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2004年5月

2004年5月31日 (月)

Yahoo!検索エンジン変更

今日、アクセス解析を見ていてどうもおかしいと思ったのですが、
Yahoo!が今日から検索エンジンを変更したのですね。これま
でGoogleを使っていたのですが、「Yahoo! Search Technology
(YST)」という自社開発のものに変えたのだそうです。これがど
ういうアルゴリズムを使っているのかは判りませんが、確かに
Googleの結果とは随分と違っていますね。

検索エンジンによって結果が変わる事は良い事だと思います。
どこで探しても同じ結果というのでは、情報の幅が狭くなるだけ
ですからね。ただ、どういう基準で探しているのかは知りたい
ところです。探す方としても、作る方としてもね。

で、わが家の結果なのですが、「ねこづらどき」はそのままヒット
しました。まあ、他に使っているところなんてないものね。

けれども、これまでヒットしていた数々のキーワードが出てこなく
なっている様です。さらに、ホームページの方は京都の散歩道
が全くヒットせず。なんてこった。

検索エンジン経由はYahoo!が一番多かったので、これからしば
らくは、アクセス数がかなり減る事でしょうね。時間が経てば変
わってくるのかな。今日の結果は、すでにGoogleがYahoo!を上
回っています。

ホームページの作り方で、Googleに合わせた作り方はなんとな
くコツが判り掛けていたのですが、違ったポイントが必要になる様
ですね。また、情報を一から集めなくっちゃ。

F1 ヨーロッパGP 決勝結果

F1 ヨーロッパGPの決勝結果は、次のところにあります。

ヨーロッパGP決勝結果

佐藤琢磨、惜しかったですね。2位表彰台が見えていたのに、あのアクシ
デントとエンジンブロー。なんとも残念な結果でした。

佐藤のスタートは、やはりイン側だったのが災いしてトゥルーリに交わされ、
さらに抜き返えすというバトルを展開している内に、ライコネンとアロンソに
先行を許し、4位にまで後退してしまいます。まあ、これはグリッドのせいも
あって仕方がなかったでしょうね。しかし、2位を走るライコネンのペースが
上がらず、シューマッハの独走を許す事となり、勝敗の行方は序盤早々に
決まってしまいました。でも、佐藤には初の表彰台という夢が掛かっていま
す。

その後のB.A.Rのピット戦略は、見事でした。今シーズン初めてといって
良い素晴らしいピットワークで佐藤を送り出し、順位を上げる事に成功してい
ます。何度も何度も練習した甲斐があった様ですね。3度目のピットストップ
の後、バリチェロにわずかに及ばなかったのは惜しかったですが、十分2位
を狙える位置であり、またスピードがありました。そして、バリチェロとのアク
シデント。佐藤は、十分な速度差があって、抜けると思っていた様です。そし
て、バリチェロはミラーを見ていなかったのだろうと非難しています。しかし、
客観的に見て、あの追い越しは無理だったでしょうね。バリチェロは、「彼は
未熟だ」と言っていますが、そこまで言われなくてもあそこであせる必要はな
かったでしょうね。もっと落ち着いて隙を伺っていれば、もっと楽に抜けるチャ
ンスはあったと思われます。もっとも、その後エンジンがブローしてしまって
いるので、結局は同じ事だったのかも知れませんが...。

決勝後のインタビューの中で、トップ3の3人が揃って佐藤の速さを認めてい
ます。確かに、画面を通しても、彼の走りが実にスムーズでかつ速い事が伺
えました。本当に惜しいチャンスを逃したと思いますが、実力は十分に示せた
と思われます。今後、必ず表彰台に上れる日が来る事でしょう。それも、近い
内にね。

レースの方は、フェラーリの圧勝でした。序盤にライコネンが3位以下を押さえ
込んだ事が幸いしたのは間違いありませんが、それにしてもフェラーリの強さ
を見せつけられました。フリー走行でぱっとしなかったのは、三味線を弾いて
いたという事だったのかな。それに、ブリジストンよりミシュランの方が有利と
思っていたのですが、そうでもなかった様ですね。総じて見れば、互角だった
という事になるのかな。

マクラーレンは、やっぱり完走出来なかったですね。予選は、ぎりぎりまで燃料
を軽くして、とにかく地元で結果を示そうという事だった様です。まだ、復活には
遠い様ですね。次のバージョンはイギリスGPから投入とか。早く、競争力を取り
戻してもらいたいものです。

ウイリアムズは、同士討ちからやっと1ポイント獲得という、惨憺たる結果でした。
まあ、最下位からとにかくポイントをゲットしたのですから力はあるのでしょうけど、
ここは本当に歯車が狂ってしまっていますね。

敢闘賞は、ザウバーのフィジケラでしょうか。グリッドの最後方からのスタートだっ
たにもかかわらず、6位に入賞して見せました。テレビの画面にはほとんど映って
いなかったので展開は判らないのですが、現在望み得る最高の結果を手にした
のではないでしょうか。彼も、トップチームで走らせてみたい一人ですね。

残念だったのがトヨタ。ダ・マッタは、序盤のアクシデントに巻き込まれて姿を消し、
パニスの方は最初の内は頑張っていたようですが、その後ズルズルと後退して、
結局は11位に終わっています。せっかくポイントゲットのチャンスだったのに、惜
しい事をしました。しかし、それだけまだ速さが足りないという事なのでしょうね。

さて、終わってみればフェラーリ、B.A.R、ルノーの順に並んでおり、現在の力
関係をそのまま表した結果となりました。今後も、この3チームが今シーズンを引
っ張っていくのでしょうね。そして、結果は出なかったとはいえ、佐藤の速さには
目を見張るものがありました。ファステストラップこそシューマッハに譲っています
が、佐藤は2位の数字を残しています。データからも彼の速さは示されています
ね。私としては、なかなか楽しめたレースだったのではないかと思います。

次のカナダGPの決勝は、6月13日に行われます。

2004年5月30日 (日)

F1 ヨーロッパGP 予選結果

F1 ヨーロッパGPの予選結果は、次のところにあります。

公式予選1回目

公式予選2回目

佐藤琢磨がやりました!予選2位、日本人初のフロントロウの獲得です!
凄い、凄い!

今回のGPはB.A.Rが好調で、フリー走行から予選まで常にタイムシート
の上位に着けて来ました。初日がデビッドソン、2日目のフリー走行がバト
ン、そして一番肝心な予選で佐藤と3人のドライバーが交代で好パフォーマ
ンスを発揮しています。これは、車そのものが好調である事を示しており明
日の決勝に向けて大いに期待が出来そうです。

しかし、佐藤は本当に頑張ってますね。1回目の予選では堂々のトップタイ
ム。それもただひとり27秒台に入ってスペインに続くレコード記録を作って
います。2回目の予選では、コンディションの変化から1回目の様には行か
なかった様ですが、それでも28秒台を記録したのはシューマッハと佐藤の
二人だけですから大したものです。モナコのスタートはフライングだとか、シ
ューマッハにヒットしていった危ないものだったとか色々雑音がある様です
が、今度はフロントロウからのスタートです。誰にも文句を言わせないスター
トを決めて、シューマッハの前を走って欲しいですね。

そのシューマッハ、このGPでは今ひとつ生彩を欠いていたのですが、最後
に実力を見せつけました。バリチェロやザウバー勢を見ていると、決してブリ
ジストンタイヤがここにマッチしている様には思えないのですが、それでもポ
ールを取って見せたのですからさすがの一言です。それに、珍しく決勝レー
スでの勝利宣言をしていますね。よほど自信があるのか、B.A.Rに対する
牽制なのか。

佐藤にとって気になるのが、3位のトゥルーリ。ここもスタートが良いですから
ね。特にトゥルーリは前戦の優勝で波に乗っていますから、最も警戒すべき
相手です。要注意ですね。

4位に入ったのがライコネン。マクラーレンは、予選で前に来る所までは復活
してきたという事なのでしょうか。ここが元気になるとレースが面白くなるので
すが、決勝ではどういうパフォーマンスを見せてくれるのでしょうか。まずは、
最後まで走りきれるかどうかがポイントですね。

5位がバトン。彼は終始グリップ不足を訴えていますね。佐藤はどうなのでしょ
うか。決勝レースに響かなければ良いのですが。

ウイリアムズの2台は8位と9位。ラルフはそれなりの活躍をしていたのです
が、2回目の予選で力を出す事が出来ませんでした。モントーヤと共に彼も
車のパフォーマンスが足りないと言っています。ここは、パトリック・ヘッドが裏
方に回ってチーム体勢を立て直そうとしていますが、果たして上手く行くのか。
ドライバーが二人とも揃ってチームを出て行くと言っている様では、チームの士
気が上向くはずもないと思えるのですが...。

そして、10位、11位に入ったのがトヨタ。ここは、ようやく落ち着いてきた様で
すね。トヨタの直接のライバルはザウバーとジャガー。この2チームに対しては
優位を築く事が出来た様です。上手くすればポイントを獲得出来るポジション
まではたどり着けました。ここから先が大変なのですが、早くB.A.Rと覇権
を賭けた争いをして欲しいものです。それと、日本人ドライバーを乗せてくれた
ら良いのだけどな。

さて、決勝レースが楽しみですね。まずはスタートを決めて欲しいのと、何より
チームがちゃんとバックアップしてやって欲しいですね。フェラーリやルノーに負
けない戦略を立て、素早いピットワークで送り出してもらいたい。決してタイヤの
空気圧を間違えたりしないでね。つまらない駆け引きのために佐藤に向けて雑
音を出すより前に、ちゃんとやるべき事をやって欲しいですね。

今夜、佐藤が表彰台に上がった姿が見られると良いな!

