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2004年2月

2004年2月29日 (日)

砂の器2

日曜劇場「砂の器」、いよいよ佳境を迎えましたね。

今日の展開で、ドラマは一気に核心に迫ってきました。これから一番興味があ
るのは、父親の正体ですね。原作では、父親はハンセン氏病だったのですが、
このドラマではどう処理するのでしょうか。今日の展開ではなにやら有名人のよ
うですが、政治家あるいは、大きな事件の犯罪者という設定かな。

もう一つ興味があるのが、戸籍をどうやって改竄したのか、です。原作では戦
後のどさくさにまぎれてごまかした事になっていますが、ここではどうするのか。
これについても来週また展開があるようですね。楽しみに待つ事にします。

ところで、主題歌の「やさしいキスをして」を買いました。いかにも吉田美和さん
らしい良い曲ですね。次もドラマを見ようという気にさせるような曲にして欲しい
と頼まれたそうですが、それにふさわしい曲に仕上がっていると思います。ドリ
カムにとっても久々のスマッシュヒットになっているようですね。

一つだけずっと気になっているのが、クラシックのピアニストって、あんなに良い
暮らしが出来るのでしょうか。和賀の乗っている車はトヨタのソアラですが、これ
だけでも600万円以上しますし、あのマンションともなると見当が付きません。
そんなに実入りの良い商売だったかな...。つまらない疑問点ですけどね。

ドラマはあと4回。終わってしまうのが惜しいようなドラマに久しぶりに会った気
分です。


京都の散歩道 清水寺

kiyomozutera.jpg

今日紹介するのは、清水寺です。

清水寺の位置



三年坂から清水道を上がると、清水寺の門前に至ります。この界隈は土産
物店がずらりと並び、いつも人混みで賑わう所ですが、活気があって結構好
きな場所です。土産物にも色々あって、店先をひやかしながら歩くのはなか
なか楽しいものがあります。

坂を上ってまず目に付くのが仁王門ですが、その左手に善光寺という小さな
お寺があります。そのお堂の右脇に祀られているのが、首振地蔵と呼ばれる
お地蔵様です。このお地蔵様、その名のとおり首が動くようになっていて、こ
の首を願いのある方向に向けて祈ると願いが叶うと言われています。もちろ
ん、恋愛成就でも構いませんので、地図と磁石を持参してお参りされてはい
かがでしょうか。

仁王門の前を今度は右に行くと、忠僕茶屋と舌切茶屋という2軒の茶店があ
ります。子供の頃、舌切茶屋は舌切り雀と関係があるのかなと思っていたの
ですが、全然違っていました。両方とも幕末史に関係していたのです。

幕末期、清水寺の成就院に月照上人という方が居られたのですが、勤王の
志厚く、薩摩の西郷隆盛など共に国事に奔走されます。ところが、井伊大老
の起こした安政の大獄の嵐が月照上人を襲います。上人は幕吏の手から逃
れるために西郷と共に鹿児島へ落ち伸びますが、遂に逃れきれずに、錦江
湾へ身を投げてしまわれます。このとき、下僕として上人に最後まで付き従っ
ていたのが重助で、彼は捉えられ、牢に入れられてしまいます。この重助が
許されて牢から出て来た後、西郷と清水寺の援助で開いたのが忠僕茶屋で
す。

一方、幕吏の手は、月照の行方を求めて清水寺の寺男近藤正慎にまで及び
ます。しかし、近藤は厳しい責め苦にも関わらず、頑として口を割ることはなく、
最後は頭を壁に打ち付け、舌をかみ切って自ら命を絶ち、秘密を守り通しまし
た。清水寺では、近藤に免じてその子孫に茶屋を開く事を許し、今に至ってい
るのが舌切茶屋です。

この茶屋から音羽の滝の方へ歩いて行くと、舞台の下にアテルイ・モレの碑
があります。清水寺の基を築いた坂ノ上田村麻呂が東北へ遠征したとき、最
後まで抵抗した蝦夷の長と副長がアテルイとモレで、田村麻呂の人柄に惹か
れて帰順してきます。田村麻呂は、二人の助命を朝廷に嘆願しますが、その
甲斐なく枚方牧野の地で処刑されてしまいます。この碑は、建都1200年を記
念して、アテルイの故地水沢市や地元の有志によって建てられたもので、両
雄の冥福と恒久の平和を祈るためのものです。

清水寺では、3月12日からの京都花灯路の期間に合わせて夜間拝観が実
施されます。また、3月15日から3日間、青龍会が催されます。早春の京都
の散策がてら、清水寺まで足を伸ばされてはいかがでしょうか。

清水寺紹介ページ
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道_013.htm

2004年2月28日 (土)

福寿草

fukujusou.jpg

わが家の福寿草が満開です。鮮やかでかつ上品な黄色がなんとも美しい。
お正月の縁起物とされますが、自然に任せておくと咲くのは大体今頃からで
す。

この株は今年で5年目。今年の秋には、植え替えてやらなくては。

2004年2月27日 (金)

京都の散歩道 三年坂界隈

sannensaka.jpg

今日紹介するのは、三年坂界隈です。

三年坂の位置


(三年坂の一般的な由来については、次のページを参照して下さい。)

http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道_012.htm#bookmark1

昨日紹介した龍馬坂と維新の道が交差する所を右に折れると、下りるのが恐いような急な下り坂になっています。坂の左手には霊山温泉があり、さらに下りていくと興正寺の石垣に突き当たります。このあたりの道は、最近では大きなマンションが出来て昔と雰囲気が変わりましたが、それでも静かな道には変わりなく、穴場の一つと言っても良いと思います。

その道をさらに進むと、二年坂と三年坂を結ぶ八坂道に出会います。ここは、恋する京都の第二回放送で、志乃が高子に「おいでおいで」を教えた四辻です。志乃さんの表情がどこかいたずらっぽく、良い感じでしたね。

この八坂道が石畳になったのは昭和37年の事です。それまではアスファルトの道だったのですが、市電の北野線が廃止になり、軌道に使われていた大量の敷石の再利用にどうかという話が地元にあって、それに乗ったという事です。今にして思えば大正解だったのですが、車の通行やメンテナンスの事を考えると、反対する意見もあった事でしょうね。

この四辻にある青龍苑は、いくつもの店が集まっている人気スポットです。維新史の好きな人にとっては、あけぼの亭の跡と言った方が良いかも知れません。三年坂に明保野亭という店があるのでややこしいのですが、幕末期に志士達が良く利用した料亭はここにありました。今は、興正寺の参道に面して茅葺きの門が残っていて、わずかに名残を止めています。

三年坂を少し上ったところに瓢箪屋さんがあります。この瓢箪、元々は音羽の滝の水を汲むためのものだったそうですが、今は縁起物として売られています。また、三年坂で転ぶと三年目に死ぬという伝説があるのですが、もし転んでも大丈夫。ここの瓢箪を買うと、死ななくても済むと言われています。

物騒な言い伝えですが、ちゃんと救済方法が考えられているというのも面白いですね。


2004年2月26日 (木)

京都の散歩道 龍馬坂

恋する京都の第2回放送の視聴率は、関東6.8%、関西7.7%でした。前回に比べて
関東で0.2ポイントアップし、関西で1.7ポイントダウンした訳ですが、この辺りで落ち着
きそうな気がします。裏番組に「プライド」という強力な存在がある事を考えると、善戦
と言っても良いような...。

