向かって、軍勢に加われなかった事に不満を漏らす郎党達ですが、義経は御家人としての勤めに軽重はないと彼らを諫めます。

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ハバネロカレードーナツ

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暑い時には辛いものが体に良いと言います。その真偽はともかく、見るからに辛そうなパンを見つけました。その名もハバネロカレードーナツ。

habanero12ハバネロと言ってもスナックの「暴君ハバネロ」とは直接関係が無くて、その原料になっている世界一辛いという唐辛子を使ったカレーを挟んだドーナッツとの事です。パッケージにハムとカレーの組み合わせとある様に、カレーをハムで包み込むようにしてドーナツパンの中に入れてあります。

さて、恐る恐る食べてみたのですが、確かにものすごく辛い。でも、辛いだけではなく、しっかりとカレーの味が残っています。そして何より、ハムがうま味を増しているのですね。意外とカレーとハムというのは相性が良い様です。

半ば酔狂で買ってみたパンでしたが、思っていた以上に美味しかったです。辛いものが好きな人や、カレー好きな人には結構お勧めですよ。

2005年8月 1日 (月)

暑中お見舞い申し上げます

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この間、梅雨が明けて夏が来たと思ったらもう8月。月日が経つのは早いですねえ。
連日うだる様な暑さが続きますが、涼しそうに水の中を泳ぐ鴨の写真をお届けして、
暑中見舞いとさせて頂きます。

京都 祇園 白川にて


2005 F1 ハンガリーGP 決勝結果

F1ハンガリーGPの決勝結果は、次のところにあります。

決勝結果

F1ハンガリーGPの決勝は、7月31日にハンガロリンクにて行われ、マクラーレンのライコネンが優勝し、今季5勝目を上げました。2位にはフェラーリのミハエル・シューマッハ、3位にはトヨタのラルフ・シューマッハが入っています。また、B.A.Rの佐藤琢磨が8位に入り、今季初ポイントをゲットしました。

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ねこづらどき

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