2004年5月29日 (土)

F1 ヨーロッパGP 1日目

F1 ヨーロッパGP 1日目の結果は、次の所にあります。

フリー走行1日目 1回目

フリー走行1日目 2回目

ヨーロッパGPは、波乱含みで始まりましたね。ずっと不調が続いていた
ライコネンがトップ、メルセデスの地元で意地を見せてくれました。クルサ
ードも4位に入っており、いよいよマクラーレンの復活か?この調子が2
日目以降も続けば面白いのですが。

2位には、相変わらず好調なB.A.Rのバトン。終始グリップが足りない
とコメントをしていますが、それでも2位になるから凄いですね。これに対
して佐藤は14位ともの足りません。彼もグリップ不足を訴えており、まだ
セットアップが十分煮詰められていない様です。B.A.R自体はこのコー
スでも速そうですから、2日目以降順位を上げてくれる事でしょう。

フェラーリは、6位、9位とこのチームにしてはやや低調な出だしです。シュ
ーマッハの方には珍しくトラブルがあった様ですね。モナコの結果で、流れ
が変わってしまったのか。2日目以降、このチームがどう立て直してくるの
か、注目してみたいと思います。

前戦で初優勝を遂げたルノーのトゥルーリは5位、僚友のアロンソは8位
と微妙にフェラーリを上回る結果を出しています。ここでも、フェラーリやB.
A.Rと接戦を繰り広げる事になるのでしょうか。

1日目の結果だけでは何とも言えませんが、もしかすると、このサーキット
には、ミシュラン勢の方が適しているのかもしれません。だとすると、前戦
以上に面白いレースを見る事が出来るかもしれませんね。マクラーレンの
復活が本物かどうかも含めて、2日目の結果を楽しみに待ちたいと思いま
す。

2004年5月28日 (金)

電池が切れるまで 6

電池が切れるまで第6話「また会える日まで! 小児病棟涙の別れ…」
いきなり現れた相馬先生をどう扱うのかと思っていましたが、意外に良い
人に描いていますね。男子生徒はボイコットしていますが、涼子はちゃん
と救ってやりました。院内学級における学力の問題は、難しいところなの
でしょうね。ただ、相馬先生はあまりにも厳しすぎるという気がしましたが。

涼子は、院内学級としては幸せな退院でした。それでも、葛藤は伴いま
す。長期の入院となると、元の生活に戻るのは大変な事なのでしょうね。
本人の頑張りも必要でしょうけど、それ以上に周囲の理解が大切だと思
われます。その点、相馬先生の取った対応は適切なものでした。

一方、一人残される実羽の心は乱れに乱れます。幼くして家族と離れ、
つらい検査に行動の制約、そしてさらに手術。その上友達と別れる訳で
すから、しっかりしろと言う方が無理ですよね。永井杏ちゃんは、そんな
不安を抱える子供を見事に演じています。彼女は現在11歳の6年生、
わが家の2人の息子の丁度間になりますが、実に達者なものです。将
来が楽しみですね。

さて、柳楽優弥くんの快挙があり、低迷していた視聴率は上向いて呉れ
たのでしょうか。これから彼が活躍する場面が増えるのかな。来週は相
変わらず授業をボイコットしたままのようですが、相馬先生と和解するの
でしょうか。

次回は、手術の結果身体が不自由になってしまった子供がテーマにな
る様です。また、重いテーマですね。どういう展開を見せてくれるのか、
じっくり見てみたいと思います。

2004年5月26日 (水)

新選組!12の2

今回の新選組!マイナー隊士の紹介は、野口健司です。

野口健司はあまり資料が残っておらず、謎の部分が多い隊士です。新選組始末記で八木為三郎は、「ただ痩せた丈の高い人だったような朧な気がする。」とだけ述べています。このドラマでは岡本幸作さんが演じており、若いというより幼いという印象を受けます。それもそのはず、当時21歳だったのですね。これは、22歳だった沖田総司よりも若く、藤堂平助より一つ上という事になります。

彼は、1843年(天保14年)に水戸で生まれています。江戸の百合元昇三道場で神道無念流を学び、目録を得ました。この道場には永倉新八が住み込んでいた事があり、二人が旧知の仲だった可能性が考えられます。永倉は野口よりも4歳年長であり、二人が一緒に居た時期があるとすれば、永倉が兄貴分のような存在だった事でしょうね。

1863年(文久3年)の浪士組の募集に際しては、芹沢鴨らと共に参加しています。芹沢との接点がどこにあったのかはよく判っていませんが、おそらくは郷党の先輩であり、同流の皆伝者でもある芹沢と江戸で出会い、誘われるままについてきたというのが実態ではないでしょうか。自然、隊では芹沢のグループに属し、行動を共にします。芹沢が京都に残留を表明すると共に残り、新選組結成メンバーの一人として名を連ねる事になります。新選組での地位は副長助勤でした。

彼の事績としては、まず平野屋から借りた100両の借用書の筆頭に名前が見られます。昨日の記事に書いた様に、土方、永倉、沖田らと共に金策を行った時のものです。次に彼の名前が出てくるのが、6月3日の大阪相撲との乱闘事件です。

この前日、彼は、芹沢、近藤、山南、沖田、永倉、斉藤、平山、井上、島田と共に大阪を騒がせる浪士の取り締まりのために下阪し、浪士の捕縛に成功しています。翌日、所用のあった近藤と井上を除く8人は大川で船遊びに興じます。彼等は、船を下りた後北新地へ向かうのですが、この道すがら大阪相撲の力士と口論になり、島田がこれを投げ飛ばしてしまいます。これが発端となり、大阪相撲の力士が仲間を集めて芹沢達の居た住吉楼に押し寄せました。その数50から60人と言います。芹沢以下の隊士は抜刀してこれに立ち向かい、力士側に死者3名、手傷14名という損害を与えました。この事件は、相撲側が武家に失礼を働いたと折れる事で決着し、その後は力士が隊士に道で出会うと、道端に寄ってあいさつをする様になったと永倉の手記にあります。

この事件のあと、野口健司の名が記録されている事件はありません。9月13日に新見錦が切腹し、18日には芹沢と平山が暗殺され水戸グループは事実上壊滅してしまうのですが、彼一人は生き残ります。彼は、暗殺のあった夜は、芹沢達とは別行動を取って角屋に残っていたため、難を逃れたと考えられます。このあたりも良く判らないところなのですが、一説には、芹沢達とは世代が異なることから、芹沢と一緒に居るよりも沖田や藤堂といった歳の近い隊士と行動を共にする事が多く、芹沢とは自然と距離を置く様になっていたのではないかと言われています。また、永倉との関係があって、芹沢とはだんだん離れていったと考えられなくもありません。

芹沢の死は、対外的には病死、隊内には長州藩の刺客に襲われたものとされていたため、永倉でさえ長く真相を知る事はありませんでした。野口も芹沢が近藤達に殺されたとは知らなかったと思われ、その後も脱走する事なく新選組に止まっています。その彼も、ついには切腹に追い込まれます。12月27日、前川邸の綾小路通りに面した一室でした。その理由は、当時の隊士にも良く判らなかった様です。八木源之丞は、「芹沢との関係で、何かつまらない理由で詰め腹を切らされたのではないか。」と推測しています。

一説として、近江中羽田村において起こった騒動の責任を取らされたのではないかと言われています。これは、水戸藩士が壬生浪士を名乗り、当地であった騒動に加わって扇動していたというもので、村人から新選組に対して訴えが出ていました。これについて、野口が切腹した12月27日の日付けで、近藤から中羽田村の庄屋代官宛に、(壬生浪士を名乗っていても当方は関与しないから)そちらで善処されたいという旨の文書が出されています。この騒動と野口がどう関係していたのかは判りませんが、日付が一致すること、当時水戸出身の隊士は野口しか居なかったことから何らかの係わりがあり、その責任を問われて詰腹を切らされたのではないかとされています。

表向きはそうでも、実際には水戸グループが隊内に居る事が好ましくなかったのではないでしょうか。特に会津藩にとっては、新選組が思想集団である事は望ましい事ではなく、意のままに動く警察組織として位置づけておきたかったでしょうから。芹沢の粛清は会津藩から指示が出ており、同時に芹沢の息のかかった隊士はすべて始末する様指示が出ていたのかもしれません。

野口健司の切腹した部屋の外観の写真は次のところにありますので、よろしければご覧になって下さい。

http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/維新の道_003.htm#bookmark1

この項は、子母澤寛「新選組始末記」、新人物往来社「新選組銘々伝」、木村幸比古「新選組日記」を参照しています。

2004年5月25日 (火)

新選組!12

新選組!第20回「鴨を酔わすな」、とうとうだんだら模様の制服
が出て来ましたね。これで、ぐっと新選組らしい雰囲気が出て来
ました。やっぱり、ユニフォームというのは大事なものですね。