ところで、この番組のシナリオを担当されている判一彦さんのページがありました。こ
れまでの2回分のシナリオが公開されていて、なかなか興味深いサイトです。一度ご
覧になられてはいかがでしょうか。

http://www.plala.or.jp/ban/index.html


さて、今回紹介するのは、龍馬坂です。

龍馬坂の位置



ryomasaka.jpg

龍馬坂は、一念坂から二年坂へ向かう途中、左側に折れる道です。龍馬坂の由来は、
龍馬の葬列がここを通ったことから付けられたとか。上の位置図では途中で道が途切
ようになっていますが、写真のように階段が続いていて維新の道に出られるようになっ
ています。ホームページでも紹介していますが、この坂の途中から眺める八坂の塔は
素晴らしく、特に夕方はなかなか絵になる風景が楽しめます。訪れる人も少なく、ちょっ
とした穴場と言える道です。

龍馬坂紹介ページ
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道_011.htm

http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/洛東_003.htm

この龍馬坂を登り切ると、道の向こう側にさらに階段が続いています。正法寺に続く階
段で、なんとなく入りにくい雰囲気があります。この正法寺は、時宗の寺で、眺望の良
い事で知られて来ました。私が最初に訪れたのは学生の頃で、庭からの眺めが素晴ら
しく、京都市内が一望の下に納められました。また当時の住職は気さくな方で、学生相
手に丁寧に説明して頂き、ご自分の撮られた夕日の写真を何枚も見せて下さいました。

ところが、最近では事情が変わってしまったらしく、庭園は公開していないとの事で、入
る事は出来なくなっています。また、かつては素晴らしかった眺望も、木々の生長によっ
て以前程の事はなくなり、ちょっとがっかりです。庭からだと、どうかは判りませんが。

こういう事もあって、ホームページでは取り上げていません。ただ、市内にあって、山寺
の雰囲気を楽しめる数少ないポイントであり、また紅葉は今でも多分きれいだと思いま
す。穴場を求める人には良い所かも知れません。

syohoji.jpg


2004年2月25日 (水)

京都の散歩道 高台寺界隈

koudaiji2.jpg

今日紹介するのは、高台寺界隈です。

高台寺界隈の位置


高台寺界隈を通る石畳の道は、高台寺を建てた北政所の若い頃の呼び名を取
って、「ねねの道」と呼ばれています。白壁と甍越しに八坂の塔が望める景色は
素晴らしく、散歩道として一押しの道です。

高台寺界隈紹介ページ
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道_008.htm

ところで、二年坂まで続くこの界隈は、大正時代に町並みとして形成されました。
多くは土産物店などに改装されて面影を失っていますが、維新の道に沿って残
る家並みには比較的当時の雰囲気が残っていると思います。

koudaiji.jpg

志賀直哉の小説「暗夜行路」に、高台寺の貸家を見に来る場面があります。具
体的にどこと特定する材料はありませんが、この家並みのような所だったので
はないでしょうか。小説に出てくる主人公謙作と大家とのやりとりは妙なもので、
最初謙作は家が気に入り、また大家も親切に対応してくれるのですが、一階の
照明の電気コードを伸ばす、伸ばさないで揉めてしまい、結局は喧嘩別れに終
わります。電気のコードくらいで何でお互い意固地になるのか何度読んでも不
思議な場面ですが、志賀直哉は実際にこんなやりとりを経験した事があったの
でしょうか。

一念坂界隈紹介ページ
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道_011.htm

二年坂には竹久夢二の寓居跡や、彼が好んだという甘味処「かさぎ屋」もありま
す。大正浪漫に思いを馳せながら散歩するのも、また楽しいものです。

二年坂紹介ページ
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道_012.htm

2004年2月24日 (火)

恋する京都 3

恋する京都の第2回放送ご覧になりましたか。

今回、ドラマは秋から歳末へと変わり、けいこ始めや大根炊きなど、年末の京都の風
物詩が取り入れられていました。鈴木紗里奈演ずる高子は、やや設定が強引すぎる
きらいはありましたが、いじらしい女心は出ていたと思います。

ところで、今回のドラマの設定は、事実と創作が巧みに折り合わされていて、誤解を
生じるような気がします。例えば、重要な舞台である遊山寺。

この寺は、このドラマで設定された架空の寺です。ロケが行われているのは、清閑寺。
清水寺の東隣にある寺で、歌の中山の故事で知られています。またドラマで恋が成
就するというお地蔵様が出て来ますが、これも架空の設定で、実際にあるのは要石と
いう石です。境内からの景色が扇形に見えるのですが、その扇の要の位置にある石
ということから付けられた名前のようです。

清閑寺紹介ページ
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/洛東の道番外編.htm

次に、今回出て来た大根焚きですが、京都の歳末の大根炊きといえば千本釈迦堂が
有名です。ここの大根炊きは無息災の御利益があるとされますが、恋の成就という御
利益はありません。でも、ドラマの大根炊きは楽しそうでしたね。こういう設定の大根焚
きもあっても良いのかも知れません。どこかで始めないかな。

今回のドラマで興味深かったのは、晶ちゃんの通う小学校です。あれは、八坂の塔の
近くにある清水小学校でしょうね。グラウンドから八坂の塔が望めて、なんとも良い環
境にあるものです。ネットで調べたところ、あの校舎は築後80年とか。古びた教室が
懐かしい雰囲気を醸し出していました。ただ、今回は晶ちゃんの出番が少なかったの
が不満かな。

次回は、圭吾の祖父の元恋人が出てくるようですね。今度はどんな風物を見せてくれる
のか楽しみです。

2004年2月23日 (月)

京都の散歩道 幻の銅閣

gionkaku.jpg

今日紹介するのは、幻に終わった銅閣、祇園閣です。

祇園閣の位置


祇園閣は、大倉財閥の創始者大倉喜八郎が、隠居所として建てた別荘「真葛荘」に
由来します。1927(昭和2年)に竣工し、設計は伊東忠太が担当しています。この伊
東忠太は、明治から昭和にかけての建築界の権威として知られる人で、他に平安神
宮や明治神宮など多くの設計に携わっています。

さて、大倉喜八郎は、伊東忠太に対して、当初、金閣、銀閣に次ぐ銅閣の設計を依
頼します。その内容は、傘が逆さまに開いた形という奇抜なものであったらしく、あま
りに斬新過ぎたためか伊東は実現困難であるとして断ります。これに変わる案として
提案されたのが祇園祭の鉾で、一年中鉾が見られのも楽しいだろうという発想でした。
ただ、銅閣の夢は忘れられず、屋根は銅葺きにするよう頼んだという事です。

大倉喜八郎は、この祇園閣の完成直後に亡くなっています。せっかくの別荘も、当人
は住むことなく終わってしまったのでした。

祇園閣は、その後大倉家の手を離れ、高島屋の所有に変わります。高島屋では、こ
の別荘を内覧会などの会場として使用していましたが、1974年(昭和48年)に店舗
拡張のために隣接していた大雲院に土地の交換を持ちかけ、以後祇園閣は大雲院
が所有することになります。

この祇園閣をまだ高島屋が所有していた頃、内部を見せてもらった事があります。当
時、私は小学生だったのですが、学校の課外授業の一環として、祇園閣を調べに行
ったのでした。私の学校は祇園閣からは離れた場所にあったのですが、東山に聳え
る高閣は当時の小学生にとっても謎の存在で、歴史クラブにおいても意見百出の状
態でした。それなら直接聞きに行けば良いではないかという先生の意見で、代表して
私が調べに行く事となりました。

母親に付き添ってもらって祇園閣を訪ねたのですが、当時の管理人さんは親切な方
で、学校の授業の一環ですと言うと、すぐに中に入れてくれました。中に入ってまず
目についたのが洋館建の建物で、壁に1927と数字が入っています。洋画に出てくる
建物のようで、当時の私にはとても新鮮に映りました。

さて、肝心の祇園閣ですが、まず大きな金属製の扉が目を惹きます。この扉を開ける
と、内側に描かれた2羽の鶴が出迎えて呉れます。扉の中は左右に分かれた階段に
なっており、展望台へと続いています。実は、中には豪華な部屋があるのではないか
と期待していたのですが、案に相違してがらんとした空間があるだけで、ちょっとがっ
かりした記憶があります。ただ、天井には極彩色の模様が描かれており、その点は華
やかな感じがしました。また、この時は気づかなかったのですが、この天井画の周囲
には、伊東忠太得意の怪獣の姿をしたランプ台が設置されているようです。展望台か
らの眺望はさすがに素晴らしく、市内が一望に出来るものでした。

このとき管理人さんに聞いた話は、冒頭に書いた内容と少し違っています。まず、銅
閣を止めた理由ですが、設計が難しかった事もありますが、時の将軍家が建てたも
のを真似するのは恐れ多い事ではないかと指摘する人があり、やむなく断念したとい
う事でした。また、大倉喜八郎が亡くなったのは祇園閣が完成する2ヶ月前のことで、
出来上がった姿を見ることはなかったとの事でした。

このあたりについて今回調べてみたのですが、喜八郎が亡くなったのは昭和3年の
事、祇園閣の完成年については昭和2年とする説と3年とする説に分かれており、正
確な事は判らないというのが正直な所です。

最近、この祇園閣がある大雲院を銅閣寺と呼ぶそうです。祇園閣の成立の経緯を踏
まえての事と思いますが、銅閣を断念して祇園閣として建てている以上、今さら銅閣
と呼ぶのはどうでしょうか。話としては面白いと思いますが、ちょっと無理があるような
気がします。

2004年2月22日 (日)

京都の散歩道 ムササビの居る参道

今日紹介するのは、大谷祖廟の参道です。

参道の位置



大谷祖廟は、東大谷とも呼ばれ、浄土真宗の宗祖親鸞上人のお墓があるところです。東大谷は東本願寺に属し、上人の御遺骨を納める場所として1670年(寛文10年)に築かれました。ちなみに、西大谷と呼ばれる大谷本廟もまた親鸞上人のお墓とされていますが、こちらは西本願寺に属し、上人が荼毘にふされた場所という由来があるようです。徳川幕府の政策によって東西に分裂させられた結果なんですが、なんともややこしい話ですね。

さて、参道は八坂神社の石鳥居から下河原通に入ってすぐの左側にあります。ここから祖廟の門前まで続く350m程度の石畳の道で、道の両側には鬱蒼とした樹木が続きます。入り口に低い車止めの柵があるせいか観光シーズンでも歩く人は少なく静かな場所で、人混みに疲れたときに寄るには良い場所です。

ところで、この参道にはムササビが棲息しています。正確には、10数年前には確かに居たというべきかな。10数年前の夏の夜、この参道でゆこと二人して夜の散歩を楽しんでいると、突然上の方で「ガサガサ」という音がします。最初は鳥でも飛んだのかなと思っていたのですが、暫くその場に佇み頭上を見上げながら待っていると、再び音がすると同時に黒い影がさっと横切るのが見えました。足を伸ばし皮膜を広げたシルエットが、枝から枝へと飛んだ瞬間でした。

ムササビと言えば、山奥に棲息しているというイメージがあるのですが、ウロがあるような大木が茂り、かつ餌となる木の実が沢山あるような環境があれば、平地でも棲んでいるようです。それからすると、この参道はぴったり条件に当てはまるのですね。ただ、あまりにも人里の中にありすぎて、そんな小動物が棲んでいるとは考えにくいのも事実です。ですから、この話は誰にしても信じて貰えませんでした。まあ、逆の立場なら私も同じように信じないだろうと思いますが。

ムササビの居た場所は、下河原通から参道へ入って3分の1ぐらいの所です。今でも居てくれるといいな。

大谷祖廟紹介ページ
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道_006.htm

2004年2月21日 (土)

京都の散歩道 志乃を送った道

gionsya.jpg

「恋する京都」第一回放送分の視聴率が出ました。関東6.6%、関西9.4%。こんなものなのか、物足りないか。次回はどうなるのでしょうね。

さて、今日紹介するのは、圭吾が志乃を抱き上げて、八坂神社から八坂の塔の下の家まで送ったときに歩いた(はずの)下河原通です。

下河原通の位置


下河原通は、八坂神社の石鳥居から八坂庚申堂へ至る道で、1km弱の長さがあります。つまり、圭吾は志乃を抱えたまま1kmの道のりを歩いた訳で、さぞ腕が棒のようになった事でしょう..。志乃を抱き上げた後、家の場所を聞いたとき圭吾が一瞬ためらったのは無理もない話なのでした。

志乃の草履の鼻緒が切れたのが八坂神社の南楼門の前。その楼門をくぐったところにある料亭が二軒茶屋「中村楼」です。戦国期にはすでにあったという老舗で、当初参道を挟んで東西二軒の茶店があった事から二軒茶屋と名付けられました。現在残っているのは東側の茶店で、江戸期に田楽豆腐で有名になり、その後の基礎を作っています。今では高級料亭として知られていますが、茶店風のお休み処でソフトクリームを売っていたりするから面白い。

また、先日、京都最初のホテルとして也阿弥を紹介しましたが、実は中村楼はそれよりも早く明治元年にペンキ塗り2階立ての新館を建て、8室の洋間を備えた外国人専門の宿を開業しています。そして、この中村屋の向かいに明治10年に自由亭というホテルが進出してきます。今では想像も付かない事ですが、八坂神社のすぐ南隣に2軒の洋館建てのホテルが並んでいた時代があったのでした。これらのホテルは、時代に受け入れられることなく早期に廃業したため、規模、施設、実績で勝る也阿弥が京都最初のホテルとされているようです。

石鳥居をくぐると、下河原通が始まります。下河原通は、観光コースからは外れているのですが、どこか雅やかな風情の漂う界隈です。このあたりは、明治の初め頃まで西隣の清井町とともに祇園と並ぶ花街だったところで、今でも紅柄格子の家の造りにその名残が残っています。この花街の芸者は「山猫芸者」と呼ばれ、芸達者が揃い、祇園からも一目置かれる存在でした。山猫というのは、「獰猛な」という意味ではなく、山のねきから来ています。「ねき」とは京都弁で近くという意味で、やまねき芸者、山沿いの街に居る芸者という事から来ているのですね。明治以後、祇園が興隆するとともに、花街としての繁栄は失われ、旦那衆が身請けした芸妓を住まわせたりする町になったようです。