この羽織を作ったお金ですが、ドラマでは芹沢が集めて来たこと
になっていますが、実際には大阪の平野屋という豪商から芹沢、
近藤、新見の連名で借りた100両でまかなった様です。この時
の手口はかなり巧妙というか執拗なもので、局長達の指示の下、
配下の土方、野口、永倉、沖田らが入れ替わり立ち替わり平野
屋を訪れ借金を申し込み、平野屋が音を上げるまでこれを繰り返
した様です。ただ、乱暴を働く様な事はしなかった様で、とにかく
しつこかったらしいですね。彼等は、この後鴻池家からも200両
の金を借り出しています。

この借金について、ドラマの中で芹沢が会津藩の広沢富次郎に
向かって「会津藩が何もしてくれないからだ」とからんでいました
が、実際にはこの事を知った会津藩が驚き、借りた金を会津藩が
立て替えて返済し、その後隊士に対して月々の手当を出す様に
なりました。しかし、新選組と大阪の豪商との縁は後々まで続き、
1864年(元治元年)には、会津藩公用の名目で近藤が保証人
となり、鴻池を主とするグループから、7万1千両(約42億円)に
も及ぶ金を引き出す事に成功しています。

さて、前回は芹沢と久坂、今回は芹沢と桂という具合に長州藩と
のからみが描かれていますが、当時は長州藩と水戸藩は概ね友
好関係にありました。1860年(万延元年)には桂と水戸藩の西
丸帯刀との間で水長密約を交わしていますし、浪士隊と前後して
京都に入った水戸藩の本国寺党は、長州藩の手引きで上洛して
います。ただ、水戸藩と言っても一枚岩ではなく、様々な党派があ
って複雑なのですが、芹沢の立場は本国寺党に近かった様で、こ
のことからすると久坂や桂ともめる事は考えにくいと思われます。
ドラマでは、芹沢や桂の口を借りて、当時の長州藩の世評や、三
谷流の芹沢の解釈を説明したかったのでしょうね。

芹沢は、久坂や桂に向かって、「長州藩は、攘夷を名目に、自分
達の野望のために朝廷を好き勝手に動かそうとしている。」と非難
しています。これは、当時の京都はほとんど長州藩の独走状態で、
これを見た幕府や薩摩藩などは、長州藩は毛利幕府を作るつもり
に違いないと観測しています。実際、ずっと後の事ですが、長州藩
主が左右に対して、「自分はいつ将軍になるのだ。」と聞いたという
逸話が伝えられています。桂や久坂が目指していたものは毛利幕
府ではなく、雄藩による連合政権という様なものだったと思われま
すが、多くは長州は政権を私にするつもりだという観測を持っていま
した。これが、後の八・一八の政変へと繋がって行きます。

また、桂は芹沢に向かって、「なぜ天狗党に入らないで、幕府の走
狗となっている。」と切り返しますが、確かにこれは芹沢にとって痛
い所でした。ただし、もう少し後になって、八・一八の政変で長州藩
を追い落とした後の事ですが。この政変以前の新選組は、芹沢達
の主導のもとにあり、あくまで尊王攘夷のための結社でした。ところ
が、八・一八の政変のときに御所の警備につき、尊王のために尽く
したのまでは良かったのですが、このあと市中警護の役目を請け、
長州藩を主とする尊攘派を敵に回す事となります。これは、芹沢に
とっては、大きな誤算だったはずです。彼の立場は佐幕には違いあ
りませんが、あくまで攘夷派であり、開国に反対する志士を取り締ま
る立場に立った事は、彼の中で大きな矛盾を産む事になったと思わ
れます。おそらく、郷党からも開国派に寝返ったと非難を受けたこと
でしょう。ドラマの中で芹沢は泣いていましたが、実際にも泣きたい
心境になった事もあったのではないでしょうか。

ここで、ちょっとおもしろいのが、新見錦の描写です。「だから芹沢さ
んは今ひとつ大きくなれないのだ。」と冷ややかにつぶやき、土方が
目をそばだてていましたが、新見と芹沢の微妙な立場の違いを表そ
うとしている様ですね。

以前にも書きましたが、新見は新選組隊士としては、唯一、京都護
国神社
に祭神として祀られています(御陵衛士となった伊東達は除
きます)。すなわち、勤王の志士として認められているという事を示
し、芹沢とは際だった違いが見られます。ウェブ上の情報でしか確
認できないのですが、長州藩が外国船に対して砲撃を行った時に
新見も応援に駆けつけたという説があり、相当に長州藩寄りだった
事が伺えます。このことから長州藩の間者だったという説もある位で
すが、そこまで言い切る資料がある訳ではありません。そういえば、
相島一之さんの演じる新見錦は、どこか神道家の様な雰囲気があ
る気がしますね。このドラマで、新見錦を今後どのように扱うのか興
味深い所です。

新見錦については、次の所にも書いていますので、よろしければご覧
になって下さい。

http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/洛東.htm#bookmark2

今回は長くなりましたので、マイナー隊士の紹介は、明日アップする
ことにします。

この項は、子母澤寛「新選組始末記」、木村幸比古「新選組日記」、
新人物往来社「新選組銘々伝」、学研「新選組」、別冊歴史読本「新
選組の謎」、同「新選組を歩く」、光文社文庫「新選組読本」及びウェ
ブ上の情報を参照しています。


2004年5月24日 (月)

F1 モナコGP 決勝結果

F1 モナコGPの決勝結果は、次のところにあります。

モナコGP決勝結果

F1モナコGPで、ルノーのトゥルーリが初優勝を遂げました。1997年
にデビューして以来、119戦目の事です。彼は、フラビオ・ブリアトーレ
に才能を認められてミナルディからデビューしています。第8戦フランス
GPからは負傷したパニスに代わってプロストに移籍し、いきなり予選6
位をゲットします。その後ドイツGPでは決勝で4位に入って見せ、オー
ストリアGPでは予選3位からスタートし、決勝レースの大半でトップを
快走するという活躍を見せます。当時、誰もが新しいスターの誕生を予
感していました。

ところが、この後不運が彼を襲い続けます。プロストからジョーダンと渡
り歩きますが、彼が移籍した先のチームはなぜか下り坂になってしま
い、一発の速さで時折めざましい活躍を見せるものの、車の性能、信
頼性に恵まれず、さしたる活躍は出来ずに終わります。2002年にブリ
アトーレによってルノーに呼ばれ、2年目の昨年になって33ポイントを
獲得し、やっと才能の片鱗を示す事が出来ましたが、それでもアロンソ
の活躍が目立つ中、影に隠れ勝ちでした。

トップを走るトゥルーリの姿を見守るブリアトーレが、ずっと落ち着かない
様子だったのは、こういう経過があったからです。自分が見いだした才
能が、長年の苦労を経てやっと開花する瞬間を、祈る様な気持ちで見
ていたのですね。強面のブリアトーレにあんな一面があったとは、本当
に意外でした。

また、地上波のコメンテーターをしていた片山右京が感極まっていた様
ですが、トゥルーリがデビューしたときのチームメイトが彼で、デビューし
たてのトゥルーリを、弟の様に可愛がっていたのですね。トゥルーリがプ
ロストに移籍して予選6位になったとき、右京はプロストのピットに駆け
つけ、トゥルーリに抱きついて祝福していました。右京は、ミナルディドラ
イバーの実力を示して呉れたと言って喜んでましたっけ。そんな関係が
あって、今回の初優勝は、我が事の様に嬉しかったのでしょうね。

さて、レースの方は大荒れで、完走がわずかに10台と最近に無いサバ
イバルレースでした。なんとも残念だったのが佐藤で、素晴らしいスタート
でいきなり4位に上がって見せたのですが、3周目にエンジンがブロウし
リタイヤに追い込まれています。完走していれは表彰台も見えていたの
ですけどね、本当に惜しかったです。

また、リタイヤに追い込まれたとは言え、フェラーリのシューマッハは凄
いレースを見せてくれました。ほとんど予選並のラップを刻んで見せ、最
後まで走っていればどいういう結果になったか判らないという奮闘ぶりで
した。さすがに、桁違いの底力を持っています。

B.A.Rのバトンは、トゥルーリを後わずかまで追い込んだのですが、逆
転はならず2位でした。惜しい結果でしたが、やはりスタートと戦略で、ル
ノーに負けていましたね。

トヨタは初めてのダブル入賞で、息を吹き返しました。車が良くなったとい
う訳ではない様ですが、ポイントゲットには違いありません。ここから、浮
上してくれると面白いのですが。

可哀想だったのがライコネン。上位にとどまって健闘していたのですが、
最後は車の信頼性に足を引っ張られました。恵まれないシーズンにあっ
て、やっと訪れたチャンスだったのですけどね。

これでフェラーリの連勝が止まりましたが、これが今シーズンの転機とな
るのでしょうか。今回はルノーでしたが、次はB.A.Rの番?フェラーリに
勝てるとすればこのどちらかでしょうね。それが佐藤だったら良いな。

ヨーロッパGPの決勝は、5月30日に行われます。


2004年5月23日 (日)

F1 モナコGP 予選結果

F1 モナコGP 予選結果は、次のところにあります。

公式予選1回目

公式予選2回目

フリー走行までは完璧な結果を残していたフェラーリのミハエル・シュー
マッハがまさかの失速、ルノーのヤルノ・トゥルーリが初めてのポールポ
ジションを獲得しました。

驚きました。こういう事も起こるものなのですね。それまで、完璧に各セッ
ションを支配していたシューマッハが、突然変調をきたしたのですから。
何が起こったのかは良く判らないのですが、本人のコメントでは、1回目
の予選の時に、コースが非常に滑りやすかったのが原因、と言っていま
す。2回目のフリー走行の後に、コースコンディションを変える何かの要
因があったのでしょうか。それとも、セットアップを変えた事が裏目に出た
とか?