通りの半ばあたりにある舞風館は、舞妓体験のできるホテルです。昼間観光地を歩いている舞妓姿の女性は、大抵がこの種のサービスの利用者で、歩く姿勢を見ていれば大体素人だと判りますが、街が華やかになるのでそれも悪くないんじゃないでしょうか。女性にとってもうれしいサービスなのでしょうね。散策プラン12500円。

下河原で今一番人気があるスポットが「ひさご」でしよう。小さな店ですが、親子丼が人気を呼び、昼時になると行列が出来ます。私も子供のころ食べた事があるのですが、その頃から卵がとろっとした美味しい丼でした。正直言って、ここまで人気が出るとは思ってもみなかったのですが、なつかしいようなほっとする味が受けているのでしょう。昼時をはずして午後遅くに行けば、並ばすに食べる事が出来る様です。親子丼850円。

ひさごの近くに「下河原阿月」があります。ここのおすすめは「三笠」。判りやすく言えばどら焼きですが、ふっくらとして甘すぎず、上品な味です。1個140円。

阿月の前から道は坂になります。八坂の名前は八つの坂があるところから来ているとも言いますが、この坂はその一つの下河原坂。この坂を登り切ったところに、鍵善高台寺店があります。ここのくずきりはとても美味しく、散策途中のおやつには最適です。くずきり800円。

鍵善を通り過ぎると、左手に、いかにも唐突な感じで山門が現れます。前に参道がある訳でもなく、また背後に御堂がある訳でもなく、なぜこんな所に建っているのかと思いたくなるなるような門ですが、これが高台寺の山門です。かつての高台寺の寺域は非常に広大なもので、この門が入り口だったのですね。なぜか、アスファルトの道はこの門をはずした場所に付けられているため、今では門としての機能を失っており、どこか不自然な感じがするのでしょうね。

道を突き当たったところが八坂庚申堂で、左に折れれば八坂の塔、右に折れれば志乃の家です。このあたりはドラマでしょっちゅう出て来ますね。ちなみに、志乃の家の写真館はセットだったのですが、今では撤去されていることでしょうね。見に行っておけば良かった。

下河原通紹介ページ
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/洛東の道番外編.htm


2004年2月20日 (金)

京都の散歩道 八坂神社の七不思議

YASAKA.jpg

今日紹介するのは、八坂神社の七不思議です。

八坂神社の位置


京都で七不思議と言えば知恩院が有名ですが、八坂神社にもあります。知恩院に比べてドラマ性に欠けているせいかあまり一般化していませんが、参拝時の話の種として、覚えておくと面白いと思います。

まずは一つ目の不思議
西楼門には、蜘蛛の巣が張らず、雨だれの跡も付かない。

西楼門と言えば、八坂神社の顔のような存在。四条通に面して立つ姿は、代表的な京都の風景の一つですが、確かにいつ見ても綺麗です。

二つ目の不思議
本殿の下に龍穴と呼ばれる深い井戸があり、龍脈が二条の神泉苑と繋がっている。

龍穴というのは、陰陽道で地の気が集まるところを言い、その気が流れる道を龍脈と言います。
八坂神社のある東山は、平安京の東、青龍の地にあたり、この龍穴を青龍が守っているとも言います。

三つ目の不思議
龍吼。
本殿の東、玄関前の柱から西に向かって柏手を打つと、天井に描かれている龍が鳴くと言われています。

四つ目の不思議
忠盛灯籠。
永久年間の頃、白川法皇が雨の夜、東山の麓に住む祇園女御の許に赴かれようとして八坂神社の境内を通られたとき、前方に鬼のようなものが見えました。法皇は、お供に従っていた平忠盛にあれを討ち取れと命じられたのですが、忠盛は落ち着いてその正体を見定めんとこれを生け捕りにしたところ、祇園の社僧が油壺と松明とを持ち、燈籠に燈明を献ろうとしていことが判りました。僧が雨を防ぐために被っていた蓑が、灯りの光をうけて銀の針のように見えたのでした。忠盛の思慮深さは人々の感嘆するところとなり、法皇の信任を得る事ができ、後の平家興隆のきっかけとなりました。

五つ目の不思議
二見岩。
大神宮社内の内宮と外宮の間にある岩の事です。一見小さな岩なのですが、その根は地軸に届くほど深いと言われています。

六つ目の不思議
力水。
大神宮社の入り口右側にある湧水の事で、祇園神水と呼ばれています。この井戸自体は最近のものですが、90mの深さから汲み上げていると言い、この水を飲んで美御前社に参拝すると美人になれると伝えられています。

七つ目の不思議
夜泣き石。
日吉社の前の木の根元にある石で、夜になると泣き出すという伝説を持っています。夜泣き石の写真と位置は、ホームページ「京都の散歩道」を参照して下さい。
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道_007.htm

2004年2月19日 (木)

京都の散歩道 京都初のホテル

今日紹介するのは、円山公園と京都で最初に出来たというホテルです。

円山公園と也阿弥の場所


円山公園と言えば、桜の名所。特に枝垂桜は有名ですね。かがり火に映えた花は、何とも言えず美しいもの。桜時分には、夕暮れと共に大勢の花見客で賑わいます。

普段の円山公園は、喧噪とは程遠い静かな落ち着いた空間です。ゆっくりと物思いにふけりながら散策するにはもってこいの場所ですね。しかし、かつては、ここが一大歓楽地だった事をご存知でしょうか。

円山公園は、1886年(明治19年)に公園として整備されるまで、祇園社の境内でした。そして、それよりずっと以前の江戸時代の中頃には、すでに料理屋や茶店が並ぶ歓楽地となっていたようです。これには訳があって、今の円山公園の東の外れに安養寺という寺がありますが、この門前に六阿弥と呼ばれた六つの塔頭があって、それぞれが贅を競ったた庭園を持ち、貸座敷として市民に開放していました。これが江戸期における京都の一大名所となっていて、円山公園のあたりの茶店は、この六阿弥へ向かう客達を目当てに建てられたものだったのです。今でも左阿弥という料亭が現存していて、その周辺を歩くと、かつて塔頭があったと思われる平場や、庭園の滝の跡と思われる石組みが見受けられます。

明治になると、様相が一変します。明治14年、長崎県の井上万吉という人が六阿弥のうちのひとつ也阿弥を買い取り、西洋式ホテルを開業します。これが京都で最初に出来た本格的なホテルという訳ですが、その後他の塔頭の買収を繰り返し、明治27年頃には東山中腹にそびえ立つ、巨大なホテルに成長しています。また、同時期に、也阿弥の南隣に金閣を模した塔を備えた吉水温泉(人工の鉱泉風呂)も開業しており、当時の古写真を見ると、とても今の円山公園とは思えない観光地が現出していたのでした。

この頃の円山公園の中の店は、今と違って公園の南側にあったようですが、様々な店が揃っており、大変な賑わいを見せていたようです。その名残は昭和40年代の中頃まで残っていて、私も親に連れられて行った記憶があるのですが、例えば乗馬練習場があり、その隣にはだるまやというダルマ落としや弓で遊ぶ、今で言うならゲームセンターのような店がありました。もっとも、だるまやについては屋号だけが残っていて、営業はしていなかったようですが。今は、大弓射場が唯一当時を偲ばせる存在として現存しています。