何にしても、これでレースは面白くなりそうです。ポールを獲ったトゥルー
リは、これまで速さはあるものの、今ひとつツキに見放された形で結果が
残せていないドライバーでした。前回のスペインでの活躍で、ふっきれた
ものがあったのかな。1997年に、ミナルディから片山右京のチームメイ
トとしてデビューした時から将来の大器として注目されてきましたが、やっ
と才能を開花させる時が来るのでしょうか。

予選2位のラルフは、意地を見せましたね。10位後退のハンデがあるに
もかかわらず、結果を出して見せたのですから。パトリック・ヘッドが言った
という暴言に、よほど腹を立てていたのかしらん?今回は12位スタートと
なってしまいレースではほとんど期待出来ませんが、本来は常にこのあた
りで争うべきドライバーです。これから、頑張って欲しいですね。

3位がB.A.Rのバトン。佐藤じゃなかったのが残念ですが、ここでもB.
A.Rの実力が証明されました。バトン自身は、決して完璧ではなかったと
いうコメントですが、決勝ではフロントロウからのスタートですからね、今度
こそ真ん中に立って欲しいものです。

6位に入ったキミ・ライコネンは、さすがというべきでしょうか。戦闘力に欠
ける車でこの順位を獲得したのは、一重にドライバーの腕によるという事
です。マクラーレンの車が最後まで保てば、今シーズン最高の結果が得
られるはずです。

佐藤は残念でした。フリー走行で3位に入って見せたのですが、肝心の
予選でミスを犯した様です。なんでも、シケインでタイヤをロックさせてし
まったのだとか。もったいない事をしましたね。決勝では7位スタート。オ
ーバーテイクが不可能なこのサーキットで順位を上げるには、スタート時
に順位を上げるか、ピット戦略で抜くかしかありません。スタートはともか
く、このチームはピット戦略が今ひとつですからね。なんでも、フリー走行
の間にピットストップの練習を行っていたそうですが、少しでも佐藤を前に
出してやって欲しいですね。

ちょっと驚いたのが、ジャガーのウェバー。エンジンから火を噴いたはず
だったのですが、そのエンジンをスペアカーに載せ替え、ペナルティ無し
で済ませた様です。そんなエンジンで走ったりして大丈夫なのかしらん。
ジャガーのエンジンは火に強い?

さて、今日の決勝ですが、ルノーとB.A.Rの一騎撃ちが見物ですね。
これに佐藤が絡んでいれば言う事は無かったのですが、無い物ねだり
はやめましょうか。ルノーのスタートが良いのは、前戦で見たとおりで
す。また、ピット戦略でもルノーに一日の長があります。車そのものは
B.A.Rの方が良いように思えますが、ここではあまり関係ないです
からね。こうしてみると、残念ながらバトンに良い材料は少ないですが、
思い切ったスタートでトップに立つ様な事があれば、勝機も見えて来る
と思われます。あと、劣勢に立たされた時のフェラーリが、どう戦うかに
も注目してみたいですね。

2004年5月22日 (土)

電池が切れるまで 5

電池が切れるまで第5話「退院おめでとう…涙でにじむ少年の笑顔」、
修平少年が退院しました。ただし、延命措置を諦めたターミナルケアに
切り替えての事です。これは、親にとっては究極の選択でした。もしも
実際に直面したら、本当にこれで良いのかと何度も自問自答を繰り返
す事になるのでしょうね。私には、答えが出せそうにありません...。

そして、あの校長先生の暴言、とても許されるものではありませんが、
残念ながら、病人を含めた社会的弱者に対する世間の一般的な見方を
表しているのでしょうね。間宮よ、よくぞぶん殴ったと言いたいところです
が、殴ってどうなるものではなし...。やはり、弱者なんか切り捨ててし
まえば良いという様な今の世の中の風潮が変わらなければ、どうにもな
らない様に思えます。このドラマでは、どう解決をつけるつもりなのでしょ
うね。

次回は、間宮に代わる先生が登場する様です。病気の治療と学力の向
上という院内学級が抱える矛盾点が提起される様ですね。これまでの様
なパターン化した展開ではなく、深く掘り下げた展開を期待したいところ
です。


2004年5月21日 (金)

F1 モナコGP 1日目

F1 モナコGPが開幕しました。1日目の結果は、次のところにあります。

フリー走行1日目 1回目

フリー走行1日目 2回目

またしても、フェラーリのリードで始まりましたね。一体、どこまで強いの
か。B.A.Rのデビットソンが間に割って入ったのは大したものですが、
彼は後を考えなくても良いサードカーですからね。実質、フェラーリの1・
2と言って良いのでしょう。

これに続いたのが、ルノーとB.A.Rの二人。やはり、今シーズンの上
位争いは、この3チームに絞られてきたという事なのでしょうか。佐藤は
6位バトンと0.144秒差の7位。1日目としてはまずまずというところで
しょうか。ここは特にドライバーズサーキットと呼ばれる所ですから、佐藤
にはバトンに勝ってみせて欲しいですね。

この3強にライコネンが絡んでいます。本来5位で健闘というのはおかし
いドライバーなのですが、今シーズンに限っては良く頑張っているな、と
いう感じがします。フリー走行ではそこそこの結果を出すのですが、その
速さが予選以降まで続かないのが今シーズンのマクラーレン。ドライバー
の腕が大きくものを言うサーキットなのですから、一発の速さと、壊れな
い信頼性をライコネンに与えてやって欲しいものです。そうすれば、彼の
実力なら、上位争いを見せてくれるはずなのですから。

ウイリアムズは、モントーヤが10位と生彩を欠き、ラルフに至ってはエン
ジンを交換したために10グリッドの後退を余儀なくされています。ここも、
すっかり歯車が狂ってしまってますね。ドライバーが揃いも揃ってチームと
上手く行っていないのではどうしようもないのかな。

ジャガーのウェバーもエンジンのトラブルから、グリッドを10位後退させら
れます。ここでそれだけ後ろに回されては、ちょっと楽しみがなくなってし
まいましたね。

さて、モナコの場合は中1日開いてしまう事から、予選に向けてコンディ
ションが大きく変わって来ます。土曜日にはまた違った傾向が現れるの
でしょうか。思わぬ伏兵が現れる事を期待して、予選を待つ事にします。

第62期将棋名人戦第4局 森内タイトル奪取に王手

第62期将棋名人戦の第4局は、先手番森内竜王が勝ち、対戦
成績を3勝1敗とし、タイトル奪取まであと一勝と迫りました。

後手番の羽生名人が第2局に続いて8五飛戦法を採用し、二枚
の桂を五段目に跳ね出すという積極策に出ました。形勢は、森
内竜王ややリードから羽生名人が盛り返し、ほとんど優劣不明
のまま終盤戦に入ったのですが、最後は森内竜王が寄せきりま
した。

しかし、面白い将棋でした。8五飛戦法らしい大駒が飛び交う派
手なやりとりがありましたが、特に印象に残ったのは、まず森内
竜王の3六桂です。後手の狙い筋である角切りに勢いをつけてし
まうお手伝いの一手に思えたのですが、これが意外に有効な一
着だった様です。そして、羽生名人の指した二度に渡る2六歩。
特に、最初の2六歩は、あの忙しい局面でよくもまあ指したもの
です。結果としては実を結びませんでしたが、名人の底力を見せ
つけられた思いがしましまた。

これで、森内竜王に圧倒的に有利な流れになりましたが、この
将棋を見た限りでは、まだまだ羽生名人は死に体にはなってい
ない様です。1勝3敗からのタイトル防衛は極めて困難ではあり
ますが、次の結果次第では最終局にまでもつれ込むかも知れま
せん。敗れたりとは言え、羽生名人の力強さが見えた一局でし
た。

第5局は、6月3日、4日に行われます。

 

2004年5月20日 (木)

小惑星探査機「はやぶさ」

小惑星探査機「はやぶさ」が、5月19日に地球の重力を利用
して加速する地球スウイングバイに成功したそうです。

昨年5月9日に打ち上げられた「はやぶさ」は、小惑星「イトカ
ワ」の探査を目的としたもので、小惑星に着陸した後、資料を
採取して地球に持ち帰るというサンプルリターンを目指してい
ます。

この探査機のもう一つの目玉が、149ヶ国88万人の名前が
ターゲットマーカーを包むアルミ箔の内側に刻み込まれていて、
これを「イトカワ」に置いてくるというものです。わが家の4人の
家族もこれに応募しており、はやぶさと共に順調に飛行中とい
う訳です。

まあ、名前といっても肉眼では読めない様なものですけどね、
宇宙に自分と家族の名前が永遠に刻まれるというのもロマン
を感じます。この計画に参加しているという気分も味わえます
しね。

予定では、2005年6月に「イトカワ」に到着し、2007年6月
に地球に帰ってくるそうです。なかなか難しい技術を要する様
ですが、無事に帰ってきて欲しいですね。

はやぶさ紹介ページ

2004年5月19日 (水)

エレガントゥルスコクワガタ

eleganturusu.jpg

写真は、エレガントゥルスコクワガタ。インドネシアのスマトラ島
原産のクワガタムシです。名前の意味は、優美な姿をしたクワ
ガタムシという位の意味でしょうか。優美と言えるかどうかは、
見る人によって違うでしょうけどね。

大きさは30ミリ前後とごく小型のクワガタムシで、特に珍しいと
いうほどの種類でもありません。でも、私的には可愛らしい姿が
気に入っているクワガタです。

かつて、クワガタの飼育は、如何に大きな個体を出すのかが競
われました。80ミリを超えたオオクワガタが、1000万円で取引
された事もありましたね。その後、飼育方法が確立して、大きく
育てる事はさほど困難ではなくなりました。それより、気に入った
種類をじっくり育てた方が面白い、というのが今の私の考えです。

たかがクワガタと思われるでしょうけど、細かく見ていくと千変万
化。種類によって異なる生態を観察し、それがどこから来るのか
推理していくと本当に面白いですよ。生き残りを掛けた生物の戦
略から、何万年も時を越えた気象変動や大陸移動にまで話が及
ぶのですから。

小さなケースに入った小さなクワガタから、世界の成り立ちに思
いを馳せる。なかなか素敵な趣味だとは思いません?

2004年5月18日 (火)

タビラコ

tabirako.jpg

マンションの近くの道端で見つけた可憐な花。何の花かな、と思
って調べてみると、タビラコの様ですね。漢字で書くと田平子。

図鑑によると、水田に多いとあります。田にへばりつくように生え
る事から付いた名前だとか。このあたりも以前は水田があったよ
うですから、昔からの生き残りかも知れません。

さらに驚いた事に、春の七草のホトケノザとは、この草の事を指
すのだとか。別にホトケノザという草がありますが、七草に入る
のはこっちなのだそうです。いつか見たいものだと思っていたの
ですが、こんなすぐ身近にあったとは意外でした。

2004年5月17日 (月)

新選組!11

新選組! 第19回「通夜の日に」、八木家の姑「久」の葬儀が行わ
れました。これを近藤達が取り仕切って名を上げた訳ですが、新選
組始末記では、近藤と芹沢の二人が帳場に座って、この二人が一
切を仕切ったとなっています。亡くなったのは八木家の子供で、暇な
時には、二人でいたずら書きをしていたとか。このとき芹沢は面白い
絵を描いたそうですが、どんな絵だったのか見たいですね。このエピ
ソードを出してくれないかと期待していたのですが、採用されず、残
念でした。

この久に気に入られたのが原田佐之助ですが、彼は非常な短気者
で、二言目には「斬れ、斬れ」と言ったとか。また、若い頃に、からか
われた事に逆上し、腹を切って危うい所を助かったという事があった
様です。そこから付いたあだ名が「死に損ねの佐之助」。ここまでは、
およそ久の死に涙するドラマの設定には程遠い印象ですが、彼はま
た妻子思いの優しい面を持っていました。町人の娘を嫁にし、産まれ
た息子を非常に可愛がった様です。後の鳥羽伏見の戦いのときには、
戦が始まる直前に200両の金を持って妻の元を訪れ、繰り返し繰り
返し子供の事を頼んでいったそうです。妻の名は「まさ」。そう、あの
甘党の店の「おまさ」ちゃんですね。この二人、これから仲良くなって
いくのでしょうね。

さて、マイナー隊士の紹介ですが、今回は島田魁。彼は、近藤、沖田
等に比べると知名度は低いですが、結構人気のある隊士で、マイナー
なんて言うとファンの方から叱られるかも知れませんね。

ドラマでは、「しまだかい」と言っていましたが、御子孫の方によると
「しまださきがけ」と読むのが正しいのだとか。美濃大垣の出で、ドラマ
にあったように何度も名前が変わっています。

まず親の名前が、近藤伊右衛門。1828年(文政11年)に次男として
産まれています。この父親が仕事上の過失で自刃するという事があり、
生母の実家に引き取られ、養子となります。この実家の名が川島。の
ち、京都に出て来て丹波屋定七の入り婿となりますが、さらに大垣藩
の島田歳に望まれてその養子となり、島田姓を名乗るようになります。

29歳のとき江戸に出て坪内主馬道場で心形刀流を学び、このとき永
倉新八と出会っています。腕前はかなりのもので、名古屋城で行われ
た御前試合で優秀な成績を収め、島田家の養子に望まれたのもその
腕を見込まれたからだとか。

彼は、新選組一の巨漢で、身長182cm、体重150kgもありました。そ
のため、よく相撲取りと間違えられたそうです。そのくせ、酒は一滴も飲
めず、大の甘党で、大福餅を一度に20~30個も食べたとか。

新選組では、調役並監察、二番隊伍長を勤めています。

最初の事件は、大阪相撲との乱闘で、このとき道をふさいで悪口を言っ
た相撲取りを最初に投げ飛ばしたのが彼だった様です。

池田屋騒動のときには、他の三人の監察とともに古高俊太郎の正体を
突き止めるという手柄を立てています。また、事件当日は土方隊に属し
ており、戦闘にも参戦し、報奨金として17両を交付されています。

このほか、三条制札事件油小路の決闘など新選組の主要な事件にも
係っています。

鳥羽伏見の戦いでは、薩摩藩の陣地に斬り込みに行った永倉が味方の
陣地
に引き上げて来る時、着ていた甲冑が重すぎて塀を乗り越える事
が出来ず、危うくなってしまいます。このとき、島田が塀の上から鉄砲を
差しだし、軽々と永倉を引き上げ、その怪力ぶりが評判になるというエピ
ソードを残しています。

その後は、甲州勝沼、流山、宇都宮、会津、函館と転戦し、その間「東照
大権現」と書いた旗を掲げ、激戦になるとそれを腹に巻いて戦いました。
彼は、五稜郭で降伏し、名古屋城に3年間預けられます。こうして彼は、
新選組の結成当初から函館で新選組が壊滅するまで在籍し、生き残った
唯一の隊士となりました。

明治6年、京都に戻り、隊士時代に知り合ったという西村サトと結婚します。
彼は、榎本武揚から新政府への出仕を誘われますがこれを断り、雑貨屋、
仏具屋を経てかつて屯所があった西本願寺の警備員となります。彼は、常
に土方歳三の戒名「歳進院誠山義豊大居士」と書いた書き付けを身に付け、
終生離さなかったそうです。1900年(明治33年)、72歳の時に西本願寺
の境内で息を引き取りました。彼の葬儀には、永倉も北海道から駆けつけ、
参列したそうです。

彼は、「英名録」、「島田魁日記」など新選組の記録を書き残しており、これら
は新選組を知るための貴重な資料となっています。

こうしてみると、気は優しくて力持ち、めっぽう腕は立つが、頑固なまでに義
理堅いという姿が浮かび上がってきます。彼が特に女性に人気が高いと言う
のも頷けますね。やっぱり、マイナーというのは失礼だったかな。

ドラマで彼を演じる照英さんは、こうしたイメージにぴったりですね。ただ、もう
少し太っていた方が良いかも知れません。ドラマでは道を間違えて迷子にな
りますが、監察としても有能だった彼にはちょっと合わない気もしますね。で
も、人なつっこいイメージを出すための演出だったという事なのかな。これから、
永倉とコンビを組んで活躍してくれそうですね。


この項は、子母澤寛「新選組始末記」、木村幸比古「新選組日記」、「別冊歴
史読本 新選組の謎」を参考にしています。

2004年5月16日 (日)

ナスタチウム

nasuta.jpg

ナスタチウム、別名金蓮花。

見た目も綺麗ですが、花も葉も食べる事が出来るハーブで
す。特に葉はピリッとした風味があって、なかなか美味しい
ですよ。

昨年、京都府立植物園に行ったとき、一抱えもあるような大
株を見つけて驚いた事があります。育て方によると立派な株
になるのですね。

このナスタチウムが苦手なのが、高温多湿。このところ雨の
日が多く、心なしか弱ってきている様子。残念ながらわが家
では、1度も夏越に成功した事がありません。好きなハーブ
なんで、長持ちさせたいのですけどね。わが家のベランダは、
ナスタチウムにとっては、過酷な環境のようです。

2004年5月15日 (土)

いちごの収穫

ichigo2.jpg

4月9日に紹介したいちごの実が赤くなりました。
あまり大きくはならないですけど、数は結構出来ていて、全部で30個
から40個くらいかな。一度には赤くならないので、毎日2~3個づつの
収穫になります。

食べてみると、ちょっと甘酸っぱい、ちゃんとしたいちごの味がします。
当たり前か。

うーん、初夏の味ですね。

2004年5月14日 (金)

第62期将棋名人戦第3局 羽生1勝目

第62期将棋名人戦第3局は、先手羽生名人の勝ちとなりま
した。これで、名人の1勝2敗です。

この将棋は、後手番の森内竜王が一手損角換りという最近
流行の戦形を選びました。20年前なら考えられない戦形で
すが、これが有力だというのですから将棋は面白いですよね。
森内竜王がどんな研究成果を見せてくれるのかと期待してい
たのですが、今回は残念ながら不発に終わったようです。