この賑わいも、やがて終息を迎える時が来ます。明治32年、也阿弥が火災に見舞われ、全焼してしまいます。也阿弥は一旦再建されますが、明治39年に再び火災を起こし、廃業へと追い込まれます。このとき、南隣の吉水温泉も同時に燃えてしまいました。また、円山公園の整備に伴い、園内の店は今の北側へと移転させられ、かつての歓楽地は徐々に賑わいを失い、今に近い姿へと変わってきたのでした。

静かな公園を歩きながら、かつての賑わいを想像してみるのもまた一興だと思います。

弥阿弥と円山公園紹介ページ
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道_006.htm

2004年2月18日 (水)

京都の散歩道 縁結びの神様

今日紹介するのは、濡髪大明神。縁結びの神様とされている神社です。

濡髪大明神は、知恩院の境内にあります。

濡髪大明神の位置



御影堂の東にある石段を登ると勢至堂に至ります。この勢至堂の横を抜けると墓
地になっていて、まず目に付くのがいくつも並んだ立派な墓石です。多くは、知恩
院の歴代門主の墓ですが、中に一際大きな墓石があって、よく見ると三つ葉葵の
紋が刻まれているのが判ります。これが、徳川家康の孫娘で豊臣秀頼の妻であっ
た「千姫」の墓です。千姫の墓は、東京の伝通院と水街道市弘教寺にもあります
が、徳川氏の帰依する浄土宗の大本山にも特に墓を築いたのは、運命に弄ばれ
た一門の姫に対する憐情があったからでしょうか。

さて、本題の濡髪大明神ですが、この千姫の墓のすぐ後ろにあります。ここに祀ら
れているのは知恩院の守護神とされる白狐。なぜ、この白狐が濡髪大明神と呼ば
れるようになったかには、次のような説話があります。

江戸時代のはじめ頃、火災で焼失した堂塔伽藍が徳川氏の肝入りで再建された
のですが、その一つの御影堂の落慶法要の際に、一人の童子が現れます。その
日は雨だったのですが、法要を終えた霊厳上人が廊下に出てみると、雨に濡れた
可憐な童子が佇んでいました。上人は、気の毒に思い傘を貸してやったのですが、
その童子は、「私は元この地に住んでいた狐です。この堂が建ったため住む事が
出来なくなり、恨みを晴らそうと出て来たのですが、ただいまの上人のお話しを聞
いて、心を改めました。この上は、当寺が再び火災に遭わないように守護いたしま
しょう。」というなり、姿を消してしまいます。そして、次の日、御影堂の軒下に上人
が貸した傘が差し込まれていました。上人は、童子の言葉を信じ、境内の東に祠
を建てて、守護神として祀りました。以後、知恩院が火災に見舞われる事は絶えて
ないと言う事です。

どこにも濡れ髪なんて出てこないじゃないか、と言われそうですが、雨の中に童子
が立っていたというところがポイントです。この童子の髪が濡れていたことから来て
いるのですね。では、なぜ縁結びの神様になったのか。それは、濡れるという言葉
が、男女の仲の艶っぽさを連想させるところから来ているようです。主として、祇園
の舞妓、芸妓衆を中心に信仰が広まったようですね。

この濡髪大明神ですが、祇園を除いて、地元でも知らない人が多いようです。奥まっ
た場所であることからか訪れる人も少なく、じっくりと願い事を聞いてもらう事が出来
そうな気がします。

濡髪大明神紹介ページ
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道_005.htm


2004年2月17日 (火)

京都の散歩道 おみくじの開祖

今日から暫くの間、「恋する京都」にちなんで、京都の話題にお付き合い下さい。

わが家のホームページ「京都の散歩道」で洛東の道を紹介しているのですが、
その中で紹介しきれていないところがいくつかあります。ここでは、そうしたポイト
を中心に、紹介していきたいと思います。

今日は、粟田口 尊勝院。おみくじの開祖のお話です。

尊勝院の場所


平安神宮から青連院へ向かっていく時に、三条通を渡ってすぐに小さな交差点
があります。ホームページでは、ここを右へ折れ、白川へ向かう道を紹介したの
ですが、今回は左に折れてみる事にします。

左に折れて暫く歩くと、「元三大師」と書いた大きな石碑が見えてきます。最初
この石碑を見たとき思わず「大三元」と読んでしまったのですが、何とも失礼な
話で、元三大師とは、比叡山第十八代座主であった良源上人の事です。叡山
中興の祖と言われ、また数々の伝説に彩られた方で、降魔大師、角大師、豆
大師などの異名を持たれています。尊勝院は、この元三大師を本尊とする寺で、
比叡山千日回峰の行者が修行の報告に来る寺でもあり、その時に白川を渡る
橋が行者橋です。

これだけだと何やら遠い昔の偉い人という感じですが、おみくじを始めた方だと
聞くと、何か急に身近に感じませんか。

おみくじは、元三大師が観音菩薩に祈念して偈文を授かった観音籤が起源と言
われています。何だか難しそうですが、要するに観音様に聞いた人生の処方箋
というくらいの意味だそうです。これを元に今のおみくじの形にしたのは、江戸時
代の天海大僧正のようですね。ある日、夢枕に元三大師が立たれて、信州戸隠
にある観音籤を世に広めよとお告げがあり、調べてみると実際に偈文百枚があっ
たそうです。僧正は、この百枚を元に、一から百までの数字を付けた棒を穴を空
けた箱に入れて願いを込めて振り、出て来た数字の籤をもって吉凶を占うという、
今のおみくじの原型を作り上げました。

また、この尊勝院は、「みざる、きかざる、いわざる」の三猿の像があり、京都三
庚申の一つにかぞえられています。この像は、元は白川橋の南にあった金蔵寺
にあったそうですが、この寺が廃寺になったため、尊勝院に移されました。

このあたりは、観光コースからは外れており、休日でも静かな所です。穴場の一
つとして訪れてみるのも面白いところだと思います。

尊勝院紹介ページ
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道_002.htm

2004年2月16日 (月)

恋する京都 2

恋する京都、ご覧になりましたか。

予想どおりというか、今時のドラマと違ってゆったりとしたテンポで、いかにも
京都らしさを意識した演出でした。正直なところ、今後の視聴率は良くないと
いう気がします。でも、京都が大好きな私にとっては、まずまず満足の行くと
ころでした。

見ていて気になったのは、位置関係にかなり無理があったところかな。先斗
町の芸妓さんが八坂の塔の下に住んでいたり、畑に行くと言って西加茂まで
出かけたりと、あまりに不自然さが目に付きます。ドラマの設定上、やむを得
ないことなのでしょうけど。

出演者で気に入ったのは、晶ちゃん。まったりした演出の中で、一人コミカル
な役を上手にこなしていました。今後が楽しみです。あと、鶴田真由さんの芸
妓姿はきれいでしたね。

今回、初めて知ったのは、大文字の消し炭を縁起物として持って帰るという風
習です。あれって、銀閣寺門前町の人達の特権のような気がしますが、そん
な事はないのかな。誰でも採りに行って良いのでしょうか。

全部で5回しかないというのが、ちょっと残念です。今後も京都のいろいろな側
面を教えて欲しいものです。

http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道.htm

2004年2月15日 (日)

三寒四温

昨日、大阪に春一番が吹きました。突風と言っても良いほど強い風でしたが、
これで春が来ると思えば腹も立ちません。こころなしか、日差しも暖かく感じ
ました。

でも、今日は一転して冬に逆戻りしたような天気です。天気予報によれば、ま
たしばらく寒い日が続くとか。3月下旬までは、暖かくなったり、寒くなったりと
こういう気候が続くのでしょうね。

三寒四温。

今の季節にふさわしい言葉ですが、本来の意味とは違うよ、と聞いた事があり
ます。そこで、少し調べてみました。

元々、この言葉は中国大陸から朝鮮半島で使われていたものだそうです。そし
て、春先ではなく、真冬に使う言葉なのだとか。冬の間、大陸を覆うシベリア高
気圧が強弱を繰り返すのですが、それによって寒気が強くなったり弱くなったり
を繰り返す、そういう気候を指すのだそうです。日本での使い方とは、似ていて
異なるようですね。

本来の意味とは違うかも知れませんが、それでも、私はこの言葉が好きです。
冬が終わりに向かい、だんだんと春が近づいてきている、そういう雰囲気を表す
にはぴったりですからね。これから、春二番、春三番と続けばいよいよ本格的な
春の到来です。そろそろ、ベランダ園芸も春の準備を始めるかな。

2004年2月14日 (土)

2月のカブトムシ

kabutomusi.jpg

カブトムシといえば夏の風物詩。雑木林に採りに行った人も多いでしょうね。そんなカブトムシが、真冬の今、わが家に居ると言ったら信じて貰えるでしょうか。

このカブトムシ、3年前の夏に雑木林で採集した♀の曾孫にあたる虫達で、昨年の5月末に幼虫として産まれました。このカブトムシの親は昨年3月に羽化しており、そのまた親は一昨年の4月に羽化と、要するに年々羽化する時期が早くなっていて、今年はとうとう真冬の2月に出て来てしまったと言う訳です。

こうなったのにはやはり理由があって、カブトムシと一緒に外国産のクワガタムシを飼育しているのですが、これらは寒さに弱く、室温を概ね20度に保っています。この環境で日本のカブトムシを飼育していると、通常よりも成長のサイクルが早くなり、羽化する時期も前倒しになってくるという次第です。カブトムシにとっては良い迷惑なのでしょうね。

上手く行けば4月には幼虫が生まれる事でしょう。せっかく繋いできた子孫ですから、出来るだけ長く世代を続けてやりたいと思っています。

2004年2月13日 (金)

ニオイザクラ

rukulia.jpg

わが家のルクリアが満開です。別名、アッサムニオイザクラ。その名のとおり
桜の花に形が似ていて、とても良い香りがします。リビングの出窓に置いてあ
るのですが、外から帰ってくると、この花の香りが部屋に満ちているのが判り
ます。

本来、秋の終わり頃に咲き始めるのですが、今年は秋口に徒長枝を剪定した
たため、開花が遅れてしまいました。普通なら、2番花の時期だと思います。

この花、香りも好きなのですが、きれいな花色も気に入っています。本家の桜
も本来はピンク色のはずなのですが、最近はどれも白っぽくなっています。こ
れは大気汚染のせいらしいですね。空気のきれいな地方に行けば、ルクリア
のようなあざやかな花を見る事ができるのでしょうか。

ルクリアの原産地はヒマラヤ周辺なのだそうです。出窓の環境とは随分異なり
ますが、毎年健気に咲いてくれています。花が終わったら植え替えの時期。来
年も咲いてくれるように大事に育ててやろうと思っています。


2004年2月12日 (木)

恋する京都

2月16日から始まるNHKのドラマ「恋する京都」。鶴田真由の扮する先斗町の芸
妓が主人公となり、京都を舞台に展開するようです。予告編を見ていると、京都の
名所が数多く出てくるようですね。始まるのが楽しみです。

ここで、わが家のホームページの宣伝。わが家のホームページに「京都の散歩道」
というサイトがあるのですが、そこで取り上げているのが東山と祇園界隈。舞妓と
芸妓の世界も少し取り上げています。ドラマの前に見ておくと、何か参考になる事
があるかも知れません。良ければご覧になって下さい。

URLは次のとおりです。
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/

さて、多分ドラマにも出てくると思いますが、清水寺の近くに三年坂という坂道があ
ります。有名な観光地ですから、行った事がある人も多いでしょうね。三年坂につい
ては、面白い由来が幾つかあるのですが、それ以外にお伽噺の一寸法師が鬼と出
会った場所でもあるようです。歌にある清水坂というのが、三年坂のことなのだそう
です。どこに鬼の隠れる場所があったかは判りませんが、そんな話があったとしても
不思議ではないような雰囲気があります。京都の風情に浸りながら、一寸法師と鬼
の戦いに思いを馳せてみるのも一興かも知れません。

3月になると京都花灯籠というイベントが展開されます。三年坂を含む東山一帯が
幻想的な光に包まれ、春の宵をそぞろ歩こうという行事です。今年は、「恋する京都」
でいっそう盛り上がるかも知れませんね。期間は3月12日から3月21日までです。

2004年2月11日 (水)

トトロの世界

となりのトトロが公開されたのは、1988年の4月のこと。そろそろ16年になるのですね。蛍の墓と同時公開だったのですが、ジブリの名作を2つも揃えていたにも関わらず、興行的には大失敗だったとか。今からでは信じられないような話ですが、最初から赤字覚悟の公開だったそうです。

かくいう私も、当時は見てないです。というより、やっている事すら知らなかった。ただ、トトロについては、JRのキャンペーンに使われていたので、変なキャラクターだな、という程度には知っていましたが。

宮崎監督の本を読むと、プロモーションが決定的に下手だったとおっしゃっています。確かに、どんなに良い作品があったとしても、知らなくては見に行かないですからね。DVDに入っている当時の予告編を見てもいまいちだな、と言う気がします。本編に比べて全然面白くない。そういう事も含めての失敗だったのでしょうね。

ところで、となりのトトロというのは、「所沢の隣のおばけ」というのが元になっているそうです。何度も言っている内にだんだんと縮まって、となりのトトロになったのだとか。だから、舞台も所沢なんですね。

@ニフティの昆虫フォーラムに所沢在住の方がおられるのですが、トトロに出てくる地名が実際にあるそうです。その方がおっしゃるには、家の近所に「松郷」という標識があって、車で通るたびに「まつごうー!」と叫んでいるのだとか。うーん、なんてうらやましいんだ。さらに、七国山病院ならぬ八国山病院というのがあって、裏山の様子は映画そのままらしいです。少し前にここでオフ会があったのですが、私はあまりにも遠すぎて残念ながら参加出来ませんでした。しかし、いつか行ってみたいものだと思っています。

当時変なキャラクターと思っていたトトロが、今やわが家最大のお気に入り。玄関やリビングで家族を出迎えてくれます。16年経っても古びないどころか、見直すたびに新鮮な感動を与えてくれる、そんな素晴らしい作品だと思います。

2004年2月10日 (火)