それにしても、今回の羽生名人の見せた4五銀~5六銀~4
五桂という仕掛けには驚かされました。手損と歩損を重ね、
なおかつ相手の銀を懐に呼び込むのですから。こんなの、普
通は無筋と思って一秒も読まないですよね。前回の7四歩と
いい、この二人の将棋には本当に意表を突かれます。だから
見ていて面白いのですけどね。あと、決め手になったと言う6
五歩も相手の桂が利いているだけに気づきにくい手です。

さて、今回は羽生名人の完勝でした。これで流れが変わるの
かどうか、次の一局が注目ですね。私的には、今回の将棋を
見た後でも、まだ1、2局で見せた森内竜王の強さの方が印
象に残っているのですけどね。果たして、名人がさらに巻き返
せるのかどうか楽しみに見てみたいと思います。

第4局は、5月19日・20日に行われます。

電池が切れるまで 4

電池が切れるまで 第4話「ボクは生きるから!」、修平少年を
中心に展開がありました。さすがに、彼には告知はされずに済
まされますが、その割に正確な病名は知ってましたね。子供だ
からと油断しているのかも知れませんが、病名から病気の内容
を知る危険性は考慮しないものなのでしょうか。本人がどこかで
調べる可能性もあるし、善意の第3者から聞いてしまう事もあり
うる訳ですから。ちょっと疑問に感じました。

その修平少年、なかなかの熱演でしたが、今回のストーリーは
何だか焦点が合ってない様に感じました。一体、何をテーマにし
て話を進めたいのか、見ていて掴めないのですよね。今回は病
気を抱える家族側の問題提起かと思っていたのですが、ほとん
ど描かれていませんし、修平少年にしても病気と闘うと言うより、
安手の友情ドラマになってしまっている。彼を山に連れて行く場
面にしても、ドラマにアルプスの風景を入れたいから設定したと
いう狙いが見え見えですしね。あれもこれもと欲張って失敗して
いる感じがします。せっかくのテーマなんですから、もっと頑張っ
てほしいです。

ただ、最後にある詩の朗読は、毎回素晴らしいですね。本編より
ずっと良いと言ったら、言い過ぎかな。

2004年5月13日 (木)

新選組!番外

今日は、新選組!の小ネタの紹介です。

komamjuu.jpg

写真は、ゆこが買ってくれた「こまんじゅう」。
パッケージに「新選組!」のロゴが入っています。、NHKのシール
が貼ってある所を見ると、オフィシャル商品という事なのでしょう。
近藤、土方、沖田の3人のイラストがなんとも言えない味を出して
います。

で、中身がこっち。

komanjuu2.jpg

イラストがそのまま焼き型になっています。味の方は、まあまあか
な。

ありがちなおみやげ品ですが、あんまり可愛かったもので紹介する
ことにしました。ちなみに、ゆこが買ったのはCOOPです。


2004年5月12日 (水)

レモンバーベナ

remonbabena.jpg

レモンバーベナ。香りは、レモンバームと良く似ていますが、
より鮮烈。ですから、ハーブティーにする時は、やや少なめ
にした方が無難です。

丈夫な小低木なんですが、寒さには弱く、土が凍るような場
所では冬越しが出来ません。かく言うわが家のレモンバーベ
ナは、昨年の冬に鉢土を凍らせてしまいもう駄目かと思った
のですが、一本の枝から芽を出してくれて、なんとか枯れる
のだけは免れました。

今年は植え替えが効いたのか、元気に伸びています。これか
らは、収穫を兼ねた摘心の時期。沢山ハーブティーを楽しめそ
うです。


2004年5月11日 (火)

新選組!10

今回の「新選組!」第18回「初出動! 壬生浪士」は、久坂玄瑞が立て
た数え歌の立て札を巡って、浪士組に出動が命じられます。

久坂玄瑞は文才が豊かだった人で、八・一八の政変に続く七卿落ちの際
に、即興で見事な歌を作った事でよく知られています。また、実際に数え
歌も作っている様ですね。ですから、ああした立て札を立ててもおかしくな
い様にも思えますが、番組の設定はフィクションです。今回の番組で使わ
れた数え歌は、もっと後になって大阪で流行った数え歌だったと思うので
すが、うろ覚えで、正確な資料が手元に無いので断言できません。どな
たか、ご存知ありませんか。

今回の番組の中で、山南啓助が言った「長州を敵に回す事になる。」とい
うセリフは、重要な意味を持っていますね。新選組の今後の方針を明示す
る事になるのですから。また、後の山南の脱走から切腹に至る結末を暗
示しているとも受け取れます。ただ、実際に新選組が出動し、はっきりと
長州藩を敵に回すのは、八・一八の政変の時からです。また、新選組を名
乗るのも、市中取り締まりを命じられるのも、この政変以後の事です。

さて、だんだん「ねこづらどき」のシリーズになってきたマイナー隊員の紹介
ですが、今回は平間重助です。番組では、剛州さんが人の良さそうな役柄
を演じていますね。

平間重助は1824年(文政7年)、現在の玉造町芹沢に生まれています。
芹沢鴨と同郷ですが、それもそのはず、平間家は、先祖代々芹沢家に仕
える家老格の家だったそうです。重助の家は、その分家のようですね。神
奈川県川崎の平間寺に由来し、鎌倉時代から続く由緒ある家系の様です。

重助については、1844年(天保15年)に行われた水戸藩の軍事調練の
参加者に名前があるそうです。その後、重助は芹沢家の用人として仕え、
芹沢鴨から神道無念流を学び、目録を受けています。所帯を持ち、長男に
も恵まれ、平穏な暮らしぶりだった様ですね。

1863年(文久3年)芹沢鴨が浪士組に参加する際、芹沢家では、用人で
ある重助に同行するよう頼みます。このため重助も浪士組に参加する事に
なりますが、芹沢鴨の世話役という事だったのでしょうか。重助39歳の時
でした。

新選組では、番組にあった様に副長助勤を拝命します。以後は、平山五郎
と同様に芹沢鴨の絡んだ大阪力士との乱闘、大和屋焼き討ち事件などに係
わります。

1863年(文久3年)9月16日に芹沢鴨が暗殺された際には、危うく難を逃
れています。彼が助かったのには、別室で寝ていたから、厠へ立っていたか
ら、布団の上から刺されたのですが、そのまま死んだふりをしていたから等
諸説があり、どれが正しいのかは判りません。新撰組始末記では、刺客が
去った後、裸で刀を手に持ち、「どこへ行った!」と叫んびながら、ウロウロし
ていたとあります。その後行方不明になりますが、どうやら郷里に帰っていた
ようです。重助にすれば芹沢鴨の世話役として付いてきたのであり、彼が死
んでしまえば新選組に居る理由も無くなったという事だったのでしょうか。

重助は、芹沢家に芹沢鴨の暗殺の顛末を伝えた後、再び姿を消しました。新
選組を脱走した事で幕府の目をはばかる様になった事、また故郷の水戸にお
いても、天狗党からは、反攘夷に傾いたように映る新選組に居た事が裏切り
行為と見られ、身の置き所が無かったのでしょうか。

維新後、重助は芹沢村に戻ったそうです。晩年は官軍の目を忍びつつ暮らし、
1874年(明治7年)51歳で亡くなったと伝えられます。

平間重助の経歴を見ていると、近藤派の井上源三郎と重なる所がある様です
ね。そして、人柄も用人に相応しく、おだやかだったと伝えられます。このあた
りも源三郎と通じる所がありますね。ドラマの役柄も、こうした事を押さえている
のかも知れません。

参考サイト
http://www.tamatsukuri.or.jp/shinsen-hp/

2004年5月10日 (月)

F1 スペインGP 決勝結果

F1 スペインGPの決勝結果は、次の所にあります。

http://www.ksky.ne.jp/~tahara/f1/dataland/2004/05/007result.html

佐藤琢磨、惜しかったですね。スタートは良く、序盤は3位をキープ
していたのですが、結局5位に終わりました。自己最高位タイなの
ですけどね、表彰台を逃がしたのは、やっぱり残念という気がしてな
りません。

スタートでトゥルーリに抜かれたのは、まあ仕方がなかったでしょう。
あれは、トゥルーリが良すぎました。佐藤も好スタートを決めてモント
ーヤを交わしていたのですから。しかし、その後、ピットストップの毎
に順位を落としていったのは、頂けませんでした。佐藤の責任という
より、戦略面を含めたB.A.Rのチーム力の問題なのでしょうけどね。

佐藤のコメントによると、タイヤ交換をした後の数ラップの間、車の挙
動が安定せず、苦労していたそうです。これからすると、チームは、ま
だミシュランタイヤの使い方を掴みきっていないという事なのかもしれ
ないですね。また、ピットストップの静止時間にしても、ルノー勢より
も後から入っているにもかかわらず、同じかやや長い時間が掛かって
いました。ホンダエンジンの燃費の関係があるのかも知れませんが、
あの状況では、まだまだ勝てるはずもないというのが感想です。