フェラーリF2004テスト快調

フェラーリの新車F2004が、テストで快調なようです。

先日、フィオラノのテストでいきなりコースレコードを更新したのに続き、今度はムジェロ
のテストでまたもやコースレコードを更新しました。それも、従来の記録1'21.128を大幅
に上回る1'18.740という見事なもの。元の記録が昨年F2003GAでマークしたものであ
る事を考えると、今年の車がいかに速くなっているかが伺えます。

B.A.Rホンダがバルセロナの記録を更新した事といい、今年のF1はエンジンやリアウ
イングの規則が改正された影響を微塵も感じさせないどころか、長足の進歩を遂げて
いるように見えます。おそるべき開発力ですが、このまま行くとまたしても速度規制の
ための規則改正が必要になってくるのでしょうね。イタチごっこというか、これもF1の宿
命なんでしょうけど。

F2004に関しては、これまで単独テストばかりで、まだ一度もライバルと一緒に走った
事がありません。やはり実力を見るには同じコンディションで走ってみなければ何とも
言えないところがあります。そのライバルはというと、ウイリアムズは相変わらず好調
ですが、マクラーレンがこのところ元気が無いのが気に掛かります。テストのタイムは
あまり意味がないとは言っても、タイムシートの最下位を占めているのはまともではな
いという気がします。どこかにトラブルを抱えているのでしょうか。

F1はやはりライバルが鎬を削ってこそ面白いもの。マクラーレンが開幕までに体制を
立て直して、今年も三つ巴の争いを見せて欲しいものだと思います。


2004年2月 9日 (月)

選挙速報

このところ、2週に渡って大きな選挙(大阪府知事と京都市長)があり、テレビの速報
を続けて目にする事になりました。しかし、結果が出るのが早いですね。大阪府知事
選など、開票が始まって1分程度で当選確実が出されています。それだけテレビ局の
予測技術が進歩したという事なのでしょう。

でも、これって良い事なのかな。

今回の選挙の投票率は、どちらも酷いものでした。原因はいくつもあるでしょうけれど
も、「投票してもしなくても何も変わらない。」という気分が一番大きいような気がしま
す。あまりに早すぎる選挙速報がそれを助長しているという気がするのは、私だけで
しょうか。

開票が始まった直後に当落を速報されてしまったのでは、「結果は初めから判って
いる事で、投票自体はセレモニーに過ぎないよ。」と言われているような気分になっ
てしまいます。無論、マスコミは徹底した出口調査などでデータを整え、投票結果を
予測しているのであって、最初からどの候補が当選すると決め打ちしている訳では
ないのでしょう。でも、当選を決めるのは実際の得票数であって、それが確定してい
ないのに予測に基づいて当落を報道してしまうというのは、行き過ぎではないでしょ
うか。せめて、開票作業が進んで発表される数字から判断して、間違いなく当選ラ
インを越えたと言える時点(足し算と引き算で判断出来る時点)まで当落は言うべき
ではないと思います。

また、選挙速報の番組で、わずか数パーセントの開票率で当落の原因の分析を始
めるのも同じ理由で止めるべきではないでしょうか。番組の解説を聞いていると、マ
スコミには選挙前から結果が判っており、そのとおりの結果が出ていると言っている
ようにしか聞こえません。だったら、わざわざ投票に行く意味なんてないじゃないです
か。

投票率の低さの原因を、テレビ報道にばかり求めるのは間違っているとは思います。
しかし、選挙の速報番組を見るたびに、次の選挙に行く気力をなくしてしまいそうにな
るのもまた事実です。

2004年2月 8日 (日)

ハウルの動く城

宮崎駿監督の次回作「ハウルの動く城」、公開が楽しみですね。原作はイギリスの
児童文学「魔法使いハウルと火の悪魔」、作者はダイアナ・ウィン・ジョーンズとか。
まだ読んだ事はありませんが、イギリスの児童文学の質の高さはハリー・ポッター
でも証明済み。これを宮崎監督がアニメ化する訳ですから、今からワクワクしてしま
います。

ただ、これまでのところ情報が少ないですね。「ナウシカ」のDVDに動画が入ると聞
いて楽しみにしていたのですが、城が走っているシーンが数秒だけ。ちょっと拍子抜
けしてしまいました。この映画のイメージ組曲が先行して発売されているようなので、
機会があれば聞いてみたいと思っています。

ところで、この映画の公開を巡ってはちょっとした混乱が見られるようです。配給元の
東宝は、昨年末に2004年7月の公開と発表したものを、今年になってすぐに制作の
遅れを理由に、秋まで延期すると訂正しています。これに対して、ジブリ側ではあくま
で当初の予定を守りたいと申し入れているとか。ジブリのホームページの日記を見て
いると、夏の公開に向けて必死の作業が続いている様子が伺えます。果たして、どう
なるのでしょうか。子供と見に行くには夏の方が都合が良いのですが、じっくりと良い
作品を作って欲しいという気もしています。うーん、気が揉める。

今年の夏は、ジブリの森美術館へ行くつもり。でも、夏休みだとあっという間に予約
が詰まってしまいます。実は、昨年も行く予定だったのですが、旅行の日程を詰めて
いる間に、気が付いたら空いている日が無くなっていました。今年は速攻で予約して
しまおうと思っています。

上手く行けば、今年の夏は「ハウル」と「ジブリ美術館」と、ジブリ三昧で過ごすこと
になるはずなんですが、果たして結果はどうなりますことやら。

2004年2月 7日 (土)

においスミレ

においスミレの蕾が上がって来ました。毎年、寒い中咲き始め、気温が上がる
につれて芳香を漂わせるようになります。

英名「スイートバイオレット」。香水の原料になるそうですね。栽培は至って簡単、
日当たりと水を確保してやれば、ランナーでいくらでも増えてくれます。

においスミレを栽培していると、野山にあるスミレに対して興味を持つようになっ
て来ました。昨年、いがりまさしさんの「日本のスミレ」を買って、外に出るたび
にスミレを探すようにしています。すると、あちこちにあるものですね。

当初、スミレは川べりにあるものとばかり思っていました。なぜかと言うと、「春
の小川」という唱歌がありますが、その中に「岸のスミレ」という歌詞が出て来ま
す。この歌を習って以来、スミレは川の縁に生えるものだとずっと思いこんでい
ました。ところが、実際には色々な場所に生えています。野原から杉林の林縁、
道路脇の街路樹の下にまで見つける事が出来ます。意外な程、たくましい植物
なのですね。

これまで出会ったのはほとんどがタチツボスミレで、まだほんの数種類しか見つ
けていません。春はスミレの花が咲き始める季節。今年はどんなスミレに出会え
るか、今から楽しみにしています。

2004年2月 6日 (金)

冬の月

今夜は冬晴れ、枚方でも星がきれいに見えています。そして満月。

月の事を初めて習ったのは、小学1年生の秋でした。それも、理科ではなく国語
の時間です。教科書に月の話が出ていて、それにちなんで月を見た事があるか、
という話題になったのだと思います。

「秋は名月と言って、月がきれいに見える季節、夜になったら月を探してごらんな
さい。」、そういう先生の話を聞きながら、私は以前見た月の事を一生懸命思い出
そうとしていました。同時に、月は秋に見えるものだったかな、と考えていました。
すると、私と同じ疑問を持った児童がいたのでしょう、「先生、月は秋に出て来て、
冬になるとどうなるんですか。」と質問が出ました。これに対する先生の答えが私
の心を捉えます。「冬でも月は出ています。冬の月はもの凄く、煌々と輝いていま
す。」

「煌々と輝く月」

無論、小学1年生に正確な意味が判るはずもありません。しかし語感から大体の
雰囲気を感じ取る事が出来ました。多分、もっと小さい頃に実際に冬の月を見た
事があり、それを無意識に覚えていたのだと思います。

以来、冬になると必ずこの話を思い出します。肌を刺すような寒さの中、澄み切った
空に浮かぶ月には、確かに他の季節には無い凄みがあります。そして、輝きも。

「煌々とした月とは、こういう月の事なんだな」、そう思いながら空を見上げるのが、
私の中の冬の風物詩の一つです。

2004年2月 5日 (木)

甘いお煎餅

oikesenbei.jpg

京都に甘い煎餅があるって知ってますか。

普通、煎餅と言えば醤油味か塩味ですよね。ところが、世の中には甘い煎餅も
あるんです。

私も長い間京都で暮らしていたのですが、知人から頼まれて初めてその存在を
知りました。最初、甘い煎餅を知らないか、と聞かれたのですが何の事やら判ら
ず、あちこち問い合わせてようやく突き止める事が出来ました。

その名は、「御池煎餅」。

食べてみると、ふわっとしていて、口の中でとろける感じがします。そして、ほの
かに甘い。不思議な食感です。餅米を粉にした煎餅を焼くときに、たまり醤油を
ほんの少し加えた砂糖を塗るのだそうです。

見かけは普通の薄焼き煎餅と変わりませんから、黙って出したら驚かれる事間
違いなし。お茶請けにも丁度良い。1缶に22枚入って1100円と少し高い感じが
しますが、おみやげにするときっと喜ばれますよ。

御池通を挟んで京都市役所の向かい側にある「亀屋良永」というお店で買えま
す。

2004年2月 4日 (水)

佐藤琢磨、コースレコード!

B.A.Rホンダの佐藤琢磨選手が、バルセロナサーキットのコースレコード
を塗り替えました。B.A.Rホンダは、僚友のJ.バトンが前日にコースレコ
ードを出したばかりだったのですが、わずか1日でこの記録を更新してしま
いました。

さらに驚くべきは、佐藤選手の車は前年の車をベースにしたハイブリッド車
で、最新の006ではなかった事です。テスト用の暫定車でレコード記録を出
してしまうとは、恐れ入ったの一言です。

無論、燃料をぎりぎりにまで抜いてのアタックだったのでしょうけれども、前
年のポールタイム1'17.702に対し、佐藤選手の記録1'13.797という数字は、
カテゴリーが違うと言っても過言ではないほどの大差です。この差は、前年
の予選時には本戦を見越した燃料を搭載していた事を加味したとしても、と
ても埋める事は出来ないものでしょう。この結果を見せつけられては、今年
に期待するなという方が無理と言うものです。

佐藤選手は、シートが合わなかったためまだ新車をあてがわれていません。
これから、最新の006に乗り始めたらどんな結果を出してくれるか、いやが上
にも期待は高まります。

2004年2月 3日 (火)

節分

今日は節分です。

節分と言えば豆まき。わが家でも、毎年家族で行っています。さして広くもない
マンションですが、各部屋ごとに順番に撒いていきます。本当に豆のまま撒い
てしまうと後が大変ですから、何粒かごとにティッシュにくるんで撒いていたの
ですが、今年は便利なパックを見つけました。テトラパックと言うのですが、最
初から豆が三角形の袋に小分けにされていて、袋ごと撒けば回収も楽という訳
です。パラパラという音ではなく、がさがさという音なのがいまいちですが。

もう一つ、大阪ならではの行事があります。それは、恵方巻。太巻きを恵方に向
けて食べるのですが、その間しゃべってはいけません。これをすると、一年間健
康で暮らせるそうです。今年の恵方は、東北東。ちゃんと方位磁石を用意して、
確認してから食べるようにしています。

この恵方巻、大阪の寿司屋さんが宣伝のために考え出したそうですね。以前、
大阪以外にどこまで浸透しているかという調査がありましたが、たしか東は名
古屋あたりまで、西は岡山あたりまでという結果だったと思いますが、実際に
はどうなのでしょうか。

豆撒きと恵方巻が終われば、いよいよ立春。暖かい春までもうすぐです。

2004年2月 2日 (月)

雑酒って知ってます?

このところ、ゆこがネット上の懸賞応募に凝っていて、色々なものが届きます。
大抵は、キャンペーン用の試食品が多いのですが、その一つにサッポロビー
ルのドラフトワンがありました。一見してビールか発泡酒という感じなのですが、
缶のどこを見ても表記がありません。ただ、缶の肩に、雑酒とあります。

「雑酒」って何?


調べてみると、お酒というのは酒税法で細かく分けられているのですね。清酒
、焼酎、ビール、ウイスキーなど代表的な酒類があって、そのどれにもあたらな
いものが雑酒とされるようです。さらに、雑酒の中にも種類があって、発泡酒も
雑酒のひとつなんですね。さて、ドラフトワンはというと、「その他の雑酒」にあた
るようです。

いわば雑酒中の雑酒と言う訳ですが、材料は何でしょう。さらに缶の表記を調
べると、ホップとエンドウエキスとありました。エンドウエキスって、エンドウ豆
の事?

実際にグラスに注いでみると、ビールとそっくりです。ちゃんと泡も立つし、香り
も良く似ています。まあ、これはホップを使っているから当然か。色は、カルメラ
色素で付けているようですね。元は透明なのかも知れません。

飲んでみると、発泡酒と良く似ていて、さらに軽い感じがします。へんな癖もなく
飲みやすい感じがしますね。モルツビールのようなどっしりした旨さはありませ
んが、ドライビールよりは私の好みには合いそうです。

何より、125円とジュース並みに安いのが良いです。主流にはならないかも知
れませんが、面白いお酒が出て来たな、という感じがします。

2004年2月 1日 (日)

新選組!

大河ドラマ「新選組!」。出だしは好調のようですね。私も毎週楽しみ
に見ています。主演の香取慎吾さん、最初はミスキャストではないか
と思ったのですが、これまでのところ好感の持てる演技です。スマップ
の面々はそれぞれ豊な才能を持っているものですね。

このドラマを見ようと思ったのは、題材が新選組であることもありますが、
やはり三谷幸喜の作品である事が大きいです。古畑任三郎シリーズで
才能のあるところを見せた彼が、どんな新選組を見せてくれるのかが楽
しみでした。まだ始まったばかりですが、その感想はというと、どこか中
途半端。

大河ドラマと言えば史実に忠実であるべきだ、という呪縛のようなものが
ありますが、三谷作品と聞いたときから従来の枠を越えた作品になるの
だろうな、という予感はありました。でも、実際に始まってみると、あまり
にも史実とかけはなれた設定にとまどいを感じてしまいます。一方、純
粋に三谷作品として楽しむには、どこか遠慮があるようでエンターテイメ
ントに徹し切れていないように思われます。

波に乗ってくるのはこれからでしょうから、まだ結論を出すには早すぎま
すよね。面白くなるのは、京都へ出て来てからかな。シリアスな展開に
なってきたときの演出を楽しみに見ていきたいと思います。

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