しかし考えようによっては、このチームにはまだ伸びしろがあるという
事でもあります。例えば、タイヤの使い方が完璧になれば、もっと速く
走れるという事ですから。

逆に、ルノーは見事な戦略で、3位、4位をゲットしました。フェラーリ
にはまだまだ及ばないという感じですが、今後もB.A.Rとは接戦を
繰り広げていく事になるのでしょうね。佐藤にとって、直接争わなけ
ればならない強敵です。

フェラーリは、もはや手が付けられなくなりました。車そのものの速さ
といい、2ストップと3ストップに分けた戦略といい、非の打ち所があり
ません。また、ブリジストンタイヤは、完全にミシュランより上を行って
いる様です。ザウバーの7位がそれを証明しています。冬の間は、ミ
シュランに比べて散々な評価だったのですけどね、今や立場は逆転
しています。

しかし、今回は、フェラーリにとっては、幸運なレースでもあったようで
す。序盤早々、シューマッハの車のエキゾーストパイプが割れて、ボ
ディワークにまで影響が及んでいたそうですから。完走できたのは運
が良かったとジャン・トッド監督はコメントしています。でも、こういうツ
キを呼び込むのも実力の内ですからね、フェラーリがますます遠い存
在になってしまいそう...。

ウイリアムズは、予選で2位に付けていたモントーヤがブレーキトラブル
でリタイヤ、ラルフがやっと6位入賞です。レース後のコメントを読むと、
ほとんど今シーズンの敗北宣言に等しいですね。コンストラクターの順
位でも4位と低迷しており、浮上してくる気配はありません。なんとか、
このチームには頑張って欲しいのですが...。

マクラーレンは完走するのがやっと、予選で健闘したトヨタも本番では
期待はずれに終わりました。こうしてみると、実力でフェラーリを止めら
れるチームはもう居ないのかな。ルノーとB.A.Rが、ミシュランタイヤ
にベストマッチしたサーキットで、一発を決めて呉れるのを待つしかな
いのかしらん。

次は、モナコGP。ここは絶対と言って良い程抜けないサーキットです。
ですから、予選で前に出たものが勝ち。市街地コースを得意とする佐
藤には、是非予選で最前列に近いポジションをゲットしてもらって、今
度こそ表彰台に上がる姿を見せて欲しいものです。

モナコGPの決勝は5月23日です。


2004年5月 9日 (日)

2万ヒット御礼

ねこづらどきのカウンターが2万を超えました。
これほど沢山の方に訪れて頂けるとは、うれしい限りです。

4月3日に1万を超えてからひと月と6日、思っていたよりも早い
達成でした。依然として、ほとんどは検索エンジンからの来訪で
すが、何人かの方にはブックマークして頂いており、本当に有り
難いことと思っています。

こんなとりとめのないサイトですが、これからもねこづらどきをよろ
しくお願いいたします。

F1 スペインGP 予選結果

F1 スペインGPの予選結果は、次のところにあります。

予選1回目
http://www.ksky.ne.jp/~tahara/f1/dataland/2004/05/005qualify1.html

予選2回目
http://www.ksky.ne.jp/~tahara/f1/dataland/2004/05/006qualify2.html

とうとう、佐藤琢磨が来ましたね。予選3位!自己ベストと共に日本人最高
です。やっと、実力に相応しいポジションに着ける事が出来ました。しかも、
2日目の2回目のフリー走行以降は僚友のバトンを凌いでいますからね。
この結果の持つ意味は大きいと言わなければなりません。欲を言えば、ポ
ールポジョンも狙える程調子が良かったのですが、これは次戦以降の楽し
みということなのでしょうね。

でもって、2日目の2回目のフリー走行の結果
http://www.ksky.ne.jp/~tahara/f1/dataland/2004/05/004free4.html

何度眺めても気分が良いですね。シューマッハ、モントーヤを従えての首位
なんですから。しかも、全セッションを通じてただ一人の14秒台。素晴らしい
の一言です。これで、カタロニアのコースレコードは、公式に佐藤のものとな
りました。拍手、拍手。

さて、フロントロウに並んだのは、シューマッハとモントーヤ。シューマッハは、
1回目の予選で下位に沈んだのですが、2回目で見事に浮上して見せました。
今さらですが、さすがの底力を感じさせます。モントーヤも、1日目の不調から
立ち直って来ましたね。意外な感じがしますが、今シーズンウイリアムズがフ
ロントロウに来たのは、これが初めてです。ようやく、フェラーリに対抗できるス
ピードを取り戻してきたのでしょうか。だとしたら、これから面白くなるのですが。

佐藤の後ろには、トゥルーリ、バリチェロと続きます。どちらも、佐藤にとって強
敵ですね。7位に着けたのが、トヨタのパニス。ここでは、トヨタが好調です。こ
のまま、レース本番でも好調を持続して欲しいですね。いつの日か、トヨタ対ホ
ンダの優勝争いというのを見てみたいものです。

個人的に、ずっと注目しているジャガーの二人は、またしてもウェバーの圧勝
でした。クリエンもそう悪いドライバーとは思えないのですが、ウェバーが凄す
ぎるのでしょうか。ジャガーの実力からすれば、ザウバーやジョーダンと争うの
が順当なところと思うのですが、それをトップテンにまで持って来るのですから、
並大抵のドライバーではないという事なのでしょうね。

さて、今日の決勝レース、佐藤には表彰台に上がって欲しいですね。彼は、ス
タートは上手いですから、トラブルにさえ襲われなければ可能性は大です。ど
ころか、スタートで前の2台を抜き去る事もあり得る、なんていうのは期待のし
すぎかな。

何にしても、今日の結果を楽しみに待ちたいと思います。


2004年5月 8日 (土)

F1 スペインGP 1日目

F1 スペインGPが開幕しました。1日目の結果は、次のところにあります。

フリー走行1日目 1回目
http://www.ksky.ne.jp/~tahara/f1/dataland/2004/05/001free1.html

フリー走行1日目 2回目
http://www.ksky.ne.jp/~tahara/f1/dataland/2004/05/002free2.html

もう驚く事でもなくなったという感じですが、またしてもB.A.Rが1・2です。
1回目と合わせた総合では2位と4位ですが、フェラーリに挑むのは、B.A.
Rという図式がはっきりしてきました。ただ、2位に入ったのが佐藤ではなく、
デビットソンだったというのが残念ですが。

その佐藤は、クラッチのトラブルで2回目はほとんど走れなかった様です。依
然としてツキに見放されている感じですが、1日目にトラブルを出し尽くしてお
けば、2日目以降はトラプルフリーで走れると前向きに捉えておきましょう。

ここで目を惹くのは、トヨタですね。総合で4位というのは立派なもの。ここで
浮上のきっかけを掴むのでしょうか。元々パワーはあるので、コースに車が
合っているのなら、上位に入ってくると思われますが、2日目以降もこの勢い
を持続できるのでしょうか。

ウイリアムズは、ラルフは上位に付けていますが、モントーヤは下位に沈んで
います。ここは、2日目以降に順位を上げてくるのが得意ですから何とも言え
ませんが、あまり勢いが感じられません。

マクラーレンは、浮上してくる気配はなく、すっかり中段グループの一員になっ
てますね。ジャガーやトヨタとの順位争いというのは、寂しい限りです。それで
も、ライコネンは2回目にタイムを上げて、トップからの差を1.9秒から0.8秒
差まで詰めており、戦う姿勢は失っていないようですね。


さて、今日の予選はどういう風になるでしょうか。佐藤は、非公式ながらこのコ
ースのレコードを持っています。それも13秒台という桁はずれのもの。もちろん
条件がまるっきり違いますから同じ記録を狙えるはずもありませんが、しかし、
それだけの潜在能力はあるという事です。是非、一発決めて欲しいですね。

2004年5月 7日 (金)

電池が切れるまで 3

今回の「電池が切れるまで」、薫に病名が告知されました。曲折はあっ
たものの、最後には薫は受け入れましたが、実際にああいう立場に置
かれたらどうなるでしょうか。どちらの立場にも立ちたくはありませんが、
もし直面したら迷うでしょうね。理屈としては、薫のように事実を受け止
め、病気に立ち向かう事が望ましいのですが、その場になってみなけ
れば判らないというのが本音です。常にこういう現場に立ち会っている
医療関係者は、本当に大変な仕事に携わっているものだと、つくづく思
います。

さとりの企画した院内遠足というのは、なかなかのアイデアでしたね。
子供達の気分転換になるし、病院の仕組みを知る事にもなるし、一石
三鳥位の効果はありました。しかし、最先端の病院というのは、自動
化されているものなのですね。シーツの洗濯から折りたたみまで自動
で出来るとは知りませんでした。一時期、院内感染が問題になった事
から進んだ分野なのでしょうか。

さて、次回は、病気の子供を抱える家族の側の問題も描かれる様です。
確かに、病気と闘う子供も大変なのですが、家族の負担もまた大きいで
すよね。どういう形で問題提起がされるのか、じっくり見てみたいと思い
ます。

2004年5月 6日 (木)

タツナミソウ

tatunamisou.jpg

散歩の途中、堤防で見つけたタツナミソウです。
写真が小さくて判りにくいのですが、花の形と付き方が、
波が立って押し寄せてくるように見えるところから付いた
名前だとか。斉藤道三の紋所の「二頭立波」や葛飾北
斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」の波のイメージでしょうか。

実物は、そんなに恐ろしい波ではなく、20cm程度の可
愛らしい波です。野山に咲く花から大海原を連想して名
前を付けたというのも、ちょっと面白いですね。

2004年5月 4日 (火)

たこやき

昨日のわが家の昼食は、たこやきでした。たこやきは、おやつじゃない
のか、という声が聞こえてきそうですが、立派な主食になります。

まずは材料から。(約90個分の材料です。)

市販のたこやき粉400gに、牛乳2カップ、卵2個を入れてホットケーキ状
になめらかになるまでよく混ぜます。(小麦粉のだまができない様に注意
すること。)この後水(昆布と鰹のだし汁にするとより美味しくなるよ。)3カッ
プを入れ生地を丁度良いとろみに加減します。このとろ味加減が綺麗に焼
くための一番のポイントになります。濃すぎても、薄すぎても上手くいきませ
ん。ちょっとしゃばしゃばかな、というくらいが実は丁度良い加減になります。
ちなみに、たこやき粉がなければ、薄力粉に適宜塩、胡椒、ベーキングパ
ウダー等を加えて下さい。醤油を隠し味に入れると焼いたとき香ばしい香
りがします。

具の材料は、
好みの大きさに切ったたこ(作る予定の数だけ用意してね)、天かす、キャ
ベツ、紅ショウガ、ねぎ、桜エビ。このうち、キャベツ、紅ショウガ、ねぎはみ
じん切りにしておきます。

takoyakizakiryou.jpg

たこやき器を火にかけ、オイルを塗って、十分に熱くなったらとき粉を入れま
す。このときの火加減もポイントで、オイルがチリチリ音を立て始めたら頃合
いで、煙が出る程だと熱しすぎです。
次に一つずつタコを入れていきます。これがはいっていなけりゃ、たこやきじゃ
ない。入れ忘れが無い様に確実に入れていきます。

takoyakitakoire.jpg

続けて、他の具を順次乗せていきます。順番は適当で大丈夫。ただし、手早
くしなければならないので、出来れば皆で手分けして行うのが良いです。全部
乗せ終わったら、こんな感じになります。カラフルで綺麗でしょう。

takoyakizairyonose.jpg

ここで、しばらくとき粉の表面が焼けるのを待ちます。鉄板の表面のとき粉が固
まりだしたら頃合い。ピックを使って手早くひっくり返していきます。このとき、鉄
板からたこやきの表面の間を剥がす様にピックを使うのがコツ。あせると、まだ柔
らかい表皮が破れて、収集が付かなくなります。また、逆に焼きすぎると、綺麗
に丸くならなくなるので、これにも注意して下さい。

takoyakikaesi.jpg

全部ひっくり返すと、こんな感じ。たこやき器によっては、火の通り具合が場所に
よってかなり違う事があるので、早く焼けるところから順番にひっくり返すのもコツ
のひとつです。

takoyakiyakiagari.jpg

何度かひっくり返して全体が十分に焼けたら、お皿に移します。トンカツソース、鰹
の粉、青のりをかければ出来上がり。うーん美味しそう。さあ、めし上がれ。

takoiyakidekiagari.jpg

2004年5月 3日 (月)

新選組!9

新選組! 第17回「はじまりの死」、まあ予想どおりの展開でした。近藤を
徹底してよい子にし、芹沢を悪役に仕立てるという、定石どおりの展開です
ね。殿内を殺したのは本当は近藤なのにと思うと、芹沢がちょっと可哀想で
した。しかし、このあたりの暗闘は、後の大阪奉行所の与力殺しも含めて、
新選組でも最も暗い部分ですからね、汚名はすべて芹沢に被って貰わない
と、先へ進めないという事なのでしょう。

その芹沢鴨、殿内を斬った言訳をする姿がなんとも弱気に映りましたが、そ
のあたりが三谷演出の新味というべきでしょうか。「新選組始末記」に出て
来る芹沢のエピソードの中に、八木家の火鉢を借りる話があります。八木
家の唐銅の火鉢を芹沢に借したのですが、それがいつの間にか返ってきて
いる。よく見ると無惨にも刀で切った跡があり、芹沢に聞くと「済まん、済ま
ん。」と頭をくばかり。重ねて誰がやったのかと聞くと「俺だ、俺だ。」と逃げ
て行ったそうです。火鉢を切ってしまうなど乱暴この上ない話ですが、しかし、
その後の返し方が、いたずらをしてから悪かったと気づいた子供の様で、芹
沢鴨の人間味を感じる事が出来ます。同時に、意外に気弱な一面が感じら
れ、今回の三谷演出に繋がっているような気がします。

さて、その芹沢鴨の腹心で、傍若無人に振る舞ったあげく、斉藤一にこっぴ
どく脅されるという情けない役柄を演じているのが、平山五郎です。

平山五郎は、新選組始末記では水戸藩の人となっていますが、どうやら実
際には姫路出身だったようです。1829年(文政12年)の生まれで、新選
組結成当時は34歳でした。ドラマで片目にアイパッチをしていますが、故郷
で花火をしているときに火薬が爆発し、左目を失ったと言われています。こ
のため首を心持ち左に落とす癖があり、「めっかち平山」と呼ばれていました。

片目でも剣の腕前は素晴らしく、斉藤弥九郎の道場「練兵館」で修行し、神
道無念流の免許皆伝を受けています。特に、目が見えない左手から打ち込
まれると無類に強く、必ず受け返して勝ったそうです。

芹沢とのつながりは、やはり剣の同門という事でしょうか。芹沢は文久2年ま
で獄に入っていましたから、二人の出会いは浪士組結成の直前、江戸では
なかったかと思われます。芹沢派の用心棒的な剣客というのは、ドラマの設
定どおりだったようですね。

新選組では副長助勤を勤め、大阪力士との乱闘、大和屋焼き討ち事件など、
芹沢の起こした事件に関係しています。また、四条堀川西入ルの米屋に鉄
砲を持った強盗が侵入した際、永倉新八、斎藤一らと共に現地に赴き、刀が
こぼれるまで戦い、朝廷から褒賞を受けたという事があったそうです。

島原の桔梗屋の小栄となじみであり、芹沢鴨と共に暗殺されたときも一緒に
寝ていました。小栄は、刺客が踏み込んできたときに、たまたま厠へ立って
いたため無事だったと伝えられます。

ドラマの中では、最も損な役回りになっていますが、実際の人柄がどうだった
かについては、判る資料がありません。斉藤弥九郎ともあろう人が、ただの
乱暴者に免許皆伝を与えるとは思えないのですけどね。

彼の墓は、芹沢と共に名前を刻まれて、壬生寺にあります。写真が次の所
にありますので、興味のある方はご覧になって下さい。

http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/維新の道_004.htm

2004年5月 2日 (日)

カラスとスズメ

昨日アップしたカラスノエンドウについて、TOKIKOさんから名前の
由来についてコメントを頂きました。コメントで返そうと思ったのです
が、長くなりますので新規記事としてアップします。

さて、カラスノエンドウの由来をウェブ上で調べてみました。まず出
てくるのが、実が黒くなるから、という説です。なるほど、これは判
りやすくて説得力がありますね。

次に出てくるのが、スズメノエンドウに比べて大きいから、という説
です。こういう説もあるのかと思ってスズメノエンドウを調べると、カ
ラスノエンドウより小さいからスズメノエンドウと呼ばれるとあります。

???

どうどう巡りのメビウスの輪の様ですが、さらに調べていくと、植物
の名前として、小さいものをスズメと呼び大きなものをカラスと呼ぶ
という説が出て来ました。例として、スズメウリとカラスウリ、スズメ
ノカタビラとカラスノカタビラがあります。

この他にスズメとカラスが揃っていないのですが、

スズメと付く植物
スズメノオコゲ、スズメノチャヒキ、スズメノテッポウ、スズメノトウガ
ラシ、スズメノヒエ、スズメノヤリ

カラスと付く植物
カラスノゴマ、カラスノサンショウ、カラスビシャク、カラスムギ

があります。このうち、カラスビシャクはカラスノテッポウと呼ばれる
事もあるようですね。

こうしてみると、スズメ=比較的小さい植物、カラス=比較的大きい
植物という説が説得力を持ってきます。とは言っても感覚的なもので、
必ずしも厳密なものではない様ですけどね。

どうやら、スズメノエンドウとカラスノエンドウという良く似た植物があっ
て、両者を区別するために大きい方をカラスと呼び小さい方をスズメと
呼んだという事になりそうです。

ちなみに、カスマグサという植物があって、これはカラスノエンドウとス
ズメノエンドウの中間の大きさという事から付いた名前だそうです。

道端の草一つからでも、結構面白い事が判るものですね。

2004年5月 1日 (土)

カラスノエンドウ

KARASUNOENDOU.jpg

道を歩いていると、あちこちでカラスノエンドウを見かけます。小さいな
花ですが、色鮮やかで、好きな花の一つです。

マメ科の植物で、その名のとおりエンドウマメの様な小さな実が成りま
す。この実で笛を作って遊ぶのですが、ゆこはこれが得意です。二人の
息子に作り方を教え、吹かせてみるのですが、案外難しいようで、なか
なか上手に鳴りません。サヤを破らないように、中の実を取り出すのが
コツのようですね。上手く出来ると、ブーという音が出てなんだか嬉しく
なります。

家族で歩く、春の散歩の楽しみの一つです。


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ねこづらどき

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